【歴史】木戸孝允が坂本龍馬に宛てた書簡を発見。土佐藩に倒幕を促す内容。高知県立坂本龍馬記念館
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https://www.jiji.com/jc/article?k=2018041100201
幕末の1867(慶応3)年、長州藩出身の志士木戸孝允が土佐藩出身の坂本龍馬に宛てた
書簡の原本を、高知県立坂本龍馬記念館が新たに発見した。土佐藩に倒幕を促す内容で、
写しは存在していたものの、原本は残っていないとされていた。同記念館の担当者は「幕末資料の中でも
屈指の重要資料で、原本が見つかったことは大変意義深い」とコメントしている。
書簡で木戸は、倒幕全体を能の大舞台に、大政奉還を舞台中の狂言に例え、狂言が失敗すると
大舞台も崩壊するとして、大政奉還をやり遂げるよう訴えている。また徳川家との武力衝突を念頭に、
土佐藩の板垣退助や薩摩藩の西郷隆盛らと協力するよう龍馬に求めている。
同記念館によると、龍馬はこの書簡を受け取った後、ライフル銃1000丁を購入して長崎から土佐へ戻り、
藩の重役らに倒幕を訴えたという。
昨年7月、古美術商のカタログに掲載されていることが分かり、公益財団法人高知県文化財団が購入を決めた。
今月21日から同記念館で公開される。 朝鮮人が龍馬をいなかった人にしたい理由ってなんなの?? 最近坂本龍馬を武器商人の小物扱いしとけば通ぶれると思ってる人多いよね ヅラがなんかゆうてきちょる。
金時、おまんなんか知らんか? >>9
小物では無い、当時の最新鋭のミニエー銃を調達出来るなんて中堅の商社だな 結局日本がいつからおかしくなったかと考えると明治からなんだよね
田舎のバカな過激派テロリストに国を乗っ取られてから ■ 2代目がダメ
1代目:明治維新、2代目:第2次大戦
1代目:戦後の高度経済成長、2代目:バブルとその崩壊 >>9
坂本を小物にしたい人が偉いさんの中とかにいるんじゃね
逆に今になって重要人物に祭り上げ始めた人物のバックが怪しい 記憶はいい加減だが
琉球貿易で利益 忠節
最新技術 秀才
9万石→48万石 鬼才
36万石→99万石 天才
700万石→730万石 凡人
倒幕の理由、268年の成果 でも何かの出来事の中心人物では無いから、
重要人物じゃないって言われればそうなんじゃね? >>11
浪人のくせにどっから金湧いて来たのかね。 >>22
グラバーと繋がってたんじゃなかったっけ。 大河ドラマ(西郷どん、龍馬伝)で坂本龍馬の登場が近づくと、なぜか新資料が発見されるな >>22
金は薩摩や長州から。
薩摩藩は幕府に内緒の海外との密貿易で金持ってた。
長州藩は藩内の財政改革を早いうちからやってて金貯めてた。
ちなみに薩摩藩はイギリスと戦争→引き分け
(イギリスは自分達の負け、薩摩側も勝ったと思ってなかったから、即仲直り。)
長州は四カ国と戦争→ボロ負け→え?賠償金?幕府に貰えば良いじゃん!ニヤニヤ。
実際に諸外国と実戦したこと有るのはこの二藩だけで、産業と国力の違いから国内の統一が急務なのを実感してた。 坂本龍馬は越前福井藩主の松平春嶽から
5千両を借りたんじゃなかったか >>26
強大な権力は外国の力を借りないと打倒できないでしょ。
そうならないために政治をキチンとやらないと
皆が不幸になるということですよ。 一介の脱藩浪士に長州の首脳がお願いの手紙を書くんだからなぁ
