【奈良】「ヤマト王権の基礎を作ったのが3世紀の邪馬台国の時代」 ヤマト王権、始まりは纒向 橿考研創立80周年記念講演会★3

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1樽悶 ★2018/12/07(金) 21:31:05.93ID:CAP_USER9
奈良県立橿原考古額研究所創立80周年記念の公開講演会で講演する石野博信さん=奈良県橿原市大久保町の県社会福祉総合センターで、藤原弘撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/12/01/20181201oog00m010061000p/9.jpg

 県立橿原考古学研究所創立80周年記念の公開講演会「古代の王宮をさぐる」が11月25日、橿原市大久保町の県社会福祉総合センターで開かれた。約530人が参加し、橿考研で発掘調査に長年携わった研究顧問で兵庫県立考古博物館名誉館長の石野博信さんら3人が講演した。【藤原弘】

 石野さんのテーマは「ヤマト王権は纒向(まきむく)から始まった」。邪馬台国の有力候補地の纒向遺跡(桜井市)を巡り、「吉備、出雲、伊勢の人たちが連合で新しいまちを作り、大きな墓を作っていく。ヤマト王権の基礎を作ったのが3世紀の邪馬台国の時代ではないか」と説明した。

 石野さんは、纒向遺跡の初期の調査で見つかった土器は、東海、山陰・北陸、河内、吉備の物の順に多く、箸墓古墳(同市)から吉備で見られる葬送儀礼用の土器「特殊器台」が見つかっていることを説明。「大王クラスの墓に吉備の葬儀用器台がある。葬られた人と吉備に強いつながりがある。吉備の人が巨大な墓を作ったことは、大いにあり得る」と話した。

 続いて、橿考研特別指導研究員で奈良芸術短大教授の前園実知雄さんが「雄略天皇・泊瀬(はつせ)朝倉宮を求めて」と題して講演し、桜井市の脇本遺跡で携わった発掘調査の成果を紹介。5〜7世紀の掘っ立て柱建物跡などを検出し、「脇本を中心にしたところにまず雄略天皇が宮を築いた。(雄略天皇の)5世紀代の建物跡は一部確認されているが、下にあると思う」と話した。

 講演の3人目は、橿考研特別指導研究員で公益財団法人「由良大和古代文化研究協会」業務執行理事の泉森皎(こう)さん。「藤原京の調査」をテーマに、橿考研が歴史的に注目される木簡を見つけたことなどを説明した。

毎日新聞 2018年12月1日
https://mainichi.jp/articles/20181201/ddl/k29/040/481000c?inb=ra

★1:2018/12/04(火) 23:59:00.16
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1544004795/

2名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:31:38.55ID:+sw27wpG0
や・ま・と

3名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:32:57.17ID:cyhRrU0h0
3なら邪馬台国は徳島で決定

4名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:36:20.64ID:24WVdtft0
みすず学園

5名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:40:44.95ID:Q//wkJwa0
邪馬台国 = ヤマト国

6名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:41:37.93ID:Bo2c6i+p0
バクシーン石野

7名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:42:21.41ID:ifW4cIIT0
そもそも邪馬台はヤマトと読むのが正しい

8名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:43:01.63ID:Hg3924Y90
それでも九州説の大惨敗は歴史に残る

9名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:43:22.08ID:vJytNkXM0

10名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:43:55.91ID:na3Hzjhb0
>>1
またやるのか

11名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:44:36.18ID:ifW4cIIT0
ヤマト言葉にはア行で終わる単語はないから
言語的に見てもヤマタイはありえない

12名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:45:22.73ID:n00js40o0
魏使の上陸地点は呼子か名護屋浦
そこから唐津市街地方面に向かうとだいたい南の方向
唐津市街地から糸島市方面に向かうとだいたい東方向
なので東南と記された
地図を持たない魏使は呼子と糸島市の位置関係が分からずに
通ったルートを基に方向を判断するしかなかった
魏使の目線で考えれば当然のことで
魏志倭人伝の方角は正しい。

13名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:46:40.14ID:hRj10eNa0
前すれ>>990
自爆してるとか自己紹介やろ

グアムは南東ともいえるとちゃんとフォローしてやったのに
グアムで南東ともいえるってレスって・・・

引用先は地球は丸いって話なんだからモロッコについて検証しろよ

無学だから仕方ないか

14名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:46:51.02ID:5d0u4Dtw0
アチャー
ニギハヤヒ東征認めたんか?

15名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:47:41.18ID:hRj10eNa0
>>12
そう簡単にはいかないよ
松浦川の古代の地形を見たほうが良い

16名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:48:51.53ID:vs6mGlzi0
>>11
それは誰の仮説住宅だ
定説で古代日本語は「タイ」「アイ」というような母音連続は無いんだが

17名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:51:50.91ID:5d0u4Dtw0
2世紀後半巻向スタートやし(ニギハヤヒ東征
3世紀末の箸墓は崇神さんで解決やな

18I am a tariff man.2018/12/07(金) 21:51:54.48ID:obelm+TG0
いいじゃん 日本!!! 結構古いぞ
インチキ神武より全然古い

19名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:52:43.70ID:Oskyj2LF0
そもそも雄略天皇というのが後付けの創作なんだから普通に使うなよ
天皇家とは別の大王だろ

20名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:52:50.74ID:obelm+TG0
聖徳太子もJAROに報告せねばいかんね

21名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:54:02.10ID:obelm+TG0
古事記の古いほうは3か月で1年くらいだから

22名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:58:02.97ID:/8xDFkQF0
>>1
うっ 俺の漢字力じゃ読めんのばっかりや

23名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:59:52.16ID:5d0u4Dtw0
天皇さんらは持衰みたいなもんかもな?(ぼそ

24名無しさん@1周年2018/12/07(金) 21:59:59.86ID:qsdzNleT0
>>12
二つの地域の位置関係を記すなら全体と全体あるいは中心と中心で比較するものだが
九州派からすると
「上陸地点から見たと考えれば方角は合ってるんだ!」
こうなる
考古学的に何も無い九州派は倭人伝を「この部分はこうだと考えて、こっちはこうだと〜」
と解釈をこね回して九州にこじつける以外にやる事がないからね

25名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:03:37.97ID:DMT3f4LP0
銅鐸が朝鮮半島で発掘されてるからって
奈良派が畿内に必死になるのは見苦しい
さらに馬に執着するのも見苦しい
ヤマト騎馬民族征服王朝説は年代を捏造しないと成り立たないのに

26名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:03:57.71ID:5d0u4Dtw0
邪馬台国はなかった!(つーかそんなんよかスクナヒコナのが大事や

27名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:04:50.95ID:jy/zG6Vc0
この時代の話ってどこまで書き換えられてるのかさっぱりわかんねーよな、
もしかしたら嘘だらけなんじゃねえの?

28名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:06:53.89ID:5d0u4Dtw0
まー邪馬壹が巻向はないなー
巻向はニギハヤヒ君東征ゴールやし

29名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:10:42.64ID:cQc0cgHu0
>ヤマト王権の基礎を作ったのが3世紀の邪馬台国の時代ではないか

そうだね。同じ時代、別の場所、と言ってるだけ

30名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:12:22.81ID:kNr9KpZj0
>>1
邪馬台国との位置関係を

【さらに北】(よくわからんぐらい遠く絶たっている)
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、
華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国



【もっと北】 (朝鮮半島)
狗邪韓国


【北】 (九州北部)
対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国



【女王国】
           邪馬台国      ←←←←←←←←←←←←



【南】
狗奴国



南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月

自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、
次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、
次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。

其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。

31名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:14:56.63ID:F6Kd2zsU0
対海国(対馬)から一大国(壱岐)は南というより東南
末盧国(唐津、もしくは呼子)から伊都国(糸島)は東南というより東
伊都国(糸島)から奴国(福岡)は東南というより東
倭人伝の方角は(確実なものを見ても)半時計周りに30から45度ずれてる感じ
となると、奴国(福岡)から東の不弥国は、北東の古賀か津屋崎あたりになり
不弥国から南に水行20日は南東になって、方角的には宇佐あたりに
(関門海峡をぐるりと回る事になるが)
宇佐辺りが投馬国とすると、そこから南に水行10日は南東になって大体大分あたり(国東半島をぐるりと回る事になるが)
大分から陸行一月で、大体宮崎か。大分市から宮崎市まで200キロくらい
途中の山は険しいのであるいは一月かかるかも
かといって宮崎が邪馬台国か?と言われたらうーん、とはなるが、、

32名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:18:55.81ID:gwLkT0Z70
>>24
じゃあ近畿説はありえないな

33名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:19:51.38ID:V47Y5aDc0
クロネコヤマトが最強ですか

34名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:20:01.40ID:LvuO3Xsi0
ナラは朝鮮語なんたら?

35名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:20:55.22ID:DUmBIGs10
>>13
目的地は同じなのに、自分の立ち位置によって方角が南東だったり南だったりする事を君自身が証明したのだから
それは自爆だろ

36名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:24:25.34ID:mAlEMQV00
どこかに有力な遺跡が埋もれたままになっているかもしれない
のじゃないか
手持ちのカードだけでの軽々な判断はどうだろう

37名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:25:25.11ID:z10R1wCl0
>>31
なんで大分から宮崎で急に徒歩になるの?船で行けないところ?

38名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:26:03.34ID:DUmBIGs10
>>36
畿内説は昔から軽々に判断してるよ
昔は三角縁神獣鏡が出土すれば卑弥呼の墓だと大騒ぎして
最近は箸墓古墳を擦り倒してる

39名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:30:00.41ID:n00js40o0
>>24
>二つの地域の位置関係を記すなら全体と全体あるいは中心と中心で比較するものだが

魏志倭人伝は魏使の通った行程を説明しているだけである
自分のルールを勝手に作ってはいけないw

40名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:30:17.25ID:F6Kd2zsU0
>>37
倭人伝の道のりをそのまま合わせただけだからそうなる、てだけ

41名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:34:38.00ID:zAMR5QUY0
案外、中国本土の大学生に魏志倭人伝を読ませたら
「ああ、これは〇〇ってことだよ」って簡単に解釈してくれるんじゃないかね。

42名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:37:20.28ID:No7wHWGL0
これ知ってる
韓半島の騎馬民族が島国土人を鉄蹄で蹂躙して始まった王朝だよね

43名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:38:14.57ID:DUmBIGs10
>>24
日本からグアムの方向も、
九州から見れば南東だし
東京から見れば南なんだよ

44名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:39:13.88ID:qsdzNleT0
>>39
>魏志倭人伝は魏使の通った行程を説明しているだけである
>自分のルールを勝手に作ってはいけないw

たった二行のうちにブーメラン投げて顔面で受け止めてると気づかないあたり
倭人伝の解釈をいじり過ぎていじってる自覚も無くなっちゃった九州派らしくて良いね

45名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:45:32.61ID:DUmBIGs10
>・邪馬台国が倭国の盟主の国
強国ではないから代表になれる

>・30ヶ国の連合
30でも100でも
共立できるのなら数は何でもいいんだよ

>・邪馬台国7万戸、投馬国5万戸
有と可の違いを勉強しようね

>・水行二十日、水行十日陸行一月
丸木舟で昼間の数時間移動し、夜は上陸して休む
川には橋が架かってなければ渡渉できるところまで迂回する
山の中も同じ

>・卑弥呼の墓が径百余歩
円墳だね

>・卑弥呼の宮城に1000人の従者が仕える
白髪三千丈の中国なので数字は誇大だと考えるのが常識

>・一大率が刺史のごとく
そういう国家システムなら当然
弱小国でもそのシステムに則り代表になったのなら他の強国が従うのも当たり前

>・倭国の産物に丹がある
鉄の鏃が無い畿内はどうなる?
倭人の国の一般的な説明なら、邪馬台国に存在しなくてもいいんだろ?
鉄の鏃が無い畿内はありえないという事になるぞ

46名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:53:51.49ID:DMT3f4LP0
>>34
奈良が朝鮮語だと主張するなら、どうしてヤマト朝廷には朝鮮語が無いんだ?
騎馬民族征服王朝説なんて歴史素人の昭和のファンタジーで使われたネタ
支持してる歴史学者は一人もいないぞ

47名無しさん@1周年2018/12/07(金) 22:54:27.04ID:dIr3/FWe0
九州説は論文書け

48名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:03:22.21ID:n00js40o0
>>44
君の言ってるのは方向が間違ってる事にしたが為の屁理屈でしかないよ
倭人伝の解釈をいじくり過ぎてる自覚が無いのは君だよ。

49名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:03:28.61ID:2XTAjVA80
カタカナは宅急便が先に浮かぶ

50名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:07:21.94ID:mewTYYuq0
やっぱ吉備国が東征して大和政権を作ったんだな。
次に強い出雲を懐柔し、元いた吉備国の強大化を恐れて3つに解体。
素戔嗚が船通山に降りたのと一致する。

51名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:11:54.89ID:i2Ba6cY60
吉備と宇佐は同族だから、神武東征の話と一致する部分もある
だが、神武東征自体伝説武力制圧というよりは地元勢力との同盟で招待された感じだけどな
畿内を祭祀の中心として各国の王が同盟を組んだということだろう

52名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:11:55.07ID:hRj10eNa0
>>35
自爆?それを否定したことは一度もないが

それよりモロッコを説明しろよ、無学

53名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:13:40.58ID:qsdzNleT0
>>48
末盧国→伊都国は「東南」だけど実際は北東
伊都国→奴国も「東南」だけど東か北東

書いてあることを素直に読むと合わないよね
>>12でのお前の主張のように
「上陸地点から見たと考えれば方角は合ってるんだ!」
と自分ルールを作って倭人伝の解釈をいじらない限りね
九州派のやり口そのもの

54名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:24:31.24ID:VJL8qbPo0
俺は勝手に日本海説かなって思ってるけどね

55名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:25:04.34ID:VJL8qbPo0
>>54
経路ね

56名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:27:42.60ID:+5kS/UHFO
>>30
女王国までの戸数や道のりは詳しく記載できる、って言ってんだから
ふつうに邪馬台国は不弥国か投馬国に隣接してると思うよ。
畿内なら途中の道程が投馬国だけでスカスカで全然詳しく述べれてない。

57名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:28:19.56ID:+b+4/xzk0
隋書によれば倭国の都は邪靡堆
阿蘇山という火を吹く山があるという

58名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:35:21.61ID:n00js40o0
>>53
書いてあることを現実に合うように解釈しただけですよ
君が始めから倭人伝の記述は間違ってると決めつけて読んでる
自分でルールを作ってるんじゃなくて
倭人伝の内容がどうしたら矛盾が無くなるか考えて読んでるの。

59名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:36:16.54ID:lw0ZbPwH0
纒向はクソ田舎

60名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:42:36.88ID:qsdzNleT0
>>58
>書いてあることを現実に合うように解釈しただけですよ

普通に読んで間違ってる事を「この部分はこうだと考えて、こっちはこうだと〜」
と解釈をいじくり回して正当化する事こそ

>自分のルールを勝手に作ってはいけないw

なんだけど九州派は本当に自覚が無いのがちょっと怖い

61名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:45:55.31ID:duparC4g0
そもそもヤマタイ別国なんぞないのよ
なのに大馬鹿が自己権威とぶにちのために「邪馬台国別朝説」を立てやがったんだよ
騎馬民族史観妄想(史実は騎馬民族の南進を阻止した)作るバカと同じ

62名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:46:27.24ID:Ru4QmpX10
>>46
ナラは、百済語だってさ。百済語は、高句麗系言語。
新羅語が日本語ベースの言語。統一新羅は、200年で分裂、
その後、高麗(高句麗地域)により再統一。「高麗方言」が国語に。
結果、今の朝鮮語は、日本語ベースの高句麗語なんだとさ。

百済語「ナラ」(≒高句麗語)は、今の朝鮮語にそのまま残った。
奈良は、鉄産地百済と同盟することで、列島の覇者となったんだろ。
その名残だな。

63名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:52:08.99ID:8Q703ABy0
>>51
畿内の攻められなさってなんなんだろうね
ある程度の要害なのは解るけど、富を溜め込み経済力の勝負だけだったらそれこそ武力でやられそうだし
近江尾張伊勢越前などの後方は同族で味方として

史実かどうかに関わらず神武の東征の経路は当時の唯一の進撃路なのかもしれないな

64名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:54:38.58ID:VJL8qbPo0
>>62
つっかそれも説の一つだろ
おれは違うと思うけどね
そもそもその言葉自体が朝鮮では最近しか見られないという

65名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:55:10.29ID:cv6g3RaU0
>>47
日本におけるすべての遺跡と出土物の情報がエクセル形式でダウンロードできるWebとかある?

66名無しさん@1周年2018/12/07(金) 23:59:28.77ID:pCJ9KOkw0
雄略天皇の痕跡発掘もちゃんとしてほしいな
あの辺の天皇も分からないこと多いんだろ

67名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:06:10.83ID:/wbUstmc0
日本の考古学会まとめ
日本各地で「〜原人」ブームを巻き起こした日本の旧石器時代の遺物や遺跡とされていたものが、考古学研究家の藤村新一によって事前に埋設された石器を自ら発見した捏造だったとことが発覚した。
藤村は1970年代半ばから各地の遺跡で捏造による「旧石器発見」を続けていたが、石器を事前に埋めている姿を2000年11月5日の毎日新聞朝刊にスクープされ、不正が発覚。
これにより日本の旧石器時代研究に疑義が生じ、中学校・高等学校の歴史教科書はもとより大学入試にも影響が及んだ日本考古学界最大の醜聞となり、海外でも報じられた。
彼のかかわった全ての遺跡について再点検が行われ、上高森遺跡をはじめ多くの遺跡が旧石器時代の史跡としての認定を取り消された。
また、中国、韓国、北朝鮮といった歴史教科書問題で日本と対立している国々では「日本人が歴史を歪曲しているのが証明された」
「一研究家だけの問題ではなく、日本人の歴史認識そのものに原因がある」と大々的に報道された。
藤村の一連の発見に考古愛好家の一部から疑問の声も出ていたが、一介のアマチュアが疑義を唱えることすら憚られる状況となっており反証・反論を行うにはリスクの大きい規模になっていた。
また政府も関連遺跡を史跡に指定するなど事件を助長させ、地域住民も観光資源の観点に偏り商業的な効果を優先させてきた実態が浮き彫りとなった。
考古学界は捏造発覚以前の25年間、捏造を批判した学者や研究者を排斥したり圧力を加える事によって、事実上の学会八分(村八分)にして、捏造批判の声が噴出する気運を押さえつけた。

68名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:06:41.27ID:wRUcWMahO
>>66

ワカタケルって本当に大王だったか怪しいよな
一言主のやり取りといいさ

69名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:08:39.79ID:mZkHzKtn0
>>62
ヤマト朝廷に朝鮮語は無いから違うと認めるんだな

70名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:22:53.25ID:NAtYmIkC0
>>66
科学的に鉄剣の年代推定ができれば大きな進歩になるけどな。

71名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:33:14.03ID:GYfArzLy0
>>67
>考古学界は捏造発覚以前の25年間、捏造を批判した
>学者や研究者を排斥したり圧力を加える事によって、
>事実上の学会八分(村八分)にして、捏造批判の声が
>噴出する気運を押さえつけた。

日本て、全ての分野でこれだよね。
質を担保しようとする理念とか情熱みたいのは、皆無だよね。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」ってのがあったけど、
正に、それだよな。

72名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:33:57.44ID:u6V0NHu10
HLA遺伝子頻度%
*******A2**A24**A26***B7**B44**B46**B52**B54**DR9*DR14
伊勢*23.5*37.0**9.9**5.9*11.2**5.5*11.1**8.0*13.8**6.6
大和*24.5*38.8**9.7**6.1**8.8**4.4*12.6**8.0*14.9**5.8
吉備*24.0*37.6*11.6**6.9**5.4**4.3*11.6**7.8*15.3**7.2
出雲*21.4*37.3*12.3**8.1**6.6**5.2*13.3**6.6*14.9**7.0
日向*22.6*38.3*11.4**5.6**5.2**5.2*11.9**8.8*17.2**5.7

73名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:37:18.95ID:GYfArzLy0
>>69
は?? 意味不明。
ナラが百済語だって情報入れただけだが、何言ってんの??
頭大丈夫か??
高輪ゲートウェイのゲートウェイが英語だって指摘するのと同じ。
別に東京人が英語しゃべってるわけでもない。

そもそも、なんで「朝鮮語」って話になるのか、頭大丈夫か??
当時、朝鮮語なんて地球上に存在してないよwww

74名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:39:56.85ID:aIi8YtP+0
二世紀に出雲王朝が勢力があった事が発掘などからわかっている
このころ、畿内は出雲に服属していたと考えてよいだろう
それが逆転したのは三世紀以降の事だったと考えられる
しかし出雲が畿内に服属した後も、畿内にとって無視できない勢力ではあったのだろう
しばしば対立があったのではないかとも考えて良い

75名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:44:36.53ID:XiStUEZn0
神話を真に受けて一つの勢力が日本を統一したはずと考えるからおかしなことになる
日本はその誕生から江戸に至るまでずっと連合王国制だったと考えるべき
天皇も最初は諸侯による持ち回りだったはず

76名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:49:39.89ID:wRUcWMahO
>>75

それな

77名無しさん@1周年2018/12/08(土) 00:59:10.68ID:NAtYmIkC0
>>74
出雲は高い技術を持ってたのだろうが、平野の少なさから見て
大和を服従させるほどの大国になりえたとは思わないけどな。
交流において、多少イニシアティブを持ってた程度だと思うけど。

78名無しさん@1周年2018/12/08(土) 01:19:04.11ID:qa8FYpIH0
>>63
逆だよ
邪馬台国のころには近江尾張伊勢越前は全部北部九州の勢力下
最後に残って抵抗していたのが奈良盆地
それがついに北部九州に屈服して、南部九州の熊襲を除き西日本がほぼ統一されたのが4世紀初頭あたり
それを境に鉄貧乏だった畿内にも急速に鉄器が増える

https://pbs.twimg.com/media/DsWScScV4AEIsU0.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1559278/18/54429718/img_3

79名無しさん@1周年2018/12/08(土) 01:27:25.18ID:verLrWhh0
ヤマトは畿内にある。

80名無しさん@1周年2018/12/08(土) 01:33:07.83ID:HnDoeB2C0
>>79
同意

しかし邪馬台国は九州に在った ただそれだけのこと
下卑た皇国史観が戦前まで一部の人間だけでヒソヒソ
論じ合う体たらくだった
戦後は全国民の知るところとなり、学者在野総出で
論を戦わせるようになった 健全な状態だと思う

81名無しさん@1周年2018/12/08(土) 01:34:00.53ID:jFnQWs3F0
邪馬台国は畿内だよなぁ…
もし、畿内で無いなら九州の女酋長説が妥当

82名無しさん@1周年2018/12/08(土) 01:39:37.15ID:Pr7j3TW40
>>78
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1559278/18/54429718/img_3
これすごいな、伝阿曇居住地ってところを見たら奈良盆地が完全包囲されてるのがはっきり分かる

83名無しさん@1周年2018/12/08(土) 01:45:54.93ID:Po1NQLfk0
やっとヤマタイ→ヤマトの関連を普通に議論できるようになってきたのか?

84名無しさん@1周年2018/12/08(土) 01:56:36.82ID:FvywOh8+0
邪馬台国以外の話もしてくれ
同じことの繰り返しで飽きた

85名無しさん@1周年2018/12/08(土) 01:58:33.15ID:xeZIUUSl0
そもそも魏志倭人伝にわざわざ「共立」って書いてあるのに、どうして征服だの支配下だの妄想できるんだ?
諸国の王が大体そのまま後の国造やら県主になってるんだぜ

86名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:05:40.40ID:9oW0gEJn0

87名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:06:27.67ID:XJMWS5S50
*******A2**A24**A26***B7**B44**B46**B52**B54**DR9*DR14
蝦夷*25.3*33.8*15.4**3.3**7.3**4.2**7.2**6.7*14.3**8.2 青森
大和*24.5*38.8**9.7**6.1**8.8**4.4*12.6**8.0*14.9**5.8 奈良
筑紫*23.3*37.3*11.8**6.3**7.3**4.2*12.8**8.3*14.5**6.0 福岡
豊***24.4*37.6*12.1**6.6**4.9**4.5*12.1**8.4*16.5**6.4 大分
日向*22.6*38.3*11.4**5.6**5.2**5.2*11.9**8.8*17.2**5.7 宮崎
熊襲*23.4*36.7*11.8**6.6**7.5**3.3*14.1**8.5*16.0**6.4 熊本
隼人*26.1*37.2*12.6**4.6**5.7**4.2*10.4**9.2*14.9**7.5 鹿児島

88名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:08:18.25ID:HnDoeB2C0
それぞれ30数国にもその国の巫女はいたはず
その中でも卑弥呼が最も優れた巫女と認められたんやろな
それでセンターを勤めたってとこやろ

台与(イヨなのかトヨなのか知らん)は卑弥呼の宋女と言われてるが
卑弥呼は独身のまま死んだってことだから
妹なのか親戚なのかわからんな、しかし2代目センターにはなった

89名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:16:49.72ID:TM0F1fyI0

90名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:17:50.06ID:oSNPZS1G0
>>51
宇佐って八幡神やろ
新羅系に乗っ取られたんじゃないか?
黒田に滅ぼされた城井も新羅系だろ?

91名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:24:07.83ID:NAtYmIkC0
>>89
熊野と日向の相似性は知らんかったな。
吉野まで熊野の勢力圏だったことが、なんとなく伺えるな。

92名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:33:30.22ID:GYfArzLy0
>>85
少しは内容読めよw
女の王を「共立」が共和制か何かに見えるのか?w
邪馬台が大乱に負けて、男の王を諦めることで「和議」が成った、
ということだよ。もう列島内で覇権を求めません、許してくださいと。
卑弥呼の死後、約束破って、男が王になったので、また戦争。
結果ぼろ負け。再度、女(臺與)を王にして、和議。

93名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:35:50.50ID:+2XdGlPB0
古墳時代が四世紀から始まるって言う前提で成立する邪馬台国の九州説だが、古墳時代が三世紀にまで遡り、魏志倭人伝の頃にはすでに東北から近畿にかけて交流がある大都市が近畿に存在した、って言う時点で、もう邪馬台国九州説はオワコン(笑)

94名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:38:52.35ID:oSNPZS1G0
>>91
熊野ってのは異なる勢力との境界も意味するらしい

95名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:41:02.44ID:GYfArzLy0
>>93
アホかよw
三世紀頭の倭国大乱で、邪馬台が負けて権力喪失。
権力を失った邪馬台がパシリで魏に朝貢させられてるじゃん。
倭国大乱、何処が勝ったと思ってるの? 3世紀頭だよ。

96名無しさん@1周年2018/12/08(土) 02:49:55.39ID:krkWDpAq0
九州説は論文 書け

97名無しさん@1周年2018/12/08(土) 03:01:58.53ID:D2yZbYsG0
>>92
アホはおまえ
勝手に話を作るな

98名無しさん@1周年2018/12/08(土) 03:06:10.39ID:J/QqJ2KL0
>>93
>>82を見てみろ
畿内大和は孤立していて東北と交流していたのは畿内大和を包囲していた北部九州勢力だw

99名無しさん@1周年2018/12/08(土) 04:02:56.95ID:9rySByug0
>>78
うむむこれは不思議な資料だね

安曇とは縄文海進系の拠点で弥生米文化と交易することで生計を立てていたってことかな
それとも半島交易を担っていたのか

伊勢、尾張、越前、吉備などの土器出土の有力地とは微妙に勢力の中心地から外れているように感じるのだが

あと畿内は王権の交代はあったにせよ征服はされてないだろ
唐古鍵遺跡は主に開発と生産を担い、巻向遺跡はその後祭祀と市場を担っていたと考えられ、これはその後七世紀まで一貫している

三輪山祭祀が九州型鏡祭祀の影響を受けていることは否定しないけどね

100名無しさん@1周年2018/12/08(土) 04:19:30.36ID:y4tC7+n60
宅配戦争の話かと思った

101名無しさん@1周年2018/12/08(土) 04:21:24.59ID:Q70sjD2i0
>>98
ここまで支配下に置いておきながら、何故に日向国の一族に負けたんだろう?

阿曇氏が日本各地を行き来していたのは間違いないけど
陸地の全国制覇を目論む集団ではなかったんだよ。
彼らは土着の海運業

102名無しさん@1周年2018/12/08(土) 04:22:45.94ID:Om1hgp/b0
>>89
面白かった。6枚目の写真で思い出したんだが、
浅間山なら名古屋の熱田神宮の方が断然関係してるよ。

熱田神宮から右上45度の鬼門方向に方位線を延ばすと、
諏訪大社下社、浅間山山頂、会津磐梯山山頂を経て、古代東北征服の拠点だった多賀城に到達する。

熱田神宮や諏訪大社下社って他の有名神社とちがって、めぼしいラインが他に見当たらないから、
おそらくこのために設置されたんだと思ってる。

103名無しさん@1周年2018/12/08(土) 04:33:34.41ID:NAtYmIkC0
>>86
邪馬台国東遷説と神武東征を一緒くたにするのは無理があるかもしれないな。
信用できるかどうかわからないが、大和と日向は弥生後期後半には
交流してたようなことを読んだことがあるような気がする。
それが本当なら、わざわざ熊野経由で大和に行く理由がわからない。

104名無しさん@1周年2018/12/08(土) 04:37:04.36ID:qJLr+jju0
当時、戦の前にまず巫女同士が敵国を呪い合って、それから実際に戦った、
この巫女同士の呪い合いが実際の戦いと同じぐらい大事だった、って聞いたけど、
奈良にあった邪馬台国はこの呪いの部分が優れていて、それで武器が未発達だったと勝手に思ってるわ。

105名無しさん@1周年2018/12/08(土) 04:39:44.36ID:NAtYmIkC0
呪いは形だけで、実際には熊野辺りの連中が暗躍してただけかもな。

106名無しさん@1周年2018/12/08(土) 04:50:30.99ID:3KXR779r0
初代神武天皇 皇祖皇宗の威霊 日本国を2678年形成してきたのであろう

107名無しさん@1周年2018/12/08(土) 05:07:51.69ID:3KXR779r0
1941/12/08 真珠湾攻撃(リメンバー パールハーバー)「帝国海軍ハ 米国ニ対シ 戦闘状態二入レリ」
→ 原爆 により 1945 大日本帝国は崩壊 壊滅した

108名無しさん@1周年2018/12/08(土) 05:10:40.14ID:25ebbeC20
>>104
実際に「呪い」の力で勝てるんならいいんだけどね
古代の人々もそうじゃないと分かってたから、青銅の武器を作ったり鉄器を中国から輸入してたんだと思うけど

109名無しさん@1周年2018/12/08(土) 05:20:15.76ID:i6TSO9vh0
>>103
熊野の手前の和歌山で神武軍は殺戮しているのだが
そこは新羅人の居住地だったようだ
竹中平蔵の縁故地
ttps://ugaya.jimdo.com/2015/05/24/ナガスネヒコ一族が逆襲して-大和王朝となった可能性/

110名無しさん@1周年2018/12/08(土) 05:35:59.99ID:qJLr+jju0
>>109
その時代にそのあたりで半島の人が定着してた可能性があるんだね。
2世紀には大陸や半島の人が大和地方や葛城の方にいたとしたら、
巻向の規模の大きさを祖国に伝えてる可能性がある。
日本のどこの国よりも大きいと。
そうなるとそれを記録したりするはずだから、やっぱり邪馬台国は巻向だろうと思ってる。

111名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:07:04.87ID:ZGXNmIOj0
邪馬台国→ヤマト政権

神武東征はどうなるんだよおいw

112名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:11:04.81ID:ZGXNmIOj0
日本の古代史は本当にダメダメだな
イギリスやドイツやフランスなんかちゃんと国の成り立ちがわかっているのにこの有様
国外からみた古代史像(邪馬台国)と国内の神話等からみた古代史(大和朝廷)がこれだけ乖離しているのって本当に珍しいぞ

113名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:11:43.46ID:NAtYmIkC0
>>102
それが本当に計画的に配置されたという話なら、
確か西洋では15、6世紀辺りに可能になった経度の測定が、
東洋ではとっくの昔にできてたことになりそう。
経度の測定方法に関わる東洋の文献とか残ってないのかな。

114名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:13:39.03ID:wfrLgb7c0
>>99
半島の南東部から沖縄近海の貝製品が出ているので、彼らが縄文時代から既に半島と接触していたのはほぼ確実と見られる
そうなると狗邪韓国が魏志の韓伝ではなく倭人伝に書かれ、倭国の北界と記されているのはそこにいたのが倭人だったからと見るのが妥当だろう

古墳時代前期あたりは確実にまだ鉄が国産化されていないと考えられるので、彼らが海を渡り
朝鮮半島から手に入れるしかなかったと思われる
九州北岸から半島までは壱岐・対馬経由ならば各陸地が目視できるので迷うことはないが、九州から半島に向かう際には
対馬海流の激流に逆らって船を漕がなくてはならない
このため海を渡っていたと思われる人の骨は農耕民に比べて上半身が異常に発達していたらしい

“マッチョ”な弥生人 その正体は!?
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_1114.html
> 弥生時代、女王・卑弥呼が治めた「邪馬台国」があったという説もある九州北部。ことし8月、長崎県佐世保市の離島、高島で
> 古代史の研究者を驚かせるものが発掘されました。それは、下半身に比べ上半身が異常に太く、驚くほど“マッチョ”な体型をしていた弥生時代の人骨です。
> “マッチョ”な理由を探ってみると、古代人たちの知られざる営みが見えてきました。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_eyecatch.jpg

115名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:15:25.48ID:hjkEcsbG0
>>102
こういう「〜を真っ直ぐ延ばすと〜にぶち当たるからゴニョゴニョ」って人は、そのころまともな地図があったって思って言ってるの???

116名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:17:32.27ID:OTCDWIeT0
畿内は魏志にある東の別国。
いつになれば理解できるんだ。
記紀にある古代史は天智が改竄したもの。
漢の時代から外交で半島、大陸とコミュニケーションが取れた人材は九州にしかいないよ。

117名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:20:08.51ID:HnDoeB2C0
もういい、いいんだ畿内 静かに眠れ

118名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:24:50.38ID:wfrLgb7c0
>>99
彼ら海の民の中でも高い身分の者は、南海産のゴホウラ貝で作った貝輪を腕につけるのが縄文時代からの伝統だったが、
弥生時代中期以降、青銅でこれを模した有鉤銅釧がこれに取って代わる

https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/note/notebook31_1.htm
>南海産貝輪にルーツのある有鉤銅釧の分布は、弥生時代中期後半に北部九州に始まり、弥生時代後期に盛行し、
>古墳時代前期前半で終焉に向かいます。

この有鉤銅釧の分布を見ると、>>78に似た分布を示し、尾張や越前、吉備、そして畿内の玄関先である大阪湾岸からも多く出ている
この地域に海人の高位者が地盤を持っていた証だろう
そして有鉤銅釧の鋳型は現在のところ北部九州、それも福岡平野から筑紫平野にかけての地域からしか出土がない
そこが本国で、各地に出張った有力者に有鉤銅釧を授けて送り出したのだと思われる

銅釧出土地
https://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png

119名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:30:49.59ID:fKfQJ8t/0
どうせ古すぎて解らないんだろwww
堂々巡りになるのが解っていて研究してるんだろうwww

税金が勿体ない

120名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:30:51.21ID:25ebbeC20
纏向遺跡からは北九州産の土器がほとんど出ない
北九州との交流がほとんどなかった事を示してるんじゃないの
伊都国などは北九州に比定されてるじゃん
帯方郡の使者を迎える大事な玄関口
北九州との交流がない時点で邪馬台国の可能性は低いと思う

121名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:31:27.69ID:NAtYmIkC0
>>118
グローバル企業の本社と現地法人みたいなもんじゃないの?

