>>856
アメリカとイギリスは、ソ連にポーランドのレジスタンスへの支援を要請したがスターリンは無視した。
当時、ロンドンにポーランドから亡命していた指導者たちで作る
ポーランド亡命政権が存在しており、イギリスはその政権をポーランドの正式な政権として承認していた。

カティンの森事件が発覚し、ポーランド亡命政権とソ連は関係を断絶した。

ソ連は各国に、ポーランドの正式な政権は、ロンドンの亡命政権ではなく、
ルブリン共産党政権だと認めさせるために、ルブリン共産党政権に、
ポーランドの実質的な統治をさせたいと考え、そのために邪魔となる恐れがあったレジスタンスの
ポーランド国内軍をナチスドイツに壊滅させたのだ。

イギリスとソ連は、ロンドンの亡命政権とルブリン共産党政権の
どちらが正式なポーランド政府かを巡って対立した。
結局、アメリカの仲介で、総選挙により国民自身で政権を選ぶことになった。

ところが、スターリンは戻ってきたロンドン亡命政権の指導者を
逮捕し裁判にかけてしまい、ポーランドはルブリン共産党政権によって
統治される社会主義国となってしまった。アメリカの大失敗だった。