【歴史】「元寇」はなぜ失敗した? 神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか=中国 ★3
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
日本の鎌倉時代に中国を支配していたモンゴル帝国(元)による日本侵攻は「元寇」と呼ばれる。1回目の侵攻は1274年の文永の役であり、2回目は1281年の弘安の役に当たるが、いずれも失敗に終わっている。
日本が元寇を退けることができた重要な要因の1つに「神風」が挙げられるが、中国メディアの捜狐はこのほど、中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試みが失敗した理由について考察する記事を掲載し、「神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか」と疑問を投げかけた。
記事はまず1274年の文永の役について、3万の元軍が九州北部に攻め入り、「震天雷」と呼ばれる火薬を用いた武器の前に日本側は劣勢を強いられ、大きな損害を被ったと紹介。しかし、元軍が夜に船で休んでいると暴風雨によって海は大荒れとなり、撤退を余儀なくされた伝え、これが1回目の侵攻であると紹介した。
さらに、1回目の失敗を受け、元軍は20万もの兵を率いて再び日本に攻め入ったとし、これが1281年の弘安の役であると紹介。日本側は激しく抵抗し、元軍は1カ月以上も沿岸での戦いを強いられたと強調する一方、時期が夏であったことから台風が九州北部を襲い、元軍の船は壊滅的な被害を受け、2回目の侵攻も失敗に終わったと指摘した。
記事は、日本では元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」であったことから、この風は「神風」と呼ばれていると伝える一方、元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張。また、日本に侵攻した元軍は元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成されており、士気は決して高くなかったと強調し、「神風が元寇を退けたというのは語弊がある表現であり、元軍側のミスと日本側の激しい抵抗、そして暴風雨という3つの要素が重なった結果である」と主張した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF
2020-01-05 22:12 サーチナ
http://news.searchina.net/id/1685690?page=1
★1 2020/01/06(月) 09:27:15.75
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1578276478/ 日本のメディアとくにNHKはモンゴル帝国と呼称している やってきたのは モンゴルの精鋭部隊じゃないでしょ
占領された地域のいわば奴隷軍みたいな連中でしょ
だからよかったんだよ 日本 テストで元軍の敗因を「鎌倉武士が強かった
から」て書くとバツもらうよね。 平安貴族とは?
ホモ
ブス専
一重瞼
渡来形質
偏食
糖尿
下戸
酒宴
迷信
触穢思想
無気力
ひきこもり
牛車
落馬
運動不足
肥満
色白
虚弱
短気
癇癪持ち
わがまま
官打ち
卑怯
臆病
軟弱
収奪
賄賂
泣き虫
死に歌詠み >>1
元の軍隊は、来てすぐに台風に逢ったわけじゃないんだよなあ。
来襲して、日本側の抵抗にあって海岸線にいさせられて、長期間まごまごさせられてるうちに台風がきちゃった。 テストで元軍の敗因を
チョンに任せたからと
書くとヘイトになるよ ちょんは暴風雨のせいにしないと
秀吉悪くできんからね >>6
高校のテストで小学生みたいなことを書いたらそりゃ×だろね 元に日本侵略をそそのかした高句麗が用意した船が、ボロ船だったと聞いている
今も昔も朝鮮人を味方につけた方が負ける、法則発動とは恐ろしいものなんだよ
これが真実 武士というくらいだからな。何をさしおいても武ありきの
文字通り戦をするために生きる階級がいるんだから。そんなの世界広し
といえど日本くらいじゃないの。モンゴル軽騎兵もおったまげるだろ
あと強いとはいっても地続きの平原あればこそでしょ >>1
日本のハヅキルーペ使って天気図を詳しく見てなかったから!!
よりによって一番荒れる島の真横に集結したから3方向の高波で一撃
全滅、 これが高島で起きた真実だった模様!!
島はこの面は断崖になっている
今も毎年数十mの断崖を超える波が押し寄せる事が有るようだ
それを見破るハヅキルーペは素晴らしいと言えそうだ
国産とは言っているが素材は海外製品かも知れない
組み立てだけかも知れないなー
そこは日本人らしい国産の表示制度調べないとわかりそうにもない
企業秘密だろう、
本当に日本製なの??素材の素材はわかりません!! >>6
近代史で、日本は支那と露西亜を壊滅的に撃破して此の世から消滅させた。
とは絶対に教えたくないから、近代史自体を無かった事にして碌に教えないもんね。 本当に書かなきゃいけないことは
六波羅幕府軍本隊が到達する前に
海の藻屑になったということ
神風以前の問題 モンゴル 陸上戦得意 海上戦慣れてない
日本 陸上戦得意 海上戦得意 日本の矢には鷹の羽が付いていた。
モンゴルの矢は木を削っただけだった。
そのために命中精度に大きな差があった。
射程距離と威力に差があった日本の弓矢に、
モンゴルチョンが勝てる要素はない、ゼロだ。
多くの家の家紋に鷹の羽が描かれているのも、
日本の弓矢の強さを証明している。 どうしても単純に
「日本が強かったから」
と認めたくないらしい
いかな条件だろうと日本が弱かったら負けてたんだよ
朝鮮半島の様に奴隷にされてた 日本の武士が元の船に投げ込んだ人糞が最強だったからだろ。 我不知道的元軍敗因
ξΩ` 八´) u`皿´>σじゃ Pは高麗軍に謝罪と賠償しる二ダ
★中国とロシア イラン支持形成
更に米国側52カ所 イラン側35カ所を攻撃予告
https://blog.goo.ne.jp/axxxxxa0000/e/368b1ec204e2fa2be4a7db1f59fc2029 高麗軍が日本向けの元軍艦に仕掛けをして
沈没するようにしたって話が有力だよね。高麗が日本を助けた形
恩義に答える義務が日本にある 元軍は渡海に不慣れだったことも原因では?
モンゴルなんて陸戦ばかりだっただろ。 元は成功しても失敗しても良かったんでしょう。
朝鮮と中国の兵を日本に投げ捨てるのが目的だったと聞きましたよ。 元寇
元+南宋高麗15万VS西日本地侍=日本圧勝
文禄・慶長の役
明+朝鮮VS中国四国九州15万=日本圧勝 中国じゃなくてモンゴル帝国の高麗軍と南宋軍だろ
高麗軍が主で南宋軍は敗残兵の捨て鉢扱い ポーランドのあたりまで攻め込んだ西進精鋭部隊と違ってたってことで >>10
何て呼べば良いの?
ウルス?
モンゴル民族の栄光を中心に記述するなら、そうなる。
ちなみに、
元と呼ぶと、中国からみた王朝の歴史観が反映されたものになるし、
蒙古襲来、だと、
北方民族を蛮族と規定した、中華思想が反映されたモンゴル観になります。 台風が来るまでに上陸して橋頭堡を確保できなかったのは何で?
→日本が強かったから
上陸できるつもりだったんだろ?ボケ 日本人って戦闘民族だし
一定以上の歴史と規模ある国なんてどこもそうだけど 日本でもたられば関ヶ原とか本能寺でわいわい考察番組も多々あるが中国も同じかw >>4
桃太郎は満州に渡ってジンギスカンになるのであります。 >>33
それ嘘。
ほとんどが朝鮮シナ人だったから関係ない。 捕虜になったモンゴル人、高麗人、漢人(旧金の漢族)は全員斬首、
南宋出身者は助命されて奴隷として御家人に分配されたんだっけ。
元寇の目的の一つに南宋の残存兵力を処分するというのもあったらしい
けど、それだけは果たされたわけか。 元の目的は棄民。
半島にいるうざい朝鮮人を半島から追い出したかっただけ。
勝てば全員日本へ移住させるし、負けて全員死亡でも構わない。
朝鮮人は勝つ気で戦ったが、元は本気出してなかっただけ。 文永の役は、朝鮮人どもが、水上戦は得意と豪語するので任せたらあのザマ おそらくだけど、朝鮮戦争のときのように朝鮮兵が総崩れしたんだろ 統制された軍隊がいるエリアに海から上陸させて戦うのは非常に難しいんだよね 海があったから?
→城攻めで城があるから落せないって言い訳すんのか
海戦に慣れてなかったから?
→侵略しにきて慣れてないもクソもあるかボケ 今でも元軍の鎧や兜とか、捕獲品が残っているのも凄いと思う。 そもそも準備万端石垣築いて待ち構えてる場所に来るとかなんなのよ >>56
逆に言えば、一旦上陸されてしまったら、奪還するのは非常に困難になるわけでもある。 日本が連帯したのは宋である。
日本に亡命してきた宋の高僧や高官らが、
モンゴル軍との戦いを手助けしていたと考えられる。 元軍が武士より弱かったから負けた
元軍が上陸戦で勝ってるのなら船まで撤退して休息をとる必要なし
夜襲を恐れて船まで帰ったというが、これも勝ってるのなら必要ない 馬は繊細な生き物で少なくとも当時の船では長期間船で運ぶことは無理だった
(現在でもメインの運搬手段は空輸)
得意の騎馬戦が展開できなかった上に、日本武士団の抵抗で上陸して拠点を作れず
船内で病気などが発生し弱っていた上に執拗に小舟で夜襲を仕掛けてくる日本武士に
もはや対応しきれず敗北したものと推測できる >>40
普通に大元帝国でいいだろ。
そう名乗っていたんだから。 弘安の役1281年
5月3日 東路軍の出航
5月21日 対馬侵攻
5月26日 壱岐侵攻
6月6日 元軍志賀島上陸
6月9日 元軍志賀島から敗走 壱岐へ撤退
6月下旬 江南軍の平戸島・鷹島到着
6月29日 壱岐島の戦い 日本軍が壱岐から元軍を追い払う
7月中旬 東路軍・江南軍合流
7月27日 鷹島沖海戦
閏7月5日 御厨海上合戦 伊万里から日本軍が元軍を追い払う
閏7月7日 鷹島掃蕩戦 鷹島の元軍が日本軍により全滅
日本軍の完勝です >>40
クビライ自体が国号を文永の3年前に
大元にしてるから大元国あたりでいいとは思う >>60
まあ、先遣隊は、様子見もかねて、「ちょっくら、真田丸でも攻めてみるか。」って行くんじゃん?
その後は、別部隊が搦め手から攻めたりするんだろうけど。
それと、一番ヤバそうな所を破壊しておけば、後が楽か。 元軍の士気は低かったというが、背後は海、負けたら死
それこそ背水の陣で士気旺盛よ 世界史には全く詳しくないんだけど
三国志の時代からあのゲームとかのフィールド以上に拡大侵攻しなかったのかしら
ペルシャ方面とか戦争してた記事は前に読んだ
あの辺と混血したやつらが巨体武将タイプなんだろうか 鎌倉武士が奮戦した
元軍の尖兵は寄せ集めでやる気なし 元軍(高麗兵)は鎧つけてないよ
布製戎衣 あれじゃ負けるw 元が愚かだった以外にない
日本本土なんて当時の地政学的メリットないじゃねーの?
今はレッドチームの最前線で多少価値あるけどそれもミサイルや航空宇宙技術の発展でアメリカの盾にもならない 一度上陸したものを奪い返されているから元がダメダメで日本が想定よりに強力だった 対馬壱岐で民間人虐殺しただけで、
上陸後は簡単にひねられたでしょ。武士に。
2回目なんて水城築いて、手も足も出ない。 2回来てるのがポイント
1回目に少軍勢で日本に来てみたら
抵抗らしい抵抗も無く殺しまくれて拍子抜け
「大軍団なら一気に国取り行けるな」と
でも2回目に大軍団で来たら様子が違った
海岸線には土壁が完成してて上陸も出来ず
湾に停留してたら台風来て逃げ場も無くてさ
更に朝鮮人や中国人が作った欠陥船のせいで
モンゴル人たちは多数死亡で終了となった
ある意味朝鮮や中国が無能で感謝だよな 勝ちに不思議の勝ちあり
→あまりに強大な敵だと思ってたけど勝てたから
神風のせいとかで理由つけた
負けに不思議の負けなし
→ありとあらゆる条件で元軍は
負けるべくして負けたバーカ 対馬はじめ島での残虐行為をみるにつけ、二回とも兵はやる気満々 日本を何故攻めたって言うんだが、
マルコポーロの東方見聞録で明らかなように、
日本は黄金郷だと考えられていたからだよ。 >>28
それくってる食事中に襲われて朝鮮軍壊走したんだ
日本も卑怯なことしたな >>28
壱岐・対馬で捕らえた日本人達を、船の先端にブラ下げて日本攻撃を開始した。
日本軍は何の躊躇いも無く、元軍兵士達に矢を射掛けて攻撃し皆殺を目指す。
日本人はクレイジー!!!と叫んだけれど、手遅れで返り討ちに遭い皆殺しにされた元軍のアホさw
日本人は、地震・噴火・台風・大津波・山津波・大火事等で、毎年大量死の連続生活で、人が死んでもビクともしない。
死に慣れ切って居て、全く死を恐れない民族に自然淘汰されていたのを、知らなかった元軍がアホ過ぎただけw >>82
元々盾の役割ではないやろ
不沈空母
敵の喉元に突きつける短剣
ソ連から見たキューバみたいな位置づけ 神風と言われてるんだから
台風に救われた、そして近代では
台風の意味が消え、簡単に占領された >>5
モンゴルの精鋭って、一人で馬を7頭引き連れて疾走する高速騎馬部隊だからな >>88
船が欠陥だった、ワザと雑に造った
ってのは韓国の教科書に載ってる責任逃れのプロパガンダだよ。 そもそもモンゴル軍の主体はどこも降伏兵が主体
元寇だけの話じゃない ヨーロッパの重騎兵が負けたのは
機動戦で引っ張りまわされて疲れたところをタコ殴りにされたんだよ
がっぷり四つに組めばモンゴルは大したことなかった >>6
小学校の時テストで、何で攻撃されたか的な問題で、「てつはう」て書いたら×になり、教科書に載ってた絵巻を担任に見せたら、苦い顔でマルに訂正されたの思い出したぜ、30年以上前のハナシ 日本が元を侵略して民を虐殺したというのが歴史の真実だから >>25
モンゴルのは、陸戦といっても平原だからな
日本の山がちな地形では、モンゴルの得意技は生かせない 最大の謎は日本がこの件で謝罪と賠償を求めていないことだな 北条時宗(年齢は数え年)
18歳 執権就任
24歳 文永の役
31歳 弘安の役
34歳 死没 モンゴル人横綱を見てると身体能力は日本人より圧倒的に上だろ 昔の人はそんなに世界中を侵略しまくってなにがしたかったの?
どうせ管理できないし富も名声も一国支配すれば限界値いってるやろ >>101
戦闘において機動力を使うことも
がっぷり四つのうちじゃなかろうか >>58
底引き網漁が登場したころに骨董品店にそういうのが大量に流れこんだのよ 当時の武士は警察も兼ねてるから膨大な数がいる
元々の鎌倉御家人だけでなく、特に西日本では平安の継続で朝廷領や寺社領にも多くいて健在
元寇前に後者を御家人に組み入れて指揮権を一本化したんだから、そりゃ元軍が勝つのが途端に難しくなる あえて言うなら
朝鮮人がいる方が「絶対」に「必ず」負ける
元も大日本帝国もアメリカも
朝鮮人がいたから負けた
あいつらだけは味方に回してはならない
敵に回せばこんなにラクな相手はいないが
味方にすればこんなに厄介なクソはいない >>33
日本が中国に制圧されなかったのは、日本海の存在が大きかったな
当時の世界レコード12万もの海軍で攻めて来て
それでも撃退できた
もしも平安時代だったら、こんな事はなかったかもしれない
武士はそれぞれの地域を支配し、それを束ねるもんが朝廷になかった
しかし鎌倉幕府は武士団を束ねる軍事政権
平安時代も一部攻めて来た事があったが、その海軍の数は少なかったはず
近代となり海軍の進化で、太平洋戦争末期アメリカ海軍だったら攻め落とされたであろう
相手は米ソ両軍が南北で攻めて来て、原爆連発で荒廃とした日本だったら アイヌも元と揉めてたらしい。
アイヌがちょっかい出してたのが原因だがw 台風で被害が出たのは元軍だけでなく交戦している日本も同じように被害を被った
言い訳にならない >>28
元の兵士は弓を装備していたはずだが
元の弓兵は、投擲が届く距離の敵を射抜けないヘタレということか? サムライの犠牲的武士道精神が、高麗兵に勝っていたという事だ! >>107
モンゴル人の平均身長は日本人より低い
朝青龍なんかは発達障害w 日本は湿気が高いから、乾燥地から来ると、水虫、いんきんたむしで、士気が下がる
それから風邪に、ビタミン不足による脚気(これはNHKでやってたが) 秀吉の朝鮮出兵も朝鮮兵が想定より遥かに弱すぎて早々に奥まで行き過ぎたから失敗した >>94
日本人は源平合戦で平氏の兵士を乗せている戦ってない民間の船頭を撃ち殺して
操船できなくして勝った源氏の生き残りだったしな 絵詞の一部を切りとってあたかも日本側が無謀で戦術が劣っているように
(季長が単騎で集団の弓隊に突っ込む馬鹿w)見せるのは悪質 モンゴル本国は攻める気なんてなかったのに、朝鮮の使者を幕府が無視して切り捨て繰り返したから、攻めざるを得なくなった
朝鮮の使者が無能なだけ >>47
装備(弓)が、騎兵用の小型のものだったらしい
元は、騎兵が主力だったからな
日本は射程の長い大型の弓を使った >>106
ドラマの題材として十分面白そうな人物なのにNHK大河は赤いマフラーなんか出したもんだから… >>122
しかも現地調達するはずだった食料も
恩賞用の財宝もまったくない枯れた土地だったので
継戦計画が崩れまくったしな 元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが捕虜になってたすかった、
かれらはもともと商売の付合いもある南宋の民兵士であり、九州には親戚も多かった。
元のお先棒を担ぎ対馬で虐殺の限りを尽くした朝鮮軍は全員クビを切られた。 宋から禅の思想が入って来ていたので、
武士道的な考え方が広まっていた。
今と違って、悪を滅ぼす事に躊躇がなかった訳です。 「朝鮮人がいかに弱いか」
応永の外寇
元寇が有名過ぎてあまり知られていないが
室町時代1419年に起きた李氏朝鮮による倭寇討伐を名目とした
対馬侵略の事である。
李氏朝鮮の軍勢その数なんと1万7000人!
対する対馬兵はわずか600人
日本の守護が不在のタイミングを図っての侵略であり
主兵力もいない状態でほぼ30倍近い絶望的な圧倒的兵力差であった。
あやうし対馬!絶対絶命の危機か!?
、、、、結果は日本の圧勝でした。
戦死者は10日間の戦闘で
日本は20人
朝鮮は2500人以上
朝鮮人が殺しまくったのは民間人ばかりでした。
これを見ていたシナ人があまりの朝鮮兵の弱さに笑ったと言う
朝鮮兵は世界史上最弱の精鋭部隊だったと言う「 名 誉 」を得る事となった
あまりの恥に目撃者であるシナ人達はなかなか祖国に帰れなかったらしい
宗主国の人でなければ口封じに殺されてたろう
この完敗に恐れをなした李氏朝鮮は和睦を申し入れ
対馬が日本領である事を再確認させられた挙句
毎年、大量の米を献上する事となりそれはなんと明治維新まで続くのである。
ちなみこの献上米は「賠償金」以外の何者でもないのだが
見栄っ張りの嘘吐きの朝鮮人は「歳賜米(与えてやってるんだぞ)」と
名付けてチンケなプライドを保つ事となる。
昔から朝鮮人のやる事は何も変わってない事がよくわかる
民族として卑怯卑劣などうしようもない連中だったのである 強大な大陸国家がともに手を携え、野蛮極まる辺境のサルを征伐する・・・・
多くの文明や知識が韓半島からもたらされただろうし、古代のロマンを感じるね。 元々日本には台風が毎年来る何て事は当時の日本人も分かってただろうから
上陸させずに海上に敵部隊を留めて置けばいずれ撤退すると読んでたんじゃないのか?
さらに冬まで持ち堪えればさらに有利になっただろうし 日本海の九州ー対馬ー朝鮮ラインの軍事侵攻は蒸気機関が出来るまでは無理
貿易は出来ていたが軍事行動は無理だった 【元寇】元寇による日本脅威論の形成
元寇では、日本刀は戦場で大きな力を発揮した。南朝遺臣の鄭思肖は日本刀を評して「倭刀はきわめて鋭い」と指摘し日本征服が難しい理由の一つに
日本刀の存在を挙げ、クビライに仕えた王ツもまた元寇を受けて「刀は長くて極めて犀なるものを製り…」と評すなど日本刀の鋭さに言及している。
浙江大学教授・王勇は弘安の役での敗戦とその後の日本武装商船の活動によって中国における対日本観は大きく変化し、凶暴で勇猛な日本人像および日本脅威論が形成されていったと指摘している。
例えば、南宋遺臣の鄭思肖は「倭人は狠、死を懼(おそ)れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。戦死しなければ、帰ってもまた倭王の手によって殺される。
倭の婦人もはなはだ気性が烈しく、犯すべからず。倭刀はきわめて鋭い。
地形は高険にして入りがたく、戦守の計を為すべし」と述べ、また元朝の文人・呉莱は「今の倭奴は昔(白村江の戦い時)の倭奴とは同じではない。
昔は至って弱いと雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。いわんや今は険を恃んで、その強さは、まさに昔の十倍に当たる。
さきに慶元より航海して来たり、艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。その重貨を出し、公然と貿易する。その欲望を満たされなければ、城郭を燔して居民を略奪する。海道の兵は、猝かに対応できない。
士気を喪い国体を弱めるのは、これより大きなことはない。しかし、その地を取っても国に益することはなく、またその人を掠しても兵を強めることはない」と述べ、日本征服は無益としている。
また、明の時代の鄭舜功が著した日本研究書である『日本一鑑』では、元寇について「兵を喪い、以って恥を為すに足る」と評すなど、後の時代にも元寇の記憶は批判的に受け止められていたことが窺える
元寇の敗戦を通してのこういった日本軍将兵の勇猛果敢さや渡海侵攻の困難性の記憶は、後の王朝による日本征討論を抑える抑止力ともなった。
元の後に興った明による日本征討論が、初代皇帝・朱元璋(洪武帝)、第3代皇帝・永楽帝、第12代皇帝・嘉靖帝の時の計3回に渡って議論された。
そのうち、朱元璋は軍事恫喝を含んで、明への朝貢と倭寇の鎮圧を日本の懐良親王に要求した。
ところが懐良親王は、もし明軍が日本に侵攻すれば対抗する旨の返書を送って朱元璋の要求を受け付けなかった。
この返書に激怒した朱元璋であったが、クビライの日本侵攻の敗北を鑑みて日本征討を思い止まったという。 >>118
武士道は江戸時代に流行したファンタジー >>98
それが全く使えない日本侵攻では、全く役に立ってないな。 中国では、共産党以前の歴史教育は為されていなかった為、多くの中国人は、過去に日本を侵略しようとした歴史を知らず、朝鮮民族は、秀吉の朝鮮侵攻が、元寇に対する復讐でもあった事を知らない
金慶珠氏も知らなかったのか? 防衛線を突破できずに何ヶ月も海上に居たから台風に遭遇しただけ
運では無いわな >>32
ノリノリで日本を攻めてきたのは高麗だった
高麗の忠烈王はフビライに軍船をすべて提供し、
馬山を拠点とした
文永の役は85000、弘安の役は10000を派兵した
対馬などへの先遣隊として道案内をし、先陣を切って大虐殺を
繰り広げたのはチョン >>57
13世紀で十万規模の上陸作戦って存在してんの?
渡航作戦だよ
ノルマンディークラスの作戦が必要なんじゃないの? そもそも侵略が成功したある程度の段階からモンゴル正規軍じゃなくて
属国になった地域の兵を使ったのがモンゴル
だから攻めてきたのは精鋭じゃないっていうのは正しいし
たぶん攻めてきたのはほとんど金や朝鮮半島の人たち 鎌倉時代は武士が多くおり、戦国時代ほどでないにしろ、鎌倉時代は平和な時代でなく、頻繁に武士同士が戦って戦闘ノウハウ蓄積していた時代
特に西日本は元寇直前まで平安時代の継続で所領が入り乱れて武士はよく訓練されていた
これが大きい >>88
日本の武士団は抵抗してるよ
仮に抵抗らしい抵抗しなかったなら、弘安の役よりは少ないとはいえ四万、
船員を除いても三万三千の軍勢があって九州や大宰府すら落とさず撤退する理由がない
実際撤退を決定した軍議で、高麗の将軍・金方慶は、さらに進軍しようと主張してる
でも総司令官のクドゥンは孫子の「小敵の堅は、大敵の擒なり」という言葉を引用して、
疲弊した兵士で多数の兵力と戦うことの愚、敵が日増しに増えていることを説いて撤退を決定した
つまり、元高麗軍が疲弊していたのに比べて、日本軍は日増しに増員が到着していたのが撤退の理由
台風あるいは暴風雨にあったのはその後 >>120
博多東方の志賀島を拠点にしたが3日で追い払われて壱岐に逃げ帰ってるんだよ >>107
日本人のフィジカルエリートが相撲やらないだけだよ 6〜8月だっけ海の上にいたの
そりゃ1度くらい台風来るよ >>26
和弓の矢が回転するのも命中精度向上に貢献している
ライフル同様製作上の誤差を低減できるから >>1
チョンを使ったからだろwww
馬鹿チョンと組んだ方が負けるのは当たり前! 知らなかったんだがさ
元寇ってドラゴンボールで例えるならギニュー特戦隊のグルドをやっとの思いでやっつけたって話だったんだな
後ろにはギニュー特戦隊とフリーザが控えてるって状況
日本って運が良かったんだなw 元が本気出したらヤバかった >>112
>味方に回してはならない
新鮮すぎて吹いたw >>146
モンゴル人ならもっと苦戦した
海上からの侵攻ノウハウはないからな 対馬の住民は、船のヘリに吊るされて、食料として高麗兵に屠られたと謂われる >>119
海の無い蒙古人は、馬肉や羊の乳飲んで肉を食う、超偏食児童の成れの果ての民族だしね。
魚を大量に食い、動物の肉も山クジラとか称して食い、何でも食う雑食民族の日本人には勝てんよねw >>88
>海岸線には土壁が完成
土壁じゃない。 石積みの防壁だ。 元寇から学べる教訓は
世界最強の武器とそれを操る軍隊、
そして迎え撃つ陣地。
この3つの要素をきちんと整える事が、
侵略を防ぐために極めて重要だという事だな。 >>93
むしろオカズが増えたって喜んだんじゃね? 俺が、秦の始皇帝のエイセイって名に士がついて、中国共産党の中国人と言われ
それがなぜか日本の防衛してる、かなめ、クンニにフェラチオ
なにもかも偽装し、その仕事内容は自民党の清和会にも秘密で
自民党もいっさい事情を把握してなかった、それが俺の家の外での仕事よ
んでネット右翼け 【歴史】「朝鮮半島有事」への教訓 “深入り”して逆に後世に禍根を残してはまずい[9/30] 2ch.net
韓国人は古代史というと朝鮮半島が一方的に日本に恩恵を与えたように思っていて、いわば“先輩気分”で意気揚々となる。今回もそうだ。そこで韓国人にいうのが7世紀、日本が百済復興の支援軍を派遣した「白村江の戦い」だ。
百済・日本連合軍と唐(中国)の支援を受けた新羅・唐連合軍の戦いだったが、日本軍は大敗し水上で壊滅する。そのときの派遣兵力は「最低でも3万7千余」にもなる。あの時代にこの数はすごい。
日本にはそれほど百済への“義理”があったということだが、この故事は韓国ではまったくといっていいほど教えられていない。最近、旧百済の遺跡を観光旅行してきた日本の友人は「どこにも何の記念物もなかった!」と怒っていた。
韓国人は与えた恩恵や自らの被害はいいつのるが、支援されたことには全く知らん顔で伝えないというのは、古代史ばかりではないようだが…。
朝鮮半島をめぐる戦争の歴史としては、「白村江の戦い」の後、13世紀の「元寇」はモンゴル族の元(中国)が高麗を手先に日本に侵攻してきた。16世紀の文禄・
慶長の役(韓国でいう壬辰倭乱)は、最後は朝鮮半島侵攻の豊臣秀吉の日本軍と朝鮮支援の明(中国)との戦いになった。
下って19〜20世紀には日清、日露戦争など朝鮮半島を舞台に日本は清(中国)やロシアと戦っている。1950年代の朝鮮戦争では、北朝鮮・中国連合軍の侵略と戦う米(国連軍)韓連合軍を支援する後方基地となった。
この後方支援があったから米韓軍は何とか北からの共産主義侵略軍を撃退し韓国は国を守れたのだが、韓国では「日本は戦争特需でもうけて経済復興した」という話ばかりで「日本の支援」の効果など全く無視されてきた。
最近の北朝鮮の弾道ミサイルや核開発は日本への軍事的脅威でもありその備えは当然、必要だが、コトの本質は朝鮮半島の南北の内部対立であり「朝鮮半島有事」の問題である。
その際、来るべき日本の関わり方は歴史的に見て、どのパターンになるのだろう。
歴史的経験として「白村江の戦い」の直接派兵はもちろん、直近の後方支援でさえ感謝されていないのだから「朝鮮半島有事」の際の支援の在り方には慎重を要する。過去のように“深入り”して逆に後世に禍根を残してはまずい。 鎌倉軍ががんばって岸によせつけなかったから海の上でねばるしかなかった元軍
そこに台風が襲い掛かった
鎌倉軍の奮闘GJ
でもなにも分捕れなくて疲弊しただけで可哀想 >>152
それは違う、船の上には弘安の役ではほぼいない
壱岐と鷹島を拠点に船を防塁代わりにしてる
そんな姿勢じゃとても九州再上陸は不可能だがね >>101
ゼロ距離なら空母より戦艦が強いみたいな話やね >>144
どこでそんなデマ習ったの?
文永の役の蒙古軍全軍で4万いないのに、高麗だけで全軍の倍いるじゃん 朝鮮人は今も昔も
民間人相手に略奪と強姦しかしない残虐非道なヘタレ >>144
文永の役の元高麗軍は総数でも四万人
蒙漢軍二万五千、高麗軍八千、梢工と水手(船員)六千七百
85000は多分、高麗軍の桁をひとつ間違えてる だせる範囲の本気ではあったとおもうよ
ユーラシアの膨大な領土を力で抑えてるんだから極東の島国相手に
そのすべての力を使えるわけないっていうのはわかるよね 佐賀に上陸して、佐賀〜久留米あたりの平地を確保すれば
元軍が九州に拠点を築いて上手くいってたはず
博多を攻めたのが失敗
佐賀に上陸し、そのあと久留米まで一気に攻める
その次は熊本を攻めて、農地を確保
また有明海は海が穏やかなので台風でも沈没とかしにくい >>59
単に法則が発動しただけだろうな。
鎌倉時代から不変の法則なんだわ。 元寇のポイントはさ
日本は戦には勝ったけど攻められた側だから与える恩賞が無く幕府が糾弾され滅亡ってことだろ?
これ元の勝ちじゃないか
結果論でみたら 元寇って様はドラゴンボールで言うと
ゴクウみたいなのががいっぱいいたんだよな
そりゃギニューやフリーザじゃ勝てないわ >>177
防塁があろうがなかろうが志賀島での戦いぶり
鷹島での戦いをみるに普通に上陸しても勝てなかったと思われる 普通に我が軍が強かったんだわ
神風云々言い出したのは恩賞を払いたくなかったからやね
「買ったんはアンタらの働きゆえやのうて神風のおかげやから恩賞はなしやで」ってことにしたかった。 >>56
上陸戦であれば、攻撃側は相手の守備兵力の3倍前後の兵力を投入が必要だといわれる
さらに、組織の連動調整連絡が重要で所属の異なる部隊では重要度は増す
所属が異なる戦力が同時進行で展開する戦術面での複雑さから、作戦中の一つの混乱が
作戦全体を崩壊させるきっかけとなる
上陸に成功しても、引き続く物資や部隊の揚陸遅れや失敗で孤立しやすい
上陸作戦の失敗はほぼロジスティクスの失敗 >>156
ドラゴンボールに例えるなら、ギニュー特戦隊とフリーザは
他の星や征服したばかりの星を抱えていて、
いつ反乱や他の星との戦いがはじまるかわからないので
地球にギニュー特戦隊とフリーザがくるのは難しいし、
地球へ行く船はグルドの分だけでもかなり無理して用意してて、
ギニュー特戦隊とフリーザの分まで用意するのも難しい、みたいな感じ
元は南宋征服したばかりで他にも友好関係とは言い難い地続きの国があり、
日本一国に本気を傾けられる状況じゃない
やろうとしたとしても、造船は弘安の役の時にも
高麗と南宋の両方でやってもかなり無理してる
実際三回目やろうとして臣下に止められてる >>69
船が沈んでおよそ3万人が島に取り残されたが一分交流のあった南宋人は解放され、半数の朝鮮人と残りの元人がゆっくりと殲滅された。 >>1
主力が中国、朝鮮人で
やらされて皮装備で大将もはっきりしない
だから弱かった
これ徴兵制にもいえること
士気の低い軍は一度引くとあとは終わり >>147
戦慣れが日本勝因の大きな理由の一つだろうね
幕末の日本は弱体化してたと思う
いち早く欧米の最新の軍事を取り入れた薩長が、長州征伐から戊辰まで圧倒した
それは他の大部分の藩が、旧態依然の弱い軍だったから
しかし西南戦争では、薩摩のアドバンテージも弱まっていた
ようやく明治始まり10年を経て、他も薩長レベルに達したのだろう
今の日本は弱いんだろうな 日本海側から攻めずに、有明海から攻めてたら、いずれ九州全土が元軍の支配下になってたはず 「○○だったら勝てた」
って面白いかも知れないが無意味だよな
しょせん負け犬の遠吠えなんだし >>166
鷹島で待機してたけど
九州武士が小舟で乗り付けて上陸し
斬って斬って斬りまくった! >>182
ドラゴンボールで例えるなら
日本人全員で必死な思いでラデッツを倒したら次の年にはナッパとベジータがやってきたって状況だろ
それでも何と辛うじて撃退したがフリーザが他の場所攻めてるので日本に興味無いってパターン >>11
ウンコとケモノの腐肉な。それも寝静まった夜中に。 そりゃ朝鮮人に船なんか造らせたら沈むに決まってるだろw >>189
記録では10万余が鷹島に残っていたとされる >>180
幕府が交代しても元にとって戦略的意味はないからなあ
新幕府が元に帰順したとかならともかく >>32
高麗国王が征東行省平章政事という日本侵略軍の総責任者だから、高麗の責任は免れないぞ。 モンゴル軍のハーンが大将でモンゴル本隊がいれば分からなかった
自衛隊と同じ
本気のやる気ある奴は強い >>180
武士は上がどうなのろうが知ったこっちゃない
実際に元軍と戦った西日本の武士は幕府創業期からの御家人は少なく、鎌倉時代を通じて幕府と主従関係を結んだ者が多く、特に元寇直前が多い 誰も得しない戦いだったな、元寇は。
元、高麗はもちろん、日本側もまったく得してない。
得宗家はその後、戦時体制を利用して専制を強める結果になったが、
この戦役の恩賞を与える余裕がなくなり、御家人の反発を抑えるため反動政治を
強化したが、御内人の横行を招き、北条一門、側近衆もろとも滅亡。
御家人は御家人で窮乏化が進むわ、御家人の反乱を怖がる得宗家に睨まれ、
安達は滅ぼされるわ、足利みたいな有力御家人ですら当主が切腹に追い込まれるなど、
一時は煮え湯を飲んだ。 洋上で長期停留すると、補給の問題もあるし、壊血病も出る。
朝鮮人にはそこまで考えが及ばない。 >>159
対馬民が干乾しにされ食べられたという話しは本当みたいだな >>84
12回そそのかしたが、実行したのは2回。
元の滅亡とともに計画終了。 おまいらさ
なんでそんなに無駄にくわしいん?
それもこんなじかんにさ?
