【歴史】新たな書状発見…豊臣秀吉 切腹直前の秀次の息子を「要職に」
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豊臣秀吉が、養子の秀次が切腹する3か月ほど前に、その息子を要職に就かせると発言していたことを示す書状が新たに見つかりました。秀吉は、実子の秀頼が生まれたことで秀次と不仲になったというのが通説ですが、調査にあたった専門家は「秀吉が簡単に秀次一家を潰そうとしていなかったことを示す意味のある発見だ」と指摘しています。
この書状は、東京大学史料編纂所に未調査のまま保管され、村井祐樹准教授が調査を進めました。
その結果、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉の側近、木下吉隆が毛利輝元に送った書状と判断され、この中に、豊臣秀次の息子を今の奈良県にあたる大和の国主にするという秀吉の発言が記されていたということです。
秀次は、跡継ぎのいなかった秀吉の養子になったあと、関白の職についていましたが、この書状が書かれた3か月ほどあとに謹慎させられ切腹し、妻や子どもも処刑されました。
村井准教授によりますと、秀吉と秀次は、この2年前に秀吉の実子、秀頼が生まれたことをきっかけに不仲になったというのが通説ですが、最近は、秀次の謹慎の直前まで関係が悪化していなかったとする研究もあるということです。
村井准教授は「豊臣家に人がいなくなってしまうと滅亡につながってしまうので、秀吉は簡単に秀次一家を潰そうとはしていなかったのではないか。京都に次いで大切な大和の地を豊臣家の一員に任せようと考えていたことも分かり、今回の書状はかなり重要な、意味のある発見だ」と指摘しています。
■書状に「母者」 関係の近さ うかがわせる
今回の調査では、秀吉が自分の母親のことを「母者」と記した珍しい書状も確認されました。
この書状は、花押や印はないものの、紙の質が当時のものと一致することなどから、天正13年、西暦の1585年に秀吉が弟の秀長に宛てたものと判断されました。
本能寺の変のあと、小牧・長久手の戦いの直後に書かれ、敵方だった織田信長の次男、信雄が夫人たちを大坂に連れてくると記したうえで、秀長に「お前の家を修築して滞在させておけ」と命じています。
そのうえで「もし調度品がそろっていなければ、一時的に『母者』のところに滞在させるように」とも記しています。
調査にあたった村井准教授によりますと、秀吉が母親のことを「母者」と表現している書状が見つかったのは今回が初めてで、母や弟との関係の近さがうかがえるとしています。
村井准教授は「秀吉が天下を取る前の、まだいろいろなことが官僚化されていないなかで、自分の手回りでやりくりしている様子がうかがえる。秀吉の私的な部分がうかがえる文書で、うちうちの書状はあまり残らないので、そういった意味でも珍しく貴重だ」と話しています。
2019年8月19日 5時10分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190819/k10012040091000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190819/K10012040091_1908190558_1908190709_01_03.jpg >>1
何で切腹させたの?妻子まで処刑したの?
カスで確定でしょ 駒姫(こまひめ、天正7年(1581年) - 文禄4年8月2日(1595年9月5日))は、安土桃山時代の女性。最上義光と釈妙英(大崎義直の娘)との間の次女で、羽柴(豊臣)秀次の側室候補。別名、伊万(いま)。
伊達政宗の従妹に当たる。彼女の名は御駒山からとられている。
駒姫は、その類いまれな美しさから父母に溺愛されて育ったという。時の関白・豊臣秀次は、東国一の美少女と名高かった駒姫の噂を聞き、側室に差し出すよう義光に迫った。
義光は断ったが度重なる要求に折れ、15歳になったら娘を山形から京へと嫁がせると約束する羽目に陥る。
なお、九戸政実討伐の帰途、山形城に立ち寄った秀次を、義光が駒姫に接待させたという挿話は後世の創作とみたほうが妥当である。
文禄4年(1595年)、駒姫は京に到着し、最上屋敷で長旅の疲れを癒していたところ、7月15日、秀次は豊臣秀吉の命により高野山で切腹させられた。
そして駒姫も8月2日に他の秀次の側室達と共に、三条河原に引き立てられ11番目に処刑された。まだ実質的な側室になる前だったと言われている。
父の義光が必死で助命嘆願に廻り、各方面からも処刑せぬようにと声があがった。秀吉もついにこれを無視できなくなり「鎌倉で尼にするように」と早馬を処刑場に派遣した。
しかしあと一町の差で間に合わなかった[注 1]。享年15。法名は「諦雲院殿誓聴大姉」[1]。
『最上源代々過去帳』は諦雲院誓聴日東大姉、『最上家譜』は妙法院華萼蓮心大姉とする[1]。
辞世の句は、
「罪なき身を世の曇りにさへられて共に冥土に赴くは五常のつみもはらひなんと思ひて
罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき[2]」
駒姫を演じた女優
独眼竜政宗(1987年 NHK大河ドラマ):坂上香織 歴史ファンタジーを信じ
新しい手紙を作成したのか? >>6
少なくとも秀次を引退させて秀頼を跡継ぎにする方針は明確に見えるな 一族の結束がないと滅ぶで〜
て雄略と頼朝が言ってたとかなんとか 秀次は死人に口なしで後から悪口言われてるけど別に悪逆無道でもないし謀反なんか考えてもいなかったんだろ
数少ない身内なのに、ほんとにどうして殺したんだか >>12
秀次も かなり残虐超人だったらしいよ。
血が好きな人。だから自分で処刑執行するとか。 いつも思うが、この事に関しては、最上義光が1番可哀想だと思うんだわ 歴史群像かなんかで秀次の高野山追放は自らの出奔、切腹は命令も無く自分で勝手にやったってことだったはず。
少なくとも秀頼が産まれて不仲になったという通説は軍記物レベル いや、むしろ謀反なり権力奪取の企てないと殺さないだろ? まあ結果的に豊臣家滅ぼうにつながる事件でしたからね
生きていれば徳川家康も迂闊に動けなかったでしょうし >>15
だったら秀次の一族皆殺しとかしないだろ
妻妾と子供全部殺す意味はなに? >>19
それ、古代中国の歴史を引用した悪人に仕立てるための古くからのテンプレやで。
妊婦の腹を裂いて胎児を出したとか、悪人に仕立て上げられた人にだいたいつけられる悪行の見本 勝手に切腹されて収集つかなくなってブチギレたっていう最近の説補強する材料にはなるな まあそれが普通の対応だわなぁ。
淀君でしょ。粛清させたのは。
やっぱ女が政治に関わるとロクなことがないわ。
秀吉からしたら、信長と自分の血が入った秀頼が日本の頂点に立つ事は、
悲願だっただろうけど、続かなきゃ意味ないしね。 >>10
そうなんだよね
小早川みたいによそに養子にやればよかったのではないか >>19
>妊婦の胎を裂いて見たこともあったそう。
こんな暴君テンプレ書かれてもなw 中村彰彦、ワックなんかで仕事してんのかよ >>21
戦前には徳川に盛大にケンカ売っといて主役のはずが
最上ごときに足止めされて何もできなかった上杉が哀れすぎるw >>24
謀反事件ってことにして厳罰にしないと収拾つかなかったんでしょう 家康氏ねよ
官僚主義が肥大化すると、どんどん残虐になっていったね。 秀頼は確実に間違いなく絶対に秀吉の子供じゃないよな >>10
秀頼は秀吉のガキではないからなw
淀のガキでまあ織田浅井の血筋だから毛並みが悪いわけではないけどよ
秀吉も自分のガキでないことはわかっているけど
自分のガキであることにして天下様のメンツを保ったw
百姓上がりの秀吉に家を守るなんて概念は持ち合わせていないからな
自分の甥でも愛人の種が胡散臭いガキでもどちらでもいい感じwww 秀長って空気読んで男子を側室に生ませなかったのかな。
夭折した男子はいたみたいだが。 >母親のことを「母者」と表現している書状が見つかったのは今回が初めて
ニセモノの可能性が大きいとも言えるのでは?
贋作者が、秀吉は文書では「母者」を用いないと知らなかったからかも。 >>36
意味不明
何の収拾がつかないの?
何を収拾させなきゃいけないの?
だって勝手に切腹したんだろ、あんたの説じゃ だから今の天皇さんも気をつけなければいけないんだよ。
>官僚。 まあでも息子を大和にってことは秀吉の後継としては
秀頼に繋ぐまでのワンポイントってことだわな 本人を切腹させてるんだから
今さらそんなことでイメージ変わるわけないだろ
何言ってるんだ それにしても歴史の研究者って凄いよな
こんな訳の分からん文字を解読できるんだもんねw もうこのころの秀吉は気が違ってたとしか思えないのよね。
嫌いだわ、秀吉。 ワンポイントでも、秀吉が死んだあとは自由だからね
空気が読めない 大河の軍師 官兵衛の時の描写がそんな感じだったな
秀頼が産まれたことで、秀次自身が疑心暗鬼に陥って、秀吉にそんな気は無かったのに齟齬が続いて修復不能になるみたいな 関白にしてしまった以上殺さざるを得ないわな
でもこの一件で最上が豊臣絶対殺すマンになって関ヶ原で東軍勝利しちゃうんだから皮肉なものだよ >>46
別に俺の説じゃないし。
政権のナンバー2が謀反の嫌疑かけられたから身の潔白を証明するために勝手に高野山に出奔して、秀吉は殺すつもりがなかったのに勘違いして先走って腹まで切ったなんて大混乱するから謀反ストーリー作るしかなかったんだろう 本妻だけでなく、側室や付き人まで処刑したんだろ?
側室には最上の娘もいた。しかも15歳
あまりにも常軌を逸していた。 >>57
ナニが大混乱するんだよ?w
で、一族皆殺しにすればそれが収まるの?ww 身内のいない秀頼でやっていけると思ってたのか
家康が諾々と従うと
秀吉は若い頃頭使いすぎて痴呆になってたんだろうな >>61
いや、その説すら知らない奴がなにを偉そうに噛み付いてんだか。ご自分の見た軍記物でも信じてればいいんじゃないの?
俺はそういう説があるという事しか言ってない。 信長は弟信行の子
津田信澄それなりに遇してたけど
天下完全に掌握した豊臣としては
むずかしいな扱いが >>64
信長は案外と一族思いが強い
まあいわゆる一族郎党で典型的な武士なだろけどよw 数ヶ月前に要職に就けたから何だって言うの?
結果的にその数ヶ月後に皆殺しにしてるのに
主筋を処刑し、身内を処刑し、滅ぶべくして滅んだのが豊臣家という事実は変わらないぞ いや、だから意思が変わったのがこの後の3か月間って絞り込める資料でしょ >>67
諫言した古参も粛清して関係ない外様を巻き込みまくったからな
おかげで秀次の配下だった東海道沿いの古参が関ヶ原で全員家康に付いた >>20
俺もまったく読めん
なんとなくどころかただのミミズにしか見えん
当時の人はこんなの読んでたのか? これさっぱりわからん事件だ
身内お付も全滅させたのも謎だし
秀頼の事がなにか関係してるんだろうけど 家康は晩年、部下の自分に対するダメ出しを内容が悪くとも喜んだそうだからなぁ。
まあ秀吉みてて色々思ったところがあったからかもしれんが。 7月5日、前年の春に秀次が家臣・白江備後守(成定)を毛利輝元のもとに派遣し、
独自に誓約を交わして連判状をしたためている(または、輝元よりこのような申告があった)と、
石田三成は秀吉に報告した。
しかし、この報告の内容は事実無根であり、秀次はすぐには応じなかったようである。 >>64
最近の信長の評価も改革者じゃなくて結構保守的だったんじゃ?
みたいな説が持ち上がってるな、親族の件もそうだし 6年前の1589年に聚楽第落書き事件があって、
門番17名が耳鼻削がれ磔で処刑した上に
無関係な町民など60名も処刑されてるからな。
この時点でもう頭おかしいだろ。 >>71
以前は秀頼に九州を与えて欲しいと秀次に頼んだけどね
それが秀次の子に大和、ということになったから明らかに秀次系を排除する方向に動いた >>63
いや
そんな「軍記物」みたいなどっかの三文ライターが書いたようなゴミ説知ってるからって
偉そうな顔されても(笑) 鬱病からの突発的な切腹という最近の説が補強されたか 秀吉って秀頼のことマジで自分の子供だと思ってたの? 秀吉は種が無いんじゃなくて薄いだけ
長浜時代にも子供が二人いた(早逝したが) 誰かが秀頼をハメたんだろな どう見ても秀頼ならそう簡単に家康にやられない 答え分かるな >>83
もう言ってることも意味不明だから絡まないでくれる?
自分の信じるコレが歴史だー!って一人でやってろよ >>1
>【歴史】新たな書状発見…豊臣秀吉 切腹直前の秀次の息子を「要職に」
原文の日本語も万全でなく、すべての日本人が史実に明るい訳ではない。
それにしても、「切腹寸前」なのか英次なのか、その息子なのか位は
明確にするのがスレ立て人の仕事だろうに。
少しの冗長認めるべき。 例えば せめて 秀次の切腹寸前にその息子を
とか。 >>1
全く読めん
たかだか400年前の文字なのにな 事情に通じた同時代の人たちにすら真相が判らなくてあれこれ想像するだけだったのに今になって謎が判明する要素なんかないでしょ 豊臣秀次はいらない子、結城秀康はもっといらない子。 紙の質が当時と同じだから花押や印もないのに本物って
なんなん 昔、御三家(信長、秀吉、家康)って、
ノッブ 粗暴で短期、キチガイ
ヒッデ 知恵物で、農民から天下取った天才(但し、晩年は残念)
ヤッス 脱糞タヌキ
ってイメージだったのに、
朝鮮がヒッデsageやり始めてからどんどんディスられること増えて悲しいわ 世界の常識:
・歴史を引っ掻き回すヲンナ
頼朝:北条政子
足利義政:日野富子
秀吉:淀君
家康:百姓女(安定長期政権) >>74
必死に止めようとしてるのに、相手の怒りを煽り立ててそうw >>94
古文書解読やってた知人が言ってたが同じ江戸でも初期と幕末じゃ全然違うらしい 秀長の息子、秀保が1595年4月16日に急死
場所が空いたから、どうよって話じゃないの
ちょうど3か月後の7月15日に切腹 最近の真田丸の説とよく似てるな
興味深い話
たぶん折衷案模索してたんだろうな 秀長が側室いっぱいもって、男子を沢山つくっといたらどうなったんだろう。
それはそれで色々問題起きそうだが。 秀次が切腹したのは秀吉の命令じゃなかった説がますます現実味を帯びてきたな 秀頼は秀吉の子じゃないだろうな
DNA鑑定できないのかね
茶々が自分の子を後継者にするために秀吉をそそのかしたのかね 本文ところどころ読める字あるだろ
2行目は豊松?
