昭和18年(1943年)、ビルマの行政府長官のバー・モウ、ビルマ国防軍司令官アウン・サンが来日し、東條英機と会談しましたが、
このときのエピソードでアウン・サンが下手な日本語でダジャレを言った時、その席にいた日本人は誰も笑わなかったのに、東條英機が一人、その駄洒落を受け取って大きく笑ったといいます。
これも東條英機が気配りの人であったことがよくわかるエピソードでしょう。

 戦後は東條英機は「独裁者」だったという誤った批判が行われ、日米戦争を「最初から無謀だった」「自殺行為だった」と結果から導き出したプロパガンダが生まれ、その責任を日米開戦時の首相である東條英機に押し付けてしまっています。
そして人間・東條英機というものは隠蔽されていました。
このような言論は健全とは言えないでしょう。人間・東條英機、そして大東亜戦争は最初から無謀だったのか、という点検が必要であるように思います。