【古代】「東アジアからみた邪馬台国九州説」…揺らぐ、中国が捉える倭の姿 ★3 [樽悶★]
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三部作を手にする小郡市埋蔵文化財調査センター所長の片岡宏二さん
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■小郡市埋蔵文化財調査センター所長の片岡宏二さん
邪馬台国の所在地を巡る論争は今なお続く。シリーズの著書「邪馬台国論争の新視点」で、その論点を最新の研究成果に基づいて整理してきた。完結編となる3作目「東アジアからみた九州説」を刊行した。
2011年の1作目「遺跡が示す九州説」で遺跡調査と文献を精査し、北部九州の筑紫平野にあったクニの連合体を有力...
2022/2/16 17:30
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★1:2022/02/16(水) 23:08:17.09
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1645179768/ 結論ありきで、結論に合わせたストーリー。九州説、畿内説、いろいろあるけど
出土品などの証拠が出ない限り、どの説もファンタジー。 三国志と同時代とは思えないほど未開だった当時のニッポン
国の記録すらマトモに残ってない 畿内説厨の根拠は、九州はあり得ないから
九州説厨の根拠は、畿内はあり得ないから
じゃあ他の場所を考えろよwww >>4
魏志倭人伝には倭人が文字を使用していたとあるが
考古学的に3世紀に文字を使用していた痕跡のあるは北部九州地域と山陰だけだから
邪馬台国は北部九州地域か山陰なんだよな。 ヤマタイコクと読んでるけど、実際はヤマトコクやん。 >>6
後漢書と魏志倭人伝を照らし合わせてみると
各国に代々王がいて大倭王は邪馬臺国にいるぽいがどうだろな ヒミコは巫女さんだよ。
王は別にいたけど、嘘ついて殺されるの怖れて隠れてたんだよ。
秦の始皇帝の追手が来るのを怖れていたのが徐福。 幾内は他にもいっぱい世界遺産があるんだからさ
邪馬台国くらい九州に花持たせてよ
幾内、イクナイ! 前スレで考古学でも九州説が主流と書いてた人がいるけど
歴史学でも考古学でも畿内説が主流
特に考古学では九州説の人はほぼいない
九州説はアマチュアの研究者に人気がある >>12
後漢の時代には各国に自称王が居たけど
漢が倭奴国王を任命したから王は倭奴国王だけになったんだよ
卑弥呼の時代には王は魏から任命された倭王卑弥呼と狗奴国の自称王の2人だけ。 >>21
魏志倭人伝は三国志の一部だから三国志は偽書って主張だなw 邪馬臺は伊都に隣接すると答え出てんのにいつまで近畿とか言ってんだよ 畿内説って結局は東大系が九州説を出したからその対抗馬として京大が唱えたのが始まりだから信憑性に欠けるんよなあ >>18
だから九州説は未だに放射説みたいな使い古された無茶解釈を用いる >>24
ん?
九州説ってのは、日本が中国から金印受けて属国になってたってのを認めたくない江戸時代の儒学者が、それは九州の小国の話ってことにしようとして考え出された寓話でしょ >>25
中国韓国の工作員らしい九州説が
少しでも騙そうと偽情報を流して騒いでるだけだよ 今は傾向として万世一系を信じてるのが畿内説で
多元王朝だろと言ってるのが九州説ぽくなってないか? もう止せよ九州説なんて、記紀の為に嘘つきますと僕は頭が良くありません、の二種だぞ >>23
伊都の周りには目だったものは奴国しかないよ >>4
九州説、畿内説、どっちの学者もアホ。
出土品以前の問題として、魏志倭人伝に全て書いてある!
書いてあるんだよ。マジで。
なのにそれが読めてない。もうね。 >>27
今に続く中国の属国じゃなかったんだから良い事じゃないか
畿内説だと日本は中国の属国だった事になる
畿内説は中国の工作員だな。 >>31
伊都国が女王国であり卑弥呼の首都なんだ
邪馬台国は北部九州地域全体のこと。 >>30
涙拭けよウソつき近畿パーwww
はい、論破w 畿内説は既に息してませんw
死んでる事に気付かないゾンビが徘徊してるだけ >>32
涙拭けよ息の根が止まったウソつき近畿パーwww
はい、論破w >>33
邪馬台国は御井
涙拭けよウソつき近畿パーwww
はい、論破w >>26
涙拭けよ未だに使い古された無茶解釈を用いる近畿パー
はい、論破w >>29
九州倭国と近畿日本の二元王朝だが
万世一系はたぶん本当(ただし男系ではない)
が結論 アメノミナカヌシは奴国王な
それ以降本当に延々と血は繋がってる
ただし男系ではないが
万世一系は本当だと思われ >>51
?
畿内説なんて学説としては存在してないよ
学説として存在してるのは九州説だけ >>51
畿内説はファンタジーとして頑張ってるみたいだね
バカは無駄にしつこいからね これ魏志の話だけじゃなくて、後漢とか他の王朝の史書での日本の状況追いかければいいんでないの?って思うんだけど、それが歴史学なのか
なんか勝手なイメージだけど考古学と仲悪そうだな 糞でも食ってろウソつき近畿パーw
はい、全部論破w 天孫降臨の地も漢委奴国王印も九州
畿内説なんて一部の無知なネトウヨだけだろ >>18
考古学どころか歴史学ですら九州説の人が少なくなったのは
九州説を牽引していた東京大学の歴史学者が絶滅状態になったのがきっかけではないかと推測する 北部九州地域からは硯や机、削刀等が出土して考古学者も北部九州説支持が増えてる。 >>29
豊臣家が徳川家に滅ぼされたのと、ちょっと似ているかな。
九州邪馬台が、奈良の大倭(ダイワ)に滅ぼされた。
違いは、九州邪馬台(やまと)の権威を奈良の大倭(ダイワ)が継いだ点。
九州邪馬台は、漢への朝貢(配下の奴国の名で行った)と交易独占とで、倭(≒列島)の覇権(※統治ではない)を握っており、漢末の倭国大乱の頃までには列島の歴史的権威になっていた点。
魏志を読めば奈良の大倭が漢末の倭国大乱でその邪馬台を覇権放棄に追い込んだことが読み取れる。
4世紀、華北崩壊で東亜の秩序消失の隙に、奈良の大倭(ダイワ)が邪馬台(やまと)を滅ぼし、その権威を継ぎ「大倭(やまと)」を名乗る。 実はコレも狂って指千切ったアイツが埋めたんじゃね? >>55
そうすると晋の初代皇帝のときに倭国(トヨ?)の消息が途絶えてしまい