122名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:35:48.04ID:wfrLgb7c0
>>99
なお関東には九州とは別系統の海人がいたようで、帯状円環型銅釧(>>118の銅釧分布図の白丸印)は関東系の
オオツタノハ貝輪を用いた海人の縄張りと思われる
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg

ここに九州系の有鉤銅釧が相当数重なって分布しているので、九州の海人が関東の海人の縄張りに攻め込んだことが考えられるが、
実はこの東方の有鉤銅釧出土地をよく見ると、ヤマトタケルの東征伝承の地と多く重なっている
草薙剣で火難を逃れた焼津、海上で波浪に遭って后が入水した横須賀、その后を思って過ごしたという木更津、
白い鹿を討ったという足柄峠など、これらがいずれも九州系の有鉤銅釧の出土地になっている

つまり九州海人にとって畿内征服は最終目標ではなく、そのさらに東の地域を征服するための通過点だったのだろう
縄文時代に既に関東とも貝の交流があった彼らにとってはその視野は自然なものだと言える
東海以東への進出をも視野に入れていた彼らにとって、本拠地が九州のままでは遠すぎて指令を出すのに不都合だったため
本州西部では最後まで抵抗した畿内を陥落させたのを機に、そこに前線司令基地を作ったのがヤマト政権の起こりだと考える

しかし東西に広い日本を広範囲に支配するにはむしろ畿内のほうが地理的に好都合だったため、やがてそちらが中心となっていったのだろう
いっぽう旧都の九州北部は徐々に衰退していき、恐らく白村江の敗戦で決定的に放棄されたものと思われる

123名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:44:54.28ID:8nA+O8dZ0
>>120
纒向はどうみても邪馬台国じゃないよね。
だからといってヤマト王権か?というとそれもどうかなと思う。

124名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:48:03.09ID:0+FK9oQd0
>>8
何が大惨敗なんですか?

125名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:49:31.32ID:0+FK9oQd0
>>79
九州にはもっとあるよ。よく勉強しような?

126名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:51:01.51ID:wfrLgb7c0
>>121
その可能性は否定しない
陥落とかいう表現をしたけど、必ずしも武力によったとは限らないしね
縄文時代から海上交易で様々な遠方の物資を持ってきた彼らは尊敬もされていただろうし、混血もあったと思うので
案外あっさりと連合を組めた可能性もある

ただ、相手が従わない場合は武力による制圧もオプションの一つとしてはあったように思う
その場合彼らには下記の3つの利点があり、戦いを優位に進めることが出来ただろう
特に3は重要であったと思う

1.体型が変わるほど過酷な船漕ぎで鍛えられた腕力
2.半島から手に入れた鉄で作った優れた武器
3.長年の交易で手に入れた地理の知識

縄文時代からの交易で彼らは日本沿岸の何処にどんな勢力がいてどの程度の力を持っているかをおおよそ知っていただろう
それどころか、物々交換のために集落内部まで入れたとすれば、城柵や堀の配置、指導者の住む館の場所まで把握していたかもしれない
つまり、彼らがその気になれば船で前触れも無く現れ、防御の薄い場所から一気に大将の首を狙いに行けた、ということである
これは当時の争いにおいて決定的な優位性であったと思われる

おとなしく従うものとは手を組み、まつろわぬ者には恐怖の電撃戦を仕掛ける
これが海人が広範囲に勢力を伸ばすことが出来た原動力だったのではないか

127名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:53:39.55ID:0+FK9oQd0
>>82
大体から滋賀県は志賀県だからな?九州北部の方が宗家なのは言うまでもない。

128名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:54:49.56ID:0+FK9oQd0
>>93
勉強しような?

129名無しさん@1周年2018/12/08(土) 06:58:40.46ID:Kdarmo2x0
起源は韓国じゃないのか

130名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:00:39.96ID:ta/eIqYO0
238年公孫淵の反乱をおさめたその年に朝貢
266年西晋建国の同年に朝貢

ヤマトの中央にお伺いを立ててから使者を派遣してたら時間がかかるのに
対応が早い
纏向と伊都国の信頼関係みたいなものがあったんじゃないか

あと桜井市三輪山ふもとの大神神社は
福岡県旧三輪町の大己貴神社を模して作られて
周辺の地名も一致してるところが多い
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/fa/8bb155e98cf905ea32b65ac219bdcbb9.jpg

131名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:00:42.19ID:3V1u7NqF0
>>129
出雲族もツングース系の説がある

喜べ

132名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:00:46.02ID:0+FK9oQd0
>>98
三輪は筑前の朝倉(朝闇あさくら)に元宮がありますよ。おんがさまですね。おおみわは新しい読み方。古代はおんがと読んでいた。遠賀川も古代は大神川と書かれていた。

133名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:02:19.73ID:33c8W2Oj0
>>120
ブラジリアのような政略的な新造首都とみなしても良いと思う。
首都建設負担は周辺国、特に開発地である東側が多いので、
伊勢、東海の負担が多かったとすれば、隣国の狗奴国にあっさり負けるのも納得できる。
北九州が外交の中枢、支配機構の先進である事は文献的に認めるが、考古学的には文化性と開発性(統治性)で劣ってなかった。

134名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:05:03.06ID:n9Qi1GeK0
>>130
地名が似てるって、

古事記の国譲りのように、都市移転があったのでは

国津神→天津神

135名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:05:34.92ID:GO/wrNDw0
九州説ってロマンあるよね でもロマンはロマンだから
それがあたかも史実だと主張しちゃダメです

136名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:15:29.33ID:wfrLgb7c0
海人が縄文時代から既に全国と交易する力を持っていたということは、後漢の光武帝に朝貢して
漢委奴国王の金印を貰ったのも恐らくこの海人たちの国であったと思われる
>>114の通り、対馬海流に逆らって半島そして大陸まで行くのは容易ではないので、航海に長けた彼らでなければ難しかっただろう
海人の最大勢力・安曇氏の本拠地は福岡県志賀島であり、ここから金印が出土したのも当然といえる

たまに「何故金印が志賀島なんかに?」と言う人がいるが、それは弥生時代=稲作農耕というイメージが出来上がってしまっているせいだろう
確かに稲作の観点からのみ言えばあんな島には何の価値もないと言っていい
だが実際には当時日本の広範囲に力を持っていたのは海上交通を制していた海の民であり、その本拠地が志賀島であるという認識に立てば
金印が志賀島にあるのは至極当たり前であり、そう認識を改めるのが当時を理解するのに重要だと言えるだろう

137名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:28:48.48ID:580FmLV80
>>122
ヤマトタケル伝承とも関連するのか、面白いな

138名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:35:25.89ID:u0hrol+I0
>>111 記紀のファンタジーによると西暦紀元前だから卑弥呼と関係ないw

139名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:46:14.90ID:oC7sHMJu0
>>110
辺鄙なド田舎が?

140三河農士 ◆R2srkOAYfTmd 2018/12/08(土) 07:50:16.79ID:EuVSWreW0
記紀によると纏向の辺りに都を築いたのは第十代祟神天皇第十ー代垂仁天皇第十二代景行天皇
この垂仁天皇の時代には都怒我阿羅斯人や天日矛といった渡来人の伝承がある。
このうち都怒我阿羅斯人の行程は道に迷って遠回りをしており、魏志倭人伝の行程にも似ている。

141名無しさん@1周年2018/12/08(土) 07:53:24.99ID:u0hrol+I0
>>115
高い山に登って望遠鏡の脚の一本を北極星の方に向けて
夜、刻限を決めて双方から花火を打ち上げて方向を確認したんだよ。
花火の見えた方向が3地点で一直線になるまで繰り返せば
中間の地点を決定できる。

142三河農士 ◆R2srkOAYfTmd 2018/12/08(土) 08:00:04.19ID:EuVSWreW0
>>138
それは日本書紀な。
古事記は在位期間が日本書紀より長めだけど記載のないのも多いんだ。
記紀の年数表記はあてにならないというのは同意。
また雄略天皇以降は暦が正されたらしく誤差がなくなっている。

143名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:12:02.57ID:opvWqClZ0
クロネコヤマトって何でクロネコヤマトって名前なのだろう

144名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:14:56.05ID:JWHBigBa0
>>111
記紀の最初のほうは神話で、それは天皇(大王)やそれ以外の豪族の伝承を組み合わせて、
編纂当時の持統(元正)天皇から孫への継承を正当化する意図も含めて創作されたと思われる。

そのため神武東征も、邪馬台国系の豪族の伝承を元に作られたのかもしれない。

145名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:15:20.59ID:HnDoeB2C0
>>143
チコ「無駄に生きてんじゃねぇよー!」

146名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:17:44.92ID:iI50YNnB0
>>13
すでに書いてるけど
モロッコじゃなくてシエラレオネなら南東じゃん
重要なのはモロッコの位置じゃなくてワシントンD.Cから南東を指すという事

そういうの理解できないのかな?
どうせ揚げ足取りしかできない畿内説だし、しょうがないか

147名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:17:48.02ID:u0hrol+I0
>>139
辺鄙なド田舎から「漢委奴國王」印wwwww
その頃から村おこし、町起こしして観光で儲けようとした黒田藩

148名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:20:09.15ID:FvywOh8+0
>>130
一部だけじゃなくて全体に位置関係や配列まで似てるっていうのが面白いな
一族や身分ごとに住む位置が決まっていた感じかな

149名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:20:56.52ID:iI50YNnB0
>>144
神話も、元々は何かしらの史実があっただろうから
東遷も国譲りも、
そのままではないかもしれないが似たような事があったんだろう

150名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:23:31.23ID:FvywOh8+0
>>137
ヤマトタケルが女装してクマソタケルを討ったのは有名だし時代もすごく近い可能性があるね

151名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:25:00.57ID:iI50YNnB0
>>53
東や南にしか進まないのに北上したことにするのは
自分ルールだよね

畿内説は自分ルールなのか

152名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:26:57.14ID:25ebbeC20
>>147
ど田舎と馬鹿にするけど今の基準じゃなく弥生時代の基準で考えないと
志賀島からは弥生時代の遺跡が多数発見されていて弥生時代中期の銅剣の鋳型も見つかってる

153名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:32:50.85ID:iI50YNnB0
>>141
なんかよくわからん
もうちょっと詳しく

154名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:36:09.35ID:JWHBigBa0
そもそも記紀なんて天武天皇の時作り始めた(らしい)のに、天智天皇の逝去が曖昧なくらいなんだから、
神代の記述なんてあんまり信用できないよね。

155名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:42:19.92ID:96aC0j9L0
どうせ
これも奈良判定でしょ

156名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:46:50.70ID:SqzbVTdd0
雄略天皇は鉄剣からほぼ確定、
宋書等から履中まで推定可能だが、
記紀にはその代での朝鮮半島進出が書いてないな。
朝貢も安東大将軍とかも全く書いてない。

157名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:55:20.37ID:iI50YNnB0
>>86
ヤマタイカ持ってる

158名無しさん@1周年2018/12/08(土) 08:59:08.37ID:jorFyyxQ0

159名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:00:38.86ID:vfPV8v/t0
>>60
じゃあ君の解釈で末廬国、伊都国、奴国、の位置関係はどうなるの?
説明が付かないから魏志倭人伝の記述はデタラメだとしか言えないじゃないかw
魏志倭人伝の記述を信用するなら魏使の上陸地点は呼子か名護屋浦だし
伊都国は糸島市の東南部、奴国は福岡市周辺、不弥国は那珂川町、春日市付近となるだろ。

160名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:01:07.85ID:iI50YNnB0
>>92
よくわからん

>邪馬台が大乱に負けて、男の王を諦めることで「和議」が成った、
これは邪馬台国VS他の倭人国という構図なのか?
だとしたら男王をあきらめるとかそんなまどろっこしいことじゃなくて
邪馬台国を引きずりおろして別のどこかの国が代表になればいいんじゃないか?
もしかして、他国が邪馬台国の王を男から女に変えろと言ってる設定なのか?

>卑弥呼の死後、約束破って、男が王になったので、また戦争。
そういう話は成り立つかな?

161名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:01:13.74ID:mZkHzKtn0
>>73
うむ
朝鮮人のデタラメな話を返されても、誰も支持してないんでな
反論不可とみなし朝鮮人の敗北だろう
ナラは朝鮮語ではない
ヤマト朝廷には朝鮮語は無いって事だ

162名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:02:08.12ID:vZi8MAL50
つまらないことを調べてるんだな

163名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:02:24.54ID:sFxk5Rwe0
邪馬台国の場所はハッキリしないが、魏で皇帝に会った使者は九州の人。そして邪馬台国の本当の名前は「やまと」。
皇帝に謁見の時にあまりに緊張しすぎたか長く待たされてイラついていたのかわからないが、「何処から来た」の問いに、つい方言が出てしまって「やまとタイ!」と。
しかも早口だったので「やまっタイ!」にしか聞こえなかった。

164名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:02:48.32ID:kL3z71CM0
>>7

ヤメドゥが正しい。

165名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:03:58.33ID:iI50YNnB0
>>163
いや、
普通にヤマトでいいと思うよ

でも、後の畿内大和ではないだろう
というのが、九州説の主な見解

166名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:13:12.34ID:OTCDWIeT0
纏向は吉備からの入植者が支配してたんだから
近畿なんて掘っても意味ねえだろ。
調べるなら吉備なのに頑なに纏向周辺掘ろうとしてるよね。
頭がおかしいとしか思えない

167名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:15:08.14ID:iI50YNnB0
>>166
巻向を邪馬台国だ卑弥呼だと言い張ってこすり倒して
ボロボロの出涸らしになってから、

しれっと吉備を邪馬台国だ卑弥呼だ
と言い張る予定なんだろう

168名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:19:25.73ID:vfPV8v/t0
>>154
天智、天武の時代も凄く怪しい内容なんだよな
この時期に大和朝廷が成立して歴史を全て書き換えたとしか考えられない。

169名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:27:57.84ID:jFnQWs3F0
>>89
こういうフィクションを信じちゃうのが九州説信者なんだよな

170名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:28:18.93ID:jorFyyxQ0
>>86,89
面白い!
実に読ませるね

171名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:34:20.79ID:LkohFD3D0
纏向が邪馬台国とは関係ないことははっきりしてきた
大和朝廷に繋がってるのかというとそれも怪しそうだけど
この時代は変に中国に史料が残ってるから逆に難しいな

172名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:42:19.87ID:y6R9DFVPO
古墳時代の終わりころに政情がめまぐるしく変化した痕跡があり、
古墳を作らない動きが逆に畿内から地方に広がってるよね。

前の王朝が前方後円墳つくりすぎて滅んで巨大古墳を作らない勢力が台頭したんだろうか。
そうなるとやっぱり渡来系か、二世三世かその子孫とか。

173名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:43:24.12ID:SqzbVTdd0
日本書紀には雄略天皇の朝鮮半島進出が書いてあるな。
しかし、安東将軍や朝貢に関する記述が無い。

174名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:48:57.38ID:LkohFD3D0
天皇陵と言われる古墳は現代に至るまで大事に管理してきてるので素直に朝廷のご先祖様と思っていいんじゃないの
少なくとも朝廷はそう思ってもしくはそう知らしめて今までやってきてる
大事にされてない古墳は盗掘とか破壊とかされてるからね

175名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:50:54.75ID:oC7sHMJu0
纒向説の変人は今日は寝てる様だな

176名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:51:21.75ID:CWaEmHQc0
チョンコ精神崩壊w

177名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:51:38.74ID:iI50YNnB0
>>169
畿内説がフィクションだよ
証拠がないんだから

178名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:52:42.34ID:HSdrjDrS0
正史を含めた文献上も考古学的にも皇室の祖先が列島の唯一の支配者じゃないとはっきりしてるのに
それこそ正史自体が該当する人物の不在を告白している状況でよく女王国とヤマトをつなげられるもんだわ
帝大に蔓延るカルト宗教の一つとしか言い様がない

179名無しさん@1周年2018/12/08(土) 09:54:07.57ID:RR+Ga9NX0
>>89
ロマンあるね

古事記もファンタジーだが、国譲りは間違いなさそうだわ

近畿大神、三輪の祖は海人族と考えれば普通に北九州起源を考えるわな

180名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:01:09.20ID:jEzauvbo0
まぁ
仮に卑弥呼がいたとして

その墓地と規模が適合するのが、纒向遺跡の箸墓古墳 以外 に ひとつも存在しないからねぇ

九州に300m級の 3世紀中期後期の 古墳 が 発見されるんなら 話 別だけどなwww

考えてみろよ

5世紀後半に
日本武尊(ヤマトタケル)が埋葬されたと言われる
軽里大塚古墳が全長約190mだぞw

3世紀中頃に
建造された最古にして
当時他に類を見ない巨大古墳。
かつ。
最初の巨大前方後円墳

全長278mの 纒向遺跡の『箸墓古墳』は、
当時どれだけの ”大物” が埋葬された事になるんだ?

他の古墳は全部
4世紀以降の産物。コレだけが異常に突出してんだよね

はっきり言って
この当時、実在した最大の 権力者は、生前名:”卑弥呼(日巫女)”
崩御後名(アマテラス)しか
存在しないんだよ

181名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:03:09.78ID:96aC0j9L0
>>108
鳥羽伏見の戦いとかな
最新武装した新政府軍に
旧幕府方は1万5000人の兵力を擁しながら緒戦にして5000人の新政府軍に敗北
結局は武器の優越で決まる

182名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:04:34.56ID:oC7sHMJu0
三世紀の先進地帯で穀物、人口、武器、宝飾品が
溢れていた九州が倭人国であり女王国
東に別の国があるという正体不明の国が奈良以東
九州の戦乱や人口膨張から徐々に東に移民して
分国や提携国を作り倭人勢力を広げていった

その東端が纒向という四世紀の植民国家
何も出ないのは当然やね

183名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:04:52.69ID:iI50YNnB0
>>180
年代が合わないので無駄だよ

184名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:06:17.59ID:jEzauvbo0
まず 伊勢← ここが重要

アマテラスは伊勢

つまり
纒向遺跡のある桜井からみて、日が昇る最果ての地が・伊勢
日が沈む最果ての地が、出雲なんだよ

そして
卑弥呼 = 日巫女

であると考えれば
纒向遺跡のある桜井に存在する

日本最古にして、伊勢より格が高い

【大神神社】が存在する事は、諸説を圧倒するほどの見過せない根拠なんだよ

185名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:08:41.16ID:HSdrjDrS0
>300m級の 3世紀中期後期の 古墳
こういう「考え」方をする奴って日本の一里塚とかをどう説明するんだかすげえ興味ある

186名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:09:24.78ID:y6R9DFVPO
>>180
卑弥呼は三世紀中頃でなく初期。
魏史では卑弥呼の墓は径百歩、箸墓が300メートルなら一歩3メートルになってしまうよ。

187名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:12:20.49ID:jEzauvbo0
卑弥呼と同時期の天皇が、10代目の崇神天皇。

邪馬台国と覇権を争っていた
狗奴(くな)国の男王が崇神天皇。

「狗奴国」(熊本説などが有力)

この狗奴国の男王を
『魏志倭人伝』では【卑彌弓呼(ひみここ)】と記している。

卑弥弓呼
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%BC%93%E5%91%BC
卑彌弓呼(ひみここ、生没年不詳)は、
『魏志倭人伝』に記録される狗奴国の男王
3世紀の倭国(現在の日本)の人物である

崇神天皇陵(行燈山古墳) 【天理市】←※【重要(狗奴国の国王の墓が奈良の天理に実在)】
古墳は全長約242m
築造された年代は4世紀後半(古墳時代前期後半)

188名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:17:16.36ID:kTbcAaEK0
なんで畿内って思ったんだろ
普通に読んだら畿内とか無関係なのわかるだろうに
畿内は、最初出雲・丹波、そこに吉備、さらに尾張や越が合流した別の国
立ち位置は関東と同じ
魏志倭人伝に倭種って書かれてる以外は登場しない。舞台の外です。

189名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:18:00.93ID:HSdrjDrS0
>>187
すごい!
矛盾だらけで何を主張しているのか皆目わからない!

190名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:19:53.82ID:oC7sHMJu0
無理やり卑弥呼の死亡時期に近づけようと炭素年代を無視してる詐欺師みたいなヤカラ、ソレが畿内説
もはや頭おかしい畿内説だ
そのうち学会の重鎮が死ねば綺麗に消滅するのじゃね

191名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:21:21.15ID:SyvSI2JT0
土器の編年と年代が古くなってるのがな
庄内式も布留式も半世紀くらい古くなった

192名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:24:15.30ID:u83iWQvr0
>>86
九州説が学問ではなく、エンタメコンテンツだという典型的な例だな
笑った

193名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:27:45.86ID:kTbcAaEK0
畿内説は、どんなにがんばっても畿内に国がありました
以外の結論な無い

194名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:28:12.67ID:qcXlAoRy0
干支を独断で西暦に当てはめてみる

西暦54年  神武天皇が東征開始(太歳甲寅)
西暦61年  神武天皇が橿原宮で即位(太歳辛酉)

西暦204年 10代崇神天皇即位(太歳甲申)
崇神天皇3年 磯城瑞籬宮に遷都 桜井市三輪山のふもと
崇神天皇7年 大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣する
崇神天皇10年 倭迹迹日百襲姫命の占いが外れて死亡 箸墓に眠る
崇神天皇10年 四道将軍派遣
崇神天皇11年 四道将軍帰参

西暦212年  11代垂仁天皇即位(太歳壬辰)
垂仁天皇2年 纒向に遷都
垂仁天皇5年 皇后の兄が反乱 皇后とその兄焼死
垂仁天皇15年 新たな皇后を迎える
垂仁天皇25年 天照大神の祭祀を皇女の倭姫命に託す
垂仁天皇28年 殉死の禁止
垂仁天皇32年 埴輪採用

西暦251年  12代景行天皇即位(太歳辛未)
景行天皇4年 美濃行幸 帰国 纒向日代宮に遷都
景行天皇12年 九州巡幸
景行天皇19年 帰国
景行天皇43年 日本武尊命病没
景行天皇53年 東国巡幸
景行天皇54年 帰国
景行天皇58年 大津滞在

いろいろおかしくなるのは気にしない

195名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:28:41.47ID:HSdrjDrS0
>>188
確認できる最も早い「説」は南北朝時代の北畠親房「神皇正統記」らしい
博学なのが災いしたのか南朝の正当性の主張が斜め上に滑りすぎ
時代はずっと下がって江戸の国学者もそれを(当然科学的論証なしに)継承した
某帝大は若干の屁理屈を肉付けしただけで伝承してるだけ

196名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:38:40.07ID:oC7sHMJu0
倭人国も畿内を知らない
畿内の大和朝廷も倭人国を知らない

当時別種で後に移民が作った分家だからそうなる
ブラジル日系四世が郷里の宮崎県を知らんのと同じやね

197名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:39:44.29ID:g5xW5NNT0
卑弥呼はヒメミコ=姫巫女だろうから特に意味が無い名前だと思うが、
阿毎多利思北孤(アメタラシヒコ)って誰よ?

198名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:51:27.11ID:kTbcAaEK0
>>197
記紀と無関係の誰かでしょうね。
対魏では名前が残っても、記紀では残らない誰か。

199名無しさん@1周年2018/12/08(土) 10:58:22.16ID:wRUcWMahO
天武以前の人間って出処から生死などが全部、ボヤけてる(天武・天智を含む)

ここら辺の登場人物て唯一ハッキリしてるのって
筑紫の君の磐井とその身内だけ

なんとなくおかしいと思わないか

200三河農士 ◆R2srkOAYfTmd 2018/12/08(土) 11:04:40.91ID:EuVSWreW0
>>197
タラシヒメなら神功皇后のことなんだけどなあ。
タラシとつく人名はこの時代には多いから特定は難しいな。

201名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:07:26.48ID:HSdrjDrS0
>>197
実のところヒミ「コ」の可能性はあまり高くない「コ」は別字をを当ててるんで
かつてはヒミカあるいは音韻上ピミカが有力とされていたんだが
>>200
「利」を「ラ」と読むのは無茶

202名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:09:07.10ID:wRUcWMahO
一人の人間に二つ名と三つ名と授けて
さらに株みたいに分割しちゃうからなw

203名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:09:27.86ID:FvywOh8+0
中国の文献に残ってるのヒコ、ミコ、オコが多いな

204名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:11:04.42ID:6omVg6Os0
人間に二つ名三つ名を付ける古代日本で
国の名前に二つ名がないと何故言い切れるのか

205名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:14:16.03ID:wRUcWMahO
>>204

それなw

206名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:14:42.06ID:LYiqu9sa0
>>194
殉死を禁止して埴輪を埋めるようにした垂仁天皇。

記紀では埴輪については記述あるんだな。

207名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:15:00.75ID:oC7sHMJu0
炭素年代を無視しても全然倭人国に接続しないなあ
無駄な執着は諦めたらどうや
もはや日本中から笑われる畿内説やで

208名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:15:22.13ID:g5xW5NNT0

209名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:16:15.16ID:3V1u7NqF0
>>197
ググり寝、倭国王やん

有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行祷祭

阿蘇を領地にしてるんだから、倭国は九州

210名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:19:41.81ID:vzZtydLi0
>>197
天皇には名前は無いはずだから
600年の 阿毎多利思北孤(アメタラシヒコ) は
和語の音で 天帝=天の垂らせし彦 を名乗ったってだけのことでしょ。

倭の五王時代に、中国名を名乗ったことを恥じて、記録を消してる?
これ以降、今上は無名、皇族内での幼名による別はあっても
事績を讃える死後の諱号以外は 宮の場所や呼称で区別する習慣になっている。

211名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:21:18.11ID:HSdrjDrS0
>>209
道すがら見える(中華としては珍しい)活火山を特記しただけであって日出る処の天子の所在とは無関係キリ
というのが合理的に見えるかどうかが分かれ目

212名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:22:14.56ID:oC7sHMJu0
東に別種の倭人ありがこの畿内だよ
倭人国から見ても別種だからもともと人種的ルーツも違うのやろ
卑弥呼と倭人伝の時代には別種だったが後に九州からの移民勢力が畿内に侵入して植民国家を作ったのが纒向
辺鄙な辺境だからロクに遺物も出てこない
これが真相じゃん

213名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:24:29.56ID:HSdrjDrS0
>倭の五王時代に、中国名を名乗ったことを恥じて
委「奴」の字に船中でw急にw気づいて怒りのあまり海中に投げ捨てた、というのと同レベルに凄い

214名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:26:44.26ID:wRUcWMahO
中国の使者は意地でも本州については語らんよなw

215名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:34:50.30ID:QcVl5Giw0
紀州に古都九州がトレースされたとすると
かなり大掛かりな労力移動も含めた遷都になるから時間もかかるだろうが、卑弥呼没後壹与迄は張政の記録に残り遷都の記述はないことから東遷であれば壹与晩年の事業か没後だろう。
ただその間も継続して半島攻めは続いていることから、九州へ首都機能を保持しながら遷都と言うよりも開拓が進んだと言うことか。
そうなると近畿に残る古墳群は九州派遣の監視役が埋葬されたことになるんじゃないか

216名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:37:23.11ID:WvgDPdTh0
伊都国の代々の王が従属した国なんて倭奴国しかないよな
この国の最盛期の甕棺墓は大乱後に箱式石棺墓に変わってる
箱式石棺墓はもともと遠賀川流域に分布してたもので、大乱時に流入を許したんだろうね
奴国はやはり弱まってたんだろう
だから余計に、奴国の姫こそ倭奴国王の子孫としてもつ正統性によって王として「共立」されるに相応しい存在だと思う
卑弥呼には大乱後に共立された王としての新しさと、紀元前後からある伊都国との関係で表される古さが両立してないといけない
畿内でそれを想定するのは難しいのだけど、九州の王権が大乱後に遷都してたなら可能性はあるかもね

217名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:38:18.79ID:oC7sHMJu0
当時九州や瀬戸内をスイスイ移動できたちゅう固定観念がそもそも間違いなのよね
倭人国に服属せぬあるいは快く思わぬ勢力も九州などにはたくさんおり
安全なルートを模索しながら襲撃を避け複雑な行程となったから異様に時間がかかったのや
それに当時使節団が来れば中国の臣下に降るのかと大問題になっていたはず
中国の当時の日本地理の理解も南北に無数の島から成る異様な形をしていた
信頼できるのは地名ぐらいのもんよ

218名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:38:34.26ID:vfPV8v/t0
>>211
阿蘇が見える所は熊本県にまで来ないとないな
隋使は何処を通って何処に行ったんだろうなw

219名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:40:14.47ID:Ya/hgc8J0
巻向は邪馬台国とも繋がらなかったし
ヤマト王権ともつながる証拠はでなかった
当分は外れの遺跡

220名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:42:49.04ID:FvywOh8+0
中国の文献にある倭の五王も天皇じゃない可能性もあるしな

221名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:45:22.61ID:kTbcAaEK0
>>211
日本海経由で畿内に行くならなら大山無視できんだろ
富士山知らんかったらアレこそ日本一の山やぞ
あと福岡経由して畿内に行っても阿蘇なんか影も形も見えんし

222名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:49:42.30ID:kTbcAaEK0
つか阿蘇とか大山とか白山とか、琵琶湖、叡山見たことあるの?
朽木の山道走ったことある?

223三河農士 ◆R2srkOAYfTmd 2018/12/08(土) 11:51:15.31ID:EuVSWreW0
>>210
無いのは名字であって名前はあったよ。
祟神天皇、ミマキイリヒコとかね。

224名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:51:51.55ID:kTbcAaEK0
河川は、そりゃ”道”になるでしょ
けど簡単にかわって言うけど、かわをさかのぼるのタイヘンやぞ?

225名無しさん@1周年2018/12/08(土) 11:52:10.44ID:SyvSI2JT0
後漢書だと、女王国の東側、海を渡って一千里に狗奴国(後漢書だと拘奴国だけど)
になってたりするな

226名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:04:15.07ID:wRUcWMahO
女王国が北部九州で
それに服属してないエリアを狗奴国と総称してた

具体的な対立になってから狗奴国は呼称になった

227名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:05:49.37ID:vfPV8v/t0
>>216
伊都国には魏の時代王が居たのであって
他の王に従属した王などいない。

228名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:08:09.09ID:vfPV8v/t0
>>225
後漢書は5世紀に書かれた書物だから三国志より劣るな。

229名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:08:51.82ID:4D6tnH250
筑紫平野しか行ってない
架空の国が邪馬台国
バカ草

230名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:11:54.42ID:bZPRs+BM0
>>225
その時代の情報では四国も狗奴国の勢力圏だったのかもな

231名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:12:28.08ID:wRUcWMahO
蝦夷(エミシ)蝦夷(エゾ)みたいなもんだろ

ここら辺は中国人にはわからないのは仕方ない

232名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:16:21.33ID:4D6tnH250
往復で3か月分の食糧必要だと思ったら
行かないだろ

233名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:20:52.06ID:JWHBigBa0
>>224
道のないようなところを延々藪漕ぎしながら歩くよりはちょっとマシ

234名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:22:07.72ID:JWHBigBa0
>>200
タラシは部族の名前って話がなかったっけ?

235名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:28:34.62ID:33c8W2Oj0
>>228
逆に魏志倭人伝を疑って書いてる。
疑う根拠は倭の五王の外交書で良いだろ。
その時点で倭とはヤマトの音である。
後漢書の時代、それは魏志の東に位置する。
倭と称する王が東に移動してる。方位、日数からも不思議だ。
別種=狗奴国ではないか?なかなか進歩的である w

236名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:28:43.90ID:Roddhm8J0
倭国(いこく)は徳島だょ
ぐぐってみ

237名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:30:10.73ID:FvywOh8+0
タラシとかワケとか時代で名前に特徴あるね

238名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:35:00.66ID:33c8W2Oj0
ま、ともかく卑弥呼は、EUとの矢面にされてる
今の英国宰相のメイさんみたいなもんだよ。
分離じゃなくて逆の統合で苦慮してる。
さらに逆を言えば北九州は、英国離脱で衰えを見せてるEU。

239名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:36:38.41ID:qi2dKF0d0
>>122
この集団が卑弥呼を守る黥面の人々なのかな
だとしたらこの分布は邪馬台連合国の初期地を表しているということか
それだと九州説になってしまうな

240名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:37:00.40ID:JWHBigBa0
せめて日本書紀の誰の時代が邪馬台国に重なるかくらいは決めてほしいんだけどなあ。
ヤマトトモモソヒメは違うんでしょう?

241名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:37:03.86ID:wRUcWMahO
女王国は北部九州だって補完してるだけだろ

242名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:37:58.86ID:kTbcAaEK0
河川をさかのぼるのは、ロシアのえいこーら(エイ・ウ・ニェム)と、花の啓次郎のアレ
あれを邪馬台国でやってたのか

243名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:44:13.28ID:dnAhEszV0
>>217使節団が来れば中国の臣下に降るのかと大問題になっていたはず

1C 漢に奴国(博多?)が朝貢、
3C頭 漢滅亡期に倭国大乱
3C 魏に邪馬台(やまと)国が朝貢 ・・記述から、大乱による権力喪失は明らか。
4C 大和が華北崩壊に乗じ列島統一 ・・明らかに、邪馬台(やまと)と同一でない。

これを読むに、当時の列島の覇権国は、自ら朝貢せず、配下の国に朝貢させてる。
江戸幕府と薩摩が、清に朝貢せずに琉球に朝貢させてたのと同じだな。

244名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:44:41.97ID:qi2dKF0d0
>>237
系図だと応神天皇のホムタワケなんかはワケで見ても独立してる
名前で意味を探るのは謎が多いね

ちなみに神功皇后は史実だと思っているが、系図はかなり怪しいんだよな

245名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:45:52.88ID:vfPV8v/t0
>>235
>その時点で倭とはヤマトの音である

この根拠は?

>後漢書の時代、それは魏志の東に位置する。
>倭と称する王が東に移動してる。方位、日数からも不思議だ。

何を言わんとしてるのか意味が分からん???