龍馬と言うのはホントに底知れぬ魅力があったんだろうな >>31
桂の手紙を見ると非常に愚痴っぽいことを良く書いてるので、上(藩主)と藩内武闘派の板挟みで、同志といえる龍馬を捌け口にしてたのかもね。
藩内の双方から命狙われたりしてたみたいだし。 木戸孝允→革命家
大久保利通→政治家
西郷隆盛→政治家
坂本龍馬→商人
高杉晋作→軍人
横井小楠→思想家
革命家は木戸孝允だけ >>31
坂本龍馬は土佐藩の諜報員
土佐藩上層部の命令を受け脱藩を装ってただけ
書簡でも龍馬を通じて土佐藩の板垣退助に頼んでるように
幕府に隠れて土佐藩と他の藩の要人のパイプ役になってたのが坂本龍馬 有色人種同士を仲違いさせて漁夫の利を得る白人様の常套手段にまんまと引っ掛かった人なんですよ 坂本龍馬てそれなりに大物だったのか
たんなる遊び人だと思ってた >>9
小者じゃないよ。大手の武器商人だよ。
おかげで日本中が戦乱で血の海になった。
血塗られた商人。
大河ドラマや小説で描かれてるような聖人君子では決してない。 >>1
歴史的に重要でも
教科書では重要ではありません 1 記憶たどり。 ★ sage New! 2018/04/11(水) 12:36:18.47 ID:CAP_USER9
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018041100201
幕末の1867(慶応3)年、長州藩出身の志士木戸孝允が土佐藩出身の坂本龍馬に宛てた
書簡の原本を、高知県立坂本龍馬記念館が新たに発見した。土佐藩に倒幕を促す内容で >>44
歴史的に重要な人物が教科書に載るんじゃないの? >>50
最後に焼き飯食べたいって言って、
食べて満足して死んでいった人だっけ? 中国政府が枝野に倒閣指示する手紙はまだ見つからないのか >>25
ところがグラバーと面会した記録は全くない。
筆まめでやたらある龍馬の手紙にも全くない。 もう脱藩してた頃の龍馬に土佐藩を動かす影響力があったの? 武器商人てことで批判する馬鹿が居るが、最終的に買った武器は自衛独立に使うわけだし世界戦国時代になにを寝ぼけたこと言ってんだ? 戦さ好きって意味じゃ龍馬より西郷の方が遥かに上なのに、物知らずが多くて本当困る。 >>56
才谷屋は結構な力あったような事を言ってる郷士の話があった気がする
上士連中が借金しまくってるとかで >>57
アホだろ?
どこの自衛に使われたんだよ
また日本は独立しとらんかったんかw 江戸の成人の平均身長は墓地などから発掘された人骨(おもに大腿骨)の長さから推定されていて
成人男性でも150cm半ば
成人女性でも140cm前半
将軍の徳川慶喜公が150cm
幕臣の勝海舟が156cm
これが本来の日本人の姿だよ これで坂本龍馬の力で実際に土佐藩が動いてれば龍馬は維新四傑になれた 光が当たる部分だけが
歴史の全てだと思ってる奴は無知蒙昧 >>51
龍馬とほぼ同じことを単独で進めていたけど、扱い低いよな 5chで過大評価の代表格な龍馬も史実では長州の実力者から私信をもらってたんだな
内容も凄いホントにただのクラバーのパシリだったの? >>64
ペリーの黒船も一年前から来るのがわかっててそのための準備もして交渉もしていたのにな、幕府は。
司馬遼太郎のせいで、突然やってきた黒船に慌てふためいて醜態を晒した、みたいに誤解が広がってるし。
西郷どん、がまさにそれだ >>31
