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【考古学】弥生時代末期「ムラのナイフ工房」跡か 長崎県大村市で1700年前の鍛冶工房の跡が見つかる (動画あり)
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0001ごまカンパチ ★垢版2020/02/07(金) 22:27:16.11ID:t34XgWve9
https://www.asahi.com/articles/ASN2674JRN26TOLB001.html
 約1700年前にあたる弥生時代末ごろの鍛冶(かじ)工房跡が、長崎県大村市今富町の住宅地で発掘された。
きりやナイフなどの小型の鉄製品を鍛造していたとみられる。
この時代の鍛冶工房跡の発見は、県内では壱岐市のカラカミ遺跡に次いで2例目という。

調査した大村市教育委員会が6日、報道陣に公開した。場所は市内にある「帯取遺跡」の一部。
市教委によると、7メートル四方の竪穴式建物跡で鍛冶炉とみられる跡が四つ見つかった。
いずれも高熱を受けたことを示す白やオレンジ色に土が変色し、金属反応があった。一隅にある三つは、水を遮るためとみられる溝に囲われていた。
棒状の鉄器片や、金属が付着してたたいた跡のある石、研磨に用いたとみられる砥石(といし)なども出土した。

出土した土器を根拠に、工房の操業時期は弥生時代末〜古墳時代初頭(3〜4世紀)と断定。
炉は下部構造を持たない種類で、あまり高温にできないため、武器などの大型鉄製品は製造できなかったとみられるという。
市教委の学芸員柴田亮さんは「地域に密着した『ムラの工房』だったのではないか」と話す。
周辺で小型の鉄製品が普及していたのは間違いなく、一定規模の集落があった可能性があるという。
同時代の鍛冶工房跡は、全国で数十例が確認されているという。
11日午後1時半から現地で説明会が開かれる。無料、小雨決行。

https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200206005102_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200206005105_comm.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200206005106_comm.jpg


別ソース(※リンク先に動画あり)
1700年前の竪穴住居跡 大村市で鍛冶工房の跡発見
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200206-00003422-nbcv-l42
0003名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:29:45.39ID:NcO/0J0L0
村の鍛冶屋♪
0005名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:32:51.53ID:5AcDmujh0
学校で習った時はとにかく縄文弥生は未開の土人で中国様韓国様に文明をお教えいただいて、
やっとどうにかなったみたいなストーリーを習った記憶があるのだが、
今分かってる限りだと全く違うなこれは。
0007名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:43:15.39ID:S2DZZsEO0
教えてもらったじゃない まず彼らが移民してきてやったんだ そこに住んでたのも彼らの可能性が高い
0008名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:45:07.66ID:tZsLSx3M0
魏志倭人伝には倭人は鉄の矢じりを使用していると書かれていて、
魏志韓伝には倭人が半島南西部の弁韓まで来て鉄を採っていると記されている

さて、ではこの図を見てくれ、弥生時代の鉄鍛冶工房跡の分布図だ
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg

まさかとは思うが、これを見てもまだ邪馬台国がどの辺りにあったか分からないような知恵遅れはこのスレにはいないよな?
0009名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:47:48.08ID:YPxkmh2c0
>>1
素人が見るとただのゴミだな
0010名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:48:25.66ID:lxIoScE30
>>2
いやいやwwwww

>あまり高温にできないため、武器などの大型鉄製品は製造できなかったとみられるという。

ここを読めよwwwww

九州説は終わったんだよwww
0011名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:49:07.18ID:BiQ3EDl10
>>8
違う。邪馬台国では無い。邪馬壹國だ。
よって読みはヤマイツとなる。断じてヤマタイでは無い。
0012名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:50:15.59ID:U6mnVrMI0
>>8
そんなバカがいるわけないだろうHAHAHA!
0013名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:51:14.22ID:abUOcwnp0
刀剣女子たちも注目?!
0014名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:51:42.91ID:AfuEYap/0
村野ナイフ
一流ブランドだな
0015名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:51:57.14ID:wofMrfZ/0
>>8
やっぱり九州だったんだね
関西人どもはどうせ嘘をついているに違いないと常々思っていたよ
0016名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:52:25.17ID:6wTa0KXD0
此処から近畿まで輸送してたのか
或いは諫早を陸送で抜けて有明海から邪馬台国へ輸送してたのか
0018名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:54:15.60ID:Yuga2hQHO
鍛冶の語源
金打ち(カネウチ)→カヌチ→カジと訛っていったらしい
0019名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 22:56:07.39ID:tZsLSx3M0
>>10
残念でしたw

富の原遺跡 長崎県大村市
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1
> 1980年(昭和55年)以降の発掘調査で竪穴式住居跡(弥生時代)、甕棺・石棺墓、祭祀遺構等が発掘され、土器・石器等とはらんで国内でも例の少ない
> 鉄戈と鉄剣の出土をみた。
> 特に鉄戈の分析から得られた情報は大きく、原料鉱石として磁鉄鉱が用いられ、錆分析から推定される鋼の炭素量は0.5から0.6パーセントで、
> 刃部には真鍮を削れる程度の硬度があり、別の鉄戈の棟部の錆びから調べられた炭素含量は0.1から0.2パーセントであり、棟部が軟鋼であることが確認されている
> すなわち刃部に高炭素の硬鋼を使用し、棟部に低炭素の軟鋼を組み合わせる「合わせ鍛え」の技法(日本刀や農工具に用いられる技法)が弥生期から確認された
0021名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:05:00.44ID:0sIHTqqd0
道具作り集団といえば弥生前期には
奈良盆地の唐古鍵古墳の前進はあったし
0022名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:06:36.29ID:0sIHTqqd0
ていうか長崎の職人集団が作ってたのナイフだけなの?
唐子鍵と違って多彩じゃなかったのかな
0024名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:18:11.32ID:JB7CjgPq0
これは小規模集落で日用品程度の物を造っていたと推測されるものが見つかったという話でしかない
あまり話を大きく膨らませるなよ
0025名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:18:27.13ID:qf5TTep+0
>>22
発掘か出土しないとなんとも言えない
ナイフは稲刈りに使ってたろうし、畑を耕す鍬的なのもあったかもしれない
0026名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:18:33.89ID:tZsLSx3M0
>>21
道具作りとか言い換えちゃってw
鉄器じゃないだろw
>>8を見ろ、お前ら畿内説はもう終わったんだよ
0027名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:19:39.12ID:tZsLSx3M0
>>24
>>8を見て泣いてろw
0028名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:20:00.99ID:qf5TTep+0
>>26
出土してないだけだ!って言い始めかねないからそこまでにしといてやれよw
0029名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:20:53.19ID:jHOemi060
夕方のクラスター願望チョンw


330名無しさん@1周年2020/02/07(金) 17:31:45.69ID:OYJ7kDj00>>366
>>318
逆だ。アイヌはシャモの白さと体毛の少なさに憧れてた
実際、北海道で色黒な人はアイヌ混じりが多い
0030名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:22:37.78ID:vfesYAoR0
畿内説のアホども今夜は恥ずかしくて出て来れないな
0031名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:25:32.02ID:BiQ3EDl10
畿内説の重大な欠陥は、邪馬台国=大和朝廷という前提がある事。
だが倭人東夷伝魏志には邪馬壹國と書かれている。
0032名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:30:26.43ID:8bu04xPI0
ヒミコは真珠を魏に献上しました。
弥生時代における天然真珠の産地は大村湾以外には有りません。
イホツ・ミスマルノー・タマとはすなわち真珠のことでしょう。
この大村こそ魏志倭人条に出てくる五百木国の領域、五百津入彦の本地でしょう。
0033名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:30:58.63ID:PDbX96ii0
朝鮮半島からもたらされた瓦質土器(がしつどき)や朝鮮系無文土器(ちょうせんけいむもんどき)が発見された
韓神(からかみ)遺跡で縄文人を抹殺するナイフ量産の痕跡が
0035名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:36:37.37ID:vfesYAoR0
畿内説のクズどもは来ないスレ
0039名無しさん@1周年垢版2020/02/07(金) 23:57:21.11ID:flOLSprp0
>>23
村じゃなくてもだよ
各都道府県ごとに車庫証明いらない地域・地区が決められてる
0040名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 00:15:29.20ID:gCUWK9aJ0
>>8
畿内説「ふう、なんとか致命傷で済んだぜ」
0041名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 00:15:48.12ID:lnTsmFtO0
海洋勢力の本拠地を村おこしのために畿内や九州の内陸部に求める茶番
0042名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 00:49:30.50ID:aauIEHJD0
渡来系弥生人は先進的でナオンにモテモテだったろうからうらやましいよ。
俺たちジャップ祖先の縄文原人はまだ毛皮をまといこん棒を振り回していただろう、ああ、恥ずかしい。
0043名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 01:05:09.26ID:RigQ6Y/S0
>>1
九州説大勝利か
0044名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 02:14:03.32ID:AqJ8niNa0
渡来人の子孫は日本人だよ。
0045名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 02:46:38.04ID:0a3u1r3W0
奈良から出土した鉄製品の総量は離島の壱岐から出土した鉄製品の1%にも及ばない。
0046名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 03:17:31.96ID:QDyfZUy30
3〜4世紀の長崎だと江南・倭人文化だな。

半島はまだ南が馬韓・弁韓・辰韓のころ。
百済や新羅もあることはあったがまだ地図の描かれないような小国。
ツングースも北東部から南には降りてこない。
倭人とシナ人(特に江南人)の天国。
本州では瀬戸内海航路が拓け、近江や中部地方も存在感を増している時
0047かなよはオール1じゅんこは1と2?ともみは不登校ひとみもーみは垢版2020/02/08(土) 03:22:58.13ID:CwrfONAh0
弥生って1900年の李氏朝鮮と同じレベルの染色技術の時代と思っていたんだが加治屋があったのね…

染色技術だけ弥生でその他は石器時代と思っている
掘っ立て小屋に石器道具身内のみの劣った社会制度

だけど糞尿にまみれ糞尿を食している時代は思いあたらないな…原始時代でさえ糞尿は食べてないと思うの
0049名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 05:16:53.11ID:FXFChVY50
この時代まだ青銅器しか無かったんじゃないの?
弥生人が鉄なんて作れるのか?
0050名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 06:11:17.74ID:VF1uo5250
この工房の職人であった打増粕が採掘した鉱物を用いて作った剣が後のダマスカスソードになったのは言うまでもない
0051名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 08:05:29.75ID:wspC61DC0
鉄を作るには結構な量の木材とマンパワーがいる
弥生末の福岡の炉は平野から離れた山間部の方に点在してるし
ここもそのパターンで作られたやつじゃね
0052名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 12:52:26.73ID:S6+lD8NW0
>>8
淡路島の製鉄跡すら載ってないって、どんだけ古い資料なんだよ。
0053名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 13:11:40.78ID:/7M8fMPX0
>>49
輸入の鉄製品そのものは弥生時代前期には北部九州と近畿に入ってる
近畿地方は数としては少なく、弥生時代後期になってようやく増えてくるが、その頃に小規模ながら製鉄が
できるようになり、普及してきたと考えられている
よって、北部九州は弥生中期頃には製鉄を始めていたはず

いっぽう、青銅器は既に縄文時代から輸入製品はあるが、列島で作るようになったのは弥生時代中期に入ってから
そして様々な種類の武器や祭器が一気に増産されるが、後期になり、鉄製品が増えてゆくに従って
どんどん減少し、中国から来た銅鏡(そのコピー鏡も)は大流行し古墳時代中期頃まで残ったものの、国産の
青銅器は一部のアクセサリー類などを除くと弥生時代末頃までには廃棄されてぼ消滅する
大量の銅鐸や銅剣が出土した出雲荒神谷遺跡なども廃棄された遺跡の一つ
0054名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 13:12:57.26ID:1HeiXiCO0
34名無しさん@1周年 2019/06/15(土) 20:45:34.24 ID:gpRpZ7pD0

昨年の秋の鳥取県の青谷上寺地遺跡の結果は興味深かった

父から引き継ぐY染色体からは縄文人系の配列が出て
母系のミトコンドリアDNAが渡来系だったという分析結果で
支配層を表すY遺伝子が縄文系だったからな

朝鮮人には非常に残酷でショッキングな事実だった


35名無しさん@1周年 2019/06/15(土) 20:46:16.38ID:j1MuFtQ+0

大陸から女をさらって日本に連れてきたでいいの?


47名無しさん@1周年2019/06/15(土) 20:56:12.48ID:zpp0EZIC0

>>34
あの遺跡でわかったことっって、

縄文人DNAいっぱいの日本列島人の縄文人や弥生倭人が半島の入植地と往来している中で

「豊かな自然環境のあなたの故郷に連れていってください
もうこんな緑の少ないハゲ山ばっかりで、豚の脂を体に
塗って冬を耐えろ、 臭い血の付いた動物の肉ばかり
食べさせられて、 毛穴まで臭くなってみたいなDVだらけの
半島の生活はもうコリゴリです。
おいしい魚介類や和布やお米が食べたいです!」

と懇願する半島女子たちを山陰に連れて来てあげただけのことでしょ
0055名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 13:13:23.12ID:1HeiXiCO0
24名無しさん@1周年2019/06/15(土) 20:33:50.68ID:5ZdreiDl0

一か月前くらいに発表された遺伝的近縁の色合い図

では結局韓国よりも、 台湾やフィリピン方面の方が日本人に近いって判ったんだよね



29名無しさん@1周年2019/06/15(土) 20:38:29.88ID:es2WkNCf0
>>24
発表解説見たとき、くる日もくる日も 

日本人=朝鮮人 って繰り返してる

在日韓国人キチガイ工作員が可哀そうに思えて
仕方なかった


30名無しさん@1周年 2019/06/15(土) 20:38:45.60 ID:PJPpHbfW0

朝鮮人には関係無い話
0056名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 13:13:54.46ID:1HeiXiCO0
31名無しさん@1周年2019/06/15(土) 20:40:50.74ID:/dwvVig30
>>29
在日台湾人は韓国人とまるで違うよ

やっぱり日本人に近いね

在日台湾人が今までも狂ったように

現代日本人 ≒ 韓国人ニダ!!

