歴史家のマイク・ガルブレイスさん(72)は過去10年にわたり、日本のラグビーの歴史をひも解く研究を行ってきた。
日本で開催中のラグビー・ワールドカップ(W杯)で、決勝戦は横浜国際総合競技場で予定されている。それだけに、この記念碑はこじんまりしているものの、ラグビー・ボールが上に載っているので、多少のファンは集めるかもしれない。
記念碑には、驚くような話の発端が刻まれている。1人の武士、武器を持って行われたクリケットの試合、そして日本ラグビーの始まりをめぐる長年の論争について。歴史は時に、フィクションよりも奇なりだ。
(中略)
それまでは、日本にラグビーが伝えられたのは1899年、エドワード・ブラムウェル・クラークと田中銀之助という英ケンブリッジ大学の卒業生によるものだというのが通説だった。
しかしガルブレイスさんは、ラグビーがこれよりもっと早くから日本でプレーされてきた証拠を見つけたのだ。
1866年1月26日に書かれた文献には、当時「フットボール」と呼ばれていたラグビーのチームが横浜港で設立されたと書かれていた。
これはイングランドにラグビー・フットボール協会ができる5年前、そしてウェールズに正式なクラブチームが発足するよりも前の出来事ということになる。
(中略)
1862年のことだ。とある大名が横浜の近くを馬で通りかかったところ、先払いをしていた武士が、チャールズ・レノックス・リチャードソンというイギリスの商人と鉢合わせた。
「大名が道を通る時、地元の住民は平伏しなくてはならない。それが決まりだった」。ガルブレイスさんはこう説明してくれた。
「この時に何があったかについては議論があるが、簡単に言えばリチャードソンは大名を前にして馬から下りなかったため、その侍に斬り殺されてしまった」
いわゆる生麦事件である。日本はこの時、200年以上にわたって鎖国しており、外国人の入国や日本人の海外渡航を禁じていた。
このことが、武装したクリケット試合の話につながってくる。
「このクリケットの試合で奇妙なのは、選手たちが(日本人から)攻撃されることを恐れて武器を持って試合を行ったことだ」と、ガルブレイスさんは話す。
「恐らくこの試合は、外国人の退去期限の翌日に行われたのだろう」
「ウィケットキーパー(捕手)はピストルを持っていた。それをウィケットの後ろに置いて、アウトを6回取ったと書かれている」
そしてこの文献には、「集まった半数はフットボールをした」と書かれていた。ギャルブレイスさんは、ここに書かれている「フットボール」は、後にラグビーになる競技の原型だったとみている。
つまり、日本初のラグビーチーム創設は1866年かもしれないが、ラグビーそのものは1863年からプレーされていたことになる。
すると、1874年発行の英語雑誌で、イングランドとスコットランドの移民が横浜で「フットボール」をしている様子の挿絵を発見した。これは両国のナショナルチームが初めて国際試合を行ってから、わずか3年後のことだ。
「ジャパン・ウィークリー・メイル」が1873年に掲載した記事には、「ボールをキャッチし、敵方へ威勢よく走り、素晴らしいドロップキックでゴールを決めた」という説明が書かれていた。
これに疑いの余地はないだろう。
これこそ、1899年より以前に日本でラグビーが行われていたという確定的な証拠ではないか? W杯の助けもあり、誰もが納得する可能性は十分にある。
続きはソースで
https://ichef.bbci.co.uk/news/624/cpsprodpb/4364/production/_109025271_1874gameofrugbyinfrontofmountfujifromthegraphicmagazine.png
https://ichef.bbci.co.uk/news/624/cpsprodpb/177FC/production/_109025269_galbraith_pics_1_bbc.jpg
https://ichef.bbci.co.uk/news/660/cpsprodpb/9A1C/production/_109025493_image00001.jpg
BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-49902350