100年以上経ってから東晋の代10代皇帝のときに
「東に55国、西に66国、海を渡って95国平定したから将軍にしてくれよ」
とか言い出す奴らが出てくるという 神武東征のとおりに、九州→奈良に移動したんじゃないの? >>20
素人には九州説が大人気だけど、考古学者にはほとんどいないね。
鉄が出るのは圧倒的に九州だろというやつがいるが、それはあくまでも
弥生時代の話。
戦国時代の遺跡はたいしたものはなんにもないから江戸が大都市だったのは嘘だというようなもの。
奈良時代の遺跡は京都にはろくにないから、平安京はでっち上げというようなもの。
弥生末期は九州じゃない。
すでに近畿山陰方面が優位になってる
水の入手において維持できる人口に差があったんだろうな。
筑紫平野は江戸以前の関東平野と同じく大洪水に襲われる湿地帯と水が手に入らない台地だった。
大雪に襲われる山陰地域は、山のダムが水を蓄えてくれる。 >>64
神武がね
呼ばれて行ったわけなバカだから
そのバカが九州倭国と近畿日本を首の皮一枚で結びつけてると言う皮肉 >>15
魏志倭人伝の中国の使者は九州へ渡っている
論争は九州に渡った後の行程なので、朝鮮ではない >>65
まあ良いから糞食ってろよウソつき野郎w
はい、論破w >>64
地名だけでいいなら紀元前1000年頃とか縄文から弥生時代になる頃とかに
倭語話者が日本列島に広がるにつれ九州の地名が近畿にコピペされて行った可能性がある >>62
同じくゴッドハンドの遺物が出てきたとおもたわ 妻国の王族のくせに敵国へ寝返るヴァカの神武が居なかったら
九州倭国と近畿日本とは繋がって無かったわけな
歴史ってこういうもん
事実は小説より奇なり
残酷なほど面白い 学会的には畿内説確定だから、最近の歴史教科書は邪馬台国は纏向遺跡が有力と記載。
九州説は素人の自称郷土歴史家のみ。 >>65
現代でも鳥取や島根は耕地が少ないから、稲じゃなくて果樹を作ってるんだが >>64
でその後倭国大乱で九州に一時逃れた説好き >>74
まあ良いから糞食ってろよウソつき野郎w
はい、また論破w アメノミナカヌシは奴国王な
それ以降延々と現在の天皇まで血が繋がってる
まあこれは凄いことだと思うよ
本当に万世一系やってんだもんね
ただそれを担保してるのがバカの神武だと
まさしく事実は小説より奇なり
歴史って面白いわな確かに >>7
どっちもどっちみたいにしてるが
何でもかんでもどっちもどっちかというと
そういうわけでもないよな >>60
またなんかへんな拗らせ妄想野郎が現れたな
お前、ケンモニートだろ? 邪馬台国の卑弥呼とか直訳すると
蛮族の地域に住む売春婦という侮蔑語やで
、
そんな醜い国名があるわけねーだろ >>80
それってウソつき糞食い猿の感想ですよね?はい論破 まあ吉備が巻向を作ったのは確定。
吉備と西都原の関係は深いことも確定。
なので宮崎→吉備→河内→巻向のルートは伝承通りあるかもしれない。
ただ伝承のような急激な急襲ではなくて長い時間をかけてゆっくりと移動していったのだろうね。 江戸時代の古文書でも間違い多いのに
よく魏志倭人伝の一節だけで判断できるな 西日本のどこかだろ
どこでもいいわ
九州でも近畿でも >>89
お前が証拠出せこのウソつき糞食い猿
はい、また論破w 都合の悪い出土資料に目をつぶってあたかも遺跡自体が語っているかのように騙っているのは >>1
纏向が発掘された後じゃ九州説は無理なんじゃね?
奴や伊都よりも上位のクニ集落って九州にあったっけ? >>19
まあそれはあり得ないな
少なくとも那国王も妻国王も居る いくらアメリカが発展してるからといって
「大英帝国は新大陸にあった」
てことにはならない >>1
もしこの時に中国が日本に攻めてきていたら日本は中国の領土になっていたよね >>102
近畿パー「近畿では鉄が溶け易いから大丈夫!」 >>9
痕跡は、まだ見つかって無いのであって、無かったと言い切るのは不可能だぞ。 >>108
…君が推してると、それだけで「それ違うのな」って分かっちゃうわw >>103
ムリだろな
つか可能ならやってるわねw >>110
…君が違うのかなと思うと、それだけで「それ当たりなのな」って分かっちゃうわw >>106
御井で確定だね
卑弥呼の墓は祇園山古墳
背後にある巨大な高良山神籠石遺跡が邪馬台国の遺構だね
高良山神籠石遺跡は巨大だし、他の神籠石遺跡のセンター的存在だから邪馬台国としか考えようがない まずは
邪馬台国と大和朝廷が同一か別なのか
それをハッキリさせてから
邪馬台国の九州説や近畿説を論じようか >>114
九州倭国と近畿日本は当然別の国
旧唐書や新唐書にあるとおりだよ猿 伊都国には実はピラミッドがあるんですよ
これマメな。 >>103
13世紀の元でも無理だったからさすがに無理でしょ そもそも外国の伝説だからな
まともに議論する価値も無い >>118
いやいや
それはオレが全部説明してやるよ
キレイに解明したから
ただ弥生時代の時代区分を捏造してることを認めるのが条件だがね
それを認めないならオレも発見を公表しない
闇に葬り去る
別にオレは何も困らないし >>119
涙拭けよウソつき近畿パー
はい、また論破w >>120
札幌オリンピック、大賛成❗
参院選は、立憲と共産が大惨敗❗
\(^o^)/ >>117
鎌倉時代には武士が形成されていたけど邪馬台国時代は蛮族と変わりないだろ
組織された中国の大軍の前では蹴散らされるしかない 俺は青銅から鉄器に変わったって聞いてるんだけどね。 >>115
"別種" という記述だから、別の国ではない
豊臣と徳川程度の違い >>114
邪馬台と大和はヤマトの漢字の充て方が違うだけでしょ
中華がヤマトと聞いて邪馬台と付けたんだろ、2千年近く経った今見ても立派な字を充ててな
いのが分かるわな
それで首都移転の時に立派な字に代えたんだよ 倭人は帯方(今の韓国ソウル付近)の東南大海の中に住み、山島に依って国邑(諸候の封地)をつくる。もとは百余国。
漢のときに朝見(参内して天子に拝謁)する者があり、いま使者と通訳を接触させているのは三十国。
郡(帯方郡)から倭に到達するには、海岸に従って水行し、韓国(馬韓)を経て、あるいは南へ、あるいは東へ進み、その(=倭国の)
北岸の狗邪韓国(くやかんこく。伽耶・加羅・金海)に到達する。(帯方郡から隔たること)七千余里。
始めて一海を渡ること千余里で、対馬国に着く。その大官を卑狗(ひこ。彦か)と言い、副官を卑奴母離(ひなもり。夷守・火守か)と言う。
居るところは絶遠の島で、四方は四百余里ばかりか。土地は山が険しく、深林が多く、道路は鳥や鹿の径(みち)のようだ。
千余戸ある。良い田はなく、海産物を食べて自活し、船に乗って南北に行き、米を買うなどする。
また南に一海を渡ること千余里、瀚海(かんかい。大海・対馬海峡)という名である。一大国(一支・壱岐)に着く。
官をまた卑狗と言い、副官を卑奴母離と言う。四方は三百里ばかりか。竹林・叢林が多く、三千あまりの家がある。
やや田地があり、田を耕してもなお食べるには足らず、また南北に行き、米を買うなどする。
また一海をわたること千余里で末廬国(まつろこく。松浦付近)に着く。四千余戸ある。山と海の間の海岸に居住する。
草木が盛んに茂り、歩いてゆくと前の人が見えない。好んで魚やアワビを捕え、水は深くても浅くても、皆が潜って取る。
東南に陸行五百里で、伊都国(いとこく・いつこく。糸島付近)に着く。官を爾支(にき。稲置・県主か)といい、副官を
泄謨觚(せもこ。島子・妹子か)・柄渠觚(へくこ。彦子・日桙か)と言う。千余戸ある。世に王がいた、みなは女王国
に統属していた。(帯方)郡の使者が往来し、常駐する場所である。
東南の奴国(なこく・ぬこく。博多付近)まで百里。官を?馬觚(しまこ。島子か)と言い、副官を卑奴母離と言う。二万余戸ある。
東行して不弥国に(ふみこく・ふやこく)まで百里。官を多模(たま。玉・魂・玉造か)と言い、副官を卑奴母離と言う。千余家ある。
南の投馬国に行くには水行二十日。官を彌彌(みみ。耳・美々か)と言い、副官を彌彌那利(みみなり。耳成・耳垂か)と言う。五万余戸ばかりか。
南に進むと邪馬台国(邪馬壹国)に到達する。女王が都とするところで、水行十日・陸行一月。官に伊支馬(いきま)があり、
次を弥馬升(みましょう)と言い、次を弥馬獲支(みまかくき)と言い、次を奴佳?(なかてい)と言う。七万余戸ばかりか。
奴国(博多)から投馬国まで水行二十日
ここがネックだなあ 邪馬台国を見つけようとするから見つからんのだよ
倭人伝に出てくる国を全部ひっくるめたのが邪馬台国だからな
皇居の場所を特定するのに日本を探せと言ってるようなもん >>129
そもそも
ヤマトという発音を充てる漢字に大和という
他では見られない読み方をしているのがオリジナルの地という感じがしない
どこかオリジナルの地があって、その地の名前がヤマトという発音だったのを
もともと別の音で呼んでいた大和にあたる地を「ヤマト」と呼ぶようにした感じがする
つまり畿内のヤマトは偽物、コピー地名 博多から東行して不弥国というのが大分の中津あたりとしても
水行二十日というのは瀬戸内海を横断するのにも
日数が長すぎるなあ >>128
旧唐書
日本国は、倭国の別種なり。
新唐書
あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。
別の国だよ猿 >>132
それも何度も説明してるだろが猿
倭は音がワで訓がやまとだ
大倭の大は単なるgreatの意味
大倭を大和に書き換えたわけな後の世になって
だから大和をやまとと読むわけな >>135
>日本国は、倭国の別種なり。
別の国なら別の国と書いてる
はい、論破w >>96 纏向が発掘された後じゃ九州説は無理なんじゃね?
纏向が3世紀(卑弥呼の時代)は無理なんじゃね?ww
このヴァカは肝心の寺沢達が畿内説から静かに撤退したがってること、わからねーのかw
掘っても掘っても倭人伝に書かれている事物は何1つ出てこず
答えに窮して最後は「桃の実」wでごまかす
今、畿内説を主張する学者は、わかっていながら世の生業で基地外じみた論理を展開
責任をとらせるべきだろうな
特に年代測定を100年早める方法でいくつもの賞wをとった気鋭の学者wは主犯として 男子は大小の区別なく、みな顔や体に入墨をする。
顔や体に入れ墨をするのは東南アジアに多い
日本だとアイヌだが
アイヌは元は弥生人で北から来た縄文人と戦争して
負けて北へのがれてアイヌになったとNHKSPではいうし
やはり倭国は南方系だな
大陸系じゃない 奈良の大和は朝鮮半島系だろ
半島系は顔や体に入れ墨はしないだろ
入れ墨するのは南方系だ
やはり九州、あるいは高知の
黒潮に乗ってきたやつらじゃないのか >>137
>日本国は、倭国の別種なり。
同じ国なら別種とは書かない
はい、論破w >>136
それにしてはお仲間の畿内論者の馬鹿が
魏志倭人伝の中にでてくる大倭を
畿内のヤマトのことだと力説しているだろうが?猿
倭を大倭にしたのは好字二字化例の8世紀のことなのになw >>144
魏志倭人伝の大倭の話しじゃない
あれは何かの役職だろ
国じゃない 壬申の乱で「倭国(天智政権)」が倒されて
「日本国(天武政権)」が成立だな >>145
当たり前
だけど妄想狂の畿内論者が何回も何回も
謎の大倭が邪馬台国を陰から操っていた
その謎の大倭こそ畿内の大和政権だったのだ!ジャジャーンってやっているだろw
お前が注意しろよw
同じ畿内論者としてw >>118
あれは県知事印みたいなもの
皇帝が王を任命して、王の証を与えたもの
当時の中国に置いて王ってのは皇帝の下の位で地方領主の事
中国の中でも楚王や韓王や燕王とかの上に皇帝が存在する
卑弥呼が後ろ楯欲しさに魏国皇帝に貢ぎ物をして従属化した
だから魏の皇帝から卑弥呼は倭の王に任命された >>142
>日本国は、倭国の別種なり。
別の国なら別の国と書いてる
はい、論破w >>150
イミフなのはお前が文章読解力がないからだろ
畿内論者のキチガイが魏志倭人伝にでてくる
大倭って名称を畿内大和政権だって力説しているって言ってんだよ
トロ臭い頭だな、お前は >>27
なぜ自ら属国になったのか?
その経緯を考えないとね
魏から攻められもせず、脅迫もされず、認知すらされてなかった邪馬台国が
なぜ自ら魏に貢ぎ物をして属国化を望んだのか?
狗奴や隼人、熊襲など邪馬には敵対部族が多く居たんだよ
だから後ろ楯欲しさに自ら進んで属国化した訳 >>152
別の国だと言ってるだろだから
旧唐書
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
新唐書
あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。
>>152
倭国と邪馬台国は同じじゃないぞ?
