【奈良】唯一の遺品、75年ぶり返還 インパールで戦死・辰巳さん、英兵の孫から日章旗
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イギリスから届いた日章旗を食い入るように見つめる辰巳善昭さん(左)=奈良県大淀町で、萱原健一撮影
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出征前に撮った辰巳善次さんの写真=奈良県大淀町で、萱原健一撮影
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太平洋戦争でインパール作戦に参加し、23歳で戦死したとされる大淀町出身の旧陸軍上等兵、辰巳善次さんが戦地に持参した日章旗が11日、75年ぶりに遺族へ返還された。参戦した英兵の子孫が保管していた。善次さんの甥(おい)に当たる辰巳善昭さん(66)=同町=は「この旗が唯一の遺品。しっかりと供養したい」と話した。【萱原健一】
厚生労働省などによると、善次さんは旧日本陸軍歩兵第67連隊に所属し、1944年2月にビルマに進出。同連隊は「無謀な作戦」で多数の死者を出したインパール作戦に参加しており、善次さんは44年6月21日にインド・サタルマイナで亡くなったとされる。
日章旗は、戦地から持ち帰った英兵の孫ジョージ・プリチャードさん=ロンドン在住=が保管していた。今年5月20日に善昭さん宅に「旗を返還したい」という手紙が届いた。イギリスからの突然の手紙に善昭さんは「いたずらでは」と思ったが、厚労省などに調査してもらい事実と判明。同様の手紙は、大淀町役場や同町内の二つの寺、高取町の壷阪寺にも届いていたという。
旗には「祈武運長久 辰巳善次君」と書かれ、寄せ書きには善昭さんの祖父や近所の知人の名前もある。家には出征直前に撮ったと思われる善次さんの写真が残っているが、戦地から遺骨の代わりに戻ってきたのは石ひとつと名前が書かれた紙だけで、遺品は一つもなかった。
この日、町役場で旗を受け取った善昭さんは茶色くくすんだ旗を食い入るように見つめ、寄せ書きの人の名前を一人一人確認していた。「イギリスで保管されていた方にもお礼を言いたい」と話した。
■ことば
インパール作戦
終戦前年の44年3〜7月、日本軍がビルマ(現ミャンマー)から、イギリス軍の拠点となっていたインド北東部の都市インパールの攻略を目指した作戦。険しい山岳地帯を進む計画は当初から補給面に問題を抱え、敗北した日本軍は戦死に加え飢えや病気で多数の死者を出し、撤退ルートは「白骨街道」ともいわれた。
毎日新聞 2019年10月12日
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日本人なら、さっさと捨ててしまう 馬鹿な作戦計画で兵士を無駄死にさせても日本に逃げ帰り責任もとらずのうのうと暮らした高級将官達
阿部の爺とともに自民党結党にも関わってるクズたち
上級国民がクズなのはコイツら戦犯を日本人の手で処刑しなかったからだよ へー、これがヤスクニに祭られている殺人鬼、武装強盗、レ☆プ魔かぁ。 倒した相手の戦利品ってどういう意図があって持つのかな
捉え方によっちゃ侮辱になるよね 英国兵に殺された兵士より日本軍の無策で死んだ兵士のほうが多い もともとは家族や友人に「俺がぶっ殺した敵兵のだぜ、すげーだろ?」って自慢するために持ってかえるんだろうな
で、帰ってしばらくしたら我にかえって倉庫の奥深くにしまわれると ほら、日章旗だよ日章旗!!
某民族の皆さん、エサが投入されましたよ〜 ww インパールか
おい ムダ口wwwwww
わたしからは以上だな ミカエル(悟ったもの)より。
>>5
例えば前線の個々の兵士の抱える糧食・弾丸(中隊・大隊・連隊の段列に抱える糧食・弾丸)を増せば
部隊の運動性を悪化させますよね(抱えるべき弾薬と食料が倍になったら走れませんよね)
師団の抱える物資も同様です。師団が動けばこの師団倉庫も動かないといけないですから、
1基数に必要な員数の増加があって、道路や輸送機材の限度から、運べる規模は自ずから定まってきます。
たとえ車両を増しても、その車両が消費する燃料や整備機材そして道路の限界から輸送力は頭打ちに
なります(これは朝の道路の渋滞を見れば判りますね)このことは実働演習で証明されています。 >>5
以上から、部隊の機動力と継戦能力、そして補給力のバランスはどの時代でもアンバランスになりがちです。
身軽にすれば素早く奥深くまで進撃できるけど、身軽であるが故に後続の補給に依存する度合いが大きく、
そして奥深くまで進撃したがゆえに兵站補給線も長くなる(北アフリカが良い例ですね)だからといって身重に
したらそもそも進撃速度が得られない。当然ですが進撃速度は敵の防衛体制が整う時間にそのまま影響し、
例えるならWW1の凄惨な消耗戦のような情景にそのまま繋がります
(つまり、それこそ必要な補給量が増えてしまう)
逆に言うならば、じっくり時間をかけて補給と補充量を蓄積してから叩くとするならば、それは最終的には
国力同士の比較に土俵を持ち込むことになり、そしてそれでは千日手になってしまうことがWW1で
示されています。下手するとチタデレ作戦のドイツ軍で負けちゃったりします。
この手段は日本軍にはとり得ないという事は理解できるでしょう。
以上から、予算以前に、日本陸軍は、そのような愚かしいというか知力を用いる事を放棄するが如き行動を
良しとするような無知蒙昧な集団ではなかったという事なのです。 おれ本物のヒトラーユゲントのナイフ見た事あるけど何ともいえない怖さを感じたよ。
小さいナイフだったが、ずっと見てられなかった なんか最近インパールさえ無謀でもないみたいなこと言ってるやつ見かけたわ
時代が回ると事実や教訓など意味無いね >>17
そもそも日本人なら敵兵の遺品なんて気持ち悪くて拾わない
欧米人は記念品的に取っておく >>7
戦時下で敵からの略奪は正当な権利と考える欧米人は多いからね
アメリカでは最前線でもすぐに仮設郵便局が出来たという
略奪品を兵士が故郷に送る為に
実際にそうしないと、略奪品を盗まれるかもと
兵士が略奪品から離れたがらなくなり
作戦に支障をきたしたそうだ >>18
最近、でもないよ。割と昔から言うヤツは言ってたよ。イギリス軍側からは良い作戦だったと後に言われたとかいろいろ。 牟田口ばかり叩かれるけど、
作戦が無謀に過ぎると判断しながら決行させた大本営、南方軍、ビルマ方面軍司令部の方が罪は重いと思うぞ 先の大戦で、活躍したのは、旭日旗より日章旗だぜ どう見ても >>1
一方ジャップは英国の民間徴用船の乗員を虐殺していた >>8
ちなみに、アンサイクロペディアの「牟田口廉也」の項目には、
「牟田口廉也は第2次世界大戦期における英国軍人である。インパール作戦等を通じて
大日本帝国陸海軍に甚大な損害を与えたことで知られている」
と書かれていたw >>19
ヘッドハンターが御自慢のジャップがどうしたって? >>27
戦国時代に首取るのは恩賞貰うのに必要だから
恩賞貰えば、首なんてそこらに埋めて首塚でも建てて終わり
後生大事に頭蓋骨持ってる訳ない インパール作戦はインド独立の為に日本兵が捨て石となった聖戦
牟田口閣下の奮闘がなければインド独立も無かった 第15師団か。コヒマとインパールの街道を遮断する戦いで戦死したようだね
戦死した日付と場所がわかってるから、まだ崩壊前だったんだろう >>22
ディマプールが空だったからな
補給が完璧で第31師団にパイパー戦闘団があったら勝ってたかもしれん
無補給で一個師団が徒歩で山を超えてくるとか英国人の想像超えてたんだろ >>32
倭猿という人面猿を相手にしているという認識が欠けていたな イギリスにあってよかった
日本だと朝鮮進駐軍が破壊して無くなっていたからね 水牛に荷物を運ばせ、食料としても利用するジンギスカン作戦を実施させたが、
水牛がジャングルや荷物運びに適応せず、エサも用意出来ずに大失敗。
なお、牟田口が戦後に中華料理店「ジンギスカンハウス」を開店した >>34
宗主国様に諂うためにジャップが率先して燃やすからな アーロン収容所を読めば、イギリス人が日本人を人間あつかいしていないのがよくわかるよ >>9
そんなもんだよな
自分が逆の立場になっててもおかしくないのが戦場だし
冷静になった後あまり考えたくなくなるんだろ >>4
10年くらい前から所有者が亡くなって遺品整理で売りに出されたと思われる千人針の日章旗とか
海軍○○学校修了記念アルバムみたいなのがヤフオクによく出てるね >>36
ネトゲのPKに引き継がれて現在に至る風習 ちなみにインパール作戦を日本地図で例えると
コヒマ攻略部隊…軽井沢を出発し浅間山を超えて長野県を横断して高山経由で金沢へ攻め込む
インパール攻略部隊…甲府と小田原からそれぞれ出発し日本アルプスを超えて岐阜へ攻め込む
補給部隊集結地…宇都宮
牟田口司令部…仙台
ってなるらしい >>38
捕虜の食事に当然のように家畜の餌出してたとかね >>5
現代の世でも上級国民は逮捕されないですしね 現地では地元民から略奪したり娘を強姦したりしたんだよね >>36
豊臣秀吉の朝鮮出兵での耳削ぎ、鼻削ぎも恩賞目的
敵を討ち取った証しとした
朝鮮から首送ると嵩張るんで、耳や鼻を日本まで送って首の代わりにした
その後は耳塚、鼻塚作って供養してる >>15
欧米列強から開放するというのが嘘っぱちだったという事だねえ >>23
戦時中のアレ「つまり現場の事は現地の指揮官に一任しているわけでして、我々としてもすべてを把握しかねるのが事実としてありまして、大本営が悪いと言うのはレッテル貼りでしかないのであります!」 >>30
いつからインド独立が日帝の目的になってたんだ?
インドは枢軸国に協力してたか? >>7
猛獣を狩った時の興奮を忘れないように牙や角を切り取るのと同じ 隠された暗殺の多い中世ジャップランドの実体
大企業が警察の天下りを受け入れる
↓
その大企業が、邪魔な人間(ジャーナリストとか)の殺害を、
その天下り警官に依頼する
↓
その天下り警官、手下の警官とヤクザに実行を指示
↓
ヤクザ、ターゲットを殺害
↓
手下の警官がその事件を担当。
「おれの経験じゃこれは自殺、自殺、自殺。はい捜査終了」
信じるか信じないかは・・・・
毎年出る 自殺者3万人、行方不明者10万人の本当の行方とは・・・・
これが糞ジャップの糞ジャップたるゆえんよ、
何が「日本はいい国」だ死ね。
w >>55
銃や刀が無かったら髑髏や歯を土産にしたらしいしね
奴らにはそんな感覚だったんだろう >>57
平安鎌倉期の武士がそんな感じだったらしいね。そりゃ徳川二百六十年の平和でボケきったなんちゃって侍が敵う相手じゃないな >>54
>いつからインド独立が日帝の目的になってたんだ?
チャンドラボースが来日した時からだろうな 俺はYou Tubeでインパール作戦を知ったけど、撤退の時日本兵はボロボロになってるのに
あの川幅何百メートルもあるの渡るのとか不可能すぎるだろう
牟田口廉也は本当にキチガイだったんじゃないのか? 近年の軍事研究だとインパール作戦は無謀でもなんでもなくて
まっとうで秀逸な作戦計画だったというのが結論
英軍の大規模空輸戦術が想定外であり、それさえ抑え込めていれば
成功裏に終わっていた可能性が高い作戦
牟田口は撤退をなかなか認めなかったのと奇矯な人格のせいで
必要以上に批判されている >>62
へー。補給が無かったあの作戦がね。
それじゃインパールを落とした後の補給はどうするつもりだったの?略奪?
>まっとうで秀逸な作戦計画だったというのが結論
後学の為にそのソースを教えて。 >>62
それは敵の補給が届かなかったら勝てたってことか? 牟田口廉也・・・自決もせず、部下を見捨てて日本に逃げ帰り、
作戦の失敗を部下のせいにした卑怯者司令官か >>66
天皇に止められる権力があるなら、
戦争自体を止めてるはずだけどな >>4
うちの爺ちゃんは米軍兵にもらった水筒を死ぬまで使ってたや。 >>62
あ、牟田口廉也の子孫の方ですか?おはようございます >>7
モロ侮辱と同じ
戦利品でしょ
当時は人種差別当たり前だし >>62
インパールは一方的な批判に晒されてる
もっと公平な検証が必要
ノモンハン事件も最近になってソ連側の被害も大きかったって事が分かってきた 日本兵の死体漁って、おみやげとして持ち帰ったくせにいまさら美談あつかいするなよ >>54
東條閣下がボースに面会した時からが始まりだな
共闘して最終的に勝利した暁にはインドを独立させるつもりだった 英軍との戦力差と雨季の山越え考えたら誰が指揮しても困難
だが戦況を好転させるにはやるしかなかったよね
防衛してるだけの方が楽だけどそういう訳にもいかんし
成功してたら軍神になってたと思う >>76
牟田口は盧溝橋事件にも関わってたから
「儂の手でこの戦争を終わらせてやる」という変な自負があったんじゃないかって説を読んだことがあるわ >>76
>防衛してるだけの方が楽だけどそういう訳にもいかんし
なんで? >>77
そういう気持ちも理解できなくもない
当事の軍人はそういう芯のある人が多かった 80才になるお婆さんが自らの命も顧みず日本の本当の真実を本にして出版した。
山本文子著 山本奈実編 『大日本帝国復活―百済人の野望』ホームページを持っているので本名とタイトルをググれば見れますよ!
本当の日本人は我が国の真実から目を背けてはいけない最終段階です!
少しでも心に響いた日本人の方がいらしたら拡散してくれれば幸いです。
http://bunei999.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-4b09.html
edc25 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています