【歴史】なぜ信長は鉄砲隊を千挺しか配置しなかったのか (JBpress) [首都圏の虎★]
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(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
■ 家康に泣きつかれた信長
(前回より)のっぴきならない状況に追い込まれた徳川家康は、格上の同盟者である織田信長に泣きつくしかなかった。その信長は、数年前から上方での戦いに忙殺されていたのだが、長篠城が囲まれていた頃、ちょうど上方での戦いが一段落して、兵を休ませていた。
【写真】長篠城跡(愛知県新城市)
家康からのSOSを受けた信長は、織田軍主力を一気に長篠に投入することを決心し、約3万の織田軍を率いて三河に向かった。美濃方面でも武田軍が陽動作戦を行っていたが、構わなかった。そして、家康と合流すると長篠城の6キロほど手前で停止して、武田側から見えないように織田軍主力を注意深く配置した。
対する武田勝頼は、織田軍の進出はキャッチしたものの、その兵力と信長の真意を計りかねていた。これまでのいきさつから見て、信長が本気で家康を助けることはないだろう。織田軍の兵力が多少大きくても、戦意が低いのなら、織田軍がモタモタしている間に徳川軍を叩いてしまえる。そう踏んだ勝頼は、会戦を決心した。
5月20日、勝頼は長篠城の押さえを残し、武田軍主力(推定1万5千)を設楽ヶ原(したらがはら)の東まで前進させた。これを見た信長も、織田・徳川軍を前進させ、決戦の機は熟した。翌21日、武田軍は夜明けとともに攻撃をはじめた。
対する信長は、前田利家・佐々成政ら5人の奉行が指揮する鉄砲隊3千を前線に配置した、と『信長公記』という史料には記されている。『信長公記』とは、信長の秘書官だった太田牛一(ぎゅういち)が書き残した、一種の信長回想録だ。記述の信憑性がたかいため、信長研究の基礎資料として知られている。
信長が鉄砲隊を活用して武田軍を撃破した、という話の大元の出どころも、この『信長公記』の記述だ。ところが、『信長公記』の研究が進んだことによって、もともとの記載は鉄砲千挺であり、3千は後で盛られた$博嘯轤オいことがわかってきた。
だとすると、総勢約3万という織田軍の中で、前線の鉄砲隊が千挺では少なすぎないだろうか? また、約1万5千の武田軍主力による突撃を、千挺の鉄砲だけで粉砕できるものだろうか? そう思って、『信長公記』の記述を注意深く読み直してみると、次のように書いてある(意訳)。
21日の早朝、武田軍が動き出したとの知らせを受けた信長は、家康の本陣である高松山へやって来て、戦況を視察した。そして、諸隊から抜き出した鉄砲約千挺を、前田利家・佐々成政ら5人の奉行に指揮のもとに配置した、というのだ。
ここで、決戦に至る流れをふりかえってみてほしい。われわれは長篠の合戦を、「織田信長が武田勝頼を破った戦い」と認識している。けれども、この戦いは本来、徳川家康vs.武田勝頼という図式で起きているのである。
信長は、家康に泣きつかれて駆けつけた援軍の立場だった、という前提に立って、例の『信長公記』の記述を、もう一度、読み直してみよう。信長は、なぜわざわざ家康の本陣にやってきたのだろうか。論理的に導き出せる答えは、ひとつしかない。武田軍の主力が、徳川軍に向かって攻めかかっていたからである。
だとしたら、例の千挺の鉄砲隊は、徳川軍の側面を援護するために急遽配置した、と理解するのが正しい(続く)。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d988cfd6ed36378b1489f36524c76faf880c098
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201021-00062517-jbpressz-000-1-view.jpg 千利休が決めたから
千にしなさいと
信長と対等に口を聞ける数少ない茶人 大友や龍造寺じゃあるまいし織田家がそんなに多くの鉄砲隊を組織できる訳ないだろw 千挺の鉄砲隊ったら当時は最新鋭兵器だからそれだけで相当なもんだろう
武田側の鉄砲数はどのくらいだったかなんか資料あるんかな >>17
気持ち悪いと思ってみえる方、みえますか?
「みえる みえますか 名古屋弁」で検索してみえた? 本当の数なんてわからんだろ
勝頼は信長の真意を理解出来なかった無能ということだけは真実 火縄銃って今のお金で1000万くらいでしょ?
日本の4分の1おさめたくらいで100億捻出するのは凄い事 >>1
実にお目出度い奴だな
昔の史料が正しいことを書いているって
この場合は、何人集めろという命令だけだろう
数を数えた結果じゃ無いだろうに 武田も先代がさんざん散財してお金すっからかんだったんだろ
で遠征しかけるのも今回、無理してしたもんだから成果残さないと
勝頼の立場が国内政治的に危うかったんだろうな 当時の火縄銃は現代兵器に例えると巡航ミサイルや多連装ロケットシステムに相当するぐらい画期的な兵器だったからね それしかなかったからだろ
多聞院日記に奈良の筒井順慶に信長から長篠に鉄砲隊貸してくれと連絡が来たので、50人の鉄砲隊が派遣されたと書いてあるし 武田の騎馬隊は何人でしたか?
1000いるわけねーだろ 武田の騎馬隊なんてものは存在しなかったし
鉄砲隊で敵の突撃に対して一斉射撃なんていうシーンもない
狭い日本の国土でそんな戦闘シーンは行われない
一体いつになったら、この当たり前の事実が一般常識として
認められるようになるんだろうね 騎馬も弓矢も修練がいる。火縄銃は大して訓練しなくとも相手を殺せる。
信長軍が弱かったのが、銃を採用した怪我の功名。 設楽原なら山間じゃないかな
長篠城が川のそば
戦国時代なら草茫々
騎馬隊ないよな >>12中国にはソースあるよ。秀吉の時の三段撃ちがヤバいって真似したいけど難しいと。信長が使ってたかは分からんけど、存在はした。 >>14
鉄砲無くても兵力約3倍差だよ
鳥居強右衛門が死んだ時点で勝てない 1000挺以上もぶっ放したら、黒煙で戦場が何も見えんからだよw
いくさになるかよ.それぐらい理解しろよ。 和弓と同じ長弓のイングランドはロングボウの農民兵を免税を餌に大量に育成
戦いの主役に据えてクレシーの戦いでは当時無敵のフランスのロングランス騎士集団を打ち破った
(兵力は1万2千の英軍、4万の仏軍と圧倒的に仏が勝っていた)
日本でどうしてこの方法を採用する大名がなかったのだろう
和弓の威力はロングボウなみにあるからやろうと思えば出来たはず
鉄砲千丁よりも和弓一万張の方が威力があるよ
弓は1分間に10矢くらいの連射が出来るし直接射法だけでなく山なりの弾道で間接射法で打撃を与えることも出来るし 鉄砲より、火薬の大量生産がなかなか上手く出来なかったらしい。
ある程度の大量生産(それでもタカがしれてるが)ができたのは信長の領地内だったらしい。 騎馬は伝令に使われるのと
騎乗身分の武将の移動手段
荷馬はいたが戦闘用ではない
当時の日本で、馬は戦闘の道具ではない
ポニーのような日本馬で敵を踏み荒らせるはずもないし
重い鎧武者を乗せたポニーの上で獲物を振るうことができるはずもない 馬を銃声でパニックにさせて 織田の足軽が武田の馬から降りた誇り高い騎兵達を長槍で殺すってエゲツなかっただろうね。 >>40
黒煙は煙よりも火の粉を伴って暴発の可能性ある つうか、織田の持ってる鉄砲の総数がわからなければ千挺しか、なのか、千挺も、なのかなんて言えないだろ。 千挺で「しか」は銃の数を現代基準で考えている気がする >>1
>もともとの記載は鉄砲千挺であり、3千は後で盛られた$博嘯轤オいことがわかってきた。
また、
日本の歴史を貶めようとするチョンの寝言かい?w
「わかってきた」という勝手な寝言をいってもなあw >>41
日本の武士は弓を扱えたし、そもそも日本の合戦の主力兵器は弓だから、平安時代からその戦法はとられてる。 >>46
武田の騎馬隊は、突撃の時は最初から馬を下りてる。
戦場の後ろで繋がれてた。 関ヶ原もあんなにさ
雑草だらけで騎馬隊とか無いよな
島津の捨て奸はあったかな 長篠の戦い
正面攻撃しか描かれてないけど
側面からも絶対撃ってるよ
なおかつ馬脚を乱すために塹壕と地雷も埋めてたはず 長篠の織田・徳川連合はかなり本格的な野戦築城をしていたのが
最大の勝因 >>1
続きの記事ねーじゃねーかw
その存在しない続きには鳶ヶ巣山攻略隊に持たせた500丁のことなんかも書いてあるんかね >>57
島津退却戦もかなり盛られた話だよなー
実際、東軍の被害がどんだけあったかわからんし
確かなのは、島津は副将も打ち取られて、完全壊滅状態で
なんとか主将は帰国できたってくらい 木曽馬なんて小さいんだよ
昔の日本人は150cmぐらいなんだ
だから乗れただけ
雑草が1mあったら邪魔で仕方がない ヘイヘ並みの狙撃手が1000人もいるんだぜ勝ち目ないだろ 1000発撃たれた時に何人落馬してるかわからんが
やーやー!って突っ込んだ時に届きもせずバタバタ倒れていったら戦意なんて掻き消えるんじゃないか
鉄砲は馬を驚かせるための武器。
馬は臆病だから、鉄砲の音で驚き、暴れ出す。
千丁の鉄砲が絶え間なく射撃していれば、武田の騎馬武者は立ち往生。
勝因は鉄砲の音。 >>20
今で言ったらドラえもんが1000匹みたいなもんか 明智がたまたま十字砲火になるよう鉄砲隊を配置して驚くべき戦火をあげた 士農工商が、超有名なら
その通りに、うまいことやっていたんだなぁ〜という印象しかないです。
馬泥棒だけは、許せないと思う。 捕まった鳥居強右衛門に武田は援軍は来ないから
あきらめて城を明け渡すよう城のやつらを説得しろ
そしたら武田のそこそこの地位の部下に取り立ててやると言われ
鳥居強右衛門はそれに同意する
そして徳川の城の前で鳥居強右衛門は
あと2、3日で織田、徳川の援軍3万が到着する事を伝える
武田はすぐさま鳥居強右衛門を処刑するが
城に立て篭もる徳川軍は奮い立ち援軍到着まで城を守りきる >>56
また、この劣等民族のチョンかいw
オマエなあ、カス頭で日本の歴史を語るなよw >>24
鉄砲生産地なら現在の価値で500万円ぐらいやぞ
火薬が海外からの輸入で手に入らんけどな >>58
設楽が原の両側面にも築城して攻撃してるな
しかも、突入してくる武田軍からは死角になるように陣を配置している
さらには、鳶ヶ巣山を攻めた酒井忠次隊が長篠城隊と合流して背後から攻撃
包囲殲滅戦の様相になってる 島津は朝鮮で鬼島津と呼ばれいたから史実の
可能性が高い 織田軍の死者ってどのタイミングで発生したんだろうね。
信長大嫌いな海音寺や戸部の小説だと
「織田軍の兵士は弱兵で質が悪かった。『武田と戦う』というだけで脱走者がたくさん出た」(=長篠の戦場では完勝して戦死者なし)
という嘘みたいな展開だし、
他の小説だと
「まだ武田を倒し切っていないのに、功を焦った連中が馬房柵から飛び出して返り討ちにあった」(=武田は正面から闘えば織田に負けない)
とか、
「最終盤まで織田軍に戦死者は出なかったのに、追撃戦で返り討ちにあった」(=やっぱり武田は強かった)
みたいな展開もある だとするとこの千挺の火力は側面から徳川軍の背後にまわり込まれるのを防ぐ目的だろう。 戦国時代にタイムスリップした自衛隊の戦車とヘリが活躍した 桶狭間と同じくらいタイムマシンツアーで見たい戦w 謎が多いよな >>12
こういうものって多少の誇張があっても実際そうであるもんなんだよ >>45
その話最近聞くけどじゃあ昔の絵はみんな想像で描いたってこと?
それはさすがに無理ありすぎないか?
騎兵の集中運用はなかったというなら分かるが 未来人が何で自衛隊が20万人にしか居ないの?と似た様な物か。 >>79
千挺って言ってるのは、チョンだけだよ。何の根拠もない。
3千挺で間違いないよ。 >>20
信玄の時代にすでに数百丁持ってたって記述あるから、武田も相当持っていた 鉄砲より陣地構築が勝因だろ
第一次世界大戦の騎兵隊みたいなもんだ 織田 信長(1534年- 1582年)
エリザベス1世(1533年- 1603年)
16世紀の兵力としては進んでいる 長篠の絵巻は鉄砲以前にそもそも柵がある防御陣に騎馬で突っ込むか?と言われてるね >>86
織田家の国友で生産された鉄砲の射程距離が全然違ったらしいけどな
100mは射程距離が織田家の国友筒の方が長い
大筒もあったんだろ?大砲では無いぞ
毛利家は大砲持ってたけどさ 信長が躍進出来たのは鉄砲より改良しまくった槍だろ。桶狭間の戦いなんて槍でフルボッコしたんだし。 3万とかいうのは実体せいぜい3千
銃も100挺くらいだろ 武田1万5千といっても、ほとんど百姓に槍を持たせた程度だろ。
鉄砲で回りの兵が死んでいけば命の危険を感じて四散するだろう。 実は当時の火縄銃だと弓より殺傷力が小さい
練度の低い兵にでも扱えるって点では弓よりもいいけど >>90
武田家は後方を酒井勢に抑えられたし前に出るしか無かったんだろ >>90
そもそも、柵を作った前例が無いからな。
それを信長がやった。
武田側が「?」と思っても、これまで通り突っ込んで行ったのは想像できる。 勝頼は何で退却しなかったんだ。強固な連合軍の陣地全容を把握せずに始めたのかな。
酒井の奇襲で焦ったのかw 実はイーサン・オータギューという南蛮人だったろうな
自己紹介で日本風にオータギュー・イーサンですって言ったら
ああ、おおたぎゅういちさんねって >>92
織田信長の戦い方調べたらあきらかに孫子の影響受けてるよ
曹操の戦い方に似てるし曹操が孫子の注釈してるもんな
戦う前に寝返り工作とか凄いしさ >>90
いや、むしろ使い方としては正攻法だろう
馬の突破力で敵の柵を破壊するんだから
今でいえば、塹壕線に戦車突撃させるようなもの
人を突っ込ませる方がむしろ無謀 長篠の戦場跡で見つかった弾が数個とかいう番組を
見た記憶があるが鉄砲隊なんかいたのか >>99
後方を酒井に抑えられたから前に出るしか無かったんだろ >>93
戦国時代の動員人数が十分の一だったらそれに一蹴された李氏朝鮮って凄まじい国だな >>106
酒井を破って信濃に引く方がたやすいじゃないかw >>105
長篠に限らず
当時はすでに鉄砲隊はどこも常設してたよ
弾もったいないからみんなで拾い集めてたんじゃねえの >>1
>だとしたら、例の千挺の鉄砲隊は、徳川軍の側面を援護するために急遽配置した、と理解するのが正しい(続く)。
>全文はソース元で
続きは全部、本の出版の宣伝でしたw >>101
それな
火薬の原料硝石を手に入れる為に九州では征服地で乱捕りやって
ポルトガル船相手に奴隷貿易やもんな
仲介やってるのが教会やしw >>83
騎兵について現代の人間があまり理解してないだけだろう
当時に騎兵については2種類あって、大部分が騎兵と歩兵の混成部隊
今でいえば、機甲部隊
もう一つは騎兵だけで構成された部隊だが、こっちは空挺部隊
機甲部隊で防衛線を突破するのは通常の考え方 >>108
酒井勢に兵を向けたら織田・徳川家の本体に追撃されるやんけ
だから前に出るしか無かった >>104
当時の馬ってポニーくらいの大きさだろ?