246名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:52:06.56ID:Roddhm8J0
邪馬台国は九州でも近畿でもなく徳島だ。

247名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:54:28.40ID:pC4IDYIA0
カノッサの屈辱かと思った

248名無しさん@1周年2018/12/08(土) 12:57:00.64ID:REpavlnp0
>>235
五世紀にできたものは五世紀の時の認識
四世紀にできたものは四世紀の時の認識
五世紀の認識が四世紀と違うときどっちが正しいかなんてわからん
後漢書の時代が魏志より前だから正しいとだけは言えない

正直、文献だけだと九州でも畿内でもなんでもありだよ

249名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:03:44.13ID:R3UlFUhI0
隋書に邪馬台国は大和のことだよってドヤ顔で書いてあるんだよね
それで決まりじゃない?
そんな根本的なこと間違えるわけないじゃん

250名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:05:36.44ID:6omVg6Os0
>>249
かつての邪馬台国が大和を統一したか、逆に併合されたと書いてる

251名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:07:51.81ID:R3UlFUhI0
>>250
嘘いうなよw

252名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:09:59.40ID:XVf3qjka0
>>249
これ
実際に隋唐時代は使節が頻繁に往来してるし
そこで倭人から色々と聞いてるだろうしね

253名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:10:36.27ID:XVf3qjka0
>>250
隋書に?嘘つき

254名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:11:29.44ID:REpavlnp0
面白いんだよね。隋書は大和だって言ってて、当時は後漢書が信じられてたらしい
旧唐書になると、また大和かわからないに戻る

255名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:15:22.09ID:REpavlnp0
理由もわかってて、隋の皇帝の祖先が後漢書に伝がある人

256名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:16:52.65ID:XVf3qjka0
奴国 二万戸
投馬国 五万戸
邪馬台国 七万戸

奴国はだいたい分かるとして、
船で20日行った奴国より遥かに大きい投馬国ってどこなんだろう

257名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:16:56.74ID:vfPV8v/t0
隋書の邪靡堆は九州に在ったんだ。

258名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:18:37.00ID:vfPV8v/t0
>>256
投馬国は狗邪韓国を中心とした朝鮮半島南部
邪馬台国は北部九州地域全域。

259名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:19:24.18ID:jviTNKty0
大陸の発音でヤマタイになったんじゃないかなあ

260名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:19:58.34ID:/RSceyLh0
何故か邪馬台国が消えてなくなっていると思ってる人が多いがそんなことはない

中国史では日本の政権は変化してないと認識している

台与の後に男性王が立ちその後も晋、宋、斉、梁、隋と使節が続いているとしている

そして、隋の時代の使節の主であるアメノタリシヒコを唐書では用明天皇であるとしてる
その上で、当時の天皇(光孝天皇)の系譜とタリシヒコが繋がっているとして記録している
この記事は日本からの王年代記の記事を無視しての中国独自の記録を採用しているので中国側の認識がよく分かる

更に、宋史では「日本は小国だが王統がずっと変わらずに継続している」と皇帝が称賛している記事が見えている

なので、旧唐書の話も「自分で名前を変えた」と言う記事が併記されているように壬申の乱と天武天皇の事を示している
中国はどこかの正体不明の国が日本になったと考えておらず、日本の政権は邪馬台国から継続していると認識している

261名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:21:29.77ID:NAtYmIkC0
>>218
熊本の沿岸を通って筑後川を可能なとこまでさかのぼって上陸したとみれるかな。

262名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:26:24.46ID:/RSceyLh0
考古学的に考えても「台与の後に男性王が立つ」と言うのであればこの時期は完全に古墳時代に入っている

古墳時代ともなれば畿内の中心性は明らかで、
その影響力は時代を追うごとに強くなり最早どこかに別の中心地を見出すことは困難であると言える

この王が台与に続く王であると言うのであるから中国の邪馬台国の認識はそのまま大和を示していると理解できる
考古学、史書的の両方に符合する場所が大和であると考えるのが最も理にかなうと言える

263名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:28:06.10ID:wRUcWMahO
何で記紀は古墳について書かないんだよ

264名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:29:31.16ID:R3UlFUhI0
そもそも倭と言う漢字は悪い字じゃないんだよ
ニンベンだしね。サンズイとかケモノヘンじゃない
それを「雅じゃないなー、日本とかかっこよくね」とか思って
意気揚々と漢字表記変えてくれって中国に行ったら
ネイティブに倭が雅じゃない?どういうこと?って言われて
しどろもどろになった説

265名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:30:37.96ID:GO/wrNDw0
>>253
>>249が正解 >>250は大嘘
隋書には倭国の説明にヤマト(当て字で邪靡堆)に都をおく、魏志の邪馬台国と同じと記されてる
聖徳太子によって日本の坊主が隋に派遣されてた頃の中国大陸では大和政権と邪馬台国が同じと
認識されてた事に疑う余地はない

266名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:31:24.29ID:wRUcWMahO
蘇因高こと小野妹子もとっちめられてるしなw

267名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:38:30.20ID:d3trnhrG0
>>266
妹子 → 因高 はわかるが
小野 → 蘇 なのはなんでだろう

268名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:39:30.67ID:iI50YNnB0
>>253
隋書じゃなくて旧唐書だね
(1)日本国は倭国の別種なり。
(2)其の国日辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す。
(3)或は曰く『倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み改めて日本と為す。
1.或は云わく「日本は旧小国、倭国の地を併す」と。其の人の入朝するは、多く自ら矜大。実を以て対えず。故に中国焉を疑う。
2.又云わく「其の国界、東西南北各数千里。西界南界、咸大海に至る。東界北界、大山有りて限りを為す。山外即ち毛人の国」と。
』と。<旧唐書、日本伝>

269名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:40:39.83ID:iI50YNnB0
>>256
本人が本当に数えたわけでもないし
有五万戸
可七万戸
という有と可の違いを考えないといけない

270名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:45:02.05ID:bZPRs+BM0
隋書
>其國境東西五月行 南北三月行 各至於海

旧唐書
>倭國者 古倭奴國也
>東西五月行、南北三月行

>日本國者 倭國之別種也
>又云 其國界東西南北各數千里 西界 南界咸至大海 東界 北界有大山為限 山外即毛人之國

旧唐書に突っ込まれてるやん

271名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:48:09.50ID:/RSceyLh0
この旧唐書どうのとか言い続ける人っていつになってもいなくならないな

普通に史書をちゃんと目を通してればどこぞの謎の国が日本になったとか考えないはずだけどな

272名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:49:25.21ID:bZPRs+BM0
>>271
魏志倭人伝も隋書も旧唐書も否定しないと成り立たない近畿説w
もう近畿には邪馬台国じゃない国があったでいいんじゃねーの

273名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:49:36.91ID:WvgDPdTh0
統治機構がしっかりしてれば王都と経済の中心地が分かれててもおかしくはないのだけど
倭国には一大率と大倭という統治機構がある
邸閣があり、市がひらかれ、大倭が指揮監督するとか、纏向の風景はこんなのじゃないのかな
のちに大和が大倭と表記されるのはこれに由来してたりして

274名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:50:16.50ID:iI50YNnB0
>>271
なんでそう思えるの?

275名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:51:34.69ID:REpavlnp0
文献だけで邪馬台国の位置なんてわからんし、発掘含めてもわからんだろうね
景行天皇の年代比定ができたりすると変わるかもしれんけど

276名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:52:22.39ID:NAtYmIkC0
>>263
当時古墳という言葉がなかったんじゃないかな。
陵という言葉なら出てる。

277名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:57:54.67ID:qcXlAoRy0
百襲姫がみた夢のお告げどおり
大田田根子(男)を三輪山の大物主神の祭主にしたら国は鎮まった
(日本書紀)

百襲姫は大国主の化身の白蛇をみて驚いてしまったことを恥じて
箸が刺さって死んで箸墓に入る
間違ったクーデターの密告をして自殺or他殺とも

216年倭姫命は伊勢に行って初代斎王に


おかしい3世紀中期の王族で纒向で巫女やってた候補がいない
歴史書にたくさんの登場人物や出来事を長々と書くのが面倒だから
189年以前に巫女になった卑弥呼が
ずっと生きてることにしたんじゃないか

烏丸鮮卑東夷伝に書いてる国
烏丸・鮮卑・夫餘・高句麗・東沃沮・?婁・?・韓・倭
陳寿のやつ蛮族集だしどうでもいいと思って書いてるよきっと

278名無しさん@1周年2018/12/08(土) 13:58:56.02ID:wRUcWMahO
>>267

小野が二つな名で後付けなんじゃないのw

279名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:02:08.71ID:NAtYmIkC0
>>265
邪靡堆=邪馬台国 in 九州じゃないの?

280名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:03:30.46ID:u0hrol+I0
>>153
伊勢神宮の位置決め手順のひとつ
imgur.com/a/KMTTT2i?

281名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:05:12.08ID:Gz9ChZaU0
>>260
宋史wwww
そら彼らの視点からはそうなるわな

282名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:06:28.41ID:IYVuboko0
纒向起源説は自分の知る限りでは30年以上前から複数の有識者から指摘されてた話で
今更特筆性のあることでもないような

283名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:07:35.09ID:qcXlAoRy0
2世紀後半に卑弥呼になったのは百襲姫で
212年までに死んだけどまだ生きてることにして
247年と248年の日食で死んだことにしたんじゃないか
男子一人しか会わないし

284名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:08:24.71ID:cIQncukI0
>>12
>そこから唐津市街地方面に向かうとだいたい南の方向
>唐津市街地から糸島市方面に向かうとだいたい東方向

これを何度も何度も書いてる人がいるけど、質の悪いごまかしだよな
唐津市街地から東に行っても背振山塊の南にしか行けない

そこから「北」に行かないと怡土郡の三雲遺跡群には行けない

呼子上陸説は南東にするためのインチキに過ぎないし、そのまま船で行った方が楽

285名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:08:49.06ID:oQCf5X1z0
長すぎる文章の人はもうちょっと推敲しましょう
3行とはいわんがせめて10行には抑えましょう

286名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:11:20.26ID:qcXlAoRy0
卑弥呼が生きてることにして一番得するのはヤマトの国王かな
卑弥呼の名前を使って連合国に命令できる

287名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:11:24.90ID:QcVl5Giw0
まあ普通に大陸史書読めば分かるが
近畿は正当倭王朝を乗っ取ったクーデター政権であったのが分かる。
壹与以降戦乱が勃発し、別れた勢力が紀州に九州をそのまま模倣した国を作り、卑弥呼からなる女王の歴史を都合のいい神話に置き換えて近畿で擁立した男王に繋げさも一系であるかの如く系図を偽装した。
事実を知る磐井は石像で近畿政権の真実を残そうとしたが消されたんだろ。

288名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:12:40.25ID:y6R9DFVPO
>>265
隋書も魏史より三百年以上あとに編纂されたものだし、
今わかることよりそう多くを知っていたことはないだろう。
権隋使の使者が自分の国をヤマトって言ったんでそう思っただけかもしれない。

289名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:14:05.42ID:Q70sjD2i0
>>243
邪馬台国の朝貢は九州中南部の勢力に押されてた、九州北部の女王国連合が
魏の権威を借りるための施策だったんだろうね。

立地的に大陸への玄関口を抑え、最先端の物は入ってくるが
南九州は熊襲や隼人と武力では圧倒的に勝る。

地力で勝てないから権威に頼ったんだろうけど
結局なんの役にも立たずに滅亡したんだよ。

290名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:14:19.39ID:uYyK1Jin0
だからさ邪馬台国はヤマト国だろ学者共は馬鹿しかいねーのな(笑)

291名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:15:41.30ID:3KXR779r0
ヒミコの時代に比定される箸墓古墳 ホケノ山古墳
付近には第10代崇神天皇陵や第12代景行天皇陵
奈良のJR桜井線の巻向駅あたりだ
日本が倭とされた邪馬台国の時代にも 奈良のヤマト政権の存在が窺える

292名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:17:07.29ID:Gz9ChZaU0
なんで突然無関係なのがって思ったら、ああそういうw
日本国紀とか買ってそうw

293名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:21:41.01ID:JWHBigBa0
>>277
いや、その216年というやたらと正確な年はどこから湧いてできてきたんだよ

294名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:25:55.63ID:GO/wrNDw0
>>279
倭人伝の地名やなんやらは(個人的には九州の方が辻褄合うけど)日本の隅々まで
書かれてあるわけじゃないのは九州説、近畿説双方に同意できる事だからね

つまり邪馬台国 in 九州 かもしれないしヤマ(タイと発音されてないが便宜上タイ)国は
九州+もっと広く祀りごとの中心は珍説の出雲かもしれないし近畿だったかもしれない
倭人伝の記述から邪馬台国の統治範囲や首都の位置を確定する事自体ナンセンスなんだよ

295名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:26:20.94ID:bZPRs+BM0
殉葬の状況を調べてみると面白いかもな
古代日本では殉葬はどのような状況だったのか
九州の殉葬の状態、年代、近畿の殉葬の状態、年代、箸墓の状態、年代
卑弥呼の墓なら100人規模の殉葬が見つかるだろう

296名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:27:43.17ID:aRMCtFxU0
宇佐神宮と箸墓を発掘して比較調査すれば明らかになるよ。
物質的な考古学をやらなきゃ、文字情報だけをこねくり回したところで
後100年経ってもこの時代は空白のままだ。

297名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:28:53.67ID:iI50YNnB0
>>284
三雲遺跡への道順と方角ではなく
伊都国への道順と方角だからじゃないかな?

日本からアメリカの方向はだいたい東だけど
グアムなら南東だし
アラスカなら北東だ

昔の地図はそれほど正確じゃないだろ

298名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:31:13.82ID:xnL/esTW0
ここまでヤマト神帝、ヤマト爆神無し。

299名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:31:34.76ID:/RSceyLh0
上記の中国史における日本の王統についての記載から

アメノタリシヒコ=用明天皇
用明天皇=当時の光孝天皇に連なる人物

とある

この系譜は日本側の記録を参照しつつも「タリシヒコ=用明天皇」の部分については日本側の記載を無視して独自の記録に基づいて記載している
なので中国は日本の情報に影響されることなく日本の現代の皇統が隋の時代の皇統と継続したものであると理解しているのが分かる

そしてこれが明らかになると言う事は「邪馬台国=大和」であるという冒頭の記載がそのままの意味であると分かる
この場所については双方が使節を往来させている上に、その後も使節が行き来しているので認識に誤りがあるとは考え難い

300名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:33:24.87ID:GO/wrNDw0
>>295
卑弥呼の墓は直径約150mの円墳だよ
九州説を唱える一部の人がその大きさを否定してもっと小さいと主張
してるがはっきり言ってこれはトンデモ説で耳を傾ける価値すらない

でその円墳が後に前方後円墳に改修された可能性などはあっても全く
跡形もなくこの世から消滅したってのはナンセンスだから現存する墳墓の
円の中心を全部年代測定すれば確定するかもね

301名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:36:36.17ID:vfPV8v/t0
>>284
>そこから「北」に行かないと怡土郡の三雲遺跡群には行けない

魏志倭人伝の行程は国の端に着けば至と記述されてる
呼子や名護屋浦は末廬国の北の端であり
到伊都國も伊都国の中心地に着いたのではなく末廬国と伊都国の国境線に着いたんだよ。

302名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:44:17.86ID:cIQncukI0
>>45
>>・邪馬台国が倭国の盟主の国
>強国ではないから代表になれる

これ、いろんなスレで同じ人が書いてるけど、
邪馬台国は七萬餘戸の倭国で最大の国なんだがな

畿内説を魏志倭人伝無視とか否定してるとか、批判するくせに、
自説に都合の悪いところは平気で謎解釈でごまかそうとする

こういうところが九州説信者とか九州説カルトとか言われる所以

303名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:44:41.67ID:iI50YNnB0
>>300
宇佐神宮の足元がちょうどそのくらいだね

304名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:45:22.06ID:iI50YNnB0
>>302
>邪馬台国は七萬餘戸の倭国で最大の国なんだがな
有七万戸じゃなくて
可七万戸な

有と可の違いを勉強してね

305名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:50:08.92ID:cIQncukI0
>>56
>女王国までの戸数や道のりは詳しく記載できる、って言ってんだから

いや、書いてあるのは「其戸數道里可得略載」
略載であって、詳しくは書いてない

「東南至」奴國「百里」。官曰[凹/儿]馬觚、副曰卑奴母離。「有二萬餘戸」。
「南至」投馬國「水行二十日」。官曰彌彌、副曰彌彌那利。「可五萬餘戸」。

この程度だよ
ちなみに日数表記も「道里」の記載方法として普通の表現
里数じゃなくて日数だから道里じゃないというのはあたらない

306名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:50:17.23ID:iI50YNnB0
有七万戸
可七万戸

有と可の違いは置いといて

それだけの数を誰がどうやって数えたのだろうね
戸籍のようなものが当時からあるとしたら
おそらく文字を書いてるはずだよね

しかし文字が無い

307名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:52:54.79ID:U4TTyBDH0
>>303
宇佐神宮も怪しいよね
古墳の上に神社建てるケースってちょいちょいあるみたいだし

308名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:55:06.61ID:qcXlAoRy0
>>293 干支を西暦になおした 垂仁天麹c25年3月丙申
間違ってる可能性は認める

309名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:58:12.36ID:NAtYmIkC0
>>289
隋の時代まで続いてた可能性は高いと思うけどな。
ただ、その頃には大和との関係は敵対関係ではないが、
立場はかなり劣勢になってたと思うけど。

310名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:59:13.69ID:iI50YNnB0
>>307
だよね
俺は、方角と距離日数だけで考えたら宮崎だろうと思ってるけど、
全体的に考えたら宇佐じゃないかなと思ってる

和気清麻呂が、わざわざ宇佐までお告げを聞きに来ている
伊勢神宮でもいいのにね、近いし

当時の天皇家にとって
宇佐神宮は伊勢神宮より重要だったという事じゃないのかな?
ただ、このように書くと宇佐神宮の中の人と天皇家は繋がりがあるように捉えられるかもしれないけど
国譲りみたいな、今の天皇家とは直接のつながりは無いんじゃないかとも考えてる

311名無しさん@1周年2018/12/08(土) 14:59:31.29ID:cIQncukI0
>>58
>倭人伝の内容がどうしたら矛盾が無くなるか考えて読んでるの。

「史料の限界」を認めず、現実の地理を魏志倭人伝の記述に合うように詭弁を考えるというのは
建設的じゃない

短里説がその最たるもの
短里を使う人がどこにもいないし、短里を使う理由がどこにもない

陳寿の意図として、司馬懿に功績を顕彰するためにという「動機」ならある
東夷最遠国を距離を誇張することでさらに遠くにすることで、大月氏を朝貢させた曹真に
並ぶ功績とする動機のために、距離が盛ってあるんだよ

短里なんてない

312名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:00:39.55ID:bZPRs+BM0
垂仁天皇が殉死を廃止して埴輪にしたのなら
卑弥呼はそれより前か無関係かどっちかだろうな

313名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:01:20.46ID:Kp6a8d4E0
ヤマト王権って地方豪族を片っ端から鬼だの妖怪だの扱いして滅ぼして回った悪魔だろ?
その子孫がお前らってわけだ
そりゃ凶悪ジャップとか言われるわな

314名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:01:40.50ID:iI50YNnB0
>>311
>「史料の限界」を認めず、現実の地理を魏志倭人伝の記述に合うように詭弁を考える
短里もそうかもしれないけど
東や南なのに北上する畿内説の事だね


>距離が盛ってあるんだよ
多分そうじゃないかなと考えてる

315名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:06:37.11ID:/RSceyLh0
考古学、史書的な記載を見ると大和の政権には大きな画期がある

定型化前と定型化後

定型化前の大和の邪馬台国の統治は、まだ各地に多少の個性が残り、中央から広まる規格もそこまで強固な物ではない
その統治はまだ比較的緩やかな物だったろうと思われる
この時期がおそらく卑弥呼と台与の時代と考えられる

定型化後になると全国的に大和の強い優位性が発揮される形が見えてくる
史書の天皇をそのまま充てるのは不可能であろうが事績的にはこの辺りが崇神天皇以降の時代と考えられる

この時代は分けて考えないと実像が見えてこない

316名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:06:53.19ID:iI50YNnB0
今日は一部の畿内説のアホが暴れてないのでスレの伸びがゆっくりだ
他人のレスをよく読む時間があっていいね

317名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:10:33.46ID:cIQncukI0
>>118
>この有鉤銅釧の分布を見ると

その有鉤銅釧は魏志倭人伝のどこに書かれているんだい?w

318名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:11:06.34ID:u0hrol+I0
>>270
九州派は
>北界有大山為限 山外即毛人之國
北にある「大山」や
山のアナアナ彼方の毛人の国は
何処だと以為ってるんだ

319名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:12:11.63ID:R3UlFUhI0
あの時代に現地の人間に案内されて移動してるんだから
距離や方角はあてにならない。特に方角は無理
ただ日数は正確に数えられるよ
日数間違えるなんてありえる?

320名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:14:05.63ID:JWHBigBa0
>>308
そのくらいの頃ってまだ年代が定かじゃないんだよねえ。垂仁天皇だって
在位99年140歳で崩御してるみたいだし。

321名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:15:20.57ID:iI50YNnB0
>>280
https://imgur.com/a/KMTTT2i?
なるほど、
そういう方法なんだ

322名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:16:28.30ID:iI50YNnB0
>>319
方角は他人に聞かなくても自分である程度は分かるんじゃないかな?
太陽見れば、北か南かはだいたい分かると思う

323名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:18:22.45ID:JWHBigBa0
>>318
まず方角は左右45°、つまり北なら北西から北東までの90°内を意味すると考える。
そうすると九州北部からは出雲くらいまでが北に含まれてしまうのである。

324名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:18:38.60ID:R3UlFUhI0
無理だよ
時計ないんだよ

325名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:19:32.38ID:cIQncukI0
>>172
>古墳時代の終わりころに政情がめまぐるしく変化した痕跡があり、
>古墳を作らない動きが逆に畿内から地方に広がってるよね。

単に権力誇示のモニュメントが、巨大墳丘墓から巨大寺院に変わっただけだよ
初期の大寺院の塔の基壇に舞納された文物は後期古墳の副葬品と同じ品目になってる

326名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:21:11.35ID:iI50YNnB0
>>324
大体わかればいいんだよ
太陽が存在する方向は絶対に北ではない
朝方太陽が見えるのが東
夕方太陽が見えるのは西

327名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:21:33.64ID:IYVuboko0
書き残した陳寿本人はともかく
よくわからない当時の田舎の無名国のことをそれほど正確に
役人が述懐できてたのかという疑問が

328名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:21:37.77ID:JWHBigBa0
>>318
ついでにわたしは宇佐説なので、ちゃんと北に山口県があります。

329名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:22:29.06ID:bGBH6BfS0
卑弥呼さんが大和朝廷の関係者なら記紀に乗ってるはずだ
別に中国と関係のあった国だけが勝ち残った理屈はない

330名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:22:53.85ID:iI50YNnB0
>>329
関係者ではないんじゃないかな?

331名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:29:04.87ID:cIQncukI0
>>212
>東に別種の倭人ありがこの畿内だよ

別種なんて魏志倭人伝のどこにも書いてないんだがw
九州説は旧唐書の或いはの記述に頼りすぎ

魏志倭人伝に書いてあるのは「皆倭種」だ
渡海千里の前も渡海千里の国も「皆倭種」と書いてあるだけ

帯方東南大海上の島にいるのは皆倭種という大陸側の認識が書いてある

332名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:30:05.38ID:/RSceyLh0
古墳の終焉については緩やかな変遷をたどっているのが分かる

ちょうど氏姓制度の成立や律令制の導入などで「視覚的な権力の誇示」と言う方法を必要としなくなったことが背景と考えられる
制度の浸透の遅い地方では多少の差異が生じるがこれも中央からの統治が強くなるごとに同様の道をたどるようになる
畿内の巨大古墳も欽明天皇を境に終焉に向かい、その頃から律令が採用され時期的にも合致する

律令と仏教を国の根幹と考えた天智天皇の薄葬令などにもその思想が読み取れる

仏教が広まりだすとそれまで墓碑を掲げないのが普通だった古墳でも墓碑を伴うものが現れ、代わりに寺院が建てられるなどの変化が読み取れる

333名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:30:42.59ID:FvywOh8+0
>>310
道鏡事件で宇佐神宮に問い合わせた時に先祖にお伺いを立てるといっていたような

334名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:33:11.30ID:R3UlFUhI0
>>326
地図作りに来たわけじゃないし、方角なんて気にしてない
1箇所にとどまって半日かけないとはかれないから

会稽東冶の東にあるとか、その他の史書も方角は滅茶苦茶だからね

335名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:35:29.03ID:L1JNP4iS0
>>299
また出没してる!
〜分かる、というオジサン

336名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:37:46.17ID:/RSceyLh0
宇佐については定型化後の古墳が出現するまでこれと言った中心地と言う性格を持たない

むしろ、定型化後に大和の大和朝廷に服属してから九州の瀬戸内海側の玄関口として地位を得た様子が見える
邪馬台国のような中心性を見出すことは出来ない

337名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:37:57.24ID:NAtYmIkC0
>>318
それは日本の東界北界じゃないの?

338名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:40:01.40ID:/RSceyLh0
宇佐は神夏磯姫の伝説で景行天皇に征討される土地の一つとして現れる

そして古墳もちょうど卑弥呼の後の時代に作られだすことから、
この伝説が史実としてそれなりの信憑性を持つことが分かる

宇佐が重要視されるようになるのはこれ以降

339名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:40:55.96ID:QcVl5Giw0
隋書の時代近畿は秦王國だろ。
秦氏といえば治水技術を持つ開拓集団、大王の命で派遣された蘇我氏の近畿豪族統一政策に推古と聖徳太子が置かれ、天は九州。多利思比孤はまだ九州を拠点にしており
日が出る近畿では弟に政務を執らせてた蘇我聖徳太子と推古政権に二分割されてたんだろ
大和は邪馬台領として第二の大陸型都市を築くための開拓地だったんだよ。

340名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:41:36.66ID:cIQncukI0
>>256
投馬国は出雲だよ

投馬の上古音はdug-mag
雑にカタカナで書けば「ヅマ」
出雲の最初の母音のイが弱声化して聞き取られなければィ「ヅモ」だから
聞き慣れない外国語地名の音訳としては十分に近い

出雲・投馬国の範囲は丹波以西の日本海側、四隅突出墓の分布範囲とみれば、
有ではなく可五萬餘戸なのも理解しやすいし、投馬国一国しかなくて国がスカスカと
いうのもあたらない

投馬国を出雲と見れば、魏志倭人伝の旅程はほぼ無理なくそのままで読める

北部九州から水行20日で出雲
そこからさらに水行10日で丹波
丹波から陸行1月で奈良盆地で矛盾がない

341名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:43:54.61ID:iI50YNnB0
>>340
でも南じゃない

342名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:44:38.64ID:NmLfN+mw0
>>92
おまえさあ、何バカなこといってんの?
ボロ負けも何も、トヨは卑弥呼の宗女って書いてるじゃん。

邪馬台国は、談合政権が都を置いた場所と書いてある。
独立の勢力だったとはどこにも書いてない。
お話を作るなら、自分で読者を見つけてそこでやれ

343名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:51:45.56ID:/RSceyLh0
日中韓それぞれの史書と、考古学的な発見から考えてみても、
弥生時代後期後半から大和に成立した勢力がそのまま全国的な政権として大和朝廷になったと言う方向に問題はない

むしろ近年の考古学的な成果によって記紀等の信憑性が高まっている
年代においては雄略天皇前後の時代からはほぼ実年代であると言う事も分かっている

そうなると古墳と大和朝廷の関係が明らかとなり、その前の時代から継続されるその発展過程から淵源が弥生時代後期後半の時代にまでさかのぼることが出来る
この事から大和朝廷=邪馬台国として段階的に発展してきたことが分かる

今となっては大和以外の土地に中心地を見出すことなどまず不可能だと言える

344名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:52:12.20ID:xeZIUUSl0
>>340
出雲という説もあれば但馬という説もあるな
もっとも、白石太一郎氏なんかは墓制が違うから出雲は別勢力と言っているが

345名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:53:16.98ID:REpavlnp0
>>343
最後の2文だけ飛躍してるで

346名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:53:48.08ID:NmLfN+mw0
>>85
それだな。
諸国の王が連立政権を作って女王を共立した。
どこかの一国が従えたわけじゃない。

各地の王はそれぞれの地元をそのまま支配している。
卑弥呼が死んだあとの争いは、中央政権の権力争い。
トヨが卑弥呼の宗女となっていることから明らか。
卑弥呼の一族ではない母を持つ王が男王になろうとして拒否されたか抵抗された。

347名無しさん@1周年2018/12/08(土) 15:56:38.52ID:xeZIUUSl0
>>343
鏡の配布元が九州から畿内に移ってるのが象徴的だな
ただ、王権が移動した原因が何かなのはこれからの研究課題なんだろう
少なくとも飛鳥時代には大王が元々九州にいたと認識していたようだし

348名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:01:13.29ID:JWHBigBa0
神武の東征はいわゆる天皇の祖先でなくとも他の豪族の伝承として残されていたと考えるのが最も妥当だと
思うんだよね。ということは当然九州あたりからやってきた豪族がいるというわけで、それが邪馬台国の一部
であるとしても良いのではないか。

349名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:01:25.57ID:/RSceyLh0
出雲については、邪馬台国と並立する別王国として存在していると考えられる

邪馬台国は吉備、丹波、播磨、近江、河内、摂津、阿波、讃岐が主たる構成国
出雲は出雲、伯耆、因幡
出雲は邪馬台国の強い影響を受けているものの、あくまでも別の国で核メンバ―にはいない
邪馬台国の文化的構成要素に出雲の直接的影響は希薄

この事から上記の邪馬台国構成国で7万戸、投馬国の出雲の領域で5万戸という記載と結びつくと考えられる

350名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:02:28.28ID:3BjQwWZE0
マジかよ。佐川に切り替えるわ。

351名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:04:52.21ID:D/2zxlZx0
倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。屋室有り。
父母、兄弟は異所に臥息す。
朱丹を以ってその身体に塗る。
中国の紛を用いるが如し。

男子は大小無く、皆、黥面文身す。
古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。
夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。
今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み
文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。
後、稍に以って飾と為る。諸国の文身は各に異なり
或いは左し、或いは右し、或いは大に、或いは小に。尊卑差有り。
その道里を計るに、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”) の東に在るべし。

女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

「魏書」第30巻『 魏志倭人伝 』 普平陽侯相 陳寿撰

352名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:07:52.56ID:R3UlFUhI0
>>351
会稽東冶って福建省だよ
さらっと嘘つくなよw

353名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:09:38.86ID:IjMEj/c70
>>329
そこは確かに疑問だ

都合が悪くて隠蔽したんなら、なんでモモモソヒメだの神功皇后だのヒントみたいなのをちょくちょく挟むのか

時の政権が本気で隠したいならもう完全に本気で記述を消せばいいのに

354名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:10:34.02ID:D/2zxlZx0
倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。
土地は平野少なく山林が多く、良田はない。海産物を食す。
昔は百余の小国が互いに接す。魏の時に至って、三十の国があり親しく交流す。
戸数は七万あり、男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨をしている。

倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。

いにしへの夏朝(中国大陸初の王朝)の少康(夏朝皇帝)の子は
中国会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨をし蛟龍の害を避けたが
今まさに倭人達は沈没して魚を取るのを好み、同様に入れ墨し水魔を払う。

倭国までの道のりを計算すると、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”)の東にあたる。
その男子の衣服は横長の布を結び合わせてつなぐだけで、ほとんど縫いつづることがない。
婦人の衣服は一枚の掛け布団のようで、中央に穴をあけ頭を入れる。
皆おかっぱ頭で、裸足である。

倭人の地は温暖で、稲やカラムシを植え、養蚕して布を織る。
土地に牛、馬は無し。刀、楯、弓矢があり、鉄をヤジリにしている。

倭国には家屋があり、父母と兄弟は異なる場所で寝る。
食飲にはまな板状の台と高坏を用いる。
正月や四季の区別が無く、ただ秋の収穫の時を数えて年紀としてる。
死に際し棺はあるが槨なく、土を盛って墓を作る。初め喪中は哭泣して肉食を絶つ。
葬儀が終わると、家中の者が水に入り、体を洗い清潔にし穢れを取り除く。(神道の源流)

重大な決断時には、太占を行い骨を焼いて吉凶を占う。
倭人は長生で、百歳とか八、九十歳の者が多い。
婦女は淫らではなく、嫉妬もしない。争いや訴えはない。
軽罪を犯した者は家族ともども身分を奪って奴隷にし、重罪者は一族を滅ぼす。

その倭国の王家は昔は男子を君主として立てていたが
漢末に倭人達は乱れ戦うことなり倭人は共に女子を立てて倭国の女王とす。
其の名は卑弥呼という。
宣帝(魏の宣王、司馬懿仲達。晋の建国後、宣帝と諡された)が公孫氏を平らげると
その女王は遣使して帯方に至り朝見した。その後も貢ぎ、遣使することは絶えなかった。
文帝(司馬昭)が魏の相国になると、また何度か使者を遣わし中国に来朝す。
晋の泰始元年(司馬炎)に遣使し、倭人は通訳を重ねて中国へ朝貢に遣って来た。

「晋書」第97巻 『 四夷伝倭人伝 』 房玄齢撰

355名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:10:58.98ID:/RSceyLh0
>>347
東征の痕跡が皆無なことから神武伝説はあくまでも伝説であろうと思われる
出雲の例でも分かるように神話的系譜の連続性を主張することで朝廷の秩序の正当性を主張している物語だと考えられる

そして大和朝廷が重視しているのはあくまでも日向
九州の中心地として栄えていた筑前付近は「外国由来の後から降伏してきた外様」と言う扱いで全く尊重していない

この事から大和朝廷は瀬戸内海からの出口となる九州東部との関係をより強く主張して九州の支配権を掲げるとともに、北部九州をけん制しようとしたと考えられる
九州と言っても大和朝廷が重視してる場所に注意が必要

356名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:11:41.98ID:NAtYmIkC0
>>340
投馬国は畿内説なら出雲、伊都国放射説なら薩摩が有力候補だとは思うが、
5万戸をいかに養うかが論点の一つになるかな。
出雲の場合は平野が十分に無く、交易で他の地域から米を送ってもらう必要が出るだろう。
以後の古墳建設を考えれば、当時の大和にはそこまで余裕があったとは思えないので、
九州だろうな。出雲と九州の関係が当時良好だったかどうかが一つの鍵になるかな。
薩摩には平野が十分あるが、土地がやせてたとかいう評判が気になる。
貝輪等の海産物との交換で九州北部から米を送ってもらう必要があったかもしれない。

357名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:15:01.25ID:vfPV8v/t0
>>322
現代でもスマホとか道具無くても方向は時間と太陽を見ればだいたい分かるよな
東と南を間違えたりしない
むしろ方角だけはある程度あてになるよな。

358名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:16:23.73ID:/RSceyLh0
記紀の伝説を見ると大和と九州という物の関係が見えてくる

重視
・日向、宇佐、宗像

軽視
・筑前

と言う姿勢で臨んでいるのが分かる
このような形から「九州の王統が移動した」などではなく、「九州を支配するために地元の有力豪族を冷遇し、朝廷に近い土地を優遇してけん制した」
とみることが出来る

この事から神武東征にしろ、宇佐、宗像に対する扱いにしろ、ここに根源があったと言うよりも、
大和朝廷による地方支配の姿勢が明らかになる記載だと理解できるだろう

359名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:17:27.81ID:QcVl5Giw0
鉄も持たない近畿の小国がいきなり列島支配する規模の巨大勢力になるわけがない。

360名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:18:03.58ID:iI50YNnB0
>>357
そう
樹海の中をさまよう訳じゃないし
雨や曇りが続く訳でもないだろうし

太陽が見えてたら、おおよその見当はつくよね

361名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:18:05.28ID:rUab6wxa0
5chは既に在日チョンに買収されているのをご存知ですか?
在日チョンの5ch運営が規制してリンク貼れなくなってしまったので、
「2chの譲渡先、5chの代理人弁護士は通名のしばき隊員」で検索してみてください

そして、在日チョンのバックに居るのは売国政党の立憲民主党です
安倍政権はパチンコ規制など次々に在日チョンに打撃を与える法案を通しているので、
売国左翼や在日チョンは安倍政権を倒そうと必死です
全力で安倍政権を守りましょう

在日チョンの帰化議員がワンサカいる売国政党の立憲民主党

「竹島は日本の領土ですよね?」立民・白真勲(ハク・シンクン)議員を再直撃! 徴用工判決には「コメントできない」連発…


在日韓国人組織の民団は立憲民主党の支持母体の一つ。売国政党の立憲民主に絶対に気を許してはならない

在日本大韓民国民団の中央本部新役員と意見交換 - 立憲民主党

.
.627+8967

362名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:18:50.88ID:vfPV8v/t0
>>311
魏志倭人伝の記述が現実と合うように解釈するのが詭弁?!
全て間違いで処理してしまう方が建設的じゃないし詭弁もいいとこw

363名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:18:56.16ID:xeZIUUSl0
纏向に大きな影響を与えた吉備勢力は宇佐と同族だと記録されてるんだよね
宇佐の八幡宮や西都原の古墳群からもわかる通り、ヤマト王権の成立には吉備を介して間接的に九州東岸が何かしら関係している可能性はある

364名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:20:21.50ID:NmLfN+mw0
>>347
王権が移動したわけじゃないな。
100国あったのが30になり、その多くの国が女王を共立した。
有力な国がいくつかあっただろうが、別に王権が移動したわけじゃない。
纏向に都を作ったということは、逆に言えばヤマトには「有力な王」はいなかったとも
考えられる。中立な第三地域に都を造る。

365名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:21:21.87ID:vfPV8v/t0
>>360
太陽は時間で位置が移動するから誤差が出るのは仕方がない
呼子か名護屋浦から唐津市街地方面に向かうのを南だと判断するのは常人だな。

366名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:21:59.55ID:QcVl5Giw0
邪馬台は九州の海軍を持つ連合。
天皇統一王権では無い。

367名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:27:16.89ID:iI50YNnB0
>>365
そう
そして魏志倭人伝の記述では、
山海に沿って住む。
草木が茂り、前を行く人が見えない
となっているから道は直線ではないという事も分かる

誰かが書いてたけど、当時の里程は一日歩けば〇里としていたのなら
直線の道ではなく、海岸にそって歩いているのだから
一日に進める距離も短いだろう
それで、実際よりも長い500里と書かれてるのではなかろうか

368名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:28:00.59ID:/RSceyLh0
実際に考古学的な発見から九州東部の日向、宇佐、宗像などの土地に古墳や有力な勢力の出現が始まるのは定型化後の事となっている

大和朝廷が九州への直接的な干渉を強めた時期にここにその息のかかった有力豪族が出現する形となっている
宗像なども朝廷が朝鮮半島に進出する頃になると勢力が拡大するなど朝廷の都合に合致した変遷を見せている事からもその背景が見えてくる

記紀の九州東部重視の姿勢は、大和朝廷による九州統治の為の戦略であると分かる

369名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:28:04.06ID:NAtYmIkC0
>>353
記紀で女性にスポットライトを当ててはいけないと言ってるようなもんだな。

370名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:29:29.21ID:NmLfN+mw0
>>359
女王を共立したと書いてるだろ?
武力で支配したなんてどこにも書いてない。

371名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:30:38.40ID:bZPRs+BM0
女王を共立なんて近畿大和にそんな習慣なさそうだよなあ
どうみても九州北部の土蜘蛛

372名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:33:29.44ID:Obr6jL3l0
邪馬台国…入れ墨あり
土蜘蛛…入れ墨あり
ヤマト王権…入れ墨なし

さて、畿内派の言い訳を聞こうか

373名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:33:37.35ID:iI50YNnB0
>>368
定型化というのが何を指すのかが分からない

374名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:34:38.22ID:xeZIUUSl0
>>368
中央集権的な支配はもうちょっと後の時代ではないかな
現に、九州北部は卑弥呼の時代以降衰退どころかむしろ発展してきているし
ただ、磐井の乱の頃、継体天皇の王権と対立したのは間違いないと思う

375名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:36:12.94ID:NmLfN+mw0
>>366
海人が九州である必然性はないな。
海人なら、丹後を拠点とする海部氏(尾張氏)の先祖は海人だわ。
神功皇后のとき、水夫を300人連れて従ったという記述がある。
この「水夫300」はただの乗組員ではなく、300の船団ということらしいからな。

376名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:36:52.79ID:NAtYmIkC0
>>363
朝鮮南部に任那を建設することが目的なら、
必ずしも筑紫を服従させる必要は無いのかもしれないな。

377名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:39:07.83ID:QcVl5Giw0
>>372
旧邪馬台勢力を記紀では土蜘蛛として妖怪にし歴史から消してるよな
土蜘蛛は鏡も持ってたらしいし、大和が奪ってったんだろ

378名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:40:48.92ID:Ta8SPQdM0
>>318
日本國者倭國之別種也

日本国は、倭国の別種なり。

379名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:42:38.94ID:vfPV8v/t0
>>367東松浦半島は平たいので海岸沿いではなく内陸を唐津市街地方面に直線的に進んだだろうと考えられる
唐津市街地から糸島市方面が海岸沿いでないと山越えなるから海岸沿ルートだな
歩測で距離も測ったんだろうな
短里を否定したい人がいるが
現実に三国志だけでなく新羅本記とかでも使われてるからな。

380名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:44:18.27ID:xeZIUUSl0
>>375
宗像氏は出雲の親戚という記録も残っているし、海部氏含めてなんか血縁関係が繋がりまくってるんだよな

381名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:50:19.42ID:RO2sKwDD0
>>377
邪馬台勢力は奈良朝時代までは系譜上しっかり残ってるよな
どこの誰が鏡持ってた?