>一介の脱藩浪士に長州の首脳がお願いの手紙を書く
桂小五郎も坂本龍馬も江戸の剣術エリートで顔見知り、
飲み友達間の手紙にすぎない 日支韓共同体構想の時、竜馬を持ち上げ、なくなると貶す。
竜馬を利用して、ある国籍者から
各界で褒めてたり賺したりされてた人が多かったのかも知れない。 >>1
大河ドラマに関連した新発見
いつも変なタイミングで出てくるよね >>56
慶応3年なら、脱藩が許されて後藤と一緒に藩の仕事してる頃だから >>9
なぜなら維新の志士は基本的に反体制派
現政府はその末裔で有るはずだがもはや強固な体制になってしまってるから
反体制の人間は志士であるとかにかかわらず疎ましい種類の人間になってるんだろうな
それが昨今の竜馬ディスりの根元にあるもの 60
竜馬の関係したものに限らないが
当時の日本に有った多量の武器は
諸外国に日本に武力侵攻するのをためらわせるのに一役かっている この木戸の手紙のようには時代は動かなかったんだな
独断で江戸総攻撃を決め進軍を開始した西郷隆盛は
山岡鉄舟と会った時には腹の中では攻撃中止を考え
勝海舟と会った時には正式に無血開城を受け入れる
新政府は西郷のやることを追認
公武合体派の大政奉還は新政府に徳川家の参入を想定したものだったが
西郷によって無効化されている よくテロリストって言う人いるけど
そもそも毛利家は徳川家より下だとは
これっぽちも思ってないからな
島津家もそうだろうし
たまたま関ケ原でああなっただけで >>71
準備はしてねえよ
お台場作り始めたのはペリーが来てからw >>89
この時点だと、幕府が倒れそうだから新しい政府の中で
土佐がおいしい思いができるように上手に立ち回ろう、だね 長州と坂本をつないだのはイギリス武器商人。
日本に内乱を起こして植民地化する目的だった。 しかし大正になって徳川16代の徳川家達は首班指名、大命降下の内示を受けるが辞退した。
徳川の世を否定した明治政府が再び政権を徳川に委ねようとした時点で明治維新は失敗と言っていい。 やはり竜馬は大物だったな
最近やたら竜馬を雑魚あつかいするアンチがうざかった >>9
これね
薩長の憎しみ合う関係を、腹の中はともかく、
握手させた意義はでかいわ
憎しみ合う理由も、長州の倒幕派の藩家老たちを切腹させたのが西郷隆盛だったりするからな >>4
与党か野党かなんてのは、ただの世継ぎ争いでしょ
人材不足でどっち選んでも馬鹿な将軍しかいないのが問題だが >>83
その西郷に必死で無血開城進言してたのが英国公使
のパークスなんだよねえ。 >>100
この時点(慶応3年)だとって言ったじゃん
このころすでに土佐藩に戻ってることも知らんの?
文久2年に脱藩した理由は京都でテロに参加するため こういうのは偽書が多いんだよ
それをお調子者の歴史家や博物館がもてはやして話題作りする 志士の時代は、木戸孝允じゃなくて、桂小五郎じゃねえの。 >>42
アホ
大政奉還のせいで、日本は大規模な内戦を回避し、
大量の武器を買って転売し儲けようとしていたグラバーは倒産。
グラバーは明治以後も日本に住んでいたが、龍馬を恨んでいた。 桂小五郎は討幕の大スターだが木戸孝允は維新の志士の中の一人という感じ 江戸時代は勝ち馬に乗って良い暮らしをしていたゴキブリが明治維新で食えなくなって
ゴキブリ以下の生活に落ちたのは当然の事、ゴキブリは人間には不要の生物。 >>4
は?
このまま自民党独裁政権が続くと日本は本当に沈むんだが?
