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日本人捕虜は内地への帰還を望んだが、ソ連軍は復員を認めず、すでに離隊していた男性も強引に連行した

1945年11月になって日本政府は関東軍の軍人がシベリアに連行され強制労働をさせられているという情報を得る。
このとき【健康な者は営外作業に出され】、【重症患者は別の病院に移される】などの
【収容所側による工作】が行われ、「他の収容者はどうしたのか」との問いに対し
所長は「日曜日なのでみな魚釣りか町へ映画を見に行った」と平然と応えている

最長11年抑留された者も居れば、
【日本に帰国すれば共産主義を広める活動をすると収容所でソ連側に誓い念書】し
早期に帰国した念書組と呼ばれる者、満州国の要人らと共に1950年代に中華人民共和国に引き渡され、
撫順戦犯管理所などに収容される者もおり、洗脳による「改造」教育が行われた

ロシアはこれまでに約4万1千人分の死者名簿を作成し、日本側に引き渡している。
アメリカの研究者ウイリアム・ニンモによれば、確認済みの死者は25万4千人、
【行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡した】という。

シベリア抑留中にソ連の軍事法廷で日本人144人が銃殺刑の判決を受けたことが判明しており、
うち33人への執行が確認されている(79人のその後は不明)