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『アメリカとイギリスは変わらずロシアとオトモダチのソ連』


ヤルタ会談・ヤルタ密約(正統史観
1945年(昭和20年)2月4日〜11日、ヤルタ会談・ヤルタ密約

第二次世界大戦と大東亜戦争の勝敗が明らかになりつつあった
1945年(昭和20年)年2月、
アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル、
ソ連のスターリンがソ連領クリミア半島のヤルタで協議を行った。

ここでルーズベルトは、なんとスターリンに、
ドイツ降伏の3ヵ月後に日ソ中立条約を侵犯して対日参戦するよう要請した。

ルーズベルトはその見返りとして
日本の領土である千島列島、南樺太、そして満州に日本が有する諸々の権益
(日露戦争後のポーツマス条約により日本が得た旅順港や南満洲鉄道といった日本の権益)
をソ連に与えるという密約を交わした。

日本に対するアメリカの勝利をさらに確実にするため、
いかなる非道なことをしてでもソ連に参戦してもらいたかったのだ。

日本には認めないとあれほど言い張ってきた満洲の権益を
共産主義のソ連には認めたわけで、アメリカの提唱してきた「門戸開放」なるものは
単なるまやかしにすぎなかったことを露呈した。