4行目、貴札○西かな 英次の切腹命令書て未だに存在しないからね
真田丸は最新の説でやってたな 57歳の時の子でしょ?まあ、ミックジャガーとか73歳で子供作ったけどね >>112
遺骸発見の報があったけどな。。
で、真実秀頼だったのか… 秀吉って自分で敵討ち取って生首ギコったことあるん? 秀頼が生まれたからはい切腹
て通説は単純すぎるわな >この書状は、花押や印はないものの、紙の質が当時のものと一致することなどから、
>天正13年、西暦の1585年に秀吉が弟の秀長に宛てたものと判断されました。
雑すぎだろ
当時の紙に書いてあれば全部本物か 養子を跡継ぎにして
その後に実子が生まれて、ゴタゴタが起きるのは
何も秀吉に限っての話でもないし 秀次はしょせん棚ぼたの身内だからな
猿扱いしてた家来筋の秀吉から切腹を命じられた信長の息子達の屈辱と無念は計り知れんわ 徳川家康の陰謀にまんまとやられてしまったんだよねえ >>109
逆やで
真田丸自体がこの説含めて傍説集みたいな内容
捻くれ者の三谷らしい >>125
違うよ
真田丸のが最新の説だよ
お前何も知らないんだな >>89
自分もそう思う
犬公方の綱吉は一男一女をもうけたが、男子は夭折
そのため取っ替え引っ替え大奥で頑張ったが、その後子供は出来ずに甥に将軍を継がせている
そういういい比較対象があるのに秀吉は淀殿だけに子供ができて他にできないのはおかしいと言われる
恐ろしい天下人の女に手をつけられるものなどいない
まあ家康信者には秀頼が不義の子である方が都合がいいのだろう >>116
最新の説じゃなく単なる傍説やで
主流にはなってないけど「こういう説もある」って程度 切腹命令してないなら、妻子妾を大量処刑する必要もないわな 最近流行りの説は
実は秀吉は高野山に謹慎命令までは出したが
切腹命令は出してなかった
てやつだからな >>89
その女性も2人生んだんだよな
当たり易い何かはあるんだろうな
淀含めて その後の対応(妻子、家臣の粛清)見れば、すべては承知してたと思うが >>130
世の中、"分かるやろ"ってのもあるし
そうなるともうお手上げか >>134
真田丸では秀次が勝手に切腹したから
秀吉がブチ切れたって演出だったな >>112
秀吉自身が自分の子じゃないという意味のこと言ってるよ。
秀頼は淀一人の子だと。
父親は、子宝祈願やってたクソ坊主集団の一人。
当時は、子宝祈願と称して乱交するクソ坊主集団がいて、淀は子宝祈願した後に妊娠している。
そのクソ坊主集団は、秀吉によって全員処刑されてる。 一番怪しいのは家康
秀次謀反のうわさを流したかもしれんね >>136
というか秀吉の切腹命令書ってのがあるんだが
これは江戸時代に作った偽書ってのがバレた >>56
秀次と仲が良かった伊達政宗等の大名は関ヶ原で東軍に成った。 秀吉自身の子供じゃなくてもどうでもいいんだよ
秀吉直系の子供ができたってことが重要
当時はDNA検査もないんだしさ >>134
だよな。
高野山に福島正則派遣して切腹させたというのは、高野山でも記録されてる。福島正則だぞ。 >>143
そうだね。
それを理解すると、秀次が邪魔だということも分かる。 >>1
専門家でもない昔の人がこれ読めたの凄いな
サラサラ流し過ぎじゃないの
漢字以外は判別できねえ >>138
坊主やない、拝み屋、陰陽師やねんな。
243(2):名無しさん@ピンキー[sage] 2019/06/29(土) 11:13:09.30c/sYrSuR
肛門で感じるなんて有り得ないからアナルセックスは好きじゃ無いわ
肛門自体は大好きで肛門にこびり付いた便臭を堪能する描写とかは最高に響くんだけどね
どうせアナルセックスを描くなら事後にペニスに付着した便や腸液、そして
風呂に入ってもチンポにこびり付いて取れない強烈な肛門臭(便臭)を描写して欲しいものだ
あと古都子を見てきたがノンケ作品は未収録だったね
肛門好きだから古都子の描く肛門が上達しているかチェックしてみたが
魔都時代からそうだけど性器やクリの描き方は上手いのに肛門は縦割れでイマイチなんだよなぁ
この顔のホモが↑を言うんだぜ? おぞましい。
「時雨沢恵一」と「乙一」の比較画像 ←ひんがら目の男、AOKI恵一(ブサホモガイジ2号・中込将之こと砂雪命名)
またの名を坂浦見魔太郎
http://imgur.com/a/9MEH5Uo
やっぱお前、日本語読めないんだな。坊主と陰陽師と神官と山伏の区別もつかんのやからな? そんなことより
安土城近辺をクルマで走ると
ナビやスマホのGPSが狂いまくるのは
何かの祟りなの? >>100
秀吉は朝鮮を侵略しようとしたのだから仕方ないでしょ
負けたけど >>5
これ初めて知ったけど、ひでぇな
一度も顔合わせた事無い奴に泣く泣く嫁いだら道中そいつが切腹してて、
京に到着したら「お前も側室だから死刑な」って・・・ 大和の国の国主だから
秀長の後継者だな
大納言クラス >>150
晩年は遠ざけられたとも聞くし
実子の娘も不遇だった気が
故にもう無理じゃね? >豊臣家に人がいなくなってしまうと滅亡につながってしまうので、
これは説得力ある
子供の死亡率が高いあの時代に、年取って子供1人生まれたから養子はバイバイなんてなるのか不思議だったから 新納慎也
中尾明慶
北村有起哉
眞島秀和
成宮寛貴
池内万作
三国一夫
陣内孝則
氏家修
広岡瞬 >>152
ええ、これで遺恨が伊達政宗に残り
後になって東軍について豊臣は滅ぼされた >>20
>>75
在日なのか?
まともな日本教育を受けてきたとは思えない発言だな >>1
最初は秀次がキリシタンと繋がってるのを知らなかったからじゃね? >>150
秀吉の死後10年くらい仕事バリバリで生きてて、更に息子が生き残るって条件でもどうやろなぁ 実際、秀次に謹慎命令・切腹命令が出てたかどうかはわからないが、最近は出てない方が主流っぽいな
もし無断で出奔したり、切腹したりしたらそれだけで謀反の意思在りだから、一族根絶やしも仕方ないか。 >これで遺恨が伊達政宗に残り
何言ってるんだ?
こいつ >>1
∧__∧
( `・ω・´) < 犯人は家ヤス!!
/ 歴史は勝者によって書き換えられるから必要以上に秀吉が悪人にされている可能性はあるね
いくらなんでも死罪は理不尽すぎるし 本願寺からの関白就任までの、秀吉 秀吉家臣団は、日本史屈指の天才だったのにな なんでこうなった 秀次を殺してその子を生かすなら
力は削げるし恨みは半減するからうまく潰そうとしたってことだわな 小牧・長久手を境にして・・・秀吉があまりにも無能になりすぎている
いくら統治・内政的な仕事が向いていなかったとはいえ
織田家家中でイケイケしてた頃に比べあまりにも劣化しすぎてまるで別人のよう
後期の秀吉はいったいどこから連れてきたサルのニセモノだったんだ?? よくも考えれば初めて日本統一した人物がその前半生が不明ってかなり異質だよな 小牧・長久手を境にして・・・秀吉があまりにも無能になりすぎているニダ
この後、家康が臣従してるんですけど 当初は秀次をプチ左遷程度のつもりだったんだろう(息子は要職に就かせてやる)
しかし秀頼を傀儡にして権力握りたいやつらが、秀吉に秀次裏切りをそそのかして
処刑までもっていった 秀吉なんて所詮どん百姓の成り上がり者よwwwwwwww 秀次を後見にしとけば徳川に滅ぼされる事はなかったろう >>159
読めねえよ馬鹿
貴乃花が何か言ったってとこだけは読めるw >>180
いやむしろそう考えると
とんでもない大人物に思える >>184
松平氏も三河の吹けば飛ぶような弱小豪族だがな >>149
侵略しようとしたのは明だろ
朝鮮は通り道で勝負にすらなってない
明軍が国傾けるくらい出兵して秀吉病没したから何とか講話 >>155
秀長の娘は毛利秀元に嫁いでるが、1609年に死んでる
一応正室だし、まだ秀頼もいた時代だし、そこまでじゃこ
もなかったんでは、て気もする
後の実子は男は若くして死に、もう一人の娘はよー解らんかったな、、 >>43
当時は高野山に蟄居は、処刑待ちの意味じゃん >>185
徳川家康の祖父・松平清康の時代には三河をほぼ平定していたよ。 この字が読める奴は、ボールペンの試し書きも読めると思う 仮に秀吉が蟄居のみで納めようとしてたとしても
今から深田恭子を側室(東国1が側室に来る予定)にして思う存分セックス出来ると思ってたら
お前死ぬまで蟄居なと言われたら
謀反を考えるかも?
そして、謀反も無理と悟ったら自殺するかもな この手紙のたった三か月後に、なんで秀次一族が皆殺しにされたのか?
かえって謎は深まったね
秀頼可愛さで狂った説の方がわかりやすかった >>194
祖父って家臣に殺害されたんでは?
忠義に厚い三河武士ww >>158
なんで伊達と思ったが義光は母親の兄?だったか 時々関ヶ原で東軍が反乱軍で西軍が豊臣側みたいな意見を見るけどどういう理屈なんだ?
どっからどう見ても東軍こそが豊家で西軍は外様の寄せ集めがそれに反乱起こしてるだけにしか見えないんだけど
最終的に徳川家が豊家潰したから徳川家=反豊家って事?それなら大阪の陣に至るまでに滅ぼそうと思ってたらいくらでも口実あったのに実行してないのはどういう認識なんだ? >>201
実際に滅ぼしてるって認識してるのに何言ってるの? 自分の子供は豊臣から旧姓の三好に戻しますわ
代わりに秀頼養子に迎えて次の天下渡しますわって言ってるのに切腹だもんな
ボケ老人にも困ったものだわ >>1
独裁者の前に要職なんて意味の無い話って事では? むしろ、なぜ秀次が殺された腑に落ちる原因が、
記録として残っていないのかを考えるべき。 >>204
自分が信長の子供したこと思えば
そんな絵空事信じる訳あるまい
もっとも、最後は家康に秀頼を託す老害ぷりだけど 「切腹直前の秀次」の息子を
「切腹直前の秀次の息子」を
駄目なタイトル >>123
>秀吉から切腹を命じられた信長の息子達
秀吉と直接対立した信孝は別として(まあこれも命じられての切腹じゃなくて戦に敗れての自害だが)
その他の息子たちで秀吉から切腹なんて命じられた人いたっけ?
秀吉は元主筋の織田家の人間にはそれほどひどい待遇はしなかったと思うが >>201
豊臣恩顧の武将が全員死ぬまで豊臣を滅ぼせなかった
家康も関ヶ原では打倒三成であって打倒秀頼ではなかった よくわからないのは身近な親類は
粛正してるのに徳川家康には手をつけなかった事
一番ヤバい相手を残して味方を削っていったら
そらやられるに決まってる >>214
おーい、家康も秀吉から見たら身内だぞ、なんのためにわざわざ妹を離縁させてまで送り込んだと思うのか? >>214
正直、江戸幕府成立に一番貢献したのが
秀吉で次が三成な感じすらするよな
隠れ家康ファンだったんじゃね? ん?
信孝以外に殺されたのいるか?
つーか、正確には兄の信雄が殺してるんだよ
ウンコもぐもぐ >>4
空気読まずにKKみたいにのうてんきに
うまくいったら俺も殿下ナンだわ
って周囲を地獄に巻き込んだ上に
更になんかやらかすアホを一人でも減らしておきたかった ん?
家康を味方につけてなかったら、天下統一までものすごい時間がかかったと思うけど >>216
1590年に死んでるから、身内感は無いと思うよ
秀次が死ぬ頃には既に 身内に留めとくために、千姫の嫁入りを要請してるんだろ
で、家康も応じた >>214
手を付けるには大物過ぎるだろ
豊臣政権下でも秀吉に次いで2の勢力
領土は豊臣家を凌駕する規模
潰すにもかなりの覚悟が必要 最上さんとこの娘の件がある限り秀次事件に関わる秀吉の評価は変わらない >>201
関ヶ原の後に先ず家康としては自信の立ち居地を天下人にする為にする時間が必要
征夷代将軍の位を授かる工作、その位を息子である秀忠に譲って、幕府は徳川家が続くという認識を諸大名が納得し得る為の時間
その間に外様の力、主に財政力を江戸城などの整備でそぎ落としたり
口実があっても現実に実行できる基盤が無いと無理だろ >>221
秀頼には千姫くっつけるように言って実際くっつけてるじゃん、秀忠には秀勝の嫁さんだった江姫をくっつけてと女系では恐ろしく濃い身内だよ >>177
読み手も筆で毎日書いてるからこそ分かるんだろうな
当時の漢字の当て字とか面倒くさい跳ねや止めの省略具合や
筆オンリーな世界じゃないとニュアンスが掴めないから
僕らからしたら暗号に近いわな >>226
1603年に江戸幕府が成立したイメージがあるけど
大阪夏の陣が1615年5月
武家諸法度が同年で夏の陣後直ぐだから
機能しだしたのは1615年でもいいんだよね本来は >>224
実力的にも手を出せなかったとするなら
尚更、味方削ってる場合じゃないw
婚姻結んでるから身内で安心、と
秀吉が考えてたとするならそれは呑気過ぎるしw 前田利家が百歳まで生きないのが悪い。
あいつが全部悪い。 最上が一番可哀想。
しかもその後徳川に取り潰される。 最上は、徳川で大大名になったんだけど
孫に器量がなかっただけでしょ 昔の子沢山から見ると血縁者のすくなさは大名のなかでは目立つ 秀次は金貸しの才能が半端ないから死んでチャラにされたのが痛かった
関ヶ原まで生きてたら借金担保に裏切り防げたし兵ももう少し出させる事が出来た >>36
最上は60万石の大大名だぞ。
攻め込んで勝つのは容易な事ではない。
しかも伊達にも目を配っておかないといけないし。 つか戦国武将に限らず歴史上の人物の名前の読みって
フロイスの日本史とかでローマ字表記されてる人とかは別だけど
それ以外ってほんとにその読みであってるんだろうか?
とかはふと思ったりした >>199
「三河武士」は徳川家康に仕えた譜代の家臣のことだよ。 秀次を監禁して秀頼がある程度大きくなるまで
まって関白を譲らすつもりが切腹して思惑が
外れて激怒して一族皆殺ししたって説もあるん
だっけ 水戸黄門だって試し切りやってるぞ、辻斬りも。(若い頃) >>247
正室は実家に帰されたんじゃなかったけか? 母方の実家が黄門が良く通った通り道沿いにあって、
んで急に休む言いだした時の為の部屋があったんだよ。
一段高いわけ。薬屋もやってたから、寄ったらあの印籠に
(あんなんがあったらだが)薬調剤して入れてたかもしれん。
運が良いのか寄る事は無かったけどね。粗相で斬られちゃたまらん。 豊臣は悪人、冷血、非道、ぜーんぶ徳川が作り上げたウソ歴史。異論は認めない。 豊臣の末期の崩壊に突き進むスピード感は凄い
そして家康の神に導かれたかのような全てがポジティブに向かう歴史の流れ
ここだけは神様の因果律を信じてしまうは >>179
そんなところだろうな。
だから、武断派が秀吉の死後に石田三成を襲撃したんだろう。
秀吉をそそのかした中心人物とみなして。 >>3
利休の切腹でもわかるとおり、秀吉は晩年
感情的で支離滅裂な行動を取っている
一説には、秀吉は梅毒でまともな判断力が失われていたのではないか
との説もあるくらいだ
これはある程度、裏づけがあり
秀吉の血判状から梅毒スピロヘータの遺伝子が発見されているし
当時の記録にも梅毒を思わせる症状が秀吉に見られた記録もある >>249
ぶっ殺した犬の毛皮でオシャレアイテム作って綱吉にプレゼントしてるんだよな(´・ω・`) 秀次の暗殺で、秀次に妻を差し出していた諸大名の離反も招いたし
また、豊臣を支える成人男子が、秀次の死で一人もいなくなったことで
秀吉の死後、豊臣の急速な零落に向かった
その理由はいろいろといわれているが
まあ、秀次がそんなに優れた人物だったような記録もないから
秀次が生きていたとしても、豊臣が存続できたかわからないが
秀次の粛清はどう考えても秀吉の失敗だったのは間違いなく
その上、いまだもって粛清の理由がよくわからないのだからな 最盛期に一か八かで徳川つぶしに行かなかった時点でなぁ
ぶっちゃけ自分一代楽しめりゃいいやってなったんじゃねえの ボケてたんだから支離滅裂なのは仕方がない
諸大名の前でオシッコ漏らすような奴だぞ秀吉は >>3
妻子まで処刑して復讐の芽を摘んでおくってのはわからんこともないが、
畜生塚がわからんな。
自分の身内が畜生ってことなら、自分も畜生だと世間は思うだろうにな。 >>5
彼女らの遺体は遺族が引き渡しを願ったが許されず、その場で掘られた穴に投げ込まれ、さらにその上に「畜生塚」と刻まれた碑が置かれた。そのむごたらしさに都人は浅ましいとも何とも言いようがない思いを感じたと伝わる。
不運というにはあまりに酷い人生だな >>233
家康に直接手を下すには隙がなさすぎたし、小牧長久手の戦いも散々だったから搦め手で和睦に持ち込むしかなかった。
配下ナンバー2に前田を据えて抑止力にしようとしたけど役者が違いすぎた >>259
東日本、特に関東・東北における惣無事の徹底に家康の力は不可欠。
てか、秀吉の天下統一事業の最大の協力者にして功労者だぞ、家康は 多数の女とやりまくって出来たのが秀頼だけ
秀吉が種無しで淀殿が悪女だったんだろうけどなぁ
淀殿の人生凄すぎだわ >>263
母親の大崎殿も娘の非業の死に酷く悲嘆し半年後になくなっている(自害とも言われて
いる)。
最上義光は権謀術策に長けた大名で周辺を陥れて成り上がったが「親の因果が子
に報う」と晩年は酷く悔いていたという。 揺れてたのは間違いないだろうな、となると秀吉に耳打ちしたやつの影響を受けてやったって線も考えられるな。 >>266
それが事実なら淀は両親と養父の仇をとったことになる。 >>266
秀吉は過去に死産や流産だったが、二度ほど他の女性と子をなしたこともある
まったくの種なしだったわけではない
ただ、淀君の場合は、秀頼だけではなく
他にも男子を産んでいるしな
何十人も名家の姫君を妻にしながら、淀だけ子を産むのはどうしてだ
ってのは当時からささやかれてはいた
一人だけなら、そういうこともあろうで済まされるが、二人になればさすがにな >>255
利休については
茶道を体系化させた人物ではなく
たんなる詐欺師、豊臣政権から多額の金を横領などしていたのではないかという点で
その責任で処断されたのではなかろうが
足利義秋のころには、
すでに茶道は体系化されている >>255
利休はバテレンと通じた
薬物と武器のバイヤーだったから切腹させられただけです
あいつが作った茶室は、その商談をやるための物です >>264
いやだからさ戦に持ち込もうとするなら
因縁つけるだけだから
やれなかっただけだろう
問題は何故にそんな状況にも関わらず
味方の粛正を始めたのかがわからないのよ
秀次は一族皆殺しにしなきゃならない相手とは
思えないのよね >>274
偉くなり過ぎると、自分自身が実際に見聞きした情報での判断ができなくなる
全て周りの人間の伝聞での判断になってしまう >>244
小谷の浅井は現地ではアザイと呼ぶとか
小説や講談で間違った読み方が広まっている例はある >>275
つかね、もし豊臣家の存続を真剣に
考えたなら徳川と一戦すべきだったにも
関わらずやらなかったのは
根本的には秀吉公は自分が一番大切だった
のかもしれん、とも思った 単に年をとって気が短くなったのか、それとも切腹させざるを得ない案件がでてきたのか 小牧長久手の戦いは17歳だからな。
伊達ともかなり親密だったらしいし、
秀吉の死後は、間違いなく家康と戦っていただろうな。 >>277
古今東西、何故そいつを側に置くのってのは珍しくもないし
秀吉には家康は忠臣に見えたんじゃね? 1584:小牧・長久手の戦い
****:関白任官
1587:九州平定
1589:鶴松誕生
1590:小田原征伐
1591:文禄の役
****:鶴松死亡
1593:秀頼誕生
****:秀次切腹
1596:慶長の役
1598:秀吉死亡
家康討伐より、唐入を選択したんじゃないかな?
結局どっちもダメになったけど >>281
かもね
つか北条氏を潰した後なら
対徳川戦はやろうと思えばかなり有利に
戦えたと思うんだがなあ
朝鮮征伐にリソース割くなら徳川だろうに 家康が秀次謀反の告げ口したか噂をバラまいたんだろ
秀頼可愛さの余り正常な判断力を失ってた秀吉ならコロッと引っかかりそうだ >>439
家康は秀吉の生前は表向き秀吉に忠実に仕えた
そんな人物を安易に攻め滅ぼせば「次は我が身」と豊臣政権に離反する勢力が増大するだろ
秀吉が天下人とは言え豊臣政権の実態は有力諸侯による緩やかな連合政権で
それを維持してたのはひとえに秀吉個人の業績から来る権威
だから秀吉亡き後は一気に豊臣政権は不安定化した >>276
浅井長政は「あざいながまさ」だと思われてるが、後年の創作だからな。
実際には「あさいちょうせい」が正しい。
後々、こういうのは正しいのが書き換えられてしまうのが怖い あれ?
未来にレスしちった
>>439さん、頼んだぞ どっちにしても秀次処分したら滅亡は避けられなかっただろうな
同族が元々少ないうえにこんな政治してたら人心は離れる >>284
前田利家も秀吉の死後のすぐに死んだのが大きいな
利家が存命だったら家康も簡単には手を出せなかった >>284
>秀吉が天下人とは言え豊臣政権の実態は有力諸侯による緩やかな連合政権で
逆
むしろ秀吉ほど独裁的な政権は珍しい
九州征伐の前に秀吉が家康を攻め滅ぼすつもりだったけど地震があってそのあと家康が頭を下げてきたから
わざわざ攻め滅ぼす必要がなくなっただけ
それでも滅ぼした北条領に放り込むとか本拠地に江戸を指定して強制シムシティとかの嫌がらせをしたし
もし家康が秀吉より早く死んだら、秀忠がイチャモン付けられて大減封の国替えを食らったんだろう 秀頼が秀吉の本当の子じゃないとしたら、すべては喜劇だ、むごすぎる喜劇 >>290
分かってないね
秀吉個人が独裁的かどうかは別の話だよ
政権の基盤構造の話をしてる
秀吉自身はほとんど無限の権力を掌握してたが
それは秀吉個人に付属する権能で盤石な豊臣体制が構築されてた訳ではない
それが証拠に秀吉個人を喪失したらアッと言う間に豊臣体制は崩壊していっただろ 死後、家康に実権が移るのは避けられない話
だから、縁組して後の事を託したんだろ
いきなり家康成敗するほうがボケてるだろ 成敗できてたらしてる
しようとしたら大混乱になるのが目に見えてるから
次善の策として関東に追いやっただけ >>291
もしかすると、唆したヤツが居るかもな
秀頼誕生と同じ年に秀次切腹
しかも、秀頼直前は早世、その前2人も早世
成人前に死ぬ可能性はそう低くはない
あと、数年してからでも遅くはない >>292
わかってないのはそっち
公家に準ずる家柄を武家に導入して豊臣家を頂点とする支配体制を確立しようとしたのに
太閤の秀吉が現職関白の秀次を粛清したことでそういった支配体制が全否定されて
秀吉オンリーワンに逆戻りしたから、秀吉を頂点とする奉行と取次などの支配機構も
秀吉が死んだあと機能しなくなった
秀吉政権が「緩やかな連合政権」ならそもそもトップが変わっただけでそこまで早く崩壊しない >>294
しようと思えば出来るよ
唐入の軍勢を向ければいいだけだ
何が戦になるかなんて、家康自身が秀頼や上杉討伐等で見せたじゃん
やろうと思えば可能
しなかっただけだ 秀吉がどこから梅毒もらうんだね
ウンコもぐもぐ
愛妾みんな感染するじゃん 秀次には関白職は返上させるとしても、大和を与えて秀頼の後見としようとしたことがうかがえる。
とすれば秀次が自害せざるを得なかったのは、本当に秀次に謀反の兆しがあったか、それとも
光秀の謀略に秀吉が乗せられたかのどっちかだろう。 >>297
>しようと思えば出来るよ
>唐入の軍勢を向ければいいだけだ
ひたすら忠誠を尽くす相手にそんなことできない
家康が乗っ取ったのは後の話で、秀吉が生きてた頃では律儀者で有名だから
家康が怪しいなら毛利上杉も処分しないといけない
特に一族合わせて200万石以上の領地と巨大銀山を領有する毛利は家康以上に危険な存在
関ヶ原で西軍が勝ったら毛利が乗っ取ってた 秀長の大和国100万石継げたのか
空気読んで秀頼に関白譲りますとすぐに申し出てればよかっただろうに秀次は政治センスないわ >>302
あんまり笑わせんなよ。他家に忠誠とか
飲めない条件だせばいいだけだよ
それを口実に討伐
家康自身が上杉や秀頼にやった手じゃん
3権持ってるなら可能
忠誠が心配なら、徳川亡き後の領地を一部あげればいいだけ
徳川配下も揺さぶれるしな
もっとも、秀吉は徳川討伐より唐入りのが重要と思ったんじゃね? こんなのよく読めるな
汚すぎて字の区切りさえ分からん >>100
ねらーは本当に秀吉嫌い多いよな
確かに晩節は酷かったけど
だけどやっぱこの人は英雄だよ
人の作り上げたモノのっとるだけのタヌキなんかより遥かにな 昨日たまたま見てた地元のローカル番組でやってたけど、秀吉って思ってた以上に
人気無かったな。
終わりでも三河でも1割ちょいw
もう、三英傑ちゃうやん。二強+猿やん。 >>296
>公家に準ずる家柄を武家に導入して豊臣家を頂点とする支配体制を確立しようとした
そんな取って付けたようなハリボテの政権構造だからあんなに脆かったって言ってるんだが
全く話が通じねえなww
そんな虚飾の権威構造なんていくらでも好きなように作れるんだよ
徳川は秩序構造としてそれを利用はしたがそんな虚構の権威体制なんて頭から信じてなかった
支配体制を維持すのはあくまでも「力」
徳川政権は全国の石高の4分の1を支配する並ぶ者無き「超大名」と言う基盤を元に構築された
秀吉と違って家康はあくまでも「現実」の信望者だったんだよ
死の間際になって潜在的な敵である家康に「秀頼の事頼みましたぞう〜」なんて馬鹿な真似は絶対しない(笑) >>307
その晩節が嫌われる理由やで
多分、中国大返し迄の秀吉を嫌いって人は少ないんじゃないかな?
嫌われる理由はそれ以降 >>305
頭悪い人だな
徳川家を清華家相当と定めて豊臣政権での地位が豊臣家に次ぐ扱いにしたのは秀吉
官位も織田信雄が改易された後豊臣宗家以外最高位だから、秀吉にとって家康は政権の重鎮であって
危険因子として全く見てない
いくらピンチでも織田との同盟を一度も裏切らず律儀者で有名の家康にイチャモン付けて滅ぼすとか
秀吉が生きてる間にこんな話をしたら頭がおかしいと思われるだけ 「超大名」だからこそ、「秀頼の事頼みましたぞう〜」なんじゃないの
しっかり遺言残してるし、医学的見地からボケてたとは思えんが
家康も、利家も遺言に従って動いてる >>309
>そんな取って付けたようなハリボテの政権構造だからあんなに脆かったって言ってるんだが
宗家御三家親藩譜代外様の構造もハリボテだというのかw
秀吉が秀次を殺して権力を個人に集中させたから破綻しただけで
そうでなければ豊臣政権の骨組になってた 上杉って、石田を挙兵させるための演技だった、直江兼続こそスパイ。 未だに家康が律義者だとか言ってる人が居るんだな
今川義元死後:今川家滅亡
織田信長死後:甲斐、信濃進出
豊臣秀吉死後:豊臣家滅亡
凄い律義者だねww ウリには、秀吉死去の時点で、家康が豊臣家を滅ぼす姿が見えるニダ 秀吉は、死後割と直ぐに豊臣が滅亡したのも悪いんじゃないのかな?
せめて3代くらい持てば、もう少し好かれたのかもしれん >>317
無知過ぎる
義元の死後→氏真に仇討ちの出兵を訴えたが却下されての独立
信長の死後→織田家重臣に甲斐信濃の反乱鎮圧支援を申し出て許可を貰った
さらに言うと秀吉と戦った小牧長久手は同盟国織田(信雄)を支援するため 小牧長久手の戦いは17歳の秀次が家康叩きを主張したと言われている。
家康と仲がよかった秀吉と違って、秀吉死後の秀次は
間違いなくリベンジマッチを挑んで来るのはわかりきった事。
秀頼誕生で、家康が秀次追い落としを思いついたのは腹黒狸なら当然だろう。
ポスト秀吉の戦略の中で秀次事件を考えれば、
その後の歴史の流れは大体説明できる。 >>1
だとしたら、一転あの一族郎党皆殺しの意味が分からんな。 まあ、淀君や三成が采配振るうくらいならまだ結束力あったかもねえ。
あまり有能なイメージはないけれども。 >>11
そして結束の強い北条に源氏はとってかわられたんだな 一つ言えるのは信長も本能寺の変に際して、
信忠の謀反だと思った様で、
家康も信康や秀忠や秀康と仲が悪かった様に、
秀吉もまた下の世代の秀次とは相当な確執があったのは間違いない事だろう。 >>329
まあ、朝鮮出兵が失敗だと。
あれで武官と文官が決裂してしまった。 >>325
直ぐには滅びなかった可能性はあるが、100年後ぐらいには第二次戦国時代になってそう >>320
そんなこと言うと信長死後に織田政権崩壊したわけで
その二人を見て対策できた家康は特殊ではないかな >>255
利休は天下の社交サロンの主
「表向きのことは秀長に、内々のことは利休に」などと言われていた
が、表の秀長がおっちんで利休にコネパワーが集中してしまった
大人しく引退しとけばよかったのに抵抗したから切腹させられたんだろうな >>55
「真田丸」もその路線だね
あそこでの宇喜田秀家のキャラクターが好きw 武田信玄も信虎に謀反を起こして当主に納まったし、
自分の息子の義信は謀反の疑いでぶっ殺してる。
戦国時代の一つの流れなんだろう。
もしくは人間としての性なのかもしれない。
我々も気を付けなければいけない。 >>323
小牧の後秀吉自身も家康を攻め滅ぼすつもりがあって実際もう一回攻める予定だったが地震の影響で延期になった
そのかわりというか小田原攻めの時に家康を秀次の指揮下に入れて
その秀次が家康を含む大軍を指揮して箱根防衛の戦略要所である山中城を半日で落として汚名返上 >>333
信長もそこそこ優秀だと言われる信忠が生きていれば織田政権も続いた可能性はある。
やっぱ後継者がちゃんと政治ができる年齢で、そこそこの能力がある必要があるんだろうな。 >>299
他大名の奥方に手を出してたというが
正室を感染させたら外交問題レベルじゃね? 普通なら秀頼が元服するまで秀家が豊臣家をお守りいたす、みたいな流れがベストだったんだろうけど。
秀吉も晩年は別人のように暗いイメージあるからなあ。
そこまで秀家を信頼できなかったんだろうなあ。 結局秀次息子は大和の国主になってないからな
大和の国主にしようかと思ったけどやっぱり皆殺しにするべと決断したんだろ? 戦国時代で生き残るために必要なスキル高すぎ。日本人優秀やな 世襲問題って権力者の支離滅裂な思想がまかり通る理不尽なものだからな
秀吉もこれに尽きる
うちの会社も会長がボンクラ二代目馬鹿息子を二代目に据えた時点で
あーはよなんかしでかして一家離散お家滅亡しちゃえばいいのに、と思ってるw >>329
たしかに二元政治になってた所は大抵仲が悪い
親子以外に家臣の利害関係が複雑に絡んでるからね
家康が死んだ後腹心の本多正純が早速粛清されたし 秀吉は幕府を開けば良かったのに。
幕府を開かなかったから豊臣政権は短命に終わったのかも。 応仁の乱以降、完全実力主義の世の中になった中で、
前政権よりさらに強固な基盤を形成する為には、
偉大な父親をブチ殺して政権を奪取するのが良いという考え方があったのだろう。
信長が親父に香を投げつけたのもそういう流れじゃないかな??
親父を超えないと更に上はない訳だからな。 >>255
>秀吉の血判状から梅毒スピロヘータの遺伝子が発見
つわあああああああ >>88
背が高くて立派な体格のイケメン系だったみたいだし、
猿顔の小男の子供とは思えないですね >>353
浅井と織田の家系が入ってるから
そこはそれほど不思議ないよ
幼少から良い物食ってるだろうし >>348
幕府の権威失墜をリアルタイムで見た秀吉が幕府を開くなんて最初から考えてないだろうし
権力も権威も将軍より上の関白を棚ぼたで手に入れたから今更ボロ雑巾になった将軍なんて要らないだろう >>255
ウンコもぐもぐ寄生虫って、ソース出さないからね >>354
祖父の浅井長政は大男だからな
娘は父親似、息子が母親似という傾向を考えれば秀頼の長身はむしろ当たり前 秀吉が政権取った時、形式上、室町幕府はまだあった
秀吉が関白になったのが1585年
義昭が将軍職を辞したのが1588年 >>358
秀吉がやりたいと言えばどうにか成ったんじゃね?
本能寺直前の信長に打診したって話もあるし >>1
それって「秀次の謹慎の直前まで関係が悪化していなかった」という証拠じゃなくて、むしろ悪化している証拠じゃん >>358
義昭は1573年に京から追放されたし、朝廷が義昭を解任して新しい将軍を任命しても問題ない
というか室町幕府で何度もやった >>337
野放しにするよりは手元にとおもったんじゃないかな。
小牧でも勝てなかったし。それ以後、力づくでやるにはリスクが大きすぎたと思う。
秀吉って、巨大な敵は潰すよりも取り込むイメージだし。
寝業師みたいな? >>359
朝廷にしてみれば、むしろ将軍になってくれたほうがうれしい
秀吉が関白となり武家貴族が朝廷の要職を占めたせいで、朝廷の運営が滞ったり官職につけない公家が続出したからな 山梨の山奥にある旅館で一泊する前に寺に立ち寄ったんだが、そこに武田信玄の書状が保管してあって漢字はある程度読めたんだが…秀吉のはわからんなw字が下手なのか >>333
織田の崩壊は信長側近も後継信忠側近もまとめてやられたからだろ
家康と秀忠が側近と一緒にまとめて死んだようなもんであれで崩壊しないのは無理
信忠達だけでも生きてたらまとまる可能性はあっただろうが 秀吉も人を見る目がなかったな
政権の安泰のためなら殺すべきは秀次ではなく、家康だったろうに 秀吉は家康を潰しておいた方が良かったな。
幼少の秀頼からすれば、かなりの脅威だっただろ。 秀吉は家康を潰しておいた方が良かったニダ
その結果、また戦国時代に逆戻りかもしれんけど >>158
伊達じゃねーよ
鮭大好き最上よしあきだ 平家もそうだが朝廷の体制機構に寄生した形の武家政権は短命やのう
やっぱ武家政権は幕府の創立が肝心なんかね 血族しか頼れない乱世
その血族もまた信用できないのが乱世
歴代の幕府や豊臣の興亡を教訓にした家康は御三家を継承権のスペアにしたんだろうが
徳川宗家が絶えたときに跡目争いの内戦から崩壊してた可能性も十分ある ぽまいら気をつけろ。若い彼女を渋谷に1時間放置したらこうなる
注意喚起のためTwitterとかで拡散よろ!
https://youtube.com/watch?v=rmfPdWojsbw 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:55e787040b07f9ca8824427c31a04279) >>267
それはいわゆる服部天皇の情報操作の弊害だぞ
最上義光は優れた大名だし権謀術策も使っただろうがやってる事は伊達のまーくんの方が100倍は酷い ★それで。。いまだに徳川が江戸城で支配してる 礼和元年
なりすましがいる >>371
秀吉61歳だから
あと10年位は生きるつもりだったんじゃね? 秀頼が大野治長の子って説はどうなの?
結構信憑性あると思ったけど >>367
まとまったところで意外と脳筋でしたってのが信忠だからな
遅かれ早かれ織田は終わってた ぽまいら気をつけろ。若い彼女を渋谷に1時間放置したらこうなる
注意喚起のためTwitterとかで拡散よろ!
https://youtube.com/watch?v=rmfPdWojsbw 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:55e787040b07f9ca8824427c31a04279) 逆に家康も利家も自分と同じ年くらいで死ぬだろうと考えてたんだろう
遺言は、次世代の秀忠と利長にも残してる 秀次遺しておけば関ヶ原であんな悲惨なことにならなかったのに 東大史料編纂所、資料集めるだけで放っとかれてたわけ?
もう全ての資料をデジタル公開しろよ。
読めるやつが研究してくれるぞ。 じゃあ何で秀次はお家取り潰しにされてしまったんだ? 書状に何書いてあろうが現に秀次一族皆殺しにしてんだから救いようがない >>383
夏の陣の1年後死去。73歳
運にも恵まれないと天下なんて取れないんだろうな 脳をやられていたニダ
死の直前に遺言残してる
みんなそれに従ってる 秀次一家を粛清したことで関ヶ原で最上が東軍についた >>386
末期型秀吉は頭脳がマヌケだから
三歩歩いたら殺す気になってしまうんだ 結局皆殺しだったんだから意味ねーなw
これも豊臣家滅亡の一因だろうし。秀吉が悪い。 統一して3年後くらいに秀吉死んだほうがまだ豊臣家は生きながらえたんじゃないかw 切腹とか打首とか本当にあったのかな?
一発で人の首を切り落とせるとは思えないし、腹なんて切り裂いたらその時点で痛みでショック死する気がするんだけど。
あったとしたら本当の切腹って相当凄惨な現場だと思う。
腹を切り裂き痛みで泣き叫ぶ中、何回も刀を降って首を無理やり切り落とす。
内臓は飛び散り悲鳴がこだまする中長い時間を掛けてやっと首を切断。 見ていた人達は恐怖やショックでゲロはいたり悲鳴あげたり泣いたりしてそう。
戦国時代ってのは大変だ。首実検とか言うのかあって生首が並べられてこれは誰々ですとか確認するんだとか。もうゲロはいて半泣きで嗚咽漏らさしながらの作業だろうな。
恐ろしい時代だわ。 信長の兄弟や子供が沢山いた織田家ですら、
信長の死後は一家離散状態になったわけで、秀次ファミリーが生きてたとしてもどうなるかわからんね 切腹はガチ(腹切ってもだえ苦しみながら死ぬ)→半ガチ(腹切って即首撥ねてもらう)
→ヤオ(扇子を腹にあてて首撥ねてもらう)→不戦敗(怖いが死なないといかんので
毒飲んで死ぬ)の順だったと思う。 >>374
そのとおりだね
朝廷の体制に武士はついていけないんだよ >>398
切腹させる意味が苦しむ事が大前提だし、介錯は読んで字の如く助ける意味がある。
介錯人が武芸に秀でた人がやる習わしも苦しみを少なくするためだと言われている >>108
きっかけはそれだろうね
秀保は秀次の実弟だしね
ただ記事からは秀次の息子っても嫡男なのかそれ以外なのか記してないから
政治的意味が変わってくるな >>195
小さいころから習字を習ってるとなんとなくわかる
当然だけど古文や漢文の素養が必要
あとは変体仮名の字典とにらめっこ 首を撥ねる立場の人間が権力者側の武士ってのが日本的で面白いわな。 秀次生かしておいたら秀頼殺すのは目に見えてたので秀吉の行動は何ら間違ってない
ちゃんと歴史から学んだ行動
しかし家康も過去に対峙し更に懐柔するために添加を子供に譲ると約束した間柄なのだから
秀次と同じくらいキケンだとわかってたのに潰さないまま死んだのは間抜けだな 朝廷は六波羅とかで監視しつつ独立した武家政権をつくるしかない
ゆめゆめ朝廷の体制に付随した武家政権にしてはならない
負けるから 結局、妹婿の家康に任せることにしたんだろう
他の親族は家康と比べるとパーだから殺したってだけ 秀吉の暴政が政権の末期を速めたのは事実
秀次は朝鮮討ち入りが膠着状態に陥り、明国の本格介入を前に和議に持ち込もうと密かに画策していた
これがばれて一族誅殺
ただ、和議云々が漏れれば嫌々渡海している外征軍の士気は一気に崩壊するので、素行不良をあげつらった
殺生関白などと汚名を着せて混乱を回避しようとした
多分こんなことだと思うけどな 朝廷の官職は世襲のようであって、世襲じゃないからね
幼少や病弱だったりすると、別の家に回される
朝廷から離れて、私的に継承できる別体制が必要
豊臣政権は、秀次粛清後、関白不在で政治的な根拠がない状態 軍務の才はからきしだったから(小田原征伐など)秀吉の勘気を蒙ったのは史実だろう
ただ、一族誅殺まで及んだ理由は秀頼可愛さだけではなくキリスト教の禁教が原因だと思うけどな 羽柴の一族は優秀だけどみんなでかい欠点もある
秀吉・・・落書きにキレて門番ごと磔、駒姫の件
小一郎・・・不正するほど金にガメつい
秀次・・・後継者争いから脱落した腹いせに女を試し斬り >>282
既に臣下になってる徳川をいきなり潰しに行ったら、他の大大名だって「次はウチか」ってなるだろ
従った以上は、それなりに説得力のある隙を見せない限り強引には行けんよ 真田丸の秀吉と秀次の関係は良かったな
甥っ子を一丁前の男にしたくて逆に過干渉気味な秀吉と秀次の被害妄想で
秀次が勝手に切腹、秀吉ガチギレ >>407
秀吉の後ろ楯がなくなりゃただの人になってしまう秀次と違い家康は実力も国力もある大名だからな、一度は秀吉に勝ってるし
切腹言われてハイハイ言う事聞くわけなく、国内ぐちゃぐちゃの戦国逆戻りのリスクだって低くなかった
秀吉存命でも淀の尻にひかれてキチガイじみた事連発してた最晩年では離反する武将も少なからず出たろうし
潰さず死んだのではなく潰せずに死んだが正解だろう そもそも、織田から豊臣への政権移行が不安定だろう
本能寺からの流れが不透明にすぎる
足利義昭は中国地方で政務とってて、織田政権の影響力は天下統一になど至っていない
そもそも、信長が天下統一を目指していたかどうかすら不透明だ
近畿、東海あたりを束ねて、天皇を奉じて、それなりの秩序回復ぐらいしか考えていなかったかもよ >>282
北条でいっぱいいっぱいだったのに徳川なんか行けるわけがない
臣従して家臣筆頭になってるのに、攻めたりしたら一部の子飼以外は疑心暗鬼で無謀連発 >>420
>秀吉の後ろ楯がなくなりゃただの人になってしまう秀次と違い家康は実力も国力もある大名だからな、一度は秀吉に勝ってるし
いやいや現職の関白だぞ
金貸しの才能もあって多くの大名が秀次から金を借りてるから
秀次切腹した時に追求されるの恐れて家康や利家に助けてもらった
そもそも秀次が粛清されず生きてたら家康は秀次の部下でしかない >>1
書いた人間は秀次に加担したとして処刑されるオチ付き >家康は秀次の部下でしかない
形式上はそうだけど、誰が秀次に付いていくんかね
家康はやはり幕府作って枠外に出ようとするだろう そもそも豊臣政権の中枢が大分裂してる状況ではどうしようもない
それと家康は恐らく関係ない 不思議なんだけだ、秀吉は信長の部下だよね?
関ヶ原で信長が死んだ後なんで秀吉が後継者になったの?
普通なら信長の息子とか兄弟がなるもんじゃないの?そう言うのがいないにしても徳川家康や坂本龍馬とか優秀な人材が居たのになぜ秀吉? 秀次のアホさ加減にぶち切れしたとしても女子供まで皆殺しってやっぱそれまでの人物だったな >>427
>形式上はそうだけど、誰が秀次に付いていくんかね
秀次が生きてたらむしろ誰が外様の家康に付いていくんかね、って話だぞ?
家康にごっそり寝返りした東海道沿いの豊臣恩顧武将は福島以外全員秀次付きの家臣だった人達 >>430
信長を見てたしやってやれんことはないとは思ってたろうけど、
武将の頃とは随分と「人」の扱いが違うねえ。 >>389
63歳で亡くなったら秀頼が死ぬことも
なかっただろうなぁ >>429
信長が後継者の信忠と同時に死んだので信長の孫の後見人というかたちで秀吉は後継者の一番手に躍りでたんだよ
実力主義の下剋上の時代で信長の政権はまだまだ盤石とは言えなかったので
信長の息子というだけで天下人になれるほど甘いもんじゃなかったんだね
あと家康もだけど秀吉もめちゃくちゃ優秀ではあるよ
坂本龍馬は幕末の人だよ 畿内から遠く離れて関東に追いやって、畿内への経路には豊臣系大名を並べて蓋をし、北には上杉らを配置して封じ込めは完璧だった
豊臣勢力がしっかりしてれば家康は全く恐れるに値しないはずだった
しかし政権の中枢はああして分裂しては誰も政権を維持できないんだよ >>106
マジすか?? 寛永と慶応では
話し方も文章も、変化アリなのですかね?
元禄時代の文章を幕末の人は
読めてた? >>429
あと信長が死んだのは関ヶ原じゃなくて本能寺だよね ワテは信長のように甘くないぞーという秀吉の手紙もある >>431
その場合、家康は秀頼について一波乱
起こしそうだけどね >>417
>>422
そんなことを言ったら
豊臣潰しに行った時の徳川家康なんか
因縁と騙しのオンパレード
勝つ事が全てなのは戦国大名は皆、知ってたはず
理屈なんか大して関係ないよ >秀長に「お前の家を修築して滞在させておけ」と命じています。
迎賓館か。 秀次が生き延びても、秀頼に関白を譲る気がない場合、また一波乱起きる
豊臣恩顧の大名は分裂するだろう
家康が付け込む隙はあるよ どうやったらこののたくった字が読めるようになるんだろ?
訳付きの史料集読み倒してパターン覚えるしかないのかな >>440
それは家康が絶対的権力を握って反対しそうな大名を排除した後の話
それまで家康は秀頼には一切手を出さず摂関家の一員として扱ってた 北条は滅ぼさずに伊豆相模に減封
家康は会津に飛ばして関東は上杉(越後&上野)と子飼いに分け与えれば良かったんだよ >>442
その時まで家康が生きてたらね
秀頼が成人して秀次が関白職を譲る必要がある時期だと家康もそろそろ天に召される時期だから
秀次と秀頼が関白職を巡ってジワジワと権力闘争を始めたら家康に出来ることはそんなにない 豊臣秀長になった夢を見た事がある。
いつもいつも無茶苦茶する兄の尻拭いで大変だった。 福島、黒田が狸に丸め込まれてなかったらなぁ
まあ三成憎しで感情コントロール出来なくなってたか >>444
だからさ秀吉は家康に対して
未開の地に国替えを命令出来るくらい
朝鮮征伐に数多の大名を出来るくらい
権力は有してたよね
それなのに徳川戦には踏み切れなかった理由が
わからんのよ 秀頼は、1605年、12歳で右大臣。1607年、14歳で辞任
秀次が関白譲るか否かの時期には間に合いそうだね
五大老は秀頼盛り立てるように遺言されてるから、口実はあるよ >>450
素直に置けいれたからだろ
受け入れなかった信雄は改易
言うこと聞かない奴には容赦ないが、聞く奴には寛大だよ >>440
あくまでも、何かしらの隙を見せた大名限定だよ
任意のタイミングで潰そうと思って潰すなんて無理
島津なんてどうしようもなかったくらいだし >>451
儀礼的な叙任はともかく、10代前半で政治の実権を握る関白は実際無理だから、関白云々は早くて20代以降
その時家康はすでに寿命 秀吉はなんで幕府つくらなかったんだろう?
室町幕府の崩壊をリアルタイムで経験してるからとか、
将軍になれる血筋じゃなかったというのは家康も同じだし
関白になってるぐらいだから将軍もなれると思うんだが… 家康だって秀次が関白のまま秀吉が死んでたら天下簒奪を諦めてただろう。
秀次は三方が原で家康に煮え湯を飲まされた経験があるから家康への警戒を怠らなかった筈。 >>456
足利義昭に「俺を養子にしろ」と言ったけど頑なに拒否された。 秀次一族生き残ってたら秀頼暗殺されてただろな、それで秀次VS家康で
やっぱ徳川の天下だろな >>456
将軍なら幼い秀頼にも継承出来たから、
幼い者が任官出来ない関白よりは良かったんだけどな。 >>456
血筋の工作はしてたけど?
家康は源氏との繋がりの勅許を得てるし
秀吉だって関白になる為に近衛家の猶子になってる >>456
将軍単体じゃそこまで権力と権威はないからな
右近衛大将は従三位だからどうしても摂関家の下位になる
家康が権力と権威を持ったのは同時に右大臣と源氏の氏長者である源氏長者に叙任されたから権威も権力もトップ >>456
幕府は征夷大将軍を頂点にして東国で武士を統治する
京都にいる公家の最高位、関白の方が遥かに格上 徳川時代に、秀吉がいかに悪逆非道だったかを広めるため >>188
朝鮮出兵で日本がビクともしなかったのに明が傾くのかな >>452
いやいやそんなこと言ったら
秀次は秀吉の命令に逆らったのかと
>>453
タイミングって言ってもそんなの
相手がいるのだから完璧には無理だよ
桶狭間だって関ヶ原だって適切なタイミングとは
言い難い
秀吉は伸るか反るか、の賭けに出なかった
という事じゃないかなあ >>467
桶狭間はまだまだ近隣の状況だけ気にしてればよかった時期の話だし、関ヶ原はむしろ逆だろ
アレはむしろ徳川が反豊臣の大号令をかけたようなもんだ。むしろ豊臣側がそういうのを恐れなきゃいけないんだ 何故秀次は死罪になったか説は色々
1、天皇が病気になった時に天皇のお付きの医師を
秀次が自分の治療に呼び寄せた為、治療ができずに崩御した
2、秀吉のお手付きのお気に入り美女を秀次が黙って奪い
自分の側室に勝手にした
3、秀吉の代理として朝鮮へと言う如水の言葉を無視して
聚楽第にこもって美女達とずっとハーレムしていた >>1
>秀次は、跡継ぎのいなかった秀吉の養子になったあと、関白の職についていましたが、この書状が書かれた3か月ほどあとに謹慎させられ切腹し、妻や子どもも処刑されました。
秀吉のほうが信長よりよっぽど残虐だよな >>468
違うよ
傾いたのは万暦帝の無駄使いにせい >>429
その坂本龍馬は秀吉と仲がわるかったのだ。
なにしろ秀吉の父親は山内一豊の仇蘇我馬子だからな。
しょうがないよ 身内の粛清自体は徳川家もやってるが、無関係な妻子や家臣まで粛清してるのは、秀吉の性格が出てるわね >>368
小牧長久手の戦いで倒しきれなかった時点でそれは無理 秀次を殺さねば、秀吉に従えぬ という
家康の恫喝に恐れを抱いた秀吉が
半狂乱になって秀次を殺した。 家康は味方でいる間は頼もしい存在だからな
どんな無茶ぶりされても、社畜のように従って何とかしてしまう
だから警戒しててもついつい重用しちゃうんだろう
関東移封にしても、任せられる人材が家康しかいなかったんでしょ 秀次一族皆殺して所業が、如何にも成り上がりの所業
代々続く名家なら、こんな無益なことしない >>456
幕府なんてものをつくった人物は日本の歴史上いないからな 家康と秀吉の力関係は、近代の勢力図で言うと
大英帝国とアメリカ合衆国みたいなもの。
飛び飛びの領地でまとまりがない英国 それが豊臣
広大な北米大陸で力を蓄えた米国 それが徳川 >>469
ごめん、何言ってるかわからないw
何れにしても戦を吹っかけるのに
説得力なんか勝った後に付いてくるってことでw >>456
征夷大将軍より偉い太政大臣になったのに幕府なんかいるわけないだろ >>485
勝った後でついてきても遅いだろ、説得力がなかったらその時点での敵が増える
お隣とその向こうくらいまで見てればとりあえずは足りる時期じゃないんだから >>486
太政大臣になったって武士がついてくるわけじゃない
朝廷から独立した武家政権じゃないと長く続かないんだよ >>159
じゃあ書き下してくれよ
普通の日本人ならできるんだろ >>416
むしろこのレベルの人物にしては知られてる方じゃないか?
独眼竜正宗のおかげで
>>483
>>5 「関白」についていったんじゃなく秀吉個人のリーダーシップについていったんだし >>13
だからそれ自体が処刑後に作られたエピソードってこと >>488
>朝廷から独立した武家政権じゃないと長く続かないんだよ
逆
朝廷という権威をガッチリキープした政権じゃないと長く続かない >>13
その説はかなり嘘臭い
バテレン宣教師フロイスは秀次のことを「快活で英明な君主」と高く評価しているし 朝廷という権威に「武家諸法度」で釘を刺した政権が長く続いた 信長も秀吉も個人のカリスマに頼る組織だったから崩壊も早かった 秀次とその親族を粛清した時点で豊臣政権の存続は不可能って考えなかったのかな >>493
室町時代には朝廷はすっかり忘れられた存在だったけどね
すごい貧乏だったし
信長が「公方様」こと足利義昭を権威として傀儡にしようとしたけど義昭が逆らったから
もっとおとなしくて傀儡になる天皇に白羽の矢が立ったというだけ 秀次の粛清で関白で日本を統治する構想が崩れてるからね
晩年に出したのが五大老による合議制
実質、家康と利家の二頭体制
家の存続を求めて、政権の存続はあきらめてるように見える >>487
その時点で敵が増えても
即、反攻にはならんでしょw トップ取るまで優秀でもトップになってからどうしようもないのが秀吉 >>503
トップになるのが目的だったんだろうね
東大めざしてがんばった人が東大合格したあとに燃え尽きるみたいに
秀吉もトップになって燃え尽きたんだよ >>1
秀次が殺生関白と言われるくらいの殺人鬼になりさえしなければな >>502
なるよ。天下統一後に最大級の戦におっ始めるなら、どんな辺境の大名でも立ち位置決めないといけないからな
封建主義の武士社会で、筋が通らんけど邪魔だから臣下潰すなんて将軍に他の大名がついてくるかどうか 秀次生存の場合、秀吉か秀次死亡後に
秀頼派VS秀次またはその息子派で、後継者争い勃発したろうなあ(黒幕は家康) >>471
信長公は勇将であるが良将ではない
剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することを御存じなかった
敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、降伏する者さえ殺した
これは人物器量が狭いためである
これでは人には敬遠され、衆から愛されることはない
by豊臣秀吉 >>511
朝鮮は別に臣下じゃなくて外国だよね?
「朝鮮が筋もなく攻められたってことは、俺の領地もヤバいのでは」とか思わないよね?
そんな無茶苦茶するわけにはいかないから、外に目を向けざるを得ないって帰結になるんだから >>513
想定内の答えだな〜w
筋が通らなくても外征だから
大丈夫ってどんな理屈だよw >>514
勝てばみんな得するって理屈だよ?
自分のところが第二の朝鮮、第二の唐になる恐れは別にない。勝てばだが >>515
戦に勝てば得するのなんて
国内外関係ないw 秀頼って巨体の相撲取りみたいな体格だったんだろ
元々豊臣を滅亡させる気は無かったけど
家康が秀頼と謁見したらあまりのド迫力に「こいつを生かしといたら後々不味いことになる」と予感して
無理難題吹っかけ戦に持ち込み豊臣を滅ばした >>1
よくゴミと間違われて捨てられずに残ってたなw >>3
普通に家康の離間の計にひっかかった
秀吉含め加藤清正福島正則とか成り上がりものの末路 >>517
国内外ではなく、他国であるか主従であるかって部分に関係がある
後者の場合は自分が第二の徳川になる可能性が出てしまうんだから
そんなトップでは勝ったところで落ち着かんことこの上ない
だから互いに主従じゃなかった大阪の陣は、言いがかりでもなんとかなったのよ >>473
なるほど、勉強になります。
自分あまり頭良くないからメモっておきます。 >>521
主従関係が無ければ無理筋でも良い
部下は次は自分の番とは思わないって
どんな戦国大名だよw >>276
それをいうと現地での呼び名は江戸時代を経てアザイと訛った可能性もあるのだけどね
長政の父、祖父はひらがなでアサイと書かれてる当事の手紙や資料があるがアザイはない
長政だけはアザイ、アサイ両方残ってる >>523
思わないだろ。当たり前だ
信長様が義元めを討ち取った、次は俺かもしれないと秀吉が思うのか
よほど心当たりがなきゃそうはならんわw >>525
何だその例えw
信長は吹っかけられた方だろw
何言ってんだお前w >>526
それこそどっちでもいい話だろうよ
義元様が信長めを攻める、勝った後は俺かもしれないと家康が思うのか
当時は秀吉でも家康でもないけど、それはそれ >>527
何の話をしてる?
戦を吹っかけるのに
大義名分が必要なのかって話だろ? >>528
話はそこから全くズレていないよ
秀吉が臣下の状態であった家康に戦を吹っかけるには、それなりの大義名分が必要
このスレで出てきてる福島家とか最上家なんかは、あくまで結構なヤンチャした結果なんだぞ
邪魔だからお前んとこ滅ぼすわなんてことを家臣に言ってたら封建主義は崩壊するわ 実は秀吉が関白になった時点で、家康の軍事力は
質、量とも豊臣をしのいでおり、秀吉にはどうする
こともできない状況だった >>529
で、なんで桶狭間における
信長と部下の心象なんかレスしたわけ? >>123
>猿扱いしてた家来筋の秀吉から切腹を命じられた信長の息子達の屈辱と無念は計り知れんわ
それは秀吉を猿扱いしてた信長の息子が悪いわな
まぁ因果応報だわ >>530
天下取った時点でどこまでが秀吉の兵力かなんてはっきり区別できないだろ
建前上は家康の家臣以外はすべて秀吉の兵力なんだから >>531
>>467で桶狭間が出たからだよ。福島家と最上家が、このスレで出たから出したのと同じ
まあ、直接的には「外征だから大丈夫ってどんな理由だよ」への答えの延長だな
繰り返しになるが海を越えてるかどうかなんてことは大した問題ではない
「徳川攻めは、臣下をいきなり攻める形になるからそれなりの大義名分が必要」ということ 山形の最上義光の記念館?にいったとき始めて駒姫の話知った。あと記念館のガイドの人が伊達政宗ディスっててワロタよ?アイツの時代劇のおかげで最上義光が悪人扱いになったと。 家康があまりに優秀過ぎただけで、天下とった後に自分の子孫が繁栄できる礎を築くなんてのは本当に至難
恨み買いまくってるんだから >>535
原田芳雄なw
一応、晩年に妹のお東が
義光のフォロー的なセリフあったけど >>534
そのレスは戦を吹っかけるタイミングの
話しかしてないけど? >>1
秀吉が想定した要職ってのは、朝鮮の関白か何かかw 秀吉が天下を取ったらすごい兵力だったのは知ってるけど、なら秀吉の前の将軍は誰なんだろ?信長は大名と聞いた。
秀吉から推測すると凄まじい兵力なはずなのに戦国将軍って誰なのかすら知らない。
将軍と言う事は信長、家康、秀吉のみならず、坂本龍馬、新選組、平清盛、源義経、弁慶、とにかく有名な人全員部下なんですよね。
戦国将軍は誰なんだろ?すげー強そう。 >>538
>>467自体はそうだよ?福島はともかく最上なんて全然関係ないけどこのスレで
直接的には「外征だから大丈夫ってどんな理由だよ」という問いへの答えだが、それが>>467なわけじゃない
ま、たまたまタイミングよく徳川が変なことしててくれれば理屈の上ではうまくいってたかもしれないがw 戦国時代を勝ち抜くには軍師的な才能が必要で、
その後の治世のためには官僚的な才能が必要
どっちも持ってるなんて人間はそれこそ奇跡的な確率でしか生まれない >>535
山形は天皇に支配されていたのが悪いんじゃないの 秀頼を世継ぎに、秀次を後見人にではダメだったのか
普通はそうするわな >>542
ID変わる
いやだから何で大義名分の無い戦争を
吹っかける側における部下の心象を
桶狭間の織田側でレスしてんの? >>535
そりゃ山形からしてみりゃ、そういう気分にもなるわな
ガイドの人が年配なら、義光祭知ってるかもしれないし >>518
なわけない、本当に優秀なら
最低でも大阪の陣で討ち死にしてるだろ
最後まで母親と一緒なんてマザコンの木偶の坊だよ
2メートル近い巨体なのに一戦もせずに
ママと一緒にあの世行きなんて
日本史上最低の前代未聞のマザコン男だよ
むしろ家康が武士の情けで秀頼を立ててやるために言っただけだろ
本音はボロクソに言ってると思うぞ >>546
そこは別にどっちでもよかったからだよ
文禄慶長の役で逆に明国が日本に攻めてくるようなifでも何でもいい
要は隣国とドンパチやるだけなら大した名分はいらない(もちろんあるならもっといい)ってだけの話
でもそれはどんな組み合わせにしても主従関係のないお隣さんとの合戦
臣下の領土を名分もなくいきなり攻めるとかやったら、他の臣下から総スカン食らうのは当たり前
もともと豊臣の天下なんて一枚岩から程遠いんだから 秀次の父方は愛知県江南市にある宮後八幡の社家の三輪氏の家系
かつて藤原氏に追いやられた三輪氏が大和に凱旋する可能性があったわけだな 豊臣一族が弱体化して得する人たちが仕組んだんだろ? >>545
秀次が率先してそのように行動すれば、成立したかも >>158
最上や伊達やらは東北での戦だから関係ないかな
上杉ごときが何しようが徳川の前では無駄だった >>560
徳川の前で何しようが無駄なら、徳川の後ろを突けばいいじゃない 妻子も全部処刑されたのは謀反人扱いだから
謀反人は一族処刑するのが当時の常識 まあ3ヶ月は考え方が180度変わるのに十分な時間ではある >>557
秀頼が産まれた後にダメンズ化したのは間違いないらしいが
一族郎党皆殺し、京の河原でのこ引きにするほどじゃない気がする >>549
どこをもって優秀とするかだが、一応達筆で文才はあったらしい
ただ真田幸村が貴方が陣頭指揮を執れば兵の指揮も上がる
一緒について守るから前線に出て下さいって頼みを断り続けたのはなあ…
幸村の息子は13歳で夏の陣で首級上げたって記録あるらしいのに… >>500
アホ過ぎる
幕府の権力と権威に根拠を与えられる将軍宣下できるのは誰だと思ってる?
あと、室町幕府が朝廷の面倒見れなくなったのは自分自身の権威と支配力が低下した時期 天下人秀吉に謀反を起こすってのは大罪中の大罪でしょ >>557
>>566
三法師傀儡にして織田盗んだようなやつが、後見人とか信用するわけないじゃん 小牧長久手の戦いで、秀次が家康の追撃を読んで白山林で迎撃態勢を取っていたら勝てたかな? >>62
太平洋戦争時の軍部と一緒で
自分の都合の良い希望的観測で見込んでたんだろ
結果豊臣も大日本帝国も滅亡 >>117
73才の精子なんて腐ってんじゃねーのw >>199
父親も部下の謀反。織田に人質に出されたのは叔父が売り渡した為
三河武士www 自分のおじいちゃんが誰と仲が悪かったかもわからないのに
こんな答えのない妄想劇場なんか意味あるの? なんで天下人秀吉に対する謀反人がのんきに高野山で出家なの?
妻子にやったような京の河原での斬首が本来正しい措置のはず
石田三成や国松みたいに なんで秀吉も家康も自分の一族を世継ぎにするの?
