【毎日新聞】犬山城天守の木材は1580年代後半に伐採と判明 これで日本最古の天守と言い切れる? [みの★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
愛知県犬山市は29日、国宝犬山城天守(4階建て)で使用されている木材の年輪を調べた結果、1590年ごろまでに天守が建設されたことが明らかになったと発表した。現存天守で犬山城が最古かどうかは諸説あったが、市は「今回の調査で最古と明らかになった」と説明した。ただ「木材の伐採年代の特定だけで最古と言い切るのは勇み足」と指摘する専門家もいる。
建設時期は従来、1537年と1601年の2説が有力で、犬山城のホームページでは1537年を採用し「日本最古」とうたってきた。
名古屋工業大の麓(ふもと)和善教授(建築史)や奈良文化財研究所の光谷拓実客員研究員(年輪年代学)らが2019年9月〜20年末、天守の木材39点の年輪を調べ、年輪幅などから伐採年代を特定。樹皮まで残っている1階の柱は1585年、4階の床のはりは88年の伐採と判定した。ほかの木材も85〜88年の伐採と推定された。
また「1、2階建設後に3、4階を増築」が定説だったが、今回の調査で1階と4階の木材の伐採時期が近かったことから、麓教授は「1〜4階は同時期の建設と考えざるを得ない」と説明した。
…続きはソースで。
https://mainichi.jp/articles/20210329/k00/00m/040/248000c
2021年3月29日 18時52分 古い木造建築って木を入れ替えて維持してくの多いだろ そもそもボンバーマンが天守発明する前だろ1537って
しかも1537年の城主は織田本家でもなく分家の織田家
作る財力も技術もあるわけがない 使われてる木材が建立年より新しいから何だっていうんだよ。
建ててから一度も改修しない建物があるのかよ? おもしろい
現存する木造の城として、1537では早すぎる印象だし、1601では遅すぎる感じだが
「1580年代後半伐採の木材が使われている」なら、すごくしっくりくる 現存天守閣で最古ってことでしょ
なに揚げ足取りしてんの 愛知って元祖とか本家とか好きだよなぁ
チョンみたい 1580年代後半に伐採
伐採したら乾燥のため20-30年寝かせるだろう。
伐採してすぐには建設しない。
1601年の説が有力だな。
5ch建築博士 その年代の判定法は確かな方法なんか?
数十年の誤差もないんか? 昔から大きな材木ほど貴重だった
なので古材の使い回しもあるし改修もあるだろう
まぁどうでもいい話だけどw >>14
それが主張できるかどうかが焦点なのよ。
松本城が1593年建造だと言われてるから。 >>20
犬山城のような比較的新しい建材の場合は年輪を見て一年単位で正確に分かる 仮に1601年だとすると、他に現存最古の候補はどこの城なん? >>25
長野の松本城が1593年築城
実は今回の犬山城の木材が1988年「伐採」と分かったことで
むしろ松本城が日本最古であることご確定したと言える さすが考古学のインチキを見抜いた毎日新聞だわ(´・ω・`) >>18
乾燥させないと割れが建築後に曲げ歪が出るからな
特に城郭建築用の大木だと厳選してる筈
当時の大工もそのくらいは知ってる筈だし >>24
まじかー
>>27
30年前かよって一応突っ込んどく エジプトだと4800年前とか5200年前の論争で
アメリカだと250年前か265年前かの論争ってことかえ >>1
勇み足だって言ってるのはどんな奴?
何百年前なら納得するの?
文句言いたいだけだろ
くだらない
川´・ω・) 信長が死んでからか
犬山城天守は階段めっちゃ急で
お年寄りにはなかなかきついが
木曽川と鵜沼の街の眺めは非常にに良いな 犬山城は四時間待ちと言われて諦めたから知らないけど
松本城はどう見ても、一般人が入って触っちゃいけないレベルでしょ
階段が急勾配すぎて渋滞すごいし 名古屋城は障害者団体と黒幕が、コンクリートでエレベーター付けろって言うし。そんな城いらんわ! >>38
伐採してから何年も乾燥させて使うし、松本城と最古のポジション奪い合う形になるから仕方ない 1537年に採伐したからと言って、それですぐに作ったとは限らない。
その木材を、100年乾燥させてから作ったら、1637年に作った天守閣となる >>41 階段、新しくしちゃったんだよな。残念。あの梯子みたいなのが売りだったのに。 1537年なんかにあんな天守の城があるわけないことくらい
誰でも分かるだろ さんざんあった山城って、なんで一つもまともに遺ってないんだよ?
堀とかは残ってるけれども、なんで柵とか建築物は朽ち果ててもいいから遺って無いんだろうな? >>34
そもそも寺の古さって「その時代からその土地にその名前の寺があって続いてる」ってだけの話で
建物は何回も立て直されたり分解修復されてるのなんて周知の事実なんじゃないの
今も比叡山延暦寺の根本中堂修復してるけど
木造建築なんてそんなもんよ 城作るのに何十年も木材を乾燥させることはしない。五重塔とかは別だが 中国の模倣ではない日本独自の建築様式が頂点に達した
安土桃山時代の創建天守なら、かけがえのない価値がある >>43
オレが出したアイデアは障害者が労せずして天守に上がれるように
城がすっぽり入る穴の中に築城して天守と地上が平面になるようにするだった >>1
> 樹皮まで残っている1階の柱は1585年、4階の床のはりは88年の伐採と判定した。ほかの木材も85〜88年の伐採と推定された。
そのころに伐採した樹木を使ってるなら、少なくとも今まで主張してきた1537年築城説は否定されてしまったというわけだな。
そして、もしかすると先に伐採だけしておいて、実際の築城は1601年に行われたという可能性も否定はできん、とw >>49
そら徳川幕府の出した一国一城令のせいでしょ
城の個数が藩ごとに一つずつに限定されて、それ以外の城は徹底的に打ちこわし。ちゃんと壊さないと謀反の疑いありとされる
当時は経済の中心地に城を構える時代になってたから山城は遺構残して全部打ち壊された 法隆寺なんか何回も焼失して最近じゃないの?田舎の古い寺社仏閣の方が当時のまま残ってそう 名古屋大空襲でも生き残ったのかよ生意気な
名古屋城みたいに炎上して焼失すればよかったのになww 毎日新聞が疑問をもつって事は
特定の人に何か不都合な事があるんじゃないか? >>6
それよ。
建て替え未満の補修改修はいつの世もやってたから、
これだけで決めつけるのは勇み足やな。
実際、文献も残ってるみたいやしな。 >>49
なんで柵とか建築物は朽ち果ててもいいから遺って無いんだろうな?
何が残っているといいの? >>27
じゃ中部地方が最高って事でえーがや
どーでもえーニュースだがー 階段が急勾配すぎす
お年寄りや足の悪い人には無理でしょアレ これは俺も思ったよ
伐採した年が1580年代としてそれで果たして松本より古いといえるのかとね
それに1537年は完全に否定されたわけで1601年の方がまだ正しいわけで
伐採されてると年代も数年差があるし、すぐ使ったという根拠もないし
俺は松本より古いかはかなり怪しいと思う >>41
やや傾斜してんだよな(´・ω・`)
川の水が全量無い時行ったけど、これはこそ泥一匹川渡れないと思うくらい見晴らしよかったね 1500年代からずっとある天守なんてロマンを感じるな
知らずに行ってショボいと思ったのはいい思い出だ >>56
山城でも高取城や岩村城、備中松山城なんかは残ったろ
明治の廃城令がなければ高取城は国宝っだったかもな 唯一個人が所有してたんだっけか?最近手放したとか何とか・・・
何気に犬山市にはマンコの神社があるとかなんとか・・・ >>58
何回も消失っていつの事だよ?
1400年くらい前と戦後電気毛布がショートして金堂1Fが燃えたのと、他は? >>49
幕府「この建物は城ですか?」
正宗「いいえ、お寺です。」 木材は伐採してすぐには使わないだろう
最古の説は疑わしいな >>50
五重塔の心柱の伐採年代だけが100年くらい古いw 逆に言うと、伐採する前に天守を作ったとすると、もっと古い時代のものだといえる。 ライバルの丸岡城も、木材調査で1620年代築と判明してしまったからな
松本城が最古有力か >>90
もったいない話だよな
残ってれば最古になる可能性もあったのに >>44>>79
マジ?ちなみに白帝文庫(実質成瀬氏)が、
更に別の所に売った(譲った)って事? そんなに古いとは思えない
犬山城主成瀬氏が大名になったのは明治になってから それが芯柱みたいな中枢部分だったら建築年代について議論にもなるが
あの付近じゃ1586年に帰雲城消滅で有名な天正大地震が起こっているから、それで修復、あるいは建て直しがあっても不思議じゃない >>53
エレべーターなど作らずとも、障害者を担いで階段登る人員配置すればいいのにと思うんだが、そんな簡単じゃないのかね。 >>99
犬山城天守は織田信長の叔父が建てたと言われている
成瀬氏が来るのはずっと後 調査した麓教授と言うのがちょっと怪しい
乾燥させずに使ったのか?と言う当然の質問に対してこう答えている
https://www.chunichi.co.jp/article/227057?rct=aichi
麓教授は「今なら木を乾かして使うが、犬山城が建ったのは城主が次々と変わる時代。
城郭建築に限っては、伐採直後の木を使ったと考えてよい」と解説した。
ところがこの重要な見解にプレスリリースでは一切触れていない
https://inuyama-castle.jp/wp/wp-content/uploads/2021/03/9bc17a67b87eef0e8d5f8da630516eca.pdf
教授自身も名古屋大学の人みたいなので
地元に媚びるあまり学術的な事実を捻じ曲げて発表したのでは? ガキの頃祖父ロスケ捕虜の先生に教わった
ロシアの大工 チョット切って切り過ぎ 他所過不足 此の箇所切り過ぎ.....捕虜皆あきれたてたらしい >>101 そう言ったけど、障害者団体が拒否したんだよ。結局、目的は木造で作らせない事だから。 >>31
世界的に見ても日本は古代から木をよく知ってて使ってきたからな
竹と土で壁作ってたのも地震で壊れてもすぐ直せるという長年の知恵 犬山城の最上階で
ブランデー飲んでる城主思い出した。 >>103 うん、そうね。
スレ主はオレであるわけだが、
元々は朝日新聞の記事でスレ立て依頼があったのだけど、
朝日は「最古」だというその教授の見解を、そのまま記事に書いてて、
特に疑いをはさむ感じではなかった。
『「犬山城は最古の天守」 年輪調査で天正年間築城と発表』
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b943ae3a1948c3e267cf206174836ebb48bb168
そこで、慎重意見も併記してる毎日新聞の記事の方で、スレ立てしたのよ。 明治政府のやった廃仏や廃城をゴミカスとけなすけど
平成や令和の世でも平気で明治や大正の貴重な建築物をぶち壊してるからな。
御子孫様に平成や令和の政府はゴミカスと罵られるのは間違いない。 >>6
てか東大寺の大仏入ってる建物とか
奈良時代に作り初めて、完成したの江戸時代。
修学旅行で知ってびっくり。 そういえば名古屋城を木造で立て直すとか
ミャーミャー言う市長が言ってたのは結局どうなったんだっけ >>1
城自体は1537年からだろうが
天守は信長以後の流行りだし1601年なんだろ 正直、国費で首里城なんかを空想で再建するよりは
国費で名古屋城を徹底的に忠実に再建したほうがええ。 >>108
なるほどすごいな
そこまで考えてるのか >>110
源平合戦と松永さんが焼いたから再建したんだろ
たいした修学旅行だな ?
最古をいつ誰が誇ったんだガイジ
お前の独りよがりじゃんw >>49
徳川幕府の一国一城令
また幕末まで残ってた城も明治政府が維持管理大変だから要所にならん城は取り壊した >>34
法隆寺も四天王寺も古代からその場所にはあったけど
建物はて直されているから 維持管理大変だからじゃなくて、不平士族の拠点になるから壊したが正解 そもそも木材の年輪鑑定ってのは
確実に伐採時期がわかる代物
疑いを挟む余地はない >>115
でも、>>103で紹介してくれた中日新聞の記事までは読んでなかったわ。
より詳細そうないい記事なんだけど、
あそこは紙で中日新聞を取ってないと、全文読めないんだよね…(^^; >>121
木材の年代は分かってもいつ建てたかは分かるまい >>119
心御柱の年代が創建年代ってこと?
通説がくつがえってしまうなw >建設時期は従来、1537年と
あの時代にあんな天守があったのかね? >>112 犬山は木曽川のこっちだから愛知。木曽川の向こうが岐阜。県境です。 >>123
未来の木材を使うことはできない
オリジナルの建物ならそれ相応の時代の年輪が出てくる
大きくかけ離れるなら増築されたか再建されたものと見たほうがよい >>16
チョンにはないよなこんな古い城、というか城自体ないか シンプルな望楼型で一見古風な感じだけど、
上物を石垣縁ギリギリまで張り出すのは天守建造大分こなれて来てからの様式だからな >>116
奈良時代に建てようとした時
大きな木材が手に入らず
木が大きく育つまで待ってたら
江戸時代になったと聞いた。 起源説みたいなもんか
あの国じゃあるまいしそんな事どうでもええやろ 犬山城って西への抑えで重要だから耐久年数とか考えずに急ぎで組んだともいえんじゃないの? 松本とどっちが古いかか
地味で真面目くさったたたずまいが好きなので松本城に頑張ってほしいな >>22
丸岡城は?と思ったら寛永年間の建造って判明したのか。 紆余曲折を経て現存天守というだけでも有り難いじゃないか
いちいち優劣を付けたがる奴は何なんだ 何年に伐採したかなんて分かるのか
マリモの成長速度も1年に1ミリとかいって嘘だったし信じられん >>139
黒い天守は古い(犬山、松本など)
白い天守は新しい(姫路、名古屋など)
というのが一般認識 年輪で樹齢がわかるのはいいがなんで伐採年が分かるんだ? 1585年 バース掛布岡田3連発の400年前のことだな >>150
年輪の幅はその年の気候変動に影響を受けるので、飢饉が発生した年などから数えて伐採した年がわかるんじゃね? 日本の城の大半は江戸時代の一国一城令で破壊された
明治時代の廃城令は少し >>103
乾燥してない生木って刃が入らないし加工に適さない削れば水が噴き出す
室町の頃はチョウナや槍鉋みたいな原始的な大工道具しか無い
建てた後に水気が抜けて材が歪み建付けが悪い建物が出来上がる
一夜城のように急ピッチで完成させる理由が無い限り絶対使わない
例えばあの立派な天守付きを一気建てできる環境って1537年より
秀吉が林業整備した頃から徳川時代だと思う
築城当初の継ぎ手やワレ風化の状態を見れば暴れ材を使って加工したのか分ると思うんだよね
この報道試料にその辺の調査したのか書いてないし写真見ただけじゃ分らんな >>149
黒壁の城は豊臣氏ゆかりの大名が建てた城が多い(岡山城、広鳥城、松本城、熊本城等々)。
それにとって替わった徳川時代は白壁の城(名古屋城、姫路城、彦根城等々)。
というのが一般認識。
当然例外もある。
あと名古屋城は戦災で焼失前は国宝指定されてた。
現存のは戦後にコンクリで再建したもの。現在、木造による再建事業が進行中。 空爆から逃れただけでもラッキーだろ 太平洋戦争なければどれだけの文化財残ってたか よくそんな建物を最近まで個人所有で維持管理してたな
タクシーの運ちゃんがボロボロだったって言ってたけど >>159 豊臣=黒壁、徳川=白壁って話は、初めて聞いたわ。
ただ、壁の色が派閥を表すという考え方に、
否定的な意見も多いみたいね。
『「豊臣の城=黒」にあらず? 黒い天守と白い天守(1)』
https://www.asahi.com/and_travel/20180507/12827/
『【鑑賞】天守には「黒」と「白」がある!?』
https://shirobito.jp/article/661 1580年以降の伐採が明らかになって
これで日本最古と明らかになったっていまいち話が通らなくてイミフなんだが 伊勢神宮の式年遷宮に使う木材は水の中に沈めて油を抜きその後乾燥させるもんな
伐採してすぐに使うとは限らない 犬山城は元々天守と呼べるほどのもんじゃ無かったんでしょ?
