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【古代史】「邪馬台国」時代の鉄器生産工房…「ヤマト建国」に隠された淡路島の「不運な歴史」
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0001樽悶 ★垢版2018/11/10(土) 18:09:54.08ID:CAP_USER9
「始まりの国」淡路島から「陰の王国」大阪に向かう船の上にて。大阪と奈良の山並みを遠望する(筆者撮影、以下同)
https://www.fsight.jp/mwimgs/8/2/-/img_821202b48a229eb51e9cd0c06917d9dd2437402.jpg

 新潮文庫「古代史謎解きシリーズ」の淡路島・大阪編を上梓した(『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪』)。毎度おなじみ、新潮文庫編集部・高梨通夫氏と、凸凹道中だ。

 今回の取材は、大阪が中心のはずだったが、淡路島で、意外な発見があった。淡路島は、瀬戸内海を塞ぐ巨大な「フタ」で、西側の海域は古代の海人(あま)の楽園だった。そしてここに、淡路島のみならず、ヤマト建国、古代史の謎を解くための大きなヒントが隠されていたことに、気付かされたのだ。

 淡路島はイザナキとイザナミが磤馭慮(おのころ)島の次に生んだ土地だ。また、伊勢内宮(三重県伊勢市)と淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮(兵庫県淡路市)、そして葛城山は同緯度線上にあって、聖なるラインを形成している。だから、伊弉諾神宮はパワースポットと信じられ、多くの参拝客が訪れる。淡路島は、日本を代表する聖地なのだ。

 しかし一方で、淡路島は「罪を犯した貴種を流竄する場所」でもあった。8世紀に淳仁天皇と早良親王がこの島に流された(早良親王は移送途中で亡くなり、遺骸が淡路島に埋葬された)。この、光と影を、どう説明すれば良いのだろう。

 ここに、淡路島の複雑な歴史が隠されている。順番に説明していこう。ヤマト建国前後に、淡路島は大きく揺れ動いていたのだ。

■淡路島の立場

 近年淡路島で、弥生時代後期の鉄器生産工房が2つみつかっている。五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(淡路市黒谷)と舟木遺跡(同市舟木)だ。

 五斗長垣内遺跡が先にみつかり、すでに復元され、公園になっている。弥生時代後期の1世紀ごろに約100年続いた鍛冶工房だ。かたや舟木遺跡は、弥生時代後期の2世紀半ばから3世紀の遺構で、こちらは邪馬台国の時代の鉄器工房だ。

 邪馬台国の時代の畿内は、鉄器の過疎地帯だったが、淡路島で盛んに鉄器が作られていたことが分かって、邪馬台国畿内説の証拠になるのではないかと騒がれている。しかし、畿内から鉄はほとんど出てこないのだから、それはまちがいだ。さらに、淡路島から出土した銅鐸は、出雲のものと兄弟関係だったことが分かっている。淡路島に鉄の素材を流していたのは、出雲だろう。ここに、淡路島の立場が示されている。

 弥生時代の最先端地域は北部九州で、朝鮮半島の鉄を独占的に入手していた。連載中述べてきたように、北部九州は天然の要害に守られたヤマトの発展を恐れ、策を練って出雲と手を組み、関門海峡を封鎖して鉄の流通を止めたのだった。さらに、「北部九州+出雲連合」は、淡路島に鉄を流し、味方につけ、明石海峡を支配して、通せんぼうをしていたのだろう。

■明石海峡の争奪戦

※省略

■「もともと敵の土地」

 国生み神話の最初に生まれた淤能碁呂島は架空だが、次に淡路島が登場したのは、ヤマト建国の最初の一歩が、「淡路島を奪い、明石海峡の制海権を獲得すること」だったからだろう。

 ヤマトは西側からの攻撃にすこぶる強い天然の要害だが、瀬戸内海を自由に通れなければ、建国の意味はなく、だからこそ、「まずは淡路島(明石海峡)」だったのだ。

 その一方で、建国後のヤマト政権は、淡路島の発展を望まなかった。その様子をよく示しているのが、明石のすぐ東隣、神戸市垂水区にそびえる、五色塚古墳だ。5世紀初頭(古墳時代前期後半)に造られた前方後円墳で、全長194メートル、同時代の大王(天皇)の墳墓と遜色ない巨大古墳だった。現在葺石(ふきいし)が復元され、淡路島からもよく見える。渋い銀色に輝き、前方部は、まっすぐ淡路島を指し貫いている。おそらく、ヤマト政権と通じるこの土地の首長が、淡路島を「監視し牽制し、威圧する」目的で造ったのだろう。かたや淡路島には、巨大前方後円墳が存在しない。

 多くの万葉歌人は、瀬戸内海からヤマトに帰ってくるとき、淡路島を通りすぎたところで、「ようやく故郷に帰ってきた」と、歌にした。ヤマトの山並みが目の前に広がり、瀬戸内海の海人の楽園(魔界)を通りすぎたという安堵感が湧きあがったからだろう。

 いわゆる「畿内」は、明石海峡の東側であり、淡路島は除外されていた。それは、ヤマト政権にとって、淡路島が「もともと敵の土地」という感覚があったからだろう。

(続きはソース)

11/10(土) 12:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181110-00544460-fsight-soci
0003名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:11:00.11ID:vhu/StsT0
日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
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kzc
0004名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:13:19.66ID:2xioYDn00
( ´_ゝ`)フーン
0005名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:14:45.05ID:39p8hWqr0
中学んときの教師が琵琶湖の土地が飛んで行って淡路島になったんだぞとか言ってて
それ以来その教師のアダ名がモルダーになった
そいつが何か言うたびにみんなで「モルダーあなた疲れてるのよ」とか言ってからかってたら
そいつノイローゼになって休職したのはマジ笑えた
0006名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:16:45.03ID:LsUHKw8C0
本来の日本民族の歴史は古くからヘブライ文化で神道と神代文字など全てが弥生人ヘブライ人からのもの
例えば邪馬台国自体ヤマタイとは読まずヘブライ語でマタイ即ちマタイコクと読む
大和王権と邪馬台国はそもそもルーツが違う
元は同じ民族でありながら別れた同じヘブライ人達
メソポタミアから別れ西アジアに移ってエジプト文明に関わったりイスラエル王国を築いたユダヤ民族
そのユダヤ民族のユダ族こそ邪馬台国の民
そして大和王権の民こそメソポタミアシュメールの末裔
邪馬台国の民のユダ族が先に海ルートで日本へ沖縄を経て渡来
だから今も沖縄の人達はユダ族の末裔で地名もユダ族に因んで残っている
また物部氏の末裔であり物部のニギハヤヒが沖縄の人達の神武天皇であり
ニギハヤヒの兄ニニギの子イワレピコが神武天皇でないことを知ってるのはその為
その沖縄のユダ族こそ九州や四国へ渡った邪馬台国の民達で彼らが遊牧民であるからこそ移住する
今の四国剣山にはユダ族の儀式やゆかりのイエスキリストのものがあるとされ
現在アメリカのGHQによりアメリカ博物館へ保管されている
また大和王権の民でシュメールの末裔である大和の民は中央アジアからチベット四川を経て中国で秦を建国
始皇帝自体がヘブライ人でありメソポタミア文明そのままに中国へ文化を持ち込む
その後15年で秦を捨て中国東北部から朝鮮半島を経て日本へ陸ルートで渡来
その頃には中国東北部から朝鮮半島に多くのヘブライ人達が住み着き日本との関係が深くなる
その彼らシュメールの民の兄ニニギの子イワレピコ達こそ大和王権の現在言われているイワレピコの神武天皇
先に海ルートで日本へ渡来したニギハヤヒ達と陸ルートの兄ニニギの子イワレピコ
それぞれ出雲の戦いで大和王権が誕生する
そもそも邪馬台国は馬台と書きマタイと読みヘブライ語でマタイの国という意味で
邪馬台のヤマタイをヤマトとは言わないでマタイという
マタイ自体がキリストの十二使徒の一族という意味
すなわち邪馬台国の民はキリストの十二使徒の一族で海ルートから日本へ渡来したユダ族の末裔たちのこと
邪馬台国の民は言わばキリストの十二使徒の一族の国という意味でユダ族の国ということがわかる
だからこそ四国剣山のイエスキリスト伝来の話につながっているわけで中国の魏志倭人伝で漢字で邪馬台国と記す
これが事実
ちなみに大和のヤマトゥはヘブライ語で神の民という意味はよく知られいるが
ヤマトとマタイは全く意味が違う
もし邪馬台国が大和の民なら中国の魏志倭人伝に大和国と記すはず
それが邪馬台国と記している以上邪馬台国と大和王権は別もの
だから魏志倭人伝の邪馬台国の場所の案内が記すように何度も海を渡り四国ほどの大きさの島
すなわち九州の大きさではない四国に邪馬台国がありと記す
そこは魏志倭人伝の記す邪馬台国の周辺には四国のほか九州や中国地方近畿地方など100余りの国に囲まれている
それこそ九州説や近畿奈良説とは別もの
何故なら大和王権ではないから
0008名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:17:26.46ID:xeLVLbiU0
ようやく記紀絶対原理主義から抜けつつあるのか
神社伝承やら風土記やら地元の伝承やら地名やら炭素年代測定やらを無視して
記紀のみを絶対とする愚昧な原理主義の終わりの始まり
0009名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:17:55.81ID:+DnO4Nwc0
邪馬台国に鉄器あったの?

嘘だろ 青銅もなかったんじゃないの
0010名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:18:02.08ID:sPUrcNWd0
>>1
今や上沼恵美子の領土やし大阪城が上沼恵美子の家やしなーんの問題もあらへんねんで
0011名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:18:44.95ID:LsUHKw8C0
本来は古代朝鮮半島の民族が古代はヘブライ人の日本人の国である
日本の属国の朝鮮半島と日本では言葉が普通に通じ合ってたのに現在は全く通じずの別国家
然も日本人には昔から苗字があった
朝鮮人達には日本が統治を行う19世紀まで苗字がなく住民登録の為苗字を付けさせ貴族王族の名の金李朴ばかりに
その時点でおかしい
百済新羅高句麗の時代の朝鮮半島の人口が数十万人かたや日本は800万人の大国
しかも日本人特有の遺伝子を持つY染色体のD系遺伝子は朝鮮人にはない別民族
しかも日本にある前方後円墳は朝鮮半島にもあり日本より新しく朝鮮半島が日本の属国だったことを示している
今の朝鮮人は12世紀に新羅北部日本海側にシベリアワイ族系住民が住み着いていることを中国紙に記載されている
新羅の民とは違う不衛生な民族が住んでいることを中国紙に記載されて
その頃から今の朝鮮人達の朝鮮半島の歴史がはじまり
13世紀半ばの高麗から李氏朝鮮時代が本来の朝鮮人達の歴史だということがわかる
そもそも日本民族はヘブライ人の弥生人がいたからで
秦の建国自体中央アジアのメソポタミアのシュメールのヘブライ人が建国した国で始皇帝自体ヘブライ人
これが元で問題の中国がウイグルチベット族を弾圧のきっかけになってるわけで
中国が歴史の隠蔽をしてる要因だが
漢民族自体シベリア系が入ったのは2000年もなく騎馬民族系はずっと後
その秦が15年で中国をすて日本へ弥生人として入ったのが2300年前から1800年前
ヘブライ人が19万人も日本へ入ったことがそもそも争いの発端
元々いた日本人8万人も日本人達がいたわけでそこでの鳥取島根の出雲族との争いが元でこの人骨発見に
弥生人達ヘブライ人が日本での領土争いが元で文化的背景から今の日本かま生まれる
弥生人自体頭蓋骨が偉張ってなく顎が細い
これは食べ物の習慣以外に人種が違う
人骨遺伝子が中央アジアの遺伝子を持つことからも東アジアとは全く関係ない
シベリア系エベンキが弥生人自体頭蓋骨と違って偉張ってるわけで
シベリア系から南方系の稲作を持ってくることなどあり得ないわけで
弥生人自体が中央アジア系ヘブライ人自体がヘブライ語やヘブライ文字ヘブライ文化を日本に持ち込んでいる
だからひらがなやカタカそして神道文化が昔からあり漢字や仏教は大分後
そもそも中国の魏志倭人伝自体中国語で書かれているわけで日本の地名自体漢字の当て字
日本は既にこの頃ヘブライ語を使ってる
朝鮮半島自体7300年前の桜島のカルデラ噴火で3000前まで人が住んでおらず
そこへ中央アジアのヘブライ人達が中国北東部から朝鮮半島にかけ住む始め日本へ弥生人として渡来
そして朝鮮半島に日本と言葉の通じる百済新羅そして高句麗がある
だからこそ百済建築などが日本人の手で作られたわけで朝鮮人達がその百済人達を滅ぼしたことで技術が途絶える
そこに日本国民に知られたくない事実があり全てのことは朝鮮人達の自業自得
0013名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:21:51.59ID:ga0yFgS70
>>9
魏志倭人伝に倭人は鉄の矢じりを使用していると書かれている
0014名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:23:40.26ID:b8q8+AAS0
朝鮮半島のタタラ製鉄集団が瀬戸内海を通って淡路島に来ていたんだな
0015名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:25:53.59ID:GHkQn5Xs0
一世紀に出雲淡路連合とすでに敵対関係ということは神武東征はそれ以前と言うことだな
0016名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:26:09.91ID:kBoTfhRw0
>>1
つまりこういうことか

  41 :名無しさん@1周年 :2018/10/31(水) 20:47:14.61 ID:rEY4usL50
  考古学で言うと、邪馬台国の時代の畿内は九州勢の進出に包囲されていた
 
  東海と山陰に共通しているのは、安曇族の関係地であること
  http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg
  地図で見ると、本拠地の志賀島から日本海ルートは出雲を経て近江、さらに岐阜、愛知と東海へまるで畿内を迂回するかのように進出している
  瀬戸内海ルートは淡路島まで進出し、この地図には載ってないが難波にも安曇江がある
  淡路島の弥生時代の鉄工房は技術的に北部九州の系統であるらしいので、志賀島を本拠地とする安曇族が持ち込んだのだろう

  https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
  >エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
  >ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
  中略
  >弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
  >愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
  >「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
  >今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。 

  これで淡路や近江など至近距離に鉄工房があるにも関わらず、畿内の弥生末期〜古墳初頭の遺跡から鉄製品がごく僅かしか出土しない謎が解けた
  当時は淡路島や近江を制していた安曇と畿内はまだ別勢力だったというわけだ
  畿内は当初安曇族の進出を拒んだため、安曇族はこれを迂回して包囲するように勢力圏を拡大してゆき、あるときついに畿内勢も
  安曇を受け入れざるを得なくなっていった、という構図が遺跡の分布から読み取れる
  記紀に記された天皇の九州出自は事実で、畿内は被征服側、ということだ
  隋書に倭国の王姓は阿毎氏とあるが、隋の使者に対して海人(アマ)の出自だと名乗ったのだろうな

  それがいつ頃なのか、は畿内でも鉄製品が増えてくる時代と考えれば良いだろう
  つまり4世紀頃ということになる
0017名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:27:40.97ID:inA1VCYP0
>>1
淡路島だから邪馬台国畿内説の馬鹿馬鹿しい記事かと思ったら、

>邪馬台国の時代の畿内は、鉄器の過疎地帯だったが、
>淡路島で盛んに鉄器が作られていたことが分かって、
>邪馬台国畿内説の証拠になるのではないかと騒がれている。
>しかし、畿内から鉄はほとんど出てこないのだから、
>それはまちがいだ。

>弥生時代の最先端地域は北部九州で、
>朝鮮半島の鉄を独占的に入手していた。

畿内説完全否定じゃん。

文献学的にも考古学的にも、邪馬台国は熊本で決まりなんだわ。
0018名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:29:07.34ID:+DnO4Nwc0
古代宇宙人説
0019名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:30:05.83ID:+DnO4Nwc0
古代宇宙人説!
0020名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:30:54.34ID:+DnO4Nwc0
大塚製薬やアース製薬の祖先ですか?
0021名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:32:40.09ID:vk70K9Tq0
淡路島程度の広さで鉄器なんぞつくったら、あっという間に木材を焼き尽くしてしまうだろう
初期の頃はお宝を隠すのに絶好の土地だったろうけど、島の資源が尽きるのは時間の問題
0022名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:32:50.05ID:sHolp6S/0
【ヤマトゴキブリ】
日本の国虫
日本古来から日本人の象徴として冠にヤマト(日本人)がついたゴキブリ
紫式部の和歌にも詠われ、ヤマトゴキブリは日本人の歴史と共に愛された昆虫



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            ̄| ̄ .Ξ| ̄
            |尊..Ξ|
            |皇..Ξ| プスッ
            |  ..Ξ|      ;・ ▀ ▪ ▂▄▅▆▇■▀▀〓◣▬ ▪ ■ … .
             ̄|_| ̄     :;; ;■ ◥◣ ◢▇█▀ ¨▂▄▅▆▇██■■〓◥◣
.  / 、o ヽ   /   ||    /::"・∴▂▅██▅▆▇██▀▀ ◥◣
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           ■ ジャップ■           ▪ ∴ ….
           ii.  ̄"  " ̄ii
        /ヾ| ( ゚) (゚ ) |
       //;;>〈 ___ ||.__ 〉  天皇陛下バンザァァァァァァイ!!
      //γ |   ●● |
     ソ_ソ>'´.-!、 \   Д /
    τソ    −!  ヾ ー-‐  ィ、.. 
     ノ   二!__―.'    .-''  \
    /\ /
0023名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:35:39.74ID:D6bz1f690
コオロコオロ
0024名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:36:55.72ID:D6bz1f690
九州王朝説・多元王朝説

弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。

なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。
0025名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:37:57.76ID:I/hEsZFY0
ゴーッドハーーーンド!!
歴史をこの手で作り上げます!!!
0026名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:39:33.42ID:D6bz1f690
たな大型の鉄器工房跡 国内最大級か

毎日新聞2017年1月25日 17時03分(最終更新 1月25日 20時46分)
https://mainichi.jp/articles/20170126/k00/00e/040/001000c

弥生時代後期 鉄製品57点と工房含む竪穴建物跡4棟発見

 兵庫県淡路市教委は25日、弥生時代後期の舟木遺跡(同市舟木)から大型の鉄器工房
跡を確認したと発表した。遺跡中心部の状況を把握するため狭い範囲で溝(トレンチ)を
掘って調査した結果、鉄製品57点と工房を含む竪穴建物跡4棟が見つかった。同遺跡全
体の鉄器工房の規模が、南西約6キロにある国内最大級の鉄器生産集落で国史跡の五斗長
垣内(ごっさかいと)遺跡(同市黒谷)をしのぐ可能性があるとしている。

 舟木遺跡は約40ヘクタールの大規模な山間地集落遺跡。これまでに約5700平方メー
トルを調査し、弥生時代後期の竪穴建物跡10棟や土器、中国鏡の破片が出土しているが、
鉄器工房は確認されていなかった。

 2016年度は遺跡中心部の尾根沿いに7本の溝、計128平方メートルを掘り、弥生
時代後期後半(2世紀後半)の竪穴建物跡4棟を確認した。3棟は直径10メートル前後
の大規模な円形で、うち1棟から床が赤く焼けた炉跡4カ所が見つかった。もう1棟は四
隅が丸い隅丸方形建物だった。


ココが国産みの最初の場所だからな
九州土人みたいな夷人雑類と一切関係ない
0027名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:41:01.43ID:D6bz1f690
https://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer
(-略-)
私(佐原)は
(-略-)
なお、しいて「どちらか」というなら私は大和説で、卑弥呼の使いの時の年号を書いた「三角縁神獣鏡」が近畿を中心に出土していることなどからです。

  大多数の考古学者は大和説です。

参考文献として、『邪馬台国への道』(朝日新聞西部本社編 不知火書房 1995年)を挙げておきます。
(元館長・佐原真)
0028名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:42:33.20ID:29RjsKug0
ゴーッドハーーーンド!!
歴史をこの手で作り上げます!!!

てめえら記録全部提出しろや
でないと死刑だぞ

by不比等
0029名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:43:01.18ID:GHkQn5Xs0
一世紀に畿内に九州の文化を思わせる遺跡はない。三世紀にようやく九州と同じように鏡や鉄剣を埋葬され始める
神武が一世紀に東遷してたとすると、文化は郷に入れば郷に従え的に大和の文化を受容してた事になる。
これはつまり東征ではなく婿入りを意味する。
三世紀になってようやく自分たちの文化を主張出来るだけの力をつけたということか?
0030名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:44:54.79ID:D6bz1f690
コレが定説
低学歴知恵遅れの九州説の珍説なんかだれも相手にしてないワケ

時間と空間の設定―神武東征と即位―  そのカムヤマトイワレヒコは
よき地をもとめて日向から大和へと東征し、磐余宮で即位して初代の神
武天皇となる。これは地上における大和という地理的な特定地点の由来
を説明する物語である。ここで最重要の主題は、 神話から歴史への転換、
つまり、人間としての神武天皇という存在の位置づけである。そして
もう一つが現実的な空間的地理と時間的年代の設定である。時間につい
ては天孫降臨から一七九万二七四〇年余が経過したといい、東征の開始
の年を「是年、太歳甲寅」とし出発の日を「冬十月丁巳朔辛酉(五日) 」
としている。そして、橿原宮に即位した神武天皇元年が、辛酉年の正月
庚辰の朔(西暦への換算では紀元前六六〇年)としているのである。空
間については、出発地を九州の日向として瀬戸内海を通過し浪速、河内
から紀州へと旋回して熊野から大和の東部山中の菟田に出てそこから西
方に向かって大和盆地へ入る、という地理的関係を設定している。

ここで重要なのは大和盆地という現実的な王権発祥の土地であり、出
発地の日向については神話的な構成の産物にすぎないという点である。
先の一七九万二七四〇年余という時間が歴史時間として虚構であるとす
るならば、同時にこの日向という空間と地理も神話的な構成によるもの
である。それは、 『日本書紀』第9段の天孫降臨の一書〔1〕で、天孫
降臨の地が「筑紫の日向の」高千穂のクジフル峯であるといい、 『古事
記』でも同様で、 さらに「此地は韓国に向ひ、 笠沙の御前を真木通りて、
朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、故、此地は甚吉き地。 」と表現
されていることからも明らかである。 「筑紫の日向の」小戸の橘の檍原
に至りまして、という言い方は、三貴神の誕生を記す『日本書紀』第5
段の一書〔6〕でも、『古事記』でも同じくみられる表現であり、この「筑
紫の日向の」という表現こそが重要な伝承である。その筑紫は地名であ
り日向はその筑紫における太陽信仰に関連する呼称である。それについ
て現実上の日向国という地理的認識を与えたのは、国郡制などが整備さ
れたのちのことであり、記紀編纂の最終段階であった可能性が高い。つ
まり、一七九万二七四〇年余という時間と日向という空間とは現実の時
間と空間ではなくまだ神話の中での伝承情報と考えるべきなのである。
0032名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:48:31.75ID:LDJiu27p0
>>30
ライフスペースだっけw
0033名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:49:20.81ID:+DnO4Nwc0
富山は売薬で有名だが
薬の製造は滋賀が有名なんだよな
武田とかの祖先も 滋賀
0034名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:49:51.63ID:3Q8lu+iQ0
> パワースポット
まだこんなこと言ってんのか・・馬鹿かっての
0036名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:54:49.36ID:D6bz1f690
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&;item_id=1680&file_id=22&file_no=1

[共同研究] 神仏信仰に関する通史的研究
伊勢神宮の創祀 : 日本民俗学の古代王権論
435-482
新谷 尚紀


コレが定説
低学歴知恵遅れの九州説の珍説なんかだれも相手にしてないワケ
0037名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 18:56:15.08ID:D6bz1f690
国立歴史民俗博物館研究報告第148集
[共同研究] 神仏信仰に関する通史的研究
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&;active_action=repository_view_main_item_snippet&index_id=174&pn=1&count=20&order=17&lang=japanese&page_id=13&block_id=41
0038名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:06:16.58ID:NEtQnPE10
わめけばわめくほどボロがでる
偽書・日本書紀信奉者の落日
まさかいまどきこんなものを鵜呑みにしているバカはいないよなあw
0039名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:08:44.34ID:oHn0ZHUQ0
よくわからんから星野之宣の漫画で頼む
0040名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:08:44.68ID:WVgfZZ+m0
白村江の戦の軍は本州中心。関東、東海、中部、北陸からも兵が参加している。九州王朝ではない。
近畿が司令塔で、九州は対半島の前線拠点だよ。豊臣秀吉の朝鮮出兵と同じ。
白村江の戦に敗れて主流派が変った。徳川に覇権が移ったのと同じ。
0041名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:09:28.35ID:kBoTfhRw0
>>26
舟木遺跡が九州勢なのは>>16にソースが出てるだろアホw
0042名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:11:13.22ID:D6bz1f690
池沼の日記なんかソースにならない

低学歴知恵遅れのネトウヨやパヨチョンの日記がソースといってるのと
同じだからな
0043名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:11:51.90ID:Q9MkZ9ir0
>>9
中国が支配していた朝鮮半島からの輸入品が邪馬台国には流れ込んでいた。
それが邪馬台国が中国に使者を送った最大の理由。
0044名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:11:54.55ID:kSf7kn/00
古代史ってつくづく面白い みんな古史古伝にハマるわけだわ
0045名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:12:56.12ID:kBoTfhRw0
>>42
神戸新聞がいつから日記になったんだよカスwww
畿内説は本当にウソしか言わないwww
0046名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:13:38.87ID:wh4FlOyQ0
記紀を金科玉条のごとく崇め奉る愚かな学者どもの研究成果を1兆個挙げてみたところで
それは無にひとしい
むなしいものだな
0047名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:14:06.10ID:pSpQbvx/0
大和が神武東征の物語を採用したのは、大和も九州説だったからだろうw
近頃の畿内説は大和よりも強欲だねぇw
0048名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:14:35.70ID:wQNEyqXd0
神話は現実の歴史ではないが、物語の参考にした過去があったのは確かだろう
0049名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:19:38.15ID:D6bz1f690
九州南部が朝廷の支配が及ぶようになったのは
班田収受法にさからって隼人の乱がおきてから
隼人の乱がおきる前ははっきりいって
朝廷の支配が及ばなかった地域といっていい

隼人の乱を鎮圧されて、しばらくたって公民と認められてから
班田収受法が適用されるようになった

当の班田収受法自体は制度がひどすぎて
すぐに制度崩壊がおきる

それまで九州南部の土人は
大宝令の賦役令にもあるように
朝廷の公民ですらない
土人扱いだからな

↓このとおり
凡邊遠國。有夷人雑類謂。夷者夷狄也。雑類者夷之種類也。釋云。夷。東夷也。挙東而示餘。推可知雑類。謂夷人之雑類耳。
古記云。夷人雑類謂毛人。肥人。阿麻彌人等類。問。夷人雑類一歟二歟。仮令。隼人。毛人。本土謂之夷人也。此等雑居華夏。謂之雑類也。
一云。一種無別。 之所。應輸調役者。随時斟量。不必同之華夏。謂。中國也。

わかった?

そもそも卑弥呼時代は大和朝廷が北部九州なんかすでに征服してる

わかった?
0050名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:20:50.54ID:D6bz1f690
九州説の低学歴知恵遅れは
時代をすべて無視するからな

22 弥生時代      応神天皇(15)
21 弥生時代      仲哀天皇(14)
20 弥生時代      日本武尊
19 弥生時代      景行天皇(12) ← ヒミコの時代
18 弥生時代      垂仁天皇(11) ← ヒミコの時代
17 弥生時代      崇神天皇(10)
16 弥生時代      開化天皇(9)
15 弥生時代      孝元天皇(8)
14 弥生時代      孝霊天皇(7)
13 弥生時代      孝安天皇(6)
12 縄文〜弥生時代   孝昭天皇(5)
11 縄文時代      懿徳天皇(4)
10 縄文時代      安寧天皇(3)
09 縄文時代      綏靖天皇(2)
08 縄文時代      神武天皇(1)
07           彦波瀲武盧茲草葺不合
06           彦火火出見
05           天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵
04           天忍穂耳
03           天照の勾玉
02           天照
01           伊弉諾

建武中元二年 ⇒ 西暦57年 ⇒ 垂仁天皇86年(皇紀717年)

垂仁天皇 ⇒ 「纒向珠城宮」
景行天皇 ⇒ 「纒向日代宮」
0051名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:21:35.49ID:kBoTfhRw0
>>47
古事記「神武天皇は九州から来て畿内を支配しました。それが大和朝廷の始まりです。」

日本書紀「神武天皇は九州から来て畿内を支配しました。それが大和朝廷の始まりです。」

畿内説「九州は土人!関係ない!大和朝廷は先進!強大!九州をも支配していた!!」


うーんこの
0052名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:21:36.27ID:xdPzOe930
邪馬台国は熊襲こと大和朝廷に滅ぼされたって事でOK?
トヨはレイプされて殺されたのだろうか…
0053名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:21:37.90ID:eJm0RFw/0
じゃ、邪馬台国…
0054名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:21:59.98ID:D6bz1f690
すでに大和朝廷が
北九州を版図に治めてたのは明らか

大和朝廷が北九州を版図に治めてないと
朝鮮出兵の説明がつかない

半島では、前方後円墳、日本様式の弥生式土器もみつかってる
それでチョンコどもが発狂してる
明らかに任那政府はすでにあったからな
0055名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:22:05.71ID:PHBd8yBo0
淡路島は古来より韓国領土
0056名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:23:07.49ID:D6bz1f690
すべて北部九州はすでに大和朝廷の従属国だった
コレで十分に説明がつくからな 

美濃でセックスしまくってた次の代の景行天皇は
熊襲が貢物よこさない土人だから熊襲討伐にいってる

こっからも北部九州はほぼすでに大和朝廷が征服してたとみるのが妥当
でないと速攻で熊襲なんかしばけないからな 
0057名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:23:48.29ID:OssxLMCj0
>>51
wwwwww
0058名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:24:24.83ID:D6bz1f690
大和朝廷が九州北部を版図に治めてからも
大和朝廷と九州北部の一部の豪族と争いもおきてる

九州北部の豪族(チョンコもどきの土人)は新羅との関係が深かった
大和朝廷のほうは百済に支配地域を広げていた 
で、南朝鮮の権益で九州北部の豪族は大和朝廷の朝鮮出兵を時折邪魔したりして争いもあったりした
北九州の豪族が新羅から賄賂をもらってたというのも古事記に記述されてる

もうコタエはでてるワケ
0059名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:25:17.82ID:djqEDRLP0
>>1
関裕二かよ
解散
0060名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:25:39.80ID:D6bz1f690
日向と名付けたのは熊襲討伐した景行天皇

熊襲討伐するまえに景行天皇は美濃でセックス三昧だった
神武東征とかウンコ九州の宮崎は一切関係ない

九州北部はすでに大和朝廷が支配してないと
美濃から熊襲征伐になんかいけるワケがないからな
0061名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:26:04.92ID:Jvr/RKqS0
畿内人が一人で発狂してるけど、すべて↓これでおしまいなんだよなぁ


>邪馬台国の時代の畿内は、鉄器の過疎地帯だったが、
>淡路島で盛んに鉄器が作られていたことが分かって、
>邪馬台国畿内説の証拠になるのではないかと騒がれている。
>しかし、畿内から鉄はほとんど出てこないのだから、
>それはまちがいだ。

>弥生時代の最先端地域は北部九州で、
>朝鮮半島の鉄を独占的に入手していた。

邪馬台国時代の鉄器は九州からの出土がほとんどw
0062名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:26:08.40ID:5g8QrBgl0
.
神功皇后の実子・応神天皇は先帝死後3年で出生(=女系天皇)。

また、物部神社には神武天皇が「養子」であられた記録あり。
0063名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:27:21.13ID:DHFXRTxe0
    |┃三    ,ィ, (fー--─‐- 、、
    |┃.    ,イ/〃        ヾ= 、
    |┃   N {                \
    |┃  ト.l ヽ               l
 ガラッ.|┃ 、ゝ丶         ,..ィ从    |
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    |┃三 `ゞf‐>n;ハ二r^ァnj< y=レヽ    <  話は聞かせてもらったぞ!
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    |┃三  ヾl.`ー- べl,- ` ー-‐'  ,ン       \____________
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    |┃三     ト、  `二¨´  ,.イ |
    |┃     _亅::ヽ、    ./ i :ト、
    |┃  -‐''「 F′::  `:ー '´  ,.'  フ >ー、
    |┃    ト、ヾ;、..__     , '_,./ /l
0064名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:27:24.29ID:D6bz1f690
天照皇大神宮をみれば分かる通り
すでに西暦200年頃には
大和朝廷が北九州を勢力の版図入れてたのは明らかだからな

卑弥呼の時代を戦国時代でたとえれば
甲州征伐、四国攻め、中国攻め、九州平定、小田原征伐 
が残るのみぐらいのレベルの状態

ほぼ大和朝廷の天下布武は完了してる
つまり卑弥呼の時代には大勢は決してる

大和朝廷は朝鮮出兵まですでにしてるからな
0065名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:27:52.90ID:QKnm8Trx0
倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。屋室有り。
父母、兄弟は異所に臥息す。
朱丹を以ってその身体に塗る。
中国の紛を用いるが如し。

男子は大小無く、皆、黥面文身す。
古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。
夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。
今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み
文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。
後、稍に以って飾と為る。諸国の文身は各に異なり
或いは左し、或いは右し、或いは大に、或いは小に。尊卑差有り。
その道里を計るに、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”) の東に在るべし。

女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

「魏書」第30巻『 魏志倭人伝 』 普平陽侯相 陳寿撰

神々からの日本最古の捏造教科書とされる古事記や日本書紀には記述されてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華帝国漢人官僚には正確に記述されてた
神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう?
0066名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:28:06.17ID:4Gw110qF0
>>51
畿内論者がゴッドハンダー畿内なんて恥ずかしい称号で呼ばれるわけだな
0067名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:29:03.02ID:vcq/gETk0
>>2
素人なら許せるレベル
水商売、芸能人なら却下
0068名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:29:59.05ID:vcq/gETk0
>>5
「盛ダー、貴方疲れちゃったのね」
0069名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:30:53.15ID:JXwj7jz10
>>16
実にわかりやすい
瀬戸内海は北部九州の海人達がシメてたわけだ
0070名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:31:43.41ID:PHBd8yBo0
>>51
九州って言うか、日向国(宮崎県)
で、機内を攻め滅ぼして日本統一

まあ、近代で言ったら薩摩が江戸を攻めて、明治政府を作ったようなものだ。
だからといって、鹿児島が日本の中心ではない。
0071名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:32:25.97ID:ZctCgYs40
>>51
記紀を完全無視する畿内説wwwww
0072名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:33:06.10ID:QKnm8Trx0
倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。
土地は平野少なく山林が多く、良田はない。海産物を食す。
昔は百余の小国が互いに接す「。魏の時に至って、三十の国があり親しく交流した。
戸数は七万あり、男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨している。

倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人達は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。

いにしへの夏朝(中国大陸初の王朝)の少康(夏朝皇帝)の子は
中国会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨をし蛟龍の害を避けたが
今まさに倭人達は沈没して魚を取るのを好み、同様に入れ墨をし水魔を払う。

倭国までの道のりを計算すると、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”)の東にあたる。
その男子の衣服は横長の布を結び合わせてつなぐだけで、ほとんど縫いつづることがない。
婦人の衣服は一枚の掛け布団のようで、中央に穴をあけ頭を入れる。
皆おかっぱ頭で、裸足である。


倭人の地は温暖で、稲やカラムシを植え、養蚕して布を織る。
土地に牛、馬は無し。刀、楯、弓矢があり、鉄をヤジリにしている。

倭国には家屋があり、父母と兄弟は異なる場所で寝る。
食飲にはまな板状の台と高坏を用いる。
正月や四季の区別が無く、ただ秋の収穫の時を数えて年紀としてる。
死に際し棺はあるが槨なく、土を盛って墓を作る。初め喪中は哭泣して肉食を絶つ。
葬儀が終わると、家中の者が水に入り、体を洗い清潔にし穢れを取り除く。(神道の源流)

重大な決断時には、太占を行い骨を焼いて吉凶を占う。
倭人は長生で、百歳とか八、九十歳の者が多い。
婦女は淫らではなく、嫉妬もしない。争いや訴えはない。
軽罪を犯した者は家族ともども身分を奪って奴隷にし、重罪者は一族を滅ぼす。

その倭国の王家は昔は男子を君主として立てていたが
漢末に倭人達は乱れ戦うことなり倭人達は共に女子を立てて倭国の女王とす。
其の名は卑弥呼という。
宣帝(魏の宣王、司馬懿仲達。晋の建国後、宣帝と諡された)が公孫氏を平らげると
その女王は遣使して帯方に至り朝見した。その後も貢ぎ、遣使することは絶えなかった。
文帝(司馬昭)が魏の相国になると、また何度か使者を遣わし中国に来朝す。
晋の泰始元年(司馬炎)に遣使し、倭人は通訳を重ねて中国へ朝貢に遣って来た。

「晋書」第97巻  『 四夷伝倭人伝 』 房玄齢撰

神々からの日本最古の捏造教科書とされる古事記や日本書紀には記述されてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華帝国漢人官僚には正確に記述されてた
神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう?
0073名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:34:43.33ID:3/GwmYPQ0
これが本当だとすると、阿波が邪馬台国だとする説が有力になってくるな
0074名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:35:21.70ID:MXfXN5dk0
鉄の独占って大事なのか?
知らんけど

古墳の大きさを考えると
鉄の力を借りずとも巨大な古墳を作れる
軍事力とも呼べる最大の勢力は畿内だったと思う
0075名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:36:23.02ID:D6bz1f690
律令制が整った時代になってもの
まだ(朝廷の公民にすらなってない)土人しかいない場所から
どうやって東征するわけ? マジで

九州説の池沼たちがなにいってるのか分からない
日向という地名も景行天皇になるまで、そんな地名すら存在しない
0076名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:36:45.46ID:PHBd8yBo0
>>74
銅剣しか持っていなかった民族と鉄の剣を持っている民族が戦ったら、

どっちが勝つか解るだろ・・・・
0077名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:37:31.98ID:IkZH5HSc0
>>72
養蚕の記録があるのに畿内には絹がないんだよね
一方九州では庶民さえ絹を着ていた
邪馬台国時代の絹は北九州ばかり

弥生の庶民は絹を着た
http://inoues.net/nyumon/amagi_kuriyama.jpg
0078名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:38:19.84ID:NRKkeYMT0
長文はそれだけで読む気が失せるというのをなぜ理解できないんだろう?
0079名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:38:48.82ID:MXfXN5dk0
>>76
あの巨大な古墳を作れる力があれば問題ないと思う
鉄といっても所詮、振り回す程度の武器にしかならんからね
0080名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:38:57.96ID:Dbbjc0kf0
おお、今日の邪馬台国スレ……だが、この人の本ってなんかいまいち。
0081名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:39:00.79ID:PHBd8yBo0
>>75
文化人が和歌歌っているところに、

混紡持った野蛮人が顔を真赤にして、混紡振り回して攻めてきたら、文化人など皆殺しだろw
0083名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:40:32.93ID:Dbbjc0kf0
>>52
熊襲はいわゆるヤマトとはまた別に九州にいたのよ。ちなみに物部系。
0084名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:40:44.00ID:PHBd8yBo0
>>79
鉄の剣と銅の剣をお互いに振り回したら、

銅の剣など、すぐに折れるわw
0085名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:40:46.87ID:5g8QrBgl0
。邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。
0086名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:41:15.99ID:AJpQfVSi0
>>77
北部九州の先進性すげー
畿内とかゴミだろ
0087名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:42:24.66ID:3/GwmYPQ0
元寇の頃の鎌倉幕府側の主力武器が弓矢だったらしいから、鉄が武器として利用されていたのは矢じりなんでしょうね
だとしたら、鉄でも石でもあんまり違いはなさそうw
0088名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:42:56.54ID:8vinO9IL0
淡路出土物は九州製だからな。
3世紀以前は九州から近畿が開拓されたのは紛れもい事実。
0089名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:43:47.55ID:NYma240L0
多賀大社は元々淡路の神様だったんだよな
製鉄の遷移と関係あるかも
0090名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:43:49.54ID:+91yGtLQ0
>>61
工房があるのに製品が出土しないんじゃ、別勢力だったとしか考えられないもんなぁ
九州が邪馬台国のころ既に淡路島まで占領していたってのは驚きだったが
0091名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:44:36.10ID:Dbbjc0kf0
>邪馬台国の時代の畿内は、鉄器の過疎地帯だったが、淡路島で盛んに鉄器が作られていたことが分かって、邪馬台国畿内説の証拠になるのではないかと騒がれている。
>しかし、畿内から鉄はほとんど出てこないのだから、それはまちがいだ。

だからこの人は邪馬台国畿内説は否定している。
0093名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:45:41.29ID:Dbbjc0kf0
>>90
まあ、でも後世に流出してものがあってもおかしくはない気はするんだけどね。
0094名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:46:07.62ID:h7owXWMD0
>>88
文化があるのと覇権は別だからな。

中国の歴代王朝は文化では随一だったが、
覇権では常に北アジアの民族の属国。
古代の英雄の劉邦だろうが何だろうが万里の長城の向こうの民族には降伏して
属州になるのを受け入れてる。

地続きの半島や大陸を支配したのは北アジア系の民族。
0095名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:46:47.94ID:PHBd8yBo0
大和朝廷では鉄の製造は重要で、

最初、日本国内で鉄が採れずに作れなかったから、大和朝廷は朝鮮半島の百済で鉄を精錬したんだよな。
で、日本国内でも鉄を作れるようになったから、百済に興味がなくなって百済を放棄した。
0096名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:47:08.61ID:JfvXlUe+0
縄文人の平均寿命30歳説が最近見直されてて、
人骨の調査で65歳以上が全体の3割以上を占めていたことが判ったそうだ

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201011130129.html
平均寿命が30歳前後とされ、「過酷な生活環境のため、早死にする人が多かった」と考えられてきた縄文時代の人たち。
しかし、出土人骨の年齢推定に関する最新の研究で、実は65歳以上とみられる個体が全体の3割以上を占める――という結論がこのほど提示された。
0097名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:47:22.30ID:NYma240L0
相変わらず九州説の基地外が自演しまくっててワロタw
0098名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:48:20.51ID:Dbbjc0kf0
ていうか淡路島を支配していたというなら吉備のほうだと思うんだが
0099名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:48:33.97ID:IiB20r5/0
>>88
どれとどれが?
0100名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:48:52.64ID:Dbbjc0kf0
>>97
だからちゃんと反論してみなよ
0101名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:49:32.84ID:h7owXWMD0
>>95
半島政権は大体上層部・支配層は倭人系だろ。
白村江以後は追い出された。
0102名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:49:45.37ID:PHBd8yBo0
>>94
中国を最初に統一した秦国だって、
元々の中国の概念から言ったら地方都市だよ。

で、始皇帝は田舎者って言われたくないから、
中華 って概念を作って、秦国だって中心だよ って言う話を作ったw
0104名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:51:18.51ID:nfLpazZT0
>>16の安曇族の地図は、縄文時代の貝の交易地図と驚くほど共通している
北部九州の海人は縄文時代には既に関東以西の大半と交流があり、しかも縄文時代に既に朝鮮半島南東部とも接触している
この半島南東部に渡った海人たちの国がのちの狗邪韓国だろう

縄文時代の貝の交易
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1608018/30/55536130/img_3?1506135325
安曇族ゆかりの地
http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg

ということは、縄文時代から日本各地を股にかけていた海の一族が、弥生時代になって各地にクニが成立する過程で
強大な勢力となった、と解釈するべきだろう
これだけの航海術を持ち、海外とまで交易していた一族が強大国にならなかったというほうが無理がある

となると、弥生時代に安曇が各地に勢力を伸ばしたのも、元々数百年も交易してきて各地の地理が分かっていたから出来たことなんだろうな
それだけ交流してれば相手のこともよく分かっていただろうし、各地での戦闘の痕跡は多くないから、武力で無理矢理服従させたというよりは
優れた航海術で大陸や日本各地から様々な珍しいものをもたらす海人への畏敬の念から、割と平和裏に傘下に収まったという感じだろう
0105名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:51:40.08ID:PHBd8yBo0
>>101
新羅の支配層は中国の殷の流れを組む中国人
高句麗は国というより多数の少数民族しかいなかったからね。

日本が支配していたのは百済だけだよ
0106名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:52:46.06ID:K6bgnbsV0
だから魏志倭人伝に淡路島とか出てこないから
0107名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:54:26.01ID:nfLpazZT0
それともう一つ、ゴホウラ貝の貝輪を模して作られたと思われる銅釧の分布図も安曇の地図とよく似ている

銅釧出土地
https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
安曇族ゆかりの地
http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg

銅釧は北部九州が発祥で、邪馬台国の時代に流行ったようだ
https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/note/notebook31_1.htm
>南海産貝輪にルーツのある有鉤銅釧の分布は、弥生時代中期後半に北部九州に始まり、弥生時代後期に盛行し、
>古墳時代前期前半で終焉に向かいます。

やはり、邪馬台国の時代に北部九州の海人が東海以西の日本各地を席巻していたのは間違いなさそうだ
銅釧の出土を見ると、畿内も大阪湾南岸は既に北部九州の勢力下に入っていたようだ
現在の和泉市や泉佐野市のあたりなのを見ると、和泉(イズミ)も安曇(アズミ)由来の地名のようだな
0110名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 19:57:53.33ID:0dODBE670
>>101
高句麗も百済も扶余。
あんたの言うツングース。
0112名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:01:03.94ID:PHBd8yBo0
>>109
そもそも卑弥呼が代表に呼ばれたのも、
少数国家だけではまとまらんって言って、卑弥呼の元でまとまった

卑弥呼没後の200年ぐらい先に大和朝廷が出来て、
さかのぼって神武天皇の話を捏造したに過ぎないw

だから、卑弥呼の時代には、まだ大和朝廷なんて存在しない。
0113名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:01:14.43ID:K6bgnbsV0
>>103
日本で人類が誕生したわけではないので、すべからく日本人は渡来人ですけど
0114名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:01:52.41ID:QKnm8Trx0
>>105
新羅本紀

14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年 春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が「われわれは海戦に不慣れでございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。
いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから
かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。王はこれを聞いて「それもそうだ」と言った。

300年 春正月に、倭国と使者を派遣し合った。
312年 春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために求婚したので、王は阿飡の急利の娘を倭国に送った。
344年 倭国が使者をつかわして、婚姻を請うたが、すでに以前に女子を嫁がせたことがあるので断った。
345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。
346年 倭兵が風島に来て、進んで金城を包囲して攻めて来た。
364年 倭人は多数をたのんで、そのまま直進して来る所を伏兵が起ってその不意を討つと、倭人は大いに敗れて逃走した。
393年 倭人が来て金城を包囲し、5日も解かなかった。
402年 三月に倭国と通好して、奈勿王の子、未斯欣を人質として倭に送った。
405年 倭兵が明活城を攻める。
407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を攻める。
408年 春二月、王は、倭人が対馬島に軍営を設置し、兵器・武具・資財・食糧を貯え
我が国を襲撃することを企てているとの情報を手に入れた。
倭兵が出動する前に、精兵を選んで兵站をしようと考えたが
舒弗邯の未斯品曰く「兵は凶器であり戦は危険な事です。
ましてや大海を渡って他国を討伐し、万が一に勝つことができなければ、後で悔やんでも仕方ありません」王はこの意見に従った。
0115名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:01:59.02ID:pwfpG4f70
>>1
オノコロ島が架空なんてどんな根拠が有って書いているんだろうか(笑笑笑)
自分が知らないものは皆架空何だな。
0117名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:03:05.69ID:uulDa3ER0
今の問題は今の問題な
0118名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:04:13.38ID:GKDI/YiC0
大阪嫌いだからってそこまで顔を真っ赤にしながら邪馬台国九州説を
書き込み続けてるお前って、人生の選択でもいつも負ける側を選ぶよねw
0119名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:05:03.75ID:djK4ATZv0
こういう話って「剣先からしずくが垂れて島ができた」なんて今は誰も信じない国産み神話を事実だってのを前提にしてるんだから笑っちゃう
0120名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:05:17.83ID:D6bz1f690
【平成29年度】
・大型の竪穴建物跡1棟の発見

・104点の鉄器の発見
 その中に鉄製ヤス(あるいはモリ)があります。弥生時代のものとしては、九州北部や山陰地域での出土例はあるものの、
 そ の 数 は 少 な く、他の地域では極めて稀な鉄器といえます。


むしろ淡路島から他の地域へ伝播したわけか
0121名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:06:17.74ID:pwfpG4f70
>>1
第一神武天皇の目標はヤマトでは無いぞ、
池上・曾根を代表とする大阪府一円だろ、
所がナガスネヒコに撃退されて裏側に侵入しただけだ。
0122名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:06:22.64ID:EuPBzolY0
最初に生まれたのが出来損ない、2番目が玉ねぎしかない島ってのが日本神話の不思議なところ。
たいてい、一番最初に最強の島が生まれそうなものなのに。
0123名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:06:22.76ID:w028Gykh0
>>114
これ見ても敵国を支配しようという意図が感じられないな。
倭人って土地を侵して快感を得る変態の集団だったんじゃないかって疑ってしまう。
0124名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:06:31.24ID:xWmbdOU40
縄文人と言うのはとても興味深いものね・・
私も色々と思っていたのよ・・

あそこには平等の思想があるんだよね
0125名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:06:34.11ID:O7LapxjH0
【チョウセンゴキブリ】
韓国の国虫
朝鮮半島古来から韓国朝鮮人の象徴として冠にチョウセン(韓国朝鮮人)がついたゴキブリ
夜間世界中の台所に出没し、有史以来、韓国朝鮮民族同様世界中で嫌われた昆虫

            ===
             | .|
           ┌┴┴┐
            ̄|糞 Ξ| ̄             
            |  ..Ξ|                 ∴・・
            |尿. Ξ| プスッ             ∴・・・・・・・∴・・…         .
            |  ..Ξ|         … .∴∵■■■■■..∴・∴ ∵∴・・・ 
             ̄|_| ̄ =@        ¨∵■■■∴..・・・・
.  / 、o ヽ   /   ||      ∴・・・■■■■■■∴ ・・・
 /   |  __ノ ・  .,. |     ・.∴■・∴∵ …. ・・
           .,.■■■■■・・                       
           ■ふんテョン■           
           ii.  ̄"  " ̄ii
        /ヾ|  \  / |
       //;;>〈 ___ ||.__ 〉  ウゥゥンナラ マンチェェェェェェイ!!!!
      //γ |   ●● |
     ソ_ソ>'´.-!、 \   Д /
    τソ    −!  ヾ ー-‐  ィ、.. 
     ノ   二!__―.'    .-''  \
    /\ /
0126名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:07:18.65ID:QKnm8Trx0
765名無しさん@1周年2018/08/09(木) 01:56:49.20ID:lzgG6LDg0
>>1147
倭人の代表的存在である邪馬台国の卑弥呼以前にも
倭人達は統一した活発な海外行動をとってたんだ知らなかった

777名無しさん@1周年2018/08/09(木) 02:26:19.20ID:UIDDKD5i
「倭は大国で貴重な物が多いと考え、新羅と百済は、
 
倭人達を、新羅人や百済人 どちら敬い見上げている。」

中国王朝二十四史書 『 隋書倭国伝 』より抜粋

倭人たちより古代から格下民族だったことを朝鮮民族は自ら自覚してたのを
中国人の史実記録書でも明らかにしてる 。
0127名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:07:27.25ID:PHBd8yBo0
BC200年 中国は始皇帝の名のもとに統一。朝鮮半島は中国人である箕子が国家を作る。
       中国、徐福を日本に送るが、日本に来た徐福はそのまま行方不明。

AD57年  倭国、後漢の皇帝に勅使を送る。後漢の皇帝、日本を認め、朝鮮半島の国家より上と認定。
       朝鮮楽浪府、日本に対して大いに嫉妬 (記録あり)

AD200年 日本には小さな国が多く存在し、まとまらなくなるので、そこで一人の巫女を代表とする。卑弥呼誕生
       卑弥呼の次も女性の巫女がまとめる。

AD400年 倭国、百済、新羅を征服し、高句麗に迫るも、追い返される。(記録あり)
AD450年 大和朝廷ができる。
       大和朝廷、神武天皇はAD450年の今より1000年前から日本を統一 と日本書紀に嘘を書く
0128名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:08:13.06ID:CsLigNw50
淡路島を迎賓館にしましょう

ケケ中談話
0129名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:09:12.04ID:xWmbdOU40
弥生も否定出来ないのね
と言うのは、縄文人と言うのはあまりにも長い間外と鎖国していた状態でね
あまり外の世界を知らなかったのね。それで独自の文化をもうずーっと続けていたんだけれども
それで外からやってきた弥生に負けたと言うのがあるのね

弥生そのものも神道は引き継いで、神道そのものはアミニズムであるからして、
縄文文化であるのね
0130名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:09:49.37ID:D6bz1f690
AD 238 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →朝貢→ 皇帝(明帝)
              (ナマオナホ+ドレイとかいろんなもん)
    アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) ←下賜← 皇帝(明帝)「いいもんくれた オマエを倭王にしてやる」
              (倭王とか一杯いろんなもん)
AD 240 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) ←下賜← 皇帝(斉王)「まえのヤツは死んだ 挨拶だ おまえのことよく知らんから一旦仮の倭王にしてやる」
              (仮の倭王とかいろんなもん)
    アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) → 皇帝(斉王)
                (お、ありがとな)
AD 244 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →朝貢→ 皇帝(斉王)「おい だれか黄色い旗刺しでもやっとけ ん? もってけるやつがいないのか?」
              (ドレイとかいろんなもん)

AD 247 アマテラス御杖代伊勢斎王(ヤマト ヒメミコト) →報告→ 皇帝(斉王)
              (クマソどもぶっころしにいった キャハ)
AD 248 アマテラス御杖代伊勢斎王(ヤマト ヒメミコト) →朝貢→ 皇帝(斉王)
              (ナマオナホ+ドレイとかいろんなもん)
以後、ずっと交信記録なし
0131名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:10:00.86ID:+91yGtLQ0
>>120
九州から伝わったんだよw

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
中略
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。 
0132名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:10:27.10ID:PHBd8yBo0
>>51
卑弥呼が死んだ後の200年後にできた大和朝廷が書いた嘘の本だからな・・・・日本書紀も古事記も
0133名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:10:49.23ID:xu1PcnIX0
邪馬台国の場所はハッキリしないが、魏で皇帝に会った使者は九州の人。そして邪馬台国の本当の名前は「やまと」。
皇帝に謁見の時にあまりに緊張しすぎたか長く待たされてイラついていたのかわからないが、「何処から来た」の問いに、つい方言が出てしまって「やまとタイ!」と。
しかも早口だったので「やまっタイ!」にしか聞こえなかった。
0134名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:10:51.04ID:D6bz1f690
【平成27年度】
・中国鏡の発見
0135名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:11:26.13ID:Q9MkZ9ir0
>>129
神道って中国の道教の影響を受けてるというから。
日本古来の物かな。
弥生人が持ち込んだのでは。
0136名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:12:17.58ID:xWmbdOU40
私の場合は母親の家系が山奥なのよ。だから非常にアミニズムが身近にあったのね
父親が菅原系なのね・・

もろに縄文ともろに弥生なのよねぇ・・。ちょっとした違いを両家に感じたものよ
小さい頃は何なのかわからなかったけれどもね・・
0137名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:12:17.57ID:D6bz1f690
【平成27年度】
・中国鏡の発見

つまり淡路島は
新羅系のチョンコもどきの土人(北部九州、山陰、北陸)とは関係ない
0138名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:13:13.22ID:PDyg1teJ0
>>107
>和泉(イズミ)も安曇(アズミ)由来の地名のようだな
なるほど邪馬台国時代には淡路島を超えて大阪湾岸まで北部九州の手に落ちていたのか
これはもう九州で決定的ですなぁ
0139名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:13:41.33ID:xWmbdOU40
>>135
神道は中国の影響は受けていないのね
日本独自が育んだ概念だけれども、どちらかと言うとインディアンに近いんだろうと思うの
だからね、スティーブン・キングの小説にああいう土俗的なものを感じて好きなのよ
0140名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:13:50.09ID:2mVOo7JA0
>>116 白い石は昭和に用意して積んだものだけど
3枚目 前方部の黒い石は建造当時の石で
4世紀に対岸の淡路島から運んできたやつ
0141名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:15:24.97ID:PHBd8yBo0
>>133
中国皇帝が日本の使者になにか食べたいものがあるかと訪ねた。

中国皇帝 「わしはキャビアとかウニ、カニが大好きだがお前は何が好きなんだ、いくらでもご馳走しよう」
日本の使者 「おいも」

山ほどもお芋が振る舞われた。

中国皇帝 「土産に金銀財宝を与えよう。お前は何が好きなんだ」
日本の使者 「おいも」

山ほどもお芋がお土産に。
0142名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:16:54.34ID:vBBox/td0
>>140
>4世紀に対岸の淡路島から運んできたやつ
ほう
淡路島が北部九州の前線基地だったことや>>138から考えると北部九州勢が築いた古墳なんだな
0143名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:16:54.70ID:xWmbdOU40
まあなんか姉妹でも特徴があってね、父親そっくりの姉妹はやっぱり血が騒ぐのか
父親と似た考え方をするところが多いんだけれども。お墓でもね、私は母方に入りたいのね・・
一応墓守なんだけれども・・。甥っ子に・・と思ったりするのね・・
0144名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:20:39.09ID:D6bz1f690
邪(ヤ)馬(マ)台(ト)は奈良


台与:豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメミコト)

 台(ト)与(ヨ)

だからな
邪(ヤ)馬(マ)台(ト)で間違いない
0145名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:20:45.44ID:xWmbdOU40
やっぱり山奥でしょう・・。ちょっとした風習の違いはあるのね
父親が言っていたけれども、結婚する時に、母親の親族の女が全部集まってくるのね・・
それで「まあ・・良いんじゃないか・・」って決まるのね

父親のほうは祖父がかなりの権限があったのよねぇ・・
0146名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:22:07.02ID:D6bz1f690
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯

ヤマトは奈良しかない
邪(ヤ)馬(マ)台(ト)は奈良
0148名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:23:08.24ID:D6bz1f690
大和国風土記

風土記に曰く、宇陀の郡、篠幡の庄、御杖の神の宮。祭れる正魂霊にあらず。
倭比賣命、天照大神を戴き、御杖となりて、この地に至りき。よりて御宮地をたずねて三月を経、終に神戸となしき。

そして伊都志摩は伊勢志摩
0149名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:23:56.26ID:x3K9mbN90
邪馬台国は山形で結論出てるけど
0151名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:24:59.92ID:D6bz1f690
栲衾 志 羅 紀 の三埼を、国の余りありやと見れば、国の余りあり、と詔たまひて、
乙女の胸?取らして、大魚の支太衝き別けて、波多須々支穂振り別て、三身の網打ち挂て、霜黒葛闇や闇やに、河船の毛曽呂毛曽呂にき国来国来と引き来縫へる国はや 


コレが出雲風土記の国引き神話
もうそのまんま
山陰は新羅のチョンコもどきの土人の巣
0152名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:26:21.81ID:D6bz1f690
宇佐神宮Webページ
http://www.usajinguu.com/shinbutsu.html
8世紀の『豊前風土記』には、「むかし新羅の神が渡ってきて、この河原に住んだので鹿
春郷(かわらのさと)と名づけた」ことなどが記されています。つまり、田川郡には銅を産
する香春岳があったので、新羅国(しらぎのくに)の神を祀る技術集団が住んでいたことが
分かります。

北部九州もチョンコもどきの土人の巣

つまり、出雲信仰、白山信仰と同じく新羅系
つまり渡来神
0153名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:26:41.61ID:C0WSulRW0
>>137
新羅系などは少数ずつしか北部九州、山陰、北陸に入ってないが
0154名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:27:30.61ID:D6bz1f690
だからヤマト朝廷は
新羅系のチョンコもどきの土人とは
無 関 係 と書いてる
0155名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:28:53.11ID:OoYTYioB0
関裕二って人は結局邪馬台国はどこにあったって考えてるの?
0157名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:30:15.74ID:QKnm8Trx0
>>151
出雲神話に出てくる悪獣である八岐大蛇が北陸越前から出てくるのが気になる
0158名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:30:25.66ID:PfSN0H6y0
>>152
菟狭族の伝承ではそうなっていない
0159名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:31:34.98ID:syhXQpYr0
いやもうなんか
素人歴史家っぽくて楽しい
俺もそうだけど穴だらけ
0160名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:31:37.96ID:xWmbdOU40
出雲と言えばいかにも縄文のスサノオだものね
アマテラスは渡来系だと思うの
0161名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:32:41.51ID:D6bz1f690
その新羅の神というのがスサノオだからな

つまり八幡神のもともともの起源はスサノオ
で、スサノオは新羅のチョンコもどきの信仰の対象にもなってた
北部九州は新羅のチョンコもどきと関係が深かったことも影響してると考えられる

で、宗像三女神の神功皇后も
ついでのように祀られるように
いつのまにかなった
0162名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:34:30.70ID:D6bz1f690
そして
もともと東北の蝦夷土人のルーツが
山陰のヤツラだからな

山陰の負け組が
東北へ落ち延びてる

出雲弁と東北弁が似てるのは
そのせい
0163名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:34:45.89ID:K6bgnbsV0
>>122
近親相姦の弊害を知ってたんだな
0164名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:35:36.21ID:D6bz1f690
当時の半島には
いまの半島にいるチョンコはいない
0165名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:36:11.72ID:4USUweJF0
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/01/701.html
大阪市平野区の長原遺跡で、古墳時代中期の5世紀前半に鉄器を生産した鍛冶(かじ)工房跡が、
市文化財協会の調査で出土した。百舌鳥(もず)・古市古墳群の大山古墳(仁徳天皇陵、堺市)など
巨大古墳を築いた「倭(わ)の五王」の時代に当たり、近畿で最古の鉄器生産遺構という。
造営されて間もない古墳を壊して工房を設けていることから、当時の政権が関与しているのは確実で、
同協会は「大和王権直営の鉄器生産拠点」とみている
0166名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:36:39.19ID:w2WJNnsL0
>>41
単なる泡沫説をソースにするなよ
0167名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:36:43.34ID:D6bz1f690
蝦夷土人が住んでる場所との境目が
越後だからな 

つまり辺境の地が越後

朝廷の公民と認められる田舎もんは越後まで
越後超えたら朝廷の公民と認められない土人の巣なワケ

白山信仰やヒスイ遺物の分布どおりになってる
0168名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:36:57.70ID:2mVOo7JA0
>>142 4世紀に淡路島から本土側に2700トンの石を運んできてる
本土側と淡路島の両方を治めてた操船が得意な豪族で
前方後円墳なのと大きさから大和朝廷に協力してたと思われる
0169名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:37:48.75ID:K6bgnbsV0
>>141
それ違う話やwww
0170名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:39:07.02ID:D6bz1f690
東北では
田舎もんが住む区域と土人が住む区域の境界が↓コレになる
http://livedoor.blogimg.jp/itotaku77/imgs/2/a/2a761c8e.jpg

柵より向こうは
ずっと日本じゃなかった
野蛮人が住むエミシ土人地域

コイツラは公民になるまでヤマトの民じゃなかったワケ
南部九州の隼人土人と同じ

そんなとこから東征とかちゃんちゃらおかしいワケ
0172名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:41:07.71ID:mi1oVFUf0
>>1
>淤能碁呂島は架空だが

おのころ島→御のころ島→御のこの島→能古島
淤能碁呂島は博多湾の能古島だな。
0173名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:42:25.64ID:D6bz1f690
イザナミが奇形児産んだのは
イザナミがイザナギにセックスしよといったからではない
近親相姦だったからだと考えられる
0174名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:43:31.39ID:D6bz1f690
越後でも沼垂城より先は
土人が住む魔界

概ね阿賀野川が境になる

越後には渟足柵がある
コレで土人の侵入をふせいでた

渟足柵は
これより先は野蛮な土人が住んでたことを示す遺構になる
0175名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:46:08.52ID:D6bz1f690
現代の話でも、丁度な、北朝鮮の工作員が
日本海側の海岸に漂着するようなもんだからな
0177名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:48:11.60ID:90DKqazH0
>>1
素人じゃないよね?
まともに解明していくなら五色塚とか優先順位は何番目?
ふつうならまずは西求女塚から
そんでいかり地区の銅剣も一つ一つ当たらないと
0178名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:49:38.92ID:K6bgnbsV0
>>172
小呂島もあるんやで>福岡市
0179名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:55:24.12ID:D6bz1f690
新羅系の土人は
出雲、北陸からおわれることになる
そして、関東、東北へと逃げることになる

そして、朝廷が関東東北の土人どもをしばきにいくのが
坂上田村麻呂になる

坂上田村麻呂が土人の巣を一掃

坂上田村麻呂は
征 夷 大将軍だからな

九州説の低学歴知恵遅れは
まったく歴史をしらない
0180名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:55:28.44ID:xWmbdOU40
だからね・・従妹婚とか問題視するのは特アの特徴なのよ
世界的には普通にあるんだから・・
0181名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:55:32.19ID:QKnm8Trx0
>>161
スサノオの正体は中国史書に初めて倭人が登場した
倭国王・帥升がモデルになってると研究者達からカンぐられてるね
まぁ日本神話は無知な民衆に崇められる為に拵えた大和王権に都合よく捏造された物語だから
    
>>170
隼人は天皇族?と同一の血脈から別れた天孫族系の民って記紀でハッキリ書かれてるみたい
それに古事記や日本書紀によれば大和や畿内先住民とは
極々一部の豪族を除いて天皇家との血の繋がりは全くないでしょ
0182名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:56:44.58ID:D6bz1f690
東北にも古い八幡神社があるのはなんでか
もう分かるな
0183名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:58:56.10ID:D6bz1f690
熊襲って
大和朝廷に恭順してるのを示すために
イヌみたいにおなか出して
おちんちんびろーんしながら
隼人舞踊るんでしょ

ちがうの?

>>49 ← 隼人はこのとおり、律令制の時代になっても朝廷の公民ですらない土人
0184名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 20:59:29.64ID:PHBd8yBo0
>>182
古いと言っても
AD600年以後に建てられたものなら、それほど意味はない
0185名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:02:59.29ID:IpycwJpP0
それより日本海の海人たちがみんな内陸に上がった理由が知りたい。
0186名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:06:57.39ID:QKnm8Trx0
>>183
邪馬台国との関係性をカンぐられる熊曾(日本書紀では熊襲)
ファンタジーの神話レベルのお話
曾と襲の繊細な文字の違いも注目したら色々わかってくるかも
隼人舞は熊襲じゃないでしょ
0187名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:07:26.01ID:8MR6AJg70
旧約聖書でいうところの天地創造の神って実は宇宙人だったって説が多いけど、
日本神話の神も宇宙人なんじゃないの
0188名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:09:40.27ID:D6bz1f690
↓このとおり
凡邊遠國。有夷人雑類謂。夷者夷狄也。雑類者夷之種類也。釋云。夷。東夷也。挙東而示餘。推可知雑類。謂夷人之雑類耳。
古記云。夷人雑類謂毛人。肥人。阿麻彌人等類。問。夷人雑類一歟二歟。仮令。 隼 人 。毛人。本土謂之夷人也。此等雑居華夏。謂之雑類也。
一云。一種無別。 之所。應輸調役者。随時斟量。不必同之華夏。謂。中國也。
0189名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:11:35.71ID:D6bz1f690
律令制が整備された時代になっても
隼人は夷人雑類の野蛮な土人
わかった?

>>188 ← 大宝令の賦役令に明記されてる
0190名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:13:26.80ID:QKnm8Trx0
>>188
神経質なほど南九州を意識して記紀が書かれてるのはわかる
倭という文字とか異常にこだわってるし
どうしてかな?w
0191名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:16:27.94ID:CH/GxKS00
外国勢力と結託されるのが嫌だったんじゃね?
江戸時代も基本そうだし
明治維新の資金源も結局の所は密貿易だし
九州や中国地方はどうしても他国と接触し易い
0192名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:18:58.90ID:676Cd9SR0
あの古墳から見たら淡路は死者の国だ。
古墳の向かいの淡路側の地名は「岩屋」。
0193名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:22:12.98ID:D6bz1f690
律令制は神話じゃないからな
0194名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:22:51.08ID:+DnO4Nwc0
古代の朝鮮人
0195名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:23:43.93ID:+DnO4Nwc0
朝鮮人の天皇に聞けよ
0196名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:25:41.37ID:D6bz1f690
オレはチョンコの起源もしってる

半島では、有史以来ずーっと
漢族と女真族が血で血を洗う争いが繰り返されてきた
そんな中、突然、チョンコみたいな民族がポッとでてきた

考えられること一つしかない

野蛮人同士の争い 勝者が、略奪、レイプも当然
その中で産まれたのがチョンコの祖先、起源
李氏朝鮮の時代になっても酋長は女真族だからな

 漢族レイパー x 女真族♀ → 相の子A
 女真族レイパー x 漢族♀ → 相の子B

つまり、相の子Aや相の子Bみたいなのが
交配を繰り返してできたのが
いまの半島にいるチョンコ

つまりいま半島にいるチョンコはレイパーの末裔
0197名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:27:56.29ID:QKnm8Trx0
>>193
中華官僚制度=律令制

古代中国中華律令制度をそっくりそのままパクってのが大和朝廷
中央一極集権の発想自体中国律令制度の原型のバカの一つ覚えで上塗りしただけだけど
0198名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:28:36.33ID:D6bz1f690
チョンコ民謡のアリランとか
もろ女真族が起源の言葉だからな

チョンコの起源は
>>788 ← コレで間違いない
0199名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:30:43.60ID:w7aXFQ3b0
もうなんでもありの状態だな
0200名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:30:57.73ID:xGXlfnXJ0
神武東征は船で瀬戸内海を東に進んで吉備で長く準備してから
畿内に攻め入ってる。
吉備のバックには出雲があり、半島南部-九州-山陰は倭人の交易圏。
当時の倭人は海人であり、交易による先進地帯を構成していた。

その先進地帯が本州統合の前線基地として選んだのが奈良なんだろう。
その後古墳時代に入って大規模灌漑工事によって畿内は人口が増え、
交易中心で政治的連合の弱かった九州・山陰を凌ぐ陸上兵力を
持つようになった。海幸人と山幸彦の物語
0201名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:31:01.20ID:D6bz1f690
李氏朝鮮の太祖も女真族だからな
清も女真族
0202名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:34:00.48ID:QKnm8Trx0
>>201
朝鮮半島人の原型は蒙古でしょ
現代韓国人の顔型みてもモンゴルにルーツがあるってのが薄々わかる
0203名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:46:32.45ID:B++zxiQW0
日本古代史は四国など無かったかのような無視っぷり
0204名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:52:04.93ID:D6bz1f690
死国は黄泉比良坂が入口の黄泉の国
0205名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:58:55.09ID:xGXlfnXJ0
>>203
山ばっかりじゃ蛸壺状態、大勢力にはならない。
戦国時代にようやく長曾我部が統一したけど山道越えるのに
エネルギーを使い果たしてた。四国の外には出てけない。
淡路島経由も鳴門の渦が障壁になってた
0206名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 21:59:07.26ID:QWiK+6QP0
>>49
南九州の熊襲や隼人って独立国家?
0208名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:04:41.47ID:QWiK+6QP0
>>205
こちらは四国の人間だがドライブしてた四国山地でいかに南北に分断されてるのかよく分かる。
0209名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:06:41.61ID:D6bz1f690
三好は四国の田舎大名
その三好が一時畿内を支配した時期もあったからな

四国は律令上は南海道、紀伊も南海道
紀伊なんかかなりずっと日本じゃなかったからな
0210名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:06:59.63ID:F+K8qJOVO
>>200
古代の吉備には朝鮮系の移民が大量に住んでたらしいが…
0211名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:07:38.37ID:ixvAopTc0
緯度がおなじとか、ラインとか、

どうでもいい
0212名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:08:15.69ID:rYSb6Czx0
淡路島にはまだまだ眠ってる
遺物がたくさんありそうだな、
古代史を今の国家感で、日本と朝鮮半島
民族に分けちゃうと何も見えなくなる。
その当時は日本という国も無くて、今の朝鮮民族も支配層にはいなくて、倭、百済、新羅、高句麗その他小国たちが強大な中華文明の影響下で、国交やら戦争をして、人物や文化の往来も盛んだった。朝鮮半島三国志というより、日本列島の倭も入れて東アジア四国志だった。
0213名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:08:57.78ID:OuGNBgf20
本州よりも九州よりも、最初に生まれたのは淡路島なのに
なぜか天孫降臨して神武が出発するのは九州

2つの神話が合体してるとしか思えん
0214名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:11:27.18ID:2xEfuDRF0
>>64
博多が大和の傘下に入ったのは、3世紀中頃。
0215名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:12:00.51ID:QWiK+6QP0
>>197
天智天皇や天武天皇のあの時代って
それまでの有力な豪族の寄り合い政権だった大和朝廷が
中華帝国が皇帝を中心に官僚や役所が組織化されるようにそれをまねたんだよね。

要するに日本国は中華帝国と対等な立場の大帝国だと。
0216名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:13:33.31ID:F+K8qJOVO
>>213
王朝が入れ替わったんだろうな
みんな薄々とは気づいてるとは思うが天皇家の万世一系なんて嘘だからね
0217名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:14:20.72ID:D6bz1f690
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1hksNL5DbuwHTpk7FN6_72Gcrlbo

日本の中心はイニシエの時代から畿内
九州なんかずっと圏外

むかしから夷人雑類が多く住む未開の土人地域

そこんとこ田舎もんたちは自覚するような
日本の歴史は畿内の歴史
田舎もんがテキトーなことばっかりいってたらダメなわけ

日本の歴史は畿内の歴史

わかった?
0218名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:17:28.93ID:QWiK+6QP0
>>212
神功皇后の三韓征伐も史実を反映していてウソじゃないんだとな。
高句麗の広開土王碑にも4世紀後半に倭国が新羅や百済を屈服させたと書かれてて
古代朝鮮半島において倭国軍が軍事作戦で大きな成果を出してたのは事実だよね。
0219名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:18:04.01ID:D6bz1f690
ちゃんと万世一系になってる
わかった?
>>50続き
79 現代        今上天皇(125) 
78 近代〜現代     昭和天皇(124)
77 近代        大正天皇(123)
76 近代        明治天皇(122)
75 江戸時代      孝明天皇(121)
74 江戸時代      仁孝天皇(120)
73 江戸時代      光格天皇(119)
72 江戸時代      閑院宮典仁親王
71 江戸時代      閑院宮直仁親王
70 江戸時代      東山天皇(113)
69 江戸時代      霊元天皇(112)
68 江戸時代      後水尾天皇(108)
67 安土桃山〜江戸時代 後陽成天皇(107)
66 安土桃山時代    誠仁親王
65 安土桃山時代    正親町天皇(106)
64 室町時代      後奈良天皇(105)
63 室町時代      後柏原天皇(104)
62 室町時代      後土御門天皇(103)
61 室町時代      後花園天皇(102)
60 室町時代      伏見宮貞成親王
59 室町時代      伏見宮栄仁親王
58 室町時代      崇光天皇(北3)
57 室町時代      光厳天皇(北1)
56 鎌倉時代      後伏見天皇(93)
55 鎌倉時代      伏見天皇(92)
54 鎌倉時代      後深草天皇(89)
53 鎌倉時代      後嵯峨天皇(88)
52 鎌倉時代      土御門天皇(83)
51 平安〜鎌倉時代   後鳥羽天皇(82)
50 平安時代      高倉天皇(80)
49 平安時代      後白河天皇(77)
48 平安時代      鳥羽天皇(74)
47 平安時代      堀河天皇(73)
46 平安時代      白河天皇(72)
45 平安時代      後三条天皇(71)
44 平安時代      後朱雀天皇(69)
43 平安時代      一条天皇(66)
42 平安時代      円融天皇(64)
41 平安時代      村上天皇(62)
40 平安時代      醍醐天皇(60)
39 平安時代      宇多天皇(59)
38 平安時代      光孝天皇(58)
37 平安時代      仁明天皇(54)
36 平安時代      嵯峨天皇(52)
35 奈良〜平安時代   桓武天皇(50)
34 奈良時代      光仁天皇(49)
33 飛鳥〜奈良時代   志貴皇子
32 飛鳥時代      天智天皇(38)
31 飛鳥時代      舒明天皇(34)
30 古墳〜飛鳥時代   押坂彦人大兄皇子
29 古墳時代      敏達天皇(30)
28 古墳時代      欽明天皇(29)
27 古墳時代      継体天皇(26)
26 古墳時代      彦主人王
25 古墳時代      乎非王
24 古墳時代      意富富杼王
23 弥生時代      稚渟毛二派皇子
0220名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:21:03.21ID:FM2vEJEr0
淡路島の西部かぁ
瀬戸内少年野球団の世界
映画も小説も大好きww
0221名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:27:42.68ID:xGXlfnXJ0
>>210
卑弥呼の頃(3世紀)までの朝鮮半島はほぼ無人の荒野。
人が居ても原始人。百済や新羅が形になるのに100年以上もかかってる。

暖かい南端で倭人だけが船を持ち文化的に暮らしてた。
なので古代朝鮮からの渡来人は倭人。言葉も通じた
https://kotobank.jp/image/dictionary/nipponica/media/81306024010081.jpg
http://dp22051458.lolipop.jp/omokage/4thcentury.jpg
0222名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:30:24.49ID:9WgsA2+H0
陛下ご自身が「わが国は律令からはじまり、」とかおっしゃっているのに
それ以前の万世一系とか信じているバカがまだいるのか
化石のような頑迷固陋ぶり
 
おまえらのような記紀信者の時代は終わったんだよ
さっさと退場しろやバカが
0224名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:38:16.59ID:SHBQHuj/0
>>100

南朝鮮は、国民全員が国粋主義という超絶な極右国家

あらゆる歴史を自己都合で捏造し、地名まで捏造を繰り返す。


南北朝鮮はまともに付き合う相手ではない。断交あるのみ
日本に密入国してきて生活保護を受給し、性犯罪を犯しまくってる在日朝鮮人も全員を強制送還で。

日本人になりすました在日朝鮮人によるチョンポップの人気偽装もひどい。
チョンタレの日本コンサートでは、サクラの在日朝鮮人だけでなく、半島からも大量の朝鮮人を観客役として動員し、日本人に人気があるように虚偽宣伝を繰り返している。
LINEやYahoo!Japan(ソフトバンク)などの朝鮮メディアによるステマやネット工作もかなりひどい。

戦前から日本では朝鮮人による強姦被害が多発し、大勢の日本人女性が苦しんできた。
東南アジア諸国でも朝鮮人によるレイプ事件が頻発しており、朝鮮人は東南アジアの女性に最も忌み嫌われている。
ベトナムでは、強姦民族である朝鮮人のレイプ児・ライダイハンが大量発生して社会問題になっている。

朝鮮人はずっと昔から売買春が盛んで、大勢の朝鮮人売春婦が世界各地で体を売ってきた。
いまも、日本人女性を汚しまくってるAV男優とAV撮影者のほとんどが在日朝鮮人だ。

朝鮮人はみんな同じ整形ハンコ顔だけど、
もとはパンストを被ったようなエラ張りツリ目の朝鮮顔。
生まれつきの朝鮮顔をいくらメッタメタに整形したところで、朝鮮人の存在そのものが極めて卑しく、あまりにも汚らわしい。


南北朝鮮は、国際社会の汚物。
0225名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:40:36.66ID:xGXlfnXJ0
「天皇制の始祖が神武で一応現代まで続いて残ってる」で良いと思う。
このスレで興味があるのはその前の時代だけど
0226名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:53:01.58ID:xWmbdOU40
あのね、中国さん。縄文が中国と言うけれども、特質が違うのよ
縄文と言うのは空想力が豊富であったから、どうも寒い地域の特徴だと思うのね

弥生と言うのは反対に批判家の特徴があるのね
0227名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:58:19.38ID:RUqAGkOC0
鉄鉱石の獲れた中国地方から瀬戸内海船便で、淡路まで運んで畿内へ出荷、
鉄鉱石を運んで来た船で、九州まで鉄器の完成品運んだのかな?

淡路にでかい鉄工場あったのなら、畿内にも鉄器市場があったんだろうな。
0228名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 22:59:44.49ID:5AuGFBP70
よくわからんが昔から明石海峡から西は上沼恵美子の土地ってこと?
でも大阪城に住んでるんだよね
0229名無しさん@1周年垢版2018/11/10(土) 23:47:01.68ID:inA1VCYP0
>>225
天皇制の始祖は天智天皇までくだると思う。

天皇号も国号も年号も律令も正史も、
今に繋がる何もかもがその時代に完成したし、
その直前(蘇我氏あたり)の記紀の記述が不自然過ぎる。
0230名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 00:00:21.20ID:WksE/RSx0
>>229
東京外国語大学の岡田英弘の説だね。彼の『日本史の誕生』や『倭国の時代』はめちゃめちゃ面白い
0231名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 01:17:22.28ID:TozuYm3z0
出来損ないだから流されたやつだな
0232名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 02:10:38.28ID:ZQk4WC4r0
>>227
無いよ
畿内からは鉄製品が全然出てこない
>>16の通り淡路島は九州の勢力圏
0233名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 02:17:45.93ID:ZQk4WC4r0
>>104
その貝の道にはどうも2系統あったようだな
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
一つは沖縄近海のゴホウラガイやイモガイを至上とする西の道で、日本海側は沖縄から北海道まで、
瀬戸内海側は近畿まで続いていたみたいだな
貝消費の中心は北部九州なので、ここが西の海人の本拠地というのは合理的だ
もう一つ、伊豆諸島の南から関東〜東東北の東の道があり、こちらは伊豆諸島南部のオオツタノハガイを至上とした様子
>>107の銅釧分布を見ても、関東あたりには西とは違う型のものが多い
たぶん海人にも東西2系統があったんじゃないか
0234名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 02:25:17.13ID:JvrvMU+90
>>104,107,233
こうやって丹念に考古学的証拠を積み上げていくと邪馬台国は九州でしかありえないってはっきり分かんだね
桃の種とかwwww
0235名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 03:11:12.74ID:pDSTWpHn0
>>104
>となると、弥生時代に安曇が各地に勢力を伸ばしたのも、元々数百年も交易してきて各地の地理が分かっていたから出来たことなんだろうな
これは重要なポイントだろうね
神武東征伝承では、難波で長髄彦に負けた神武が紀伊半島を迂回して熊野川から敵の背後に出るけど、
「九州から来たばかりのくせに畿内の地理に詳しすぎじゃね?」
という敢えて誰も突っ込まなかった謎があった
元々紀伊半島より先の渥美半島や熱海なんかとも交易していた海人の出身だから紀伊半島の地理も予め知っていた、と考えれば自然だね
0238名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 04:09:36.49ID:pKgS4APg0
>>233
この図は見やすいな
当時は九州の勢力が他を圧倒していたというのがよく分かる
0239名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 04:12:58.39ID:eCdFk9KD0
安曇族がどうたら貝の道がどうたらのやつ
自演ウザい
0240名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 04:20:28.46ID:pKgS4APg0
>>239
反論できないから自演レッテル張りウザい
悔しければ論理的に反論すればいいだけ
0241名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 04:56:15.60ID:RH/fxd790
>>233
>>>107の銅釧分布を見ても、関東あたりには西とは違う型のものが多い
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
確かにタイプの違いはあるな
有鉤銅釧の鉤の部分は、ゴホウラ貝の貝輪にある一大結節の出っ張りを表現したものとされる
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/gohoura.png
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/kaiwa.png
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/mode.png

となると、有鉤銅釧はゴホウラ貝を宝とした九州系の海人の物で、関東に多い帯状円環型銅釧は
オオツタノハ貝を宝とした関東系の海人が使用したと考えるのが分布から見て自然かな
ただ、有鉤銅釧も関東あたりで少なからず出土しているのをどう見るか、だな
0243名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 06:27:24.25ID:QK2EyV4X0
>>52
> トヨはレイプされて殺されたのだろうか…

子供を産ますんだよ。
0244名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 08:07:13.06ID:kpZDx3330
時代がずれてるかもしれないけどナガスネヒコの国とか出雲の国とか国名が何だったのか興味がある
0245名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 10:03:00.05ID:QIER9Jkm0
>>237
記紀なんか妄想と捏造とパクリのオンパレードだもんな
不比等は楽しすぎて夢精しまくってたんじゃないか
0248名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 11:39:06.36ID:NfiE/5qI0
>>213
淡路島がオノコロ島と確定してるわけではない
0249名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 12:53:25.11ID:LaMzBuW70
ヤマタノオロチは
八幡のオロチなのか大和のオロチなのか
0250名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 12:55:13.67ID:r35Ih/QG0
>>104
その安曇野氏の地図見て思ったけど、黒曜石の産地に近いな。

あと、大山祇も安曇野氏に関係あるんじゃね?
0251名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 13:12:56.78ID:r35Ih/QG0
>>104
安曇は、黒曜石産地を支配していた一族で、
大山祇って、大山安曇だろ?

それと、神職の大祝(おおほおり)って、大山祇の孫の
山幸彦(彦火火出見尊・火折尊(ほおりのみこと))が
起源なんじゃないの?

日向ってのは、宇佐から見て南方って意味だろ?
0252名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 13:14:24.31ID:NfiE/5qI0
縄文と弥生の境界線か
0253名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 13:33:59.29ID:G06JfFwO0
>>235
>「九州から来たばかりのくせに畿内の地理に詳しすぎじゃね?」
言われてみりゃそうだな
紀伊半島を迂回したってことは半島の反対側がどうなってるか知ってたってことだよな
0255名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 13:39:00.78ID:G06JfFwO0
>>250
黒曜石といえば神津島産が有名だけど、神津島まで行って拡散したのも海人だろうしな
土着性の強い農耕民は自分たちの集落からほとんど出ずに、交易もせいぜい隣村程度だったのに対して
海上移動で日本各地と交易していた海人とは情報量に桁違いの差があったってことなんだろう
日本各地のどこになにがあるか、という情報を当時収集できたのは長距離移動する海人だけだったんじゃないか
0256名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 13:54:49.66ID:fPOmcELz0
>>217
邪馬台国も畿内じゃないと意味がないんだよな・・
0258名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 14:14:59.53ID:FOHrmsQC0
>>235,253
地理の知識っていうのは軍事上も極めて重要なんだよね
三国志で劉備に蜀取りを勧めにきた張松も蜀の地図を持ってきたし
その地理の知識が神武東征成功の鍵だった、というのは有り得る話だと思う
0260名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 17:24:03.21ID:5ch2Bq920
このスレの話を総合すると、邪馬台国は九州でもう間違いなさそうだな
0261名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 18:05:03.54ID:NfiE/5qI0
少なくとも畿内は無い
0262名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 18:23:09.26ID:WTgUeoFp0
>>74
非征服地だから奴隷がたくさんいたんだろ。
0263名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 18:34:37.25ID:3gtyWq+60
生島、足島、八十島、
自凝島、淡路島、
0264名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 18:47:20.43ID:3gtyWq+60
島生み神話、国生み神話は中国南部に多い神話のモチーフ
弥生時代前期末、黒潮に乗り大阪湾に辿り着いた人々は淀川河口の中洲に根を下ろし、その後淡路島にも拠点を構えるようになった

豊かな自然に恩恵を受け繁栄し、各地に広がっていき国を生み、神を生んでいった
在地の勢力に婿入りするなどして、勢力を広めたのかもしれない

弥生時代前期末、淡路島周辺の風習は一変する。

淡路島でBC4世紀の銅鐸が出土。
銅鐸などの金属加工の技術、金属器を使った製板技術が必要な木棺、方形周溝墓、井戸の技術、灌漑技術を伴った水田、分銅の製作などが一斉に認められるようになる。
0266名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 18:54:34.20ID:nU5tnsQn0
>>122
良いところは縄文人がみな住んてるから
縄張りさ
誰もいない所に上陸するしかない
0267◆HKZsYRUkck 垢版2018/11/11(日) 18:55:08.83ID:ULKBE+U60
松前建「日本の神々」によると、淡路のローカルな神だったイザナギが皇祖神になったのは、
律令制下で淡路が御食つ国になり、その内膳司の安曇氏の神話が、
「いわば表玄関ではなく台所から」入った結果なんだそうだ。

>>74
鉄の真骨頂は、武器ではなく農具だよね。
折れない曲がらない鉄の刃先をつけた農具は、開墾の速度を格段に早めた。
出雲国風土記の国引き歌に出てくる「童女の胸鋤」も、その大きさの形容ではなく
柔らかなカーブを描く鉄製の鋤だということを述べているのだ。
いや、後半は俺の持論だがw
0268名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 18:57:31.70ID:nU5tnsQn0
渡来人が日本に居つくには僻地から侵略するしかない
それが淡路、四国、九州とか僻地から順に侵略してった国産みの順番だよ
0269名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 18:58:45.84ID:3gtyWq+60
銅鐸はサナギ
イザナギは銅鐸王
鈴の王様
0270名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:00:56.63ID:nU5tnsQn0
>>253
そりゃ熊野や尾張、山城が命令出してるからだよ
タカクラジやニギハヤヒ、八咫烏だよ
0271◆HKZsYRUkck 垢版2018/11/11(日) 19:03:51.85ID:ULKBE+U60
>>269
イザナギとイザナミとは対なんだから、凪と波だよね。
はるか南の国々から海人族とやってきた神だ。
0272名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:09:14.30ID:k6VqE9k70
データーでの九州+出雲の分析は良いけど、
その解釈は、2chのレスと同じ笑い話の類だな。
0273名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:10:30.69ID:CGyzYNAk0
>>262
いきなりやってきた人間があんな古墳作るはずがないだろw
作る意味を考えろよ
0274名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:12:04.98ID:RkCTko4Q0
>>270
無い無い
>>104>>107を見れば縄文の昔から邪馬台国時代に至るまで九州が圧倒的大勢力だったのが一目瞭然
尾張なんかは九州の海人に文化を恵んでもらう側
0275名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:13:28.64ID:RkCTko4Q0
>>273
新参だからこそだろ
土着の奴隷共に誰が支配者なのかをはっきり分からせるためにやったんだよ
0276名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:21:15.77ID:3gtyWq+60
淡路島の鉄工房は2世紀末までかな

倭国大乱で吉備と阿波に征伐されたんだよ
0277名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:22:30.30ID:atbdK0gD0
>>241
その有鉤銅釧を身に着けて各地に派遣されていたのが一大率ってことかな
一大率が伊都国にいたと解釈する人もいるけど、それだと各州に一人いる刺史とは性格が違うよね
一大率は一人だけで伊都国から複数の国を収めていたなら「丞相の如し」と書かれてなきゃ変だ
伊都国から各国に一人ずつ一大率が派遣されてその地を治めたから刺史のようだと書いたんだろう
0278名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:28:56.57ID:Trl1TddJ0
九州北部、出雲に日本人のルーツがあるってことは、やっぱり俺らは朝鮮人じゃねーかwwww

どっちも朝鮮にめちゃ近いとこじゃんwwww


ネトウヨどうすんの、これwww
0279名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:29:22.87ID:k6VqE9k70
>>16
隋書の方は天(アマ)の方だよ。
ただし同音の海(アマ)も強く結びついてるので、
先の可能性はあるが、天への畏怖は素朴なものなので、
この天上他界の考えが先。次に色々な物が流れ着くで海。
大陸では川・湖の精とかあるので、日本だけの特徴では無いが水界他界もある。これとも強く海は結び付いてる。
ただ弥生期に海のアマが主流なのは確か。
0280名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:38:16.00ID:0Cq1Yee70
>>276
邪馬台国時代だって書いてあるが

>五斗長垣内遺跡が先にみつかり、すでに復元され、公園になっている。弥生時代後期の1世紀ごろに約100年続いた鍛冶工房だ。
>かたや舟木遺跡は、弥生時代後期の2世紀半ばから3世紀の遺構で、こちらは邪馬台国の時代の鉄器工房だ。

それが九州北部から来たことも>>16のリンク先に書いてある
0281名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:40:24.02ID:nU5tnsQn0
>>274
だから神武東征は九州にいた渡来人が大和や尾張にいた渡来人とやり取りしてただけであって
どちらが立派とかそんなどこぞの民族みたいな話じゃないんだと思うよ
0282◆HKZsYRUkck 垢版2018/11/11(日) 19:41:59.78ID:ULKBE+U60
>>279
俺もこのあいだからアマについて考えているけど、
本来の天の訓みは「アメ」じゃなかろうか。
天地は「アメツチ」だし、天から落ちてくる水は「アメ」だし。

アマノガワやアマテラスのような「アマ」の発音は実は新しいのかも
知れない。あるいは本来のアマテラスは「海照らす」なのかも知れん。
0283名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:49:33.91ID:fxcDN27c0
>>277
確かに刺史なら全国には何人もいるはずだよな
貝輪や銅釧の分布を見ると、伊都国が監督した北方の国というのは日本海沿岸や瀬戸内海沿岸諸国の事なのかもな
伊都国もまた海人の国だったとすればこれらはスッキリ説明がつくし、可能性は充分あると思う
0284名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:52:02.68ID:WTgUeoFp0
>>273
それまで王権の影も形も無かった地域にいきなり古墳ができてますが?
0285名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:52:46.59ID:j0/DMyDt0
>>178
小呂島(おろのしま)では「おのころしま」にならんでしょ
小さ過ぎるし
0286名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:55:00.84ID:NfiE/5qI0
>>285
能古島とセットですよ
0287名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:56:04.85ID:k6VqE9k70
結論からいうと、淡路は畿内銅鐸文化圏。
北九州南部の吉野ヶ里や佐賀の銅鐸工房と出雲の銅鐸の
一致性と、この記事の出雲と淡路の銅鐸一致性から、
北九州の一部の勢力と出雲、淡路の繋がりはあるでしょうな。
しかし銅鐸の祭器性から見ると、その北九州は祭器性が無い。

銅鐸は出雲、本州西から消えていく。
出雲は畿内の影響下から脱皮したような形になっている。
鉄は農耕開拓団にとってはより便利な文明。
銅鐸から鉄を考えると、王朝云々よりまず農耕を考えるべきだと思われる。
0288名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 19:56:46.29ID:NfiE/5qI0
日本中に大島はいっぱいあるけど
オノコロみたいなヘンな名前の島は、たぶんこの2島
0289名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:00:23.82ID:CGyzYNAk0
>>275
ないな・・
あれだけの古墳を作るのに
どれだけの規模の支配勢力がやってこなきゃいけないか

だからデカさはその地域の人間の多さを意味してる
0290名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:05:09.93ID:3gtyWq+60
淡路島
イザナギの【隠れ宮】とはどういうことだろう
0291名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:05:44.19ID:47cUsvum0
>小千益躬(おちのますみ)

封建時代以降、愛媛に越智氏っていう豪族がいたが、高い確率でこの小千益躬の子孫で、大昔からのこの地域の首長レベルの豪族だったのかもな。

昔、東京の選挙区から出てた衆議院議員の右から読んでも左から読んでも「おちみちお」もそうなんだろうな。
0292名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:06:12.77ID:AjtFIemz0
>>68
寒そうな人生送ってるなお前
0293名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:06:21.06ID:ymZQwCqV0
>>287
出雲は銅鐸を用いた集団祭祀から、
王による首長祭祀へ移行したのだろう。
3世紀まで銅鐸を使っていた畿内は身分制度が
未発達な後進地域でしょう。
0294◆HKZsYRUkck 垢版2018/11/11(日) 20:08:01.94ID:ULKBE+U60
>>288
オノコロは、「自(オノ)ずから凝る」の造語だよね。
つまりイザナミが生んだものではなく、アマノサカホコから滴ったしずくが固まったものだ。
エジプトの「原初の砂丘」やポリネシアの原古の岩と同じ、宇宙軸(コスモロジカルアクシス)だと。
0295名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:15:41.87ID:Wpq5JIec0
>>286
淤能碁呂島福岡説の優位なところは、仁徳天皇の和歌に檳榔の島が歌われていること
ビロウは福岡が北限で瀬戸内海には生えていない

http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
> この口語訳は「古事記(講談社学術文庫)」によると以下のとおりになります。
>  『(おしてるや)難波の崎から、出で立って、わが領有する国をながめると、淡島や島、また檳榔の島も見える。佐気都島も見える。』
>  注釈には「おしてるや」は難波の枕詞、「淡島はイザナミ・イザナギの二神が国産みの最初に産んだとされる産み損じの島」であり、
> オノゴロ島は「神話上の島」、檳榔の島は「空想上の島」であるらしい、さけつ島も「実在の島ではあるまい」としています。
>  檳榔とはビロウの古名であり、ビロウは熱帯性のヤシ科の植物なので、南九州や四国太平洋岸には自生していても、
> 淡路島周辺の瀬戸内海には見ることができない植物です。これがネックとなり淡路島周辺のどこを見た風景なのかわからなくなってしまい、
> 結果「オノゴロ島」も「淡島」も「さけつ島」も全て「実在ではない島」となってしまっています。
>  ところが、この詩がそもそも淡路島から見て詠われたものではないと仮定して、淤能碁呂嶋候補と言われている島の中から、
> 自生ビロウが存在する島に絞って考えてみると、以外にこの詩のなぞが解けてくるのです。
> 淤能碁呂島候補でビロウが自生している島とは、唯一『小呂島』しかありません。
0296名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:17:30.17ID:XHn+/0rg0
>>289
いや作らせる側の人間は少数でいい
船頭が多くても船が山に登るだけ
屈服した畿内人をきっちり使役すれば問題ない
0297名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:28:40.66ID:CGyzYNAk0
>>290
その後の近畿の歴史を考えると

自己満足の想像だな
0298名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:36:40.24ID:RH/fxd790
>>295
ビロウ祭祀は南海系の文化なんだな
ゴホウラ貝などを南西諸島と交易していた海人が持ってきたと考えると>>16>>104>>107とも符合する
それが皇室の重要な祭事で重視されているというのも、皇室が海人の出自であると考えれば妥当だろう

http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
>なぜ、ビロウが手掛かりになるのかというと、このビロウという植物の古代天皇制から現在の天皇家にいたる祭祀上の特殊な位置づけがあるからです。
>まず第一に、古代天皇制においてビロウは「最も神聖な植物」とされたということです。
>皇族の中でも特に高貴なものに許された乗りものに、ビロウ毛の牛車というものがあります。屋根材をビロウの葉で覆っているものだそうです。
>なぜこのような牛車が高貴なものしか許されなかったのか?
>おそらくそれは、天皇の即位式である大嘗祭に由来しているのではないだろうかと思われます。大嘗祭においては、天皇として即位する
>儀式のため百子帳という小屋を建て、そこが天皇になるための禊の場となるのだそうです。
>この百子帳の屋根材は、なんと今でもビロウの葉でなくてはならないのです。
>ビロウ毛の牛車とは、おそらくこの百子帳を日常にアレンジしたものであろうと思われます。
>ならば、その使用は天皇にごく近い血筋をもったものしか許されなかったことは、想像に難くありません。
>
>第二に、ビロウは古代から続く信仰のシンボルでもあった可能性があるということです。
>折口信夫によると、ビロウの葉は風を起こす呪具であり、扇の元となったといいます。風は航海や海戦にとって、命を左右する自然現象です。
>古代において、呪術と科学は同じですから、ビロウの葉はシャーマンにとって風をあやつることができる(とみせることができる)、
>重要なアイテムだったのです。
>また、吉野祐子によるとビロウの葉は扇の原型でもあるが、幹は男根の象徴であり、蛇信仰のシンボルでもあったといいます。
>実にビロウは、日本の風土と信仰に深く根ざす植物でもあるのです。
>そもそも、ビロウ祭祀を行っていたのは、南方から流入した系統の民族であり、沖縄・南西諸島のには必ずビロウが自生しています。
>宮崎県の天孫降臨伝説が残る青島は、まさに北半球最大のビロウ自生地であり、青島神社の元宮は縄文時代からの遺物が発掘されます。
>古代天皇制に南方の習俗・祭祀が取り入れられているのは、古墳時代の遺物からもゴホウラガイの腕輪などからも推測されますが、
>山幸彦・海幸彦伝説の起源を考える上でもとても興味深いのです。
>
>さて、このようなビロウが沖ノ島や小呂島に自生しているのは、どんな意味があるのでしょうか?沖ノ島は4世紀から9世紀までつづいた
>天皇家による古代祭祀が行われた場所として、当然祭祀目的で持ち込まれたことが推測できます。
>なぜなら、沖ノ島のビロウは海岸からは遠い崖の上に自生しているので、とうてい海流による自然分布とは考えられえないからです。
>このことは、総合地球環境学研究所の秋道尚彌名誉教授が沖ノ島世界遺産関連の論文の中で指摘しています。
0299名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:43:37.98ID:3gtyWq+60
八十島祭
0300名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 20:46:50.58ID:5shLXm7Z0
>>298
やっぱり阿毎氏の正体は海人っぽいな
0301名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 21:37:20.63ID:NfiE/5qI0
おもしろい・・・
0302名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 21:57:17.51ID:k6VqE9k70
>>293
それでも良いんだけど、出雲の古墳様式は広域性が無い。
あえて東側からの影響が大きい。
二つ目は、銅鐸活動が活発化する弥生中期の外来系遺物が見つかる河内遺跡群も未発達な後進地域という話になり、そぐわない。

>>295
檳榔は漢名-蒲葵(ホキ)というらしいね。
ガマ・アオイの通り、直立して葉を広げるで、アジマサ(吾治正)の名にふさわしいかな。
どことなく北九州−倭奴国と見てもいいね。
淡島を見て感慨としてその先の島まで見えるって歌だろ。
0303名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:03:11.84ID:3gtyWq+60
八十島祭。
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀とある。

後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌。

 ○天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば      津守経国

 八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。

 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇
0305名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:08:02.98ID:3gtyWq+60
海を渡って日本列島に渡来している時点で、航海に長けた海人

その後海人として生きた者もいるし、丘に上がって生きた者もいる
0306名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:08:44.76ID:GopwGdlM0
しかし魏志倭人伝に書いてある身分の高い人に対する挨拶が柏手なのは面白いよね。今神様に柏手をしてるのは元々は高貴の人に対しての挨拶だったのが。
0307名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:10:02.41ID:NfiE/5qI0
淡路島って、オノコロ島というより、ヒルコ・アハシマのアハシマのアハシマじゃね?>>303
0308名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:10:13.21ID:8sETmF7k0
淡路島におのころ島神社があるんだが
0309名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:10:20.35ID:qLTHGvRS0
>>304 アマって「向こう方」って意味だよ後から海の意にも転化したの
0310名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:12:41.49ID:CGyzYNAk0
知識は物事をややこしくすることが多すぎるよな
エジプトもそうだが巨大古墳はランドマーク的な役割がある

自分が従属させた地域に自分の親や自分の墓を作りたいか?

考える必要ないと思うがな
0312名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:27:30.06ID:ziOFj03R0
>>157
蛇は執念深いって言うけどヤマタノオロチも8年掛けて
出雲まで女を喰べに来るんだからひつこい性質がよく出てる
0313名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:32:19.93ID:+nxgcTS10
流竄なんていう難しい漢語は初めて見た。
漢検何級だい?
北史.卷九十五.蠻傳(マンデン):「誕時年數歲,流竄大陽蠻中,遂習其俗。」
大宋宣和遺事.貞集:「見流竄者,更不復敘。」
0314名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:33:13.45ID:7PHGsnXA0
邪馬台国の四国説について、お前らどう思う?
俺は、結構現実味があるんじゃないかと思う
地名が似過ぎなんだよな
マジであり得ると思ってる
0315◆HKZsYRUkck 垢版2018/11/11(日) 22:36:35.40ID:ULKBE+U60
>>312
しつこいというか、資源保護じゃなろうか。
1年に8人づつ娘さんを食べてたらすぐに絶滅するぞw

>>157について言えば、八又の大蛇=九頭龍だよね。
0316名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:38:36.07ID:CGyzYNAk0
あの古墳を作るまでにどれだけ長い年月かけて
近隣の豪族たちが争い、和平して、交流を行い、上下関係が出来てたか
そっち考えるほうがロマンだな・・

そんな完成された協力社会にたとえば九州から一勢力が来て支配者にのし上がるなんて
到底考えられない
0317名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:51:19.42ID:NfiE/5qI0
>>316
おおむね同意なんだけど、だからこそ神武の東征が謎
簡単にスルーできない
0318名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:54:18.50ID:nvUARnhs0
>>317
そもそも、古事記や日本書紀に書かれた

神武天皇の東征は嘘だし、
神武天皇なんていなかったしw
0319名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:56:57.71ID:NfiE/5qI0
なんでわざわざ嘘書いた
0320名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:57:19.48ID:NfiE/5qI0
記紀の両方に
0321名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 22:59:08.69ID:N6EseWgw0
邪馬台国が当時の日本の最大勢力ってのは単なる思い込みだろ
一地方の小政権だった可能性すら高い
日本は古来より今までほぼ朝廷(朝廷を担ぐ勢力)の完全支配下という歴史を刷り込まれてるから
複数の政権が割拠するイメージを持てないんだよ そういう風に洗脳してる訳だがな
だから金印なんて後から作られた捏造の証拠がさも当然のようにまかり通ってしまう
0322名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 23:00:47.79ID:35JkxUXz0
邪馬台は「やまだ」とか「やまどぅ」の写しらしい。古代中国で「やまたい」という読み方は絶対
にないという
0325名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 23:24:41.25ID:N6EseWgw0
まず捏造日本神話のオカルトと歴史的事実は別物だと認識しなきゃな
世界の他の地域の遺跡がそうであるように神なんて実際にいる訳がない
0326名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 23:33:00.32ID:xfwWgabm0
日本神話の源流は南洋の島や中国東南アジアの説話にたくさんある
日本人の祖先が南の島からきたと考える一番の理由でもある
0328名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 23:37:23.13ID:nvUARnhs0
>>319
神武天皇の生まれた年度を見れば嘘ただわかりだろ
卑弥呼の時代よりさらに800年前と書いてある

あと、嘘を書いた理由は権威付け
0330名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 23:38:50.29ID:B+Me9Eg80
魏志倭人伝ガー、も
記紀ガー、も 良く考えてみてほしい

はたして新聞の全国三大紙は全部真実を書いてるのかと、

むしろ自己主張をしたい部分以外のほうが事実がはっきり書いてるような気がする、
のは本題ではない個人的意見
0331名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 23:40:48.20ID:nvUARnhs0
>>329
いや、AD450年以降は合っている
神武天皇から20代目ぐらいまでは架空の天皇

こういうのは、どの国の王でもやっている
0332名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 23:42:15.20ID:QK2EyV4X0
淡路島ってタマネギのイメージしかないわ。
0334名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 23:48:03.05ID:3gtyWq+60
月夜見、卑弥弓呼(日見彦)、サルタヒコ

ホトトギス、時鳥、月、玉、(橘)

延喜式祝詞には、
皇御孫之命は、天之御蔭 日之御蔭と隠坐てとある
天でも日でもない
同じく、坐摩神社の井戸の神々は、皇御孫之命にお仕えして、天之御蔭、日之御蔭と隠れていたとある

また道饗祭の祝詞には、【クナト】が高天原で事を始めた皇御孫之命で、根の国底の国の侵略に抗ったと書かれている
0335名無しさん@1周年垢版2018/11/11(日) 23:52:27.41ID:3gtyWq+60
邪馬台国、初期のヤマト政権は、東海、山陰、吉備らによる征服王朝
根の国、底の国が打ち立てた朝廷
卑弥呼、天照大御神により始まった朝廷
日本の大部分を平定し纏めた功績は大きい
0337名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 00:01:02.19ID:Rv+SLTNf0
>>331
百世一系ぐらいだな。
0339名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 00:14:23.13ID:Zes1OOvN0
九州からきた連中に蹂躙された方が権威があるのか?
おかしくね?
0340名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 00:33:32.60ID:6rkjDlQV0
邪馬台国は九州の地方政権で後に大和朝廷に支配されたんだろうに。
0341名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 00:36:03.96ID:kxMSOLPy0
私たちの大切なウリジナルカレンダーで申しますと・・・ンアッー!
0342名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 00:36:52.65ID:ieUKeIS10
中華から正統性を認められた九州倭国の
一族と言いたいんだろ。
中国にもそう説明している。
0343名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 00:37:50.00ID:ieUKeIS10
>>339
中華から正統性を認められた九州倭国の
一族と言いたいんだろ。
中国にもそう説明している。
0344名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 00:42:13.61ID:P+y/2BeR0
四国は狗奴國
日本の神話は狗奴國の神話
0345名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 00:49:52.52ID:Zes1OOvN0
>>342
畿内説の連中は九州説を否定しつつ神武も嘘だって言うからややこしい
倭国が九州なら納得できるんだが
0346名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 00:58:44.65ID:lTIDBp890
子供の頃、「国の始まりがヤマトの国ならば島の始まりは淡路島だ」と
教えてくれたのは・・・そう、車寅次郎という人でした
0347名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 01:19:17.13ID:mjiZmRMo0
ヤマヰ國かヤメヰ國だろ
0348名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 01:26:21.33ID:UXb7x8RF0
>>298
九州以南にしかないビロウが大嘗祭に欠かせない存在というのは
皇室が九州から来たというなによりの証拠だな
畿内はもう諦めるしかない
0349名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 01:27:45.15ID:6rkjDlQV0
魏志倭人伝にある邪馬台国から東南へ海路で1年の裸国や黒歯国がもしかして畿内のヤマト政権?
0350名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 01:49:21.47ID:K6VKg9bl0
神武東征の証拠は全く無いし、日本武尊が東国を制圧した証拠も無いし
熊襲征伐の証拠も全く無い、要するに記紀に書かれている事は嘘だらけ
0351名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 01:57:56.26ID:sEtmFXnz0
ビロウって調べたら椰子やん・・・
近畿ってあたま
おかしいな
0352名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 02:09:38.12ID:yw2Hz7YY0
ID:h02ObU+1O
ID:DtXB1bGGO

暇だな、おまえ。
0353名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 03:52:40.51ID:nwuBRilb0
アメリカではレプティリアンの存在を信じている人は多い
0354名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 04:02:25.04ID:LK22uWxh0
邪馬台国は大和の中国表記である事は100%、間違いないじゃん。
99%でもない。
それは歴史の連続性で、言える。
古墳は大和地域から出てくるんだから、その直前に巨大な中央集権があって、人々を使役する力があったって事だよ。
九州だったら、突然、奈良にそういう古墳が生まれるのはおかしいだろ。
九州に朝廷の古墳があるはずだ。
0355名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 04:05:05.68ID:LK22uWxh0
続き
お墓なんだからね。
先祖の居るとこに埋めるはず。
0356名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 04:15:26.74ID:N92yGwGq0
博多=奴国 (那珂川=奴ヶ川)
ここが「みなと」 (=水・戸(門)=水辺のくに)
みなとを支配したのが「やまと」 (=山・戸(門)=山手のくに)
漢の時代、自らは朝貢せずに、配下の奴国に朝貢させ列島のマウントを取る。
0357名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 04:17:31.39ID:N92yGwGq0
>>354
分かってない奴だなw
当時の大陸と半島・列島の政治・地政学を考えれば、
答が見えてくる。
0358名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 04:29:27.24ID:R8qR4SXu0
邪馬台国は意外にも甲府辺りに存在したかも。
0360名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 04:32:26.09ID:LK22uWxh0
>>357
バカじゃなかろか。
国は自然に国内で発展するんで、対外的にどこが中心と決まるものじゃないし。
そもそも、魏志倭人伝の記述からおかしい。
大和を邪馬台国と記すのは、大和を不明にする暗号じゃねえの。
だから、場所を記述する箇所があっても、どこだかわからないように記してるんだよ。
三国志の時代だから、暗号解読で歴史を見れば解けるだろうけど、そんな優秀な人は興味を示さないだろうからな。
0361名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 04:52:18.30ID:ePFNVSN50
>>69
九州の劣等感丸出しだなwww
発想は朝鮮人とオナ爺wwwww
昭和30年代石炭から石油へというエネルギー革命で
石炭産業が斜陽化し筑豊の炭鉱が相継いで閉山されて
失業した北九州の炭鉱夫家族が阪神工業地帯や中京工業地帯に押し寄せたwww
これが第二次神武東征(=経済難民移住)だ。
シリアの難民がヨーロッパに押し寄せているのと同じこと。
0362名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 05:34:44.35ID:ePFNVSN50
>>345
邪馬臺国は宗教都市国家バチカンで
倭国はイタリアのような関係だわ
>>347
邪馬「壹」國(ヤマイッコク)は「臺」を
宋代に版本を出版した時に「壹」と見誤って誤刻したものだ。

壹(壱)は古代支那語でitという発音だ。
現代の広東語ではyatヤッ(ト)という発音で
客家では[jit]ユイッ(ト)という発音。
()内のトは後ろに母音を発音しないTの発音。
「臺」は広東語でtooiトーイという発音。
支那語は「安史の乱」以後漢字の頭子音の濁音が清音に変化し始めた。
だから「安史の乱」の前はdooiドーイという発音だった。
現代支那語の標準語である北京官話(=普通話)で「臺/台」は
低い音程から高い音程へ上昇する発音だが
平声濁音漢字は全濁から全清(東京弁のように発音する時唾が飛ぶほど威勢よく声を出す)に変わった。

「壹」には促音=詰まる音(専門用語で声門閉鎖音)が入ってる。
上代(古代)の日本語に詰まる音が無かったのは
上代日本語の宝庫である「万葉集」を読めば解ること。
だから促音の無かった古代日本語を古代の支那人が促音と聞き間違えたということは言えない。
0363名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 05:44:06.44ID:LbjQO0eD0
>>357
3世紀中頃の倭人伝の記述の中に、1世紀から2世紀の帯方郡の倭の認識が入ってるんじゃなかろうかね。
「東に倭種」は帯方郡の記録にある1〜2世紀の倭国を示していて、それとの整合性と、受け入れやすい支那王朝の地政学的認識なものを取るため、南に方位を変えたんじゃなかろうかね。
0365名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 06:00:32.28ID:LbjQO0eD0
南朝鮮政府を半島の代表の政府として認め
それ以外は朝鮮種としていたが、統一され、
首都が平壌に変わったとしても、
それを継続したのは南朝鮮政府として捉える。
外交の基本だし、政変があったとは言ってこないしで。
0366名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 06:04:13.65ID:4W2DwbpJ0
北九州連合は通せんぼしてたのにヤマトに取られたとか間抜けすぎる。
しかもヤマトの発展を危惧してるのに有利な鉄器がごっそりあるうちに攻め込まないとかアホすぎる。
だいたいヤマト建国した大元はどこにいた誰よ?
いろいろ穴がありすぎる
0368名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 06:34:41.09ID:ePFNVSN50
>>9
奈良県田原本町の唐古鍵遺跡から青銅器鋳造関連遺物や炉の跡が出土している
0369名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 07:41:18.99ID:K6VKg9bl0
神武の東征は証拠が出ないから作り話
日本武尊の東国征伐、熊襲征伐も証拠が無いから作り話だよ
0370名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 07:41:56.40ID:Zes1OOvN0
だから魏志倭人伝のどこが畿内の描写でどれが畿内の国なの?
0372名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 08:35:47.20ID:ePFNVSN50
>>362
広東語の発音は「粤語審音配詞字庫」というサイトで聞くことができる。
//fast-uploader.com/file/7097528078814/
「輸入漢字」というBOXに旧字体(康熙字典体)で漢字を入力し
「捜索」というボタンをクリックすれば該当する漢字の発音が示される。
「臺」の場合toi4とローマ字で発音が表示される。
スピーカーアイコンをクリックすると発音が聞ける。
toiの後の数字4は声調を表わし隋〜初唐の平、上、去、入の四声が
陰陽九つの調子に分かれたことを表わしている。
詳しくはja.wikipedia.org/wiki/ の広東語その他を参照
0373名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 08:49:10.89ID:5V5qJfx10
>>368
しょぼい奴がね。
青銅器鋳型の8割は北部九州で見つかっている。
0374名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 08:54:01.04ID:X7a5Vw6t0
邪馬台国だけが献納しただけで
他のエリアボスがいた可能性はある
邪馬台国=西日本が成立するかはわからない
考古学者はもう少しどんな条件が満たされたら成立するか考証すべき
0375名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 09:00:40.75ID:X7a5Vw6t0
やはりヤマト王権の祖は朝鮮半島南部の豪族勢力で
海を渡って九州に根を張り
そこから東進
淡路を占拠後機内に押し入ったが正解だろう
渡来人は何派にも渡って来ていて
出雲や吉備、畿内などに既に創始的な王権があったかもしれない
0376名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 09:07:14.86ID:l7qTqN0e0
2世紀末、邪馬台国ヤマト政権を作ったのは、東海と出雲、次いで吉備阿波も参画
0377名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 09:13:06.33ID:xBXdi3dn0
>>52
レイプされて殺されたような伝承があるな
箸をあそこに突き刺されて死んだとか暗喩化しているが
女首長をバラバラにして捨てるとか昔の男は物凄く残酷だったね
0378名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 09:22:28.48ID:Zes1OOvN0
>>377
呪術的な意図もあったんだろ
0379名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 09:23:24.65ID:Q62/HFD60
>>248
オノコロ島は淡路島とはまた別だよん。オノコロ島の次に淡路島ができた。
0380名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 09:31:17.74ID:MH18APkF0
>>339
畿内人は九州の連中に遺伝的に蹂躙されてるだろ
ttp://hitori-kami.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_fcd/hitori-kami/acd0807280813003-p2.jpg
0381名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:07:24.17ID:Zes1OOvN0
>>375
つか縄文人だって元は渡来人だろ
0382名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:10:59.80ID:N0t5ayr70
>>5
そういうスカリーはUMAの事になると途端に熱弁振るいだすが
うんざりした表情でそんなものがいる訳ないだろうって言うモルダーw
0383名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:14:36.55ID:fpYBSaxw0
>>381
土着年数が全然違う
0384名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:16:05.30ID:4RZdZgrY0
遺伝的に蹂躙みたいな描写はないが
神武が来たときに同族が既にいたとは記されている
0385名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:32:58.13ID:rZfmzlVF0
魏志倭人伝は中国の機関に朝鮮半島が支配されていた決定的証拠w
韓国は中国領にもどれw
0386名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:37:21.88ID:8oMlF/nQO
>>374
>>16>>104>>107を見るとどう考えても北九州がラスボスだよ
0387名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:37:35.05ID:K6VKg9bl0
九州内からの鉄製品出土量と畿内からの鉄製品出土量が圧倒的に差がありすぎる
従って九州と畿内との交流は全く無かったと断言出来る
倭人伝の倭国とは北部九州内の三十余国の事である
0388名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:42:34.58ID:ypwbB6JE0
多賀大社は元々淡路だし、淡路の住民の一部がその後琵琶湖沿岸に移ったんだろう
古代近江は鉄の一大生産所
0389名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:45:02.89ID:ypwbB6JE0
>>384
九州の氏族の子弟が同盟の証として畿内に婿入りした話なんじゃないの>神武東征
古代日本は女系社会だから、政略結婚的に婿入りすることは不思議じゃない
0391名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:49:50.01ID:ypwbB6JE0
重要なのは古代倭人が「昔九州にいた王が畿内に引っ越した」と自称しているし記紀にもそう書いていること
古墳時代の石室に阿蘇の赤い石が使われていることからも、畿内の王族が九州と繋がっていることは推測できる
あとは九州と畿内が繋がった時期の問題
0392名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:50:19.62ID:ypwbB6JE0
>>390
ソースとしては恐ろしく稚拙だよなw
0393名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:54:45.93ID:qLanxvV/0
>>5
>モルダーあなた疲れてるのよ

これは劇中で1回しか言われてないらしい
0394名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 10:54:52.85ID:l7qTqN0e0
淡路島や環大阪湾は、倭国大乱の犠牲者(阿波を除く)
0395名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 11:00:08.09ID:0IMqpGnX0
大和王朝成立前の日本が多民族群雄だった時代の研究はまだまだ足りてない。
縄文人、弥生人で一括りにしてた学校教育はさっさと終わりにしなきゃ
0398名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 18:43:39.59ID:90hbH9zi0
>>328
権威付じゃねーよ
北イスラエル滅亡に合わせたんだよ
意味もなく年代詐称はしないよ
神功皇后も卑弥呼の年代に合わせて詐称してるでしょ
0399名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 18:47:39.32ID:90hbH9zi0
>>384
神武を助けてるのが播磨の珍彦、熊野のタカクラジ、山城の八咫烏、大和のニギハヤヒ
だよ。どう見ても近畿への婿入り
0401名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 21:55:01.50ID:nHEmHKhF0
アベンキ族に支配された今の日本はどうなるのかな
0403◆HKZsYRUkck 垢版2018/11/12(月) 22:28:32.17ID:HBZl1tlZ0
>>397
現実の戦争の比喩というのは確かにありえそうな気もするが、
一方では、神話はそこまで合理的なもんでもないだろとも思う。

実際に居たんじゃないのん?
0405名無しさん@1周年垢版2018/11/12(月) 23:07:50.95ID:P5F4XFMW0
ヤマタノオロチ 山田のおろち…邪馬台国のおろち
ヒミコの名字は山田だったんだよ 卑弥呼様は退治されてしまったのだ
0406名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 00:32:31.19ID:h8h5SJU+0
「邪馬台国」は東方の蛮族の国。
0407名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 02:31:33.89ID:Zn/J5wEx0
よく氾濫する八又に分かれた川を治水工事して治め、
ついでに砂鉄が取れたので天叢雲を作りましたというお話。
0408名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 04:23:55.37ID:p0YMXd850
>>380
九州の海人の分布(>>16>>104>>107)と合致しているように見えるな
0409名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 05:54:01.20ID:1TGJu2N60
河を改修したのをわざわざバケモノ退治のストーリーに改変するものかね
意味がわからん
普通に偉大な先祖が河川改修しました、でええやんけ
0410名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 05:59:49.77ID:kAcpdEh40
昔から思ってたけど
ヤマタイコクって読むんじゃなくて、ヤマトコクって読むんじゃねーの?
当て字じゃん
0412名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 07:55:23.83ID:qAm7v51p0
気多大社の謂れは興味深い
孝元天皇の時代(台与の頃かな)オオナムチが化鳥、大蛇を退治して海路が開けたとある

また気多大菩薩は、孝元天皇の時代、従者を引き連れて渡来した異国の王子とある

山陰のオオナムチは、朝鮮半島の勢力の侵入を手引きしてまで、在地の勢力を伐とうとした
0413名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 07:59:14.64ID:Zh2jsg8u0
>>408
どう見ても九州の邪馬台国が畿内を制圧して遷都してるよな
0414名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 08:15:33.91ID:m5LHkkxS0
>>390
売らんがための小説だからな
近畿で弥生前期の鉄製品が出る遺跡など鉄関係の考古学的成果さえもまったく調べていない
こういうのを古代史上の事実と勘違いする奴が出てくるのがやっかい
そういう意味ではこういう妄想的的小説は害悪でしかない
『三国志演義』をすべて史実だと誤解したり、『邪馬台国はなかった』を真実だと盲信したりする知恵遅れが世の中には多いからな
0415名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 08:17:56.95ID:HgypAPMg0
いつまで作り話の記紀古代口伝伝承なんて信じてんのかね。
神武なんて名は後から付けられた名だし、古代において40代後半から船出した人間が少数で各地を渡り歩き近畿開拓まで成し遂げるなんてのは現実的には無理。
魏志にもあるし、銅鐸にも描かれてるが当時国々にはシャーマンが存在して亀の甲羅で物事決めてた時代だよ。
口伝に何の信憑性もない。
0416名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 08:34:23.03ID:2XBeB7yH0
淡路島から高炉跡が見つかっても肝心の鉄製農具や武器の出土が僅かしか無い。
要するに鉄鉱石の補給路が完備していなかったのが原因
当時の鉄鉱石の産地は半島南部だから九州経由で行かなければ鉄鉱石は
入手出来なかった。九州勢力と近畿は対立していたから九州にすら
行く事が不可能だったと言う事だ。
0417名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 08:53:16.81ID:2oTvfYhx0
鉄鉱石や砂鉄からの製鉄は5世紀以降。
それまでは朝鮮半島で鉄を作り
鉄片として運んできた。

製鉄、精錬、鍛冶を混同する人が多く
製鉄遺跡と書かれていても
実態は鍛冶遺跡のことが多いので注意。
0418名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 09:10:56.40ID:UpyNk45N0
>淡路島に鉄器工房

次々と邪馬台国畿内説の証拠が出てくる
0419名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 09:39:45.08ID:0uSUZhYi0
>>418
淡路島や畿内は、卑弥呼を共立した勢力、邪馬台国、初期のヤマト政権に征伐されたんだよ
0420名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 09:40:56.53ID:0uSUZhYi0
ヤマト政権を打ち立てたのは、東海出雲吉備阿波などの勢力
畿内は征伐された側

重要なこと
0421名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 10:46:55.90ID:4E5WSg2M0
倭国大乱と、朝鮮まで倭人が逃げるほどの大飢饉が重なってるんだよな
北部九州が大飢饉で疲弊し、中心が吉備経由で畿内まで移動した可能性はある
0423名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 11:41:27.48ID:SrLzsLca0
>>415
清帝国を絶てたヌルハチなんか数人からスタートしてるぞ 結構できることなんじゃないか?
0424名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 11:50:14.60ID:378d8VUn0
九州→畿内→中西部日本支配ってことなのか、
九州自滅・畿内が圧倒ってことなのか、
なんせ神武の東征を記紀に要れた理由がよくわからん
宇佐ってなーんか胡散臭いんだよな
道鏡のときとかも
実際に行くとびびるくらい凄いんだけど
夜中とかマジこええから
0425名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 11:52:34.93ID:PQyoGX2N0
関裕二
ダラダラと長いだけで、説得力皆無の文章を書くことで有名な人ですね。
0426名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 11:55:22.24ID:4E5WSg2M0
>>424
大和王権の豪族は元々九州ってのが多いから、何かしら関係はあるんだろうとは思う
0427名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 12:11:13.77ID:378d8VUn0
>>426
もちろん九州だけじゃなくて、たびたび出てくる吉備・尾張
のちろん出雲やら伊勢、紀伊
スレでは話題にならないけど播磨、一部が推してる河内
近江やら越やら丹波の日本海系(古代の表日本)
有象無象が入り乱れてる場所が奈良盆地って感じで
そこにぷかりと浮かんでるおおきみちゃん
なんだと思うんだけど、なんで始祖を九州にしたんだろ
それも吉備経由を経由した宇佐
0428名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 12:11:37.86ID:Nrg6MgA30
西暦57年 倭の奴国(筑紫)の王が金印「漢委奴国王」を授かる。(支配地域は九州北部から朝鮮半島南部まで)『後漢書』
西暦107年 倭国王師升等(歴史書に登場する初の倭国王)が安帝に拝謁を願う。『後漢書』
西暦107〜187年 70-80年間、倭国で男性の王の時代が続いた。『三国志』
西暦178〜184年 倭国大乱 『梁書』
西暦181年 ニュージーランドの超巨大火山「タウポ火山」の大噴火
西暦181年  「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」 『後漢書』
西暦182年、「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く。 『後漢書』
西暦193年(183年の間違いと思われる) 倭国が大飢饉となり1000人以上が食料を求めて朝鮮半島に渡る。『新羅本記』
西暦183年 大飢饉によって九州は壊滅的なダメージを受ける。九州の王族の権威失墜
西暦184年、黄巾の乱が勃発(漢の衰退)
西暦184年頃、漢が衰退したことによって漢委奴国王印の権威喪失。
西暦184年頃、大飢饉によって人々が神頼みになり巫女の卑弥呼が女王になる。(ここまでの間に首都が筑紫から大和に移った。)
0429名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 12:12:11.67ID:378d8VUn0
おう・・・あるこーるご容赦
0430名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 12:17:11.24ID:SrLzsLca0
卑弥呼がどこにいたかというと当然北九州
これは遼東の公孫氏と組み中華平原を飲み込みやがては中華皇帝になる野望を秘めた行動であったと考えられる
0431名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 12:19:02.20ID:6udmKhPdO
>>418
その淡路の鉄工房は北部九州勢力のものだって散々既出でしょ
畿内の人はいい加減現実と向き合いなよ
0432名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 12:43:01.73ID:4E5WSg2M0
>>427
宇佐−吉備は秦氏だから、このラインの渡来系氏族が王族だったということかもね
宇佐の神は阿蘇などと兄弟で、宇佐が代表して畿内にいったという伝承もあったかと
0433名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 13:00:43.05ID:qAm7v51p0
東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ


真十鏡 可照月乎 白妙乃 雲香隠流 天津霧鴨

三輪 能

思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。

三輪の神さんと伊勢の神さんは一心同体で石。
天の岩戸は関。
関の向こう側に追いやられていた勢力が、ヤマトを征伐し邪馬台国、ヤマト政権を作ったんだろうな。

畿内にあった月の国、勾玉を信奉していた国、狗奴国、クナトが、東海や出雲、吉備に倒されたんだよ
0434名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 13:03:13.47ID:2XBeB7yH0
倭人伝には不弥国から投馬国には南行、投馬国から邪馬台国にも南行と記載している
もし邪馬台国が奈良とすれば不弥国から東行する事になるから魏使は何日間も
太陽の昇る方角を南と考えないといけなくなる。日が昇る方角は東と言う事くらい
小学生でも知っているぞ。
0435名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 13:37:52.10ID:yJgsKGVl0
>>434
とはいえ日の出の位置を東とみなしても真東になるのは秋分、春分だけで
夏至なら南東、冬至なら北東よりになるよね。

ある説では倭人伝中で倭国では草が生い茂ってるとの表現、
当時の航海術でも渡航がたやすいことから方角資料を書いた人物は夏に渡航している。
よって作中での東は実際はかなり南東よりらしい。
0436名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 13:37:52.82ID:LyTbQrEu0
>>396
「臺」を間違って「壹」と印刷して出回った魏志倭人伝
邪馬壹国なら「ヤマイッコク」となって小さい「ッ」が入るが
古代の日本語に小さい「ッ」は無かった。
そもそも「イッヨ」ちゃんでは朝鮮語みたいで
発音しにくいだろがwwwww
0437名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 13:52:20.63ID:qAm7v51p0
万葉集には沢山の月やほととぎすの歌が収められている
奈良時代後半、月やほととぎすの再来の期待感が高まっていくのが感じられる


久方乃 天照月者 神代尓加 出反等六 年者經去乍

ひさかたの 天照る月は 神代にか 出で反るらむ 年は経につつ

霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘女

月夜吉み鳴く霍公鳥見まく欲り我れ草取れり見む人もがも

etc
0438名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:03:19.77ID:0cvsMuCJ0
>>428
神話の天の岩戸の話、日食でなくて火山活動がモチーフって説があるけど
この年表なら
0439名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:03:59.37ID:uY7p5zaY0
九州が畿内制圧して遷都したとして記紀通りだから天皇的にも何も問題なくね?
0440名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:04:53.76ID:0cvsMuCJ0
>>428
神話の天の岩戸の話、日食でなくて火山活動がモチーフなんて説あるけど、
その年表みたらマジで卑弥呼はアマテラスじゃないか!
0442名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:08:11.42ID:JkISi7Gz0
>>439

問題はいつ東遷したか。難波に都が置かれたのは瀬戸内航路ができたからで、淡路島を
支配に収めたから?
0443名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:08:35.87ID:4FXEMwmL0
>>434
距離から日数に変わるから、郡の使者を伊都で何日待たせるという理由からも、倭人から聞いた可能性は高い。
そこであえて倭人から方位を聞いた時、南をなんと言ってたかだね。
東は日いでの地。南は日流(ひる)か日高(ひだか)とかね。
また風向きでは"こち"とか"はえ"とかもある。
伊都の役人は東南西北は知っていたと思うが、すっとぼけたとかもよく言われてるが、日高の地とすると日巫女の概念的なものと方位が一緒になってしまう場合がある。
他の所在は尊称する事ないから方位は実際の方位にする。
狗奴国は日高の地の日高にありとかね w
0445名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:10:51.86ID:qAm7v51p0
延喜式祝詞には、
皇御孫之命は、天之御蔭 日之御蔭と隠坐てとある
同じく、坐摩神社の井戸の神々は、皇御孫之命にお仕えして、天之御蔭、日之御蔭と隠れていたとある
天でも日でもないということ

また道饗祭の祝詞には、クナトが高天原で事を始めた皇御孫之命で、根の国底の国の侵略に抗ったと書かれている。

これが平安時代の朝廷の認識

魏志倭人伝で言うなら、畿内にあった狗奴国の勢力が600年の内乱を経て倭国大乱前の有り様を取り返したと言えるだろう。

記紀なら神武東征による被害者である畿内の在地の勢力が、600年の内乱を経て平安を取り戻したと言える。

天武朝に作られた記紀は、あくまで天武朝を正当化する目的で書かれたもの
0446名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:40:38.62ID:fitncTJj0
>>410
隋書だと“邪靡堆”表記やね
“やまと”ではなく
“やまてょ”とか“やまてぃ”
だったのかもしれぬ
0447名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:42:56.01ID:LyTbQrEu0
>>416
淡路は鉄器の生産地で関西や吉備に鉄器を出荷していたから
鉄器の消費地ではないから地元に残っているものは少ない
0448名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:48:49.87ID:hIUlEiS50
>>447
淡路島でそんなに鉄鉱石って取れたんだろうか?
単純に疑問なんだけど、二上山や金剛山で取れたのは知ってるけど
淡路島と鉄鉱石のつながりがよくわからない。
多分ゼロではないんだろうけど。
0449名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 14:50:48.80ID:qAm7v51p0
陰の王国か
夜の食国、大阪、
0450名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 15:04:00.98ID:Zn/J5wEx0
>>435
夏至に南東よりになる事ぐらい大昔から知られている。
10〜20度ぐらいは誤差があってもおかしくないけど、
30度以上の誤差は極めて不自然。

少なくとも、有力な説とは言えない。
0451名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 15:06:47.45ID:4E5WSg2M0
魏志倭人伝の方角なんて隋書同様あてにならないと読んだことあればすぐわかるのに、なんで未だに拘ってる化石がいるんだ
0452名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 15:23:30.62ID:LyTbQrEu0
>>446
「堆」音読み「ツイ」、支那の発音ではtuiトゥイ
現代語の「暁=アカツキ」は万葉集で「あかトき」と書いていた。
阿加「等」伎乃  加波多例等「枳」尓  之麻加「枳」乎  己「枳」尓之布祢乃  他都「枳」之良須母
暁の かはたれ時に 島蔭を 漕ぎ去し船(東寺の発音はpune)の たづき知らずも
「あかトき」の かはたれときに しまかぎを こぎにしふねの たづきしらずも
       巻20 4384番の歌
       天平勝宝7年2月16日
「等」は「登」と共に乙類のトを表わす万葉仮名。
支那の現代語では母音がengで終わり
字音仮名遣ならエウとなるような発音

【加波多例等枳】かはたれどき
「枳」を「キ」と読むのは呉音の「シ」よりも古い魏晋南北朝時代の支那の発音に基づく
上古音はkljeʔ キェ。
壱岐を表わす「一支」の「支」が呉音では「シ」だが魏晋あるいはそれ以前の支那の発音はkiだった。
宋代の版本は「支」の隷書体が「丈」によく似ているから「支」を「大」と二重に誤認識して誤刻した。

「支」の上古音もkje キェ。厦門(アモイ)、台湾ホーロー語、
シンガポールのHokkien=南福建方言はkiキと発音する。
「枝」も厦門(アモイ)、台湾ホーロー語、
シンガポールのHokkien=南福建方言でkiという発音だ。
0453名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 16:45:09.90ID:hJyDNBri0
た行の発音は今と昔で全然違うからなぁ
昔のた行は3つあったとか
0454名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 16:55:09.71ID:zqzHOc9B0
東遷したなら、弥生時代中期か後期あたりなんかな
吉備経由で纒向あたりに行ったんじゃ
古墳時代はもう逆に畿内が九州に浸透してきてるし
崇神とか景行とかの時代では
0455名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 16:57:07.97ID:MAbWpX930
>>428
たしかに無視できない大事件と言えるな

タウポ湖 Wikipedia
>西暦181年の巨大噴火(VEI7、噴煙高度50km)によってできたカルデラ湖。

2014年度日本地理学会春季学術大会
野上 道男 『2世紀末タウポ火山大噴火による冷夏凶作と倭国乱』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2014s/0/2014s_100009/_pdf
>結論を先にすると「倭国乱」は
>冷夏による2年続きの飢饉で起きた社会不安と食を求める
>民衆の流浪が実態であり、戦乱ではない.
>冷夏の原因はタウポ火山(NZの北島)の大噴火である.
>1)氷床コアの記録: グリーンランドのコアでは181±2 年、
>…
>後漢書71巻皇甫嵩伝と資治通鑑 183 年の項に
>黄巾の乱の訛言「蒼天已死 ?天當立 ?在甲子 天下大吉」がある.
>蒼い空が見られなくなっているが、新しい政権(黄天)が立ち上がり、
>184年には天下は大吉となろう、ということを言っている.
>…
0456名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 16:58:58.50ID:gj+Ckf0S0
>>454
もしも漢倭奴国王が代々筑紫城に住んでいたのなら
支配者一族が東遷した後の北九州は荒れたかもしれない
0457名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 18:04:33.26ID:Zn/J5wEx0
>>451
魏志で「南」と書かれ、隋書で「東」と書かれた事を言ってんの?
あれは方向音痴でも何でもなく、「南」「東」で合っている。

魏志では、帯方郡治(ソウル)から南へ東へ狗邪韓国へたどり着き、
狗邪韓国(釜山)〜対馬北部〜壱岐というルートで行くから、
「南」で合っている。

隋書では、百済(都は今の扶餘郡にあった)から済州島の北側を通って、
竹島(珍島)〜対馬南部〜壱岐というルートで行くから、
「東」で合っている。
0458名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 18:46:12.01ID:2XBeB7yH0
魏使は魏国と交流のあった北部九州の三十余国に赴いたから交流の無い本州にある
倭種の国には行く訳が無い。
0459名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 19:01:15.68ID:QiXcr4dr0
処理能力の低そうな考え方は辞めた方がいい
歴史は時間と空間が重要
邪馬台国が九州北部に有った頃
中国地方に渡来人の有力な集団があったんですよ
近畿にも集団があったかもですね
邪馬台国と近畿の集団は古い土着した渡来人で
出雲や吉備は新しい渡来人なのですよ
邪馬台国もやがて朝鮮半島から鉄器や馬を扱うのに長けた集団に征服されて
その子孫が東に進出
畿内にヤマト王権の基礎をきずいたのです
0460名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 19:22:41.74ID:4FXEMwmL0
北九州で祭器化されてる弥生中期からの銅剣幅広化と
外来系とされる弥生中期の河内の遺跡群と近畿を中心とする銅鐸圏。
倭国大乱は銅剣幅広化の最終期に収まる。
また鉄の導入発展期で有ったのも間違いない。
これを唯物史観の権力対立構造だけでなく、宗教などの文化的な面も追って考えるべきだね。
0461名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 19:28:19.35ID:G3Ypudy20
平成の大合併で、歴史ある地名がかなり無くなった
0462名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 19:32:15.56ID:v/C8noZp0
淡路島の内陸の人たちはどこからやってきた人なん?
0463名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 19:43:56.80ID:2XBeB7yH0
鹿島神宮HP御由緒からの抜粋・・・・茨城県鹿嶋市大字宮中
鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。
神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、
武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。
この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神を
この地に勅祭されたと伝えられています。

橿原神宮のHPに記載されている御由緒の抜粋・・・・奈良県橿原市久米町
天照大神の血を引く神倭伊波禮毘古命(後の神武天皇)が、
豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、
想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山うねびやまの東南の麓に
橿原宮を創建されました

八咫烏神社のHPに記載されている御由緒の抜粋・・・・奈良県宇陀市榛原高塚
御祭神の八咫烏大神は建角身命(たけつぬみのみこと)と御名を称えられています
伝承によると神武天皇が大和に東遷する折、熊野の山中で停滞する一行を大和へと
道案内し、天皇の勝利に貢献した八咫烏の化身として伝えられています。

多家神社・埃宮・・・・ 広島県安芸郡府中町 宮ノ町
この地は、神武天皇が日本を平定するため御東征の折、お立ち寄りになられた
所と伝わる。
『古事記(712年完成)』に阿岐国[安芸国](あきのくに)の多祁理宮(たけりのみや)に神倭伊波礼毘古命[神武天皇](かんやまといわれびとのみこと)が七年坐すとあり。
『日本書紀(720年完成)』には埃宮(えのみや)に坐すとある。
この多祁理宮あるいは埃宮という神武天皇の皇居が後に当社となった。

岡田宮のHPに記載されている御由緒の抜粋・・・・北九州市八幡西区岡田町
神武天皇日向国より東征の途次、当宮に詣り天神地祇の八神(八所神)を奉斎し、
この地に留まり給う由「古事記」にあり。

立磐神社のHPに記載されている御由緒の抜粋・・・・ 宮崎県日向市美々津町
当社は神武天皇御東遷の際、美々津港よりお船出に当り、
御航海の安全を御祈念せられ て、この埠頭に住吉大神とも申し奉る、底筒男命、
中筒男命、表筒男命の三柱の大神を 奉斎し給うたとて、
第十二代景行天皇の御代に創祀されたものである。
0464名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 19:50:25.17ID:2XBeB7yH0
邪馬台国九州説を信じている俺も奈良から金印が出土したら絶対的に信じるぞ。
0466名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 21:16:27.22ID:MAbWpX930
>>463
八咫烏は日本書記で恩賞貰って子孫の名も書かれてる。
山中で迷った時に運よく詳しい村人が現れて安全な道を行けたから
「天祐」みたいな感じを神話で表現したんだろ
0467名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 21:21:22.69ID:CnUdxzTs0
>>454
無い無い
中国からの銅鏡は3世紀までは北部九州が中心
畿内に銅鏡文化が広がるのは4世紀に入ってから
鉄も畿内は4世紀以降
0468名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 21:26:06.47ID:MAbWpX930
炭焼きで真っ黒だったのかもしれない<八咫烏
0469名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 21:26:16.80ID:CnUdxzTs0
>>447
淡路の鉄工房が可動していた時期には畿内にほとんど鉄器が存在しない
>>16,61のとおり淡路島が北部九州の海人の勢力圏だっただけ
0470名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 21:26:38.19ID:4FXEMwmL0
馬でわが国の神話でほとんど唯一なのは、スサノヲ乱暴編の馬首放り投げ事件。
これを高麗と言って、天照の所有保護の秦女の部屋に投げ込んで故郷の人の首が出驚いて死んだ物語だとしたら? w
また京都の耳塚とかの連想も出来る。
まともかく出雲の鉄、紀州の陶器作りの関連話も出てくるので古墳期の外征の時の話だろうな。
0471名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 21:33:48.94ID:04LynF4r0
畿内弥生時代の象徴
畿内弥生人が唯一誇る独自文化象徴である銅鐸文化

中華畿内文化の史書だと自称する古事記や日本書紀に
銅鐸が一行も全く登場しないのは何故だろう?w
0472名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 22:16:25.82ID:qAm7v51p0
弥生時代最大のヒスイ勾玉が出土した池上曽根遺跡、弥生時代最大の神殿跡&巨大井戸、銅鐸、鉄工房
弥生時代末期にて営みを終焉

奈良の唐古・鍵遺跡
鉄鉱に納められた巨大勾玉が出土

貴重な勾玉を放置せざるを得なかったところを見ると、滅ぼされたんだろう

倭国大乱以降、様々な勢力が畿内を支配しようとした
東海、出雲、吉備、九州
出雲や九州みたいに異国の朝鮮半島の勢力の侵入を手引きしてまで、畿内を支配しようとする勢力もいた

征服王朝、畿内に根を持たない勢力による政権は、長くは続かず、権力闘争が繰り返されてきた
最後の外部勢力による天武朝も自壊

倭国大乱から600年、やっと平安が訪れたんだよ
クナトの再興
0473名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 22:46:01.76ID:IeEF+O/h0
こんどは阿波かい

邪馬台国は佐賀の田んぼ
0474名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 22:46:57.63ID:smDYwkPO0
ヤマト!建国!

さらばー地球よー
0475名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 22:52:31.36ID:JkISi7Gz0
>>471

銅鐸は出雲の文化。三種の神器文化に変わった時に卑弥呼が共立され奈良に邪馬台国ができた。
神武東征はその後だね。台与の後の男王の後くらい。300年〜400年の間に起きた。
倭の五王は東征後。
0476名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 23:08:34.75ID:FIgXJrVO0
ビロウについていくつか書き込みがあるんで、
たまたま今日読んだビロウの記事を貼っとく

観光リスが害獣化、駆除へ 天然記念物の木に被害? 大分の無人島
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181113-00010001-nishinpc-sctch

大分の無人島にビロウが生えているって内容
福岡の島にも生えてるし、
天皇家の祭祀にビロウが欠かせないならやっぱ九州出身なんだなと思わせるね
0477名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 23:17:23.34ID:UsclaAlv0
>>407
草薙の剣は鉄剣ではないのでその推察は間違い
須佐の男が治水工事をした描写もないため、ヤマタノ大蛇は川ではない
大蛇、蛇といえば日本の古い土着の民の神が蛇神
酒をふるまい酒席で酔わせ退治したことからも
ヤマタノ大蛇は地方豪族の暗喩ではなかろうか
0479名無しさん@1周年垢版2018/11/13(火) 23:53:42.95ID:ZdtDSUCd0
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)
0480名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 00:35:30.55ID:fCZskiAX0
>>478
犯罪者脳w
0481名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 01:16:08.90ID:NRmi0wDe0
>>476
その無人島のビロウも祭祀のために持ち込んだのかもな
掘ればいろいろ出てくるかもしれん
0482名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 01:54:58.89ID:55pbksgh0
北部九州に渡来した江南人は甕棺墓制だった
*甕棺出土数は藤尾慎一郎氏のHP「九州の甕棺」から採用
壱岐市(一大国)158 唐津市(末艪国)331 糸島(伊都国) 215
福岡市・春日市(奴国) 1,760 粕屋(不弥国) 77 小郡・鳥栖(投馬国) 2,522   邪馬台国(神崎)2,951
     
      倭人伝に記載されている戸数
壱岐市(一大国)三千家 唐津市(末艪国)四千戸 糸島(伊都国) 千余戸     福岡市・春日市(奴国)二万余戸 粕屋(不弥国)千余家
投馬国(小郡・鳥栖) 五万余戸 邪馬台国(神崎)七万余戸
*一大国と不弥国だけは戸では無く家と表記されている。
棺桶の数は住民の数におおよそ比例するから甕棺出土数の順番と
 戸数の順番が一致している
0483名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 02:04:06.83ID:55pbksgh0
倭人伝に記載のある魏と交流している三十余国とは以下の地域にあった国々と言う事だ
福岡県・・福岡市西区、福岡市博多区、福岡市南区、福岡市東区
      糸島市、春日市、志免町、篠栗町、古賀市 福津市、
      宗像市、宮若市、田川市、飯塚市、行橋市、筑紫野市、
      那珂川町、筑前町 朝倉市、久留米市、八女市、うきは市、
 佐賀県・・佐賀市、吉野ヶ里町、多久市、武雄市、唐津市
 長崎県・・雲仙市、壱岐市  対馬市
 大分県・・日田市、宇佐市、大分市

上記の地域を三十余国とした理由はこの地域から勾玉が出土した、勾玉は卑弥呼が支配下の国王に
下賜したものと思っている。
0484名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 02:06:43.80ID:1epzchKN0
>>471
奈良時代の説話集だったと思うが、銅鐸らしきものが出土してゴロゴロ転がしたという事だ。
もうおぼろげの記憶なんだが、奈良時代、銅鐸はすっかり忘れ去られていたようだ。
記紀編集の時代でもすっかり忘れられていたんじゃないか?奈良時代に近いし。
さらにさかのぼって、古墳からも出ていないだろ?だから古墳時代(4〜6世紀)に記憶がぶっ飛んだんだよ。
0485名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 02:12:44.09ID:SMSC4Ckj0
おのころ島神社は淡路島にあるんだし
淡路島自身がおのころ島じゃないのか?
0486名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 02:20:23.99ID:1epzchKN0
色々な仮説かありうるんだろうが、いまだによくわからないのが、
空白の4世紀(150年間)の日本(特に北九州と畿内)の動きだ。つまり
3世紀中期の邪馬台国(北九州or畿内)と5世紀初めのヤマト王権(畿内)の関係だ。

継続か断絶か、文献は何も語ってくれないし、考古学も雄弁ではない。

謎だらけ。仮説は色々あるが裏づけはない。もうチョットのところまで来ているのに。
消化不良。
0487名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 03:53:14.87ID:55pbksgh0
江南人の墓制である甕棺の出土数
一大国(壱岐市)・・73基
末艪国(唐津市)・・331基
伊都国(糸島市)・・215基
早良国?(早良区)・・1586基
奴国(福岡・春日市)・・1769基
不弥国(粕屋)・・77基
    嘉穂・・293基
    二日市・・241基
朝倉・・900基
投馬国?(小郡・鳥栖)・・2522基
邪馬台国?(神埼市)・・2951基
その他、久留米、佐賀、大村、島原、日田、熊本、鹿児島など
からも出土している。
要するに魏使は江南人が暮らしていた国々を訪問している。    
0488名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 04:06:22.57ID:MGkzhSEf0
淡路の炭って品質いいのか? 鉄作るには良質の薪炭必要だろう
0489名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 05:23:15.93ID:O8sEcPZn0
瓦の産地やからな、炭はおてのもん
0490名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 05:25:36.94ID:F5pfWjUZ0
まあ、神話には、最後の点として淡路島が描かれてるわな
0491名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 10:02:56.54ID:DMCtEH9f0
>>471
記紀編纂時期には発見されてるのにな>銅鐸
発見っつーのもあれだけど
要は銅鐸文化から大和朝廷の連続性が無いってことだな
にしても、征服者だって銅鐸は目にしたと思うんだが・・・
0492名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 10:20:12.24ID:DMCtEH9f0
>>476
ビロウと言えば、志布志市にその名もずばり枇榔島ってのがある
行くチャンスもあったんだが、タイミングを逃した・・・
天智天皇がらみのおとぎ話
http://www.b-post.com/oosumi/story/story_05.html
0493名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 10:32:15.75ID:1YjjUxAl0
>>486
卑弥呼の時代には半島と国交を結ぼうとしてて
空白の期間〜倭の五王あたりでは盛んに半島に攻め込んでるな

卑弥呼より後の時代に倭国でなにか大転換があったのかもしれない
0495名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 10:46:39.83ID:e+o9gqfN0
3世紀までは朝鮮半島で中国国境と接してるだけの世界が500年ほど続いてたけど
4世紀になると半島北部は高句麗になるから倭国からみたら切り取り次第に変化したんじゃね
7世紀で負け確して半島に興味なくなるし
0496名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 14:17:48.78ID:wwS2kV1W0
朝鮮三韓の末路→中国領
百済→熊津都督府、新羅→鶏林州都督府、高句麗→安東都護府
0497名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 14:30:11.71ID:DgrMTNhT0
大国主が支配していた大八洲(奈良や諏訪も含む)を、
日向国笠沙(鹿児島県南さつま市加世田)出身の
オッサンとその子孫が血縁を結んで乗っ取る話。
0498名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 15:56:43.33ID:YnEntZa+0
>>471
>>491
生産されなくなってから書紀に発見が書かれるまで500年も経過してるのだから、
記憶してるほうがおかしいとは思わないのが古田信者らしいところだな
そもそも銅鐸は東日本から九州まで出土しているので、征服者が国内のどこの出身であれ、
その征服者自身は見ていたとしても、八世紀代の奴が記憶しているわけがないだろうw
0499名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 18:23:21.06ID:DMCtEH9f0
記紀の時代に再発見されてるのに書かれてないってのが発端なので
記憶の話だけじゃないのよ
こういうとこが畿内説の視野狭窄
0500名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 18:24:38.70ID:DMCtEH9f0
都合のいいことしか見ず
都合の悪いことは無視
0501名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 20:16:13.51ID:sBIpqHUl0
九州と大和のかかわりって、神武東征が縄文時代というところがポイント。
縄文時代の九州は鬼界カルデラの大噴火で人が住めなくなっている。紀元前7000年。

縄文時代は東の方が人口が多かった最大の原因はこれ。

鬼界カルデラの噴火に伴って九州はほぼ壊滅。天皇家のルーツと言われる九州南部はまさにその場所。
神武東征とは鬼界カルデラの噴火に伴って東へと約束の地を求めての移動が始まったことを示す。

そして鬼界カルデラの火山灰の影響が少なくなる地域がまさに畿内。
つまり、このときに列島内の西半分の人達は死滅するか機内に移動して生き延びた。
これによって人口集積が畿内でおこりまさに大和の起源となる。

一度住めなくなった九州に人が住みだしたのはその後でそれは逆に畿内からの勢力拡張という形でおこった。
天照大神の岩戸隠れは鬼界カルデラの噴火に伴う火山灰で暗黒の世になったことを意味する。
0502◆HKZsYRUkck 垢版2018/11/14(水) 20:32:40.82ID:C4HESFzb0
>>470
梅原猛さんあたりは、饗応した上で殺すのは、
かつてオロチが神だった時代の残滓だとか書いてたな。
より時代が下れば単なる討伐の対象になってしまうと。

>>478
「卑怯」とか「卑劣」とかの概念が、上古と現代とでは違うのよ。
ヤマトタケルの時代は、女装して敵を油断させるやり方は、
スマートでクールだったのだ。
0504名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 20:34:50.17ID:BfgvXMfl0
>>408
完全に邪馬台国は九州だな
畿内説はゴッドハンドの産物に過ぎない
0505名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 20:38:11.40ID:XAUnbzLR0
>>298
天皇の出自に関する古文書はどれも九州出身と明記しているのに、
畿内説の嘘つき共だけが認めようとしないんだよなw
0506◆HKZsYRUkck 垢版2018/11/14(水) 21:11:11.96ID:C4HESFzb0
吉野裕子さんによればビロウも蛇。ついでに扇で男根。
潔すぎるほど判りやすいw
0507名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 22:40:03.54ID:sBIpqHUl0
天皇家のルーツは九州と言うよりスンダランド。天孫降臨はまさにそこからの移住を示す。
D系統の民族が黒潮にのって島伝いに渡ってきたのさ。だから四国の沿岸部や紀伊半島にも同じ系統がいると。

スンダランドの埋没により、日本列島の九州へ天孫降臨。鬼界カルデラの噴火により畿内へ移動。
畿内において紀伊半島勢力との過去からの深い関係を持ってその地域を治めたのが大和のスタート。

卑弥呼は天孫系とはいえない。むしろ出雲系との深い関係が伺え。東シナ海沿岸部。
北部九州。半島の南部。日本海側から畿内へといった地域の支配者であったと。
このルートを使っての大陸との交易が桃や紅花、シルクと言ったものをもたらした。

この二つの系統がまとまったから。ヤマトに対して大和という言葉をあてるようになったと。

北部九州と南部九州は同じ系統が支配していたとはとてもいえない。
特に縄文時代において南部九州から発掘される陶器は新潟に多い火焔型土器といった縄文系とはほど遠く。
むしろ弥生式土器のルーツだと言える物が続々とでている。

卑弥呼の支配地域は南部九州には及ばず。畿内から日本海側沿岸部から北部九州だったと考えるのが妥当。
0508名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 23:01:45.65ID:petMIqb00
記紀には殆ど中国の話題が無いのがな。半島の話はそこそこあるんだけど
邪馬台国は何度も使者を送って、中国からも色々支援を受けたりしてるのに
邪馬台国が後の大和朝廷に繋がるなら、何がしかの記録はあっていいと思うんだが
0509名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 23:27:12.30ID:EiZDT6Qw0
 
半島南部は日本固有の領土です
それを日本史は無視するからわけのわからないことになっています
0510名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 23:30:20.15ID:VTOq+G9c0
>>498
奈良時代の人は出土した銅鐸を当時の人間は何に使うものかさっぱり分からなかったらしいね。
0511名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 23:35:55.10ID:VTOq+G9c0
>>508
日本書紀には中国文献からの引用で使いを送った倭国の女王の件はちらりと書いてる。
詳しく書いてないのは書紀では日本は中国と対等な立場だから朝貢した事実を消したいためだというが本当にそれだけか?
仮に邪馬台国が大和朝廷の前身だとしても他にも隠したい事実があったと思う。
例えば天皇家は王位を簒奪したとか。
0512名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 23:42:31.38ID:petMIqb00
>>511
あれは倭人伝の引用だから、日本書紀を作った時に無理やり合いそうな人に合わせ込んだ感じ
逆に言えば、大和朝廷にはそれらしい話が伝わってなかったんだろう、て気はする
王位簒奪つか、王朝交代を隠している可能性は結構ある気はする
河内王朝説やら。神功皇后にしても、仲哀天皇から別系統の王が奪った、て考え方もあるし
0513名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 23:43:07.84ID:VTOq+G9c0
>>501
破局的噴火の記憶が伝説として数千年も語り継がれるとは思えないな。

それなら西暦181年のNZにあるタウポ山の噴火の方が信頼性がある。
183年あたりでも中国で異常気象、倭国でも飢饉、飢饉で倭人が朝鮮半島に脱出なんてのが中国文献にある。
そして倭国大乱をおさめ卑弥呼が王位についたのは184年ごろ。
天照大神のモデルは卑弥呼。
0514名無しさん@1周年垢版2018/11/14(水) 23:52:05.00ID:AWoZoGVD0
何だよ空想の話しかよ
0516名無しさん@1周年垢版2018/11/15(木) 00:41:40.07ID:v0XZ8kru0
>>513
それによって、縄文人が九州からいなくなったという民族的原体験を記録するものは存在してもおかしくない。
それが縄文後期まで九州には人が住めなかったという現実も伴っている。その事象は神話と矛盾しない。

卑弥呼は神話にするには新しすぎる。中国と深い関係があったことは伺われるが。生々しすぎ。
九州南部との関係性はほとんど感じられない。
いわゆる倭人といわれていた東シナ海周辺部にいた人達のグループで天孫系とは違うと考えるのが妥当。

日蝕を民族的原体験とかというのはいくらなんでも無茶です。なんの具体的な厄災ももたらしていないのだから。
むしろそれが影響があったとすれば過去の原体験において闇の原体験があっての話し。
0517名無しさん@1周年垢版2018/11/15(木) 10:26:43.46ID:16EUMWyT0
神武より先に畿内に天下ったのが饒速日
饒速日は先住民
アマのイワフネに乗ってやってきた
アマはカヌーが横倒しにならないように取り付けた横棒(アウトリガー)の先に付けた浮きのことで
多くのポリネシア諸語やミクロネシア諸語でアマと呼ばれている。
イワフネのイワはハワイ語で軍艦鳥を意味する。
九州の古墳の壁画に軍艦鳥が船に停まったものがある。

ニギハヤヒはポリネシア或いはミクロネシアからカヌーで
黒潮に載って渡来した。
0518名無しさん@1周年垢版2018/11/15(木) 13:26:06.43ID:nHBDpXFL0
>>511
そもそも書紀は当時の支那の皇帝に贈る前提で作られたもの
魏志の文章を引いたのは、おたくの史書にも載っているよと示す程度のものでしかない
おかしな陰謀論は、歴史をオカルティックにするだけなのでやめといたほうがいい
0519名無しさん@1周年垢版2018/11/15(木) 13:36:47.69ID:nHBDpXFL0
>>499
当時は既にそれが何なのかわからないほど既に重要なものではないのだから、
その情報を編者が知っていたとしても、一大国家事業として作っている書物にはいちいち書かないわなw
書かれていないのはおかしいニダ!と陰謀に違いないニダ!と、極々小さなことを
拡大評価or解釈したあげく、頓珍漢な難癖を平気でつけてくるのが古田信者の頭のおかしいところ
まさにオカルトレベル
0520名無しさん@1周年垢版2018/11/15(木) 14:19:19.30ID:S9+zeU060
大飢饉と倭国大乱

「銅鐸に祈ってもぜんぜん効かないじゃないか!ポイッ!」

卑弥呼共立

古墳&玉/剣/鏡の文化へ

こういう流れだろ
0521名無しさん@1周年垢版2018/11/15(木) 14:41:55.25ID:S9+zeU060
初めから大和に住んでいたのは物部氏の祖先で、これが北部九州〜吉備など瀬戸内海に力を持つ安曇などの海人勢力と結びついたんだろう
それが卑弥呼の前だか後だかは知らん
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