安倍政権を見てみろ。日本の後進国化が止まらんだろ。 日本の歴史の話題になると知ったかをする、無知蒙昧のコリアンが湧くねw ↑
アベウヨはこんなのばっか。
こいつらこそ日本人ではないと思うね。 >>111
事実は違う。
木戸孝允時代が一番仕事をした。
現国家体制を構築したのがこの人。
ゆえに、木戸孝允ただ一人が革命家なんだ。 明治維新の否定で、その長州閥末裔を誇りとする安倍を否定したいという本も一応、
読んだが、都合悪い事は徹底して避けている。
「明治維新という過ち」ではなく、幕藩体制の崩壊だ。
幕府の末期はまさに売国奴そのもの。不平等条約を結び、金の為替でもアメリカに
やりたい放題させて、莫大な金の流出をもたらした。
明治新政府の仕事は不平等条約の撤廃になった。
あのまま幕府が国を率いていたら、清の二の舞だった。
坂本も木戸も島津斉彬も藩の人ではなく、日本人に目覚めた。
藩をどうするか、より日本をどうするか、に初めてなった時代の人だ。
清がやられたようになれば、藩も何も意味がない。 >>96
『坂本龍馬はいなかった』などという馬鹿丸出しの
トンデモ本を出しているのはアベガーのパヨク
細田マサシ(細田昌志)@kotodamasashi
https://twitter.com/kotodamasashi
>著書に『坂本龍馬はいなかった』(彩図社) >>50
維新の志士たちの写真としてはあの中岡の写真が良いよな じっさい龍馬って大したことしてないんだよなあ
司馬さん作品の中でだけ輝いてただけの人 >>120
あれ、隣にいる芸者は破られてるんだっけか? こんな重要な文書を200年近く財務省が隠蔽してたのか
許せないな証人喚問すべき >>108
それ言い出したら、木戸準一郎の頃ってなるぞ。 >>117
西郷が既存の体制を破壊して、
木戸がこれからの国のグランドデザインを行い、
大久保がそれに近づくよう現実的手段で実行
という印象。
大久保と木戸は政策の実施順や手法に差はあるけど
最終目標は一緒だから。 5chでは異常に叩かれる龍馬かわいそう
素人歴史家が批判しやすいんだろうな大藩の重臣じゃないし
脱藩浪人だしな 金も地位もない一介の浪人が船を仕入れたり、鉄砲購入したりと
その才能は凄い 龍馬を持ち上げてる奴と江戸しぐさを叩いてる奴が同一人物な件について。 >>132
江戸しぐさは歴史とは無関係の話だからな。
一緒にするな 龍馬を持ち上げてる奴ってなんで龍馬たちが大藩の重臣から
金をもらってたことを必死に否定すんだろw 龍馬の最大の仕事は紀州に賠償させた事だろ、福井の殿様から出資させたのは勝麟太郎の名代だったからだし >>14
■ 2代目がダメ
1代目:明治維新、2代目:大政奉還
1代目:戦後の高度経済成長、2代目:大政奉還
だったら良かったのになw >>131
ニートが友人に恵んでもらった金で買い物をして
俺様の才能はすごいと自慢してるような理論だな 木戸孝允は頭がいいが心が狭いという評価が多い
坂本龍馬の裏書にしてもとっとと働けばいいのに送別会後も小松邸に残り
うじうじと覚書に署名をしてもらいそれを正当化するため坂本龍馬を持ち上げる姑息さ
後世へ足跡を残したという意味では長州では高杉晋作が一等
吉田松陰以上だと思う >>139
裏書きは木戸が小松邸出た後の帰路の途中で送った手紙なんだが、
どういう時系列と思ってるの? >>141
木戸は送別会が20日にあったのに23日夜に帰ってるだろう
なにやってたんだよ 確認のため色々見てたら小松格ブログに新記事が出ていた
今日、4月13日、朝日や読売などの朝刊に、木戸(桂小五郎)から坂本龍馬あての手紙が新発見されたとの記事が出た。
日付は慶応3年(1867)9月4日、大政奉還の40日ほど前である。この記事を見て、すぐに『和英語林集成』を見たが、
すぐに完全なニセモノであると判断した。その理由は二つある。
理由その1)
手紙の中で、土佐藩兵の上京を要請して、「場合に後れてハ・・・大舞台は其れきりと奉存申候」とあることである。
この「大(おお)舞台」は「語林集成」第3版(明治19年)にも無い。勿論、「舞台」はあるが、現代風に「甲子園の
大舞台に立つ」などの表現は明治以後の用語である。一方、「大舟(おおぶね)」はある。
それは「大舟にのったつもりで・・」などの表現は江戸時代にも使われていたからである(『江戸語大辞典』講談社)。
なお、『江戸語大辞典』にも「舞台」や「檜(ひのき)舞台」はあるが「大舞台」はない。他の「国語辞典」にも明治以降、
「大舞台」を使った例文は数多く出ている。言うまでもないが、「大舞台」は「大きな舞台」の意味ではない。
「檜舞台」とほぼ同じ意味である。「大地震」や「「大騒動」とは違う。
理由その2)
手紙の中で、板垣退助を芝居小屋の「頭取」、西郷隆盛を「座元」に擬して書いていることである。
「頭取」とは一座の首領、「座元」とは興行主のことであり、この文を書いた人は明らかに江戸時代の
身分社会を知らない「四民平等」の時代、つまり明治以後の人である。
江戸時代には歌舞伎役者は河原者とさげすまれ、幕府や各藩は歌舞伎などの芝居小屋への
武士の出入りを禁止していた。しかし、これはたてまえだけで、実際、尾張藩土の『元禄御畳奉行の日記』を
読んでも武士も芝居見物には行っている。天和元年(1681)の「絵島・生島事件」で江戸城大奥の御年寄、
絵島が歌舞伎役者とねんごろになったことがバレて処罰された事件は有名。たしかに、明治以後は
歌舞伎役者も人々の尊敬を受けるようになり、現代では人間国宝にもなっている。だが、江戸時代は違う。
れっきとした武士(桂小五郎)が歌舞伎興行をたとえ話に、同じ武士にこんな手紙を書くことは100パーセント
有り得ないことである。
この手紙を偽造した人物は本当に江戸時代を知らない。おそらく、金持ちの御大尽を騙して大金をせしめたのであろう。 この手紙って原本がみつかったってだけで写しは前からあったから
大正時代に出た「坂本龍馬関係文書」にもしっかり入ってるのに >>142
19日に幕府による長州藩の処分案が決定された。
20日には老中から朝廷へ処罰の内容が連絡されている。
青山忠正先生や佐々木克先生などは
20〜21日には近衛家から薩摩藩へ処分内容が伝わっている
と書いていらっしゃる。実際の朝議での決定は22日だけど。
20日に送別会はしたものの、この長州処分案を前提にして
協議が再開されたと考えることが出来る。
そして、そのタイミングで龍馬参上。持って生まれた天運かな。
>>144
有名だよね、この手紙・・・。 だいたい幕末の風俗を多少でも知ってりゃ
木戸の見立ては当時流行ってた素人芝居のことだろうぐらい分かりそうなもんだ
幕末の志士の手紙は方言が入るから江戸語と違う言葉があるのも常識だしw >>145
長州処分案考慮説を取ると坂本龍馬はますます不必要になるけどいいの?
それと手紙が捏造されたのは明治以降と言ってるのに有名だの大正時代の本にも出ているだのでは意味ないだろう
>>146はその点評価できるけど素人芝居に頭取や座元がいたのか疑問は残る
方言をいうなら木戸孝允の他の手紙にどういう例があって木戸はこういう書き方を好んだとかないの?
個人的には木戸孝允はクソ真面目でこういう書き方をしないと思うけど 疑問が残るーとか偉そうに言ってるだけで楽でいいよねw 自力ではネットの変なブログぐらいしか読めないくせに証拠を出せとか言ってるクレクレちゃん相手じゃつまんない
「坂本龍馬関係文書」に載ってるよーと言ったらどれどれ…と読む人なら龍馬が芝居の例えわかりやすいと
返事を書いてるねーとか話が進むから面白いけど教えても確認すらできない人じゃねえw >>148
不要にはならないよ。
木戸にとっては藩内の反対派に対して薩摩と合意した結果を
いち早く持ち帰らないといけない。出来れば文書の形にしたい。
薩摩がどこまで文書化に正式対応をしてくれるか不明な段階では
薩摩藩士ではないけど、準薩摩藩士とみなされていた龍馬からの
内容証明は、この後の木戸の長州藩内の政治的立場を強固にするために
とても必要でとても重要だった。
まあ、裏書の話はさて置き、今回原本が見つかった書簡に対して
「然ニ先日の御書中大芝居の一件、兼而存居候所とや、
実におもしろく能相わかり申候間、弥憤発可レ仕奉レ存候。」
って木戸に書簡を送っているのに、今更偽物扱いされましても。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています