【歴史】「関ケ原」の研究 石田三成、西軍敗北へ3つの戦略ミス
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※総踊りスレ
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「怜悧(れいり)なインテリ官僚という石田三成のイメージは後世の間違いで、武将としての資質を備えていた」――。中野等・九州大学教授はこう言い切る。中野教授は「石田三成伝」(吉川弘文館)で同時代の一次史料を徹底的に分析し、「果断にことを進める剛胆な」等身大の石田三成像を描き出した。三成が出世階段を上るきっかけのひとつが、賎ケ岳(しずがたけ)の戦いで情報将校としての活躍であったことはあまり知られていない。その後の太閤検地で、担当者として三成が現場へ赴くのは事実上敵国に乗り込むようなものだったという。
反転攻勢読み切れず兵力分散
「関ケ原」で決起してからの三成の動きはクーデターのお手本とすらいえる。最初は豊臣家から「反乱者」と見なされていた。約1週間後に毛利輝元が大阪城に入った時は、三成は徳川家康に対して圧倒的な優位を築いていた。家康はしばらくの間、忠実だったはずの奉行らが三成側に寝返り、自分が豊臣政府の最高権力者から反乱軍の首領に転落していたのを気付かなかったようだ。
その三成はなぜ敗れたのか、3つの戦略ミスを追ってみた。
中野教授は「家康の反転攻勢のスピードを読み切れなかったことが大きい」と指摘する。それが兵力の分散を招いた。同教授は三成ら西軍の戦略は支配地を拡大する「面」の戦い、家康の戦略は中央突破を軸とする「線」の戦いだったとみる。西軍は京都・大阪を掌握したのちは北陸・伊勢・京都北部と戦線を拡大し、どの戦場でも有利に戦いを進めていった。毛利軍は四国、中国地方へも出兵している。その一方で兵力の分散のため、三成が担当していた濃尾方面軍は手薄になった。
得意の情報戦で大きく後れ
「豊臣政権の権力構造」(吉川弘文館)の堀越祐一・国学院大講師はその戦略ミスが現実化したのが岐阜城の失陥とみる。岐阜城攻防戦では兵力差が東軍約3万5千に対し西軍は約6千と大きな差がついていた。岐阜城主の織田秀信は祖父・信長の例にならって野戦を仕掛けるが完敗、岐阜城も約半日で陥落してしまう。堀越講師は「岐阜城はいわば織田家の聖地で、大きな意味を持っていた」としている。堀越氏は「もし秀信が籠城策をとれば東軍の福島正則、池田輝政らかつての織田家の臣下は攻めなかった可能性も残る」という。
それまでの西軍有利の流れを変えたダメージは大きく、大阪城の西軍首脳にまで動揺が広がったという。実際、京極高次は西軍から離脱し約3千で本拠地の大津城に立てこもった。同城は9月15日に陥落するが、その日がちょうど関ケ原合戦の当日。攻城側の西軍1万5千の将兵は決戦に間に合わなかった。
堀越氏は「情報戦の面でも三成は大きく後れを取っていた」と指摘する。家康は反徳川で同盟した東北の上杉景勝軍と三成ら西軍主力との情報ルートを遮断していた。三成は中間地点の上田城で戦う西軍の真田昌幸に何通も書状を送り、上杉軍と連絡してくれるよう依頼している。その真田宛の書状もいくつかは家康の手にわたっていたという。岐阜城陥落を知った家康は江戸から最前線へ急行したが、三成はその具体的な動きを把握していなかったフシがある。一方、家康は秀頼の不出馬など大阪城の動きを確認できていたようだ。「東西両軍に保険をかけていた武将は大勢いただろう」と中野教授はいう。その状況を積極的に活用したのは家康だった。大阪城にも徳川シンパは残っていたという。
本来ならば戦場での戦闘より情報戦こそが武将・三成の得意分野だった。堀越氏は「三成が決起直後に自らを豊臣政府軍、家康を反乱軍と逆転できたことで油断が生じた」とみる。油断が兵力の分散や情報戦の軽視を招いたとしている。「秀頼を擁立している自分らに積極的に攻めかかってくることはあるまいと考えていた。家康はその隙をついた」(堀越氏)。中野教授も「豊臣政権への信任は三成が信じていたほどではなかった」という。さらに家康は、秀吉死去前後からシンパを形成するための多数派工作を行っていた。中野教授は「黒田長政や細川忠興らは豊臣政権下では先行きの見通しが暗かった」と指摘する。「反乱軍」になっても家康に従う強い意志を持った武将が少なくなかった。
三成は西軍のリーダーではなかった
最大の誤算は西軍首脳の戦略目標にブレがあった点だ。西軍首脳に数えられるのは三成のほか毛利輝元、宇喜多秀家、大谷吉継、小西行長、安国寺恵瓊−−と多い。
(続きはソース)
8/13(月) 13:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180813-00010001-nkbizgate-bus_all 毛利軍の食事が遅いことを計算に入れてなかったのは痛いよねw 最近この関ヶ原の合戦は新しい説があるんだってな?
なんか大谷がすぐやられ昼前には終わってたとかのやつ 秀吉恩顧の福島正則も加藤清正も徳川方に付くって
石田三成ってどんだけ嫌われてたんだ 後からならどうとでも言える
例えば今買いな株の銘柄を言ってみな?
できないだろ? 関ヶ原は結果にすぎず、家康は遥か前から着々と手を打っていた。
武将としての能力は大人と子供だよ。
マスゴミはこういう駄目な記事書くからバカにされる。 他人に嫌われやすい(誤解されやすい)性分
これがすべて 徳川は毛利と島津を退治できなかったため、270年後に幕府をひっくり返された 数年前に主力扱いの毛利軍で事実上の指揮官だった吉川元春が
“三成は人間の屑です、あいつのために無駄死になどありえません。仕方なく毛利家は貴方に逆らいますが私が絶対に直接の交戦をさせません”
て内容の密書を家康に当ててたのが判明してなかったか あとになればなんとでも言える
後出しじゃんけんはいけないよ 自分の利口さを言いたくて仕方ない。
と同時に他人が馬鹿に見えて仕方ない。
ホリエモンによく似てる。 ほんで結局、小早川は最初から東軍だったん?
最近こういう話をチラホラ見聞きするよね。 >>8
武将が好き嫌いのみでどちらかに着くことは無い。
人を抱えてみたらわかる。 秀頼・三成より家康はほぼ確実に早死にするんだから
その時を待ってじっとしていれば良かったろうに 秀次やその側近粛正でガタガタになり
立て直中に秀吉死亡
有力親族がいない幼君と有力大大名、という清洲会議と同じ状況ができた
織田にやったことを徳川にやられただけ 変心とは片腹痛し これは大政所様の言いつけにござる
松尾山の伊藤長門守盛正を追い出し 陣を敷け 石田三成見てると戦国時代の石破茂
人望があれば黙ってても人がついてきたよ 徳川秀忠の戦略ミスがひどすぎたから何とか勝負らしい形に持ち込めた 半日で終わる…と予想していた当時の人
一人でも居たのか >>3
あ り え な い 。それは。
バストダンジョンでリリカのおっぱい値を800近くまで調教強化してやらないと、そのフラグは立たない。
仮にフィリオナをメンバーから外してリリカを集中調教しても、アナルバイブが使えないその段階では
スカリバーはまだ手に入れられないはず。 妄 想 で つ か ?
とりあえずアンダー草原で淫獣マリリスを大量に調教して淫度をどんどん稼いどけ。
展開が不安ならバックアップ取っておくのを忘れんなよ。説教くさくなってスマソ・・・。ついな・・・。 石田三成は極めて優秀な事務家ではあるが政治家ではない。
西軍を関ヶ原に着陣させるのが精一杯で実態は裏切りもの日和見連中だらけで集団として四分五裂だ。
秀吉子飼いの大名をがっちり味方につけ盤石の体制で展開してきた家康とは雲泥の差。
第二主力ともいえる秀忠軍抜きで勝っちったしな。
話にならない。 >>7
新しい説というかこれまでの説は明治時代に作られた出鱈目とされただけ 案外と知将三成の方が国の収め方が上手かったりしてない。今頃は世界制覇してたかもしれん。 >>12
明治維新でひっくり返されたのは徳川家じゃなくて旗本な。
徳川家は早めに薩長に迎合したから、維新後も安泰で今でも名家だし。
慶喜は糞の役にも立たない幕府や旗本が嫌いだったから大成功。 >>28
分からんよ
現在に例えると石破茂が陛下に戦場に呼んだらと想像してごらん
たぶん西軍の方からも批判されるよw 家康を叩くなら「関ケ原」ではなく、「小牧・長久手の戦い」 あそこで全軍投入して仕留めておけば
よかったのに、つくづく悔やまれる。 全責任押し付けられただけで実態は西軍の一有力者にすぎなかった、って説もあったような? 朝鮮での戦争に駆り出されて
豊臣政権に反発してた大名が多かったんじゃないかな >>38
小牧・長久手の戦いは秀吉にとって初めての敗北らしい敗北だしな みんな詳しいな
史実としての関ヶ原を知るのに最適な書籍を教えて >>38
大地震でそれどころじゃなかったから
仕方ない 大河の葵徳川三代で江守徹の演じた
石田三成は完璧だったな >>40
どっちかいというと、秀次事件で大名の離反があったのが大きいんじゃない?
あの事件以降、最上と伊達が完全に徳川方になった
朝鮮出兵で恩義は尽くしたと思った大名も多いだろうが こういう話がある。
秀吉が死んで家康が残り、天下簒奪の策謀を巡らせ関ヶ原でまんまと横取りした。(完成は大坂の陣の後)
じゃあ家康が先に死んでいたら、秀吉はどうしたか??
ヒントは蒲生家。 約500年前の出来事なのに、
いまだにご執心に研究する人がいることへの不思議。
しかし、これが歴史に取り憑かれた人のなれの果てでもあるw >>40
あれ徳川幕府の参勤交代と変わらないから
諸大名に浪費させるのが目的 徳川幕府成立の最大の功労者
三成が居なかったら、家康が天下を取る事は無かったかもしれん
仮に徳川の世に成るにしろ、家康存命の間では厳しい >>35
国内総生産把握する為の升とかなぁ(´・ω・`)頭が良すぎて剛腕武将に嫉妬され嫌われてた >>43
司馬は本人も認めてるがほとんど妄想だから読まない方がいいぞ >>43
同じく司馬 関ヶ原
めーちゃーめーちゃー面白い。
家康三成のみならず当時の一流武将が綺羅星のごとく登場するよ。
ついこないだ映画になったが、大袈裟じゃなく映画の30倍は面白い。 福島正則と加藤清正も散々秀吉の世話になりながら裏切り家康についたのに
家康死後は徳川にがっつり潰された
千利休、秀次、秀吉に世話になったコイツラを嵌めたのって家康だよね
秀長が死んで、残る頭脳は三成だけ
ただでさえ少ない秀吉の周りの人間を一つ一つ引きはがして関ケ原では小早川秀秋の東軍寝返り
こんな謀略まみれ、おかげでクソつまらん江戸時代に
殺し合いの果ての結末がこれじゃあね もっともアホなのが秀忠
真田に翻弄され遅刻までしてしまった
東軍が負けてたらA級戦犯は秀忠になる とりあえず
恐ろしいほど、人望が無かったのは
本当らしいし >>35
実務能力とカリスマ性は違うのよ
桃太郎を例にすると
桃太郎は統率力
雉は情報力
猿は計画力
犬は実行力
犬猿雉は実務能力あっても桃太郎には成れない
犬猿の仲の連中をまとめる統率力が無ければ >>55
三成がいなかったらまとめ役がいなくてもっと早く豊臣方は瓦解してたと思う >>58
まったくの嘘、フィクションを並べ立ててるわけじゃないだろ?
事実と時系列は動かしようがない。
司馬嫌いはそういうことをいうから嫌われる。 総大将の毛利が地蔵になってる時点で
決戦のていすら成してないわな。
総合動員兵力5万超の毛利が家康と通じてる時点で家康勝利。
結局は萩送りにされてマヌケだったが。 人望が無かったことと、現場での判断が出来なかったことが敗因 公務員タイプで戦争には向かない >>69
事実も何も
司馬がそれを書いた時代で信じられてた事実や時系列は現代の研究によって覆されてるんだって ほとんど兵を動かした事ないのに街道一の弓取り家康に野戦じゃ勝てないだろ
まあそれでも石田隊は大善戦したんだっけ。 無理、無理、どんな凄い戦略戦術あっても
大将が人望ないから人がついてこない 関ヶ原とミッドウェー海戦は両者共に不思議な負けなんだよな >>60
出生がどこの誰だか分からんのはあっさり改易されたが、
平安ぐらいまでさかのぼれるような名家は家康のおかげ生き残れてる 実は関ヶ原最大のキーマンは佐竹なんだよね
佐竹は大大名であり3万の軍勢を保持しながら全く動かず
東西どっちにも付かずに関ヶ原は終了wwwww
佐竹がどっちに付くかで決まってた。 優秀な文官だもんな
脳筋ゴリラを巧みに操る手腕がそもそも無い でも現代でも大河で主役になれば平和を愛する忠義もの三成と悪役家康の戦いになるんだよなあ
結局本当かどうかに意味はないんやで >>69
ほとんどフィクションだよ
事実なんて一握り >>60
秀吉も引き立ててもらった織田信長の天下を簒奪、息子たちを切腹させたり領土を没収したり姪を側室にしたりしている
織田一族を一番ひどいことをしたのは秀吉だ >>76
小早川が裏切るまでは東軍を圧倒してたんだからまるっきりダメってわけでもない 司馬遼太郎本人が自分の小説は空想小説と言ってるんだよなあ >>82
どっちつかずで家康に恨まれて先祖伝来の土地を没収され秋田に左遷されたけどな。 w 家康と三成じゃ石高も官位も実績も違いすぎる。
250万石の内大臣に佐和山19万石の
半分隠居ローカル官僚が太刀打ちできるわけがない。 佐竹のポジション
1の案
上杉に味方して伊達を挟み撃ち
2の案
西に向かう家康軍団を背後から追撃
3の案
伊達と最上に味方して上杉討伐
4の案
家康留守の江戸を総攻撃 >>43
影武者徳川家康と一夢庵風流記
いっとけw 司馬によって史実オタクが増えて
一般に歴史ネタが広まるようになったという功績はあるかな >>91
テレビのプロデューサーなんて信憑性よりも視聴率だよ
それに伊達政宗以降は自治体のスケベ心が見え隠れしてる >>8
朝鮮から命からがら戻ってきた直後に
茶会においでなさいとか言うから・・・(´・ω・`) >>82
伊達政宗のほら吹きを家光の前で一緒に聞かされるという拷問が待ってるけどなw 幕末な頃の、外国人(外国の軍事関係者)の分析が結構面白かった >>93
西軍の先行きが乏しいのが見えてたんじゃね?
それでも、心情的に東軍に付きたくなかったと >>100
伊達と最上の信用がなかった
おかげで背後の上杉は伊達と最上が食い止めた事で気にしなくて済んだ >>94
なんと素朴な。
この記事ひとつで信じたのか?? 石田三成が藤堂高虎並みに早くから徳川家康にすり寄っていれば
江戸幕府でも経済官僚として辣腕をふるえただろうに。 >>4
空なのにいつまでも食ってるぐらいだからなw >>60
清正は本人死後の息子の行状から改易やむなし。
正則も明らかに法度違反で改易は本人の自業自得。
とういか、家康・秀忠の代での改易に元豊臣家中云々が働いた形跡は実は一切ない。
譜代もおんなじような理由で改易されてるし、いたって公平に裁かれてる。 佐竹は当主が三成派で前当主と家臣団が東軍派で分裂していて動けなかった。 >>43
続戦国自衛隊が良いと思うよ(´・ω・`) >>49
気まぐれ蝙蝠の伊達より余程頼りに成った東北の雄
最上義光の愛娘までやっちゃったからな あれで東北は
事実上、上杉だけが孤立した >>60
一応言っておくがこの時点では福島正則も加藤清正も秀吉の事は裏切ってないぞ
この戦は豊臣vs徳川じゃない >>106
お前が例えば?と聞いたから1例を出したんだろwww
現実を受け入れず引くに引けなくなって知恵遅れを起こして発狂とかするパターンか? でも、最近の三成は恵まれてるよ
以前は、柿の創作もあるように、詰まらんヤツも居たもんだと評されてたのに
光栄もその路線だったはずが
戦国無双にイケメンで出演させたら脚光を浴びるようになった
三成は光栄に足向けて寝るな 1番の戦犯は茶々
秀頼出しとけば家康は大義名分と求心力失った
秀頼出させられなかった時点で三成の負け つーか、19万石の石田三成が300万石の徳川家康に挑むのがそもそも無理。
15倍差だぞ。 >>104
佐竹の謎の行動は恐らく、東西大激突を見届けその勝敗結果で勝った方に付く予定だったのかと >>114
結果的には知行権が徳川に移ったから
まぁアレだ 秀吉と石田三成が作り上げた統治システムを
まんま背乗りで奪い取った徳川家康
格好つけるために江戸時代に歴史捏造しまくり
愚かにそれを信じるあほな現代人 >>72
いやあ、四国の東軍方諸城勝手に攻め落とすは毛利名義で書状出しまくるわやりたい放題ですがな。
吉川の「すんません!あいつ馬鹿なんです!」という弁明が無茶苦茶痛々しいんだぜ? 頭の良い三成が自分の戦下手を認識してないわけがないし
それでも豊臣に殉じた、それくらい追い詰められていた
下手打った忍城攻めに参加した武将が三成側についていたりするんだよ
しかも歴史研究が進むたびに三成の評価が上がる
要するに三成の人物像って関ケ原後に家康がでっち上げたプロパガンダが定着したってだけ
ともかく家康はねーよ、もう一回戦国やり直せよ 三成の状況読む目がなかったせいも多分にあるが悪いのは毛利だよな >>97
そもそもなぜそこまで厳密な真実にこだわるんだ?
何百年も前の出来事なんだからいくら文献を紐解こうが調べようがないんだよ。
重要なのは、客観的な事実と時系列。
その他肉付けは作者の自由なんだよ。
明智光秀がなぜ信長を殺したのか誰にもわからないだろ?
光秀が天正十年に信長を本能寺で殺した。
これ以外の表現は作者の自由だ。 >>109
徳川秀忠の公平な人間と言われていたからな
温情やしがらみなしに武家諸法度どおりに公平に裁いた
法治国家への先駆け 関ヶ原の戦いを見てて面白いのがさ
東西どっちの軍も最前線で活躍してるのって朝鮮出兵経験者ばっかなのよね。
家康軍は最後の戦闘経験って小牧長久手の戦いで10年以上も前だから意外に弱い気がする。 >>103
真田丸は見なかったわ。 (^_^;
クライマックスはかなりヘッポコだったようだが許される範疇だ。 >>125
家康は調略謀略を軸に戦さをした故に狸じじいのイメージは拭えないが悪人ではなかったと思う
秀頼が君主として立派であったならば、秀吉が晩年狂わなければ特に行動を起こすこともなかったんじゃないかな >>113
いやいや最上も開戦前までは上杉との和睦を模索するとか
いろいろきな臭い動きを見せているぞ。
義光にしたってお家第一、娘の怨みは二の次なのは当然。 >>115
厳密な事実にこだわりすぎ。
歴史は数学とは違うんだからそんなことは意味ないから。 >>132
関ヶ原で家康軍はほとんど戦ってないよ
ずっと後ろにいただけ 日本人独特の判官贔屓だな
中国の三國志なら精々袁術
扱いだぞwww >>138
だろ?
秀忠にいたっては真田にボコボコにされるし
家康軍って実は相当に弱いぞ >>132
というか家康軍の主力は秀忠の方にいたから仕方なし >>135
上でも改易の件が出てるけど、家康と秀忠は公正さがあるんだよな。
ほんとに悪人だったらだれもついてこないし、そもそも秀吉も信任しなかったと思うわ。 日和見ゴミ毛利のせいで負けたというイメージしかない >>135
見方によったら最悪の極悪人だよ。
同時に、武将として超一流ともいえるがね。 >>128
その竹やりで十兵衛くんをぶち殺した農民が
何故か天草の乱にも名前が出てくるっていうねw >>133
せやったかすまんな
最後柿食わされてやられたんだっけ? >>142
で、2千の真田にボコボコにされたんだよね。
戦国時代の10年のブランクって結構デカい気がする。
家康軍は朝鮮出兵に参加してないから初陣ばっかだと思うわ >>144
毛利の立場なら状況悪くても西軍につくしかないからなぁ
家を潰すぐらいなら日和見するだろそりゃ
あれだけ大きな家だぞ ハリボテの国の歴史を調べて、何か得るものあるの?