武田の騎馬隊もあやしいな >>105
自衛隊だって実弾演習したら弾は全部回収してるだろ 信長の戦術は勝頼に突っ込ませるのが目的なんだから。
勝頼は「信長は援軍には来たが武田にビビッて柵をこしらえて守りに徹してる。」
こう思わせるのが肝なんだから鉄砲はおまけ。
鉄砲の三段打ちなんか雑賀衆と戦ったことが無い武田には知る由もないことを
信長は知ってて自分が雑賀衆に所見の時に対処できなかったのを逆手にしただけなんじゃないの。
まんまと罠にかかった勝頼。うまくいきすぎてビビった信長。 >>90
合戦図屏風の鉄砲隊は馬防柵から出ちゃってんじゃん。 >>115
まぁ〜武田の騎馬隊も創作やもんな
日本みたいな山岳地で騎兵なんか活躍できない
山に篭ったら馬なんか意味ないし >>43
NHKでやってたけど、鉄砲と火薬の量産に苦労したそうだよ
国友が生産の一手を担っていた 戦国時代20%でも殲滅すれば全滅判定だろ
3人で代わる代わるローテ組んで、330銃が絶えず撃ち続ければ楽勝やで 今の工業製品じゃないんだからさ
1000丁全てがワンオフの手作りなんだぞ
どれだけの手間や時間がかかると思っていんるだ >>53
弓を持っていたのは御家人クラス。英国の例でいうと騎士階級だけ。
英国の場合は農民に弓を持たせたのが違う >>114
信濃は武田の領国だしそう簡単に大軍の侵入は許さない。伊那谷とかあって縦深陣地になるし、
晩年の武田じゃないから勇将揃い。そこで食い止められる。
と言うか、信長はあくまで設楽が原決戦狙いなので、
上手く退却戦やればそんなに深入りはして来ない。 >>124
ワンオフ手作りの日本刀なんて全員が持ってるわけがないからこん棒で戦ってたんだろうね >>124
でも分業体制だからかなり大量生産されてたみたいで
当時の日本国内には鉄砲は30万丁あったってよ
こないだNHKのなんかでやってたわ >>127
全部捏造
移動はしたけど騎兵も戦う時は馬から下りて戦ってたんだぞ 騎馬隊の突進力止めればいいんだから数百でも充分だろ 鉄砲って高いイメージあるけど
実はフル装備の甲冑のほうが高い >>120
平安時代から馬に乗って戦ってる絵が数百年書かれ続けてるわけだが、絵を描いた人は戦場知らん人ばかりだったのか? >>133
鎌倉武士は弓がメインウエポンで騎射が必須スキルだし
刀も馬上で使うために反りを大きくしてあるから
全然捏造じゃないぞ >>131
大量生産されたから鉄砲の値段は下がったけど
火薬の原料硝石が輸入しないとやから大変なんやけどな あほか、当時1000挺も集められれば凄いわ
オスマン・トルコのイェニチェリでさえこの程度だ >>1
とりあえず【SOS】ってなんだよ 頭悪いな >>12
文献で三段打ちって記述してるのは小瀬甫庵の信長記だけで
太田牛一の信長公記とか大久保忠教の三河物語には書いてないからな
小瀬甫庵のは太閤記含めて割と嘘八百適当に書いてあるって評価 >>138
日本の馬は全部ポニーやぞ
騎馬隊?何の冗談だよ >>1
正面に横一列に整列した騎馬隊1000騎が突っ込んでくるわけじゃないだろ
333×3の遠距離狙撃で十分蹴散らせるだろ >>104
戦後時代の馬は、長槍の餌食で使い物にならない >>89
当時は地域が違えば別の国。江戸時代でも「藩」が「国」。
日本列島全体を「国」として意識しはじめたのは、幕末・維新の頃だろう。 >>141
まあ火薬だけは貿易ちゃんとやってないとどうにもならんね
うんことかから作るの効率悪すぎるし 東日本の武士は馬に乗って切り合う
西日本の武士は馬から降りて切り合う
東日本のやつらはまじでやベー
1000挺しかってのがバカっぽくていいね 長篠とは逆に騎馬隊がバリケード突き破って相手を蹂躙したケースもあるんじゃね? >>150
槍も刺すというより叩きつけるような使い方してたらしいね >>140
別にデカイ馬じゃなきゃ戦えないわけじゃないだろ
人の移動より速けりゃ良いんだから >>78
俺が見た説だと長篠の戦場は長梅雨で先に仕掛けた方が不利だった
長篠城を防衛した連合軍にそこを戦場として仕掛けるしかなかったって説
そこで織田軍も死傷 火縄銃は弾込めの技量の差が如実に表れるから特に指揮しなくても2斉射目以降はなんちゃって3段撃ちになっちゃうよ 武田騎馬隊も、戦闘時には下馬して徒歩で戦う。
機動力を生かして敵の背後にまわり、補給線を絶つのが仕事。
当時の馬は小さすぎて、騎馬突撃なんかできない。 >>96
狙って当たるのが100m
届くだけってのが200mとか何とか >>163
田んぼやししかも少し丘陵だよな
平地じゃないのにどうやって騎馬隊で突入できんだよって話
馬で坂上るってのろのろで鉄砲の的やんけw まあ、1000挺だとしても3段構えで330人
間隔1mとして横幅330m
かなりの陣容な気がするがな 常識的に考えよう
一ターンで1000人も殲滅できるんだぞ >>167
狙って当たるのが50mで
当たると死傷するのが100mくらいじゃなかったっけ そもそも織田軍は武田軍の2倍の兵力があった
普通に戦えば織田が勝つのは当然
三段撃ちとか騎馬隊とかは、南京大虐殺と同様の創作 >>168
兵団の7割は後方支援のロジスティクス部隊で歩兵は1/3もいないよ >>169
まあそうだよな、親父と比べるとなんてこと平気で言ってそうだよなw >>147
騎馬隊じゃなくて騎兵な
あと三国時代とか西からの大型馬の供給が少なく小型犬だったらしいし、日露戦争での軍馬もポニークラスらしい
ポニーだと使えないというのは根拠あるの? 古戦図屏風をもとに考えちゃいかんよ
時期は5月あの辺りは水田
馬は足を取られないよう畦道を列をなして進むしか出来ない。武田騎馬軍の機動力は使えないんだから 西日本の馬は小さいが東日本の馬は大きかったみたいだぞ
西日本の武者は降りてたが東日本の武者は馬上で戦ってた
んじゃないかな? >>173
白兵戦部隊に遠距離攻撃機能を1000挺
三段とか変なことせんでもそら勝てるわ >>172
横一列で来るのかよw
鉄砲は実害より心理的効果のほうが遥かにデカイだろうな
矢みたいに視認できるわけじゃないし
轟音がしたと思ったらバタバタ倒れてくわけだから
鉄砲にビビって出足鈍ったとこに横槍入れるのが本来の使いみちな気がする >>105
玉なくすと後でややこしいことになるからな。 >>1
これはなかなか新鮮な視点だね。
そう考えたら、長篠の戦いの7年も前に起きた教興寺の戦いで雑賀・根来衆の火縄銃4000丁をガチで前線に投入した畠山軍も凄いが、それを打ち破った三好長慶と松永久秀もすげえよな。 >>169
武田家重臣は織田と戦うの反対してたよな
誰が悪いのか知らんけど
武田信玄が勝頼に家督を継がせなくて
勝頼の息子信勝やっけ?に家督をって言ってる時点で無能だったんだろうな
勝頼は上杉景勝と和睦して北条家を敵に回してとかその辺見てなら完全に無能やと思う 長篠の戦いの70年前にスペインの名将コルドバが長篠の戦いと同じように
野戦築城してフランスの騎兵軍を撃破してるんだけどね
チェリニョーラの戦い >>1
流れを見たら解るけど徳川軍は織田軍の重要な東の防波堤で
信玄が織田に攻め込もうとしたときでも徳川は逃げずに真っ向から
武田軍と戦ったくらいだからそりゃ織田が全力で勝頼を討ちに行くわな
防波堤が破られると言う事は織田軍が危うくなると言う事だから
勝頼はそれが解っていても大が変わってからの唯一の武功である
自分が獲得した城を守るために出撃せざるを得なかった >>169
>勝頼ではなく重臣達が悪かった説に一票
当時は、織田が関西全体を占領しており、武田との国力差は歴然としていた。
ここで一発、織田を叩いておかないと、武田はじり貧で負け確定する。
武田側も軍議の場で、かなりもめたらしい。
そこで、勝頼が長篠ぜめを決断したのだから、ある意味仕方ない。
構図としては、真珠湾に突っ込む日本軍と同じ。 >>182
騎兵だと何が有利がという速く動けることだがポニーは人間よりも遅いのか? 湯婆婆に「今日からおまえは千だよ!」って言われたから そもそも白兵戦ってのが大半は捏造。時代劇のせいなんだがな。
日本の合戦は弓を撃ち合って「じゃまた明日!」が基本。
家康も、白兵戦なんて人生で何度も経験できない(そのうちの一つが関ヶ原ってのが皮肉)と残している。 >>18
諏訪勝頼だっけ?確か
そんなようなこともあって多少イケイケで行くしかなかったんじゃないかなあ? >>181
鉄砲の利点は弓と比べて習熟コストが低いことだろう
性能の向上で弓の名手にも勝るようになったことも大きい 戦国時代って連射ができるし弓矢が一番殺傷能力高かったんだよな
次が鉄砲でその次が槍、石つぶてやってか
日本刀とか何の意味も無かったw >>190
まあ責任が勝頼にあるのはその通りだが
国力とかそういう問題じゃないんだよ
国力で決まるなら、織田信長は今川に打ち滅ぼされてたわな
要は勝頼は桶狭間を起こせなかったってこと 3段撃ちなんて効率が悪いことをするわけがない
同じ人数でも後ろ二人は弾込め専任、前の一人は射撃専任にしたほうがはるかに効率がいい >>196
ニュースサイトにどうでもいい内容の記事多いよな >>191
いやもうそれ答え出てるはずだぞ?
騎馬隊といものの使い方は >>191
80kg-100kgの武士をのせて駆け抜けるポニー!! >>181
それが良くわかるのが長久手の戦いでの堀秀政だよね。
徳川軍に奇襲されたにも関わらず冷静に桧ケ根に陣を敷いて、豊臣秀次を撃破し調子に乗って襲い掛かる徳川勢に鉄砲をつるべ撃ちして撃破したわけだから。
鉄砲そのもので敵を殺傷するわけじゃなく、心理的効果で敵の勢いを挫いてその隙をつくための道具って感じだよね。 >>199
射程距離はさすがに鉄砲が上やぞ
連射ができる弓矢がコスパ最高やったけど >>200
何の意味もないならそもそももってかないだろ >>200
近接兵器は必ず必要。主力兵器じゃないだけで。 >>199
人を殺害する威力で50メートル先を射るなんて
よほど体格に恵まれてないと弓を引けないぞ ポニーとか降りて日本刀振り回しても
足軽に長ヤリで頭ぶったったかれて終わりそうだけど
だから負けたのか武田 三段撃ちなんてのもなかったし、騎馬隊なんてのも無かった
歴史の面白いところだよな >>169
信長は時期場所をしていした長篠合戦をしたいという決闘書を送っていたという説がある >>208
鎌倉時代の矢の射程300mぐらいあるんだぞ
戦国時代になって使い方変わってそれより落ちてるとは言え100m以下ってことはないだろ
鉄砲は100m離れたらほとんど役に立たんぞ >>1
実際の軍勢は織田徳川連合15000対武田6000程度ともいわれる
合戦場の設楽原の地形の広さや付近の道・兵站輜重事情からの類推で >>212
そんなんだよな、長槍の使い方は叩くが正解だったらしいね >>201
桶狭間の頃でも織田家と今川家の国力拮抗してるけどな
名古屋は平野ばっかで商業地熱田抑えてるし
今川家の三河、遠江、駿河は山ばっか >>198
習熟コストを考えるなら、弩でも良かったはずなんだけど日本ではなぜか弩が戦国時代の戦場で使用されることはなかったよね。
弩は飛鳥時代まで朝廷軍で使用されていた記録があるんだけどね。 >>201
掛川城を落として東海道経由で徳川を圧迫していればこうはならなかった
高天神城は落としてるし掛川城攻略に障害はなかった
そんな時間もないほど武田は何かに追い詰められていたんだろうな >>211
日本の高校生でもそのくらいできるよ。遠的は60m先の1mの的を狙う。 >>202
手作業で銃を作ってた時代だし
銃の一丁一丁に癖があったんじゃないかな
その辺を込みで撃つには
フルメタルジャケットの海兵隊みたいに一人一丁で愛用させた方が効率的だろう >約1万5千の武田軍主力による突撃を、千挺の鉄砲だけで粉砕できるものだろうか?
>そう思って、『信長公記』の記述を注意深く読み直してみると、次のように書いてある(意訳)。
そもそも鉄砲だけで粉砕したとはだれも思ってないわけで
この人はスタート地点からして随分とハンデのある頭だな >>218
武田との決戦した頃はそもそも大筒やからな
大砲とは違うぞ
証拠は播磨で毛利家VS秀吉が戦った時に毛利家は大砲使ってる
射程距離が1kmやぞ >>212
槍で突き刺しても腕の長さでの伸び縮しかしないが
降れば遠心力がのるからな 弓矢がそんなに強力なら
鉄砲みたいな家買える値段の物を競って
買った戦国大名は馬鹿ということになるなwww 前線なんて殆どが精神論や
勝てると思えば勝てるし負けると思えば負ける
強い武器があると思うだけで兵士は恐怖心から逃れられるんや
武田の騎馬という名声には鉄砲が必要やった
そしてその鉄砲を味方の兵士のために常に鳴らし続ける必要があった
そのための三段打ちや 騎馬隊が凄いスピードで突っ込んでくる所を三段撃ちで仕留めたみたいなのが今までだったたけど、実際はかなり違ってたんだなぁ >>76
忠次の夜襲成功と佐久間信盛の反間の計で勝負あった感
鉄砲三段撃ちは付け足し >>220
そいつは兵の数を見てから言ってもらおうか >>181
どこの南米征服の話だよ。
戦国時代に鉄砲が流通している時点でそんなことはみんな知っているから知っている前提で知ったなりの戦い方をしてるんだよ。
鉄砲襖の正面に突撃なんて講談の中だけだ。 >>205
いやモンゴル軍も多くはポニーなんだが…
モンゴル軍騎馬軍団なんていなかったことになるのか? >>12
当時の鉄砲って有効射程も無いし
玉込めから射撃まで時間があると
どんな軍師でも段階編成はすると思う 高天神城を見捨てた勝頼の末路を考えると
徳川軍は長篠城を見捨てられんし 突撃する側よりも陣地を構築して待ち構えている方が断然有利なのに
織田徳川連合軍の方が2倍も数が多いんだろ
もともと武田には勝ち目がなかった戦いなんだろう >>231
そう言うの知ると信長の戦い方ってあきらかに孫子に影響されてるって思うよな
戦闘が始まる時点で勝負決まってる
信長は不利なときは全力で逃げるしw >>228
さっきも言ったように、心理的効果がデカイのと
甲冑を貫通できるのは強い >信長は、なぜわざわざ家康の本陣にやってきたのだろうか。論理的に導き出せる答えは、ひとつしかない。
>武田軍の主力が、徳川軍に向かって攻めかかっていたからである。
そーかー?
長篠城周辺は家康の領土なんだから、
地図は家康の手元にあるだろうし、
領主である家康なら、付近の住民を呼びつけて地勢を聞くとかできるだろう。
徳川軍の本陣で作戦立てる方が合理的じゃネ? >>233
分かってても対応が難しかったんだろう
重機もないのに塹壕戦なんて大変だ 3段うちはできないって言うけど
少なくとも3段目までははじめから用意してるんだからできる
問題は2順目の4段目から
でも鉄砲は弾込めに時間がかかると思い込んで1段めの直後にと突撃して騎馬軍は
一斉射撃されてショックうけるだろ 戦意喪失の効果は高かっただろ >>234
蒙古馬はポニーじゃないだろwww
体格が小さいけど蒙古馬はモンゴル人と同じで頑丈なんだよ。
それにサラブレッドとは違う足運びで上下に揺れないんだよ。
安定しているから馬上から弓矢での狙撃が可能だったのさ。 実際は築陣したのでアスレチックみたいな現場だった
見てきた感想 >>232
織田家の兵力が12000で今川家が15000ぐらいって言われてるけどな
秀吉が太閤検地やってるから国力が明確になってる >>205
日本の馬はモンゴルの馬と同系列だぞw
世界最大の版図を馬で築いたモンゴルのなw >>238
その弾込めの時間がかかるって話だけどさ。
youtubeで欧米人が先込め式のマスケット銃の連射を実演している動画があったんだけど。
意外と素早いぞwww >>228
>弓矢がそんなに強力なら
>鉄砲みたいな家買える値段の物を競って
>買った戦国大名は馬鹿ということになるなwww
戦国時代、最強の弓が鉄砲より強かったのは確か。
ただ、弓は訓練して、ランボー並みのゴリマッチョじゃないと、限界性能は出せないんだよ。
鉄砲なら、農閑期の農民でも、十分な性能を引き出せる。
弓は、限界値高めのニュータイプ専用武器。
鉄砲は、オールドタイプ用の量産機。 当時の鉄砲は信頼性も高くない
うまく使うにしてもそこに資源を集中するべきでない
信長はそのへん分かってた >>228
空砲でも音でビビるから
直接的な殺傷能力より威圧効果で敵の足を止めることに
騎兵の強みを殺す効果が期待できる >>228
弓は個人の力量がもろに出る兵器だから、集団戦で練度が低いなら
鉄砲の方が使いやすい >>24
もうちょっと後の話だけれど、戦国期の伊勢神宮の建て替え工事費は、
信長がポンと3千貫出したそうな。現代の建て替え工事は20億円くらい掛かるそうだから、
20億円ポンと出せる男が、たかが100億けちる訳無いんじゃないか?
武田家との戦だから、お家の命運掛かってるしw >>249
ごめんなさい。
蒙古馬はポニーに分類されるみたいだね。
初めて知った。
ありがとう。 >>99
敵兵力誤認でのこのこ釣られたから
んで引きつけられている間に酒井別働隊に背後取られてジ・エンド
武田軍は信長の張った罠にまんまとかかって壊滅した
長篠ほど作戦通りにいった戦いもないな >>248
はあ?なら今川軍は1万5000以下で攻めてきて
織田は12000で守ったってのか?
どこの架空戦記だよ。多少の異説は仕方ないにしろ、もっと実践投入された数字見ろよ
だいたい太閤検地っていつの時代だよ
20年あれば世代も違うし、人も移動するってのに、お前言ってる事が1から10までめちゃくちゃだな >>181
日露戦争の日本海軍が「はじめて戦艦の斉射」を導入したくらいだからなあ
横一列での一斉射撃なんて難しい
いちおう鉄砲隊の指揮官は居たから、その指揮下の砲撃は一斉に出来るだろうけど
全体では困難でしょ 雑魚10人より有能1人の考え方
有能が1000人いるなら問題なし >>248
それはありえないよw
そんな戦力差だったら今川軍が散開するかよw
太閤検地のデータだけ見てるからそうなるw
今川は10年がかりで西に進む準備をしていた。
当然、資金も兵糧も潤沢。
対して信長は前年まで尾張統一戦真っただ中だ。
統一したと言っても、半分以上は元敵だし、当然ほとんど収穫も得ていない。
信頼できる兵が、各所の砦と合わせて4000程度は妥当な線だ。 普通に考えれば兵力が倍で野戦陣地構築して塹壕掘って柵立てるところに今か今かと待ち構えてるところに
正面から突撃掛けたって撃退されるのが普通なんだけどな
鉄砲のあるなし関係ねえ >>250
大平原の大陸の軽装騎兵と、水田ありの急峻な地形の重装兵の戦闘が、同じ馬による兵科できるとでも? >>254
雨の日に使えない致命的弱点があるしな。 武田が大敗北した最大の原因は
酒井忠次に長篠城包囲してた砦を全部落とされて
挟み撃ちいされた事 >>138
歴史学者なんてな、すでに終わっことを学問するんだから少しでも今までと違うことを言わんと存在意義がないわけよ
だから武田の騎馬は嘘とか三段うちはなかったとか言い出すの
それに乗っかって喋り出す奴が始末悪い >>258
欧米人もカートリッジ化していたよね。
そこで相当時間短縮ができたんだろうね。 >>269
馬は戦闘に一切使われない
荷物運びだけだなんて言うからおかしくなる >>158
まあ突進してくる相手に刺したら手や腕を怪我するよね、骨折とか。 >>276
独立兵科で柵に突撃なんて戦法はやってないのは確かだな。 >>248
尾張一国での動員数はそんなもんだ。桶狭間から7年後の美濃総攻めの動員数はそんな感じ。
桶狭間の時点で集まった兵は1500〜2000人。尾張統一直後でだんまり決めていた地侍も多いw >>271
教興寺の戦いでも、根来雑賀衆の4千丁の鉄砲を無効化したのは雨の日を狙っての戦闘だったからだね。
手取川の戦いでの織田軍団の大敗北も雨の日を狙われた。 当時の鉄砲より当たる弓があるのに
鉄砲を使ったのは老人でも扱いやすく
当たりさえすれば鎧を貫通する >>274
研究の進化とか言って言うことコロコロ変わるんだよなあw 三方原から4年でそんなに形勢が変わってたかね?
三方原はよく武田側はあんなに大勝したもんだ。遠い甲府から山を越えてアウェーで戦うと言うのに。 >>274
歴史話になると、
存在感出そうと、通説に対して何か変わった事を言い出す学者と
それに乗っかる連中でひどい事になるな >>278
言ってることがだいぶ後退してるが、それならまあそうでしょうねと同意する
センセーショナルにいいがる人が多いからな 日本陸軍も鉄砲があってもとにかく突撃して
気迫があれば弾は当たらないもんだってやってたからな
近現代でもそうなんだからな
もちろんアメリカ軍が機関銃とかやりだしたら全滅になってきたけど 信長オリジナルのことって少ないやろ
楽市楽座もパクリやし 武田の騎馬隊っていうが、騎兵の周囲に数人の歩兵がいる歩騎混合部隊なんだが
そもそも、WW2までは機甲部隊だって随伴歩兵がいないと結構弱いし
モンゴル騎兵は騎兵のみで構成された部隊で、高速機動による弓攻撃が主体 >>268
単に勝頼がアホすぎただけだよ。
家康の援軍に来た信長は長篠城が落城さえしなければ勝ちなので、
野戦築城して防備を固めていたところに勝頼が無意味に突撃しただけだからな。
武田勝頼は知的障害だった可能性が高い。
上杉謙信死後の御館の乱では、上杉景勝に調略されて北条との同盟を失い、
結果的にこれが武田家滅亡の原因になった。
武田勝頼はアホだったw >>252
違うんだよ、撃つのは各備え1回だ。
ただ、一列に並べちゃうと、凶悪な武田兵の突撃にビビッて
射程外で発砲しちゃうやつが出てくる。
そして、一人撃てば周りがつられる。
音が大きいからね。
となると、鉄砲がほとんど無力化されてしまう。
凶悪な武田兵が、武器を持って自分を殺しに突撃してくる
前で、冷静に弾込めして、狙って再度撃つなんて、
強烈に熟練してるやつじゃなきゃ無理w
だから、隊を分ける、運営上多分3隊程度。
1番が撃ったら、2番へ場所を譲る。
2番が撃ったら3番へ譲る。
3番が撃ったら、槍隊へ譲る。
逆に1番をあえて射程外で撃たせて、武田兵を指そうというのも
ある。 なんか長篠は実は武田軍も鉄砲使ってたとかどっかで書いてた気がする。
※諸説アリ >>108
それは本当、そのとおりで、長篠城の攻略に失敗した時点で退却してもよかった
ここでスケベ心が出た原因は、三方ヶ原の戦いで圧勝したことにあると思う
武田からすれば、狙うは徳川家康の首だけだから、可能と見てもおかしくはない >>274
三段撃ちなんて信長公記にも三河物語にも出てこないからなあ >>282
練度の低い兵だけなら鉄砲、高いやつだけなら弓
高練度弓兵隊が作るのが難しい
なので、世界では昔から弓兵ではなく弩部隊を作ってた
日本ではなぜか弩は普及せんかった >>286
武田騎馬隊の合戦図が、そもそも馬は後方に留め置かれてるからな。
騎馬隊の突破力()は後生の捏造だと考えてる。
平安鎌倉あたりは(戦国もだが)、弓による遠距離戦が主体なので、移動しながら撃てるのはメリットはあるだろう。
しかし、それは騎馬突撃とは別物だったはずだ。 >>295
当時のある程度力ある勢力はみんな規模の大小の差はあれど鉄砲使ってたよ >>263
国力の話な
信長直属の部隊3000で今川義元の本体5000に正面から奇襲したのが事実
織田家の兵力なめすぎや
織田家は三河の岡崎城も占領してた可能性もあるんだぞ
徳川が天下取ったから家康を今川家に人質に出そうとして織田家に奪われたって事にしてるけど
それなら徳川家の親戚筋である水野信元がなんで織田家側なのか説明できん >>291
WW2でも、戦車単独部隊はこっぴどくやられてる
機械化歩兵が補助についてこその電撃戦 連吾川、空堀、柵とあるから仮に鉄砲がなくても寡兵じゃ突破出来ないよ。弓矢で十分 要するに武田のイキりたった騎馬隊を受けたのは家康さんだった
信長は横からわりこんでオッスオッスして武田軍を骨抜きにしたってことか? 雑賀衆の組み撃ちなら三段と同じ効果かそれ以上
12345
3が砲手で12が玉込め45も別の銃で玉込め 三段打ちなんて江戸時代の物書きの小瀬甫庵のデマカセなのによく熱くなれるな
ちなみに西欧にも三段打ちに似たカウンターマーチってのがあるけど
カウンターマーチは当時西欧最強だったスペインのテルシオっていう歩兵密集陣形をオランダやスウェーデンが
いかに倒すかって考え出したもので、機動力のある騎兵部隊に対抗するものじゃない >>213
なかったという説が広まったら
三段撃ちに相当するずらし斉射はあった、騎馬運用はあった、と説が変わるんだろう
何度も入れ替えて新説の発表で稼ぐのが歴史学者 >>298
これ不思議なんだよなあ
弩は中国では一般的だったのに >>301
国力の話とか言ってるのに
なんで今川義元に対しては本体に限定してるの?
そんな子供みたいな詭弁が他人に通用すると思ってるのか? >>282
練度次第じゃね?モンゴル兵が馬鹿みたいに強かったのは、
ガキンチョの頃から馬と弓に慣れ親しんで長けていたから。
遠征だと、一人頭5頭くらいの馬を連れていたそうな。
遠征中に繁殖させて、馬の数を維持したそうな。
戦士であると同時に、優秀な馬の調教師でもあったんだろう。 >>311
素材の問題じゃね?
複合弓も日本じゃ普及せんかったのと同じで >>307
つうか信長は雑賀と戦ってたからな
ある程度雑賀の鉄砲隊をみてある程度は真似してる可能性もある >>279
古舘の昔の番組でやっていたが、本能寺へ向かう光秀軍15000人の行軍は先頭から最後尾までが約9キロに及んだらしい。
地の利を熟知していれば、本陣に突っ込み当主の首をあげることも、困難なことでもないように思える。
むしろ、第2第3の桶狭間のないことが不思議に思える。 >>13
あの時代の織田って名古屋+大阪の経済力チートじゃね?
鉄砲なんて高級品を揃えられる数で言えば福岡とか佐賀よりずっと上じゃねw?
山梨+長野で大阪+名古屋その他に刃向かうとか…
武田は立地を考えればよく頑張った… >>287
あの頃は欧州も似たようなもんで
それをお手本にしてるからだろう
銃を持ってても、基本は壕に隠れてるから
結局、どこかで近接を仕掛けるしかなくない
ほんで、持久戦になると
補給線の細いほうが先に死ぬのはわかっているので
突撃隊が必要になるわけよ >>311
武士という特別の階級だけが戦ったからじゃネ。
生まれた時から戦闘訓練を受けてる武士は、弓の方がいい。
農民や商人として生きてきた民間人をある日いきなり戦場に連れてきたなら、弩の方がいい。 >>216
鉄砲は弓矢ではなく槍と比べるべきだな。無茶苦茶柄の長い槍。 >>298
時代劇がイメージする大規模白兵戦がなかったからだよ。
せいぜい数十人単位の軍勢が主体なので、かさばる弩弓より軽量で強力な和弓が好まれたのが、通説かな。 ちなみに多分、長篠の合戦で一番活躍したのは3重の馬防柵だw
鉄砲隊への指示は、敵が柵にとりついたら撃てだ。
つまり、敵は目の前でいったん止まってくれるw
最大射程で撃って、慌てて弾を込めてもう一度撃つより、よっぽど戦果が上がるw
これを3段に分けて、撃ち漏らしを撃つ。
さらに鉄砲隊が下がって、槍隊を配置に着けると。
武田方の槍隊は、柵と柵の間に入ると、槍が引っかかって方向転換が出来ない。
これを、織田方は柵の外から、斜めに狙って突きこむ。
さらに、槍隊が武田方を足止めしてれば、後方に下がった鉄砲隊の弾込めが終わる。
現地は、斜面で、すぐ後ろが高くなってるので、槍隊が足止めしてる武田兵を、
味方の槍隊の上から狙い撃ちできる。
とまあ、こんな感じだ。
恐ろしく鉄砲が目立った戦になっただろうよ。 >>312
詭弁じゃないって
織田家と今川家の国力は太閤検地で明確になってんだよ
2000VS30000とか絶対にありえない
あと織田信長は尾張統一戦の時点で兵農分離やってる
稲生の戦いでも信長が700で柴田勝家1500&林700
守護代でこんなに差が開くか?信長の部隊は半農じゃない戦闘部隊 >>314
どっちかというと、平安初期から明治まで徴兵がなかったからだと思う
武士なら子供のころから弓を訓練しろって風潮になるし
足軽の集団戦になったころには鉄砲が出てきてるしな 当時最新鋭兵器の鉄砲を1000丁も調達できたら大したもんだろう >>324
>ちなみに多分、長篠の合戦で一番活躍したのは3重の馬防柵だw
武田の後方の補給基地を次々と潰した、
酒井が一番活躍しただろ。
これで、武田は引くことも出来なくなった。 >>325
今川は2万も用意できなかったのが今の説だね、石高も100万行ってないし >>253
アニメやゲームだと弓キャラは軽量技量キャラだけど
実際の弓兵は完全に腕力依存だもんな
銃なら一定の反動に耐えられる程度で十分だけど 馬鹿だなー鉄砲は武士道に反する兵器なんだよ
武芸百般に鉄砲は無粋それが本当の理由(`・ω・´) 馬は鉄砲の音聞いたらコントロール不能になるんじゃなかったけ?甲冑着て落馬すればそのまま首の骨折れてお陀仏だから。未知の兵器による恐怖は尋常じゃなかったはず。、 >>325
尾張統一戦とか桶狭間より後だぞ
というか、桶狭間で勝ったから尾張統一に出られた
桶狭間時点じゃ、信長の勢力はせいぜい尾張1/3くらいだろ >>325
それ何回繰り返すんだよ
太閤検地なんて時代が違うだろよ
稲生の戦いとか言ってるその数字足しても
お前の出してる数字は低すぎて
12000には全く届いてないじゃん
要はお前は、俺がさっき他の奴に言ったみたいに
研究者が存在感アピールで通説に対して何か異説唱えたのを真に受けちゃった系って事だろ? >>216
弓矢には貫通力が無いからね。
思い出してみ、足軽の装束を。
不格好だと思わないか?w
陣笠って何の意味があるのかって思わなかった?
あれ、弓に対する盾なんだよ。
両手で長槍を持って、頭にシールドを乗せる。
陣笠の後ろから布をたらせば、後方からの弓も防げる。
そもそも陣幕からして矢よけだからね。 >>326
徴兵なんて近代以前はナポレオンかローマぐらいじゃないの?
和弓が長いのは、長くないと威力確保できなかったからって聞いたので
弩みたいな小型のは難しかったんじゃないかと >>324
だろうな。竹を担いだ工作兵?がぞろぞろ行軍していたそうな。
竹のバリケードがめちゃくちゃ効いたんだろうな。簡易砦の様に。 長篠の戦い前日の信長の書状
(天正3年)1575年5月20日付織田信長黒印状 細川藤孝宛
書状拝見した。鉄砲の事はこちらの求めに応じ(※信長の要請で藤孝は鉄砲隊を派遣している)嬉しく思う。
こちらでは先日17日に牛久保という所から兵を進軍させ、長篠との距離は三里(12km)程に迫った。
敵は要害に備えているとは言え、18日にはこちらも兵を出して鉄砲を放った。敵は通路を確保できていないので通行もままならず、これでは生け捕りになったも同然で、根切も時間の問題だろう。
追々吉報をそちらにも届けられるだろう。 時々戦国ネタがニュースになるが、ニュースじゃねーよな >>128
鳶ヶ巣山を落とした酒井隊が4000程度は居たらしいよ。
長篠城の前を素通り出来る訳もなく
運良く挟撃を免れても追撃戦でどれだけ損害が出たかわからんね。
野戦で乾坤一擲を選んだのはわからなくもない。
信長側が周到に野戦陣地を構築しているのを知らなければ()撃破を狙う選択はあるだろう。 >>330
弓を知らないニワカ乙。
弓は筋力で引くんじゃないんだよ。
80のジジイが、大学生の2倍の重さの弓を引いちゃうんだから。 >>329
それな
NHKでも普通にやってた話なんだけど
何で理解できないのか謎です
現在でも愛知県行ってこいよ平野ばっかで遠江、駿河とか山ばっか
新幹線乗ってたらアホでも気づく話だよな
しかも尾張には熱田、津島って商業地があるしさ >>298
モンゴル人「生まれて最初に手にする玩具は弓で歩く前に馬に乗るのが基本だよねw弓を使えない人なんているの?」
周辺民族「何それ怖い」
アメリカ人「10歳の誕生日プレゼントは銃だよねw 銃の扱いはパパに教えて貰ってるのが当たり前だろ?」
周辺国「何それ怖い」
アメリカが強いわけであるw
>>311
武士が居たからなあ
そして武士以外の戦が無い
西洋でも騎士同士の戦争では弩は何度も禁止令が出ている
(農民が騎士をあっさり殺してしまう)
農民が戦士階級をあっさりと殺せるから異民族との戦いが無ければかなり忌避感を持つんじゃないか?
異民族が居たらそんな事を言っている場合ではなくなる
中国は遊牧民その他
キリスト教圏はイスラムその他との戦いが有った 火縄銃は殺傷能力低いからな
現代のエアガンのほうがよっぽど威力がある >>335
ドアホ。
和弓の威力はロングボウと同等。ロングボウはヨーロッパの鎧を貫通する。 >>128
先年に朝倉が撤退中によもやの追撃喰らって壊滅した刀根坂の戦いがあったから、国人衆の信望薄い勝頼だと一敗地に塗れる様なことになれば雪崩を打って離反、崩壊の憂き目に遭う事を憂慮し損害を与えて敵本隊からの追撃の意思を削ぐために攻勢にでたのではないか、と。 >>330
寝撃ちすればだいたい誰でもできるしな
弓はせいぜい膝撃ち、威力出すなら立たないと >>337
ローマは志願兵だよ
逆に、中国はずっと徴兵 >>334
いや新幹線乗ってたら小学生でも気付くだろ
尾張は平野が広くて、遠江、駿河は山ばっか
尾張に戦国時代に有名な商業地の熱田、津島があって
これで織田家が兵力2000とか言ってる時点で頭おかしいの?って思うけど
お前がそれやけど
現地見てこいよ
名古屋のどこに山があるんだよw 当時の鉄砲は戦に勢いを与える為の花火のようなもので
今みたいに狙い撃ちして殺傷する能力は少なかっただろう。 >>325
あのねえ、尾張の半分を得て統一したのが前年だよ。
それまでずっとぎりぎりの戦を続けてる。
当然元敵だった兵が、敗色濃厚の信長に付き従うわけも無いし、
後ろから刺されて、今川への手土産にされかねんから
そもそも動員すらできない。
備蓄、軍資金なんて溜める余裕もない。
それに対して今川は10年ほども大きな戦をしていない。
兵を雇う軍資金は潤沢だ。
石高に対して出兵可能な兵数ってのはあくまでも平均
で、当然資金、兵站に余裕があればそれ以上に出せる。
それが今川方にはできて、信長方は当然ながら国力以下だ。 >>337
弩弓自体は、弥生時代から日本に伝来してる。
大陸と違って、大量の矢を多数の兵士にばらまくって闘いがなかったんだよ。それやると資源の限られた島国日本で、田畑を耕す農民やら、勝ったあとに味方にする兵士がいなくなるから。
伊達に将棋の持ち駒制度が生まれたんじゃない 当時の鉄砲玉は鉛の大粒だったから、当たればそれは悲惨なことになったそうだ。
いくら当時の武士だって、15人に一人が手足をもがれて死んでいくような状況で突撃なんかしたくないだろう。 >>335
>弓矢には貫通力が無いからね。
モンゴル騎兵とかスキタイ騎兵の弓なら、そうなんだけどね。
馬上で扱える小型の弓で小さな矢を射る、効率は良いが威力の絶対値は小さい武器。
一方、日本の弓は2mを越える巨大な弓で長い矢を射る、
効率は良くないが絶対的なパワーに優れる武器。
日本で手持ちの盾が発達しなかったのは、弓の威力がありすぎて、
手持ち出来る盾を易々と貫通したから。 まんが「日本の歴史」で、勝頼が「ひるむな!次の発射まで敵陣地内に突入するのだ!」と書いてある >>292
当時の戦い方ってみんなそうだよな
「砦があったら陥落させる」
「目の前の敵は殲滅させる」
ってのばっか。チェスの戦い方ばっかり。間接アプローチしろよとか思う。
ホント戦国時代は戦下手ばっかり。まあ欧州でもナポレオンがでてくるまでそうだったみたいだけど >>354
空襲の前の東京と、空襲の後の東京を比べて見ろよ。
同じ場所でも経済力が全然違うだろ。 >>354
誰が2000なんて言ったよ?