382名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:56:37.41ID:/RSceyLh0
>>374
古代とは言え大和朝廷による各地域の有力豪族に対する支配の手法は中々巧みなものがある

出雲、筑前、筑後、吉備、武蔵と言った強力な地域をローマの分割統治を思わせるような見事な方法で従えている
言う通り、集権化はかなり後の奈良時代以降になるが、それに至る統治方法は軽視できない物がある

各地域の半自立的な豪族は大和朝廷の干渉が強くなる圧迫に対して暴発したり言いがかりをつけられて滅ぼされている
磐井の乱などもそういう地方豪族の乱の一つ

石人等の中途半端な独自性がむしろ大和朝廷の影響下における精いっぱいの許された個性だと言うのが分かる

383名無しさん@1周年2018/12/08(土) 16:56:47.57ID:RO2sKwDD0
>>373
古墳規格のことだろ
あと前方後方分布の2つの時期の場所とかだろな
後方墳のほうは九州は間接的にしか関係ないがな

384名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:00:01.83ID:Kb+EWy9T0
>>1
ヤマト王権
王朝は嘘ニダ王権が正しい

教科書を変えた我々の勝利ニダ

385名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:01:12.31ID:iI50YNnB0
>>383
なるほど
古墳の規格の話か

宇佐神宮の下の古墳は規格化された古墳なのだろうか?

386名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:02:23.67ID:wRUcWMahO
また不可逆理論やってんのか
半島にも古墳はあるけど別王朝だろ

多元王朝説が正しいって白状してるな

387名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:02:30.63ID:jviTNKty0
ヤマトタケルノミコトの東鉦と大国主命のバトルはいつの時代の話?
因幡の白兎の話

388名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:03:19.46ID:NAtYmIkC0
>>374
僕は卑弥呼の時代以前に既にピークに達していて、
それも一つの要因となって争いが起こり始めてたんじゃないかと思うけどな。
その後は横ばいを保つのが精いっぱい。
倭の五王の時代には華南地域に朝貢して交易を行い技術等を吸収し、
ある程度の経済成長があったかもしれないが。

389名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:08:14.55ID:Ta8SPQdM0
>>348
神武東征の話は、天皇家が、天孫降臨の地である九州から来た、天孫の子孫であるということを主張する重要な部分。
わざわざ記紀にそう書いたということは、倭国の正当な支配者を名乗るには、九州から来たとする必要があったということ。

390名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:10:42.15ID:REpavlnp0
>>379
唐津市街や虹ノ松原は当時はほとんどが海の底や湿地で形成は四世紀以降だからな
相当南まで遠回りしないと陸行はできん

391名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:10:55.28ID:NAtYmIkC0
>>382
ローマの統治はあくまで武力によるものだったはずだと思う。
各地域までの街道を整備して、反乱を起こせば
ローマの強力な軍隊と周辺地域の軍隊がすぐに駆け付けるといった具合で。
大和による支配体制は必ずしも武力に頼ったものじゃなく、
ローマの物よりはかなり緩いもので、生活向上の貢献への評価とか
なんか違ったものによるものだったんじゃないかと推測してるけど。

392名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:14:20.73ID:ota7hqUz0
卑弥呼全盛期の西暦200年頃は日本がまだ小国に分かれ
互い権を競っている段階。その中で伝統的に奴(筑紫)を中心と
する筑紫エリアが魏と朝貢するチャンスを得た。
その後の変化はまだ分かって居ない

393名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:16:46.30ID:NAtYmIkC0
>>389
純粋に天皇家に言い伝えられてきた建国のいきさつを書いただけだと思うけどな。
記述された年代は怪しかったのかもしれないが。

394名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:18:05.69ID:/RSceyLh0
卑弥呼の時代はそれ以前の各地域のバラバラなクニの段階から全国的な連合を成立させる大きな画期

ただ、これはピークでも終焉でもない
この後の大和朝廷に繋がるスタート

それが証拠に布留式段階の定型化後になると畿内の影響はそれ以前とは比べ物にならない格段の強化を遂げる

緩やかな同盟国程度の関係から、ハッキリとした中央と地方と言う関係性が成立する
邪馬台国は卑弥呼後に消えたわけでも衰退したわけでもない

むしろ飛躍的な発展を遂げる最初の段階だと言える

395名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:23:05.90ID:vfPV8v/t0
>>390
>相当南まで遠回りしないと陸行はできん

せいぜい2〜3kmでしょ。

396名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:23:07.24ID:h0gRDEB50
>>1
魏志倭人伝に巻向の「マ」の字も無い
奈良の「ナ」の字も無いから
巻向は邪馬台国では無いよ

397名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:25:22.85ID:NAtYmIkC0
卑弥呼の時代にはすでに開拓できる土地が九州北部に無くなりつつあった。
ただ、米を作ってるだけなら1年中働いてる必要は全くなく、
暇を持て余した人間がやることは… みたいな。

398名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:27:49.48ID:4D6tnH250
遣隋使は九州倭国の使節で日本書紀は九州倭国の歴史も混ぜて書いてる
朝鮮関連は白村江で負けるまで九州倭国の歴史
日本書紀は九州王と大阪王のちゃんぽん

399名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:28:46.02ID:REpavlnp0
>>395
今の海岸線からだと6q〜ぐらい
さらに鏡山の北側の平地は使えないしな

400◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 17:29:14.16ID:5bzgloOL0
>>358
この視点は大事だね。
特に隼人をアマテラス直系の海幸彦の子孫に位置づけるあたり、
単に征服の正当化という文脈ではなくて、「あえて選んで」役割を押し付けた感がある。
このへんは出雲も同じか。

401名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:31:25.25ID:gmR1kOQw0
以前の畿内説は「畿内が北部九州を飲み込んだ」というものだったが、当初はもっとフラットな関係だったと思うんだよね
後になると吉備氏の乱とか磐井の乱とか色々あるけど

402名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:43:19.77ID:4D6tnH250
天智天皇は九州王家で娘を天武天皇家に差し出して
九州王家を吸収合併させただけ

403名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:45:33.00ID:REpavlnp0
>>401
前方後円墳は豪族としてヤマト王権に従った証だと思うんだよね
末ら国や伊都国の単位で豪族になってるっぽい感じだし

歯向かった地域は滅ぼされて直轄地になて前方後円墳は作られない
東国も同じに思える

404名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:50:12.58ID:4D6tnH250
福岡はどきゅんが多いのでいざこざ多くて
どうにもならなくて 九州王は大阪に吸収してもらった

405名無しさん@1周年2018/12/08(土) 17:50:31.59ID:NAtYmIkC0
>>403
不作の年があれば、他の地域から助けてもらうみたいな、
組合組織的な範囲を示す指標みたいなもんみたいに思ってるかな。

406◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 17:50:54.85ID:5bzgloOL0
>>401
実際のところ、筑前をちゃんと勢力下に収めたのは
磐井の乱の後で糟屋の屯倉を手に入れてからだよね。

と書くと、那珂八幡古墳を挙げて反論する人がいる気もするが、
面的にも時間的にも広がらない孤立の事例だから、単なる物好き
の範疇だと思うw

407名無しさん@1周年2018/12/08(土) 18:11:21.00ID:4D6tnH250
和を以て貴しとなす
とは福岡のキチガイに向けて言った言葉

408名無しさん@1周年2018/12/08(土) 18:31:07.08ID:4D6tnH250
蘇我入鹿は福岡大宰府で権勢ふるってたのを
殺害して潰したのは
九州王と 大阪

409名無しさん@1周年2018/12/08(土) 18:31:23.20ID:NAtYmIkC0
日本列島における力関係は、武力による部分はどちらかというと2次的で、
不作の時に助けてあげることができるといったものだったんじゃないかな。
卑弥呼の時代なら九州北部の生産力がトップだったと思うが、
畿内と中京は比較的近くその平野を合わせれば九州北部を圧倒的に上回る。
開拓が進むにつれ力のバランスは変わっていき、
古墳時代が終わるころにはほとんど開拓が終わっていて、
九州北部の立場は畿内・中京に比べ非常に弱くなってた。
畿内と中京では畿内の方が各地域に交通の便が良かったので、
自然と中心地となってったみたいな。

410名無しさん@1周年2018/12/08(土) 18:39:15.66ID:vfPV8v/t0
>>399
海岸線から鏡山まで2kmもないよ?

411名無しさん@1周年2018/12/08(土) 18:40:33.87ID:REpavlnp0
>>410

さらにと言ってるだろ、別の話やぞ

412名無しさん@1周年2018/12/08(土) 18:45:46.73ID:y6R9DFVPO
>>403
そんなイスラム帝国みたいに、改宗かさもなくば死を選べ、みたいにしてまで
前方後円墳を作らせる意味があるのかね?
催事に関することを強制させるのは邪馬台国みたいな緩やかな連合のイメージとは違うな。

413名無しさん@1周年2018/12/08(土) 18:48:36.66ID:vfPV8v/t0

414名無しさん@1周年2018/12/08(土) 18:50:05.12ID:RfwjNM800
>>400
アマテラス系はユダヤと同祖
地中海東岸から支那南部へ達し九州へ渡り日本全土に広がって日本固有のD1b縄文と混血した
隼人は近い時期に枝分かれしたが元は同祖(のはず)と考えるのは自然
天皇や皇族の近侍として武器を携帯させるなど異民族への扱いとしては考えられない
勤めが終わると区分田を支給されて一般民化した
移配蝦夷の扱いと全く異なる

415名無しさん@1周年2018/12/08(土) 18:58:56.37ID:NmLfN+mw0
>>389
天孫の子孫という点では、近畿にはすでに天火明命の子孫が来てるんだよね。
彼らの中に、アマテラス含む神代の伝承があり、彼らの仲間入りするには
自分が天孫であるというほかなかったとも考えられる。

近畿の天孫ー天孫降臨ってオレたちのご先祖さんだが?
神武ーーいや、九州に下ったオレの先祖もおったんだ。
近畿ーそんな話は聞いたことがないが?
神武ーいや、おれは確かに天孫の子孫だ。
近畿ー(゚∀゚)

416名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:02:50.98ID:NAtYmIkC0
>>414
古墳時代に古代イスラエル人の子孫的な人が入ってきてるとしたら、
僕は朝鮮から出雲経由で大和に入ったと思ってるかな。
新羅が滅んだ時に大量に九州北部に逃げのびてきた可能性は否定しないが。

417名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:14:10.78ID:FvywOh8+0
>>415
なんで神武が先に来ている天孫系から土地を分捕ったのかとか考えると楽しい

418名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:16:16.78ID:HnDoeB2C0
ここで知ったかが一言「天孫系も一枚岩じゃねぇからな」

419名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:17:57.81ID:REpavlnp0
>>413
それみたら4qじゃ回れないことぐらいはわかると思うんだけど

420名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:18:35.27ID:NAtYmIkC0
>>415
天火明命の神話は良く知らんけど、僕の想像する会話はこんな感じかな。
神武ーー私たちと君たちは同じ先祖を持つんだよ。
近畿ーそんな話は聞いたことがないが?
神武ーいや、君たちは天火明命の子孫なんだから、ほら。
近畿ー(゚∀゚)

421名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:18:52.28ID:NmLfN+mw0
>>403
従った、とはちょっと違うと思うけどな。
初期のものは、連合政権に加わったみたいな。
ただ、初期の古墳はヤマト以外にはでっかいのは丹後にしかないけどな。

規格が統一されるというか、同一規格の縮小版が各地に現れるのは、佐紀墓山古墳らしい。
これは、垂仁の妃と言われる日葉酢媛命陵の伝わる。
狭穂彦の乱のあと丹後から呼び寄せた妃だ。
纏向に宮がある天皇は、崇神、垂仁、景行(途中から大津)
纏向遺跡は、2世紀末から4世紀初頭あたりで廃れる。
4世紀前半あたりで、古墳の規格が統一(つまりヤマトの技術者を派遣)し、それが
近畿だけでなくもっと広く普及する。
そのエリアでは、それなりに安定した嵌合が出来上がっていたのだろう。
上記の三代のころ(纏向後期)、ほぼ国内の統一が終わり、その後半島へ出ていく。
出ていくってのは語弊があるな。半島南部には倭人がいるから。

422名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:29:32.79ID:RfwjNM800
>>416
朝鮮はツングースかモンゴルだろう
mtDNAで母の母の…母で日本の女の祖と似た人たち
3〜4万年前に東南アジアから北上した満州朝鮮日本の女の祖で近年の発見から山葡萄人とも言う
モンゴルツングースのY染色体ハプロタイプCはアフリカの角からアラビア半島経由で
イランの辺りで発生し中央アジアあるいはインドを経由してモンゴルに達した経路であり
ユダヤと関係の無いグループ

423名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:33:32.01ID:REpavlnp0
>>421
3世紀末または4世紀初めに
末ら国の弥生時代末期の中心地とされている松浦川東岸地域に
100mクラスの前方後円墳ができ始めるんだから面白いよな

神功皇后伝説ともいろいろ被るしな

424名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:36:22.89ID:RKyqF25l0
明治維新と同じことが起きた。明治維新は薩摩、長州、土佐が天皇を擁立して江戸を奪い取った。
邪馬台国は出雲が西日本を統一し奈良に都を置いたのを北九州、吉備勢に譲った。

425名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:37:34.02ID:NAtYmIkC0
>>422
古墳時代の頃の韓(漢)人を調べたわけじゃないんでしょ。

426名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:47:20.86ID:xeZIUUSl0
>>424
そのあと佐賀の乱や西南戦争で佐賀も薩摩も滅ぼしてるしな
吉備氏の乱や磐井の乱も似たようなものだったかも

427名無しさん@1周年2018/12/08(土) 19:48:29.64ID:/zvPCpF+0
天皇は古代真の大王に背乗りした

428名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:04:55.53ID:cIQncukI0
>>297
>伊都国への道順と方角だからじゃないかな?

背振山脈の南側に伊都国はないよ

末盧国から東南五百里に伊都国がないのは確実

これを認められない九州説の人とはどうやっても話ができない

末盧国からの東南五百里については、私が考えたことではないけれど
ここに書かれていることが一番合理的だと思う
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/zatu/zatu03.html#rikuko

倭面土國王の朝貢時代の倭国の記録が、魏志倭人伝の地理紹介に紛れ込んでいるという考え方
末盧国から東南陸行五百里なら松浦川沿いに佐賀平野に抜ける道と考えるのが適当
しかし、そこには伊都国はない

429名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:06:31.32ID:niYyPLOE0
.
邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。

430名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:09:47.93ID:xeZIUUSl0
伊都国に一大率ってのが気になるんだよな
伊都の県主は天之日矛の子孫だと筑前風土記にあるが、あれが何を意味しているのか

431名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:12:25.73ID:cIQncukI0
>>300
>卑弥呼の墓は直径約150mの円墳だよ

円墳とも限らないよ
径は円形物以外にも使うし、その場合はさし渡しくらいの意味になる
方墳なら長辺、前方後円墳なら墳丘長が径と表される

432名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:12:48.86ID:vfPV8v/t0
>>419
干潟は平らで歩き安いんですけど?

433名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:13:00.49ID:L1JNP4iS0
>>338
いやあ、分かる分かるオジサン、周りは一切分からないからw

434名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:13:56.32ID:vfPV8v/t0
>>430
伊都国に一大率?
女王国以北に一大率ですよ。

435名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:18:59.41ID:bZPRs+BM0
近畿大和の支配下に入った大王の墓ってどうなるのっと

436◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 20:19:39.12ID:5bzgloOL0
>>430
「伊都(イト)」の表記が同音の「怡土」に変わったのち、
読みが「イヅチ」になっちゃったんだろうね。
だから但馬の出石(イヅシ)のアメノヒボコと習合した。

437名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:22:25.45ID:JWHBigBa0
>>436
普通にヒボコは半島から渡ってきたんだから伊都国(のあったところ)も
通ってるだろ。

438名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:23:59.69ID:REpavlnp0
>>432
論点ずれすぎ。笑

439名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:24:29.67ID:vfPV8v/t0
>>428
何が何でも倭人伝否定w

440名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:24:59.32ID:xeZIUUSl0
いや、天之日矛は但馬方面が本拠地だから、もし伊都と関係あるなら北部九州→但馬という日本海ルートがあったのかな、と

441名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:25:06.89ID:cIQncukI0
>>301
>魏志倭人伝の行程は国の端に着けば至と記述されてる

これは九州説の一部だけが唱えるウソ会社くらい

これが正しいとすると
末盧国から伊都国の道のりが、末盧国の国内移動の横断距離になり
伊都国から奴国の道のりが、伊都国の国内移動の横断距離になる

それが帰路になると、この考え方だと
奴国から伊都国の道のりが、奴国の国内移動の横断距離になり
伊都国から末盧国の道のりが、伊都国の国内移動の横断距離になる

つまり、この九州説のウソ解釈だと末盧国ー伊都国間の距離が、
行きは末盧国の横断距離で、帰りは伊都国の横断距離になり、
方角も距離も別の区間を示すことになる

そんなおかしな地理観では国は治められないよ

442名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:25:30.29ID:vfPV8v/t0
>>438
ボケてるのは君だよwww

443名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:26:09.65ID:xiAm+4s90
>>435
荒らされて卑弥呼から下賜された権威の証や鏡を持ち出され、三角縁神獣鏡に変な年号入れて作り変えられたんじゃね

444名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:27:08.88ID:RfwjNM800
>>425
古墳時代当時の支那北部はモンゴルCの虐殺略奪強姦に晒されて
漢人の人口は激減した
当時に朝鮮半島から渡ってきた者が北支那から逃れてきた漢人なのか
それとも匈奴や鮮卑のモンゴルあるいは高句麗穢貊などツングースなのか
石庭や金細工や狛犬を持っていれば匈奴や鮮卑やツングースだろう
支那北部からやって来たなら古代華夏族の生き残りかもしれない
大半は江南に逃れたはずだが朝鮮半島に逃げた者がいないとは言い切れない

445名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:27:29.19ID:vfPV8v/t0
>>441
帰りの話が何で必要なの?

446名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:29:23.17ID:REpavlnp0
>>442
古代から中世までの川の河口の迂回の話を知らない時点で話になってない

447◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 20:29:25.73ID:5bzgloOL0
>>437
但馬から丹波や若狭、越前あたりは、渡来人漂着のメッカだよね。
半島東岸の新羅や、もっと北の渤海あたりから出発すると、
九州北岸じゃなくてこっちに着く。
今でも北朝鮮からガンガン来ているしw

448名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:30:01.63ID:JWHBigBa0
>>441
なんで必ず国を横断しなけりゃいけないことになってるんだ?

449名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:33:37.65ID:REpavlnp0
壱岐から松浦川東岸まで海路だろうな

450名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:38:00.74ID:NAtYmIkC0
>>444
もっと前で秦や燕だと聞いたけど。

451名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:39:03.99ID:vfPV8v/t0
>>448
壱岐対馬の外寸を方可○○里と書いた続きだよ。

452名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:41:54.04ID:cIQncukI0
>>339
>隋書の時代近畿は秦王國だろ。

隋書の裴世清は、大陸の史書にも日本書紀にも出てくるから、
大和王権の記事なのは確実なんだが

それすら否定してかかるトンデモさんでもなければ、
今どき九州説なんてやってないってのがよく分かる

453名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:42:26.84ID:4HMt+c4a0
伊都国って佐賀県じゃん

454名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:44:52.89ID:mNm2XKG30
エネルギー問題を取り上げたら、いわゆる「燃える石」を産出した筑豊の露頭炭を持っていた日田の勝ち
燃やせるものが火付きの悪い雑木しかないヤマトの負け

455名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:50:43.69ID:ota7hqUz0
>>428
それについては末盧国=唐津湾とした場合
もっとも自然なのが伊都国=吉野ケ里近辺。
距離は600里(短里)ほどになるからまあ大雑把には500里だ
http://www.maff.go.jp/kyusyu/seibibu/kokuei/22/chikugo/img/kantaku.jpg

456名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:54:36.20ID:R3UlFUhI0
>>450
燕とか秦は三韓時代(魏志倭人伝のころ)で>>444が言ってるのは
もう少し後の百済新羅高句麗の時代じゃないかな

中国が荒れまくって百済に王仁博士が逃げてきたし
それなりに中国から半島や日本に来てると思われる
それで発展したのが日本で裴世清に中国と変わらんと言わせた

457◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 20:56:06.93ID:5bzgloOL0
>>454
大和国の南には、巨木が鬱蒼と茂る「木の国」があるやんか。
風の神であるスサノオが息子の木の神イソタケルを伴って朝鮮半島から帰還し、
紀伊に居ついたのは製鉄民の足跡で、これが中世の鍛冶集団 雑賀党に連なるのだな。

458名無しさん@1周年2018/12/08(土) 20:59:20.03ID:cIQncukI0
>>341
>でも南じゃない

結局、九州説の畿内説批判てこれ「だけ」なんだよな
だから、末盧国ー伊都国間の方角間違いを決して認められないw

九州説の人はその場にいる人が方角を間違えるはずがないと言うけれど、
それが大陸に伝わる過程は確実ではない
魏使は倭国滞在中も文字記録を残していただろうけれど、今のような
紙やノートを自由に使えた訳ではないし、おそらくは木簡、竹簡を使っただろう
そうであれば、方角を記した木簡一本がどこかで紛れてしまえば、
それでもう方角は分からなくなる

さらに魏志倭人伝を撰述した陳寿が、倭国を南国だと認識していたのは
「當在會稽、東冶之東」「所有無與儋耳朱崖同」という記述からも明らか
なので陳寿の認識では、倭国内の長距離移動は南向きとなるのが当然

なので北部九州から先の水行陸行は、陳寿にとって当然に南向きと書かれる蓋然性が高い

459名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:00:14.71ID:NAtYmIkC0
>>456
だから、その頃から朝鮮半島に住んでるって話。

460名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:02:59.56ID:FvywOh8+0
天皇の出身が九州というのは本当だと思うけどな
朝鮮なり中国出身だったらもっとそっちを主張するだろう
当時は大陸のほうが権威だったんだし
太伯の子孫を自称したのも一回だけで胡散臭いし伝承が残る範囲では九州だろうと思う

461名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:08:31.05ID:R3UlFUhI0
>>459
前から中国人が住んでたってことね。了解
ついでだから書くけど、中国は新羅は秦韓だから中国の歴史だって主張してる

462名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:13:07.07ID:NAtYmIkC0
>>457
雑賀が鉄砲作ってたって話あるの?
僕が昔読んだやつは、
紀伊国で鉄砲を作ったという記録はないとかいうもんだったはずだけど。
紀伊国は古代からそれなりに地下資源を掘ってたとは思うけど、
中世以後は太平洋側の各地で鉱業と物流を担ってたから、
鉄砲を大量に手配できたんじゃないかなと思ってるけど。

463名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:14:19.85ID:NAtYmIkC0
鉄砲を作った → 鉄砲を大量に作った

464名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:19:17.61ID:NAtYmIkC0
>>461
新羅は倭人の王だったんじゃないの?そんな話を聞いたことがあるけど。
韓(漢)人は一部でほとんどの国民も倭人だったはずなんじゃないかとも思ってるけどな。
要所を占めてたのは韓(漢)人だったんだろうけど。

465◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 21:24:56.62ID:5bzgloOL0
>>460
薩摩半島の上加世田遺跡から、「久米」と墨書された土器が出ているよね。
東征軍の主力をつとめた、決死剽悍の戦闘集団だ。

>>46
鉄砲の話はしとらんがな。
真弓常忠「古代の鉄と神々」(学生社)によると、鉄の異称「サヒ」は
サブ、サビ、サムとも転訛し、雑賀もそのひとつらしい。

466◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 21:27:31.93ID:5bzgloOL0
>>465の下は>>462へのレスじゃったい。

467名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:32:47.14ID:REpavlnp0
>>462
鉄砲を大量に作ってたのは雑賀でなくて根来だよ
本州作成一号も根来にいた堺の鍛冶師で作られたといわれる

468名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:33:08.03ID:NAtYmIkC0
>>465
ごめん。
まあ、ちょっとした製鉄ぐらいはしてた可能性は十分考えられるだろうな。
熊野はひょっとすると製鉄技術も一応持ってた可能性もあるんじゃないかとも思ってるし。

469名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:34:38.27ID:NAtYmIkC0
>>467
根来が陣頭指揮を執ってただけで、作ったのは他国ってことでしょ。

470名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:35:43.36ID:kIMAE5J20
日本には何の記録も証拠も残ってないのに
中国の文献に踊らされてぶっちゃけ馬鹿みたい

471名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:38:48.28ID:REpavlnp0
>>469
違う。根来の鍛冶場で作られてる
種子島→根来→堺→国友
この順に伝わっていってる

472名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:41:52.58ID:xeZIUUSl0
本格的な製鉄はもうちょい後だね
あれは完全に大陸由来だから、タタラ製鉄用語はなかなか不思議

473◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 21:45:02.01ID:5bzgloOL0
>>468
製鉄遺構(に限らず、水銀や青銅も含めて冶金一般の遺構)は、
集落や古墳なんかとは別の場所に作られるから、出にくいんだよね。

別の例を挙げると、磐井の乱でヤマト王権が手に入れた糟屋の屯倉
(今の福岡市東区から糟屋郡)には多々良川という川が流れて、
その支流の宇美川の上流には「炭焼」という地名まで残っているが、
肝心の遺構は見つかっていないのだ。
京都の妙心寺の日本最古(698年)の梵鐘は、おそらくここで鋳造された。

474名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:45:39.71ID:R3UlFUhI0
>>464
3つくらいの王統があって交代で王になってたみたいで、倭人系の王もいた
ただあの時代の半島は日本以上に謎。新羅の言語も不明
韓国が歴史に興味がないというかファンタジー前提というか
元の時代に住民の強制移動があって、別もんになってるしね

475名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:46:21.33ID:oSNPZS1G0
とにかくモンゴルツングースのハプロタイプCはユダヤと同族だった時期がない
文化の創造や経済的優越によって成したものでなく騎馬戦力による文化の破壊と殺戮によってマウント取りした上での寄生であり
良くない良い人種でない
劣化する

476名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:47:12.50ID:NAtYmIkC0
>>471
作ったのはせいぜい数本程度じゃないのかなと思うけど。
堺から鍛冶師が来てる時点で、地元の技術力は大したこと無さそうだし。

477名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:50:50.57ID:cIQncukI0
>>362
>魏志倭人伝の記述が現実と合うように解釈するのが詭弁?!

「現実と合うように」ww
「自説に合うように」だから嗤われてるのに

そもそも解釈したり解読したりする必要があるという発想が捏造体質
史書は判じ物でも暗号書でもないんだから、そのまま読まないとw

あと、畿内説批判が南≠東しかないからって、方角の間違いを認められないって言うのが
目的化してるのもおかしい

478名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:51:50.07ID:REpavlnp0
>>476
根来で量産化されて、その後根来で製作されていったのわかってるよ

この鍛冶職人が後々堺に伝えてるんだけど
元々堺の人なのか後から堺の人になったかは分かってない

伝来銃を種子島から1丁譲渡してもらって根来に持ってきて量産化までしたんだし
たまたま、この鍛冶職人が一番腕がよかっただけだと思うよ

479名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:52:49.45ID:NAtYmIkC0
>>473
紀伊山地をくまなく探しまくれば出て来るかもしれないかなと思ってるかな。
空海も修験道とか言いながら、そういった類のところで働いて、
中国語も学んだんじゃないかなとも推測してるし。

480名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:57:09.17ID:cIQncukI0
>>379
>現実に三国志だけでなく新羅本記とかでも使われてるからな。

それ三国史記だろ? 12世紀成立の
古代の部分は古い史書を適当に引用してでっち上げただけの代物だから、根拠にならないよ

481名無しさん@1周年2018/12/08(土) 21:59:56.39ID:NAtYmIkC0
>>478
じゃあ、僕が昔読んだやつがガセだったか、その後に新発見があったかのどちらかか。
まあ、和歌山は秀吉にぺんぺん草も残らんほど焼きまくられたらしいから、
それ以前の記録はかなり希薄なんだろうな。

482名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:02:13.12ID:NPXUdWVO0
熊本から鉄のやじりが良く出るけど
http://inoues.net/honpen00.gif
剣とかはあまりでない
http://inoues.net/honpen02.gif

国力で北九州に劣っていた狗奴国は
接近戦はせず弓によるゲリラ戦法をやってたんじゃね

483◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 22:02:33.63ID:5bzgloOL0
>>479
鉄生産を律速するのは、鉄鉱石の算出量じゃなくて木炭の量なんだよね。
粗鉄を10トン作るために、1ヘクタールの山の木を燃やさにゃいかん。

その意味では、沖合に温かい黒潮が流れて雨量が豊富な紀伊半島は
まさに製鉄民にとっての約束の地なのだ。
だから、風の神(スサノオ)が木の神(イソタケル)を連れて、朝鮮半島からやってきたと。

484名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:02:39.25ID:lydkO0y80
>>89
そういや二見ヶ浦も九州の糸島んとこにあるのがオリジナルぽいな
春分の日と秋分の日に岩と岩の真ん中から太陽が上がる岩
イザナギとイザナミの岩らしい

485名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:04:00.81ID:REpavlnp0
>>481
刀鍛冶と硝石を入手する貿易ルートがあれば鉄砲鍛冶は成り立つからね

486名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:04:12.71ID:cIQncukI0
>>396
>魏志倭人伝に巻向の「マ」の字も無い
>奈良の「ナ」の字も無いから

大和の「ヤ」「マ」「ト」は魏志倭人伝に三文字ともあるだろ?
邪馬臺国ってはっきり書いてある

「東京都庁があるのは新宿だ、東京じゃない」っていうのは無意味だろ?

487名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:05:13.22ID:NAtYmIkC0
>>483
僕はほとんど直に近い状態で秦の人間が来たと思ってるかな。

488名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:06:15.84ID:lydkO0y80
>>486
ヤマトは九州の地名でも古くからヤマトだけど?
なにがいいたいのかわからん

489名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:09:22.19ID:NAtYmIkC0
>>483
まあ、そうなると物流を担ってたんじゃないかという推測の根拠が薄くなってしまうな。
今まで構築してきた歴史感にかなり影響するかもしれん。

490名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:15:09.57ID:xeZIUUSl0
この時代のは製鉄というより鍛治だな

491名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:16:47.83ID:NAtYmIkC0
>>482
熊本平野を勢力圏に抑えてたなら国力はほぼ互角とみていいと思うけどな。

492名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:18:25.64ID:cIQncukI0
>>439
>何が何でも倭人伝否定w

末盧国が、松浦川河口平野の唐津平野
伊都国が、旧怡土郡の三雲遺跡群

この間を東南陸行五百里で移動したというのが「正しい」と言う人は「おかしい」

以上

493名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:19:12.35ID:REpavlnp0
根来の津田の子孫は紀州藩に仕えてるし
明治でも初代和歌山県知事だし
資料は残ってるよ

494名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:19:30.04ID:pZeZMw/W0
>>481
秀吉はああ見えて愛国と言うより愛日本人や愛日本文化だった
日本人キリシタンが外国人宣教師商人を介して日本人を奴隷として売っていたことに激怒し
宣教師やキリシタンの鼻を削いで宣教師に送り付けたうえで処刑するなどした
秀吉の世ならば阿倍自民などは全員打ち首だろう

495名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:21:31.46ID:NAtYmIkC0
>>490
古代は鋳鉄だったんだろうけど、
中世あたりから鉱石等→粗鋼→鉄鋼の製鉄になってんたんだろうな。
鍛冶屋は粗鋼→鉄鋼担当といったところだろうか。

496名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:21:56.24ID:cIQncukI0
>>445
>帰りの話が何で必要なの?

「地理の記述」が行きと帰りで異なるのはおかしいだろう?
そんな表記方法を取る文明がどこにある?

497名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:24:22.77ID:NAtYmIkC0
>>493
それ秀吉に焼きつくされた後じゃん。
まあ、高野山と熊野は無事だったって話だから、
全く記録が残ってないという話ではなさそうだけど。

498名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:24:37.87ID:pZeZMw/W0
秀吉は和歌山で大虐殺して焼き払ったが
神武天皇も和歌山で最大に荒ぶった殺戮劇をやっていたらしい
女酋長を何人かバラバラにしてそれぞれ遠く離れたところに棄てた
拾われて小さな祠や社となっているという

499名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:27:43.37ID:NAtYmIkC0
>>494
でも、秀吉はバテレンにそそのかされて、和歌山を焼き尽くしたと信じられてるみたい。

500名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:28:27.80ID:vfPV8v/t0
>>492
末盧国が、松浦川河口平野の唐津平野
伊都国が、旧怡土郡の三雲遺跡群

この決めつけが間違ってるんだよ
自分の誤りを倭人伝の誤りにすり替えてる。

501名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:32:19.64ID:cIQncukI0
>>448
>なんで必ず国を横断しなけりゃいけないことになってるんだ?

横断でも縦断でもいいけれど、国境でその国に着いたと書かれていると言い張るなら
ある国の国内移動距離が、その国と次の国の間の距離という不合理になる

   →移動方向
   ─┼─────A国──────┼──────B国─────┼─────C国──────┼
   国境         国境        国境
  ここで至A国     ここで至B国    ここで至C国

A国の国内移動距離が、B国へ至る距離になる

おかしいと思わないかい

502名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:32:31.75ID:Ta8SPQdM0
>>470
天孫族は、文字を持たない、つまり漢字を使う中国以外から渡来した人々だから仕方ない

503名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:35:24.28ID:cIQncukI0
>>455
>もっとも自然なのが伊都国=吉野ケ里近辺。

しかし、佐賀伊都国説を採る人はほとんどいないよね?

504名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:35:59.16ID:G6CHhpzQ0
雑賀か
畿内を取り巻くように賀が分布しているんだよね
何の名残りなんだろう

敦賀〜多賀〜甲賀〜伊賀〜雑賀〜那賀(阿波)〜香賀(讃岐)〜英賀 (播磨)

賀は牙じゃないかな?牙城の牙
旗印を掲げた拠点
国境を守る拠点、関、天岩戸

505名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:37:50.85ID:pZeZMw/W0
>>502
漢字ではない神代文字があったと言われるが広く認められるものではないな

506名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:38:43.47ID:cIQncukI0
>>457
>大和国の南には、巨木が鬱蒼と茂る「木の国」があるやんか。

木の国→紀国、これが
次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、
次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、
次有「鬼國」、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、
次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、此女王境界所盡。

の鬼國でいいのかな?

507名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:38:59.04ID:G6CHhpzQ0
倭国大乱前の倭国の版図は、賀で囲まれた地域なんじゃ無いかな?

508名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:40:00.46ID:vfPV8v/t0
>>496
行程文だから行きと帰りで違うのが普通だろ?

509名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:41:09.00ID:u0hrol+I0
>>359
宮室樓觀城柵嚴設
樓觀=物見櫓が出土してないのは
吉野ケ里、北九州の致命傷だな、

510名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:45:44.92ID:cIQncukI0
>>484
>そういや二見ヶ浦も九州の糸島んとこにあるのがオリジナルぽいな

糸島の夫婦岩は、黒田が大名として入ってからだから新しいよ
江戸時代から

511名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:47:04.20ID:NAtYmIkC0
>>504
天皇を守る12の牙とか、そんな伝説は無いの?

512名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:47:45.56ID:cIQncukI0
>>488
その九州のヤマトはどこだい
みやま市辺りの山門のつもりなら、その辺に弥生時代の重要な遺跡はないよ

513名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:50:47.12ID:NAtYmIkC0
>>502
九州にやって来た華南人は農民と船乗りばっかりだったろうから、
読み書きはほとんどできんかったんだろうな。

514名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:51:13.96ID:cIQncukI0
>>500
既に定説になっている比定地を違うというなら、
それだけの根拠と正確な論証が必要だが、それを示せるかい?

「ボクの考えた最強の魏志倭人伝の読み方」に合わないから、というのでは弱すぎるよ

515名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:53:42.98ID:Ta8SPQdM0
>>513
話す言語も中国語とは程遠いからな

516名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:54:18.60ID:vfPV8v/t0
>>514
そんな定説は無いよ
君の思い込みw

517◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 22:54:20.32ID:5bzgloOL0
>>504
「賀」の字そのものは、奈良時代の好字令でつけた物だろうから
あんまり意味はない気がする。
たとえば古事記に出てくる敦賀は「角鹿」だよね。
そのイメージに引きずられたせいで、敦賀駅前のツヌガノアラシト像は
キャシャーンみたいになっとるw
https://stat.ameba.jp/user_images/20160829/16/kai-drum/2e/cd/j/o0702063313735184212.jpg

>>506
そこはどうなんじゃろ。
関西人は「目ぇ」とか「歯ぁ」とか、一字の単語も二音節にしたがるから、
「木ぃ」→「紀伊」だよね。

518名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:55:35.50ID:wxoaMur00
「賀」を姓名辞典でググってみたら興味深い記事が



兵庫県、鹿児島県大島郡喜界町、福岡県。イワイも含む分布。

@シナ系。後漢の安帝の父である劉慶の名前を憚って慶姓から類似した意味の賀姓に改姓したと伝える。シナ音はホー。兵庫県神戸市中央区楠町に分布あり。慶イワイ参照。

A創賜。鹿児島県の奄美群島の一字姓。発音はイワイ。

519名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:56:30.80ID:NAtYmIkC0
>>512
もう掘り尽くしたの?
環濠集落が出て来るとすればその辺じゃないかと思ってんだけどな。
もしくは八女か。

520名無しさん@1周年2018/12/08(土) 22:56:50.73ID:cIQncukI0
>>508
>行程文だから行きと帰りで違うのが普通だろ?

大陸史書の地名記述は、基本的に地理記事であって、旅程、行程記事じゃないんだよ
そして、国邑間の方角・距離で示されている

そして領域国家段階ではないから、そもそも国境という概念がない

魏志倭人伝のみを、行程文だと見て地理記事と異なる読み方をすることに合理性がないし、
国境概念のないところに、「国境で次の国に着いたと考える」のは、仮定としても無理がある

521名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:00:35.25ID:wxoaMur00
>>518
このスレ的にはイワイ=磐井と紐付くな
祭祀を担う一族だったのかもしれない

古代渡来系で太陽祭祀を追い求めたとしたら九州から伊勢まで追い求める壮大なストーリーが想起されるw

522名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:00:51.58ID:cIQncukI0
>>516
對馬國  対馬
一大國  壱岐
末盧國  唐津
伊都國  糸島
奴國   福岡平野

ここまでは紛れがなく定説となっている
これを認めない時点で、ほぼトンデモ確定

523名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:02:57.49ID:cIQncukI0
>>517
>「木ぃ」→「紀伊」だよね。

これは好字令で二文字地名にしたんじゃなかった?

524名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:05:15.67ID:JvXDXfl8O
アマゾンに邪馬台国の基礎みたいのまだいるから

525名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:06:09.27ID:NAtYmIkC0
>>515
ごく少数だったと思ってるし男性ばかりだったろうとも思ってるから、
母親の言葉が子供の母語になってっただろうなとは推測してる。
周や春秋時代の呉・越の言葉の名残とか少しくらい残ってないの?

526◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 23:06:35.01ID:5bzgloOL0
>>523
あ、そうかも知れない。
でもそこで「紀野」とか「紀賀」とかにせず「紀伊」にしたのは
「目ぇ」「歯ぁ」に通じる感性だという気がするw

527名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:08:20.63ID:vfPV8v/t0
>>501
→移動方向
・海─┼─對馬國─┼─海─┼─一大國─┼─海─┼─末廬國─┼─伊都國─┼─奴國─┼
・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・・・国境
1000里・・方4000里・・・1000里・・・方300里・・・・1000里・・・・・500里・・・・・・・100里・・・・・・100里

528名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:09:30.49ID:rBndyE8x0
>>513
漢字はまだ無かったんじゃないの?
甲骨文字とか
太白とか紀元前12世紀とかの人だし
漢字を知っていたとしても遺伝するものでなく後天的に学んで習得するもので
世間が使う使える状況でないとすぐ消える
神代文字は甲骨文字のようにも見える

529名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:10:00.56ID:cIQncukI0
>>519
>もしくは八女か。

でも、八女にヤマトの地名はないよね?

上の方で安本流の地名遷移説のマンガを貼ってる人がいたけれど、
周辺の地名が一致してもその九州の地名の中心に「ヤマト」がない

甘木であり朝倉なんだよね

その意味で奈良盆地のヤマトは、奈良盆地のオリジナルの地名と言える

実は奈良盆地にも朝倉はある
雄略天皇の初瀬朝倉宮の朝倉

530名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:13:28.61ID:NAtYmIkC0
>>528
かもしれんね。
調べてみんとよくわからんかな。

531名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:13:34.00ID:Ta8SPQdM0
>>525
稲作の伝来は、数人の中国人が、刈り取った稲穂とともに遭難して流れ着いたのだろうとは思っている。
でもそれは、文化や言語、人種に影響を与える、渡来人とは言えないレベルの人数だった。

532名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:14:13.11ID:53XJdmvM0
「ヤマト王権」なんて聞いたこともない歴史用語を勝手につくるな。

533名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:14:22.42ID:cIQncukI0
>>527
もう諦めなよ
その読み方、末盧国から伊都国の方角がおかしいって言われて、
「最近九州説が思いついた」読み方なんだからさ

魏志倭人伝の方角に間違いはないって言うためだけの発明なんだから
合理性はないよ

534名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:17:21.84ID:vfPV8v/t0
>>520
>そして領域国家段階ではないから、そもそも国境という概念がない

どんな小さな国「村でも国境は存在しますよ
貴方の家と隣の家に境界があるように。

535名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:18:14.80ID:cIQncukI0
>>532
>「ヤマト王権」なんて聞いたこともない歴史用語を勝手につくるな。

のちの律令制の整えられた大和朝廷と区別するために、
古墳時代の奈良盆地の王権をヤマト王権という言葉で呼ぶようになってるんだよ
別に誰かが勝手に作った言葉とかではない

536名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:18:25.18ID:vfPV8v/t0
>>520
>そして領域国家段階ではないから、そもそも国境という概念がない

どんな小さな国邑でも国境は存在しますよ
貴方の家と隣の家に境界があるように。

537◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 23:19:08.68ID:5bzgloOL0
>>532, >>535
そういえばと思って検索したら、中学校の教科書にも載ってるのな。
https://www2.nhk.or.jp/school/textbook/item/?file=g04_013

538名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:20:26.36ID:NAtYmIkC0
>>529
僕が想像してるのは、事実を伝えたかどうかはともかく、
魏の役人には筑紫平野一体を邪馬台国として報告したと思うんだよね。
その場合、もちろん真の邪馬台国は朝倉辺りだった可能性は高いと思うけど、
環濠集落や楼観なんかは狗奴国との境付近に作ったと思うんだよな。
熊本平野は狗奴国の勢力下だったんじゃないかと推測してるから、
可能性が高いのはみやまか八女あたりかと。

539名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:21:11.79ID:vfPV8v/t0
>>533
図にすると方可○○里も国の通過距離だと分かるだろ。

540名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:22:29.40ID:JBWNOndY0
邪馬台国なんかにこだわってるから、日本の古代史は行き詰まるんだよ。
北九州か山陰に勢力を誇ったけど、滅んだが正解だろ。
ヤマト政権に潰されたのであって、邪馬台国=ヤマト政権では絶対にない。

541名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:23:06.69ID:cIQncukI0
>>534
詭弁は止めな
土地登記のある現代では私有地の境界もはっきり決められている必要があるが、
未開拓地が広がっている時代に、その人が住まない無主の土地に国境を引いたりはしないよ

というか、国は人がまとまって住んでいるところだけで、人里離れたらそれはどこの国でもない
国境でその国に着いたなどと考えるという想定がそもそもおかしいんだって

542名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:24:40.53ID:11yJ65DQ0
九州王朝説・多元王朝説 

弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。 

なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。 

543名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:26:03.98ID:rBndyE8x0
>>525
飲茶とかなれ鮨とか鳥居とか
野球選手の江夏は本来コウカと読んで長江下流域から来たと伝えられる人だそう
古墳時代に特に価値が高い扱いされていたらしい画文帯神獣鏡は中国南部の鏡

544名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:26:19.68ID:Ta8SPQdM0
邪馬台国との位置関係

【さらに北】(よくわからんぐらい遠く絶たっている)
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、
華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国



【もっと北】 (朝鮮半島)
狗邪韓国


【北】 (九州北部)
対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国



【女王国】
           邪馬台国      ←←←←←←←←←←←←



【南】
狗奴国



南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月

自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、
次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、
次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。

其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。

545名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:26:29.61ID:cIQncukI0
>>540
>ヤマト政権に潰されたのであって、邪馬台国=ヤマト政権では絶対にない。

そのヤマト政権が、卑弥呼の時代にはもう既に立ち上がっていて、
北部九州までの協調関係を築いているんだが

546名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:27:02.30ID:jFnQWs3F0
神功皇后が400年頃とすると卑弥呼の時代は丁度崇神天皇なんだよな
景行天皇あたりで九州を平定してるから日本の歴史書を見る限り邪馬台国は畿内か
畿内勢力に滅ぼされた九州勢力のどちらかだよな…

547名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:27:03.16ID:NAtYmIkC0
>>531
最初は流れ着いた人から聞いたんかもしれんけど、
話を聞いて九州側から迎えに行った可能性も考えてるけどな。
それでも大人数を連れてくることはできんだろうけど。
まあ、元々九州にもそんなに人住んでなかったとも思うけど。

548名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:29:02.66ID:cIQncukI0
>>544
>【さらに北】(よくわからんぐらい遠く絶たっている)

これ、魏志倭人伝を素直に読めば、直前に自女王國以北、其戸數道里可得略載、って
書いてあるんだから、邪馬台国の向こうの南側だろう?

549名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:29:06.16ID:JBWNOndY0
邪馬台国=北九州。
狗奴国=ヤマト政権。
狗奴国が邪馬台国を滅ぼす。
狗奴国が東遷して畿内でヤマト政権になる。
そうなると神話の高千穂も日向も整合性が出てくる。

550名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:31:55.12ID:dD5ovi8A0
何千通りもできる解釈なんて意味ない、発掘あるのみ。
トロイヤ遺跡にくらべたら最近のことだから楽勝でしょ。

551名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:32:07.94ID:rBndyE8x0
神社の鳥居はシナ南部に原形が見られ
縄文神と言われるミシャグジ神の御柱はツングースのトーテムポールに原形が見られるという

552名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:33:40.42ID:FvywOh8+0
今日は邪馬台国以外のネタが結構出たから楽しかった

553名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:33:59.93ID:krkWDpAq0
九州説は 論文書け

554◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 23:36:38.63ID:5bzgloOL0
>>541
ここんとこは同意。
農耕民(稲作民)にとって「自分たちの領域」は開墾地であって、
その周囲の「野」は、利用はしても無主(神の土地)だと思っていたっぽいよね。
常陸国風土記の、開拓農民と夜刀の神との争いの話が傍証になる。

555名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:36:45.35ID:NAtYmIkC0
>>546
僕は、 >>409 に書いた通りだと思ってるけどな。

556名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:36:58.08ID:vi040dBK0
>>537
九州説を主張するとどんどんエスカレートしていって、
ヤマト王権も認めない、前方後円墳も認めないって人が異常に多いのに驚いた

557名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:37:48.49ID:JBWNOndY0
なんで素直の神話を読まないのかね。
ヤマト政権は高千穂・日向がキーワードであって、高千穂を土着信仰したのであって、
あそこらへんには西都原古墳みたいな古墳がある。
邪馬台国なんか関係ないのに、妄想で邪馬台国とヤマト政権を結びつけるバカがいる。
当時で中国や朝鮮と交易をおこなえるのは北九州ぐらいしかない。
で、邪馬台国は南の狗奴国に苦しめられているのであって、それからしばらくして音信が途絶えるのだから、滅んだと考えるのが筋だろう。
で、北九州の南は高千穂や日向であって、美々津から畿内に東遷も話しがあってくる。
だから、狗奴国こそヤマト政権の原型なんだよ。

558名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:39:07.27ID:Q70sjD2i0
>>556
奈良盆地を湖底に沈めたがったりもな

559◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 23:42:43.46ID:5bzgloOL0
>>556
ううむ、俺の感覚では、「ヤマト王権」という用語と九州説とは
親和性が高いように思える。「大和朝廷」のように中央集権の政権じゃなくて、
ヤマトにもチクシにもヒュウガにもそれぞれ王様が居たイメージ。

560名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:48:14.78ID:JBWNOndY0
神話を素直に読めって。
ヤマト政権は普通に高千穂や日向の豪族だった、。
北九州の邪馬台国からは狗奴国とよばれていた。
ヤマト政権は北上し邪馬台国を滅ぼす→だから邪馬台国の音信が途絶える。
ヤマト政権は美々津から東遷し大和朝廷になる。
神話どうりじゃねえかw

561◆HKZsYRUkck 2018/12/08(土) 23:53:22.61ID:5bzgloOL0
>>557
高千穂のすごいところは、天孫降臨の地でありながら
天岩戸まで完備している手際の良さだよね。

いや、茶化しているわけじゃなくて、記紀神話の記述も含めて
そういう「設定」を具現化した意志の存在が興味深いなと。

562名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:54:33.41ID:d3trnhrG0
伊都国(の中心地)は太宰府付近
博多湾から東南方向にあり、福岡平野と筑後平野をつなぐ要地にあり
さらに少し東南に進めば筑後川の支流に出て水行が可能

一大率(ダイソツ)と太宰帥(ダザイノソチ)の音や役割の類似もある

邪馬台国が九州中南部にあったならば九州北部の監視も
大陸から来た文物を邪馬台国へ送る前に確認するにも
太宰府の辺りが適している

563名無しさん@1周年2018/12/08(土) 23:57:02.00ID:JBWNOndY0
邪馬台国に連続性があって、ヤマト政権となんらかのつながりがあるなら、絶対に音信が途絶えることはない。
邪馬台国は親中国大陸・親朝鮮であって、
逆にヤマト政権は、朝鮮を攻める側であって、当然、朝鮮の保護国である中国とも仲良くなることはない。
全然、外交方針が違う。
で、中国と交易おこなえるのなんか遣唐使の時代でも命がけなのに、
古代なんかじゃ、北九州ぐらいしかできんだろ。
畿内だったら、南の狗奴国に苦しめられてるぐらい支配基盤が貧弱なのに、古代で畿内から中国に使者を送れるほど体制は強くない。
邪馬台国が畿内にあったとか、邪馬台国がヤマト政権であったとか、ほんと間抜けだから、冷静に考えろよ。

564名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:00:35.74ID:yHSeD42C0
>>561
天岩戸は全国各地にこれがそれだと主張するものがあるからな
記紀を読んでそうなったと思われ
高千穂のものは記紀以前からそう言い伝えがあったのかどうか

565◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 00:08:47.82ID:TDOynGmF0
>>564
調べてみたら、高千穂の天岩戸神社の社伝では
「ニニギが天岩戸の故事を偲び、その古跡に鎮祭したのが起源」とか
苦しい言い訳をしていたw
さておき、天岩戸そのものじゃなくて、天手力男神が投げた戸の行き先も
いくつかあるよね。信州の戸隠神社とか。

566名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:09:05.50ID:WbJHw/3Q0
邪馬台国をどうとらえる?
俺は支配基盤が弱い政権に思える。南の狗奴国に脅かされてる国であって、
そんなことを中国に報告してるんだから、強国なんかじゃない。
ヤマト政権は朝鮮を征服しにいくんだぞ。
邪馬台国は北九州だからこそ、大陸や朝鮮と仲良くするのであって、
北九州の勢力が朝鮮を征服するなんて、北九州を支配基盤にしてる勢力の発想ではない。
朝鮮を攻める発想するのは南九州の勢力か、畿内の勢力で男社会の文化だわ。
だから、邪馬台国は絶対に畿内ではない。

567名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:10:43.92ID:yHSeD42C0
>>563
ヤマト政権は新羅に対して敵対的・攻撃的で
中国王朝に対しても日が没する処の天子だなと侮蔑や挑発とも取れる書を送っているな

568名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:12:09.06ID:zCjjNt6d0
>>566
まあ九州説の根拠は空想か妄想だからね

569名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:15:27.12ID:yHSeD42C0
日出るがごとき日本の天子が日が没するがごとき中国の天子に書を送る
変わりなく元気であるか?
邪馬台国の卑弥呼とは真逆のような日本の天子だな
邪馬台国と大和政権は別物じゃないのか

570名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:19:27.78ID:sFhRkKHS0
>>569
それ阿蘇山の近所にすむ九州男児タリシヒコさんの手紙やろ
大和朝廷とは別物やで

571◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 00:21:52.40ID:TDOynGmF0
>>569
> 変わりなく元気であるか?

原文では「つつがなしや」(ツツガムシに寄生されてはいないですか?)だよね。
日本では普通のあいさつ文だが、隋の王宮の人にしてみれば
「どこの田舎者だよ…(;´Д`)」と思われたかも知れん。

572名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:22:08.65ID:WbJHw/3Q0
邪馬台国が畿内にあったという奴は
>>557>>560>>563>>566の俺の根拠の反論してくれよ。
そもそも邪馬台国はそれほど重要な国じゃないと思うぞ。
真田幸村みたいなもんだよ。ロマンあるけど、史実では重要な位置をしめていない存在。

573名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:23:33.49ID:yHSeD42C0
>>566
シナに媚びへつらい
隣の強国の狗奴国攻めに際してシナ人に援助を求めるなど
極めて雌雌しい卑しい根性の卑弥呼の邪馬台国
男社会の男国が邪馬台国を滅ぼして大和朝廷となったんだろ
狗奴国が邪馬台国を滅ぼしたか
邪馬台国内部で卑弥呼トヨ体制側を誅殺するなど旧体制を廃して乗っ取ったか

574名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:25:06.55ID:qbrr9ZeF0
>>573
今の日本そっくりじゃないか。
アメリカさんの力を借りて中国に対抗しようとしているところなんて。

575名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:27:36.17ID:fJCjV4Dy0
これが分かったところで、なんになる?

576名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:30:06.26ID:3vWmpu6t0
今度はヤマハの起源をしちょうしたのかと主たよ

577名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:30:39.45ID:SFATDUZ1O
九州説なんか除外しろよ
時間の無駄

578名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:31:31.98ID:7pba0CwJ0
内乱が収まって南に北に東に侵略を開始したんだろう
東は吉備の協力もあって比較的楽だったようだね
各方面に侵攻したからそれぞれが手薄になって魏に協力を要請したらアホかと指導された
狗奴国とは苦戦したようだけど、存続を脅かしたのは倭国のほうだよ

579名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:32:04.78ID:naTxh/JA0
>>576
そうアルか

580名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:32:35.07ID:WbJHw/3Q0
そうだよ。
中国の舎弟にしてくださいと懇願してる邪馬台国と、
朝鮮を攻め、倭の王だから、と中国との対等関係、いや挑発すらとも受け取れる使いを送ってるヤマト政権にどんな関係があるんだよw
全くの別もんだろwww

581名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:33:37.07ID:dNcf5ODa0
>>509
は?
寝ぼけてるの?

https://ironna.jp/article/10766?p=2
> 有明海北岸地域では、中国城郭の城壁や入り口に付属する突出部(馬面・角楼)のように、環壕を外側へ突出させた部分をもつ環壕集落跡が
> 集中しているが、他の地域では見られない。
> 佐賀平野(吉野ケ里遺跡など11遺跡16環壕)、久留米市、八女市、日田市に、中国の城郭構造が反映されたと考えられる環壕集落が
> 分布している。ただし、突出部の内側に物見櫓を設けたのは吉野ケ里遺跡のみである。
>
>  これらの環壕突出部を設けた集落が分布する地域が、文化的なまとまりが認められるが、政治的なまとまりと考えることも
> 可能ではないかと考えている。
> これら集落の中で、すべての突出部に物見櫓を伴ったのは吉野ケ里遺跡だけであり、集落間の階層性が認められる。

582名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:34:56.63ID:R7DKdB3u0
誰がどう見ても
ヤマタイ=ヤマトなのに

どうして日本の教科書は
さも別物的な記載をしているの?

583名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:36:05.05ID:mCD+S9pV0
>>575
日本の国がどのように建国されたかがわかる

584名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:36:47.90ID:Kge1nx0F0
>>82だけでも畿内は無いと誰でも分かるな

585名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:38:08.67ID:Ug8eWPG30
>>572
面倒くさいな、ここ人は
古いスレにあった名言を転載

東遷説にも何種類もあるのだよ
東遷の時期の範囲を不明にすれば
畿内説だって九州説だって東遷説の一種になってしまう
つまり、東遷した時期をある特定の時期の範囲の中に設定する説が「東遷説」なのであり
遅すぎるとありきたりの九州説になってしまい
早すぎるとごくふつうの畿内説になってしまう

>>572は記紀に東征説話を信じたいようだが、それを史実だと仮定しても、
卑弥呼の5世代以上前なら、ごく普通の畿内説で何も問題ない

586名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:51:43.24ID:WbJHw/3Q0
大和朝廷が自分達の歴史・血統証明書のような古事記・日本書記を書き上げた。
高千穂を土着信仰し、日向に支配基盤をもっていた。
で、本拠地を変えるために、美々津から東遷し、畿内を本拠地にする。
描かれてるとうりに読めよ。
邪馬台国なんか全然関係ないから。
コクリと戦争して、北朝鮮まで侵攻してるんだぞ。
なんで、巫女をトップにして占いで政治を決定し、中国に舎弟にしてほしく懇願。朝鮮とも仲良くし狗奴国に苦しめられていますって泣き言を中国に言っちゃう邪馬台国が
日出処の天子の大和朝廷になるんだよwwwwwwwwwwwwwwwwww

587名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:53:19.56ID:L0DyBay60
本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html

日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
http://www.afpbb.com/articles/-/2798334?cx_amp=all&act=all

体の部位、基本動詞、数字、代名詞などの主な210単語について、59方言でリストを作成。
数千世代にわたり改変されていない、いわゆる「高度保存遺伝子」を見つけ出すのと同じ要領で、
他の方言に影響されていない「変化耐性」を持つと思われる単語を選び出し、コンピューターで
モデル化した。

すると、これらの単語はすべて約2182年前の共通祖先に行き当たった。この年代は、朝鮮半島
から大量の渡来人が来た時代に当たる。

588名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:54:19.90ID:mCD+S9pV0
>>581
>他の地域では見られない。
>これらの環壕突出部を設けた集落が分布する地域が、文化的なまとまりが認められるが、政治的なまとまりと考えることも
>可能ではないかと考えている。

さすがに飛躍してる
しかもその主張は、有明海北岸地域だけの小さな領域だけで、
伊都国や奴国はその政治連合とは関係ないと自ら認めてるわけだw

589名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:55:09.60ID:WbJHw/3Q0
>>585
だから、美々津から船で東遷したの。
日向から船で東遷したの。
そう描かれてるの、わかってるの?

590名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:55:18.14ID:gTsyKPFD0
日本の歴史書の中に邪馬台国や卑弥呼の名前は出てこない。意図的に触れないようにしてるとすれば大和王権の前に九州で一大勢力を誇っていた邪馬台国を滅ぼした大和王権が歴史を改ざんしてる。
当時倭国には30ほどの国があってその中、九州の一大勢力が邪馬台国。
九州は中国大陸と貿易等地理関係で有利でありあなたが倭の女王ですよと金印なんかを貰ったりして認めさせていた。
しかし倭の30ほどの国をまとめあげたのが大和王権で歴史を都合よく時系列を合わせてあらたに歴史書を作った。
それが日本の天皇の始まり。
以上想像でした(笑)

591名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:56:04.09ID:OxxtuyFv0
>>582
『旧唐書』には、日本列島について、特異な記載をしている。「倭国伝」と「日本伝」だ。ここでは、

倭国は古の倭奴国なり。<旧唐書、倭国伝>
日本国は倭国の別種なり。<旧唐書、日本伝>

この『旧唐書』の前に当たる、『隋書』においては、「[イ妥]国伝(隋書にはこう記す)」のみであって、「日本伝」はない。
また、「日本」という名も出てこない。『隋書』以前の各書についても同じだ。『旧唐書』において、初めて「日本」は中国史上にデビューすることとなったのである。

http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/WAandNIPPON1.htm

592名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:56:38.33ID:Hrmn7IR80
>>580
奈良 「おい邪馬台w」
邪馬台 「わ、わらわに、何という口の利き方を!(怒」
奈良 「ああん? このアマ、てめー自分の立場分かってんのか?」
邪馬台 「・・・」
奈良 「先の大乱で、女を王にする条件で皆殺しは勘弁してやったんだぞ!」
邪馬台 「・・・」
奈良 「おい邪馬台w、お前ら漢の時代にパシリの奴国に朝貢させてよな?
    今度は、お前らが、『魏』とか言う国に朝貢してこいやwww」
邪馬台 「 ・・・ 」 (グギギギギギギギギ)

593名無しさん@1周年2018/12/09(日) 00:57:11.04ID:yHSeD42C0
>>587
だからそういうの全部さ
石器人だろ
女系では石器時代から日本チョンと非漢人の土着満州人と同じような人種

594名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:00:52.26ID:zztqf/jR0
>>563
そもそも争いがおこったって書いてあるからなぁ
結構なもんだったんじゃねーの
まあ卑弥呼は大和政権の誰かであってもおかしくないと思うよ

595名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:10:53.74ID:9+1ehDvY0
なるほど
奈良が邪馬台卑弥呼を利用していたと
朝貢によるシナからの下賜品は魅力的で
それを得るに際して邪馬台のツテは欲しかったので存置しておいた
シナ皇帝に無礼な書を送る頃にはもう用済みと田油津姫や八十女として討伐した
かもしれない
可能性の一つとして浮かんだのは収穫

596名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:14:43.17ID:DF2b8TfF0
城柵楼閣跡の無い纏向遺跡を卑弥呼の宮殿と言い、後漢王墓や魏朝皇族墓(最大で径60m)よりも遥かに巨大な箸墓古墳(全長270m)を卑弥呼の墓と言ってしまう畿内説は学問とは無縁のカルト集団だと聞きました。

597名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:15:54.39ID:WbJHw/3Q0
なんで、反論がないのかねw
畿内の大和朝廷が自分達のルーツとして高千穂を信仰し日向から船できたよと、古事記にも日本書記にも書いてある。
なんで素直に受け止めない?
邪馬台国が大和朝廷のルーツなら、必ず古事記や日本書記に邪馬台国時代も描かれるし、当然、卑弥呼もでてくる。
絶対に邪馬台国と大和朝廷は関係ない。

598名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:18:56.67ID:9+1ehDvY0
北部九州には皇軍によって征伐された女酋長や女集団がたくさんいる
死後もなお土蜘蛛と侮蔑しているが
邪馬台国の残骸だったんじゃないかとは思う

599名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:20:46.92ID:zwD5PaYQ0
九州北部の埋葬法がどんどん廃れてったからなあ
かつての奴国も力がなくなって機内に新たな政権が誕生して
九州からも技術持った人や知識人たちが多く畿内に移ったんだろ
それが東遷伝説を生んだと
金印が出てきたこともそれで説明がつく

600名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:26:13.71ID:zD35u/bO0
>>591
これ見るとやっぱ邪馬台国は大和朝廷に成敗されたと思うね

日本の歴史って結構九州や東北の扱いに酷いし

601名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:32:19.36ID:WbJHw/3Q0
魏志倭人伝の情報は邪馬台国経由。
魏志倭人伝には「土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。みな、裸足である」と書かれている。
畿内なわけねーじゃんw
九州だろwwwwwwwwwwwwww

602名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:33:24.59ID:zwD5PaYQ0
>>601
九州が特別温暖とも言えないけどな

603名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:35:02.40ID:WbJHw/3Q0
>>602
どう考えても畿内じゃ無理がありすぎだろwwwwwwwwwwww

604名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:35:32.11ID:zwD5PaYQ0
>>603
北九州でも無理ありすぎ

605名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:36:20.57ID:9+1ehDvY0
>>600
物や人や文化が西から来て縄文から変わって行ったのは間違いない
しかし土蜘蛛とか言うのはここらの人や体制は皇統や朝廷と関係無いと確信があるからだな
シナ側は邪馬台国を日本国が乗っ取ったと見ていたが
案外正しいのかもしれない

606名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:37:02.55ID:zD35u/bO0
2世紀に巻向を作ったのは吉備と日向かもしれんね
九州の争いに嫌気がさした日向の王族と九州から侵略受けてた吉備が畿内の勢力と手を組んで巻向に理想郷を作ったんだろう

そう言えば日向と巻向って似てるよな

607名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:39:58.15ID:mCD+S9pV0
>>597
根拠もなし証拠もなしに記紀が正しい言うなら、天皇が神様の子孫だということも認めないといかんな
神武天皇が紀元前660年に即位したことも認めないといかんな
古代史ストーリー作って、そのストーリーに合う部分だけ、記紀は正しいと言い張るのは通らない

608名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:42:25.23ID:zwD5PaYQ0
記紀が書かれた時代は男系王社会だからな
女王の支配は認められなかったんだろう

609名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:43:48.66ID:mCD+S9pV0
>>601
その記述に合うのは沖縄だけ
九州は南国の気候とはかけ離れてる

610名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:45:16.27ID:McwiSrA+O
武内宿禰という傭兵団の一族が同族に近い土蜘蛛一族を殺してた

611名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:48:33.69ID:zD35u/bO0
一方で女酋長がやたら居た九州

612名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:49:17.80ID:WbJHw/3Q0
>>607
自分達のルーツに権威を付け加えることわ当たり前のことだわ。
古代の権威づけに神を使うのは自然なことだわ。
むしろ、なにもないところから、高千穂や日向が突然でてくることのほうが不自然。
大和朝廷が高千穂や日向になんらかの関係があるのは間違いない。
それに日向には古墳があるんだよ。西都原古墳を調べろよ。
これだけの規模の、しかも独自性のある古墳は、日向に大きな勢力がいたことを証明するものになっている。

613名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:52:19.14ID:WbJHw/3Q0
>>609
そんなことないよw
俺は宮崎の馴染みがあるけど1年中暖かい。
だから、巨人のキャンプ地になっている。

614名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:52:57.14ID:t3qfhtde0
>>595
中華思想と一緒だよ。歴史を改ざんしなければ整合性を保てないため滅ぼしたのに王権を譲りうけただの自分の歴史の一部にしちゃってる

615名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:53:41.63ID:mCD+S9pV0
>>612
自分の説の根拠が自分の妄想では話にならんよ
客観的な根拠、証拠を集めてからにしてくれ

616名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:54:37.29ID:zwD5PaYQ0
>>613
冬に裸足で歩かないだろ

617名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:55:11.57ID:tGZqFW8J0
女王を共立して争いが収まるのはどこの地方か
ちょっと考えたらわかるだろ?

近畿でそんな習慣があるなんて微塵も痕跡がないが
九州ならそういう痕跡がある

618名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:55:19.65ID:rkjlc6Ar0
後に運送業を展開する

619名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:55:47.99ID:t3qfhtde0
金印はまだ見つかってないんだっけ?
絶対に天皇家がトップシークレットで隠してると思う。

620名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:57:04.21ID:zwD5PaYQ0
>>619
金印は返した可能性が高い

621名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:58:35.06ID:WbJHw/3Q0
>>615
だから、古事記や日本書記が客観的な資料だろうが。
畿内に邪馬台国なんて、そっちのほうが妄想だろうが。
古事記や日本書記を全部否定するのか?
それのほうがよっぽど科学的じゃないよ。
古事記や日本書記には史実と創作が混ざっている。
創作は権威をつけるためのもの。
だから、神とかは権威つけだけど、
高千穂・日向、東遷は史実だろう。
それとも古事記や日本書記は全部嘘だといいたいのか?

622名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:58:37.36ID:McwiSrA+O
アーサー王のモデルと言われてるアルトリウス
彼はローマ軍人で地元のケルト人と協力してサクソン人の侵略から守ったされる

ところが
アーサー王となると、まるで逆
サクソン人の王朝アーサーが妖精などいったケルト民話的な力を借りて
侵略者ローマ帝国と戦うのだ


こういった立場のすり替えは世界中あるんだね

623名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:59:20.00ID:yHSeD42C0
>>614
歴史は勝者によって記される
外から見えるマクロなところは世間に誤魔化しが出来ないとしても
外からは分からないミクロなところはどうとでも書くからな
勝者が正義で敗者は民を苦しめるとか不安がらせる悪などと書く

624名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:59:48.31ID:zwD5PaYQ0
>>621
ところどころ曲げちゃってるからな
わけの分かんない話も多いし

625名無しさん@1周年2018/12/09(日) 01:59:52.55ID:mCD+S9pV0
>>613
黒を白と言い張るのはやめなさい
倭国は会稽東冶の東に位置してると書かれているし
気候や風土などの有無するところが海南島と同じともある
九州島では箸にも棒にもかからないんだよ

626名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:01:55.97ID:McwiSrA+O
中華を擁護するわけじゃないが
中国はわりと正直に出自とか勝者も敗者も書いてる方だ

ただ数字は盛るね

627名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:04:17.67ID:ePP6b/zn0
古墳時代の、あの前方後円墳の形、王権の象徴のリングとリボンのようです。

天から古墳を見ると、その王権の形になっております。

リングは円、リボンは方、です。

王権の形が、リングとリボンであることは世界的に広く分布しております。

628名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:04:28.29ID:mCD+S9pV0
>>621
記紀から材料を拾ってきて、オレ様ストーリーを作ってるだけだろが
記紀に記述があるから根拠があると言い張るのは詭弁
どこが正しくて、どこが間違ってるか不明
記紀から引用するなら、その記述が正しいことを証明してからにしてくれ

629名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:05:43.32ID:VQl7HeJA0
『後漢書』倭人伝 卑彌呼
女人は淫ではなく嫉妬もしない。また、風俗は盜みをせず、争訟は少ない。
一人の女子がいて、名を卑彌呼という。年増だが嫁がず、神鬼道に仕え、よく妖術を以て大衆を惑わす。
ここにおいて(卑彌呼を)王に共立した。

『梁書』倭国伝 邪馬臺国
「邪馬臺国」に至る。すなわち倭王が居する所である。

『梁書』倭国伝 征東大将軍
土地は温暖、風俗は淫ではない。
魏の景初三年(239年)、卑彌呼は初めて遣使を以て朝貢し、魏は親魏王と為し、仮の金印紫綬を授けた。
 正始中(240−249年)、卑彌呼が死に、改めて男の王を立てたが、国中が服さず、互いに誅殺しあった
ので、再び卑彌呼の宗女「臺與」を王として立てた。倭王讃がいた。讃が死に、弟の彌が立った。彌が死に、
子の済が立った。済が死に、子の興が立った。興が死に、弟の武が立った。
斉の建元中(315−316年)、武を持節、督倭・新羅・任那・伽羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、鎮東大将軍に除した。
高祖が即位すると、武の号を征東大将軍に進めた。

『北史』倭国伝 「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」
 人はとても落ち着いており、争訟は稀で、盜賊も少ない。
大業三年(607年)、その王の多利思比孤が(使者を)遣わして朝貢。
使者が曰く「海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと聞き、故に遣わして朝拝させ、兼ねて沙門数十人を仏法の修学に来させた」。
国書に曰く「日出ずる所の天子、書を日沒する所の天子に致す。つつがなきや」云々。
帝はこれを見て悦ばず。鴻臚卿が曰く「蛮夷の書に無礼あり。再び聞くことなかれ。」

『隋書』倭国伝 
そこの俗では殺人、強盜および姦通はいずれも死罪、盜者は盗品の価値を計り、財物で弁償させ、財産のない者は身を没収して
奴隷となす。人はとても落ち着いており、争訟は稀で、盜賊も少ない。。婦人は淫行や嫉妬をしない。
新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来している。

『唐会要』倭国・日本国伝
 咸享元年(670年)三月。遣使が高句麗平定を祝賀。以後は続いて朝貢に来る。
則天武后の時、自ら言うには、「その国は日の出る所に近い。故に日本国と号する。」
思うに、その名が雅でないことを憎み、これを改名したのであろう。

630名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:09:23.45ID:WbJHw/3Q0
>>624
そんなこと言ったら、魏士倭人伝だってそうじゃんかよ。
大和朝廷の権威書だから、創作は多い。
でもその創作でも史実をくっつける創作。
魏士倭人伝だって、創作が入っていないだけで、メチャクチャな記述多い。

631名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:09:48.65ID:zJUUcTzt0
>>626
皇帝の不徳も敗死した人間の正義も割と客観的に書き残しているよな
今でなく大昔の中国で日本人によるものより良いなと感心するところ
数字は最大10倍くらいに盛るのがダメなところ

632名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:10:29.96ID:mCD+S9pV0
九州説ってこんなやつばっかり
記紀をつまみ食いして、オレ様ストーリーを作り、オレ様の説は根拠があるとドヤ顔する
記紀の記述で、自分のストーリーに合う部分を正しいと決めつけて、
自分のストーリーに合わない部分は間違いか不明扱い
だが、その判断基準に根拠もなく証拠もない

633名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:12:12.35ID:WbJHw/3Q0
>>628
それだったら、魏志倭人伝をどうやって証明するの?
教えてよ。
あんたの言い分だと魏志倭人伝ですら全て創作だと結論できちゃうよ。
魏志倭人伝の記述なんて一つも客観的な正しい証明はできていない。

634名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:13:10.01ID:t3qfhtde0
>>630俺は蘇我氏の出自。その後の身のふりかたが怪しいと思ってるんだよ

635名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:13:10.45ID:zJUUcTzt0
>>613
そのキャンプ地で雪が降って超寒くてこんなに寒いのかと驚いてたよ

636名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:14:12.16ID:mCD+S9pV0
>>633
全部を検証するんだよ
当たり前のこと

637名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:15:30.85ID:WbJHw/3Q0
邪馬台国畿内説はを主張する奴は何が根拠なの?
それこそ妄想だろ。よくわかんない古墳群をもちだしたり、一番客観性がない。
古事記や日本書記を否定しちゃうと、教科書の日本史の前半を否定することになるんだけど。

638名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:16:03.42ID:p9ba+yh80
そもそも偽誌倭人伝自体がでたらめななんじゃなかったっけ

639名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:17:11.62ID:WbJHw/3Q0
>>636
アホwww
それができないから、みんなああでもないこうでもない言っている。

640名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:17:37.78ID:zwD5PaYQ0
>>630
魏志倭人伝と記紀を同列に扱われてもな
記紀は後世の思惑もあって書かれてるし
邪馬台国の頃とは社会情勢も全然違う
全部創作とは思わないけど神武東遷とかは神話だね

641名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:21:27.40ID:McwiSrA+O
記紀を信用しないなら
全部否定しろよ

神武だけ否定するとかならおかしいだろ

642名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:21:50.06ID:WbJHw/3Q0
>>640
じゃあ、東遷を神話にする必要性は何?
なぜ東遷しなければいけない話しをつくった?
理由がないのに創作はない。
それに後世の思惑って何?
それこそあんたの妄想でしょwww

643名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:23:03.09ID:mCD+S9pV0
>>639
基本的なことを全くわかってないな
検証できた記述は、正しいとみなす
検証できなかった記述は、一旦保留する
物証と矛盾してる記述は、間違ってるとみなす

644名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:24:26.95ID:nifc0Iqq0
>>7
邪(よこしま)な馬の台

645名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:25:02.16ID:jw0a860c0
>>609
古代琉球だろうな。

646名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:25:31.87ID:zwD5PaYQ0
>>642
日向に畿内地方との交流はあったのでは
知識人や技術者の畿内への流入はあっただろうし、そういう情勢が東遷伝説へと繋がっているように考えられるな

647名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:26:01.16ID:McwiSrA+O
応神朝が東遷したから
その祖先筋にあたる武内宿禰を神武にしたんだろw

648名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:28:20.30ID:nifc0Iqq0
>>629
中華関西マンセーのお前らに言っても届くことは無いだろうけど
蝦夷の種族のひとつの呼称だよ
唐子・日ノ本・渡党といって蝦夷には三種のグループがあった
日本という言葉は北日本にある呼称

649名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:29:09.73ID:zwD5PaYQ0
>>642
後世の思惑は男系社会への変遷が大きいと思う
ニニギノミコトとコノハナサクヤビメの話なんか典型だろ
女系社会で姉とは結婚できずに妹しか嫁に貰えなかったから
姉はブスで実家に帰されたことになってる

650名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:31:39.51ID:nifc0Iqq0
邪馬台国がどこにあろうと日本の基層である縄文東国には関係ない

651名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:32:59.65ID:9+1ehDvY0
大和近畿と日向は遺伝子的にそんなに離れたものじゃないし
JCウイルス系統はそっくりそのままほぼ同じ
弥生の邪馬台国が出てくるより前から吉備と繋がりがあったようだし
神武が全くの作り話とは思わない
思わないがどう記されても証拠が無いなら基本的に信用しないんで
全ては信用しないが証拠になる状況もあるにはあるのである程度信用する

652名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:34:34.32ID:xQsqKdO80
状況証拠がメインだけど、当時の大和国、葛城国周辺に半島の人がすでに来てたあるいは定着してた痕跡がある。
その人たちが当時日本最大だった纏向の集落を知ってるはずだから、祖国に伝えていただろうということは想像できると思う。
定着しすぎて全然祖国に戻らなかったら別だけど。
ちなみにこれは実際かつての葛城国のあった場所に住んで、趣味で色々調べてる人からの話で、俺自身証拠はと言われると知らんとしか言いようがないが。

653名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:35:33.65ID:qRFp6TWa0
>>620
これだよねぇ。
奉詔書印綬詣倭國,【拜假】倭王

倭王は文脈的には卑弥呼になるがこれもこれで疑ってる。

654名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:36:37.64ID:zwD5PaYQ0
>>653
卑弥呼より次世代だと思う

655名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:37:27.26ID:WbJHw/3Q0
>>646
それはあんたの創作じゃんかよwwww
交流があったから伝説を作る?アホらしいwwwwwww
交流なら西日本どころか、中国とも朝鮮とも交流があったのだから
中国や朝鮮との神話創作をつくってくれよwww

権威というのはそうじゃないんだよ。
例えば、聖書でもイエスの母マリアは神様からイエスを身ごもったとされる。
それは創作だろう。だけど、イエスやマリアの存在は史実だ。
つまり、100%の創作ではなく、創作に史実を入れ込んでる。
古事記や日本書記はそれと一緒sだわ
他人の嘘だって100%嘘ではない、本当のことと嘘を混ぜてる。
古事記も日本書記も高千穂を天孫降臨の地にしなければいけない理由があるんだよ。
高千穂や日向が大和朝廷のルーツであるということは創作でもなんでもない

656名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:40:02.20ID:zwD5PaYQ0
>>655
宗教だな

657名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:44:15.75ID:xQsqKdO80
>>655
天孫降臨の伝承は奈良県御所市にもあるね。

658名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:50:33.39ID:WbJHw/3Q0
>>657
だったら古事記や日本書記に奈良の天孫降臨の神話がないといけない。
でも、書かれていない。
大和朝廷は日向がルーツだからこそ、古事記や日本書記に高千穂の天孫降臨神話を書いたんだよ。
そうしないといけなかったんだよ。

659名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:57:26.65ID:EAub3Aqy0
東征はかつての倭王の末裔を自称する為に作られた
神話なんじゃないかと怪しんでる
戦国武将が家は源氏だ平家だ言うのと同じで

660名無しさん@1周年2018/12/09(日) 02:58:58.69ID:2XQ+NtqX0
>>625
会稽東冶が東治の誤りであることは魏略から分かる
朱崖・ダン耳が海南島であるというソースはない
白を黒と言い張るのはやめなさい

661名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:01:09.21ID:wRZuzwfA0
邪馬台国や倭の五王のことが判明するのてもう絶望的なの?

662名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:02:18.46ID:3ixRKFd70
事実
238年 倭の女王、使者難升米、都市牛利を派遣。魏王と会う。
240年 帯方太守、使者梯儁らを詔書と印綬を持って倭国に派遣。
243年 倭の女王、使者伊聲耆、掖邪狗を派遣。
245年 帯方郡を通じて難升米に黄幢を下賜するよう詔。が果たせず。
247年 帯方太守、使者張政らを難升米に黄幢を持って倭国に派遣。
(卑弥呼死す、壹與立つ、張政帰す) 

663名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:03:13.69ID:F8OeI+pw0
>>661
五王は事績がほとんど書かれてないから厳しい
邪馬台国は親魏倭王の金印か、配下が貰った銀印、もしくはそれらの印が押された封泥が出れば決着するかもしれない

664名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:05:07.83ID:jTwtIsGY0
>>652
葛城の何所?
ないな
古墳中期以降なら少しだけ肯いてやってもいいが

665名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:05:14.05ID:zwD5PaYQ0
>>658
だいたい記紀の高千穂の場所が特定されてる描写も無いんだよね

666名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:06:32.78ID:9+1ehDvY0
>>658
ニギハヤヒという神武より先に奈良に降臨した者がいたと記されているだろう

667名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:07:01.65ID:t3qfhtde0
日本書記には卑弥呼=神功皇后みたいな書き方をしてるが独身、旦那もいるし子もいるとか無理がありすぎる

668名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:07:32.86ID:Day4NZ3O0
>>642
Q なぜ東遷しなければいけない話をつくった?
A 東遷してないからw

列島の歴史的権威、西の邪馬台(やまと)からその権威を奪ったので、
権威の断絶が起きないよう、滅ぼした邪馬台の記憶を神々に仕立て、
その神が東にやってきて奈良で子孫を作った、という話にした。

奈良 「俺たちは、西からこの国を作った神々の子孫だぞ!」 (どや顔)

ってな具合。

669名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:08:01.13ID:YxampDaT0
吉備との繋がりは箸墓の頃だけと見た方が良さそうだけどな
その後畿内は独自発展する

対して吉備は四道将軍の派遣後文化的に衰退する
これは半島征伐の頃に国力を使ったからと見ていて、北九州も出雲も似たような変遷を辿っているな

畿内ヤマト政権は倭国弱体化のために三韓征伐を利用した節が見てとれるんだよな
半島で得た利益は畿内が独占
騎馬文化や鉄が潤沢に流入する
その後巨大古墳の時代になるのもそういうことじゃないかな

670名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:08:57.97ID:fmDttUf20
>>657
それは葛城氏が高御産巣日神の後裔という面があるから

671名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:09:20.75ID:Day4NZ3O0
>>667
奈良が滅ぼした邪馬台の記憶、卑弥呼を天照に昇華させてる。

672名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:12:25.38ID:TPd11kEr0
お前らの知識は深い深すぎるんじゃ
もうずっと前からついていけん

673名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:14:26.53ID:3cKT+w7b0
おはようヤマトの諸君

674名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:14:35.56ID:zD35u/bO0
高天原(大和)→天孫降臨→高千穂(日向)→東征→橿原(大和)って感じでしょ

675名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:15:00.01ID:wl8nnuH20
>>668
最近は綿ツミ海人族が東進したことを文献史学の人間が考古学の業績をもとに語る時代だからな
東遷や東進は何度もあったんだろね

676名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:23:40.69ID:xQsqKdO80
>>664
それは俺も聞いた。
確かに5世紀とかになると確実なんだけど、じゃあ2世紀はどうなのかと。
その時にはっきりとは覚えてないけど、何かの伝承があるらしいことは聞いた。
また今度聞いてみる。
それとは別に神武天皇の討伐でどこだったか、その周辺で新羅から来た人が定着してた所を討ったとかいうのは誰か前スレか何かで言ったよね。
俺自身はそこまで詳しくないので、人から聞いた程度しか書けないけど。

677名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:27:47.85ID:WbJHw/3Q0
>>674
ちがう。
日向狗奴国、南九州征服→狗奴国 北九州侵攻・邪馬台国討伐→狗奴国東遷→畿内大和政権誕生

678名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:28:34.59ID:zJUUcTzt0
>>665
六人惨殺のあった熊本大分県境に近い高千穂町の高千穂なのか
鹿児島県との県境のあたりにある高千穂峰なのか
争っているみたいだし
高千穂が何処か記されていないからな
日本書紀には日向国、古事記には日向と記される箇所があって
古事記肯定の立場からは日向が日向国ではないとすら主張されたり
まあグダグダだねえ

679名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:31:09.51ID:0iDv0az30
考古学なんて
たった一つの文献と
今までたまたま彫り合ってた範囲の資料をうきあわせてるだけで
まったく科学的じゃないんだよなぁw

680名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:36:17.21ID:WbJHw/3Q0
>>678
ズレているなw
特定されていないのは日向。
古代日向がどこからどこまでの範囲かはわかっていない。
だけど、東遷の舞台の美々津は特定されてる。
高千穂だって、観光地の高千穂じゃなくて、高千穂一帯はわかる。

681名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:45:52.26ID:Mxa79l5l0
クロネコ?

682名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:46:49.86ID:jv/0SaZH0
彼は自分が不当に迫害され、差別待遇を受けていると信じる。
公認の学会は彼に講演させることを拒む。
雑誌は彼の論文を拒否し、彼の本を無視するか、「敵」にわたしてひどい書評を書かせる。ほんとに卑劣なやり方である。
こういう反対の原因が、彼の仕事がまちがっていることにあるとは、奇人には 全く思い浮かばない。
それはひとえに、確立されたヒエラルキー(自分達の正統思想がひっくり返される事を恐れる科学の高僧たち)の側の盲目的な偏見から生じていると彼は確信している。
よこしまな中傷といわれの無い攻撃が絶えず自分に向けられている、と彼は主張するのが常である。
彼は自分を、異端のかどで不当に迫害されたジョルダノ・ブルーノ、ガリレオ、コペルニクス、パスツールその他の偉人になぞらえる。

683名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:48:49.61ID:WbJHw/3Q0
古代日向と今の日向は違う。
今の日向市と、古代日向と混同しちゃいけない。
まあ、邪馬台国の話しに戻るけど、畿内を根拠にする証拠がまったくわからない。
例えば纒向遺跡。
まず、邪馬台国は朝鮮と頻繁に交流し、中国とも交流してるのだから、少なくても朝鮮製の遺物が発見されないといけない。
それに竪穴式住居がないのも気になる。
どうみても卑弥呼の時代は竪穴式住居だろう。
纒向遺跡を邪馬台国に結び付けるのはかなり無理がある。

684名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:51:37.47ID:qRFp6TWa0
>>674
違う。
高天原(奴国) → 八重雲(八女諸国) → 背肉(阿蘇)高千穗峯
→ 八代(球磨・熊本) 基盤作り(山彦) → 大隅・日向南部 ・・・

685名無しさん@1周年2018/12/09(日) 03:58:47.87ID:qRFp6TWa0
>>683
>どうみても卑弥呼の時代は竪穴式住居だろう。

2世紀中頃には、こんなの河内にありますよ
www.city.osaka-izumi.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/65/sone-pic.gif
それから50年〜70年、巻向施設は健全な発展です。

686名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:09:11.95ID:ftVf2tAh0
>>581
寝ぼけてるのはオマエだ
【突出部の内側に物見櫓を設けたのは】
という条件付きだ。出土したとは書いてないw
唐古鍵からは絵を描いた土器が多数出土。
そのうちの二つの土器の破片に「楼閣」が描かれている。
楼閣とは、2階建て以上の高い建物のこと。巻き込んだ屋根飾りを付けた建物が6棟あり、
格式の高い建物である。その中でも「楼閣」は巻き込んだ屋根飾りがたくさん付いているので
一番格式の高い建物であることが推測できる。

「唐古鍵遺跡出土」の楼閣を描いた土器の破片2個
ttp://inoues.net/ruins/karako_99.jpg
を借りたと吉野ケ里のHPで自白しているぞ
>Copyright 2018 YOSHINOGARI HISTORICAL PARK・・・
>2.復元建物等の基本設計、実施設計の検討
//www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=31
>2-1建物等調査
>個々の建物を復元するために、「全国の」縄文〜古墳時代の遺跡で見つかった「建物遺構や
>当時の人々が残した絵などの資料の調査、当時の建築技術に関する調査や建築のための道具の調査、
>さらに建築以外の関連する施設など」の調査を行いました。
と吉野ケ里のHPで自白しているwwwww

吉野ケ里出土の物見櫓、楼閣を描いた土器の画像を探してこいよ

687名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:10:01.78ID:WbJHw/3Q0
>>685
それに埋葬の遺構もない。
埋葬様式がわかれば、かなりわかってくる。
要するに、なんにも根拠がないのに、古墳が発見されればすぐさま邪馬台国に結び付ける。
これは願望がいつも先行しており、しっかりした根拠や理論がない

688名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:20:55.57ID:WbJHw/3Q0
で、邪馬台国の東に海があるわけで、
畿内だと東に海なんてない。
これも矛盾している。
メチャクチャなんだよね。邪馬台国畿内説は。

689名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:26:49.84ID:ftVf2tAh0
>>658
河内奈良の天孫降臨なら
日本書紀にニギハヤヒのことが書かれているじゃん。
天の磐船に乗って降臨したと。
実際はカヌーに乗って黒潮の流れを利用して日本に来たんだけど。

690名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:27:18.71ID:ECVc3aSa0
纏向遺跡、唐古・鍵遺跡は出土物から見ても邪馬台国に関連があるとは思えない

九州北部産の土器などほとんどないし、女王がいた場所にしては武器が出てこない

纏向遺跡は吉備との関連があるように思う
箸墓古墳で見つかった埴輪(の原型)が吉備の埴輪と同タイプだから

691名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:32:34.90ID:vfGq8fuJ0
>>42
そんな征服事業と国家建設があったら中華史に記録されないのはありえないから
お互いまだ土人同士だったのに思い上がるな

692名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:33:57.60ID:cDHKyWBK0
1神武 ハツクニシラススメラミコト(天下) 橿原 磐余 弥生初期 日本国建国神話
10崇神 ハツクニシラススメラミコト(クニ 国) 磐余 巻向 箸墓 3世紀・4世紀 北九州ヒミコ 邪馬台国 魏志倭人伝
11垂仁 磐余 巻向 五十鈴川の畔に伊勢神宮を立てさせられる
12景行 磐余 巻向
21雄略 5世紀後半 大和朝倉 伊勢神宮外宮設営

693名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:34:01.13ID:ftVf2tAh0
唐古・鍵遺跡出土の鏃は大小あって
小は狩猟用、大はは戦争用と分析してる

694名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:37:45.91ID:cDHKyWBK0
1神武 ハツクニシラススメラミコト(天下) 橿原 磐余 弥生初期 日本国建国神話
10崇神 ハツクニシラススメラミコト(クニ 国) 磐余 巻向 箸墓 3世紀・4世紀 北九州ヒミコ 邪馬台国 魏志倭人伝
11垂仁 磐余 巻向 五十鈴川の畔に伊勢神宮を立てさせられる 大和の東の日昇東海側に
12景行 磐余 巻向
21雄略 5世紀後半 大和朝倉 伊勢神宮外宮設営

695名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:40:16.93ID:cDHKyWBK0
獲加多支歯大王
ワカタケルオオキミ
第21代 雄略天皇

子毛予 美子餅 福下予 みぶくしもち
この岡に菜摘ます児 家聞かな 名のらさめ
空満 大和の国は おしなべて 我こそ居れ
敷なべて 我こそ居ませ
我こそ告さめ 家をも名をも

696名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:43:50.23ID:WbJHw/3Q0
青銅の剣、屈葬なら俺も畿内説賛成するけどね。
それすら出てこない。。

697名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:49:57.39ID:cDHKyWBK0
伸展葬の天皇陵が累々と並ぶ近畿なのであった

698名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:51:16.96ID:Aw45ceDL0
俺なら恐山行ってイタコに卑弥呼の口寄せしてもらうけどなw

699名無しさん@1周年2018/12/09(日) 04:53:21.91ID:hzqiOtqZ0
部落小説で有名な「橋のない川」の作者が交流のあった中国部落のことを言っていた。
集団で渡来して千何百年も子孫だけで固まって住み
自分たちは中国人だ(もちろん今の中国のことではない)という強い自覚を持っているという。
作者は子供のころ石舞台古墳の上で遊んだ話もしてるからその周辺だろう。

なお石舞台古墳は作者の子供の頃は
土に埋まっていて天井の石しか露出していなく子供の遊び場になっていたそうだ。
ある時急に周囲の土砂を掘り下げられあの形になり見世物として整備されたという。

700名無しさん@1周年2018/12/09(日) 05:01:43.57ID:ftVf2tAh0
>>690
唐古・鍵遺跡は環濠に大量の土器が投棄されてる。
土器にも流行(はやり)廃りがあって時代遅れの土器を廃棄したのか。

701名無しさん@1周年2018/12/09(日) 05:04:32.34ID:zwD5PaYQ0
>>696
埋葬のこと持ち出したら九州説なんか吹っ飛んじゃうじゃん

702名無しさん@1周年2018/12/09(日) 05:32:02.97ID:hzqiOtqZ0
気になってぐぐってみたら橋のない川の部落のモデルって葛城郡の村だったわ。
中国人部落とか独自の伝承や文書隠し持ってておかしくないわ。
だれか調べてる人いないのかな。

703名無しさん@1周年2018/12/09(日) 06:01:02.30ID:PNuU4Vh/0
ヤマトは、奈良であってる

倭の勢力圏は奈良まで
その東が日本

倭は自分たちの神を、美称し、ミをつけて、ミワとした
これを祀るのが、大神神社
信仰してたのは、ヘビ
だから、巻向
ちなみに、ヘビ信仰は、世界各地にある

で、太陽信仰してたのが日本
伊勢湾北部、木曽三川の河口域が本拠
いわゆる狗奴国は、桑名(く(は)な)国、
その東の名古屋の氷上姉子神社が信仰上の本拠地
ここにいたアマテラスが、
「あそこ(中津国)は、我々の支配下においた方がよくね?」
(西側と交易しやすくするため)
と言って、支配下においた
これが、ヤマト

ここにいた一部の人は残ったが、多くの人が土地を追われ、
出雲、朝鮮へと逃れた
これが、倭国大乱

ちなみに、ヘビ信仰は、しめ縄として残っている

704名無しさん@1周年2018/12/09(日) 06:16:04.78ID:BuafvTO90
>>699
嘘ばっかり
石舞台古墳の封土ははるか以前から剥ぎ取られていたよ
その近くの部落なら蘇我氏の郎党だろう
蘇我馬子の自宅も石舞台の近くにあったから
蝦夷入鹿が殺された後に懲罰として石室を剥き出しにされたというのが定説
旧蘇我氏郎党は被差別に落とされたのだろう

705名無しさん@1周年2018/12/09(日) 06:21:55.33ID:BuafvTO90
>>698
大川隆法氏に頼んだら?
卑弥呼ですって何を話すのか
場合によっては畿内説九州説の論争に終止符が打たれる
卑弥呼が畿内or九州って言うんならしゃーないわなで終わり

706名無しさん@1周年2018/12/09(日) 06:29:12.70ID:ULqCNm9K0
アメノタリシ アマテラス

ヤマト 邪馬台国

本当、紛らしい名前つけよるな

707名無しさん@1周年2018/12/09(日) 06:35:15.95ID:BuafvTO90
>>703
ヘビ信仰は出雲や関東の縄文
ミシャグジ様という神はヘビでしょう
邪馬台国の習俗として有罪無罪が判然としないとき、蛇を入れた壺に手を突っ込ませて咬まれなければ無罪というのがある
太陽信仰でなく蛇信仰であり出雲や出雲影響下の時代の畿内であったか
北部九州にも巨大なしめ縄の神社があり蛇信仰だったのかもしれない
天孫神社ではしめ縄が無いのは封じる対象ではないから

708名無しさん@1周年2018/12/09(日) 06:48:33.84ID:eDV9KYOg0
>>688
畿内説だと方角がずれてるって話で、当然この東というのは北になるわけで、
日本海やひょっとしたら琵琶湖が示されているのかもしれない。

709名無しさん@1周年2018/12/09(日) 06:54:05.29ID:t3qfhtde0
皆既日食=天の岩戸伝説。年代的には合ってるんだっけ?

710名無しさん@1周年2018/12/09(日) 06:57:24.51ID:qOmWmf4k0
>>699
石舞台の周辺は蘇我氏や葛城氏の使っていた奴婢部落だらけ
後漢霊帝の後裔の東漢は朝鮮半島難民とは違う全く上の立場

711名無しさん@1周年2018/12/09(日) 06:58:42.54ID:2WH3Zrgp0
記紀は焚書されてるからまったく信用できないが
中国の記録も唐書に倭国と日本国が別に書かれてたりと又聞きだからあまり当てにならない

712名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:13:05.78ID:kO2cHNvX0
>>707
>邪馬台国の習俗として有罪無罪が判然としないとき、蛇を入れた壺に手を突っ込ませて咬まれなければ無罪というのがある

んな記述は魏志倭人伝には無いけど?
近しい記述に、何かあったらすぐに骨を焼いて卜をするとはあるけど
なにか別の文献と勘違いしてない?

713名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:15:32.47ID:PRO8DozD0
古事記って太古の歴史物語、たかまがはら=縄文の各地の村村社会 地上が志那大陸からの技術が拡がり定着した弥生地域 使いを出しても暮らしが善くて戻らない 結局 縄文村村も善い暮らしを目指し交流推進することに統一国家代表を縄文村から推挙し日本国と名乗り今に続き

714名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:26:07.23ID:klnffvWj0
九州から関東にかけて諸国乱立の中、大陸諸国のうち魏と交流のあった割と大きな国
というイメージで良いのだろうか

715名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:28:02.77ID:kO2cHNvX0
>>709
肝心のアマテラスの岩戸隠れが何年の出来事なのかがわからんのだけどね。

247年3月24日に大きな日食があったと言う中国の記録はあるが、それに関しても、日本では皆既日食ではなかったと
わざわざ国立天文台が計算してくれてる。

日食の見え方というのは、当然目撃地点の緯度経度で変わるからね。
NASAのサイトの何処かに、緯度経度を与えて日食のシミュレーションができるのがあった気がする。

716名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:33:19.67ID:Jm2EkLjR0
スゲーなクロネコ

717名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:40:18.05ID:8K8+vjkE0
>>560
邪馬台国は3世紀、神武東征とかいう神話が史実として紀元前600年

時代が全然違うからなあ、どうだろ

718名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:48:49.87ID:bphVmTkp0
ニギハヤヒ系→ナガスネヒコ
ニニギ系→神武天皇
↑大元を辿れば同じ系統

…という大きな戦いが畿内であって、
ニギハヤヒ系→ニニギ系に変わったことを
示唆してるのが神武東征の話。

719名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:50:58.09ID:eDV9KYOg0
>>717
いやだからその紀元前600年がおかしいと思わないのか

720名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:52:50.14ID:eDV9KYOg0
>>712
熱湯に手を入れるくがたちとごっちゃになってるんではあるまいか

721名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:58:10.73ID:bphVmTkp0
記紀による超ざっくり(笑)時系列

@出雲の国譲り
Aニニギが九州に天下り
Bニニギの子孫である神武が東征
C畿内でニギハヤヒ系のナガスネヒコと決戦
D神武天皇即位

722名無しさん@1周年2018/12/09(日) 07:59:54.90ID:c+GpBWNO0
夜中にすごく伸びてたので読んでみたけど
なんか途中でループしてないか?

723名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:06:42.62ID:X8QFSBMK0
>>710
石舞台のあたりの明日香村って宮跡とか蘇我蝦夷・入鹿の邸宅などがあって一時は天皇を凌ぐ権勢で
蘇我氏は東漢氏に命じて使役する立場だったのにね。
逆賊のようなものだしね。
平安初期には完全に没落した。
韓国の大統領は任期が終わったら猛烈な誹謗罵倒を受けて刑務所の囚人になるけど、
日本の飛鳥時代奈良時代はもっと凄まじいものだったのだろうね。

724◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 08:07:36.80ID:TDOynGmF0
>>722
うむ。
倭(ワ)は輪に通じるのだな。

725名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:09:15.29ID:8K8+vjkE0
>>720
クガタチと蛇甕裁判のことは隋書倭国伝にある。
魏志倭人伝にはどっちも書いてなかったかと、わ、

726名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:15:15.38ID:8K8+vjkE0
>>719
おかしいと思うが、そもそもカムヤマトイワレビコさんの先祖が天から高千穂に降りてきたとかもおかしいし…

紀元前600年の他にもおかしいとこだらけで突っ込みだしたらキリが無い

727名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:17:56.30ID:eDV9KYOg0
>>724
つまり倭国とは環壕集落であると

728名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:18:11.06ID:PRO8DozD0
紀氏で周帝国の武帝の兄たちが南下し呉の国を興し三国志の後に呉王の紀氏が縄文期に来て生活水準改善向上を技術をもって拡め定着させ、あくまで縄文人の延長と想われ ヤマト朝廷を築き

729名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:21:23.32ID:bphVmTkp0
記紀に書いてあるんだけども、
なんか生きてた年数がおかしくね?本当に有難うございました。
…って思う天皇は、60か120か180かマイナスすれば、その年数のどれかが正解だな。

独自の元号も大事だけど、西暦みたいな共通のものって大事だよねって思う。
記紀を書くときに中国の元号も使えたんだろうけど、消したんかな。
てか、もうすでに訳わかめ状態だったんかな。

730名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:24:42.43ID:R/okRwxL0
このスレは真面目なレスばっかりで疲れます

731名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:25:05.36ID:Ap6QNdHI0
東遷は九州民に向けた九州は近畿ヤマトの本元宣言
九州独立させないための
フェイク神話だろ

732◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 08:26:07.21ID:TDOynGmF0
>>726
ただ、皇紀元年は、神々の神話と人々の歴史との接続点だからなあ。
神話の世界は荒唐無稽でも良いけど。

733名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:27:01.01ID:Qq4nVg1p0
>>557
やれやれ

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)

734名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:27:52.02ID:qLubk3Rw0
.
神功皇后の実子・応神天皇は先帝死後3年の出生(女系天皇)。

また、物部神社には神武天皇が養子であられた記録あり。

735名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:29:38.79ID:eDV9KYOg0
>>729
あー、干支は正しいって説なのか。で、神武の時の庚申に合わせて干支の一回り(60年)の倍数分を増やしたと。
じゃあ、それで歴代の天皇を整理し直したものってどっかにある?

736名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:31:26.92ID:Qq4nVg1p0
>>561
あそこは本当は阿蘇文化圏だから社伝でも神武天皇とは無関係な昔話が読み替えられ
太郎とかおかしなことになっている

737◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 08:32:25.19ID:TDOynGmF0
>>434
いや、紀によると仲哀天皇崩御が仲哀9年2月6日で、応神天皇の誕生日は同年の12月14日なんだよね。
一応、突っ込まれたときに言い訳できる設定にはmなっているw

738名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:32:30.67ID:X8QFSBMK0
>>729
天皇の寿命を現実的なものにして色んな学者が神武天皇即位年を推定した表があったんだけど、
3世紀後半に比定しているものばかりだった記憶がある。

739名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:33:04.64ID:2DdpSXcu0
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740名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:37:30.10ID:eDV9KYOg0
>>737
そもそも仲哀天皇ってあれ暗殺だよなあ

741名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:40:21.20ID:Qq4nVg1p0
>>680
記紀に美々津は出てこないよ
だいたい地形を見れば唐突に船出を考える場所じゃないだろう
後の世に外から船がやってきて港に使えるとされた場所だよ

742◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 08:41:09.71ID:TDOynGmF0
>>740
たしかになあ。
記の書きっぷりだと、どう考えても武内宿禰×神功の共謀だw

743名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:42:24.51ID:h1ahvdVT0
>>715
その時に日食で太陽がかけて巫女として失格と卑弥呼が殺されたって説もあるけど、
日食は長くても数分で終わり実害ないよね。

天の岩戸の話は実は噴火による火山の冬とする説も有力だよね。
NZのタウポ山がAD181年に大噴火で中国文献にも中国で異常気象と倭国で飢饉とある。
この後に倭国大乱を収めた卑弥呼が女王になったとか。

卑弥呼がアマテラスは本当かもね。

744名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:42:49.43ID:cvpQbIOg0
ヤマト王権樹立が日本国建国と同義よな
日本の歴史は1800年近くあるのか、凄いな

745名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:43:14.73ID:bphVmTkp0
>>735
整理しなおしたものの存在はわからんけど、
この人は正確だろなって人から代を遡って怪しい人を訂正してけば、全体が正確になるんじゃないかな。

成り立ちのざっくりした流れは神話という形で後世のために記しつつ、
でも、権威のために歴史を中国より長くみせたいから年数は水増ししてって感じなんじゃないかな。

746名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:46:45.77ID:h1ahvdVT0
>>738
欠史八代は一般的には実在せず、崇神天皇が確認できる初代と言われてるけど実在してるとする説はそうなるよね。
とはいえ欠史八代の頃の天皇家は大和葛城地方の地方領主でしかなかったそうだし。

747名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:48:07.79ID:/ha5luyK0
>>741
陸路で北に向けて行軍して陸行が困難になる地点が美々津だね
以北は山が海に迫って船で異動するのが理に適う

748名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:49:51.69ID:zztqf/jR0
>>688
いや奈良の東は海でしょ

749◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 08:55:09.31ID:TDOynGmF0
カーモンベイベィ邪馬台国
どっちかの海は東〜♪

750名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:55:11.96ID:BhlYYibE0
>>740
三韓征伐に反対したんだろうねえ
武内宿禰とされる有力豪族らが仕切っていたんだろう
これが四世紀の度重なる海外遠征だとすると
この頃の畿内勢力には半島系倭人やツングースまでいたのだろうなあ
天皇排除しても遠征するのは半島を故地とするからだろね

751名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:56:02.13ID:h1ahvdVT0
>>744
天皇家ヤマト政権の前から奴国や邪馬台国などの国はあったんだから
日本の歴史はヤマト政権以降って説にはどうかな?と疑問をもつ。

なお個人的に「建国記念の日」はヤマト政権が有力豪族による連合政権から
天皇中心の帝国として法律が整備され日本という国号を使いだした天武天皇の時代がふさわしいと思ってる。

752名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:56:21.55ID:kO2cHNvX0
>>729
魏志倭人伝の邪馬台国の記述でも、人々は100歳や、80歳あるいは90歳まで生きるとあったり
倭国には、まだ暦の概念もないとも書かれてたり。

記紀の年齢の記述もそうだけど、年に2歳齢をとる風習があったのではないかな?

春になると苗を植えて1歳
秋に稲を刈って1歳

太陰暦が公式に採用されるのは大宝律令からの話だしね。

弥生人の平均寿命がーと言う人もいるけど、平均寿命と言うのは0歳で亡くなった子供も含んでるため
乳児生存率の低い時代は平均寿命は極端に落ちる。

弥生時代の乳児生存率は50〜60%程度で、平均寿命は30歳と言われている。
つまり生まれた子供の半分強は1歳になるまでに亡くなっていたが、生き延びた人達は50〜60歳程度までは生き残ったという意味。
勿論食糧不足から栄養失調で亡くなったり、ちょっとした病気で亡くなったり今のようにご長寿ではなかったろうけど。

753名無しさん@1周年2018/12/09(日) 08:59:48.00ID:h1ahvdVT0
>>750
北九州の国(邪馬台国の後継国?)を攻めたが戦死したって話もあるよね。

754名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:00:07.71ID:PRO8DozD0
縄文各地の豪族がヤマトに集まり多数者の賛同で統一国家ヤマト朝廷と決まりが概ね妥当かと

755名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:02:47.10ID:BhlYYibE0
体中にびっしり入れ墨してしかも紋様には意味があるらしい
これは中国沿岸から南部にたくさんいた百越そのもの
周王朝から百越のひとつ呉の王となったエピソードも引用される
南方系の女王国と、三韓にこだわる半島系の大和朝廷は水と油
異民族と言って過言でない

756名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:04:56.93ID:t3qfhtde0
>>743
あぁ火山の説ね。
その時の岩戸が長野まで飛んで戸隠の由来にったと聞いたことある

757◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 09:08:39.87ID:TDOynGmF0
>>752
それをやると、壹與さんが幼稚園児なっちゃうってばw

758名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:08:54.57ID:t3qfhtde0
いつの時代も九州は政権に対して独自反抗勢力を保ってる感じ。地の理なのだろうか。

759名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:08:56.76ID:QtavxzHV0
>>744
倭国大乱前にも男王の治世が80年あまりあったとあるからね

建国の歴史は倭国大乱以前、ヤマト政権以前まで遡れる

760名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:10:26.25ID:h1ahvdVT0
>>755
記紀で天皇家ヤマト政権は九州を征服しようと遠征を繰り返すが
女王の治める九州の国のことが何箇所も出てくるんだよな。
つまり邪馬台国以外にもそういう国が多数あったってこと。

そのクセして天皇家のことを正当化する記紀で天孫降臨は九州の高千穂なんだよな。

761名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:11:21.59ID:/ha5luyK0
>>755
仲哀帝は三韓征伐に否定的で竹内宿禰・神功一派に毒でも盛られて崩御した
チョンなどどうでもいいと思った天皇とチョン系首領の竹内が神功と謀って天皇を毒殺し、
熊襲との戦いで矢が当たって死んだと熊襲に罪を被せた
記すことができなかったのだろうね

762名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:13:17.10ID:CcrFTyw80
何時の時代も政略結婚てのはなかったのかねぇ?
今の天皇家は蘇我系だしよ

763名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:14:10.47ID:bphVmTkp0
記紀には何故か四国の記述がない。
…という理由から、高天原とは四国のことなんジャマイカと俺は勝手に思っている。

天(天国)→高天原(四国)→天下り(四国以外)

もともと高天原にいた人→天津神
それ以外→国津神

四国だけ別格扱い。

764名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:14:10.60ID:Ap6QNdHI0
日本書紀の朝鮮関連は九州倭国の歴史
百済は九州倭国
明治維新は長州チョンと朝鮮人天皇が大和国と朝鮮関連付けるのに利用した

765名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:15:06.01ID:qLubk3Rw0
.
神功皇后の実子・応神天皇は、野見宿禰との間に出来た子。

朝鮮人系ではないことは明らか。。

766◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 09:17:02.55ID:TDOynGmF0
>>761
殺した住吉の神のポジションが、アマテラスの兄ちゃんというのが
よくできてるよな。微妙に文句を言いにくいw

>>765
うむ。紡がれる神話は美しい。
聖母マリアは東方の三賢者が予言したユダヤの王を生み、
聖母神功は住吉三神の導きで八幡神応神帝を生んだのだ。

767名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:19:20.30ID:Ap6QNdHI0
ヨーロッパはフランス革命で王族殺しただろ
明治維新は王族殺して仲間を擁立した
長州チョン

768名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:20:06.20ID:kO2cHNvX0
>>757
13歳でも6歳でもどうでも良くない?
シャーマンとしてのお飾りなんだし、お稚児さんみたいなもんじゃん?

769名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:20:17.30ID:ftVf2tAh0
>>752
>春になると苗を植えて1歳
>秋に稲を刈って1歳

それは今の知識レベル
土佐の高知では50年ほど前二期作
つまり4月頃田植えして9月に収穫
9月末に田植えして3月末に収穫
弥生時代だとお米が2度獲れて地球が
太陽一周する間にふたつ歳を取るという
数え方がありえる。

770名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:23:04.98ID:h1ahvdVT0
>>763
そうなの?
大和から九州遠征する時は瀬戸内海を通るから四国のことは無視できないはずだが。

四国は四国山地で南北の行き来が困難。

771◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 09:23:59.73ID:TDOynGmF0
>>769
魏志の記述では「春耕秋収」だから、二期作・二毛作は考えてないっぽいぞ。

>>767
仲哀帝の死って、まさにフレイザーの「金枝篇」の王殺しパターンなんだよね。
祭祀王の力の衰え。

772名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:25:53.80ID:/ha5luyK0
>>755
日向海岸のように単調かつ外洋に直接面する海岸は海の生活に極めて不適
北部九州海岸のような巣潜り漁は死を意味し不可能で
専ら陸上生活では意味の無い入墨も無かったと思う
宗像とかは胸の入墨のことであって確実に海人族だろうけど日向などは陸の民

773名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:27:02.87ID:i9nqyaxp0
>>537
それが悪評高い偏向歴史教科書なんとちがう?

774名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:27:29.25ID:bphVmTkp0
(株)大和 社歴

有限会社 大和商店 設立 代表 神武天皇
株式会社 大和コーポレーション 設立 代表取締役 崇神天皇
株式会社 大和ホールディングス 設立 会長兼CEO 応神天皇

775名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:28:52.17ID:WFhgLLSh0
>>758
むかし文化人類学の基礎講義で聞いた「新文明は旧文明の辺境領域から勃興する法則」が印象的だった。誰の学説かは知らんけど。
(1)旧覇権の高度文化の恩恵を受けつつ
 *中央の統制が届かぬ場所で
 *他文明から良いところを吸収し、
 *新種の力を蓄えられる
からだそうな。

776名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:28:59.17ID:kO2cHNvX0
>>769
魏志倭人伝の記述だと二期作ではなかったようだよ。
ただ春に植えて秋に収穫したと、魏略に書いてあるわ。って感じでかいてる。

ただここを書いたのは帯方郡吏でも陳寿でもなく、裴松之だとする説もあるんで
2倍説はあくまでも想像の域を出ないんだけどね。

777名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:32:35.76ID:MPHRHuRw0
10年以上前、テレビでイタコをやってた
西郷隆盛を下ろしてもらって好きな食べ物を聞いたら、かれえらいすううと答えてた

778名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:32:45.91ID:kO2cHNvX0
>>774
大和商店になる前、小さな店舗を始めた屋号「大和屋」の店主、邇邇芸が抜けてる。

779名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:33:10.64ID:ttcnVOJ7O
>>733
神界から尊い使命を帯びた使者ニニギノミコトは
天磐座を発ち日向の襲の高千穂の峰に降臨して
何故か薩摩の笠沙の岬を目指すことになっちゃう
其処で何と!あのイザナギ神の息子である
事勝國勝長狭神と運命的な出会いをし使者ニニギノ命は
事勝國勝長狭神に認められ国を譲られることになるんだよね
でしまいにニニギノ命は事勝國勝長狭神の娘である笠沙の姫に一目惚れしちゃい
木花咲耶姫に熱く求婚し二人は結ばれるんだけど
一夜を過ごしただけだというに木花咲耶姫神は身ごもってしまい
ニニギノミコトは国津神と木花咲耶姫は秘かに逢い引きし
国津神の子を宿したんじゃないかと激しく疑うけど
木花咲耶姫がニニギノミコトが上なる天津神なら
どんな障害があっても天津神の子なら無事に産まれると言い
笠沙の姫の木花咲耶姫が言った通り生まれた子の孫が
神倭伊波礼毘古命のちに神武天皇となる血統がこの地上に産まれるんだよね

7807752018/12/09(日) 09:33:30.13ID:WFhgLLSh0
ごめん手が滑った。つづき。
明治維新の薩長土肥なんかはこの定義に当てはまってるよね。新文明というより新覇権だが。

781名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:33:31.04ID:mGCEpXBN0
畿内は無い

782◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 09:34:01.50ID:TDOynGmF0
>>772
海幸彦は潜水漁師じゃなくて釣り師だもんね。
さておき、西都原からは立派な船型埴輪や貝殻の腕輪なんかが出ているし、
「陸の民」というわけでもなかったと思う。

783名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:37:13.01ID:/rjmigSa0
>>769
長江や華南一帯から稲作をもたらした弥生倭人は新天地で連作や二毛作を確立してたからなあ

784名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:41:00.69ID:BhlYYibE0
>>778
その前に奈良支店の開設を命令されて逃亡したボケ長男がおったはず

785名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:42:10.58ID:BZmRLnjH0
>縄文各地の豪族がヤマトに集まり多数者の賛同で
>統一国家ヤマト朝廷と決まりが概ね妥当かと


そういえばそうだな、紀元前100年頃からの弥生人から日本人の歴史が始まったのではなく
縄文人の時代から日本人の歴史は始まっていたんだった

786名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:43:46.10ID:z9v6Vr4G0
>>761
武内宿祢がチョン系とか勝手に話を捏造すんなよ在日朝鮮人w

787◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 09:46:14.89ID:TDOynGmF0
>>778
ニニギさんは、子会社した株式会社出雲屋商事に送り込まれた社長。

788名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:47:43.91ID:BhlYYibE0
>>786
仲哀天皇は無茶な半島遠征に反対した愛国者
それを排除した竹内宿禰一派は反日のバカ勢力と言わざるを得ない
ちなみに宿禰らが主導した半島介入は実に300年に渡り最終的にすべて無くして桓武に至るわけ

789名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:52:10.74ID:1x2f5CD/0
>>771
魏志の記述は邪馬台国の話だから、大和ではどうだったかわからない。

790名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:53:34.36ID:uahMvUjF0
>>772
隼人系海人の久米族は鯨面だったと記紀に記されている
息を吐くように嘘とかやめろ

791名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:56:23.06ID:p6bndsus0
干支を独断で西暦に当てはめてみる

西暦54年  神武天皇が東征開始(太歳甲寅)
西暦61年  神武天皇が橿原宮で即位(太歳辛酉)

西暦204年 10代崇神天皇即位(太歳甲申)
崇神天皇3年 磯城瑞籬宮に遷都する 桜井市三輪山のふもと
崇神天皇7年 倭迹迹日百襲姫命に大物主神が乗り移り託宣する
       祭主を大田田根子命にすると国内が鎮まる
崇神天皇10年9月 四道将軍を各地に派遣するが大彦命が
        不吉な歌を歌う少女と会って引き返す
        それを聞いた倭迹迹日百襲姫命が謀反の前兆と告げる
        そのとおり謀反が起こり鎮圧する
崇神天皇10年9月 倭迹迹日百襲姫命が祭事上の夫である大物主神との
        接見は夜のみだったが百襲姫が昼間に会いたいと願い
        大物主が昼に姿を見せるが白蛇の姿であったため
        百襲姫は驚いて急に座ったときに箸が刺さって死亡
崇神天皇10年9月 倭迹迹日百襲姫命の箸墓の建造を開始 
崇神天皇10年10月 四道将軍が再び出発
崇神天皇11年 四道将軍が帰参する

西暦212年  11代垂仁天皇即位(太歳壬辰)
垂仁天皇2年 纒向に遷都する
垂仁天皇5年 皇后の兄が反乱 皇后とその兄焼死
垂仁天皇7年 出雲から野見宿禰を呼んで当麻蹴速と相撲させる
       死亡した当麻蹴速の葛城の領地を野見宿禰にあげる
垂仁天皇15年 丹波から新たな皇后を迎える
垂仁天皇25年 伊勢の天照大神の祭祀を皇女の倭姫命に託す
垂仁天皇28年 殉死を禁止する
垂仁天皇32年 野見宿禰が提案した埴輪を採用する

西暦251年  12代景行天皇即位(太歳辛未)
景行天皇4年 美濃行幸 帰国 纒向日代宮に遷都
景行天皇12年 九州巡幸
景行天皇19年 帰国
景行天皇43年 各地を転戦した皇子の日本武尊命が病没
景行天皇53年 東国巡幸
景行天皇54年 帰国
景行天皇58年 大津滞在

崇神天皇10年9月の条がものすごく濃い
日本書紀では百襲姫が謀反を的中したことになってるけど
同月に死亡する
占いで人物を外したか謀反に加担したか

792名無しさん@1周年2018/12/09(日) 09:58:18.57ID:Ap6QNdHI0
九州倭国は筑紫系と熊本系に分裂して
元祖九州倭国王系が近畿に逃げて組んで
筑紫系潰して大和作った

793名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:02:57.63ID:uahMvUjF0
>>788
日本の文献資料の最初のミコトモチを記録している『日本書紀』
事勝國勝長狭神の別神と天照大御神のミコト通りに三韓征伐した神功皇后に(何代目かの)武内宿祢が従った

794名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:03:00.48ID:1x2f5CD/0
推古天皇より前で、1年を2年と数える方法で作った天皇の即位年表は、こんな感じ。
1神武−34  17履中496
2綏靖6    18反正499
3安寧22   19允恭503
4懿徳41   20安康523
5孝昭59   21雄略524
6孝安100  22清寧536
7孝靈151  23顯宗538
8孝元189  24仁賢540
9開化218  25武烈545
10崇神248 26繼體550
11垂仁282 27安閑562
12景行332 28宣化564
13成務362 29欽明566
14仲哀392 30敏達582
神功397   31用明589
15應神431 32崇峻590
16仁徳453 33推古593

795名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:07:22.64ID:BhlYYibE0
記紀にあるとおり女王アマテラスの命令で何度も奈良侵入を企て大失敗
ニニギノミコトの前にも3人ぐらい奈良で行方不明になっている
最終的に現地の反乱勢力と組みニニギノミコトが奈良侵入に成功
その時点で天孫族も結構土着してたようだ、これは移民だろうな
要するに異種の支配する奈良に侵入した外来勢力が天孫族で間違いない
そこまでして奈良に縄張りを作りたい理由は九州の戦乱や人口過剰にある

796名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:09:32.71ID:IA3ixPbx0
出雲の国司かなんかの言い伝えで神武が何代も攻めてきた話もあったし
何代もの業績を1代にまとめてる例もありそう

797名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:22:11.39ID:p6bndsus0
卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人

徇葬者百人

百襲姫

ていうのをネットでみつけた

798名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:24:26.09ID:McwiSrA+O
クマソの入植地がクマノなんじゃないの?

799名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:28:42.67ID:l0O5wM7T0
>>794
安本の古代天皇10年説に照らしてありえない

800名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:29:39.11ID:h1ahvdVT0
纏向遺跡って邪馬台国では当然ないけど
本当にヤマト王権のものかどうかも疑問。

801名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:30:53.96ID:McwiSrA+O
>>800

それな

802名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:31:34.69ID:tGZqFW8J0
>>794
代々筑紫城に住んでた阿毎一族と漢委奴国王は無関係だったか

803名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:34:10.43ID:McwiSrA+O
多元王朝説で考えればいいだけじゃないの?

804名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:34:11.06ID:h1ahvdVT0
>>799
安本って欠史八代は実在してると主張している人かな?

805名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:40:09.67ID:1x2f5CD/0
>>799
神功皇后の三韓征伐と好太王碑に書かれてる事柄の年代がおおよそ同時期になるし、
神武即位年も奈良県での銅鐸出土の激減を説明するのに都合よさそうなので、
結構気に入ってるんだけどな。

806名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:43:07.26ID:GqMI0Rkm0
>>772
海岸線が今と同じとは限らんよ。
新潟の新津がかつては外海に面してたわけだし。

807名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:44:52.26ID:1x2f5CD/0
>>802
阿毎って倭国の?

808名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:48:39.42ID:GqMI0Rkm0
>>768
6歳は幼児だが、13歳はかつては13参りがあったくらいで、「大人の仲間入り」の
準備が出来た段階だ。
大人に混じっていっちょまえに働いていた。

809名無しさん@1周年2018/12/09(日) 10:59:56.42ID:1x2f5CD/0
>>794 の続き
ただし、武烈が4歳で即位したことになるが、
中国に3歳で皇帝になったやつもいたみたいだし、
武烈以外は普通だし、即位年齢では一応問題ないと言えるかもしれないが、
安閑と宣化がそれぞれ継体の7歳と8歳の時に生まれてることになるんだよな。
弟とかを子供として扱ったのかな?

810名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:02:05.31ID:BhlYYibE0
継体はそもそも皇室にも入れてもらえない五世孫
はっきり言えば赤の他人ね

811名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:04:23.66ID:Ap6QNdHI0
筑紫王家の朝鮮進出歴史を近畿ヤマトの歴史のフリ
してるのが日本書紀

812名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:04:33.18ID:HIEPcu4U0
>>794
神武天皇を1世とした時の世代数
25世. (38代)  天智天皇.  626-672
42世. (77代)後白河天皇 1127-1192
72世(125代)  今上天皇 1933-
古代〜中世 1世代平均29.47年 25世   天智天皇(生年. 626)から42世 後白河天皇(生年1127)まで
中世〜現代 1世代平均26.87年 42世 後白河天皇(生年1127)から72世   今上天皇(生年1933)まで
古代〜現代 1世代平均27.81年 25世   天智天皇(生年. 626)から72世   今上天皇(生年1933)まで

時代が古くなるほど1世代あたりの年数は長くなる
生年が確定している天智を起点に父の父の父の・・・と1世代29.47年で遡ると・・・
626年生まれ 25天智 626-672
596年生まれ 24舒明 593-641
567年生まれ 23押坂彦人大兄皇子
537年生まれ 22敏達 538.?-585.?
508年生まれ 21欽明 509.?-571.?
478年生まれ 20継体               (武烈)
449年生まれ 19彦主人王     (清寧)(仁賢)
419年生まれ 18乎非王       (雄略)(市辺押磐皇子)
390年生まれ 17意富富等王   (允恭)(履中)
360年生まれ 16若野毛二俣王 (仁徳)
331年生まれ 15応神
301年生まれ 14仲哀
272年生まれ 13日本武尊
242年生まれ 12景行
213年生まれ 11垂仁  田道間守(たぢまもり)=難升米(タヂマ)
183年生まれ 10崇神  四道将軍=倭国大乱

813名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:07:12.77ID:tGZqFW8J0
>>807
日本の

親唐書日本伝
>王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、
>およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
>彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。
>次は綏靖、次は安寧、次は懿コ、次は孝昭、次は天安、次は孝靈、次は孝元、
>次は開化、次は崇神、次は垂仁、次は景行、次は成務、次は仲哀という。

814名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:13:52.85ID:1x2f5CD/0
>>812
今後、それぞれの天皇の年代が考古学的に求められていくのが楽しみやね。

815名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:19:35.40ID:qRFp6TWa0
>>814
考古学によって、天皇や記紀神話の年代が求められる
逆もね。

816名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:20:24.76ID:tGZqFW8J0
>>815
ゴッドハンドするから無理

817名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:23:15.29ID:McwiSrA+O
>>810

大伴金村の二つ名じゃないかな継体

818名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:23:30.08ID:GqMI0Rkm0
>>760
「高千穂」ってのは、固有名詞じゃなくて一般名詞だっただろうな。
今の高千穂はでっち上げだよ。

高くてたくさんの峰のある土地だから、九重連山とか霧島とかあんなかんじ。
先祖が高い山に降りてきたという北の遊牧民の神話に多いやつ。
南の民族に多いのは、海を渡ってきたとか。で、先祖が蛇やワニ。

日本の神話は両方が入ってる。
倭人の成立は、両方が合体したものだったのだろう。
神武の父方は北方で、母方は南方系ってことになる。
だけど、そんな新しい時代に倭人が成立したわけじゃないから、なんで神武の母を
ワニにする必要があったのか不思議だけどな。

古事記によれば、山幸彦は高千穂で580年生きたと書かれている。
遥か遠い先祖が(10世代以上昔の)この地にやってきたという伝承があったのかもしれんな。
近畿周辺に下った天火明命とは別の伝承なんだろ。

突然ヤマトへやってきた神武の出路がなんであるかなんて誰にもわからない。
古い伝承を持つ近畿周辺の部族の首長たちと張り合うには、天孫の一人と言い張ることだったのか。
神武がいなくても、神代の神話はそのまま生きるからね。

819名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:24:04.51ID:BhlYYibE0
そもそも神功皇后が三韓征伐をしたのか
広開土王碑文から見て四世紀末には百済は大和の属国、新羅も一時占領されていたのは間違いない
よって四世紀前半から中盤と思われる神功皇后の戦功とするのは時系列では誤りではない
しかし三韓征伐に反対する夫仲哀天皇がそれ故に不審死してるのに勇んで軍事侵攻とは常識的に考えがたい
むしろ竹内宿禰と伝えられる豪族勢力、ひょっとするとこれは半島系の倭人勢力かとも思われるが
故地防衛のために無理やり出撃したのではないか
いかにも曖昧な記述で誤魔化した記紀だが、日本建国以来の大事件だったはずである
広開土王に負けて勢力拡大は頓挫、五世紀になると散発的遠征はあるもののかなり下火になる
日本側にロクに記述のない四世紀こそ国家存亡の危機であったはず
この動乱で大和朝廷も大きく変質したのだろう
もっとも純粋に日本国益を考えるのは実に平安の桓武からなのだ
四世紀から七世紀まで半島に翻弄された真っ黒な皇室であった

820名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:26:23.57ID:1x2f5CD/0
>>813
たぶん違うやろけど、可能性があるとすれば懿徳天皇の時代ってことになるのかな。

821名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:26:47.34ID:CYR/b/nNO
>>1
今に見ていろ邪馬台帝国
全滅だ

822名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:31:49.54ID:Ti4WQjJU0
>>812
それどっかでみたな

平安時代は一番天皇が裕福で
かつそれ以前と違い天皇が戦地に行くこともなく争いも少なく
寿命が長かったって言われる

天智以前は29.47年より実際は短かっただろうね
最近は崇神が3世紀前半の生まれって言われてるしそんなもん

823名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:32:25.50ID:7te3wDxB0
支那チョンの犬に成り下がった学者思考なんなか信用できるか。


漢字以前の古代文字を、どう説明するんだ。

824名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:35:16.63ID:QtavxzHV0
延喜式祝詞には、
皇御孫之命は、天之御蔭 日之御蔭と隠坐てとある
同じく、坐摩神社の井戸の神々は、皇御孫之命にお仕えして、天之御蔭、日之御蔭と隠れていたとある

また道饗祭の祝詞には、クナトが高天原で事を始めた皇御孫之命で、根の国底の国の侵略に抗ったと書かれている。

これが平安時代の朝廷の認識

魏志倭人伝で言うなら、狗奴国の勢力が600年の内乱を経て倭国大乱前の有り様を取り返したと言えるだろう。

記紀なら神武東征(近畿征伐)による被害者である畿内の在地の勢力が、600年の内乱を経て平安を取り戻したと言える。

825名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:40:55.08ID:eDV9KYOg0
>>812
応神仁徳同一人物説ってのもあったりして

826名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:45:17.92ID:Hbj7tEb10
>>799
アンさん?

827名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:52:35.13ID:eSdmOx0f0
>>750
>>788
>>795
半島系倭人みたいな捏造語とか三韓にこだわる半島系の大和朝廷とか奈良侵入とか
恒例の願望系のチョン妄想は民団の食堂でやってくれる?w

828名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:53:40.33ID:8K8+vjkE0
そもそもに戻り、記紀に邪馬台国や卑弥呼の事が書いてないのは何故?

1ヤマト朝廷と関係無く大事じゃ無いから
2ヤマト朝廷と関係するが本当に記録が無くなって忘れてたから
3書くと何か不都合があり隠蔽したかったから

どうなんだろう

829名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:54:59.24ID:eDV9KYOg0
>>819
神功皇后って半島出兵の際に「海の西に良い国がある」って
言って、仲哀天皇が「んなもんねーよ」って言ってるんだよね。
ということはそれより前にはすでに半島の記憶が失われていた
ってことになるんだけど、実際にはどうだったんだろうなあ。

830名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:57:08.11ID:BhlYYibE0
纒向あるいはその後継王朝が急激に伸長した謎
人口過剰と内戦続きであった九州から分家し豊かな新天地を開いたからだー
そういえば言えなくもないが三世紀初頭にはペンペン草も生えない片田舎であったのに三世紀末には大人口を抱え、四世紀前半には荒波を超えて百済等を属国化したとすればあまりに不思議なのだ
そこには半島系倭人の介入があったと考えるのは言い過ぎだろうか
つまり辺境の奈良に侵入して土着勢力を駆逐した天孫族が奈良の原野で国造りするとき
鉄生産のメッカであり先進技術を持った半島系の倭人が参加したのではないか
そうだとするとか急成長直後に半島軍事侵攻した理由もすんなり分かる
鉄と技術を得た引き換えに日本の国益を売ったとも言えるのではないか

831名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:57:26.29ID:eDV9KYOg0
>>828
2だろうな。記紀を作り始めたのは7世紀。それよりも300年以上前のことが
伝承として正確に伝わることは無理だろう。

832名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:58:23.42ID:yGYOCzV70
ヤマトを作ったのは韓国だろ
無知すぎる

833名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:58:46.00ID:ph6RvflN0
邪馬台国とか卑弥呼とか

中国に日本を卑下した呼び名
なんで
いつまでありがたく使ってるのかね

834名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:59:18.86ID:tGZqFW8J0
>>828
焚書した それが答えだ

835名無しさん@1周年2018/12/09(日) 11:59:52.85ID:eDV9KYOg0
>>833
そりゃ文献に残ってるからだろ。朝鮮併合を韓国併合と言い換えたりするより
ずっとマシ。

836名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:09:39.56ID:Qq4nVg1p0
>>790
隼人族は宮崎にはいないよ
もともとは鹿児島の半島部分や島嶼部分
肥前風土記には五島列島にも隼人族に似た人々がいると伝えている

837名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:09:43.54ID:Ut2ZRUSD0
>>686
やっぱり寝ぼけてやんのw

> これら集落の中で、すべての突出部に物見櫓を伴ったのは吉野ケ里遺跡だけ
物見櫓を伴ったって書いてあるだろマヌケw

ついでにお前が引用したサイトにも載ってるんだがw
自爆おつw
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c304.html
> 物見櫓
> 環壕が外に張り出している部分が4ヶ所あり、ここで見つかった高床の建物です。
> 周囲を見張る役割に加え、神聖な空間である北内郭の性格から、四方を祀る意味も持っていたと考えられています。

ま、今どき畿内とか言ってるアホはこの程度の知能しか無いってことだなw

838名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:12:07.41ID:h1ahvdVT0
邪馬台国をはじめとする九州勢力が東征してヤマト王権を建てた、
ヤマト王権が西進して邪馬台国など九州の国を征服した、
実はどちらとも本当?

839名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:12:27.53ID:hnak12mu0
>>642
>>668
神武東征は、天皇家が、天孫降臨の地である九州から来た、天孫の子孫であるということを主張する重要な部分。
わざわざ記紀にそう書いたということは、倭国の正当な支配者を名乗るには、九州から来たとする必要があったということ。

840名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:13:58.03ID:bAJ3mjwZ0
>>828

書いてあります。卑弥呼は神功皇后のことだろうと。

841名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:15:49.26ID:Ut2ZRUSD0
あと吉野ケ里は中国の城郭の影響を受けた防御機構が存在するが畿内には無いw
畿内が大陸と通交していなかった証拠だな

http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c302.html
> 鍵形に折れ曲がった入口
> 真っ直ぐ入ってこられないように鍵形に折れ曲がった構造をしています。
> こうした造りは古代中国の城郭都市に多く見られ、吉野ヶ里が大きな影響を受けていることを示しています。

842名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:18:07.09ID:bAJ3mjwZ0
>>838

正解は出雲が北九州、吉備などの連合に奈良の土地を譲った。そして、奈良は北九州の三種の神器の
墓制と吉備のプレ前方後円墳のお墓を受け入れ両方をミックスした前方後円墳の墓制を作った。
そして出雲の銅鐸の文化を捨てた。

843名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:18:22.43ID:kO2cHNvX0
>>828
1だね。

記録が残ってないと言うのは、文書としての話しだけど
古事記には稗田阿禮の口伝についての記載がある。

口伝と言うのは馬鹿にできなくて、世界には1000年、1500年と口伝で伝承された記録がある。

高々100年や200年で途絶えたとするのは、少し無理を感じる。

なので、やはり関係ないから残らなかったと見たほうが良さげ

844名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:18:37.16ID:FSTicXfOO
>>840
神功皇后が卑弥呼なら三韓征伐が間違いになる。当時の朝鮮は魏の領土だから。

845名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:20:01.56ID:bAJ3mjwZ0
>>841

中国の風水を受け入れ、山に囲まれた天然の要塞の奈良盆地を都に選んだ。
山の西は大阪湾、南は太平洋、東は伊勢湾と海と山と二重に囲まれているので攻めにくい。

846名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:22:58.95ID:bAJ3mjwZ0
>>844

神功皇后の三韓征伐は広開土王碑の碑文のことと思われる。400年頃。だから卑弥呼の150年後。

847名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:26:03.37ID:Ap6QNdHI0
九州倭国より古いフリするために
1千年サバ呼んだのが奈良のヤマト

848名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:26:12.91ID:bAJ3mjwZ0
文字が普及していない時代は実力の時代。まだ、ガチガチに制度ができていなかったから女性でも
活躍できたのでしょう。

849◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 12:26:29.18ID:TDOynGmF0
>>846
応神のパパが好太王だったりしてw

850名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:27:29.23ID:bAJ3mjwZ0
>>847

北九州の国は魏志倭人伝でヒナモリ(鄙守り)と書かれているのですでに辺境だった。

851名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:30:16.99ID:Ut2ZRUSD0
>>845
盆地を良しとする風水なんてネーヨw
風水で山の配置を良しとするのは北だけだ
まったく畿内説の連中は口を開けばウソしか言わんな

ついでに纏向の大型建物も中国の礼制と合っていない
やはり畿内は中国との付き合いが無かったのは明らか

https://ironna.jp/article/10766?p=5
> 近畿説の有力集落とされる奈良県纒向(まきむく)遺跡の、大型建物を含む建物群を貫く軸線は東西方向であり、
> 前漢と後漢を境に君子と臣下の配置関係が「座西朝東」から「座北朝南」へ変化する中国礼制に対応していない。
> 吉野ケ里遺跡では、墳丘墓と北内郭の祭殿が南北方向に配置され、最重要空間である北内郭と大人層の空間である南内郭についても、
> 南北の位置関係である。

852名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:33:14.76ID:IHr4Z/ED0
強引に卑弥呼、邪馬台国の歴史文化を簒奪(乗っ取る)する気満々の畿内説、、、怖いわー

853名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:34:14.91ID:h1ahvdVT0
>>851
やはり魏志倭人伝には中国と交流がなかったため畿内政権には触れてないんだな。

854◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 12:35:20.11ID:TDOynGmF0
>>848
記紀の中で武装する女性は神功皇后とアマテラスのみで、
どちらも髪をミズラに結った男装の描写がある。
てなわけで、記紀編纂時には「戦争は男の仕事」というのが
常識だったんだろうなと。

855名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:35:30.25ID:yihZc0dd0
>>849
チョン婆オモシレェ

856名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:36:15.13ID:YCZUIqNZ0
>>851
>>853
どうせ畿内説はこの件でも東と南を間違えたんだっていうんだろ

857名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:36:43.93ID:naTxh/JA0
>>828
2しかないね

そもそも記紀になんて書くの?
うちの国が中国の文献に載りました、やったね、とか?

魏志倭人伝に書かれたことなんて知る由もないだろうに

858◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 12:38:41.00ID:TDOynGmF0
>>857
> 魏志倭人伝に書かれたことなんて知る由もないだろうに

紀の編集陣は、知っていたから苦労したんじゃないかとw

859名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:39:49.11ID:Ut2ZRUSD0
>>856
その発想はなかったwwww

860名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:44:15.05ID:8K8+vjkE0
>>857
さすがに魏志倭人伝に書かれたことは知ってたでしょう
文字を学んで歴史を書くとき、まず大陸の史書にうちの国がどう書いてあるかって気になるし

861名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:44:58.13ID:naTxh/JA0
>>858
それは漢字が普及した後の話で
その時には日本側には伝承がないってこと

862◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 12:47:24.66ID:TDOynGmF0
>>861
ううむ…。
まあ俺は1(九州説)の立場だからどうでもいいけど。

863名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:48:32.30ID:naTxh/JA0
>>860
読み直したら、俺が悪かった
記紀の編纂者が知らないとしか読めんね
邪馬台国の時代の人が魏志倭人伝に書かれたことを知らないからという意味

864名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:49:30.83ID:Ap6QNdHI0
日本書紀書かれたのは遣隋使の後で
邪馬台が首都の認識

865名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:49:58.82ID:BhlYYibE0
半島側の視点で見ると面白い
魏と高句麗は仲良しだったが240年代に仲違いして以後激しい攻防を繰り返す
310年代には高句麗が極めて強盛となり半島北部を制圧
このとき中国側は半島全域の行政権を事実上喪失し、半島南部が戦乱の時代に突入する
つまり卑弥呼死後に大陸の政治状況は正反対に入れ替わり、高句麗が南部の半島小国家を激しく圧迫しだすわけや、すでに中国の後ろ盾もない
この時期に突如として不思議な急成長した奈良の大和朝廷が誰も怖がって近寄らない半島に軍事遠征を繰り返し、滅亡寸前の百済を海を超えて軍事保護したわけだ
あまりにも不可解だがそもそも大和朝廷が百済と深く結んだ急成長国ならば不可解ではない
記紀では神功皇后神話でさらっと流してるが日本の存亡をかけた無謀な軍事進出だったわけよ

866名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:52:46.23ID:ipT4cV2j0
>>829
神功皇后は天日槍の子孫だからな

867名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:57:24.97ID:Ap6QNdHI0
遣隋使は熊本のヤマト 
奈良のヤマト
邪馬台国のヤマト

があるらしい

868名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:58:19.52ID:ILXbgtem0
肥前国風土記は他と比べて土蜘蛛や女酋長のエピソードが凄く多い
この地に何かがあったのは確かよ

869名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:59:14.25ID:ipT4cV2j0
>>865
半島南部は古来倭人領域だったから、祖国防衛的な意味合いが強かったんだろうな
あと、半島南西部を失うと中国までの安全な陸伝い航路を失うことになる

870名無しさん@1周年2018/12/09(日) 12:59:24.30ID:SdnE4fhf0
山の都はすべてヤマト
水の都はすべてミナト

だったりしてなw

871名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:00:23.73ID:DdddL/fV0
>>866
五世代も離れている
改心して神宝をおさめた天日槍を出石族が世話してあげただけのだがな

872名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:00:39.62ID:WUZr1NZW0
日本の歴史って嘘くさい。

873◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 13:02:21.13ID:TDOynGmF0
>>871
五世離れたら他人なら、継体帝はただの馬の骨ということになるw

874名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:03:22.57ID:QtavxzHV0
ヤマトは山外、単なる地名で山の向こう側という意味
カワチ河内は川の内側にある土地
ヤマシロ山背は山の後ろにある土地

地形に基づく単なる地名

875名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:03:48.02ID:7pba0CwJ0
纏向遺跡が東西軸になってるのって、もしかしたら九州を頭にしてるのかもな
軸が東西よりちょっと傾いてるのも福岡と奈良の方角関係にあってるような気がする

876名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:03:52.13ID:qRFp6TWa0
>>828
全てあると思って読み解くべき。
限定するとその選択上での記述葛藤と思い込みが出る。
例えば、推古帝記の記述と隋史の記述相違でも。

877◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 13:04:11.73ID:TDOynGmF0
>>870
杜の都はセンダイ

878名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:04:53.33ID:/EK2plMe0
>>857
魏志倭人伝を知らないってどう考えても無理筋

879名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:04:53.66ID:qbrr9ZeF0
>>872
韓国の歴史はもっと嘘だらけだぞ。

880名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:05:01.75ID:wJ6v2MS80
>>868
女酋長の名前は神倭伊波礼毘古命みたいに冠に神がついてたりな

881名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:05:22.09ID:SdnE4fhf0
将門だって5代遡れば皇族だったよな

882名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:07:30.66ID:0pobQQvz0
>>752
古代には一年に2歳カウントする習慣があった
と考えると
日本書紀とかの天皇の年齢も辻褄合うんだよね

883名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:07:59.35ID:BhlYYibE0
ほぼ赤の他人の継体天皇
このあたりですでに日本も戦乱の時代に突入したわけだよ
軍事的に強ければ出自などなんとでもなる
織田信長のモデルは大昔に居たわけだ

884名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:08:01.87ID:eInaMg2Q0
>>879
日本のように文献資料が残ってないから歴史ドラマの時代考証ができない状況
だから韓国の歴史ドラマは服装の色まで含めて全部想像

885名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:09:02.56ID:MaRUhhu60
天武以前は架空のファンタジー天皇なんだからどうでもよろしい

886名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:10:45.79ID:Ap6QNdHI0
京都でウンコ天皇が流したのを下で飲み水
にしたので上流階級と言うのか

887名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:11:33.87ID:0pobQQvz0
>>879
韓国は住民が入れ替わってる
支配層と庶民の民族が違うぽいというのもある

ドラマチックな歴史があったと思うが
今の韓国ではその辺科学的に突っ込むのは政治的タブーなんだろうな

前方後円墳のように埋められてしまう

888◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 13:11:36.29ID:TDOynGmF0
>>884
関係ない話だがふと思い出した。
時代劇で武士が「ありがたくOKいたす」と言ったので驚いたが、
冷静に考えたら「お受けいたす」だった。

889名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:12:27.89ID:bAJ3mjwZ0
>>861

その伝承がアマテラスでしょ。しかし、卑弥呼がアマテラスだと天皇家は血がつながってないので
神話の話にした。

890名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:13:19.37ID:E2xFMP3D0
>>843
更にいうと、記紀には国譲りや神武東征と言った事も普通に書いてあり
畿内勢力最強!的な文章ではない。

わざわざこんな事を書いてるのに、邪馬台国が不都合だから隠したとする陰謀説にも無理がある。

やはり無関係とするのが無難

891名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:16:25.30ID:EbBWQFTm0
記紀の編纂時にはもう倭人伝の邪馬台国は滅亡しちゃってた
と考えるのが自然だろうよ

892名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:16:27.44ID:BhlYYibE0
継体は実在でしょ
福井あたりの豪族で周囲に推されて即位した、
しかし執務するまで20年も周辺地方をウロウロした
ウロウロしたんじゃなくて反対者を制圧してたんだろね
まさに信長のモデルや
ちなみに継体も百済には執心で執務開始した翌年に百済に大軍を送り軍事保護している
日本国内の百済友好勢力が担いだ軍人皇帝と見るけどね

893名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:16:33.58ID:jaBX5wzm0
>>883
赤の他人ってほどではないのでは>継体天皇
当時の社会では応神天皇のご子孫として十分に認識されてた有名人だと思うよ

894名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:18:20.26ID:/EK2plMe0
>>893
有力な分家ってやつやな

895名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:19:44.54ID:Ap6QNdHI0
奈良は盆地でウンコが堆積して
下に流せないのでウンコ水天皇も飲んで失敗

896名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:29:23.71ID:BhlYYibE0
大和朝廷は朝鮮との縁が深すぎる
建国以来ほぼ朝鮮軍事介入に明け暮れた300年ではないのか
これによる国力喪失は莫大であったろう
どっかの新政府とそっくりやな
朝鮮と縁が切れた平安になりようやく日本が本格的に伸びるのだ
これは現代にも通じるよ

897名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:34:16.66ID:iQYvd8hQ0
記紀は正しい
日本書紀にも神功皇后の時代だと書かれている
それで間違いない

重大なのは本居宣長が言うように卑弥呼は偽女王で日本書紀に詳細を残すような偉人ではなかったこと

実際に魏志倭人伝には卑弥呼は魏の軍勢を利用して邪馬台国を乗っ取ろうとしている

その結果、中国の使者が来る前に殺されている

こうなったのは現代の日本の歴史を書いたGHQが魏志倭人伝と日本書紀を読んでいなかった事が上げられる

次にGHQが在日朝鮮陣の要望で神功皇后を実在しない人間としたことにある

実際に日本書紀では卑弥呼の時代に神功皇后が女王として君臨し
夫の仲哀天皇の死後に再婚をせずにその後、生涯独身を貫いたこと
弟が存在したこと
妹に台与(トヨ)がいた事
など魏志倭人伝と共通する事実があまりにも多すぎる

また実在に関しては平安時代の源氏や平氏の八幡(応神天皇)信仰から
揺るぎないものとされる

八幡(応神天皇)は神功皇后の息子

時代業績を見るに魏志倭人伝に書かれた本当の日本の女王は神功皇后でほぼ間違いないのだ

898名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:35:48.87ID:iQYvd8hQ0
次にGHQが在日朝鮮人の要望で神功皇后を実在しない人間としたことにある

899名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:36:55.43ID:BhlYYibE0
>>897
なぜそこまで神功皇后が重要人物かだよね
高句麗の暴威から百済を守った偉人だから。
無関係な日本人には迷惑でしかないわ

900名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:37:16.84ID:naTxh/JA0
>>878>>889
もう一度整理して書くね

記紀の古い記述は記録がなく口伝
魏志倭人伝に書かれていることを邪馬台国の人たちが伝承として残すのか
中国側の都合で勝手に記載されているだけで、書かれたことも当時の人たちは知らない
伝承として残るとすれば
・巨大な墓を造った
・金印を貰った
というようなことで、魏志倭人伝に書かれたこと自体が残るわけがないし知る由もない

金印は庶民に取ってどうでもいいことだから、伝承として残りにくい(異論は認める)
巨大な墓は百襲姫の伝承で記載があるから、そういう意味で記紀に載ってるというなら
載ってることになる
しかし、記紀の編纂者がそれを卑弥呼の墓だと思わなくても無理はない

901名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:37:23.16ID:M4nQ6bRV0
長文に読む価値なし

902名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:39:04.27ID:a9Z47L8L0
いつから日本が王様の国になったんだ?

903名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:39:37.62ID:iQYvd8hQ0
天照大神は中国の文献にも出てくるが
それは中国の文献でも神話時代の大昔
だから卑弥呼の時代には当てはまらない

904名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:39:52.38ID:ZEggDabW0
>>800
寺沢さんもんなこと言ってるな
あんまし弥生末期渡来人の遺跡てて感じがしないんよねしないんよね

905名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:40:06.70ID:Ug8eWPG30
>>591
>『旧唐書』には、日本列島について、特異な記載をしている。「倭国伝」と「日本伝」だ。

新唐書も、唐会要も、倭伝と日本伝を別に立ててるよ
単純に、唐代に倭国から日本国に国号を変えたから、唐代の史書では両方を書いているだけ

まあ正確には武則天の武周の時で、長安三年に倭国の使者が日本に改号すると
申し出たことが唐会要に書いてある

「則天時。自言其國近日所出。故號日本國。蓋惡其名不雅而改之。」
そして、則天時の遣唐使が粟田真人
「長安三年。遣其大臣朝臣真人來朝。貢方物。朝臣真人者。」

倭国も日本国も大和朝廷だよ

906名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:42:16.37ID:xaZFT8pd0
朝鮮半島人は古代から日本では凶毒として忌み嫌われ宇佐八幡や伊勢神宮で半島害虫駆逐の祈願祭が行われてた

907名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:42:25.55ID:/EK2plMe0
>>900
遣隋使とかあなたの国にはなかったのですね

記紀をまともに読めば魏志倭人伝を知ってたってわかるもんだけどな

908名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:44:26.15ID:iQYvd8hQ0
>>899
神功皇后と応神天皇は戦後GHQのが歴史を書き換えるまで
日本の軍神だった
それは平安時代から
源氏の先祖は熱心な八幡神信者
だから八幡信仰が日本全国に広まった

三韓征伐もそう

その後に関東にいた源氏の先祖も神功皇后や応神天皇の命令で
朝鮮半島に出陣し功績を上げた

卑弥呼は本居宣長が言うように無視していい存在だった

909名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:45:10.89ID:Jo1I9n3R0
新唐書は旧作の辻褄合わせのリメイク作だからあんまりあてにはならんよね

910名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:45:26.62ID:vlD5n8WH0
邪馬台国と何の関係があんねん
このオカルト集団が

911名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:46:54.44ID:p6bndsus0
日本書紀の神功皇后のところに
景初3年6月、倭の女王が帯方郡に使いを送ったとある
架空の女帝神功皇后を作ったうえに
神功皇后=倭の女王にして卑弥呼のことに触れないのはなぜか

912名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:48:47.78ID:iQYvd8hQ0
日本国内のことについては記紀が正確

魏志倭人伝は中身は半分は無視していい書物

よく見ると方位も距離も明らかにデタラメ

それなのにGHQはこれを正しい書物として考えた

それと随や唐の時代の書物は明らかに日本人からまたききで聞いた内容を記述しているだけ
当時の中国人が日本人から聞いた適当な話を書いているだけだ

913名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:49:23.15ID:BhlYYibE0
>>908
その功績は最後ボロ負けして朝鮮中国連合に怯え暮らす黒歴史に
どんな戦争も勝って利益を得て功績となる
神功皇后らが始めた朝鮮介入の収支は現代なら百兆円単位の大損だろうな
なにせ三百年も無駄な援軍を送りまくったのだから。無茶苦茶ですわ

914名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:50:40.26ID:Rg0IkETy0
朝鮮とかGHQとかどうでもいいわ
よそでやれ

915名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:52:58.40ID:BhlYYibE0
>>914
半島介入が大和朝廷建国のキモだと思うぞ
ここを避けてはナニも見えない

916名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:57:21.97ID:iQYvd8hQ0
>>911

本居宣長が言うように卑弥呼は詐欺師だったから
しかも日本書紀が言うことが本当なら
神功皇后に中国への派遣の使者を自分の側近に置き換えて
なおかつ中国語の読み書きができて朝廷内でもかなりの地位の人間でほぼ皇族

記紀を見ればわかるが権力目指して身内同士での血で血を洗う抗争が頻発している

もし本当の女王の神功皇后なら側近に竹内宿禰やら弟やら優秀な武官が山のようにいる

しかしこの卑弥呼には彼らに対応できる軍勢がおらずに魏への使者を自分の配下のものにすり替え
日本の乗っ取りを企てた

今で言うクーデター

だから使者を送り、クーデターが発覚後にすぐに殺された

有名な才女で皇族に近い身分であったことから事実は記紀からも隠蔽された

こんなところだろう

917名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:58:32.12ID:YCZUIqNZ0
>>905
唐会要も旧唐書も10世紀の書物なんだな
600年位前の話を正確に覚えてるものなのかな?

918名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:59:09.34ID:p6bndsus0
奈良時代の政権にとって卑弥呼は都合が悪かったと考えられる
天皇ではない女王卑弥呼が
魏に天皇より高位として扱われてることになる

919名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:00:12.33ID:qRFp6TWa0
>>913
鉄に、馬に、船に、機織にと労働力が入ってきて、国内産業高度成長化の切っ掛けを作ってる。
最終で負けと結論付けるなら大東亜戦争と同じようなもんだ。

920名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:02:26.36ID:ipT4cV2j0
天照と神功皇后と百襲姫あたりは割とごっちゃになってる
色々な神話の寄せ集めだからというのもあるんだろうけど
天日槍なんかも神として扱われている記録もあれば人として扱われているものもあるし

921名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:03:22.21ID:iQYvd8hQ0
日本書紀ろ古事記には当時の詳細が書かれていて
よく読めば誰が卑弥呼にあたるのかわかるんだがな
どちらも読まないから何もわからないだけだろ

922名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:03:58.78ID:Ug8eWPG30
>>660
>朱崖・ダン耳が海南島であるというソースはない

あるねぇ

漢書 卷六十四下 嚴朱吾丘主父徐嚴終王賈傳 第三十三下
初,武帝征南越,元封元年立儋耳、珠崖郡,皆在南方海中洲居,廣袤可千里,
合十六縣,戶二萬三千餘。其民暴惡,自以阻絕,數犯吏禁,吏亦酷之,率數年壹反,
殺吏,漢輒發兵擊定之。自初為郡至昭帝始元元年,二十餘年間,凡六反叛。
至其五年,罷儋耳郡并屬珠崖。

923名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:05:35.85ID:sAqJA9px0
>>125
九州にはキチガイも多いからな。

924名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:05:40.48ID:iQYvd8hQ0
魏志倭人伝はいろいろな人物の手を通して改正が加えられている
当時からでたらめな内容(方位と距離)であり当てにならない書物だった
実際には日本はその頃から文字を持ち読み書きをしていた

925名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:07:15.20ID:iQYvd8hQ0
>>921
日本書紀と古事記には当時の詳細が書かれていて
よく読めば誰が卑弥呼にあたるのかわかるんだがな
どちらも読まないから何もわからないだけだろ

926名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:08:37.09ID:BhlYYibE0
>>919
ボロ負け大損して輸入するのがメリットって頭がどうかしてるな
100分の一の費用で輸入できるわw

927名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:09:25.20ID:ipT4cV2j0
隋書では魏志倭人伝の記録を基に方角とか色々修正されている
あの時代は実際に使者が来ているからそれなりに正確
あと、やはり九州から畿内までの行程はかなりすっ飛ばしてる

928名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:10:22.94ID:V0n0JBDt0
卑弥呼が使った鬼道ってなんなのよと思って調べたら邪術ともあるし儒教的価値観とは反体制ともあるし
天皇の妃である皇后がそんなの使うかっていうね

929名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:11:48.65ID:iQYvd8hQ0
>>921
魏の使者は日本から明らかに正確な情報を伝えられていない
だから方位も距離も都市の名前も都市における状況も正確ではない
訪れた街も文官がいない田舎だけだった

930名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:13:25.82ID:BhlYYibE0
>>928
中国の道教の一種の土着信仰か
あるいはインドネシアの少数民族みたいな部族の信仰じゃないのかね
そもそも入れ墨自体が少数民族の部族信仰を思わせるね

931名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:16:10.01ID:K0UOL0LP0
中国名で書かれた帥升、卑弥呼、讃珍齊興武、阿海多利思比孤は漢字覚えたての日本人には日本の誰に相当するのかわからなかったんだよ
日中資料で完全一致する阿部仲麻呂でさえ中国名が兆衡って日本名の原型とどめてねぇw

932名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:17:14.86ID:iQYvd8hQ0
日本書紀は正しい
本当の日本の女王である神功皇后には歴戦の武官がついていた
しかし卑弥呼にはそれがなかった
だから魏志倭人伝に書いているように卑弥呼は神功皇后と弟を倒すために
皇后になりすまし魏に軍の派遣を要請した
彼女は朝廷内にいて中国語もできる才女であるが故に頭も切れた

卑弥呼は卑弥呼でかなりの切れ者だった
文字も書けて中国語もできるかなり高い教育を受けた皇族に近い立場の人だった

933名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:17:48.03ID:Ug8eWPG30
>>729
>記紀を書くときに中国の元号も使えたんだろうけど、消したんかな。

雄略天皇以降は元嘉暦で書かれていて、年代的にほぼ正しいとみられている
しかし、それ以前は、「持統天皇以降に大和朝廷で使われるようになった儀鳳暦」で書かれていて 日本書紀編纂時に当時の暦で計算した紀年で書かれたことが明らかにされているんだよ

934名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:18:57.67ID:QtavxzHV0
古代において、巫女は兵団とセットなんだな
卑弥呼の役割は民、兵を教化して纏めることだったんじゃないか?
軍隊に随行する巫女の一軍の埴輪も見つかっている
また櫛を頭に刺した巫女の埴輪も見つかっている

櫛、巫女、兵はセット

935名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:20:17.28ID:p6bndsus0
8代孝元天皇の息子の武埴安彦命が
10代崇神天皇に謀反を起こして失敗するけど
孝元天皇の妹である百襲姫はその謀反が起きた同じ月に箸に刺さって死ぬ
百襲姫が甥の謀反に参加してた可能性はある

936名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:22:41.22ID:b1Rz89uU0
>>896
奈良は、後に百済となる鉄の産地と特別な関係を構築し得たことで、
それまで九州の邪馬台(やまと)に独占され、近畿以東では希少だった
鉄を豊富に利用できるようになり、これで邪馬台の覇権を打ち壊した。
それが3世紀頭の倭国大乱。
後の百済と大和朝廷の関係はこの頃から続いているものだな。
半島情勢は、国内政治に直結する時代だった。

あ? 今は野党が北朝鮮と結びつき強いよね?wwwwww
歴史は繰り返す、ってか?wwwwww

937名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:23:29.24ID:QtavxzHV0
櫛は衛生道具
毛じらみやフケなどを梳いて除く為の道具
衛生状態を保つ為に必要なもの

938名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:23:34.01ID:iQYvd8hQ0
干支の暦自体は殷の時代から存在する
 
つまり神武天皇のBC660年ころから存在する

その頃から日本も原始的な干支による暦を利用している

939名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:28:46.02ID:b1Rz89uU0
卑弥呼を無理くり記紀上の特定人物と結びつけようとする
妄想厨が湧いてるなw

940名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:29:36.63ID:QtavxzHV0
記紀で櫛に変えられた姫がいたような気がするな

941名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:29:45.02ID:iQYvd8hQ0
日本書紀はほぼ正しいのだが
神功皇后の時代も魏志倭人伝と合致するとなると
GHQに日本の歴史破壊を懇願した在日朝鮮人らが困ることになる

なぜなら神功皇后は三韓征伐をした皇后だから
それで間違いないんだけどね

942名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:33:30.21ID:iQYvd8hQ0
正直 卑弥呼なんて記紀に出てくる人物に結びつける必要はないのだが
実際にはいるんだよな
怪しいのが

本居宣長もちゃんと記紀に出てくる人物を卑弥呼として出してきている
候補は何人もいる

しかしそれは日本書紀や古事記を読んでから候補を出している

つまり記紀を頼る以外に人物名は特定できんということだ

こんな簡単な事も理解できないのがいるのな

943名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:36:44.33ID:BhlYYibE0
>>936
北朝鮮が高句麗
南朝鮮が百済やね

944名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:37:34.53ID:iQYvd8hQ0
系図も正しいのだが
古くなればなるほど省略されている
欠史八代は実は真逆の意味での欠史であり
業績が紛失したという意味で欠史なのである
更に古くなると系図ですら紛失している

945名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:40:51.24ID:jaBX5wzm0
>>939
そりゃ日本書紀には「魏志に云う」という文言が何度も出てくるから
すなわち日本書紀の編纂者は魏志倭人伝を読んでるってこと
なのに邪馬台国も卑弥呼も日本書紀に記されてないことな最大の謎

946名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:42:27.07ID:BhlYYibE0
>>945
九州の本家を潰した後ろめたさじゃないの

947名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:43:35.59ID:iQYvd8hQ0
>>939
妄想邪馬台国伝説を作っているバカがよく言うわ
妄想バカはお前らだろうが

948名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:47:00.70ID:xB7M584d0
>>935
その謀反を予兆して甥の崇神天皇に知らせたのは百襲姫なのね
だから山背で力を蓄えていた武埴を迅速に大彦や国葺などを送り込んで鎮圧できたわけなんです

949名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:47:02.21ID:iQYvd8hQ0
>>945
当時の日本人はちゃんと真相も知っていたのだろうが
それでも当然のように無視している
むしろ無視することが朝廷命令のようなもの
やはり卑弥呼は朝廷に反乱者として殺されたんだろ
別に謎でもなんでもないわ

950名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:48:55.15ID:naTxh/JA0
>>945
そりゃ記紀の編纂者が魏志倭人伝を読んでるのは当たり前だろ
邪馬台国が大和だから伝承が残ってなくて神功皇后をあてている
むしろ九州にある勢力が中国と手を組んだなら絶対に記紀にのるだろ

951名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:51:00.70ID:wqzvjJCG0
>>942
韓国人は変わってて聞き覚えのある一つ二つのエピソードから歴史とかを捏造する習慣があるから高野新笠卑弥呼説とか平気で言い出しちゃうよ

952名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:55:24.46ID:iQYvd8hQ0
みんな記紀もっと読もうぜ
魏志倭人伝より正確で詳しいからだから
中国の書物もある程度は正しいが
日本については記紀の方が数百倍詳しく記述されている
魏志倭人伝の間違いの多さは記紀の比ではない事を知ろう

953名無しさん@1周年2018/12/09(日) 14:59:05.83ID:fPIAxbcl0
>>952
記紀はフィクションだからねえ。

954名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:01:24.91ID:FkrbvJ2o0
>>950
魏志倭人伝には邪馬台国の風習として入墨が書かれているが
古事記には入墨は九州の風習で大和にはなかったものとして記述している
神功皇后の活躍の場も主に九州だし
記紀の編纂者たちは邪馬台国が九州にあったと考えていたんじゃないかな

955名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:01:37.64ID:U/BM3Ouv0
記紀は天武に近づく程に脚色が大きい気がするよな
なぜならそのために編纂されてるから

逆に対比として上古の物語はそれなりにまとめてると思う
事績より系図の方が重要だな

956名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:04:26.63ID:K0UOL0LP0
漢風諡号の神功皇后は女帝武則天の元号神功から取ってるから卑弥呼に近い女帝

957名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:08:59.82ID:5Kjwjv6o0
カノッサの屈辱、運送業編みたい

958名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:20:24.36ID:kB+pzH5n0
>>583
ふーん

959名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:25:03.91ID:b1Rz89uU0
>>943
そう北が高句麗は正しい。百済は、ちょっと複雑。

統一新羅が約200年で分裂し、後高句麗が高麗として半島再統一。
この時、半島の正史も言語も、北中心に書き換えられた。
実際韓国人に話聞いても、北が朝鮮発祥の地として刷り込まれてる。
これが今の半島情勢をややこしくしているorz

百済地域は、この再統一以降、やたらと敵視・冷遇されて、現在でも、
百済南部である全羅南道の地域差別として固定化されているという。
結果、全羅南道は「敵の敵は味方」で北と通じた革新勢力の牙城。

半島は、三国時代からの地域対立を今も引きづっているわけだ。

960名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:27:43.11ID:BhlYYibE0
>>959
ややこしい半島に関わると運の尽き
大和朝廷の壮絶な大失敗を授業で教えるべきやね
明治政府も同じ失敗しとる
あの地域は鬼門ですわ

961名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:35:13.46ID:QtavxzHV0
記紀は天武朝を正当化する為に作られたもの
九州勢力の東征は考古学的痕跡は皆無だが、東海山陰吉備阿波連合による近畿征伐は事実だった可能性が高い

畿内にあった銅鐸とヒスイの勾玉の集落
弥生時代末期に営みが終焉
貴重な勾玉が放置されている


池上曽根遺跡は、日本最大の井戸や弥生最大の大神殿、鉄工房もあった弥生時代にかなり栄えた集落。6cm大の巨大勾玉が出土
大阪は他にも高槻市成合遺跡、東大阪市鬼虎川遺跡、四条畷市城遺跡、高宮八丁遺跡
など、きりがないほどヒスイ勾玉が見つかっている。
奈良の唐古・鍵遺跡、鉄鉱に納められた巨大勾玉が見つかっている。貴重な勾玉が放置されていた。

これらの集落の人々はどうなってしまったのだろうか?
仁徳天皇の治世、再び勾玉が大ブームになる。
近畿征伐で滅ぼされた弥生時代の勾玉勢力の復権があったのだろうか?

962名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:36:04.14ID:b1Rz89uU0
>>949
そう。記紀の神話がフィクションだというのは、
誰もが知っていたと思う。
だが、異を唱えれば滅ぼされる。触れてはいけないタブー。

各国 「そ、そだね。(震え声」
 

963名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:36:53.13ID:7ryBBR6K0
まだやってる

964名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:38:39.03ID:b1Rz89uU0
>>963
永遠に続くw

965名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:44:50.33ID:QtavxzHV0
>>962
タブーでも何でもない
神鳳寺の縁起帳とか伊勢の神は蛇とか書いてあるし
『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』においては、伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」であると記述される。 祓戸四神の一つ。

また、庶民の認識も能の三輪を見れば分かる
三輪 能

思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。

966名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:46:19.61ID:O7qFjcYr0
長文
ID真っ赤
ぼくがかんがえたさいきょうのにほんし
40代高齢低所得

967名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:46:56.95ID:IA3ixPbx0
歴史ネタ好きなんだけど邪馬台国が絡むと
一つのスレの中で同じこと何度も繰り返すのがいてなんだかなーって感じ

968名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:47:13.64ID:h1ahvdVT0
>>869
釜山あたりを自国の領土にして対馬海峡の対岸を内海にするという国防政策があったのかも。

ソ連が大戦中にアメリカに北海道北半分をとってもいいかと要求したのも
宗谷海峡の対岸を自国領にして海軍が太平洋に抜けて作戦できるようにしたいがためと言うし。

969名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:48:36.71ID:vW3NbxmO0
俺の考えた日本史を受け入れろ

970名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:53:46.59ID:h1ahvdVT0
>>959
高句麗の初代王、朱蒙を描いた韓国時代劇でも南は異文化圏という描き方してたな。

971名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:55:42.85ID:h1ahvdVT0
>>950
記紀の編集者は史記や三国志のような中国文献も参考資料にしてるのだが。

972名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:55:52.79ID:idJnqNo10
ヤマトって書くな大和って書け
クロネコか

973名無しさん@1周年2018/12/09(日) 15:56:51.69ID:YJ61Rwry0
ま日本書紀は創作だからな。
隋書では裴世清が近畿に行ったとは書いていないし
小野妹子も蘇因高。
天多利思比孤は九州王族の蘇我氏に繋がる王族で邪馬台の血統。
天智が近畿へ一目散に逃げ込み、自己の王統を正当化するため書記を書いた藤原と共謀し九州からなるこの一族を歴史から抹消したんだろう。

974名無しさん@1周年2018/12/09(日) 16:00:16.35ID:BhlYYibE0
>>968
鉄が作れない古代日本では切実だったろうね
しかしそれにしても半島にのめりこみ過ぎた

975名無しさん@1周年2018/12/09(日) 16:22:30.08ID:b1Rz89uU0
>>972
大和ハウス社員さんですか?w

976名無しさん@1周年2018/12/09(日) 16:26:54.90ID:rFpMZUla0
縄文って北センチネル島にいるような土人でしょ

977名無しさん@1周年2018/12/09(日) 16:30:40.14ID:/EK2plMe0
>>976
縄文はちゃうね石器やね

978名無しさん@1周年2018/12/09(日) 16:35:52.48ID:ipT4cV2j0
>>976
竪穴式住居に住んでるから土蜘蛛と呼ばれたという説もある
北海道や東北では割と近世まで竪穴式住居が残ってたけどな
意外と快適

979名無しさん@1周年2018/12/09(日) 16:37:29.30ID:HfnUWBmS0
534名無しさん@1周年2018/12/09(日) 13:25:38.55ID:CgEvFltK0

⦿在日の好きなカルト呪文 (統計)

縄文人を虐殺しまくり
縄文人を駆逐しまくり
お前らもどうせ一重
原爆ざまー
k-popアイドルが最高
縄文文明など存在しない
弥生人の9割が古代朝鮮人
弥生人が朝鮮人
先住の縄文人よりガタイが良く縄文人を配下に収めた
縄文猿
私もあなたも朝鮮人!違うと言っても朝鮮人!
世界中の人間が朝鮮半島から出発
北センチネル島の土人が縄文人
もともとは韓日同一民族なんだよね
なんとしても日本人を差別したい
ヤマト朝廷が朝鮮人集団なのは認めるとしても

980名無しさん@1周年2018/12/09(日) 16:50:15.79ID:h1ahvdVT0
>>978
寒さが下からくる冬には不向きだけだ夏は快適だよね。
縄文座代の史跡公園とかに復元されてるそれでキャンプするのもいいかも。

981名無しさん@1周年2018/12/09(日) 16:51:39.49ID:bcroDV000
>>954
神武天皇は征服した土地で政権を作ったとき、自分たちの風習を捨てたの?
その自分たちの風習は後世、地元の被支配者階級だけが受け継いだの?
畿内説にイチャモンつける人って、こういう筋の通らない話作るな

982名無しさん@1周年2018/12/09(日) 16:56:08.49ID:NlgRDAYK0
大和朝廷と邪馬台国はやはり別だよな

983◆HKZsYRUkck 2018/12/09(日) 17:01:04.00ID:TDOynGmF0
>>981
普通に考えれば、東征はなかったということなんだろうなあ…。
面白くない結論だけど。

984名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:05:32.93ID:b1Rz89uU0
>>981
うわ。近畿説の人、恐れ入るw
東征神話が何なのか、理解していないw
いや、理解しないことにしているwww

985名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:05:35.01ID:c4gd8IYH0
>>981
神武は山彦で陸で糧を得て生活する
隼人が海彦で海で糧を得て生活する
刺青していたのは海人

986名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:06:34.35ID:6xet6hBC0
>>981
>その自分たちの風習は後世、地元の被支配者階級だけが受け継いだの?

どういうこと?

987名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:07:17.40ID:OXaw0I5A0
朝鮮の歴史は土下座の歴史     
http://imgur.com/THqbsc2.jpg

それを救ってやったのが日本。

現在、韓国にある独立門は日本人への感謝の証だという真実を理解してる韓国人は少なく

逆に「日本からの独立の象徴」と思い込んでるらしいwww

988名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:09:49.04ID:Ap6QNdHI0
筑紫王家を滅ぼしたのが壬申の乱
天智天皇と天武天皇
天智は遣隋使の九州ヤマト系

989名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:11:42.47ID:zD35u/bO0
九州説って古墳時代も九州が中心だったと思ってるのか

990名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:12:21.25ID:Ap6QNdHI0
遣唐使送ったのは九州ヤマトの奈良のヤマトに引っ越した組

991名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:14:12.17ID:h1ahvdVT0
白村江の戦いに破れた倭国軍はヤマト政権軍じゃなくて
九州政権の軍隊だとする変な書き込み見たなぁ。

992名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:14:44.41ID:b1Rz89uU0
>>989
3世紀頭の倭国大乱が何だったと思ってるの?w

993名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:14:59.13ID:naTxh/JA0
>>989
あまいよ
飛鳥時代も九州。最近じゃ平安時代まで九州にし始めてる
しまいにゃ江戸幕府も九州!って言い出すよ

994名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:15:55.80ID:b1Rz89uU0
>>990
ヤマト運輸でお引越し?w

995名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:16:14.98ID:H/N77CZY0
>>989
そもそも中心なんてあるのか?

996名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:17:46.25ID:Ap6QNdHI0
君が代
は筑紫王に作った歌で
明治維新で朝鮮人天皇の歌になった

997名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:19:28.80ID:c4gd8IYH0
部材を組み合わせて造る大規模な船の形をした埴輪だとか
前スレ?で誰か言っていた海人族のステータスだったゴホウラ貝の腕輪とか
三韓地域で出土しない呉の画文帯神獣鏡とか
そういったものも日向地域からは出土しているようなので
専ら陸の民ではなく沖縄や支那のかなりの遠方まで足を運ぶ交易を行っていたんではないかと想像する

998名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:19:41.62ID:naTxh/JA0
>>981
九州説は宗教だから
矛盾を気にしてたら九州説なんてやってない
あるのは根拠のない妄想だけw

999名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:24:58.75ID:P8ArwZlg0
大和は古墳築造に動員できる奴婢が多かったというだけ

1000名無しさん@1周年2018/12/09(日) 17:25:07.73ID:tGZqFW8J0
畿内説「魏志、隋書、旧唐書、記紀ぜーんぶ嘘。纏向は桃の種が出てきたので邪馬台国あーあーきこえなーい」

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