いい加減、気づけよw >>1
聞けば聞くほど武将としては欠陥があったとしか。
大将の資質の第1は勝負時に必要な戦力を投入出来るかどうか。
これを決断力って言うんだよ。
面だとか線だとかおためごかしですぜ?
まぁこれについては家康もやらかしてるんだけどね。
家康も戦巧者ではあったけど超一流とまでは言えない。 >>138
勝敗決した後島津義弘に突破されたじゃんw ちゃんと毛利が秀頼連れてきて関ヶ原に出てくるだけで西軍勝利だったろ
これだけで黒田、福島、小早川は動けないんだし 総大将は毛利。
大将にやる気がないのに、勝てるわけ無いだろ。
石田は勝つ気なら総大将になってみろ。 >>139
馬謖と三成はなんかすごく似てるとおもう 发狂了的猴子是变态宦官支那佬,并且发狂了的野狗是变态宦官支那佬.
没有耻和骄傲和常识和智能的下等的猴子是变态宦官支那佬.
china14億のみんなさんは慰安婦子孫.
用小的容貌和外表贪婪的变态宦官支那佬.没有耻和骄傲和常识和智能的下等的猴子是支那猪慰安妇佬.
chinese 是 慰安妇子孫.
讨厌的国家的偷在性的方面的动画,努力性欲处理的变态宦官支那佬是下等的猴子.
没有能夸耀的文化和传统衣服的变态宦官支那佬是看起来不舒服的恶劣的生物.
纏足慰安妇蝗正捏造历史.
做坏了的变态宦官支那佬们在筑巢的垃圾纏足慰安妇支那是在列强国家打开胯了的愚蠢的地域.
偷敌国的色情,窥视,努力自慰的不知羞耻的盗贼纏足慰安妇变态清国奴应该灭绝.
无智能的变态宦官支那佬的特技是盗窃和强奸.
用小的容貌和外表贪婪的纏足慰安妇变态清国奴.是不洗澡的被污染了的纏足慰安妇变态清国奴们也比野狗臭,肮脏的畜生.
人口贩卖侵略拿手的庸俗的纏足慰安妇清国奴们的国技,是盗窃,偷拍,强奸,强盗,捏造.
用小的容貌和外表贪婪的支那猪慰安妇佬.是不洗澡的被污染了的支那猪慰安妇佬们也比野狗臭,肮脏的畜生.
用小的容貌和外表贪婪的纏足慰安妇蝗.世界上给您添麻烦的难看的变态宦官支那佬们吃粪,应该全部毁灭.
盗窃,取消性欲的变态宦官支那佬是下等生物.
奴隶生物纏足慰安妇清国奴不很有奴隶作派地反抗而劳动.
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7
做坏了的支那猪慰安妇佬们在筑巢的垃圾纏足慰安妇支那是在列强国家打开胯了的愚蠢的地域.
用小的容貌和外表贪婪的纏足慰安妇清国奴.是不洗澡的被污染了的纏足慰安妇清国奴们也比野狗臭,肮脏的畜生.纏足慰安妇.
能够没有正经的文化的变态宦官支那佬们窥视别国,模仿.
日本处理了住在南京的肮脏的猴子.
无作为无礼的存在价值的烦恼变态宦官支那佬应该用低能消失.
能够没有正经的文化的支那猪慰安妇佬们窥视别国,模仿.
战前的支那猪慰安妇佬是从属于欧美的卑怯的加害者,并且日本军是受害者.吃粪,喝预先灯油的动物是纏足慰安妇蝗.
没有在本国正经的文化,什么不能产生的纏足慰安妇清国奴是没出息的猴子.
吃粪,喝预先灯油的动物是变态宦官支那佬.
是笨的纏足慰安妇蝗吃狗,喝下水道的发狂了的恶劣的动物.
出生,陪的犯罪民族变态宦官支那佬感到痛苦,应该死.
是笨的变态宦官支那佬吃狗,喝下水道的发狂了的恶 維新後、軍事顧問で来たドイツの将校に日本側が関ヶ原の陣形を見せた。
「兵力、布陣見ると西が勝っただろ。」「負けました。西から裏切りが出たのです。」
「あー、それなら仕方ない。」
兵力も多く、東の主力部隊になるはずの秀忠の部隊が真田に足止めくらっていたのに
負けた。
島津の機嫌損ねたり、本来は味方になるはずの武将まで敵に回した。
家康は手紙を書きまくって根回しした。 ちょうど終戦記念日だから書くが、関ヶ原のすてがまりみたいなのを持ち上げる風潮がダメなんだよね。
戦前の外交政策の失敗、戦闘中の戦術ミス、目標不達成で典型的な負けの流れなのを武勇でごまかしてるパターン。 >>153
そう
家康軍団って200の手勢しかいない島津軍にあっさり中央突破許してるしさ
実はめちゃくちゃ弱いんだと思うぞ >>154
まあそうさせないために
秀忠到着をまたずして速攻で勝負に仕掛けたのはさすが家康と思う 利家が生きていたら
前田閥大名の利長、宇喜多、蒲生、細川、清正が豊臣政権下で幅をきかしていて、これに三成以下五奉行が乗る構図で
徳川を簡単に掣肘出来ていたはずなのな。徳川の天下は難しかった
豊臣の誤算は家康が利家より長生きしたことだろ >>148
一般人の平均寿命が40〜50代の時代だからな
35も過ぎたら今の50代ぐらいにみたいに見えただろうし >>157
馬謖って三成くらいに嫌われてたの?
劉備には信頼されてないみたいだけど 関ヶ原本戦は、小早川秀秋の裏切りなどがあってどうにか東軍は勝ったが、明治陸軍を育てたドイツの軍人、クレメンス・メッケルが関ケ原を訪れた折、「これは、西軍の勝ちである」とすぐに結論を出した話は有名である 最近の奇を衒い捲った発表が多い中じゃ
珍しくまともな研究というか分析 >>149
うん
名前は忘れちゃったけどちゃんと苗字と名前が出てた
何か文庫本サイズの歴史ミステリーみたいな本だけどw >>43
>>95
島左近の漫画のヤツ、なんつったっけ(汗) >>165
足軽に成るのわ農奴じゃ無くそこそこ上流の農家だから
成人後平均寿命は60才超えてる >>32
文官が無理して大軍勢で戦やったって感じだなあ<三成 >>160
それを言うなら、大成功者の家康をもてはやさず(むしろ不人気)戦さに負けた信繁が大人気という時点で日本人のメンタルはちょっとおかしい。 関ヶ原で(石田側からしたら)裏切った武将たちの話とか読んでみたいわ
どんな思いで関ヶ原当日を迎えたのか >>163
前田利家なんて秀吉はそれほど頼りにしてないよ。
豊臣秀長
堀秀政
蒲生氏郷
秀吉より想定外の早死にしたのがあまりにも痛かった。 西軍の大将は毛利や宇喜田で石田は身代わりって説なかったか >>175
60代は無いだろw
伊達政宗の主要な重臣ですら、みんな50代前半であらかた死んでる >>177
そこだわな。きちんとした勝敗っていう観点がないというか。
まあようするに判官びいきなんだろうけど。 >>27
でもある程度人望が有ったから、総大将で無いのに
これだけの大戦を仕掛けられたんたぞ >>176
よくあそこまで持っていったと言えなくはないが、家康に比べたら大人と子供。
黒田如水が三成のポジションに居たらなぁ… って思うね。 >>8
秀吉正妻の北政所が、あえて東軍に付くよう口利きしたと言う説がある。
北政所にすれば三成では到底家康に勝てるとは思えず、豊臣系大名が西軍に全張りして
万一負けたらそれこそ豊臣家滅亡に直結するので、東軍側にも適度に恩顧大名を配置して
どっちが勝ってもいいよう画策したとか。
結果、大阪の陣まで約15年は豊臣家ももった訳だから、ある意味この読み自体は間違っていなかった。 三成が、嫌な野郎であったことは間違いないと思う。
そのため士気が上がらない。
仮に勝っても、三成に美味しいところ持ってかれると。 >>109
まあ福島さんは
幕府の権力争いに巻き込まれた不運もあるから
ちょっとかわいそうではある 戦国武将の二代目世代の中じゃ、秀忠って結構優秀な方だと思うんだ。
家康が長生き出来なくても、いずれ徳川の天下になったんじゃないか。 >>155
それを出来るだけの権威もカリスマ性も無かった
んじゃ無いの?武将達から観れば、太閤秀吉に
上手く取り繕った青瓢箪の成り上がりの茶坊主
って感じらしかったし >>161
んなわけねーよ
勝負ついてるから窮鼠に道開けたのが実際だと思うがね >>180
信用とか頼りではなく
あの当時、現実に徳川に対抗出来たのは前田とその親戚大名ぐらいだったって話だろ >>171
主人公が島左近なら>>174のいう
SAKONやろうな
原作が一応隆慶一郎の影武者徳川家康
>>179
その辺なら上で挙がってる司馬の関ヶ原かな
否定的な人もいるけどw 司馬の「関ヶ原」が象徴的だけど、以前は家康が三成らの蜂起を見越して上杉征伐にでた
という見方が一般的だったんだよな。でも、近年は輝元・三成(というか四奉行)がクーデター起こした時点で、
徳川は賊軍となり、かなりピンチだったとする説が主流になりつつある。
>>1もその説に基づいて組み立てられてるな。 立花宗茂が関ヶ原に出てたら
どうなったか分かりませんよ >>183
なんかね。
ヘン マジで。 w
日本史の三大政治家と言えば、頼朝、家康、大久保 で後世に多大な影響を及ぼしたわけだが、3人とも不人気。
つか、嫌われてる。
それよりも潔く生き滅びた人物が好き。
俺も一員なんだが、変な民族だ〜よ〜〜 苦笑 >>186
そこら辺微妙で東軍勝利の報聞いて
内裏に裸足で逃げ込むとかおかしな動きしてたり>北政所 没有能夸耀的文化和传统衣服的变态宦官支那佬是看起来不舒服的恶劣的生物.
用小的容貌和外表贪婪的支那猪慰安妇佬.是不洗澡的被污染了的支那猪慰安妇佬们也比野狗臭,肮脏的畜生.
是笨的纏足慰安妇蝗吃狗,喝下水道的发狂了的恶劣的动物.
盗窃,取消性欲的变态宦官支那佬是下等生物.
战前的支那猪慰安妇佬是从属于欧美的卑怯的加害者,并且日本军是受害者.吃粪,喝预先灯油的动物是纏足慰安妇蝗.
做坏了的变态宦官支那佬们在筑巢的垃圾纏足慰安妇支那是在列强国家打开胯了的愚蠢的地域.
做坏了的支那猪慰安妇佬们在筑巢的垃圾纏足慰安妇支那是在列强国家打开胯了的愚蠢的地域.
用小的容貌和外表贪婪的变态宦官支那佬.没有耻和骄傲和常识和智能的下等的猴子是支那猪慰安妇佬.
用小的容貌和外表贪婪的纏足慰安妇清国奴.是不洗澡的被污染了的纏足慰安妇清国奴们也比野狗臭,肮脏的畜生.纏足慰安妇.
发狂了的猴子是变态宦官支那佬,并且发狂了的野狗是变态宦官支那佬.
用小的容貌和外表贪婪的纏足慰安妇蝗.世界上给您添麻烦的难看的变态宦官支那佬们吃粪,应该全部毁灭.
讨厌的国家的偷在性的方面的动画,努力性欲处理的变态宦官支那佬是下等的猴子.
日本处理了住在南京的肮脏的猴子.
是笨的变态宦官支那佬吃狗,喝下水道的发狂了的恶劣的动物.
奴隶生物纏足慰安妇清国奴不很有奴隶作派地反抗而劳动.
无作为无礼的存在价值的烦恼变态宦官支那佬应该用低能消失.
没有耻和骄傲和常识和智能的下等的猴子是变态宦官支那佬.
吃粪,喝预先灯油的动物是变态宦官支那佬.
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7
没有在本国正经的文化,什么不能产生的纏足慰安妇清国奴是没出息的猴子.
人口贩卖侵略拿手的庸俗的纏足慰安妇清国奴们的国技,是盗窃,偷拍,强奸,强盗,捏造.
偷敌国的色情,窥视,努力自慰的不知羞耻的盗贼纏足慰安妇变态清国奴应该灭绝.
能够没有正经的文化的支那猪慰安妇佬们窥视别国,模仿.
纏足慰安妇蝗正捏造历史.
出生,陪的犯罪民族变态宦官支那佬感到痛苦,应该死.
用小的容貌和外表贪婪的纏足慰安妇变态清国奴.是不洗澡的被污染了的纏足慰安妇变态清国奴们也比野狗臭,肮脏的畜生.
china14億のみんなさんは慰安婦子孫.
chinese 是 慰安妇子孫.
能够没有正经的文化的变态宦官支那佬们窥视别国,模仿.
无智能的变态宦官支那佬的特技是盗 >>186
淀が気に入らないんだよね。子ども産んだし。自分は石女だし。
でもって、淀、三成の天下になるくらいなら、家康で良いと。 結局徳川家だけで400万国
バラバラの勢力でそれに対抗しても難しいよな
武将をまとめる人望も三成にはなかった
生きてるうちに家康を始末すべきだったが秀吉は認知症・・オワタ >>198
やっぱり淀殿と寧々殿で女の戦いがあったのかな
これ早口言葉の定番だけどやっぱり噛むなw >>197
家康は人気あると思うけど
小説の影響もあり >>195
そのロジックは前提が間違ってるな。
戦国時代は官軍 賊軍なんて誰も気にしていない。
気にするのは相手に勝てるか勝てないかだけだ。 >>198
そもそも北政所の身内が西軍で活動しているしなあ。ほんとに東軍寄りだったのかってかなり眉唾だよな >>207
いや
判官びいきの例もある通り、日本人は昔からそうのようだ。 石田三成は、老練な家康敵に回してよくやったほうだと思うけどなー
むしろ加藤清正、福島正則どんだけアホなんだ?
家康の豊臣抑えて天下を取ろうとする野心をどうして見抜けなかった?
三成や兼続はそれを見抜いていたから豊臣のために挙兵しただろ 一言でいえば、戦術面では三成側が上だったが、裏取引やら謀略を含めた
政治力・戦略が家康の方が上だったと
だいたい毛利と島津が仕事せず逃亡してるしww >>210
ってか戦勝自体をそこまで祝わないよね。
日露戦争戦争記念日とかないし。 歴史学者の新説ってのは、まあ、ロクなもんがない。
それテメーの妄想だろってのばっかり。 個人的には日露戦争戦勝記念とかやり始めたらオワコンだとは思ってるが。 >>215
あ、いや、そのあたりは敗戦で全部廃止になった感じ?
詳しくは分からんが… >>197
頼朝は北条氏にパクられたアホだし
家康は科学を遅らせ土人の国にした
大久保は戦争キチガイ政府を作り焼け野原
何を尊敬するんだ? 北まんは淀との不仲をうまく家康に利用されたんだろうな 家康だってずっと危機一髪の連続だった
まさか毛利石田10万人が決起するとは思ってなかった
まさか福島池田が速攻で岐阜城陥落するとは思ってなかった >>213
あるよ。
山岡荘八が原作の。
ただ、家康が100%正義で、敵対した人はボロクソ書かれているみたいだけどwww ちなみに中国人は徳川家康大好きなんだよな。
日本人は嫌う。
面白いものだ。 結局景勝と直江がひよって最上攻めとかショボいことやったからな(笑)
全軍上げて家康西上後の江戸急襲しなきゃダメだろ?
会津を空にして伊達に奪われようが、
家康の心臓部を陥落させて江戸に進駐すれば天下が手に入ったんだから
謙信なら迷わず関東入りしたわ >>22
それを誰よりも痛感していたのが家康だったからこそ、後の方広寺の鐘銘事件で
豊臣家を挑発してまで大阪の陣を起こさせた訳だし。
そもそも関ヶ原自体、家康の挑発に三成が乗った側面がある。
秀吉の死後勝手に他大名家と縁組みを進めるなど工作を行って日に日に徳川閥を強化。
その上でさも挙兵して下さいと言わんばかりに上杉討伐を名目に西国を手薄にする。
無論これでも挙兵しなければ反徳川勢力が1つずつ潰されていく訳で、
持久戦に持ち込めば持ち込むほど西軍が不利になる。
とうてい家康の死を待っては居られない、と三成が焦ったのも無理からぬ事情がある。 忍城攻めで決定的なヘタこいたからだろ
忍城には成田家の主力中の主力が集結していたとはいえ
攻めるほうも錚々たる顔ぶれだった
なんでそれで負けるんだよっていう負け方をしたもんだから
戦下手のレッテルがついてしまった >>220
なるほど、確かに勝った直後のしばらくは祝ってないとおかしいか。 一昨日、石田三成陣地跡に行ってきたよ。結構高いとこで汗ダラダラでのぼった。お城三ヶ所も高くて特訓みたいな旅でした。( ;´Д`) >>197
大久保は自身、それで構わないと思ってた風がある。
死の間際にまで西郷の手紙を懐に入れたいたそうな。
彼は彼なりに納得していたと思う。
家康は東照大権現様になって
なんだかんだとそれなりにドラマの主役になってる。
頼朝に関しては本当に同情する。 >>224
ほんとだー あったわ。
(≧∇≦) ゲラゲラ >>226
家康は昔小説が大人気になった事もあって
年寄り連中に人気だよ
赤穂浪士みたいなもん
今の世なら忠臣蔵はクソミソだけど
昔は凄い人気だった
今でも信奉してる老人は居る >>233
頼朝なんて家臣の讒言で可愛い弟を殺してしまうのだからな
あとは北条氏らに取り巻かれて神輿になっただけ
最後は殺されてるかもな >>231
んだんだ
>>233
どうやら日本人は政治家の偉さを理解できないようだ。 家康が江戸城に籠ってたのも
単に怖かったからだけなんだな
でこのままでは徳川抜きの豊臣恩顧だけで勝ってしまうから
あわてて出発したと 関ヶ原で戦なんてなかったんだけどね
ひどい創作だよ
まあ、家康は猛禽類も味方につけてたからな
タカだか、小役人の三成には勝ち目はないよ
カア 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話私家版
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続・法窓夜話私家版
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dwb >>238
大河でさやればいいのにね。
家康なら中国にも売れるよ。
なぜNHKはやらない?? 羽柴家に忠実なのはいいが、
それのせいで「情がない」として嫌われていたところに
「戦下手」とくれば、誰もついていかねえ
人の気持ちがわからんやつに調停役はできないし
調停ができないということは人望がないので統率もできない >>242
つい最近まで総理なぞ誰が成っても同じと思ってたからな
鳩山ルーピーが総理になるまで ,滋賀'すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. >>239
弟って言ったて、頼朝は正妻の子で嫡男だし、
他人と思っていたと思うぞ >>227
上杉はよく「何で背後から家康軍を追撃しなかったの?」って言われるが地図を見れば動けない理由が解る
背後に・・・
最上軍1万
伊達軍1万8千
江戸には結城秀康軍3万
そして北関東に謎の佐竹軍3万
ムリ過ぎるわwww >>249
民主主義の後退とか言ってるけど、自民党55年時代のほうが圧倒的に考えてないからな。
日本で民主主義というか「総理は選ばないといけない」ってなったのは民主党崩壊が大きいよね。
ただ小泉あたりからその気配はあったけど。 >>238
ヤンマガで連載してるセンゴクの家康はカッコいいぜ >>251
なるほどそういう感覚なのか
なんか腑に落ちた 西側についた先祖を持つ身としては
伏見城の戦いなんかに力いれて演出しすぎたせいで失敗したんだと思う >>251
親族衆の力が弱まるわな
義経以外も殺害してるし >>249
二千年近く列島を天下として暮らしてきたから、総合の重要性がまるで理解できないらしい。 >>254
センゴクの家康はたぶんあれが一番実像に近いと思う。
激情家だけど誠実さがあって、野心があると悟られないタイプ。
でないと秀吉が信頼した理由が分からない。 とりあえず八丈島=流刑地になったのは確実に宇喜多のせい 石田三成に人望がなかったということはないだろう。
あれだけ多くのマブダチと総兵力を集めたんだから。
ただよほどひとこと多いというタイプの男だったみたいだな。
人の神経を逆なですることに関しては天才的な才能があったみたいだ。 >>122
とは限らん
秀吉が作ったシステムが不完全だったからこう言うことになった
戦国時代に逆戻りした可能性すらあった >>239
可愛かったのは疑いない。
別に彼は血も涙もない人物では無いのは
伝え残るエピソードからもうかがえる。
ただ、それでも奥州藤原氏と義経は滅ぼさざるを得ないだろう。
彼くらい先の見える人物ならばそれしか無い。
ずっと先を生きる俺らには簡単にわかる事だが。
確かにそれまでに有効な手が打てただろうとも思うけどね。 三成や信繁に討ち取れるならもっと早い時期に家康逝ってるでしょ。あの辺周りの勢力図おかしいし >>252
いや上杉ならそのなかでまともに動くのは最上くらいだと見抜いているよ
だから最上攻めたんじゃん しかし世の中には家康より三成の方が好きな人が多い、判官贔屓か。 清正、正則に言わせれば、俺らが半島で戦ってる時に、呑気にソロバン弾きやがって、という想いが。 >>258
でも、尊氏、信長、家光しかり
そんなもんじゃないの 佐竹がお茶に興味がなければ
上杉との連合軍で徳川本体38000とも戦えたんだかな
と、いうか山中村で戦う前に寝返り続出で、既に崩壊してたんだろ >>260
信頼なんかしちゃいねーよ
単に先輩で家格もあるから立てただけ
隙きあらば殺害しようと頑張ったが
察知して家康が乗らなかったんだろう
尾張と三河らしい化かし合いだが
秀吉がアルツになって勝負がついたな 秀頼のいる大阪城に籠城した方がよかったんじゃないの? 三成が勝ったとしても徳川を取り潰すだけの力はない。 歴史資料でいつも見る両軍の陣形もかなりおかしいんだよな
東に進む東軍を後発して南から回り込んで完全に前をふさぐほどのデカい動きを
あんな大軍でひと晩のうちにできるわけないという
川中島のキツツキ戦法と同じくらい無理がある >>260
家康の人生
今川義元に従属→死後→独立し今川を滅ぼす
織田信長と同盟→死後→甲斐と信濃を掠め取る
豊臣秀吉配下に→死後→関が原や大阪の陣を経て豊臣を滅ぼす
誠実だわ >>230
水攻めの堤が崩れたのも三成に人望が無かった所以だろう
単純な理屈で
秀吉が水攻めの堤防を作る→家臣たちは堤防が崩れないように昼夜問わず必死に見張りを続ける
三成が水攻めの堤防を作る→敵方の工作員が堤防を崩そうとする→味方は見て見ぬふり >>257
クーデター起こすなら
大坂城と伏見城抑えるのは当然の軍略
これで大阪京都抑えたことになるから その後の結果を知ってるから家康の方が悪く見えるよね
1598〜1600年の状況じゃ、家康に付いた方が豊臣家は安泰だと考えるでしょ >>43
影武者徳川家康だな。
漫画の奴な。
小説のも読んだけど漫画のが面白い。 >>275
戦力優勢で籠城とか馬鹿かといわれて離反されるぞ >>274
そんな簡単な流れではないと思う。
秀吉が推挙しなければ大納言とかにもなれなかっただろうし。
あのあたりの出世をうまく説明できてるのはセンゴクの家康像だけなんだよね、俺が読んだ創作物だと。 >>117
秀頼が討たれたら終わりだから仕方がない。
家康は自分が死んでも徳川家は安泰な体制を作っていた。 最上だけ完全に別目的で動いてるから強いんだよね
愛娘であった駒姫を豊臣家のお家騒動で殺されたからな
母はノイローゼで自殺するし。
最上義光は執念の敵討ちだったもんな。 >>274
秀吉は東北仕置きなどで、東国においてかなりの権限を家康に与えている。
あれは信頼を置いてないとできん。 まあ、社長が死んで、副社長と秘書課長の戦いだしな。 >>277
あれは明治に陸軍参謀本部が作ったもんだから
史実としてはかなり怪しいらしい というか、前田利家の武功が分からない
秀吉の親友と言うだけで権力持っただけでは? >>280
伏見抑えるのはいいが時間かけすぎなんだよ >>286
義光はそんな甘っちょろい男じゃないよ。
彼もまた家の存続第一で動いている。 へいくゎいもの = 横柄者
横柄
ひどくいばって、人をふみつけにした態度であること。尊大。
この時ってさ
津軽南部はなにやってたんだ?
後は秋田の殿様である安東だっけか?
関ヶ原では空気だよなここ いつの時代も弱腰毛利家というか山口wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
山口のチキンがいつも歴史を変えてきたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>286
最上「執念で動いたら何故か上杉が攻めてきたでござるの卷」 >>298
東北勢は上杉攻めてたんじゃね?知らんけど。 三成が小物だから戦略立てても周りが思い通り動いてくれなかっただろうね >>295
そっかな
最上義光は駒姫が打ち首されたと聞いて全軍を上げて豊臣討伐しようとしてた聞いたぞ 秀吉・徳川が恐れていたのは伊達だからな、
だから秀忠をわざと遠回りさせて遅らせたり(即効で江戸に戻れるよう)
上杉を会津に封印させたり(秀吉の策)
関ヶ原はそこまで重視してない。 勝負を急いで関ケ原なんかで決戦しなければ家康に天下とらせることなんてなかったのにな。
上杉や伊達がいるのに雑魚集めて決戦しても家康には勝てない 本能寺も関ヶ原も明治維新も戦後も
全て毛利長州がキーマンという どう考えても石田の人柄が敗因です
こいつは事務長タイプで社長ではない >>1
最大の失敗は、武力蜂起を誘うために泳がされてたのに、上杉攻めの隙に、まんまとそれに乗って武力蜂起したこと >>298
南部は味方であるはずの伊達が領土ほしさに仕掛けてきたのでそれにおわれて動けず
津軽もそれに波及して静観。 >>303
引きこもりが許されるんだ
佐竹はダメだったのに >>296
関が原の決定版は加藤剛と森繁のTBS版で間違いはない。
チャー、チャラ〜ラ〜ラ〜とか、音楽もすごい。 >>303
違う違う。
味方である伊達に仕掛けられて身動き取れなかったんだよ 高校を卒業した学生の語学能力が、これほど貧弱で物の役に
立たないのは何故なのか。抜群の語学力を誇り、東大文学
部長までつとめた筆者が、外国にいる若者が外国語を習得する
困難さを正面から取り上げ、正則(期待されるような)
語学教育の重要性を指摘する、英語教育のための基本書。
原典データ配布しておりますので研究用にもご利用ください。
外山正一『英語教授法』 https://www.amazon.co.jp/dp/B07FB48MRF/
花の美しさにあこがれ、空の中に美しさを見出し、
夜の月の中にさえその善さを見るとすれば
エロス神が征服しようとする相手は宇宙そのものだ。
2400年前に書き残されたプラトン『饗宴』を
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プラトン他 『饗宴』 https://www.amazon.co.jp/dp/B07FBQ54PM/
ejt 上杉は長期戦になると考えてただろうね
最上潰して背後の憂いを絶とうとするのは変ではないが >>311
でも蜂起するならこのタイミング以外あり得ないだろう
ほっといたら家康の勢力が増えるだけなんだから よく知らんけど、会津征伐が始まって徳川と上杉が戦争状態に突入してから三成挙兵じゃいかんかったのかね。
そうすれば、すぐに家康も西へ行けなかったんじゃないかと思うんだけど。 >>312
>>317
え?南部って徳川軍側だったの? >その三成はなぜ敗れたのか、3つの戦略ミスを追ってみた
西軍首脳部序列第六位ぐらい(毛利宇喜多増田長束の下で小西大谷と同程度)でたいした権限のない石田三成が責められるのが意味不明すぎる
史実の石田はフィクションとは異なって西軍総大将でも参謀長でも関ヶ原決戦の野戦軍総司令官でもなんでもない一有力大名でしかないのにな 西軍の誤算は
東海道全部東軍に取られたことだろうな
これで岐阜城関が原までがら空きになった >>322
そだよ
だから戦後にそれを知った家康が伊達に100万石の話は無しねと言ったんだよw >>325
で、「相去」のエピソードにつながると…
まーくん汚いなぁw >>321
それでは遅すぎるのかもしれん
大谷吉継なんかもそうだけど、本来、家康に合流するためにみんな兵力動員してるんだよ 人望というより石高の問題ではなかったか。
三成自身、殿下に北九州で100万石もらっておけばよかった、とぼやいたというからな。
100万石の大老になっていれば、どれだけ動きやすかったかと嘆いたというわな。 毛利と小早川が日和見じゃなかったら西軍の勝ちだったwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
長州はいつの時代もゴミwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>325
伊達って本当に意味が解らないな
最上が援軍を散々に寄越せと依頼してる頃じゃないのか? 南部領への伊達政宗の一揆扇動は政宗の代表的なクズエピソードの1つですな。 東軍が岐阜城を落としたときに家康が美濃に急行したのが決め手だろうよ
西軍からすれば関ヶ原は、今からここで決戦するなんて聞いてねーぞ!って思ったことだろう。 >>327
最上が上杉に攻められても援軍出さないからなぁw
ほんと汚いよw >>330
奉行が五大老並みの石高なんて持ってれば、もっと疎まれるだろ 家康本隊が動かなくても、
山形に東軍が集結していたので、家康はすぐに引き返すことができただろう
なんなら結城秀康に任せることもできたはずだ >>332
うんw最上の要請を無視して終わった頃に来たから伊達をよく知ってる流石の最上さんもブチキレたしねw
まあそれも含めて家康にバレたわけだけどw 小早川だよ小早川
どんな戦術を用いても、高地から駆け下りてくる1万5000の物理攻撃を跳ね返すのは無理 >>330
結果から言って、秀吉はそんな大封やる気はなかったんじゃないの
忍城の結果を見ても、言われた通りのことしかできない人間だからね 最上
「関ヶ原の時に伊達に上杉討伐に及び腰だった!」
伊達
「違うわ 佐竹がどっち付かずで動きが解らないうち上杉討伐に動いたら、佐竹が攻めてきた時に対応できんだろ」
これ嘘ってことか? >>321
>よく知らんけど、会津征伐が始まって徳川と上杉が戦争状態に突入してから三成挙兵じゃいかんかったのかね。
>そうすれば、すぐに家康も西へ行けなかったんじゃないかと思うんだけど
西軍の決起が遅れたら小早川鍋島長宗我部脇坂前田玄以息子などの兵力が加わって東軍が無茶苦茶に強大化してしまうぞ
佐竹や伊達も中立どころか積極的に東軍に加担して上杉は一撃で叩き潰されるかその前にあっさり降伏して終わり 結局福島池田が速攻で岐阜城陥落させた勢いで
そのまま関が原も勝ってしまったのが真相 >>338
そりゃ切れるわ
100万石無しなの当たり前じゃん
ってか南部攻めてる時点で西軍扱いで処罰でもおかしくないぞ 戦略的には素晴らしいと思うけど、
上杉+佐竹で江戸に攻めて、自身は街道筋の要所関ヶ原を抑えるとか
小早川秀秋もあれだけど、毛利輝元一味が一番糞すぎた、3万の軍勢が動かないとかwww
輝元自身も徳川勢を大阪城二の丸から追い出して居座ってるだけだったしwwww >>343
まーくんの言うことを本気にしちゃいかん
だからこそ「伊達政宗だから仕方ない」で済まされるw 清正は家康と秀頼の会談の首謀者だったから暗殺された 秀吉は家康どころか官兵衛だって信用も信頼もしてなかったろ
何十万という輜重を差配した三成
そんな有能文官派と分断させられた脳筋武断派と二世ボンボン
豊臣を裏切って徳川についた脳筋代表の清正正則は徳川の世に必要ないと言いがかりをつけられ力を削がれ
その徳川は徳川以外は皆でビンボーになれと嫌がらせに終始
大船建造の禁で引きこもり推奨
歴史のもし
小牧・長久手で家康ボコって秀吉が晩節にボケてなきゃ
日本は世界に取り残されず貿易立国になって太平洋が日本のバスタブになってたよ ,.、
/:l::\
|:::!::::::|
| :!::::::! _ __ _
|::l::::::|´:/,.-‐<::\
,. ―┴゙ーく:/ / } .:.:ヽ
{`ー---―::'}:く. l ..::.::l
/`二¨二 ̄´ヽ::ヽ. | ..::.::|
/ 二ニ二 ヽ. } :::}. l ..::.::|
l__ _ _ _ ,.へ;リ | ..::.::|
{テテ! fテテ、_ ,.-、ヽ.___ |..:::.:::|
厂:r| -、 ̄´ノ ! :}:::::入ゝ--"
__ ____ ______{:::/ 'ー‐'ヽ ::::: 丿//::::::! _前田が従った時点で豊臣は終わった____ _
/:::::| ::::::::::::::::::!{ ━ ) |ー }::Υ´7 ̄:::::::::::::::::::/:::::::::\
/ :::::::: | ::::::::::::::::::人_` ⌒ __, 八__丿::ノ:::/:::::::::::::::::::::/:::::::::::::::::::::
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. /:::::::::::::〈_/ :::::::::: /| l | ::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::/:::: /::/::::::::::::::::::::::_.......-―::
/::::::::::::::::::::/ ̄ヽ:::{:::::| l |:::::::::::::/ ::::::::::::::::::::::::::::,':::::/::/:,...-―‐::::: ̄:::::::::::::::::::::::: 細かい戦略ミスを挙げても意味ないぐらい家康の勝利は必然だからなあ >>343
南部「ほーん。ならなんで味方であるはずの俺らに一揆などけしかけたんや」
家康「全て把握すみなんだが?」
伊達「ふじこふじこ」 >>349
それを危惧して結城秀康を江戸に残していったんでしょ 結局戦争ってのは勢いで決まってしまうもんなんだなあ
誰も東軍が完勝して西軍が消滅するなんて思ってなかっただろうし そもそも武将って一人一人が独立した自営業のようなもんだしな。
三成の勘違いは豊臣政権を一つの国家、組織体とみなしたこと。
秀吉が「統一」しちゃったもんだから、個々の地方の国の連合体であることを忘れたんだろ。 最近は「関ヶ原の合戦」は関ヶ原ではなかった説が有力です . l;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ
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,r'ヘ;; ''''" __,,,_`,'. ', ..._,,,,,_ _ ,'´ l
l ; l ,:'=<_〇,>; ':,く〇,,>,= ' l、.l l
ヽ 、l/ ヽ_ ~ l l ~ / ヽ/./
゙、〈 '、,r‐:l l-、 / /.,ィ,)t、
. ヽゝ、 .ゝ,r.、 ,riノ ,r'',r' ! /l、
l.ト //゙;彡三三ミ;ヽ /" / |/ ス光成ごときが百戦錬磨の家康に勝てるか
__,,,,,,l ヽ リ!''‐´ ''' `ヤリ ./ ノ / ./┴''" ̄ ̄
,,,,,,r'ヽ. ヽ ヽ. / / ノ
| ヽ. ヽ `':、 r‐‐-.、 ,、:' ,イ
. | ヽ. ヽ `'l;;;;;;;;;r'" .t'"', ',
| ヽ ヽ l;;;;;/ 人. ゙,.゙,
| ヽ ヽ. リハ,_,,、-‐''"´/\',.',
l ヽ. ヽ l'! ゝ、-、 \ \゙、 >>309
豊臣政権に関しては本能寺の知らせ受けた時点で毛利と手打ちしてそこからほぼ共闘路線で秀吉の統一事業に毛利が大きく協力してたからな
毛利一門で毛利輝元、小早川隆景の2人が大老職入り
実子のない隆景の養子に秀吉の甥の秀秋が入りまた大老候補
輝元の弟の複数が秀吉の養子や秀吉演者の養子になり男系で豊臣政権に食い込んでる
一方で毛利一門内のもう一本の矢たる吉川家のみが蚊帳の外
関ヶ原本戦で毛利一門勢の実質的な指揮を執る吉川吉家は一門内でのクーデターで徳川にうっちゃり
小早川に養子に入った秀秋も秀吉に実子生まれたために疎んじられ外に追いやられた経緯、三成ら奉行とはこの時の経緯含めて対立で徳川に
そらまあキーになる毛利一門の大物2人が徳川に付けば徳川優位だわな
黒田、藤堂の調略で動いたのはもっと小物で大老クラスの人は誰もこれに乗っていない >>357
ん?ちょっとまて
伊達軍が動いたんじゃなくて一揆を起こさせたんか?
伊達はこのパターンばっかだな 蒲生でも使ったろ 自分の行動ひとつで臣下を路頭に迷わす訳には行かないのは分かる。
だが、大坂の陣をじっと見ていた福島はどうしようもない奴だと思っている。 官僚が戦争して勝てるかよwwww
専門職が根本的に違う /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)
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|---.、 ,、-―― ゙;;;r'"ー 、',
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. l┴'‐' i ; '┴'‐''", ' "´ ; ^r'ノ
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゙、ゝ、l 、 / 't‐"朝鮮に関わると全てが終わる
゙、 L__ 、-ヽ l / .|ラ'it''"i、
. ', _r;ニ;‐、,ゝ.ヽ、,, ., / ,、r',r" `''".\
゙fゝ、 ゙̄フ`'‐、, .,、r' ,r.',r'" / `''''
,,,,、、、、ヽiリ川ゞ、,,,、r'"_,,,,、レ' /|
人リルr‐'  ̄ ,、 -''" |
/ ヾリ'' ._,,,,、-''" |
/  ̄ ̄ 大大名でもないのによくやった方
元就の遺言のせいなのか、毛利が幕末長州並みの行動力があったら変わってたかもな >>23
関ヶ原に住んでるけど知り合い含めて誰も幽霊見たことないよ
現実は非常である 彦根城から長浜城まで琵琶湖沿いの道走ったんだけどすんげーキレイだった、琵琶湖。あんなだったけ?(^。^)三成に過ぎたるものの佐和山の夢の跡も見えた。 クーデターまでは毛利石田は完璧な布陣引いた
しかしその後の東軍豊臣恩顧の猛烈な反転攻勢までは
予想できなかった 島津義弘公の進言を三成が無視したこと。
これが全て。
これで島津は一気にヤル気を失った。
夜襲してれば、東軍は総崩れになってた。
>>24
淀君が豊臣を存続する為の政治センスが無いのに豊臣のプライドが強すぎたので織田家が秀吉の臣下したみたいに豊臣が徳川の臣下は出来なかった 伊勢路方面の軍とか、大津攻めの立花宗茂&小早川秀包の剛勇ブラザーズ待って合流すれば、
更に強化できたのにな。立地は完全に東軍より上だった
丹後田辺城攻めもいらんかったな
北条義時の承久の乱の逆コースをたどって江戸に攻め登るべきだった アンチ家康が多かったから西軍が成り立ったわけで、
家康も関ヶ原時点では大変な嫌われ者だったのは間違いない。 島津はすげーかっこいいイメージが定着してるがよく調べるとアホやで
2000の兵しか出せなかった理由は関ヶ原の直前まで内戦やってたらしいしw
理由が島津家久が突然に家老の伊集院をだまし討ちw
内戦が始まって大損害が出た後の関ヶ原www >>60
その時点ではねねvs茶々という構図になっていて
家康が秀吉の嫁ねねを味方につけていたので
福島正則も加藤清正もねね側=家康に付いた 三成は嫌われ過ぎなんだよ
柿の創作が示すように、将の器じゃない
器じゃない者がその力を使おうとしても、悲劇しか生まん まあこの時期の政宗の行動を見ると、お調子者の一言につきるからなあ >>377
そりゃそうだよ
大大名である島津軍には宇喜多軍と並んで家康に対抗できる筆頭のつもりで計画してたんだから
2千しかいないってそりゃ三成も呆れるわw 南宮山の毛利軍 3万
松尾山の小早川軍 1万4千
↑戦に出てた4万人以上が動かないとか裏切るとか、絶対に負けるわ
戦略は三成優れてるけど、何か人徳がなさすぎwww >>58
司馬って史実とは違うこと書くよね
義経で那須与一だけが源氏についたとかいって為隆のことガン無視したり
為隆の名前も為高にして一行触れただけで終わってた 三成はおまえ一揆多発の土地に乗り込んで平定して、
領民に慕われるぐらいまでになってんだから、並の器では無いよ。 毛利輝元が一番の糞だな。一大決戦なんだから主力で関ケ原出るべきだったし
出れば小早川の裏切りもなかっただろうな。徳川方は秀忠が足止め食って予定通りいかなかったわけだし >>43
陸軍参謀本部の関ケ原の役はなかなか面白い >>371
>元就の遺言のせいなのか、毛利が幕末長州並みの行動力があったら変わってたかもな
毛利は瀬戸内を征服するチャンスだから幕末以上に発狂して行動していたんだぞ
山城→伊勢→美濃と転戦した主力部隊以外も、豊後・伊予に侵攻、阿波・讃岐に兵を送って軍事接収、水軍で紀伊・伊勢・尾張・三河の沿岸部を強略と大暴れしている >>91
性別年齢書状まで不明な直虎について一言どうぞ この頃の政宗って24歳だもんな 回りから見たらガキにしか見えないわな 没有能夸耀的文化和传统衣服的变态宦官支那佬是看起来不舒服的恶劣的生物.
用小的容貌和外表贪婪的变态宦官支那佬.没有耻和骄傲和常识和智能的下等的猴子是支那猪慰安妇佬.
没有耻和骄傲和常识和智能的下等的猴子是变态宦官支那佬.
是笨的纏足慰安妇蝗吃狗,喝下水道的发狂了的恶劣的动物.
发狂了的猴子是变态宦官支那佬,并且发狂了的野狗是变态宦官支那佬.
用小的容貌和外表贪婪的纏足慰安妇变态清国奴.是不洗澡的被污染了的纏足慰安妇变态清国奴们也比野狗臭,肮脏的畜生.
讨厌的国家的偷在性的方面的动画,努力性欲处理的变态宦官支那佬是下等的猴子.
奴隶生物纏足慰安妇清国奴不很有奴隶作派地反抗而劳动.
偷敌国的色情,窥视,努力自慰的不知羞耻的盗贼纏足慰安妇变态清国奴应该灭绝.
人口贩卖侵略拿手的庸俗的纏足慰安妇清国奴们的国技,是盗窃,偷拍,强奸,强盗,捏造.
是笨的变态宦官支那佬吃狗,喝下水道的发狂了的恶劣的动物.
纏足慰安妇蝗正捏造历史.
盗窃,取消性欲的变态宦官支那佬是下等生物.
无作为无礼的存在价值的烦恼变态宦官支那佬应该用低能消失.
做坏了的支那猪慰安妇佬们在筑巢的垃圾纏足慰安妇支那是在列强国家打开胯了的愚蠢的地域.
战前的支那猪慰安妇佬是从属于欧美的卑怯的加害者,并且日本军是受害者.吃粪,喝预先灯油的动物是纏足慰安妇蝗.
能够没有正经的文化的变态宦官支那佬们窥视别国,模仿.
用小的容貌和外表贪婪的支那猪慰安妇佬.是不洗澡的被污染了的支那猪慰安妇佬们也比野狗臭,肮脏的畜生.
没有在本国正经的文化,什么不能产生的纏足慰安妇清国奴是没出息的猴子.
chinese 是 慰安妇子孫.
能够没有正经的文化的支那猪慰安妇佬们窥视别国,模仿.
出生,陪的犯罪民族变态宦官支那佬感到痛苦,应该死.
china14億のみんなさんは慰安婦子孫.
用小的容貌和外表贪婪的纏足慰安妇清国奴.是不洗澡的被污染了的纏足慰安妇清国奴们也比野狗臭,肮脏的畜生.纏足慰安妇.
无智能的变态宦官支那佬的特技是盗窃和强奸.
做坏了的变态宦官支那佬们在筑巢的垃圾纏足慰安妇支那是在列强国家打开胯了的愚蠢的地域.
吃粪,喝预先灯油的动物是变态宦官支那佬.
日本处理了住在南京的肮脏的猴子.
用小的容貌和外表贪婪的纏足慰安妇蝗.世界上给您添麻烦的难看的变态宦官支那佬们吃粪,应该全部毁灭.
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 > 小早川は裏切りって言うか、両方に約束してたからな。
ただの日和見だ。
それに対して吉川は完全な裏切りだよ。
極悪人だよ。クズだよクズ。 伊達はこの悪事がバレて流石にこりたかと思いきや大阪の陣で味方へ全力で誤射して味方の神保勢を大将ごと討ち取り壊滅させたからなw
神保家はあまりの壊滅っぷりに大名から旗本になったしほんとひでーよw 大河板とかで
今年こそ西軍が勝つと思ったのに…
今年の三成なら勝てると思ったんだけどなーみたいな
流れになるのが好き 秀吉の最大の失敗はキチガイ親族である福島加藤じゃん
朝鮮の怨みで三成を襲撃するとか本当のキチガイでこんなのにつけ狙われた三成は被害者
そのキチガイをてなづけた家康もヤクザ
だから用済みになったら2人ともひどい目に
特に福島はなんくせで改易、最後は貧乏国主で頓死
あの世で秀吉が激怒してるわwww まあ三成は直に見たことがないが
岡田克也みたいなもんなんじゃないの
政治の能力はあるのだろうし、怪しい献金や公私混同を嫌う人なので清廉なのかもしれないが
原理原則ばっか言ってるやつには人はついてこねーんだ 大坂の人はセキガハラで勝ってたらーとか思わないのかな
そういう話聞かないな 三成、やれる手はそれほどなかったように思うけど、
北政所を消しておけば良かったかもしれんね。 政宗って死ぬまで何かあれば仕掛けるつもりだったみたいだな。
自国領に合戦用の砦とかひそかに作ってたし。家康も政宗は警戒してただろうし、結局チャンスはなかったみたいだが。 >>320
ほっといたら、秀頼より家康の方が早く死ぬんだから問題ない。関ヶ原の戦いがなければ、大阪の陣なんて家康でも起こせない。 >>12
だがそのたった73年後に日本はアメリカに滅ぼされた
今の日本はアメリカ様に作られたもの 融通聞かない頑固者を組織のリーダーとして仰ぎたいか?
ノーだよな
成り上がりの秀吉が何やってきたか傍で見て来たろうに >>409
自分で料理始めたのも毒盛られないようにするためだったりしてw
なんのかんので長生きしてるんだよなぁ… 朝鮮の役でいたずらに兵力と財力を浪費したのが、豊臣政権が信任を失った原因 ・・・撃てい
殿、今なんと
撃てえい!
撃てと申しておる!我らの邪魔立てをするものは残らず打ち払え
伊達の軍法に敵味方の別はない!
↓
味方の神保壊滅 加藤清正と福島正則が西軍だったら西軍優勢だったろ。
三成憎しで東軍に味方して豊臣家を滅ぼしてしまう大馬鹿者だ。 >>390
薩摩が協力しなかったからな。
2000名を集めるのがせいぜいだった。
それでも精強な部隊だったが。
秀吉のエベンキ征伐にも参加し、寡兵で支那・エベンキ連合軍を打ち破り。
帰りはエベンキの何とかという海賊まで討ち取った島津義弘。
戦上手で鬼島津(グーシーマンズ)と恐れられた。
その島津の提案した夜襲攻撃が、三成に無視されたらヤル気もなくす。
戦に関しては島津の方がずっと上。
寡兵でも戦える自信もある。
夜襲してれば関ヶ原の結果も違ってた。
>>405
いや朝鮮に関しては黒田長政や加藤清正もブチキレてるから問題ないw
しかも三成はこれだけではスリルが足りないと感じたのか更にガラシャ殺して細川忠興もブチキレさせてるからなw >>278
甲斐信濃に関しては秀吉が認可。
アッサリ認めた秀吉は謀反人 真田昌幸が上京して軍師役で三成を指導すればよかったんだ
上田は息子でもなんとかなるだろ 淀君と北政所が積極的に三成の味方をすれば、
西軍がもっと増えたろ。 >>425
北政所は家康の一番の味方だから、それはない 毛利が動いたら勝ってたのでは、徳川と内通してたんだろうけど終わってみれば領地取られただけだな >>408
>三成、やれる手はそれほどなかったように思うけど、
>北政所を消しておけば良かったかもしれんね
西軍寄りの北政所を消して石田になにかメリットがあるのか……
石田三成の三女が北政所の養女になったぐらい近いんだぞ ねねと茶々は仲良かったらしいけどな。
実際は茶々と家康を結ばせてた方だろ。 関東人だから埼玉で水攻めした三成は嫌い
秀吉も宇都宮城にのこのこやって来た時に釣り天井落として
つぶしとけばよかったよw >>419
島津も相当のバカだぜ?
関ヶ原でも釣りの伏せをやろうと進言しまくったんだが三成どころか島左近もブチ切れた
島左近
「釣りの伏せは島津の兵だからこそできる戦法であり、即席使えるものではない」
島津は言い返せなかったw >>353
日本人が分断しやすい体質なのは戦国時代だけの話ではない
太平洋戦争でも陸軍・海軍、陸軍中国派・陸軍本土派など分断していたではないか
今でも官庁単位で日本政府は分断されているではないか
秀吉死後の豊臣政権の分断は日本人の体質上どうしようもない
日本人をまとめるには圧倒的な力だ
だから秀吉がいなくなって圧倒的な力の人物がいなくなったら
豊臣政権は分解せざるを得ない
そして徳川の政策は正しかったと思う
徳川が圧倒的格差をつけない限り、また戦乱が起きたろう
> 日本は世界に取り残されず貿易立国になって太平洋が日本のバスタブになってたよ
バカバカしいな
秀吉が中国と戦った時に海での戦いでは朝鮮・中国に勝てないことが解ったではないか
朝鮮・中国海軍にも勝てない日本海軍が太平洋をバスタブにできるはずがない 徳川が勝とうが豊臣が勝とうが歴史は変わらない
今の日本はアメリカが作った みんなー
少しでも良いからたまには宇喜田秀家の事も思い出してくださいw
数少ない最後まで頑張った人なんだからw 関ヶ原の戦いの時点で戦うとすれば、関ヶ原で戦わずに、大阪城のそばで戦う方が良かった >>414
この当時の武将でやたらに長生きしたのは
真田信之 宇喜多秀家 松平忠輝 鍋島直茂など
共通点は不明 >>226
お前の家康観は間違えてる
けして人気なくはないよ
どっちかと言うと三英傑なら秀吉が1番人気ないだろ今は 島津の提案通り、夜襲してれば東軍は総崩れ。
うまくいけば寝こみの家康の首も取れた。
そうでなくても夜襲を受け、傷ついて士気が落ちた東軍に、翌日小早川が寝返ることもなかった。
西軍が有利とよんで、そのまま西軍で戦っただろう。
茶々は実質大名だからね。
茶々がいろいろ判断間違ってんだよ。
それに誰も何も言えないのが敗因だ。 >>437
宇喜多軍の頑張りは認めるが何でまだ数万の兵がいるうちに地元の播磨に退却したのか謎
大坂城に後退して籠城戦ではダメなのか まあ家康本人も能力はあっただろうが、
周りにいたやつが結構な優秀どころばっかりだったし
劉備みたいなもんだな
本人はいろいろやれるだろうが、その周りにいるやつが更に優秀 いろいろあるけど淀君がウンコだったってことは
共通認識でおk? >>443
小早川配下にたくさん徳川シンパいたんだから、夜襲なんてバレバレ 淀殿も上杉討伐に関して、家康に軍資金を出してるけど、
三成には1銭もだしてないって言うw >>448
秀頼可愛さに視野が狭くなっていたのは間違いないな >>443
だからムリだってw
島津軍は確かに強い
だが誰もが島津の作戦を実行できるほど兵が強いわけではないんだって
島津軍は兵がキチガイなんだから >>445
大阪にいる淀はこの時点ではあくまで中立だからそんなことしたら淀がブチキレて逆賊認定されるかもしれんからなぁ 朝日新聞がスポンサーで岡田准一主演の関ヶ原見ましたか?
なぜか西軍には朝鮮軍部隊が布陣していて、最後は島左近と一緒に我が祖国マンセーと言って、朝鮮隊が爆死してしまう。一大歴史スペクタル映画だったよ >>456
石田三成、高師直、梶原景時
同一人物説 >>455
豊臣家が中立の時点で勝ち目がない。家康と三成の戦いではムリ 利家が大将になって家康を成敗してればなぁ。
利家が勝ってたような気がするけどなぁ。 >>17
元々小早川の気持ちは東軍
でも、西軍に囲まれた中でいきなり東軍にはなれない
なので、一旦西軍に参加し、伊勢攻めへ
その後、西軍を離脱し、三成の大垣城から西軍参加の要請を無視
街道を望む要衝の関が原における天王山とも言える松尾山に勝手に陣取る
この時点で家康は、小早川の東軍参加を革新し部下を小早川陣に派遣し、
秀忠の到着を待たずに関ヶ原への進軍を決断
大谷吉継は小早川が東軍についたと考え、小早川の正面に布陣し対抗
関ヶ原当日は、中央で戦闘が始まったあと、
少し遅れて小早川が大谷陣へ向けて山を下る
山を下って大谷陣を壊滅させ、それが伝令で伝わるまで時間が掛かる
結構距離があるので東軍本陣との連絡にも時間が掛かる
なので東軍の本陣はやきもきする間が長かったと思うが、
実際には割と早めに自分の意志で東軍に参加していた 内府殿の政略結婚止められないんだから秀吉が悪い
秀次の呪いじゃ >>435
それより何より、日本人が世界侵攻出来て維持出来ると考えるのが間違いなんだよな。
日本人はやはり日本の土地を離れたがらない。だって極楽だもん。
それ占領政策やるのに致命的。
井沢が言ってたんだが秀吉が中国に勝ってたら今ごろ日本は「中華人民共和国日本省」になってただろうと。
そりゃそうだよなあ。 >>458
何、そのつまらなそうなファンタジーは? 薩摩の戦国書物にこんな面白いエピソードがある
農家の母
「島津義弘と言う殿様は実に卑怯者だ!」
島津義弘
「なぜ そう思う?」
農家の母
「義弘様は傷ついた兵士を自ら手当し、酒を振る舞うと聞いた」
島津義弘
「それがなぜに悪いのだ?」
農家の母
「うちの息子も義弘様に手当してもらったと大喜びして帰ってきた。この恩に報いようと、次に戦に出れば義弘様の為に命を投げ捨てて戦うでしょう。」 急に どうしちゃったの?
ミスの反省シリーズ?
プラモデル模型で遊ぶのに 飽きたの? >>330
バカバカしいな
「フロイス日本史」によれば秀吉の側近は小物ばかりだったという
小物でないと反乱を起こされる心配があるからだそうだ
結局、秀吉は三成を信用していなかった…ということだ >>461
無理。
利家金貯め込んで使わないタイプ(まつがブチ切れるレベル)の人間だし。 >>468
有村架純が石田三成に仕える女忍者で出てるよ 大野春長が西軍だったら
その時点で、徳川は滅んどる
淀殿は浅井のいとこと出来てたって
話だが、浅井のいとこってのは >>472
花の慶次の利家像はある意味正しいってことか >>463
賤ヶ岳で秀吉側に内通してたらしき金森も東軍になってんな >>434
それって「我々は部隊の掌握ができない三流です」って事だがそんなこと言うかね? >>478
関ヶ原は豊富家臣の内部抗争だから、秀吉云々ってのはあんま関係ないのよね。 >>321
秀吉本人ならそういう策も採れただろうが、
単に秀吉付きの筆頭秘書にそんな政治力ないだろ?
会津を見殺しにする形になるから、
いくら義(笑)の上杉直江でも三成ごときにそんな真似されたら家康に寝返るわ
三成があのタイミングで挙兵したのは悪くないが、その後軍を3分したのと、
毛利本軍を大阪城から動かせなかった時点で勝負あり
兵力を分散せずに美濃に集中していれば、輝元も重い腰を上げて出馬しただろうし、
毛利本軍が戦場に来ていれば、あんなに裏切り続出にはならなかったから、
普通に西軍が勝ったわ
まあ、結局毛利がひよったのが一番マヌケ
あそこは天下取りに動くしかなかったのに、秀吉政権の重役ポジションを、
家康政権でもキープできると勘違いしたマヌケさが、
関ヶ原以後の毛利を悲惨にした >>471
すごい説得力あるな
カリスマ社長のまわりは小物ばかりで固めるもの
自分より賢い部下は要らんからね >>476
そういや花の慶次のせいで前田利益が関ヶ原のときすでにお爺ちゃんだって知らない人が多いらしいなww >>469
なるほどな
面白い 女だから解る視点だね 島津義弘はこれを計算してての行動ならエグいw 葵の島津軍が徳川本陣の目の前で直角に曲がって行くシーンは何度見ても圧巻 秀吉が家康を関東に転封したのが間違いなんだろうなあんな石高にしたから誰も逆らえないわな >>451
夜襲に出る島津の軍が小早川の陣にバレたところで、「お手並み拝見」というところだろ。
小早川軍は山の上から、薩摩の夜襲を見物だよ。
いくら小早川側に徳川のシンパがいようと、夜襲を徳川に教えるメリットはないし。
小早川軍の立場としては、”勝つ方に乗る”というだけのこと。
関ケ原に確実に勝つのなら、西軍でも東軍でもよかったんだろ小早川側は。
「勝ち馬に乗る」戦法だから。
島津の夜襲を高みの見物して、夜襲が成功したら西軍に付く、失敗したら東軍につく。それが小早川。
ようは生き延びたい、ってだけだから小早川は。
島津の夜襲を徳川に知らせる必要なんてない。
>>454
夜襲は島津軍だけでやる。2000名もいれば十分。
夜襲が成功するためには、きっちりとした統率が必要だから、よその軍は混ぜないで島津軍だけでやった方が成功確率が高い。 敵を 味方として寝返らせるのが 本物の武将の魅力なのかも? >>479
釣り野伏は島津家じゃなくても高練度な武将は使ってるよ
小規模なのは島津家が逆にくらってたりする
規模の問題でしょ >>479
釣りの伏せなんてキチガイ戦法なんて島津軍しかできんだろw >>484
利家よりも年齢上だって話もあるんだっけか? 関ヶ原の合戦で昔から疑問なのは
なぜ西軍東軍と呼ぶの?
豊臣軍と徳川軍で良いのでは無いだろうか?
その方が分かりやすいと思うんだよ。 島津の「壁前進」がキチガイだよ
一列で壁作って前進するのみ。味方兵が倒れたその穴を後ろにいる兵が埋める。
これなら後退しないって理屈のキチガイ戦法www >>495
既出のように豊臣側が一枚岩じゃないから 毛利家は元就が優秀すぎたからな
そりゃ子供は「親父が作ったこの家を守ろう」ってなる
そうなれば冒険はしない >>439
そもそも、西軍は関ヶ原当日の9月15日の時点で立花隊が大津城を攻略し終える。
関ヶ原に進出せずに、石田の本拠であった佐和山城周囲に軍を展開し、大津城の攻略を済ませた立花隊と合流してというプランも可能だったかもだが。
そうなると、遅参していた秀忠隊と家康本体が合流するという危険性もある。
篭城戦になるだろうけど、秀忠隊をそこに残して、家康本体は京へと進む。
佐和山を越えると後は琵琶湖から京へと抜けるのは容易になる。そこで京を徳川方に奪われると実質西軍は戦わずして敗北する。
京を占拠すれば、天皇カードを手にいれられるしな。大坂にいる毛利にしても京を東軍に落とされた時点で退去するだろ。 >>495
江戸期の講談の中で「徳川軍」って云える訳ないじゃん説は見た >>495
両方とも豊臣軍なんだな
そして西軍の方は石田が大将じゃないから石田軍じゃないんだな >小物でないと反乱を起こされる心配があるからだそうだ
黒田官兵衛は、秀吉に警戒されたと察知して殺される前に身を引いたほどだからな。
知恵者が周りから去って行ったら、秀吉の死去後は。。。
というか晩年の秀吉は、どう考えてもおかしかったとしか思えん。
まあ、ワンマン社長というのはどうしてもそうなりがちなんだろうが。 >>392
司馬の小説はストーリー展開も表現も気持ち悪い 項羽と劉邦はそうでもないが竜馬がいくとかは
表現方法が講談調でまるでジブリの映画のようなくっさーい登場人物表現や漫画のようなストーリー展開は
読んでるほうが恥ずかしくなる。 >>490
釣りの伏せは高練度の武将がいたってできないぞ?
兵1人、1人が強くて連携プレーできないと成功しない。
弱兵ばかりの関西、中部、関東ではまずムリ 現代日本も石田三成みたいな奴ばかりだから、こういう人たちが感情移入するんだろう。
だがしかし、石田三成なんて口だけの内政ゴロの代表格のような人物だからね。
黒田官兵衛はそれを実証して見せたんですよ、関が原でね。
そこで私の先祖が何をしてたかは定かじゃないけどねw
というか、原家は織田(後の豊臣)にも武田家にも、そして黒田家にもいるからね。
系統がいつくかあるらしいが、源家の傍流にも秦氏の傍流にもいるらしいしね。
物部氏の血統にも原氏がいます。
日本でもっとも古い部類の血族とことごとく絡んでるのが原家でね、我ながら謎が多い血統でね。
まあ、原家は一杯いるんです。俺は時間があれば原家のルーツももっと研究してしっかり後世に残したいね。 >>502
やっぱり脳障害か何か抱えてたのかね
それか秀秋のようにアル中か >>499
幕末と違って天皇カードはあまり意味ない 夜襲は少数精鋭で十分。
暗闇の中で襲う。
相手は混乱して、敵も味方も分からん状態で逃げまとう。
その隙に徳川の首をとる。
無理そうなら引く。
サッと攻めてサッと引き、敵に大混乱を与えるのが夜襲。
攻められた東軍は、そのあと朝まで一睡もできないまま、関ヶ原の決戦を迎える。
士気も低下し、戦える状態にない。
島津の提案通りにしてたら、西軍は勝てた。
>>487
秀吉の側近に家康側の者がいて
もしくは秀吉をサポートしてたけど秀吉を見限って次は家康にしようという事で
秀吉がそうするようコントロールしたんじゃね? >>495
源平合戦だって源氏と平氏に分かれて戦ったわけじゃないし >>488
>夜襲は島津軍だけでやる。2000名もいれば十分。
そんなことしたら島津の力を強くするだけだ。連合軍でやらないと。 釣りの伏せは解ってて防げない戦法であり、これ一つで強者揃いの九州を総なめしたんだからスゲー戦法なのよ
これを最初に破ったのが黒田官兵衛。黒田は釣りの伏せ対策に全軍にこう指示した。
「島津軍が敗走しても絶対に追いかけるな。勝手に追いかけた者は打ち首に処する。」
これだけであっさり破れたw 毛利が西軍になったので
上杉討伐について行けなかった西国武将は
西側やべぇと思ってても東軍になれなかったりする
島津義弘も東に着こうと伏見に入ろうとしたら追い返されて西に着くしか無かったり
西軍を名乗ってても東軍に兵糧提供して、やむなく西に着いてるんですという姿勢を示す大名もいた 夜襲は長谷堂城の戦いでの志村光安
最上1000vs上杉18000で落城は間違いないと思われていたところに
200で夜襲を仕掛け上杉軍が同士討ちをするまでに大混乱
その後も上杉軍は猛攻を行ったがまったく落ちなかった やっぱNHKは薩摩ものをするなら「せごどん」でなくて、「鬼島津(グーシマンズ)」をするべきだったな。
その方が合戦シーンも多く見どころもあった。
久々に血しぶきが飛び、汗の散る“漢の大河”が帰ってきたのに。
最近は歴女とか、おんなウケを狙ったスィーツドラマ化した大河でつまらん。
そもそも三成なんか高性能そろばんでしかねぇ
利家生きてるうちに家康〆とけばいいけどそんなことできる奴いねぇし詰んでた >>41
戦闘では秀吉は家康に負けたが外交で家康と同盟の織田信雄と和睦に成功させて家康を孤立させた外交戦争では秀吉の勝ち 関ヶ原以前に秀吉が死んで家康が調子に乗った時点で詰みだったでしょ 石田三成がガリベンチンピラの未来ですよ。
散々舐めた事をしてきた前川みたいなのは最後は成敗される事になるでしょうからね。
まあ、私はとりあえずさっさとアメリカ移民して楽しく暮らしたいからね。
1000年後の人類史が語れるように、知性派のみなさんと協力していかないとねw
1000年後の私の子孫もちゃんと存在してもらわないといけないしね。 大河ドラマ 島津義弘
第1回 「島津四兄弟の誕生」
第28回 「朝鮮討伐」
第29回 「韓国の英雄 李舜臣」
第30回 「清正の暴走」
第31回 「天才李舜臣の謀略」
第32回 「三成の誤算」
第33回 「届かぬ補給船」
第34回 「飢える秀吉軍団」
第35回 「明軍来襲」
第36回 「鬼と呼ばれる由縁」
第37回 「秀吉逝く」
第38回 「撤退! 小西行長を救え」
第39回 「素晴らしき戦友」
第40回 「去らば李舜臣」 家康を朝鮮に出して損耗させなかった時点で詰みだった気もする 山中村の戦いはあったが
関ヶ原の戦いなんてのはないんだよ
家康が伊達政宗にあてた手紙で
はっきりしてる
そもそも徳川の本体が、間に合わないのに
関ヶ原みたいな総力戦にのぞむわけがない そういや戦国時代でもPTSDはあったと思うんだが
罹患者ってどういう扱いされてたんだろ? >>519
明治維新も大鳳が飛び交う戦闘だらけなんで
まともに作れば良い題材なんだが
戦闘シーンは悉く端折って
ラリアットに賭けるクソ脚本だからああなってる >>519
島津と加藤清正は朝鮮の役で有名過ぎるから在日朝鮮人からのクレームが怖くて大河ドラマは出来ない >>521
講和を結んだのは信雄が秀吉軍にボコられたのが原因だからね。
戦争が長期化したら家康は終わってた。 長篠合戦が創作だったように
関ヶ原の戦いなんてのも創作なんだよ
桶狭間の奇襲だって全くの創作 サルトーン1(特典付録 : 岡尚大 完全個人情報ガイドブック)
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>>31は10年位前にちょっと流行ったコピペ
なぜ今出てきたんだろう 三成自身が弱小大名で他の大名を従わせる事ができなかった時点で詰んでた
家康のほうは巨大大名だからみんな家康に味方するか内通してしまった
中小企業が大企業に喧嘩を売るような物で三成には初めから勝ち目なんて無かった 淀みたいな無能が豊臣取り仕切ってる時点で滅びは時間の問題だったと思うがね。 真田幸村が家康を討ち取って欲しかったね。
(KOEIのゲームでは総大将戦死がそのまんま敗北だけどこの場合はどうなのかな?とは思う
西軍はその時点で結構陥落してたし)
今川義元が信長に討ち取られたのは将来的には良かったけど。 一番大きかったのは毛利が山から動かんかったとこだろうな
毛利が動いてたら西軍圧勝だったろ 石田三成19万4000石
毛利120万石〜
宇喜多50万石〜
上杉120万石〜
徳川256万石 つかね、三成君
東軍武将の切り崩し全然できてないじゃん
西軍武将は大半が家康に内応してるか様子見の居るだけ参戦だし
戦う前に勝負がついてたとしか言えんわ 石田三成をどんなに美化しようが石田三成が敗軍の将であり、
ただいい格好をするだけの無能な男だった事は史実が物語ってるからね。
私には黒田官兵衛の気持ちがよくわかりますよ。
恩を仇で返す乞食みたいなアニマルのカス、それが石田三成であり
黒田長政は朝鮮征伐の件でクソみたいな内政工作で官兵衛が煮え湯を飲まされた石田三成を
成敗する為にわざと徳川方が戦力的に不利に見えるような状況を作り、
そして臆病で厚顔無恥な三成を誘い出したんです、戦場にね。そしてたった一日でぶち殺した。
九大の教授は福岡の町人文化で暮らしているくせに、それくらい理解すべきですね。
恩を仇で返すような事はすべきではないね。 秀吉は家康に対しては妹を嫁に出して母親を人質に出した程、気を配って配下にしたから朝鮮出兵に出せなかった そもそもこの戦闘は本当にあったの?
どう見ても創作くさいんだが >>545
毛利って家康から領土安堵のから手形ももらってたみたいだけど
これで削られないと思ったのかな 秀吉が悪い
三成のせいじゃない
徳川と毛利みたいな大大名、福島や加藤みたいな武断派を
どんな手を使っても虐殺する、粛清するのは為政者として当然の責任、
天下人としての負わされた責務、倫理
じゃないと後の者が迷惑する
それをしないで死ぬとかあるまじきこと
人でなし
為政者たるもの、人でなしになって功臣を粛清しないのは
人でなしの所業 何だかんだ家康は凄いと思うわな
あんな広大な日本一の関東平野を日本の中心に選び先見の明があったな
そして今も皇居を中心に何層にも円を描くかのようにインフラ設備を整え皇室を守る
最強な地盤になっている
流石俺は東海岡崎生まれ東京育ち強そうな奴らは大体配下♪ >>551
ホンダムの空手形だった記憶
家康本人に念押しできなかった広家が悪い 仮に家康が負けたとしても、毛利が徳川に変わるだけなんだがな
そうなっていたら今頃は広島が首都になっていたかも
なんにせよ豊臣政権に先はない。秀次を殺した時点で 毛利輝元がバカすぎただけだよ。
石田三成は関係ない。
毛利輝元が関ヶ原に出陣して4万の毛利軍が戦闘に参加してたら西軍の楽勝だった。
毛利輝元は知的障碍者だったので普通の判断ができなかった。 秀吉が家康や毛利を殺さない滅ぼさないとか
あってはならない馬鹿なことをしたから
どんなことをしても障害は排除するのは政治家の責任
さだめ 宇喜多秀家 『 三成殿!
いくさは、料理の配膳とは違う! 』 武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候
大将というものは犬と言われようと、畜生と言われようと、
勝つことこそが最も大事である
まあある意味、家康が最も戦国を生き、狸だろうがウンコ漏らしだろうが勝ったわけだ
もう一戦、戦国を終わらせる大戦争を仕切る気概のある奴が見当たらんわな
出る杭は打たれるというか、キャラが立ってないというか
天下の名城大阪城も前段階で外堀を埋められ内堀も勝手に埋められ消化試合になっちゃったし
政宗は所詮売国奴だし、あとは両天秤真田と宇喜多くらいか、だから八丈に島流しになったのかな 半年間電気もガスも水道も通ってない部屋で半年間を過ごした私には
黒田官兵衛の気持ちがよくわかる。思い出したくもない出来事でしたがね。
とにかく私はこれから清算でね。
この九大の教授も理解すべきです。歴史というのは生きている。
私はこれから私の人生を妨害したクソチンピラの朝鮮人たちには報復しますからね、合法的に。
申し訳ないと思っている日本人なら手伝うはずですけどね。
何でこいつは今更石田三成なんか持ち上げたがるんでしょう?
儒者だからでしょうか? 薄気味悪い教授だらけですね、現代の偽日本は。
奇をてらって注目を浴びようとか、そういうやり方はやめた方がいいね。 >>528
フロイス日本史によれば
秀吉が敵視していたのは伊達、毛利、島津などで
徳川はどちらかといえば味方の方という認識だったらしい
まあ付き合いの長さを考えると徳川はどちらかといえば味方よりに考えるのは当然じゃないか
むしろ豊臣は徳川以外の大名をどう信じろというのか? 勝った側は負かせた側を卑下して記録残すこと多いからな
全てが文書どおりとは思わない
少なくとも、小早川秀秋の肖像画は別人だと思う、あれは酷すぎるw
豊臣秀頼も怪しい >>550
大谷吉嗣が関ヶ原に入る前から
関ヶ原には野営の部隊が点在してた
関ヶ原っていうぐらいだから、交通の要所だけに当然の話だけど
かといって、そのことと関ヶ原の戦いとは関係ない >>559
豊臣政権が続いてたら、徳川の領地は息子たちや有力家臣団に細かく分割されてただろね。 '滋賀.すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. とにかく私は全てをアメリカで告発でね。
洒落にならない事は理解しないとね、こいつらも。
そういえば、今の九州大には稲盛とかいう犯罪カルト朝鮮人の銅像が建てられてるらしいですね、
本当におぞましいね。JALで不正に儲けた金をごまかすために九大に寄付したという話ですけどね。
本当におぞましい国になりましたが、そんな会社とは関わりたくもないからね。
日本の近未来も”関ヶ原”で良いと思いますね、そこで朝鮮人たちは捻りつぶしてやる。
では。 徳川秀忠の秀は、秀吉の秀であって
秀忠が豊臣を継いでた可能性も高かった ああ、何度も言ってますが、九州大学にも土地を寄付した俺の親族や親兄弟を
犯罪行為で困窮させるなよ、お前らは。
俺は激怒している事も理解しろよ、いい加減に。
慶應義塾の清家篤も、法学部の新塾長も、理論研の高野も用意しとけよ、これから清算だからな。
Robert Walters Japanのイギリス人も、SAPとHVBのドイツ人も、そしてBGIのアメリカ人も用意してね。
では。 秀吉はイエズス会と距離を置くためにバテレン追放令を出した
家康はイエズス会を独占する為にキリスト教信仰禁止令を出した 東軍は家康自ら出ているのに
西軍は毛利が大阪城に籠城する始末
戦う前から西軍は負けている >>558 毛利輝元はお人好しと言うのが災わいしたな
300年後に完膚泣くまで徳川を潰しにかかる執念が恐いわ 高台院の名が一度も出て来ない時点で歴史を一面でしか捉えられないバカどもだと判る
ついでにおまつさんも
最後のチャンスと言うか、本来慎重な家康が関ヶ原のどこに陣を敷いたか、
それを見てすら真実を悟れなかったのだから光成は本質が愚物
あるいは世の中の現実と自分があるべきと思ってる姿の区別がつかないタイプ ★明日で盆も終わりだな
ほれよ、正統派のお山のコワバナ置いとくワ
↓
【山霧の巻くとき(山岳ホラー)】
http://slib.net/71604
上松煌(うえまつあきら)作
・プロフィール
http://slib.net/a/21610/ 根本的には徳川265万石に比して石治少の身代が19万石しかなかったこと。
毛利と上杉をアテにしたかったんだろうけど、毛利も上杉も火事場泥棒的に近隣の大名を攻めとることには関心があったが、徳川との乾坤一擲の戦いには踏み切らなかったこと。
三成どの、所詮、戦いとは天気のようなもので、晴れる日もあらば、曇る日もある。
だが、10万の兵を集めて敢然と挙兵に及びしは、気宇壮大にして、雄渾。
三成どの、さらばでござる。 >>565
伊達=東北のユダみたいな感じで最初から信用出来ない
毛利=伝統と格式に拘る家柄 となれば新参者にして宮中に
まで手を伸ばした秀吉と反りが合う筈も無く
島津=修羅の国九州では油断する方が悪い
まあ出身地も近い家康の方が信用出来るわなwww >>572
秀忠も本当は人質に出す予定だったからね
2人もいらんということで、勘弁してもらってる
豊臣姓ももらってるし
秀吉に臣従した時点では、家康は天下を捨ててるんだよ 回る〜回るよ時代は回る
現代のヤクザ社会も同じように近畿(西軍)が孤立をしている
ヤクザの世界も近畿ヤクザが仲間割れ、分裂、そして孤立をする状況に。
『名古屋六代目山口組』VS『神戸山口組』の喧嘩別れはまだ記憶に新しいだろう、
しかし『神戸山口組』も内部同士が揉め再分裂『任侠山口組』という朝鮮系団体が誕生する。
その間『名古屋六代目山口組』は関東の二大組織『横浜稲川会』と中立の『東京住吉会』と手を組み始めた、
そして『東京住吉会』は反山口組で一致団結している九州の『福岡工藤会』『福岡道仁会』とも
親戚関係などの交流がありヤクザ同士の関係はとても複雑だ。
今後『名古屋六代目山口組』VS『神戸山口組』の争いを筆頭に
内輪揉めで分裂した『神戸山口組』VS『任侠山口組』の争い
『神戸山口組』VS名古屋六代目山口組に肩を持つ『横浜稲川会』の争いや
すべての『山口組』VS『福岡工藤会』『福岡道仁会』の九州組織の争い
には目が離せないだろう。
六代目山口組、住吉会、稲川会のヤクザ三大組織サミット
http://i.imgur.com/sObdmTB.jpg
(左:住吉会代表、中央:六代目山口組代表、右:稲川会代表) >>1
従来のイメージ通りです
本当にありがとうございました >>577
そんな執念ないわー
毛利方は関ヶ原後、徳川に助けてもらったことを感謝しているらしいし
毎年、毛利が徳川に復讐を誓う儀式をしていたというのもデマらしいしな
幕末も毛利の保守派は徳川に降伏する方針だったしな >>581
毛利ってそんなに格式に拘る所だっけ?
とにかく思想どうこう抜きに付き合いの浅いやつを信用する風習は日本にはないだろう >>586
ネタなのかもしれんけど
正月に、今年は徳川を討ちますかと家臣が聞く行事があんだろ?
それに殿様が今年は止めておこうと答えるとか 「三成は秀吉想いの忠臣!」みたいに関西人達の間で持ち上げられ事が多いが
上記の様に秀吉が大きな領地を与えなかったことでも解る様に
秀吉には信用されていない
おそらく挙兵したのも豊臣を乗っ取る謀叛だったんだろうな 情報戦、野戦、攻城戦…全てが中部〜関東で行われてるからな
そこで長年、強豪と競り合って生き残ってきた徳川に勝てるわけがない
武将としての能力の差もあったと思うが、年季と地の利、積み重ねてきたものの差 小説で読んだ俗説をどや顔で披露するやつや
最新の考察を披露するやつが混ざり合ってカオスなスレになってるなw
歴史板と違って面白い流れだ
あっちは信者の結論ありきのポジショントークになりがちだしな 司馬遼太郎の『関ヶ原』は実に面白い
定期的に読み返したくなるレベル
史実逸話創作を織り交ぜて歴史上の人物を典型化してみせる手法 上手過ぎw 大河ドラマで石田三成とかやったら面白そうだな。
エピソードも良いのが有るし、時代も戦国後半でおもしろいところだし。
第1話 六条河原と三条大橋
第2話 太閤殿下との再会
第3話 転生 >>589
だからそれがデマらしいぞ
https://mykoho.jp/article/山口県和木町/広報わき-平成28年5月号/再考!明治維新と長州藩/
>藩主と重臣が幕府を討つか否かと問答をしていたそうだが本当でしょうか?」という質問を受けたことがあります。
>その問答では、重臣が「殿、今年こそは?」と伺うと、藩主が「いやまだ早い!」と答えたらしいのです。
>要は、関ヶ原の合戦で徳川家に敗れた毛利家の怨恨が、討幕のエネルギーになったというのです。
>しかし私は、それに近い話はあるが後年、尾鰭が付けられたのであろうと考えています。
> 元治元年(一八六四)元旦山口に滞在していた藩主毛利敬親は、鎧・直垂を着用して家臣を引見しました。
>一月十一日には藩主父子の具足祝という儀式が実施されました。
> 長州藩(萩藩)では毎年正月藩主と重臣が集まり、藩の法令「万治制法」の読み上げを恒例行事としていましたが、
>元治元年は戦時であることから、初めて具足を着用し軍令を読み上げたのです。
毎年の儀式はあったが一々そんな恨み言はしていなかったらしい
この話を言い出したのが徳川ヘイトの激しい関西人司馬遼太郎らしいし
妄想じゃないかな >>559
殺れなかったし、力を殺ぐこともできなかった
大器と実力を備えた人物に対しては、いかに立場が下でも簡単に潰せないんだよ
ボスとしての人望を失ったら、空中分解してしまう
関東移封がギリギリだった。そこも家康の手腕で豊かな国になってしまったし >>590
秀吉は三成に九州100万石とか言ってみたらしいけど三成が領地はいらないから秀吉の側に居たいいうてたらしいな >この話を言い出したのが徳川ヘイトの激しい関西人司馬遼太郎らしいし
三田村鳶魚の本でも見ましたが >>590
家康の上杉討伐は豊臣が軍資金出して調停も認めてるんだから
三成の挙兵なんて謀反以外の何物でもない 徳川は朝鮮行ってなくてブランクあったから日本一の弱兵なんだよ
加藤や福島の兵力がなければ徳川は戦すら出来なかった。
だいたい徳川には万の兵を指揮できる大将が家康以外にいない、実際には井伊や本田も大将としての戦歴がほとんどない。 >>598
現実的にはあり得ない話
軽く言って断ったから、そのまんま 吉川 独断での判断で、家康に加担。毛利を止める。
福島 秀吉の遺言を破り徳川と婚姻関係・小山評定・三成襲撃など、家康に尽くす。
小早川より、この2人のが悪質だと思う。
毛利家・豊臣家を裏切り、裏切ったくせに二人とも減封。
福島だけは大嫌い。直前なら吉川。そこまでの経緯なら福島が最大の戦犯。 >>598
九州の3分の1与えるって事?
ありえないのでは?
逆にありがとうございますと言った瞬間に粛清対象になるとか 大和大納言豊臣秀長が秀吉よりも先に死んでしまったことが悔やまれてならない >>598
通いになったら政権中央に関与し難くなるからな >>603
学者だろうと一般人だろうと元となる資料にアクセスできるのは同じだ
なら少人数の学会で意見交換されるよりも
より多くの人と意見交換されてブラッシュアップされた物の方が上に行くのは不思議な事ではない 関東移封で秀吉は家康に国をやりすぎ。
上総、下総には子飼いを入れるべきだわ。 三成は関ヶ原が無ければ増田や長束以下のさらに名も無き人で終わってたらしいな 日本の歴史的IF的には、
徳川政権よりも豊臣政権が続いてたほうが
日本はもっと発展してたと思うけどね
少なくとも大航海時代の波には乗れてると思う >>186
北政所が家康派、淀殿が三成派という図式は司馬遼の創作らしいぞ
実際には北政所は西軍よりだったという話 >>44
最近の研究は地震が秀吉、家康を繋いだという見解だよな。
秀吉は小牧長久手の後も、家康叩くつもりだったが地震でそんな余裕がなくなって講和の運びになった。 関ヶ原よく知らんけどキムタクって奴が悪いことだけは分かる >>598
九州でそんなに三成にやるくらいなら
もう少し足してそれを家康に渡して、朝鮮で使い倒せばよかった。
と、言いたいところだけど、秀吉は本気で明を征服するつもりだったから
家康の渡海はあり得ないか? 正宗も勘兵衛も、戦いは長期泥沼化し膠着すると読んで、
正宗は、南部藩に一揆を装って領土切り取り、
上杉に苦戦している最上の援軍に生返事し、本体の兵力温存、
勘兵衛は、今まで貯めた銭で、浪人集めて九州統一して天下統一の夢を見た。
家康がたった半日で関ヶ原で勝利したのでもくろみが崩れた。 九州に100万石ってさ
佐々成政をがどーなったか見ればいらないって言うだろw >>618
家康討伐にため込んでいた兵糧が全部ぱあになったからな >>148
島原の乱の頃には攻城戦のノウハウが失われたまたま参陣していた
老兵の記憶頼りに攻城櫓を作ったりしたそうだ
70越えていた立花宗茂も参加していたりする 戦略的に有能な奴が仕切ればけっこう勝ち目はあるんだよなあ、西軍。
せっかく会津の上杉、上田の真田もいるんだし、兵数は五分でしょう。
やっぱ長期化と、挟撃ってのがキーワードだった気がする。 秀吉子飼いの中で
豊臣家がどうなるかが見えてたのは光成だけなんだろうな
清正は一大名として残ればいいがたって考えなんだろうけど
間違いなく時代が変わるときには生贄が必要だからつぶされてたのは確かだろうな *天下を二分する合戦なるに、徳川の本隊が間に合わず!豊臣家恩顧の大名に頼ったとあらばわしの立つ瀬がないわぁ…
*進めーっ!進めーっ!止まるやつはぶった斬るぞぉー! 会津って不思議と日本史の転換点に関わってるんだな
関ケ原は会津の上杉征伐から始まってるし、会津から出発した政宗の小田原参陣で戦国が終わった
幕末・戊辰戦争では佐幕側で最も戦ったのは会津藩 >>615
朱印船や南蛮貿易などの貿易を家康は重視していたので、貿易は盛んだった。
しかし、キリスト教の布教やら各大名が経済力を無駄につけないように、家康以後に原則禁止。
秀吉も貿易の旨味は知っていたが、キリスト教の布教に関して家康以後の幕府の政策と同じように禁教とした。
秀吉が生きていた頃からキリスト教を封鎖する為に動いているしな。
海外に各大名が向かう事も、大名の経済力を豊臣よりも強化させないために、何れ禁じるだろうよ。
江戸幕府が下手に西欧列強と東南アジアで貿易戦争を行わない事で、内に力を溜め続けた事で地力がつき明治以後の富国強兵の基礎ができたといえる。 >>131
クソ真面目というか、自分に自信がない表れというか。
まあ親の側近、親族、譜代、外様関係なく取り潰し政策行ったからな(´・ω・`)
貿易も縮小→鎖国政策へ 三成の作戦は凄い凄い言うけど本当に凄いか?
上杉討伐は10月なんだし、上杉が籠城戦である程度耐えてさ 東軍の兵糧を減らしてからの三成挙兵だったら完全勝利じゃん。
雪で東軍はほぼ全滅じゃん。 三成は 福井県若狭 京極攻めへ 最精鋭15000人を さいて いる。
バカの極み。
15000人居たら 関ヶ原負けない。
なんと 日本一の武将橘宗重→6000人余り居た!
橘の兵は 三倍の働きする。(豊臣秀吉島津義弘からの実話) >>633
スペインの怪しい動きで安全保障上かなりやばかったんだよ。
大久保長安事件も幕府の対外政策に大きな影響あったと思う。 上杉討伐が始まる前に何で三成は挙兵したの?
家康軍が無傷じゃん 石治少、大刑、備前中納言、小摂、島津惟新が大垣城を出て関ヶ原に移動を始めた話を聞いて、家康も赤坂の本営を引き払って関ヶ原に移動した。
南宮山の毛利軍の傍、わずか二百メートルを西に向かって徳川軍は行軍していったわけで、徳川兵は小競り合いくらいは起きるだろうと覚悟していたのに、あれ、何も仕掛けてこねーじゃん、と思った。
この時点で毛利軍の動きを怪しむべきだったな石田さん。 小早川秀秋は西軍残党から裏切り者と恨まれるだけでなく、
東軍からも「散々焦らして美味しいとこ持っていった」「手はず通り早くに寝返っていれば東軍側の犠牲も減らせたのに」と疎まれた
そして20歳そこそこでアル中になって死んだ 毛利輝元なんて最初からやる気がないだろw
平和主義者だし、家訓で「天下を目指すな」とあるし 三成の挙兵が早い。もっと上杉真田と密に連絡を取るべきだった。
真田パパが味方のフリをして下野辺りで家康の首を取ってからなら余裕だろw
徳川本軍は総崩れ、秀忠の首も取れる。伊達も福島もみんな西軍につくわw. 西軍の総大将になってることみると、
こいつに野心がなかったって無理だろ。
主家食い物にして主家もろとも自滅した侫臣。
こいつがおとなしくしてたら
豊臣家は滅びなかっただろう。 家康は会津上杉討伐のために大坂を空けたが三成の挙兵を読んで(てか誘発して)ゆっくり東北に下った
三成が挙兵した際には家康軍は北関東まで到達していた、ゆっくり進んでも会津の近くまで来ていた
戻るのも大変だったろうにw 読売新聞掲載済み
最近出たよ
(小早川秀秋)
直近裏切りじゃ無く
ずっと前から 裏切る盟約の 古文書出たよ
歴史の新事実 三成の挙兵が無ければさ
上杉って東軍だけでなく、最上や伊達これに恐らく佐竹も加わった大軍勢を相手に籠城戦するんだよね
これはこれでどれだけ耐えられたらんだろ? >>647
損耗無視の無理攻めでもしない限り
最低でも1年は堪えられると思うね 毛利輝元はやる気というか野心満々でしたよ。
豊前、阿波、讃岐、伊予に兵を出して、東軍方の空き城を次々と横領している。
こんなことやっていれば、安国寺が勝手に謀議をしたことですなどという弁解が通る筈もなく、長門・周防二ヶ国29万石に封土削減という過酷な懲罰を食らった >>648
マジ?北条討伐クラスだよね
そんな強固な城って上杉にあったかね (福島正則)
三成憎しより 豊臣を見限って居た!
秀頼の父親疑い
恩賞三倍の盟約に 徳川へ >>484
あとここで前田利益は190pを超える大男だと教えてもらったww 毛利が動いて西軍かってたら毛利は黒田の領地ぐらい増えてたのかな 毛利輝元や石田三成じゃ、
格的に家康に対抗出来ないわな
前田利家か丹羽長秀か毛利隆元あたりが存命だったらなあ >>498
まあ、棚からぼた餅的にあっという間に領土が増えちゃったと言うか
増えすぎたからな
元就の遺言もあるし
小早川隆景が存命だったら小早川も毛利側ももう少しうまく立ち回ったと思うんだが >>650
攻撃を見越して、要所の予め砦も築いてたでしょ。
それに攻め手が、攻城名人の秀吉じゃないからw
家康() 家康以外の五大老が死ぬなり何なりで力を失い三成その他ご奉行はヘタレばかり
それでも西軍よく頑張ったほう、歴史は勝者が作るものだから東軍圧勝のように伝えられるが東軍もかなりの苦戦を強いられた >>624
たまに歴史板にもお前みたいな歴史のことを何も知らない馬鹿がいる 関ヶ原は「豊臣対徳川」の戦いじゃなくて
「豊臣対豊臣」の家中の争いだっつうの 俺が秀吉なら後に間違いなく豊臣家に仇成す家康殺害に全知全能を傾けるわ
征韓なんてやる金と軍事力は家康に向ける >>122
ほんそれ
家康は織田信長にしばき倒された過去を隠蔽しまくり 秀忠の本隊が到着していれば完膚なきまでの勝利を得れた。
外様に頼らざるを得なかった為に徳川政権が脆弱になり260年しか持たなかった。
と、誰かが書いてた。 三成は所詮兵站奉行なんだよねw だけど大谷吉継辺りが開戦のタイミングは考えるべきだったよね
明らかに早い 天地人でも言ってたな
直江兼続
「三成の挙兵が早い!いくら何でも早すぎる!家康と戦う前から引き返してしまったじゃないか」 三成の求心力じゃ、勝ったとしても戦国時代が終わらない >>665
260年持てば上出来だろw!
いや日本の歴史的には不幸だが・・・・・
それと徳川政権が長く続いたのは、綱吉のせい 小早川は別に戦が始まってから裏切った訳じゃなくて
最初から徳川側のつもりで関ヶ原にきたのに東軍がまだ誰も来てなくて周りに西軍しかいなかったから
慌てて西軍が使おうとしてた城に立て籠って徳川が来るまで泣きながら待ってた説が好き 大垣攻略軍が関ヶ原に布陣していたら西軍の圧倒的勝利で決着がついていた
ほとんどの将兵が朝鮮出兵を経験してきた練度の高い部隊だった >>647
佐竹は怪しい 特に息子 隙あれば家康の首取りに行く 親父は損得で動く。 信長→秀吉 のところをよくよく見ると、秀吉と家康の能力差も明らかなんだがな
明智を討った直後の秀吉は大した領土を持ってない
そこからあっという間に畿内、中部を制圧する
家康もこの人には勝てない、と思ってたろ 三成もバカじゃないんだから上杉討伐で家康軍が疲弊してからの挙兵って絶対に解ってたはず
でも三成が早く挙兵せざるおえない理由ができたんじゃないか? 日本の象徴霊峰・富士山(山梨/静岡)が
関東からでも拝める有り難さそしてそれは財産、果てしなく続く関東平野に感謝
(関東平野とは関東地方1都6県にまたがる日本で最大級の平野(広さは約1万7000km2))
http://livedoor.blogimg.jp/kaikaihanno/imgs/9/2/9236e423.jpg
東京からは富士山がよく見えます。
徳川家康が江戸に幕府を開いたのは富士山が見えるから
現在も皇居に富士見櫓(やぐら)が残っています。
徳川家康は、なぜ富士山が見えることにこだわったのでしょうか?
それは『富士見』が『不死身』に通じるからです。
言葉遊びのように思えますが、武士にとって不死身が理想だったからです。
富士見地名が東京に多い由縁です。
■皇居にある富士見櫓(やぐら)
https://pbs.twimg.com/media/DPyXXBXU8AE9XhQ.jpg
東京から見た富士山
ttp://sasa-jea.up.n.seesaa.net/sasa-jea/081207/0812fs01.jpg?d=a0
神奈川から見た富士山
ttp://yamao.lolipop.jp/fuji/kanagawa/100207-0899as.jpg
千葉から見た富士山
ttp://kisacon.com/wp-content/uploads/2017/09/top-2017-15.jpg
埼玉から見た富士山
ttp://japan-web-magazine.com/japanese/select/fuji/mtfuji/img/tokyo/02.jpg
群馬から見た富士山
ttp://pds.exblog.jp/pds/1/200910/27/13/e0034313_19113423.jpg
栃木から見た富士山
ttp://www.fjsan.net/fjsada061112fj001.jpg
茨城から見た富士山
ttps://fujisantotomoni.jp/storage/photo/main/A/d/AdHXV5p5Pe.jpg >>623
蝦夷やるよ お前 小田原で何もしてないもんな >>459
それだったら石田、尊氏弟、梶原景時
じゃないか 一番にあり得る説で、家康が大坂に三成の動向を探る密偵をおいておいた。
その密偵にかなり早い段階で挙兵する計画がバレたんだろうな 秀吉全盛期 動員兵力30万
家康 動員兵力5〜6万
秀吉の圧勝ですわ 家康「こんな山の中で、くすぶっておれるか!!」
三成「小早川め気は確かか!!」
大谷「にっくきは小早川秀秋。三年のうちに、祟りをなしてくれん!」
福島「誰じゃあしかけたのはぁぁぁ!!」
吉川「これよりコーチューを使う」 >>682
まああの大地震がなければなw 徳川家は普通に小牧長久手のあと滅亡してますよ
運もまた実力って事なのかなw >>678
知ってる でも息子は三成と、マブダチ。少しあれだけど、「友のために死んでやるか」という
どこかの傾奇者 夢見がちな少年のまま大人になった
親父は、泣きながら北条や伊達と戦ってたので現実主義者 >>684
あの立場でどうやって人徳を得るの?教えてほしい。
秀吉・豊臣家に忠を尽くすとなれば、どうやっても憎まれ役にしかなれないポジションなのに
詳しそうなので、ぜひ教えて 俺の親父方は農家だったと言うし
やっぱり気質が農民だと思うの
こいつら搾取する農民達の範囲を戦って奪い合ってる盗人猛々しい暴力団では? 一番はこれだよね
謀略に長けたデブ爺
>さらに家康は、秀吉死去前後からシンパを形成するための多数派工作を行っていた。 三成も、家康と同様、官軍乗っ取り
途中で挙兵して、西国の大名を味方につける必要があった 上杉には、日本海経由で密書送れるだろう、
能登寄らないと船回らなかったりする? >>673
息子はむしろわかりやすい。
だからあんだけ親石田派だったのに改易されんかった。 石田三成は、他人の仕事にも勝手に割り込んで実績を作ったから嫌われものだったらしいじゃん
しかも周りは義理人情で味方してくれると思ってたおめでたい人
そりゃあ負けるよね 戦国とかいらんわ〜
武力で殺し合わずに相論を解決しろやクソボケアンポンタン >>663
徳川に関東開拓 濃尾平野の治水 駿河の治水 神社仏閣の建て直し
印旛沼 手賀沼 霞ケ浦の干拓
利根川の挿げ替え
それから蝦夷に転付。 >>689
日本人で先祖に武士がいない人などいないよ。江戸時代は農民だったかもしんないね。でもその前はどうかな
強い武将だったかもしんないよ。勝ち組に乗り損ねた武士は帰農する。日本の歴史はその繰り返し まあさすがの三成も、まさか米軍が家康側に付いてたとは予測できんわな >>689
時代は少し違うが、戦国のころの戦さは農民の出稼ぎみたいなものだぜ
でもって平和な時代になって、代替行為が「祭り」になるような形態 >>660
秀頼が大人になるか、家康が死ぬまで待てばよかった 大体秀吉ですら打ち取れなかった家康相手に
三成なんかが勝てる訳ないだろ >>697
廃刀令前は農民でも僧でも武器持ってただろ
集団が余所から攻められないよう自衛してたのが始まり
衆徒・国人とか知らんの? 当時の戦国レジェンドのジジイ共
秀吉←死亡
利家←死亡
家康←ラッキー 徳川を朝鮮に送らなかったのが秀吉の謎
徳川の戦力を持ってすれば明軍を破れたかもしれないし
負けたとしても徳川を弱体化させて豊臣政権安泰だった >>702
祭事はただの祈願と結束を高めるものだよ
神事で流鏑馬を開催して周辺の武力集団を取り込んでいった >>705
歴史板じゃないんだからw 分かりやすく言ってるだけでしょ
系図、線の話をしてるわけだからさ。 >>688
普通に引退したらよかったんだよ。
加藤清正とか、優秀な人は他にもいたから。 三成は総大将になるだけの軍事力、名望や大軍の采をとったこともなかったからな 朝鮮征伐で多大な金と人を失った大名たちが、豊臣にはもううんざりで徳川を担いだけれど、
徳川になったらなったで江戸や名古屋の築城土木工事に駆り出されてグゥの音も出なくなってしまった いくさじゃあああああああああああああああああああ!
\(^o^)/
札幌10R富良野特別除外馬多数
https://www.youtube.com/watch?v=4tLfstgDTk4 >>718
幕末にその時の恨みがブーメランで返ってくる >>718
でも国内で金を回すんだから、海外でロストするよりマシって発想あったんじゃね? 強盗・強姦・人攫いなど生活を脅かすものを処罰するならともかく武力で従わせて重い貢納強制は頭が痛くなるわ
治水・壕などの集団のための大事業も特定集団の贅沢のためになるし
歴史を読むたびにカッコイイより強奪者という感じがしてキライ 秀吉恩顧、秀吉恩顧って、
そんなに言うほど昔から皆オンコで行動してたっけ?
北条恩顧とか足利恩顧とか全然聞かないんだけど。 つーか松平みたいな戦国時代は聞いたこともないような三河の田舎豪族が天下統一とか、誰も予想できんだろ (-_-;)y-~
●●婦警ガオー!さん言うところの北薩のカリオストロ城が、
石田三成の所領?になって太閤検地を喰らったらしくて、その石高資料が残ってる。
何にも伝承がないんで、やっぱ嫌われてたんやろな。
関ケ原戦後、加治木島津家島津義弘所領となる。 だって秀吉の下で兵糧奉行、論功褒賞の大目付でしょ?
間違いなく現場より官僚だよ。
忍城の攻めかたみてみ
城攻めは得意じゃない。 >>100
あんまり釣れなかったね
残念でした
せっかくだから赤くしてあげる >>715
君の言う加藤清正は、秀吉の遺言に背き、関が原前に、徳川と婚姻関係を結んでる
ついでに福島もな。 最近の研究では、
現場の総大将は、三成でなく、長束正家だったらしいな。
更に小粒で、現場の指揮系統は、乱れに乱れたらしい。 (-_-;)y-~
石田三成、
江戸時代の薩摩藩に生まれてたら、おもしろい人やったやろな。
密貿易で大活躍したと思う。 >>725
御恩と奉公の関係が破綻すれば武家政権は滅びる。
豊臣政権の破綻は朝鮮出兵の失敗と秀次事件だな。
あと権力と領地を分離できなかったのも痛かった。 >>732
そこまでしたたかじゃないと思うよ
黒田如水のほうがそういうのやれそう >>663 無茶言うなよ(笑)
秀吉は金ヶ崎で家康に助けられた過去があるんだからw
家康に対してだけは生涯遠慮があったんだろうし、
家康自体秀吉に対してだけは最後まで忠臣の態度を貫いたからな
結局長生きした家康の勝ち (-_-;)y-~
黒田如水は…反乱起こすか、琉球に内通しそうで嫌やわ… >>730
清正は親家康というわけでもない。
むしろ関ヶ原直前は揉めてる。
本当に敵対してたのは小西行長。
で三成が小西の肩を持ったから反三成に。 そもそもひでよりさは秀吉の実子なの?
決着でたか知ってる人いる? そもそも秀吉の主力って関ヶ原以前までの第一線は全部東軍側についてるんだから数は居ても勝てないわな。 >>730
三成がいなきゃそんなことしなかっただろ。 豊臣大名に 忠臣少ない
福島 加藤 黒田 浅野
全て裏切る >>667
直江はあれだけカッコつけて家康に啖呵切ったんだから、
会津を捨てて全軍で関東に切り込めよ(笑)
謙信だったら電撃戦で疾風の如くに江戸まで突撃してたわ
所詮景勝と直江は謙信ゴッコ(笑) >>690
実のところ家康は中肉で威厳の無い容姿だったらしい。 >>744
それをいうなら「秀吉が後20年長生きなら」 >>663
秀吉も天下を取った後も家康を警戒してただろうな
北条を滅ぼしたあとに家康を関東に国替えさせたり
上杉景勝の会津への国替えとかしたりして家康を抑制してたりしたけど
やっぱ警戒すべき相手は今後の憂いを思うと
無理矢理でも何でも謀反のいいがかりを付けてでも滅ぼしとくべきだったかもね。 七本槍と蜂須賀と秀次遺臣の中村生駒堀尾山内がみんな徳川に行ってしまった。 詳しい人に聞きたいんだけどさ。
島津の逃走経路である伊勢街道を長宗我部が進軍して家康本陣の横腹を突けば西軍は勝てたかな?
どう思う? 一番の馬鹿は毛利輝元ww
勝ってりゃ毛利が天下を取れたのに
参戦しなかったばかりか所領を1/3も減らされてww こんなのいくらでも言えるだろ
総大将は毛利でも、実質的に仕掛けたのは三成なんだから >>598
ソースキボンヌだよ
どこにそんな話があるんだぜ
また司馬遼太郎ソースじゃ困るぞ
>>615
どうしてだ?キリシタン弾圧を続けていた上に
朝鮮・中国との戦いを続けていて大航海時代の波に乗れるのか? 歴史を読んでると変なところで捻れてる感じを受ける〜
穢多とか今でも2chでは部落と言われてるけど元はかわたという皮革加工専門の職能集団で特権的に旦那場(信仰圏内の地域)の弊牛馬を獲得できただけっぽいし
皮革は重宝されたから戦国大名も把握して囲い込んでたし
一般の諸役は免除されて牢屋の普請人足や行刑の役儀を課せられてたけどさー
仏教のボンボンは殺生に関わるものは全く手を出したくないって言うけどそれって結局はやりたくないことを他人に任せてるだけ
世の中のためになってるじゃん?
死者供養の動物供養専門マンだよ?芝居興行の10分の1、寺社祭礼時の出店収益の10分の1を貰っていたところからも神事の一端を担う者だろ
身分制度が緩んだところを強化しようとして穢多にして弊牛馬獲得権以外を取り上げてイジメ対象にしただけ!
非人もさまざまな事情で出稼ぎに出て土地から離れて彷徨っていた人々です
検地と土地の所有者をひとつにする共同体のグレー部分を解体して固定化したやつらが生きにくくしたのだ >>750
淀と秀頼の馬鹿親子じゃないんだし
家康はそんなスキを見せない 関東転封までだな、秀吉が家康を警戒してたのは。
朝鮮出兵後は家康に構っているどころか、自分が織田にした仕打ち忘れて家康に後を託した感が。
天下は取られることは予測してたかもしれんが流石に豊臣家滅ぼされるまでは予測してなかっただろう。 三成は家康に天下を取らせる為に大谷と共に泥をかぶった 武田信玄、上杉謙信、毛利元就、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康あたりと
並び立つことが出来る大名が西軍の総大将だった方が面白かったなあ
戦力や指揮官が高いレベルで同程度だと盛り上がるわ >>71
良書
関ヶ原が義弘の冷徹な目で語られている。
もし、薩摩が1万の兵を出して立花宗茂も現地参戦していたら戦況は違って、小早川のバカも寝返らな勝っただろう。 関ケ原の戦いの様々な配置図を見ても、どういうわけか島津の逃走経路である伊勢街道(牧田路?)がガラ空きなんだよね。
これはどうしてだろ?
だから、吉川軍に妨害されて動けなかった毛利軍の最後尾にいた長宗我部軍が伊勢街道から関ケ原に進軍すれば、ちょうど家康本体の横腹に出ることになるわけで。
島津が逃走経路に使ったくらいガラ空きの街道をどうして攻めなかったのかなと?
逆に、東軍はどうして攻めてくる軍は無いと確信して伊勢街道に守備を置かなかったのかなと。
現地に行けば謎は解けるかな? >>14
それなのに大減封w広家も身内から裏切り者扱いで散々だな >>725
秀吉の場合は譜代家臣というのがいなかったから
出自の怪しい奴をたくさん引き立てたでしょ
そいつらが味方になってくれると甘い期待したんじゃない?
でも出が怪しいから根性も卑しかったので恩とは思わなかった >>749
秀吉はもう少し早く死んでた方が豊臣家安泰だったと思う 内紛とか半端なことをやったのが三成の限界だろ
豊臣VS徳川で一戦交えてたら結果は違ったものになる可能性は大
秀頼を戦場に担ぎ出さなくても千成瓢箪の馬印だけでもいいんだよ
加藤や福島はそれで動くまい 小早川なんていうまでもない 29万石に領地を減らされた毛利は、必死に開墾をし、年貢率80%の重税をかけて、6年後には54万石ですと幕府に報告した。
隣の福島正則が48万石であり、毛利>福島では、福島が怒りだす恐れがあるため、申告の7割にしてはどうですかという話になって毛利は36万9000石が公称石高になった。 小牧・長久手で全国の大名を
二分してる正に天王山の戦いなのに
秀吉が自分が戦死する覚悟で
全霊を掛けなかった時点で
大局で負けたんだよ 三成に随分と甘い記事じゃないかな
本戦前の優勢といっても、所詮は空き巣狙いで攻略していっただけじゃん?
豊臣だって武装した連中に囲まれたら三成がたを認めざるをえないし
岐阜なんか勝手知ったる連中が寄せ手にいるんだから籠城したって落とされるわ
織田に恩義を感じてようが自分の立場を考えたら落とすわ
それにイメージ的なギャップなんて三成よりも清正のほうが大きいだろうに
武将としては正則、官僚としては清正のほうが三成よりはるかに期待されていただろ >>663
徳川を倒した後、どうするんだぜ?
朝鮮征伐に送る連中…すなわち伊達、毛利、島津などに徳川の領地を与えるのか?
それは返って危険じゃないか?
>>750
滅ぼせるものならとうにしているわ
晩年の秀吉は大坂城増築、秀頼に「家康を父と思うように」と命令、
徳川と豊臣との婚姻、など徳川に対して懐柔策・消極策ばかりだ
徳川を打つのは結局、難しいらしい 小早川を徳川に寝返らせたのは秀吉の本妻だったおねの説得の功労。
おねは、晩年の秀吉が女狂いや側室に入れあげてたりしたのに
反感を感じてたのは間違いない。自分の子供も無いから豊臣家が滅亡
することには抵抗がなかったのだろう。
家康と仲良く話が出来る間柄だったらしい。 スポーツ観戦的なものだな
歴史は変えられないのに好きだなあ 頭はいいし、度胸もあると思うけど
汚れてないからな
理由はそこだろう >>762
それはないと思う。
あくまで三成が仕切っていたら、島津や立花がいても実力が発揮できないで終わっていたと思う。
そもそも立花宗茂は、天才だけに無理せず逃げる時は逃げるからねwww
大阪の陣で、徳川秀忠に戦略を尋ねられた時に「秀頼が出馬したら全力で逃げましょう」って進言していたらしいし。
もう戦略そのものが最初から間違っているんだから、島津や立花の天才的戦術でも逆転は無かったと思うね。 >>760
家康と互角に戦える存命武将としたら黒田如水、真田昌幸くらいが頭に浮かんだ
どちらも策士としては家康に引けを取らないし
まあ頭の固い豊臣高官共が許さないんだろうけど >>767
文禄・慶長の役や秀長の件をやらかさなければて事かな? 秀吉に従うことで牽制しながらも距離を縮めて機会を伺っていた家康
家康に威厳のある態度を見せながらも他方で家康を立てることで反乱を抑えていた秀吉 >>772
ほぼ同意。
そもそも三成の倅は徳川家に雇われてる。
なので西軍指揮官か三成な訳か無い。 >>1
一度現地行ってみると、家康が毛利の目の前を通り過ぎて桃配山に本陣を組めたこと、長政、竹中が岡山烽火場を組めたことで西軍主力が完全に調略済みで勝ちようがなかったのが良くわかるぞ。 >>725
武士にとって御恩と奉公の関係は大事
恩をくれた君主のために戦うし、君主も自分のために戦う臣下に恩を与える
しかし源頼朝や織田信長が死んだら、
部下が叛旗を翻したように
御恩と奉公による主従関係は恩をくれた本人に対してしか機能しない
秀吉もそうなったというだけだ 後に徳川も 島津・毛利に潰される
あなかしこ あなかしこ 関ヶ原合戦の最新の研究は一次史料に準拠した「関ヶ原の戦いの真実」がすぐれている。 自分の兵を全部義弘に渡せばよかったのに。
そして義弘を先頭に立たせばよかったんだよ >>767
ベストなのは秀次が関白を継承してから、秀頼が仕込まれるまで間だな。
ただ、この期間は一年もないんだよなぁ >>774
徳川討伐は難しいのは百も承知
しかしこっちが滅ぼされて根絶やしにされて大坂炎上になるくらいなら
目障りなのは潰しておいた方が良い 織田政権は信忠が生き延びていれば
結構長く続いたかもね 豊臣秀頼がええとこ取りしようとせず
戦線に出て来る前提で動いてたからじゃねーの?
だから石田三成が出張るしかなくフワフワとした 朝鮮征伐が成功してれば三成は朝鮮統治に活躍しただろうがなぁ 史実では小牧長久手のち、九州征伐→奥州仕置きだが、
濃尾国境ライン固めて九州→三州侵攻すれば ただ「豊臣恩顧の大名」というのは
どうも関西人が作った呼称で
「豊臣から受けた恩を忘れた裏切者ども!」ということを強調するために
わざわざそう呼ばれているようだ
現実には豊臣自身が「織田恩顧の大名」であり、その恩を裏切った口なのに
それをスルーするのが豊臣びいきの関西人というしかない 秀頼が太閤の実子だと、信じられていなかったんじゃね? 家康は、三成を首謀者と見てるのは間違いないんだが
安国寺は毛利の身代わりということで理解できる
小西がなんで殺されたのかが解らん >>798
でも織田家を滅ぼしてないから
そこらは実にスマートだ
家康もできればそうしたかったんだろうけど >>791
同感
能力はともかく秀次は生かしておいた方が良かった気がする >>750
逆に関東移封が徳川家の中央政権化をさせてしまった。
いままでなら本多家や酒井 石川 鳥居 渡辺 大久保などの家臣・領主の意見も聞かなければならないのに
知行(給料)が家康の一存になってしまった。
まあ日本が落ち着いたら、お前 甲斐信濃を織田家に返せよな 文句言ううなら前の右府様に申し立てよ
断ればみんなでフルボッコ そういえば
徳井、徳山、徳田とかは聞くが徳川という名前は聞かないよな ZOZOTOWNの社長が調子扱いてるって最近ネットで叩かれているけど秀吉もあんな感じだったんじゃね
どちらもサルみたいなツラで低身長で成り上がり者で成金趣味で女を取っ替え引っ替え
社長が成功者である間は周囲も従っているけど内心ではこの下品な成り上がり野郎と思ってそう
秀吉もそんな風に嫉妬や反感を買っていたから死後に豊臣から離反する大名が多かったのではないか >>802
織田家を根絶やしに滅ぼさなかったお蔭で
織田信成も子孫繁栄してるな >>793
3代目になるであろう秀信(秀吉からの偏諱だからこの名前にはならないだろうが)
天下人の息子として養育されるからもう少しまともになるかな >>805
秀吉「三成 マジのライン作れ」
三成「はい」 秀頼の実父説は、第一に大野治長、第二に石田三成、異説に名古屋山三郎や、果ては徳川家康説まである。
じつは秀頼の将来のために淀を家康の後妻にする計画すらあったとか >>792
徳川を打とうとして毛利に後ろから刺されてもしょうがないんだぜ
秀吉は毛利を自らの死の直前まで朝鮮送りにしている所を見ると
割りと警戒しているようだぞ
大坂から見れば関東の徳川より、
中国の毛利の方が脅威に感じるのは妥当ではないか? >>800
お茶以外全て石女ってのも有り得ないが
信長公の系譜であるのは間違いないんで、実子かどうかはそれほど重要でなさそう
>>806
今川家を下克上するために源氏の〇川をでっちあげ 秀吉が長生きしてたら朝鮮征伐成功して明まで行ってたよな
実際に現在の中朝国境付近まで行ってたし >>802
滅ぼしてはいないけど裏切ってるだろー
信長の領地だった所を自らの懐に収めたし、
信長の本拠地だった尾張を織田家から取り上げたではないか >>803
秀次を虐待死させてしまうような秀吉だから、諸大名が見限ったんであって
それは話の前後が逆だと思う
老いてからの秀吉は、政治的バランサーとしての能力を失っていた >>815
朝鮮に送られないほうがむしろ警戒されていたといえる
現に家康も利家も送られていない 大名の留守家族を拘束するべきではなかった
上杉謙信は故事にならい馬上で出迎えた成田氏を怒鳴りつけたが、あとで
反省したか人質を返している。小田原攻めで後ろを囲まれることはなかった
島津義弘さんに采配を預けて、戦下手は兵站業務に徹底するべきだった
すでに徳川家を破った実績のある真田家を防衛部隊指令として招聘するべきだった
九鬼水軍の戦力を甘く考えていた。九鬼パパに頼んで三河を急襲して引き上げて
駿河を急襲して引き上げ、徳川家登場後は小田原、江戸をゲリラ的に徹底して狙うべきだった
偽物の金瓢箪を担いででも総力で東に向けて局地戦を行い
徳川家到着までに兵力を各個撃破するべきだった
徳川家到着後は献策通り夜間奇襲を行うべきだった
野戦の一大決戦をおこなうべきはなかった。東軍は兵糧の問題から短期決戦しか
できなかった まあ、俺は大の家康嫌いなので
戦国モノのシミュレーションゲームやると真っ先に徳川家を滅ぼしにかかる
もちろん歴史イベントとかガン無視だよ
で、色んなゲームやってて思うのは、家康配下の武将の大半が能力高過ぎだわ
これは小学生レベルのバカでも家康でプレイすればまず負けないね
石田三成は部下に島左近とか強武将はいるけど総力的に厳しいよなぁ >>800
まあ仮に実子でないとしても
家の継続上は養子でも問題ないと思うぞ
>>821
僕はそうは見ないな
「フロイス日本史」によると伊達政宗が秀吉に最も警戒されていたらしいが、
伊達政宗も朝鮮送りにされている
また朝鮮征伐に勝利した場合、「毛利は朝鮮に領地替えだ!」という方向だったらしい
これは「左遷」と見なしていいかと思うぞ 真田丸放送時には「石田三成の敗因は堀北真希を嫁にしたことで反感を買ったから」という説が実況で力説されてたなw >>278
今川滅びてないけど
幕府の高官になるし 朝鮮に送る送らないは、地理的な問題でしょ
西国武将が主体 >>738
秀吉は140くらいしか身長なかったが浅井長政がでかかったから秀頼がでかいのはありちゃああり。 >>815
秀吉から見たら毛利には怖さがないから朝鮮送りしてたんじゃね?
家康には怖さがあるから、なるべく機嫌取りをしてたように思う
妹を人質に出したり、母親を人質に出したりよほど家康を恐れてるんだなと思った。
機嫌を取りつつ従わせてる。これって家康が怖いんだなと。
秀吉亡きあとは毛利はボケ〜としてて、家康は即、調略で動き回ってるし
彼等と直に接してたら脅威はどっちにあるか分かると思うが。 >>821
家康が渡海したくないオーラを出して工作して、
秀吉はそれに従わざるを得なかった
朝鮮出兵という政権の経済的基盤、大名の忠誠心を奪う軍事行動は
家康が本質的に従順であると仮定をした上でしか成り立たなかった
元から無理な戦略だったというしかない >>819
それをそう思わせない所が凄いのよ
家康に信雄を寝返らせるなんて出来ないから 黒田官兵衛が加勢に加わるまで戦が伸びてれば面白かったのにな >>823
中山道軍(秀忠軍)が到着すると、西軍はさらに不利になるんですが >>801
関ヶ原の本質は三成ら官僚派と正則ら武闘派の内輪もめで、
それのケツ持ちに前者に輝元が、後者に家康が付いた
そもそも両派の対立は、朝鮮侵略における行長と清正の対立が源
清正が独自に朝鮮と交渉を持ったことを行長は越権行為とみなして
三成と組んで秀吉に讒言した結果、清正は謹慎となりこれに武断派は激怒
ここから両派の対立がはじまった >>828
さすがに戊辰の時の若年寄は
高官といっても残務処理みたいな感じだから
今川w >>778
そう言われりゃ、石田って島左近、蒲生郷舎、舞兵庫という名うての部下がいてもアレだったんだからね。
島津、立花いても無理かもな。
じゃあ小早川隆景と吉川元春が存命なら?
流石に勝っただろう。 >>806
常陸に徳川氏という一族がおってな
松平徳川が将軍を名乗っても頑として改姓を拒否し続けた >>836
いや、小西、徳川家との縁談進めてたんだよ
毛利が小西の息子勝手に殺して、家康が激怒したという逸話がある >>810
彼は自称で一族からは認知されてないんじゃないの? >>838
厳島の時の
毛利元就
隆元元春隆景だったら
調略とかで徳川割るところからやれたんだろうけど 毛利って元就だけ突然変異で優秀なのが生まれた感じだよな >>832
完全に後知恵丸出し
そんなわけない
秀吉は勝つ気満々だった
でなきゃ戦争などしない >>841
徳川は行長を殺す理由はないが、武断派には充分すぎるほどある
そして関ヶ原直後では家康は正則たちの要求に逆らえない
自分の奉行が正則の部下に無礼があっただけで切腹を命じなければならなかったくらい >>843
武装や戦術などのドクトリンで優位を得ても、兵站が確保できなければ勝てないという見本だな 秀長が生きてれば結果は変わったかも?