天下を安定させるために優秀な人材に常に天下を継承させればいいのに。 豊臣家における致命的な事象は、秀長が先に死んでまったことだろ
唯一、正面切って秀吉に意見できるやつ
折衝および調整能力に優れたやつ
どちらも備えていたのは秀長しかいなかった
それが兄より先に死んでしまったから、いろいろと綻びが見え始めた 社長と会長みたいなもん
家康も秀忠に将軍職譲ったけど
当然秀忠は大御所家康には絶対に逆らえない 島津や毛利、前田、津軽、南部、とかの大名家も
明治以降は侯爵家とかでいかにも高貴な方々とされているが
戦国時代に、領民殺したり、いざこざで親族を殺したり
敵をだまし討ちにしたり残酷なことやってきてるんだよな
自分の弟や叔父を殺したりとかよくできるなぁ
家康も、息子を切腹させてるし、どういうメンタルだったのか?? 秀長が長生きしてたら、秀吉から見ると怖い存在だろ
自分が死んだあと考えると粛清されそうではある 秀頼ってほんとに秀吉の子なのかあやしいけどな
昔は托卵確かめようもなかったからな >>137
それでなんでそこから一族皆殺しになるんだろう。強引すぎる。 >>570
権威にすがらんと何も出来ない日本の権力者って…
それもとっくにカビの生えた干からびた権威 >>589
どこの国でも権力を確立するのに権威による箔付けは絶対必要だけど
おまえの祖国じゃ違うらしいね >>545
妥協案として秀頼と秀次の娘を結婚させて事実上の養子にするなんてネタあった >>581
秀次側につく大名がほとんどいなかったから。よって謀反という扱いになったんだろ >>580
晩年は亀裂が生じていたようだし生きていても一緒に処刑されるだけ 秀次生きてたら関ヶ原の合戦なんてなかったんだろうね お家騒動みたいなもんがあったんじゃないの?秀次の家臣団に
秀頼の跡継ぎが確定したら、さすがに色々とざわつくだろ、職の利権あたりで >>596
細川直美な旭姫があれだったら
家康ガッツポーズだろうw 秀長が長生きしても子供いねえしな
養子(秀次の弟)もすぐ死んじゃったし そういう葛藤もあっただろうけど実際には子も死刑にしてるわけだから >>604
>息子ができていれば
それは、危険なんじゃねお互いに >>601
中世の常識
応仁の乱は、将軍家も畠山家も養子と実子の家督争いが発端なんだから、
争いの芽を摘むことは、当時としては道理にかなった行動 秀吉にあらぬ疑いかけられずに秀次さんが生き残るにはどうすればよかったの? 太閤立志伝IVのIFシナリオの秀吉と光秀が手を組むシナリオすき \ \ | | / /
\ \ | | / /
_人人人人人人人人人人人人_
> 歴史は勝者が書き換える!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
/ / | | \ \
/ / | | \ \ 猿吉だの禿長だのと、大政簒奪の悪逆が大好きなのはなぜ。
日本人じゃないから? 利休をころしたり朝鮮に出兵したり
トップがどんどんおかしくなってくのきつかったろうな 豊臣政権下で徳川250万石で秀吉直轄領200万石と言っても
秀長110万石
秀次100万石
秀勝50万石という豊臣一門の大大名
浅野、小早川など親戚スジ
宇喜多秀家などの養子、譜代大名も綺羅星のごとく配置され
金山銀山堺などの貿易港もみな直轄領
徳川など手も足もでない隔絶した強大さだったのに >>596
ピン子が!?と思ったらおんな太閤記だった 秀吉は高野山に暫く置くだけのつもりが
福島正則の讒言で秀次が早まって切腹だったような >>612
それまんまタヌ康もそうじゃん
しかも夏の陣で秀吉以上の虐殺してるし 簒奪もくそも、
秀吉が天下取る前に織田政権は崩壊してたし、
家康が天下取る時には政治空白状態だったし
戦国時代は実力至上主義なのに つまり、秀長が真の天下人であった
その後は藤堂タカトゥーラが真の天下人であった
いいね >>620 戦国時代の実力とは、薄情ということだけどな。 >>32
実は石川五右衛門の代わりに
霧隠才蔵が処刑されたという説もある
二人は共に信長の家臣だったが
本能寺の変の真相を知ってしまったため
黒幕である秀吉に処刑された >>620
豊臣が天下取る前にいつ織田政権が崩壊してたよ
織田政権は天下を取る目前だったろ
だから秀吉黒幕説がある >>614
家康の上手いところは関ヶ原の後の論功行賞で敗北した大名の領地からだけじゃなく、その直轄領からも気前よく(そら自分の領地じゃないからな)配ったところだな。
名目上は石田一味は秀頼の名代たる自分に逆らった豊臣政権への反逆者だからなあ >>585
どうして家康を潰さなかったのか
家康のが怖い存在だろ >>624
>>620は本能寺の変以降のことを言ってるのだろう。 >>627
だからそれは本能寺があったからだろ!
だから秀吉家康黒幕説がある
本能寺がなかったら秀吉家康が天下はなかった
これのどこが実力主義だ、裏切って殺しただけだろ! >>608
豊臣が家康に臣従してれば滅ぼされずに済んだって説はどうかと思うね
大坂の陣以降、豊臣の痕跡をこれでもかというぐらい消してるし
豊臣家が再興するのを恐れてる節がある
どの道難癖付けられて滅ぼされたろうよ ねねの実家の木下家はずっと豊臣姓なんだけど
秀吉家康黒幕説のウンコは無視 来年の大河のせいで明智ageや最近の三成ホントは良い人説がウザすぎる
明智は主君を裏切って殺したクソ野郎だし
三成は勉強は出来ても空気が読めない馬鹿だったから豊臣政権が崩壊した >>631
>三成は勉強は出来ても空気が読めない馬鹿だったから豊臣政権が崩壊した
それは間違い
主犯の毛利を斬れないから三成のクビで手を打っただけ 本当秀吉は好きになれないな
物事の順序を違えるところ
品のなさそうなところ
教養のなさそうなところ 信長の城下町で秀吉と前田利家の屋敷がずっと隣同士で
むかいには家康の屋敷があった
家康がそこに滞在したのは短期間だろうがねねとまつが色々せわを焼いた
まぁ信長も接待目的で気配りをできるねねとまつを置いたのだろう
というわけなんで秀吉と利家と家康はマブダチで
利家の最後も家康が病気見舞いして看取ってるし、まつを人質にとることで
前だ家の存続を図り、また大阪城に入ると騒ぐねねに監視役をつけたりしてる
ようするに若い頃の戦友に情誼はあったんだろう
ただその友人二人は死んでしまったり、あとはねねとまつは保護してる
家康の情はそこまで >>632
関ヶ原の主犯格とされながら三成の妻子は殺されておらず、
かなり寛容な扱いと言えるんだよな。 >>620
秀吉の簒奪は極悪で、家康の簒奪は綺麗ってのがいるからなあ 三成の親族
妻 皎月院 関が原時、佐和山城で家臣に殺される(一種の自害)
子 重家 関が原後、出家
重成 津軽家に仕える 頼朝、義経を助命したばかりに滅ぼされることになった平家の教訓、
反逆者、敵対者は一族郎党ことごとく鏖殺すべし。 >>3
太閤派閥三成の関白派潰し
だから関ヶ原であんなに嫌われてた、小早川秀秋も裏切った >>635
秀頼の子は頼朝のように十分神輿になりうる、だから処分された
人望のない三成の子孫なんか神輿になるわけないんだから、殺しても仕方ない 秀頼生まれたって成人どころか5才まで生き残れる確率も低く現に淀との最初の子は幼くして亡くなった
長浜城主時代も側室との子供も亡くしている
そんな時代背景で幼い秀頼のために秀次一族を排除するかな
一族亡きあと秀頼も亡くなったらもう跡継ぎいないじゃん
秀頼に跡を継がせたいなら秀次の養子にするとかいくらでも方法はある
だから秀次の実子を大和守に封印したのかもしれないし
秀頼が生まれて焦るのはむしろ秀次じゃ?
だから通説通り謀反の動きがあったんじゃなかろうか
親族だからと優遇してたのに裏切りを知って秀吉が怒り心頭で一族側室まで皆殺しという流れなら自然かな
一族皆殺しとなったら側室は妊娠してる可能性があるから免れられないんだよ
のちのち自称御落胤を旗印に決起する輩もいるからな 晩年の秀吉はただの欲ボケじじい
三成しかわからない苦労もそれはもう >>626
そらできるなら勝家みたいに潰したかっただろ
でも小牧長久手で失敗したんだから、臣従という形で落ち着いたのはやむなし >>640
三成は主犯じゃないし神輿でもないからその息子が神輿にもならない
毛利一族が総動員したから他の奉行が同調してあれだけの大名を動かせた >>626
戦の途中で地震があって城崩壊して心が折れたとかなんとか ちょっと前まで関白と征夷大将軍、どっちがすごいのかよくわからなかった >>646
攻める前に徳川が折れたから攻める必要がなくなった
そもそも徳川の財政が火の車だったから、秀吉が攻めればコアな三河武士以外簡単に離反する >>643
豊臣家臣団完全分裂、武勇に優れるのは皆徳川なのは
三成が朝鮮出兵から帰って来た福島や加藤に、秀吉でもないのに上から目線でイキりムーブかましたせいだからなw >>648
今ではわかるの?
かなりややこしい話だと思うけど 信長の野望DSでは秀次に和歌山で独立大名にして秀吉軍撃破するのを楽しみにしてた
銃の製造拠点有るし護るに適した城なんだよな >>650
あのエピソードって司馬のやつとかでも見るけど、史実的にはどうなんだろ? 秀次の粛清は、豊臣家をまとめ上げる人材を失ったという意味で秀吉の大きな失敗だった。
秀吉の死後に秀次以外に豊臣家では、豊臣をまとめ上げる事ができる成人男子は存在しなくなったのだからな
秀頼は当時、幼少であり。乳幼児死亡率の高い時代だ。成人まで生きて行けるかわからなかったのだし
本来なら、秀頼がどうあれ、豊臣家存続のためには秀次を殺すような事はしてはならなかったのだがな
>>650
もともと現場指揮官の加藤清正ら武将たちと
官僚として采配を振るった石田三成はそりが合わなかった
これはこれで良くあることだ >>651
>>648
征夷大将軍ってのは、本来、蝦夷討伐のために臨時で儲けられる役職だったのだろう
秀吉は関白になったが
もともと平氏を別とすれば、武家で関白になる人物は存在しなかった
秀吉は関白になったことで、摂関家の対立を招いたこともあり
徳川になれば、関白になる事はなかったな
徳川の将軍は正二位内大臣兼征夷大将軍の官位を継承し。
もちろんこれが武家としての最高の官位となった 豊臣政権にとっては秀長が先に逝ったのが痛かったな
秀長に男子がいれば変わったのかもしれないけど とはいえN国の党首より一兆倍まし。
だって豊臣秀吉は歴史に名前残してるもん。
N国の党首は歴史には残らないもんねwww
すまん、0以下に何を掛けても0以下だったwww 秀長の男子が生きていればまた変わったかもしれないが >>668
まともな歴史学者の唱えた説としては存在しないと思うけど 新たな資料が発見されるのって戦国時代ばっかだな
他の時代は記事にならないだけかな >>486
征夷大将軍よりも偉い、右近衛大将になった頼朝が、
なぜか征夷大将軍になりたがった。 秀吉は、秀長の死後ますますおかしくなっていったから
裸の王様的な気の毒な感じはする人だと思うけど
秀次の妻妾や子供たち全て皆殺しってのが秀吉の一面と思うと
豊臣家が一代限りの栄華だったのはしゃーないわなと思う >>657
>秀吉は関白になったことで、摂関家の対立を招いたこともあり
逆
秀吉が関白になれたのは摂関家同士の対立である関白相論の結果
ことの経緯から相論になるように秀吉が巧妙にけしかけたとも言えるけど >>671
誤解
征夷大将軍=令外官
右近衛大将=令制官
正式の官職を貰わないと任務用の征夷大将軍に任命されない >>486
室町幕府の足利義満や徳川将軍でも数人存命の内に、征夷大将軍兼太政大臣がいる
徳川将軍なんて、征夷大将軍兼左右近衛大将兼左右大臣なんてザラにいる >>671
織田信忠が秋田城介になったのは鎮守府将軍狙い >>675
あの時代も年功序列だから任官期間長くなると官職がそれなりに上がるわけで いや、徳川は武家用の官職作って近衛大将を歴任してるんだよ 秀次は徳川方の忍者に毒盛られて精神が崩壊したんだよ 秀次が政権握ると
秀吉の側近はもう活躍できない
だから、側近が秀吉を焚き付けて頃したのよ 要するに二年前に憎くなったか、切腹直前か、ってだけの話か。まあ歴史学的には重要なのかな
結果は同じだがw そういえば家康はアホみたいに子供作ったけど自身は一人っ子なんだっけ? >>682
重要じゃないか?
公家の誰だったかも事件の連座として追放されているワケだから 秀次一族虐殺だけでは飽き足らず、
秀次と親交のあった公家や武将も追放したのはやり過ぎ
これで豊臣家から人心離れた まあどっちみち自分亡きあとの政治体制を固めきれなかったから、どうしょもないな
五大老五奉行制じゃ甘かった >>687
憎悪や耄碌が原因では無い!となれば重要だけど…
結局憎悪や耄碌なら、その時期はあんまり重要じゃないかと
暴君が切れるタイミングとか学者も興味ないだろw >>690
秀吉による憎悪じゃ耄碌だけでは片付けられない事件って事ですよ
関白という朝廷官位の世襲問題って部分も見えてくるワケですよ >>683
母親と再婚相手との間に異父弟妹が何人かいる
そのうちの1人が松平アナの先祖 >>691
どっちでもその説とこの話は関係無いだろw
事件後にどうしたか?の方がその説には重要だと思うよ
一家を惨殺しようとしまいと秀吉が後継指名するならば、
後継ぎは秀頼以外有り得ないんだから >>670
たぶん記事にならないだけだろうね
南北朝時代の土豪だった家の知り合いの人は、学生時代に歴史の勉強ををしていて、先生に「君は自分の家の事を調べなさい」と言われて、自分の家の墓石の文字を徹底的に調べたら通説と異なる事がわかったらしい
歴史というのは、見えないところでヒョンな事から新たな発見はあるんだろう >>693
それはあなたが後世の結末を知っているからですよ
俺とはちょっと歴史の見方が違うから >>696
そうだな
何でもない物に無理やり自説をねじ込むほど俺は物好きでは無かったw >>494
そいつの評価が一番あてにならねーんだよw
そいつキリスト教をダシに植民地作りたかっただけの奴だからな 秀吉が天下を獲ったのは、織田家を乗取ったから。その時に利用した信長の孫の三法師は3歳、
利休を切腹させた時も秀吉実子の鶴松が3歳、秀次を切腹させた時も秀頼は3歳。これを偶然と
考えるのは無理がある。秀吉は耄碌してたわけでも何でもない、自分が天下を獲った手法を封じ
たわけだから、豊臣家は安泰というつもりでいただろう。 秀次惨殺した後に秀頼が病死でもしたら、誰に豊臣家継がせるんだ
秀吉は目先の事には気が利くが、長期的展望が全くない
乱世では有能だが泰平の世を治める器ではなかった 秀次は秀頼生まれた時点で察して関白辞任して譲るとか考えなかったのかね。皆殺しにされるよりマシでしょ 乙の子村の弥助のむすこ、治兵衛だからね
お百姓だから農家の長男によくある性格で、長男教で崇め奉るようなそだちで
かなり自我が強く、おのれが一番というプライドはたっかい
実父弥助についてものちに10万石の家老で秀次の代わりに領地統治したらしいが
「万事おろかなる事、曲事なり」と息子に罵られてる
おやを罵るような神経では、秀吉にも孝心や真心があるとおもえず、しばしば折檻したが
本人も学問好きで
武芸は新陰流を学ぶとか本を集めて講釈させるとか努力し、公家との連歌や茶道もこなし
それなりに努力してきたつもり、もう天下を譲るなんてとんでもないこと
謀反を口走り、それを秀吉に密告され「あいつならやりそうなことだ」と斬られた
ずーと女スパイが張り付いていたんだろう。独裁者秀吉ならそれくらいやる、のが読めなかった
家康も律儀いっぽうだと褒められていてスパイでも付けこむ隙きがなかった
上手いのは父親で、すでに自分は武士の能力がないとみきって法印一路と称して仏門に入っていた
そこで処分されずに住んだ。息子より社会の厳しさが見えていたんだな >>669
最近は秀吉家康は本能寺を知ってる説が有力 >>658
それはそうだが通常は正二位内大臣が将軍の官職となり
当然のことながら、武家で将軍を超える官職を得る事は出来なかったのだよ 秀吉の朝鮮出兵など、いまだに隣国の機嫌を伺い
語る事がないが
私はけっこう評価しているのだがな
もう少し長期ビジョンで戦略を立てて実行すれば、成功した可能性だってある
実際、明はその後、明帝国にとってはネズミみたいだった満州族の清に滅ぼされているのだ
それに実際に明・朝鮮連合軍に日本軍はかなり善戦しているからな
>>706
それはなかろう。
家康の伊賀越えはかなり危険だったことは有名だし
秀吉も高松攻めで動けなかったのも史実だ 秀頼が生まれた時点で、秀次の生存ルートが思いつかない… >>709
こういう手がある。秀頼を秀次の娘を結婚させて秀次の養子にして後見人になる。秀吉が晩年に家康使ってそれやろうとしたが逆手に取られて滅ぼされた。だから秀吉死んだあと秀次はどうにでもできたのに待てなかったんだろうね 三浦同寸みたいに家来のほとんどを味方にして義父と実子を攻め滅ぼした例もあるけどそれは同寸に人望あり、外部勢力から支援得られたからやれた。
秀次は無理だろ? >>13
秀次は刀を含めた宝物の鑑定を秀吉に任されていたので罪人で試し斬りをしていた可能性はあるので、そこから作られたかもしれない >>688
あくまで政治的な派閥抗争であって、元々「秀次派」全体がターゲットだったという説もある 秀頼誕生で近江派新参家臣団と秀次派豊臣分家家臣団との水面下の争いがあったんじゃないかな
秀頼かわいさに秀吉も家臣の讒言を信じて秀次処罰を命じたがそもそも捏造なのでいまだにその証拠がなく邪魔になった秀次を難癖つけて処罰した秀吉主導説が有力になってしまったと
秀吉の昔からいる家臣団も近江派に同調したのではないかな
秀次が当主になったら自分たちも秀次や秀次直属の家臣団から冷遇される
秀頼なら秀吉同様にそのまま付き従うだけで取り敢えず立場は安泰だろうから
それでも関ヶ原はおきたがな でも後の徳川将軍家みたいに実子や宗家でなくても一族で天下おさめるという考えでいけばなんとでもなっただろうと思うがな 普通は秀次謀反だよな第一に考えられるのは
あとはキリシタンにはまって家族を入信させてしまったか 秀次も、危ないと思ったら、逃げるとか、先に秀吉を殺すとか、
天皇を奪うとか、家康の臣下になっちゃうとか、いくらでも選択肢があっただろ。 >>138
淀は織田の姫だからな
まあいいかて感じだったかもな
例えば 平清盛は天皇の御落胤て噂はあった
要は天皇の血筋を棟梁に頂いて平家一門が栄える
てやり方はありえるw
て具合に主筋の血筋を棟梁に担ぐのはわりかし普通w >>704
弥助は、太閤の義兄、関白の父というだけでなく、
九条家に嫁いだ豊臣完子の祖父であり、
大正天皇の皇后である貞明皇后はその末孫にあたる。
つまり弥助は、昭和天皇、上皇明仁の先祖の1人でもあり、
系図を辿って示すことができる人物の中では、
生まれた身分が最も低い皇室の先祖であるということができる。 >>709
当時は乳幼児死亡率が高い時代だよ
秀頼も、成人するまで生きれるかどうかわからないだろう
そうなれば秀次の価値も重要になってくる
それを考えれば、秀吉は大御所として権力を握っていき
秀頼が成人になるまでは秀次を関白を続けさせるって筋書きが妥当だろうけどね
ま、秀吉も秀頼が成人するまで生きられる自信がなく
自分が死んだ後、秀頼を廃されることを恐れたってのは充分にありえるが
特に淀君が秀次排除を希望したってのはありえる
彼女は権力志向の強い女性だったが、しょせんはお姫様育ちだし
戦国の世をよくわかっていなかったような感じだからな 淀は何度も落城体験し親は自刃しその度自分は権力者に保護され、戦国の世を体現したような人だと思うわ >>721
秀吉も自分が織田家にやったことと同じようなことになる可能性くらい分かってるだろ。そのとき秀次か家康が台頭してくることくらいも。 わかってて秀次を関白にして順調に継承作業をしてたのに
自分の死ぬ間際にやっぱり実子生まれたから秀頼!とか言い出しても上手く行くわけ無いよね 袁紹「後継者問題誤ると大変やで」
劉表「家が二分されますね」
足利義政「安易に養子とるなよ」 >>718
どれも全部難しいな。全然選択肢ないなw >>725
三国志をわざわざ出すなら、劉備、劉封、劉禅の関係がそっくり当てはまるがな >>675
征夷大将軍が太政大臣になれたのは義満以降の話 ただでさえ少ない豊臣一族を、同族争いで更に少なくする愚かな豊臣
徳川なんて江戸時代には松平含めると20家ぐらいの藩あって、徳川幕府を支えてた >>723
秀次が秀頼成人後に関白の座を譲らないってのは確かにありそうだ
秀吉が死亡した場合、そういう未来も充分に考えられるがな
しかし豊臣家という家のことで考えれば、秀次を殺害したのは愚策だったとしか言えないな
武士は血筋より家を大事にするものだ。
秀吉の判断は明かに間違っている 後継者問題とお家騒動は
どこの大名でもよくある問題 秀次が次の関白を
秀頼に譲るか秀次の息子に譲るか悩ましい問題
その頃には秀吉はもう死んでるだろうし
だから秀吉は大和の国主とか色々考えてたんだろうね >>398
中国の書物の
料理人曰く関節の間に刃を入れれば簡単に斬れるって言ってたから
首関節も間狙えばスッパリ斬れるでは?