中国の中に魏呉蜀が存在してたように
魏国は中国国内において呉蜀とは別種なり
と言う事
中国の意図する国と言う言葉の定義を間違えてるよ君は
楚王や韓王が納める土地を別々の国とは呼ばないの中国では 大和と書いてヤマトと読むのに
少し違和感があるんだが >>114
魏志倭人伝と後漢書の政治の記述を読めば、全て解る。
漢の時代、邪馬台は配下の奴国の名で朝貢し、漢の権威を背景に倭(≒列島)の覇権(マウント)を握っていたと考えられる。
その邪馬台が、2世紀末の倭国大乱に敗れ覇権放棄(男王禁止)に追い込まれ、勝者と思しき謎の勢力「大倭(ダイワ)」(※邪馬台の配下を偽装)に博多港を支配されている。
今度は大倭(ダイワ)が、軍門に下した邪馬台の名で魏に朝貢したと解る。
大倭(ダイワ)の所在地は不明。本州に関する魏への説明も漠然として誤魔かされている。つまり大倭(ダイワ)の所在地を隠しているなと。
魏志の記述は、大和朝廷による倭国統一(4世紀)直前の3世紀の状況なので、この大倭(ダイワ)とは奈良以外にあり得ないわな。 >>132
そうかなぁ、王朝名の漢字を代えるというのは中華にもある、
例えば中華の夏王朝は、勢力拡大して夏(か)と同じ発音である「華」に漢字を代えた
日本も倭(わ)を同じ音である「和」に代えて、大を付けたんだよ、
その「大和」という意味の国名にたいして、読みの「ヤマト」を充てた、これでつじつまが合うだろ >>158
五月雨と書いてさみだれと読むのに違和感は無いの? >>65
って言うけどさあ考古学者の説もトンでもばっかりだぞ?
国立歴史民俗博物館名誉教授の白石太一郎とかの言い分は
「魏志倭人伝の南表記は東の間違いだから邪馬台国の南にあるとされる狗奴国も畿内の東でいい。よって狗奴国は東海地方にあった」とかだぞ?
まだ5ちゃんの論客のほうがマシな説を唱えていると思うが? >>153
あとなトロ臭い猿
>倭を大倭にしたのは好字二字化例の8世紀のことなのになw
これをまず言うことだなトロ臭い猿
負修羅
『朝長』『実盛』『頼政』『忠度』『俊成忠度』『清経』『通盛』『敦盛』
『生田敦盛』
『知章』『経政』『兼平』『巴』
前のソビエト革命のころ100年以上前の中国大陸ロシア朝鮮半島、
西域などでの戦いを表してる「ソビエト戦績の場合」
中華民国が台湾に落ち延びる前のシベリアロシア地上核戦争天候戦争の
マルコポーロの獅子の門での地上核戦争や柳条湖での戦いだが
実際には中華民国軍や大日本帝国軍ではない宇宙ソビとロシアメリカ帝国ユダヤ銀行財閥軍
等の介入戦争であったと思われるな 九州が先進地域であったのはまちがいないが、邪馬台国の時代には衰退期に入っていたのは考古学的に証明されている >>169
あとなトロ臭い猿
>倭を大倭にしたのは好字二字化例の8世紀のことなのになw
これをまず言うことだなトロ臭い猿
トロ臭い猿かよお前はトロ臭い猿w
>>169
ちょっとそれは置いといて
まず一番大事な結論を言えトロ臭い猿
邪馬台国は御井でいいんだろ?
なぜイエスかノーか立場を明確にしないんだお前らトロ臭い猿は
ソビエト新石器時代末のご託宣巫女巫同戦争の時代の事でしょう
朝鮮半島からロシアシベリア中国モンゴルゴビ砂漠やロシア中央などウズベキスタンや
トルクメニスタン、キルギスタン、アルメニアアゼルバイジャンアラル海ウラル海
黒海などでのロシアシベリア戦線に関係あり >>174
根に持つタイプの猿w
たぶん目が細い陰気な顔した猿なんだろうな、お前w >>175
神武はバカだからだよ
ただバカが幸いしたって話しw >>178
ちょっとそれは置いといて
まず一番大事な結論を言えトロ臭い猿
邪馬台国は御井でいいんだろ?
なぜイエスかノーか立場を明確にしないんだお前らトロ臭い猿は
>>160
読みのヤマトて
倭はウェとかワとかの読みでヤマトとは読めない
ヤマトの音写なら夜摩苔とか山跡、八間跡、夜麻等、山等、也麻等とかいっぱいあるぞ >>158
宮下文書等古文書によるとはじめに富士王朝があって
九州の内乱を鎮めるために高千穂に遷都し
中国からの侵入者(出雲、若狭)が人民を殺めるので橿原に遷都した。
こういう順番らしい。 邪馬台国ロシアメリカナダ黒悪魔皇帝の朝鮮シャーマン閔氏巫女軍団の戦いが
朝「鮮卑」弥呼の戦で新スターウオーズ2の戦いで子を産むと産んだ妃を殺す「朝鮮卑弥呼」の
フォース軍団の戦いになってるわけ、これが「日出処の天子」で蘇我蝦夷毛子の子を産んですぐ死んだロシア帝国と朝鮮巫女の
混血女フツ姫(異端者フスを入れた黒悪魔の「異端」「わいせつ」何とかの黒悪魔儀式ですね >>175
神武は九州の負け組だろ
大軍を率いての大遠征で大和に入ったわけやない
逃げ延びて来たのが正しい
自己紹介やってるカタワばっかwwww
死ねトロ臭い猿wwww
>>182
山ってサンだよな
やまって読めないだなじゃあw ソ連内ロシアモンゴル大清帝国シベリアなどの五胡(ごこ)は、
中国の3 - 4世紀に、北方や西方から中国に移住した匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の5つの非漢民族(少数民族)を指す。
これらの部族が五胡十六国時代に次々と中国北部を中心に国家を建てた晋代ごろから
使われ始めた[1]。
五胡十六国時代に国を建てた少数民族はこの5つ以外にもおり、
五という数字に実数の意味はない[1]。五胡が匈奴・鮮卑・羯・氐・羌を指すことが
一般化したのは十三世紀ごろである可能性が高い[1]。
また、この5つの民族のみでなく3 - 4世紀ごろに移住した少数民族の総称として
使用されることもある。 つまり富士山に都があったから山都(やまと)大和は当て字 最近はモンゴルゴビあたりの民族とつながって拓跋朝「鮮卑」弥呼族になってるようですね ソースみたけど内容まるでわからんやん
よくこんな記事で議論できるなw 自民が連立与党を辞めれないワケ
与党が公共事業を発注→創価関連企業が中抜き→一般労働者が安値で労働
中抜きの一部を政治家へ戻し、選挙資金へ
そして創価学会自身はタックスヘイブンを利用して脱税🤤
これが続く限り、税金上がって賃金減
り続ける
パソナも天理の談合で死人も出した太陽光発電事業者メガソーラー ジャパンも不正融資の太陽光発電事業者テクノシステムもアベノ マスクも全て創価学会🤗🤗
https://i.imgur.com/5kY8F4f.jpg
https://i.imgur.com/CYjjbFu.jpg
https://i.imgur.com/JAh72Lc.jpg
https://i.imgur.com/4HQxwHE.png
https://i.imgur.com/xLqzF51.jpg どう考えても京都周辺にあったとおもう
九州には全線基地しかないよ どこがどう揺らいでるのか、有料なのでわかりませんねw 大和政権の勢力範囲が現在の奈良県の範囲だというのは
それはそれでいかがなものかと 九州説だと都合が悪い人がいっぱいいるってのがね。
どうしても近畿説じゃないとってのがねw >>202
なんだよ、このバカはw
京都なんてこの時代に存在すらしてないんだぞ
ナクヨウグイス平安京って語呂で覚えなかったのか?そこの劣等生はw
倭は
音がワで
訓がやまと
涙拭けよトロ臭い猿
↓ 邪馬台国からかなり時代が下るモンゴルの元の頃でさえ地図では日本列島が
東西で無く東日本が上で南北で描かれている 卑弥呼の時代も当然そうである
から陸路が南というのは東へのことで大和地方になる 帝政ロシアとロシア共和国は同じ国じゃないし
ソ連もそれらとは全然違う国 魏志倭人伝に倭人は老若男女、刺青をしているという有名な記述があるが、これは当時の福建省の風習と同じ
そのため中国大陸にも倭人は福建の末裔という記述があり 当時の魏での邪馬台国の発音は「ヤマドゥ」と中国人の学者が唱えてた
つまり「ヤマト」ってことさ >>210
地図といえばこんな地図がある
ps://i.imgur.com/q9anocl.jpg
日本は倭国の別種なりという文言が具象化したような地図だろ
つまりこういうことなんだよ
魏志倭人伝の倭国とは九州であり、倭国連合の邪馬台国も当然九州にあったということを証明する地図 久留米市の祇園山古墳を卑弥呼の墓と考えている者がいるようだが
倭人伝では卑弥呼の殉葬墓は百余基となっており、祇園山古墳の殉葬墓は
六十余基しか無いので卑弥呼の墓では無いのは明らかなのに今でもわめき続けて
いるキチガイがいる。百の実数が六十だとしたら倭人伝に書かれた数字は
総て信用出来ない事になる。数字どころか方角さえも信用出来ん事になる 中国で「倭」というのは福建省以南の少数民族を指していた
刺青して稲作するのが特徴
古代中国の文献には今の福建省のあたりに倭人がいたという記録があるのだから ふだん「漢とか唐とかは中国じゃない」って言っていそうな奴が
同じ口で「邪馬台国は大和!」って言っていそう >>159
全然違うね
漢の時代にばく大な権力を築いて100国を配下に収めたのはまぎれもなく奴国
博多周辺の遺跡物は当時の権力の強さを証明している
漢から最大級の同盟国家の後ろ盾を得た後は誰も逆らえず、世代交代に連れ慢心したであろうことは世の常。
2世紀後半にもなると、その後ろ盾である漢がぐらついたことで、倭国も荒れ権力闘争が始まる。
権力欲が強い男王の上に女王を共立し、伊都国という特別行政区を設立するも、そこのトップは奴国の王が就任。
帯方郡が新たな権力者によって平定されると直ちに挨拶に向かい、権力の立て直しを図った。
帯方郡は半島を平定するのに倭人を利用することが最も効率的で、丁重におもてなしをする一方で
漢の時代の時のように倭国を平定してより強力な貢献するよう促している。 北九州から船が来て、中国地方にもクニがあったであろうことはわかる。
畿内にクニがあったとして、そこから東シナ海を渡ろうとしたのはどういう魔法使いがいたのだろうか。
畿内のクニは北九州を治めていたのか、それとも現代のような地図ができていたのか。 やまとの読みに拘ると九州にいくつかあるやまとのほうがそもそもの意味と合致するからやめろ >>224
だよな
あの勢いで弥生時代の時代区分捏造してんのよ
だからオレがんなことやめれキチガイつってるわけ
何度も書くが元の時代の古地図でも日本列島は東を上にして南北に描かれてる
昔は中国は海外、それも島は化外の地と見てたから関心も無くいい加減
魏が邪馬台国に少しは気を使ったのは台湾の位置に南北に日本列島があると思ってた
から、敵の呉への牽制の意味もあった なので陸路の南は東へのことで奈良になる ファンド(山陰・吉備・東海)復興、開拓、宗教地
近畿一帯だな。 ヤマト=山門と考えればヤマトとはどういう地域なのか答えが出て来る 倭の五王が近畿日本の天皇なわけがないだろが
何猿丸出しの捏造してんだよトロ臭い猿どもが
畿内説ってのはムリクリ皇室と大和朝廷にこじつけることを大前提としてるから掘れば掘るほど「違う」という証拠しか出てこない いままで誰も指摘しないけど魏志倭人伝の記述って瀬戸内海のこと書いてないよな
実際に横切ってたらありえなくね? 邪馬台国は徳島説が一番有力ってテレビみたことあるぞ。 >>236
良く分かんないけど多分糞食って死ねば治る 東と南間違えるやつが魏から日本までたどりつけるわけねーだろ
だから倭の五王の比定は学会ぐるみの捏造だろ
あの勢いで弥生時代の時代区分の捏造やってやがんのよ
こんなもんもう学問じゃねーだろがトロ臭い猿が
頭腐ってんのかトロ臭い猿
頭腐ってるトロ臭い猿がたまらず一句
↓ >>238
東南と北東間違えるやつが魏から
日本までたどりつけるわけねーだろ >>4
そもそも、そういう蜀の後背国と同盟結んだら上手くいったのに
味をしめて
呉の後背に魏の味方が居るよう
盛り付けた話だからな
存在してないんだよw 俺は近畿でも九州でもないから畿内説でも北九州説でもどっちでもいいけど
最近、奈良で見つかった巨大建築後の地には山陰や山陽や北陸の土器が見つかり
その地が大使館みたいな場所らしい 北九州にはそういう在るの? 北九〜瀬戸内海〜大阪だと中国〜朝鮮くらいの距離あるわけやん
瀬戸内海の記述がないのどう考えてもおかしいやろ
てことで九州で決まりや >>240
大体、太陽の登る方角を東として考えて行動してたわけだから
方角間違えるわけないのよねw
頭がおかしいとにかく
ウソつきの猿は本当トロ臭いw >>241
それだ
一番しっくりくるわ
1日で千里走る馬レベル与太話だな 俺は中国地方だからどちらでも良いけど、北九州説を唱える学者たちをTVとか
で見ると韓国人みたいに感じる 冷静でなく北九州説以外は認めない木印 因みに中国人は方角はとにかく東中心で考えてた
東西南北でも東南西北でも東が先頭
あと、東は木と日から出来てる漢字でモロ方角用の漢字だが
他の西南北はどれも最初は方角用の漢字ではなく、別の意味の漢字を方角用に流用したもの
豆なトロ臭い猿
九州は大陸に近いから先進地だったのは間違いないが、神武東征みたいな東に向かう流れが謎だな。 >>134
テメエの妄想撒き散らして「それお前の妄想じゃね?」
とか「ソースは?」とか言われると「このバカモノー」と
喚く。老害ケンモメンそのもの >>251
うん正しいよ
本居宣長と大体一緒の言い分 北九州は太宰府同様に出先機関の地 北九州説なら東遷の理由がわからない >>222
おいおい、共立は共立じゃないってのw 何勘違いしてんだよw
いや、日本の古代やってる学者全員が勘違いしてんだけどねw
で、その学者たちをバカにしてるのは俺だけじゃなくて、
昨年正月にやったNHKの番組でも歴史作家が完璧に馬鹿にしてたw
それゃそうだ、政治を理解しないから 共立=連合国家 になる訳でw
その番組自体が、中国の古典やってる先生を連れてきて、
共立は共立じゃないよと、やんわりと学者どもに教える番組だった。
が当然のこと全く効果が無かったので歴史作家が馬鹿にしたわけw >>256
まじか?
宣長先生がそう言ってるならやっぱり九州や 当時の魏の「邪馬台」の読みは「ヤマドゥ」らしいよ
中国人考古学者言ってた つまり「ヤマト」さ >>23
糸島は玄関口なら分かるけど国の首都としては攻められやすく守りにくいと思う >>262
実は推論がおかしいんだが
結局あってるってレベルのシロモノだけどね
だから稀代の碩学だけあって本居宣長が一番真実に近いのよね
これはさすが
しかし、本居宣長が一番間違っていたのが彼が一番大事にしていた皇国史観
実は九州倭国こそが本来の正統だった >>4
そもそも九州説が間違いの可能性がある
存在してない国を勝手に邪馬台国と学者連中が決めつけてると思うわ 皮肉なもんだよ
一番大事なところが一番間違ってたわけな 宮内庁管轄の天皇陵が調査できたら
古代史の研究進むのにね
空白の4世紀が気になるわ >>222
続き
2世紀後半から3世紀ごろの情勢をおおまかに予測すると
女王国連合は九州北部から大分付近まで
強力な敵対勢力が南の熊本にあり
山陰、山陽の倭国はこの隙に東の別の倭種との交流が始まる
半島の倭国連合は女王国とも協力関係にあるが、山陽ルートで近畿の開拓が始まる
3世紀後半に、魏の使者である張政等は戦闘の加勢に来たのではなく
倭国統一を訴え魏と強力な関係を作るために各地の権力者と和平交渉をしていたのだと思う。
しかし結局時代とともに大陸の覇権争いも安定しているとはいえず、
いずれ大陸に敵対勢力国家ができ、圧倒的な武力で侵略されることを恐れ
倭国どうしで権力争いするのではなく、大陸の勢力に対抗するための倭国統一国家の建国が始まったんだろう。 内緒なんだが、宮内庁は邪馬台国は出雲と認識してるとか ソビエト沿海州極東の「東京」では朝鮮通信使が金日成王朝の後継者への「メガネ眼鏡」を受け継いだ偽秋篠宮金日成王朝の後継者が演説してますぜW このトロ臭い猿っての良いな
まんまだもんな
これから多用するんでよろしくなトロ臭い猿w 倭は中国人の辺境民族への蔑称
邪馬臺國は1つでは無く年代によって移動していた このトロ臭い猿っての抜群やんww
もうこればっか使うわwww 邪馬台国は連合国家名で卑弥呼がいた都は宮崎にあった
神武天皇の先祖が卑弥呼でこれを天照大御神として祀っている
天孫降臨の地は高千穂で神武天皇の東征はここから始まった 北九州が2世紀初頭からずーっと朝貢して面倒見てもらってきた
漢(洛陽)も燕(楽浪郡・帯方郡)も
4世紀初頭(308年)の五胡十六国の戦国時代開始とともに滅ぶ
266年のトヨの朝貢を最後に中国の歴史書から
倭が姿を消すなんて当たり前でしょ?
超先進文明だった親分(魏・晋含む漢帝国)を失った北九州の地位も
日本列島の中で急速に下がっていくわけよ
そうして4世紀初頭に北九州と近畿の立場が逆転する
近畿の前方後円墳が九州含め全国に出来るようになる
近畿が4世紀に力をつけた背景は高句麗が三韓を攻めたために
三韓が倭との協力関係を強化し本州日本海側の都市のと交易し
その富が奈良盆地に結集したため
だから纏向は高句麗が南下し始める308年以降の遺跡のはず
この説は纏向の年代測定とも矛盾しない >>240
そもそも魏志倭人伝の記述で壱岐や糸島辺りで方角が徐々にズレていってることくらいわかっているんだよな
明治時代の論争から言われてること >>240
呉の牽制になるから南にあった方が都合が良かったんだろ
松浦地方とかも東に北松浦と90°直角に曲がって名残があるし ヤマト国、姫巫女(ヒミコ、ヒメミコ)なんだよな、本当は。
戦前は皇国史観、戦後は自虐史観で、古代の歴史が歪曲されているからまず名称から間違ってる
邪馬壹国の元の場所はおそらく北九州の奈良と同じ地名のある地域だろうけど、
元あった地域は下賎な地域になってしまったからわからないままでいいよ >>260
お前が俺の意見を全く理解していないだけだろ
古代国家は基本的に武力に頼った独裁国家しか成り立たない。
男王による独裁国家だと国が荒れてしまったので、国のトップは女性にして、伊都国に官僚組織を集めた行政国家を作り
奴国の王は軍の司令官として国政と治安の維持を担う。
ある程度独裁の匂いは緩和されるが、結局裏で支配しているのは奴国の王だろと見透かされるのでせいぜい30国程度しかまとまらない
それぞれの国が女王を崇拝して従ったなんてまやかしだよ。 福岡県民、最近メディアでは纏向とかで畿内説確定みたいな感じだったので
伊都国とか争いのないクニで町おこしをしていこうという論調に
市役所とか文化財課とかなってたのに
マニアの間では圧倒的に九州説優勢なんだなあ >>291
そんなこと分かってないよ
はい、論破w >>272
ちゃうよ。
強大な大陸があって、そこへの朝貢により秩序がつくられる。
Pax Sinica だよ。
それが揺らいだ時に、実力だけがものを言う世界になる。
漢の権威が揺らいだ時期に倭国大乱も起きてていて、それまで
漢倭奴国王の親分として列島に覇を唱えていた邪馬台が敗れた。
妄想はいいから、ちゃんと魏志の原文を読め。
で、前スレ 331、812とかも見れ。
更に、4世紀に入ると華北崩壊、東亜秩序が完全消失。
この隙に、奈良の大倭(ダイワ)は歴史的権威の九州邪馬台(やまと)を
滅ぼし、その権威を継いだ。「大倭(やまと)」だ。
(後に倭の字を嫌い改字して「大和(やまと)」となる)
これを以って、*名実ともに* "倭国統一"がなった訳だ。
Pax Sinica が終わったことで地域統一が進んだ。百済や新羅も同様。 >>293
呉の牽制にはならないよ
中国側に方角をあえて変える思惑があるとすれば司馬懿の功績を水増しするため 卑弥呼が太陽信仰の巫女というのは現代では常識みたいになってるけど
いわゆる魏志倭人伝にはそんなことは書かれてない
魏から贈られた鏡が太陽信仰につながっていそう
ヒミコの読みからの類推(日巫女)
あと、日食とヒミコの死が関連付けられそう、という話があるだけ
鬼道から考えられるのは神降ろしをしていたのだろうけど
なんの神を降ろしていたのかは分からない
安易にヒミコとアマテラスを繋げるのはどうかと思う(女神に女巫女というのも?) 邪馬台国を台湾にすれば日米安保条約が台湾に適用されるし、中華人民共和国台湾省になることはないんじゃね?
