【傘工】伊賀傘組合、解散へ 15年から従事者おらず
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2018年6月17日
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20180617/CK2018061702000016.html
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組合事務所で製造道具を並べ、和傘の説明をする八尾さん=伊賀市上野池町で
伊賀市中心部(旧上野町)の和傘産業を支えた「伊賀傘商工業協同組合」が約八十年の歴史を終え、解散することになった。同組合理事長の八尾光祐さん(81)=上野三之西町=によると五月の総会で解散の方針を決めたという。
伊賀は大正から昭和初期にかけて和傘の全国的産地だった。戦後は洋傘生産への転向などもあったが従事者は減り続け、二〇一五年にはゼロになっていた。
和傘作りは藤堂藩政の江戸時代までさかのぼる。武将で大名だった藤堂高虎が伊予(現愛媛県)から伊賀に移った際、自生する竹に目を付けた。伊予で盛んだった竹加工の技術を持ち込み、下級武士の手内職として広まった。明治時代に入ってからは日用品として普及。組みひもと並んで産業の中核となっていく。
大正から昭和初期にかけて和傘産業は最盛期を迎え、大正時代には百四十戸が「傘工」をしていたとされる。一九三三(昭和八)年には三百万本を出荷する全国二位の産地となった。
竹に小さな穴を開けて糸を通し、手作業で骨組みを作っていく。細かな部品は手作業でしか組み上げられない。紙を張り、防水用の油を塗って天日で乾かす。八尾さんは「広い空き地一面に傘を乾かしている光景が懐かしい」と盛んだったころを振り返る。
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解散が決まった組合の事務所=伊賀市上野池町で
伊賀傘商工業協同組合は四〇(昭和十五)年ごろ設立し、上野池町に事務所を構えた。戦時中の統制経済の中、今まで傘工が個々に仕入れていた材料を一括購入し、組合員に販売。傘工の収益増加につなげた。
戦後、生活様式が変化し洋傘が流行。多くの生産者が洋傘生産に転向したが、海外の安い品に押されて廃業や他業種への転換を余儀なくされた。八五(昭和六十)年に三十四人だった組合員は現在五人まで減り、いずれも生産はしていない。
祖父が創業した問屋の伊賀傘株式会社(後に有限会社)を二〇一五年に廃業した八尾さんは「一本の傘を大切に使うような考え方は終わった。時代の流れを感じます」と残念がる。
〇三年に、父が創業した店をたたんだ矢倉弘彦さん(78)=上野伊予町=も解散を惜しんだ。「昭和三十年代に輸出用の洋傘製造に多忙を極めたのが一番記憶に残っている」と振り返り、「店と組合が両輪だった。伊賀傘の灯が消えてしまう」と落胆する。
組合は事務所の土地や建物の処分を進めていくという。事務所には和傘や製造に使った道具が残っており、当面は事務所に人がいる月、水、金曜の午前十時〜正午に見ることができる。八尾さんは和傘産業を振り返る企画展を検討中という。
(問)八尾さん= ※ 記事でご確認下さい
(日暮大輔) ある侍の3人組が旅館に泊まりにいきました。
料金は一人1万円とのことなので、3万円受付の人に払いました。。
その受付の人が女将さんに3万円を持っていくと
「3人ならサービスで25,000円なのよ!!5000円返してきなさい!!」
と女将さんにしかられました。
受付の人は急いでお客さんに返しにいきました。
ですがここで悪魔がささやいたのです。
「ちょっとならパクってもばれないよ…」
と。
そこで受付の人は2000円を自分のポケットにいれ、侍達には一人千円ずつ返しました。
さてここでおかしなことが起こってます。
一人1万円払って1000円帰ってきたので9000円払ったことになります。
つまり3人で27000円払ったことになります。
それで受付の人が2000円もってます。
残り1000円はどこにきえたのでしょう? 伊賀とかまず立地が悪いし
住人みんな都市に引っ越したほうがいい >>2
27000円は
中居がぱくった2000円+宿代25000円だろ。
何が残りの1000円なんだ?
