【ニュース解説】相撲の”女人禁制”は明治以降に作られた虚構だった?救命中の女性に「土俵から降りて下さい」が波紋★8

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482名無しさん@1周年2018/04/07(土) 17:26:03.73ID:o0B7FR750
第二次大戦中は力士も召集されて戦地に赴いた。
1945年は5月場所を7日間、神宮外苑相撲場(後の明治神宮第二球場)で
開催予定だったが、空襲のために6月に延期し、両国国技館で傷痍将兵のみ
招待しての晴天7日間、非公開で開催された。
8月15日の敗戦後、本場所開催などすべてに対して連合国軍最高司令官総司令部
(GHQ)の許可を必要とした。焼失した両国国技館を修復し、本場所の秋場所
(11月:10日間)が開催された。1946年に両国国技館が GHQ によって接収され、
メモリアルホールとして改装された。そのこけら落としとして、同年の11月場所
(13日間)が行われた。1947年には明治神宮外苑相撲場にて行うこととなる。
その後、会場を転々と変えながら年3場所ずつ実施した。
この間は、進駐軍兵士のみならず、女軍人、軍関係者の家族が物珍しらしげに
土俵にあがり、つられて日本人女子も土俵にたびたび立ち入ったが、制止できなかった。
また、少年少女子供相撲が開催され、アトラクションとして女行司も登場した。
相撲協会はなりふり構わずに興行収入をあげなければならなかった。伝統とか
建前よりも食べることが先決であった。
1952年4月、日本が主権を回復すると、相撲協会は土俵への女人禁制を宣言したが、
世間一般に認められるようになったのは平成になってからである。
https://www.youtube.com/watch?v=wC97n9iS0Ak

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