【田中内閣】(創価との歩みの始まり)
・「日本列島改造論」を打ち出し、地方のインフラ整備に乗り出す。( → 特例公債法による赤字国債発行へ。)
・日中の国交を正常化。その後、大平外相によって、対中ODAがスタートした。
・石油ショックにより、列島改造は中断したが、怪我の功名で、省エネ・低燃費製品が海外でバカ売れ。
・ロッキード事件で児玉誉士夫らと逮捕される。(資源外交がアメリカの虎の尾を踏んだとの陰謀論がある)
・郵政利権といわれる放送局の利権や、原発を利権化した電源三法、数々の特別会計を生み出した。
・田中金脈問題で退陣。後任には、クリーンなイメージのある三木が選ばれた。
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【三木内閣】
・「本州四国連絡橋」推進派の地元議員が多く入閣。
・田中金脈問題の追求や、田中派外しの組閣で、田中派が反発し、選挙で負けて退陣。
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【福田赳夫内閣】
・ブレジンスキー大統領報道官の意向で、親中路線へ転換。ケ小平と平和友好条約を締結し、開放経済へ。
・金丸と対立し、総裁選で敗北し退陣。
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【大平内閣】
・蔵相時代に、特例公債法を認めた責任?から、消費税を提案するも、不評を買い、選挙中に撤回。
・選挙中に心筋梗塞で急死。後任には、話し合いにより、大平派の鈴木善幸が選ばれた。
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【鈴木善幸内閣】
・批判を浴びた増税を封印して、行革を試みたが、内外の激しい反発により、突如退陣。
・幹事長には、創価とのパイプ役だった二階堂進を起用するなど、田中の影響力が見られた。
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【田中曽根内閣】
・田中の力添えで誕生。田中が無罪を勝ち取るための万全の布陣。
・「アーバンルネッサンス計画」や、金丸民活担当大臣によるビルの高層化。→地価が上昇し土地バブルへ。
・リクルート事件は地方支局の手柄で、東京本社は、リクルートと親密な関係。
  → 事件後にサンゴ礁事件を起こし、処分された中江専務が、なぜか後任の社長に就任。
  → 電通に修飾子ていた中江の息子が謎の自殺。中江の目の前で野村秋介が自殺。
・竹下蔵相のプラザ合意によって、円高不況、金利を引き下げたことで、土地バブルが起きた。
 おまけに、不況対策の無駄な公共事業を約束させられてしまう。(その後の、日米構造協議へ)
・景気対策の予算を捻出するために、民活・民営化に乗り出し、国有地を売却。
・後藤田官房長官の回顧録によれば、JRの民営化をいい出したのは田中だという。
・政治団体の会員も、竹下派の取り巻きで、次の総理・総裁は竹下に決まる。
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【竹下内閣】
・消費税導入。
・リクルート事件で退陣。
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【宇野内閣】(中曽根派の隠れ竹下派)
・就任早々、「日米構造協議」を行っていくことを約束。
・その後、女性スキャンダルであっという間に退陣。ちなみに、これを暴いたのは鳥越俊太郎。
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【海部内閣】(三木派の隠れ竹下派)
・金丸の一声で、小沢が幹事長に就任。
・日米構造協議で、430兆円のムダな公共事業を約束。
・その後、村山内閣(自社さ政権)で、630兆円に上乗せ。(梶山-村山ライン)
・小沢が勝手にやっていた「政治改革」関連法案で、海部おろしが起き、小沢にハシゴを外され退陣。
 (細川内閣の法務大臣が公明党人脈の三ケ月章だったのも、この「政治改革」を見越した動きと思われ。)
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【宮沢内閣】
・海部内閣から引き継いだPKO関連法を成立させ、自衛隊をカンボジアへ派遣。\
・日米包括協議。細川内閣で中断した後、羽田内閣で再開し、橋本内閣で妥結された。
・東京佐川急便事件で金丸が捜査を受け、不起訴となるも、脱税で逮捕。家宅捜索を受け、60億円が押収された。
・宮沢内閣の不信任が決議され解散。金丸の子分だった小沢一郎が羽田、細川らをかついで離党。(55年体制崩壊)