有名コピペにしてはつまんなすぎないか? 工芸製品として残す方向にシフトできなかったんじゃそりゃ終わるわ >>2
久々に見たわそのコピペ。
払ったのが2万7千=ネコババ2千+女将が受け取った2万5千な 伊賀上野駅前って何もないよな。
怪しげな雑貨屋は取り壊され、
駅前喫茶店は開店休業、
自販機あるけど屋根に忍者が隠れてる。
駅構内に伊賀の名産パンフはたくさんあるけど、
どれもJRでは買いに行けない
関西本線は雨で止まるし、観光ジジイも止める。
なんだかなあ >>2
侍の帳簿
旅費交通費 27,000 現金 27,000
旅館の帳簿
現金 25,000 売上 25,000
受付の帳簿
現金 2,000 雑益 2,000 それはさておき
外国人観光客相手にも売れなかったのかな >>1
仕事帰りの電車の中で疲れからついウトウト
乗り換え駅で目覚めたが傘を電車の手すりに引っ掛けたまま慌てて降車
何度かやらかして以降は千円程度の傘かビニ傘がメインになったわ
平成になって以降はビニ傘率がかなり上がったから高級傘はキビしいだろ >>15
ミニチュア傘は外人さんが照明仕込んでインテリアにしてるけどな〜 蚕だって石炭だってあれだけ盛んだったけど無くなったんだ
時代の流れは仕方のない事だね >>17
やっぱり時代に合わないものはそうやって加工して
土産物にするぐらいしかないわな 何年待ちとかの和傘あるんだろ?
売り方次第じゃ復活するんじゃないの?
若者に伝承して輸出しろよ 和傘はなあ。材料の竹や紙の調達すらいまどき困難だろ。 一本の傘を大切に使う人はいない、なんてことはないと思うよ
5000円くらいの傘は父の日母の日のプレゼントに最適
通勤通学で使うための傘をたたき売りするからいけない
あと思うのは、贈り物の文化を守らないと
こういう実用性の低いものは市場がなくなる
毎日会社に通ってクソ垂れるだけのクソ袋を
人間に戻す政策を考えなきゃね 伊賀なんだから、忍者と絡めて宣伝すれば、外国人が食いついてくるだろうに (*´ω`*) 「日本の伝統文化を守っていく。」
(´・ω・`) 「じゃあ、中国とか移民やめろよ。
日本人にしか売れないものって結構あるんだよ。」 (*´ω`*) 「教育の再生を!」
(´・ω・`) 「私学の助成金って、
日大の利権を護るためにあるの?」 洋傘でもメンテしてくれるところほとんどないからな
和傘では観光需要以外では厳しそう (*´ω`*) 「景気回復! 経済最優先!」
(´・ω・`) 「企業の景気回復がゴールなんでしょ。」 伊賀って、忍者。和牛。和傘にモクモクファームとか
ポテンシャルあるのに活かしきれてねえ
甲賀に吸収されちまえ (*´ω`*) 「一番儲かっている大企業の株を
国民が一丸となって買い支えれば!」
(´・ω・`) 「従業員には数滴は落ちるかも知れません。」 さすがに実用としての役割は終わってるけど、
外国人観光客向けの土産物にはいいんじゃない? 加賀、敦賀、甲賀、伊賀、雑賀
忍者の里は皆、賀が付くんだな
不思議だな
しかも畿内周辺にある 観光客向け和傘の製造だけでなく、
それらの材料などを用いた関連商品などにも目を向けるべきだったな。
竹細工だけでなく、和紙を用いた商品などなど。 和傘は重たいし手入れ大変だしな。
機能に特化したビニール傘の凄さを感じる 傘張りって 時代劇では 浪人(ニート)の仕事では? >>39
飛騨忍軍「せやな」
風魔一党「ああ・・」 >>2
客が払った金30000円
これに宿が3000円バックしたから、客が払った金は27000円
でも実際の帳簿は25000円入金だから、この店員は2000円パクってるという話 >>35
あと芭蕉な、
近鉄の名阪ルートが
上野市街地を通っていれば
どうなっていただろう、 和傘外国人のお土産に人気出そうなんだけどな。
大阪から伊賀上野に高速バス片道1500円であるから
日帰りで気軽に行って戻ってこれそうなんだが。 調べてみると大阪から伊賀への高速バス土日
しか運行されなくなった上大阪から日帰り
するにはしんどいダイヤだな。行きの便が
朝7時台発、帰りの便が夕方18時以降
に設定してくれたらいいのに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています