https://news.yahoo.co.jp/articles/b95eb50d536f9520fac5baa001b9436ca2f65d02
今年、新潟県と愛知県で相次いでFMラジオ局が閉局した。地域に根ざした情報を丁寧に届け、
リスナーにも愛されてきた放送局でも、インターネットメディアの急成長や、地方経済の低迷の影響で、
経営は長い間、厳しい状況に置かれていた。声と音で人に寄り添い続けたメディアの終焉は、
地元の人たちに大きな喪失感を残した。
■刻んだコールサイン
「ぜったいまた会いましょうね」「心を込めてありがとうございます」「あぁもっとしゃべりたい」「じゃ、またね」
今年6月30日、閉局が決まり、ラジオ放送最後の日を迎えた「新潟県民エフエム放送」(FM PORT(ポート))では
停波までの最後の10分間、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」をかけながら、歴代パーソナリティーや
リポーター数十人のメッセージを流し続けた。
この日は時折雨もちらついたが、放送局が入っていたビルの前には、熱心なリスナーらが集まり、
スタジオに向け手を振ったり、番組名や感謝の言葉を書いたうちわを掲げてエールを送ったりした。
「リスナーに支えられて、長年やってこれたんだとの思いを強くしました」
看板番組で長年パーソナリティーを務めていた遠藤麻理さんは最終日、窓越しにファンを見つけて、改めて感謝した。
「寂しくないといえば嘘になるが、場所を失っても、番組を通して積み重ねたリスナーとの関係は残る」と確信した。
午後11時59分、閉局特番のナビゲーターを務めていた遠藤さんと、松本愛さんの声が響いた。
「JOWV−FM、JOWV−FM、こちらは新潟県民エフエム放送、FM ポートです。リスナーの皆さま、ありがとうございました」
ラジオ局に割り当てられたコールサインを2回、刻むように読み上げた。
7月1日、日付が変わると、ザーという“砂嵐”が聞こえるだけになった。
■ひとりでも多くの声を
FMポートは平成12年に地元企業の共同出資で設立され、県内2つ目の民間FM局として開局した。
今年12月で、放送20周年を迎えるはずだった。
従業員数20人足らずの組織ながら、全国ネットワークに属さず、放送番組のほぼ全てを自社制作。
「県民の目安箱になろう」を合言葉に、一人でも多くの声を伝えることに努め「朝から晩までパーソナリティーが、
バトンリレーのようにマイクをつないでいた」と遠藤さんは振り返る。地元のアイドルの特集やスポーツチームの中継は、
地域と人をつなぐメディアとして同社が信頼されるきっかけにもなった。
一方、経営的には苦戦を強いられ続けていた。ラジオ局はテレビ局と同様、収入源の大半を広告に頼っている。
ところがネットワークに属さないため、全国規模の大企業からの広告収入は期待できない。地元経済も低迷し、
債務超過は15年以上続いていたという。
自社制作の割合の高さは独自性を発揮できる一方で、制作費がかかり、コスト面では足かせになっていた。
今年に入り大口スポンサーによる広告撤退が示されると、3月に開かれた取締役会で閉局が決まった。
帝国データバンクの調査によると、令和元年度の全国のラジオ局収入高合計は前年度比2・3%減の1136億3000万円となり、
3年連続で減少している。インターネットメディアの普及が大きな脅威となっている。さらに今年は、新型コロナウイルス感染拡大による
景気低迷が経営に追い打ちをかけた。6月には名古屋市の「Radio NEO」も閉局。全国101局あった民放ラジオ局は99局になった。
ラジオメディアに詳しい近畿大学の杉浦徹教授は「今後、ほかのラジオ局が倒産する可能性はある。
特に地方では、地元経済が活気を失えば、広告が減り経営に直接影響する」と懸念する。
■二度と失わないために
ポートのパーソナリティーだった遠藤さんは今、活躍の場を新潟放送(BSN)に移してラジオの仕事を続けている。
「大切な番組を二度と失いたくないと皆が感じた。よりよい番組を作ってラジオ全体の底上げをし、スポンサーにも価値を認めてもらうしかない」
と発信を続ける。杉浦教授も「地方局には地域情報を丹念に取り上げるなどの存在意義がある。熱心なリスナーを増やすことができれば、
全国規模のスポンサーを獲得する可能性がある」と指摘する。
今年、新潟県と愛知県で相次いでFMラジオ局が閉局した。地域に根ざした情報を丁寧に届け、
リスナーにも愛されてきた放送局でも、インターネットメディアの急成長や、地方経済の低迷の影響で、
経営は長い間、厳しい状況に置かれていた。声と音で人に寄り添い続けたメディアの終焉は、
地元の人たちに大きな喪失感を残した。
■刻んだコールサイン
「ぜったいまた会いましょうね」「心を込めてありがとうございます」「あぁもっとしゃべりたい」「じゃ、またね」
今年6月30日、閉局が決まり、ラジオ放送最後の日を迎えた「新潟県民エフエム放送」(FM PORT(ポート))では
停波までの最後の10分間、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」をかけながら、歴代パーソナリティーや
リポーター数十人のメッセージを流し続けた。
この日は時折雨もちらついたが、放送局が入っていたビルの前には、熱心なリスナーらが集まり、
スタジオに向け手を振ったり、番組名や感謝の言葉を書いたうちわを掲げてエールを送ったりした。
「リスナーに支えられて、長年やってこれたんだとの思いを強くしました」
看板番組で長年パーソナリティーを務めていた遠藤麻理さんは最終日、窓越しにファンを見つけて、改めて感謝した。
「寂しくないといえば嘘になるが、場所を失っても、番組を通して積み重ねたリスナーとの関係は残る」と確信した。
午後11時59分、閉局特番のナビゲーターを務めていた遠藤さんと、松本愛さんの声が響いた。
「JOWV−FM、JOWV−FM、こちらは新潟県民エフエム放送、FM ポートです。リスナーの皆さま、ありがとうございました」
ラジオ局に割り当てられたコールサインを2回、刻むように読み上げた。
7月1日、日付が変わると、ザーという“砂嵐”が聞こえるだけになった。
■ひとりでも多くの声を
FMポートは平成12年に地元企業の共同出資で設立され、県内2つ目の民間FM局として開局した。
今年12月で、放送20周年を迎えるはずだった。
従業員数20人足らずの組織ながら、全国ネットワークに属さず、放送番組のほぼ全てを自社制作。
「県民の目安箱になろう」を合言葉に、一人でも多くの声を伝えることに努め「朝から晩までパーソナリティーが、
バトンリレーのようにマイクをつないでいた」と遠藤さんは振り返る。地元のアイドルの特集やスポーツチームの中継は、
地域と人をつなぐメディアとして同社が信頼されるきっかけにもなった。
一方、経営的には苦戦を強いられ続けていた。ラジオ局はテレビ局と同様、収入源の大半を広告に頼っている。
ところがネットワークに属さないため、全国規模の大企業からの広告収入は期待できない。地元経済も低迷し、
債務超過は15年以上続いていたという。
自社制作の割合の高さは独自性を発揮できる一方で、制作費がかかり、コスト面では足かせになっていた。
今年に入り大口スポンサーによる広告撤退が示されると、3月に開かれた取締役会で閉局が決まった。
帝国データバンクの調査によると、令和元年度の全国のラジオ局収入高合計は前年度比2・3%減の1136億3000万円となり、
3年連続で減少している。インターネットメディアの普及が大きな脅威となっている。さらに今年は、新型コロナウイルス感染拡大による
景気低迷が経営に追い打ちをかけた。6月には名古屋市の「Radio NEO」も閉局。全国101局あった民放ラジオ局は99局になった。
ラジオメディアに詳しい近畿大学の杉浦徹教授は「今後、ほかのラジオ局が倒産する可能性はある。
特に地方では、地元経済が活気を失えば、広告が減り経営に直接影響する」と懸念する。
■二度と失わないために
ポートのパーソナリティーだった遠藤さんは今、活躍の場を新潟放送(BSN)に移してラジオの仕事を続けている。
「大切な番組を二度と失いたくないと皆が感じた。よりよい番組を作ってラジオ全体の底上げをし、スポンサーにも価値を認めてもらうしかない」
と発信を続ける。杉浦教授も「地方局には地域情報を丹念に取り上げるなどの存在意義がある。熱心なリスナーを増やすことができれば、
全国規模のスポンサーを獲得する可能性がある」と指摘する。