最初は高層でもなけりゃ廻り縁もない地味な建物だったくさいけど。 >>161
原爆投下で粉砕された広島城が残っていれば最古だったかもね >>169
秀吉が名護屋城に行くときにはもうあったんだっけ >>49
明治のあたりの古写真見ればわかるよ
少し前まで藩が管理していた城でもかなりボロボロ
もっと昔に放棄か破城された山城なんて僅かな埋蔵遺構と石垣くらいしか残らない
それでも山の中にひっそりと眠る城の跡はロマンを掻き立てられるんだが >>4
成瀬さん家で財団法人設立してそこの所有物になった 犬山城は社員旅行で行った
長良川鵜飼が渇水の為できなくなったと言ってたから
阪神淡路大震災の前の年1994年か >>99
尾張藩付家老で陪臣扱いだったのが、維新の功で大名格になったから この掛け軸はね、芭蕉の直筆なんですよ。
軸は5回、張物は3回取り換えてますがね。 >>166
限らないどころか、寝かせるのが普通だし、加工始めても歪み抜きするためにまた寝かす 犬山城はまだ広い方だけど
丸亀城とか超狭い、最上階は広さ二畳ぐらいで薄暗い
ここで寝起きしてた殿様が可哀想に思えてきた >>179
天守閣で寝るのは信長くらいなもんよ
寝食にも政務にも不便だからな
だから安定期だと平城が多くなってくる >>181
戦後再建された復興天守は全てそうだね。というか建築基準法の制約で木造での再建ができなかった。
木造で再建できるようになったのは平成に入ってから。
現在では文化庁の指導で、基本的に史跡である城跡に実在が確かでないコンクリ製の城は建てられない。 >>62
もし焼け死ぬならジャングルジムよりもこっちが良いな >>179
寝起きはしてない
天守閣の原型は単なる物見櫓
寝起きするのは二ノ丸御殿とかの屋敷 >>182名古屋城は文化庁から許可が下りなくて解体も出来ない状態になってる >>49
母方の実家の近くに山城跡があって登っていく道が残ってたな
城跡と思しき痕跡は基礎工事?みたいな穴ぼこが開いてたと思う
三英傑との絡みも多くて大河とかにも大概出てくるあいつが
かつて登ったかも知れない道を登ってると思うとちょっと胸厚だったぞw 因みに1537年は秀吉が生まれた年
本格的な天守閣は信長の安土城が最初と言われているから犬山城が最古かは疑問 姫路城が取り壊されなかったのは明治初期に解体を頼んだ役人がその金を横領して、
身内で派手な宴会をして使ってしまったと聞いた。当然その役人はクビ。 ほぼ同じ時期なのは間違いないのね
元祖と本家の争いみたいなもんか この城は近くに行くより、遠くの川沿いから見たほうがカッコええ 犬山城は中に入ると結構スリルがあって良い。
床の狭い隙間から下の階が見えたり
最上層の回廊の手すりが結構低くて回廊自体が微妙に外側に傾斜したり。 大昔みた記憶があるが、店主っていうほどのものだっけ?
展望台みたいで人が住めるような広さではなかったぞ
籠城専門の狭い城なイメージ 1580年代ならかなり古い部類だとは思うが。
ただ爆弾正の信貴山の天守閣が80年代より古いもんなぁ。 >>1
ここはマジで怖かったわ
板と板の間、隙間あるし最上階から真下が見えて怖いこと怖いこと
おまけに階段は急で上り下りしにくいし
俺体重あるから絶対に飛ばないようにこけないように
ゆっくりゆっくり上り下りしたわ
今思い出しても緊張で汗かくw 濃尾地震とかにも耐えてるのは凄いな
もちろん部分補修は繰り返してるんだろうが 成瀬さん所有だった頃は、今みたいに賑わってなくて、ひっそりとした感じが良かったな そもそも、天主or天守とよべるのは安土城だけ、他はただの望楼よ、(´-ω-`) 教授も築城工事なめてんじゃね?
石垣をどこからどれくらい持ってくるとか、木材がどれくらい必要でいつ準備するとか、そういう工程管理を含めての築城だろう。昔の建築と言えば木造しかないのに、乾燥させる過程を省くとかあり得ない。学者先生の…と思われる、は疑った方がいい。 >>42
両親を城見せに連れてってたけど、もうすぐ80だから、天守閣登りは無理になりつつある。
元々観光用じゃなく、軍事施設だしねえ・・・ 昔の建物は長生きするな
マンションは100年も持たないけど
技術が劣化しているな よく日本の城を軍事施設と言う人が多いが、戦争して燃えずに残った天守閣はないからな。ありゃ大きな旗みたいなもんだ。豊臣時代の大坂城が唯一日本国内で最大の戦争に長期で耐えた実績があるだけで、その他のものはどれもそのミニチュアか単なる目印だ。
燃やすためのものみたいなものだ。西南戦争の熊本城も会津戦争の会津若松城も実際の軍事施設としての機能はほとんどない。鉄砲中心で大砲もあれば全面石造じゃないと何の意味もない。 実際火矢ってのが平安時代からあって、日本の戦闘で建物はみんな焼かれてきた。大砲の炸裂弾はまだ無かったが、元軍はテツホウを持って遠投してたので、こう言うのを投石器で遠投すれば天守閣は一発であった。だから威嚇したり遠望する遠見櫓の意味はあっても、軍事施設とはいえない。実際天守に籠る時は降伏するか自決する時で、そういう信仰や象徴的意味しかなかった。豊臣の大坂城がそういう機能を全て表してる。徳川時代は単にその教訓で作られ、豊臣から徳川の移行期は戦争にあわなかった城が残っている。 日本の城は、鉄砲に対する備えはあるけど、大砲に対する防御はあまり考慮されてない
大砲に備えようとすると、五稜郭のように低い城になる 建造物で最古なんて残されても傷んでいそうで入るのが怖いわ つか、伐採したら即使うってことはないんじゃ?
三年か五年か十年かしらんけど、乾燥させてから挽くんでしょ? 「1537年説を勝手に採用し」->伐採時期が1588年->「ウリナラ起源が証明されたニダ!」
さすが名古屋。チョンロジックそのままだな。 最古とか意味あんの?
天守閣なんて安土桃山で似たような年代だろw >>223
いやだからそのへんがとてつもなく大事なわけで
戦国の真っ只中か、安土桃山の秀吉の全盛期か、関ヶ原後か
が定まっていないのは大問題 >>111
名古屋城の木造再建はかなり進んでいて
既に本丸御殿の木造再建は第3期分まで全てが完成している
あとは天守閣の木造再建だけだよ
豪華絢爛な部分も再現した本丸御殿が大好評なので見に来てちょ (現存する)最古な、現存してない天守ならもっと古いのがあっただろ。
丸亀城や弘前城なんかは、天守とっても少し大きな櫓ていどで、
熊本城の宇土櫓より小さい・・・つうか巨大な櫓が林立してた熊本城がチートすぎる訳だが。 >>200
丸岡城は同じ調査で伐採が17世紀以降であることが判明してしまった 世界最古の木造建築って法隆寺だけど
当時のもんをまんま使ってんじゃねーだろ
嘘つくなw 土の城だよな保存がいい加減なのは。人気が無いせいもあるが、土砂崩れで、空堀が埋まったままとか雑草生え放題とか 松本城を「鴉城」とか「黒壁」という人は城好きにもわりと多いけど
よく見てみ?
壁は城のツートン仕立てだから
松本城管理事務所公式は昔から「松本城は『鴉城』ではありません」と否定してるけど
いまだに地元の松本の観光関係者ですら「鴉城」と呼ぶ人がいる >>228
定期的に手入れをして維持管理し続けて現状を保ち続けていることに大きな意味があって、創建当初の部材が残っているか否かは絶対的な価値ではない。
また、法隆寺は遺跡ではなく現役の寺院であり、古代から信仰の対象であり続けていることこそが、建物の古さと同じぐらい大きな価値。
つまりは「魂が入っている」姿を維持していることが大事なのだ。 >>49
木材は大事な資源だから、他の建物に使うんだよ。
でっかい丈夫な木材を腐らせるなんてもったいない。 >>228
補修時に新しい木材が入ったのもあるけど全部じゃないよ。
最初のやつが結構残ってるらしいぞ。
らしいのは、確定するには切り刻まないとできないからね 木材保管なんてほぼ無かった、あっても1,2年の時代に言い切れる?とか言ってしまう自称ジャーナリストたち 近所の畑から奈良時代の軒丸瓦が出土した
50年経ち、数回発掘したが奈良時代の建物があったとは報告されない
誰が捨てたのだ、発掘費用だけでも数千万円だ 何故かスレでは自称愛国者ネトウヨどもが
どういうわけかブヒブヒと日本の古城をdisっているスレ
この調子だとあれだな、自称国家の軍師ネトウヨ軍オタどもも
相当広範囲に混じっているなw 相変わらずどうしようもない。
国宝である戦国以来の城が今も建っているって
それだけで十二分にすごいじゃないか。
しかもその建築年代も推定できたっていうんだからね。
スレのネトウヨどもは何が気に入らないんだろうか。わけがわからん。
…まあネトウヨどものいうことは大抵わけがわからんけどなwww そもそも天守造るようになったのが松永とか信長の頃からだからな >>214 くんや>>217 くんの大砲論だけど
まあジャップ国はね、欧州や中国その他の大陸とはちがって
城塞都市とか城壁とか長城とかないからねえ。
そういうのを物理的に粉砕する大砲とか必要ないし
必要ないとつくらないし輸入もはかどんないんだよね。
そういやだだっぴろい平野もないから会戦つっても
双方方陣くんでぶつかりあうとかあんまないでしょ?
ネトウヨ軍オタじゃねえから、よう知らんけどさ。
なかなか大砲はねえ、出番がありませんなあ。
あれはヒトというかモノをぶっ壊すもんだからさ。
反面、対人兵器の鉄砲はやたらめったらあったわけだけどさ。
まあ国崩しとか仏狼機とかあるにはあったろうけどさ。
だから、なんていうの、秀吉の明攻めとかあれはムリポだったろうね。
戦や城塞、攻城戦についての根本的な考え方が違うから。
それ以前に地上最強の戦闘民族である、
偉大なる大韓と戦ってるだけでダメポだけどwww >>95
門とか肝煎層の屋敷に再利用してんじゃね? あとまあ>>216 くんのカキコを見て思ったんだけど
そうだね、一般に天守閣って言ったら時代劇なんかじゃ(!)
殿さまが牧歌的に遠眼鏡かなんかで遠くを見ているか、
さもなきゃ落城で炎上するか腹を切るかそういう場だよなwww
まあ実際のお城いくと色々なギミックはあるわけなんだけどw
実際的に天守閣の周りの城内に敵兵がワラワラとはいってきたら
これはもうどう考えても早晩ダメポなわけで
防御的殺人兵器たる城の象徴、要でありながら
そうそう役には立たなそうだよなあ。
むしろ「一兵でも多く道連れを」式の足掻きだったりwww
じゃあなんでつくるのかといえば、やっぱり「インスタ映え」だよなあw
や、もちろん戦国時代にインスタはないけどw(当たり前www)
フォトジェニックなんだよなあ、お城ってのはさあ。
だからでしょ? 戦後になってからも続々と全国各地につくられているのは。
もう威容からしてインパクト半端ないよねw ランドスケープwww
古墳やピラミッド、聖帝十字陵みたいなもんさw 機能的にもネwww 恐らく戦国山城式だった本来の犬山城はもう存在してない
大量に廃棄した木材も新築の為にリサイクルされて
現在の天守閣高層型になった
木材の年輪と年代測定じゃ建築年までは特定できない
それが1537年最古説とその後説で論争二分してるのでは 京都の寺田屋を観光してる際に本物は鳥羽伏見の戦いで焼失してその後に再建された建物ですわとか言うのと同じだわ
ホンマに無粋な連中やわ
ハンチョウ見習えよ 川崎市内に鎌倉時代の城址が何十個ものこってるんだけど
こっちのほうが圧倒的に古いだろ どうせ日本の城なんて西洋やシナの城塞に比べれば土と木でできたクソ雑魚だよw >>247
お前バカだろ?カスしか残ってない城址と「現存天守」の違いも分からんのかよ
小田原城みたいなニセモノ捏造コンクリ天守じゃねえぞ >>249
いや歴史的に重要な城だからこそ戦火にさらされたわけで
逆に犬山城が名だたる戦国武将達から総スルーされてきたことを恥じるべきでは? 安土城にいちばん近いだろうな
天守はもっと簡素なつくりだったのかも >>244
うむ
もっと簡素なつくりのはず
おそらく最上階は壁のない
ただの見張台だったとおもう >>250 くんの言うことはなかなかディープで
まあ荘子のいうところの「無用の用」じゃないけどね
城塞の本来の目的である戦火に合わなかったからこそ
或いは攻撃目標たる枢要なものではなかったからこそ
国宝、ナショナルトレジャーとして今も残っていることを考えると
何が幸いするかわからない。無事是名馬の塞翁が馬ってやつwww
思えば江戸幕府の一国一城令、明治の廃城令、
WW2の空襲、そして地震や台風、落雷といった自然災害と
城ってのはイクサそのものよりもヤヴァい危機はあったわけで
そこを国持大名のHQでもないのに生き延びたのはすごいよ。
>>245
ネトウヨ軍オタに突っ込まれると厄介かなとは書いてて思ったが
釣れないのなら勿怪の幸い。これぞ空城の計www
>>248
まあショボイのは城っていうか城壁だよねw
よく西洋や中華を舞台にした歴史ものにある
回廊みたいな城壁、ないでしょ。
大門とか、それをつきやぶる衝車とか。
まあ都市哲学が違うんだね。
洛陽だか長安だかを真似た平城京も平安京も城塞都市じゃねえし。
(まあそれでも象徴的に羅生門とかはあったけどさw) >>179
最上階では寝泊まりしないです
ただの監視台のはずだから
屋根や壁もなかったのかも >>244
破却した城から出た廃材を新城に転用したり、旧城から新城へ移築したという話はよく聞くね。
石田三成の佐和山城の廃材を彦根城に転用した。とか、名古屋城の現存最古の清洲櫓は清洲城からの移築だと言われてる。 >>241
チョンには何で中世の城が一つもないの? >>257
伏見城なんか転用されすぎて
元伏見城のパーツを全部伏見に戻したらそこらの城より往時に近くできそうだけど
肝心の土地も転用されていてまず不可能という状態だったり 西洋のお城なら
見張台なんだからいちばん高い場所は、ただの屋上
屋根や壁はないはずなんだが >>257
廃材のリサイクルで思い出したがw
帝都東京の小石川後楽園の築地塀の下部に使われている石材、
これは江戸城のどっかから出土した石垣の転用だそうだね。
往時、江戸城をこさえるときに大名家からもってこさせた石材で
その刻印が今もなお往時をしのばせるわけだけど大変なもんだ。
>>258
それは話のフレームが違うのであって
そもそも偉大なる大韓に中世というものはないからwww
パンゲア大陸の中心に聖都ソウルが屹立して以来
常に偉大なる大韓は現在を、そして未来に生きているのだよ。
したがって古代も中世も近世近代もへったくれもない。
高村光太郎も詩で言っているだろう?
