【昭和天皇】戦争責任「つらい」 故小林忍侍従の日記を入手★7

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0001がしゃーんがしゃーん ★2018/08/24(金) 02:16:27.60ID:CAP_USER9
1987年4月7日の「小林忍侍従日記」。行事軽減を巡り「細く長く生きても仕方がない」と、昭和天皇が吐露した心情が記されている
 昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが分かった。共同通信が22日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。

 日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。小林氏は昭和天皇の側近として長く務め、日記は昭和後半の重要史料といえる。

https://this.kiji.is/405044604695348321

前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1535033184/

0952名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:15:03.00ID:OLOTaZNQ0
>>1

「日本はなぜ敗れるのか --- 敗因 21 カ条」山本七平

2017/11/24(金) 01:16:09.73ID:InRTYjsk0
日本軍であれば、極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」というのであろう。
これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論の総てを試みた」という意味はない。
ただある一方法を一方向に極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、
その損害を克服するために投じつづけた量と、
それを投ずるために自己満足し、
それで力を出してきたとして自己を正当化しているということであろう。

中略

外国の青写真で再編成された組織と技術のもとで、日本の経済力は無敵であると本気で人びとは
信じていたではないか。今でもそう信じている人がいるらしく、公害で日本が滅びるという発想は
あり得ても、公害すら発生し得なくなる経済的破綻で日本が敗滅しうると考えている人は
いないようである。

0953名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:15:17.69ID:OLOTaZNQ0
584名無しさん@1周年2017/11/24(金) 01:06:16.79ID:o2i11xEB0
文化とは、何であろうか。思想とは何を意味するものであろうか。
一言で言えば、「それが表すものが『秩序』である何ものか」であろう。
人がある一定区域に集団としておかれ、それを好むままに秩序付けよといわれれば、
そこに自然に発生する秩序は、その集団がもつ伝統的文化に基づく秩序以外にありえない。
そしてその秩序を維持すべく各人がうちにもつ自己規定は、の人たちのもつ思想以外にはない。
従って、これを逆に見れば、そういう状態で打ち立てられた秩序は、否応なしに、
その時点におけるその民族の文化と思想をさらけ出していまうのである。

各人は自らの主張に基づく行動を自らはとらなかった。
そして自らの行動の基準は、小松氏の記す「人間の本性」そのままであった。
そのくせ、それを認めて、自省しようとせず、指摘されれば、
うつろなプライドをきずつけられてただ怒る。
そして、そういう混乱は、兵士の嘲笑と相互の軽侮と反撥だけを招来し、
結局、暴力と暴力への恐怖でしか秩序づけられあい状態を招来したわけである。

だが、戦後の日本は、常にこの模索を避け、自分たちを秩序付けている文化と、
それを維持している思想、すなわち各人の自己規定を探り、
言葉によってそれを再把握して、進展する社会へ継承させようとはしなかったのである。
従って、第十六条と第十八条は、まだ達成されず、招来の課題として
そのまま残されている。

0954名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:15:48.29ID:skRxWdby0
>>949
先祖代々負けた側を嫌いなんだろうね

0955名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:15:50.50ID:OLOTaZNQ0
故小松真一氏が掲げた敗因二十一カ条は、次の通りである。

「日本の敗因、それは初めから無理な戦いをしたからだといえばそれにつきるが、それでもその内に含まれる諸要素を分析してみようと思う。

一、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求されることは、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた

二、物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった

三、日本の不合理性、米国の合理性

四、将兵の素質低下 (精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)

五、精神的に弱かった (一枚看板の大和魂も戦い不利になるとさっぱり威力なし)

六、日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する

七、基礎科学の研究をしなかった事

八、電波兵器の劣等 (物理学貧弱)

九、克己心の欠如

一〇、反省力なき事

一一、個人としての修養をしていない事

一二、陸海軍の不協力

一三、一人よがりで同情心が無い事

一四、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事

一五、バアーシー海峡の損害と、戦意喪失

一六、思想的に徹底したものがなかった事

十七、国民が戦いに厭きていた

一八、日本文化の確立なき為

一九、日本は人命を粗末にし、米国は大切にした

二〇、日本文化に普遍性なき為

二一、指導者に生物学的常識がなかった事

0956名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:16:42.64ID:OLOTaZNQ0
Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God,
indivisible, with liberty and justice for all.

両親の赴任でアメリカに渡った5歳の甥っ子が「忠誠の誓い」「私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴す
る、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います」
をスラスラ英語で朗出来るようになってビビった。日本国籍であろうとも幼稚園で必修らしい。
seaple0425

0957名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:16:48.61ID:PrG18Que0
今の天皇の侍従は実像が伝わるような日記つけてるのかな。

0958名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:16:54.30ID:OLOTaZNQ0
http://www5.cao.go.jp/keizai2/2002/0328report/tenbo-7.pdf

1) 第一下降過程 (1855-1885 年) 幕末・維新の動乱期
2) 第一上昇過程 (1885-1915 年) 主権国家による軍事的・経済的発展の時代
3) 第二下降過程 (1915-1945 年) 日露戦争以後の混迷と暴走の時代
4) 第二上昇過程 (1945-1975 年) 戦後の高度経済成長の時代
5) 第三下降過程 (1975-2005?年) 石油危機以後の“失われた 30 年”

-----

結局、下降から上昇への転換が起こるかどうかは、“谷の十年”の間に抜本的な体制転換
の実現に成功するかどうかにかかっている。いうまでもないが、これまでに下降と上昇の
波の交替がほぼ三十年置きに繰り返されてきたからといって、この次も必ずそれが起きる、
それもほぼ同様なタイミングで起きるという絶対的な保証は、物理的なシステムならいざ
知らず、社会システムのような“複雑系”にはあろうはずがないのである。それはまた、
日本が次の上昇のための制度的・政策的枠組みとなるような新しい体制の構築に必ず成功
するという保証など、どこにもないということでもある。長波論的な観点が教えてくれる
のは、体制改革の試みが澎湃として起こったり、それに成功したりする確率が、この時期
には相対的に高いということにすぎないだろう。

-----

つまり、近代の日本が遭遇した三度目の“山の十年”においても、過去二回と同様、そ
こで生じた国際環境の変化の認知と、それへの的確な対処の仕方をめぐる合意の形成は、
容易には進まなかった。その結果として、日本は、1970 年代の半ば以降、“失われた 30 年”
とでもいうべき三度目の長期下降過程を経験することになり、この過程は今もなお続いて
いる。

最初の長期下降過程は、その終わりに国内の革命と内乱をもたらした。二度目の下降過
程は、その終わりに対外戦争と敗戦・占領をもたらした。では、三度目の下降過程は何を
もたらすだろうか。今後数年を考えると、もしも何か一種の破局的事態がおこるとすれば、
もっともありそうなのは国内の経済的な混乱の激化と、その帰結としての政治・経済両面
での“沈没” (つまり自治・自立能力の喪失) が引き起こす、外資による日本の企業や資産
の買収、及び/あるいは日本の政治・経済の“国際管理”ではないだろうか。

0959名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:16:56.55ID:scIxkrEX0
>>915
今の若い世代は国家主義寄りだからそうはならないと思うよ

0960名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:17:05.49ID:OLOTaZNQ0
http://www.rieti.go.jp/jp/columns/s17_0017.html

インターネット元年(1995年)から現在までを私は「世界IT戦争第一幕」と呼んでいる。その戦いは、日本企業の
完敗といえるだろう。地方では工場が閉鎖され、多くの失業者が発生した。自動車に次ぐ第二の基幹産業の敗戦は、
日本にとって痛手が大きかった(図表5)。

今、始まった第4次産業革命を、私は「世界IT戦争第二幕」と呼んでいる。日本は、この戦いに勝ち抜かなければな
らない。そうでないと、電機産業と同じ現象が他の産業でも起きる。地方での工場閉鎖がもっと大規模に起きる。こ
れまでの電機産業の地方での工場閉鎖は、まだほんの序曲に過ぎない。それと同じ事が、もっと広範に、かつ大規
模に起きるのだ。地方の中小企業も安泰とはしていられない。もし、親企業が第4次産業革命の戦いで負ければ、そ
の下請けである地方の中小企業も仕事が無くなってしまう。第4次産業革命は、日本全体を挙げた総力戦なのだ。

0961名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:17:20.30ID:OLOTaZNQ0
ricca222 (りっか)
なんか、色んな省庁から不祥事が出てくるたびに科挙制度が破綻していった
中国王朝末期のことが頭をよぎる。むかーし、高校の漢文の先生がこの国を
動かしているのは官僚だ、と言っていたことも思い出す。

PRPGN (たけしま)
>「これは国民が科挙に合格した官僚を特に根拠もなく有り難がって、自分達が選挙で
選んだはずの政治家を馬鹿にしてるから、腐れ官僚が調子こく様になる 国民の自業自得
だわな 儒教の染み付いた中世土人には近代立憲民主主義は無理ってこと 」

nn30881tbc (nAo)
その偏差値バカから誕生する、優秀な官僚も追って知るべし、支那科挙制度な類
似する、国家公務員試験制度も早急に見直すべし、つまり物差しを見直す時が来
ています。

hkoba (hkoba)
常に「身分なるもの」でマウンティングが発生し続けるハラスメント空間、それが儒教圏…

doc_wabi (Shuu)
あるある、あるでぇ! この時代はな、身分社会や! 儒教が国教やねん! 儒教は身分と男女と
長幼を区別するねん 差別やな! 側室はな、8階級あんねん! 1番上が「嬪(ピン)」 オクチョン
な禧嬪(ヒビン)やろ! 1番上の位や! 嬪になると漢字1文字を前に入れて「〇嬪」と呼ばれるんや

wildcat_x (野良猫丸)
そういう「自分は被害者やぞ!」と言いながら実は「いじめ加害者のように一方的に好き放題で
きる権利がある!」という認識こそが「歴史修正主義者かつ人種差別主義者」である証なのです
よ。儒教ナショナリズムの産物であり、日本人を虐殺しても平気なナチズムがここにもある。 もうバレてるのにね。

pandora_dreamer (来夢望瑠_Kimball)
やっぱり儒教と共産主義こそ究極の差別主義思想だよねえ・・・・ こんな連中と友好・融和・相
互理解とかいってる低脳バカどもがほんと怖いわ! 実践している特亜国家がすぐとなりに存在
していてその言動を目の当たりにしながらいってるんだから・・・ 一体いつどうやって洗脳されたん? 未来への言質

0962名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:17:32.75ID:OLOTaZNQ0
璃奈 @rina_ouka
儒教と共産主義という人類最悪のコラボレーション

@knyel_shahor
儒教の人間中心主義というのも志が高いのはいいが人類には早すぎたのだ感が強いな。共産主義も人間中心主義だから同様なんだよな。
日本の共産主義者が儒教的規範のシバキ主義になるのもそのへんが同類だからなんだろう(´ω`)

@hirokazu_nagata
日本人が戦う相手は共産主義と儒教だ。平等な社会を掲げて労働者をロボット化する。
当然ながら宗教や文化は必要ないのである。理念の為に人類史上一番人間を殺している。儒教の悲劇は韓国だ。
年功序列で歳上が全ての社会。未來思考が出来ない。日本も悲劇は今でも韓国ほどではなく続いている。

@mikkippe
まあそうなりますよね笑 結局儒教道徳が根付いたのはそれだけ人類の生存に適した合理的な(都合のよい)考えで、
僅かに生まれる軋みを凌駕する力(益)があるからですもんね…けどその軋みを1500年無視してきた結果それは形を変えて私達の社会を蝕んでいるという何とも皮肉な事に…↓

@ kyasarinn3s
ネトウヨは韓国を叩くけど日本も同じでしょう。
男尊女卑で年功序列(儒教のせい)で目で見てわかりやすいもの(学歴や収入や性別など)で差別して、その結果、両方とも自殺率が異様に高い病んだ国。

70x20 (Fate/usachanland)
逆位置の人口ピラミッド、儒教思想による年功序列、性別格差の表面的是正、

matsuo_ake (松尾武広)
だからこそ”儒教"が必要だったのでしょうね。しかし、自分勝手な順序・序列ばかりが幅を利かすからこういった事になったのでしょう。

0963名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:17:33.16ID:LbP9Qqbv0
>>288
それはしょうがない

ジョン・ダワー「容赦なき戦争」より
>アメリカばかりでなくイギリスにおいても世論の圧倒的多数は、
>日本人絶滅とはいわないまでも、日本の「完全敗北」を求めるものであった。

>「第一次世界大戦の教訓」論――すなわち、ドイツにおけるナチスの台頭は、
>第一次世界大戦での連合国側の勝利が不完全であったことに起因するという議論である。
>完全敗北なくしては、のちにまた国家主義者たちが力を盛り返し、
>日本は実際に敗北を喫したわけではない、と主張するようになり、
>ハルゼー提督の言葉を借りれば、「この平和を利用して、かつてのドイツが
>そうしたように新たな戦争を企てようとする」であろうということである。

>「心理的浄化」論――すなわち、大規模破壊と苦痛は、単に処罰の意味とか
>戦争終結のためにのみ必要というばかりではなく、
>日本人の狂信的、軍国主義的な国家的、民族的意識を全体として一層するためにも必要であり、
>それは日本の都市という都市をすべて灰と化することによってのみ可能であるという議論である。
>これは一九四五年春に、トマス・ハート上院議員も明らかにしているとおり、
>「第一次世界大戦の教訓」論の当然の帰結であった。


このように「第一次世界大戦の教訓」から
「戦いを中途半端な所で終わらせてはならない」という強い意志が連合国側にあった

0964名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:17:37.20ID:yMLd11Q90
そもそもロシアがもとで戦争広がってそのロシアがこの人に責任あると言ってるのに責任感じない神経わからない

0965名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:17:45.62ID:OLOTaZNQ0
naninani_trpg
いまの日本に根付いているしょうもない年功序列の尊重視って、儒教の朱子学が元になってなかったかな。

TLL_tokyo (Transition Learning Lab)
あの大学教育におけるパワハラなり、優秀な若者の民族浄化的なやばい系統の文化は本当にどうにかすべきだと思う。
そもそもあの儒教における年功序列的な文化が一番間違ったと思う。知識は更新されるのに、いつまでも時代遅れの方が偉いということに・・

T_G_I_F_007 (あ)
外国>>>実力主義
日本>>>年功序列制
のイメージ 日本の年功序列制 根強いよね。 儒教から来てるんかなって思ってしまう
ほぼ終身雇用だから、上が能力無くても 年功序列制の風土だから、下は否応無しに理不尽なことでも従うしかない社会(O_O)

adatijun (足立淳@6/17サンクリO-06b)
唐突だけど、残念だけど、中・韓の二国が、日本を対等なパートナーとして認めることはないかなーと思います。
彼らにとって、日本は永遠に子分であり、弟分。儒教には年功序列・体育会系な側面が色濃くあるしね。

returntotori (帰ってきたとりあたま)
もう1つ要因はあるな。旧い和のなかでは階級が固定されていて、特にその中で上の位置いるものは和の変化を好まないだろう。
儒教や年功序列が和の中の階級を固定化することに重要な役割を果たしている。

@n_en_u
儒教って中国に2000年くらいの停滞をもたらして今も中華辺縁文化圏で年功序列とか無数の害を及ぼしてるので、焼いて
埋めて確実に絶やしておかなかったことが悔やまれる

000_2018 (R.X(∞).River)
ちなみに、なんで「明らかに間違っている&間違っていることに気づいているのに、間違っていることを官僚たちが認められないか」
というと、軍隊的序列概念と儒教思想の悪しき側面から逃れられないからです。

0966名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:18:01.05ID:OLOTaZNQ0
官僚制度自体が問題なのでは?科挙のようなものでしょ。 アメリカのように民間と往き来が頻繁な方が健全になるのでは? #虎8
@0ns6554y

positiveflx (Positive_X)
儒教によって腐りきった綺麗事が今少しずつ崩れ初めている。 腐りきった綺麗事で踏み固められた地盤が活きる時が近づいている。
差別という暴力に儒教(煩悩)が寄生し岩盤を腐らせ泥沼に変えてくれた。
これからは知性が人権を育成する時代になる。 上っ面だけの綺麗事が通じない時代になる。

yas160080 (yas16)
韓国人のコメントを読むと彼等の南米人に対する人種差別の方がよほど酷いと感じるのは何故だろうか...
常に自分より身分が下の存在を作り、優越感に浸ろうとする歪んだ儒教精神から来るものなのだろう

Ms55fc9FtPbHmB6 (耽都 栗鼠)
儒教の影響が強い国では、差別に寛容ですね。自国民同士でも地域間差別や身分による差別。職業による差別もひどいです。

orengekei (エイジ)
ただの民族差別思想やただの権威主義、それを振りかざすただのパワハラ偽儒教や、中華思想、小中華思想脳
に犯されているただの奴隷じじいなら、「親の意見と茄子の花は千に一つも徒(あだ)はない」というより、
老いたら子供たち同士の世代にしたがった方がよろしいかと

そんなに「きれいに書く」必要ってあるのかな。米国人なんて字が汚いよね。答えが合ってることが何より大事な気がするのに、日本人
は体裁を気にし過ぎて、正しい答えを軽んじてはいないだろうか。要するに中身のない形式主義に堕している。儒教的ではあるな。
@mitsusato_

0967名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:18:19.27ID:OLOTaZNQ0
日本人の、「ココが狂っている」という部分は、たいがい、儒教の宗教的な価値観であるケースが9割 最近だと、
オウムのガキに、誹謗中傷がドウタラ、というのも、儒教によるもの 儒教だと、親と子のつながりは密接で、つね
に責任がある、みたいな大前提がある
@GensuiAkainu

他にも、中国で共産主義が根付いたのは儒教の経典主義があったからだとか、皇帝独裁体制っても結局は知識人の
ブレーンによる寡頭支配だったんだから、現在と何も変わらないとか、為になる知見がいっぱい。ユーモアのある
文体だし、中国史全体の入門書としてお勧めできます。
@Fdq4Lb891YwgL5S

職人を下賎の者がやる仕事と看做す朝鮮儒教思想の南朝鮮には逆立ちしても無理なことだろうw
@SPJman

レンメイのホリウチ失格事件も、厳密には、儒教的な価値観が背景にある 儒教だと、上下関係を重んじるので、 1、
レンメイのコジマ=偉大=言い分は絶対的正義である 2、ホリウチ=若手=奴隷扱い、人権ナシでいい みたいな、
パワハラありきの価値観になりやすいわけ で、不祥事が起きる流れ
@GensuiAkainu

日本で、ブラック企業が蔓延する、ってのも、厳密には儒教によるもの 「オカミに逆らうのは、無条件で悪である」
みたいな宗教思想が背景にあるので、どんどん底なしにブラックになる 海外だと、キリスト教で、オカミにバシバシ
逆らうので、ホワイトが当たり前になるわけ
@GensuiAkainu

日本の民話とか、むかしばなしとか、かなりの率で中国の諸作品からパクってるんだろうな。有名なところでは曲亭
の八犬伝は水滸伝を下敷きにしている。時代の差もあると思う。儒教を奨励した時代だと副産物として中国の物語が多
く消費されたかもしれない。消費が増えるとパクるやつも増えるだろうしさ。
@tamarira

0968名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:18:31.77ID:OLOTaZNQ0
どんなに無能でもゴミクズでも年齢が上なだけで立場が上になってしまうクソ制度年功序列を日本に植え付けた
儒教はマジで滅びてくれ。あんなん学ばなくていいわ
@sige53571

儒教は王様にお仕えする方法が書かれたカーストルールブック。兄弟上下の差は絶対です。だから上は下をゴミ
のように扱うのも自由。日本は弟の国と韓国の新聞で書かれますが、これも儒教的上下を認めさせるため。嘘を
つこうが騙そうが兄の自由。生意気な弟日本はボロボロにされて当然というわけです。
@itsudemoiikana

法の支配がないんだよ。法治主義で、中心となるのは天皇を中心とした儒教貴族。官僚がそれで動いていること
がわかってないから、政府、裁判所の不正をいつまでも是正できない。 単なる近代化が重要。たとえそんなもの
はない、といわれても。
@nomad68k

Hiroyuki Ikegami@Darkpbs77
4月6日
また、質疑応答の中での発言に、日本の官僚制の中にキャリアとノンキャリアとうのがあ
りますが、このキャリアとノンキャリアという考え方は、中国の科挙制度が生んだ中国の
家産官僚制から出て来ています。このようなことを、もっともっと日本では研究すべきですと語られています。

gertrude913 (gertrude)
こういう人のもとでは、どんなに受験勉強を勝ち抜いて、天下の官僚となっても、「下僕」となるこ
とを強いられる。もっと熾烈な「科挙」試験を勝ち抜いて、官僚となった若き中国の書生たちが、腐
った皇帝制度のもとで、腐り抜いていったように。下僕となったことで小さな権力と富を与えられるから。

kurisuneo (kurisu neo)
中国が何故、「張子の虎」と言われるような 時代遅れの国になったのか?
科挙制度による官僚が主導権を握ったからです。 官僚主導の国は必ず衰退します
#歴史情報戦 #マスメディア

0969名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:18:42.73ID:XCabWxPu0
>>949
周囲がなんでも同意してくれて、持ち上げてくれる人ばかりだから勘違いしてるんだよ

0970名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:18:53.88ID:u9LjS9/+0
>>8
300万人以上の国民を「天皇陛下万歳」と言わせて死なせた大罪人が何ふざけたこと抜かしてるのか。

0971名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:19:28.65ID:OLOTaZNQ0
嶋津 幸樹@Koki_Shimazu
ある田舎の高校で講演した時に「うちの生徒に海外大学の話をしないでください」と留学経験のない教員にキレ気味に伝えられました。
その教員曰く、そこの生徒はその地に生まれ地元の大学に進学し地元の会社に就職しその地で死ぬらしいです。

bakuagekingdom@gekiochikingdom
不条理で生産性の低い命令を律儀に聞く人は出世しますが、次の世代に不条理で生産性の低い命令をするようになる。
大抵、そういった輩はマトモな組織運営が出来ない。

gonzou1976 (権蔵)
革命が大好きなはずの日本の革新・左翼勢力が、個別の小さな改革にすら猛反対して現状維持を
望むのは、戦後自民党がつくりあげてきた今日の役所・公金まわりの既得権の数々が、革新・左翼勢力
にとっても非常においしくて居心地が良くて社会主義的だからですね

黒狼鳥@yan_garuga
最もチャレンジ精神ないのは、年功序列役職人事で昇進した定年退職間際の老害管理職。
どれだけ若者が斬新な提案・提言をしても全て握り潰す。日系大手メーカーはこういう老害ばかり。
老害は自らの事を棚上げしてばかりいる。
無駄な存在

0972名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:20:01.59ID:OLOTaZNQ0
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14142850534
第二次大戦の陸軍は皇道派が築いた遺産で半ば戦ったようなものです。
皇道派は軍事面には注力しましたが、彼らはこのための予算の獲得やら、これを”効率的に実現するための社会体制の実現(社会主義の実現)”とやらには関心がありませんでし逆に嫌悪を覚えていました。
逆にこれに前のめりだったのは統制派と呼ばれる人たちです。
特に第一次大戦の特にドイツを見て永田鉄山がそうでした。
統制派と呼ばれる人たちが、皇道派より近代的と言えるのは国家総力戦体制の構築について前向きな部分なだけです。
実際的な軍事実務においては皇道派の軍人に比べて数段劣りました。
対支先制論を唱えた永田鉄山の見識や、東条の軍人としての資質を見れば明らかです。
彼らがのめりこんだのは社会主義実現のためのテロやクーデターなどの陰謀でした。
それが3月事件や10月事件、餌(陰謀計画)に飛びついた青年将校たちの暴発による2・26事件です。
皇道派は天皇親政主義者でもなかったので、こうした陰謀には嫌悪感を示してこれらのいずれの事件においても一貫して反対をしていました。
3月事件と10月事件で主要な働きをした桜会のメンバーが後に統制派の流れを形成した対照的です。

....

皇道派が対ソ戦略に重点を置いたのは、現状から言えば当然といえば当然の反応に過ぎなかったのです。
満州は実質的な新領土で、しかも、この広大な土地を得たことでむしろソ連との接する国境は拡大したからです。
一方で当時の中国は国防の脅威とはみなされませんでした。
そのために皇道派は対ソ戦略を重視したのですが、彼らの考えは”防衛計画”です。
そのために国境の要塞や満州領土内の交通網の整備、それに基づいた作戦計画の立案をします。
対ソ戦略においては陸軍は後に至るまでこの皇道派の遺産におんぶに抱っこでした。
このためにノモンハン事件で「ノモンハンとはどこだ?」と喚き、独ソ戦になっても対ソ攻勢のための作戦計画がそもそもなかったという状態となります。
皇道派は軍事にのみ熱中したい人たちでしたから、永田や石原のような夢想と評するしかない「中国を屈服させて日本に資するようにする」といった戦略は非現実的と判断しており、そもそも純軍事の範疇を超えたこうした考えを忌避しました。
皇道派は対ソ戦略についての”誤解”は元老西園寺の「対ソ先制を唱える小畑とこれに批判的な永田が論争をして永田が優勢だった」が基になっています。
西園寺はこの話を秘書役の原田から聞き、原田は交流があった永田から聞いたのです。
ところが、この陸軍の会議に直接参加した荒木は「小畑の対ソ戦略(といっても先制ではない)の意見に永田以外は賛同した」と証言しています。
実際にその後の陸軍が力を注いだのは満州防衛策です。
この件はそれまで親しかった永田と小畑の仲に亀裂が入り以降の永田は皇道派の追い落としに夢中になります。
これを見ても議論の中身と結論が、荒木と永田どちらが真実に近いかは明らかでしょう。
要するに永田は皇道派への悪印象と己の野心のために力のある西園寺に伝わるよう虚偽を原田に吹き込んだのです。
荒木はまた「永田はずるい男で次の会議の時には出張だとか言って逃げてしまった。あれが派閥の始まりだった」と回想しています。
そういうわけで、皇道派が対ソ先制を考えていたとの意味で質問をされているのでしたら、それは誤った俗説に基づいての認識です。

0973名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:20:20.77ID:OLOTaZNQ0
愛国保守を偽装して日中戦争を煽った尾崎秀美は朝日新聞社員
西園寺一晃も朝日新聞社員だった

https://ja.wikipedia.org/wiki/西園寺 一晃

西園寺 一晃(さいおんじ かずてる、1942年 - )は日本の研究者、フリーランスジャーナリスト。工学院大学孔子学院院長(2013年3月)。

来歴・人物
椙山女学園大学客員教授、AAN研究員、北京大学在外研究員など歴任。学歴は北京大学経済学部卒業。

西園寺公一の長男として東京市に生まれる。1958年、一家で中国に移住。10年間を北京市で過ごす。1966年、北京大学経済学部政治経済科卒業後、朝日新聞社に入社。調査研究室に勤務。

中国滞在中は文化大革命に遭遇し、帰国後に文革を肯定的に描いた『青春の北京』を執筆した。

定年後は日本中国友好協会全国本部参与、東京都日中友好協会副会長、北京大学日本研究センター在外研究員、椙山女学園大学客員教授、工学院大学孔子学院学院長。

共著がある西園寺雪江は母、西園寺彬弘は弟。

0974名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:20:21.94ID:/1HPRGST0
戦争で散った人々がこの御言葉を知ったら…

0975名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:20:52.82ID:OLOTaZNQ0
>>1

朱子学等の儒教主流派から派生した徳治主義は、人治裁量主義であり社会的公正や理念をもたずに
上下秩序規範を守る(人倫)ことが重要となる。この規範によるならば社会的公正や理念を持つものは
精神主義(同じ考え)を持たないため、これを徹底的に貶め弾圧を行う、それを集団で行うことも許容する
しかしその根拠は実力ではなく空気的・政治的な上下規範秩序にすぎない

朱子学における礼とは身分制度(徳目)に対する絶対遵守だが、それに相対する思想が陽明学(軍人である王陽明が開祖である実践思想)であり、
陽明学は時宜に合せ機動的に考を行うため、形式主義(礼)を排除する(形式主義こそが儒教の実体となったことから反儒教思想と考えるものもいる)

序列主義は、成功しているものが偉く、成功していないものは卑しいという観点から事物を見る。
この観点からすると身分の尊卑のみが社会における徳目となる。序列主義は同列の階層に対しては
敵を貶め自らの徳目を獲れば勝ちとなる、言葉で貶めることで勝敗をつけるというレッテル貼りが
好きな極左的病理に近いが、この徳目のいきつくところは反実力・反競争主義である
つまり成功という結果が、身分の尊卑を高め、その他全ての瑕疵を覆い隠すならば、成功のためには
手段を選ぶ必要がなく真っ当に競争をするよりも談合・カルテル・独占や違法行為・詐欺的商法、
嘘をついて批判・レッテル貼りを行うほうが得(徳)であるとの反競争的な倫理観が世相を支配するようになる

またツバを飛ばしながら正面切って議論を行うことを本質的に嫌う、なぜなら対等な関係では意のままに
従わせることができず、同意を得なければならないし、相手が拒否すれば強制はできない。
如何なる誤った行いであっても、徳(身分の高い、社会的信用、儒教的な礼=上位者に逆らわない、上下身分制度・尊卑制度を遵守)のあるものの意見・行動が優位に立つ。
しかし同列の者同士であれば、上からの命令を受ける従順なものが上位者となる。
この思想では、下位者は(上位者とそっくりの借り物の思想を用いるだけの)無能で従順であるほど徳が高くなる。
そのため議論を逃げ続けたものが勝者となるが、戦略に誤りがあり修正が必要な場合に対処方法が無くなる

序列主義は戦争・競争のルールが確定してる際には強いが、競争のルールが変動した際に不適合な人材を抱えるため
戦争には不利な要素として働く

0976名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:20:53.57ID:iOhUpK9N0
>>931
当時の外交文書の公開も増えてきたし、むしろ戦争責任が無かった事が明白になってくると思うね
道義的な責任は感じていらっしゃって、痛切な心裡は数々のお言葉に表していた
未だ戦争責任を問う声が大きくなるなんて思うのは、中韓朝とその影響を受けた勢力が、
自国運営のまずさから国民の目をそらすためのカードを失いたくないための妄想でしょ

0977名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:20:56.36ID:8B5POEzz0
このおっさんがずっと反対してれば戦争回避できたん?
仮にそうなら戦争責任ありじゃん

0978名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:21:02.69ID:Gvs9oHtn0
じゃあ死ねよ
枕濡らして死んでいったカミカゼの方達の方がよっぽど辛いわ

0979名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:21:05.91ID:OLOTaZNQ0
>>1

> 儒教はこの五倫五常を本として修己治人を目指すものであるが、やがて五倫五常の
> 思想が短絡的に政治へと利用されて統制のために悪用されるようになり、また、夫婦
> の別を男尊女卑に、長幼の序を単なる序列主義に捉えるなど歪曲されてしまう傾向が強い。

儒教を実践するという段階で最大の障害となるのは、思想の核心部分に序列主義、中庸、徳治主義(反法治主義)を組み入れたことだ

これは君主を弑逆したり、君主による恐怖政治があたり前の時代の秩序を保つためのものだろう

中国では序列主義をさらに拡大解釈し、中華は大きいから偉大との理由により、朝貢体制を強いて小国の周辺国との対等な関係を認めない

中国(東洋的専制主義、序列主義、徳治主義、血縁主義の肯定と共産党独裁を
一致させ、共産党に対する服従を徳目とするため)と韓国(文化的な残滓は今も強く残る)
における儒教的病理を理解するには多面的な分析が必要となる

ー過去への拘泥・拘り(死刑にしても、100代〜1000代たっても敵を許さない、死後でさえも罪に時効はないとの考え方、
これの原点は現実的分析を一切無視した無関心であり、復讐を行わないのではなく思考停止のせいで行えない)
ー過度な上下秩序規範・身分の尊卑・社会秩序(科挙等、儒教的身分制度)の固定化、小国に対する優越的態度
ー思想弾圧(行き過ぎると内心の自由までを裁くことを可能とする、他の儒学派にさえ厳しい弾圧を加えることで知られる)
ー血縁主義(外部の人間は同じ人間ではない。外部の人間は敵だから決して心を許さず偽りの
礼儀だけは守れとの教え。北朝鮮の金王朝の崩壊=全世界の崩壊という図式の確立)

日本ではここまでの悪習はないが、中国と韓国では儒教が一時期であるにせよ国教であった時期が長い
日本にも優生思想(遺伝子、文化、宗教)が存在し、特に中国や韓国、東南アジアを見下す傾向のあるものが多数いる

また日本企業が絶好調の時代では、白人の文化・宗教・思想等全般に対して日本人が優れるという論調さえ存在し
日本が世界の中心という儒教的な風潮(中庸)も存在した

中国人や韓国人が欧米にいくとおとなしくなる傾向があるが、儒教秩序である序列主義が完全否定された社会では東アジア人を除く人種に対しては
欧米流の対応をするという歪んだ状況を生むことが多い

日本でも江戸時代に朱子学が採用されたが、盲目的に主君に忠誠を尽くす家臣を増やさねば、戦国時代に
逆戻りという恐怖心が打ち勝ったからだろう

しかし朱子学は華夷の別、序列制度、君主の正統を重視するがため、朱子学を追求すると唯一正統な血筋を継ぐ
天子が政権を持つべきとの思想が生まれる

ならば為政者である幕府が本来意図した目的を超えた朱子学が儒教ではないという疑問が生まれるが、
朱子学を儒教でないとする説は聞いたことがないし、少なくとも江戸時代に儒教は朱子学と一体といえる

0980名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:21:11.68ID:JsyhN9k70
昭和天皇「やっぱつれぇわ」
小林侍従「言えたじゃねぇか」

0981名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:21:19.50ID:OLOTaZNQ0
>>1

中庸(自己本位主義)

「中庸の徳たるや、それ至れるかな」

中庸の天秤も一点のみが均衡するのであり、その点こそが至高である。
儒教という自己本位主義の思想では、中心に近いものが尊敬を得る

国家であれば、中華、中国が最高点となる、組織であれば、上司が中心となる
最高点のために、周囲が全てを失おうと必死で尽くし奉公することが、中庸の道ということになる

儒教は自尊心を過剰なまでに肥大させ中心にいるものが徳があり、それ以外を
見下し低劣で卑しいものと見なす(外夷思想)

ひがしもり@currysoutyou
中国近代史学者の岡本隆司先生は儒教について、「まずは自分を中心に、外界すべてを上下の関係で整序する
というのが、そのコンセプトの基軸をなす。」と書いていたなあ…。ゆえに「儒教の観念と行動に、対等平等
は存在しにくい。」と。昔の思想なんだから、現代と違うのは当たり前だと思う。

0982名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:21:34.73ID:OLOTaZNQ0
(儒教パターナリズムを志向する)朝日新聞と左翼御用達の小島毅は本場の儒教に触れているだけある

http://globe.asahi.com/feature/memo/2016040100011.html

中国思想史が専門の東京大学教授の小島毅によれば、中庸は「人として守るべき道(中)に対して過不足のない状態(庸)」を指すという。
ゆえに、「危険な思想でもある」と小島は言う。

188 :考える名無しさん:2016/05/28(土) 01:23:31.31 O
(儒教は)現状肯定、秩序維持重視で社会を阻害してきた、
下の者に自己犠牲を隸従を求め、
多くの犠牲、停滞をもたらしたのは事実だし、否定できない。
そういう意味では糞思想なのは否定しようのない真実。
その上で多少弁解したって、大筋は変わらない。
利用されただけで本質はそこにないと言い訳しても、
そう利用されるだけの原因、要素があるわけで。
元々駄目な物を修理したって、駄目な物は駄目。
この真実から目を逸らすなよ。

0983名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:21:43.16ID:P0XCnumnO
>>967
明治維新を起こした薩長のアホが悪しき儒教を弱めるどころか強化しちまったんだよな

0984名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:21:50.24ID:OLOTaZNQ0
『中庸』は中華主義者がしばしば引用する
日本中華主義・日本型華夷思想

https://ja.wikipedia.org/wiki/中華思想

江戸期日本の中華思想

明が異民族王朝の清に支配されると、日本の朱子学者の一部、林羅山などは、日本の
天皇家は中華正統王朝である周王朝の分家である呉の太伯の子孫であるから、日本こ
そは中華であると主張し始めた。更に、明の遺臣の一部は清に仕えることを潔しとせ
ず抵抗もしくは亡命し、そのうちの一人である朱舜水は、夷狄によって治められてい
る現在の中国はもはや中国でなく、亡命先の日本こそが中華であると述べた。日本の
江戸時代の儒学者山鹿素行も著書『中朝事実』の中で同様の主張をした。また、国学
者本居宣長も日本外交史を扱った歴史書『馭戒慨言』おいて、世界の国々は日神の子
孫である天皇に朝貢してその暦を奉じるのが正しい姿であり中国皇帝は「戎王」に過
ぎないとして、中国中心の華夷秩序を反転させて日本中心の華夷秩序をあるべき姿と
して描いている[12]。これが後に水戸学や平田派国学へも思想的影響を与え、幕末の
尊王攘夷論に結びつくこととなる。


太平洋戦争中に天皇を現人神として崇め奉り、軍 部が敗色濃厚になるや神州(中華正統王朝)不滅を唱えるに至ったのも、朱子学に基
づく中華思想に影響されたものであるという[13]。

0985名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:22:06.37ID:OLOTaZNQ0
儒家の説く礼は偽りであり、見せかけとするのが老荘による儒教批判
平等主義を指向する墨家は、儒教の礼や仁が上下の序列によってしか行えない事を批判
徳治主義・縁故主義による不法な支配を批判した法家

身内や先祖や親を崇拝すること、天秤の中心がひたすら偉いと盲信し議論をさけ上位者
の教えだけを絶対とする愚劣さ

みせかけだけの礼・中庸で、対立意見を持つ他者を見下し、身分差別社会に合せた中庸という身勝手な徳を押し付けて排除する姿勢
正統さを重んじるばかり論語の解釈さえ許さず他の儒家を迫害する狭量さ

これらは偶然にも日本の左翼や労組にピッタリ当てはまる
陽明学はこれらの問題を即心理として解決するが、陽明学以外の儒教の病理は北朝鮮・韓国、
中国の歴史を見ていれば分かる