ぱぱとままがかなしむよ >>82
当時、火薬の原料である硫黄が大陸で不足し自給できず
火山から大量の硫黄が取得できる九州は重要だった >>180
なんか、幕府の滅亡はまた違うみたいだ
むしろ元寇の到来によって、強い幕府が求められ、中央は強化され始めていたというのが今の定説らしい >>199
でもそれで船上の元軍に疫病が流行ったんだよね・・・ >>1
まず記者はハングル語以外の歴史書を読めだろ 半島を巻き込んで法則が発動したからだろ ウンコを投げられて中国人は動揺し
高麗人は狂喜して食べ始めた
それで統制が取れなくなった こういうことにはむだにくわしい仕事始め日のおまいら モンゴルの朝鮮人奴隷部隊による対馬民虐殺が『むごい』の語源。 だいたい、元軍だって首狩り族の集落のど真ん中に攻めてきて、
恐怖に駆られる日記とか結構残してる。
夜中まで目を輝かせながら、「首首」言いながら、船にへばり付いてくるんだぞ。
それも十や二十人とかいうレベルじゃなくて。 >>180
それいったら、無理な出兵で元も滅んだからイーブンだろ。 >>183
平地が少なくて狭い場所での戦いになったので、
平地の戦いに慣れてる元軍が劣勢になったんでしょう 高麗軍の手加減がなかったら日本という国はなくなってた
文化を教え体を張って日本を守ってくれた兄の国に憧れるのは当然だよなー? ジャップは他国の英雄を「日本から逃れた源義経(ドヤァ」とか主張して恥ずかしくないの? これ戦の重要ポイントだよね
戦争ってのは攻める側よりも攻められる側が圧倒的に不利って言う。
攻められた側は勝っても損しかないからな。
独ソ戦もソ連は勝ったのに大ダメージ受けてるしw ギニューが博多にやってきたけどごくうちゃんにやられた話でしょ 元寇で得したのは北条だけ
元寇を理由に権益拡大
しかし、やりすぎて新規御家人から反感買って滅んだ 俺は兵站の問題だったと思うがな
補給線が外海を渡ってたら、安定した兵站供給は無理
現地調達が基本になるけど、日本の貧乏農村を略奪したところで全然足りない
なので一気に敵を殲滅できなければ撤退するしか無い
世界史上の多くの戦いで兵站視点が語られることが少なすぎるが
ここで勝敗が決してるケースが実は多い >>180
幕府は滅んだ、けど日本は護られた
幕府だけじゃなく日本の防衛という点では勝ち
あと最近は幕府の滅亡は元寇の恩賞問題ではない説も出てる 当時の航海技術では難しかったのかもしれないけど福井辺りに上陸して一気に京を攻め落とすのが一番可能性がありそうだけどな 現代においても
ウンコ爆弾を作れば朝鮮人は穏かではいられないだろう
そわそわワクワクして銃なんか手につかない 当時の日本は首狩り族www
たしかに
食わんかったけどな 船については高麗のものは技術の限界と意図しない手抜き、
旧南宋製のものはわざとだろうなぁ。
南宋が滅亡した崖山の戦いの時の、千隻以上の大型船を鎖で
つなぎ合わせて築かれた水上要塞は陸の水源とその輸送路を
押さえる事でしか陥せなかったしなあ。 >>169
>>171
すまん
8500
タイプミス
指摘通り >>127
使者を斬ったのは元が攻めてきた後
順番が違ってる
×使者を幕府が無視して切り捨て繰り返したから、攻めざるを得なくなった
○元高麗が攻めてきた、その後の使者を幕府が斬った
それと切られた使者は文永の役の後の七回目、八回目の使者だけど、
どちらも使者は高麗人じゃないよ
使者に同行した中の通訳だったかに高麗人はいてやはり斬られてるけど
元寇の前にも二回目、四回目が高麗人の使者だったけど、
この二回を含めて元寇の前の使者は生きて帰してる >>235
大陸は平坦だから海上と違って輸送が楽だもんな >>149
鎌倉幕府側の兵の増員≫元軍の増員
元軍は、最初の文永の役の時に、2度目の弘安の役の時の兵力の補充があって初めて、陸戦戦力は、ようやく互角に戦える訳か。 傭兵部隊で、しかも戦意もない、さらに海を渡ってきた
これでは神風が吹かなくても勝てるだろう
でも当時の源平武士も強かったことは確かである
日本はモンゴルには支配されなかったから、伝統文化を守ることができた
朝鮮はモンゴル支配で、伝統文化を失った
それまでは日本と朝鮮は兄弟、親子の民族であった。 >>232
ドイツから世界最高峰のロケット技術者を連れてきてその後のミサイル技術で今もロシアは群を抜いてるだろ 元軍の1/3の3万,4万名は高麗軍(高句麗ジャネエぞ)や、朝鮮人だから士気は高いハズがネエニダ。 日本に攻めるための船を大量に製造したため、半島の山はハゲたと記録にある。 神風神話も極端だったが、また極端に振れたな
名前を売りたい歴史学者か、自称歴史研究家辺りが極端な説流してんの? >>225
落水即ち死だった元軍に対し
鎧兜のまま泳いで陸に戻りまた攻めて行けるってのは有利だったな >>238
スカトロAVで興奮してるジャップが作成中にラリってしまうんじゃねえか(笑) 恩賞て言うけど負けたら侵略されるって戦いで敵を撃退したって褒美なんか出ないのが当たり前と思うけど
外国に土地取られなくて良かったね、て話やん
別に幕府のために戦ったわけではないだろう
自分のために戦ったんだろ >>183
防衛戦に防塁が大きく貢献していたのは間違いないと思うけどね
西南学院大学の敷地内に大岩が残っていら >>248
12万だから弘安の役こと言ってんだろうけど
東路軍と高麗軍を混同してない? >>210
元には意味があるよ、降伏させた南宋や朝鮮の兵士たちを国外に送り出し
結果としては海に沈めて反乱の要因をきれいに片づけた
日本を征伐してしまえればベストだが失敗しても利がある遠征なのよ 日本は村ごとどころか、集落毎に武士がいたわけ
現代でいえば田舎の警察官どこか消防団が即武士に成り代わる
侵攻は難しいのは誰でも分かること 船の中で南宋兵のウンコを高麗兵にエサとして
与えていたらしい
高麗兵のウンコは高麗兵が食べていた
南宋兵は食料を現地調達できず
ウンコか出なくなり高麗兵に食べさせるエサもなくなった
これでは勝てないのも道理であった >>180
義務教育ではそう教えてるみたいだけど、実際は防衛上のためと称してそれまで幕府が立ち入れなかった荘園まで幕府の力が及ぶようになって得宗専制という北条独裁体制が生まれてる。
モンゴル侵略を利用して権力強化を図ってる訳だから鎌倉武士もしたたかだわ。 元も別に日本なんか要らんかっただろ
おれが元だったら要らんわ >>180
自民党と共産党が戦い、自民が勝ったがアベ政権は倒れてしまった
それで共産党は勝ったと言うようなもんやな 九州の御家人達は勝ったのに恩賞無しと知って大激怒し、妥当、鎌倉幕府になったのは事実だよね
九州の御家人が怒った理由はね、鎌倉幕府は元寇が起こる事を予測できてたのに知らせなかった事に怒ったんだぞ 当時の日本人は狭い島国で濃密な殺し合いしているうちに限界突破してしまったんだろうな >>210
得たものはなくても、防衛戦争だから
征服されるのは避けられた、という点では得はあったよ
>>198
フリーザがクビライなら、弘安の役の後も三度目を準備してたから
興味どころか日本を攻める気がまだまだあった
でもベトナムとの戦争になったら、元を侵略したことのない日本はさし置いて
ベトナムに専念することになった そりゃ降伏させた別国の兵士主体じゃヤル気なんねーだろよw >>102
絵巻を幕府に提出する御家人と苦い顔で恩賞を出す幕府の追体験だなw ■朝鮮の法則
《歴代の戦争編》
【勝ち組】 【負け組】
・唐 vs 日本+百済 (白村江の戦い)
・イスラム帝国 vs 唐 +高句麗人の総大将 (タラス河畔の戦い)
・日本 vs 元 +高麗 (元寇)
・明(中国) vs 日本 +朝鮮 (文禄の役)
・日本 vs 明 +朝鮮 (慶長の役)
・清(中国) vs 明 +朝鮮 (明滅亡)
・日本 vs 清 +朝鮮 (日清戦争)
・日本 vs 露 +朝鮮 (日露戦争)
・ソ連 vs 日本 +朝鮮 (シベリア出兵)
・米英仏蘭支ソ+伊 vs 日本+台湾+朝鮮+独+伊 (第2次世界大戦)
・北ベトナム vs アメリカ+韓国(第2ラウンド)(ベトナム戦争)
『番外編(引き分け)』
・アメリカ+韓国 vs 中国+北朝鮮 (朝鮮戦争)
・イラク+北朝鮮 vs 多国籍軍+韓国 ( フセイン一族崩壊 & イラク治安回復せず & 米国兵最多戦死記録達成 )
とにかく、韓国が関わるとどの国も≪敗北≫することに成る。 戦意の旺盛さという点では、武士というの異常。
夜に船で停泊してる元軍数万の中に、単独で夜襲をかけさせろという武士でいっぱい。
要するに、首が欲しい、首を獲らせろという武士でいっぱい。
司令官はそれを抑えるのに必死。結局、抑えられないで、めいめいが夜襲かけまくる始末。 >>102
「何で攻撃されたか」って「なぜ攻撃されたか」って意味だったりして? マルコポーロの東方見聞録で明らかな様に、
黄金の島ジパングとして、
知れ渡っていたのが当時の日本だった訳で。
コレが歴史の事実である。 馬から降りたモンゴル人なんて
陸に上がった魚同然なんで 武士って怖いよなぁ
スーパーDQNやもん
今のヤクザなんて足軽にもなれんやろ
怖いわぁ
令和の時代で良かった お前らの知識ってどこで手に入れてんの?
ちょっと許教養身につけたいからオススメの本とか媒体教えてくれませんか? >>263
うん、要らんと思う。
騎馬民族だし、内陸での戦で広げてる国だから、日本侵攻はコストがかかり過ぎる。
元としては要らないのに、朝鮮が自分の苦に取られたから、替わりに日本で国王になりたかったのでは? ■朝鮮の法則
《歴代の戦争編》
【勝ち組】 【負け組】
・唐 vs 日本+百済 (白村江の戦い)
・イスラム帝国 vs 唐 +高句麗人の総大将 (タラス河畔の戦い)
・日本 vs 元 +高麗 (元寇)
・明(中国) vs 日本 +朝鮮 (文禄の役)
・日本 vs 明 +朝鮮 (慶長の役)
・清(中国) vs 明 +朝鮮 (明滅亡)
・日本 vs 清 +朝鮮 (日清戦争)
・日本 vs 露 +朝鮮 (日露戦争)
・ソ連 vs 日本 +朝鮮 (シベリア出兵)
・米英仏蘭支ソ+伊 vs 日本+朝鮮+台湾+独+伊 (第2次世界大戦) 日本滅亡
・北ベトナム vs アメリカ+韓国(第2ラウンド)(ベトナム戦争)
『番外編(引き分け)』
・アメリカ+韓国 vs 中国+北朝鮮 (朝鮮戦争)
・イラク+北朝鮮 vs 多国籍軍+韓国 ( フセイン一族崩壊 & イラク治安回復せず & 米国兵最多戦死記録達成 )
とにかく、韓国が関わるとどの国も≪敗北≫することに成る。 穀潰しで常敗軍の朝鮮人が参加してたから。
日本にはしょっちゅう台風が接近上陸するが
朝鮮にはめったに台風上陸しないからな 元軍からみたらさ
「元軍の中でも一番下っ端のフビライ・ハン。しかもこのフビライも本気でやったわけでもないのにさ
日本人は元に勝ったと何を勘違いしてるんだ?」
この程度の話だぞ >>282
割り手に入りやすいのは、 網野善彦著『蒙古襲来』よ。 褒美をもらうために絵描きを同行させた竹崎季長の必死さに笑うわ >>210
ベトナム戦争と同じやな
ベトナムは勝利したが、戦いの後遺症で国土は疲弊した
昭和43年日本は西ドイツを抜いて、資本主義国家2位に躍進したが
その上の米ソは遥か上で、こんなん追いつく訳ないわって数字だったはず
しかし80年代かなり肉薄したのは、アメリカかなり弱くなったんだろうな
ベトナム戦争以外にも色々理由があったと思うが >>276
大将首取らないと恩賞がもらえないからでしょ
無謀といわれる先駆けも恩賞目当て >>163
だから朝鮮兵が糞で腹いっぱいで体が動きづらくなった時に襲われたんだろ
日本も卑怯なことしたな 鎌倉武士自慢の長弓も、夜は使えない。
日本刀の真の威力は、至近距離で行われる夜戦や船上戦で発揮される。 準備段階で既に惨めったらしい高麗だったけど、その主役の
洪茶丘って元から派遣された代官がいかにも朝鮮族らしくて
笑う。
高麗の将軍だった父が元の高麗侵攻に際して真っ先に元に
寝返って侵攻の先導役を務め、高麗の服属後裏切りに対する
復讐として高麗の謀略にはめられて元に処刑されたのを
逆恨みして、宗主国の威を借りてかつての同胞を責め抜いた
のがこの洪茶丘。あまりに酷いので朝鮮王自ら嫁の父である
フビライに「あいつだけはもう勘弁してください」と泣きついて
ようやく更迭されたとか。
こいつのあまりに酷い督促振りが高麗船の手抜きに繋がった
辺り、朝鮮族同士でも法則は成立するのだなぁと思ったよ。 天候で攻めづらかったのはまあその通りじゃん。
冬将軍と同じじゃね。 >>264
でも鎌倉武士は「やあやあ我こそは源の・・・」とか名乗ってたんだろ
そしたら元の兵隊に袋叩きでやられてた 宋から来た禅の高僧達によって、
モンゴルがクソであることが、
日本の武士の共通認識になっていたと思われる。
悪を成敗するのに躊躇しないという禅の教えが、
正義を勝たせる結果をもたらしたと言えるだろう。 >>230
お前らは壱岐 対馬北松浦の島民虐殺、婦女子を強姦虐殺強制連行した不倶戴天の敵 >>287
おそらく元寇だけじゃないですよね。皆さんの教養は >>283
使者を斬られた屈辱を雪げなかったね
恥ずかしい
あ、モンゴル人に恥という概念はないんだった 元側の情報収集を宋人が妨害してたからでしょ
ほとんど日本についての情報がないのと、逸る朝鮮人の誇大妄想が相まった結果
九州に上陸した元軍が土地が広すぎると報告してたのがその証拠 アンゴルモアっていうアニメ見たけど全員殺されとるやないか >>1
元という国は滅んで、参加した漢民族もすでに民族浄化されているのに、なぜ今の中国人が興味を持つんだ? 戦後の動向は面白いよ。
北条得宗家は戦時を名目に九州に所領を増やす。
御内人という北条家の用人が権力を増す。
御家人はこれに不満を唱える。不満を言う御家人とか、
不満に肩入れする御家人を片っ端から排除。
公家、寺社は元寇は我々が祈ったから勝ったと主張。 世界史見てたら元軍が来るってだけでもう小便チビるよなあw その国終了だよ
天然の外堀、日本海に感謝だよなw 九州王朝のようなのが日本にあり、それが鎌倉幕府の配下にあって戦っていたのなら、元軍にも勝機はあった
その九州王朝とやらの本拠地攻めて降して食料やらを供出されば良かったのだから
しかし、日本はそういう政治体制にはなってなかった
大名が割拠する戦国時代であれば、順次出来たかもしれない 高麗、女真族、モンゴルが対馬や壱岐を襲って
村人を虐殺、拉致、生き残った村人はたった数名だった
この侵攻から255年後に元寇 >>305
農民だって怖いっすよ
百姓一揆なんて、今でいうと自衛隊の中隊に鉄パイプ片手に突っ込むDQN集団
そんな奴らいないって >>154
13世紀の元寇の土塁は残ってるし、
7世紀の白村江敗北で、このあとシナチョンが攻めてくる!!と
ビビって建てた城跡とかも残ってるよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/大野城_(筑前国)
よその人間が福岡をウロウロしてると太古の戦跡が不意に出てくるから意表を突かれるかもな >>305
足軽が戦闘員になるのは応仁の乱から
じいちゃんの親分が骨川なんとかって人で、その人が始めたって言ってた \\\\\|//////
(´・ω・`)
大元帝国が支配した旧南宋と旧高句麗のヤル気のない兵士をかき集めて慣れない海洋遠征して攻めたところで戦果を期待できるワケがない。
従前に充分な情報収集をしていれば台風の多い季節に大軍を船で移動させることの危険性は当時でも分かったはずなのに。
「東の果ての蛮族のチンケな島国など大元の最新鋭の艦船と大軍を持ってすれば数週間で屈服させられるわ()」
って日本と鎌倉武士団を舐めすぎてたんだよ。 >>311
天皇の存在が大きいからな
戦国時代でも無理 しかし電話も無い時代に情報伝達してよく統制とれるよなぁといつも感心してる >>230
最初の出征の準備段階で既に船大工に食わせる食糧がないと
フビライに泣きついてる惨状なのに、失敗すればもう一回やれと
言われるの分かってて手加減出来るわけねーじゃん。すごい
恥かしいな、お前。 人は記憶型と思考型に大別できる
<ヽ`∀´> 日本を攻めるニダ
<ヽ`∀´> モンゴルの力を借りて攻めるニダ
<ヽ`∀´> これで日本は俺らのものニダ >>17
高麗船は台風での被害は殆どないんだよね
被害にあったのは密集して岸に寄せた南宋船団 船は朝鮮で作られていてショボかったから沈んだという説もある。
たとえ宋で作られていたとしても征服された側が作るんだから結果は同じではないかと。 >>157
「味方につけては」だよな
俺も日本語の乱れが気になる歳になったのか >>286
この時のモンゴル帝国宗家の末っ子はアリクブケ。
大元国の創始者が世祖と諡されたフビライやで。 >>295
いや、実際には殆どしてなかった。名乗りを上げるのは、
相手もそれなりの身分の場合。外国人は雑兵扱いだから、
蒙古襲来絵詞の通常隠されている部分の様に、
義経が源平合戦で多用した騎馬の集団での騎射と
接近した際には、太刀での集団斬り込み。 ”夏を過ぎると台風がやってくるようになる”
と言う事を見抜けなかった
つまり
元の奴らがアホウだった
しかも一回目の失敗を生かせなかった
完全に元がアホウ >>312
ウィグル人とか青い目の嫁にすればよかったのにw >>327
どれどれ、、四六四九でござるか・・・
アホー! 戦利品がなかったから
幕府は手柄のある武士に
褒美をあげることができなかったんだよね イナゴは海を渡れなかった
それだけのこと
もっとほかのことを学んだ方がためになる >>307
あれは対馬戦やからな、ただでさえ人口少ない対馬と元の大軍の戦いだから
しかし元寇後、対馬は捕虜奪還のため倭寇をし
一部の捕虜は帰ってきたらしい
この時代の対馬は強かったんだろうな >>305
足軽がみんな農民ってわけでもない
足軽の武士もいる 単純に戦力で日本が上回っていたということだろ
日本は兵力も兵糧もいくらでも補給できるし 網野善彦てどうなんすか
主流の歴史学者からは爪弾きにされてる異端のトンデモ歴史学家、みたいな評価を目にしたことがあるんで、
実際どのレベルなのかはわかんない
「日本の歴史を読み直す」て本は棚の何処かに積読してるけど >>325
関係ない
人間は生き残ろうとする
海の藻屑と消えるくらいなら上陸して勝って生き残ろうとする
手抜きなら完全な背水の陣
逆に士気は高まる 騎馬民族ってのが最大の強みなんだから、地続きで走って来れなかったのはキツイわなw
こっちにとってはラッキー >>230
お前はダニにだ! ダニにだダニにだダニニダニ
害虫は駆除しよう 太平記の時代を理解するために、
この元寇とその後に続く北条貞時時代の得宗専制体制を知っておくとなお理解できる。 中華は2回くらい朝鮮半島を領土にして、フラグが建って崩壊したから
その後はもうあそこ要らねってなるんだよな。 >>292
元軍は「てつはう=鉄砲」という中に火薬を入れた瀬戸物の爆弾を発射して
日本の武士を驚かせた >>17
元最後の皇帝の后も朝鮮人だからな。
世界屈指のさげまんw >>338
被差別に変に同情的なのはどうかと思う
部落に関してはファンタジーなんじゃないのこの人 高麗兵が補給とか考えず
矢をバンバン放つもんだから
あっという間に矢が尽きた >>275
王さんが逃げまわって小島で隠れて30年はもったよ
その間庶民は略奪や奴隷になっていたけど >>1
何で日本軍が備えていて強かったという選択肢が無いんだよ
台風だけで勝てるわけ無いだろ
上陸と拠点作りを妨害して阻止しまくったから勝てたんだよ。
ちゃんと日ごろから国防の備えをしていれば戦争に勝てる、もうすぐWW3だから中国アプリと中国企業を排除しろ。 >>1
1回目は九州入られたけど、2回目は上陸すら出来なかった。
神風ではなくて、1ヵ月以上の海上生活によるPDSDによって失敗したと聞いてる
神風は作り話だろ 普通に戦って日本が勝ったからなんだけどどうやっても神風のおかげにしたがってるよな
教科書に載ってる有名な絵も元の兵士が射抜かれて逃げ回ってる部分をわざわざトリミングして印象操作してるし
これを日本の教育界がやっているという気持ち悪さ >>293
高麗船が手抜きされたという話は少なくとも史料で見たことない
むしろ史料では、台風にあってる弘安の役の時の帰還率でも高麗軍の7割(高麗史)
南宋軍よりも帰還率は高いくらい
実際沈没船の調査でも、南宋軍の方が多く見つかってる
それに洪茶丘の造船の監督は厳しく、船員不足に対して担当者を罰したこともある
そして高麗への遺恨から、高麗人の負担を軽視したという見方もある(ので何かと批判される人物)
むしろ洪茶丘が監督していればこそ、手抜きは難しかったんじゃないかと >>281
この時代の武士はね。
江戸時代の武士は、時代が進むほど、威張ってるだけの官僚になっていく。
幕末なんかじゃ、農民上がりの新撰組とか国民皆兵のはしりの奇兵隊とかの方が、よっぽど恐ろしい。
骨董品のような武芸と、武士道という美学はあるとしてもね。 >>335
普通の民族は子供を殺されたり、女や娘が酷いことをされると
ぶち切れるよなぁ
あの民族は例外みたいだけど >>293
韓国併合の時の朝鮮総督に朝鮮人が起用されたようなもんでフビライも酷なことするわ。 >>281
警察も統一政府も自衛隊もいないんだから、統率取れてる親分のいる武家集団が
一番マシだろw どっかに属さないと、それこそ有象無象がゴロゴロしてるから自衛しづらいぞ まぁ台風で船の兵站が切れたら下がるしかないのは間違いないと思うけどw >>338
視野を広げるためにも網野氏の一連の著作は必修
ただし網野史観に染まると「日本の歴史は被差別階級が動かしていた」みたいな逆ベクトルの陰謀史観になっちゃうので、視野の広さは保つように NHKの歴史ヒストリアによると日本軍の元宗高
連合軍へのウンコ爆弾は効果的だったらしいw
あとモンゴル土人はゲリラ戦に弱い
日本では対馬の山中でベトナムではジャングル
でゲリラ戦を展開されボロボロに負けてる まあそういうなや。やっぱ半島の国家は大変なんだよ
板挟みの連続でな 弓だよ弓。
蒙古弓もかなり強力だけど、動物の膠を接着剤に使っているから、日本の高温多湿な風土では使い物にならなかったんだよな。
イングランドの長弓兵どころじゃない達人級の弓を使う鎌倉武士団との戦いになったんだから元軍の勝ち目は最初から無かったんだよ。
文永の役だって、当時の九州武士団の主力だった菊池氏や島津氏が川の氾濫で到着が遅れただけであって、奇襲した割には元軍は司令官クラスが狙撃される始末。
そもそも計画が無理だったんだよ。 >>345
詳しく調べたら「奇皇后」って言うんだな
組織の内部に入れるとホント碌な事がない奴らだ 二回来て両方台風にやられたんだっけ?
わざと誰かが騙したか、よっぽどバカだったかどっちかだろ まあ、当時の技術水準では難しいだろ。
そもそも局地戦で勝ったとして維持できたかどうか。 >>354
まぁ高校のころから日本は敵ですって洗脳されてるから、バカはバカと諦めるしかない >>307
アニメ化されたのは対馬
いま九州の博多編がはじまってて文永の役が描かれるのはまだまだこれから
さらにそこまで描かれるか知らんけど弘安の役もある
>>286
元寇の時のフビライは皇帝、ハンだよ
下っ端じゃなくてトップ中のトップ
フビライの時代に南宋征服してるし、広げた版図からいっても下じゃない 農具まで発見されてたよね
勝てるつもりだったんだね(笑) >>350
PTSDな
無事に帰れた連中も大変だったらしいな
帰還兵が田舎町の役人と揉めて戦争気分でそこの兵隊を全滅にさせたりとか
そんな話が元代辺りにあった気がする >>361
ありがとう
網野史観に染まらないために正統派の歴史を学ぶなら誰がいい、とかある?
それこそ、学研の歴史群像シリーズみたいなもんで良い? >>342
安達を滅ぼした平を手打ちにしたり
北条得宗家はかなり強化されたんやろな
あまりに強化され平の一族長崎が台頭するなど二重構造になった
北条と他の武家は、家来という関係でなく同僚
主従関係がない立場なので、あまりに一族が出世したから妬まれたんだろう
鎌倉幕府滅亡で最後まで北条に味方した武家って
安達以外どこがあったんだ?北条安達以外はほぼ残ったと思うし >>289
日米貿易摩擦の激化、
1985年のプラザ合意からの円高、そしてバブル発生。
この流れは、アメリカが日本経済を弱体化させる布石だったが、円高とバブル景気ドーピングによるGDP換算で、90年代初め、瞬間的にアメリカに肉薄はした。 >>312
モンゴル皇帝トゴン・テムルの側室の1人が
貢女として差し出された高麗人だった https://ja.wikipedia.org/wiki/奇皇后
この人の産んだ男子が王になったが敵に敗れ、
異母兄弟の弟が王になるがこれもダメでモンゴル帝国は滅亡した
あの法則を感じずにいられない 支配地の中国と朝鮮の兵で編成し、遠征失敗させて国力を削ぎ反乱の芽をつむのが本来の目的だったとする説もある。 生きて帰った人たちもエラ人たちは責任取らされて殺されちゃったんだろ?
大変な時代だな。 宋の敗残兵と高句麗ばっかだったらしいな
やる気あまり無かったって話もある >>352
南宋軍は、支那大陸に置いておくと反乱の恐れがある。
だから、日本に送り込んで成功すれば屯田兵として、失敗すれば厄介払いとして扱うって感じだったんだろうな。
どちらにしろ元にとって損は無い遠征だったんだよ。
だからかなり杜撰な日本遠征計画だったんだろうね。 >>314
昔は生かしてくれる必然無かったから、武士も農民も強かったんじゃないの?
そう言う人らが、日本人にいたから
元には負けないと思う。
今の日本に元寇あったら とっくにやられてる。
自衛隊が本当に戦闘対戦出来るのか? >>32
いつもの韓国由来の自画自賛ファンタジー説だろ >>370
途中まで読んだけど、まだまだ続くのかw
また読んでみるかなぁ >>373
そんなちゃっちいもん読むより、網野が嫌なら
中世史研究なら佐藤進一、黒田俊雄みたいな本物を読みなさい。 >>362
そういや元寇での対馬舞台のステルスゲームみたいなのが出るぽいけどおもしろそうだな >>318
天皇家が南北朝に割れていた時期はどうなん? >>349
軍国主義の元になった神国思想を生んだと本気で思ってる学者がいるからね<神風
東大の旗田巍なんかは高麗の三別抄が日本を守ったとか言う始末。 日本側は九州に所領を持つ御家人だけなんやろ
九州限定 >>352
サボタージュは言う通り難しかったと思うけど、迫る期日と
技術水準、あとやる気と、意図しない、結果的に手抜きになる
部分が発生しない方がおかしい状況だったはず。洪茶丘も
一隻一隻竜骨から何からチェック出来たとも思えないし。 >>374
>鎌倉幕府滅亡で最後まで北条に味方した武家って
>安達以外どこがあったんだ?
ないね。逆に言えば、北条一門はほぼ誰も裏切らず、最後まで戦ってるというのも
凄い。 元寇そのものよりも、それより後の時代に日本人が元寇をどうとらえてきたかということも
歴史的に重要だね。元寇をネタに日本人は分不相応に思い上がるようになり、それでも数百年
は何のしっぺ返しもなかったが、結局第2次大戦で焦土になった。 >>326
TV等のメディア業界が率先して乱している様な気がする この当時、海を渡航して万単位の兵と馬で食料現地調達で戦うとか
無謀だったんだろうな 九州北部にそれだけの人数来てもそもそも食い物がないだろ
モンゴル兵は魚喰いそうになし 馬のエサだって莫大な量だ
相手が姿観てビビって逃げてくれればいいけど戦争準備してたんだろ日本は
無茶な作戦だったんだろうな >>32
後に朝鮮半島を追われた落ち延び高麗人受け入れとるやん?
学校でなに習ったんだよ?
歴史の時間、あんた寝てただろう? >>319
>情報伝達してよく統制
10万の部隊、1隻100名でも1000隻なので、そりゃ噂になる。
日本側も九州では農民まで全員知っていて、覚悟の上で準備するよ。 >>383
実戦経験上ならどっちも無いし
装備上で言えばおそらく優位に立つと思うけど
事実としては歴史の因果関係上アメリカを切って考えるのは不可能だし否応なく日本は米軍と組むでしょ これってガチでたまたまなんだよな
じゃなかったら普通に占領されるでしょ >>393
それを言うならせめて朝鮮出兵だろ
どちらにせよ思い上がる程の戦果じゃないけど 仮に制圧しても、そこで何がしかの都市国家を建設できなければ
どうせ撤退せざる負えない。
秀吉の朝鮮出兵もそうだけど。
それだけの力は大モンゴルでもなかったのじゃないだろうか。 承久の乱で後鳥羽上皇が勝利し、鎌倉幕府が崩壊してたら元が勝った
高麗みたいな弱体天皇・貴族政権でなかったのが日本が勝った要因
天皇が武士に負け、天皇の権威が地に堕ちたから日本は残った
関東武士団こそ、救国の英雄。日本は、「天皇の国」ではなく「武士の国」であるが真実 連合軍って言っても部隊がバラバラで指揮系統
が機能してなかったってのもある
高句麗軍と違い日本と友好国だった南宗軍は
嫌々戦ってる感じで士気が低かったらしいし 【都市伝説を科学する】
九州の武人は最強か?
https://www.sankei.com/region/news/140930/rgn1409300030-n1.html
>広く流布した話ではないが、関係者に根強い伝説がある。いわく「九州の将兵は強い」
九州は古代から、わが国防衛の最前線であり、先の大戦をはじめ、勇猛ぶりは敵将をさえ驚かせた。
現在の自衛隊を見ても、「最強」の呼び声も高い部隊が集まり、南西防衛を担っている。「九州最強説」はどのように生まれたのだろうか。 >>383
一次大戦前あたりから強みの騎馬と弓が全く役に立たない時代となり
その後騎馬民族なるものは銃器と自動車の普及で世界から消滅してるぞ 弘安の役では元高麗軍の襲撃前に、武士自らが博多の町に火を放って奴等から掠奪されないようにしたんだよな
非常事態とはいえひどいものだ >>387
ゴーストオブツシマね
新しいPVが出てた
>>32
有力でもなんでもないよ
史料だとむしろ高麗軍の帰還率は南宋軍より高い >>85
今度、ゴーストオブ対馬というゲームになる 上陸したところで山ばかりの日本の地形じゃ連中は戦えんだろ。モンゴルの大平原では力を発揮するんだろうが。 >>401
ガチで陸上戦闘で終始元軍が武士に圧倒される
また海でも大船団がありながら壱岐奪還に進撃してきた日本軍を撃退するどころか
敗走する始末 動力が風とか手漕ぎの時代に海に囲まれた日本を征服とか無理よ 無類の強さを誇る騎馬民族がどこまで日本の国土でやれたか興味はあるけどね。 >>383
今の日本に元寇????
中国に20万どころか3万人を上陸させるだけの輸送船もない 九州北部じゃ脊振山地が控えてるからなあ 馬で行軍できるほど
道整備されてないだろうし のちに倭寇として東アジアの海を荒らしまくる海賊たちが日本側で戦ってたわけだから元軍も手こずるわけだよ >>373
歴史学者ってレベル低かったり思想ツールに歴史利用してる人が多いからなぁ
むしろ凝ってない方が素直
余計な考え抜きの生情報に近い奴の方がいいよ
例えばNAVERとか >>409
取られた村を根城にされたり食料補給されたら困るからな
日本の滅亡がかかってたレベルだからしょうがないわ >>415
森林山岳地帯が多い日本じゃ騎馬頼みでは弱い気がする 2回も失敗してるってことは、意図的だってことだよ
つまり神風なんて神話が出来てるが、実際は日本が撃退しただけ
忍者部隊が停泊してる元の船に乗り込んで大量に殺しまくって逃げ帰ったというのが真実 日本は元寇で今でいうところの国民国家を世界で初めて意識した国 ナポレオン戦争でもロシアは焦土作戦で勝ったから
博多を焼き討ちは戦略として正しいだろうな >>409
そりゃ家、屋敷が手にはいったら船にまで >>409
いわゆる橋頭堡になりそうなのを潰しておくというやつで、
九州武士たちが実に戦争のプロだったのがよくわかる。 >>425
連続の夜襲と動物の死骸投げ込んだんだよね
よく考えてるわ モンゴル人が船に乗って指揮して戦闘員は高麗人南宋人でしょ?
不慣れな戦場だわ兵士はやる気ねーわでいかにも弱そう >>1
邪魔な朝鮮人を元が
海に投棄するのが目的だったので成功したんですよ >>351
日本人の国防意識が目覚めると困る反日サヨクが平和ボケ工作しまくっているんだよな・・・
国民は民間でテロリストと武装難民に備えていないと危険、催涙スプレーと警棒を各家庭・施設・学校に備えましょう まあ、船に載せられた兵士たちが一番気の毒ではあるねえ。 俺歴史に詳しいけど政争に敗れて捕まってた元侍が対馬で孤軍奮闘したらしいよ >>405
まあ貴族の方が、平和主義なんだけどね。
平清盛も、決して驕り高ぶって、乱暴狼藉を働いていたわけじゃない。
むしろ清盛は、貴族社会に片足を突っ込んでいたから、頼朝も義経も、命乞いを受け入れて死刑にはしなかった。 >>414
まぁロジスティクスとか学問が発達しないと分からないんだよね、人間は。
分かっても理解出来ないバカが旧日本軍だった訳だから、軍事国家は物理的な距離という要素を無視したくなるものなのかもな。 日本国内で戦をやってるうちに
長距離の大型弓とそれを防御する大鎧を装備した重装弓騎兵というロマンユニットが誕生
さらに西国武士団の勇猛さを加えた鬼畜脳バージョン >>395
馬は繊細だから船での長旅は無理なのよ
今でも空輸するし
たとえ運べても新鮮な食糧と運動出来るほどの広大な土地が必要だから、元寇のような敵前上陸戦では無理 >>351
弱っちい日本人が外国に勝てるわけがないだろう >>317
使者「事前に充分な情報収集、したのに…反対もしたのに…(´・ω・`) 」
1 :名無しさん@おーぷん:18/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y主 ×
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや… 近代化以前の軍隊で海外から日本を攻めるのは相当難しいんだろうな
日本から攻め込むのもまた然り
秀吉すらも結局は朝鮮を抜けずに明に辿りつけなかったし >>405
元寇で関東武士は殆ど何もしてない
鎌倉時代の西日本は平安時代継続で武力紛争継続
そもそも承久の乱は在京御家人と関東御家人との間の争いで朝廷領や寺社領には手つかず、その配下の武士も手つかず
一本化したのは元寇対処目的で元寇直前
それから当時の公家は荒々しい
南北朝で活躍したり、応仁の乱で地方に下って大名になるのもいたりで、公家が大人しくなったのは江戸時代から
天皇もそう 台風シーズンに来るのが馬鹿だという意見があるけど、それは的外れ
食料を現地で調達するために収穫前の夏に侵攻して実りを略奪するしか無い
なので兵站を考えると侵攻時期は夏以外はそもそも不可能
補給線が長すぎて、戦術的な勝ち負け以前に、そもそも無謀な作戦だったというのが結論でしょう
兵の強弱の問題ではないインパールやガダルカナルの無謀さを良く知る日本人なのに、
元寇となると、急に兵站を語らず兵の強弱を嬉々として語るのが不思議でならない どっかで見たコピペで元軍が可哀想なくらい日本側が鬼畜だった覚えがあるわ
海上の船にまで夜襲に来るってやべえと思った >>444
失礼な。ちゃんとモンゴルから馬を運んでたぞ
頑張ったんだあいつらは >>445
実際に元寇で勝ってるし、弱っちいどころか元寇の時の武士は大陸の評価でも強兵
>>234
ストックがまだないよ… >>392
蘇我石川麻呂、平頼盛、小早川秀秋福島正則、尾張越前藩
必ず一族で裏切りのような行動をするもんが存在するが
北条一族でそんな行動したのはおらんかったな
通常は弱体化して滅ぶもんだが、鎌倉幕府だけは弱体化してないので滅んだと思う
元寇の恩賞で不平があったと言うが、北条一族が弱体化した訳ではなかったと思うし
後醍醐天皇の存在やな、それと楠木正成という新たな戦術の商人武家の存在も
北条高時の息子が生きていて、その後結構活躍したが
室町時代に北条の残りは歴史上消えてたが
わずかな残りが尾張にいて、賤ヶ岳7本槍の平野長泰と幕末の横井小楠
名越系で高倉健、ひょんな事から有名人が出ているけど 山林が丸坊主になるほど木を切って舟造ったのに、レーダーが無かったので低気圧が来るの知らなかった >>450
そもそも当時の戦争は食糧は現地調達ありきで計画したからね。
二度めも同じやり方は下手だったし、日本にとっては行幸だった。 >>445
自力で独立もできない半島よりましだろうwwwwwwwwwwww 日本側だって被害あったけど踏ん張って応戦して海に戻したくらいに強かったよ
2回目の時は相手の武器や戦法を踏まえ作戦変えてる 九州の沿岸なんて台風の通り道だから、夏から秋にかけて何回も暴風雨になる
神風というほどの偶発的なもんじゃなく、上陸攻防戦してれば日本側は十分計算に入ってたと思う
朝鮮出身の指揮官も知らなかったはずはないと思うんだが >>256
文永の役も少なくとも暴風は吹いてる
時期的に台風じゃないんじゃって説はあるけど、
暴風があったことまで否定してるわけじゃないし
それも平成令和の台風見ても来るんだよねこの時期にも >>356
裏切り者が一番裏切った相手に対して惨い振る舞いをするって
いい例だよね。最近だと保坂の日本に対する言い草なんかで
そう思う。 >>363
・ホームグラウンドでのゲリラ戦は強い
・草原兵と森林兵、ユニットの相性
どっちか 鎌倉武士の弓の射程めっちゃ長かったんだよな(300mとか)
それが勝因の一つとも聞いた
それ聞くと今の弓道ショボくね?って思っちゃう 悪い朝鮮人にそそのかされて無理な遠征したんだろ
そして朝鮮人が先頭に立って悪逆非道しつくした
そこはベトナム戦争と同じパターン
いつも強いものの影に隠れて悪事を働く糞 元寇は武士の夜襲を警戒して船上にとどまっていた
船上でも夜襲を受けて苦戦していたところダメ押しで台風が来て方が付いた
結局日本が強くて上陸もままならなかったため元軍はもろに台風の被害を食らったわけ 激しい抵抗にあい上陸して陣地を築くことができずにいて
毎回船から出撃していたらそのうち台風がやってきたということであって
たまたま台風が来てなにもせずに助かったと言う話ではないんだけどな >>369
高校ではなく、幼稚園・小学校の頃から洗脳されてるんでないの?
幼児が書いた日本=敵の絵がよく出ているよね >>450
中国人も朝鮮出兵の時の日本軍が弱かったと
思ってるからどっちもどっち >>445
この時代は騎兵の騎射が一番強い時代だから騎射できる日本の武士は強いほうだよ >>450
燃やされる可能性もあるけど、秋でもまぁありだと思うけど、どうなんだろ >>349
鎮西平氏が生まれるきっかけになった
刀伊の入寇とか教えないからな 慣れない海を渡るのにエネルギーの大半を使い果たして
たどり着いたときには ヘロヘロだったのでわ? >>469
そりゃ生きるか死ぬかの世界で殺すために鍛えまくってた時代の武士と同レベルになれなんて無茶だろ >>1
>モンゴル帝国(元)による日本侵攻
意図的に情報を抜いてるけど
モンゴル・高麗(朝鮮人)連合軍な
そして日本侵攻をモンゴルに進言したのは
高麗側だったという話 >>444
空輸するのってごくごく一部の一頭数億円のスーパーカーみたいなサラブレッドだけじゃない? 元軍「アイツらの刃物切れ味ハンパない・・・」
元軍「アイツら超素早い。こっちが1人倒してる間に2〜3人斬り伏せてる」
元軍「アイツら死を恐れない。1人になっても立ち向かってくる・・・」
明軍「わかる・・・」 >>457
その通り。むしろ建武の頃には、御内人含む北条得宗家の権力はピークだった。
強いて言えば、強くなり過ぎたが故に滅んだとかわけのわからん結果としか言いようがない。 地の利も考えずに攻めるから
秀吉朝鮮出兵もそうでしょ? 元寇に勝った日本人はこんどは反撃して中国朝鮮沿岸を荒らしまくってたそうだね(倭寇)
弱った相手に無慈悲なのは日本人の特徴かなぁ >>335
対馬は飛鳥、奈良時代から米の獲れ高が少なくて
防人の為に北九州から対馬へ米を運ぼうとした船頭「荒雄」が遭難した話が
万葉集に残ってる。
(h)ttp://blowinthewind.net/manyo/manyo-mineraku.htm
(h)ttps://blog.goo.ne.jp/manyou-monogatari/e/2096830ae8e0f5917e6af0d832c5e821 >>445
じゃなんで秀吉に何年も半島支配される仕返しされたんだ、弱いのは対馬イジメて喜んでた半島人の事だろ
敵に勝つために徹底的に民政共に協力して備えていたのが日本の強さ、国民を虐げていた半島や中国大陸は内政がバラバラで弱かった >>411
おれゲームなんてやらんけどゴーストオブツシマ面白そうだから買うわ。 根本的に九州の武将は倒幕を抑える為に戦った訳で、
足利尊氏らによって京都の六波羅探題が攻略され、
討幕軍優勢が九州にまで伝わったから寝返っただけなの。
ウソは止めましょう。 >>478
あの頃は、名うての武闘派貴族・藤原隆家がたまたま左遷されてたのが、
実に良かった。 >>482
当時朝鮮はただのモンゴルの奴隷民族だし無かったようなもの気にするな 日本人の刀は受けるな避けろって言われてたんだよな
受けた剣ごと切られるって
直刀の剛性が違ったんだろうがいい感じに尾ひれがついて怖がってくれてたのもあるんかな >>481
体格だけはデカくなっても
やはり身体能力は下がってるのか?
昔の人やべえな モンゴルは騎馬軍団なんだから
船で玄界灘渡ってきたんじゃ強さ半減鎌倉武士には勝てない >>487
やられたらやり返すのが国防
なめられたら自国民が殺されるんだよ、半島や大陸から何度も攻撃されてきた日本がやり返すのは正当防衛の自衛 >>428
連射できる短弓。
馬に乗ってコレで矢を連射しながら駆け抜けるのが当時の最強戦術だった。
モンゴルにも流鏑馬みたいのあって、短弓でバリバリ的を射る競技がある。 この点、ロシアは賢い。
租借という形で入植して、現地で難癖つけて旗揚げする。
日本が危うかったのは元寇よりむしろこっち。 >>469
火縄銃で200m先の的に当てるのだって、至難の業だぞ。
むしろ、種子島の鉄砲こそ過大評価されてるんじゃないか。機関銃じゃあるまいし。
長篠の三段撃ちだって、初弾を撃ってから、次弾を撃つまで、どんなに頑張っても、間があり過ぎるだろ。
少なくとも、絶対的に騎兵の突撃を防ぎ切れるものではないだろう。 >>402
元寇のあと50年後くらいに書かれた北畠親房の『神皇正統記』には、すでに神国日本という
とらえ方がはっきり出てる。
現代語訳によると
「辛巳の年(弘安4年)(1281)、蒙古軍は多数の兵船に分乗してわが国に来寇し、筑紫の
地に激しい戦いがくりひろげられた。このとき伸明の加護があらわれ、にわかの大風ふきおこって
数十万隻の賊船あえなく海底に沈み、あるいは遠く吹き流されて滅んだという。末世とはいえ神威
のいたすところ、とうてい人智の及ぶところではなかった。『天地と窮まりなかるべし』といわれた
天照大神の言葉に少しの偽りもないことは、この一事によっても測り知られるだろう。」
(『日本の名著 9 慈円 北畠親房』中公バックス、p. 433) 結局海が原因だろ
元が弱体化したのも海を制覇できなかったからだし >>383
農民って百姓って言うぐらい何でも屋だからね
農地=財産でそれを取りまとめてる親分が武士だし
戦国時代終わって農地手放して武士になるかの選択で
帰農した武士も多かったしな 中華の系譜を自称する国にとっては
大陸沿岸部以東の地域なんて僻地でしょ?
ムキになって獲りに来る意味もちょっとわからんね >>180
春秋筆法じゃあるまいしw
その論法なら秀吉も明に勝ったことになるw モンゴルが戦ってきた国は全て貴族社会とか宦官社会の国々
日本は軍事政権による軍事国家だった
だから戦慣れしてたし士気も高かった 敗戦率100%の朝鮮人を使ったから元はぼろ負けw
そもそも水車さえ作れない朝鮮人が作った船に乗る自体自殺行為w 今だと釜山ー対馬はフェリーで1時間
昔は2日かかった
48倍くらい船旅は疲れる
しかも超高性能なGPSも付いてない、海図もない、羅針盤もない、
船団を100km(釜山ー対馬)+100km(対馬ー福岡)動かすだけで疲弊する
これだと九州武士が強い理由も分かって、
中華勢が侵攻してくるのは当時は福岡近辺しかありえ無い >>493
従属国家であってもちゃんとした国
日本へ先に戦争をしかけたのは
朝鮮民族側、という事実があるだけ >>483
馬肉で有名な熊本の牧場は県外から生きた馬を仕入れて「熊本の馬肉」として高く売っている
今はカナダ産が多いそうだ >>510
中国は近代になってできた国だから中華だな >>411
女キャラが東南アジア人にしかみえないあのゲームか >>485
鎌倉幕府は、そもそも鎌倉という地形に幕府開いたのが見えてる地雷って奴じゃ >>322 >>327
学研はなあ…
そのシリーズじゃないし子供向けのものとはいえ、
「日本が元寇の前から使者を殺していた」という
ネットのデマを載せちゃってる本があるんだよなあ…
338名無しさん@1周年2019/10/14(月) 13:20:51.09ID:eekq0/ho0
>>314
学研の子供用?の歴史の本は内容がピンキリで、本によってはあまり…
たとえば「人物学習事典」の北条時宗の項なんて、
>国書を受け取った幕府は、要求を無視する決意をかため、十八歳の時宗を執権職につけて、
>幕府内部の体制を新たにして、危機にのぞむことにしました。
>その後、何回か元の使者が来ても、時宗は、求めをことわり、
>使者を追い返したり殺したりしました。
>そして西日本の御家人たちを九州にまとめ、守りをかためました。
>一二七四年、フビライは兵力二万五千人をこえる大軍をおくってきました(文永の役)。
とあるけど、文永の役の翌年、一二七五年に七回目の使者・杜世忠が殺されるまで、
時宗が使者を殺したことはないのに、文永の役の前の記述で
『使者を追い返したり殺したりしました。』と書いてしまってる。
この本は『学研まんがNEW日本の歴史』という歴史漫画シリーズの一冊で、
シリーズのうち鎌倉時代を描いた『武士の世の中へ 〜平安時代末・鎌倉時代〜』では
『翌年以降、さらに4回の使節がおとずれたが、時宗は返書をおくらなかった』と
ちゃんと書いてるし、古い方の学研の歴史漫画でもこの点の間違いはないんだけどね…。 >>465
双城府、東寧府、眈羅府と朝鮮各地に国土の四割もの占領地を設けた上でのこの仕打ち。
朝鮮人に対するしつけかたをとても心得ているね、フビライ。 >>1
朝鮮民族が味方したほうが負ける
歴史が証明してるでしょ そのうち日清戦争も日露戦争も神風のおかげってことにされそう >>514
一回侵略されたけど、次はされないように防波堤を作ったw
防波堤によって上陸できない元軍は外的ストレス障害になって進軍を諦めたって話 >>496
大東亜聖戦中でも軍刀が粗製乱造されたが
それでも日本刀で軟鉄製の鉄カブトを真っ二つに切れたという話がある。 敗走する元と手下の高麗軍をことごとくとっ捕まえたうえで首をはねたらしい
そのせいでその後に元の船頭役をさせられた高麗人は日本に行くのが怖くなり
同乗していた元の使節団を殺して逃げ帰ったらしい >>504
根拠なし
特亜人が瀬戸内海にも出没してたってか?
アホw あの時期に何週間も海に浮かんでたら台風に襲われるのは必然
橋頭堡を築かせず敵を海上に拘束し続けた鎌倉武士団が強かったということ >>429
クトゥーゾフが火をつけさせたかどうかは解らないらしいが、
まあ焦土作戦は正しいと言えるな 「ヒデヨシガー ワコウガー」
対馬と北九州の領土を狙っていた高麗。元寇にて返り討ちにあう。
元寇で対馬では住民は虐殺され子供は拉致され、牛などの家畜も失う、壊滅的被害。
結果、倭寇発生。 チョンと組んだからだろ
チョンと組んで戦争に勝った国はない
これは恐ろしい話だ
アメリカすら負けた 鎌倉幕府が滅んだのは貨幣経済の浸透によって、
御家人が困窮したことと、
浄土真宗の広まりによって、
悪が栄える社会が構築されてしまった事だろう。
元寇には全く関係がない。 >>536
大半がとか、ほとんどがって書いてあったの? ん?? 偶然だ、タマタマだ
長い歴史の中ではこんな事もある
間違っても半島と組んだからではないっ >>496
てか、片手持ちの剣でしょあっち
こっち両手持ちだからなぁ >>537
アホじゃなくて戦略的勝利だね
騎馬隊でも海は渡れなかっただけの話 >>513
>朝鮮人が作った船に乗る自体自殺行為
確かに乗ったのは主力が泳げない高麗兵
日本軍が夜襲かけて火矢を射掛ければ造作もない
あと船に穴開けるとかすりゃ簡単に沈むさ >>487
前期倭寇が活発になったのは元寇からしばらくしてだぞ
徹底的に踏み躙られた日本海側の離島の住民が報復と生活のため海賊になったんだぞ
あとチョンの馬山にたくさんの島民の嫁子供が連れ去られたのを北松浦の侍が取り返しに行って、大打撃を与えてるんだぞ >>446
草
当時の文明レベル差からしたらなにもいえねぇw
確か朝鮮貴族がやってやります的な陳情したんじゃなかったっけ? 「元寇」が失敗したのは勇敢な武士や住民がいた北部九州に上陸したのが原因
大阪に攻め入っておれば腰抜けの上方武士は戦う事も無く逃げ去ったであろう >>6
だってはしょりすぎ
あと鎌倉にいる武士は参加してなくね?
九州連合じゃないの? >>529
江戸期の刀は名刀とされてるものでも
大戦中はすぐに折れたり曲がったりしたみたい
鎌倉期の方は粘りがあって折れたり曲がったりしにくかったとか
でも結局はそれより娑婆で鍛冶師してた軍曹が中古の車のスプリングから量産した刀が
折れず曲がらず実戦で大いに役に立ったとかなんとか
見た目と実用とでは違うってことだね >>1
弱い者いじめしか出来ない半島人を使った元が悪い >>505
その時期は、楠正成が頑張ってたからね。
鎌倉武士団の奮戦よりも、天皇が神風を吹かせたから勝てたんだよ。
とりわけ、天皇家に忠義を尽くす楠公は、武士の中でも卓越し、遥かに超人ぶり。
千早城合戦などで、数倍の軍を相手に無双しまくったし、最後に湊川の戦いで足利尊氏と戦って討死した時は、
太平記によれば、
楠木軍300人
足利尊氏軍(朝敵)50万人
の超無理ゲーな戦いだったけど、よく頑張ったんだよ。 >>543
モンゴルは世界の7割りとってるからな
地形選ばずだよ
もともと人口の5%もモンゴル人はいないから
95%は他国の人間使わざる終えないし
各国からかき集めた技術、科学、戦術の集大成の軍隊 皆んな船酔いだったんだろうな
あれは辛い。
陸に上がっても当分の間、身体が変だもん。 たいしたこと言ってないな。しかし2回目に20万って誇張なしでそんなに動員できるんか?
まあ結構な距離離れてる島国だし軍事力もそれなりにあるだろうしな。兵站の面でもそれほど経験あるわけでもないし神風なくても厳しかったかもな。 日本は自然豊かでゲリラ戦は圧倒的に有利
草原出身の元軍には厳しいだろw 江戸時代だけど通し矢の身体能力は現代武道家アスリートとは比べるべくもないな 元寇で元軍が撤退を余儀なくされたのが、日本武士団の功績であるのは事実だが、
劇的な大敗(一晩で核兵器級の人的被害)をもたらしたのが暴風雨というのも確かだ
文永では4万弱の派遣軍のうち1万3,500人が難破により溺死、弘安の役では14万の
うち、じつに8万4,000人が溺死、さらに暴風雨を命からがら避難して、鷹島という
島に武装も糧食もないまま上陸した3万人が捕虜となり、おそらく過半数は処刑され
ほかは奴隷とされている。死者数10万を越えている
私見だが、元寇は戦史上および歴史上において、一か所の戦場で最大最悪の海難死者
を出している点こそが、特筆すべき惨劇といえる。さらにいえば、ここでの死者数の
凄さが以後、中国からの日本遠征が起きなかった原因という点に歴史的意義がある 弓がでかくて飛距離で勝ってたらしいな
和弓2.2m 蒙古弓0.6〜1.5m >>554
なんでそんなに大陸の国は負けまくったんだろう とにかく、目撃者と関係者を全員消すなどして
【中華がわが国のサイコ科行政に干渉した事実はアリマセン】
という結論を導いてもらいたい。
宜しいな(威圧) >>553
楠木正成は化け物過ぎる
援軍の見込みのない籠城
勝ち目のない戦争
長期戦を最初から覚悟する戦争
孫子の兵法から完全に外れた規格外の化けもん >>559
明の洪武帝と永楽帝が日本征伐を考えたけど思いとどまった要因が元寇だからな 付いたら負ける朝鮮人を味方にしたから
負けて付き合わされた南宋の人たちは日本人は助けたが、モンゴルに媚び売って便乗した朝鮮人と迎合した北の中国人には容赦しなかった >>561
情報戦の勝利と習ったな
相手に戦う前から徹底的に恐怖を植え付けておいて云々 永楽帝とかティムールが攻めてくるってブルっちまった奴じゃねえか
日本攻める余裕なんてなさそう >>5
モンゴル精鋭の方が楽に勝てただろう。得意の騎射が活かせないのだから。 >>564
それ言ったら、台風で壊れるような船作った奴が悪いと言ってるのと同じだろw >>536
明の?
それは後期倭寇についての記述では
>>556
文永の役でも蒙漢軍と高麗軍で4万を動員してる
弘安の役は直前に元に攻め滅ぼされた南宋人10万が加わってるから
14万は普通にありえる数字 >>561
チンギスハンがハンニバル以来の軍事の天才であったのとあいつらの統治が別に悪くなかったから
上がりさえ寄越せばあとは現地の自由だからな
かなり豊かで治安のいい世界作ってる >>431
文永で何も対策せずに妻子や物資まるまる奪われたからやで >>570
言ってる
日本が強くなったのは明治維新以降であってそれまでは
弱いと思ってる >>265
『蒙古人、凶心をさしはさみ、本朝を伺うべきの由、近日、牒使を進むところなり。
早く用心すべきの旨、讃岐国御家人等に相触れられるべし。』
幕府は最初の使者(二回目の使者)が来た一二六八年、
元寇の六年前に讃岐国守護北条有時にあててこんな指令出してる
網野善彦は、この通達は中国・四国・九州の西国の守護にも出されただろうと推測してる
また元の使者は元寇の前に二回目、四回目、五回目、六回目の四回、
全て九州に到着、滞在しており、二回目は半年、四回目は長期、
五回目・六回目(同一人物)は合計一年日本に滞在してる
この状況で九州の御家人が元に対して無警戒だったとは思い難い
>>564
壊滅どころかまだまだ無事な増援が本土に控えてたよ
続々到着もしてた 2回目の時夜襲のせいで船で休んでたんだろ そこへ強風 >>572
騎馬民族に作れるわけないだろ
台風来てなかったら天皇がモンゴル人になってた >>526
昭和天皇が戦犯裁判に引きずり出されなかったのは
ミッドウェー海戦敗北、 ジミー・ドーリットル中佐が指揮したB-25爆撃隊が関東を
空襲した時期から
アメリカが戦勝後日本占領下の日本人をどう統治するか
文化人類学者に研究させたから。
中でも有名なのは「菊と刀 The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture」
を書いたルース・ベネディクトRuth Benedict。
1970年代でも大学教授がしばしば口にしていた。 >>559
暴風雨は被害を甚大にした要因ではあるけど敗因ではないよ >>574
モンゴルが強いのは陸戦であって海戦はベトナムでも負けてね? >>579
上陸もできず
補給もできず
海の上でうろうろうろうろしてたら当たり前だろうに >>585
ベトナムは陸上戦で負けてる
モンゴルが強いのは平地の戦いで地形を有効に使われるとかなり分が悪い 鎌倉武士の激しい抵抗で元軍は上陸できずに何週間も海上にいたからそれだけでもそうとうまいっていただろうな
しかも夜は夜で小船で近づいて船に火を放っていたらしいから元軍の兵士も相当疲弊していたらしい >>585
ベトナムはアメリカ軍でさえ追い払われるほどの強い国ですよ 竹崎の活躍は?
元軍の中心だった朝鮮兵が愚かだったは同意。 「蒙古襲来」にモンゴル人はいなかった!? 宮脇淳子 倉山満【チャンネルくらら】
https://www.youtube.com/watch?v=QhfhdpAqdHA
マジ? >>574
初代後が崩れてったのは天才亡き後の宿命でもあんのかぁ 日蓮上人がこれを予測して立正安国論を書くんだよな
大河ドラマの奥田瑛二はちょっとイメージ違ったけど ちなみに有力なポストに就いていないヒトには
収賄罪は成立しないんやぞ? 鎌倉武士は頭のイカれたバーバリアンだからな…
通行人を面白半分に弓矢で射殺すのが常態化してて、幕府がそれを禁じたくらい >>594
2代目のオゴタイの時代は普通に凄いぞ
完全に崩れたのはモンケあたりから
表面化したのはフビライの時代 重装騎馬兵で世界最強の武士で大弓で遠距離に強いしそんな日本人に勝てる国はない。
そもそもモンゴル帝国を建国したのが源義経だ。 モンゴル軍がアホやったと、モンゴル人は陸戦は得意だが、水軍に関しては無知
先鋭の朝鮮水軍を率いていたが、陸で野営していると蚊に悩まされ船上に移動
シケで流されないようそれぞの船を繋いでいた そこへ、台風がやって来て一網打尽 戦意喪失 大陸へ逃げ帰った
日本人は、蚊に感なければならない
対馬に蚊神社を建て、拝むべきだ >>591
アメリカ側のベトナムの民も駆逐されたので微妙 >>600
日本の馬はポニー
武士も155cmくらいしかない そりゃあの時代であれだけの距離海で移動していたら無理だろ
海洋国家だったら話は違ったらだろうが騎馬民族なんだし >>598
鎌倉時代から江戸時代の初期まで日本はずっと荒れ狂ってたからな >>580
騎馬民族は馬しか乗れない筋肉バカと言いたいのか?
日本攻めるのならそれくらいできないと無理なのは分かっている話だしw
あと、元寇は台風じゃなくて日本の戦略的勝利だよ >>580
弘安の役では防塁を築いて半年間上陸させてないやん
日本の武士団が精強だったのは確かだ >>580
造船は文永の役は高麗が、弘安の役は高麗と南宋で行ってる
高麗は半島国家、南宋は海に面した地域が多くどちらも造船能力あるよ
>>605
その書き方だとシェトランドポニーサイズと誤解される
日本の馬はポニーという時のポニーは体高147cm以下を指す
そして蒙古馬もその意味ではポニー >>604
フレンドリファイアを息をするようにした馬鹿援軍があったからな >>546
>確か朝鮮貴族がやってやります的な陳情
元の世祖に東征を請うたのはフビライの娘婿の高麗王忠烈
高麗史 1272年(元宗十三年)三月の条の記
惟彼日本 未蒙聖化 故発詔。
使継糴軍容 戦艦兵糧 方在所須。
儻以此事委臣 勉尽心力 小助王師
惟(おも)んみるに、
彼の日本、未だ聖化を蒙(こうむ)らず。
故に、詔(みことのり)を発して軍容を継糴(けいてき)せしめんとせば、
戦艦兵糧まさに須(みち)いる所あらん。
もし、此事(このこと)を以て、
臣に委(ゆだ)ねなば、
心力を尽し勉め、 王師 を小助せん。
思いますれば、あの日本は未だに、
元皇帝様の徳による導きを受けていません。
それ故に詔を発して、軍容を整えて、戦艦兵糧 を用いましょう。
もしもこの事を、臣である私に、お任せくだされば、
心力を尽くし励み、そして王師を、微力ではありますが、お助けしたいです。 元軍の生き残りは南宋人以外は全員志賀島か鎌倉で処刑されたが、南宋人は元寇前から
博多に住んで博多の寺社に多額の寄付をしていたから博多の人間とも仲が良く
そのおかげで南宋人の捕虜は殺されず帰還するか日本に帰化して博多に住み着く者も
多くいた。 >>607
あれだよ、北斗の拳のヒャッハーだよ。
歴代の幕府は、あのヒャッハーを治めるのにどれだけ苦労したか。
御成敗式目だって、ヒャッハーやめて道理に従った裁判で揉め事収めようだし、
江戸の綱吉だって、ヒャッハーして生き物を斬りまくるのをやめましょうがあの生類憐みの令だからな。 >>605
あほかw
日本の馬は北海道の道産子巨大馬だ。
武士も180cmが普通 場所的に辺鄙なところにあるから征服されなかっただけだよな
奇襲されても立て直す時間もあるし >>602
人類を病気で一番殺し続けているのも蚊だけどな >>618
日本とっても旨味はまったくないからなぁ
地政学的に日本は攻めづらくとっても旨味がない
それでいて兵士が強い 後者に決まっとる
対馬海峡を大軍で超えるなど不可能だわ >>607
地域による
伊賀なんかは修羅の国としてはその最たるものだけど
戦国期を別にすれば全国が同じような感じだったわけでもない >>598
男衾三郎の話なら一応フィクション。
ただ、そういう人格破綻者スレスレのウォーモンガーじゃないと、武家の世の中を生き残れない時代だったのは確か。 2度目の役のあと3度目の侵略計画が持ち上がっては立ち消えになってる
海越え侵略が困難だと学習したのが大きかったのだろうが、元寇のダメージで御家人ボロボロだったからやってたら勝ててただろう それ神風やん。
わかってないな日本における神の概念が 悪人ほど救われるとか言って、
嘘を付いて、人を騙して、人殺して、
カネや土地を奪ってその中のお布施で
ウハウハする宗教が流行ったら、
国家は滅びる。 20世紀中盤以降のアメリカが史上初じめて海を越えて日本侵略可能になった国
それほど日本は天然の要塞に囲まれている 当時の気候はどうだったか?
科学的な古気候学も用いず、妄想だけで説を
唱える史学にはウンザリ
コレで得意の史学にも嫌気をさして、
理系に転向した
とりあえず、平安海進からも言える様に
少なくとも平安時代は温暖化が進んでいたハズ
それから、100年強のあとの時代だから、
気候変動との相関を精査するべき
無論、温暖化であれば、ちょっとした低気圧でも
荒れる訳だし
例えば、台湾
台湾が永らく大陸勢力に支配されなかったのも
台湾海峡は荒れ狂う気候の特異的な条件だし >>592
文永では先駆したけど特段戦果なし
弘安では活躍した そもそも本当に10万も20万もいたのか甚だ疑わしい
どうやってそんな人員を集めて船を作って海を渡らせた?
兵站はどうした? >>620
旨味はあるんだよ、南宋との貿易にも使われてた金山の旨味がな
海越えて侵略していくほどかというとまあ >>624
でも元に水軍がないよね
それで倭寇にやりたい放題されていたくらいだし 夏場に一か月もいたらそりゃ台風来るだろ。
神風でも何でもない。必然。 >>1
こういう話題そのものが中東情勢や香港デモや中国スパイ企業問題から議論反らす為のものだったりするから、現代の大陸の脅威の話も混ぜたほうがいいよ
★電子決済PayPayを使うと中国に個人情報を流出するワケ
https://vpoint.jp/world/china/146975.html
★明日から、中国で「パスワード法」が施行されます。平たくいうとネットの個人のパスワードは????政府が管理し自由に閲覧可という恐ろしい法律
https://tr.twipple.jp/t/59/1211931507377356801.html
日本国内にでかい拠点作られたら終り・・・上陸と拠点作りを徹底阻止しないといけない >>628
鎌倉武士は〜の神と名乗っていた。
そもそも皇族が臣籍降下したのが武士でもともと神。 >>616
さすがに180cmが武家の普通というのは盛りすぎ。
それくらいあった前田利家は武士でも規格外の豪傑扱いだよ。
あと道産子は役馬だから違う系統だろう。
例えるならあれはトラックだよ。 2度目の弘安の役において日本へ派遣されたモンゴル帝国およびその属国である高麗軍の艦隊は、軍船 4,400艘と当時世界最大規模の艦隊であった 文永 日本軍ボロ負け
弘安 台風のおかげ
↓
武士が恩賞求めて各地を荒らし鎌倉幕府崩壊
日本の方がモンゴルよりダメージ負ったという >>631
人権も労働基準法もない時代だよ
強制的にやっても誰も文句言わない もし鎌倉武士が浄土真宗に侵されていたら、
元に寝返る武士が出て国家は滅んでいただろう。
今の日本の政治情勢を見れば分かる。 >>632
黄金の国ジパング
フェイクニュースに騙されたチンギスハーンw モンゴル元に抵抗する南宋系の大商人で九州博多で商売を広げていた
謝国明が、南宋シンジケートと九州商人や豪族ネットワークの間で
活躍。元寇時に九州博多や松浦、山口防衛に知恵を貸した。謝国明は日本で貢献した
立派なシナ人華僑の先駆けとして賞賛を受け、大きなお寺まで九州博多に建てました
とさ。失敗を送り返した高麗朝鮮はその後も山陰地方や熊本などに小規模な朝鮮入寇
攻撃をしたが、全部失敗で日本に撃退されています。
http://www.yado.co.jp/tiiki/fukuoka/jyoutenji/index.htm 歴史をもっと科学して欲しいわ
本当に20万もいたのかよ >>631
南宋には最初からそれくらいの水軍はあったんじゃね? 防人の軍事力を過小評価してたから
当時の日本軍は世界一 >>559
数千隻の大船団を一糸乱れず動かすのは多分無理なんだろうな
無論、停泊するための港もないんじゃないか? >>624
ダメージを受けたのは日本だけじゃない
元も民衆が疲弊して不満があり、だからこそ3度目には反対があった
そして造船の負担を押し付けられ10万の兵を失ったのは南宋人で
元々攻め滅ぼされた直後で不満があったのにさらに不満を抱えた
さらに当時交趾(ベトナム)と国境で戦いが始まり、
立ち消えてというかベトナムの方が重要視された
もしもやってたら、元はただでさえ疲弊してるのに軍を日本に行かせてる状態で
国内では南宋の反乱が起こり、その上でベトナムとの戦うという
二正面作戦+反乱に同時に対処しなきゃならなくなってたかもしれない 元側にとって20万の兵の損害は誤差で、まるで懲りずに第三次遠征を企画していたんだなw 流石に国力あるなあ >>639
日本軍ぼろ負けしてたら
負けまくったやつらの土地を勝ったやつに配れるから
そっちのほうがありがたかったんだが
問題はたいした負けもなく
勝ちまくった場合処罰するやつもなく
経済的負担が大きくなる そもそも、船でなければ、攻めて来れないのだから、兵站が分断しているじゃん。
長期になれば、間違いなく負けるよ。あとは、日本側が波状攻撃を続けること。 モンゴル帝国時代、何故に
ユーラシア北部を席巻出来たのか?
古気候学の立場から検討もすべし
当時かなりの温暖化なハズ
寒冷期ならば、帝国の西への侵攻は
有り得なかったかもしれない
ゲルマン民族の大移動も
古気候学との接点で興味深い しかも2度目は殺害するだけでなく20,000〜30,000人を捕虜としてとっ捕まえてたからな
わがご先祖様は >>616
元寇の時代に北海道に馬はいないし
道産子はポニーサイズなんだが
君はばんえい競馬の馬を道産子と思ってるかもしれないが
あれは維新後にフランスから導入された馬 >>647
現在は高速道路あるけど、当時は足場の悪い山だらけだよ
防人の皆さんゴリマッチョだろw >>450
確かに。20万人(ほんとかよ)の兵の食糧調達方が生命線だよな。
腹が減っては戦は出来ぬ。 >>639
ボロ負けと台風のおかげなのに恩賞求めるとはこれいかにw
手柄首やら何かないと恩賞貰えないのに、ボロ負けと台風なら鎌倉幕府は楽だっただろうに >>631
2回目は軍船3500艘だったらしいけど
中身すかすかじゃなきゃ10万人はいるんじゃね
日本側からは海一面が船で埋め尽くされてるで
みたいな記録しかないけど 自分はフリーザやセルだと思ってたらヤムチャだったってオチ >>639
台風のおかげ?侵攻を阻止されて夏場に長期に停泊してたからだろ。
1日2日しかいないならともかく長期にいたらそんなの必然であって台風のおかげとは言えないよ。 >>631
どうやってってそりゃ、文永の役の時は高麗で造船させてる
その時でも船員合わせて4万人を日本まで運べてる
そして弘安の役の時には海に面した大国・南宋が加わってるんだから
さらに10万を運ぶだけの船の造船や接収だって可能
もちろん余裕というわけではなく、
文永の役の時、この造船のために人手をとられて
農業などのための人手が不足して女子供老人が代わりに働き
さらに天候が悪かったので食糧難まで起きたとか >>469
今のアフリカ人みたいに視力5.0とかあったんじゃね
怖いよね 支配下におさめた対馬はその後の軍事拠点として維持さえせずに元軍は引き上げたんだな 元寇によって幕府への不満が高まったというのはフィクションだろう。
そのような事実がない。 >>631
高麗王忠烈が軍船建造を申し出たんだよ
納期で苦しんだけど
フビライに媚びるため
兵站は朝鮮の馬山から対馬へと運んだ とにかく、史学は妄想が多すぎる
ちゃんと科学的エビデンスをとって
説を唱えて欲しい
でないと、半島人の史学と同じ
もはや学術ではなく、単なるプロパガンダ
歴史学者も学者でなく、単なる扇動者
そうなってしまうよ 上陸する場所などいくらでもあったはず
戦術的にはさっさと上陸して橋頭堡を確保
周辺制圧の後にあらためて布陣、補給路の確立
これで問題なかったのにそうしなかった
たぶん単純に進撃したり占領したりするような構想をもってなかった可能性が高いのではないかな
威圧的な戦闘を行い、大勝して講和するつもりだったのだろう 弘安の役の主力といわれる南方軍20万は、実質的には旧南宋兵で構成された移民。
元としては邪魔な旧南宋兵を体よく日本に移住させればよかったので、全滅しても
願ったりかなったりだった。 しかもアホなのか流されまいとして船と船をロープでつないでいたと聞いたが? >>650
まあほとんど占領地の兵で使い潰すのも目的だったからな
いくら死のうが痛くも痒くもない >>624
何を以って勝ちとするかにはよるが
1回目はともかく2回目なんて下手な中華帝国なら一発で疲弊しそうな大遠征なんだから
続けざまにやったら勝つ前に内乱誘発しそうだけどな
中華帝国から日本への侵攻は基本的にコスト高すぎる >>656
山暮らしは出不精になるから都会育ちよりも足腰が弱い
ソースは山暮らしの糖尿病率の異常な高さ >>650
誤差じゃないからこそ第三次衛生には反対があった
懲りずに企画して準備してたほどクビライは熱心ではあったけど
元の国内がみんなそうだったわけじゃない
>>642
建物が金でできてるとか流石に話盛りすぎだけど
金は出てたし日宋交易にも使ってたから完全フェイクではない
大げさ、紛らわしいが嘘ではないって感じ >>670
いくらでもあったというが上陸後わずかに数日で海上に押し返されてる
つまり陸戦で完敗してる
上陸なんて超難業なので簡単ではない
一度上がったら死んでも守るのが普通
あとは捕捉されたらもう上陸の機会などない 上方でも・・東日本に勝ちたいんだ!!!byPL親父
▼遠州井伊家家臣団(1585年)
『同数の関西武士と関東武士が戦うと、5回中4回は関西勢の負け戦になる』
↓
天正13年(1585) 信玄兵法の聞き取り
石原、孕石、広瀬、横瀬、西郷、曲渕、菅沼、辻⇒井伊万千代。
関西武士と関東武士が同数で戦った場合、大将の采配にもよるが、関西勢は五度に四度は負け戦になる例は、
信玄の時代より何度もあったと聞いている。
だが関東武士も剛勇ばかりではない。
関西武士も弱いものばかりではない。
第一に備えが入念でなく、物見を大事にせず、物見武者として選ばず、日頃物見の教育をせず、物見は誰でもできるものと考えている、
心無き者もいるであろう。
関西武士は物見に出ても敵情を、確り把握せず、敵を侮り高言を吐き、兵を預けても合戦になると、采配を振ること無く、
兵を残し一人抜け駆けをするのが手柄と思っており、一番槍を心がけるものである。
名将は一、二を捨て、三四をもって、勝つようにするには、敵の先陣を切り崩せば勝利を得ると心得、二、三の備えを切り崩し、
負け戦にするものである。
しかしながら年寄りも人によりけりで、戦場で預けられた人数の兵を、采配で巧みに操り、兵法に通じていると万人が認めるものなれば、
高知行で召抱えなされ。
そのような巧者の申すことなら、家中(井伊家)の若侍も納得するでござろう。
戦場で年寄りは、若侍と一番槍の巧妙を競うのは無理だが、城の留守居、国境の砦の守備を申し付ければ、敵より合戦の場数を踏んだ武功者なれば、
敵も早急には攻めてかからぬでござろう。
その時分信玄は近隣諸国の武将から、恐れられた大将であったが、諸国の高名で没落した武将の巧者な浪人を召し抱え合戦の話をさせ、
悪しきは捨て良きは採ることを、心がけたが、合戦には入念に準備してかからねば、勝ち戦は望めぬ、と信玄は常々申された。 どこでも安全な場所に上陸しさえすればよかった等というのは浅はかであり、
実際に、安全な場所、鷹島に上陸した結果、大敗したのだよ。 二十万人なら
いちかばちか上陸すりゃ良かったのになあ
ちょっと試しに上陸してみるか
砂浜サクッ
プスプスプスプスプスプス
みたいな感じだったのかね >>149
鎮西探題は14世紀頃には博多に移っていたとされる説が有力
羅城としての体系も保ててない大宰府は防御力も低く優先度は低い >>665
対馬は平地がほぼ皆無で、大軍が駐留するには不向きな土地だしね。
あと、あそこの宗氏は異民族相手にネゴるのが大得意。 竹崎季長の小川の海東は父と母もゆかりあるからなじみ深い >>676
モンゴルはもともと人口の多くて5%死かいないので
そんな全員モンゴルなんて編成不可能 >>650
日本に負けたんではなく
台風来たから撤収しただけなんだが
なんか負け戦感パなかったから
元々は狙ってなかった日本殲滅しないと >>469
現代はアーチェリーの弓が最高峰の飛距離
最大で1キロ 逆に、元軍はどう戦えば、日本を制圧できたのだろうか?
騎馬隊を駆使しての電撃戦は、大陸の大平原を戦地にしての事だろうし。 クビライは、黄金の国を欲しがった
手紙を何度も出して、配下にならなければ攻略するぞと添えて
騎馬隊中心だったから海軍力は高麗まかせ
亀甲船で日本上陸目指した
対馬は不意打で島民100人を朝鮮流手に穴を通し拉致 ノルマンディー上陸作戦が
世界最大の作戦と言われるほど
上陸は難業 対馬は韓国人観光客なんぞで飯食わんと、元寇や康応の外寇や応永の外寇などの歴史で飯が食えるようにならないものだろうか
世界遺産に登録し、絶景や食で観光客を呼ぶのはもちろん、大河ドラマでも作ってアピールできないものだろうか
過去幾度も対馬を狙い、今も領土主張する韓国人をなんで呼ばなくてはならんのだ >>675
現在は車あるからね
登山やってみれば、現在社会のありがたみがわかるよ 九州の御家人というか豪族なんてガチ勢だもの
上陸した場所が悪かったんだよ 即位で虹🌈出すくらい余裕の今の天皇
その祖先相手するんだぞ勝てるわけねーべ >>690
適当に地方の島津とかに金渡して内部工作していけば兵士も送り込めて安全に制圧出来たんじゃね? ノルマンディー自体が普通は上陸地点と考えないような難所なんだが モンゴルがアホだった
今のモンゴル見ると納得するわ >>627
それでもアメリカは空からだったからな。海から敵兵が上陸したのは元くらいかな 上陸するなら一度に大量にじゃないと逃げ場がないのでことごとく駆逐される >>681
江南軍の上層部はいつどうやって逃げ帰るかしか考えてないから
実際、きっちり逃げ帰ってるぞ
あとでバレて処刑されたけどな 南京大虐殺とか言ってる中国人
何で中国人は元寇を反省して、謝罪しないの?
朝鮮人も手を組んで攻めてきたんだよな
朝鮮人も謝罪一切してない >>702
いやどちらかと言うと
唆した朝鮮と中国が悪いまである 今でさえ大荒れの時は船酔いするのに当時はなおさらに過酷だったんだろうな
強いて言うなら時期を考えるべきだったな 元が安全に上陸できる場所は日本には無かった。
コレが結論。
上陸すれば弓と日本刀でボコボコ、
海でも松浦党などにボコボコ。
日本に大軍を派遣すれば、
モンゴル軍サイキョーで勝てると思うことがもう間違っていた。 >>670
大群が上陸できる場所は北部九州は意外に少ない
あくまでフビライは日本征服が目的だから食糧も確保出来ない辺鄙な場所では大軍置けないし 九州の元軍が集結した海域は、地元の漁師さんにいわせれば
地形的に時折、台風並みの突風が吹く海域なんだとか
元軍はそれに見舞われたという説があります
だけど、こちらの都合の良いときに吹く風じゃないから
本格上陸を許さなかった日本軍の威力は
当時、大変に凄まじいものだったんじゃないかと推測できます
結局は両者悪戦苦闘の末、神風が元軍を退けたということ
人と神のマッシュアップにより、元・朝鮮連合軍を撃破したのです >>1 「元軍側のミス」
てか、
ただ単に、”敵地上陸作戦”ってぇのを知らなかっただけじゃね?
コレ、海兵隊の出番で、騎馬隊の仕事じゃないし。
逆に日本側は防塁を築くなどの上陸作戦阻止の方法を知っていた。
それだけだろ。 >>633
あるよ
元は南宋攻略の過程で水軍を作り上げているし、
その南宋を手に入れたことで南宋の水軍も手に入れた
そして従属して元寇に参加した高麗にももちろん水軍がある
>>686
文永の役は撤収したその帰り道で台風にあった
弘安の役は台風くる前から遅れた江南軍以外は戦ってそれでも劣勢だった >>655
そもそも埴輪の馬を見ても分かるように日本の馬は2000年以上前から巨大であり
騎兵は重装だ。
ポニーとかあほかとw いやあの海を渡って侵略とかムリがあるにもほどがあるだろ 肉丸くんが 頑張ったんやで!(`・ω・´) 神風の術 >>707
上陸しても、追い返えされていたからな
元軍指揮官も殺されかけたり、
海岸の島に立てこもり、後の軍は船待機してたら、
船が翌日には全滅した。 >>633
ってか、せっかく水軍があったのに、それを元寇で大量に失っちゃったから
後の倭寇に送れをとってたって説もある
失った10万の南宋兵も棄民説もあれば精鋭説もあるし 勝ち筋があるとすれば鎌倉強襲くらいだけど
高麗の舟じゃな… そんな鎌倉武士たちも
楠木正成にぼっこぼこにされるんだよなぁ
煮えたうんこに負ける鎌倉 >>713
体高147cm以下の馬、というカテゴリなら日本の馬はポニー
ただし説明なしだと一般的にはシェトランドポニーを連想するので
単に日本の馬はポニーというのはミスリードになりかねない
そして昔はポニーが普通 >>655
アホか日本の歴史勉強してこい
嫌なら半島帰れよ そもそもモンゴル人に何週間もの船上生活とかムリだっただろう
酔いやすい俺なんかは考えただけでもゾッとする >>709
細かい記述より神風のおかげにしたほうがわかりやすいだろw 九州よりも、むしろ本州の武士ほうが戦慣れしていた訳で、
本州に上陸してたら、一瞬で蒸発してただろう。 >>718
あの時代そんな長距離後悔して攻めるほどの余裕なんてないです
そもそも鎌倉の海側防衛力アホみたいに高いのに >>712
その高麗と南宋の水軍を弘安の役の時点でかなり失ってるよね
水軍は指揮や調練の問題もあるからすぐには無理でしょ >>726
今は北九州民はロケットランチャーが一家に一台あるらしいからな
今は九州は強い >>6
鎌倉武士のどこが強かったかまで書かないとあかんやろ >>702
率先して軍船を作り、糧食を整え、両役で合計2万人ほどの派兵をした高麗の罪は重い >>726
九州はあれでも大陸の海賊たちと戦ってるから
慣れてたというのはあると思うぜ
全く関わりがなかった訳ではなく
そのために配属された防人たちだし >>728
でも砂浜駆け抜けた新田さんにさっくり落とされてますぜ? 朝鮮人がわざとボロ船をつくってくれたお陰で
日本は勝てたので 朝鮮に感謝しないといけないと
教育実習の授業でほざいたアホ大学生がいた
木村 お前だよw どう考えてもあの時代で上陸作戦は困難だったろうね。上陸出来なければ船の食糧もどんどん減っていく。船酔いもやばいし。フェリーですら外洋は吐きまくるほどきつい
強襲揚陸艦もない時代 >>731
鎌倉は、刀鍛冶師が進化し、現在27代まで続いてる
鎌倉文化の刀は大きな役割を果たしたからな >>690
2回目の時は、上陸場所を九州じゃなくて本土にすればよかったのでは?
九州は2メートル高の壁を築いてたから何か月も海上で待ってた所に
台風でやられたんだろ 神風は金払わない為に作られた嘘だよ
当時から働きにたいして支払わない国だったという >>670
実は無いんじゃないのか
釜山ー対馬ー福岡間の海路を知ってる半島側の船頭なんてそんなにいるか?
全て風任せの目視でやってる時代だ
富士山くらいの目視できる巨大目標と天然の良港がセットで存在してないと渡航できないんじゃないか? 御家人たちの頭にあったのは恩賞のみ
日本を守るためなどという意識はこれっぽっちも無かった >>736
そりゃ御家人の多くが敵に回ったら終わりよ
元寇の時代なんて完全に得宗中心で固まってた時代だから無理無理無理
なによりも鎌倉付近の地理に明るく無ければそんなことはできん 飛び道具の射程距離が長くて、
おまけに威力が高い、
それが足が速いっていうのが、
合戦の王道な訳。
大陸ではモンゴル軍が上回っていたが、
日本ではそうではなかった。
使っている武器に日本が勝つ要素があったと言えるだろう。 >>678
現代の海兵隊のやってる上陸作戦ってのが歴史上では画期的なんだよなあ。 モンゴル ヒャッハァー
高句麗 ヒャッハァー
鎌倉武士 ヒャッハァー
当時の庶民は泣いていいw 仮にモンゴル帝国は日本への侵攻をしなかったらその後どうなっていたんだろう? >>738
朝鮮人て奴らは何でも捏造して反日したり恩着せたり
絶交したい奴らだ 日本やベトナムなど海上からの闘いで大敗退を繰り返した元軍も、高麗兵を連れない
本体主体な陸上軍は好調で西進を続けユーラシア大陸各地を
その騎馬軍団が風のように駆け抜け、各地の軍や国を破り朝鮮のように配下におきました。
元軍は東ヨーロッパにも押し寄せ、東欧諸国を破った。コーカサス地方から
北進した部隊はロシアモスクワも占領し、多年に渡りモンゴル人が統治する
地域となりました。フン族アッティラの西進にも例えられユーラシアの
大半を配下とし世界最大の帝国を築いたモンゴルだったが、遠征途中に
首都で王が死亡した為大半が帰国、残った軍もその後は東欧など程々の闘いの
後引き上げており、全欧州制覇は惜しくも生りませんでした。
元軍の方面軍司令などが王についた汗国は残り、ソビエト連邦形成の頃まで
健在です。 >>754
ベトナム攻めてるんじゃね?
まあそこでも負けてるけど >>749
ちなみに、弓の能力は、日本のが威力飛距離共に勝るんだとか
元寇は、爆雷が最初びっくり⁉させられた程度で
刀、長刀の前に騎馬戦も勝てなかったらしい。 >>686
一か月間も船上で足止めされたら兵糧攻めされてるのと一緒。
兵糧攻め、水攻め、夜襲のトリプルコンポが炸裂して
兵の数を無力化させた。むしろ大軍が負担になった。
まあ、奴隷軍なので死んでも本国に利があるエグイ作戦だよな。 >>711
金って元寇よりずっと前に滅んでるよ
元金国人なら>>446の趙良弼のように元の国内にいるけど >>763
病気もやばかったろうなぁ
衛生環境最悪だし >>758
モンゴル軍は地形を有効に使われると簡単に負けるからね
日本、ヴェトナム、マムルーク朝は大体そんな感じで敗北してる よく知らんけど橋頭保を維持できなかった時点で負けだろ
神風なんておまけじゃねえの それにしてもなんで台風シーズンに来たんだろうか
台風って大陸でも知られていた気象現象だったんじゃないんか? >>766
そういえばエジプトでも惨敗してるな
というか、よくまあエジプトまで攻めたもんだ NHKでやってたよね、神風は嘘だって9月下旬に台風がそのルートを通るのは観測史上1度も無いらしい確率的に無いに等しい
単に武士が強かったらしいね >>768
半年も海の上でうろうろしてたら普通そうなる
冬の日本海なら凍死祭だからそんな時期には攻められんし わざと嵐に弱い船を作り、わざと弱い兵士を送り、負けてあげたニダ >>768
1回目は11月だから台風シーズンじゃないぞ
2回目は長引いた結果台風シーズンになった >>746
と、学校では習うけども
異国人との闘いは恩賞だけがモチベーションじゃないと思うね
国が無くなれば恩賞も糞もないからな >>770
6年前のナショジオの記事では
当時の土壌やらいろいろ調べると
地理を変えるほどの台風が当時あったかもしれないって言ってるけどな >>768
クビライの指示だからな
タイミング計り、手紙を出し、日本を下に書いて送りつけた。
天の王から配下に住む和へ 元の司令官は撤退しようとしてたんだけど、
コリア人が日本を侵略したくて戦争続行を主張、
そうこうしてるうちに台風接近。
相変わらずの疫病神っぷり。
そもそも日本を侵略しようと元を唆したのもコリアの王子。 いや失敗した理由は単純明快
1回目は日本の戦力を過小評価して寡兵で攻めて失敗
2回目は日本に対策されて突破できなかったのが原因
神風は寺社の宣伝に過ぎない
ただ結局寺社の褒賞の強奪が幕府失墜の遠因なので外敵より内敵の方が危険という良い例ではある >>766
騎馬戦という今でいう機動部隊が生命線だからね
歩兵と機動部隊の戦いじゃ結果は知れてる
騎馬が使えないと有利さがなくなる イマイチ侵略されるかも、という恐怖が感じられんな
鎌倉武士にとってはビジネスチャンス!としか思ってなかったんじゃね
夜襲かけて恩賞目当てに大将首を狙いにいくとか、行列占拠する転売DQNの超上位互換みたいなマインドやん
怖いわぁ >>731
やあやあ、我こそは!
という行儀の部分を省かれたダーク鎌倉武士は汚いくらいに強かったんじゃない? >>721
日本の馬は埴輪でも分かるように巨大馬だ。そして鎌倉武士は長距離射程の大弓を馬上から放ったから動画のサイズの馬だよ。
小さな馬からでは大弓を扱えない。
https://youtu.be/cdb41jfecCc 日本は大切な役目があるから、潰すわけにはいかなかったんだよ、神としては >>783
つかあの絵の馬が立派な馬なのにポニーっていう時点であり得ん 朝鮮人を使ったからだと思う
朝鮮人には関わっちゃ駄目なんだよ 元寇の一員としてやってきた朝鮮人もやりたい放題やってたんだよな
元寇・文永の役(中) 赤ん坊を股裂き、子供を奴隷として拉致、女性は手に穴開け数珠つなぎ…博多を血と炎で染めた蒙古・朝鮮軍の残虐・非人道行為
www.sankei.com/smp/west/news/140614/wst1406140068-s.html >>690
まず対馬の完全支配と橋頭保化
友好外交と交易の開始
あとは反体制の一時敗北を受けてる権威者の確保
これは後醍醐だな
それまでじっと情報収集して待つ
後醍醐と接触して武力の貸与を示唆
それを見越しに政権奪取
駐屯部隊の増強
そして時は来たれり
くらいかな 北条時宗が優秀すぎたと思う。秀吉以前に一時的にせよ天下を統一して国防軍を結成した
よく大名をまとめたもんだと思う 元の樺太侵攻って学校で習わないの何で?
1200年代後半の元寇と同時期にあったんでしょ? なにしろ当時の日本は手紙を持ってきたモンゴルからの使節団を全員殺していたからなw >>589
天山山脈とかに立て籠られたら、中央アジアの国々も粘れたのだろうか?
まあ、カイバル峠を越えてインドには侵攻できてないしな。 >>789
ベトナムでみた。
ライダイハンな
あと補導連盟事件な >>690
南宋と同じように博多-立花山周辺に防御陣地敷いて降伏した人を厚遇しながら進軍
博多で敗退し妻子を人質にとられている第一陣はそれで取り込めていたんじゃないか? >>794
大陸の海賊と渡り合ってた九州の連中が見たことなかったとか
まずあり得ないからなぁ 倭寇の多さを考えると日本から大陸を攻める方が大陸から日本を攻めるより楽なのか? >>127
その使者が高麗王の側近で蒙古国牒状を日本に届けた潘阜のことなら、
潘阜が高麗に帰国する前から(殺されずに生きて帰ってる)
クビライは南宋と日本とを討たんと欲するのみと言っている
クビライは日本を攻める気があったし
そうなったのは使者がどうなったかとは関係ない
まして幕府は元が攻めてくるまでは
『切り捨て繰り返した』どころか一度も使者を殺してはいないんだから
『使者を幕府が無視して切り捨て繰り返したから、攻めざるを得なくなった』というのは成立しない
幕府が使者を殺したのは文永の役の後になってから >>1
新たな研究成果かと思いきや、昔から出てる話そのものじゃん >>753
いや、当時は農民も村単位でヒャッハーなのよ。
隣村同士で諍い→領主の武士同士が衝突→領主の主人同士が衝突
と言う暴力のエスカレートが日常茶飯事で、そんな揉め事を吟味するのが幕府の重要な仕事だった。
これの差配の失敗で建武の親政が崩壊してるくらいのヤバい案件。
と言うか、そういう自力救済の終焉が中世の終焉と言ってもいいくらいに、上から下までヒャッハーだったのが中世という時代。 日本の弓は長くて射程が長い
モンゴルの弓は短くて射程が短い
NHKスペシャル見てないの? そもそも博多占領した後どうしたんだろうか
次々と10万の援軍を送り渡さなければ人口の数で追い払われると思うが >>789
これは必ずしも朝鮮だからとは限らない
なぜならこういう残虐テロ行為こそ、モンゴルが得意とするところで
大陸においては数限りないケースで行ってる。 まぁ、ガチでヤバかったのはヨーロッパ
オゴデイが死んでバトゥが引き返したのはまさに天運 >>776
元寇はクビライの手紙が届いたその六年後だよ >>790
そこまで丁寧に攻略するほど日本は重要ではなかったと思うわ。
それに馬に乗ってでオラオラヒャッハーする大雑把な戦で強さを出すイメージがあるし。w >>807
ヨーロッパは弱すぎる
せっかくハンニバルを模倣してローマで戦術論が確立したのに
その後霧散して
戦術を駆使するモンゴルに完敗
やーやーわれこそははまさにヨーロッパがやったこと あっちは白鵬や朝青龍みたいな奴が10万
こっちは長友とか香川みたいな奴が10万
勝てる気しねぇ >>810
日本人同士の殺し合いが酷過ぎてな当時は 日本への懲罰軍事行動、旧南宋系軍閥と水軍の処分と高麗の国力低下という第一の目標は達した
日本征服は成功したらもうけもの程度だったのだろう
高麗の山々が木材伐採で丸裸になったのに、何も得られなかったというのは実に痛快な出来事w >>32
おまえらは一度でいいから戦争に勝ってみろ。 >>811
いやまぁ
どう戦うか
って事なのでこうすればどうかと考えてみただけだよ
力技のみであんな広範囲侵略は無理だろうし >>795
日本が元の使者を殺したのは文永の役の後の二回
文永の役の前にも使者は六回送られ四回来てるけど生きて帰ってる 本当は自衛隊がタイムスリップして元と戦ったのが正解だよ10式が大活躍したらしいね >>805
一発ガツンとやって降伏勧告だろうね
それが駄目なら間を置かず占領地で徴兵して次へ攻撃のいつものパターン 鎌倉時代なんて日本刀の最盛期だろ
まあ武器の差によるものも大きいだろうな >>819
>使者は六回送られ四回来てるけど
残りの二回はどうなった? 上陸戦が難しいし
職業軍人がうじゃうじゃ待ち構えてたらそら無理だろう 時宗が天才すぎたとしか答えが無いな・・・
当時なんて日本語の概念も無いだろうから
鎌倉と九州なんて言語で疎通する事は不可能レベルだろ
そういうのを連係プレイにまで持って行った時宗の指揮能力はパないと思う この頃の日本の侍は武芸に長けていて
海戦用に水泳もしてたし、弓、馬、猿、鳥、羊、犬と色々長けていた そりゃ島国のそれなりに統制取れた中央集権蛮族だもん
江戸時代に徳川の末永い繁栄の為に社会保障力入れて
近代国家の基礎が作られただけで
日本人なんて蛮族もいいとこだぞ
バーサーカーでバリバリの戦闘民族だぞ 当時のロジスティック能力じゃ、モンゴルであれローマ帝国であれアレクサンダー大王であれ、日本を征服するのは無理だろ >>827
連携とは
鎌倉本隊到着前に
九州勢だけで壊滅させてる >>650
モンゴルの侵攻の怖さはこれ。
まるで牧草地を移動するかのように、ある地域を征服したら、そこの戦略資源を隣の地域にぶつける。
この繰り返しで、大群に膨れ上がり、その物量の重みで以って、宋などの強国をも押し潰してしまった。 もしも元寇が戦国時代末期に来たら日本圧勝だったよね >>812
ヨーロッパの没落はまず重装歩兵が没落したこと
傭兵中心になったこと
騎兵もどんどん装備が重くなって重騎兵のチャージ中心の脳筋戦術になったことが弱体化の原因 当時の武士とかキチに首まで浸かってる生き物でしょ
通りすがりの坊さんや浮浪者を的に弓の練習したりで。
侵攻自体も4年くらい前から、朝鮮半島がやられた情報を聞いて事前に準備してたと何かで読んだ記憶がある。 >>823
一回目は高麗で荒れた海を恐れて引き返した
三回目は対馬で拒まれて引き返した
だから日本に来たのは二回目、四回目、五回目、六回目
この四回とも生きて帰ってる
その後文永の役が起きると、翌年の七回目の使者と、またその次の八回目の使者は殺された 大体当たってるんじゃない
沿岸で戦っていて拠点作れずにモタモタしてたのと台風と元に負けた朝鮮人と漢人主体で弱かったのはあるなw >>829
縄文人は武器はもってなかったが?
渡来したとかいう弥生人から武器がでてくる >>829
首狩り族って野蛮人の風習な感じだけど戦国時代では普通 >>792
それが原因でアイヌが北海道に避難した。
アイヌが先住民にしたい在日にとって都合の悪い事実。 敵が本気出してなかっただけなのに
しかも追い返しただけで
ホルホルホルホル
日本人っていつからこんなに気持ち悪くなったんだ >>842
敵は大したことなかった
神風で勝っただけだから
報酬はなしな
これ普通に戦後鎌倉がやったことですよ >>827
領地争いは裁判、裁判できちんと意思を伝えられない領主は没落しかないので
鎌倉時代ではある程度の規模の領地を持つ武士たちはきちんと意思疎通が可能だったよ
末端の兵士たちは無理だとしても、中級クラスの指揮官同士は十分に意思の疎通が可能だったはず >>842
運も地力もあるが
洋の東西をまたにかけた世界大帝国の侵攻を撃退できたのは誇らしいことだ >>842
日本省と言う特別な省を作る程度には本気。
ちなみに日本だけ 高麗みたいな雑魚じゃなくてモンゴル本隊を押し返したインドネシアやベトナムは、
鎌倉武士よりも遥かに強い >>833
それ以前に、欧州を制圧できないし、なんなら明にだって勝てない可能性ある >>843
現実はそうだったというのが多いらしいですね >>656
律令制国家の時代は、古代の道路幅の広いハイウェイがあったよ。
農民も、租・庸・調を納める為、担いで行き来してた。
江戸時代には、狭い街道しかなくて、しかも街道が山の中を越えていたり、関所があったり、通行手形が必要だったり、川に橋がなくて、人夫の背中に乗って対岸に渡らないといけなかったり、むしろ交通の面では退化してる。 >>850
確かに朝鮮人は雑魚しかいない民族として有名だな モンゴルは録でも無いやつら満州にも攻めて来てるし令和の時代にモンゴルに戦争を仕掛けようぜ までも鎌倉幕府が衰退していく原因の一つにはなったな >>833
戦国時代末期世界の鉄砲のかなりの数日本が持ってたとかいうじゃん
やりすぎだろ戦国時代 「3」もやってるなら、分かってる人が多いと思うが、
実際は鎌倉武士団が強かったみたいね
「神風」はあるにはあったが、戦況にさほど影響なく、
元と高麗人は、九州本土へ中々踏み込めなかった
当時、日本中で祈りを捧げてたので、
その祈りが通じたという後付けストーリーだろう 防衛したのも自由参加の武士だらけだしその後幕府に褒賞よこせと訴えてるし
日本側もそんなに統制されて強い感じがしない >>853
>交通の面では退化
それ わざとだろw >>852
実際に20世紀に入っても中国軍はクソ雑魚じゃん。
アメリカに金魚の糞のように付いてきて「勝たせて貰った」経験しか無い。 >>839
石斧・石弓・石槍、石包丁などの素材「黒曜石」は日本の輸出品目だよ >>860
統制しなくても中国人相手に勝てるほど強かった。 >>713
アホの歴史修正主義ほど救いがたいものはない
>>783
そのノルマンディ産の馬を輸入したって動画が日本の馬と何の関係があるの?
その馬が日本の過去へ転生でもしちゃった?
大型馬がいたっていうなら、骨とか出てるんだよね
日本にいた馬で大きかったとされる南部馬(北海道ではなく東北産)でも
体高が145くらい程度で分類上はポニーなんだが うむむバカ記事かな
元寇の敗因は、日本人の突撃戦法にある
中国にはこんなキチガイじみた武士は居ないので元軍がしょっぱなから総崩れになった
ちなみに元の指揮官すらこの突撃戦法で首を取られている >>692
日本軍のフィリピン上陸は?
防備を固めて無い所への上陸は簡単。
コレヒドール島に立て籠った米軍は、半年持ちこたえたが。 >>858
中国人ですら鉄砲に関しては日本が明より優勢だったと認めてるからな
>>862
朝鮮戦争で国連軍を押し返してるぞ中国軍は
アメリカ相手に真っ向勝負して負けてない >>867
>>1で中国が元を“中国”に入れているんだから仕方無い。
本来はモンゴル人だが >>864
>石斧・石弓・石槍、石包丁
縄文時代にそれで戦闘した痕跡あるの?
縄文人骨の傷跡とかあれば証拠になるがな >>869
それじゃ鎌倉武士が全員まるでベルセルクみたいじゃないか モンゴルは何故に九州にこだわったのかな?
島根辺りなら楽々上陸出来るよね? >>873
中国は近代になってできた国家なので関係ないよ
中華ね モンゴル軍って言っても半分は朝鮮人だったんだろ
色々と見通しが甘かっただけって感じだわ >>881
モンゴル軍って基本的に多国籍だよ
イスラム帝国を攻めたモンゴル軍もモンゴル人は少数で
征服した異民族が多数だった 武士がぶっとんでいた事もあるけど、船で輸送というのが物理的に無理だった >>868
>>817をみろ。
サラブレッドの馬のサイズよりも圧倒的にでかいぞ。 秀吉の朝鮮侵攻の時も100人で突撃して明1万の兵破ったりしてるし武士恐すぎる
今の日本には無いおかしなメンタルしてるよな >>859
後付けだがそれで褒賞を掠めようとした一団がいたのは事実
おかげで話が余計な方向に大きくなって鎌倉武士の過小評価につながっている 台風の季節に攻めてきて速やかに橋頭堡を確保できなかった時点で詰みやろ >>841
顔の濃い外国人勢が自分たちはアイヌ出身だと成りすます口実でやってる 台風説も最近は怪しくなってきたんじゃなかったっけ? >>235
だから現地調達してたよ
現地の人間
見せしめに船に吊るしてたと勘違いしてる識者が多いが
皮はいで塩塗って人間ハム作ってたんだよ >>102
元軍の主要な武器は、短弓、投げ槍、投石器であり、「てつはう」は主要武器
とは言えないが、日本の武士には今まで見たこともない新兵器で、大いに驚かせた。
だからこそ、『蒙古襲来絵詞』などにも「てつはう」が描かれている。
元軍の武器として、短弓・投げ槍・投石器を答えさせるのは小学校のレベルを
超えているから、当然、「てつはう」と答えさせるための問題だったはずなのに
それを×にした教師の方がおかしいな。 >>6
教師は左翼が多いからな
高麗人が船を手抜きで作ったから
日本が助かったのは高麗人のおかげ
なんて言ってる教師がいたぞ
実際は、高麗人が積極的に日本侵略を進言してたのに >>875
そのとおりなのよね
自分が死んだら領地が貰えるってんで
死亡覚悟の全員突撃を大喜びで繰り返ししたのよ(ちなみに命令無視w)
この結果、命が惜しい元軍は上陸直後から総崩れ
そんで指揮官まで簡単に首を取られて慌てて沖の船に逃げ帰った→援軍待つうちに台風で難破
要するに鎌倉武士のキチガイ突撃が日本を救ったわけ 九州の奴らが頑張ったからだろ
おかげで修羅の国になっちまったが 尖兵が女子供しか倒せなかったのかな。弱すぎて女の掌に縄通して人壁にしたんだっけか 元寇はモンゴル人指揮官の下に南宋人、朝鮮人の奴隷兵が戦うイメージがある。
大艦隊が上陸できなくて大敗。兵站が尽きたらお仕舞いなので台風無しでも快勝してたと思うよ。 前期倭寇が大船団で攻めてきたって記録が朝鮮側にあるが、
日本から朝鮮に攻める方が逆よりも楽なのだろうか 進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張
正しい しかし其れを困難にしたのが九州の武士 得意の騎馬戦法が使えなかったからだよ
モンゴル兵は一部仕方無いいなかった
南宋や高麗の兵隊は弱い >>885
今に残るその精神の欠片は肝試しとかだな
要するに根性試しだけど一番根性の座ってる奴が勝ちって世界観だからな・・・ 当時の中華圏で斬首刑があると、民衆は器を持参して、流血の取り合いしてたんだよ
現代の倫理観は捨ててね なるほど、戦いながら民衆を味方につけていったのは我々だ、と
言いたいのだなw >>871
韓国人の不甲斐なさのお陰でな。
結局、最後は役立たずとして韓国人を外したら勝ち始めたので慌てて休戦しただろ。
朝鮮戦争時に国連軍総司令官だったマシュー・リッジウェイ将軍が「韓国軍の態度だけが私の悩みだった。中国軍は韓国軍部隊を次々と敗走させ、そのたび韓国軍は補充困難で高価な多数の(米国供与の)装備を放棄した」と自著で呆れるほど敵前逃亡が繰り返された韓国軍。
【軍事ワールド】戦争の英雄などいなかった…韓国軍「偽りの歴史」 教科書に載るヒーロー、実は逃亡兵
https://www.sankei.com/smp/west/news/160803/wst1608030006-s2.html そもそも、元軍の主力は南宋との戦いでそっちが本命だった。
日本は別動隊が東進したついでに取れたらいいな程度、駄目なら駄目で割りとどうでもよかった。 >>902
モンゴル帝国は高麗や南宋を占領するのに何十年も掛かってるんだけど 文永の役では暴風は無かったという説もあるね
元の側の記録にも記述が無いのだと
弘安の役では台風と思われる暴風が吹いたけど
そもそも海岸線に鉄壁の防塁を築いて上陸を許さなかったうえに
攻め手がなくて海上に逼塞する元の船団に夜襲をかけて圧倒
神風が吹かなくても元軍に勝ち目は無かっただろう >>805
簡単に上陸許して
鎌倉武士の本領発揮できる平地での騎馬戦でも敗走してるからなぁ
元寇の前に承久の乱があってたり元寇後も霜月騒動など内部で殺し合いが行われていて一枚岩ではないのが鎌倉幕府だし
元側につく勢力が出てもおかしくない どんなガタイしてたんだろうな
金剛力士像みたいな感じかな 臨安て、殲滅されたイメージだったけど、
蒙古に無防備都市無血開城してんだよな。 >>880
俺じゃ無くて>>1の記者にメールしてやれよ。
そんな事も思いつかないの? >>1
高麗(朝鮮)は朝貢国ちょうこうこくで元(モンゴル)の言うことをきくしかなく
一部は元(モンゴル)の指揮官が来てたけれどほとんどが高麗(朝鮮)のため
沈んだ >>908
モンゴル軍以外は対外戦争には弱いということよ
歩兵中心だし >>897
まあ、中四国からも参戦してるけどな
俺の一族から分かれたのもその頃に九州にいって元軍とやりあい、九州に領地貰って今では九州人になってしまってる >>894
自分らが乗る船を手抜きして造るわけないよな >>913
チビで横にガッチリしてたようだね
ほぼ鉄の棍棒みたいな鎌倉刀でぶっ叩いて殺す戦法
まじで怖いよ 暴風雨説も怪しい
少しの風でも制御できなかったと思う 答えが知りたければ、
『アンゴルモア 元寇合戦記』を見よ 戦略面でフビライがどこまで本気だったかも怪しいしなぁ
立地条件を見ても極東の鶏肋を取りに行くような様相だったし
司令官やその他将軍の面々、戦力構成を見てもそこまで本気で無かった感がある
最初の文永の役は少なく見積もって総勢2万7千、多く見積もっても4万にも満たない小手調べ
次の弘安の役は総勢15万という大軍だがそのうち10万が征服されたばかりで士気も忠誠心も低い南宋兵
あとは漢兵と朝鮮兵で占められ蒙古兵は1万居るかどうかの構成に過ぎなかったし 高麗は元と戦ったけど最初から武将たちが裏切って一緒になって高麗中荒らし回ってるのが面白い 金食い虫の軍人を殺処分したかったから日本海へ送り込んだんだろ >>840
酒鬼薔薇みたいなのも、台湾の出草の風習とか考えたら、成人への通過儀礼としては、普通に見られるものなんだよな。
先祖帰りしちゃっただけで、あれもある意味才能だとは思う。
ただ、首狩り族や戦国時代とかなら、生かせる才能かもしれんが、現代では、そういうのはお呼びでないし、活躍しちゃいけない精神・才能だ。
今でもISとかに、わざわざ先進国から入って首狩りしてる輩とかもいるけど、
そういう時代になったら、一般市民はたまったものではないからね。 >>921
大量に作る命令が下ったから、
丁寧に作る余裕がなかったんだよ。 てつはうは殺傷させる武器というより日本でいうところの法螺貝みたいな道具だったんじゃね 単純に鎌倉武士が強かっただけだろう
地の利もあったし 窮屈な船上で空腹に耐えながら褒賞目当て野武士の夜襲で眠れもしない。
相当な地獄だったと思うよ。w 対馬から九州北部への一直線じゃ
攻撃にならないだろ >>894
こう言う
敵の子分のくせして戦いに負けたら敵に恩を売るって思考方法は朝鮮人独特だよな >>926
大金費やして三回も計画してんだから本気だろ 南宋人や高麗人は農機具持参だったそうだからな
日本を占領する気でいた >>93
細菌兵器の伝統が731部隊へと受け継がれ大陸が舞台になったのはなんの因果か… >>893
蒙古襲来絵詞の三人の蒙古兵とてつはうは後代に加筆されたものだとされているようだよ 弱いチョンコ兵だったから余裕で勝てたんだろ
船もチョンコが作ったデタラメな船だった >>940
古伊万里の祖が日本の神の一柱になる地とは
奇しくもって感じだな そういやもうすぐで発売される外人が作ったゴーストオブ対馬ってゲーム面白そうだぞ
対馬と元寇の話とかなんとか 逆視点みたいな動画で見たけど日本攻める前(と言うかそもそも日本を攻める気がなかった)にどっか滅ぼそうと攻め込んだら
土下座降伏されちゃってそれを受けたのはいいけど食わせる事できないから高麗も一緒にして日本に処分させたとか言ってたな
ホントかどうか知らんけどw ゴーン氏を警備会社が監視していた問題、産経では軽く流されてるが、内容はとんでもない話だぞ
ゴーン被告、監視中止当日に逃亡 日産手配の業者に告訴警告 産経新聞 2020.1.4 00:18
https://www.sankei.com/affairs/news/200104/afr2001040002-n1.html
>弘中惇一郎弁護士は昨年7月、ゴーン被告が同4月に保釈されて以降、保釈条件で指定された東京都内の住宅周辺を何者かに見張られたり
>外出先まで尾行されたりしていると明らかにし、「重大な人権問題」と訴えた
>24時間に近い形で続けていた行動監視
>
>同12月25日、弁護団で調べた結果、行動監視していたのは東京都内の警備会社だと判明
>警備会社を軽犯罪法違反と探偵業法違反の罪で年内に刑事告訴すると表明
>刑事告訴するとの情報を入手し、(中略)同月29日にいったん中止
24時間に近い形の行動監視、住宅周辺を何者かに見張られ、外出先まで尾行されると、被害者が監視と尾行に気づく露骨な手口
これは集団ストーカーそのもので、この監視行為は、警備会社が金銭による対価を得て、特定個人を集団ストーカーしていたという事だ
警備会社は警察署に警備業を行う申請をし、公安委員会からの許可を取る仕組みの上、調べたところ、警備会社には下記の四業務しか認められておらず
【1号警備 施設警備業務】【2号警備 交通誘導警備業務・雑踏警備業務】【3号警備 輸送警備業務】【4号警備 身辺警備業務】
特定個人の監視行為は含まれない為、警備業法違反になる
公安委員会の認可の必要な警備会社が、金銭を得て集団ストーカー行為を働くなど言語道断
他にも疑問点があり、従業員数の少ない警備会社では、特定個人の完全監視など不可能
警備会社は、防犯協会や生活安全警察、警察本部や警察署と防犯協力覚書を交わした企業、商工会等から構成される
防犯ネットワーク網と呼ばれる防犯システムを構成する主要要素の一つで、警察が同ネットワーク網に提供している警戒対象人物リストに従い
リストに掲載された特定個人への監視業務も請け負っているが、警備会社であれば、創業者や役員等に警察OBがいるのが一般的で
普段から業務の関係で警察と接点がある為、警戒対象人物リストに、特定個人の氏名を不正登録し、防犯ネットワーク網の監視対象にできる
仮に警備会社が、自社従業員の活動だけでは監視は無理だと考えて、ゴーン氏をリストに不正登録していた場合、極めて大きな問題になる
この問題は俗に『やりすぎ防犯パトロール』と呼ばれているが、手口は、尾行や監視に気づかせる事で、防犯効果を高めるというもの
ゴーン氏が受けた違法な監視行為も、手口が非常に酷似しており、ゴーン氏がやりすぎ防パトの被害に遭っていた可能性は十分ある
その場合、不正登録に協力した警察官、警察幹部は懲戒免職となり、生活安全警察にも飛び火する
謎なのは、警備会社は最初から裏メニューとして、対価を得て特定個人への集団ストーカー行為を働く業を行っていたわけで
警備業法にない違法行為と認識してる以上、ゴーン氏に刑事告訴すると表明されたくらいで、いきなり監視を解いているのが解せない
これは、明るみになると困る何かをしていた為に、その何かを隠蔽する為に、この問題の露呈を恐れた為ではなかったのか?
例えば、ゴーン氏を警戒対象人物リストに不正登録し、防犯ネットワーク網に監視させて、警察車両や緊急車両による付き纏いや
警部補達(警視庁生活安全部所属)が住民や店舗従業員らに防犯協力と称し嫌がらせ行為を働くよう依頼をして回らせて
(防犯協力の内容はネットで出回っているが、あれらはただの嫌がらせでなく、恐らく研究機関が心理学を応用して作った精神的虐待を加える拷問)
ゴーン氏に対し、警視庁生活安全部が強力に関与する形で、精神的虐待行為=拷問行為が行われていたのではないか
問題の露呈により、生活安全警察による市民虐待、拷問行為も露呈し、生活安全警察が世間から猛烈な非難を浴びる事を恐れた為ではないか?
集団ストーカー行為は、被害者側は、精神的苦痛から自殺し易い状況に置かれ、執拗な付き纏いによる精神的苦痛から鬱病等を発症する事もあり
常時監視を長期間に渡って受け続けたゴーン氏の精神的苦痛は計り知れない
警備会社の違法な監視行為による人権侵害が、ゴーン氏が国外逃亡する原因だった可能性すらある
この問題はかなり深い闇が見えるので、真相究明の為に、この情報の拡散を希望する qn >>6
鎌倉時代になっていたってのが、全てを包括する答えのような気がするけどな。
もちろん刀伊の入寇とかで、太宰府の兵で追い散らしたとかはあるが、
あのレベルだと、元寇に負けてたからな。
鎌倉時代になってなければ、坂東武者が強くても、何が悲しくて吸収くんだりまでってなってたわな。 >>910
高麗史には文永の役にも暴風の記録はあるよ。
金侁という左軍使はそれで溺死してる
「會夜大風雨、戰艦觸巖崖多敗、金侁溺死」
ただし金方慶伝の方を読むと、これは撤退中のこと 歴史修正主義とかイキッて社会主義者の造語使いだすとか救いようがねえな >>958
イギリスあたりのバイキングじゃね?
あとはメソポタミアあたりの海の民 >>17
ボロ舟しか作れなかったのを、「ワザと沈む舟つくって日本を助けてやったニダ!」とアクロバットリーゾンで
説明してるからマジで茶吹くしかないww るろうに剣心で取り上げてるからね>元寇
マスゴミは元(モンゴル人)のみに印象操作するだろうが、
当時の日本を襲撃したのは、ちゃんと韓国人の高麗人も含まれてる事を
キッチリ認識しないとなw 地形的に騎馬兵力が展開できないからな
平地は河川敷か人工沼の田んぼ
足がとられて伏兵にやられる >>449
> 元寇で関東武士は殆ど何もしてない
大将の少弐(武藤)はじめ、九州移住組が上層を占めていただろ? >>946
蒙古襲来絵詞のてつはうには加筆説あるけど、てつはうは海の底の沈没船から発見されてる
形状も絵の其れと一致してる
>>934
医療機器で中を調べたら銅片や鉄片が混ぜられて殺傷力を上げる作りになってた >>954
台風では無く強風レベルだったってのが一説だな >>951
強ち間違った視点じゃ無いんだよね
春秋戦国時代とかわかり易いけど大量の捕虜の扱いは戦勝国の悩みの種だった。食料的な意味が大きいみたい >>896
でも、それだけなら、1回目の元寇で領地も何も貰えなければ、2回目はどうやってモチベーションを維持するの?
その後も、3回目、4回目と仮にあるかもしれなくて、勝利宣言もなければ、勝ちの定義もはっきりしない。
いつになったら恩賞貰えるの?
むしろ元からすれば、嫌がらせのように、小隊による小規模な侵攻を、隔年で何度も繰り返し、
鎌倉幕府側の後家人が、そのうち内紛を起こすのを待っていたら良かったのでは? >>926
南宋の殆どは農民兵で鍬とか持ってて新兵だしな
司令官のヒンドゥーも無名で高麗の内乱を鎮圧したくらい >>922
やっぱり背は高くないのかな
この時代の甲冑見ると、丈は短いけど胴は厚みがある >>953
大きな勘違いしてるね
実際に戦ったので関東武士は多くない
あと、トップ層は別として、武士の殆どは各地の古代豪族起源だ
自分の土地を庇護してもらうために荘園を天皇、有力貴族、寺社に寄進して荘園管理人として生きていくことを決めただけ
で、寄進先の主従関係で源平藤橘の仮冒が増えたと
>>966
それは軍監みたいなもの >>970
流石に元側は日本の内情までわからんよ
海の向こうだし なんで、優位に侵攻してたのに橋頭堡を作らず船に戻るか?
そもそも、そんなに優位じゃなかった。
というのが普通の考えだろ。 >>970
当にそれ
鎌倉幕府滅亡の遠因の一つになった 矢の先に毒を塗るのは女真族の戦法だし
モンゴル人はいなかったんじゃね? 歴史系の学者って非科学的なものをできるだけ排除しようと頑張りすぎなんだよな
歴史の記録にあるものでも
そもそも当時の迷信だらけのでっち上げの記録って前提で見てるからな
それで逆に無茶苦茶に事実と嘘を己の判断一つでしてしまう
台風に関しても実際にあったかどうか怪しいとか言い出したのも
そういう流れの一つでしかないでしょ。 武士「よっしゃ名乗るかwww」モゴカス矢ぐさぁーw てつはうボーーんw
武士「あ、そういうことやるんだぁ〜」
武士「み な ご ろ し で い い ん だ な ?」 ちなみに現代の韓国においても外洋での作戦行動に耐えられるフリゲート艦を造る能力がない
船体が割れた >>958
ノルウェー人やデンマーク人がブリテンやフランク王国を攻めて苦しめてたよ >>970
モチベーション維持→領地安堵
中世の戦争史という本を読むと、このころ辺りからあまり武士も積極的に戦争に行きたがる傾向は弱まったみたいだけど、
領地没収される可能性もあるので、戦争には行ってる 元寇より白村江の敗戦の方が日本の危機だったと思う
敗戦後に築かれた多くの朝鮮城やら壬申の乱がそれを示してる 現代だって海ってのは最高の防壁だからな
台風無くても日本が有利な条件 >>983
今の研究だと、むしろ鎌倉幕府が強化されてることにつながってるので、元寇が滅亡の要因とはみなしてないみたいね 手先に使った朝鮮人が弱かっただけだろ
モンゴルも含めて泳げない奴らを渡洋作戦に使うなよ >>1
1回目はともかく、2回目は南宋と高句麗に対して忠誠を示させるだけみたいな気がする
それで日本が取れればラッキー。ダメでも自分達の腹は痛まない
きっと1回目の戦いの状況を聞いて、半信半疑だったんだろ。逃げ帰ってきた指揮官が言い訳
してるのかもと疑ったけど、他の民族でメンタリティーも違うだろうからということで、2回目は
慎重になったのだと思う 最初からまともな知能があったら神風だけなんて思ってないし。
まぁ普通に対馬を占領して中継基地にして、
九州北部の佐賀くらいをとりあえず攻め落として防御を固めるのは普通に思うが
当時はGPSも日本の詳細地図もないからな。
言うほど簡単じゃない罠。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 3時間 55分 39秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。