みたいに、 現代日本人 ≒ 台湾人 とか絶叫してるの
見たことない
きっと台湾人としての自然な誇りがあるからだよ

やっぱ韓国人って頭のオカシイ人種か人間未満だね


34名無しさん@1周年 2019/06/15(土) 20:45:34.24ID:gpRpZ7pD0
昨年の秋の鳥取県の青谷上寺地遺跡の結果は興味深かった

父から引き継ぐY染色体からは縄文人系の配列が出て
母系のミトコンドリアDNAが渡来系だったという分析結果で
支配層を表すY遺伝子が縄文系だったからな

朝鮮人には非常に残酷でショッキングな事実だった
0057名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 13:14:36.71ID:1HeiXiCO0
349名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:26:35.85 ID:J2Yk4v8A0
>>338
古代史の最後のパズルは出雲朝廷の存在とその出自
出雲朝廷の存在がハッキリし、彼らが朝鮮人であることがわかるとすべてがつながる
もはや朝鮮半島にむかって毎日礼拝をしなければならないだけの事実がでてきたということだ


389名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:38:23.61ID:7Q4r/hXI0
>>349
出雲の大名持神の祭祀はその開始にも
南海のセグロ海蛇という豊穣神待ちなんだけど、
それがどういうふうに朝鮮半島の勢力と絡んでるの?
いっしょに国を開発した大物主神も三輪山に祀られる
蛇神で金印の蜷局を巻いた鈕だしね


408名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:43:56.58 ID:c/CUrXOr0
>>389

朝鮮半島はまるで関係がないね
セグロ海蛇は、出雲人が神迎えの出雲大社の神在祭、別名御忌祭の神事の主役
南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビで朝鮮半島になんていない



444名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:09:30.02ID:0S+UDbW40

769名無しさん@1周年2019/08/30(金) 18:46:23.91ID:bFBO74PF0
>>612
日本の神道祭祀関係でいうと
古代から宮殿内には半島蕃族の好物の肉類は
持ち込み禁止

御贄については縄文人や弥生倭人の時代そのままに
魚介、稲、縄文雑穀、日本酒だけで、 比較的半島から
近隣距離の出雲を例にとると、日御崎の海人が捕る
アワビや盾縫の紫菜という海藻が特別な名産品として
宮中では有難られた

そのケルプは大型の海藻だが 出雲神道の祭祀で重要なのは
背黒海蛇と 海藻
海藻を盛って出雲神に献上する
0058名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 13:33:42.22ID:S6+lD8NW0
>>54
あの遺跡でわかったことは、縄文人は戦争しないというのは間違いということ。
青谷上寺地遺跡は弥生時代最大の戦乱跡地でも有る。
0059名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 13:42:52.42ID:ib9m+m9/0
>>1
帯取遺跡ってことはキリスト教の帯取殉教地の近所なんだね
0060名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 14:08:07.77ID:wspC61DC0
調べた
カシ、ナラ、クヌギを木炭にして密度が同じの1本で
製鉄の最初から最後まで行うのが焼きムラがなくていいんだって

古代の人はあちこちの山をしらべて
カシ、ナラ、クヌギの巨木がたくさんある近くに製鉄炉を作ったのかも
0061名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 17:32:09.52ID:yik/GR6Y0
>>58
大きめの夜襲のようなムラ狙いの襲撃な
0062名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 18:14:08.14ID:k1TUKDbE0
>>55
その辺の話で先日韓国のネットでスレが立って翻訳されてたな。
日本人が東南アジア人に近いと言う事で。
しかしそれでも未だに「倭国は朝鮮の征服王朝が建てた国だから日本は韓国の領土」
なんだとw
0063名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 18:15:37.02ID:tQpyn7aZ0
>>61
ん?青谷上寺地遺跡の戦乱跡が弥生時代で最大のものだよ。
それ以上のものは今の所発見されてない。
0064名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 19:28:08.55ID:svBuuyqx0
>>63
戦争跡というのは未だ見つかっていないが倭国大乱に当たるようなものを言うのだよ
お前が戦乱跡と言ってるだけだな
戦乱?
何の戦乱だ?
地下水などのおかげで脳などのが奇跡的に保存状態が良好だったということで
知られるわけだがその他の遺物も価値が高いものが多い
青谷上寺地遺跡の規模は襲撃跡だ
あの程度の規模は四国にも大阪南部にも複数ある
だが戦乱跡とは考えられていない
遺跡の規模単位の襲撃や競り合いだ
あえて例えると近世でいえば水利で年中ぶつかっている村対村が
とうとう奉行所の裁定待たずに滅ぼし合うくらいの規模だな
0065名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 19:29:24.72ID:s1TDzii40
村の鍛冶屋w
0066名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 19:39:45.75ID:5CJyKNEa0
>>8
九州では村にも鍛冶屋がいたというのに畿内のクソ田舎ときたら
0067名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 20:56:05.07ID:Tr3OD8J90
邪馬台国が九州じゃなかったとか思ってるバカいんの?
0068名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 21:03:37.48ID:tQpyn7aZ0
>>64
襲撃だと言いたいのならそれでもいいが、青谷上寺地遺跡の109体の遺骨に匹敵するような痕跡は他のどこからも見つかっていない。
倭国大乱にしても、その痕跡はどこにからも見つかってない。
0069名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 22:13:47.80ID:z4iVqHDh0
>>67
いるわけねーじゃん
畿内とかいうのはただのネタだから
釣られんなよ
0071名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 22:32:28.19ID:/76cBqZ20
>>70
>>8を見れば分かるよ
0072名無しさん@1周年垢版2020/02/08(土) 22:35:04.05ID:JEIvZS3h0
ムラの時間の時間の時間がぁ〜〜〜〜
0073名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 01:56:27.60ID:FIGrSLH90
つまり、邪馬台国は長崎県ではないってことだね。
0074名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 02:18:10.80ID:CnRQYtIr0
奈良の弥生遺跡からは鉄製のナイフ(刀子)は全く出土していない、と言うよりも
関西地方からの出土は全く無い。弥生時代の関西地方が如何に遅れていたかが判る
0075名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 02:37:32.87ID:JRSAyrze0
畿内厨そっ閉じスレ
0076名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 02:45:59.92ID:ocdutCXz0
日本の古代史はとにかく文字を持たないから文明は無かったという日本の考古学者のアホ共
言語や文字持たずにどうやって集落作ったり土器などの統一したデザインの物を作れるのか教えて欲しいわ
0077名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 08:15:29.56ID:vPHSpbAS0
九州北部に邪馬台国はないよ
水行10日陸行一月しないといけない
0078名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 08:24:12.88ID:vPHSpbAS0
>長崎県大村市今富町
大村湾の東部だろ
末盧国からまっすぐ南に千里以内で着くじゃん
水行いらないじゃん
伊都国行ったら遠回りじゃん

大好きな魏志倭人伝に書いてることをおろそかにするなよ九州
0079名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 09:23:13.26ID:vPHSpbAS0
歴史書魏志の倭人伝は帯方郡から九州北部に来た
2人の魏の使者、梯儁と張政の書いた報告書の原文を変えずに
魏に仕えた陳寿がまる写して注釈を加えたものと考えられる

魏の役人たちは優秀で第三者が読んで理解できるように書いており
曲解の必要は無い
彼らは公的組織の役人であるがゆえにわかりにくい書き方はしない
そのまま読めばいい

ただまじめな梯儁に対して張政は目立ちたがりで文体を変えたりしているが
それは気にせず内容をそのまま受け取ればいい
おそらく係長、せいぜい課長クラスの張政も立場はわきまえてる

つまり放射説とか反時計回り説とかは
魏志倭人伝に書いてることを何とかして邪馬台国を九州にしようと
悪あがきして考えた曲解であって
魏志倭人伝はそのまま読んで問題ない

ただそうなると狗奴国の方角とかおかしな部分がでてくる

仮に奴国の南にある狗奴国の方角が合っているとすると
邪馬台国から北側にあると書いてる国々が敵国狗奴国と重なり
おかしなことになるが
方角を変えて邪馬台国の西側にある国々と変えてみると重ならない

一部の方角だけを変えた疑惑が発生したよ
方角だから漢字一文字を変えるだけの簡単なお仕事
そしてできたのはあの部分の報告書を書いた張政

当時魏は呉と蜀と戦っていたけど
報告書の3ヵ所一文字ずつを変えるだけで邪馬台国の位置が
敵国呉の都の建業の西に来る

目立ちたがり張政は建業包囲作戦提案のために
自らが書いた報告書の3文字を変えたんじゃないか
0080名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 09:39:17.04ID:vPHSpbAS0
これは張政にとっても危険な賭けだよねえ
ばれたら立場はない
ただ3文字だけなので間違えましたで済む可能性も残してる

あとで別の魏の使者が倭国にきて
3文字の間違いがばれても言い訳できる自信があったのかな
それとも今後使者が行くことは無いとわかってたか
実際来てないし

建業包囲作戦も採用されないと分かってて出した可能性もある
かなり長く帯方郡を留守にして目に見る実績が必要だったとか
それで建業包囲作戦のプレゼンのために3文字書き換えた
0081名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 10:06:45.86ID:0ATBfO+Y0
>>79
陳寿は魏に仕えた経験は無いですよ。
陳寿ははじめ蜀漢に仕官してたけど、蜀漢が滅びた後は西晋に仕官したとされてる。
0082名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 10:52:04.88ID:d6+IQWzP0
>>77
まだこんな事言ってるバカが居るw
畿内説は本当に周回遅れだな

> 73 :日本@名無史さん :2019/08/22(木) 23:45:04.55
> 邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
> 水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
> これを押さえておかないと正解には辿り着かない
>
> 【用例】
> 通鑑釋文辯誤卷六
> https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
> >沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
> 江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
> 江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
>
> 【嘉興府志】
> https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
> >{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
> 嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
> やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
> また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし
0083名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 10:53:09.97ID:d6+IQWzP0
>>82続き

> 74 :日本@名無史さん :2019/08/23(金) 00:13:43.71
> >>73により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
> 同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる
>
> なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
> 20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
> そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い
>
> そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
> 彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
> なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
> そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった
>
> つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
> 水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる
0084名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 10:54:28.82ID:U9DDRF/j0
畿内説とかいうネトウヨのトンデモ説w
0085名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 10:55:51.62ID:BzdweKxa0
また関東人のゴミカスチョンが九州と近畿煽って悦に入るスレか
0086名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:00:04.31ID:0ATBfO+Y0
水行読み替え説だと、邪馬台国が行方不明になる問題も有るけどね。
0087名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:05:20.46ID:JRSAyrze0
>>86
>>83をちゃんと読めば行方不明になんてならないよ
>>8の分布図ともちゃんと一致する

> 309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
> >>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
> 総合的に考えた結果こうなった
> https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
> https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg
0088名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:10:41.16ID:8ynXs9jj0
>>42
渡来系弥生人と朝鮮半島民族はほとんど関係ない
0090名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:11:58.59ID:q9PKZ0PJ0
>>72
畦道カットのはまぐり坊や乙
0091名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:18:31.88ID:0ATBfO+Y0
>>87
邪馬台国は読み替えだと、伊都国から南に水行で10日、若しくは陸行で一ヶ月。

仮に糸島市の平原遺跡遺跡あたりを起点として、南に水行10日若しくは陸行一ヶ月って何処になるの?
伊都国から南側は陸地だし、川を遡る事になるけど、どの川を遡上したのかな?
遡上して1/3もの時短になるほどの水量の川が今なくなってるとは考えにくいよね?
川沿いを歩いたとしたら、わざわざ陸行で3倍もの日数をかける意味がないしね。

だから読み替え説だと、邪馬台国は行方不明になる問題があると書いた。
0092名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:19:28.28ID:JRSAyrze0
>>83補足
ちなみに魏志倭人伝の行程の文章もよく見ると書き分けがされている
放射読みと言うといかにも特殊な読み方のように聞こえるが実際はただの箇条書きに過ぎない
ある地点から複数の目的地への行程を箇条書きにすると地図上では放射状のルートになるというだけ

> 104 :日本@名無史さん :2019/12/11(水) 20:23:40.04
> >>98を踏まえて魏志倭人伝をよく読むと、倭人伝は行程を放射読みにする箇所はちゃんと他とは書き方を変えていることに気付く
> わざわざ記述法を書き分けてあるということはそこは他とは違う読み方をしなければならないということ
>
> 連続読みの行程部分は全て動詞が至や到よりも前に書かれているが、
> 放射読みの箇所は動詞が至より後ろにあるか動詞そのものが無い
>
> ・從郡至倭 循海岸水【行】 歴韓国 乍南乍東 七千餘里┃到 其北岸 狗邪韓國 ・・・・・【動詞は前】
> ・始【度】一海 千餘里┃至 對海國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・又南【渡】一海 千餘里・瀚海┃至 一大國 ・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・又【渡】一海 千餘里┃至 末盧國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・東南 陸【行】五百里┃到 伊都國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・東南┃至 奴國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞なし】
> ・東【行】┃至 不彌國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
> ・南┃至 投馬國 水【行】二十日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞は後ろ】
> ・南┃至 邪馬壹國 女王之所都 水【行】十日陸【行】一月 ・・・【★動詞は後ろ】
>
> 動詞が後ろまたは無い三箇所は距離と方位の起点が前段から移動しない
> つまり並列の箇条書き文章であり、地図上では前段から放射読みとなる
> 上の行程文に照らすと放射読みの起点は全て伊都国である
> まとめると
>
> 帯方郡 → 狗邪韓國 → 對海國 → 一大國 → 末盧國 → 伊都國
>   .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  .  . ┃
> ルート分岐@ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ .┣→ 奴國 → 不彌國
> ルート分岐A ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ .┣→ 投馬國
> ルート分岐B ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ .┗→ 邪馬壹國
>
> という構造
0093名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:20:40.27ID:6clqsa6Q0
ドン・ガーテはやる気がない
0094名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:21:07.48ID:zzORu32d0
ウィルス気にしろや
0095名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:21:47.06ID:JRSAyrze0
>>91
>>87に地図があるだろ
伊都国の南は背振山脈でまっすぐ陸行は不可能だ
陸路で行きたければ太宰府方面から迂回しなきゃいけない
0096名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:24:09.80ID:0ATBfO+Y0
>>95
わざわざ水行で船で遡上出来る川ってどこ?

水行、渡海の区別で川沿いを10日歩いて行けば着くなら、わざわざ遠回りの歩いていくルートを書く必要がないよね?
0097名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:27:29.09ID:JRSAyrze0
>>96
>>87の地図に書かれていると言っただろ
メクラなのか?
0099名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:33:18.35ID:0ATBfO+Y0
>>97
ナニ川を南に10日遡上して、現代で言うどこが邪馬台国なのか。

ただそれだけ書いてくれたら良いだけよ?
0100名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:33:21.71ID:3oHsv1+g0
三国時代の後の晋の時代あたりだから大陸沿岸の呉の残党でも日本に逃げてきたのかね?
0101名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:40:56.24ID:JRSAyrze0
>>99
川じゃなくて海だ
あとは>>87の地図を見ろ
以上
0102名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:42:33.05ID:0ATBfO+Y0
>>101
伊都国の南に海がないのに何で?
0103名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 11:43:21.40ID:JRSAyrze0
>>102
地図を見ろキチガイ
0104名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 12:12:38.51ID:vPHSpbAS0
>>82 てことは水行10日 又は 陸行一月かかることは認めるのね
そうなるとやっぱり邪馬台国は九州北部にはないじゃん
ギリセーフなのは鹿児島くらい
じゃあ邪馬台国は鹿児島のどの遺跡?
0105名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 12:14:58.47ID:oT8XBoXJ0
>>103
自己矛盾で逆ギレとかカッコワル
0106名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 12:23:26.31ID:vPHSpbAS0
放射説やとんでも説を受け入れてなおちゃんと否定してあげる
おれってやさしいけど連続説派だからね
一番シンプルに考えていいように書かれてるに決まってるじゃない

益部耆旧伝、益部耆旧雑記、諸葛亮集、古国志を書いて
評価されて三国志をまとめた陳寿よ?
読み手が誤解するような書き方するわけない
ちゃんと注釈を入れるよ

てか陳寿て注釈入れまくってるじゃん魏志倭人伝
読んだだろおまえら
いくつものパターンに受け取られないようにちゃんと書いてるよ
陳寿てそういうやつじゃん それが読めば分かるじゃん
0107名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 12:35:37.41ID:vPHSpbAS0
陳寿の注釈の代表的なやつ

>計其道里 當在会稽東治之東
その道里を計るに まさに会稽、東冶の東に在るべし

これ読めば放射説は消えるよね

あとこれも上同様陳寿が書いたと最初の前置きからわかるよね

>参問倭地 絶在海中洲島之上
倭地を参問するに、絶えて海中の洲島の上に在り。
>或絶或連 周旋可五千余里
或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかり。
0108名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 12:45:21.60ID:vPHSpbAS0
アホな子が間違って解釈しないように
陳寿さんはちゃんと配慮してるんだよ
0109名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 13:24:51.94ID:9m70G5wH0
中華思想に忖度した興味本位の、失念と勘違い想像力満載、の魏志倭人伝抱きしめて九州邪馬台国説、すまんつい思ったことを書いて。
0111名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 13:33:45.45ID:ak3vsMgS0
鍛冶には燃料がいる 輸送手段なんて発達してないので森林やら石炭燃料の目処をつけたり
当時は燃料の質もよくなかったので痕跡があるはずって
墓や戦場あとから出てきた骨を成分分析かけたりするんかな 
いくら金があっても足らんな
0112名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 13:34:05.72ID:VcIY2f5U0
圧倒的不審者達の村…
0113名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 14:38:59.91ID:CnRQYtIr0
青谷上寺地遺跡は戦乱跡地では無いぞ、渡来人が住んでいた集落を縄文人が不意打ち
しただけ、これは戦乱とは言わんよ。
0114名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 14:41:04.88ID:mLGsR5ar0
この時期に鉄器が普及してたのは北部九州地域だけだから
邪馬台国も北部九州なんだ。
0115名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 14:42:37.21ID:mLGsR5ar0
>>104
水行20日以下は帯方郡からの伊都国まで掛かる時間だよ。
0116名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 14:48:37.46ID:9JswKBVR0
>>5
縄文時代既に、簡単な機織り機、つまり何かを生み出す為の機械を作れていたんだよな。
0117名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 15:18:12.27ID:9m70G5wH0
まあ、縄文人もボーっと1万5千年続けていたわけじゃないと思うんだよね、人口のボリュームも違うけれどキリスト歴2000年の7倍
0118名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 16:13:44.22ID:0ATBfO+Y0
>>103
単にどこに邪馬台国が有るのか?それだけ教えてよ。
0119名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 16:17:29.60ID:tjOsEeaB0
スレとは関係のない邪馬台国位置論をすぐに持ち込んで来るキチガイどもがほんとウザいな
0121名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 16:53:07.43ID:kTxYVVKe0
日本最古の製鉄所跡って広島のピラミッドこと、神武天皇陵の声もあった葦嶽山付近なんだっけか
0122名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 17:58:51.09ID:1UF312RW0
ここはどこですか?
ヤマタイッ
0123名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 18:08:27.87ID:mcg/nxBZ0
>>121
日本最古級を名乗る遺跡はいくつかあるが、実際にどこなのかは定かではない。

吉備説や北九州説、九州南部説、安芸説ももちろんある。
日本最古の鉄製品の遺物は何故か愛媛から出てるんだけどな。
0125名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 19:30:30.89ID:vPHSpbAS0
>>115 その説も知ってるけど各国の
方角、距離、官の名前、戸数を順に書くというスタイルは崩してないので
いきなり帯方郡からに変更すると違和感ありまくりでしょ
仮にそうだとすると公文書なのにあいまいなことを書いていることになり
陳寿がそんな失敗をするとは思えない
0126名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 21:02:56.85ID:Izm3+JXR0
みんな勘違いしているようだが
鍛冶遺跡であって製鉄遺跡ではない
この時代は日本で製鉄していない

釜山から鉄を買ってきて加工していただけ
釜山の製鉄は漢や魏の支那人がやっていた
0127名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 23:12:31.83ID:EiQCRHcX0
>>126
あれ?魏志東夷伝の弁辰の項に
「鉄が出て、倭人も取ってた」とあるけど

『國出鐵韓?倭皆従取之 諸市買皆用鐵如中国用銭 又以供給二郡』
訳「国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。」
0128名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 23:23:53.15ID:o05PPKLp0
俺もナイフ作りが趣味。
ストック&リムーバルなんで鍛造はしないけど。
金属加工と木工と革細工が一度に楽しめて、実用性と審美性のどちらも工夫する余地があるという物作りでは最高の趣味だと思う。
0131名無しさん@1周年垢版2020/02/09(日) 23:59:55.90ID:Q28rLY8v0
>>8,87
完全に一致してるな
邪馬台国議論決着か
0132名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 00:25:48.30ID:pXQXwHLo0
>>131
どうやら決定的みたいだな
畿内説のお通夜状態がそれを物語っている
0133名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 00:45:49.13ID:+3FOsdMs0
>>128
問題は実用の場がなかなか無いことだな
締め付けがどんどん厳しくなってるし
0134名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 00:47:56.19ID:IjrZFCAk0
>>92
なるほど、きっちり書き分けられているな
畿内説は露と消えたか
0135名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 01:11:59.86ID:GtLKLAPQ0
>>133
確かに実用したことはないな。
ピカピカのミラーポリッシュにしちゃうからもっぱら飾る用。
でも意味もなく高性能な高級鋼材とか使っちゃうんだよね。
0136名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 01:29:22.66ID:aiMyVOIY0
古代の出来事の解明に現代の価値観が影響するのがなんだかなーって思う
最近縄文時代の茅葺き屋根が怪しいらしいし親世代の知識がすっかり間違いだったってなったりする時代が来るのかね
0137名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 01:36:01.73ID:d7pIfT4T0
>>131
邪馬台(やまと?)国は、日田盆地に起こり、筑紫平野を支配、
ついには、半島倭人や漢の出先と通じ、みなと奴国(博多)の
支配者・宗像(みなかた?→むなかた)から権力を奪取。
(→海幸山幸、天照とスサノオの誓約、の両神話に。)
さらに、南の狗奴国(クナ→クマ→熊本)の勢力を球磨川の
上流に追いやり、熊本平野も支配。
地政学を考えれば、最盛期の邪馬台の中心は大宰府だな。
0138名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 01:37:05.04ID:l7wNhYUW0
>>136
だよなぁ
>>8とかの考古学遺物を虚心坦懐に見れば邪馬台国なんて九州しかあり得ないのに
学閥の影響で畿内説唱えてる曲学阿世のエセ学者ばっかだし
0139名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 02:25:50.61ID:Jwdqsv6+0
関西地方の弥生遺跡からはナイフ(刀子)は1本も出土していない。
関西ではナイフは不要だと考えていたのかな?それとも原料の鉄が無かったのかな?
関西人お答え願いますwww
0140名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 03:23:44.71ID:dnum7OSc0
>>139
また残酷な質問をw
0141名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 03:29:55.67ID:XVQTljlE0
畿内にも人は住んでただろうけど
まとまった平地のある九州北部や熊本、山陽、高松あたりにも国はあっただろうし海賊も出ただろう
その回廊全部を畿内の国が抑えていたとは信じられない
0142名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 08:14:50.16ID:R16wqUNg0
朝鮮半島から渡って来たのは間違いないね。
0143名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 08:30:00.71ID:Jwdqsv6+0
~社には巫女がいるが巫女はシャーマニズムの考えから生まれているし
相撲も北方系の武道なので日本人は北方系の文化を多く取り入れている
高床式建物は南方系と言われているが縄文時代からあったようだから
高床式が南方系とは断言出来ない。渡来人の九割は北方系で一割が南方系
だと考えている。
0144名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 09:49:02.84ID:zQWyu8i40
鉄ってピンキリだしね、鉄も鍛造品までレベルが上がらないと高品質の石斧より使えないはず
0145名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 09:54:13.22ID:NohWqh7T0
>>144
そう
そしてその技術は弥生時代の北部九州に既にあった

富の原遺跡 長崎県大村市
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1
> 1980年(昭和55年)以降の発掘調査で竪穴式住居跡(弥生時代)、甕棺・石棺墓、祭祀遺構等が発掘され、土器・石器等とはらんで国内でも例の少ない
> 鉄戈と鉄剣の出土をみた。
> 特に鉄戈の分析から得られた情報は大きく、原料鉱石として磁鉄鉱が用いられ、錆分析から推定される鋼の炭素量は0.5から0.6パーセントで、
> 刃部には真鍮を削れる程度の硬度があり、別の鉄戈の棟部の錆びから調べられた炭素含量は0.1から0.2パーセントであり、棟部が軟鋼であることが確認されている
> すなわち刃部に高炭素の硬鋼を使用し、棟部に低炭素の軟鋼を組み合わせる「合わせ鍛え」の技法(日本刀や農工具に用いられる技法)が弥生期から確認された
0147名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 10:42:12.67ID:4E4B9EW60
>>139
単に鉄の取れる朝鮮半島からの距離の問題だと思うよ?
原材料に近い方が有利なのは当たり前っしょ。

ただ関西って言っちゃうと、小刀が一本も出てないは間違いになる。
出てないのは現在の奈良県であって、淡路島のある兵庫県は言うまでもなく、大阪府、京都府、滋賀県、三重県では出てる。

結局の所、弥生時代は原材料を輸入に頼ってたから、半島に近い北九州が有利だったんだろう。
0148名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 17:34:29.15ID:4E4B9EW60
>>147にもう少し補足がいる事を思い出した。

奈良県で鉄剣の類が出てないが、唐古・鍵遺跡では鉄が出ているので、奈良県に鉄がなかった訳ではないのが一点

もう一つは、纒向遺跡からツクシ型送風管が出ている点。
纒向遺跡自体が、まだ全体の5%程しか発掘されていない事から、どうせその内鉄器は出ると思っておいた方が良い。

因みにツクシ型のツクシと言うのは筑紫の事で、福岡の遺跡から出る製鉄用の送風管と同系だからツクシ型と呼ぶ。
また朝鮮半島にも同系の送風管が出ているので、鉄がないないって言うのは勉強不足かも知れない。
0149名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 18:23:14.87ID:Psp/e3zq0
>>147
>原材料に近い方が有利なのは当たり前っしょ。
あれれーおかしいぞーw
畿内厨の説によれば都である邪馬台国は奈良で九州はその傘下だったんだろ?
九州が傘下じゃなければ末廬国などを通行できないし
だったら鉄も絹も都のほうが多く出なくちゃおかしいよなぁw
辺境の家来のほうが多く持っててどうすんだよw

本当に畿内厨ってアタマが悪いんだよなぁw
0150名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 18:31:52.69ID:PyeIVQtQ0
日本の巫女にしても数か月前に解析されたように
南洋の沖縄・奄美地方の巻貝を腕にしたシャーマンも南洋系

相撲は北方系ではない
学術的にはイランやイラクの西域の発祥に南洋系のブラックスの民族舞踏などが加わったもの
0151名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 18:51:37.13ID:P5X3/kbm0
>>42
おまえらは100年前まで石斧使ってた癖に
0152名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 18:52:59.12ID:+p+Ddyah0
戦後こっそり天叢雲剣をみた人は青黒かったと言っているので
おそらく青銅製と思われる
八尺瓊勾玉と八咫鏡も鉄ではないだろう

錆びてボロボロになる鉄は王の象徴ではないと思うんだよね
0153名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 18:56:33.64ID:+p+Ddyah0
×鉄=王
○青銅やメノウのような簡単には朽ちないもの=王

鉄が出ないと首都ではないという考え自体がおかしいと思うよ
0154名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 19:00:00.83ID:+p+Ddyah0
首都東京のイメージが強すぎるんじゃないかな
ニューヨークはアメリカの中心地だけど政治はワシントンでやってる
オーストラリアやブラジルも同様の形態
分けても問題はない
0155名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 19:06:52.11ID:+p+Ddyah0
伊都国が千余戸で奴国が二万余戸だけど
伊都国は代々、王がいて、みな女王国に従属し
帯方郡の使者が往来して常に滞在する所である

>丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

首都や役所があるのは
大国である必要は無いという考えがすでにあった
0156名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 19:12:07.55ID:+p+Ddyah0
王がいるところは多くの民がいるところでなくていい
ただ王として権威の象徴となる建物や
豪華な副葬品の墓はないといけない

そうなると九州で豪華な副葬品がある墓は
糸島市平原古墳(2世紀末鏡40枚他)を最後に出現しなくなる
0157名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 19:17:47.34ID:4E4B9EW60
>>149
畿内に邪馬台国があったなんて俺は書いてないからな?
0158名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 19:44:07.93ID:Ah7S0OIt0
>>153
その戯言はもうとっくに論破されている
>>8を読んで出直せ
0159名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 19:45:11.86ID:Ah7S0OIt0
>>154-155
邪馬台国は七万戸の超大国として書かれているのでそんな戯言には意味がない
0160名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:08:39.02ID:gkC0lhG40
鉄もそうだし技術の伝播では、半島と対馬・壱岐の役割が大きいため
北九州が先行するのは当然の話。問題は水稲に依存する生活を選んだ以上、
縄張り争いが絶えず、「倭国大乱」を経て
地上世界に属さない連合(=共存)のカナメが生まれたこと。
(西洋のキリスト教や中東のイスラム教も同じ理由)
このわかりやすい二重構造がシナの隋書に記されている。

『使者言 倭王以天為兄以日為弟 天未明時出聽政跏趺坐
日出便停理務 云委我弟』
訳「使者が言うには”倭王は天を兄とし、日を弟として、
天がまだ明けない時に出て、跏趺※に坐って政務を聴き、
日が出るとやめて、弟に委ねる”とのこと」
※跏趺=結跏趺坐 https://i2.wp.com/zazenlist.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/03/zasou.gif?resize=312%2C188

開皇二十年(西暦600年)のこと。(608年には裴世清が訪日)
王が当時の大国の王に宛てた言葉なので、外交上、
二重構造を相手に理解して貰うことが重要なことを示している。

また瀬戸内海航路が当時拓けていたとすると、西端は北九州王朝。
東端が淡路島までだったら阿波王朝の可能性も考えられる
0161名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:17:48.42ID:SYXSj/DW0
>>149
畿内説っていうのはただのネタなんだからマジに受け取っちゃダメだよ
0162名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:22:16.92ID:4E4B9EW60
>>155
世有王は代々ではなく「世の中にある王は」と訳すみたいよ?

代々であれば世々有王と書くのが正しいという指摘から、三国志の中で同じく「世有」の用いられている9箇所と比較されて
どうも代々は誤訳らしいと言われてる。
0163名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:24:04.38ID:QERzrJvP0
つか毎度の事なんだが史書に邪馬台国は大和と書いてあるのになんで論争とか言ってんだろうな
もしかして倭人伝しか見たことないとか言わないよな
0164名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:29:49.43ID:iPjrI7yv0
いや、奈良にあったんだろ
それ以外に考えられないじゃないか。
0165名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:30:18.71ID:4oln+zTr0
>>163
遣隋使は邪馬台国から300年も後の話で、短期滞在の裴世清がパッと見で「ここが魏志でいう邪馬台だ」なんて分かるわけがないからだよ
単に地名が同じだったからそう誤解しただけのつまらない話なんて誰も相手にしてないってこと
そんなレベルの低い議論はとうの昔に廃れた
0167名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:31:39.65ID:RaNC8dFM0
>>164
それはお前が何も考えてないだけw
普通の人は>>8を見れば北部九州だと完全に理解できる
0168名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:33:14.91ID:4oln+zTr0
>>166
いやこの議論に興味のある人はみんな読んでるから
その上でそんなレベルの低い話は誰もしなくなったんだよ
0170名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:38:02.76ID:+p+Ddyah0
魏の使者が伊都国どまりで邪馬台国を見ていない可能性がある
そうなると

>>158 >>8の鉄については魏志倭人伝を読めば分かるが
邪馬台国のこととは指定されてないよね

張政がみた九州北部のことと考えると自然だけど
>竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與?耳朱崖同
竹箭は或いは鉄鏃、或いは骨鏃。
有無する所は?耳、朱崖と同じ。
原文で鉄について書いてある直後に南国の風俗を匂わせる一文があるせいで
建業包囲を考えた張政の創作である可能性も否定できないよね

>>159 もし張政が邪馬台国を見たならもっと詳細を書けるはずだけど
邪馬台国について書いてるのは人伝でわかることだけ
8万戸も戦力が多いことのアピールで本当ではない可能性がある
0171名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:40:45.77ID:QERzrJvP0
>>169
それ間違い

今は鉄器は弥生時代開始の300年〜500年は遅れて伝わってるのが分かってる

そしてスキやクワと言った農耕具は弥生時代の後期後葉にようやく出てくる
しかも数が少なく使われた形跡もない
よく言われる弥生時代の鉄の農具とやらは鎌の事
石器の延長線上程度の物でしかない

ぶっちゃげ鉄は物凄い過大評価されてたとうわけだ

要は農耕の開始に鉄は全く関わらず、弥生時代の農業に鉄は大した貢献をしてない
弥生時代は相変わらず石器と木器の時代
というのが今の主流
0172名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:44:16.01ID:QERzrJvP0
この>>1を見ても分かる通り当時の鉄の加工技術は大変稚拙

時折ある程度の鍛冶技術を持つ遺跡も見つかるか数がとても少ない
高度な鉄器を普及させるような技術も生産力もないのが分かってる

弥生の鉄ってのは単純な削る、研ぐ程度の石器と同じ用途の道具でしかなかった

九州中部は石器の作成技術が立ち遅れていたために後から来た鉄器の普及が早かったと言われている
要はその程度の物
石器の代替品として使われていたのが鉄器

鉄器がよく言われるイメージ通りの使われ方をするのは古墳時代から
0173名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:45:24.32ID:QERzrJvP0
相変わらず5ちゃんの考古ネタスレは何十年前だよみたいな話してる奴しかいないな
0174名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:45:58.24ID:bJYE1q7B0
>>170
>邪馬台国のこととは指定されてないよね
邪馬台国は倭国の首都として書かれている
邪馬台国が畿内なら九州は辺境ということになるが辺境にもあるものが都に無いのは矛盾している
言い訳が苦しすぎるね

>建業包囲を考えた張政の創作である可能性も否定できないよね
魏志韓伝で倭人が弁韓の鉄を採掘していることが書かれているからその言い訳は無理
そもそも魏でも辺境の帯方郡の役人が書いた報告書の内容が孫権の耳に入る可能性なんてゼロに等しいし
帯方郡の木っ端役人が建業包囲なんて考えるわけもない
0175名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:47:51.64ID:bJYE1q7B0
>>172
>>145でとっくに論破されているデマおつ
毎度毎度畿内説論者は嘘しか言わないなw
0176名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 20:57:59.79ID:+p+Ddyah0
>>162 なるほど そっちの方がしっくりくるかも
>丗有王 皆統屬女王
女王国に属する国の王はみな女王に従ってる となるとすると

梯儁の報告書の原文が↓こんな感じだったのを

丗有王 皆統屬女王(女王国に属する国の王はみな女王に従ってる)
その国は
次有斯馬国 次有巳百支国 次有伊邪国 次有都支国 次有弥奴国
次有好古都国 次有不呼国 次有姐奴国 次有對蘇国 次有蘇奴国
次有呼邑国 次有華奴蘇奴国 次有鬼国 次有為吾国 次有鬼奴国
次有邪馬国 次有躬臣国 次有巴利国 次有支惟国 次有烏奴国

陳寿が↓こう変えた可能性はあるね

世有王 皆統属女王国 郡使往来常所駐(略)
自女王国以北 其戸数道里可得略載 其余旁国遠絶 不可得詳
次有斯馬国 次有巳百支国 次有伊邪国 次有都支国 次有弥奴国
次有好古都国 次有不呼国 次有姐奴国 次有對蘇国 次有蘇奴国
次有呼邑国 次有華奴蘇奴国 次有鬼国 次有為吾国 次有鬼奴国
次有邪馬国 次有躬臣国 次有巴利国 次有支惟国 次有烏奴国
次有奴国 此女王境界所盡
0177名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 21:06:12.62ID:QERzrJvP0
弥生時代の鉄工房とかよく大げさに出てくるけどどこの遺跡も再加工をまともにできるようなレベルに無い
大体がこの>>1と同レベルのちょっと熱して直す程度

これは九州でもどこでもいっしょ

弥生の鉄器ってのは「斧、鎌、ヤリガンナ、キリ」と言った研いで削って使う石器の延長
矢尻も加工が簡単だから作られるだけの話で先進技術とかそういうの物でもない
なので弥生時代の鉄器は大きなアドバンテージを持つようなものではなかったというのが今の見解

鉄によって時代が変わった【ハズだ】と言う
鉄を過大評価し過ぎた結果実像と違う想像を巡らせていたのが以前の考古学
0178名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 21:08:15.36ID:+p+Ddyah0
>>174 九州は辺境とは書いてないよ 思ってもないし
当時の先進地域は九州だよ
だからニューヨーク
そして纏向は宗教行政都市ワシントン

鉄が九州にあったのは事実だってことだろ
それは認めるけどなにが無理ってとこが説明としてわからん
あと張政は魏の役人で孫権じゃないね

>帯方郡の木っ端役人が建業包囲なんて考えるわけもない
魏志倭人伝を読めば可能性はあるよね
>まさに会稽、東冶の東に在るべし。
絶対にないという資料の提示を求めるよ
0179名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 21:15:53.91ID:+p+Ddyah0
わかった鉄があるから邪馬台国は九州ってことか
こちらは首都機能に鉄の有無は関係ないでしょってこと
これが完全否定になってないのは認めるけど
そちらも首都機能に鉄がいると証明できてない
0180名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 21:22:01.28ID:4oln+zTr0
>>177
それもう>>145で否定されてる
0181名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 21:54:15.19ID:QERzrJvP0
ごく少数の珍しい鉄製品を例に出しても意味はない

ある程度の技術を持つ遺跡はあるが数が少なくその製品が流通している様子もない
九州をはじめとした日本全国の鉄器は稚拙な技術で作られた物しかない

繰り返しになるが鉄製のクワやスキですら全国で20例程度しか無く使われた形跡さえもない

むしろ「先進的な鉄の技術は九州を含めてどこにも広まってない」と言う証拠になっている
鉄器は先進性の証拠とはなってない
0182名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 22:04:29.16ID:QERzrJvP0
甕棺墓の権力者と思われる人物の墓に副葬された特別な鉄器は「特別な鉄器」でしかない

実際、九州はその中期から後期後半後葉に至るまで、その技術が広まる事も定着することもなかった
結局、九州出土の鉄器は石器の延長線上の使用法、作成法のまま古墳時代を迎える

富の原の例を出すと言う事は、むしろ九州に先進的技術が広まる事も定着することもなかったと言う証拠となる
0183名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 22:13:20.65ID:QERzrJvP0
石器と大差ない使い方、作り方の弥生時代の鉄器を見るに、
その流通は先進性だとかそういう物ではなく、入手しやすさと言うのが最も大きいと思われる
当時の石器素材の主な原産地は四国東部で西日本はそこから多くの石材を仕入れている

九州は四国東部との交流が薄くその石材の入手があまり容易ではなかった様子が見える
そのため、石器の代わりに朝鮮半島から鉄器を入手流通させていたと言う図式が見えてくる
実際、九州中部のように石器の技術などの稚拙さから鉄器を早く広く受け入れている状況が分かっている

弥生時代の鉄の程度を考えるとその分布の違いは、先進性や強大さの違いではなく単なる地理的な違いに過ぎないと言うのが分かってくる
0184名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 23:11:44.25ID:QERzrJvP0
「弥生の鉄器」と言うのが過剰なくらいの評価を受けていることが分かった事を考えると別の視点が見えてくる

西日本各地は銅鐸をはじめとした豊富な青銅製品が見つかっている
つまり、大量の銅を保有していたことになる
当然、当時の銅は国内にはなく海外から仕入れるしかない
要は鉄と同じ入手経路である

その上で、西日本は鉄が少なく、青銅が大量に見つかり、石器が多く見つかると言う状況を踏まえて考えると

【西日本各地は当然に中国や半島とも交流しており、石器の代替品程度の鉄には大して興味を持たず銅を欲しがっていた】
というのが明らかとなる

「誰もかれもが鉄を欲しがり、鉄の保有が覇権を分けた」
と言う完全な事実誤認を排除するとこういう情勢が見えてくる

鉄の出土は石器の出土と同程度の意味しかないのがよく分かる
0185名無しさん@1周年垢版2020/02/10(月) 23:45:15.97ID:QERzrJvP0
当たり前に考えてみればわかる話なのだが思い込みと言うのは怖い

銅は海外から入手するしかない
鉄も海外から入手するしかない

これでなぜ青銅が大量に出てくる場所が海外と交流できてないと思い込めるのだろうか?
また大量の青銅製品を鋳造して流通させている地域に高度な治金術が無いと思い込めるのだろうか?
なぜ稚拙な鉄製品しかない場所が先進地域だと思い込めるのだろうか?
鉄よりも高価な銅が出てくる地域が貧しいと思い込めるのだろうか?

理解に苦しむ

銅を欲しがった
鉄を欲しがった

と言うだけの違い
単なる需要の差であると言うのがその実態であろうと言うのが当然だろう
0186名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 01:47:09.44ID:oYsOKn/20
>>185
ここまで妄想垂れ流して何がしたいんだか

銅の歴史は例えばここを見ればわかるが
http://copper-brass.gr.jp/copper-and-brass/copper/history
当たり前のように北九州を中心に青銅器文明が栄えたとされてる

結局は銅も鉄も北九州中心は変わらない
0188名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 04:35:10.08ID:ip/fHenq0
朝鮮人が作ったやつだろうなw
0189名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 04:52:07.89ID:2GAacvWX0
>>178
>あと張政は魏の役人で孫権じゃないね
イミフ
邪馬台国七万戸は張政の創作、つまりハッタリだというのがお前の説だろ?
ハッタリというのは相手の耳に入ってビビらせるから意味があるものであって、相手が気づかないハッタリなんて何の意味も無いぞ

>魏志倭人伝を読めば可能性はあるよね
全く無いね
敵国呉の首都攻略戦なんてのは魏の都洛陽の高官たちが立案するものであって地方役人が考えることじゃない

畿内説は本当に空虚な言い訳だけだな
0190名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 04:58:55.99ID:2GAacvWX0
>>181
またこうやって嘘を吐く

富の原遺跡は縄文時代から弥生時代にかけての古い遺跡だし、
同時に発掘された甕棺墓は弥生末には九州でも廃れている
つまり邪馬台国時代よりずっと前の遺跡であり、その頃から既に優れた鉄加工技術が北部九州にあったことを示している

>繰り返しになるが鉄製のクワやスキですら全国で20例程度しか無く使われた形跡さえもない
またこうやって嘘を吐く

http://www.yoshinogari.jp/ym/episode04/occupation03.html
弥生時代の農業生産を画期的に高めたのは、鉄製農具の普及です。鋤や鍬に鉄が使われるようになったことにより、土を耕すことが容易になり
(ある研究成果では木製農具に比べ作業効率が約4倍に伸びたと算定しています)、新しい土地を田や畑として切り開く開墾も盛んになったと考えられます。
鉄製農具が普及するようになった中期後半以降の集落の急激な増加がそれを裏付けていると言えるでしょう。
鉄製農具は農業の生産性を左右する重要なものでしたが、鉄素材は朝鮮半島から得なければならず非常に貴重なものでした。
吉野ヶ里遺跡は全国の弥生時代遺跡のなかでも鉄製品が多く出土し、鋤・鍬の鉄製刃先や鉄鎌など鉄製農具も豊富であったことがわかっています。
このような「鉄」の豊かさは弥生時代の吉野ヶ里が大きな力を持つ集落であったことを示していると考えられます。

九州じゃ普通に使われていた

毎度毎度畿内説論者は嘘しか言わないなw
0191名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 05:12:28.09ID:2GAacvWX0
>>190の資料で特に重要なのはここ
>鋤や鍬に鉄が使われるようになったことにより、土を耕すことが容易になり(ある研究成果では木製農具に比べ作業効率が約4倍に伸びたと算定しています)
鉄の農具により作業効率が4倍にもなるのに欲しがらない地域など存在しない
だが邪馬台国時代の畿内の農具は木製だ

欲しくても手に入れられなかった畿内と、ほしいままに使用していた北部九州
王都である邪馬台国がどちらかは明白だな
0192名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 05:17:19.20ID:2GAacvWX0
618 :名無しさん@1周年 :2020/01/13(月) 18:44:44.94 ID:c88enEso0
清水眞一 前・奈良県桜井市教委文化財課長

私は二十年間、大和の中央部・桜井市で「邪馬台国は何処」とのテーマを持って、
発掘調査に従事してきた。その結果として、邪馬台国が成立して女王卑弥呼を擁立する
までの弥生時代中・後期に、大和には他地域を圧倒するような「ムラ」や「墓」が
見られないことに気付いた。
代表的なムラである唐子・鍵遺跡も、畿内の同時期の池上・曽根遺跡や田能遺跡などと
比較して、飛び抜けて大きいムラとは思えなかった。逆に、墓に関しては、
西日本各地と比べて遅れた地域との思いも抱いたことだった。
であれば、その次の古墳時代に入って、纏向の地に百メートル以上もの巨大古墳が、
なぜ突如として築造されるのか。これは、大和の地に別の地域の人々が入って来たと
考えざるを得ない状況とみた。
では、誰が何処からきたのか?考古学の資料からは、特定の地域が限定できない。
となれば、卑弥呼の邪馬台国は、北部九州のどこかではないかと思われる。
0193名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 05:35:44.23ID:978GTAbn0
この辺から製法が有明海を越えて熊本に伝わり、最終的な完成を見たのが「肥後守」という事だ
0194名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 06:58:31.34ID:Ia5sOOxP0
>>145,190
九州と畿内の格差が想像以上に酷いな
よくこれで畿内が都なんて空想ができるものだ
0195名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 07:36:49.53ID:BlFsesiG0
189 魏の上層部を納得させる材料として
邪馬台国で集められそうな見込み兵数は重要でしょ
だから張政は多めに書いた

>全く無いね
これは見解の相違で否定にはなってないね
否定するなら資料ね

>洛陽の高官たちが立案
最終的にはそうなるけど半島の戦いで帯方郡の太守が戦死して
新たに太守になった弓遵を中間管理職の張政が説得して
中央に提案してもらうって可能性はある
結果を出したい弓遵と張政の思惑の一致
0196名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 07:43:29.97ID:BlFsesiG0
>>189 間違えた 半島の戦いで戦死したと思われるのが弓遵で
新たに帯方郡太守になったは王?

>其八年太守王?到官
0198名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:13:22.11ID:BlFsesiG0
張政は倭国の風習やあるものについて南国を匂わせていて
それを読んだ陳寿も南国と解釈してる


張政が倭人が刺青をしていて会稽を統治した夏后少康の子も
刺青をして漁での厄除けをしたと書いてる

>男子無大小 皆黥面文身 自古以來 其使詣中國 皆自稱大夫
>夏后少康之子封於會稽 斷髪文身 以避蛟龍之害
>今 倭水人好?没捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽 後稍以為飾
>諸國文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差

これを読んだ陳寿
>計其道里 當在會稽東治之東
その道のりを計算すると、まさに会稽、東冶の東にある。


さらに張政 倭国では稲作して、養蚕して絹を作ってる
牛、馬、虎、豹、羊、鵲はいない
兵は矛、盾、木弓を用いる と書いてる

>種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵?緜 其地無牛馬虎豹羊鵲
>兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃

そして陳寿

>所有無與?耳朱崖同
持っている物、いない物は?耳、朱崖(海南島)と同じである。


他にも張政 倭国は温暖で一年中生野菜を食べてはだしであると書いてる

>倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣


南国と思わせる張政とそれに納得する陳寿
張政「計画通り」
てかこれって魏志倭人伝の一番の違和感だと思うけどね
奈良にも九州北部にも当てはまらない張政による誘導
0199名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:16:21.23ID:8gHtf5Fh0
>>195
本物の狂人だなコイツ

>魏の上層部を納得させる材料として邪馬台国で集められそうな見込み兵数は重要でしょ
その数字を水増ししていざ本番で集められませんでしたとなったら虚偽報告で国を誤らせた張政は処刑されるぞw
そんな馬鹿なことをする理由がない

>これは見解の相違で否定にはなってないね
>否定するなら資料ね
いやまずお前の妄想を肯定する資料が一つも無いんだがw
まずお前の妄想を肯定する資料を出してみろw

そもそも張政の肩書である塞曹掾史は砦の事務官で武官でさえないw
国の軍行動に口を出す身分じゃない

塞曹掾史
https://www.cidianwang.com/lishi/guanzhi/6/16296fs.htm
>官名合称,漢魏辺郡皆置,為塞曹正副長官,掌辺塞事務,也奉命出使。(特殊文字の文字化けは修正)
辺塞、つまり辺境の砦に置かれた事務官だとある
砦の事務官が敵首都の攻略戦を願い出るなんて事例があるなら出してみろよw
0200名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:18:33.68ID:IhplRYz50
なんか最近発見されまくってるね、ゴッドハンドでも出現したん?
0201名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:19:06.94ID:BlFsesiG0
>>199 資料が無いのはみとめるただの状況からの想像
ただ資料がないからと否定はできない
だからこっちは君の可能性としてある否定を否定はしてないだろ
そしてこちらは可能性を示し続けている
0202名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:20:21.12ID:8gHtf5Fh0
>>201
こちらは張政がそんなことをできる身分じゃないことを資料で示した
残念だったな
0203名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:21:00.69ID:BlFsesiG0
完全に証明されたらあきらめるよ
つまりいまのところ証明には至ってないってことね
違うとだけ言っておけばいいってわけではない
0204名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:22:09.87ID:8gHtf5Fh0
いや張政はただの砦の事務官ですからw
軍事に口出す立場の人じゃありません、完全に否定されました
残念だったね
0206名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:24:52.06ID:BlFsesiG0
>>202 そんな資料はないよ
あるならみたいね

分かるのは帯方郡太守の部下ということくらい
ただ最初の使者梯儁の役職は魏志倭人伝に書いてる
>建中校尉梯儁

二人目の使者張政も梯儁と同等くらいと考えられるんじゃない
0207名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:34:50.98ID:BlFsesiG0
必要なのは可能性を潰す資料ね
それが出ない限り可能性は残るので完全否定ではない

だから自分は九州北部には邪馬台国はないとだけしか言ってない
0208名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:37:21.69ID:8gHtf5Fh0
>>206
>>199
ハイ論破w
0209名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:47:49.84ID:BlFsesiG0
>>208 塞曹掾史は太守の言い方を変えたやつだよ
塞曹掾史帯方郡太守王?
>遣塞曹掾史張政等
ここは太守が張政を使わしたとなり塞曹掾史は張政の役職ではない
0210名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 08:58:18.47ID:BlFsesiG0
wikiでは塞曹掾史は太守となってるんだよね
塞曹掾史を張政の役職としてるところもあるのか
ただ張政が事務官だと違和感ない?

一人目の使者は建中校尉梯儁
校尉 つまり武官
さらに張政は狗奴国との戦いのために派遣されてるから武官と考えられる
>倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和

ここだけ読むと魏が地方の郡に置かれた事務官 → 太守と読めないことも無い
漢魏辺郡皆置 事務官

自分はwikiの解釈の方がしっくりくる
0211名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 09:05:02.51ID:zD/qYjMO0
>>210
>wikiでは塞曹掾史は太守となってるんだよね
なってねーよウソつき
畿内論者ってどうしてこうも病的なウソつきしかいないのだろうか?
0213名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 09:09:43.89ID:zD/qYjMO0
>>212
まさかこれほどの馬鹿が実在したとは驚きだ
それ張政は「帯方郡太守の王キン」の部下だと書いてあるわけだが
太守は王キンの方
0214名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 09:10:18.95ID:BlFsesiG0
>漢魏辺郡皆置
漢や魏で全ての地方の郡の置かれた(役職)
太守でよくね?
0218名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 09:17:07.97ID:O203T5eh0
な、畿内説には頭のおかしい人間しかいないだろ
0221名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 09:26:57.51ID:BlFsesiG0
>>219 そしてそれを否定したじゃん

>漢魏辺郡皆置
漢や魏で全ての地方の郡に置かれた(役職)
長官 ともあるしやっぱ太守でよくね
事務ってところは業務の一環として書いてるように思うが
0222名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 09:35:41.61ID:O203T5eh0
>>221
んな妄想で否定できるかよw
辺郡ということは辺境にしか配置されなかったということだ、間違っても太守などではない
もうバカは黙れよ
0223名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 09:49:45.92ID:BlFsesiG0
>>222 トラップかな じゃあ張政が塞曹掾史?
こっちは別にそれでもいいけど
張政がすごく偉いのはこっちにとっては説の補強になっちゃうけど
0224名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 09:54:07.68ID:BlFsesiG0
>官名合称,漢魏辺郡皆置,為塞曹正副長官←
張政を官の長にしちゃっていいの?
0225名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 09:55:26.26ID:O203T5eh0
どうやら日本語が通じないようだ
塞曹掾史は大して偉くもない辺境の砦の事務方
そしてそれが張政の肩書

こんな簡単なことが理解できない人もいるんだな
そんな知能の低さだから畿内説なんて信じてしまうんだな、よく分かった
0229名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 10:04:58.38ID:BlFsesiG0
>>226 >村役場の課長 これはどこに書いてる?
長官は村役場の課長レベルなの?
武官、事務官の長てことじゃないかな 太守

帯方郡は魏の東端の郡で
太守の中でもかなりの下っ端なのは認める
てかこれはそういうことを書いてるんじゃないか
0231名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 10:11:39.74ID:O203T5eh0
うーん、この展開を見てると特殊学級の先生って本当に大変なんだなーと思うわw
知恵遅れに物を教えるのは大変だ
0233名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 10:14:00.26ID:BlFsesiG0
>掌辺塞事務,也奉命出使。

地方を掌握して敵の侵入を防ぎ(有)事に務める
貴人から命令をもらい使いを出すなり

塞が防衛という意味だとすると繋がりから
事務仕事ではなく有事に務めるとしたよ

貴人からの命令(奉命)を受ける立場であり使いを出す
やっぱり太守なんだけど
0236名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 10:25:38.45ID:BlFsesiG0
わかった
おまえら塞てところから小さな砦を守る程度だと思ったのね
当時の中国の都市は城砦都市ってやつで壁が張り巡らされてて
中には一般人も住めるようになってて小さくはないのよ

ただ帯方郡が城塞都市の規模が他の郡とくらべて
小さかった可能性は否定しない
0237名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 10:30:04.67ID:BlFsesiG0
「奉命」でぐぐると
>貴人から命令をうけたまわること。
とあったので貴族階級から命令をもらう立場の人としたよ
だから塞曹掾史は貴族とやり取りできる身分
0238名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 10:30:25.44ID:hnGK6s540
邪馬台国と倭王権のつながりも明確でないのに、
なぜ邪馬台国に場所にこだわるのだろうね?
0239名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 10:33:47.38ID:hnGK6s540
渡来系弥生人って中国南方の人たちでしょ。
彼らが沿岸沿いに移動して日本や古代朝鮮南部に住んでいたというだけ。
なぜ弥生=朝鮮みたいな思い込みがあるのか不思議。
0240名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 10:36:35.17ID:hnGK6s540
鳥居原狐塚古墳から出た、
赤烏元年銘神獣鏡には中国三国志時代の呉の年号が刻まれているんだよね。

日本と中国南方に存在した呉は深いつながりがあったと考えるのが自然でしょうね。
0241名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 11:38:41.64ID:r0V0VrSR0
>>239
中国北部から半島経由で北九州に渡ってきたグループもいるのよ?

ttps://www.asahi.com/amp/articles/ASM7J6TNBM7JULBJ01M.html

縄文人もそうだけど、弥生人にしても単純に単一ルートで広がったわけではないよ。

九州は半島ルート弥生人と南洋ルート弥生人に大別しても良いんだろうけどね。
九州上陸の縄文人も同じ2ルートでやってきてるし。

魏と繋がりを持つ半島ルート北九州弥生人と、呉と繋がりを持つ南洋ルート弥生人の2つの勢力が居たんでしょう。
北の邪馬台国と和せず。の南にいた狗奴国は、南ルートの弥生人だから、和せずだったんだと思う。
元が中国北部の集団と、南部の集団で出身が違うから不仲だったんじゃないかな?
そもそも南の倭奴国が九州統一してたのを、倭国大乱で30国切り取ったのが、北の邪馬台国とも考えられるから
邪馬台国と和せずなのも当たり前とも言える。
※後漢書では、倭奴国は倭国の極南とあると書かれてるし。

三国志呉書が完成しなかったから書かれてないけど、完成してれば、南九州の内容もある程度わかったと思う。
0242名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 12:24:38.57ID:O3HCJ4z+0
>>198
日本書紀だけか記紀の両方だったか
あめ牛(黄牛)の話が載ってたよ
朝鮮ではそうとう古代から一般人が道端で
牛を捌いて食べてたようだから日本とは
まったく違う文化圏、民族だったんだな
0243名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 12:30:52.81ID:hnGK6s540
>>241
>魏と繋がりを持つ半島ルート北九州弥生人と、呉と繋がりを持つ南洋ルート弥生人の2つの勢力が居たんでしょう。

こういう説明ならわかるよ。
当時の日本には複数の勢力があって、
それぞれが中国と関わりを持っていたと考えるわけね。

でもなぜか、全て朝鮮半島経由でした、
みたいな書き方がなされることがあるでしょ。

なぜ日本と中国の直接のつながりには触れない人が多いのだろうね?
0245名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 12:35:19.09ID:nlI1Nmxi0
>>239
日本列島で水稲栽培を行ってた縄文系の弥生人が暮らしてた所に
渡来系弥生人は中国東北部から鉄器を持ってやって来たんだよ
0246名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 12:40:25.10ID:hnGK6s540
>>244
ある、なし、どちらも不正解。

不明、不明確、と答えるのが正解じゃないかな。
0247名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 13:04:28.38ID:r0V0VrSR0
>>243
渡来人=百済のイメージが強いからじゃないかな?
0249名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 13:51:39.76ID:m6w2WSPq0
>>244
卑弥呼と皇統を結び付けるのは、今の所ロマン世界。
0250名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 14:28:43.60ID:7TrUo0EI0
モンゴルや朝鮮半島には相撲に似た格闘技があるが中国南部には無い
東北地方の縄文時代の建物跡は高床式と言われているから高床式が南方
由来とは限らない。呉越系民族が渡来したところには甕棺墓があるが
福岡県でも北九州地域からは出土しない。要するに中国南部から渡来した
呉越系民族は少数だったと言う事になる。
0251名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 14:48:08.13ID:A5DjAnwJ0
>>250
どの時代の渡来人の話しをしてるのかによるし、日本人のDNAハプログループは10種類位に分かれるから
一概に何処其処がルーツなんて確定的に言う事は無理だよ。

中国中部のDグループ・・・37%
ハワイなどの南太平洋のBグループ・・・13%
タイのM7グループ・・・13%
シベリアのGグループ・・・7%
アメリカ先住民のAグループ・・・7%
カムチャツカ半島のN9グループ・・・7%
東南アジアのFグループ・・・5%
フィンランド出身のZグループ・・・1%
中国漢民族のM8aグループ・・・1%
中央アジア・モンゴルのCグループ・・・1%

当然日本にたどり着いた時期もルートも違う。
最も古く日本にたどり着いたのは、タイのM7グループのようだとは言われてるが、それも確定でもない。
0252名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 15:47:29.50ID:r0V0VrSR0
>>251
ホモサピエンスがアフリカを出発して、大きく4つの集団に分かれて世界中に散っていったけど
結局全ての集団が日本列島まではたどり着いたって言われてるし、アメリカ先住民のAグループや南太平洋のグループは
日本を経由して、更にその先を進んでいったんだろうね。
0253名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 16:13:57.27ID:1P90H8n00
>>8
畿内が優勢だって聞いてたのに騙されてたわ
どう見ても九州じゃん
0254名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 16:21:22.49ID:7TrUo0EI0
弥生時代には高層マンションは無かったから家の数(戸数)は平地の広さと比例する。
その考えから行けば奴国(福岡市南区、那珂川市、春日市,etc)が二万戸、
投馬国は五万戸、邪馬台国が七万戸は投馬国は奴国の2.5倍ほど、邪馬台国は奴国の
三倍以上で投馬国の1.5倍の平地があった地域となるから、投馬国は
筑紫平野部(朝倉市、小郡市、鳥栖市、御井郡)の筑後川北部地域で
邪馬台国は筑後川の南部地域となる、狗奴国は熊本県北部地域となる。
0256名無しさん@1周年垢版2020/02/11(火) 19:53:43.03ID:jg76xulB0
>>254
魏志倭人伝に戸数の書かれてるだけで15万戸
1戸5人としても75万人。

戸数の書かれてない国や、邪馬台国に従った30国以外の
倭国の残り70国含める、魏志倭人伝の個数を鵜呑みにすると
3世紀の九州だけで400万人くらい暮らしてた事になる。

むろん、そんな膨大な人数が当時いたわけもない。

戸数をアテにしての推測は多分まともな結果にはならないよ。
0259名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 00:46:01.01ID:JorA1PWr0
DC300年代ってとっくに古墳時代始まってね?
今は弥生末期に分類されるんけ?
0261名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 01:33:32.34ID:ZmDvA/7l0
夫が珍しく子どもを叱っていたのだが、その叱り方が良い意味でとても凄かった「仕事でも頼られてそう」「工夫がすごい」

http://njko.liccivic.org/40v8bp2/bj5lr2zagniw4z.html
0262名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 05:17:54.24ID:LdSkuCjQ0
>>259
AD300年代はとっくに古墳時代
0263名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 06:38:57.88ID:2OtNuM220
300年代は古墳時代だし、魏も50年ほど前に滅びてるし、楽浪郡、帯方郡も313年には晋の手を離れてる。

百済ができたのも4世紀の高句麗の南下により楽浪郡、帯方郡が潰れ、ちょっかい出してきたのに対抗するため。
この時期、馬韓諸国(百済)から逃げてきたのが渡来人の実態。

国内でも畿内に大きな古墳が作られてるとか、空白の4世紀とは言われるが、3世紀後半から4世紀初頭にかけて
とんでもなく日本含め東アジアは動いてるよね。
0264名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 06:40:38.96ID:fkT+Bxo60
1700年ぶりだね
0265名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 06:43:48.19ID:UJeKQ4eD0
>>244
誰も証拠を出すことは出来ないけど、あると思うよ。
ないほうがおかしい。
紀元200年代の半ばの卑弥呼。
200年代の纒向遺跡。
200年代後半から末期の前方後円墳。

卑弥呼を共立した有力者たちのうちの一つだったんだろう。
崇神が「大王」にあったけど(300年前後?)、王位争いが起きる。
息子の崇神の時も同様。
天皇家の先祖の血統だけでは大王としての地位が確保されなかった。
全部が親戚だから内輪もめと見ることも出来るが、豪族同士の争いというか、
相互に政略結婚してるから、他人かというと違うけど。
特出した力を持つ豪族がいなかった。だから「共立」したのであり、女王が死ぬたびに
争いになる。男王では治まらない。
崇神前後の数代の「反乱伝承」に断片が見える。
確かなことは、崇神の時に争いがあった=絶対的権力はなかった。
垂仁も同様。丹波から嫁を取って落ち着いた。
景行は争いがない=安定した権威を持っていた。
何故?
母が丹波でこれが巫女の血統だったと考えることが出来る。
天火明命の一族が卑弥呼の宗族なら話がつながる。
ただ、その一族も絶対的権力は持っていなかった。権威はあっただろうが。
強力な権威を持つ火明命一族と、強力な武力とリーダーシップを持つ天皇家が合体して
「談合政権」が出来上がり、景行は両方の血を引く。
妻も、子供らの妻も誰か1人は必ず天火明命の一族から嫁にして、それが長く続く。
熱田神宮の存在がその証明だろうな。
0266名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 06:52:46.83ID:2OtNuM220
>>265
関係あるなら、堂々と記紀に書けばいいだけじゃないか?
0267名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:01:00.15ID:N2y1dQVP0
古墳時代になると九州で鉄武器が副葬品になることが急激に減る
律令国別出土数では大和が突出して多くなり
続いて摂津、丹波、伊賀、備前、近江、甲斐ときて九州の筑前は8位

この大和の隆盛と筑前の没落は突如始まったことではなく
弥生末から徐々に変化していったことで
筑前から大和に引越しがあったと考えるといろいろと説明がつく
0268名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:01:36.19ID:UJeKQ4eD0
>>258
じゃあ、Dが「弥生の渡来人」かというとそうじゃないんだよな。
縄文時代から存在している。
北から南まで、違いがあまりにも少ないことから見れば、「渡来人」はそれほど新しくない。
もしも「東北の縄文人を制圧」したのが平安時代とすれば、もっと遺伝子に違いが出る。
1000年前に「同族」の侵略を受けたブリテン島では、アイルランドやスコットランドと
イングランドは随分違う。

縄文人が稲作を始めて弥生化した。
その縄文人は均一ではなかった。
北から南から少数の様々な人が入ってきて、縄文末期にはかなり混ざり合って、農耕も
広まっていた。
大豆の栽培化も4000年前には始まっていた。
各地で平地の焼き畑農耕が行われていた。
海の民である海人は広域の交易を行っていた。
弥生開始期と言われる3000年前に、大量の移民がやって来た証拠は考古学的には一切見つからない。
0269名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:18:16.34ID:jQrGTpGO0
>>267
266にも書いたけど、関係性があるなら堂々と記紀に書けばいい。

記紀で関係性が明確に記載されてるのは、北九州ではなく南九州。
北九州から引っ越したのを、わざわざ南九州から引っ越したと偽る必要はないよね?

北九州邪馬台国の「東遷説」は理屈に合わない。
0270名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:26:10.75ID:N2y1dQVP0
>>269 8世紀初頭で薩摩隼人を抑えるために作った話しだろう
彼らがいないと遣唐使が機能しないからヨイショした
海幸彦が隼人の祖

書けない理由は考えられるよね
卑弥呼の存在と朝貢したことを隠したい
0271名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:30:07.66ID:ZmDvA/7l0
夫が珍しく子どもを叱っていたのだが、その叱り方が良い意味でとても凄かった「仕事でも頼られてそう」「工夫がすごい」

http://njko.liccivic.org/6w4v8/jk7v6zrcehnu51.html
0272名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:37:11.09ID:2OtNuM220
>>270
遣隋使よりも後に編纂された記紀で、朝貢を秘匿したいって無理がある。
薩摩隼人にヨイショするのに、自分達の出身を偽りましたも無理がある。

無理やり屁理屈をこねてるだけじゃん。
0273名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:45:34.39ID:lNg+zbCH0
>>272 冊封体制で中国の属国だったことと女帝も隠したい
山幸彦が神武の先祖でさかのぼると同じだから仲良くしよう

狙いはわかりやすいよね
0274名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:49:42.56ID:2OtNuM220
>>273
最高神アマテラスが女神なのに、女帝を隠すとか、戦国時代以降の武家社会的な考え方よ?
記紀編纂時期は、嫁の家に通い婿や通い夫する時代。
当然記紀にも女帝の記録は載ってる。
0275名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:50:49.17ID:/p0i9VFq0
邪馬壹と書いてあるのは、単に臺の誤写だろ。
臺は現在の簡体字で台と書くが、昔の発音は「と」に近かったんだろ。
つまり、「ヤマト」国。大体からして、臺與(台与)を「とよ」と読んで邪馬台を「やまたい」と読ませるところに、何らかの意図を感じる。
0276名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:56:01.89ID:ZmDvA/7l0
夫が珍しく子どもを叱っていたのだが、その叱り方が良い意味でとても凄かった「仕事でも頼られてそう」「工夫がすごい」

http://njko.liccivic.org/f4t4m4t3/ztxxnbgpuh3h25.html
0277名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:57:05.07ID:X2ZLeWJ70
>>274
天皇家と邪馬台国に関係があるとしたら卑弥呼はアマテラスのモデルにあたる人物になる
アマテラスの天壌無窮の神勅を皇位の正統性とする王権神授説の記紀にとって、アマテラスが実在の生身の人間であり
しかも中国に朝貢して臣下の礼を取っていたなんていう事実はあってはならない出来事だ
ゆえに記紀は九州倭国時代を高天原とかぼかして徹底的に隠蔽している
0278名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 07:59:40.36ID:2OtNuM220
>>277
当然のように語ってが、全て根拠もないし、あなたの希望的作文だよ。
0279名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 08:05:34.13ID:t9A4z7XF0
>>268
それどころか遺伝子解析によると父系に縄文系、母系に弥生系だからね。
渡来系の男は殺されるか技術力だけとられて奴隷化されて子孫を残せず、女は縄文系の子を産まされてた。平和裏に文化交流が行われたなんてロマンチックすぎるからな。争いはあって、勝ったのは現地人。
0280名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 08:07:24.35ID:2OtNuM220
九州邪馬台国の東遷説は、希望に沿った作り話の上に、矛盾を修正する新たな作り話を重ねて
それで筋が通っていると錯覚する、させるひどい論調。

最終的に新唐書に縋るしかなくなる。
0281名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 08:18:25.69ID:j4Kb0VYe0
>>256
お前はかはり頭がお粗末、俺が言いたいのは戸数が人口に比例しているのでは無くて
戸数が国の面積に比例していると言いたかったんだよ、各国の面積の大小は
グーグルマップで見たら良く判る。
0282名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 08:29:12.84ID:j4Kb0VYe0
思考に行き詰まったなら倭人伝の始めの方を読み直せば良い。倭国は元百余国からなり
邪馬台国とその同盟国は三十余国からなっていると書かれている。当時の国は今の
市か郡程度の広さしか無いから邪馬台国と三十余国は北部九州内にあった国の事で
倭国とは九州島の事を指している。本州の国々には魏使は訪れてはいないので
単に倭種の国としか書いてはいない。
0283名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 08:38:05.13ID:t7pSW9x70
>>274
その天照大神の夫(お前の言う男系的意味では)は高皇産神ですよ。
造化三神という最高位の神様。
0284名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 08:52:26.27ID:YZgSea420
>>267
古墳時代になると九州では金製品が副葬品になり
鉄製品とかは日用品となってるね。
0285名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 08:52:48.02ID:2OtNuM220
>>283
造化三神には性別なんてないと言うのと、アマテラスに配偶者がいると言うのは記紀にはない。

どこを出典にしてるのかわかるけども、変なものに頼りすぎ。
0286名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 08:57:20.85ID:ZmDvA/7l0
夫が珍しく子どもを叱っていたのだが、その叱り方が良い意味でとても凄かった「仕事でも頼られてそう」「工夫がすごい」

http://njko.liccivic.org/01w8wj0p9/qoqx2n804157ii.html
0287名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 09:04:31.32ID:bpBvpxLl0
日本刀って最初に誰が作ったんだろ?
科学もなんもない時代にあんな特殊構造思いついて作り上げたもんだ
考案、製造とかの最初の人ってマジ凄い
俺に匹敵する
0289名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 09:59:41.84ID:qjfDTOQH0
>>268
>縄文人が稲作を始めて弥生化した

一年半前に東北は解析でそう確定した
出雲もそういう可能性が出てきている
予想外は北九州までその兆しのデータが集積中であることなのだ
佐賀や阿蘇は縄文色が強いことは知られていたがな
0290名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 10:05:54.47ID:Pbna3Drr0
おまえら、相変わらず畿内だの九州だの熱いなw 歪んだ地元愛か?
0291名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 10:16:34.56ID:8s5Xl5zw0
製鉄技術が西から伝わった証拠のひとつになるかな
日本刀も初期のものは今の鳥取あたりで作られたものばかりだし
0292名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 10:20:49.93ID:8s5Xl5zw0
>>290
地元民は冷静
煽りまくってたのはココ電とか東京の奴だった
0293名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 10:26:54.32ID:lNg+zbCH0
遺跡の残り方から弥生時代後期に筑前と規模が同程度だったのが
出雲(島根)、伯耆(鳥取)、丹後(京都)
つまりこれらが同盟を組むと福岡の3倍の勢力をもつ

さらに因幡(鳥取)、但馬(兵庫)、丹後(京都)、若狭(福井)にも
多くの遺跡が残っていて広範囲に栄えてた可能性がある

一方九州は筑前に遺跡が多数あるが他の国は少ない
弥生後期においては 九州北部<日本海側
0294名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 10:27:38.20ID:rnVdlHTe0
>>265
誰が卑弥呼を「共立」したか? その主語が間違っている。
卑弥呼を「共立」したのは、倭国。つまり、倭国大乱の当事国同士。
要するに、男王禁止(=覇権放棄)の条件で和議が成ったということ。
対外的に(形だけの)倭国盟主とすべく、女王「共立」ということになってる。

だが、それでは、覇権の遷移(九州→畿内)が明白で、都合の悪い学者
どもが主語を曲解w あのぉー、文脈から、主語は明らかなんですけどw
加えて、卑弥呼の死後に起きた事から、上記以外の解釈は不可能だし。
0296名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 10:44:43.59ID:rnVdlHTe0
やまと邪馬台は、日田盆地から→筑紫平野を支配し→半島と通じ、
鉄と朝貢を握り、みなとの支配者・宗像(旧名ミナカタ?=港の傍ら?)
を軍門に下す。これが海幸彦・山幸彦の神話に記述されている。
神話中、「釣針」は鉄輸入、「玉」は朝貢の隠語として出て来る。
このうち、権力の遷移の部分は、天照とスサノヲの誓約として再掲。
0298名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 10:51:21.04ID:rnVdlHTe0
>>296補足
海幸彦・山幸彦の神話にあるのは、山手の勢力が、
海の向こうと握り、鉄と朝貢を手に入れ、港勢力を
軍門に下す部分。296に書いた筑紫平野の支配は
神話にはないので、ちょっと書き方がまずかったかな。
0299名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 10:58:19.81ID:YZgSea420
>>293
嘘吐くなよ南は熊本辺りまで遺跡は多いぞ
弥生期全体的に 九州北部>日本海側だぞ
0301名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 11:25:23.39ID:j4Kb0VYe0
俺は邪馬台国九州(筑後)説だが奈良説のバカらしいこじつけにはうんざりするし
筑後以外の九州説のデタラメな屁理屈にもうんざりしている。奈良説論者は
関西人だから当然朝鮮遺伝子が非常に濃いので平気で嘘をつくのは理解出来るが
宇佐説や日田説の突拍子も無い考え方にも呆れ果てている。
0302名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 11:31:09.75ID:bDrBiBtg0
>>300
「弥生人=朝鮮半島からの渡来人」という無邪気な思い込みが未だ強く残る時代に、弥生早期の遺跡である
石崎・曲り田遺跡を調査した報告者たちが、「朝鮮半島の文化の影響は受けているとしても、渡来人
はさほど来ていない(つまり交易等で先進文化を受容しながら縄文人が弥生人に内部変質していった)」
という結論に到っている
 一定数の渡来人が来たというよりは、航海に慣れている縄文人が大陸から若い娘を強奪(交換・買収)してき
たというほうが近いのじゃないかと想像する
 実際、秀吉の時代頃までは若い女は交易物だったからなあ
 
0303名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 11:35:48.91ID:lNg+zbCH0
>>299 こちらの説明が足りなかった
王や豪族や権力者と思われる遺跡の数でいうと
上に書いたような感じになってる

権力者の墓の数=勢力 ではないけどね
とか書き忘れたので追加ってことで

最近の研究で結構変わってきてるよ
0304名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 11:44:37.09ID:lNg+zbCH0
九州がすがり付いてる>>8の弥生時代における鍛治工房の分布は
村上恭通 倭人と鉄の考古学のものと書いてるが
これの発刊は1998年だからな 古い
0305名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 11:53:10.11ID:lNg+zbCH0
纏向遺跡の大型建物跡の発見は2009年で
これより前の資料は九州バイアスがかかったものが多い
村上恭通さんは熊本の人
0308名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:25:53.86ID:ghwU0M7B0
>>245
中国東北部からの渡来系弥生人なんていませんよ
妄想捏造ばっかりしてないで初歩から勉強してくださいね

チョンさんw
0309名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:28:28.98ID:y1JRSPbx0
★過去の研究〜近年の学術研究結果のまとめ★

@日本ヤマト最初の国家官製規格の前方後円墳ができたときの纒向では朝鮮半島の遺物がほとんど出ない

Aその時代から同一モデルを含め複数と考えられる半島王子と名乗る者が「聖人君子が日本におられると聞きまして参上いたしました」と
訪日するが、どれもよそ者でかろうじて任那からきたソナカシチは纏向染めの絹を土産に持って帰らせてもらっている

B倭王・武の雄略天皇は、 宋から半島の軍事顧問を任されている

C古墳全時代を通して朝鮮半島の使者で都まであがって天皇と会えた人間はほとんどいない
ほとんど全てが北九州で追い返しか、大阪湾の内湾南の難波館止まり

D厳格な都の中での肉食禁止令を徹底

E八乙女にしても八十島まつりにしろ、国家祭祀の中心から外縁までの全てが
海洋性神話にもとづく内容

F伊勢内宮のアマテラス大神の御神体の八咫鏡がおさめられてる箱も御船代

G大嘗祭で建てられる高床式の屋代家屋の屋根が温帯〜南洋の葉の束 (昨秋は秋篠宮様実費削減提言に沿って板葺き)

H古墳時代の天皇や大王級の御遺体を古墳に運ぶための葬送儀礼用の舟形木製箱


※ 朝鮮半島の文化要素がほぼ皆無ゼロ
0310名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:30:17.68ID:hmSJxWqa0
★時代考証がムチャクチャな韓流ドラマ!!
 そんな韓流時代劇で歴史の勉強する在日韓国人の皆さん!!

韓国KBS放送
2010年の大河ドラマ『百済の王クンチュワゴン』

4世紀になぜかフィリピンや台湾に国家があり、百済王に朝貢。
倭のヤマタイ国から王女「チング」姫が来るが、
原始人に毛の生えた程度の身なりのため使臣扱いされず門前払い。
しかし百済王の配慮で謁見が叶い、ヤマタイ国の使臣たちは感激
して土下座で臣下にしてくれと懇願。
百済の臣下たちは倭人は海賊ばかりで信用できないと反対するが、
百済王は広い心でヤマタイ国を百済の臣下となることを許す。
4世紀の倭人たちがなぜか稲や鉄器を見て驚き、チング姫は百済で
勉強したいと土下座して懇願。
ヤマタイ王が病没すると、百済の第二王子がチング姫と結婚し、新しい
ヤマタイ王となる。
百済王から、ヤマタイ国に「大和」の国号が与えられ、倭の統一を命じ
られる。大和王となった第二王子は、百済の臣下として倭の統一に
乗り出す。

・・・トホホ、何なの?

反日種族主義でウソつき民族と書かれる捏造感・・・・
在日韓国人とそっくりの妄想感・・・・・・・
0311名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:31:24.73ID:topJAXeM0
◆DNA的にも文化風習的にも、朝鮮半島は縄文人はもちろん
弥生人と殆ど関係がありません

古墳時代に集団で漂着した逃亡半島難民はたくさんきたけど
難民キャンプ集落で隔離生活していたので日本人とは交雑する関係もなく
それ以上に列島弥生人は朝鮮人とは何の関係もありません
朝鮮半島人は水稲文化人じゃなくて肉食畑作文化人だからです

弥生人(パッチリ一重) = 列島弥生水稲倭人 ≠ 朝鮮半島人(肉食こうりゃん畑作人)


弥生人の出どころ = 稲作弥生文化人 = 長江流域〜華南〜越人中軸 水稲地帯が中心
0312名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:32:59.91ID:sFN73vZq0
★日夜隙あらばデタラメの噓を流そうとするクラスターチョンw
しかしコトゴトク日本の学校で勉強した日本人にやっつけられるw

304名無しさん@1周年 2019/12/08(日) 19:11:28.59ID:AGGczja90

太古日本列島に馬はいませんでした。
半島と日本が地続きだった時代、朝鮮民族が馬に乗って渡来し、原始的な生活を送っていた
日本人に稲作など文化を与えたのです。
https://twitter.com/syannhai1?lang=ja


934名無しさん@1周年2019/12/02(月) 20:46:09.19 ID:iXWN4iIh0

江上の騎馬民族説は空想が土台になっていて
考古学的にも人類学的にも全く実証性がないもので
現在では盲説扱いとなっている
だが在日コリアンはその盲説をカルト教義のように信じたいので
こういう記事を書いたりするのだろう
彼らには客観的事実や科学的根拠は通用しないようだ


♦♦日本の超一流学者 ♦♦

・田辺昭三
この説はこれが提唱された時代の要請の中で生まれた産物。


・佐原真
かつて、騎馬民族征服説という仮説がありました。
騎馬民族の王侯貴族が組織的な騎馬軍団を率いて
日本にやってきて征服王朝をたてるということはなかった。
人びとの心の奥底では、日本が朝鮮半島や中国などに
対して近い過去に行ってきたことの償いの役割を、果たした
のかもしれない。


・岡田英弘
完全なファンタジーであって、なんら史実上の根拠はない。
江上波夫が創作した、新しい神話。
騎馬民族説には何の根拠もないですよ、あれは全くの空想。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0313名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:33:47.72ID:nZKYsS6y0
>>5
ドングリハンバーグを作ってたんだぜ?
料理をしていたってことは文明レベルは高い
0314名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:40:47.60ID:2OtNuM220
>>301
俺も邪馬台国北九州説だが、東遷説の馬鹿らしさに頭がクラクラしてるよ。
正確な位置は、魏志倭人伝からは読み解く事は出来ないが、2世紀の出土品の傾向と、帯方郡へのアクセスの容易さや
北九州の半島人との混血の進み方など状況証拠は十分にあると思う。

ただここから先、東遷説の根拠のない暴走に頭が痛い。
0315名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:41:06.38ID:lNg+zbCH0
>>307 提示ありがとう

まあ上に書いたとおりなんだけどね 確認すると

弥生時代後期の福岡には権力者の規模の墓がいくつかあるね
ただ福岡意外だとこのくらいしかない 各県ひとつ

椛島山遺跡(佐賀県武雄市北方町)
原ノ辻遺跡(長崎県壱岐市芦辺町深江)
下山西遺跡(熊本県阿蘇市乙姫)
浜遺跡(大分県大分市大字浜字西)


そして古墳時代前期でヒスイが珍しいものではないと過程して
ヒスイ以外のものも出たのはこの二つ

五島山古墳(福岡市西区姪浜)
ヒスイ(硬玉)製勾玉x2, 管玉, 小玉 (首飾り)
斜縁二神二獣鏡x2, 鉄剣 他

西一本杉古墳(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)
ヒスイ(硬玉)製勾玉, 管玉, ガラス製小玉(首飾り)
鉄斧, 鍬先, 鉄鏃, 鉄剣


九州てこんな感じ
0316名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:46:17.08ID:YZgSea420
>>309
それ研究じゃなくて妄想だな。
0317名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:47:15.53ID:lNg+zbCH0
ヒスイも含めても追加されるのは福岡4ヶ所
あとは佐賀県、熊本県、大分県がそれぞれ1ヶ所

古墳前期の奈良は多すぎるから省略ね
0318名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:47:24.13ID:u77WbMHh0
●9か月前のクラスターチョン(以下日本人になりすまし)

900名無しさん@1周年 2019/05/03(金) 05:10:04.99ID:yxShb7C60
ただ我々 倭人という人たちが、日本列島に渡来し、 原住民であった、 蝦夷 熊襲 という原住民を、南と北に追い払って、アイヌと琉球人となっているのは
正直に認めといたほうがいい
坂上田村麻呂は、確かに原住民たる蝦夷のアテルイを代表とする一族を北に追いやったのは 征夷大将軍(蝦夷を征伐する将軍)なんだから
0319名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:47:43.93ID:u77WbMHh0
●9か月前のクラスターチョン

916名無しさん@1周年2019/05/03(金) 05:19:44.69ID:yxShb7C60
>>902
混血?? そんなのは どうでもいいコッタ。  攻め込んだのが、原住民を潰し、蹂躙するのなんか 極めて当たり前。原住民の女を強姦して、混血児を産ませ、懐柔するなんか いくらでもあったこと。

歴史書を見たら?? 正直言えば、歴史は、どこがどこに戦争を仕掛け、つぶし 蹂躙した! これで90%だ。 よく見てミイ 坊や
0320名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:47:57.81ID:u77WbMHh0
919名無しさん@1周年2019/05/03(金) 05:21:34.49ID:yxShb7C60
>>916
ライダイハン が問われないのは なんでなの?よく考えて見れや 坊主

63名無しさん@1周年2019/05/03(金) 02:23:54.50ID:yxShb7C60
北朝鮮は、中華そして、日本人に近い。 そうだ!もっと北朝鮮と
雪解けしようぜ 
日本人は、北朝鮮からの渡来人
0321名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:50:07.61ID:UuuANiaA0
≪蒙満族が朝鮮・韓国をDNAレベルで民族浄化し塗り替えた≫

https://evolutionistx.files.wordpress.com/2017/02/east_asian_y-dna_haplogroups.jpg


北方の騎馬民族に侵略され虐殺されたのは半島丸ごとに
済州島までやられてしまった朝鮮だったが
それが理由で朝鮮民族は文化や風習的にも蒙満エベンキと
扶余だけでだオリジナル要素がまるで無くなった

文化や風習も含めてまるっきり消されてしまった
だから朝鮮半島は文化的発展が止まり階級格差だけが
根強く広がりアメリカで賞を取った映画の内容もその流れ

北朝鮮などは今現在でも農業がまともにできず餓死者大国
韓国のそれも日本の日韓併合時の指導と現在の苗種パクリ

日本も海に囲まれておらず蒙満に侵略支配されていたら
現在の縄文文化の要素などは本当に駆逐されていたかもしれない
0322名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 12:53:59.53ID:lNg+zbCH0
九州で卑弥呼の時代に強い国がありそうなのは福岡くらい
だけどそれなら水行10日、陸行一月必要ない
0323名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 13:00:40.52ID:UCReY+Fw0
>>8
工房があるところが都市だと言う考えはおかしい。作業場と政治を執る所は違う可能性もある。偏った見方をしてはダメ。
0324名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 13:46:27.62ID:JorA1PWr0
>>262
ADやねw恥ずかしい間違いだ

邪馬台国畿内説って考古学者からの提言の場合が多くて、寺沢薫さんの本とかが典型的だと思うが
3世紀に纒向遺跡に巨大な構築物がある、ここが日本の中心地に違いないというロジックなんだよね
「王権誕生」って本もそれしか言ってなくて米や遺物から古代の実態を探る章は丁寧なのに
邪馬台国の事になると急に雑になって不満が残るんだよな
0325名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 13:53:32.51ID:YZgSea420
>>317
奈良とかの纏めたサイトはないの?
0326名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 13:55:40.86ID:nxQzvtY50
一万年も続いた狩猟採集縄文時代はどやって柄モノさばいてたんや?
0327名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 13:55:58.09ID:YZgSea420
>>323
鉄製品の出土量も九州が他の地域を圧倒してるからね。
0328名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 13:57:28.49ID:YZgSea420
>>326
黒曜石で出来た石器
0329名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 14:03:06.14ID:gYdAo8500
>>323
その時代の鉄製具の発掘例は少ないから高級品だろうと思われるのでド田舎に工房が在ったと考える方が無理がある
0330名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 15:14:20.59ID:eSm3O3ee0
>>6
逆の逆だ
馬鹿w
0331名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 15:15:25.22ID:xenl4nrx0
>>60
クヌギやコナラ、クスノキは持ち込んだので元々日本列島には存在していなかった。
特にクスノキは船によく使われたので列島の分布図を見ると面白い傾向があるのがわかるよ
0332名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 15:25:08.56ID:Gv8YMzqQ0
>>1
おろし金できてるじゃん
0333名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 15:26:18.69ID:Wetb67dp0
邪馬台国キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
0334名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 17:53:46.57ID:vL0Kl7/P0
九州説とか言うバカっていつも所かまわず大暴れしてるな
考古スレでいつも湧いてくるゴキブリみたいだな
0335名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 17:55:49.85ID:j4Kb0VYe0
仮に邪馬台国が宇佐や日田だとすると宇佐平野や日田盆地は奴国があった福岡平野の
南部地域よりも狭いから七万戸の戸数では不自然過ぎる(奴国は二万戸)
それに邪馬台国の南には邪馬台国と互角に戦える狗奴国があったから邪馬台国は
筑後地方で狗奴国は熊本県北部と考えられる。
0336名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 18:39:45.27ID:pcCQsUT30
弥生期の鉄器の出土は熊本が最も多い
熊本=狗奴国なら、福岡を抑えられた状態でどうやって朝鮮半島まで鉄をとりに行ったのだろう?
また熊本からは畿内系の土器も出ている
つまり福岡の勢力に邪魔されることなく列島の流通網に参画している
熊本=狗奴国というさして根拠もない先入観から解放されるといいね
0337名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 18:46:25.35ID:FaUoiaa20
>>336
九州南部は呉と繋がりがあったからだよ。
0338名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 18:47:17.10ID:D5gR3/L50
クスノキ

世界的には、台湾、中国、ベトナムといった暖地に生息し、それらの地域から日本に進出した。(史前帰化植物)
日本では、主に、本州西部の太平洋側、四国、九州に広く見られるが、特に九州に多く、生息域は内陸部にまで広がっている。
生息割合は、東海・東南海地方、四国、九州の順に8%、12%、80%である。人の手の入らない森林では見かけることが少なく、
人里近くに多い。特に神社林ではしばしば大木が見られ、ご神木として人々の信仰の対象とされるものもある。
0339名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 18:49:37.22ID:D5gR3/L50
コナラ

材は木炭の原料や、シイタケの原木に使われる。多くの菌類と菌根を作るため、コナラ林には多くの菌根性のきのこが
出現する。関東以西ではクヌギと並んで人里の薪炭林に植栽され、重要な燃料源であったが、1960年頃以降、燃料の
需要の主力が木材から化石燃料へと変化したことで、薪炭林としての位置づけは失われた。また、かつて東北地方の
山村では、コナラのドングリはミズナラのドングリと並んで重要な食料であった[要出典]。
0340名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 18:51:35.38ID:D5gR3/L50
クヌギ

樹高は15-20mになる。樹皮は暗い灰褐色で厚いコルク状で縦に割れ目が出来る。
近縁のアベマキ (Quercus variabilis) と交雑したものはアベクヌギと呼ばれ、両親
の中間的な特徴をもつ。
葉は互生、長楕円形で周囲には鋭い鋸歯が並ぶ。葉は薄いが硬く、表面にはつやが
ある。新緑・紅葉が美しい。紅葉後に完全な枯葉になっても離層が形成されない
ため枝からなかなか落ちず、2月くらいまで枝についていることがある。これは
同属のカシワと同様である。
0341名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 19:06:07.07ID:EU/ZpR0e0
生産で首都が決まるならアメリカの首都はデトロイトかシリコンバレーだろうな
0342名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 19:21:54.80ID:juoNjsKN0
>>341
デトロイトやシリコンバレーで外敵に奪われると困る様なモノを製造してたっけ
0343名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 19:52:19.29ID:j4Kb0VYe0
弥生時代鉄鏃出土数(鉄鏃とは鉄製の矢じりの事)
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3
※鉄製鏃は敵と戦う為に矢の先端に取り付けて殺傷力を増やす武器
上記出土数からも判るが、邪馬台国は福岡県にあって狗奴国が熊本県にあった
から他地域とは出土数が大きく開きがある。特に奈良県はわすか4しか出土せず
これではとても戦争があったとは言える訳が無い。
0346名無しさん@1周年垢版2020/02/12(水) 21:20:21.35ID:LV+AQCxz0
製鉄と鍛冶をごちゃ混ぜにしてる人が多いな
弥生時代に鉄器が伝わったが、当時は製品を輸入したり、それを鍛冶で加工するだけ
砂鉄などから鉄そのものを作るのは古墳時代になってから
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