織田が12000で今川が15000なんて話がどうだって突っ込まれたのに
またまた話そらしてごまかしてる
本当にやすっぽい詭弁ばかりだな
いちいち突っ込みいれてる俺に感謝しろよ >>282
圧倒的に火縄銃
どんな鎧も簡単に貫通するし
それまで猛威を奮っていたモンゴルをはじめとした遊牧民どもが衰退したのも銃の出現が最大の原因
銃の一斉射撃の前に騎兵のみの突撃は自殺行為 >>337
この場合、比べなくちゃならないのは中国だろ。
で、中国は普通に徴兵制でやってる。 >>343
だな。結局練度だろうな。中央アジアの女学生?が、
馬に乗って連射していたが、ぶったまげのスピードで連射して、的を射ていた。
人生これ一弓兵ってなじー様なら、抜群の名人域だろうな。
人間これ、続けることが肝要の見本みたいに成ってるだろうw >>361
当時のモンゴルのコンポジットボウって今じゃ再現できんのやろ >>356
自国国内で戦ってるのに何で兵站だよ
兵站考えるのは今川家な
織田家は自国内で戦ってんだぞ
馬鹿か?w >>355
とはいえその程度なら元寇時代から大陸にはあったわけで、ヨーロッパか植民地たを拡張していったんだからそれなりには強力だったんだろう
まあこの時代は別に欧州一強でもないが >>363
そんな戦いをしてた日本の戦国軍隊はない。
テレビと中国の戦いのイメージが、事実に混じってるよ。 >>287
むしろ日本軍って割と人命重視だよw
WW1で日露戦争が温く見えるほど死んでる
日露戦争の日本の死者8万
WW1のフランスの死者100万w 人口比で4%
人口比で見れば原爆&本土爆撃されたWW2の日本と同じレベル
そのWW2日本が温くなるのが独ソ戦w
まあWW1は日本軍がロシアの機銃陣地を突撃で破ったから
それを見て真似した結果でもあるがw
武官A「機銃陣地は!」
武官B「犠牲を恐れず突撃!」 >>355
えー
だから命中精度を補うために数をそろえたのに >>356
織田家の兵力は12000で今川家の兵力がは15000だよ
国力から考えたら30000とかありえない
じゃあ3万だったって証拠あるなら説明してみろよ
国力的にありえんから >>368
プロのピッチャーが腕じゃなくて全身で投げるの同様に、弓も全身で引くからな >>370
なんでって、安定してないからだろ?
血を分けた兄弟すらも敵にまわってた戦国の世だぞ
自国国内だから安定してるなんて考える方がおかしいわな >>45 >>162
実際に木曽馬で再現した映像
https://www.youtube.com/watch?v=mfHRMd5Hw_w
ポニーとは体高147cm以下の馬の総称であって、
日本の在来馬はポニーといってもその体高は大きいものは130〜140もあり、
鎧武者を乗せて走ることも、重い鎧武者を乗せたポニーの上で獲物を振るうことも可能 >>282
弓は技術を要するから火縄銃の方が大量にいれば戦力になる
それまでは中国の弩が歩兵が携帯する飛び道具ではサイツヨだな >>377
正確にいうと、弓は骨で引く。
だから、筋力は必要最低限でいい。
むしろ、力をいかに抜くがが大事。武道はこれ系が多いな。 信長さんの判断力すごすぎない?
やっぱ情報収集念入りにしてたの? >>376
島原の乱の鍋島家は36万石で3万人くらい連れて来てるよ
無理すりゃいけるんじゃね >>88
メフメト2世の方が
戦力上じゃないかなオスマントルコ
鉄砲とかさらに大砲の大量動員なんて
日本よりずっと早くに進んでた軍事国家だし >>376
3万なんて俺は言ってないだろ
お前ナチュラルに話を書き換えていく癖を止めろよ
脳の病気か?話が全く進まない
織田が12000も動員しのか?
お前が出した数字なんだからお前が証明するんだよ
あと最初に言っておくけど、太閤検地はもう止めてくれよな >>363
違うな、勝頼は決戦せざる負えなかったんだよ。
武田討伐戦時、織田軍はどれだけ兵を出した?
長篠時の武田軍はなぜいつもの25000の兵でなかった?
長篠の位置は、武田本国から遠すぎるのよ。
それに対して、頻繁に出兵を繰り返したので、武田は勝ち続けて
いたのに消耗しきっていたのよ。
だから、15000しか連れてこれなかった。
武田は消耗する一方だか、織田はどんどん周りの敵を殲滅して強大に
なっていく。
長篠を見送ったら、次は10万の大軍勢で津波のように押し寄せてくる
かもしれない・・・
だから勝頼は決戦せざる負えなかったんだよ。
実際、信玄の上洛戦の次の年には、長島を10万以上の兵で攻めてる。 >>386
日本は鉄砲は普及したけど大砲は少なかったと言われてるしな >>387
じゃあ織田家の国力は何万石で今川家は何万石だったの?
数字で頼むわ
三河の水野家は織田家側で計算してみろよ >>371
その後どの国も弓が廃れて銃が普及していったことを見ればわかるだろ >>391
山がちな地形で大筒を運ぶのは骨が折れるからな
これが解決されるには内燃機関が必要。 >>361
和弓は思われてるほどパワーないよ
現代和弓で15〜18kgとか
モンゴル弓は50lbとか普通にできるからね >>246
馬上での弓術は日本にもあるよ
今でも祭りや神事で行われてるが
それも木曽馬に乗っての再現もされてる 鉄砲も要らないぐらいだったが鉄砲の効果が絶大で牛一が驚いたのが信長公記だろ 明朝鮮との戦争が長引けば大砲も増えてった可能性があるが、朝鮮の土地にあんまり魅力感じなかったんだろうね >>397
せいぜい数十メートル先狙う現代和弓なんかより
昔の弓のほうが強いっしょ >>331
砲術の先生「なんだとゴルァ!」
>>337
領主「お前ら!略奪行くぞ!」
農民「ヒャッハー!」
常備兵を用意出来るぐらい財政に余裕が無く数を揃えれば良い時には徴兵制
略奪は兵士の権利で給料代わり
強い領主様なら略奪にありつけるから大人気w
>>355
ttp://sweeper.a.la9.jp/gun/heisa/burret.htm
「当たる距離なら」十分な威力な気がする 弓は筋力いるでしょ‥
柔道が筋力いらないと言ってるようなもんでは >>317
浅井・朝倉との姉川の戦いじゃ、信長本陣が、浅井方の武将に逆桶狭間みたいな奇襲喰らってるわな。
2里だか3里、信長本陣は逃げ続けたそうだが。奇襲仕掛けた方も力尽きて壊滅したそうだが。 >>392
そんなの正確な数字は出ていない
60万と20万ぐらいじゃね
違うってなら、ソース付きで反論してね
あと何度も繰り返すけど太閤検地の数字をそのまま使うのはナンセンスだから
それと参考に桶狭間の兵力も込みにしろよ >>128
地形的にはそうかもしれんが、勝頼の当時の家中内での状況からすると国衆がいつ離反してもおかしくない状態で未だ信玄の重臣たちとの距離があった
決戦を決意したのも家中内での立場を確立して、国衆にも頼りになる当主と見せつけるのに最適な戦が長篠だったから決戦に及んだんだろ
長篠合戦前日の長坂長閑斎宛の勝頼書状にも
「信長・家康両敵共、此度可遂本意儀案之内候」
(信長・家康両敵ともに、この度必ずや滅ぼし本意を遂げるのは計画の内である)と強い覚悟だったことが分かる >>392
駿河は石高こそ低いけど金山が豊富にあって豊かだったと聞く。 三段撃ちなんか無理。俺なら足元に落ちてる石を拾わせといて部隊全員に投げさせるわ。それなら馬や歩兵の前進止められるし鉄砲連射に匹敵する。 >>394
ライフリングによって弓が完全に廃れたのであって、単体としてみれば、マスケット銃、火縄銃程度なら弓の方が上。
弓の問題は威力じゃなくて熟練。 横からすんません
普通に尾張の生産力考えると、2000人って少ない気はするのですが、
実態はどれくらいってのが定説なんですか? >>1
鉄砲千丁しか無かったという確固たる証拠はない
それ以上か、それ以下かもしれん
実際には3段打ち戦法を編み出したので、必要がなかったのかもよ 火縄一本につき一人仕留める必要はない
武田1万5000の兵力だって全部真正面に配置するわけないだろ
せいぜい3000までだ
2割3割火縄で減らせれば主力は総崩れになる >>391
山地が多いと砲の一番の問題である移動がきついからな
それに、島原の乱のあと200年くらい戦争ないから使う
機会もなかったし
一番活躍したのが、大坂の陣ってくらい 本気で上洛出来ると思って家康にとどめを刺さなかった信玄がうんこたれ >>370
兵站ってのは戦場で兵を養える能力だぞ。
補給距離はゼロだが、そもそも備蓄が無いんだよ。
どこから持ってくるのさ? >>397
なぜ現代和弓…
戦国時代は30-40kgだし、弓の重さは「何p引いたか」が重要なので、単純にキログラムで比べてもな。 >>397
>和弓は思われてるほどパワーないよ
>現代和弓で15〜18kgとか
>モンゴル弓は50lbとか普通にできるからね
弓が蓄える弾性エネルギーは、引き力を引きしろで積分したもの。
モンゴル弓は小さくて、顔の前くらいまでしか引き代が取れない。
現代の和弓は、競技用に弱く作られてるし。 信長の野望シリーズは好きだけどキャラゲーだから
○○の方が××より強いとかいう感じで戦争語りがちになってしまう 織田は家康殺さなかった時点で詰めが甘い
その前に明智に殺られる時点で戦国最弱
怖そうなイメージはフィクション 名和弓雄は、自身で実験した上で、三段撃ちは不可能と結論
「三段撃ちを言う人は、実験もせずに主張している空論」と言っている >>403
だから、弓道四段のおれが言うが、弓は筋力ではない。 >>424
ヨーロッパのは当たらないから
真横に飛ぶ鉄砲まである使えなさ >>428
今の弓と昔の弓比べてもなー
そもそも張力が倍ほども違うんだよ? >>154
信長活躍の時代から更に700年くらい前、平将門って武将が、
トチギーで馬に乗って大暴れして、関東独立夢見たが、
朝廷軍からの一発目で、眉間に矢が刺さって夢破れたそうな。 >>412
だから、尾張は前年まで内戦真っただ中だ。
ちゃんと耕作で来ていたかも怪しい状況だぞ。
農民が畑を耕せないのに、どうやって収入を得るんだ? >>363
一人一人の武士が手柄の為に戦うんだから
手柄が転がっていたら拾うのが当たり前だろ?
WW2ですら割と勝手に戦闘している人が居るからなw
チャールズケリー「敵がいるじゃねえかヒャッハー!」
上官「戻れケリー!撤退だ!」
ケリー「先に言ってろ!俺は戦う!」(命令に真っ向から反抗して戦闘続行)
それで戦果を挙げて勲章ゲットw 和弓はガッチガチで引くことさえ困難ていうけどコツだけでいけるん? >>406
人が殺せるような威力の弓作ったらむしろ大変だしなぁ
昔の大弓の矢じりなんぞ、小刀みたいにでかいのもあるし 一斉に打てば、いくらかは敵に当たって気勢を削ぐような使い方じゃないかな
もちろん、狙撃みたいなことはできない >>431
80のジジイが30kg軽く越える剛弓引いて「若いもんはだらしない」という世界。 >>434
服全体に火薬入れてるから集まってると誘爆するぞ >>393
へ〜〜信長公記って公文書だったんだ
俺は物語やと思ってたけどさ
馬鹿に何を言っても無駄やけど
太閤検地の結果尾張の石高は56万石
尾張下半国が28万石で上半国が28万石
商業地津島の石高が26万石相当で津島は30万石な
今川家の遠江・駿河の石高が70万石で三河併せて100万石行かないんだけど
兵力差教えてくれよ 日本じゃ個人用の投石器は使われなかったのかな。
ダビデがゴリアテを倒した
頭の上でクルクル回す革製のやつ。 >>425
光秀は、中国方面でなく京都に向かう言い訳として、
「これから信長の命令で家康を討ちに行く」
って言ったという説があるらしいね。
最終的には信長は家康を殺すだろう、って、みんな思ってたんだろうね。 >>413
長篠城の裏に回った別動隊に500丁貸し出したと
記述があったね。 当時の最新鋭武器の銃が千丁でも十分に多いと思うよ
ものの本によると武田軍も5〜600丁は持ってたらしいが火薬と玉が足りなかったらしいね
弾は鉛だが当時は火薬も鉛も全部輸入品だった
経済力の有った織田軍に対して 武田軍は金山は持っていたが総合財力では負けてたんじゃあないかな
武田勢は鉛の玉が足りなくって 銅銭を鋳して玉にしていたが 銃身に詰まって暴発が多かったらしいよ >>432
15kgでも60mは余裕で狙える。ジジイの引く30kgなら弓の標準的な射程である100-150m前後は余裕だな。 >>435
質問に質問で返すのは、無駄に敵を作るぞ‥ 足軽兵の武器は信長が準備したかも知れないが、一人前の武士の武器はその個人の物で信長が取り上げる事は出来ない。
持筒と言う個人持ち鉄砲を1000丁に加えたら数千丁になる。高級武士は家来が居るからそれらに鉄砲持たせるのも自由だよ。 桶狭間は東海地方で生業にしてた傭兵がこぞって今川方についてたって考えた方がいいだろう
大将討ち死にで今川方一気に瓦解もそれなら分かりやすいじゃない
足軽が普通になってもう100年近く経ってんだから半農半士の領民兵しかいないって考えがまず間違ってるわ >>440
その爺は筋力一切いりませんって言ってるの?
たぶん脱いだらすごいよ筋肉 >>443
ほんとにバカだな。
前年の戦で、信長がどれだけの兵を動員したか調べてみ。 別に音だけで馬はビビって言う事聞かなくなるし
騎馬隊潰すのに大した数は必要無い >>412
1万石あたり300人が限界ってのが通説
1万人動員しようとすると、33万石
桶狭間当時の信長に33万石はないだろう その1000丁がAK47だったら?
もうわかるよな >>394
第二次ウィーン包囲は、
火縄銃で武装したトルコ自慢のイエニチェリをポーランド騎兵が粉砕して勝負が決まった
騎兵は、第一次世界大戦まで戦場の花形兵科として君臨した 弓より銃のが利便性が高いから雑賀衆や根来衆が居たんじゃねえの? >>456
歴戦の牛一がぶったまげるくらい活躍した >>453
その名人が「弓は骨で引く」と奥義を言ってるんだよ。
てか、中堅の段持ちに素人が思い込みで突っかかってきて、恥ずかしくないの? ドラマのせいで馬がサラブレッドを想像しちゃうんだよなぁ
ポニー並なんだよね >>444
日本には手ぬぐいという万能ツールがあってだな
投石に秀でたものは印字遣いと呼ばれていた 日本人は鉄砲を完コピして重要パーツである「ネジ」もモノにしたけど
その後まったく活用できなかったねw とき衆から購入した最新式の20式小銃だったので1000丁もあれば十分だったから >>458
そこがポイントだと思うのだけど、何万石あったの?
言い換えると尾張のどれくらいを掌握してたの?
そっから10年で美濃まで攻め落とすわけで、めちゃめちゃ小規模勢力でもなかったと思うのよね >>454
信長は兵農分離してたって言ってるやん
だから早く今川家と織田家の国力差教えてくれませんか?
公文書で頼むわ >>447
一方石山本願寺の坊主
「ヨモギの根っこに馬の小便を掛けて放置すると(根っこにいる窒素固定細菌の働きで)硝石が出来る」
こいつ転生者か未来からきて帰れなくなった時間旅行者だw
織田 名古屋から大阪まで広がった巨大経済圏の主
武田 山梨+長野w
経済勝負とか何の虐めですかw? >>459
皆殺しにされるわw
俺は鼻水垂らしながら逝くと思う >>444
ガチの投石は弓よりあらゆる面で強かったらしいな
ただ訓練にアホほど時間がかかるという欠点を克服できなかった 事実と真実
人は事実より自身が信じたい、理解しやすい方を選ぶ
これが人の社会の真実
歴史は概ねこの真実に基づいて書き表される
そういうものと理解するしかない >>457
おマイラの想像してる腕力ではない。腕力自慢の大学生も歯が立たないような重さを軽々引く。
不思議な世界だよ、武道は。剣道も力以外の部分が重視されるが、打突とぶつかり合いがない弓道はそこが極まってる。 >>464
そんで「筋力はいりません」って言ってるのその爺さんは?
そしてその爺さんもお前も凸凹の野外や
馬上で動く的狙ったりしたことはないという事実 >>473
>そういや日本の中世にカタパルトって見ないな
カタパルトで壊す、城壁がないから。 まぁWW2でもロングボウとロングソード背負って戦果を挙げたイギリスのキチガイがいるそうで
武器なんて状況と当人のモチベーションしだいである程度は何とかなる >>155
バリケードというより
ちょっとした野戦用の城 その時代なら銃や弓名人より石投げ名人のが強そうだけど
石投げで功績残せた人おるんか? 武田は百姓
織田は専業や傭兵
織田はいつでも動けるが武田は農閑期なのだ
百姓の担い手が死ぬのは大ダメージだぞ
エリートパイロットに自爆させる基地害が負けるのと同じだな
もっと言えばチョンサーズはなんぼ逮捕されてもいいが河井が逮捕されるのは不味いのだwwwwwwww 貫通するんだろ
一発でスパパパパーンと10人くらい >>443
浮野の戦い1558年(桶狭間の2年前)
親戚の兵1000を借りて、信長2000と合わせて3000で
上四郡の守護代岩倉織田家3000と戦をしてる。
これに勝って、次の年岩倉城を攻略し、尾張平定だ。 >>391
大砲の国産化はできなかったので、スペインなどから高額で買うしか無かった >>384
若い頃から情報収集に余念がない。
美濃から濃姫って蝮の娘がやって来て、
びびって逃げ出した信長さんは、運送屋の娘で後家の女の家に入り浸り。
そこでシコシコ諸国の情報も集めて、惚れた女にも中田氏て、藤吉郎と出会いましたとさ。 弓って基本的に弓道みたいにまっすぐ飛ばすんじゃなくて集団で上空に向かって撃って雨みたいに降り注いで射るから結構射程長いんだろ
ラストサムライのバトルシーンみたいに >>477
そう書いてるのが読めんのか?
まあ、武道やったことないやつはわからんよ。
西洋かぶれは筋肉で闘うと思ってるからな。
だから競技寿命が短いわけで。 >>465
ポニーって結構丈夫だし力あるし、日本のは体高130とか140とかもいるから
鎧着用した人を乗せも走りもするよ >>479
まあ別に殺傷力自体が変わるわけではないからな
逆に近代だと甲冑ってもんが無くなったから
板金鎧が発達した中世よりも弓は効果的かも知れない
日本刀も一番活躍したのは戦国時代じゃなく幕末だし 長篠で重臣どもを無くしてなにもかも失い死ぬ
まるでチョン壺のようになwwwwww 日本の在来馬は貧弱で戦闘に不向きだったというけど後三年合戦絵詞・雁行の乱れでは躍動感たっぷりに疾走してるのはどうなの? >>482
石投げ部隊はあったが石投げは昔から誰が誰に当てたかわからない >>480
で?体の使い方=筋肉の使い方や。
どんなに腕力があっても剛弓は引くのは難しい。そんな逸話は日本にもあるだろ。
で、なんで素人がそんなに偉そうに語るのさ。 >>494
少なくとも鎧武者を乗せて走れないほど貧弱だったというのは完全に誤解
訓練されてるかどうかでも変わるだろうし >>393
信長公記には、今川軍は4万5000と書いてあるんだが?
3万どころではないな
てことで、織田と今川の国力差は圧倒的ってことをお前自身が証明したってことで終わりだな >>409
今川武田北条の同盟で今川は周囲に敵がいない状況
国力の蓄積ができた
その三国の筆頭格が今川なんで織田との国力は傍目でも隔絶してたでしょ
桶狭間で敵の大将まで討ち取っていて今川領に踏み込めない、美濃攻略にさらに長いことかかるってことからも織田に国力がないのは自明 >>469
尾張は戦国期に石高があがっているから、当時の信長はせいぜい
15万石程度じゃないかな
で、300人は限界動員でやると一揆が起こるレベルだから200人なら
3000人250人だと、3750人か
全部かき集めて、5000人が限界じゃね >>489
アホやねキミ
腰や脚で撃つと言ったって
腰や脚の筋力はいるわけだよ
筋力=腕力って認識の浅さに草生える >>490
かさばる度合いで言えば、鉄砲の方がかさばるだろ。
火薬や火縄は、濡らしちゃいけないし。 >>494
ナポレオンが乗ってたのは小さくて頑健なラバだからな
大砲を引きずるのでなければ大きい必要は無い ライフルは「骨」でささえる
骨は地面の確かさを感じ、銃は地面と一体化する。それは信用できる。
「固定」だ。 >>379
長篠の戦いはそもそも平地じゃないんだが? >>103
尊師なんて戦国武将どころか公家含めた当時の教養ある身分の一般教養じゃないかな? >>496
いやー、あのね〜、これ大変いいづらいのですけど
あなた玄人ぶって細かいマウント取ることを優先しちゃった結果
一番大事な流れ切れちゃったのですわ〜
弓って、凄く訓練が要る代物という流れだったんですよ
それで、弓の張力って馬鹿にならないから相応の筋力もいるし、
技術的な訓練も必要という流れ
そしたら、あふぉー、筋肉に頼るな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜って、
いや、そこじゃないから >>417
ああそうか。見事な正面突破だな、あれはw
狙うは信長の首!って死兵に成っての突撃。 >>479
だって、歩兵の近接兵器で最強はスコップだもん >>502
矢のほうが補給が難しいだろ
だから当時の傭兵部隊の雑賀衆も根来衆も銃を採用してんだから 馬の問題はそれが去勢されていないから喧嘩はするは、雌馬を追いかけるはで大騒ぎ。発情期の雌馬を敵に放って敵陣に大混乱を与えて勝ったって言う話まで有る。 >>504
ところが、日本の火縄銃は両腕の「筋力」で支えてたんだよ。 >>491
世界を征服したモンゴルの馬もポニーサイズ >>501
で?筋力ゼロという意味だと思ったの?
弓は筋力ないと使いこなせない…じゃないってのが出発点。
やったことないのに偉そうな口利くなよ。
筋トレした大学生がなんで80のジジイにかなわないか、お前の頭では一生理解できんよ。 >>508
ハンニバルがファビウス相手に牛使ってた >>96
当時の火縄銃で再現実験してるの見たが、50Mで甲冑に大穴空けてたよ
体に命中したらひとたまりもないと思う それより何であんな狭い領土を取り合うのに何十年もかかったんだ >>517
ふぐと同じで当たったら死ぬと思えってやつか >>497
騎馬隊なんてものは存在しないし、ましてや長篠の戦いは馬が駆け抜けるような平地ではない >>507
訓練がいるのは否定してない。
むしろ、それが欠点とかいている。
華奢なやつが引くイメージがあるが違う、ということに反論してる。
明治の大名人も華奢だからな。写真残ってる。 真田昌幸の兄ちゃんとか指揮官クラスが瞬殺かつかなり死んでるから
銃が多くないとおかしい >>511
硝石なんか、日本で取れるところ無いぞ。
硫黄も鉛も、日本各地で取れたけど、全国いたるところで取れたわけでもない。 >【写真】長篠城跡(愛知県新城市)
↑平地ではなく、新城のクソド田舎の山地で
武田の騎馬隊が本領発揮できるわけないことに、
いまさらながら気づきました。 >>470
信長の領有した尾張上四郡は、今川に半分侵食されていた。
下四郡は前年に制圧したばかりで体制も整っていない。
第一、まだ尾張国内が完全に平定出来ていたわけでもない。
農地は良くされ有れてる。
信長の当時の国力は、尾張全体のせいぜい1/8てとこだろよ。
なら、信長の率いた2000は妥当な数字だ。 >>511
日本は津々浦々に、竹が自生してるから矢はわりと簡単に作れる >>483
甲斐の百姓(戦争で勝って略奪して奴隷を金山送りにして年越しの蓄えを作る)
越後の百姓(戦争で勝って略奪して奴隷狩りして佐渡送りにして年越しの蓄えを作る)
小田原の殿様「あんな奴らとやり合えるか!俺は小田原城に籠るぞ!」 >>494
日本人は馬というとサラブレッドを思い出すが、サラブレッドは
戦闘には向かない
アラブ種とかモンゴル種の方が向く
それに、サラブレッドは馬としては軽いほうだし、重装歩兵用の
はもっと大きくないといけない
そもそも、鎧にしても人間が着て動くんだから、そんなに重くない >>516
火牛の計の元祖は中国戦国時代の即墨の戦いの田単 >>524
雑賀衆や根来衆は普通に火薬を手に入れてたよ >>515
その大学生も引き方覚えたらその爺より重い弓引けるよ笑
同じ体の使い方できるなら筋力ある方が遥かに有利なのが当たり前
力はいらないなんて本気で主張する武術家なんぞ存在しない これに近いんだから↓ 敵の前線は逃げるに決まってるだろw
GAU-19
https://youtu.be/fsF2b__Saeg?t=53 素人考えでは長篠の合戦に勝ったときになぜ一気に武田を滅ぼさなかったんだ
あまりにもちまちましすぎでいらいらする >>534
おーい、有段者の大学生がかなわねーんだよ。
そんな世界は武道にしかない。
お前の言うとおり、武術じゃねーんだ。 >>476
必要な筋肉部位や骨への荷重のかけ方なんだろうけど
「とにかく腕力だけで引く」は間違いだし
「全く筋力不要で握力10kgの虚弱でもコツさえつかめば引ける」も違うように思う
言葉のニュアンスの水掛け論だな 弩は奈良時代に百済人技師に作らせてるが
日本の湿度では弓の部分が腐って駄目になるから国産諦めてるね 筋力の話はきっと体全体の筋肉の持久力を「骨」と例えてるんでしょ。腕力のある人(腕相撲の強い人とか)が
一気に弓を引こうとしてもできない、みたいな。 歴史ネタになると全員馬に乗った武田騎馬隊の存在を信じてる人が必ず現れる >>537
武田は怖い
最後の武田攻めでも信長は怖い怖い言ってた >>505
あのへん田んぼや畑だったと思う。とてもじゃないが凹凸ありすぎて馬も人もまともに走れない。大河や映画のようにはいかない。 >>524
本願寺の坊主「ヨモギと馬の小便で作れるよ!」
>>528
後は硫黄と炭
硫黄は火山が多いから割と手に入りやすい
硝石をうんこやヨモギから作れるようになるかどうかが分かれ道 硫黄を輸出して硝石を買った。まあバーター見たいなもの。但し持筒の火薬や弾は個人持ちなのでそもそも部下に資金力が無いと鉄砲は揃わない。 >>540
そんなチンケな方法で作る硝石の量じゃ、戦場の需要は賄えんよ >>533
火薬を手に入れることが出来る、雑賀衆や根来衆のような極々一部の例外だけが有名だ、
というのは、補給の困難さを示してるだけなんだが。 >>546
マジで骨でロックするのが大事。
弓は下に落として開くだけだからな。引くんじゃなくて。 >>494
そもそも、日本の戦国時代の「戦」なんて、
身長140cm程度の小人同士がポニーみたいな日本馬に乗って
チャンチャンバラバラやっているコメディみたいなもんだろ? よくわかんないのだけど、弓兵を編成するときは、わざわざ華奢な奴をチョイスするってこと?
右腕だけ太かったりする世界で? >>522
鉄砲で撃たれたって記録あるのにな
なんかそこ疑問かとすら思うw >>473
そう言えばそうだな。攻城兵器ってのが無いな。
末期には大砲が登場して、家康が大阪城にしこたま撃ち込んだそうだが。 >>542
じゃあまだ引き方マスターしてねえだけだろw
そもそも学生ってw
どの競技だって学生より社会人やプロのがつえーわ >>547
歴史の面白さなのにな、通説が変わるのって >>513
銃は反動を制御するのがメインだから、銃床を肩に当ててれば
とりあえずなんとか打てる
寝撃ちならなお力はいらない >>524
硝石はよく採れた模様
採れるっつーか土や肥料から
置換する技術を確立してた 物理的に弓矢ってかさ張るからな
現代のカラシニコフじゃない銃はここが簡易なんだよ >>531
重い鎧を着た騎士乗せて突撃する西洋の大型の馬は
一撃離脱で逃げながら攪乱するモンゴルに圧倒されてた >>530
武田は北信濃から甲斐まで連れてきて働かせたって文書が寺とかに残ってるけど
上杉は現地で激安で売った史料しか残ってない
大体、越後の上杉の最大の財源は麻布の材料の青苧 黒澤の影武者見ていると武田軍ってただのバカ集団にしか見えないからな、実際大差ないだろうけど >>537
あちこちに敵を抱えた状態で武田だけに構ってられないだろ
まだ石山合戦中だし 長篠の戦いで武田軍が負けたのは武田勝頼が手練れの重臣にそれはやめろって言われたのになぜか突撃にこだわったからだろ
信玄だったらそんなことにならなかったろう >>562
まあ、弓道四段取ってからオレに反論してくれ。
社会人になって五段は取る時間なくなってしまったがな。
本気でかなわねーんだよ、お前の想像する「プロ」が高齢の熟練者にね。
それが弓道が「道」である理由。 >>557
草ボーボーで何も見えない中で弓や石や弾丸が飛んでくる地獄 >>576
前後挟まれてるのにじゃあどうすりゃいいんだよ… 三国志演義も赤壁の戦いをドラマチックにするために
孔明が一万本の矢を曹操軍から打ち込ませて取ったとか話を作ったりしてる
そんだけメンドクサイってことだよ 時代劇では数万の軍勢と言っても炊事班やら馬番や輸送隊を含めた総数だから実際に戦闘する人数ではないと言っていたな。
そのうちの1000丁であれば結構な割合だったと思う。
人よりも鉄砲の方が貴重だろうから鉄砲1丁につき予備の人員で倍以上の人数になってそうだし。
鉄砲を渡されずに突撃を命令される名ばかり鉄砲隊。 >>576
死地に兵を進めてしまったから
正面突破するか
大軍に追撃されながら退却するか >>577
バカのキミにも分かるように聞くけど
技術オンリーのやつと
技術+筋力のやつどっちが勝つと思う?
そして各武道に筋力鍛錬が伝わってる理由は? >>561
そもそも城壁ってのがまともにできたのが戦国時代だから
京都なんで羅城門の面しか壁がなかったんだぜ >>581
信玄ならそんな状況にしなかったろ
風林火山だからな >>498
越前朝倉は約50万石で20000の兵をたびたび出してるぞ。
まあ、そのせいで疲弊して滅びたわけだがな。
普段戦争で疲弊してなければ、それくらいは出せるって事だ。
今川は10年ほども戦をしていない。
大動員をかければ、5万だって出せるだろうさ。
ってか、長島一向一揆なんて、尾張のほんの一部しか領有してないのに
10万から動員してるぞw
金と備蓄があれば、兵は出せるんだよ。
戦争は経済力の戦いだからな。 >>494
ポニーとか言うと、大人しくて可愛い馬っぽいが、
日本の馬は去勢無しだから、気性荒いんじゃね?
猛獣みたいな感じ。 >>554
ぜんぜん困難じゃないから信長も真似したんだろ 史実通りの戦争と言われる、映画クレヨンしんちゃん戦国編では
近距離でないと鉄砲は役に立たない描写しとったな >>587
弓は技術が上の方が強い。
その技術は、筋力が衰える年齢の方が上がる。
単にそれだけ。 >>561
道が整備されてないから大型兵器は運べない。 変な日本凄い論に騙されてる人多いけど戦国日本の銃普及率って全然高くないからな
同時期の海外は欧州は勿論のこと中東アジアもオスマン筆頭に火薬帝国が成立してる時代だ 元寇の竹崎季長の馬みても竹崎の体躯に比して馬はしっかりしてるけどな
竹崎は当時としては大男だぞ >>595
威力より命中率の問題だから当てる奴が当たる銃持ってたら当たる >>591
お前、話の流れ理解できてる?
それなら、最初の
>織田家の兵力は12000で今川家の兵力がは15000だよ
は何だってんだって話になるだけど?
それ、その場その時で適当な事を言って相手が飽きて去るまで振り回して押し切る戦術? 信長が1番苦戦したのは顕如だし。次点で浅井朝倉連合かな?秀吉と光秀が殿務めてくれなきゃ死んでたし。 >>595
ヨーロッパだと、
「敵の黒目が見えるまで撃つな」っていう格言があるぐらい火縄銃の命中率はひくい 実は訓練されたスナイパー軍団がいて敵将スナイプしまくったとか >>1
長篠城の包囲を解きに行った部隊の鉄砲隊の数が入っていないな
この時、武田軍の背後に迫っていたはず >>598
オスマントルコは後継ぎ以外兄弟皆殺しが強烈すぎてw
ティムールにパヤジットがやられてからの復活も面白い >>604
まぁ、実際に殿軍を指揮したのは池田勝入斎だけどな
あとは先方だったせいで必然的に殿になってしまった家康
秀吉は勝入斎の配下でなんかやってたんだろ >>537
信長も体制整えたかったんだろう。
家督譲った信忠にも手柄与えたかったし。 >>599
馬の数は全体の1割程度という数だったらしいね
中にはいい馬もいたのかもね
長篠の戦いでは騎馬隊は存在してないよw
これはもう決定的 織田の縦深防御が優れていたってことだろうな
それと鉄砲隊のファイヤーコントロール >>603
何を言っている?
信長にそんな兵力は出せないと言っている。
それに対いて今川は10年がかりで準備した大動員だから、
3万から、5万ほどの兵を連れていても不思議は無いと言っている。 >>604
尾張統一じゃねw?
ゲームで言えば尾張さえ押さえれば経済力ゴリ押しゲーでなんとかなる状況だった可能性が >>601
各流派の秘伝書みたいに伝わってるけど
メインは古民家の土台や厩舎の土だったよーだな
水で溶かして灰汁で硝石にするみたいな 「さんざっぱらうちまくった」が正解らしいね
三段撃ちではない 馬鹿高いからだろ
千でも多いくらいだし
弾はタイから輸入してた高級品やぞ
しかじゃねぇよハゲ >>596
じゃあその80の爺さんが筋トレしまくってムキムキになれば
今より引けんじゃね?
って話なのよこれw >>598
当時のスペインの軍艦は1隻で50門以上の大砲を装備してたらしいな ネオリベの手口は
まずホルホル上げしてから落とすてか?
バカの一つ覚えで、こればっか >>557
室町時代の男なら平均160cm
ポニーというとミニュチュアポニーを想像するけどポニーや日本在来馬はもっと大きい
60kgの米俵を肩に担げるようになって大人の仲間入り
伊勢参りでは未舗装の街道を一日30km以上、江戸からなら往復30日歩き続ける
全盛期の山本キッドみたいなのが斬り込んできたら笑う余裕はないな >>614
騎馬武者は複数の替え馬を連れているから、騎馬武者の数より騎乗用の馬の数が多い 武田軍の重臣が軒並み討ち死にしてんのに
1000丁ってことはねえだろう
研究とかいってでっち上げるのやめろよ
(´・ω・`) >>626
絵になるような格上の武将はそんなような馬持ってたのかもな 3倍の兵力差て解ったら撤収しりゃよかね?勝頼は何故決戦を選んだのだろう?
圧倒的な火力のでも突撃するてのは旧陸軍よりも日本の血なのかね? >>603
そもそも、太閤検地をやった時代の旧今川領は、
武田−今川、徳川−今川、徳川−武田でずっと内戦して来た
後だ、今川家の当時からずっと石高が落ちていてもおかしくない。
対して尾張は、大国織田家の後方地として十数年開拓された後だ。
桶狭間直前の内戦に次ぐ内戦を続けた後とは比較にならん差がある。 >>630
武田の武将は、織田軍の数の暴力で包囲されて死んだだけだ >>630
鉄砲だけで織田軍は待ち構えていたわけではない >>618
そらそうだね
>織田家の兵力は12000で今川家の兵力がは15000だよ
これが間違いで終わり
こんな事を言い出した奴が間違いで、その先は一切の言い訳不要
多少の誤差はあって当然だけど、こんな出鱈目な数字は何かとんでもない新情報が出てこない限りは
史実と認められない >>633
武田の背後に徳川の別働隊が居るから逃げるに逃げられない >>514
モンゴル軍は軽騎兵で替え馬多数だからなあ
武田騎馬隊ってのがあったとして重装備の鎧兜の武者だから戦闘時間短そう
重装備の武者を運ぶのが主任務ってのが基本な気がする
まあ長篠とか乾坤一擲の時には部隊抽出してそれなりの数の騎馬隊組んでたのかもだが 元寇から絵に描かれた馬が誇張だとするのは、無理があるかもしれなくない? >>633
知らなかったんじゃね
兵力ってのは最重要機密だから
後世からだと必ず戦力数が出てくるが、やってる連中はそれを
知るために威力偵察とか必死にやるわけで >>593
自軍の損害大きそうな感じだなw モンゴル軍は投石機で、敵の城ばんばん落としていったが、
モンゴルがひゃっはー!していた時代より200年くらい後だから、日本にも攻城兵器の情報伝わっていそうだが、
大砲の登場まで、投石器みたいな直接の攻城兵器は出なかったな。日本じゃ。
不思議なモンだ。 >>140
デカい馬が出回ったのは産業革命後の19世紀の競馬文化からだ
ヨーロッパもアラブもトルコもモンゴルも
小さい馬ばっかだよ >>5
信長の肖像画が実は写実的だったことがよくわかるw >>619
普通なら、「稲生の戦い」で終わってる。 >>643
日本は石造りの堅牢な城というのがだいぶ遅くまで普及しなかったから 信長の軍隊は日本一長い槍で突いたり、叩いたり
した。自分たちは敵の槍の届かない安全圏にいて
敵を刺し殺す。卑怯な戦法だ。そうしなければ
尾張兵の場合恐れおののいて、逃げてしまうからだ 火縄銃量産までは出来てそこから日本独自の銃の発展がなかったのって戦国時代が終わったから? 手作りだから超有力大名でもそんなもんだろ
むしろ長篠の合戦は野戦築城の勝利 弓大将 大島光義の小説は面白かった。93歳で関ヶ原参戦とか漫画の原作になりそう >>644
乗馬種はモンゴル種とかアラブ種とかで、モンゴル×アラブがサラブレッド
でも、平地を走るのは早いが荷役にも荒れた土地にも弱く戦闘につかえない
逆、輓馬みたいな重い馬もいて中世の欧州の重装騎兵に使われたが、
いうほど強くなかった >>653
やっぱそうなん?要塞化してたんだろうな >>649
そういえば、日本の城壁って、木製の板塀から、いきなり石垣だよな。
その間に、レンガ製の城壁は、何で出てこなかったんだろうな? 銃は発展してでかいのを抱えて撃ってた
砲と勘違いした 武田の騎馬隊って突撃部隊じゃなくて、他軍よりも木曽馬を多く使ってたって認識でOK? 武将の息子なんて幼少期から刀、弓、槍の稽古を続けて10年くらいでようやく戦場に出れる。
そんな兵士を1日訓練したような鉄砲隊が簡単に討ち取れるのが鉄砲の最大の強みだと思う。 >>650
卑怯でもなんでもない
おばけ槍は知恵絞って戦った結果
墓に穴あけて穴から鉄砲撃たせた大名もいるんだぞ
不謹慎だから常識だからが通じない戦国やぞハゲ 元寇の馬ネタでいうと河野通有の馬はでかくて石の防塁あるのに
その前に陣しいて突撃してくるから元軍がビックリして
逃げ回るのをブスブス刺しまくったという記録ある
モンゴル人がでけえと思う馬なんだからまあでかいんだろ >>622
種子島一丁が現代換算で1000万くらいだったそうで、
国産急いだわけだわな。それでも4〜500万くらいはしそうだが。 火縄銃が進化した。命中率が良いので国際火縄銃競技会では江戸時代の火縄銃を使ったりする。 >>637
今川軍の動きも、前後の情勢を見ても
今川が織田を圧倒してるのは一目瞭然。
歴史家とやらは文献しか見ないからね。
戦略にも戦術にも明るくない。 Nスペの内容だと鉛の玉は日本では取れないから外国産らしいな
鉄砲は自国産でたくさん作れても玉がなければガラクタなのも面白い >>662
でも、石垣も地震で結構崩れるじゃん。
熊本城は、かなりヒドイ有様になってたでしょ。 >>666
日本刀は鎌倉時代最強だからなぁ
変態的な技で作られてるらしいし なんで江戸幕府は鉄砲や大筒の技術開発だけでも続けなかったんだ?
どう考えても戊辰戦争の頃の軍隊って戦国時代よりも弱いだろ? >>657
技術が無かったというより一応何度かチャレンジしてみてたけど失敗して諦めたんじゃね >>656
実は武田軍が布陣した側も掘削されて斜面が急になっていたらしい
連吾川はちょっとした落とし穴みたいになっていて、武田軍はそれにはまっていた
だからおいそれとは退却できなかった >>651
江戸時代になると火縄銃に派手な彫刻を施したりして、良くも悪くもガラパゴス化して日本独自の進化をしてるよ ローマ時代でも小さい馬に乗って戦う時代があったみたいだけど、
日本でも、優位だから改良大型化していったんじゃないかな >>653
古戦場に行ってみると起伏は結構あるし第一範囲がめっちゃ狭いよな 弓道4段さんの今の筋肉を同年代と比較すればいいだけじゃね
握力と背筋力で大体わかりそうなもん >>59
これだよね
巧妙な野戦築城が勝因
勝頼は何で突っ込んだのか 現役にはちゃんと決まった人数があるよ
一万石で250人
これは千石だと25人だし2百石なら5人と
大体比例して末端まで決まってるから
大体この人数になる
各武士がこの人数になるように整えて参戦するから
百万石だと2万5千人ね
4万とかいうともう170万石分くらいある
小田原征伐20万人は800万石分
当時日本全部で千600万石と言われてたから日本の半分だ >>671
江戸時代は幕府に楯突く危険性がある物を徹底的に規制した抑圧的体制なんで軍事技術の発達は殆ど起きなかった
日本が世界の全てみたいな状況だから成立してたけど、黒船襲来でそれが崩れて明治維新へ >>669
でかい地震で石垣が崩れるけど、作るときは新しくするからねぇ
今だって地震で家がつぶれたら新築するだろ
昔のをもう一度再現とかやると大変だけどさ、そこらへんはドライ
にやるでしょ
骨董品感覚みてるとおかしくなる >>651
家康がオランダ製兵器の優秀さを目の当たりにして
苦労して国産化するよりオランダから購入すると決めたから >>679
勝頼が突っ込んだのか信長が突っ込んだのかは、よくわからない 当時は火縄銃よりはクロスボーの方が威力も命中率も高かっただろ
ただしクロスボーは非常に効果で値段が鉄砲の数倍した 実際戦える兵士なんて全然いなかった
ほとんどただの素人
ドラマとか映画みたいな大群での戦闘なんて実際はなかった >>642
甲陽軍鑑なんかだと馬場信春や山県昌景は合戦に反対してるから多分敵情はわかってる
主戦派の跡部や長坂に勝頼が引きづられた >>657
西洋でもレンガ城壁が流行りだしたのは
大砲とか出てきてからだな
石の城壁だと内側のやつが死ぬわという理由で >>649
モンゴル軍は、ペスト患者とかを投石器でぶん投げて、
街を疫病汚染させて降伏させたそうだが、
そこまでエグい事する必要は無かったんだろうか?
日本の武士道的にw >>679
信長の首を取るチャンスだからだろ
資金力的に凄く差があるから好機を待っているだけではジリ貧なのよ武田は まあ城も土塁や溝が有効だし石垣じゃ無くても攻略は大変だったらしい。
今だって歩兵は穴掘りがメインだし。 >>669
石垣は基本的には滋賀県大津市の穴太衆が組んでいる
もちろん熊本城も穴太衆を呼んできて指導して貰って組んだ
しかし辺境であるため九州や東北などはあまり多くの穴太衆を呼べない
だから石垣の質が悪い 風林火山もクソもない突撃が最後の戦いとは
武士の美学なんだろうなあ >>689
ベテランはなんかヤバイって感じてたんだろうな >>670
現代のYoutuber一人で変態不審者が刃物作成してるけど
ああいうのが鎌倉室町にいっぱいいたんだろうな >>697
ずっと戦やってりゃだれかが気付いて運用するだろ 合理的だよ >>45
ごめん
モンゴル馬って軍馬としては最強やぞ >>678
3人ぐらいのコンビネーションで昔の武士は大弓引くんじゃないのか >>705
火縄銃を集団で撃つと大量の煙が出るから超不利だぞ この頃の鉄砲って1分で1発くらいしか撃てなかったんだろ?
300年後の日清戦争の頃で1分に12発くらいらしい 火縄銃に関しては火薬を詰めて弾を詰めるのもうちょっと速く出来ないかな?
日本でも火薬と弾を紙で包んでスピード化した 「はやごう」というやつな
これは異国でも当然同じで先込め銃では殆どの国が考えてる >>660
火縄銃くらいなら弓の方が上じゃね
当たらない届かない準備が遅い
一回撃つと冷まさなきゃ火傷する
時々暴発して撃つ方も怖い、とかいろいろ不備がある >>677
で、今は整備されて見晴らし良いが、当時は背丈ほどある葦なんかの雑草がぼーぼー
藪漕ぎ突撃した先に、敵兵に出くわしたりすると、脱糞するのも無理はないw 織田軍3万といってもすべてが正面戦力な訳ないだろうに
多くは輸送や陣地構築の工兵だし >>709
目眩ましになるやん() てかその後は集団で使ってるのにそれは >>5
あれ誰も裏を取らないと思って成りすましてただけだぞ。
ばれてからは黙ってるのが面白いけど。 >>705
非合理的だよ。
撃ち手一人と弾込め役2人で、3人一組で打った方が効率がイイヨ 銃を現代で例えると、厳しい訓練を経て撃墜王にまでなった
エースパイロットが実戦経験ゼロのゲーマが操る無人機に
撃ち落とされるようなものだわな。 >>712
>火縄銃くらいなら弓の方が上じゃね
弓矢は10倍くらい撃てるが取り扱いに熟練が必要だからな
鉄砲やクロスボーなら百姓でも1ヶ月くらい訓練すれば使える >>717
それでも最低でも二丁の銃が要る それなら各自に持たせたほうが合理的 >>685
飛騨国の帰雲城だなw
山体崩落で全部土に還ったそうな。 >>633
あっさり撤収はありといえばありだが、奥平同様、たの国衆も他大名に靡く可能性が。
戦線拡大しすぎたのと信玄が敵を作りすぎた、諏訪系の勝頼を後継にせざる状況を作った。
まあだいたいは信玄のせい。 >>717
撃ち方がヤられた場合は?まあ教本には両方あるみたいだがね >>719
使えるのかな
いくさの素人に持たせると
味方の方が怖くて阿鼻叫喚かも >>122
硝石一樽は若い娘50人
あんな値段の高いものは置いてませんよ >>725
武田って本当にひどいよね
悪いことしかしない
性格わるっ >>719
誰でも殺傷力を発揮できる武器ほど作る手間かかるわけで
職人の数も無限じゃないから、バランスなんやろうなあ・・・ 平家物語で斉藤実盛は坂東武者はどんな難所でも落馬することを知らないと言っていた
設楽原が騎馬突撃に向かない地形でも馬術の達人からなる精鋭なら可能では?と食い下がってみる 一丁現在価格に換算して100万円としても30億円か
大大名しか装備できないな 武田の兵隊は、甲信越の農民だろう。だから関東では
やられっぱなしで、西に進むしかなかった。
源頼朝のように板東兵をたばねて、西上すれば
勝利間違いないことは源平合戦をみればうなずける 織田の家臣が本能寺の後で覚書を元にまとめた物だっけ
信長を美化しまくりで功績は大袈裟に盛ってる、仇を取った秀吉も英雄扱い
敵であった光秀、足利義昭、武田、朝倉、浅井、松永あたりは必要以上にサゲて書かれてるし
あんなもの信じる方がオカシイ >>441
日本の歴史の話題にチョンは絡んで来んなよ >>166
なんつーか
こういうレスばっかりで草
その小型の馬でモンゴルは世界帝国作ったんだぞ >>713
今は綺麗な田園だが一端5メートルくらい川原に下りてまた上がるだからなあ 大変だったろう 武田側の忍びの者は何してたんだか、逆桶狭間すれば良かったんだがな。それを許さなかった織田って
ことか。 >>715
目くらましどころか相手が見えなくなるんだから、
三段撃ちなんてやっても2段目以降は相手を視認出来ずにめくら撃ちになるんだから物凄い非効率なんだよ >>671
幕府は友好関係にあったフランスから軍事顧問団を招いて戦闘力強化に努めていたんだぜ
戊辰戦争までにはそれほど強化できなかったみたいだが
幕府側が不利になったので顧問団は本国から帰国命令が出たが
顧問団の一部は日本に残り幕府側で戦ってそれがトムクルーズのラストサムライのモデルになった >>733
俺が兵士ならそいつのそばには近づかない
失敗してこっちに跳んできたらやだから >>35
山間でも木曽馬なら余裕で行ける
小さいけどパワーと耐久力は抜群
>>651
合戦が無ければ
どういう武器が合戦で有効なのかと言う実践も出来なくなって
どんどん見た目重視になっていく >>730
意外に知られていないが日本も平安時代くらいまではクロスボー使ってたんだよ
鎌倉時代になって戦争はプロの武士だけでやるようになったから誰でも使えるクロスボーを使う必要がなくなったから衰退しただけ >>246
もうアホ過ぎて・・・
やはりニュー速はあかんのか >>147
武士の身長も150センチくらいだから大丈夫 >>748
そうじゃなくて律令制が崩壊して中央政府の国軍という物が無くなったから高価な弩の運用が出来なくなっただけ >>30
信長公記には「関東衆、馬上の巧者にて〜」云々と書いてありますが。 1000もありゃ十分よ
馬怯えさせるにはそれだけあれば問題ない >>740
意外な説編み出したい病だよな
まあ実際の戦場はわからんから
そうだと言われたら否定の証拠もないけど
いろいろ面白いのを考え出すよね 戦では弓は集団で上に向けて射るんだけど
落下する矢で殺傷する >>750
鎌倉時代はガタイがよかったてな話だし
描かれた絵では馬も大きいみたいだからどうなんだろうね。
その辺ずっと疑問だわ。 >>743
毎回無風なわけないし多少は移動しながら撃たないと危険でしょ まあ後の世で言ったら小隊支援火器と思えばさ >>671
儒学一派に弾圧されなければな・・・・・
あるいは田沼改革がうまくいっていれば
吉宗の洋書解禁は割とターニングポイント >>753
明治になって陸軍で騎兵科創設するときに
西洋の馬と比べて日本の馬は小さくて、適さないから
欧州産輸入して苦労したとかそういう話からじゃまいか?
よーわからんが。 >>757
例えば頼朝なんて馬から落ちて死んだし
落ちて死ぬくらいだからそれなりの高さはあるんだろう >>757
どう見てもサラブレッドくらいあるんだよなあ
誇張するのか?
どいつもこいつも? こんな大規模な野戦築城って
長篠以前から流行ってたの?
信長が最初なら凄いよね >>756
俺は与一しぇんしぇに教わったから
ちょっと違うよ >>743
かねもってどーの織田家だから出来た戦術かもな。
火縄銃のAK47運用。弾幕張ってめくら撃ち戦術はw >>689
長篠合戦に関しては跡部・長坂に引きづられたからと言うよりは勝頼主導で決戦に持ち込んだ可能性の方が高いと思うな
合戦前日の勝頼書状でも信長家康は必ずや滅ぼすと宣言してて勝頼の意気込みたるや鬼気迫るものがある
甲陽軍鑑だと跡部・長坂は必要以上に貶められて描かれてるし >>762
wikiの「落馬事故死した人物」で武将とか他にもいるから
それなりに大きな馬もいたんじゃないかって気はするわな。 >>764
まぁ信長は色々凄すぎて着いていけないレベルだけどね
安土で巨石を自身だと思って拝めあたりがピーク >>763
絵に残す程だから、奇跡の一枚願うんだろうよ、今も昔も。
王侯貴族や貴婦人肖像画も、天然痘で顔面クレーターだったろうが、
奇跡の一枚にはクレーター描かないのは、お約束w >>766
何だと チンカス
俺のチェーンガンでなぎ倒してやる 鉄砲なんてどの国も持ってるし、常備兵だってそうだし
運がとにかくよすぎた。桶狭間は出木杉、美濃は普通数十年かけたってとれてない
信玄公が西進を開始したところで寿命が尽きちゃうし。まあその運も本能寺で 弓はマジで怖いよ
弁慶がハリネズミみたいになって矢だらけで死んだけど
ボウガン殺人の矢みたいなのが体中に刺さるとかシャレにならない
落ち武者もよく頭に矢ささってるけど
幽霊になっても取れないくらいだからな >>337
和弓は大鎧を抜く事に特化してるんで、貫通性能に極振り
軽い矢を遠距離に連射するコンポジットとは真逆の進化やね 弓矢とか弾丸を受けたら化膿止めにウンコ水飲まされるのほうが怖い 江戸時代の前期までは、ヨーロッパより日本の方が軍事技術がはるかに進んでたんじゃね?
ヨーロッパの映画を見ても、鉄砲隊が出るのは、はるかに後だから。
やっぱ差が出たのは、大航海とか産業革命の後だろうね。 >>763
量産はできなくてもでかい馬はいるだろ
大将クラスだと見栄えが良い馬に乗るだろうし
量産ザクとシャアが乗るザクは見た目も性能も違うわけで >>756
それを防ぐのが陣笠。
笠の後ろから垂らしてある布も矢よけ。
両手で槍持ってるから、盾持てないのよ。 >>769
信長の一番凄いところは本拠地をどんどんと変えているところ。 >>777
日本が100年近く遅れてるぞ
戦国時代の欧州は既にテルシオのような方陣を組んで野砲を撃ち合う戦場 馬が小さいとか人が小さいとか
そんなの日本に限らずどこも同じだって
欧州の巨人だって百数十年前には平均170もないくらいだろ。うるさいんだよ >>374
旅順は世界初の本格的な要塞戦だからね
初めて故にその損害の大きさにインパクトがあっただけ
ただ。。。大東亜戦争の旧軍の人命軽視は擁護出来ん >>761
その時、国策で日本の馬はほとんど殺されてるのよ。
今現存する木曽馬は、その政策をのがれた数えるほどの数の農耕馬の末裔。 同時期のエリザベス女王だってそんなに鉄砲持ってなかったぞ 長篠城囲んでた味方が酒井忠次の部隊で壊滅させられて身体極まって戦になったんたろうな
信長側には構築された堀や土塁、馬房柵
そこに突っ込むしか残された道はない >>82
海外ソースで普通に三段撃ちあるで
朝鮮半島遠征では使ってた。
今日では槍が主流だったとされるが野太刀の技術が大陸にブラジルの柔術みたいに残ってたりする。 >>781
ナポレオン関係の映画があるけど、あの頃ですら騎馬中心だよ。
騎兵隊が中心になるのは、もっと後。
ヨーロッパが軍事的に強大になるのは、産業革命以降だろうね。 >>773
いつも頭の横から貫通ばっかで前から刺さった矢が抜けてない落ち武者って見たことないな 新兵器ってのは戦記だと過大評価されるけど
登場時は色んな不便な点があって俗説神話ほど活躍してないんだよ
長篠の鉄砲もその類
敵味方で兵器や運用に改良がくわえられて、戦場で普通に使われるようになった頃のが効果を発揮してる >>780
地球儀をポルトガル人の説明受けて信用したのは凄いわな。異次元のレベル。 >>789
ナポレオンは銃によって活躍の場が失われてた騎兵を天才的運用で再興させた戦術家だぞ >>43
でも日本では化学的な量産に成功したのよね
なんとウンコを使うという我が民族ならではの手法よ 弱兵である西国兵が、勝てたのは飛び道具鉄砲の
たまものだ。
同じことが明治維新でも起きている。 >>777
>>187でも書いたけど野戦陣地構築して鉄砲使って騎兵部隊を撃破するって戦闘は
西欧だと長篠の戦いの70年前にやってる >>794
ウンコを使うのは、韓国じゃないの?
有名だろ >>467
家康が時代を逆行させたからねえ
あのまま織田豊臣路線が続いていたら、あの時代に大東亜共栄圏が築かれてた可能性 そもそもポニーとか言って悦に浸ってる馬鹿多いけど原種はもっとデカいだろ。現代だと小型化しているだけ。
モンゴル馬くらいの大きさはあるし、現代馬よりタフ。戦争で使ってた犬ですら現代には原種の大きさは残ってない。 火縄銃じゃなくて38式歩兵銃なら100丁もあれば十分だったな。 ポニーとかバカにしてる奴は1度木曽馬とかをきちんと見てきた方が良い
ただ背が小さいってだけでずんぐりむっくりな分足太くて滅茶苦茶強そうだぞ
逆にサラブレッドなんてひ弱過ぎ不器用過ぎて話にならんよ 戦争映画観て一番怖いのは、
お互いマスケット銃撃ちあって
バタバタと倒れていきながら行進続けるやつ。
もっと怖いのがその部隊で太鼓叩いたりしてる軍楽隊。
もっとジタバタしたいよ。 >>790
落ち武者のフレーズは使うなよ
何かずるいぞ
ぶっw >>798
ナポレオン包囲の頃ですら、騎兵中心だよ。
映画とか見れば、よくわかる。 >>777
西欧ではないけど
コンスタンチノープルでは1453年に
巨大大砲をガンガン城壁に打って
破壊しながら進んでたよ >>804
後ろに督戦隊がいたからな
行進中に列を乱した奴は刺されるから 千挺が少ないとも思わんけど
相手が一万5千いても、一度にかかってくるのはずっと少ないし
鉄砲は何発も撃てるわけだしな >>565
この時代はまだ無理やね
伴天連に若い娘と交換で譲ってもらってた >>806
映画なんだから花形の騎兵が大きく扱われるのは当然だろ
ナポレオンの時代は歩兵全員銃持ってるのが当たり前だぞ インカを征服したピサロの軍隊を見ると
全身鉄の鎧でおおわれ、日本の甲冑が
ちゃちなことが良く分かる。
技術力の差をいやというほど感じる >>807
ウルバン砲はあんまり効果なかった
艦隊ごと山越えのインパクトの方がすごいけど
メフメト2世 >>752
当時の馬は木曽馬とかポニーみたいなヤツだろうな 戦国武将でかい人は結構いたみたいよ
斎藤義龍‥約197cm
豊臣秀頼‥約197cm
藤堂高虎‥190cm
後藤又兵 六尺(182cm)
前田利家‥六尺(182cm)
直江兼続‥182cm
浅井長政‥180cm余
織田信長‥170cm >>804
天と地との諏訪太鼓も不気味だったな
太鼓鳴らして狙い撃ちされるという >>233
先進国アメリカの独立戦争は横一列で
戦争してたぞ >>799
糞尿から火薬を作ったのは日本だよ
富山の五箇山のあたりの秘伝
現地に行けば解説があるよ >>773
彼岸島のイメージ強すぎるわ
ゲームだと弓チク好きだけどな >>806
>>793も書いてるがナポレオンはむしろ歩兵中心だった当時の軍隊で砲兵の支援下での決戦兵種として使っただけで
16世紀や17世紀はスペインのテルシオって歩兵密集陣形全盛期
それに対抗するオランダ大隊やスウェーデン中隊も歩兵中心だし 日露戦争の頃ですら、騎士道の伝統というか、休戦日があったんでしょ。
鉄砲隊みたいな総力戦の戦い方は、ヨーロッパでは近代以降じゃないの? >>798
現代野戦でも基本はアンブッシュの取り合いだから野戦構築したと言うより。
流動的に移動して有利な位置に簡易的な射撃陣地構築して迎えたってだけの様な気がするよ。持ち運べる簡易的な柵あったくらいでしょ。 >>804
アメリカ南北戦争あたりの時代だね
映画ニュートンナイトでそんなシーンがあった。
でも第一次世界大戦の序盤もその戦い方が残っていてドイツ軍の機関銃相手に横一列に並んで行進しながらゆっくり接近してきて驚いたと言う兵士の証言があった。 >>816
秀頼は猿の子供なのに大谷翔平よりデカいなんて信じられない。 硝石なしにウンコから火薬を作るなんて…日本すげーな
さすが東アジアはウンコが文化だぜ >>804
ジタバタすると味方から撃たれる
本当は隠れながら戦ったほうが強いがそれをすると逃げる 結局日本は海外の武器で買ってる、つまらない立たない >>813
鉄の鎧は重すぎてやばいよ
習字の文鎮くらいでもあんなに重いのに
体中ぶら下げたら50kgくらいありそう
軽くしたらペラッペラの空き缶みたいになってしまうし
そもそもそんなに恐いなら兵士なんてやらなきゃいいのに 信長があと少し生きていて毛利との決戦が見たかった。 >>800
家康は貿易推進論者だったよ
アカンのは家康の遺志を勝手に曲解して鎖国の方向にもっていった数十年後の部下たち
豊臣だってキリスト宣教師を処刑したりしていたし続いていたとしても徳川政権と大差ないよw >>1
"研究が進んだことによって"
都合のいいフレーズだな >>825
マーチングファイヤーは現代戦でも有効だから残ってるよ。 >>712
以後の鎧の進化を考えると、弓よりは威力あったと思われ >>813
ヨーロッパの重歩兵や重騎兵って遊牧騎馬民族の軽弓騎兵にフルボッコに
されてたな 当時、世界の基軸通貨は、銀だったからね。
日本は世界有数の銀生産国だった。
鉄砲を輸入する経済力も、量産する経済力も、すべてもっていたからね。 >>838
モンゴルも弓騎兵で隊列崩したところを重騎兵の突撃で勝負決める戦術だぞ
欧州側も最初に大敗こそした物の軽騎兵の積極運用初めてすぐ対応してる バランス考えろ
鉄砲たいだけで戦するわけじゃない
雨降ったら使えんし、連射もできんから
ケースバイケースで当然弓のが
いい時もある。
それに最後はやっぱ白兵戦だしな 駒「撃てー!!!」
ダダーン
武田騎馬軍「ギャー!!」
信長「であるか」 >>831
指揮する立場は装備を固めてるのは当たり前だろ。
前線部隊は普通に考えて動き易さを主流にした装備にしてるだろ。 アーマーの鎧でも結局のところ弓は貫通するから気休めだろ
ヨーロッパがモンゴルに支配されたからな >>803
トラやライオンって足が太いんだよね。それは牙よりも武器になってると思う。動画でそれらにオオカミが
やられてるの見たけど、オオカミは足が細すぎる。 言い伝えは基本おおげさだから実際には100も無いとか >>847
支配できずにロシア以外はすぐ取り返されてるぞ >>826
まあ秀吉の子供では無いって説も強いしな
そうなると秀頼は誰の子供か、その事を秀吉は知っていたのか
知っていたのなら何故秀次を排してまで秀頼を後継者にしようとしていたのか
と次々と疑問はわくわけだがw >>834
徳川政権の派閥抗争が貿易縮小を決めたんじゃね?
あの時期にあの判断やったのはまあ間違ってない。
スペインやポルトガルがヤバい動きやっていたし。
問題は150年後〜200年後になっても祖法と歴史を歪めて蘭学を弾圧した儒学一派の連中 >>838
ふざけんなよ
な、何かカッコイイだろ
この大剣で斬ってやる >>773
矢がハリネズミって見た目のインパクト凄いけど、大体鎧が止めちゃってるんだよね
致命傷を与えるには近距離肉薄で必殺の矢を撃ちこまないといけない >>788
そんなところにソースあったんか!
情報サンクス! >>855
ここに貼りたいけど探すの面倒くさい
朝鮮遠征の資料探していくとネットにも落ちてるよ。
日本側もかなり寝返って技術提供しているから面白い。 マスケット撃ち合う儀式は、ライフリングしてない銃までだよね >>792
当時の日本人で、地球が球体って理解していた人がどれくらいいたんだろうか?
家臣の手前、はったりかま(ry 秀吉が間違えたのは明を分捕ろうと朝鮮に侵攻したこと。
当時は東南アジアに日本人町がたくさんできてたのだから、東南アジアに
進むべきだった。そうなればスペインやオランダを駆逐してたはずだから、
東南アジアの人たちにとっても奴隷にならずにすんだし、幕末みたいに
あたふたする必要もおきなかった。 NHKばんぐみで検証やってたな
火縄銃の精度と殺傷力は想像以上だし
騎馬の機動力と突進力はガチやばい
戦場の屏風絵は絵空事じゃなくて事実だわーって感じだった >>813
浅はかやねえ
平和ボケの貴族制時代なら兎も角、始終戦闘に明け暮れてた武家政権下の甲冑が負けるわけないだろ >>857
いやいや充分ありがたい
今度色々読んでみる >>860
そもそも秀吉以外は大陸内部に侵攻する気が皆無で言う事聞かなかっただけ。
朝鮮半島南部は盛ってるかと思うけど60%の人が移動したか、奴隷にされたか分からんが消えた。
今でも韓国では先の大戦より秀吉の朝鮮遠征の方のイメージの方が圧倒的に強く、資料館も多い。 江戸時代みたいな中世に、金銀銅の三貨制を維持できたのは、アジアでは日本くらいでは?
アジアでは、かなり豊かな国だったのは、間違いないよ。
だからこそ、鉄砲の大量導入が可能だったのでは? >>838
動きが遅いし
バイクで走る飛び道具相手に
サラリーマンが重装備で突っ立ってるようなもんだからな
いくら体の表面2センチで物体を弾いてても
いつか何かの攻撃でやられる 知り合いで前世に平家の武士だった記憶がある人がいて、首を切られたと言ってたけど、
なんで首?と言ったら、甲冑だから首しか切られるところがないそうだ。 >>868
半島南部の資料は日本に通じる物も多くてお薦めやで。 >>826
肖像画推察なんだろうけれど、
小さい人ほど大きく立派に、そうでない方程、
美人に描いて貰いたいと言う願いは万国共通ではなかろうか?w 長篠の古戦場見に行ったけどかなり狭いよ 相当な近距離戦だったたと思う >>859
いやいや
信長の革新性は本物だろう
農耕ではなく商業経済に着目したところも、半農半武士が常識だったのに
戦専門の軍隊作ったり、軍団を組織して方面軍司令官として動かしたり
どっからそんな知識得たのか理解できない改革している >>859
知らないまでも
執拗に嘘だと食い下がったりは
しなかったんじゃない?
神様が作った平らの場所だ、とかそういう意味不明な思い込みはなかったから
それが現在で言う"科学"の概念で
理屈を話してることは理解出来たんでしょ
だから聞けば納得する >>872
欧州じゃニュートンみたいな歴史に残る科学者生まれて近世入ってる時代に中世やってる江戸が遅れてるんだが >>826
祖父の長政はでかいし
小さい時から良いもの食っているから
別に不思議ではない 秀頼は体重140キロらしいからまじででかかったんだろ
テレビゲームの影響で優男風の美青年かと思ってたが >>878
職業軍人が多かった、戦数をこなせるから
新しい戦略、戦術が生まれやすい環境だったんだろね。
結果主義で軍人だけでなく、各方面の専門家も育ち易い環境だったんでしょ。 >>824
というか、信長の準備した装備は攻城戦装備。
長篠城城兵たったの500が、武田兵1万5千に攻められて、家康の援軍要請から兵を準備して、
三河の奥地まで駆けつけるまで、持ちこたえるとは思ってなかった。
だから、長篠城奪還のための派兵。
長篠城は3方向を谷川に囲まれてるので、入城してくれれば、一方を押さえるだけで包囲できる。
で、落ちたばかりの城だから兵糧もない、つまり何ヵ月も籠城できない。
うまくすれば、武田軍を撤退する道なく、長篠の合戦を行うことができた。
籠城してくれなくても、武田は補給線が長すぎて、長くはとどまれないから、
本隊はいずれ撤退する。
撤退後の長篠城を取り返せば、武田に勝ったと宣伝できる。 古代のクロスボウは矢をセットするのに時間が掛かるから三段打ちをしていたと聞いた事がある 戦国歴史スレって最近結構伸びるよね。戦国時代好きだから、まあ良いんだけど 信長の三段撃ちみたいなことやった人は西洋にも同時代にいるから問題ない >>877
大河とかで騎馬隊の群れで駆け込んだりするがあんなの現場しってりゃ絶対有り得ないよw >>884
結果、攻城戦装備をうまく運用してボロが勝ちしたんやろね。
つか攻城戦装備ってなんや? >>888
マウリッツはもう少し後
信長と違って
ちゃんと組織化させてるけど >>878
商業への先進性は、商売人出身の岳父だった道三からじゃね?
