昭和20年(1945年)7月16日、ポツダムの会談に臨んでいたトルーマンはニューメキシコにおいてプルトニウム型の原子爆弾実験に成功したとの報告を受けます。
ソ連参戦がなければ対日戦争の早期完全勝利を望めないと考えていたルーズベルト大統領はヤルタ密約でソ連の参戦を認めていましたが、トルーマンは原爆を使ってアメリカ優位の対日政策、その後の世界勢力図でソ連、イギリスに対して優位になれると考えていました。
 トルーマンはスターリンからソ連の参戦は8月15日と聞き出していました。ソ連が参戦したら日本は降伏してしまいますが、原子爆弾は8月1日に使用の準備が整いますから間に合います。
しかし、日本がポツダム宣言を受諾すると使用の機会が失われます。そこでポツダム宣言の陸軍長官スティムソンの原案から天皇の地位保全の条項を削って、日本がポツダム宣言をすぐには受け入れないように細工しました。