【歴史】「元寇」はなぜ失敗した? 神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか=中国 ★4
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日本の鎌倉時代に中国を支配していたモンゴル帝国(元)による日本侵攻は「元寇」と呼ばれる。1回目の侵攻は1274年の文永の役であり、2回目は1281年の弘安の役に当たるが、いずれも失敗に終わっている。
日本が元寇を退けることができた重要な要因の1つに「神風」が挙げられるが、中国メディアの捜狐はこのほど、中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試みが失敗した理由について考察する記事を掲載し、「神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか」と疑問を投げかけた。
記事はまず1274年の文永の役について、3万の元軍が九州北部に攻め入り、「震天雷」と呼ばれる火薬を用いた武器の前に日本側は劣勢を強いられ、大きな損害を被ったと紹介。しかし、元軍が夜に船で休んでいると暴風雨によって海は大荒れとなり、撤退を余儀なくされた伝え、これが1回目の侵攻であると紹介した。
さらに、1回目の失敗を受け、元軍は20万もの兵を率いて再び日本に攻め入ったとし、これが1281年の弘安の役であると紹介。日本側は激しく抵抗し、元軍は1カ月以上も沿岸での戦いを強いられたと強調する一方、時期が夏であったことから台風が九州北部を襲い、元軍の船は壊滅的な被害を受け、2回目の侵攻も失敗に終わったと指摘した。
記事は、日本では元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」であったことから、この風は「神風」と呼ばれていると伝える一方、元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張。また、日本に侵攻した元軍は元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成されており、士気は決して高くなかったと強調し、「神風が元寇を退けたというのは語弊がある表現であり、元軍側のミスと日本側の激しい抵抗、そして暴風雨という3つの要素が重なった結果である」と主張した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF
2020-01-05 22:12 サーチナ
http://news.searchina.net/id/1685690?page=1
★1 2020/01/06(月) 09:27:15.75
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1578284531/ 移住したくない国ランキング (HSBC調査)
1位 ブラジル
2位 日本
3位 インドネシア
4位 南アフリカ
5位 サウジアラビア
https://www.expatexplorer.hsbc.com/survey/
兄の国として、ジャップに忠告してやる
さっさと韓国に来い、
分かったな、ジャップ!! 決まっているじゃないか
かの国の法則
あいつらが元軍側についていたからだよ 元は元々支配して、支配した国の兵士を使ってまた他国を侵略してる。
日本に攻めてきた元軍は主にチョン軍で構成されてる。 高句麗じゃなくて高麗だね
そもそも日本侵攻を元に進言したのが高麗だし
元は騎馬が主体なのに船で海外を攻めるなんて無茶したんだよ あの時代に海渡って戦おうっていうのが間違いなんじゃないの?
原住民相手ならまだしも。。 >>1
元寇の捕虜は
元南宋軍兵・・・解放される
元軍兵・・・・・・・斬首
朝鮮兵・・・・・・・斬首 >元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が
>1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である
>橋頭堡を設置しなかったことであると主張。
それが出来たらしてるわ そもそもモンゴル軍は渡洋作戦を拒否した。
そこを朝鮮人がそそのかした。 日本の武士が奮戦した
海を渡るのは簡単じゃない。
海峡が自然の要害だった。
ドイツ軍もイギリス上陸を断念した たぶん 日本には ドロドロに溶けて崩れる寸前の巨神兵がいたんだろう
んで どうした化け物、それでもこの世で最も邪悪な一族と言われた末裔か!っていわれて
カチンときて 一発おみまいした 一撃で全滅したと思われる 騎馬戦て電撃戦と同じ
初動に耐えて降伏しなければ勝てるよ
日本もベトナムも騎馬兵力の展開には向いてない地形 チョン猿は厄病神だな
チョン猿と組むと必ず負けるw 当時の日本は首狩り族で、武士が恐ろしいほど貧乏だった
だから手柄を立てるために徹底抗戦して首を狩りまくった
これに元軍が恐怖し、夜間には船に戻って寝た
そして夜間には武士が小舟で抜け駆けして襲い掛かり
朝には首を狩られた遺体がゴロゴロ転がっていた
これで元軍が恐慌状態に陥り、1か月も上陸して占領できないでいたら台風が来た
それだけのこと >>10
開放された南宋兵は帰ったのかな?日本にとどまったやつもいただろうか? 日本側の記録は、神のご加護の神兵とか神風とか無茶苦茶なのがあるw
これが神風説wの原因w
元側の記録だと、死を恐れず集団で襲って来る鎌倉武士により戦死者多数で
軍議のすえ一回目はほうほうのていで逃げ帰っっている
2回目は日本側も壁を築いて万全だったゆえ
元軍はほぼ連戦連敗
それでも足りんのか横付けした敵船に乗り込んで殺戮する豪の者までおり
議論するまでもなくこのままじゃ全滅ってんで逃げ帰っている
元側記録では鋭利な刀で死を恐れず戦う武士と絶賛されておる
この程度も知らんバカが最近は多いな モンゴル兵がたくさん乗った超巨大木造船を
朝鮮の奴隷兵に漕がせて人力で日本まで来たから
日本に上陸した時は疲労MAX 細菌戦を展開してたの知ったのはNHK報道です
敵の大好きなうんこを使うとは日本人すごいw >>9
そう思う。
航海技術が追いついていないよな。 日本の武士が強過ぎたのと
高麗兵が弱過ぎたのとウンコまみれ過ぎた
船の上で降り注ぐウンコに狂喜乱舞してしまったのよ >>17
イギリスが勝てたのは世界最強級の海軍保有(戦闘艦)と新兵器のレーダーのおかげだぞ
あとドイツ戦闘機の航続距離が短すぎた
爆撃機は燃料に余裕があったが、戦闘機の護衛がつけられなかった
イギリスの戦闘機は弱かったが、レーダーで探知されて爆撃機だけ狙われたから
ドイツは爆撃機を失い上陸を断念した こんな無茶苦茶やった敵ですら死んだらちゃんと供養してやる当時の日本人の情の深さよ。その後も敵の戦死者の慰霊は様々行われたがそういう歴史の積み重ねから踏襲してきたんだろう。 元の指導者が相当の無能だったんでしょ
当時の日本のような小国を落とせなくて、よくもまあ・・・
元寇の本当の歴史★
《元寇》(※鎌倉武士をわかりやすく日本軍とあえて表記)
文永の役(1274年11月11日〜26日)※つまり台風は来ていない
元軍:約900隻で約30,000〜40,000人
・博多の早良郡(さわらぐん)に上陸
・最初は日本軍は苦戦してたが、すぐに元軍の戦い方を理解し、さらに弓の威力が違うし防具も違う事から、元軍が徐々に劣勢に
(モンゴル弓は日本弓の威力の6割程度で日本の甲冑を射抜けなかった)
・日本軍は「騎兵は結束す、人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れず」と書かれてることから、元軍がビビり始める
・日本軍は赤坂および鳥飼潟の戦いといった会戦が始まると、元軍に損害を与え、敗走させる
・更に船に夜襲を仕掛け、しかも曲刀の日本刀は船上での合戦に威力を発揮
・更に日増しに日本軍の援軍が到着し始めた為、元軍は本陣を組めずに結局撤退
(元軍不帰還者:13,500人余り)
弘安の役(1281年6月16日〜8月29日)(※1276年に南宋滅亡で南宋も加わる)
元軍:約4400隻で約150,000人(東路軍:5万人・江南軍:10万人)
・20キロの防塁を築き、日本にまともに上陸する事すらできない
・東路軍は仕方なく志賀島で江南軍を待とうとする
・しかし日本軍の夜襲を受け壱岐島に後退
・6月29日、日本軍が壱岐島に総攻撃を仕掛ける
・江南軍が平戸に到着したため東路軍もなんとかそっちに合流
・7月27日、鷹島の沖合で両軍激突
・鷹島に停泊する元軍を日本軍が徹底的に攻撃する(元軍は為す術なく防戦一方)※この時点でもうすでに勝敗は決まってた
・その後台風が来て元軍は更に被害を受ける
・これで元軍は敗走するが、鷹島に残った元軍2〜3万を捕虜にする(しかし捕虜の南宋人以外のモンゴル人、高麗人、漢人は処刑)
・半島に帰還できた元軍は1割〜4割程度で元軍の海軍勢力の2/3を失う
(元軍不帰還者:84,000〜140,000余り)
・しかも日本軍は東国から援軍が続々と出陣していたが、援軍が来る前に決着をつけてしまったw
攻めてきたのがチョンばっかだったからでしょ神風で帰る理由が出来ただけでしょ 朝鮮で用意した船が竜骨が入ってない舟だったから
嵐が起こったら簡単にひっくり返った 朝鮮征伐でも朝鮮人同士で殺し合って日本兵を倒したと明に報告してるくらいだからな
朝鮮人はすぐ裏切るし戦力にならん 今も昔も
チョンの作る船は沈没すると決まっている
チョンに船を作らせたのが元のウンの尽き 間違いだな。
敗戦の最大原因は騎兵が使えないこだ。
当時の元軍は世界最強の騎兵軍団。
日本海に感謝 鎌倉武士ったら日本の歴史上最強の兵だろ?
半島のヘタレが敵う訳ねーしw >>8
それはどうだろうと思うんだよなぁ。結果的に惨敗だったから
そもそも高麗が提案した事でフビライには責任がないって事に
しようと史官が曲筆したんじゃないかって。ただ、これ以上
搾取されてはたまらない高麗が元の搾取の矛先を変えようと
提案した可能性も否定出来ないけど。
こういう時一番重要な資料になる正史の「元史」は杜撰この上
ない事で有名で、改訂版の「新元史」は編まれたのが20世紀に
なってからとこっちは時間が経ち過ぎてるから色々説が出る
原因にもなってるんだよなぁ。 日本みたいな険阻な地形はゲリラに襲われて統一まで何年も掛かる。
銃火器があれば別だが。 【元軍の記録】
「話が違う。あんな大軍が展開してるとは聞いてない 」
「てつはう使っても遠くから弓矢が飛んできてこっちの弓矢は届かへん」
「一晩に10艘は船が襲われて燃えてる」
「捕虜盾にしても最初から捕虜ごと殺しに来る。船に捕虜縛り付けても捕虜ごと船燃やしに来る。あいつらは人の心持ってない」
「兵杖には弓刀甲あり、しかして戈矛無し。騎兵は結束す。」
(兵隊は弓と刀を装備していて鎧を着込んでいる。騎兵は集団戦法で連携してくる。)
「人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れず」
(あいつら勇敢すぎ、死ぬのを恐れてない、ヤバい)
鄭思肖『心史』
「倭人は狠、死を懼(おそ)れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。
勝たなければみな死ぬまで戦う。」
「倭刀はきわめて鋭い。地形は高険にして入りがたく、戦守の計を為すべし」
王ツ『汎海小録』
「兵杖には弓刀甲あり、しかして戈矛無し。騎兵は結束す。
殊に精甲は往往黄金を以って之を為り、珠琲をめぐらした者甚々多し、刀は長くて極めて犀なるものを製り、
洞物に銃し、過。人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れず」 元寇で1番笑えるのが、蒙古人と朝鮮人の捕虜は、
女も含めて一人残らず処刑して皆殺し。
南宋人(現在のベトナム付近の人々)には、ワザワザ船を造って与えて、
食料と水を提供して、全員を帰国させたと言う事実。
此の差別は何でなの?
鬼畜と家畜を識別して処分したのかね?w 海越えの難した武士軍団が予想以上に強かったってところでしょう >>37
それガセじゃね?
普通にいい船作るじゃんで作らされたんだぞ
まあ遠征の準備で国の木々は伐採され国は疲弊したから数揃えるために
ちょっと最後手抜きになったかもしれないけど仕方ないね
そもそも自分らが攻めようぜってノリノリでいいだしたことだしな 令和元年 伊丹駐屯地 中部方面隊創隊59周年記念行事 観閲行進
https://youtu.be/o60lnwUceEw
げん >>42
無知だな騎兵隊の戦いかたが嫌らしく強かっただけだぞ
弓打って引き返しての連続だっただけ騎兵隊は強くない 日露戦争もロシアが征服したポーランドなどの兵が主に戦わされていたんだよな
おまけ
元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた
>>29
おまww
半島から全軍無事日本に到達しとるやんwwwwww
負けた言い訳すんな。 >>41
面白いけど日本の軍隊は出てこない
一方的に対馬が高句麗モンゴルに蹂躙されるだけ >>48
内部の不和を煽るため
宋と結託してると思わせるようにしてる >>35
西暦1419年6月19日 応永の外寇(おうえいのがいこう) ※韓国が「対馬も我が領土」と主張する根拠
朝鮮 精鋭部隊1万3000人 周到に侵攻準備し、さらに対馬へ奇襲上陸、住民を虐殺しはじめる
vs
日本 対馬防衛隊 600人 領主&主力兵が、中国・明へ渡り不在の時を狙われる
※日本本土(室町幕府)は、対馬に突如現れた軍船を【元寇の再来】と勘違いし、
武士達へ大軍動員令を出すほどの騒ぎに・・・ところが軍隊が対馬へ向かう前に・・・??
◆たった600人の対馬防衛隊に、1万3000人もの朝鮮主力軍が敗走
報復が怖くて、明治維新まで毎年米200石を対馬に貢ぎ続けた李氏朝鮮
朝鮮王朝『世宗実録』にも「敗戦」と自ら明記、将官も戦死
ところが、韓国の歴史では敗北が勝利になっている・・・?
▼韓国では戦勝記念日、討伐記念日
2005年(平成17年)6月17日、大韓民国慶尚南道馬山市では、毎年6月19日を『対馬の日』とする条例が宣布。
400人以上の市民が参加し宣布式が催された。根拠は西暦1419年6月19日の上記の応永の外寇である。
6月19日は、『討伐軍』が馬山浦から出航した日である。
▽2008年には韓国国会議員50名による対馬島返還要求決議案が韓国国会に提出され、韓国国民の50%が支持していた。 元軍は長期戦狙いで上陸して橋頭堡築いて侵攻っていう手堅い戦略を建ててた。
ところが上陸して展開しようとしたら速攻ボコられて船に撤退。
なんとか昼間は上陸して陣地を確保しようとしたが失敗。てことで船で暮らしてたんだよな。
台風以前の問題。 そもそも鎌倉武士のキチガイを舐めてはいけない
1 自軍の背後に防壁(つまり全員討ち死に予定w)を築いて全員突撃w
2 援軍を待てと命令されたのに一切無視して勝手に全員突撃w
3 更には特に命令されないのに勝手に夜間敵船に乗り込んで元兵を大殺戮ww
こんなキチガイ相手にしたら全員死ぬわってことで真っ青で逃げ帰ったんだよw
正しい歴史は中学校できちんと教えるべきですw 今のチョンがよく
『元寇が失敗したのは俺たちが
沈むような船を作ったからだ
感謝しろ』
などと大嘘を言うが
そもそも自分たちが乗る船に
わざわざ沈むように手を抜いたなのら
超絶ドアホ以外の何物でもない。 東京は「佐賀藩」の土地が多いよ
ぶち殺した徳川から奪った土地 >>48
南宋人は徴兵されて来たって事情を鎌倉方が知ってたからじゃ?
と、モンゴリアンとチョンノイドは好き好んで攻めて来やがったから
情け無用斬首、南宋人は奴隷として御家人達に分配されたんじゃ
なかったっけ? >>42 >>52
元軍の軽騎兵は、西洋の重厚な鉄鎧兵を射殺しているのに
日本の鎧は貫通できなかったの? たとえ元が橋頭堡を築いたところで維持できないだろ
ただでさえ慣れない海上補給線しかないのに >>65
そもそもチョンが攻めてきたのに万年日本の被害者じゃないといけないから加わってない事になってるしな 日本侵攻列島侵略の空気があるって事だな
中国共産党軍は恐らく何百回となく侵攻侵略のシナリオを描いては
趣味レーションしてきたはずでそれが巷に漏れ出してるんだよ >>70
当時のモンゴルの短弓より鎌倉武士の大弓の方が飛距離があったんだよねえ。 >>70
射程が和弓の方が上で、お得意のひきうちができない。
それに海からの侵略だから後ろが無い >>69
大陸の機動力重視と島国の攻撃力防御力特化の
戦いだしな単純に相性悪かった
あの時代それなりに組織だって対抗してくる規模も大きい
戦闘民族相手じゃ無理無理 >>65
ほら 朝鮮人ってまともな思考ができないし
漢字も覚えられない馬鹿だろ
本気で沈む船を造ったんだよ
自分たちが乗ることになっているのに 純粋に距離の問題だろ
当時の技術力では、征服できるだけの海外遠征は無理だったのにやって失敗した
それだけの話だな 元軍って地上戦は強かっただろうけど海戦にはあまり長けていなかったんじゃないの?
その上、日本側の抵抗が結構手強くて地上戦を展開できるだけのキャンプ地が確保できなかったんだっけ?
そうこうしている内に狭い船内で感染性の病気が蔓延して兵士の士気が落ちた >>63
鎌倉時代の武士の野蛮さは、それ以上だよ。
砦の門を通りかかる者は敵でなくとも、面白半分で射殺すので「無闇やたらに殺すな」と幕府に怒られたり、焦土作戦の為に博多の街を焼き払うついでに略奪しまくったりしてたからな。 >>70
14世紀頃のプレートアーマーはそんな重装備じゃないよ
むき出しの部分が多いから、モンゴル弓でもなんとかなった
モンゴル弓は威力はないけど、鏃に毒を塗ってるから、甲冑射抜けば効果はある っていうかフビライの使者五人を斬首ってのが酷すぎw
返してもやらないという >>27
モンゴル兵はあまり乗ってない、そもそもモンゴル人は
海を見たことなく水が怖くて船に乗ることを嫌がったし、
馬も積めなかったこともあり朝鮮人奴隷兵がほとんど。 >>81
元寇はほとんど陸戦で海戦らしい海戦はほとんどないのだが。 >>54
5が凄いなw
避難させるんじゃなく略奪しちゃうってのが 泳げないカナズチが船で日本に来て戦争するのがそもそも失敗 関東vs東北
神奈川の相模武士・和田義盛「東北一の勇将と呼ばれた国衡を騎射で倒したけどアイツ弱かったな(笑)」
埼玉の武蔵武士・畠山重忠「いやアイツを組み伏せて首を取ったのは俺の部下だから(笑)」 坂東武士は屋敷に生首飾っておくような蛮人だからなあ 昔は防人って中華や朝鮮からの攻撃に備えて警戒してたのに、
今じゃ特亜に尻尾振ってる国会議員が大勢いるんだよな。 ほら朝鮮人、謝罪しろや
どうせ日本人には何やってもいいから謝罪なんかしなくていいと思ってんだろ?レイシスト民族 元軍は強かったよ
なんせ当時の日本は黄金の国で金がザックザク出ると思われていた
金に目のくらんだやつらばかりで士気も高い
これを防衛するのは相当難度が高かった。 >>89
焦土作戦は古来から万国共通の由緒正しき兵法です 韓国はこの件で日本に謝罪しないのかよ
先祖のした事だから知ったこっちゃないってか
元の時代に船で九州まで行ってそこで戦うとか自殺行為
戦う体力なんてあるかいな >>2
イランに払うもの払ってやれよ〜♪あちらさん物入りなんだからよ >>58
成る程。
帰国した南宋人達は、蒙古軍が日本軍に完敗して全滅、皆殺しにされた事実を周辺諸国に吹聴してまわった。
噂は時間を掛けて、全ユーラシア大陸に燎原の火の様に燃え広がって行った。
蒙古を恐れていた人々も、戦えば勝てる!と覚醒して奮い立ち、やがて蒙古滅亡に繋がった。
大型船で命カラガラ逃げ帰った、蒙古軍総司令官アラカン達が、負けイクサに、必至の緘口令を敷いたが無駄だった。
という説は有るね。 >>67
南宋の禅僧が鎌倉で北条氏の庇護を受けていたから、同情的だったらしい >>81
海戦の経験はゼロに等しかったけど
朝鮮地域を陸路で占領したことで、高麗海軍がそっくりそのまま手に入った
元軍は占領地域の兵種をうまく取り入れて大帝国を作った
(例えば中国の火薬兵器や攻城兵器など)
そして海軍を得た元軍に、高麗の国王がこういった
「元軍の中で高麗の地位をもっと上げたいので、日本を攻めましょう」 >>58
だろうな。江戸時代の鎖国前は意外と海外情勢を把握してる。
密貿易もバリバリやってるし。 >>82
対馬の住人を日干しにして食料にしてた元軍には負けるだろ。
「鎌倉武士弱い」から「鎌倉武士残虐」にプロパガンダ切り替えたようだが無駄。
どう見ても死体の手に穴開けてひもを通して吊るして日干しにしていた元軍の方が基地外
だから。 >>23
朝鮮征伐の時は耳を斬り落として持ち帰る
頭は重いからな
京都に耳塚があるわ 源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1505816832/
源氏はモンゴル人(元氏)の事だったのでは無いか?源平合戦はモンゴル人と日本人の戦いの記録だったのでは?
今の平家物語は偽書の可能性が濃厚
源氏の起源が9世紀とかいくら何でも眉唾
源氏はテムジンと共に日本に侵入した集団で元平合戦で平家(土着日本人)を滅ぼしました
歴史書は国家のプライドの塊なので都合の悪い事実はよく捏造されます。
ヌルハチとか神功皇后とかでは無くて義経伝説は本当はモンゴル侵攻の記憶です
頼朝や義経はどう考えてもモンゴル人
残酷過ぎてあれは日本人の戦い方ではありません
三宅島の神着の王葬山には蒙古王の墓という明らかに不自然な変てこな遺構があります
元寇を撃退したとか単なる威嚇だったとかならば日本に蒙古王の墓があるなんて絶対おかしいでしょう?
中国風建築の城郭遺跡が九州には異様に多いです(28ヶ所以上)
鬼の城とか言われていて誰が古代のいつ頃に築いたのか定説はありません
元寇が九州を完全制圧していたという証拠でしょう
神風なんて大嘘ですね
高松塚やキトラ(多分これもモンゴル人の古墳)を発掘して消された学者も多い
マルコ・ポーロもフビライ軍は京都まで侵攻したと記しています
天皇中心国家から急に幕府という意味不明な反乱集団が唐突(唐突という言葉も中国人の突撃という侵略者を意味する言葉とする説がある)に出現するのは不自然
実は源平合戦は元平合戦だった可能性が高いです。
たかが内戦如きで三種の神器を海に捨てたりしませんよ
日本の名家は源平藤橘と言いますがこれはモンゴル軍の元(モンゴル)、ペルシャ(コリアホワイト、高麗人)、唐(南宋)、契丹(タタール)のモンゴル人連合軍
日本は元寇によって侵略されて外国人に植民地経営され国際色豊かな他人種国家になったんです
サムライ文化は恐らくはモンゴル起源 世界の大原則 朝鮮とは組むな 朝鮮を信用するな 朝鮮は叩いてしつけろ 今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
味方の関東の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
敵部隊の右側から突っ込んだ。
敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
敵を追い崩した。
関西では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
長い間やっておらず、関東の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。
(雑兵物語) 一回目の顔見せでネタ披露しちゃったから対策されちゃったんだろ
上陸できずに機会うかがって台風来て上官だけ逃げて下は島で立て籠もって皆殺し >>88
日本も海戦はせいぜい壇之浦ぐらいしかないしな
まともなレベルで海戦能力なかっただろうね そもそも弱いから
ベトナム琉球アイヌ
いずれも元は負けている 当時の高麗人は猿並みの知能しかなかったから元としては全く使えなかった 略奪蛮行をするために力を使うものと、正義のために力を使う者の差 >>106
鎌倉武士を野蛮で強かったと言ってるのはポジティブな見方なので、残虐非道な鎌倉武士はひどいとかそういう話をしたいのではないぞ >>96
そらマルコ・ポーロとかいう中世の小保方が
エアプで「ヨーロッパに」伝えた話で
元・宋にはわりと正確に伝わってたはず 現在でも、朝鮮人の手抜きは有名だな
勝手に倒壊するビル 落ちる橋 溢れるダム >>89
よくやる戦術じゃないの
家の略奪だけでなく
相手が収穫できないように少し時期の早い農作物をみんな刈ったり焼き払ったりしてわざとダメにしたりとか ベトナムって日本と違って陸続きだったのに元寇を撃退したとかすごい
アメリカも退けたしベトナム強すぎだろ >>96
モンゴル人はほとんどいなかったよ
一次も高麗兵と女真族兵ばかり 源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]©2ch.net
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/kokusai/1505816832/2
2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2017/09/19(火) 19:29:31.43 ID:aQ+umrkB
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13175693368
天皇家は元寇の時に断絶しており今の天皇はモンゴル高麗南宋の軍団指揮官の子孫
そして日本の侍階級は元寇がその発祥
モンゴル相撲なんて日本の相撲と瓜二つだし後世の義経ジンギスカン説など日本とモンゴルの繋がりは深い
日本刀もモンゴル経由でもたらされたと考えればその性能が良いのも納得
本州日本人の平均的遺伝子は沖縄や北海道とは違って朝鮮半島人と繋がりが深いですが元寇の主力も高麗兵
京都では血塗られた地名が多いですがこれもきっとモンゴル軍の蛮行の記憶
本州人の殆どは高麗やモンゴルと混血し本州日本人の末裔は9割は元寇高麗人の子孫
義経ジンギスカン説ではジンギスカンが使っていた弓は和弓ですが元寇によって占領された事でジンギスカンの弓が日本にもたらされたと解釈する方がしっくり来ます
元寇以前の日本には侍が存在しなかった可能性が強いです。それ以前の戦士は百済人の様な格好
元寇によって打ち建てられた新王朝をの存在を隠す為に日本書紀と古事記始め日本全国の史書を改竄した可能性
南宋や高麗の文献も元によって改竄されました
モンゴル人が日本軍に負けて切腹した伝承がある地方に残されていますが、これは天皇家が切腹した伝承を後世捏造したもの
日本の侍の鎧に酷似し過ぎているモンゴル軍の鎧。
九州及び関西に中国風高麗風の城郭遺跡が多い事はどう説明するのか
日本人にこんな大規模な城郭建造は不可能だし不要
予章記には渡来騎馬民族が凄まじい侵略をしたと書いてる(残念ながらその内容は侵略者を日本人が撃退したとか
荒唐無稽で嘘ばかりな内容。本当は王朝交代した)
日本は白村江や刀伊の入寇や元寇等によって何度も王朝交代してる
有名なのは継体天皇だが彼は五世紀の越前と近江に突如出現して天皇に
騎馬民族と思えば全ての謎が解明される 上陸したらヒャッハーする所がいたのは悟空やベジータのようなスーパーサイヤ人だらけとか絶望しかないだろ ゴーン氏を警備会社が監視していた問題、産経では軽く流されてるが、内容はとんでもない話だぞ
ゴーン被告、監視中止当日に逃亡 日産手配の業者に告訴警告 産経新聞 2020.1.4 00:18
https://www.sankei.com/affairs/news/200104/afr2001040002-n1.html
>弘中惇一郎弁護士は昨年7月、ゴーン被告が同4月に保釈されて以降、保釈条件で指定された東京都内の住宅周辺を何者かに見張られたり
>外出先まで尾行されたりしていると明らかにし、「重大な人権問題」と訴えた
>24時間に近い形で続けていた行動監視
>
>同12月25日、弁護団で調べた結果、行動監視していたのは東京都内の警備会社だと判明
>警備会社を軽犯罪法違反と探偵業法違反の罪で年内に刑事告訴すると表明
>刑事告訴するとの情報を入手し、(中略)同月29日にいったん中止
24時間に近い形の行動監視、住宅周辺を何者かに見張られ、外出先まで尾行されると、被害者が監視と尾行に気づく露骨な手口
これは集団ストーカーそのもので、この監視行為は、警備会社が金銭による対価を得て、特定個人を集団ストーカーしていたという事だ
警備会社は警察署に警備業を行う申請をし、公安委員会からの許可を取る仕組みの上、調べたところ、警備会社には下記の四業務しか認められておらず
【1号警備 施設警備業務】【2号警備 交通誘導警備業務・雑踏警備業務】【3号警備 輸送警備業務】【4号警備 身辺警備業務】
特定個人の監視行為は含まれない為、警備業法違反になる
公安委員会の認可の必要な警備会社が、金銭を得て集団ストーカー行為を働くなど言語道断
他にも疑問点があり、従業員数の少ない警備会社では、特定個人の完全監視など不可能
警備会社は、防犯協会や生活安全警察、警察本部や警察署と防犯協力覚書を交わした企業、商工会等から構成される
防犯ネットワーク網と呼ばれる防犯システムを構成する主要要素の一つで、警察が同ネットワーク網に提供している警戒対象人物リストに従い
リストに掲載された特定個人への監視業務も請け負っているが、警備会社であれば、創業者や役員等に警察OBがいるのが一般的で
普段から業務の関係で警察と接点がある為、警戒対象人物リストに、特定個人の氏名を不正登録し、防犯ネットワーク網の監視対象にできる
仮に警備会社が、自社従業員の活動だけでは監視は無理だと考えて、ゴーン氏をリストに不正登録していた場合、極めて大きな問題になる
この問題は俗に『やりすぎ防犯パトロール』と呼ばれているが、手口は、尾行や監視に気づかせる事で、防犯効果を高めるというもの
ゴーン氏が受けた違法な監視行為も、手口が非常に酷似しており、ゴーン氏がやりすぎ防パトの被害に遭っていた可能性は十分ある
その場合、不正登録に協力した警察官、警察幹部は懲戒免職となり、生活安全警察にも飛び火する
謎なのは、警備会社は最初から裏メニューとして、対価を得て特定個人への集団ストーカー行為を働く業を行っていたわけで
警備業法にない違法行為と認識してる以上、ゴーン氏に刑事告訴すると表明されたくらいで、いきなり監視を解いているのが解せない
これは、明るみになると困る何かをしていた為に、その何かを隠蔽する為に、この問題の露呈を恐れた為ではなかったのか?
例えば、ゴーン氏を警戒対象人物リストに不正登録し、防犯ネットワーク網に監視させて、警察車両や緊急車両による付き纏いや
警部補達(警視庁生活安全部所属)が住民や店舗従業員らに防犯協力と称し嫌がらせ行為を働くよう依頼をして回らせて
(防犯協力の内容はネットで出回っているが、あれらはただの嫌がらせでなく、恐らく研究機関が心理学を応用して作った精神的虐待を加える拷問)
ゴーン氏に対し、警視庁生活安全部が強力に関与する形で、精神的虐待行為=拷問行為が行われていたのではないか
問題の露呈により、生活安全警察による市民虐待、拷問行為も露呈し、生活安全警察が世間から猛烈な非難を浴びる事を恐れた為ではないか?
集団ストーカー行為は、被害者側は、精神的苦痛から自殺し易い状況に置かれ、執拗な付き纏いによる精神的苦痛から鬱病等を発症する事もあり
常時監視を長期間に渡って受け続けたゴーン氏の精神的苦痛は計り知れない
警備会社の違法な監視行為による人権侵害が、ゴーン氏が国外逃亡する原因だった可能性すらある
この問題はかなり深い闇が見えるので、真相究明の為に、この情報の拡散を希望する rx >>122
まあね、実際都市部は物資の集積地でもあるので、敵に取られるよりかは先に取るのは当然だよねって
南北朝時代の戦争も都市部に沿って行われるのも物資の収拾の為もあるし 鎌倉武士は元寇が待ち遠しいぐらいで
来たらヒャッハー大暴れでブチ殺したるぜwとか
敵兵殺して恩賞が貰える超ラッキーwとか
俺が死んだら武門の誉れ、これで恩賞ゲットだぜw
と思ってるわけだよ
こんなに戦争大好きなヤカラは世界中探しても滅多にいない
日本に目をつけたフビライが馬鹿だったとしか言いようがない
ちなみに二度も大損害出して元の滅亡に繋がった
これ以後中韓は悪鬼の如き日本には手出ししなくなったw 源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]©2ch.net
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4 :名無しさん@お腹いっぱい。[] :2017/09/19(火) 20:19:00.03 ID:aQ+umrkB
http://green.ap.teacup.com/sawanoi/229.html
私が生まれ育った津軽地方の子守り唄に、「寝ねば山からモッコが来る」というのがあります。
早く寝ないと山から怖いものがやって来るという恐怖型の子守唄です。
「モッコ」とは何でしょうか?祖父の説明によれば、「モッコ」とは「蒙古(モウコ)」とのことでした。
十三世紀の日本を2度襲った蒙古襲来・元寇が、津軽では七百年後の現代まで恐怖の記憶として
子守り唄の中に語り継がれているというのです。
今にして思えばこの「モッコ=蒙古」説には2つの大きな疑問が残ります。
疑問点その1 元寇は海から船で攻めてきたはずなのに、なぜ「モッコ」は山から来るのか?
疑問点その2 元寇は対馬や壱岐、九州に襲来したはずなのに、なぜ数百キロも離れた津軽地方で
七百年後の現代まで恐怖の記憶として語り継がれているのか?
疑問を解く鍵は、どうやら津軽の知られざる歴史にありそうです。
歴史上よく知られる元寇は文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2つですが、実は文永の役の10年前、
北海道の北に位置する樺太へも蒙古軍侵攻がありました。知られざる「北の元寇」です。大シンアンリン山脈
(大興安嶺)を超えて、1234年に金帝国を滅亡させた蒙古軍が、さらに小シンアンリン山脈(小興安嶺)や
シホテアリニ山脈を越えて樺太まで攻め込んできたことになります。まさに「山からモッコが来た」わけです。
当時、津軽を本拠地とする蝦夷管領安東氏は樺太周辺まで支配していたとの説がありますから、「山から来た
モッコ」である大モンゴル帝国軍と直接対峙していた可能性があります。
さらに、もう1つ別の説に思い至りました。津軽には「つしま」姓が非常に多いのです。対馬、對馬、津島、津嶋
などです。小中学校および高校時代、私の同級生にもたくさんいましたし、津軽出身の小説家太宰治の本名
も津島です。2度の元寇にあった対馬から津軽は数百キロ離れているとはいえ、対馬海流に乗れば考える
ほど遠い距離ではありません。蒙古軍の侵攻を知った島民の一部が島を脱出して日本海伝いに津軽に避難し、
移住後に故郷を偲び「つしま」姓を名乗るようになったとの説です。脱出時の恐怖体験を対馬出身者の子孫が
子守り唄として代々語り継いでいるのかも知れません。 👀 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63) >>1
オイオイ、中国人も侵略に関わっているし、植民の為の民間人も中国人だろうが。
この民間人は、被害者として日本は受け入れました。 >>123
中国に負けたりもしててあれだけど、天然の要害だから、なんも知らん奴は攻略不可な立地よな >>85
誤解してる奴が過去スレでも何人もいたけど、
一度目の元寇後の使者らだからなそれ
先に元の方が侵略してる
元寇前は殺してないし帰してる
>>41 >>56
今連載中の博多編に出てくるよ
蒙古襲来絵詞の竹崎季長も登場した
丁度教科書によく載ってるあの場面のあたり 実際の軍勢は何人くらいだったのだろうか?
20万人とかいう数字が本当ならば
あの時代に海を越えてそれだけの人数を派兵しただけでも偉業といえるのでは >>119
そもそもイタリアに帰ってから戦争捕虜になって暇だったから書いたのが
東方見聞録だからな
正確な記憶なんてなくて当たり前
ヨーロッパでは、それすら最新情報だっただけで >>120
軍艦の進水式でそのまま沈没なんて事件もあった。
後、海兵のくせに半数がカナズチで泳げないw
昔はもっと酷い状況だったと想像できる。 >>113
小舟で乗り付けて斬りまくりだったらしい 源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]©2ch.net
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7 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage] :2017/09/19(火) 21:13:37.08 ID:o1Aht3yp
http://www.tanken.com/yositune.html
明治11年、北海道を調査旅行したシーボルトの次男が『蝦夷見聞記』に詳細を記録しています。
●韃靼の海岸に漂着し、1703年に帰国した日本人が、北京の朝廷で義経の肖像を見たというが、それはチンギス・ハンの肖像画だった
●中国の史書には、1189年、テムジンが「汗(ハン/カン)」に承認され、チンギス・ハンとして白い旗を掲げたとある。
白い旗は源氏の象徴だ し、「カン」は日本語の「守(かみ)」からきたものだ
●テムジンと義経は同い年である
●モンゴル帝国の風習は和風のものが多く、また、日本風の長い弓矢が初めて使われはじめた
「義経=チンギス・ハーン説」を定説に変えたのが、大正13年(1924)に大ベストセラーとなった小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』です。
ある日、小谷部はモンゴルでラマ教の高僧に出会い、「『源義経汗』を発音してみよ」と頼みます。
すると、高僧は日本風の「ゲン・ギ・ケイ・カン」ではなく「チン・キ・セー・ハン」と発音したのです。
まさに「チンギス・ハーン」と聞こえます。
小谷部は、探検家としてもっとも奇異に感じたことを、『成吉思汗ハ源義経也』にこう記しています。
《東部西比利亜(シベリア)、及び満洲等を旅行して、彼(かの)地に日本式の古き神社の在(あ)ること、
及び笹竜胆(ささりんどう=源氏の家紋) の紋章を用い居ると、かつ満洲人に姓を源と名乗る者の多きを賭聞する》
この本には、ほかに
●ジンギスカンとなった「テムジン」は「ニロン」族の出身だが、これは「日本」族の「天神」のなまりである
●チンギス・ハーンは別名「クロー」と称したが、これは「九郎判官」である
●モンゴル帝国の「元」は「源」から来ている
●モンゴル文字に平仮名からヒントを得たとしか考えられない文字が存在する
●相撲、乗馬、緑茶、服など共通の文化が数多い
などなど、多くの傍証が記されています。
実は、幕末から明治時代にかけては、「義経はモンゴル帝国を作った」ではなく、「義経は清朝を作った」という話が信じられていたのです。 京都兵wwwww
『御堂関白記』
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。依りて的を打たしむと云々。射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如しwwwww」
『山槐記』
「宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走wwwww」
『吉記』
「於子越宿館失火出来、扈従者中、坂東輩等放火云々、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了wwwww」
『吾妻鏡』
「所集于富士沼之水鳥等群立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒wwwww」
『愚管抄』
「宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。サテイケドリニセラレヌwwwww」
『吉田定房奏状』
「戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんやwwwww」 日本は裏切り者が出なかったのがよかったな
鎌倉(北条氏)に不満がある御家人が多かったとはいえさすがにモンゴルや朝鮮に親しみを覚えるやつは皆無だったと >>130
元寇過ぎたあたりからわりと厭戦気分強くなってくるよ
元寇辺りから遺書を残す傾向が増えたみたいだし(それまではあまりなかったらしい) 在り来たりだけど、船で長期かけて来た時点でかなり疲弊してたし、
元からすると敵地だし、日本側は背後に幾ら増援があるか判らんし 源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]©2ch.net
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8 :名無しさん@お腹いっぱい。[] :2017/09/19(火) 21:29:09.95 ID:0UeHLfNj
http://electronic-journal.seesaa.net/article/5940903.html
「源義経=清朝先祖説」というのがあります。
『清国総録』という本があります。英国の公使をしていたデビスという人が書いた本です。この本に次のようなことが書いてあるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
成吉思汗の孫、忽必烈(フビライ)の子孫は、明朝のために放逐されて、蒙古の故地及び満州にのがれ、
長の娘と婚して、諸公子を産んだ。彼らは朔地に割拠して勢威をふるい、後に大挙して明朝を滅ぼし、
国を清と号した。清帝を成吉思汗の孫、忽必烈の後裔とするのは、けだし、このためである。
――デビス著、『清国総録』より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さて、天明3年(1783年)に成立したという『国学忘貝』という本があります。編者は森長見という人です。
この書物の中に次の驚くべき記述があるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
清王朝の編纂による『古今図書集成』一万巻中に『図書輯勘』一三○巻がある。清国皇帝は自身で序文を記し、
『朕は源義経の末裔である。義経が清和源氏の流れをくむため、清和天皇の名をとって国号を≪清≫とした』
と述べている。私は或る儒者の書物を見てこのことを知った。
――森長見編、『国学忘貝』より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
自分は源義経の末裔であり、そのため「清」という国名は清和源氏の「清」をとったものであるということを
皇帝自身の筆で書いているとすれば大変なことです。
確かに、かつて北京の宮殿に「和」という字がついたものが多いということがあったのです。
大和殿、保和殿、中和殿、雍和宮、協和門などです。
清朝時代には、日本のことを「和」と呼んでいたのです。
そのため中華民国が誕生したとき、袁世凱大総統はその名前を書きかえるのに苦労したと伝えられています。
大和殿は承運殿、保和殿は建極殿、中和殿は体元殿、協和門は経文門というようです。 >>114
陸続きで元軍を撃退したベトナムこそ
最も評価されるべき。
そういえばアメリカも >>143
まあ、天皇がNOって言ったのもあるので、そもそもモンゴル側につくという選択肢が無かった模様
あと面白いことに、元寇以降、幕府の権力がより強くなってそれに対して武士団がかなり指示してるんだよね >>148
ベトナムは1000年以上中国に負けてないんだよな >>106
なんか変な捉えられ方しとるけど、特亜が大嫌いな俺が、なんでそんな言われ方せにゃならんの? >中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による…
元は中国じゃねーだろww 源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]©2ch.net
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30 :名無しさん@お腹いっぱい。[] :2017/10/03(火) 15:17:09.62 ID:IDXQ7PQ4
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14177049799
neozengakurenさん2017/7/2323:12:57
東方見聞録では三万の元軍が降伏し日本に帰化したとあるが事実か?
東方見聞録には三万の元寇軍が京都に船で押し寄せ籠城し助命と引き換えに降伏したとあります。1268年の出来事です。
日本側の記録とは明確に年代に齟齬がありますね。
日本と明がどれ程の焚書をしたかが分かります。
マルコ・ポーロが嘘をつく理由はありませんが、明の朱元璋や朝廷は文字の獄という言論弾圧を行う位の連中です。
元寇が全滅したというのは嘘で元寇軍の大部分が生き残り、その子孫が源氏を名乗ったのでは無いか?
源氏が新羅明神を信仰する理由は元寇の南宋や高麗の子孫だからでは?
その証拠に三宅島の神着には蒙古王の墓があります。
eigatepuzzleさん2017-07-24 10:50:33
マルコは続けて、クブライがチパングを征服しようとして、1269年(1264年、1268年、1279年などとする本もある)
にマンジの大都市ザイトゥン(泉州)とキンサイ(杭州)から艦隊を派遣したが、その艦隊は暴風雨のために壊滅
したこと、そしてその際、三万人の兵士がある小島に取り残されたことを述べている。この兵士たちは、油断した
チパングの王たちが船で島に渡ってきたのを見計らって、船を奪ってチパング本島に上陸し、その首都を占領
してしまう。それと気付いたチパング王は本国に戻り、自国の首都を包囲する羽目になる。モンゴル軍は
七ヶ月間にわたって首都に籠城したものの、ことの次第をクブライに伝える方法が見つからず、ついに、一生
チパングの島を出ないという条件でチパング側に降伏したという >>144
意外にアジアでは通用しなかったんだね
面白いなあ >>153
中国とカウントすることもある。
これが漢化の怖いところで、征服した民族は染まっちゃうんだよね中国に… 元に負けてたら俺らもパンストかぶったみたいな顔になってたわけか
本当良かったわ モンゴルって
学校で習った頃は
ユニークユニットが強すぎてその性能で大した策もなくゴリ押しで敵国を蹂躙してったと思ってたんだが
モヒの戦いとかホラズムシャー朝征服とか
緻密な作戦で勝つべくして勝ってる
日本戦だけ杜撰すぎるんだよな
まぁ向こうに知能面でも精鋭を送り込んでただろうけどさ >>153
いやいやフビライはオジサンたち(モンゴル帝国)にハブられて独力で大理を制圧してるので
立派な中国王朝ですよ お国柄が騎馬民族って印象だけど、造船・操船技術はどの程度だったの? >>152
思い通りにいかないのが5ちゃんってものなのさ 元は蒙古族だから中国の漢民族とは違うだろ
まあ遺伝子的にはどちらもY染色体O系統の新モンゴロイド系だけどな >>119
マルコポーロの話はエアプ乙だけど、
宋人とは貿易してたし日本に来ることもあったから
金が出ることが「正確に」伝わって広まってた可能性はある
目当てのものは硫黄って説もあるけど >>148
元軍は大きく開けた場所でないと力を発揮できないタイプだから
ベトナムなんて一番苦手なところ
暑いのも嫌いだし 源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]©2ch.net
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/kokusai/1505816832/31
31 :名無しさん@お腹いっぱい。[] :2017/10/03(火) 15:23:10.29 ID:IDXQ7PQ4
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12177553012
neozengakurenさん2017/8/412:25:49
日本は元寇にどうやって勝ったのか?本当は負けたのでは?九州は何度も大陸植民地になってますよね?
白村江や刀伊の入寇で何度も日本は大陸に負けています。神風は日本と明のついた大嘘で実は日本の大敗北。
モンゴル人大将が南朝天皇家の祖先となりそれを守る南宋人が源氏(元氏)の祖先となった。
日本語の大将はモンゴル語のタイショーが語源。
平家落武者は元寇に追いやられたペルシャ系日本先住民。
違うというなら4000艘の軍船を足止めする具体的方法を教えて欲しい。
それから博多で足止めしたとかいうインチキ説は結構です。
rairaichinaさん 2017/8/415:55:09
モンゴルが領土拡大していく中で、元寇の戦闘の様に実際に激戦を
行った事例は少なくて、モンゴル軍が侵攻する段階で既に相手国は
降伏していたケースが圧倒的であった事が明らかになっています。
そしてその九州襲来も神風(台風)で鎌倉幕府軍が歴史的な
逆転をしたというのは後世の脚色によるものであったとの
説が有力になってきています。
neozengakurenさん2017-08-04 12:41:22
( ゚艸゚)・;'.、ブッたまげww
嵐で全ての船が大破したの?
源平合戦は元寇の記録を元に捏造したんだよ!
モンゴル軍はジャワ侵攻で何度も海戦に勝ってる!
日本に差し向けられたのはその中でも最大の艦隊!
neozengakurenさん2017-08-04 12:58:39
東方見聞録では日本の船を奪って京都に侵攻したとあるが?
何で日本側の資料ばかりを信じるのか?
neozengakurenさん2017-08-04 13:25:51
第三者の歴史書の方が客観性があります!マルコポーロが嘘つく理由は無いです!
元を滅ぼした明の記録は信用できないし元に征服された日本の記録は論外です。
neozengakurenさん2017-08-04 13:50:18
元を滅ぼした明の記録は信用できないし元に征服された日本の記録は論外です。
古事記とかも大嘘ばかりでしょう! チンギス・ハーンがチート過ぎた
ハーン率いたモンゴル軍に比べれば
元軍は劣化しているだろうな >>145
まあ防衛戦って戦利品あんまないしな
大多数の雑兵なんてたいしたもん持ってないし
仕返しに略奪(元寇)しにいかないと割に合わない まあ、地方軍の一つみたいなもんだからね
日本は半分総力戦みたいなもんだったことを考えれば、そんなもんじゃないかね >>105
鎖国なんてないぞ。江戸時代だって貿易はしてる。今の制限貿易と変わらない。 >>156
モンゴル軍は強かったよ
ベトナム、インド、台湾に攻めいったのは元軍でもモンゴル兵では無い 恒久的な全土征服を目指してたから近場の北九州から
攻めたんだろうが、スルーして瀬戸内海から摂津辺りに
上陸して京に攻め上ってたらどうなってたかな。
途中で水軍のゲリラ戦で結局ボロボロになった可能性も
大だけど。 >>167
マルコポーロの話は元寇についてもエアプ乙で
元や高麗の記録とも違ってる
京都制圧したなんてどちらの歴史書にも書いてない 源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ [無断転載禁止]©2ch.net
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/kokusai/1505816832/33
33 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage] :2017/10/03(火) 15:54:41.62 ID:IDXQ7PQ4
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11176839761
質問した人からのコメント2017/7/23 22:38:46
東方見聞録には1268年に京都が三万の元寇に占領され日本に帰化する事を条件に降伏したとあります。
冷静に考えればこれこそが鎌倉幕府の始まりでしょう。 >>173
無理だね。
瀬戸内海には倭寇がウジャウジャいるんだから 台風来るまで上陸進軍食い止めたことは、もっと褒められるべきだよな。 主力に朝鮮の兵を使ったんだっけ?
で、やる気なくて反撃食らって逃げたのが正解
元の失敗は自軍を温存して朝鮮人を主力にした事。 やあやあわれこそは的自虐史観が根強いけど
武士は強かったみたいだな
誰が触れ回った自虐史観か分からんけど >>162
いや、お前が素直に「誤解だった」といえば済むんじゃね?
2ちゃんではいくらでもあった事。 ID:mn+L4lKE0 [8回目]
長々と貼ってるけど、元や高麗の歴史書の記録と矛盾ばかりだよ
大体弘安の役の後ですら日本遠征が準備されてたり
日本へ使者が送られてそのまま帰ってこなかったり(寺の住職になった)してるのに
征服されてたならそんなことするわけがないだろうに >>183
そんなに恩賞だせないの
わかってあげて >>176
ローマ、ノルウェー、スウェーデンなど海を渡って侵略してるよ 倭寇の絵見ると防具つけないで肌着だけで槍もってつついてるけどなんか可愛いよね
わちゃわちゃしてて雄たけびが聞こえてきそう >>114 >>123
あれ?
川を使わなかったっけ
川底に杭を打ち込んでおいて、満潮と干潮をうまくつかい
干潮時に元軍の船が杭で動けなくなったところを軽船で襲って糧船船団を焼き尽くした
地形と潮を熟知した地の利だね >>173
瀬戸内海は世界有数の難所なので、地元の人でもなければまともに船を動かせないから
今でも水難事故が多発する地域なので当時で大軍団は無理かなぁーと、もちろん海賊どもがハッスルするのもあるけど >>171
ここ最近は鎖国なんて無かったとかいうヨタ話が流行ってるけど
「鎖国」の定義をいじるだけの言葉遊び
日本人は外に出て行けないんだから立派な鎖国だよ モンゴルって結構負けてるんだよな
日本、ベトナム、マムルーク まぁスカパーのドキュメンタリーchでの、世界最強の弓矢と言う番組で、各国比較で日本の和弓が圧勝していたもんね。
2位が英国の長弓。
両方とも複合材のコンポジットボウだけど、和弓は世界に例のない、上と下の長さが違う異形の形態。
是が馬上では下が短いので、蒙古の半弓の様に扱えて、実際はデッカイ英国の長弓の様な威力の弓。
更に操作方法も独特で、引いた右手が、耳のはるか後方にまで引き絞り引きしろがデッカイ。
是に長くて重い矢に、日本刀並みの切れ味の矢じりが装着されて、正に防御不能の無敵状態。
照準器の類が皆無のベアボウだけど、集団戦で打ちかけられたら、鎧も貫通されて防御不能だそうだ。 >>123
違うよ。ベトナムへは馬では行けないので北九州と同じく船で行ってる
バクダンの戦いで元寇は満潮のときに攻め入って干潮で動けなくなり袋叩きにあった
潮の満ち引きを計算してないまるで海の素人のような失態で自滅した >>191
瀬戸内海は海流が複雑とか聞いたな
流れを知らない人が船を操っても先に進まないとか 日本は、世界でも有数の自然災害大国で
色々な意味で、それが侵略を防いできた 昔の教科書と大違いでビックリしてるオジサンが多いな
現在は元側文献の研究が進み一回目は陸戦で死者多数により撤退
二回目も陸戦で日本側の大勝により撤退と結論されている
元や高麗がわざわざ嘘を書く理由もないのである
神風とかてつはうとかは後世の付け足しや憶測であり
実際には、鎌倉武士の武装(弓、刀の威力)や死を恐れぬ集団襲撃が、大変有効で
元側が恐れ惑ってとっとと逃げ帰っているのです
まさに元側から見れば日本は鬼が住む国に見えたでしょね 僑頭堡も築けず、根拠地となる都市も占領出来ないんだから
元軍が普通に弱いんでしょ?
日本って意外と強いんだよな >>89
近代なるまで軍隊はそういうもの
補給なんか無いから、全部現地調達 >>183
やあやあわれこそはは別にやってないわけじゃないのがポイントw
そうやって悪目立ちして暴れまくった武士もいるので… >>22
疫病神に失礼、アレは死神を超えたナニか。
少なくとも邪神の眷属に類されるモノ。 >>182
やる気がなかったのは元南宋兵
半島兵は対馬で暴れまくってたよ 九州本土に上陸拠点を築けず海に追い返されたのが全て >>197
ほんそれw 自分は長文ウザイから、さっさとNGにしたwww >>195
ベネチアとかもそうだけど杭打って足止め出来るようにしてあるしな
当然自分たちは安全に通れるルート把握してる 元寇における武士の働きなんてたいしたことねえよ、という史観は、
戦前の皇国史観の淵源たる南朝史観がその元だろう。
まあ、さらにその淵源は、公家や寺社が、帝のご威光とか、
自分たちの祈りのおかげという建武期前後のプロパガンダに由来するが。
戦後になって、古代国家と決別した新時代を担った「武士」という像が出て、
武士の働きが大きくクローズアップされたともいえるだろう。 >>202
あれは恩賞もらうために証人になってもらう為でしょ
名乗りってのは味方に向けてするもの >>29
孫権の呉が奴隷奪おうとして失敗したという話もあるな まあ俺も戦ったから覚えてるけど なかなかあいつら手ごわかったわ。 日本の武士の力を見誤ったのが敗因だろ
あと親族級の司令官は誰も来てなかった
ゆえに九州御家人だけでも追い払えた >>213
うん、とはいえそういう武士もいて勇士として残ってるから誤解されるわけなんだけどね… 東北人にはかんけーねー話だなw
つか日本の歴史の9割が東北とは無関係に動いててむかつくわw
東北中心の日本史を書くべき
そうすりゃ東北の子供も歴史に興味持つ 日本の武士の中には妖怪がまぎれこんでたからな。まあ俺のことだが、
天狗のようなのがたまにまぎれこんでて、6メートルくらい日本の侍は空飛べたりするからな
モンゴル兵といえどもわれら日本妖怪の敵ではないッ! >>155
天皇がわざわざ海の先の小島に様子を見にいくはずがないだろうに
文永の役のことだったら
弘安の役で10万の兵士が取り残された鷹島は九州だよ
油断してるからって京都から九州まで天皇が見にいくと?
仮に誰かかに見に来た船を奪ったとして、
三万人の兵士が載れるほどの軍勢でやってきたならそれ油断してないし
当然その軍勢と取り残された兵士とで戦闘になる
なろうでも書かないってそんな無理矢理展開
しかも「ことの次第をクブライに伝える方法が見つからず」も何も、
弘安の役で捕虜になった元軍の兵士は一部脱走して帰国して
台風の後に鷹島に取り残されたことと、
そこに日本軍がやってきて掃討戦が行われ、
2、3万人が捕虜になって連れていかれ他は尽く殺され、
またその捕虜も南宋人は助命されたが他は殺された、と伝えて
自分たちを置き去りにした将軍たちを告発してる モンゴルは対宋戦で攻城兵器の研究開発をめっちゃしてるんだよね。
それで中央アジア〜ヨーロッパ、中東の城砦を落としては更地にしてる。
遊牧民には城も砦も要らんから代わりに駅舎を整備して高速通信と輸送網を作る
ただこれらは日本の遠征にははなんの役にも立たんな >>220
阿弖流為の反乱とか前九年・三年の役とか武士の形成に関わる大きなイベントがあったぞ。
そう悲観するべからず。 >>218
武士も仕事だからな
一族のため自分の為に犬死やタダ働きはゴメンだからね
今私勇敢にも真っ先に敵に突っ込みましたよ皆さん!ってアピールよ
見て見て敵の偉いっぽい奴やったの私ですよ聞いて聞いて証言してねっていうね
★★元寇の本当の歴史★★
《元寇》(※鎌倉武士をわかりやすく日本軍とあえて表記)
文永の役(1274年11月11日〜26日)※つまり台風は来ていない
元軍:約900隻で約30,000〜40,000人
・博多の早良郡(さわらぐん)に上陸
・最初は日本軍は苦戦してたが、すぐに元軍の戦い方を理解し、さらに弓の威力が違うし防具も違う事から、元軍が徐々に劣勢に
(モンゴル弓は日本弓の威力の6割程度で日本の甲冑を射抜けなかった)
・日本軍は「騎兵は結束す、人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れず」と書かれてることから、元軍がビビり始める
・日本軍は赤坂および鳥飼潟の戦いといった会戦が始まると、元軍に損害を与え、敗走させる
・更に船に夜襲を仕掛け、しかも曲刀の日本刀は船上での合戦に威力を発揮
・更に日増しに日本軍の援軍が到着し始めた為、元軍は本陣を組めずに結局撤退
(元軍不帰還者:13,500人余り)
弘安の役(1281年6月16日〜8月29日)(※1276年に南宋滅亡で南宋も加わる)
元軍:約4400隻で約150,000人(東路軍:5万人・江南軍:10万人)
・20キロの防塁を築き、日本にまともに上陸する事すらできない
・東路軍は仕方なく志賀島で江南軍を待とうとする
・しかし日本軍の夜襲を受け壱岐島に後退
・6月29日、日本軍が壱岐島に総攻撃を仕掛ける
・江南軍が平戸に到着したため東路軍もなんとかそっちに合流
・7月27日、鷹島の沖合で両軍激突
・鷹島に停泊する元軍を日本軍が徹底的に攻撃する(元軍は為す術なく防戦一方)※この時点でもうすでに勝敗は決まってた
・その後台風が来て元軍は更に被害を受ける
・これで元軍は敗走するが、鷹島に残った元軍2〜3万を捕虜にする(しかし捕虜の南宋人以外のモンゴル人、高麗人、漢人は処刑)
・半島に帰還できた元軍は1割〜4割程度で元軍の海軍勢力の2/3を失う
(元軍不帰還者:84,000〜140,000余り)
・しかも日本軍は東国から援軍が続々と出陣していたが、援軍が来る前に決着をつけてしまったw
サムライ
だいたい刀持って街歩いてるて怖すぎ
しかもちょんまげw
糞だせえww 別スレもあったけど鎌倉時代の刀は今に製法が伝わってる日本刀とはデキが違ったらしいからなあ
恐ろしいわ 西からヒトラーが攻めたからだろ?
あれ、ナポレオンだったか?? 日本最強の妖怪=日本の忍びなんだが、まあ非常時にはサムライの恰好で敵を切りまくる。
俺があのときはモンゴル兵を3000倒したからな。西欧にエルフがいて一切弓にあたらず一騎当千の働きをするように
この島はわれら日本妖怪がいるかぎり守備は万全 武士が台風が余計なことしやがって、
刀の斬れ味が試せなかったじゃねーかと
言ってるんだよね。
強がりかも知れないけど好きだ。 >>220
日本史の中心になったことないから書きようがないでしょ
朝廷に下ったのも遅いし土地は貧しいから文化も寂しいし今でも異民族の土地みたいなもんだよ >>220
日本は東北の金を宋に輸出して、銅銭を輸入してた
黄金の国ジパングは平泉
世界史的な意味がある 20万人繰り出して絶対上陸して橋頭保を築く意気込みで来たけど、結局船を拠点にしてたんだから、武士のほうが強かったって事だろ。 こんな感じで運よく勝っただけなのを実力と勘違いしたあげくが
アメリカとの戦争だからな
ほんと愚かだよ日本人は >日本が元寇を退けることができた重要な要因の1つに「神風」が挙げられるが
この辺絶対盛ってるだろw 何で日本に攻めてきたんだろうな
これといった旨味も無いのに
攻めるのにも船必要でコストが掛かりすぎる 貧弱な兵站に朝鮮兵が主力じゃ日本に勝てるわけがない >>241
まだあのころは渤海国があったからな 平安時代はあったかかったんだよ。
マラリアとかが京でも発生してた。俺いきてたからしってるんだわ 元軍には朝鮮人がいましてね
法則発動してたんですよ >>233
そもそもからして、材料が違う
玉鋼前の鉄はようわかってないらしいけど中国からの輸入とか、そういうのもあるし
今の日本刀は江戸時代に製法が確立した玉鋼で作った刀しか、日本刀として認められないので
形だけは一緒だけど中身は別物だし、よく日本刀がすごいと言われる何層にもわたる折り返しも鎌倉〜室町時代の刀にはないというしな 荷下ろしして陸上を拠点にするだけの確信を持てる戦いをできなかったんだろ。
だから船を拠点にしていつでも逃げられる戦い方をした。 >>240
そりゃ大和朝廷とか西の連中の価値観だろw
自分が歴史に興味ないのは自分の土地がほぼ出てこないからだと思うわw
京都住んでる連中はたぶん歴史がめちゃ身近なんだろうな こういうの見るたびに思う、外国人はバカなんだろうか、いやまじで。
なんでもwhy?why?why??でしょ?小学生のガキみたいに?
自分で徹底的に客観的事実を調べようって意思がまるで感じられない。
そういえば、日本人と外国人の一番の大きな違いが
旅先でも買い物でも日本人は、他人に道を聞かず自力で調べようとする傾向が
一番強く、外国人のほとんどがすぐに他人に聞く、他人を利用しようとする、とのことだった。
たしかに日本人は子供の頃から自分のことは自分でやるような社会で育った。
治安も良いので、子供のうちから1人で考え、自律的に行動ができる。 >>245
太平洋渡って米国と戦争になったときに日本列島を前線防衛拠点にできる 陸軍国家としては無敵だったけど、海軍国家では無かったと言う事か まずモチベーションが違ったんだろ
命かけて戦っても報償もなければそんなもんさ 俺らこいつらわらってらんねーぞ
秀吉さんの朝鮮出兵
とってもおろかな行為だろ? >>256
だよな、旅先で斥候出すのは基本だよな。 チョンに騙されたんだよ。
そうやってあいつらの扱い方を学ぶのさ。 >>248
モンゴルが彼らを海に捨てるための
戦争だった説もあるよね。怖いわ。 ところでなんで文革は失敗したの?中共が愚かだったの? >>199
うん、日本側がかなり対策たてて迎え撃ったってどっかで見たわ
日本人に誇りを持たれたら困る左派教育界はこの事実認めたくないだろうけど >>245
女だよ 欲しかったのは チンギスハーンとか人妻ハンターだったからな
各国の美女をレイプしてはらますのが趣味だった。 >>250
日本刀は大陸の鋼鉄と日本の軟鉄を幾重にも折り返して繊維の様にしてるから折れにくいんだよな
鋼鉄だけだとすぐ折れる
それに鎌倉時代にはすでに曲刀になってたので、狭い船上でも大活躍 >>245
対南宋の一環
外交で済ませようとした元だけど
鎌倉幕府が特使の首はねた
元が怒って戦争 高麗の李自強は、元が乗り気じゃないのにしつこく日本攻略を言い続けた話は有名だぜ
やる気満々だろうが 実は神風は後世の後付けだというのが定説
神仏を敬うのに利用され明治以降は天皇の神格化に利用された 宗主国のくせにとぼけんじゃねえ
Kの国の法則だろが モンゴルお得意の情報戦は全く通用しなかったからな
「悪魔のようなモンゴル兵が来るぞ!お前ら抵抗したら皆殺しな!」
中央アジア以西「ヤベ、さっさと降参したほうがよさそうだわ」
日本「ワシが男塾塾長、江田島平八である!」 >>23
首狩り族って表現は凄いなw
でもまあ確かにそうだw >>12
1回目の元寇は上陸して結構荒らされてる
多国籍軍だから統率とれなくて略奪を優先したから拠点作りなんて概念無かったんだろう
補給も現地調達で兵糧も不足してた >>261
あれはこっちが一方的に蹂躙しただけだろ
こっちの武将は殆ど死んでないし李舜臣の活躍とか殆ど嘘だからな 元寇って今なら海兵隊の仕事だべ?
陸軍国家が朝鮮人に海兵隊の真似事をさせる
そりゃ無理筋。 >>258
さすが元やで戦略拠点の確保が目的とは
ってアメリカ大陸発見されてないやろ >>273
鎌倉の高僧が、南宋出身だもん
元に対して厳しく当たれと言ってると思うわ >>267
江戸時代に日本訪れた西洋人は日本の文化が進んでる事に驚いたんだよ
ただし一点だけ分からないのがちょんまげだったらしい
なんであんな変な髪型してるんだとw まあ モンゴル自慢の3万匹の神の犬もつれてこなかったしな。あれいるとやばいんだわ
俺ら日本妖怪も ライオンたおすっていわれるヤバい犬だからな >>282
日蓮は元襲来をそれで予言しちゃったわけだが
弟子の手紙に書いている しかし、北条一族、特に前半は、政治力・決断力含め傑物ぞろいだ。
義時、泰時、時頼、時宗は日本史全体で見ても相当なものだ。 でも高麗って朝鮮民族じゃないんでしょ?
高句麗と高麗って違うんだっけ?
検索する気も起きない >>275
あれ神風自体はあったと考古学的調査からは明らかじゃなかったか
確か多数の沈没船が見つかったと >>273
それデタラメ
鎌倉幕府が戦争の前に使節の首刎ねたことなんか一度もない
使者の首刎ねたことがないのに、なんで首刎ねたことに怒って戦争になるの
ありもない事実に怒ったってことになるよ >>291
撤退した後の追いうちってのが最近の見立て。 元寇に関しては、かなり時代時代の権力者による改ざんがあると思うんだよね
だから日本人で詳しい人たちにおいても、まだ謎というか、疑問点ってあるはず
当時の神社の記録とかは参考になるかも
実家の前に鹿島神宮があるんだが、鹿島立ちをもしたお祭りがあって
それは国難である元寇において、日本各地から、第二次世界大戦の時の
赤紙のように徴兵されて、国を守るために若者が集められて
ふるさとを立ったという生きた記録。 >>531
エベンキは縄文人の祖先でロシアの先住民族でロシア人
日本では縄文人の祖先の記述はない
朝鮮人はウルチ族で日本政府の陰謀によりられエベンキとすり替えられ
プーチンがそれを知らないはずがない
高句麗人は朝鮮人ではない ロシアの冬将軍といっしょ
あの時期に暴風雨が来ることは分かってたんだから
そこまで本格上陸を許さずに粘れば勝てるとみてたんでしょ
それだけのお話 高麗人に騙されたんだろうな
潜入→ひっくり返す、が半島人のお家芸ですからね >>254
義務教育で教科書に出てくる東北のイベント少ないからな
アテルイと平泉くらいか
伊達政宗は、教科書出ないっけ?
まあそこらへんから調べれば色々あるでしょ
まあ中心にはならないけど 神風というならミッドウェー海戦前に米国空母が沈没してないとな >>288
しかも結構な数の執権に過労死疑惑がw
皆若く死にすぎ… >>285
月代剃ってるのはいつでも臨戦態勢の証だったんだっけ?
のちにファッション化したけどw戦闘民族の名残よ
ちなみに力士もフサフサすぎる人は一部剃ってるらしい綺麗に結うために 戦略的に言えば>>1の結論の通り。
ただ、政略的に言えば、日本を征服することは当時のモンゴル・元の国力を超えていた。 まあ義経もしんだことになってるけど あれも生きてて戦ったからな。
あれも妖怪なんだわ あんまり書きすぎると眷属におこられるからくわしくかかないが
エルフの日本版というか。本当の皇室の話にもつながるからやめとくわ。まあ俺ら妖怪は4200年生きれれる >>281
んー・・・そうでもない
海兵隊でなくても陸兵でも揚陸訓練はする 九州の武士はめちゃくちゃ気合い入って強かったんだよ >>285
当時最先端のオシャレだから欧州ではまだ流行していなかった。 天候ばかりが誇張されてきたが日本はきちんと準備して待ってたぞ >>294
追い打ちの方でという事ね。
確かに10月〜11月だから台風は時季外れか。 風は強かったとは予想されるが >>282
北条が使者切り捨てたから(日本に攻めてきた)も何も、
元が攻めてくるまで使者切り捨てたことはない
攻めてくるまで使者切り捨てたことなんてないのに
使者切り捨てられたから攻めてきたって意味が分からない
存在しない事実を動機にしてる人多すぎ >>282
使者処刑したのは一次のあとじゃなかったっけ?
最初の元寇前に処刑したっけ? >>285
ハゲ散らかしたのを変なかつらで隠すより潔いだろ でも、
当時の大帝国モンゴルが攻めてきた事実と
征服されなかった事実だけは残ってるからな 最強の精鋭部隊が待ち構えている所に海上から揚陸して戦う
これだけでも単純に無理ゲーだろ >>248
当時を描いた絵巻物に逃げる朝鮮兵が描かれてる。
つーか元をそそのかしたのは朝鮮だろうに。 兵站も確保できないし、そもそも作戦が無理なんだよな。 >>250
折り返し鍛錬は安物南蛮鉄を使うため苦肉の策だったらしい
たたら鋼は優良だったんじゃマイカ >>299
東北地方は、奥州藤原氏は、滅ぼされるわ
阿弖流為もじり貧にされるわ
伊達政宗は、小田原以降は弱すぎて負けてばかり
いうほど強くない >>314
ガチハゲは馬鹿にされたんだぞ(´;ω;`)
青々とした剃り跡がセクシーだったんだぞ >>310
10月は台風シーズン
九州なら1ヶ月海上で籠らせれば来るんでは 当時の武士ってのは要するに暴力で領地を守り拡大する戦闘集団なわけでね
他国から領地取りに来たとかフザケンナ!まじでブチ殺してやる!とヒャッハー状態で待ってたわけ
しかも死ねば武名が上がって領地増えるから、本当に大喜びで
鎌倉殿の命令なんかどうでも良くて、ひたすら集団突撃、大殺戮を繰り返す
誰か死んだら、あの野郎目立ちやがって、うちらの一門も突撃するでぇ、と突撃競争になるw
嫌々参加してる奴もいる元軍なんか目じゃないほど、イケイケドンドンのヒャッハー状態なんですね
元軍が逃げ帰った後に到着した武士団は地団駄踏んで残念がった、というから
どんだけ戦争大好きだったか分かろうもの
これが実像なんだが、鎌倉武士の勇猛さを嫌う戦後史観とやらで神風説が信じられたわけ
元側資料では、鎌倉武士の勇猛果敢で強健な戦いぶりにボロ負けして逃げ帰った、と正直に書かれているよ >>26
やぁやぁ我こそは〜
の個人決闘が鎌倉武士じゃなかったの? >>320
ふむ、そこら辺は知識が古かったな。
たたら鋼は玉鋼前のやつかな?よくわかってないと言われる >>320
実戦には一枚鍛えの刀が良い
ってのは第二次大戦の将校が書いてたな 武士の世で良かったな
平安が続いていれば戦うまでもなく属国になってたな
歴史は大きく変わったろう
今頃シナと一緒に白人のケツを舐めてたろうな こんな遠征なら補給だって現地調達で考えてたんだろ?
現地調達も出来なくて船に逃げ帰ってるくらい負けてたってこと
日本の地形じゃモンゴル得意の大草原での機動力活かしての戦術も出来ないし >>251
エベンキは縄文人の祖先でロシアの先住民族でロシア人
日本では縄文人の祖先の記述はない
朝鮮人はウルチ族で日本政府の陰謀によいりエベンキとすり替えられ
プーチンがそれを知らないはずがない
高句麗人は朝鮮人ではない >>313
そう、第一次元寇の文永の役の後には殺された
この殺された使節は7回目、8回目の使者で、
文永の役の前にも6回の使者が送られはしたけど、
その誰も殺されてなんかない
なのに>>282や>>273は、元が攻めてくる前から
使者の首斬ってそれが戦争の原因のように言ってる
元が攻めてくる前の使者は生きてるのに
なんで殺されたことになってるのかと 今の宗主国様の支那土人様やキチガイ犯罪者チョソニンと人種が違ってたからニダヨ。
当時は蒙古民族と高麗民族だったからチョッバリのウンコ弾で敗退したニダヨ。
今の宗主国様の支那土人様やキチガイ犯罪者チョソニンならウンコは大好物ニダヨ。 日本って歴史的にそこそこ強かったんだな。
今の平和ボケ日本がどこまで強いのかわからんが >>336
安心しろ ヤタガラス(伊賀・甲賀の忍者)はまだ活動してる。 >>27
アジアは竜骨が発達してないかったから
巨大船は河川用か沿岸用
外洋だと波の上下で真っ二つに割れる >>328
スプリング刀は叩きゃなおるし頑丈だったので、よかったらしい
江戸以降の刀は芯鉄がある構造になってるので、なおせないとも そもそも元としては海を渡ってまで侵略するメリット少ないし。
島流しの候補地が増えるくらい? >>340
それと同じようなこと前スレで俺が書いたな >>284
使者が殺しれた時にはもう文永の役が起きた後
侵略されて、対馬などでは虐殺も起きてる
元に厳しくあたる理由は、別に南宋人に言われなくても
国内の被害だけでも既に理由はある
5、6回目の使者がそうしたように偵察情報を持ち帰られないためとか色々見方はあるけど >>336
俺の勝手なイメージだが九州人は今でも強い気がする >>26
鎌倉武士の主武器は長弓だぞ、それに対して元軍は短弓。アウトレンジ戦法だから勝てた
刃物でチャンバラごっこなんて命が幾つあっても足らんわ あれ?一回目って略奪するだけして帰ったって話じゃなかったっけ?
そもそも侵略する気がなかった一回目って覚えてたんだけど記憶違いか どんな強国もある民族を味方にすると負ける
ベトナム戦争もそうだ >>285
兜被った時に隙間できて蒸れないからじゃなかったっけ?蒸れるの気にしてる状況じゃないから違うと思うけど…
時代劇見てると落武者スタイルで兜被ってる気がするし…
よくもまぁあんな変態的な髪型思いついたよね >>333
昔のN〇Kの歴史番組が原因だろうと思う
元は日本に友好を求めていたが日本側は中国から逃げてきた僧の言い分をのみを聞き
この使者たちの首をはねたとやってたから >>326
女真族も一時期日本政府の陰謀で
エベンキ族といわれてましたが
ツングース騎馬民族と縄文人の祖先のエベンキとは
関係がありません チンギスハーンの教えが領土拡大路線だからな
あほみたいに何とかハーンとか作りすぎだし
もし元寇が成功してたら朝鮮はコリアハーンで日本はワハーンにされてたな >>303
鎌倉時代は戦の時だけ剃ってたってウィキに書いてあった >>339
鄭和がアフリカまであんまり時代変わらん時期にいってるんだわ。これが 当時の鎌倉武士が国際的に見ても非常に強かった
しかし左翼系歴史学者が元側の整備不足とか台風のせいにしてちゃんと認めて来なかった
北条時宗の使者斬首の件も評価してないどころか暴挙だったと否定している 岳飛伝のドラマ見てるが岳飛滅茶苦茶強いな
まぁ強すぎるのは創作なのは分かる
しかし陥れられるの多いな英雄は
韓中世はよく出てくるけど劉光世と張俊はほとんど出てこないな
高僧もあれだけ岳飛に助けられてよく処刑出来るよな 相手が無理やり徴集した高麗の百姓兵なんだから、武士が勝つのは当然だよ まぁ海外じゃ14世紀の中ごろから15世紀中に
海峡があろうが構わず100年戦争とかやってるからな
イギリスとフランスとかな
きっと日本が陥落しなかったのが不思議だろうな ベトナムの低湿地帯でも負けてるし
やっぱ馬が生きる草原や平地が強いってだけじゃないの >>358
いや 40vs1で今でもナイフ一本でゲルカ兵が勝ってるからな
超人なら100vs1でも武蔵や項羽のようなこともありえるのよ >>348
それ、俺も小学校の時日教組の教師から聞いたがとっくに否定されてるだろ。
鎌倉武士の単騎突入名乗り上げも。 そら半分厄介払いみたいな侵攻だったからだろ
ただでさえ上陸戦なんて難しいのに
征服した土地の持て余した兵力を無くなってもいい気持ちでつぎ込んでるんだもの負けるに決まってるわ
その頃の日本軍だって強かったろ
地の利のある戦いでおさおさ負けるような武力じゃなかったもの >>336
たぶん日本がすごい強いていうより
上の人が書いてるけど
モンゴルの強みの騎馬戦術も使えないし
補給は現地で調達すりゃええがなw的なあぐらをかいた発想で航海してきたら
思いのほか強いし、なんか台風あるわで
折れたんだろうかなと >>354
戦国時代あたりで常に剃りっぱになっていって
そのまま平民もやるようになってファッション化だっけ?
幕末の辺りは剃り幅狭いのが流行だっけ? 神風は、日本軍の激しい抵抗で元軍が命からがら壱岐から一旦洋上の
予備軍まで後退し、再編成するかどうかってところで暴風雨が来た。
だから、元軍を追い払ったのは日本軍であり、神風は再編中にとどめを刺したというだけ。 中国は宋とか漢、蜀、魏、金とかか他色々あるけど
違う人種だったの当時??言葉通じてるから中国人同士なの? 海戦に慣れてない大軍が船同士がぶつかると壊れるようなボロ船で攻めたら負けるだろうよ
なお海に慣れてる部隊は船の間を開けて泊めておいて
嵐はきたけど無事撤退できたという記録があるそうだぞ >>1
お前ら漢民族を支配していたモンゴルを打ち破った日本人を敬いなさい でも侵略する場合、一番脅威なのは、
底辺までほぼ識字率が100%ってのは、騙しにくいよね
いっときだけ騙すことはできても、じわじわと最終的には
文字が読めるなら、知られてしまう
他の国は、下層の庶民は読み書きできないから
文字も書物も読めない。いろいろ改ざんしても庶民にはばれない。
フランスはアフリカ人に数学をとにかくさせなかった。
アフリカ人は数学が苦手。だから未だにフランスに搾取されている。 >>358
中国は出来の良い人はほぼ陥れられる
出る杭は打たれるということわざのある日本どころの話ではない 元に征服された国の奴を無理矢理戦いに行かしてるんだから最初からやる気ないっしょ まあ日本よりベトナムのがすごいけどな 陸戦でモンゴル撃退してるからな
アメリカも倒せなかったし ベトナムはやばいわ >>350
蒸れるとかもあるけど、髷で兜を固定するのだとも
実用的な髪形がその後、身分を象徴するものに変わったという事例だろうねぇ
つうても風変わりな髪形は洋の東西変わらずあるから、文化が違えば変というだけ 当時の博多周辺は低湿地で、大軍や騎馬が自由に動ける地形ではなかった
結果として、小集団がバラバラに戦う日本の武士の戦い方が、ツボにはまった
一時船に撤退して態勢を立て直していたら、運良く神風が来たって感じかな
鎌倉武士は良く戦ったと思う
人事を尽くした結果、天運を得たって感じかね >元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」
違うんじゃないの?
徹底抗戦して撤退中に暴風雨にあったんじゃね? まあ。武士=バーバリアンだからな
西洋とか中東の戦争は敵とっ捕まえて、身代金がっぽりのスポーツだが
鎌倉武士とか、捕まえたら首切り取って、やりに挿してウラーだからな
そら敵はビビりますわ まあkoeiのチンギスハーン4では鎌倉武士は強いといってもな。なんとういか。
ロビンフッドにかなわないのよ >>371
滅んでは国ができて、滅んでは国ができただけ
滅びの原因は国内の政権打倒と、異民族が攻めてきて首都が占領されて滅亡
その繰り返し 江戸幕府も黒船にでビビって開国したけど、当時の欧米列強の海軍が日本に上陸できたのか少し疑問だな。伊能忠敬の測量図をオランダだかポルトガルだかが日本征服のために入手しようとしてたらしいけど、かなり軍事力が高い事に気づいて諦めたとか 言葉も通じぬ元軍相手に「やーやー我こそは〇〇の産まれにして・・・」って名ノリをあげながら突っ込んでいって撃たれていたんでしょ?w
小学校の時に先生がそう教えていた。 >>349
一次大戦の日本は運が良かったなあ
あの時は併合直後であいつら何もしてないのが良かった >>363
平安時代でも動乱期の武士は強かっただろうな
鎌倉幕府で良かったなと訂正しとこう 鎌倉武士って言うとあんまり強そうなイメージ無いんだよなあ
火薬や集団戦術を使える元軍に対し
美麗ないでたちの鎧武者が「やあやあ我こそは」と一騎討ちを繰り返す
戦国大名とかは強そうに思えるんだが >>278
まだ高師直氏が考案した分捕り切捨ての法は無かったからな >>371
言葉が通じないから漢文の達人を科挙で選んだんじゃなかったかな 島津貞久
1269年 相州鎌倉で生まれる
1274年 文永の役
1275年 九州防備のため、祖父久経(鎌倉出身)、父忠宗(鎌倉出身)らとともに薩摩へ下向
1281年 弘安の役、久経ら参戦
1333年 鎮西探題を襲撃、以降は主に足利方として活動
1363年 死去 >>389
教科書はそう教えていたね
個人で突っ込んで、集団戦法の元軍に殺されたと
そして神風が吹いて助かったと >>365
まず武蔵はそこまで強いのかね?
詳しくないけど剣豪滅茶苦茶いてそれらも果たして強かったのか?
項羽はマジで強かったのは分かる
関羽や呂布、岳飛、楊再興とかも
矢とかを槍で弾いたりしてるけど絶対無理だろ何本目かで死ぬだろ ランドパワー民族がロクなノウハウも無いのに上陸作戦やろうとして、ウォーモンガー民族に蹴散らされたでござる。 >>325
名乗りは恩賞得るための周りへのアピール 日本が台風の通り道って知らなかったんじゃね?
昨年もそうだけど、もろに台風が縦断する国でもある。
その証拠に、アメリカは8月に広島型原爆を仕掛けてるしさ >>389
小学校の教師なんてクズの言うこと信じちゃだめだよおじいちゃん >>387
直接やなくてもアメリカはやばいのよ。ワシントンはインディアンが多すぎて撃ち合いしても勝てなかったから
冬にどうぞって黒死病患者のつかった毛布を大量にプレゼントして免疫のないインディアンを病気で壊滅させた。
兵の数なんて戦争になれば頭使えばくつがえる。 >>358
韓信とかも強すぎた故に殺された
軍事に強いものは妬まれ殺されるか、用が済むと殺される >>398
規則も格式もすべて取り払ったうえで
結果的に勝つであれば強いんじゃないかな? 味方に朝鮮人が居ると如何なる大国であれ敗戦するのは歴史が証明してるんだよな。 >>395
中国は深いなぁ、日本だと国の中での争いだけど
中国はあれは違う国なのか同じ国なのか分からない
滅茶苦茶勉強しないと絶対理解出来ないよな >>401
10月以降の出兵だから台風の時期は選んでるかと
冬の寒くなる前の間を狙ってる 日本人は識字率とそろばんのおかげで
世界最古の国家として存続できていた。
幕末の逸話で、西洋人の会計士よりも
日本の役人のそろばんの方が圧倒的に早く
そのことが日本脅威論を生み
日本だけは物量戦や禁じ手をつかってでも叩き潰しておかなければ、、となったのではと言われてる。
そろばんの加減算においてはなんと電卓より早く計算できる >>398
武蔵は100vs1で勝ってるだろ?
狭い道にさそいこんで一人づつたおしていったらしいわ。まあ頭いいのよ強いだけじゃなくて
本当に強い奴は 張飛もそうだったろ? 橋の上に陣取って敵を止めただろ。大男で腕力あって素早ければ
リーチ長い武器もって1VS1になる場所でたたかえば100相手だろうが息切れするまで戦える。 >>382
武勲を立てても幕府に恩賞出す余裕がないから
暴風雨のお陰ってことにしたかったのかもね。 >>398
中国には盾がある
矢を切り伏せるのはアニメや漫画
でも兵士が弱兵なので、大将が先陣に立って突き進まないといけなかったのは事実
日本には盾の文化がなかったので、大将は後方にいた >>89
未来でも同盟軍が帝国軍に
焦土作戦やられて
大敗北したからな 大軍でも異国で戦うのは地の利がない。補給線の問題もあるし秀吉の朝鮮出兵もうまくはいかなかった。 >>1
【文永の役】 日本側の抵抗で左副元帥・劉復亨までが負傷、撤退 → 撤退途中で暴風雨に合って被害甚大
【弘安の役】 満を持して臨んだが、二か月近く上陸できず → 暴風雨に合う → その後も戦い日本側の総攻撃で壊滅
神風は吹いてはいるが、致命的ではない
どっちかというと神話の部類 神風は「シナ朝鮮からの侵略戦争に勝った日本」というのを
教科書に載せたくない左翼による、簡略された捏造史 >>389
そもそも名乗り上げるのって敵に対してというより
味方に対するアピールだからね
先陣切ったのはワイや、一番槍の武功はワイやからな!っていう
言葉が通じるとか通じないとか関係ない 2戦目はきっちり守って勝ったのはたしかだろうが
1戦目はホントよくわからん 元寇を学んだ時
武士は一騎打ちばかりを望んでコテンパンにされ
神風という台風のお蔭で元に勝つことができたと教わった
武士の真似をしておちゃらけて学生の笑いを取ろうとしてたな
はっきり覚えている
ご先祖が血みどろになって勝ったおかげで歴史が大きく変わったのにな
とんでもないのが教師をやってるもんだ >>398
武蔵と他の武将との比較は難しいな
武蔵は個人としての戦いだから、司令官としての戦いをしたわけじゃないし >>398
まあそもそも個人戦の時代じゃなくなってたからな
そういう時代は鎌倉時代で終わった
武蔵自身も島原の乱で投石受けて負傷してるし
乱戦では何が起こるかわからない >>420
いや、江戸時代ではすでに言われてたらしいけど・・・さすがに江戸時代には左翼はおらんだろw >>412
多分あなたが幻滅したくないからそう思いたいのあるだろ
ともかく中国のドラマ見てるとあれだけ入り乱れて
矢も弾いてアクロバットな馬の上での身のこなし、槍裁きは
確実に悲しいけど創作よな >>415
日本は鎧に盾が仕込まれていたんよ
肩の大きな板みたいなやつと、兜の後ろの広がったやつ
場上で弓とか両手剣使うから手が使えるように、そうなった、のかもしれんw >>418
石田三成はその兵站をやってのけた秀才だから実は凄いんだよな。 >>421
そそ
たしか名乗りを上げたものに報奨金の権利があると聞いた >>55
秀吉のは400年後だろいちおう
それに自分たちで船を作れない、作らないでやっているなんて
船団を送るなんて無謀ですわ >>425
結局武蔵も10人くらいに囲まれたら大した事ないって事よな
佐々木小次郎だって創作の可能性あるしな
新撰組の奴等もそこまで強くなかったろうな
ドラマやアニメで美化されまくるもんな >>412
吉岡一門とは戦ってない
あれは小説
バガボンドの元自体が創作。
創作の創作がバガボンド 橋頭堡というか、拠点が作れないと、海で隔てられてるから簡単に援軍がよこせない
そういう戦略に欠けていた >>429
大鎧は横に構えると肩と胴、脛の部分が縦の役割をするからね
ガチ合戦の写真を見ると一目でわかるよね >>408
ペストを兵器として使ったのは
モンゴルだったはず
元寇じゃなく欧州の方で 神風は博多の神社の記録に書いてある話だ
左翼の陰謀とかアホかよw >>397
まず教科書に載ってる蒙古襲来絵詞が集団で戦ってるんだけどね
竹崎季長のあの有名な場面も、先駆け(一騎打ちではない)の功績を狙って
『従者連れて』飛び出して窮地に陥り、それを白石通泰や百余騎の武士が
竹崎を助けるために攻撃して敗走させている、という場面 >>26
神風は、祈祷調伏してた寺社が
自分の手柄を誇示するために流布したものなんだよね 弘安の役は先発隊と後詰の足並みが揃ってなかったのも要因の一つとか聞いたな
先発隊は鎌倉武士の抵抗に合い上陸できず不慣れな船上生活な上、夜討ちでロクに寝れず後詰を待ち続けてるうちに台風でアボーン
後詰到着する前に台風でアボーン >>358
岳飛なんてほとんど後世の捏造だろ
俺達は優秀な漢民族なのに、為す術もなく北方蛮族に蹂躙された
何故だ?
(弱いからだけどw)
そんなはずはない!
岳飛みたいな優秀な武将が、秦檜みたいな卑劣な奴に陥れられたからだっ!
そうでなければ勝ってた
…という自分達を慰めるフィクション 日本海上に半年間もいれば台風の一発や二発受けるだろ。
冬将軍みたいなもんだ。 >>424
それはそうだな
まぁ当時でもあれだけ有名なんだから滅茶苦茶強いのは間違いないな
でも剣豪マニアによると武蔵はトップ10中8位くらいだった記憶が やっぱり歴史を見ても韓国の民族ってのは争いを好まない人種なんだなって思うね
中国に日本という暴力大好き国家に挟まれたせいで悲劇の運命 >>435 >>433をよんでみ
関東連合もな 朝青龍を鉄バットとかゴルフクラブもって囲んでぼこぼこにしようとしたが
全員はりたおされただろ? この前 ブドウやれば余裕。 俺もまあ剣道で10人切りやったことあるが
俺らにはよゆー >>427
介者剣法よろしく
実戦は醜く厭らしく泥臭く必死に >>434
だって元をそそのかしたのが朝鮮(高麗)人だし。
元としては反乱の芽である南宋・高麗軍すりつぶせるだけで
結果オーライだしな…。 当たり前だが、源平合戦より後の時代なんだから
日本側も集団戦術なのは当然 >>437
熟練していた高麗の水軍が丸ごと手に入っただろう
朝鮮の将兵をバカにしているのか?W >>436
吉岡側はこっちが勝ったと主張してるのが面白い
実際は引き分けだったんだろね
吉岡家は商家として後も存続してるし >>430
まぁ現場組の加藤清正や福島正則には嫌われたけどな >>429
ちゃうちゃう
根本的には盾が重かったから持ち運びの優先度が低かったというだけ
日本の道路は近代というか現代になるまで舗装されてないから
馬や馬車で武器を運ぶという事が出来なかったんや
もともと山がちな地形でもあるしね >>32
海がアルから、イギリスの軍艦が完全な障壁になり
飛行機のみで攻めるしかなかったからそうなったんだろw
完全に海のせいですわw
津軽海峡とかのレベルのドーバー海峡でもそうなんだから
アジア大陸と、日本の間の海の障壁効果は絶大だわ >>398
武将は剣客とか現実離れしたお遊びだって鼻で笑ってたらしいな
武将が果し合い出されたら相手一人なのに兵隊大勢引きつれて現れて、ワイの業界が言う戦いはこれやって言ったらしいし 祈祷してた寺社勢力が八幡様(軍神)のおかげで神兵と神風が出たと言い出したんだよ
要するに手柄の横取りの3流資料なのだが
なぜかこれが左翼教師には大人気でろくな考証なしに一級資料とされた
このスレでも、名乗りと一騎打ちのバカ武士、日本側のボロ負け、神風で辛勝、てつはうにビックリなど
と書いてるのはすべて左翼教師に騙された被害者だよ
現在の研究水準で読めば
むしろ日本側の常識を超えた集団戦法と武具(弓、刀)に翻弄されて
成すすべなく崩壊していった元軍に哀れを感じるぐらいだよw 実は元寇は日本軍が強くて無双しただけだった
みたいに言われるけど、俺はむしろ詳しく知って損害の激しさに驚いたわ
上陸のときに台風がタイミングよく来てそのまま元軍壊滅、みたいな感じだと思ってた >>407
中国の考え方では元と清が征服王朝(異民族)でそれ以外は全て中華
夏から始まり殷(商)となって周にかわる
この周が原点となって諸国に分裂する
諸国に分裂すると言っても全て周を原点とする姻戚親戚関係なので基本は親戚同士の争いという考え方 >>445
岳飛は中国人が選ぶ英雄1位だぞ
あれだけ武将いての、流石に軍事、武勇は超一流だったはず
ショックなのが孔明が軍事は事実は大した事なかったらしいな
ドラマで神だったから幻滅すぎるわ >>453
朝鮮をバカにするのは勝手にしてろだが
船団を送りっぱなしではなくて、どんどん補給部隊を送る計画を立ててないとならない
地続きと同じ感覚でいたのが敗因だ >>435
新選組はそれこそ集団戦法がお得意だし、銃や砲の訓練もばかすかやってる連中なのでなぁ >>448
今の朝鮮人は先住してた古代朝鮮人を絶滅させた侵略者だぞw >>392
高麗史に勇猛果敢で強かったという記述があるみたいよ >>451
お前謀反起こそうとしてねえ?と元から睨まれているからな
疑い晴らすためにもいいところ見せないと高麗が攻められかねない
日本侵攻は元への忠誠アピールする絶好のチャンス
やる気が違うね 捕虜になった2〜3万の元兵および高麗兵はその後どうなったのだろう? おまえらも剣道の乱取りで練習しろよ わかるから60vs1の練習とか俺はわかいころ
練習させられたよ。俺は10人まで抜けたわ >>461
2回きたのに
二回ともそんな都合の良いタイミングでなるわけないやろ… >>462
そのくせ、南シナ海(牛の舌)の領有権の主張は
元の支配だったからっていってるんやで >>448
日本は歴史上いつも朝鮮半島ばかり狙ってるんだよな
近年になるまで、台湾やフィリピンどころか北海道さえ放置してる あれ?「元寇」って普通に変換できるな
以前はできなかった気がするんだけどな
差別語リストにでも入ってるのかと思って
気のせいかな >>285
昔はハゲには優しかったのに(´・ω・`) >>462
清って古くないな
三国志の時代も日本と同じで国の中での争いなのか
でもそれぞれ皇帝国家だったからやはり国か
ややこしい >>463
>岳飛は中国人が選ぶ英雄1位だぞ
だからそういう朱子学(他民族蔑視のレイシズム)が元になる民族信仰が、
何百年も続いた結果 >>250
秀吉時代にはそのロストテクノロジー化してたってなぁ >>459
神風説を最初に採用したのは戦前の皇国史観の教科書やろw
左翼の陰謀にするのは無理があるぞ >>447
剣豪としての実績として武蔵は逸話が弱かっただったかな
俺が知ってるところでの評論として剣豪として本当に強かったのは以蔵と柳生宗矩じゃないか?と
根拠として、要護衛対象者がいるなかで、複数にに囲まれ、護衛対象者を無傷で守り通した上に
複数人倒しているからと(宗矩の場合、合戦上なので相手は槍で武装していた可能性大)
まあ、もちろん両者とも作り話じゃないかというところではあるが >>462
隋唐も異民族じゃないの?
まぁ漢が三国志で滅びてからは入り乱れてたからな >>465
まぁ滅茶苦茶新しいもんな新撰組なんかは
中国は深いよな
日本の戦いの時代って藤原くらいからだろ
600年くらいか >>475
民族は心底死滅してほしいくらい嫌ってるけど立地条件は最高だからな
シナ攻めるのにも露助を牽制するのもあの地は必要になってくる 文永〜緒戦壱岐対馬薩陸 上陸九州少女少年生口捕獲...・・・こなくそ! 九州武士督戦洋上に押しやる
弘安〜鎌倉武士連鉄壁の守り神風おまけ、八幡愚童記ウソ八百北条いい加減にせい 鎌倉幕府が滅亡した後に朝廷の復権が始まるんだけど、
その時に武士の権威を弱める必要があったんだよな。
それに加えて寺社仏閣勢力が「あれは俺たちの功績だ」とアピール合戦始めた
日蓮なんかその筆頭だよな(異説有)
あとは当事者である鎌倉幕府自らが恩賞を用意できず、「あれは嵐のおかげ」という逃げを打ったのもある
実際には蒙古軍の自滅的な形で勝利してたという。
仮に神風無くても、内陸部に上陸されても、日本側が勝ってたと思うよ。
当時の技術での渡海兵站は不可能だったと思うので >>456
手盾じゃ弓を大して防げないしそもそもメインが弓による打ち合いだから使われなくなって
鎧の方を強化した流れよ
盾自体は起き盾という形で室町以降現れるし、専門兵科でもあった 伊勢の神宮だとシナツヒコの神風おかげってことで昇格してたな >>463
よく言われるのは諸葛亮は軍師でも武将でもなく政治家よりの軍官僚って事だね
基本的に後方勤務なんだよ
銀英伝で言うならヤンではなくキャゼルヌの方にずっと近い 兵站、病気、それによる士気の低下に天候と抵抗。
未だに神風とか教えている学校があるとしたら、それこそ戦前教育だろww 20万で上陸が成功しても、いずれ兵站が尽きて結局ダメあった気がするな。
海を渡るのがやっぱ鬼門。
朝鮮に補給のための十分な拠点を建設の上で、じっくり大軍で侵攻しれてばいけたかもしれんが、
時間がかかるので、なんか元の苦手そうな戦い方っぽい。 >>474
台湾とかもそうだよね
清の康熙帝によって中国に編入されたってさw
清は征服王朝なんだろって突っ込みを入れてはいけないらしいw >>483
岡田以蔵が護衛として活躍したことは勝さんが書いてますね >>495
いやまあ、そこは略奪で賄う予定だったろ >>403
えげつないな…
生物兵器の使用みたいなもんだな >>379
髷って深いよね、見てても不思議と嫌じゃないしね
股間に象牙してるのと一緒だよな >>481
それはスマンかったw
まあ左翼教師にも大人気の神風説ちゅうことでええやろ >>493
赤壁の合戦の前に孫権のところへ行って根回ししたように外交官なんだよな 火薬とかの扱いに長けた当時の最新テクノロジーに長けていた南宋人は厚遇されたそうだね、そういやちょっと前に権勢を奮っていた清盛も福原に南宋の貿易で異国情緒の国を作ってたとか 平安末
尾張系京都伊豆人源頼朝「日本一の猛者といえば武蔵国住人熊谷次郎直実」
藤原摂関家出身の慈円「武蔵国住人畠山重忠最強伝説」
鎌倉
最強鎌倉武士「下野の足利忠綱怪物伝説」
徒然草の吉田兼好「相州鎌倉住人安達泰盛こそ武士中の武士」
南北朝
武蔵武士系河内国住人楠木正成「ガチンコ決戦なら武蔵相模の二国>その他オールジャパン」
戦国
剣豪将軍足利義輝「剣日本一は上州の上泉信綱、西国一は肥後の丸目長恵」
奈良興福寺「やはり甲斐越後が最強」
三河者の武田家軍師山本勘助「関西侍は下の下」
戦国最強甲斐侍「関東武士は馬上戦闘&長刀、関西武士は下馬戦闘」
越後の豪族北条氏「畿内、中国侍は町人似の弱兵」
尾張の太田牛一「馬上巧者の関東衆西上野小幡党」
宣教師フロイス「島津軍は弓が多く長刀を巧みに操る」
戦国末
薩州島津家当主「信州真田兵が日本一」
ミスター三河武士大久保彦左衛門「上方奉行は口だけの腰抜け」
幕末
江戸本所の暴れん坊勝子吉&信濃の最強力士雷電「江戸の平山先生最強伝説」
豊後中津の天才剣士島田虎之助「幕臣男谷先生を筆頭に江戸の剣客は強すぎる」
陸奥の大剣豪千葉周作「江戸の高柳先生や男谷先生には生涯勝てない」
江戸の幕臣勝海舟「白井(江戸人)の剣は神の領域」
近代
東京出身の文豪芥川「千葉の山田次郎吉先生が最強」
水戸の高野茂義&岡崎の三橋鑑一郎「天下第一の名人は栃木鹿沼の下江先生」
別府の堀「水戸の門奈正最強」
京都の大日本武徳会「技の水戸人門奈、気の水戸人内藤」
昭和天皇「天覧武道大会全制覇の法神流(群馬)」
アンガウルの米兵「最強兵士舩坂弘(栃木)」
・・・・やっぱり吾妻と鎮西は強えわ。
京都、大阪、神戸は戦う前にサッサと逃げるのだけは上手いw
無謀にも戦う前に夢を見て惨敗したのが倶利伽羅峠の悲劇 ガチで個人で実戦で強かったのは足利義輝
あと幕末の薩摩の指宿藤次郎 >>462
秦、随、唐も移民族やん
統一王朝2200年中1600年間は移民族支配 >>477
公家の烏帽子が脱げてハゲ頭が露出してしまって笑われた、みたいな話なかったっけ?w >>493
いやぁ幻滅だな孔明には
キャゼルヌより青髪の奴のが優秀じゃなかったか
それじゃ司馬懿は優秀だったと信じたい 当時の武士の奮戦のおかげで日本は守護された
この時代をもっと取り上げアニメ、ゲーム、漫画にすべき >>495
文禄・慶長の役が兵站に苦しんだのは、朝鮮なんて土地が痩せまくってて
現地調達が不可能だったからだが、逆に九州を勢力下に置けていれば
なんとかなったんじゃないか? >>499
ただほら、勝さんがその大のホラ吹きだしw 講談の世界だと
一に剣豪(塚原卜伝)
二に武蔵
三に荒木又右エ門
の順位
でも上泉も伊東一刀斎も、柳生も入ってないのはおかしい
疋田や丸目だって武蔵より上だと思う 一度にまとめて上陸して陣地を造らない限りは日本攻略はムリだな
たぶん上陸しようと船で来ているところを陸地から弓矢で攻撃されて
上陸前にやられていたんだろうう まあ 武蔵や張飛だけじゃなくて スパルタも300vs10000で
ペルシア撃退してるからな。 王とわずかな親衛隊のみで谷の狭い道で戦って
戦い方ひとつなんだわ。白兵戦もな >>495
それが元軍の戦法だから
降伏するまでは皆殺しと略奪100%という略奪戦法だけで覇権国家まで進んだ >>510
随・唐は鮮卑族の系統を引いてるんだよな 事前に侵攻情報を察知して対処できていたなんて諜報はしっかししていたんだな当時の人たちは >>508
その結論のためによくそこまで引用したな感動した >>458
プライドが高い武将はそんなにせこかったのか(笑)
日本男児とは思えない 家康に過ぎたるものが二つあり
唐の頭に本多平八
つってな 征服したばっかりの朝鮮人兵士を大量に連れて行くからこうなる
レイプしか能の無い頭の悪い連中が主力なのだから統率された日本の武者に敵うはずがないだろw >>449
関東連合は恐ろしい
やくざより拷問は酷いらしいぞ >>515
徳川家康を無理やり出陣させればよかった
その一言に尽きる 元軍の攻撃を防ぐ為に博多湾には防塁が気づかれた訳だが。黒田官兵衛は福岡城を作る時に
防塁に使われていた石を大量に使っている、おかげで防塁は僅かしか残っていない、
黒田官兵衛は歴史の破壊者だ。 >>450
だよな、あんな綺麗に殺しまくれるわけないよな >>523
あの時代の世界情勢やその反応を知るなら大河ドラマの北条時宗がオススメ >>523
南宋とは貿易してたからかなり細かく情報は入ってるね
同様に幕末もしっかり情報仕入れていて、授業で習ったこととは反面に江戸幕府は海外に精通している >>514
はげどう
ゲームで人気になりそうな猛将がゴマンといる >>511
藤原保忠(890〜936) 上級貴族
近衛大将だったときの話。馬に不馴れなため落馬し冠を落とし恥をかいた。
(古事談)
清原元輔(908〜990) 中級貴族、三十六歌仙の一人
賀茂祭りの行列では落馬し、冠が飛んで禿頭をさらけ出した。
しかし泰然自若として、「笑ってはいけない」と説いてまわったので、見物人たちは爆笑した。
(今昔物語集、宇治拾遺物語)
藤原信頼(1133〜1160) 上級貴族
乗馬に不慣れで 落馬し、配下の義朝に「日本一の不覚人」と罵られた。
(愚管抄、平治物語) 九州沿岸は台風の通り道だから、毎年夏から秋にかけて何度も暴風雨にみまわれる
上陸攻防戦が長期に渡れば船上の敵軍に大打撃を与えられる事は見越した上で上陸阻止してたと考えるのが自然で
決して神風といわれるほどの偶発的な要因でないはず >>1
いまだに蟹の船とか死者でやすい感じなんだろ?
なら古代の船が長く浮かんでいようとしても沈むだろ しょうがない 侵攻作戦で上陸自体を防いでいたのなら
防衛戦だとしたらこれだけで勝利と言って過言じゃない気するのだけど >>531
関東の整備を理由に出兵を免除されたらしいな。秀吉もそれを出されると断れない >>510
ほとんどが征服王朝だが、世代を経る毎に漢民族化しちゃうからな
官僚機構は使うけど、文化の独自性を保ったのが元と清だけ
だからそれ以外は征服王朝のイメージがないんだろうね >>26
日本側は恩賞を減らすために神風って事にした
鎌倉幕府が潰れる原因のかなりの部分がこの元寇の撃退に対する恩賞の低さ >>534
空中元やチョップが思い浮かぶようwww 北条時宗が18歳で執権になったからな
やっぱり若い感覚がないと
日本の総理大臣も18歳くらいからなれるようにしよう >>529
いや Da Ka ra その環濠連合がね20人で武装してたのに 素手の朝青龍1人にまけて
にげだしたんだよ おぼえてない? ゲルカ兵の40vs1の事件もこれもたぶんお前生きてる時代の話だぞ。
俺もほんきだしたら30000vs1でも勝てるからな。俺も義経と同じ日本型エルフだから >>415
ドラマ見てると盾を貫いてるね受け続けると
馬もポニーだったらしいな
それも仕方ないよな、あんな良い馬なわけないもんな >>502
疫病をはやらせるのは戦術でどこにでもあった
籠城戦では投石器でペストの遺体を投げ込んだ
日本は攻城兵器があまり開発されなかったけど >>532
日本各地でそういうの行いまくってるので別に…
例えば奈良は有名だけど、千葉なんかも日本有数の古墳地帯で
古墳の上に神社建ててたり、城建ててたりと様々… >>523 >>534
あれかなりダイナミックな改変して史実から結構離れてるし、
史実通りの部分でも人々の反応が
当時のものとしては違和感のあるものになってて
世界情勢やその反応を知るためのものには向かないよ >>1
元の兵士は朝鮮人と中国人。
武士が防戦し、2ヶ月経っても元は陸上に基地を作れなかった。
武士は、その内、台風が来ると思ってた。
台風は少し遅かったくらいだ。 >>537
逆に藤原隆家は貴族ながら刀伊の入寇をしりぞける戦いを陣頭指揮したんだよな >>547
あのさ冗談は程ほどにしとけっての
あんたの奴だよ、朝青龍のはそりゃ強い >>538
冬将軍まちのロシアみたいなもんかもね。 >>521
ただ降伏しさえすれば寛容だったのが大きい
基本的に自治権も宗教風俗もそのまま、征服はすれでも統治はせず
特に商人にとっては元の支配勢力下は安全に交易が出来るというメリットがとてつもなく大きい
イスラム商人たちが元のスポンサーだったというのも歴史の面白い所だよ 元来、遊牧民族は
みんな穏やかな性格なんだが
周辺の農耕民族による迫害により
自己防衛せざるを得なくなった
そして武装して抵抗した
本来は日本へ攻めるとか
モンゴルにとっては避けたかったが
迫害を怖れて先手を打った 南宋の残党をほっとくと反乱起こしそうだから在庫一層の意味合いで攻めさせたんだろ
失敗しても成功しても元にはプラスになる >>543
鮮卑族の北魏王朝は華化政策を推し進めたんだよな ほとんど上陸を許してなかったのだから
台風が来なくても元軍は結局は疲弊していただろう
大陸人に長期の船上生活は辛いだろうし 元に命令され、派兵さえれたやるきのない中国軍が嵐が来たんで撤退したってオチ。 秀吉の慶長の役は完全に橋頭堡確保の戦いだったな
蔚山・泗川・順天の三拠点に明・朝鮮の大軍が殺到したが最後まで守り切った
日本から本体が出陣する前に秀吉が死んだので撤退したが >>404
項羽と劉邦ドラマ見てて呂稚が良い人だなと思ってたら
最後いきなり韓信の死刑してて驚いて
調べたら中国の三大悪女でびっくらこいたわ
有名な樽に入れて八つ裂きにしたのこいつだったって >>538
孔明も赤壁の戦いで南東の風を待ってたからな >>393
それも有名らしいな
ドラマあったら見てみたい >>485
周の血筋の人が別の集団と結婚して子供が出来るとその子は周の血筋とみなされる
その代からは全て周の血筋であり親戚関係となる >>557
という夢を見たんだ
何回も「朝貢しろや」て使い送ってきて、何言ってんの?
ドイツやポーランドの東欧も、陥落寸前まで追い詰めてたな >>552
実際に戦ったのは九州の在地豪族じゃないか
貴族なんか役立たず >>548
念のため、ポニー=体高147cm以下
鎌倉時代の馬の遺骨調査では平均130cm、大きいものなら140cm
サラブレットほど大きくはないけど、シェトランドポニーほど小さくもないよ >>550
寺破壊して教会建てて教会破壊して寺に戻したりしてるからな >>520
戦術、戦略専門家の海上博士がスパルタカスの戦術をケチョンケチョンに貶してたぞ
ついでに源義経の戦術もな
上杉謙信、真田幸村、チンギスハン、平清盛上げの人だが >>385
中国ってえげつないよな
ってヨーロッパもずっとそんなイメージだが
ヨーロッパは国内で中国や日本、モンゴルみたいに争うのは少なかったのかな? 台風の季節が来るまで日本が死にものぐるいで頑張ったおかげでなんとか助かったでFA
元寇が攻めきれなかった >>557
迫害も何も、大陸から離れた島国の日本が
どうやって大陸にいる遊牧民を迫害するのかと
クビライも言ってたことだけど、日本は元を侵略してたことは一度もないよ >>564
諺になってるくらいだからなぁ…。
曰く、「狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る」 >>564
中国の三大悪女は前漢の呂夫人と唐の武則天と清の西太后だっけ >>28
捏造大河を作ってるNHKなんか一ミリも信用できんな >>576
国が違えども上流階級はみんな親戚で、戦争はスポーツみたいなもんだしな中世は
情け容赦ない血みどろの殺戮戦になったのは宗教戦争以降 >>554
おまえ まじで吸血鬼とかエルフとかいるんだぜ? 義経もな まだいきてる
吸血鬼の寿命は1000年や2000年だがな この国にいる本当の天皇家はな実は
忍びとして活動してて常に最前線でヤタガラスとして暗躍してる。まあ俺はただの草にすぎないが
上はすごいぞ フビライ・ハンは日本だけでなくベトナム遠征も失敗してるよな >>557
遊牧民族が穏やか?
領地争いで紛争ばっかだよ
熱してドロドロにした鉄を飲ませて処刑とか恐怖政治しいてたし
ところが織田信長みたいな人が出て地域統一&巨大化することがあるんだよ
すると侵略戦争に乗り出す
中国とか、朝鮮とか、ロシアとか、欧州にね 元寇はモンゴル軍じゃなくて日本にやってきたのは高麗軍が主力の歩兵だからな
元寇は本来なら高麗寇と呼ぶべきなんだが
しかも高麗国王がモンゴルに再三日本侵略を要請して、モンゴルを唆し、日本征服を夢見ながら喜々として侵略軍の主力となった
高麗軍は雑魚だったが、本場のモンゴル軍は、弓騎兵が主体で撹乱と突撃を巧みに使い分ける戦術で、世界の半分を支配した
ガチのモンゴル騎兵と鎌倉武士がぶつかっていたらどうなっただろうな
鎌倉武士の重装長弓騎兵がモンゴルの弓騎兵にどれだけ通用するか
鎌倉時代の大鎧は西洋の騎士の鎧よりも重いものを着ていて弓矢への防御力に特化したものだから
モンゴル弓なら跳ね返しそうだが >>571
よくイメージされる小さい奴ではないって事か
しかし中国の武将はデカイの多かったのは事実らしいな
それが採用される条件だったらしい
項羽184だし劉邦は知らないが
関羽や呂布もデカイ劉備も172くらい曹操が小さかったのは軽くショックだな
中国の軍事の神って孫武って奴らしいな
孫子は聞いた事あるから孫子と思ってたわ あれ事実上の朝鮮の侵略だったて聞いたぞ
フビライは気乗りしなかったがあんまりニダニダ五月蝿くて
名前貸して金くれてやったって 騎射は関東、遠矢は九州の専門分野
京都人は歩射ですらこの有様
『御堂関白記』(長和元年十二月四日・京都)
斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し
依りて的を打たしむと云々。
射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如し。
能射の者が伺候していないので的を射るものがいない。
それで的を打たせた。
弓で矢を的に射当てる事が出来ないので仕方なしに手で投げるようにして矢を的に打ち当てたの意。 >>589
つまり中国やローマ、エジプト、ギリシャは
滅茶苦茶古くから争ってる事だよな
日本もそこまで古くないが >>577
守りが固くて帰る気でいたモンゴル軍に対して、強硬に戦闘続行を主張した朝鮮軍。
軍議が物別れのままでいた処に台風直撃。 >>582
まさか劉邦の妻とは知らなかったよ
ドラマでは最後でいきなり悪女で終わったから >>596
フビライは気乗りしないどころか、
日本へ使者送った頃からもう日本攻める気満満々
使者の帰還前から日本を討つと言ってるし
弘安の役の後に反対されてもま日本攻める気だったのもフビライ
なのになんでフビライが消極的だったことになってるのか >>537
無理矢理まとめると「ハゲを晒してるヤツは不覚人」ということだな
うん 核兵器が無かったから
核兵器があれば確実に成功してた >>596
実際、蒙古兵はほとんど参加してないからね
一回目は100人ぐらい
二回目は20万の兵で
3000人ぐらい
ほとんどが高麗兵か
降伏した南宋の江南兵 >>576
ヨーロッパはいつも戦争
東洋はどきどき戦争 >>581
ごめん漢字が難しすぎて理解出来ない(笑) >>549
投石機はやばいな…。あれやられると日本の木造の城はキツいかも >>606
蒙古兵の人数って何に載ってる?
探したことあるけど蒙漢軍とセットのものしか見つからなかった >>574
スパルタはレオニダスだよ
スパルタクスは剣闘士奴隷だから戦略とかはグダグダだろうよ
あと単騎撃破の筆頭は、キリスト教を世界宗教にしたコンスタンツ大帝な
文字通り単騎で姿を表したら、敵軍数十万が逃げ散った >>607
フランスとかイギリスとか名前昔は違うから
調べないと分からないな
ポルトガルやデンマークも名門だろ >>549
だから731部隊(防疫給水部本部)が細菌研究をしていたって
ことも間違ってはいないと思うんだよね。 >>601
いきなり登場オンナで思い出したけど木曽義仲の最後直前に出て来る巴御前って何者なんだろう粋なお別れ告げてさようならとか
まぁ創作なんだろうけど 1回目は南宋戦のついでのけん制なので、朝鮮兵が被害を被っただけで、無理する必要がなかった。
事実上、日本側は太宰府まで戦術的撤退してるので、元側は勝ったかな程度。朝鮮兵とかしらねな感じ。
2回目は日本側は海岸線に堡塁を築いて上陸阻止したので、モンゴル軍は強みを発揮できずに、
そのうちに南宋のいらない子(移民)の船が到着して、台風。
3回目は、ガチでやるつもりの計画だったが、元内部の反乱がおこって、中止。
反乱をフビライは鎮圧するも、その後寿命で、日本セーフな感じ。 >>376
凄いわ
特に百官が必ず嫌な奴いて皇帝に吹き込む >>606
ある意味、高麗(朝鮮)人に騙されて侵略してきた被害者だわな。
日本としては大迷惑。 >>2
まず在日回収しろよ。
10日間程度食事することすら危険なんだろ。
韓国は自国民を見捨てるな。 3回目の侵攻も計画していたらしいが
実現していたとしても3回目も恐らくは敗退してただろうな >>582
あれ、妲己と末喜と褒ジは違うの?
まあ褒ジは悪女ってていうか無表情キャラだけど >>608
兎が死んで犬が殺されて鳥がいなくなって弓がしまわれる >>582
殷の妲己と入れ替わったり
毛沢東夫人の江青といれかったりする 鎌倉武士がそこそこ頑張ったのと高麗と南宋の連中にやる気が無かったからやろ。 https://youtu.be/OgDzwVWXJeg?t=135
見たか 此の地の(みたか このちの)
不屈の 魂(ふくつの たましい)
無敵の 義士は(むてきの ぎしは)
邪悪なぎ払う(じゃあくなぎはらう)
暁 聞いたか(あかつき きいたか)
煙霧に 叫びを(えんむに さけびを)
仲間よ 勝ち取れ(なかまよ かちとれ)
光注ぐ香港(ひかりそそぐほんこん)
大義の為に流す(たいぎのためにながす)
血と汗の犠牲(ちとあせのぎ せい)
心に刻む 誓い(こころにきざむ ちかい)
明け渡すな城を(あけわたすなしろを)
願い届けよ邦に(ねがい とどけよく にに)
地踏みしめ共に(ちふみしめともに)
正義の光を(せいぎのひかりを) いろいろな手紙や文献を読んでると台風で壊滅は偶然。
ただし、それで勝ったわけじゃなく日本軍の方が数は少ないが戦闘力が高かっただけ。
海戦や上陸戦はモンゴル軍は弱小。朝鮮軍も雑魚レベル。
単に圧倒しただけ。最後のとどめに台風が来て撤退したというのが史実。 >>624
江青は小物のような。妲己もあんまりたいしたことしてない感じだけど。 道案内した
ゴキブリ韓国人(ゴキちょん)
が馬鹿だった >>612
ゴメン レオニダス王とスパルタ軍のことを貶してた >>435
以前にNHKBS放送で、池田屋襲撃を再現したのを見たよ。
池田屋を本当に造って、浪士側に大学剣道部員を史実の通りの人数で動員。
新選組に、現在の天然理真流(うろ覚え)の使い手を依頼。
戦闘開始直後に直ぐに、狭い旅館の二階の和室で戦える人数は僅か3人づつと判明。
新撰組側は、足で蹴るわ、体当たりで吹っ飛ばしてから刺すわの大暴れで意外にも勝ってたよ?
新選組は開始時に4人居たけれど、一人は病の発作で戦闘に参加出来なかった、
しかし、結局三人しか戦えないから無関係だったとか言っていたね。
まぁ形振り構わず、殴る蹴るで刀を叩き落とす天然何とか流の強さが目立って居たねw >>625
高麗はやる気満々だよ。20回もモンゴル皇帝に日本を滅ぼそうと進言したからな。 >>609
日本は明治維新まで機械や兵器に疎かったと思う
ネジもどうしても作り方が分からず作れなかったらしいし >>593
その見解は正しい
遊牧民族って実力が全てのリアリストなんだよな
だから血筋や権威では動かない
通常大きな勢力にはなり難い
それがチンギスハンみたいな英雄が出てくるとまとまって巨大勢力となり、内在された力が一気に外に開放される
草原の風と言われるのはそういう様相から
その代わり安定した帝国を築いたり文化侵略は出来ないんだよな
英雄が死ぬとすぐ分裂してまたもとに戻る
侵略された側に同化される例も少なくない >>595
「子」というのは先生という意味らしいな 江戸時代には忍者がいたけど、あれは特殊部隊の先駆けかなと。一応イギリスが特殊部隊の発祥みたいにはなってるけど まぁ2、3万人を捕虜として生きたまま捕まえていたのだから
圧倒的に鎌倉武士の方が強かったんだろうな やる気が無い被征服民軍というが、モンゴルはその被征服民軍使ってヨーロッパまで席巻したのよね
よそではモンゴル軍だけとか言うことはまったくない 真面目な話タイムトラベラー説はあると思う
大和が転移して追っ払ったとかでもいい >>618
逆だな。
朝鮮と朝鮮に駐屯する元軍は行きたくなかったので、
初回はいろいろ工作してる。
>>621
3回目はガチの計画で、本気でやる気だったらしい。 >>622
簒奪した新しい王朝を正当化する為
→前の王朝の最後の王はこんなクズだった
→儒教的に卑しい女なんかにたぶらかされた
っていうテンプレな >>608
対象になる兎を狩り尽くしてしまうと、猟犬は用済みになって煮て食われるし
高いところを飛ぶ鳥がいなくなってしまえば、良い弓もしまわれて使われなくなる。
したがって、>>1 乙もうお前に用はない (AAry
ってことになる。
「狡兎死して走狗烹らる」ってとこだけでもつかわれる。 >>633
素直に開国しといて良かったんだろうなぁ… ちなみにあれだけの権力を持っていたチンギスハンの墓はいまだに発見されていない >>641
ただし弘安の役以上の戦力と強兵をもってガチバトル
ってほどには元も余裕がない
だから反対されたし、ベトナムと二正面作戦できなかった >>608 >>623
猟犬は重宝されるが、獲物の兎が死ぬと用済みとなり、犬は殺されて煮られて食べられる
弓は狩りに使われるが、鳥がいなくなると弓はしまわれる
つまり用済みの戦闘武将は、国家統一すると用済みで危険なので処分される
ちなみに私の大好きな中国の言葉は
「王侯将相いずくんぞ種あらんや」
その読みの通り、皇帝や王に種はない、同じ人間だろうが、俺も王になれるという意味 >>645
お前は「海の向こうに国などない」って言った旦那を殺した酷いやつじゃないか そもそも日本の方が元の日本進攻軍より兵力が多い上に補給の面でも圧倒的に有利
そんな相手に上陸側が圧倒的に不利な上陸戦
負けて当然だろ
当時の日本の総兵力て幕府直下の関東武士団だけでも20万
畿内、中国、九州も合わせれば余裕で40万はいくわけで
こんな相手に補強もままならない元どうやって勝てるんだよ >>646
鎌倉武士って擁護は鎌倉時代の武士って意味でも使われてる、と思う モンゴルと奴隷の朝鮮軍が暴風雨被害にあったのは
日本軍が強すぎて上陸することすらできなかったから。 深追いせず、防戦し続けていれば
その内、台風が来るという作戦 あの時代の鎌倉武士はまおそのエモノといい、武勇伝といい、とんでもないモンばっか出てくるからなぁ… 朝鮮軍が作ったモンゴルに命令されて船が手抜きのボロボロだったので台風くらいでほとんど沈んだ。
チョンの手抜きは昔から変わらない。 >>47
<<あいつらは人の心持っていない
糞ワロス
>>48
昔の日本は朝鮮人の扱いを良く解ってるわ 対馬の人は皆殺し女性は強姦拉致。
そんな目に何度もあってたのに韓国人を受け入れるバカ対馬の人々 うちのばっちゃが耳に銀流されたって言ってた(・ω・`) 1回目はともかく2回目は数十キロの長さの石塁築いて待ち構えてんのに勝てる訳ねえわな
3回目以降も考えてたらしいが何回来ても返り討ちだろ >>664
九州娘を売ってノウハウ教えてもらったらしい 元寇、
大東亜、
ヴェトナム……
なぜだか、半島チームは、
敗北。。。。。
(´;ω;`) >>638
軍は現地調達ね
別にチョンだけがそうだったのではない 元軍が相手の士気をくじくために討ち取った首を掲げて晒したら
士気をくじくどころか首を取り返すために猛攻してきたとかあったらしいね 最近は台風は来ていなかったになってるんじゃなかったっけ? そもそも元軍って海を渡って侵攻の経験あるのか?
補給路が海になるって事だけでも圧倒的に不利になる
台風が来なくても失敗に終わってた可能性が高い 九州人の俺からするとチョンやチャンコロに九州人が負けるわけがない。 まともな補給線もないのにちょこっと上陸して荒らす程度じゃすぐ逆襲受けて終了ってだけの話 海戦、上陸戦という苦手な戦い方を強いられて日本を押し切れないまま時間をかけすぎた。
まあ上陸しても、広々とした平野で双方決戦って感じはあんまりないが。 >>633
和時計って知ってる?
スイスの時計職人やセイコーのマイスターがビックリしてたよ もう東の陸のはしっこまでたどり着いて侵略させて口べらしする手も使えない
そうといって西侵させても途中で反乱独立されてもたまらん
武器はくれてやる食料二十日から四十日は持たせてやるけどあとは現地調達な
片道にも足りない気がするけど うんそんなの気のせい 我らは飢えそれで拡大していった
でうまくいったらもうけもん できれば海の藻屑になってくれ
これで血の気の多いのいなくなって反乱起きない 起きてもたいしたことない
って首脳部そういうのりだったからな >>660
元は上陸して戦うこともあったが、
駐屯基地は作れなかった。
拠点なしでは征服は無理。 >>673
文永の役のことなら、台風ではない暴風ってことじゃないかな
暴風自体がなかったって説じゃなくて >>1
・元にとって鹵獲した元敵軍兵士の殺処分
・元にとって日本征服はあまり魅力がなかった
・高麗によるあまりに酷く民間人を扱ったり惨殺しまくったりして反感を日本人が強烈に持った
(手に穴をあけて女子供を船際につるして並べて矢除けにしたりとか)
・そこに偶然台風 >>682
フビライは南宋と日本を征服すると言ってたこともあるし
普通に日本征服したがってるよ >>660
一回目は上陸して、九州武士の抵抗にあいつつも優勢だった。
太宰府に撤退した日本軍を深追いせずに、いったん船に戻ったら台風。
二回目は、日本側が上陸阻止戦略にあい、上陸しきれなかった。
そこに、南宋部隊が来て、海上は大混雑で台風。 ┏( .-. ┏ ) ┓
【任天堂(Nintendo)/オーム真理教&幸福の科学/ナチス】
▪マリオ とは
麻原彰晃(オーム真理教)= 孫正義 = エルンスト・レーム
▪ルイージ とは
大川隆法(幸福の科学) = 山内房治郎 = アドルフ・ヒットラー
--
《クローン体使い廻し(売買含)企業》
*元社長 岩田聡氏(死亡) = 宮崎駿氏
*元任天堂アメリカ社長 レジナルド・フィサメィ = 楽天CEO 三木谷浩史氏
*現任天堂アメリカ社長 Doug Bowser =Amazon CEO ジェフ・ベソス(フジテレビの犯人は安田の魂) ah
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1213382319869849600
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>633
幕末1853年に黒船でやってきて、明治維新の始まりを告げたペリーは
『日本遠征記』にこう書いた。
「日本人の手工業者たちは、世界のどこにも劣らず熟練しているのに驚く。
政府が変われば、この国をたちまち世界の最も恵まれた国々と並ぶ水準まで
押し上げるであろう。ひとたび世界の現代技術を習得したら、日本人は近い
将来に機械工業の成功を目指す世界競争で強力なライバルとなるだろう」。
その観察は図星だった。
戦艦にひれ伏すものと思い込んでいたのが、
日本人はいそいそと黒船に乗り込んできて、様々の機器や船を計測して記録しはじめた。
すぐに設計図を起こして、2ヵ月後にはすでに造船に着工、
なんと翌年には国産初の洋式大型戦艦を造ってしまった!のである。 >>683
とどのつまりの東の果てのどんづまりの土地だからそうは言っても後回しでいいんだよ >>684
つうか、対馬は半分近く基地などの要塞化でいいと思う
日米共同軍で、レッドチームに対する防波堤
沖縄もそうだが基地がある事で、経済的に潤う事もあるしな >>615
巴と言う女武者は存在しないっぽいね
いたとしたら使用人だろうと フビライは黄金は信じてたかどうかは知らんけど
硫黄の埋蔵量は多かった日本 >>688
まあベトナムと戦うことになったら後回しにされたからなあ >>691
埋蔵も糞もねえよ
火山から湧いてんだよ もし日本が朝鮮を併合しなかったら
朝鮮はロシアに植民地にされて
市民はみんなシベリアに強制移住させられて国は滅びて
朝鮮半島はロシアとなり、北方領土は日本の領土のままだった。
かといって半島がロシアの手に落ちても
元寇を見る限り、そんなにやばい状況ではないのでは? >>685
優勢なのに何故船に戻ったんだ?
陸地で待機してれば良いじゃないの ババアっょぃ
https://saga.ismcdn.jp/mwimgs/3/7/600m/img_378bbc08b76bbceb00ed2e4cff0ba12024775.jpg
馬渡島で住人がモンゴル軍に山の上まで追い詰められ、その住人の1人のババアが
必死になって投げた石臼がモンゴルの大将に当たってモンゴル軍撤退
住人も巻き込んだ総力戦であったこと、最後まで諦めないことを我々に教えてくれる 元寇のこと知らないやつ多いな
今でも神風とか台風のおかげと言ってるのかよ
戦後教育は恐ろしい
楠木正成のゲリラ戦法とか後の兵法になってるのに >>609
投石機なんか山だらけの日本ではまともに運搬出来ないし
使った所で日本の山城には効果無いからね
戦国後期になると天守閣備えた平野の城が登場するけど
これらの城も堀などがあるので投石機の射程距離では役に立たないだろうね >>672
討ち取った首を家に持ち帰り嫁が綺麗に洗って化粧までする国だからな
逆に士気が上がる 中国の歴史分析はかなりまともなレベルだな
どこかの国に見せてやりたい >>664
そのあと新規に火縄銃作らなくなったのもあって、半ばロステク化してるな<ネジ まあ朝青龍の1VS20だとかゲルカが1VS40で勝ったの信じてない奴に
俺が60VS1で剣道の乱取りで若いころやって今考えるとわかる話かいとくわ
敵が100位洋画、 22.78の法則でありは100匹いても22匹しか働かない
この法則が人間の群れにも発動する つもり100いても実際にやるきのあるのは22
さらにだな。面積の都合上同時に敵を囲もうとしても10〜12くらいでしか一人をかこめないのよ
だから実際にやるきのあるのは2、2人くらいなんだわ。 んでさらに囲んでる側は油断が生じる。
数が多いからな。だからやる気のない親にいわれたから剣道しかたなくやってるとかってやつを素早く後ろの壁にする。
んでやる気のある手練れだけ相手にしていく。んで火事場のクソ力ってきいたことあるだろ?
火事になればbbaが本気出して金しまったタンスもってにげることあるってやつ
人間は普段 筋や骨を痛めるから持ってる力の3割しかつかってない。だからオリンピックなどで
だれかが新記録をだせばつぎつぎとそれが破られていくのはこの問題だが、 つまり さっきの22vs78の法則で2,2人を
同時に相手にすればいいという話になるが、自分の持ってる最大限の力を99パーセント引き出した場合2,2人を上回るちからを発揮すんのよ、これが
だからライス国務長官とかが真剣にやってた、数によって圧倒的な差が出るという論理は覆る局面が発生するのだわ。まあ実際に10vs1くらいで切りあいしてみればわかるが
現実はそんなもん。よって朝青龍やらゲルカの話ま十分ありえるのだわ >>633
明治維新後も同じだよ
あらゆる近代産業分野と同じく、軍も大正時代まで戦艦潜水艦から
航空機まで西洋人を高給で雇って製造方を学んでる 北九州地区に橋頭保を築けても、近畿を目指して進軍とかは無理筋だったんだろ
早晩、叩き出されて幕だったんだよ チンギス・ハーンのモンゴル帝国が 責めてきたと書くから朝青龍みたいなモンゴル人が大挙して攻撃してきたと思っている人が多いと思うけど、実際に責めてきたのはチンギス・ハーンの軍門に下った朝鮮人ばかりだったんだよね >>706
ハイジのお爺ちゃんのスイス槍兵とかも恐ろしく強かったってな、圧倒的なキルレ塩誇ってルイ14性がびびって講和してやったとか、国力格下なのに >>695
ロシアと、元(中華文明地域)と、、モンゴル帝国(人種の坩堝)がごっちゃになってる? 当時海を越えて補給する能力なんてないだろ
船で軍勢送りつけて飯を現地調達するしかないけど、対馬はただの島で、幕府は博多で水際作戦
順当なんじゃないの >>701
桃山末期に家康が大砲で大阪城を穴だらけにしたよね
外国製の大砲だったけど >>641
当時の航海技術では
まともな補給線なんか築けるわけないから
何度やっても無理だろう 普通に力負けした雑魚集団だったってだけ
もしくは日本軍が強すぎただけかな?
上陸して物資を略奪現地調達するはずが
上陸すら許されず海上に追いやられてジリ貧
2回目は各種物資や家畜まで揃えて行ったのにやっぱり上陸させて貰えずジリ貧
神風以前の問題 川や湖くらいならともかく海を超えての上陸戦とか世界中の殆どの軍隊で
経験値とか殆ど無いだろうからどうやったてやるほうが不利だろうなあ
カエサルでもイギリス初上陸は船がでかすぎて接岸できなくて
敵前での飛び込みからの上陸とかで失敗ではないくらいの出来だったようだし 戦闘民族の鎌倉武士には残虐非道な大陸人も適わず退散しましたとさ 日本の武者 超優秀
元の兵士 優秀
高麗の兵士 バカ
主力がおバカな朝鮮人兵士だもの勝てるワケないでしょ 両方とも本隊が現地に到着する前にほぼケリが付いてたんじゃなかったか?
一地方軍に惨敗する程度じゃタカが知れてるわな
向こうも本国に本隊が有るとは言えな 船が足りなくて、高麗に命じたら、粗製濫造して、
頭数だけはどうにか間に合わせたという話を読んだ事がある >>696
夜襲その他を警戒したようだね。
日本側も撤退したとはいえ、決定的な崩壊はしてない状態だった。 >>633
明治時代になって日本が急に近代化されたわけがない
明治維新を迎える前に日本は既に幕府側の小栗忠順によってかなり近代化されていたんだよ
後に大隈重信が「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」と評したほど 最初に片足だけ九州本土に片足つっこんでそっから劣勢になり1ヶ月上陸できなく
勝手に台風で消えた雑魚
あの辺はよう台風くるって地元民に聞けばわかることじゃん
一方日本は九州勢だけで防衛成功
関東の本隊は暇人でした
話にならないほどバカなのがあの時の元だった >>716
それも大坂城の堀を埋めた後で砲撃だからね
当時最新の大砲でも堀の外からは弾が届かなかったみたいだから
投石機なんか全く役に立たなだろうな >>695
うーん、難しい
露助が思いのほか弱いのは、アメリカが支援しても
北海道を占領できなかった時点で分かるが、
アメリカに占領してもらうという、日本の計画が無かったら
朝鮮戦争、ベトナム戦争に日本は参戦しなきゃいけなかった
アメリカはレッドチームと戦うために、日本を完膚なきまで叩き潰してしまったし、
防波堤となりうる満州も、日本から手放させてしまった
ウラジオストク(東方を征服せよ)と同じ目的の港が、
朝鮮半島に出来るのは確定と見ると
そこまで楽観視できるものではない、
北東アジアは、冷戦ではなくなってたろうと見る >>726
船にいればひとまず奇襲に対しては安心ってことなのね
サンクス >>726
そもそも太宰府・水城が日本側の防衛拠点なんで、日が暮れて拠点に帰っただけ >>78
なによりも大半は他力本願の高麗軍
この一言 恩賞がもらえないってわかってたら日本の武士たちも命懸けで戦ったりしなかっただろうしそうなると日本は蒙古に征服されてたかも。 この失敗を踏まえて、中国は戦争が始まるまえに日本国内に大量の中国人を潜入させている 新羅は随にも唐にも勝ってるからな
いつから弱くなった半島兵? >>730
元寇前に九州で偵察した使者が一応こんな報告はしてる
けど上が情報生かせないんじゃ下が偵察してもなあ
1 :名無しさん@おーぷん:18/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y主 ×
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや… >>717
いや、南宋を接収し、さらに巨大船をガンガン建造するだけの技術と金があった。
当時でいえば、世界最大の海軍兵力だった。
商業的にもイスラム商人を使い、中国からイラン方面までのラインも確立しつつあった。
逆に明時代に、その技術が衰退して、見る影もなくるなる。 日本は武勇と軍備ある限り外敵から防衛できる
これが鎌倉武士の結論
左翼と中国は否定に必死→神風説という捏造説話 >>713
あのハイジのじじいもやばそうだからな あの眼光ただものじゃない。
ちょと前では小野田少尉なんかが 30年戦争おわってもゲリラ戦してたがあいつも
鉄砲のたまがスローモーションでみえたっていってたけど。小生も若いころ車にひかれたときに
2メートルほどとびあがって車をかわそうとしてスローモーションで車や着地するまで見えてな。小生の場合はかわし切れずに骨折したのであるが。
まあ人体は普段3割の力しかだしていないのでな。 義経が蔦を鞍馬寺で毎日とびこえてジャンプ力をたかめていったというが小生もあれをやってな
きたえておったが無理じゃった。本物の忍びはあれが可能じゃ。小生が人生で一番手ごわかった敵はやはり忍びよ。 あの時の元はホントに雑魚だった
九州勢が元つよすぎいいってプロパガンダするほど弱かった
鎌倉幕府にうそつくな!ってすぐ見破られたw >>734
実際は全然安心じゃなかった
日本軍は元の船にガンガン夜襲をかけた 文永の役(新暦11月下旬)に台風ってw
今以上に超温暖化だったってかw >>727
またまた不都合な真実は無かったことにする癖かよw 2月、3月に攻めてきて
台風の時期まで上陸阻止した日本側の勝利だろ
何言ってんだか 当時外人が攻めてくるというのはどんだけ恐怖だったろうか?
https://www.crossroadfukuoka.jp/event/?mode=detail&id=4000000000063&isSpot=1
元寇史料館が福岡にあって、当時の鎧や武器などが展示されてるが
その辺のちっぽけな国の外人じゃなく、
世界にでかい領土持ってたモンゴル軍相手とかマジで怖かったと思うわ
(当時モンゴルが世界最強という認識でいいんかな?)
先人たちはよく頑張ってくれた >>741
フビライ側近も「貧乏かつ獰猛の国なので攻め取る価値なし」と苦言を言ったんだよね
しかしフビライは何が何でも攻めろと >>750
九州を好きな理由がそれ
ホークスファンでもあるがな
南海からではないが まあ小野田少尉もおそらくヤタガラスじゃが、やつらの修業方法はすさまじい。
一瞬で地形を見抜き、鉄砲のたまさえスローモーションにみえかわし切る。
伊賀の血筋はdnaに戦の作法が身についておる。小生も源氏のうまれじゃが伊賀者はおそろしい >>691
大航海時代、世界で流通していた金の多くが日本産。
黄金の国ジパングはあながち間違いでもない。 >>746
鎌倉武士やばすぎだろ…
キリングマシーンやん >>744
あのジジイ、見るからにスイス退役軍人だよね 日本人はユダヤ人だからきっとアークを使ったんだよ
中東の人間は全く関係ないからな
現代では勘違いで戦争を生んでいる
誠に残念だ<南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん >>723 >>728
ほとんどと書いたんでそのへんを無視したわけじゃないよ、あんまり知識ないけどね
ヴァイキングは遠洋航海できるらしいけど戦闘そのものは
河川で小集団で奇襲による略奪程度のイメージしかなかった さすが九州は昔も今も日本の防波堤。
築地と新田原だけでは物足りない。八代平野あたりにもう一つ追加で。 >>23
その放置された死体もあり、日本側から汚物を投げ込まれたって事もあり、船内では疫病が蔓延したのも大きそう。 >>742
大航海時代の大型ガレオン船でも航海は大変だった
元時代の船では日本を制圧出来るだけの兵力物質の輸送なんて無理 >>753
日本の他の土地と違って元寇の舞台となった場所は外人そのものには慣れてたかもしれんけど
(福岡にはヤフオクドームあたりに昔からある唐人町なんかもある。元寇の時代からあったかは知らんけど)
おそろしかったと思うよね
よく乗り切ってくれたなと 大半が朝鮮の占領軍だったから
朝鮮兵の廃棄処分場として利用された >>740
当時の朝鮮は消耗戦で抵抗していたが、
元に人質として送られた王子が、フビライで協力で、
元軍を引き連れて即位して、内乱。
結局、その親元政権が勝ったので、元に協力する形になった。 >>751
黄金目当てだったらしい
中尊寺のせいだ 朝鮮人と組むと負ける上に泥棒 悪辣の汚名も着せられる。 >>766
ググったけど高麗軍は二回とも全体の2,3割位のようだよ
それ以外の元南宋その他の比率はわからんかったけど >>521
あの時代元にかかわらず補給は基本そうだろ 台風で船団が沈んだことになっているが、本当は兵士の船酔い防止のために船を
鎖でつないでるところに火をかけられて全滅した。 モンゴル人は
元来は穏やかな性格の民俗
遊牧をしながら草原を駆ける
しかし農耕民族の間接支配から
抵抗するため、武装するしか無かった
周辺民族が攻めたため防衛したら
逆に圧倒してしまい
周辺の民族が仲良く暮らすために
共栄圏を建設した
それがモンゴル帝国
彼等は肌の色や出生地で差別せず
有能な人材を集めた 侵略軍は元々が元と南宋と高麗の混成部隊で一体感が無いからな
手柄を立てて恩賞をもらいたい日本側の武士と
嫌々徴兵されてきた兵士とじゃ戦意が違う
壱岐対馬などの島々で虐殺・略奪と婦女子を連れ去って性奴隷にして
やりたい放題の高麗兵は侵略に積極的だったけど >>778
モンゴルとしては
講和により平和的に
共栄圏を建設したかったが
動員された周辺民族が
悪い事をしてしまったというのが真実 >>742
実際は無かったから三度目は行わ無かった たしかにあれだけ陸戦で圧倒しておいて、いつまでも沖に停泊はバカだなぁ。 モンゴル騎馬隊は海戦じゃ役に立たずチョンの部隊はもっと役立たずだったからな >>601
女は悪人にされやすいだけ
あの人の粛清のおかげで後の繁栄ですよ 元軍が得意とする戦法は
騎馬によるヒットアンドウェイ戦法だからだよ
日本のような広い平地が少ない
山がちな土地では不向きな戦法だったことが
日本が有利に戦を進められた要因 神風は日本に住んでたって負けまくりだしそりゃ元寇だって負けるだろ 実際どのくらい分捕れると思ってたんだろう
略奪品にしたって持ち帰れる輸送体制がないよな
土地を得て支配するのは言語の壁と支配体制的に無理
それこそ鎌倉幕府は軍政権だから戦争は本職 >>779
外交交渉のため太宰府を目指したかったが
行手を阻まれたのだろう
罠をかかるのを避けるため
海上で停泊、そして暴風雨で撤退 街にゴロゴロ手榴弾が落ちてる
修羅の国、福岡に手を出したら大火傷よ
あいつら血を見たら
目が爛々としてきやがる >>789
フェルト製
鎧というより騎馬のための防寒具だから >>763
アヘン戦争で清がイギリスにボロ負けした訳だけど、経済大国だった清を相手に船で兵員を移動させてさらに上陸して制圧とかどうやったんだろうと サイコパスとしか思えないジェノサイドをしたモンゴル帝国軍
島国日本どころかイスラムやロシアにまでトラウマを残した >>772
元だけじゃない。コロンブスもジパング探してアメリカ大陸を発見した。
平泉こそ世界史を動かす原動力だった。
京都なんか世界の歴史で何の役にも立っとらんけど。 >>780
2回も攻め込みに着といてよう言うわ、
元は高麗人(韓国人)に船を沢山作れと命じといて、
日本侵略しに着々と耐性整えてたくせにさ
もう無理あるぜ
シナは第二次上海事変の民間人殺害もバレてんよ
日本がこれを教えてないのは、捏造した自虐史観に都合悪いから
今の日本で言うと横田基地や沖縄基地を、
自衛隊が大挙して取り囲むようなモノ
志那軍の爆撃で日本以外のフランス租界でも、
民間人の死者が千単位で出たんだってなーw
先に手を出したのはどう見ても、蒋介石 もし鎌倉幕府が開国していたら
モンゴルブームが到来していただろう
羊肉の常食、馬乳酒のヒット、乳製品全般の復活
筒袖の服も流行り、宮中のスポーツはポロ
庶民には馬頭琴の演奏も好まれただろう 根本的に当時の日本の国力舐めすぎ
あの当時でも人口はアジア国々の中でも多く
しかも鎌倉幕府という統一軍事政権下
アジア中でも余裕で強国の部類に入ってた
その上に日本海という難攻不落の自然の要害があるわけで
こんな国をたかだか15万程度の兵力で制圧しようなんてどだい無理 >>781
三度目の中止の大きな要因は東方三王家(チンギスの兄弟の家系)の反乱。
フビライが弟と帝位争奪戦を繰り広げた時の盟友軍で、
フビライとしては、これで余裕がなくなった。
実際、高齢にもかかわらず、フビライの親征で鎮圧している。
鎮圧後、数年でフビライは死去して、孫が即位するが、
覇気のない孫でな。 「やーやー我こそはー」何て一人で飛び出したら格好の的ですわ。 >>782
圧倒してなかったから船に逃げ帰ったんだよ >>782
幕府側はひたすら放火何でも放火いつでも放火で戦ってたし最強の戦略だよな
元にしてみれば海上が一番安全 北条時宗は元に滅ぼされた南宋から逃げてきた人を総領にし
元の恐ろしさと恐怖を聞かされていた 一回目のときは 南宋が逆らってるから協力しようぜ という話を蹴って戦争してて
二回目で 南宋片付けたから次おまえらな ってきたんだから
南宋の事情も分かってて南宋人捕虜には親切にしてやったんだろうな >>740
それは高句麗。確かに、百済と高句麗滅亡後に、
楽狼郡復活を狙って百済と高句麗の故地を占領しようとした
唐を半島から追い出しているが、唐の占領軍に
反乱起こしていた百済と高句麗の遺民を支援して
ゲリラ活動させて唐軍を撹乱したから出来たこと。
新羅の武烈王の前の善徳女王の時は百済と高句麗に
軍事的に押されてたから、唐に百済と高句麗の
故地の領有を認める約束して援軍出して貰ったから、
百済と高句麗を南北から挟撃してやっと勝てた。 >>802
一回目は南宋攻略と同時。
なぜか、鎌倉幕府は、その前の丁寧なフビライのご挨拶を無視していたw
戦闘したのはほとんど九州の武士。
二回目は、一度開戦してるから後には引けない。 >>756
夜間小舟でこっそり横付けして乗り込み元兵を殺しまくりだからなw
むこうから見たら悪鬼ですわいw 満州なんて万里の長城の外だしなw
リットン調査団の報告にもある通り、中国大陸と満州は別
この認識が固まると「日本が悪い!」がやり辛くなるので、
連中は必死に印象操作するがね
まあ、露清密約で李鴻章が、日露戦争前に
満州を露助に売り飛ばしてるので、
この件でも何言っても無駄だな
満州はおまいら中国の領土じゃありません >>792
まずアヘン戦争は小兵力による局地戦しかしてない
そんで装備がイギリスのが断然上だし
清兵の士気も低いわで
少ない兵力でもイギリスが無双できた 歴史上、世界最大の版図をもった帝国は
大英帝国 世界全土にしめる割合は 22.63% 世界の22.63%が大英帝国の支配地だった
二位がモンゴル帝国、つまり元である
元の世界全土に占める割合は 22.29%
13世紀の時代に大英帝国とほぼ同じ広さに支配地をもっていた
まさにチャンピオン まったく知らない土地での夜戦は避けたいし、夜襲をかけられるのを警戒して
夜間は船に戻ったとの説もあるね >>787
朝鮮人に言えよ
元という他民族支配国家の中で、支配階級になりたかったから
日本を無理やり攻めさせたんだから
ひでえ国だよ、朝鮮は
従属してまで侵略国家だ >>798
まぁ何度やっても同じ結果だろうな
日本は石塁も建設済みだしな ランドパワーの頂点だな>元帝国
元帝国の衰退とともに、ランドパワーも終わった
んでオランダ、スペイン、ポルトガルとシーパワーが席巻
最近では大英帝国、そして第四帝国のアメリカへとつながる
アメリカもあれでシーパワー >>701
大阪城も堀さえ埋め立てられなければ難攻不落だったとか >>818
200年ぐらい一気に飛びすぎw
ティムール帝国と明を無視するなよ >>815
当時の日本側の戦略がひたすら放火なんだし
夜間なんか特にそうだったんだし船に逃げるよな
まぁ日本が無難に戦って相手を追い返したって感じやね
他に戦術ないよな >>796
鎌倉は蒙古と交易してたらしいけどな
結構漢字以外の文字が出てきたりとか
いろんなとこと貿易してた記録がある >>800
東欧のルーシ諸公国を征服した時はルーシとキプチャク族の
連合軍と陸戦しているが、総兵力はモンゴル軍が劣勢なのに、
ちゃんと敵地で野営している。キプチャク族は
テュルク系で貧乏農耕民族のルーシよりも強力な
騎馬民族で甲冑の様な防具もモンゴルよりも良い物を
使ってたし、モンゴルと同様に強力なトルコ弓使ってたが、
モンゴルの軽装の弓騎兵の機動戦にしてやられた。
これは、20万の重装騎兵を動員出来た金がモンゴルに
負けたのと同じ。それでも、完顔陳和尚の様な優秀な
指揮官がいた場合にはモンゴルも上手く機動戦に持ち込めず、
破れている。 元寇? ああ地上最強の戦闘民族たる偉大なる大韓の精鋭と
その大韓のあまりの強さに膝を屈したモンゴル軍との韓蒙連合軍の東路軍が
ジャップ武士団をメタメタにやっつけて北条王朝を滅亡ホロンぼした戦闘のことねwww
とかゆーと自称愛国者の物知らずの無教養なネトウヨは
みっともなくでっぱった腹中の皮下脂肪かかえてウェーハッハッハと哄笑するわけだがw
少なくとも元寇が北条王朝鎌倉幕府をホロンぼしたのはガチだよね。
ちょうど秀吉の文禄慶長戦争が豊臣王朝をホロンぼしたようにね。
まあつまり偉大なる大韓と干戈をまじえた身の程知らずジャップは
スベカラクホロンびるんだよw
そういえば大日本帝国とか言う国連公認の旧敵国も
偉大なる大韓に触手伸ばしてホロンびたっけねwww
病身国らしく歴史に学ばない懲りない国だなあwww >>784
一応その戦法使ってんだよね
威力偵察隊が退却して敵を本隊まで誘出し包囲殲滅するっての
ただ本隊が負けた
文永では砂浜で蒙漢軍司令官が射倒され姪浜に追撃されてるから本隊右翼は崩されてるわ
弘安では海の中道でぶつかってから志賀島の本陣の中まで切り込まれて海に撤退 >>817
南宋制覇で火薬兵器や攻城兵器を手に入れてる
もし3度目があったならば、石塁を破壊する火薬兵器や攻城兵器が来たかも
実際、元軍はその後、その攻城兵器で城攻めまで行えるようになった ちなみに
大日本帝国の最大版図は世界に占める割合では4.97%
史上18位の広さを支配した帝国だった てかそう簡単に船に戻れるのか?
海岸に船をつけておかないといけないのに >>701
ところがこの投石器、ペルシア方面から持ってきたもんで、漢水を超えて
攻撃できる飛距離だったねんw よりにもよって日本史上でも最悪の修羅の国編の時に攻め入ったのが運の尽き >>711
100万くらい上陸させても、食わせられんしね
略奪してもそれだけの物がない >>821
そんなのあったっけ?(スッとボケ)
元皇帝は1600年代まで続いたそうだし… 騎馬民族の元は元々乗り気じゃなかった
半島に半ば騙されて出陣 >>813
やはり近代化の差は大きかったんだな…
清が明治維新コースを歩めなかったのは何でだろう
欧米列強は日本には軍事技術を提供したが、清は植民地コースにした そもそもフビライ側近が必死で制止してるのにフビライが頑固だった
わざと進軍を先延ばししてる感じすら有る
そこまで側近が嫌がったのは鎌倉武士の戦闘力と武勇を知っていたため。
側近から見たら予想通りボロ負けだたわけ 騎馬弓兵が今で言うICBMとかその辺の最強兵器だからな
ちな、日本相手には使えなかった模様 >>537
絶対に笑ってはいけない落馬
見物人「笑うわ、こんなん」 ロジスティクスがイマイチな時代に海峡越えて侵略するのは無理ゲーだよな 元寇って元軍の中でも3軍以下の寄せ集めが日本を攻めてきたってだけの話やで?
元から見たら全く本気も出してない >>652
流石残酷国家だな
麻薬持ってるだけで死刑とかキチガイ国家だし
事件も冤罪で死にまくってるらしいな
昔の民も殺されまくったろうな >>840
日本が近代化したのは
明治維新のおかげ
つまり徳川が負けていないと、日本も清と同じコースをたどった可能性が高い >>840
どう考えてもロシアへの防波堤のためです
本当にありがとうございました >>830
デカい船は座礁するから海岸には付けないよ
沖合いで碇を降ろして、手漕ぎボートで海岸まで移動する 博多まで占領したけど焦土化されててやむなく撤退したんだっけ >>819
この構造が災いして、日本刀でザックり切られた。
10年くらい前にヒストリーチャンネルで元寇のことやってて、
モンゴルや中国式の鎧を着せたダミー人形を
日本刀でバッサリ袈裟がけに切ったり、
和弓で革製のモンゴル式兜を撃ち抜いたりしてた。
結論は武士という、高い戦闘技術とモチベーションを
持ち、優秀作な武器を巧みに使いこなす武士という
Elite Wariorが支配人階級となっている
日本を
他のアジアと一緒に考えていたモンゴルの
見通しが甘過ぎという結論だった。 >>647
これって中国は特にだけどヨーロッパもそういうのあるよな 中国人が日本に攻めたことがないのが凄い
中国人こそ平和を好む上位人種だろ >>845
戦力の逐次投入と言う愚策をしてしまったんだね >>687
日本人ていつの時代も当時の先進国から驚愕されてるよな
やっぱ民族ごとに才能の違いってあるよな >>635
孫子は有名だから名前じゃないのは最近知ったな
中国は英雄多すぎて興味あるわ >>515
こんなところ領土としていらない 汚い場所に住めるかと言っていたような >>855
長崎事件は?
武力で威圧して乱暴狼藉を働いてるんだから似たようなもの フビライは現在の北京のあたりに大都という大都市を建設させたが
本人は巨大な移動式住居と共に夏はモンゴル平原へ冬は大都の近くを往復する生活を送ってた >>855
周辺異民族を騙し討ち良くしてるけどなw
あと、下手に手を出して返り討ちにもよく会ってるw だからw
ドラゴンボールで例えたら
元寇1回目
ラディッツ来襲
元寇2回目
ナッパ来襲
この程度だってw 元側資料でも鋭利な刀を持ち死を恐れないと書かれているので
鎌倉刀の威力も脅威だったようだね
そもそも弓主体の元兵には、集団突撃の上、刀で切り裂いて来る日本武士の戦法は恐怖だったのではないかな まあ小舟で夜襲したのは俺ともう一人の義経だけどな。 >>2
こんな低脳丸出しの下等遺伝子民族朝鮮人に騙されて、
日本に武力侵略を企てたんだから、
元は愚かというしか無い
しかも、騎馬民族が慣れない船に乗って日本へ渡航して戦争だなんて
馬鹿もいいとこ >>631
綺麗に斬ってってのはやはりドラマやアニメだわな
しゃあないよなそれは >>16
なるほど。
それで朝鮮戦争は引き分けだったのかw 海洋進出するなら日本はいい立地だけど
そうでもなければ世界の端っこの島なんぞ占領しても大してうま味ないだろうに オスマン帝国かあ、ウィーン陥落してれば歴史は変わった
でも、勢力図見たら元の方がやっぱ凄い >>855
中華思想のおかげだろうな
世界の中心の中華さえ統一すれば満足してしまう
周辺国の野蛮な国は恭順してくるだけで十分満足
皇帝の足元に土下座してくれれば、彼らに中華の高度なお土産を持たせてやる
周辺の土人国を支配することに興味がなかったのだろう
だけど現代の中華人民共和国は元帝国化しちゃっているな >>863
まあ我ら源氏にしたら余裕のミッションだったわ。一番きつかったのは
竹取物語でかぐや姫の防衛ミッションだったわ。あのときはブルービームを宇宙人にうたれて
体うごかなくなったんだわ。 ナメック聖人(鬼)がせめてきたときは後ろから刀でくびおとしてなんとかなったけど 韓国は嫌いだから歴史ドラマ見ない様にしてるけど
勿体ないのかな? そりゃ鎧を着た兵士が
海を泳いで船に向かって来るんだからな
外人だって嫌になるよ 日本人って言うかネトウヨか?w
敵が全く本気出してない状態なのに勝った勝ったの大騒ぎする癖あるよな?
日露戦争だって日本は大勝利と勝手に思ってるだけでロシアは本気出してないし、戦った日本軍ですら勝った気がしないと記録に残ってるじゃん
元寇もこの程度
元は全く本気出してないし >>563
明軍もボロボロに薩摩にやられていたしな オスマンもチムールにはボコボコにやられたからな
だがモンゴルの去った後は無敵モードになった
敵はいつも全ヨーロッパ連合
それでもオスマンが勝ち越し フビライはオジサンたち(モンゴル帝国)へのコンプレックスから
世界一の版図を目指した
その時誰も手を付けていない蓬莱の征服にこだわったわけだ
しかしアジア一勇猛で残忍な武士がいるとは気付かなかった
気付いたのは側近たちだけ まー敵国の兵士の大半が中国人と朝鮮人で
士気も能力も低い寄せ集めの軍
その程度のカスどもに勝ったからといって鎌倉武士が強かったとは言えないがな 元寇ほど「朝鮮とどう向き合うか」の教訓になる
史実は無いのかと。 元軍の本体がガチで攻めてきたら速攻で日本なんて終わってたでw ぬゑ退治とか、カグヤ姫の防衛ミッションで宇宙人ともたたかってきた我ら源氏にしてみれば
朝青龍の群れくらいへのかっぱよ >>791
>>819
大陸では、騎馬を駆使しての電撃戦メインだったろうから、
軽量で動きやすいこの構造の方が良かったんかな。 >>884
いや強かったから上陸すらできんかったんだろうが
アホと違うかお前
死ねよボケ! 日本ってどれくらい文明が遅れてるか教えてやろうw
中国が三国志の時代の日本は卑弥呼やでwwwwww 国内でしか戦争してないのに世界一優秀な日本刀作って世界最強の元軍を撃退してしまう日本人てやっぱ異常に優れてるな
思えばホモサピエンスがネアンデルタール人やデニソワ人滅ぼしてただ一種の人類種になったように
進化ってのは不平等に起きるもんなんだなと人類の歴史を見て実感 >>847
清では明治維新がなぜ起きなかったのかな
既に茶をイギリスに輸出してぼろ儲けとかしてた
>>848
戦後の日本とか韓国と同じ扱いか…
発展したというより発展させて頂いた Mongol Invasion of Japan (1281)弘安の役
https://youtu.be/1w0DlyP-fgE 弓の使い方と性能
洋上でモンゴル弓直射しても人に当たらなかった
それにモンゴル弓の矢は軽いので日本の各種矢避け道具が活きた もしかしたら元寇なんてドラゴンボールで言うならタオパイパイクラスの雑魚だしw
雑魚に大苦戦した日本軍 >>892
あのな。文明なんて必要ないのよ。我ら源氏は日本型エルフだからな。森の民であってな。
ご神木があればその花粉だけで生きれる。中国側にも宝来島に∞の命を持つ仙人がいると書いてあるだろ
始皇帝もこのしまに不老長寿の仙薬を探しに探検隊をおくったが我ら源氏が始末した。やつらの石弓などとまってみえたわ 当時の日本なんて占領しても何の価値もない辺境
元からの脅迫なんて、のらりくらりと対応して、大陸のことなど興味ないから逆らいませんでいいの
時宗が使者斬れば向こうも怒るに決まってる でも結果論見ると元の勝ちだよね?
局地戦で日本は買ったは良いが与える恩賞が無くて戦った御家人から大反発受けて鎌倉幕府滅んでるしwwww >>904
それは全く違うよ
フビライは最初から侵略する気だからな >>892
ちょいと文明教えてもらったら元のところよりはるかに上を行くって
やっぱり日本人は他の民族と才能が違うな 別に中国じゃなくても世界の古代都市は3000年くらいあるものはザラ
日本も東日本ならそのくらいの遺跡はあるが
内弁慶マウントで中国の配下であることを自慢にしたがる近畿諸都市が目立ちたがるからいつも諸国の下の立場ばかり 元は南に中東、ベトナム(こちらも失敗)、極東に日本(退却)
果ては欧州(ドイツ、ポーランド)辺りを陥落寸前にしてたからな
オスマン帝国の脅威は、専ら欧州方面のみ。明もほぼ中国統一 >>907
ねーよw
日本に興味あるなら正規軍出すだろw 沿岸からガンガン艦船砲撃出来る時代にならんと無理じゃね? >>851
百道に上陸して先遣隊が2kmほど進んだ赤坂で敗退
それから上陸地点で防戦一方で敗退 >>855
日清戦争は中国人が長崎港で大暴れして日本人を殺害したのが始まりだぞ
中国人は何故か日本が一方的に中国に攻めてきたように勘違いしているが
1886年(明治19年)8月1日、清国海軍の北洋艦隊のうち定遠、鎮遠、済遠、威遠の四隻の軍艦が長崎港に入港した
8月13日、500人以上の清国水兵が日本の許可無しに勝手に上陸を開始。長崎市内をのし回り、泥酔の上、
市内で暴れまわり婦女子を追いかけまわすなど乱暴狼藉の限りを尽くした
この内の一部の水兵が遊廓に押し掛けたが登楼には予約が入っており順番待ちがあった
このことに怒った水兵は暴れだし、遊郭の備品を破壊したり盗み出したりした
長崎県警察部の丸山町交番勤務の巡査2名が鎮圧に向かい、首謀者2名を逮捕し交番に連行した
逮捕された水兵を奪還しようと、逃げていた水兵が仲間を連れ十数名で交番を取り囲んだ
水兵は骨董店で購入した日本刀等で武装していた
交番は応援を呼び交番警棒で応戦し、襲って来た水兵達を逮捕して濱町警察署に連行した
8月14日、長崎県知事・日下義雄と、清国領事館・蔡軒の会談で、清国側は集団での水兵の上陸を禁止し、
又上陸を許すときは監督士官を付き添わすことを協定した
これを条件として、逮捕されていた清国水兵は清国側へ引き渡された
8月15日、前日の協定に反し、午後1時頃より300名の水兵が上陸
棍棒を持つ者もあり、また、刀剣を購入する者も少なくなかった
清国水兵数人が巡査3名の居る交番の前でわざと放尿し交番の巡査が注意すると、彼らはその巡査を袋叩きにした
300人の清国兵は3人の巡査によってたかって暴行し、1人が死亡し2名が重傷を負い重傷者の1名は翌日死亡した
これを見ていた人力車車夫が巡査達を助けようとして、清国水兵に殴りかかった
これを契機に清国水兵の一団と巡査を助けようとする長崎市民とで乱闘となった
止めようと駆け付けた警察官は清国水兵の数が多いことや日本刀等の武器を所持していたことから一旦署に戻り帯剣して出直した
これにより清国水兵と斬り合う事態に発展し、それぞれ死傷者を出す(清国人士官1人死亡、3名負傷
清国人水兵3名死亡、50人余りが負傷。日本人側も警部3名負傷、巡査2名が死亡、16名が負傷。長崎市民も十数名が負傷)という大事件となった >>908
あったことはない うちのじいさんはあったことがあるはずだ。 鎌倉武士の武勇にビビった外国人がさっきから必死だな >>845
バグダッド攻略の時も籠城するアラブ勢に対して
漢人兵を動員してるし、ロシア攻めでも服属した
テュルク系を多数動員している。
モンゴルは人口が少ないから、モンゴル人だけでは
とても遠征に5万も動員出来ない。服属させた異民族を
使わないと頭数が揃わない。
ポーランドとドイツの連合軍を撃ち破った
リーグニッツの戦いでも、侵攻したモンゴルの方が
兵力は劣勢だった。
文永の役は日本側も準備不足で九州の地元の武士だけの
いいとこ6千程度の劣勢で迎え撃って、一週間持ちこたえて
撤退においこんでいる。同時代の欧州は2万5千で
侵攻してきたモンゴル軍を1.5倍近い3万5千で迎え撃って、
鎧袖一触で負けている。 >>882
オスマンもティムールも、どっちもモンゴルの在地勢力だけどな。
モンゴル軍は征服した土地の遊牧民勢力を取り込んで成立していたので、
中央から西アジア方面のモンゴル軍の主力だったやつらが、
トルコやティムール。 >>884
中国というか南宋は元と戦った後に敗れてイヤイヤ駆り出されたから士気は低かったが
朝鮮はモンゴル帝国の中での地位を確保する為に友邦だった日本を裏切り積極的に出兵してたぞ?
あと鎌倉武士だけでなく九州の地侍や伊予水軍も活躍してる。
だから侍の精強さと元側も一枚岩でなかったことと蚊が媒介する風土病と暴風雨に負けたのさ。 モンゴルの手だからな
叛乱しそうな現地軍をさらに別の侵攻に利用する
失敗して全滅してもよし上手く戦果をあげ 橋頭堡っていうけど、モンゴルは大陸での戦いの時は、遊牧民らしくそもそも拠点を短期間で移動しながらの戦いしてたんだっけ?
もちろん日本侵攻時にはそれができるはずも無く。 >>913
クビライを皇帝の座につけた直属が蒙漢軍
日本に来たやつらは精鋭だわな 安倍総理は天気を自由自在に操ることのできた安倍晴明の子孫だしきっと安倍総理のご先祖様が台風を起こして元軍をら壊滅させてくれたんだと思うよ、だからおまえたちも安倍総理に感謝して尊敬しろよ >>919
>>928
どこがだよwww
ドラゴンボールでいうならサイバイマンってレベルの2軍ですらない寄せ集めだぞw >>687
宇和島藩の船を作ったおっさんの話は驚くね >>914
逆に沿岸からガンガン弓矢を撃たれていたんだろうな ネトウヨの思考だとさ
元寇ってフリーザをサムライがやっつけたってレベルまで誇大妄想してるんだろうなw まあ我ら源氏における呼吸法を書いておく 本来 我ら源氏にしかできぬものだ
クスノキの木があればそれのまえでゆっくりと深呼吸するのだ。これによって
ソマチットという化学物質がクスノキの花粉が含まれているが 身体能力を飛躍的に高めることができる
神社にいけばだいたいクスノキがある。そこへいけまず気を整えるのだ。これが日本型エルフの秘術の一つだ。
まあ呼吸法については源氏ならばしってるはずだ。 今は異を再びうつとき、戦前にはご神木の前で秘伝の呼吸法で整えるのじゃ 鎌倉武士の戦闘力、武勇は、元軍をはるか超えていた
これが左翼教師や中国人には大変気に入らない
そもそも元や高麗の資料で、元側がボロ負けした悲惨な実情が克明に記されているのに
否定するのに必死で笑える 日本のサムライは凄いもんな
フリーザのデスボールですら刀一本で弾き返せるしwww >>840
清末光緒帝は、明治維新に倣って近代化しようとしたけど西太后に潰された
上からの体制内改革だったのと、派閥抗争の材料に使われてしまったこと
異民族王朝だったので漢民族の軍閥(袁世凱等)が非協力的だったこと
あとは教条的・排他的な朱子学思想と、それを必死の教養とする科挙で採用されたテクノクラート
毛沢東は儒教的なものを徹底的に破壊しようとした
おかげで発展したが、モラルもなくなったのが現代中国人w >>924
元南宋兵の主力は中央アジア’(一軍)やら、インドシナ方面(二軍)へ出されているので、
日本に出したのは三軍以下で、農機具しか持ってこない移民だったけどな >>935
歴史を捏造しない辺り、
社会的地位と保身のために
日本の正義と大義を他国に売り渡した、
東大のカスより、チャイナは幾分マシだな アシュケナージもノーベル賞受賞者が人口の割に突出してるから知能が高くなる遺伝子あると言われてるし
日本人もあまりにも歴史が物語る実績が凄すぎるから何かしら他民族を圧倒する遺伝子持ってるのかもな >>938
提灯の貼り替えだけじゃ食ってけないから何でも屋みたいな事やってた人と大村益次郎 たぶん海に落ちたら泳げないのがほとんどだったんだろうな>元軍 >>922
オスマンはモンゴルかかわってないぞ
トルコ系というだけで先祖はもちろんモンゴルと同じ匈奴だがチンギスモンゴルの系譜にはいない
チムールはガチガチのチンギス統でオスマン側では普通に"モンゴル軍"と記録されてる
オスマンはルームセルジュークの一派から発生した
それを言うならホラムズシャーだってトルコだろ
トルコ=モンゴルの配下とは違うぞ
突厥から派生してモンゴル人が生まれた >>881
明から朝鮮へ援軍に来た将兵は、周辺の騎馬異民族の大軍を打ち破るほどに強力だったのに
日本兵には負けてばかりで逃げ出した
戦乱で培われた戦術と、火縄銃の強さはすごい ちなみにNHKでは斬首したからフビライが激怒したとの珍説を披露
そもそもとっくに前から大規模に侵攻準備してるのに結果が変わるわけがない
フビライにとって日本征服は面子に関わる絶対命令だった
側近が何度も中止を提言し、苦言してるのにである http://check.weblog.to/archives/6407165.html
これじゃな。不老不死の素材は 始皇帝はまあこれをさがしておったのよ。
これを我らは源氏はもっとも血液と融合させることができる。いざ戦となればな。
クスノキからこれらを吸収して、エルフにわれらはなる。ぬえやモンゴルなどおそるるにたらぬ 俺たちゃ世界一狂ってる最強軍団だぜ!降参しろや!で世界中走り廻ってた兵が、とある島国に行ってみたら。
武士と呼ばれる、自分達より狂った生き物に遭遇したでござるの巻 >>937
後宮が腐り切ってた、ゴミレベルの皇太后がいた、進士でクズな高級官僚が多すぎた
この辺が原因だろう
ぶっちゃけて言うと、朱子学社会の限界
何かやろうとすると朱子学が邪魔すんだよ >>893
武士のメインウェポンは鏃射程距離が長く威力が強く盾もぶち抜く和弓だよ、矢が尽きたら刀。 元軍には船酔いで一度も出撃しなかったやつもいたと思う >>904>>948
そもそも斬首したのは一度侵攻された文永の役の後だから
斬首したからフビライが激怒したというのは斬首時期の誤認だし、
弘安の役については既に文永の役が斬首しなくても攻めてきてるやんけ、
と一度斬首しなくても起きてるならどっちみち起きた可能性がある 火薬と馬は日本になかったからなあ
中世とはいえモロに補給の問題がでる >>937
日本は明治時代だけであっという間に列強入りした
なんかいつの間にか5大国に入ってたり >>9
秀吉はあっさり朝鮮半島を制圧したよ
半島は原住民だったからな 海がキツイし、距離もキツイ
仮に運良く京都を占領できたとしても、
何年か後に、天皇か皇子が旗頭になって追い返したんじゃないの?
モンゴルの首都を京都に置くぐらいの侵攻なら話は変わるが
そこまでの戦略的な価値もないし、腰の引けた侵攻ならどちらにしろ
撤退は不可避 >>893 >>956
確かこのころの日本は世襲制だよね?
武士の子は武士
元軍は徴兵だよね?
弓は鍛え上げれば銃並みに打ち抜いて強いはず
しかし雑兵だと集団で矢の雨程度しかできない
武士は子供のころから武道を鍛え上げられたんだよね? >>845
その精鋭部隊は、大陸での騎馬を駆使しての電撃戦でこそ本領発揮できるんだろう。
もしヨーロッパを制圧した部隊が来たところで、何ができるだろうか? ちなみに戊戌政変で西と袁世凱に追われて失脚した梁啓超が日本に亡命して教師となり四大文明を提唱した
だから四大文明は日本と中国のみ習う
他の外国では当たり前のように言ったりしないように
四大文明?何それ
と言われてしまうので >>942
日本人は古い血統が残ってる
ネアンデルタール人の遺伝子の割合が一番多いのが日本人らしい(ドイツ調べ) 秀吉のときは朝鮮兵のあまりの弱兵ぶりに逆に拍子抜けしたそうだね
まあ内紛から率先して秀吉側に味方したりの事情も有る >>963
京都なんか占領してもすぐ落とされちゃうよ >>892
台湾の原住民もそうだけど、頭がまっさらで素直な所に、文明とのファーストコンタクトがあると、子供みたいに素直にどんどん吸収して発展しやすい。
反面、マッカーサーに、12歳の子供のようだと言われてしまう事もあるが。
逆に、伝統の重みのある国は、過去の成功体験に縛られたり、それが足枷になる事もある。 >>774
今から大戦をするわけだ。マヌケが2〜3割いたらえらいことだ
それにお前さんは慣れない海を渡って一国を落とそうというのに、いきなり先鋒に自分の軍を使うのか?
敵の領地へ攻め入るのに、腹の底が見えない、軍力で屈服させただけの軍を自分の軍より多く連れていくのか? 秀吉の朝鮮出兵って
朝鮮じゃなくて明打倒だしな
半島なんて単なる通り道 >>935
だから、左翼史観のしがらみのないヒストリーチャンネルは、
日本軍は全員が職業軍人の武士で訓練も行き届いていた反面、
モンゴル側はモンゴル族は全員職業軍人としても、
服属民族は徴発された素人による兵士が多くて
同じ兵力だと戦闘力は日本側に劣ると冷静な分析してる。 >>970
それならアフリカとか一等国だらけにならんか そりゃ、手漕ぎの船で荒波を渡って来て戦争するほうが無理だろwww
日本の地理的大勝利ですよ >>853
あれは文化摩擦だね。
自国の常識で振る舞っていたら、当地の人間には不快だったってやつ。 >>900
それを補うように、元軍の鏃には毒が塗られていて、日本軍はそれに苦しめられてんだってか。 >>763
南宋の船も大型だし、構造的にはガレオン船より優れてるぞ。 >>904
スルーしてたら元が攻めてきたから怒って使者斬ったんだろ
一方的に侵略した来たら時宗も怒るに決まってる >>944
中国韓国は今でも海軍兵士でもカナヅチが多い。 内乱だろうな
単に日本を攻めると見せかけて独立化のチャンスと思った
実際に内紛で滅んでいくし
とか適当に 九州攻めるなら博多湾が定石なのかな。
上陸出来る場所がそこしか無い? >>904
マルコ・ポーロの東方見聞録を信じたクビライがアホだったんか。 神風がなかったら
俺たちみんなストッキング面だったかも知れないと思うとゾッとするな >>847
徳川のままだと、封建的身分制社会のままで、かつアメリカの同盟国、今のサウジアラビアみたいになってたかもよ。 >>974
武士って7%くらいいたんだよな
今じゃ1%の常備軍でも多すぎると言われてるのに
民の負担がやばかったろうな 戦争の前の使節は斬るのが普通
斬らないと内情を喋られてしまうからね
斬らずに返すほうが異常と言うべき >>988
ここにも日本の左翼教師に騙された人が1人 フビライは暇だったんだろ
最初から世界征服状態だから他にやることない
出来ることは海のやつら倒すくらい ここらの戦いをリアルに描いたドラマが見たいけどまあ無理か >>985
わしも思うわ 小倉とか対岸の下関とかね
下関封鎖出来たら九州増援は厳しくなる >>990
それは江戸時代じゃね?
戦国時代以前は農民も武器を持って戦っていたで >>991
それでも文永の役までは、使者の偵察に気付いててそれでも斬ってない このスレッドは1000を超えました。
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