最後に科挙制度の批判はマックス・ヴェーバーとなる

儒教においては、教養試験が重要となる。なぜなら「貴人は器ならず」という根本原理から
専門知識を備えている事を見下し、専門訓練を蔑視する風潮まで良しとするからだ
これは西洋的な専門家の地位確立に真っ向から反するもので、個性や専門家の能力が
競争力を分ける分野において著しく不利となる事を示す

0986名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:22:17.97ID:OLOTaZNQ0
儒教的残滓と国際競争力の低下

中国においては数百年単位で儒教を理解しない外国勢力による革命・国体の総入れ替えが起きることがあったが
百年もたたぬうちに儒教国に先祖返りする

一度でも儒教が根付くと、全く正反対の文化を取り入れても、儒教的な慣習が残り
原点から遠ざかることで儒教的な問題点の悪い部分だけが強化されてしまう

儒教慣習が残るのは韓国も同様であり、
日本は仏教と神道の三代宗教という形ではあったが影響は色濃く残る

問題は知識集約型と言われる第四次産業革命では、儒教の持つ封建的で前近代的な序列主義が進歩を阻害することだ

知識集約型産業では、少数の属人的な知識を持つ技術者のみが価値を生み出し勝者が全取りする

技術と知識は属人性が無いように見えるかもしれないが、既存の技術から新たな価値を
創造し、さらに競合よりも良いサービスをより早く作れる能力は属人的とならざるえない
ただし傑出した能力も社内から理解されるのが前提であるため、同等の傑出した能力者が一
定数いなければ評価さえできない

儒教では徳のあるもの(社会的地位の高いもの、序列高位者)の教えを暗記することが重要視
され、それを徳目とするため、暗記ができるものが偉いとされる
上位者は自らの地位を脅かさないように下位者が実力をつけることを妨害する
また、下位者が何か新しい事に着手することも妨害する傾向がある
しかし上位者の言うとおり暗記した技術では、交換可能な技術者がのさばり、
暗記文化から外れる本来の知識産業の主役は端に追いやられる

学歴社会の禊を終えるために無駄に脳の領域を埋めてしまった後でさえも創造的である
ことを忘れなかった少数者も、 企業の文化や体質によっては
本当に重要な事に集中することができず、骨抜きにされ短期間で創造的能力が完全に
無能化してしまうのが儒教的組織の特徴だ

競争に生き残れず劣化した国の末路は厳しいものだ

0987名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:22:28.14ID:liTjseaC0
日本人の手で責任とらすべきだった

0988名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:22:33.24ID:W3KBwPLT0
消費増税責任こそ厳しく追求しなきゃ!

0989名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:22:33.94ID:OLOTaZNQ0
1936年以前から統制派=東條・辻・永田は戦争をけしかけ扇動していた

1928-04 第二次山東出兵
1928-05 済南事件
1928-06 張作霖爆殺事件
1928 治安維持法改正

・北一輝が一連の治安維持法関連・報道規制・重臣会議による内閣決定・軍閥・過度な市場独占の流れが五箇条の御誓文に反すると考える一端となる

1930/1931 昭和恐慌、世界恐慌、昭和農業恐慌、小作争議

・恐慌により農村出身者の兵士や、青年将校が国内の惨状にも関わらず戦争を起こした統制派に敵意をいだき始める
・当時、総理大臣だった立憲民政党の濱口は大恐慌時代の舵取りを財政緊縮と金本位体制、産業合理化で乗りきろうとし
致命的な経済運営で多数の国民を苦境に追い込み、高橋是清が大蔵大臣になるまでの民政党の2年間は
日本国民に巨大な混乱を生じさせ、満蒙を日本経済の生命線とする理解不能な政治的空白を生んで軍閥が武勲争いに興じる序章となった

1931/09 満州事変(中華民国と開戦)

・石原莞爾は欧州視察にいった後に欧州出羽守に転じて、世界最終戦争という妄想を広めて統制派に注目される

1931/09 柳条湖事件(統制派の石原莞爾が鉄道を爆破)
1932/01 第一次上海事変
1933 国際連盟を脱退

・(反英米ではないという意味での)親英米の皇道派将軍が、軍部の対英米・親ソ連・親独に危機感を持ち始める

1934 帝人事件(汚職、起訴されるも全員が無罪)
1934/11 陸軍士官学校事件(東條英機、辻政信等が青年将校を失脚させるために罠に陥れる)

・比較的恵まれていた青年将校の実家でさえ零落したり、幼馴染等の姉妹が売られ、家族で心中を図った惨状にも関わらず汚職まみれだった当時の政治家・官僚・軍幹部に対して憤激
(第4次産業革命や、企業の前近代的な封建的体質により低下する産業競争力によって、国が貧しくなることで状況は酷似してくる)

1935 八・一宣言、抗日宣言
1936/02 二・二六事件

0990名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:22:50.58ID:OLOTaZNQ0
儒教は専制秩序の維持理論であり、反民主的な勢力とは親和性が高い
五箇条のご誓文は前提が自由主義・民主主義であるため、儒教との親和性は低い

https://kotobank.jp/word/士農工商-74628

江戸時代の基本的な身分制度。もともとは中国古代に人民を4種に分けた名称であったが,
日本では豊臣秀吉が兵農分離を進めていくうえで次第に成立し,江戸幕府によって確立された。
朱子学の思想に基づいて武士を最高位におき,これにあらゆる特権を付与するとともに,
武士の経済的要求を満たす貢納の負担者である農民を次にもってきて,その下は職人,
そして生産にたずさわらないことで商人が最下位におかれた。工商は町人とも呼ばれ,
さらにその下に「穢多 (えた) ,非人」が存在した。明治維新後これらの身分制度は解消した

https://ja.wikipedia.org/wiki/士農工商

士農工商(しのうこうしょう)とは、儒教において社会の主要な構成要素(官吏・農民・職人・商人)を指す概念である。
「四民」ともいう。

なお、中国では伝統的に土地に基づかず利の集中をはかる「商・工」よりも土地に根ざし穀物を生み出す「農」が重視されてきた。
商人や職人に自由に利潤追求を許せば、その経済力によって支配階級が脅かされ、農民が重労働である農業を嫌って商工に転身す
る事により穀物の生産が減少して飢饉が発生し、ひいては社会秩序が崩壊すると考えたのである。これを理論化したのが、孔子の
儒教である。

明治時代になると近代国家に脱皮するためには中世封建制社会の身分制度を破棄することは避けて通れないと考えられ、政府に
より江戸時代の身分制度が廃止され四民平等(しみんびょうどう)の政策が採られることになった。

0991名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:23:05.68ID:OLOTaZNQ0
儒教には 「仁者に敵なし」 という逸話があり、究極的には「礼」のみによって「和」するとの教えだ

徳のある君主が現れれば、おのずと天下統一が成し遂げられるという

徳者が現れれば敵国の軍人も民衆も武器を捨て、両手を上げて新たな支配者として迎えるからであり
これは孔子が君主になるべきという素王説、即ち孔子こそが真王であるべきという主張につながる

「仁者に敵なし」 を実践して天下を統一した皇帝がいたとは聞いたことがないが
こうした儒教概念は厳格な礼社会(序列社会)によって社会の活力を失わせ、国力や軍事力を弱体化させる
滅亡する危険性は格段に高まり、中国の歴代政権は何度も外部の侵略を許した
これは特に企業組織に関して言える、大企業病は現状維持(序列維持)であり儒教的病理に近い

十七条の憲法第三条から
(蘇我氏全盛期に憲法制定後、聖徳太子の子息は蘇我氏に虐殺された事になっているが真偽は不明、
その後、蘇我氏本家は滅亡、古人大兄皇子は殺害され歴史家がクーデターとする乙巳の変は成功する)

是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。

君言えば臣承り、上行なえば下靡く。ゆえに詔を承けては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

下位者は上位者からの詔・命令を承れば必ずつつしむ
下位者は上位者に対して和の心を以て接する

孔子は現代でいうところの貧しく職を転々とし、貧民である孔子自身が見たことも聞いたこともない王朝儀礼
を魯国の無学な青年・少年にたいして地道に広めて30頃になってようやく人気が出て弟子をもち名声が高まり仕官できた

「昔仲尼資大聖之才,懷帝王之器,當衰周之末,無受命之運」

弟子達は孔子を周公に匹敵する徳をもった聖人なのに、運がなく天帝からの天命を受けられなかったと持ち上げ孔子本人もまんざらではなかったらしい

「貧にして且つ賤しきは恥なり」と貧しく・身分低きことを恥とする孔子は、自身の生まれの僭称の可能性を指摘されている

王権が絶対だった中国において最下級の生まれだった孔子に君主・天子になる資格があったとするのは
あまりにも奇妙な話しだが、孔子本人は聖人と呼ばれるに足る資格もないのに、孔子は神格化され王権を超越した存在
として祭り上げられていく、これを素王説(精神主義においては孔子が王となるべき)という

孔子は八イツ篇において逸話を出すが、それのどれも過去に批判された点の揚げ足取りをすることで面子を保つ
その逸話がなければ、孔子の神聖さは逸すると考えたのかもしれないが、批判者が故人となった今では全く不要な逸話で、むしろ不自然さが目立つ
例えば、自らが知識豊富だからこそ任命された職務なのに一々すべてを尋ねる、それを咎められると知らぬふりをするが礼儀だという
この逸話を深く考えずに流して、さすが孔子と言うものが大半だろうが、世代を超越した人間の普遍的性質に
照らし合わせるとむしろ相手を不快にさせるだけで百害あって一理なしだ

孔子の過去の批判の言い訳は終始このように、徳があるとされる天子格の孔子自身への批判は一切許さない(書かないほうが後世の研究者には分かりやすいはずだが)

孔子が研究した古代の礼規範は、上位者・親に対する忠誠を徳とした中国の王朝にとっては使いやすかったが
日本でも徳川幕府が採用した

0992名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:23:20.19ID:OLOTaZNQ0
孔子は「巧言令色鮮し仁」とするが、社会的身分が賎しかった孔子自身も10代の頃から 散々辛酸をなめていただろう(仕官しようとして下郎と鼻先であしらわれたりした)
だからこそ徳のある自分をさしおき、口先やおべっかばかりの人間が出世することが悔しかった、そして糾弾することになる
孔子とその弟子は礼を知る者=聖人こそが王となるとしたが、肥大化した自意識と、野合の子と揶揄された孔子の現実とは乖離が生じる
当時の常識から考えて儀礼(序列)や王朝序列に詳しいだけの孔子に天下人となる機会があるわけもない

「衛靈公問陳於孔子。孔子對曰。俎豆之事。則嘗聞之矣。軍旅之事。未之學也。明日遂行。在陳絶糧。從者病。莫能興。子路慍見曰。君子亦有窮乎。子曰。 君子固窮。小人窮斯濫矣。」

霊公に戦略について問われると返答に窮して、自身の学問の興味は王朝儀礼にしかないと答えた
即座に(理由を一切述べずに)衛を追われるように後にする。衛からの出奔した後すぐに食料が
なくなり弟子が腹をすかしたら、小人だから不満をもつと弟子をこき下ろした(先を見通さずまともな計画もなく逃げた師匠の責任は?)
(孔子は、素王であり君子の器、後には皇帝を超越する存在となったが、このエピソードからは凡人さが伺える。中国的英雄なら冗談の一言でも言っただろう)

「子曰。述而不作。信而好古。竊比於我老彭。」

自分は古いものが好きで、何も(新しいものは)作らないと孔子は言う。古きものとは、孔子が名声を得るために知ったかぶりをしていた(仕官後は除外)王朝儀礼のことだ
時代が変わっても、建前や外見を変えるけで、教えを変えることは許さない。だから後世においても、儒教において王朝儀礼とそれが定義する序列を変えることは罷りとおらぬ

https://ja.wikipedia.org/wiki/八イツ

「其或繼周者。雖百世可知也。」と100世後のことでさえも予期できるという孔子だが

「或問「」之。子曰:「不知也。知其者之於天下也,其如示諸斯乎?」指其掌。」

と自分の専門分野である祭りについて、知っている者から問われると、そんなものを知らぬ、知ってるなら天下を操れると言い訳する孔子

「子入太廟,事問。或曰:「孰謂人之子知禮乎?入太廟,事問。」子聞之曰:「是禮也!」」

と 太廟の中での儀礼について知っているとの話しは明らかに嘘だと見抜かれて問い詰められると、知らぬふりをするが礼儀と開き直る孔子

議論をするものを小人と見下すがこの節に限れば揚げ足どりにすぎず、自らの無知を指摘するための非難を交わすための方弁に使っていると言えるし
そうでなくとも批判に正面から向き合わないのは不誠実だろう。相手を信用しない猜疑心も行き過ぎだ
むしろ上から目線で相手を試すことで無用なストレスを与えて気遣いがない

『史記』孔子世家によると孔子は天子になれなかったことを嘆きながら失意のもとで死んだとされる
弟子や他者に自らの批判をさせない姿勢や、議論から逃げる姿勢は、過度な自尊心とマウント的気質が自らの徳を弟子をして天子座位と同一視するまでに至ることに繋がる

孔子には、なまじ中年になってから出世できたからこそ、若き日と晩年(君主にさえなれると弟子から持ち上げられる)の落差によって様々にこじらせた感情があるという指摘がある

0993名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:23:36.48ID:OLOTaZNQ0
臆病な人間は、激しい自由の海よりも、独裁者の冷静さを好む
トーマス・ジェファーソン

Timid men prefer the calm of despotism to the tempestuous sea of liberty.
Thomas Jefferson

一人の勇気のある人間は多数派である
トーマス・ジェファーソン

One man with courage is a majority.
Thomas Jefferson

0994名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:24:17.73ID:OLOTaZNQ0
国家は居住する人々に所属する。人々が既存の政府を不満にもつならば解体、打倒する権利を行使することができる
エイブラハム・リンカーン

"This country, with its institutions, belongs to the people who inhabit it. Whenever
they shall grow weary of the existing government, they can exercise their constitutional
right of amending it or their revolutionary right to dismember it or overthrow it."
Abraham Lincoln

私は、私たちの政府に力による審判に挑戦し、私たちの国の法律に挑戦しようとしている
私有企業の貴族達をその誕生時に押しつぶすことを願っています。
トーマス・ジェファーソン

I hope we shall crush in its birth the aristocracy of our monied corporations which dare already
to challenge our government to a trial by strength, and bid defiance to the laws of our country.
Thomas Jefferson

セオドア・ルーズベルト
批評家は、強い男がどうしてつまずくかを論じ、人の仕事の欠点をあげつらう.だが、人の批評をすることにどれだけの価値があるのか

圧政と市場独占をどこのキリスト教徒が許すのか

圧制者に与するものは品性のかけた物質主義者、拝金主義者、権力という飼料に食いつく権威主義者だけだ

この点に対する見解は、リンカーンの共和党も、ルーズベルトの民主党も変わらない

0995名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:24:32.57ID:OLOTaZNQ0
「自由を擁護する極端主義は悪徳ではなく、正義追求の穏健・節度は美徳ではない」
カールヘス(リバタリアン)

"Extremism in the defense of liberty is no vice; moderation in the pursuit of justice is no virtue."
Karl Hess

この国は、勇敢な人々の家である限り、自由の地にとどまるだろう
エルマーデイビス

This nation will remain the land of the free only so long as it is the home of the brave.
Elmer Davis

セオドア・ルーズベルト
大事のためには、いつ何時でも自分の肉体、安寧、生命さえも投げ打つ心構えのない者は、三文の値打ちもない人間だ

セオドア・ルーズベルト
私に何か素晴らしいあるいは傑出した点があるとすれば、おそらくただ一つ、自分がすべきと思うことを成し遂げ、何かをやると決心したら行動に移すことだ

セオドア・ルーズベルト
臆病者は、勝利も知らなければ、敗北も知らない灰色の生活を送っているのだから

セオドア・ルーズベルト
恐怖を知らぬ態度を繰り返しているうちに、いつの間にか本当に恐怖を感じなくなり、度胸のある人間になるのだ

0996名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:25:27.28ID:OLOTaZNQ0
五箇条のご誓文(続いて発布された政体書)と教育勅語は同列に扱われる
傾向があるが、明治政府が一枚岩でない物証といっても過言でないほどの乖離がある

五箇条のご誓文は、神々(または神)に誓うという性質上、明治以降の最上位文書なのだが
それと教育勅語が根底にする内容が一致しないのは皮肉なものだ

https://ja.wikipedia.org/wiki/教育ニ関スル勅語
発表までの経緯
発布までには様々な教育観が対立した[1]。学制公布(1872年)当初は文明開化に向け、
個人の「立身治産昌業」のための知識・技術習得が重視されたが、政府は自由民権運動
を危険視・直接弾圧し、また自由民権思想が再起せぬよう学校教育の統制に動き、1879
年の「教学聖旨」で仁義忠孝を核とした徳育の根本化の重要性を説いた[1]。

前史には「教学聖旨(きょうがくせいし)」の起草(1879年)や「幼学綱要(ようがくこ
うよう)」の頒布(1882年)等、自由民権運動・欧化政策に反対する天皇側近らの伝統主
義的・儒教主義的な徳育強化運動がある[1]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/政体書
政体書(せいたいしょ)は、明治初期の政治大綱[1]、統治機構について定めた太政官の布
告である。副島種臣と福岡孝弟がアメリカ合衆国憲法および『西洋事情』等を参考に起草
し、慶応4年閏4月21日(1868年6月11日)に発布された[2]。同年4月27日頒布[1]。

冒頭に五箇条の御誓文を掲げてこれを政府の基本方針と位置づけ、国家権力を総括する中央政府
として太政官を置き、2名の輔相をその首班とした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/五箇条の御誓文
天皇は後に、

「それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。
(中略)民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして
五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決
して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います。」
— 昭和52年(1977年)8月23日記者会見

と語っている。

0997名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:26:32.58ID:OLOTaZNQ0
>>1

降伏前は日本軍上層部は無策だとするものがいるが、これは間違いで最終作戦は一億玉砕によって敵が戦意を放棄することだったらしい

https://ja.wikipedia.org/wiki/玉砕

本土決戦と一億玉砕
戦局が絶望的となると、軍部は「本土決戦」を主張し、「一億玉砕」や「一億(総)特攻」、「神州不滅」
などをスローガンとした[3]。なお既に1941年(昭和16年)から「進め一億火の玉だ」とのスローガンが使
用されていた[4]が、これらの「一億」とは、当時日本の勢力下にあった満洲・朝鮮半島・台湾・内南洋など
の日本本土以外の地域居住者(その大半が朝鮮人や台湾人)を含む数字であり、日本本土の人口は7000万人程であった。

1944年(昭和19年)6月24日、大本営は戦争指導日誌に以下の記載をした。

もはや希望ある戦争政策は遂行し得ない。残るは一億玉砕による敵の戦意放棄を待つのみ— [5]

1944年(昭和19年)9月、岡田啓介は「一億玉砕して国体を護る決心と覚悟で国民の士気を高揚し、其の結束
を固くする以外方法がない」と主張した[6]。1945年(昭和20年)4月、戦艦大和の沖縄出撃は、軍内の
最後通告に「一億玉砕ニサキガケテ立派ニ死ンデモライタシ」(一億玉砕に先駆けて立派に死んでもらいたい)
との表現が使用され[7]、「海上特攻」または「水上特攻」とも呼ばれた。

0998名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:27:14.86ID:OLOTaZNQ0
学問のすゝめ

孔子の云く、君子は人の己を知らざるを憂ひず、人を知らざるを憂ふと。此教へは当時世間に流行する
弊害を矯(た)めんとして述たる言ならんと雖ども、後生無気無力の腐儒は此言葉を真ともに受て、引
込み思案にのみ心を凝(こ)らし、其悪弊漸く増長して遂には奇物変人、無言無情、笑ふことも知らず
泣くことも知らざる木の切れの如き男を崇めて奥ゆかしき先生なぞと称するに至りしは、人間世界の一奇談なり。

 今この陋(いや)しき習俗を脱して活溌なる境界に入り、多くの事物に接し博く世人に交り、人をも
知り己をも知られ、一身に持前正味の働を逞うして自分の為にし兼て世の為にせんとするには、

第一 言語を学ばざる可らず。文字に記して意を通ずるは固より有力なるものにして、文通又は著述等
の心掛けも等閑(とうかん)にす可らざるは無論なれども、近く人に接して直(ただち)に我思ふ所を
人に知らしむるには、言葉の外に有力なるものなし。

 故に言葉は成る丈(た)け流暢にして活溌ならざる可らず。近来世上に演説会の設(まうけ)あり、
此演説にて有益なる事柄を聞くは固より利益なれども、此外に言葉の流暢活溌を得るの利益は、演説者
も聴聞者も共にする所なり。又今日不弁(ふべん 訥弁)なる人の言を聞くに、其言葉の数甚だ少なくして如何にも不自由なるが如し。

 譬へば学校の教師が訳書の講義なぞをするときに、円き水晶の玉とあれば分り切たる事と思ふゆゑ歟、
少しも弁解を為さず、唯むつかしき顔をして子どもを睨み付け、円き水晶の玉と云ふ許りなれども、若
し此教師が言葉に富(とみ)て云ひ舞(廻)しのよき人物にして、円きとは角の取れて団子の様なと云
ふこと、水晶とは山から掘出す硝子の様な物で甲州なずから幾らも出ます、此水晶で拵(こしら)へた
ごろごろする団子の様な玉と解き聞かせたらば、婦人にも子供にも腹の底からよく分る可き筈なるに、
用ひて不自由なき言葉を用ひずして不自由するは、必竟(畢竟)演説を学ばざるの罪なり。

 或は書生が日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆゑ、英語を使ひ英文を用るなぞと、取るに
も足らぬ馬鹿を云ふ者あり。按ずるに此書生は日本に生れて未だ十分に日本語を用ひたることなき男なら
ん。国の言葉は、其国に事物の繁多(はんた)なる割合に従て次第に増加し、毫も不自由なき筈のものな
り。何はさておき、今の日本人は今の日本語を巧に用ひて、弁舌の上達せんことを勉む可きなり。

第三 道同じからざれば相与(あひとも)に謀らずと、世人又この教を誤解して、学者は学者、医者は医
者、少しく其業を異にすれば相近くことなし、同塾同窓の懇意にても塾を巣立ちしたる後に、一人が町人
となり一人が役人となれば千里隔絶、呉越の観を為す者なきに非ず、甚しき無分別なり。

0999名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:28:11.44ID:iOhUpK9N0
>>977
退位を迫られ、高松宮や三笠宮なり、それでも軍部の言う事を聞かないなら
さらに宮家から誰かを引っ張ってきて、天皇の地位につけただけだと思う
「天皇」の地位が重要なのであって、それが絶対に昭和天皇ご自身でなければならないなんて
軍幹部の多くが考えていたとは思われない

1000名無しさん@1周年2018/08/24(金) 08:28:13.90ID:klTC3ksg0
>>895
虎の穴戦法など採用せず朕自ら大本営監部を率いて突撃すれば勝てた。

鬼畜米兵は一目散に逃げたであろう。

歩の要らない戦は官軍

https://www.youtube.com/watch?v=MvDPYg7wxvc

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