「僕の前に道はない/僕の後ろに道はできる」と。
まあ兄の国である偉大なる大韓の足跡もまた、かくの如しw
この遠い童貞のためwww この遠い童貞のためwww 犬山城が戦と無縁だったわけではなく
信長秀吉が攻め落とし西軍の拠点だったという意味では家康も攻めたわけだから残したほうがいいと思わせるような
重要な位置に城が有ったからだろう
小牧長久手の戦では秀吉の本陣だった
ように交通の要衝だから 千年経てばどうでも良い誤差だな
大切なのはこれから千年二千年と
守り続けること >>265
江戸時代のほとんどの期間通じて存在していたのは間違いないからね。
それが安土桃山時代のどの辺まで遡れるかって話だから。 松江城が2015年まで国宝指定されなかった一方で、犬山城は建築年も定かじゃないのに、新法施行早々に国宝指定されたのは何でなんだろ。 >>215
サーンゴーズダーン サーンゴーズダーン♪ >>268
成瀬家が所有していたから勝手に売られないようにする為の措置だと思う 最古だとかどーでもいいねん
城郭が好きなら犬山城に行け
山城が好きなら犬山城に行け
戦国時代の風格そのままだ
今の時期は桜で景色もいい 城自体はこじんまりだから遠くから眺める方が幻想壊れなくていい
川下りか電車と車が同じ道を重ねて走るあのカオスな橋から眺めよう >>272
木曽川の対岸から見る犬山城は本当に良いね。
各務原の航空館へ行く途中の道路で、車を止めて思わず見入ってしまったことがある。
https://i.imgur.com/hLL2t6f.jpg 城と富士山は登るもんじゃない、外から見るものだ。という格言があるね。
今作ったんだけど >>276
案外間違ってないと思う。
姫路城や彦根城等の国宝の天守に登っても、それ単体では満足度はあまり高くない。
個人的な感想だけど。 >>276 くんの格言は実におもしろいね。
エッフェル塔嫌いのモーパッサン曰く
「エッフェル塔の中の食堂はいい。
ここからならあの忌々しいタワーを見ないで済むから」
とかいう趣旨のことをいったそうだがw
まあそういう逆説っていうかそういうことってあるよねwww
これは大抵の名所にいえることであって、中にいてもねえ
なんていうか、「自分が今、そこにいる」って気はしないんだよねえ。
まあもちろん大抵の場合は体験そのものがひとつの価値なんだけどさ。
それに思い出になるしね、テレビで映ると「あの中いったなあ」って。
楽しむにせよ、ガッカリするにせよ、それは大切な旅の思い出だwww
まあでもランドマークってのは眺めるのがいいってところはあるだろうね。 法隆寺は創建当時の材木が6割以上残ってるのでは
こまごました修理はされていたようだけど
解体修理は昭和が初めてだったとか
創建時に使われた木が樹齢千年以上
それから1300年以上経っているから、あそこは本当にすごい >>124
当時は加工された大きな柱は貴重品
転用例が多いから、創建年代とは直接結びつかない >>258
マジレスすると、日本同様の武人政権(幕府)が出来かけた時にモンゴルが侵入して潰されて以降、古代以来の朝廷国家が近代まで続いたから
幕府も王政復古も無く、奈良時代の政治組織が国を変えつつ延々と続いたイメージ
城壁で囲まれた都市と防衛施設はあっても、城主が住まう城は存在しない >>276
馬鹿と煙じゃないけど、俺は天守閣に登って城主気分に浸るのが好き
要塞見学みたいで面白い
富士山もお鉢めぐりが楽しかった
また行きたい >>276
富士山に登ったおかげでダーウィン賞を貰えたという人もいるんだぞ >>284
その年の気候によって年輪の成長幅が変わるから異なる木でも同じように成長幅の変化がある
そこからデータベース化して古い年代の木でもいつまで成長していたか絞り込めるようになってる 教えてやろう❗
犬山城のこの天守に登る木の階段は急階段で
パンチラ見えるからな
よく覚えておけ >>286
すればできるだろうけど
炭素年代測定だとプラマイの幅がある程度できてしまうのに対して
年輪の幅なら一年単位で絞れる >>1
「現存する」をつければそうなんじゃない?
文献で1537と1601で、
科学的には1590年ごろとするなら、
創建は1601年で間違いないな
1590年ごろに伐採した後、乾燥させてたものと考えられる
建設は一瞬で終わるわけではないから調達から完成までの時間考えたらそう
というわけで最古ではないな
1537年とはほどとおい >>275
名鉄犬山駅から歩いて行ったけど、あっち方面から見ると大したことないんだよな
天守閣登って木曽川方面見たときの眺めが良かった >>255
名古屋城が戦前に国宝第1号に指定された理由は、
・当時の現存天守で日本最大だった
・日本史上全体でみても延べ床面積、最上階の規模、破風の数など14部門で日本史上最大
・体積は姫路城天守の約2.5倍と圧倒的
・天守の高さは江戸城と徳川大坂城に次いで3位だがその2つは江戸前期に焼失
【高さ日本一の現存天守】
・1606年〜1657年 江戸城 (51年間)
・1657年〜1665年 大坂城 (8年間)
・1665年〜1945年 名古屋城 (280年間)
・1945年〜2021年 姫路城 (76年間)
・名古屋城は徳川家康による築城で1612年に完成 >>290
天守が後から建築されたという説はある。
松本城も後になってから天守が建築されたという説があって、建築時期が諸説ある。 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」 江戸時代は戦がなかったからこそ明治維新の時にどれだけの天守閣と城が破却されたかということであって、あの天守のランドマークとしての無意味さということを意識しないとダメだ。 88年頃に伐採して2年くらい乾燥させてから建てたってことで1591年では 建立当時の姿をしりたいよ
いまのは改築してあるだほうから >>294
このデータを見ると「尾張名古屋は城でもつ」という言葉の意味が理解できるな。
「日本の城といえば名古屋城」と言っていい期間がこれだけあったわけだから。 信長の従弟・織田信清
この人のイメージが強いな、信長とは対立し負けて武田家へ逃亡した
信清の父が麒麟に出ており道三との戦いで戦死したが、兄の信秀と仲が良く
兄弟は仲が良かったのに、その息子は仲が悪かったのか
江戸時代は300近い大名がいたが、小さい大名は城を持てず陣屋が多かった
天守閣を持つ城はどれぐらいあったのかな?
一国一城令前の豊臣時代は、凄い数の天守閣のある城が多かったらしいな
数千ぐらいあったと聞いた >>307
信秀と信康(兄弟)の時は仲がよかった
代変りした信長と信清(従兄弟)になって関係が悪化した 犬山城建築が1537年で
使われてる建材が1580年もの
子供が親を産んだような齟齬だな >>307
岐阜県東濃地方で、自分の実家近くには山城の城跡(小里城山城)があるけど、一応天守の遺構を持つ城だったけど城主は当時基準では旗本だった。
この家は元和年間に断絶してその後は天領になってる。
江戸初期にはこんな城も多かったのではないかな。
あと近くにある苗木藩は全国最小の城持ち大名で明治維新まで藩も城も存在していた。 >>59
名古屋大空襲で残ったのは、その先にある航空自衛隊の岐阜基地に行くための良い目標だったから。
城燃やすより、航空機の拠点潰す方が価値あるだろ。 つか名古屋と犬山けっこう離れてるから燃えなくて当然
周辺の街がやられたら危なかったが基本田舎だしな >>310続き
城持ちは大名としての格にも関わることで、一種のステータスシンボルだったとも言うね。
前述の苗木藩は1万石の身代でも無理をして城を維持していたとか。 1537年の織田信康でしょ?
でも、そもそもその時代に天守なんかあるわけねーだろ
石垣すら怪しいしな
織田信秀の弟で家来なんだし、そんな財力使うくらいなら、堀を深くして、兵を増やすわ
天守なんて贅沢品なんて意味ねえわ >>315
おまえそれ安土城完成させたノブの前でも同じこと言えんの? どうせまた歴史を持っていないあいつらなんだろうけどw 安土城って城と言うより織田の威厳を示すシンボルだったんでしょ
それより遡り混乱期に要所の犬山城に同じような物作るかと言えば
時代的にまだ早いと思うけどな >>282 くんのカキコは実に面白くてw
確かに天守閣に登ると城主気分になれるよなwww
「おお、民草の街場は今日も賑わっとる」式にねw
もちろんガチの城主大名はそんな天守閣に登らなかったと思うが
まあ城持ち大名は相応の格式が必要なわけで
そういう意味での象徴的なランドマークだからなあ。
大名のみならず家臣藩士も民草に至るまで誇り高かったろうなア。
ところで、ウリは他所様の田んぼとか青々と茂っていたり、
黄金色の穂が実っているところを見ると、城に登楼した時と同様
なぜか心の中の大名が顔を出して「今年は豊作じゃ」
「百姓も言祝いでおろう」「重畳重畳」と喜ばしい気分になるぞw
これはよく考えりゃ無駄に傲慢なんだがw 昔からのことだwww
バイクなんかまたがっていると騎乗のようでなお趣があるwww >>294
名古屋城の天守だけでなく、
その他に本丸御殿とか貴重な建物が焼失したしな
隅櫓は残ったみたいだが
現存してれば、貴重な世界遺産だったろうに
そもそも日本が馬鹿な戦争に突っ込んで焦土になったせいで、
日本中沢山の歴史本とか貴重な資料とかを焼失してしまったしな >>322
名古屋城は
・備品など一部を疎開していたため残っていること
・国宝第1号指定時の豊富な大量の記録が残っていること
・さらに江戸時代尾張藩による補強工事などの記録も残っていること
によって木造再建が日本中で最も再現できるというベストな状況
そのため既に本丸御殿の木造再建が完了
石垣問題も合意が取れたため次は天守閣の木造再建へ 伐採前の木の上にツリーハウスならぬツリーキャッスル天守閣があったかもしれない >>324
ましになった方なんだぜ娘さんが継ぐまで周りになんもなかった
運動場みたいな荒野にポツンと城があるみたいな感じ >>321
城持ち大名に関する逸話をひとつ。
備中の高梁に国替えで入封した殿様が城マニアで城持ちに憧れており、廃墟同然で放置されていた山城をわざわざ修築したそうだ。
これが現存12天守のひとつで重文の備中松山城。
当時幕府は城の改築、修理も厳しく制限しており、こんな政治的、財政的にもリスクしかないことを殿様の道楽でやり切ってしまったことに驚く。
確か、歴史秘話ヒストリアで採り上げられてた話だったかと。 >>324 いつ頃の話をしてるのか知らんが、
今はよく整備されて、観光客で賑わってるぞ。
コロナの影響は知らんが。(´・ω・`) 2月に犬山城行ったけど駐車場が満車で駐車待ちしてたから引き返した
その翌週は京都の平等院、銀閣寺、三千院に行ったけどそんなに混んでなかった
やっぱ大河の影響? 近所に住んでるが、観光客多いね。
大河の影響かは知らんが、ここ10年くらい活況。
活気が出できたのは城ブーム?からだったと記憶してる。
現在、城のすぐ下に高級ホテルを建設中。
秋完成らしい。 >>295
なるほど
たしかにありえない話じゃない
ただ犬山城なんて織田家のものなんだから、
安土と同じく天守閣は備えていそうだがな
1537年なら秀吉の生まれた年だし、
1601年だと関ヶ原の翌年だからな
そう考えるとこの結論を支持する
https://inuyama.gr.jp/wordpress/wp-content/uploads/2021/03/589890ef538c230e9498a6e1d5eda326.pdf >>330
犬山城って出たっけw 信長が親戚を殺してた辺りかな >>258
煽りにしても酷いな
引きこもりでないなら教科書レベルの世界史ぐらい憶えとけ
恥かくぞ よくある落下防止の金網とかないからけっこう怖い
でも眺めは最高。岐阜城と小牧山城が見える 関東地方は寂しいよなご立派な城がなくて(皇居はあそこは天皇家のお住まいだからね)
小田原城だ宇都宮城だってすべて鉄筋コンクリ。つまり天守閣型の展望ビル >>8
織田本家って、どこの家のことだ?
信長の弾正忠家って、守護代やってた大和守家の分家で家老やってた家だろ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています