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アメリカイギリスが引き起こした
日本人虐殺・強姦・拷問、強奪

終戦により、日本軍は38度線を境に、南鮮はアメリカ軍、
北鮮はソ連軍へ降伏するように指令された。
南鮮の日本人は終戦の年の暮れまでにほとんどすべて引揚げたが、
北鮮では約31〜2万の日本人がそのまま残っていた。

もともと北鮮に住んでいた27〜8万と、満州から戦火をさけて逃げてきた4万人である。
北鮮にはいってきたソ連軍は、満州におけると同様、略奪、放火、殺人、
暴行、強姦をほしいままにし、在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられることになった。

白昼、妻は夫の前で犯され、泣き叫ぶセーラー服の女学生は
ソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとしたものは容赦なく射殺された。

「各地の凄惨な記録は読むにたえない」と、
『朝鮮終戦の記録』の著者森田芳夫氏は書いている。
それらは主としてソ連軍兵士によって行なわれたことであり、
また占領地の住民の保護にあたるべきソ連軍当局の責任であることは明らかだが、
ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かったし、
ソ連軍を背景に行政権を掌握した北鮮の人民委員会も、その責任はまぬかれない。