まあその前に延髄切断すりゃ即死だろうけど 広大な関東には五奉行や子飼いを細かく散りばめた上で
徳川上杉北条の三つ巴で互いに牽制させておくのが正解だった
まとまらせちゃ駄目 >>398
介錯人にも上手いのと下手なやつがいた
上手いと、スパッと切れるが下手だとなんどもなんども首に刃を振り下ろされて
切るというより叩きつけて殺すという感じ
それはもう現場は凄惨を極め、阿鼻叫喚であったとか >>731
秀吉(豊臣家)は天下人ではあったが、武士の棟梁である征夷大将軍ではなく
関白になる道を選んだからね。本人の中では、血筋第一だったのかも。
まあ、それが結局のところ、豊臣滅亡の一因になったのだろうけど。 秀次がいたらいたでその後の流れはどうなったんだろうな、結局大きな流れは変わらないか。 生きてたら、秀吉死後のキャスティングボード握れるだろう
家康につくか、秀頼につくかで決まる 家康は関白秀次に頭上がらない
秀次なら東軍の大名はみんな秀次に付くだろうし
秀次は自分の子供は関白にしたい
秀頼は自分こそ秀吉直系てことで関白だと主張するはず
ここで争いが起こるかも知らん 関が原は豊臣と徳川の争いじゃないからな
秀吉家臣同士の争い
家康と三成、どっちが豊臣政権を支えるかの >>740
そこまで有能ってわけでもないからなw 結局家康に懐柔されるか、滅ぼされるだろう。
秀吉とねねの血縁者は傑物が少ない。大納言秀長くらいだもんな >>732
室町幕府衰退の原因を作ったのは、将軍家や守護大名の後継問題だった
有力守護大名の畠山家の後継問題が、応仁の乱を起こした大きな要因と言われている
徳川幕府はそれを知っていたから、御家騒動には殊の外、神経を尖らせ
お家騒動を起こした大名は容赦なく、取潰や改易を行ったのだ 殺生関白とか後世の創作かとも思ってたけど
この当時の武将なり著名人の人物像って割と
きちんと残ってることを考えたらやっぱり宮崎っぽかったのかも >>746
摂政関白は江戸時代に書かれた記録にはあるが
安土桃山時代当時の記録には一切ないそうだ
加えて何だ。
当時はまだまだ戦国の気風が残っていた時代だからな
少々、暴虐な君主であろうとも、そんなに問題にはならないだろう
そもそも暴虐ではない戦国大名など存在しなかっただろうしな
暴虐と言えば秀吉の方がずっとすごかった。猿太閤と悪戯書きがあるのを見つけると
犯人が見つからないとなればその辺りの人間を片っ端から皆殺しにしたってのだからな
それを考えると、秀次がそうした所業を行っていたとしてもそんなに問題になる事は無かったのではないかと思えるが >>708
信長の死亡を聞いてすぐ毛利と和睦したが、その後はスムーズに中国大返し
元々は秀吉が信長を本能寺におびき寄せた >>742
何にもしないで関白になった奴にみんな従うなんて
ありえないよ、実子の秀頼のために大阪の陣みんな
豊臣に付いたか? >>5
これって映画関ヶ原の最初のほう?
石田三成が有村架純とあうとこ >>749
信長が光秀に家康を殺すように京に呼んだが
逆に光秀が信長を殺したという説もある
だから本能寺で信長が「さもありなん」
とつぶやいたとか >>754
俺が時間を遡って信長殺したって言えばそれも1つの説になるって感じだな 女子供をすべて殺した時点で秀次一族そろってキリシタンだったことは間違いないとこだろ >>740
豊臣政権が家康の代でひっくり返されることはなかっただろう。
ただ徳川300年体制のような安定政権が築かれることはなく、
秀次派と秀頼派の対立なんかによって再び戦乱の世に戻ったかもしれないが 朝鮮なんてくだらんところに攻め込んだ時点でもう耄碌してた 多くの人が豊臣秀吉の出自を低く見積りすぎ。
早くに足軽だった夫(つまり秀吉の実父)と死に別れた秀吉の母なかが織田信秀の茶坊主と再婚できるくらい秀吉の実家の文化水準が高かった。
義務教育のない時代にもかかわらず、秀吉・秀長兄弟の算数能力が高かったことから、秀吉の実家は教育に力を入れる家風だったことがわかる。 >>762
太閤さんクラスの天才児なら初等教育なんかは誰かに手ほどきを受けなくとも自然と身に着けてしまうもんよ。 あと豊臣政権外での秀次と大名の結びつき
いらないのにカネを貸す、そんでその利息を上納する
これは私的なカネの貸し借りなんだなが、税金と同じなんだな
これで国家の中に国家が出来たら大変だね 単に貸すだけならいいが、返済迫ると嫌な顔される
三成がそうだった ウンコキーワード: 本能寺の変
全然違う話してるキチガイがいる >>754
この説が事実なら、長年の同盟者である家康を殺そうとした信長は非道い奴だ
正義の光秀に討ち取られて当然 >>764
金の貸し借りは現職関白だから問題ないだろう
秀吉がそれを自分の権力に対する挑戦だと受け止めたかも 細川忠興が金返せないから徳川家康に金借りたという話あったけど、前田利家も便乗して高利貸しやってたんだろ?
前田利家はその証文使って天下目指してた臭いが >>549
それが従来のイメージだけどな
でも実際、すごく見栄えのする公達で京へ上っても沿道大賑わいで大人気だったろ? 秀頼が豊臣二代将軍なら家康が因縁つけて滅ぼすことはできなかったんじゃない? 「時代小説の読み方」って本で渡辺淳一が「医師が解説する介錯」で書いていたけど
>>735の言う通り、首の骨ではなく椎間板(軟骨)に刀を入れればスパッと切断できるけど
それが出来るポイントは一点しかないそうだ そしてそのポイントを外した場合は
>>738の言うう通りらしい >>775
秀吉は関白から大閤だから朝廷の権威で治める作戦だったが失敗したからな。
家康のやり方は上手いな。将軍職を世襲させて武家諸法度出した辺りで相当徳川の世は定まった。
着々と英雄家康が死んでもひっくり返せない体制を固めていった。 >>778
秀吉も世襲が決まれば続いたがね
自分で秀次を殺したから乗っ取られただけ
もし家康が秀忠を殺して跡継ぎが尾張義直だけなら秀頼に逆転負けしてた >>779
そうは思わない。秀吉のあの寿命では無理。固めるまでに間に合わない。
ハッキリ言って朝鮮征伐とかしてる場合じゃなかったw >>769
実際に秀吉の動きみるとあらかじめ本能寺の変を知ってて準備してたろ >>780
>そうは思わない。秀吉のあの寿命では無理。固めるまでに間に合わない。
家康だって乗っ取ってから死ぬまで10年そこそこだったから、秀吉と大して変わらない
成人した後継者が居れば乗っ取られないが、秀頼はあんまりにも幼少だったから乗っ取られた
秀吉自身が織田家を乗っ取ったように >>782
徳川に例えるならば、将軍世襲も大坂の陣もなく家康が死ぬようなもの。そこには関ヶ原に
遅参した諸大名の信頼がない秀忠が残されるわけよ。徳川の存続は危ない
成人した後継者がいれば家が続くわけではない。秀吉なり家康なり、カリスマの
目が黒いうちに体制を固めねばひっくり返る。徳川が残れたのは、寿命目一杯使って
家康がそれを成し遂げて死んだから >>778
秀吉は世襲の武家関白を狙っていたようだから、存命中に秀頼を関白に任命することはできなかったのかな
関白秀頼を家康が滅ぼすこともできなかっただろう >>783
だから大間違い
家康に例えるなら家康が尾張義直か紀伊頼宣だけ残して死んだ
人望云々なのは成人した正当な後継者が居ない場合の話であって
成人した後継者が居ればそいつを中心に既得権益層である恩顧大名が固まるから
外様に付け入る隙はない >>784
関白になるには小さ過ぎたよ。秀吉死んだとき、5、6歳だからね。だから豊臣家としては
成長後の関白任官に賭けたが、家康は関白職を公家に戻してしまって自分はさっさと
征夷大将軍になっちゃうわけさw 秀頼がああいう終わり方だったのは実際の淀殿が実は政治に無関心で平凡な女性だったからさ
人脈は浅井家由来の近江衆くらいで率先して開拓もしなかった
北政所くらいやり手だったら妹の嫁ぎ先でもあったし千姫もいたんだから徳川とも上手にやって秀頼の後見が出来ていたろうさ >>785
永久に平行線のようだなw そうは思わない。秀吉の寿命があと5年あれば固められたかも
とにかく寿命通りならムリ。その死後、家康と渡り合えるような政治家が豊臣にはいない >>788
お前アホだろ
信長を呼び出したくせに信長が死ぬとすぐ毛利と和睦
中国大返しでスムーズに光秀撃破
中国大返しの途中で食事や風呂と着替えの準備してたろ 右近衛大将の幕府と征夷大将軍とを変に結びつけたせいで後世ややこしくなってるな
いい国作ろう鎌倉幕府とか尊氏が室町幕府作ったとかまかり通ることになるw >>789
根本的に間違ってるから
秀吉に成人した後継者が居ないから五大老五奉行体制に任せるしかなかった
秀吉生前が秀吉を中心とする支配体制を作り上げたが、死んだあと中心に居るの秀頼が
豊臣家の権威と権力を行使できないから五大老五奉行の権力闘争を招いた 豊臣家は関白任官にこだわりあるなら、秀頼の代で武家辞めて大坂城から退去
京都の市井で大人しく公家やってれば徳川に滅ぼされなかったかも 史料編纂所て旧家まわって撮影だけして放置してる史料山程あるんだろうな >>91
おまえがなとしか 突っ込まれるのが嫌なら黙ってる >>5
駒姫がかわいそうすぎる
何の罪も無い美少女を死刑にするなんて酷すぎるわ 秀吉の最大の失敗は
葦や湿地だらけだからと関東平野の潜在能力を甘く見たことだ
最強の大名に広大な関東平野を団子にして渡したこと
大開発で家康は秀吉直轄領を凌ぐ石高を有してしまった
関東は中央から離れ過ぎているので、犬猿関係にあるような大名たちに細かく分割して分け与えて不安定なくらいがちょうど良かった 秀次は凡庸だったから生き残っていても豊臣家をまとめられたかどうか >>790
和睦しなかったら撤退できないんだからすぐ和睦することに何の疑問がある。
和睦交渉自体は条件さえ考えればそんなに時間のかかるものではない。
中国大返しは自軍勢力圏内の移動としてはそこまで規格外の速度ではない。
要するに中央との連絡線を逆に辿っているに過ぎない。
しかも光秀や信長の軍勢が通るための準備もされていたはず。 >>793
徳川家も一時期豊臣家を摂関家として扱ってたが、家康の晩年で方針が急変した
家康が焦ってたのか秀忠が幕府体制を強化したかったのか知らないが この秀次事件によって、数少ない豊臣家の藩屏たちを秀吉自ら消滅させ、
数多くいた秀次昵懇の大名がすべて反豊臣に。まさに豊臣の運命を決めた事件だな。 >>512
柴田勝家「そうかな…」
松永弾正「オレ許されたよ」 次代のホープたる秀次を殺生関白とかなんとかいうて切腹せしめたこともさることながら
股肱之臣を含め秀次周りの重臣を粛清ジェノサイドしちゃったからね。
これは天下取って我が世の春を誇るムテキングの"豊臣幕府"の
オワリのハジマリって奴だったんだろうねwww
後年の偉大なる大韓に対する大逆謀反の侵略のような狂態、
あるいはフィリピン経由でイスパニアに対しておくった誇大妄想ライクな降伏勧告といい
晩年の秀吉は相当にアレだった感もあるが、初代からしてこれではまあ先は続かんよな。
英雄でも暴君でも天下を取るところはできても継承こそがむつかしいんだなwww
そこへいくと神君家康公は実にうまくやったねwww 秀吉って「木綿藤吉」といわれるぐらい丈夫だったらしいけど結局そんなに長生きできなかったし晩年はほとんど老廃という感じだよね 秀吉が近衛前久の猶子になる時、秀吉の次の関白は前久の息子に譲る
と約束したのに、あっさり反故にしたんだよな 人間ボケたらおしまいよ
諸大名列席の場でションベン漏らした時点で滅亡確定 このころ大和大納言家が断絶したから
秀次の息子に継がせようとするのは
当たり前と言えば当たり前の話だわな
少なくともこの時期まではあそこまでの処置は考えていなかったことで
秀保についてもやはり単なる事故死であったということかね >>805
何のテレビ番組か忘れたけど、秀吉の死因はヒ素中毒だとか仮説を上げていたよ。
衰弱していく過程がヒ素中毒症状と酷似しているとの事でした。 秀次の取次だった古参の前野とか木村は連座して腹切らせてるのに
秀次の筆頭家老だった田中や中村、山内辺りはお咎めなしだったのも不可思議なんだよなあ >>1 >>100
汚らしいエラ張りブサイク整形レイプ民族チョン。
整形なしには人前に出られないほど醜悪なパンスト朝鮮顏をしてるくせに、
日本人のふりをして性犯罪を犯しまくりやがって。
朝鮮民族は、歴史的によそ様の国でも凶悪な性犯罪を繰り返してきたゴミクズ民族
東南アジアの女性たちに最も忌み嫌われている。
ベトナムでは朝鮮人による連続強姦で生まれたライダイハンが大量発生して社会問題になっている。
日本人女性たちは戦中も戦後も、朝鮮人による性犯罪に苦しんできた。
いまも日本人女性を汚しまくってるAV男優とAV撮影者のほとんどが在日朝鮮人だ。
●●● 深刻化する在日朝鮮人の性犯罪 ●●●
http://seihanzai.tripod.com
. >>814
淀殿が犯人なら秀頼が成人してから実行すると思う。 >>810
秀保は小姓の自爆テロで十津川にダイブした説あったけど実際は病死だった可能性が高いらしい >>790
秀吉は毛利とは戦争しつつ毛利の外交僧安国寺恵瓊と講和交渉を進める
両面作戦をしていたから和睦は割とまとめ易かった。
これが柴田や森みたいに上杉と講和交渉せず絶対滅亡させるという勢いで
攻めていたら和睦どころの話ではない >>805
丈夫って言っても体が頑健って意味じゃないだろ
士気の話だと思うぞ >>709
家康にすり寄る
とりあえず安泰
なお使い捨て >>811
ナポレオンはヒ素説が有るね
調べてみたけど、秀吉の場合はあまり適合しないような?
梅毒のほうが怪しいと思う >>717
一族誅伐だから謀叛の可能性は高いね
その一方で、謀叛だとしたら秀次本人が切腹では許されないはず
この矛盾が人々を悩ませる つまり早合点して切腹した秀次が悪いと。秀吉が一族皆殺しにしたのはやむをえない
処置であって秀吉に非は全くない、というのがFAなのか? >>817
常に両親と養父の仇をとる機会を伺っていたからでは?
>>822
そんな身持ちの悪い女を充てがったのは誰だろう? >>823
0歳児に関白は譲れんやろう。
なんのための関白か。
つまり詰みか >>827
秀吉自身だろう
まあ、梅毒説も定説では無いので >>821
秀吉存命中に、家康が秀次を受け入れることってあるんだろうか
とばっちりで秀吉の不興を買いたくないだろうし >>831
実際には難しいね
秀頼が生まれた直後がワンチャンかな >>806
近衛信尹にとっては秀吉から直接関白の位を譲られなくて良かったのではないかと思う
順送りだったけれども晩年関白になれたんだし
嫡子がいないから親王を後継にして近衛家の格を更に上げたというおまけ付き 秀吉在世中の最新の「天下取りの方法」は、天下を取ってる家を乗っ取る事だから。秀次切腹で
豊臣家は安泰になったと秀吉は思ったはず。現代の我々は結果を知ってるからバカだとしか思え
ないが、当時の人間は未来を知ることなど出来ない。歴史を見る場合、結果論のワナにハマって
はならない。 >>824
秀次は抗議の切腹
関白が切腹という前代未聞の出来事に慌てた秀吉は謀叛をでっち上げて妻子を処刑という説が出てきてしまう >>102
家康は阿茶局がブレーン並みの賢さだったから >>805
多分胃がん。戦国武将はこれで死ぬやつ多数。戦いだと塩分が多い保存食ばかり食うから年取ると胃がんに 長久手の戦いの地形をいろいろ調べてたけどさ。
秀次が家康の追撃を読んで迎撃態勢を取っていたとしても、あの白山林ではやっぱ勝ち目が薄いよね。
なんであんな川に挟まれた湿地帯で休息を取ったんだ?
しかも、敵方の小幡城がすぐ近くという立地。
油断どころの話じゃねえだろ。
今川義元レベルだぞ。 年齢からして秀次の責任にするのは少し気の毒かも
その後の戦は無難にこなしている 確かに。
だから目付け役が自分を犠牲にして秀次を逃がしたのかもね。
責任を感じて。 >>834
これだよな
その観点から行くと
徳川の世が265年続いたからと言って家康が偉大というのも、どうかと思うね
もっとも家康が先人から色々と学んで、長期政権を築く必然性もあったのは事実だけど
秀吉も自分の死後のことか考えなかったわけではないし、子沢山か否かの運の要素や譜代家臣の存在の有無もあ
る
秀吉の方が、長期政権築くには不利すぎるのよ
もし家康が秀吉と同じ立場であったなら、はたして長期政権など
築けたであろうか? >>110
実際側室一杯で子供も何人か居たでしょ
殆ど殺された訳だけど >>819
中国大返しはあらかじめ準備してる
途中でご飯と風呂とか >>844
進路は元々の連絡線上なのだから基本的な用意は常時できている。
あとは数日の準備で対応可能。 >>847
秀吉は毛利と勝手に和睦して、もし誤報だったら大変な事になっていた。
秀吉は明智の暴発を薄々感づいていたのだろうと思う。 >>848
方面軍指揮官なのだから城攻めを切り上げて一時的な停戦をする権限くらいはある。
それに京には秀吉の情報網もあるのでそう何日もかからず複数の情報源から確認できる
(瀬戸内の海路を使えば連絡自体は速い)。 >>847
信長がやってくるための準備を街道沿いにいろいろしていて、それが役に立ったとの説明を読んだ記憶がある 昨日から本能寺の変や山崎の戦いの話題が上がると
スレチとか言って頭がおかしくなる人は、NHK受信料とか
払っていなそう、大河ドラマとか見たことがなかったりして 秀吉キチガイ説は家康派が流したデマだってハッキリわかんだね
それでも信長、秀吉よりはるかに人気の無い家康 黒田如水の墓碑などで語られている通りだろう。
朝鮮侵略の現地司令として朝鮮に行くよう求められたのに事実上拒否。
せめて肥前名護屋に行ってはという諫言も無視。
つまり秀次は朝鮮侵略には断固反対。結果からすれば、
秀次に政権を完全委任すれば豊臣滅亡に至る原因となるような政争は無かった。 秀吉は、満年齢で言うと秀次切腹時58歳、死亡時61歳で、
痴呆が起きるには少しばかり早い年齢だが >>858
若年性、そもそも死んだ年齢からしても知能や身体や精神の衰えは確実でしょ 大和は弟秀長の領地で
男児のいない秀長には秀次の弟が養子に入ってたはず
その前の話かね >>862
同じ年の3ヶ月ぐらい前に亡くなっているよね、弟 >>858
波平さんを見ても分かる通り、昔の五十代はかなりお爺ちゃんだぞw 豊臣政権は自滅に近いが、結果的に徳川250年の太平の世を生んだのだから結果オーライ
信長ならまた違う繁栄を生んだかもしれないけど、豊臣には全く期待できん >>864
大坂の陣の時、70を越えてた家康は凄かったんだな 現在58歳の芸能人 哀川翔 徳永英明 田原俊彦 佐藤浩市 渡辺徹、
関ヶ原の頃だと家康は満年齢58歳だから老人のイメージ無いな >>819
あの茶坊主は耳触りの良い事しか言わないで我がの利益しか考えてなかっただろうが 秀頼なんて血のつながりもない息子のために、親族処刑するとかなぁ >>797
三河・遠江は山が多くて石高的には大した事ないんだよな >>871
織田家の血を継いでいる秀頼を後継者とすることで簒奪者としての呵責から逃れる意図もあったんでないの? >>540
すげー何いってるのかさっぱり理解できない 秀吉さんもあれだけ美女を揃えてたんだから、生殖能力が高かったら
いまでも豊臣一族が繁栄してただろうに。まず20人の子供が必要だったな >>855
このニュース見れば
3か月前まではマトモだったってわかる 成り上がりは成り上がりじゃない人間の成功を許せないから我が子にもそれが発動したんだろ
貧乏出身の歪み >>855
歴史好きはけっこう家康好き多いよ。まあニワカには人気ないわなw 亭主関白の位というのは、秀次程度の関白であるという意味。 豊臣秀次 100万石 左大臣。関白・内覧・豊臣氏長者如元
家老
木村重茲 18万石 切腹。息子は秀頼の家臣
粟野秀用 16万石 切腹
白江成定 6万石 切腹
熊谷直之 5万石 切腹
前野景定 長康の子 切腹
一柳可遊 切腹
服部一忠 3万5千石 切腹
徳永寿昌 3万石 讒言して軟禁で済む。後に復活
与力(粛清のころには、ほぼ独立大名)
中村一氏 14万石
堀尾吉晴 12万石
前野長康 11万石 後見人。切腹
田中吉政 10万石
山内一豊 5万1千石
味方に付く可能性がある大名
?毛利輝元 112万石 俗説では讒言した側
△伊達政宗 58万石
○最上義光 24万石
?浅野長政 21万5千石 すでに息子に家督を譲ってる
△細川忠興 12万石 秀次から借金 信長の息子も娘も妻も処刑してんだよね秀吉。
家康にやられたのも因果応報やな。 >>889
信孝は関与高いが、それ以外処刑したやつ誰だよ >>892
一応、信雄の命令で切腹させられているが背後で動いたのは秀吉
信孝は兄を恨み言を言って死んだが、さすがに気付いているだろう
浅井長政は信長の命を受けて秀吉に滅ぼされたが
茶々(淀君)は、なぜか秀吉を恨んでいた 茶々(淀君)は、なぜか秀吉を恨んでいたニダ
なんか、裏付ける資料でもあるのかよ >>894
10歳の万福丸を串刺にし母親のお市の方と養父の勝家を攻め死に追いやった
からでしょ? >>894
辞世の句で
昔より主内海の野間なれば報いを待てや羽柴筑前
ってもろに名指ししとるぞ >>898
信孝の血などの痕跡が残ってるらしい
信孝が投げつけたらしいが何か叫んで投げつけたんだろう 秀吉は痴呆かアルツだったという説が濃厚だから、別に前後の辻褄会わなくても不思議じゃない >>898
どちらが本物か知らんが、辞世の句は二つあるらしいよ まあ、信孝は信長の子である自分がまさか殺されるとは思っていなかったみたいで >>494
一方で、罪人を自らの手で処刑することが度々あったと記している 大和やるから関白からなにから返上しろ→やだ→はい切腹 コースかな >>255
秀吉はサルと人間の混血、と多くの韓国人は信じているので、
サルの遺伝子が検出されるかされないか調べてほしい。 秀吉は最期に家康を秀頼を頼んだそうだが家康からしたら信長の息子を殺しておいて何をぬけぬけとだったろうね。 >>908
まあ織田家嫡流を滅ぼしたのは家康だけどな 松平?信康と築山御前を殺したのは家康の意思だったの?
信長が信康の切腹の話を聞いて驚いた、という説もあるが >>908
信長は秀吉の恩人
家康と秀吉に恩はないよな >>909
滅ぼしてない
東軍だったのに調子乗って三成に加担した秀信が悪い
お爺さんにあやかって傾奇者の格好で出現してもあっさり負けて半日で落城降伏 >>911
いや信長は「恩人」じゃなくて「主君」だろ
家康は秀吉の「臣下」にはなったが「家臣」ではないので関係性が相対的に薄いのは確かだけれども >>912
いや原因はともあれ滅ぼした事には違いはあるまい。 >>914
だから東軍だったのに西軍に加担した時点で家康じゃなくても同じ
まあ、家康が織田家の事あんまりよく思ってないのは事実だろうけど 秀次が切腹した時、付き合いだかトバッチリだかで
切腹しただか、させられた僧侶の代表?がいたようだが
ひどい話だな。お供した小姓も何人かいたはずだが
介錯は秀次が全員分したことになっている、そんな簡単に
スパスパ切れるとも思えないが、前からあったという
殺生関白は実話かな? >>908
秀吉は信長に恩があるだろ
秀吉は恩人の信長の息子を殺した >>913
信長が秀吉を城持ちにしてくれた
信長じゃなかったら秀吉なんか雇わない
完全に恩人だろ >>917
そりゃ同じ織田家でも当主の方が重要だからな >>919
そういうのは「主君」の中に含まれるから それ羽柴秀吉は野人の子。そこから馬前の走卒になり、信長公の寵遇を受け、挙げられて将帥を拝し、大国を領する身になった。其の恩は天よりも高く、海よりも深く、其は世の知るところである。
しかし信長公が死に給うや、秀吉は主恩を忘れ、非企を謀て、その亡主の子孫を滅ぼし、其の国家を奪おうとしている。いたましい。向きに信孝公を殺し、いままた信雄公と兵を結ぶ。其の大逆無道なること、言うに勝えざるものがある。
彼の凶悪を汚し、佳名あげんとする者は我が義軍に合力し速やかにかの逆賊を討って、海内の人心を快くせんと告ぐ。 殺したのは信雄なんだがな、秀吉はノータッチ
そもそも信孝は秀信に謀反しているのだから、処刑されても文句言えない立場
あと家康は秀吉から250万石もらって、妹もらって、最大の形見分けもらって、大老の地位もらっているので
一番恩を受けた人物
これだけもらって恩がないとかいいだしたら、秀吉は信長になんの恩もないと答えるだろうよw 秀吉は多指症だったとルイスフロイスが書いた書物に記載があったらしいから、遺伝的に何か問題があって子供が出来にくいのだったのだろうか? 朝日姫だか旭姫を泉ピン子が演じたっけなあ
40過ぎという設定だと思ったが 甥の家系(一族内で最有力)を族滅させたのは明らかに異常
そこまでしておいて、その罪状がハッキリと後世に伝わっていないのは更に異常
同様の例、世界中探して見つかるかね? 秀吉家康じゃないならじゃあ今本能寺の変の有力な説は何なのさ >>923
家康は三遠駿甲信の130万石をもともと持っていた。
味方の多い地元から最近滅ぼしたばかりの危険な敵地への転封だし、都からも遠くなった。
しかも不毛な低湿地の江戸に城を作らなきゃいけなくなるなどかなり苦労を強いられた。
確かに石高は増えたが、旧北条勢力の反乱や財政負担で領地経営に失敗するリスクも高かった。
秀吉に恩があるとは言えない。 >>903
辞世の句は事前に用意してあるし、複数あることもそんなに珍しいことでもなかったみたい 豊臣に降る頃の家康ってまだ後家食いだっけ?
ロリに走ってるんだっけ? あのころの子供の死亡率を考えたら、
秀頼が生まれたのを理由に秀次を廃嫡するわけがない
まして秀吉には鶴松を失った過去もある 藤堂高虎が一時的に高野山に入ったのも関連があるのかね >>923
当時の当主は清洲会議の決定を反古にして信雄だったんだぜ。まあお飾りだけど >>928
家康が小牧長久手時に木曾義昌などが調略されて秀吉と和睦した直後に真田が独立したから
旧武田領で徳川が支配してるのは甲斐と信濃中部のほんの一部で130万石から程遠い
しかも同時期に東海道地方が大雨に見舞われて大規模な水害が発生して
家康の領国が荒廃して戦費も重なって財政もヤバくなったから
小牧長久手のあと慌てて検地を実施して財政の再建に乗り出した
こんな状態で再戦ではなく上洛臣従という道を提案した秀吉に恩がないってことはないだろう レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。