後、じーさんの信定、親父の信秀もセンセだったろうな。
伊勢湾貿易の拠点だった津の利権で、分家の織田家がのし上がった。
後半の軍団制は伴天連情報からの気はする。
24時間戦えますって武家の次男坊、三男坊入れて、
専業戦闘集団作ったのは信長独自かもな。
まあ、金持ちのお家に生まれた信長だから、その富を簒奪するやつがゴロゴロいる時代。
殺らなきゃなw 1万対3万で
1万側が城攻めとか絶対武田滅亡する気マン >>865
そりゃ半端な完成度の銃は
当たればダムダム弾みたいなものだからな
残虐な兵器だと思うけど
騎乗射的が出来るのと出来ないのが大きな違いなんだよ
モンゴルや遊牧民が強いのは機動力と飛び道具の合作だから
シューティングゲームも一番最初に欲しいオプションはスピードだ >>889
普通に考えていきなり全軍ぶつからないからね。
部隊、分隊ごとの散発的な戦闘から切羽詰まって凸したのかもね。 そもそも武田が1万5千も兵を出せるわけがない
両軍とも人を盛りすぎ 当時の最重要兵器の大砲を国産化できなかった戦国日本が
軍事強国だとか馬鹿すぎる >>831
西洋のプレートアーマーは重量30sくらいで日本の当世具足と大差ないよ
プレートアーマーは鋼でできてたから、全身を覆っても薄く軽くできたんだ
日本の甲冑は鋼じゃなくて普通の鉄だったから強度を出すため厚く重くなった
動きやすさもプレートアーマーと日本の甲冑はそんなに差が無い
https://news.livedoor.com/article/detail/9374590/
https://www.youtube.com/watch?v=7RR6I-BLKbQ&feature=emb_title&ab_channel=KnyghtErrant >>886
長篠はなかなかの大型カードだしな。東日本を代表する新旧激突って感じw >>859
当時は中国の暦を使ってたけど、別に暦の計算とかはやっていたと思うので星の運航から球体であることは暦学者ならわかってたと思う >>878
楽市楽座は他の戦国大名もやってるし、関所の撤廃も後北条が関東でやってる
方面軍は毛利が両川が山陰山陽で分担する体制を信長より前にやってる
馬廻衆って別に革新的でもないぞ
室町幕府の将軍直属軍の奉公衆も似たようなもんだし >>885
足で踏んで引っ張って装着するんだよね
そりゃその間にモンゴルに負けるわ >>897
国産化というか運用的に難があったから広まらなかったんやない? センゴクだと、奉行ごとに鉄砲隊分けて配置して合図で一斉射撃した話になっていたな 武田勝頼が闇を背負いすぎてる
最初から病んでるからな
勝つわけないよ名前負けしてるわw >>901
他もやってて良いとこ取りして規模もデカかったって事でしょ。
要は結果出してましたよって。 >>906
ぶっちゃけ貫通出来ない威力の鉄砲とかは
マジで悲惨だからな
負傷箇所はいつも切断するしかない
面でダメージ受けるし >>897
そんなに凄い武器でもないだろ 当時の弾は破裂するわけでもないし
単に大きな弾を飛ばすだけ >>872
江戸時代のアジアってオスマン帝国、サファヴィー朝、ムガール帝国、清みたいな超大国がひしめいてる時代だぞ >>903
当時の日本人が製造に苦戦してた事は記録に残ってる
丸太をくり抜いて使い捨ての大砲まで作ってた >>596
ごめん俺は三段で君より説得力ないかもだけど、骨で射るというのは本当に凄く良く分かるけど筋力いらないは意味分からん。
骨をもとに筋力でより力強く射、出来るものだと思う。 >>909
違うよ
葡萄弾や鎖弾や散弾などいろんな弾があった
対人で殺傷能力が最もあったのは散弾だな
臼砲という破裂弾を撃つ大砲もあった >>904
一斉射撃っていっても運用考えると5人体制位の分隊の集まりかな?
2人1組で一丁のバディの2組で弾担ぐ役割&スポッターみたいな?それか3人1組の2丁使った速射に特化させているのか。 ダムダム弾ってのはわざと弾丸を崩れやすくしてあって
体内でぐちゃぐちゃに広がる武器
国際法で禁止されてる非人道兵器 山岳戦や山越えが多い日本で大砲なんて邪魔なだけじゃね? 攻城戦に最後まで投石器(トレビュシェット)が導入されることは無かった
多分そういうのがあるというのは知ってたはず >>909
NHKの番組ではオランダ製大砲で大阪城を落城させたと言ってたけど >>909
大きな弾が遠くまで飛ぶから方陣のような人で野戦築城する戦術が発達したのよ
日本はそこに到達する前に戦国終わって発達止まった >>880
日本は古代が始まるのも中世が始まるのも近世が始まるのもヨーロッパと比べて遅いからね >>911
現代でも中国の地方でも役人と農民の小競り合いで丸太くり抜いた簡易的な大砲ぶっ放したりするから現地で製作しやすいんやない?
持って行くのしんどすぎるから。 >>577
加えてお話しさせて頂けるなら、その正しい骨の位置を、バランスを維持しているのは紛いもなく筋力のバランス。
それで、その位置を維持しつつ、より筋力の高いものがより強く正射出来ると思うんだ。 >>916
家康とか使ってるし後に戊辰戦争でも使ってるがな
邪魔なだけなんてことはない >>911
材料が不足してたかもね
当時の大砲は青銅の鋳造製だけど、日本は錫がほとんど取れずに青銅が不足していた
錫を自給できるようになったのは江戸時代に薩摩で大鉱山が発見されてから
江戸幕府は古代から絶えていた銭(寛永通宝)の鋳造を始めたことでもわかる >>900
まじか?w
仮に信長が理解していたとしていたら、知多半島のヤンキーで、
浜辺に寝転がって太平洋を眺めていたら、陸に向かって来る船が帆先から見え、
出港した船が船体から水平線に沈んでいくことで、地球が球体って理解あったのかと思ったw
肉眼でそんなところまで見えるのか、謎だけれどもw >>918
威力は凄いけど維持管理と日本の土地柄持って行くまでが大変なんやろ。 >>910
日本の戦国時代はどこも似たようなことやってるよね
日本で恐れられたイスパニアは
地中海ではオスマンに滅多打ちだから >>923
そりゃ終盤で大阪城だけだろ?
結果がわかってる時の勝どきみたいなもんじゃん >諸隊から抜き出した鉄砲約千挺を
全部の鉄砲を抜くことはないな。1/3なのか1/5なのか。 >>826
淀君 168cm
>>848
そうやっぱ足ゴツイと強いよね、でそういう足のゴツさも影響してるのか
猫科の動物までは行かずとも、木曽馬は山岳地も平気でひょいひょい移動する
サラブレッドじゃ一瞬で足折って予後不良だろう >>24
製造拠点を領地にしたら、職人の給料と材料費だけで済む。
製造会社の大ボス 地動説を異端で取り締まっていながら
日本で信長に地球儀を見せてるキリシタンっておかしな連中だよな >>897
大砲は使い道が余り無いよ。
山と森ばかりの日本で、そんなに遠距離から攻撃する必要性を感じ無いし、移動も大変。
現代最重要兵器の戦車はベトナムやアフガニスタンでは大して活躍出来なかった。
地形が違えば自ずと武器の有効性も変わる。 >>934
よく勘違いされるけど球体説と地動説は全く違う理論だぞ
当時の神学的には地球が球体なのは別におかしくない >>890
本来救援するつもりなら、一刻も早く城兵に織田の旗を見せる必要がある。
だから、準備できた部隊から急行させて家康に合流させ、城の近くに侵出する必要がある。
にもかかわらず、信長は兵に丸太と縄を持たせて、のんびり行軍した。
長篠の合戦で大々的に作った馬防柵の材料だ。
長篠の合戦を知って、それを準備させたと思うと信長ってすごい先を見通して
準備したって思えるけど、城を攻めるために、付城を作るための材料だと思えば納得が行く。 >>922
引いた時に骨で固定して撃つって意味も兼ねて表現しているんだろ。
普通に銃の射撃にも通じる理論。 >>919
それちょっと違う
方陣組んだのは騎兵に対抗するため
大砲に密集陣形は逆効果だよ、当たったら全滅するからw
砲撃には散開するのが基本
大砲は基本的には城攻めのためだったけど、スペインがテルシオって歩兵陣形を発明して
これを攻略する手段としてオランダのマウリッツやスウェーデンのグスタフ・アドルフが小型化した野戦砲を開発して使いだした
まあ野戦で火砲を使った事例はそれ以前にもあるけど >>928
勝どきのためというか脅しのためね
大阪城に大砲が当たって死人がでて城内が動揺したって話が残ってるし少なくても邪魔なだけなんてことはない
それに地形が変わってるわけでもない戊辰戦争では多少小型とはいえ大砲使いまくってる 地球が丸いは割と常識だった。唐の初めのは実際に測量して大きさを測った。その時の情報で暦を作ったが多くの日本人が理解するのに40年くらかかった。吉備真備は直ぐに分かったらしい。 >>878
規模の違いこそあれそれぞれ先駆者がいるからそれに倣っただけで信長が創始者ではない
有名な楽市令にしたって六角定頼や今川氏真は信長より随分前に行ってるし方面軍は毛利や武田にもあった >>936
李舜臣の亀甲船は大砲を10門以上備えてたらしい
日本側も大砲を多数保有してたら負けなかったはず >>938
どちらに転んでも使えるセットアップしてたんやろね。
丸太といっても運用しやすい細い骨組みだろうね。どっちにしろ構築に時間掛けて無いからそこら辺の練度は高かったんだろね。 >>826
二条城での秀頼家康面会で家康が秀頼の体格の良さに恐れたから殺す気になったわけだから秀頼巨人説は結構当たっていると思う 武田軍の主力武将が何人も戦死してるんだから無意味だったということはあるまい そりゃ技術のあるものは経験積んだオッサンが強いでしょ
ただの徒競走だって技術だけならオッサンの方が上
同じ筋力なら絶対オッサンが勝つ
ただ今の社会はオッサンになるまで続けないことと
魅せるスポーツでオッサンの活躍なんて誰も興味ないから
商業的に競技が成立しない >>939
勿論それは経験者として承知しています。
私が言いたいのはその技術を前提にした場合、より筋力の強いものがより力強く射、出来ると言うことです。 >>947
それかボンボン臭が半端なくていけると確信したか。 >>943
楽市は結構色々な場所で先駆者がいる
楽座の規模こそ信長の功績 >>940
チェリニョーラの戦いの時からテルシオは砲兵との運用がセットだぞ
相手を一方的に攻撃できる砲を配置して、それを守る為に方陣を組むんだよ 何故アホなのだ?宣明暦は地球を球であるとして計算する >>937
カトリックでは球体説も異端扱いされてたけど >>951
戦士として見た時に技術、筋力、スタミナがあるのは大前提だけどね。
武道にパワー求めて無い時点で偽物やからな。 >>925
船乗って水平線眺めると地球が丸いって実感出来るよ
てか星もじっと見てると動いているのが良く分かるw
星というか地球の自転だが
地動説なんて陸の人間の世迷言
当時の日本人はどういう世界観持ってたのかねえ >>943
良いとこどりの名手みたいなもんかもな、信長は。
ビルゲイツさんみたいなw 唐の一行は地球を実測した。計算の為にタンジェント表も作り割と正解な大きを割り出した。書籍が残っている。 >>958
だからダブルバインドしてたわけだろ
教会がさ
今日もネオリベが仕掛けてる対外調略の原点だな >>959
パワーなんかいらないでしょ
正確なコントロールがあれば他になにもいらない
素人が力まかせなのはなんでも同じ >>957
されてないぞ
古代ギリシャ以降教会含めヨーロッパの主流はずっと球体説
地動説じゃなくて球体説自体で異端審問された人いる? >>949
海外の資料でも壮年の侍は手を付けられないから気をつけろってあるからな ここで工作してる連中も
かつてのイエズス会みたいに騙そう部隊なんだろ
陰謀論を拡げながら陰謀論に騙されるな
こういうダブルバインドが工作あんだな 近世以前の武力で一番重要だったのは機動力だから
次に正確な射術
これだけでモンゴルは常勝だった >>960
ああそうか。乗船してみりゃ解るか。
伊勢湾の船乗りとも縁があったろうから、
そんな話を信長も聞いていたのかもな。 いくさを皆殺しまでやり合う殺し合いと勘違いしてないか?(実際にそうなることもあるが)
15000の兵がいて、鉄砲1000人に出花くじかれて仮に1000人ポンと死んだら
戦況的にも士気的にも総崩れだよ
効果的に鉄砲が刺さったんだろう >>965
そりゃ的に当てるだけならそうだろ笑
戦争で使うなら大前提体力ないと使い物にならん。
オタクの理論と同じやでそれ。 すみません
>>964
は
>>959
あてです。 >>876
秀頼に関して巨漢だったことは肖像画からではなく大坂の陣で後藤又兵衛に従軍してた長澤九郎兵衛が後年記した長澤聞書にその記述がある
197cmってのは明良洪範っていう江戸中期に成立した創作出典だよ
豊臣秀頼公は大坂冬の陣の折には御歳23であった。世の中に無い程お太りであった。
木村長門守重成も同年である。
大野修理大夫治長はその頃、47,8位に見えた。
後藤又兵衛は60余りに見えた。男ぶりは百人頭という風情の人であった。
真田左衛門佐信繁は44,5位に見えた。額に2,3寸程の傷跡があり、小兵なる人であった。
秀頼の御子8歳と長宗我部盛親の二人は戦後生け捕られ、京にて御成敗された。 徳川の戦力を武田との戦いで消耗させるのも狙いだったんだろうな。 狩りをするときに動物と力比べをするやつはいないわけよ
喧嘩をするわけでも戦争をするわけでもなくて
食料を得るだけなんだから
相手と能力を比較し合う必要なんかない
これを戦争に応用したのが遊牧民
残酷とか狡猾とか言われるけど
人間を狩猟の獲物にしただけだから >>976
だから100目筒くらいまでのが流行ってた >>974
へぇ、秀頼は巨デブだったのか。肖像画からは想像できないな。 >>974
成人病で秀頼政権は短命で終わったかもな >>964
曙なら俺でも勝てるってテレビの前で言ってる理論だから気にしない方が良いよ >>974
そりゃトップがデブのボンボンなら潰せる気になるわな >成人病で秀頼政権は短命で終わったかもな
大阪成人病センター森ノ宮大阪城の近くは囲まれてるがまだ大阪の日本人一向一揆衆と大阪門徒延暦寺の僧兵も103年ぶりに仏説阿弥陀経を唱えながらロシアソビエトッか梅井103周年おめでとうで突進するからな >>974
江戸時代はまだ人体を数学的にそんなに認識してなかったから
197cm相当とか言われてもそれがどの程度のレアなのかわからない
みんな漠然としてたから
いまみたいに子供の頃から隣近所と比較しあって
全国平均まで全部知ってたら
『そりゃそんな身長なんてウソだろ』とすぐ言える
でも当時はわからなかったから噂もデフォルメされたんでしょ 単純にあれっていつまでも使えるもんじゃなくて
一定回数撃ったら危険で使い古したりで
使用可能なにはそれくらいしか用意出来なかった
弾薬用意出来なかったってのもあるけどね 落書事件の頃から鶴松は実子じゃねえだろって疑われてたからな そんな身長の奴がゴロゴロいたら布団も間取りも全部変えなきゃならんでしょ
戸のサイズが日常に合わせてあるのに
戦国時代の家は197cmが通れるように出来てたのかよ
まず無いでしょ >>986
中古の火縄銃が今だに撃てるんだから丈夫やろ。 >>974
脚気でお亡くなりになりそう
徳川将軍家でも数人が脚気で死亡しているし >>980
23歳で、8歳の子供がいた秀頼だから、
30まで生きれば大丈夫だったろうw
てか13歳くらいで仕込んだのか?秀頼は。数え年、妊娠期間入れてw 鎧のでかさで身長は嘘か本当かわかるんじゃね
加藤清正に関してはでかかったというのは大阪城で実物見たとき小さかったから子供時代の鎧じゃないなら嘘だろうなと思った 江戸時代にかなり歴史は脚色されている
北条早雲は足利将軍家の御側衆で今川家の重臣
明智光秀は美濃の豪族
宮本武蔵は黒田官兵衛の家臣の息子
正体不明の素浪人どころかみんな名門上流階級
特に宮本武蔵は大名家で働いている
養子が小倉小笠原家筆頭家老
もう一人は姫路本多家の藩主の息子の側近
大阪の陣は水野家藩主の息子の側近として出陣
明石藩の町の再開発担当奉行も務める >>986
火縄銃は2時間も打ち続けたら過熱して水にでもつけないと使用不能になる >>45
蒙古襲来絵詞で騎乗戦闘してるけどな
あと 馬身と太刀・弓矢の長さから
ポニーはないわw ほとんどがデカイつってんだから
無理くりに小さくすることもねえだろw >>976
朝鮮半島は山ばかりなのに朝鮮軍と明軍が大砲を巧みに運用して日本軍を苦しめたね >>994
戦国時代はそもそもその上の階級が
正体不明なんだよ 硝石の国内生産がまだ確立できてない時代で
海外経由(イエズス会経由)でしか実質火薬を入手できないとなると。
鉄砲本体がいくらあっても火薬のコストがかかりすぎて制限した。
ってなことも十分ありそう
ちなみに江戸時代に花火が推奨されたのも、硝石の安定的な国内生産が確立できて
あまる状態なったからだしな。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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