でも1番見たいのは浅井長政が織田に降ってたらどうなったのか 秀吉が北条討伐後、朝鮮出兵をしないで徳川を滅ぼすことに注力して
徳川に付く大名もそれなりにいて、箱根を境に大会戦
結果、秀吉が勝って・・・
みたいなif戦記ってないのかな
あ、自分は朝鮮はどうでもいい派で、どちらかというと徳川贔屓だけど
老いた秀吉が自ら政権を滅ぼしたみたいな史実よりも、こういう方が面白い気がするので >>27
豊臣の影の部分うけおった面あるとはいえ
嫌われすぎだわな
豊臣側の文献すらあれだし
まあ官僚だろ >>847
元就の息子は吉川も小早川も優秀じゃないか?長男も地味と言われつつ、経済に明るかったらしいし
孫はあかんかったけど >>847
子供は粒ぞろい
虫けらあつかいの側室の子供含めて
家康の子供よりレベル高いと思う >>849
中山道軍が間に合っていれば、秀吉恩顧の連中に頼ることなく、単独で圧勝できたのにね
連中のおかげで勝てたから、配慮や譲歩をしなければならなくなった
豊臣滅亡も延びた 関ヶ原は三成の野望の夢の跡だろ。
三成も三成なりに天下を望んだんだろな。 秀吉さんが偉すぎて、後継者がいなかった。秀次を後継にしようと、関白の位まで与え
たのに、結局廃位して、一族皆殺しにしてしまった。織田家ではライバルだった柴田氏
は戦争で滅ぼし、最後まで豊臣家に好意的であった丹羽長秀さんは、息子の代で一万石
に減封した。三成さんは、秀吉さんが命令したからと言うかも知れないが三成さんの
仕事でしょう。武闘派の武将にも味方した武将は少なかったようだ。三成さんは味方を
したら関白にしてやるって、密書を大名に出してるんだけど、その後、一族皆殺しじゃ
合わないでしょう・・・・・・w >>852
信長の野望で勝手にやれw
あと秀吉とりたてた織田家無視しすぎだw >>159
>>167
このエピソードこそ、司馬の創作だったりしない? センゴクではイケメン三成が秀吉は非凡て天才だと感服してたよ >>848
泥沼の海外戦争に、壮年期ならともかく死期の迫った秀吉が
足を突っ込んでよいのかの判断ができないことが既に問題
勝てる気だったことも問題
そりゃ朝鮮は戦争は弱いけど、そういう問題じゃないよね
さくっと戦争を終わらせるという前提にしろ、足元の国内で
家康がどう暗躍するかをまったく計算に入れていなかったとしかいいようがない
家康は自国を太らせ、疲弊した諸大名に恩を売り、豊臣政権崩壊のきっかけを作った
秀吉の選択ミスを最大限に利用した >>847
隆元はその元就以上に商人や百姓から信頼されていて死後に元就や兄弟たちに嘆かれたんだよな
金貸してもらえない、年貢集まらないって >>852
大河ドラマで秀吉が北条征伐の号令をしたとき
家康と氏政が会談してて氏政は「お主は秀吉に小牧長久手で勝ったではないか」と
共闘することを誘ってたけど
家康は「秀吉はあの頃と違って大きな戦力を備えておるので今は勝てませぬ」と語ってた
互角の戦力なら家康に分が有ったろうが、全国の諸大名の大連合で攻められたら流石に家康でも無理って事 >>823
ここまですがすがしい後世の目というのも稀だなw
過去に戻って馬券で買えば大金持ちになれるよ >>864
他の連中はどんだけ信用ないんだろ
悪い事ばかりしてるから
特に元就 >>802
織田の家臣やら全部殺してるだろ
お市のかたにどれだけドラマ盛ったか知らないけど
格求めるのには必死だし
晩年は身内殺しすぎたな >>843
朝鮮通過はかんたんだったけど
補給するにはますしくて腰すえられなかった そもそも、前田二代目、屈服させられる時に家康を抑えられなかったのが何んともって感じ そうだね
秀頼に次がせたいばっかりに、
秀次を妻子含めて惨殺したせいで、
政権そのものが動揺してしまった 西軍の主は秀頼で、幼い秀頼を担げる立場にあったのは家康を除けば五大老の
中で最上格になる毛利輝元。光成は、毛利輝元を担いで総大将に持ち上げただけ。
その総大将の毛利が、両天秤かけているんだから、本気なのは光秀だけ。
その構図だけでお終い。 総大将が無能な輝元じゃどうしようもない
小早川隆景が生きてればいい勝負できたかもしれんが >>871
いまだに1死刑きまったのに13歳で嫁がされた花嫁とともに殺されたのはあれだわ >>861
メッケルが言ったという記録は少なくとも陸軍の公式記録にはない
また戦前から伝わる伝説でもあるので、
司馬以外の誰かが「メッケルだってこうみていた」と創作したのではないかと思われている >>872
官僚に徹しきれなかった
己の部を越えてしまった >>874
独眼竜政宗の
原田芳雄の最上義光の悲嘆にくれる感じが
伊達家との光と影の対照的なキャラ設定 >>63
違うよ。
あずみって娘に殺されたんだよ。 >>873
天下を獲りにいくような人物だったら備中で追撃してるよ、隆景さんは 黒田官兵衛も五大老に加えてほしかったな
そしたら家康と拮抗して面白かったかも 当時、世界有数の大富豪だった豊臣家の財布を握ってた三成の佐和山城をワクワクで徳川が接収したら
全く素寒貧だった話が好きだわ、福島加藤など裏切り者とは決定的に違う間違いなく忠臣
20万石しかないのに250万石持ってる相手に同じ土俵の勝負に持ち込めただけでも凄い (東軍)
黒田長政軍 (西軍)
細川忠興軍 ×石田三成軍
田中吉政軍 司馬のせいで秋山真之は李舜臣を尊敬していたとかとんでもない風評被害が広まったしな >西軍の主は秀頼で
違うだろ そうじゃないからあっけなく西軍敗戦 近江が生んだスーパースター
石田三成 中村邦夫 浜野慶治 つっても、最近は三成びいきの風潮があるのか、
東軍を徳川方、西軍を豊臣方と称することが結構ある 利家が生きていたら西軍の盟主になっていた
西軍とはそもそも利家派の派閥と知っても過言ではない 誇り高げに生きていらっしゃったようですが
所詮ね、人殺しでしょ? >>262
関ケ原の戦いの前に、三成と大谷吉継が会談してる。
大谷「戦になれば三成は総大将になりたいだろうが、
それをやると味方に付けなければいけない武将まで、
喜んで徳川に付いてしまうから、大将は毛利か宇喜多に頼め。」
と忠告された三成は、大将:毛利、副将:宇喜多にしたが、
戦場の指揮を執ったのは三成だった。 秀次が生きていて総大将に担ぎ出されてたら
豊臣側は一枚岩になれたかも
秀次も一応、一族豊臣家の為に必死になって恩顧の大名に号令するだろうし
三成と比べたら効果が別格 >>880
策士は人望を損なうから
そんな役職につけたら
身の危険を感じる 家康は西軍が大阪城に立てこもられると
困るから
わざと野戦に引っ張ったらしいね >>877
ニコニコにある10年くらい前の秀次動画もよかったわ
HRのやつ
フラッシュとか当時の2ちゃんは良いところが多かった >>896
関ヶ原で秀頼出馬はないだろうな
それにこのころの淀は家康寄りってことに変わってきたんじゃなかったっけ? 豊臣家の一家臣の三成では、領地の保証をしてくれないし、してくれても信用できない。
家康なら口約束でも守ってくれる よく言われるけど実際に秀頼が出陣していたら多少の勝機はあった?
それとも言われるほど影響なく西軍が敗けたかな? 利家は、順当に豊臣恩顧の大名を取り込もうとしたけどね
それでバランス的に勝てるだろうから
三成は、自ら進んで敵に回してる >>892
秀次生きてると
足利義視=秀次
義尚=秀頼で
応仁の乱みたいな感じになるのか >>856
あれは一応中山道の三成派を抑えるために派遣した軍で、
急遽、岐阜を落とせたことで、
関が原こいちや〜〜みたいなった感じではある。 >>896
秀次が殺されてなかったら代理統領として秀次が出陣して
秀頼は籠城。秀次出陣なら淀君も文句ないだろう
豊臣一族なので士気も上がる
利家とか秀長は寿命みたいなもんで仕方ないけど
秀次の場合は殺しさえしなかったら、まだ結構、生きてたろうし
秀吉も余計なことをした。 >>891
一次資料だけ見たら、三成は吉継に西軍に引き込まれて、実戦では長束、安国寺に指揮下にいたらしいよ 秀頼が大将なら結果は違うだろうな
「王 対 謀反者」の戦いという名分になるから諸大名も謀反の汚名を
課されるのは躊躇するだろうし
ま、維新の錦の御旗みたいなもんが「秀頼」だね 黒田やフグスマ、池田といった中堅大名は一人一人はザコでも
10名で200万石、6万の規模だから
これを取り込めば圧勝してただろう 秀次が生きていたら
そもそも関ヶ原に至らないのではないかい? >>892
秀次が生きていたら、まず秀吉死後の政権内の動揺すら起こらなかったかもしれない
で、場合によっては会津討伐ではなく江戸討伐の可能性も…… センゴクでも取り上げられてたけど
もう秀頼は秀吉の実子ではないは、ほぼほぼ定説化してんな
一つ謎というか不思議なのは
当時の連中も秀頼は実子じゃねえだろって気が付いてたろうに
何でそこを突っ込まなかったんだろ
家康とかは国家安康より大義名分を簡単に手に入れられそうだけど?
不思議だ 推参なり黒田長政ーっ、不忠者細川忠興!今こそ天誅を加えん!それーっ! 親友の大谷吉継でさえ「お主はへいくわい者(横柄者)だから」と言ってた。
加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興、浅野幸長、池田輝政、加藤嘉明の
豊臣武断派七将が襲撃して暗殺未遂も起こってる。
こんな奴が実質の総大将だったら負けるに決まってるわ。
俺が三成だったら家康と仲良くして武断派を反家康派にさせてたな。 >>270
三成も最近はそうなのかな?
30年も前なら糞雑魚奸臣扱いで家康の引き立て役程度だった気がする。 >>907
その時代もひっそり天皇いるんだが
徳川秀忠の時代は地味だが天皇や朝廷との戦いの歴史だ >>912
みんな実子扱いしてるから
現状、別人の子だという証拠はない >>910
>>911
ほんと能力はともかく秀次は生きてさえいたら豊臣は滅びなかったかも知れない
この件だけは秀吉がいらん事をやったと思う
存命してただけで価値があったのに
寿命で亡くなった武将は天命なのでどうにもならないけど 始皇帝は呂不韋の子であると一緒で、
貶める意図があるか、話としたらそっちのが面白いというだけだろう >>914
そうなんだが歴史長いといろいろあるんだろ
黒田官兵衛すら光成とは距離があったわけで >>917
おこもりが手紙で残ってる以上、実子じゃねえだろ
秀次一門を殲滅させたのも
秀吉からすると負い目があったんじゃないか? >>914
三成信者のなかには、三成は家康と輝元に主犯に下手あげられた被害者だって宣ってるのもおるね
さらに三成は家康の上杉征伐に合流しようとしたが西軍に阻まれて組み込まれたとも >>914
ちなみに、現在は、
加藤清正、福島正則、浅野幸長、細川忠興、藤堂高虎、蜂須賀家政、黒田長政が
正しいらしい。 どうしても、秀頼に継がせたかったんだよ
豊臣を名乗る男子を一人にしたかった
だから、胎の中の子も警戒して皆殺しにした おこもりが手紙で残ってる以上、実子じゃねえニダ
漫画で読み解く日本史ニダ 家康はケチで金貯めて
経済的に困った豊臣方の大名や武将に
お金貸して恩を作って努力したらしいね 秀次含めて晩年の秀吉の制裁が苛烈すぎた
で光成が主要握ってるなら光成に反感がでやすい >>916
葵徳川三代は
朝廷との交渉良く描いてたな
武家伝奏広橋兼勝とかパワハラ受けて可哀想だったw だからさ家康はほんとに遺言通りに秀頼は守ろうとしてたんじゃないかな?
途中から暴走してたのは秀頼じゃねえの? こないだ秀吉に
「お前馬鹿だなあ、なんで秀次殺したんだよ」
って言ったら
「サーセンwwwww」
って謝ってたわ >>412
じゃ、アメリカは日本とドイツにひっくり返されるw いやだからさー、同時代の人間みんな、秀頼を実子とみなして、味方に付いたり、敵に付いたりしてるわけよ
余所の子ニダと公言してる武将いるっけ?
漫画で読み解く日本史ニダ 基本的に江戸時代以前の書物は、徳川幕府や当時の大大名家へのおもむねりに満ちていると考えた方がいい。
姉川の戦い → 徳川家はわき役だったのにいつの間にか多勢の朝倉家相手に大活躍したことに。おまけに将軍秀忠の正妻お江の実家にいろいろ配慮
賤ヶ岳の戦い→ 前田家の裏切りを婉曲な表現でボカす
陰徳太平記 → 兄や甥を謀殺して本家を乗っ取った毛利元就を聖人のように扱う。 嫌われ者が学級委員長やっても文化祭で1位は取れんわ >>932
戦国時代にそんな甘い奴はおらん みんな殺されとる ニダ付ける手口がチョンくさい煽りだわ
何でも煽りにしちゃうの居るな 家康は最後まで秀吉の前で腹黒さを
見せなかったらしいね
黒田官兵衛はすぐに腹黒さを見せて警戒された 勝てば正義
どんなに汚いこと残酷やっても
歴史は書き換え隠蔽できるのです
どこでも一緒同じだよね
基本戦争は皆殺しにするべき >>938
家督を成人後の甥に譲渡したり
奪い返した城を主君に差し出したりはわりといるぞ >>938
試されたんじゃないの?
何か秀頼関連になると感情的になるじゃん
今でもこのスレに居るくらいだからさ ID:R3lBn3+JO
今日のウンコ
DNA鑑定でも出てきたら信じてやるよ
漫画で読み解く日本史ニダ >>932
暴走したのは淀君な気がする
秀頼は母上にはNOとは言えないから
淀君が大人しくしてたら秀頼は家康の言う事は丸呑みしてたんじゃないかな やる前から負け過ぎだよ、裏切る奴いないの前提で布陣組んでんのに 総大将は毛利輝元だろ。 西軍として参戦していれば・・・
漁夫の利を得ようとして大失敗。 最初から滅ぼす気じゃないだろうに
1603年 秀吉の遺言通り、千姫を秀頼に嫁がせる
1605年 忠輝が挨拶
1611年 二条城で秀頼と会見 >>947
近年の研究では、関ヶ原の合戦の際、淀の方は北政所と連携して東西両軍の和解を図ったことや
大坂の陣前夜に家康が淀の方を人質に差し出すように要求した際に、淀の方は素直に江戸に赴こうとしたが
秀頼が止めたことがわかってきている 三法師こと織田秀信なんか豊臣に対して激甘だもんな
主従転倒させられてるのに恨むどころか豊臣に付き合って自害
家康はほんとに秀吉と同じことしようとしてたんじゃないの? >>940
腹の読めぬ奴も気持ち悪くて警戒されるよ
しかし官兵衛より家康のほうが役者は上だったんだな >>940
6歳から人質生活一筋の子ども時代
成人後は信長のパワハラと信玄に脅迫に耐え続けて20年だからな
秀吉の前で仮面被り続けるくらいお手の物だったんだろうw >>938
鍋島とかどうや
徳川の世になって幕府や龍造寺の長老たちから要請があるまで龍造寺にとって変わることはしなかったぞ >>941
清州城な
福島正則は秀吉子飼いだし味方するかもって思っていたかもしれない
それより怒らせたら他の子飼いにも波及するからな >>957
織田は天下取ってないからな
だから信長の官位超えた時点で
扱い変わっても形式的にはよかったけど
天下人関白の息子と言うのがタチが悪い秀頼の場合 >>960
秀吉より家康の方が1枚上手だね
最後の最後まで秀吉は家康の野心を見抜けなかったんだから >>940
タヌキともいわれてたかと
まあ家康は見返りきちんと払うほうだったんだろ
みせつけ処刑も少なかったし 裏で動いてたのは大政所だろうな。
関ケ原の戦いの前くらいから、家康と大政所は頻繁に会ってる。
一説によると、大政所はあげまんの噂があるんだよ。 >>927
秀長存命中は秀長が、秀長死後は秀次が、その役をやっていた
で、秀次が死んで秀次に借金していた大名が連座されそうになったところを家康が恩を売った
豊臣政権中の大名はずっと経済的に困窮していたようだ 徳川の野心は朝廷とは離れてだったんだろ
だから源氏の名を使い幕府を開いた >>965
たぬき親父だね
義元が死んだらそっこー三河分捕って独立して裏切って
信長と同盟して
信長が倒れたら旧武田信長領分捕って
秀吉の前ではおとなしくして
最後に裏切って >>965
けっこう根に持つ人らしいね
家康の長男は信長に切腹させられてて
それを秀吉の子供にもしてるし >>956
淀君の江戸人質の件の頃は、ほぼ豊臣詰み状態
家のため、秀頼を説き伏せても行くべきだったな
秀頼は淀には基本イエスマンだから説き伏せてたら最後は聞いただろう 家康って、素人がやったら下手をすると相手を怒らせて敵に寝返りかねないような離れ業をやっているじゃん
福島正則に村越茂助を使者に立てて、さっさと岐阜に進軍しないとお前ら信用できねーぞ、とか
小早川に銃撃を加えて恫喝するとか。
やっぱりあらゆる辛酸をなめつくした男じゃないと天下は治められないのよ >>970
氏真が復讐戦に立たなかったから自立したんじゃなかったっけか 家康は名前からして家を守りたいマンだし
過剰防衛しまくってたら誰も居なかった >>968
豊臣方の大名ですごい金額の借金があった人が居て
秀吉に取り立てられて
色々な大名に借金したけど断られて 前田利家も断って
最後の最後に家康がキャッシュで一括で立て替えて
そいつはそれが恩で関ケ原で東軍についた >>972
秀次は秀吉の命だぞ?
秀頼は切腹かどうかは把握してないような >>975
義元がなくなって
どさくさに紛れて三河で独立して
まだ力がある氏真か新興の信長がどちらに付くか迷ったけど
氏真が義元の弔い合戦をしないのを見て
意気地なしと見て 信長と同盟した いろんな意味で秀頼から秀吉のDNAを感じないわw
家康もこらイケると思って黙ってたんかのw まあ家康が関ケ原後に島津を排除できなかったのと同じように
秀吉も家康を排除できなかったってことやね
豊臣政権にとって徳川は東国経営の重要なキーパーソンだったし
おかげで国内を早期に安定させられて遠征が可能だったって側面もある >>973
その詰み状態で華々しく散ってやろうと浪人に乗っかって戦をおっ始めたのが秀頼じゃん?
で結局は出陣することもなく自害とか、情けなさすぎる 毛利が総大将のくせに動かないのと小早川だな 決め手は
これで決まった
あと、島津が三成にに奇襲かけるぞと提案されてるのにかけなかったのも敗因
やっとけば相手方を崩せただろう >>8
嫌いっていうか秀吉に重用された三成に対する嫉妬だからな。 >>972
関ケ原で東軍についてくれた
旧豊臣の大名も関ケ原の戦いが済んで
用がなくなったら 冷遇してるし
清正も正則もみんな後悔してたらしいね
それと主を捨てて裏切る人にも冷たかった
穴山とか >>975
徳川方の記録はそうなっているようだが、
実際のところは織田の三河侵攻に対して後詰をしなかったってところだろう
前線の味方の後詰をしない大名は見限って良し、というのが当時のならい >>53
そんなもんじゃないのか?
科学に取り憑かれた人間のなれの果ては火星に行こうとしたりしているし >>984
気持ち悪いよね
すぐに裏切る戦国時代の同盟で信長と20年も同盟して
一切裏切らなかったし
いや信長が凄すぎて裏切れなかったのかもしれんが >>986
嫉妬もあるけど晩年の秀吉はあれだぞ
あれで実質三成に牛耳られてる思われたらきついわな >>25
あの裏切りモンと一緒にしたら三成が気の毒だし、敵味方はハッキリしてるけど味方はいるのが三成だ!いないのは石破のオッサン。 >>8
福島正則も加藤清正も関ケ原の戦いが終わってから
徳川政権ではすごい冷遇されて
東軍に付いた事を死ぬまで後悔してたらしいぞ
やっぱり裏切りは駄目なんだよ >>983
真田幸村の要請で出陣もしようとしたけど
淀君に反対されて思い留まってる
まあ秀頼が意志を貫けないヘタレなのは情けないけど
まあ戦の実戦経験も無く怖気づくのも仕方ないかも知れんが 関ヶ原の合戦は、かくして6時間の死闘の末、東軍の圧勝となり申した このスレッドは1000を超えました。
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