それでエエよもう 2世紀の倭国大乱というが
当時の戦争なんて河川利権と米蔵強奪、嫁泥棒ぐらいのもんだろ
つまり県境の隣に攻め込む以上の遠出をする戦争には意味が無い
出雲の国譲りだって隣接した近畿と山陰での出来事
近畿が北九州を支配下に置くためには
文字、馬、車輪、道路整備が足りていない
6世紀の磐井の乱の時代にはそれらがそろった >マニアの間では圧倒的に九州説優勢なんだなあ
ていうかマニアは社会的制約がないからな
その点、畿内説の学者は社会的地位とか生活に縛られている
白石のタンタンとした話しかたとか、いつも半ば笑ってるような佐原の目つきとか
自説を説くのに、まるで「一生懸命さ」が見られない
まるで、あの袴田事件で、人間の良心を捨ててた割り切りで、この今において、有罪死刑を主張している上級審検事の表情だよ 倭は中国人の辺境民族への蔑称
邪馬臺國は1つでは無く年代によって移動していた つまり邪馬台国は1つではなくいくつもあると…
それだ!! >>303
それ全部解明済み
オレがいずれ全部説明してやるよ
弥生時代区分捏造してるの認めるならな >>309
うん
移動してるね
山門→御井→甘木・朝倉→太宰府 >>307
あと1つ
マニアの中には知能、中でも、全体を俯瞰して全体を見抜く能力が考古学者よりも高い奴は多くいるだろう
何せ、学者といっても文学部考古学教室だろ
クラスの中のトップクラスがいくところではない >>305
邪馬台国の巫女が奴国王を誣告したのが発端
奴国王が邪馬台国の巫女を斬り殺して、戦争が止まらなくなった
多分お互いの巫女の殺し合いをした
ファルージャみたいな凄惨な殺し合いをしたみたいね
その跡があの有名な甕棺墓列なわけな
(時代誤魔化してるが) >>300
漢の権威が揺らいだ時期に倭国大乱も起きてているところまでは俺と一緒だが
当時の勢力にはまだ近畿は九州とはまったく無関係
半島でとれる鉄の広がり方は、漢倭奴国王の勢力と大きな関係があり、
2世紀の倭国大乱の時代はまだせいぜい山陰山陽まで
近畿から出る遺跡物からも文化圏が全く違う
近畿圏が大陸文化が入るのはどう早く見積もっても3世紀以降。
倭国大乱というのは、新興勢力との戦いではなく、支配層の中から不満が増幅しての反乱だからな。
3世紀の魏志倭人伝の30国に、20国以上が近畿より先にある国などということは100%ありえない。
お前が魏志倭人伝の原文を読め。 >>312
アメノミナカヌシから壬申の乱まで全部を自然に統一的に説明することに成功したのは
この世でオレ一人だよ
>>312
アメノミナカヌシから
壬申の乱まで全部を
自然に
統一的に説明することに成功したのは
この世でオレ一人だよ
伊都国は実は二つあったと思う
佐賀付近が前伊都国(魏志倭人伝の伊都国)、糸島付近がその100年後の神功皇后の頃の伊都国
どちらも同じ人らが支配してたんじゃなかろうか >>291
奴国の方角も魏志倭人伝と実際の場所とではズレてるな
ここまでは九州論者も畿内論者も場所がだいたい一致するところ
このオレが
誰も気づいていない世紀の大発見、
多分、オレが公表しなかったら永遠に誰も気がつかないと思われる大発見をした
弥生時代の時代区分を誤魔化してることを認めたら公表する
公表しなかったところでオレは何も困らない
つってんだよトロ臭い猿ども
>>320
いいや
ドンピシャだな
良くここまで正確な記述したなと舌を巻くレベルだね 陳寿はまあ天才だね
良くもまあと思うくらい正解な記述をしてる
お前らがトロ臭い猿なだけ いわゆる魏志倭人伝では奴国が二つ出てくるように見えるけど
実は一つ >>315
倭国大乱は、邪馬台の内乱じゃねーっての。
前スレ読めや。
それから、土掘って全てが解る訳じゃない。そこ間違っちゃいけない。
倭国大乱は、2世紀末頃だ。
だが、そこで全てが一気に変わった訳じゃないと思う。
卑弥呼の死後、邪馬台の覇権復興をかけて男王が立ってる。
この戦に邪馬台が敗れたことで、新時代の秩序が確立したと思う。
邪馬台女王臺與(壹與)の時代が始まる。
3世紀のことだろ。お前さんの言う3世紀だ! >>291
九州説論者の面白い所は
一支国は記述と違う方角の壱岐だとし
伊都国は記述と違う方角の糸島だとし
奴国は記述と違う方角の那津としてるのに
南に水行だけは頑なに南だと言い張ること
さらに南だと言い張っているから水行20日水行10日で日本列島に収まらなくなって
無理矢理な解釈で日本列島に収めようとしている 魏志倭人伝と後漢書だけでそこまでわかるものなのか
>>159が頭の中に整理されてるのもすごいが書き残されてるのがまず偉大だな 地政学がわからんとだめだというのはわかる
書き残されてることの解釈が全部狂うからな
現代のウクライナの件が世界中で本に残って未来で研究されたら
西側と東側で全然違う話になるわけだ笑 >>331
俺が読んでも簡単に解るんだから、魏の遣いは全部お見通しだったってことだなw
魏も魏で思惑があったから、倭国内の権力構造(誰がホントの支配者か)なんて「こまけぇこたぁいいんだよ(aa略 」とばかり、大倭(ダイワ)に騙されることにしたんだろw
(ホントは全部わかってたクセにねw) >>334
そんなところだろうね
勉強になったよ
ありがとう 場所すら定まらないようじゃ資料として使えないわな
「正史」が書かれる理由なんて権威の正統性の保護のためで正確さなんて二の次だし
そもそも卑狗奴倭のような侮蔑的な漢字を当ててある物なんぞ真顔で読む必要などないのだ
都合よく「其風俗不淫」という部分を取り上げて「民度高い」とか利用しときゃいいんだよ 邪馬台国の首都は近畿、卑弥呼は土蜘蛛で九州
まとめて更地にして新しくしたのが神功皇后、日本の母 日本の領土は中国からの借り物
日本はでっかいシーランドみたいなものだ 日本人は民族や風習文化が同じじゃないと違う国だと考えがち
だからオスマントルコとか言い方して学校で教えてたんだよ
オスマン帝国にモンゴル高原の顔はおらんのだよ
それな比べたら土蜘蛛とか近親相姦みたいなもの ★★[神武東征]
筑前(1年) → 安芸(7年) → 吉備(8年) → 畿内
↑
豊前
↑
日向
初代 神武天皇
第2代 綏靖天皇
第3代 安寧天皇
第4代 懿徳天皇
第5代 孝昭天皇
第6代 孝安天皇
第7代 孝霊天皇
第8代 孝元天皇
第9代 開化天皇
第10代 崇神天皇
第11代 垂仁天皇
第12代 景行天皇
第13代 成務天皇
第14代 仲哀天皇
第15代 応神天皇
第16代 仁徳天皇
第17代 履中天皇
第18代 反正天皇
第19代 允恭天皇
第20代 安康天皇
第21代 雄略天皇
第22代 清寧天皇
第23代 顕宗天皇
第24代 仁賢天皇
第25代 武烈天皇
第26代 継体天皇(507? - 531?△)
第27代 安閑天皇(531? - 535?)
第28代 宣化天皇(535? - 539?)
第29代 欽明天皇(539? - 571?)
第30代 敏達天皇(572? - 585?)
第31代 用明天皇(585? - 587?)
第32代 崇峻天皇(587? - 592?)
第33代 推古天皇(592 - 628) 祇園山古墳を卑弥呼と考えている者は邪馬台国連合国家の三十余国も
疑っているんだろうな?疑わなければウソになる 弥生時代末期の畿内に強い勢力などある訳が無い、まともな
鉄の出土が無いのに強い勢力など作れる訳が無い、関西バカは
黙っていろ 九州で出土した「鉄の鏡」が「高級品」じゃない理由。
そもそも高級品でない鏡も鉄よりも高価な青銅で作る。
曹操は死ぬとき「金銀を墓に入れてはならぬ」と遺言した、
それは、その時まだ戦時下で「墓の副葬品に金銀を使って国力を衰退させてはならぬ」ということだった。
同様に銅についても、戦時の軍事物資であるため、銅(金に同じと書く)も同様に副葬品とすることを禁止した。
だから曹操の副葬品の鏡が安物の鉄だった、
いわゆる本物のお金の代わりに紙の銭を副葬品にするようなものだった。 奈良はやや北よりの東だもんな
それを南だと2ヶ月間間違い続けるんだ
あり得ない
なので畿内説もあり得ない 倭人伝に記載のある争いは2つあり、1つは邪馬台国王を選ぶ時に起きた
国内での騒乱、この争いで千人の国民が死んだと記載がある。
もうひとつの争いは邪馬台国の南にある狗奴国との戦い。
卑弥呼はこの戦いの最中に亡くなっている。 奈良からは鉄の鏃は殆ど出土しないし、騒乱が起きた形跡は全く無いから
邪馬台国が奈良では無かったのは間違いない。吉野ヶ里の甕棺墓の
遺体には首の無い遺体や鏃が刺さったままの遺体が出土している 日本中ほとんどの論者が魏志の倭人伝の(日本語訳)しか見ていない。
倭人伝があるなら諸国の「伝」もたくさんあるが、その分量たるや
倭人伝が圧倒的に抜きんでている。一巻の小説のようだ。
なぜこんなにも「倭人」にこだわるのかと思えてしまう。 >>317
魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たと書かれてるよね。
>>323
魏志倭人伝には正確に記述してあるのに読んでる人の心に邪心があるとズレてると思えるんだ。
>>325
「周旋可五千餘里」で倭地を一周して奴国から奴国へ戻って来るんだ。 半島から九州に渡って
そこからわざわざ奈良まで行かんよな 邪馬台国はジャワ島
邪馬台国の近くにあった小人の住む国はフローレス原人 >>329
里数の行程と日数の行程を続けて読む事が間違いなんだ
里数の行程と日数の行程は別々の資料にあったものを併記してるだけ
距離と時間で同じ行程を二重に説明しているだけのこと
繋げて読むから日本列島に収まらなくなる。 北部九州で大量に出土した甕棺墓は畿内ではまったく出土しない
畿内に多いのは北朝鮮発祥の方形周溝墓が滋賀、奈良、大阪で
大量に出土している。要するに弥生時代から北部九州と畿内は
異民族だったと言う事だ >>356
末盧国への上陸した時点で目的地は九州内に在る事は明白だよね
奈良に行くならそのまま船でもっと近くまで向かう。 >>360
倭人の本格的な畿内進出は5世紀以後だろうね
5世紀頃から鉄器や文字が日本列島全体で使われ始めてる。 >>348
畿内説は「九州説を批判した理屈」と同じ理屈で畿内説も否定されてしまうことが
理解できてないところが凄いと思う ID:Ma1/57qJ0は
親が異説を唱えて学会を追放された挙げ句
酒に溺れて一家離散した家庭で育ったのか? >>307
畿内説の学者は自説が間違っていたとなると職を失い生活に困窮する可能性があるからな。 >>355
伊都国にいたとは書いてないし
糸島の古墳は発掘調査済みで
「物的証拠」から邪馬台国時代のものではないとすでに判明していますよ笑 >>366
糸島の古墳群は邪馬台国の時代にも掛かっているよw 倭(委)奴国57年と倭面土国107年が同じ国であるのか、ないのか、あるとすれば倭奴国は金印を貰ったが107年には100国の1つに過ぎず、後漢から拒否されている、また、違う国なら倭人伝でいう過去通ずる所100国から100国の中では倭面土国より力を落としているだろう、そして倭国乱れ暦年、100国を纏める主無しの状態で卑弥呼が現れ30ヶ国が従ったということ。九州はこれが北九州だけと言っとるがこれでは前方後円墳が説明出来ないのだよ、前方後円墳は当時の在倭人の能力では生まれる筈もなく、700年日本になった頃でさえ百済の五経博士なくして成り立たない状況であったように卑弥呼五斗米道集団が畿内に拠点を築いたとするのが極めて自然なんだよ。 >>368
前方後円墳が特異だと言えばいうほど
その形状が倭人伝に言及されなかったことと矛盾してしまう
つまり…… >>363
よくあるのが会稽東冶の東と書いてあるから九州ではない、というやつ
畿内はもっと遠いわけだが、とにかく九州説さえ否定すれば畿内になると思ってる
それは実は本人も九州の可能性が高いと感じてるんじゃないのかなと疑ってるよ 伊都国と狗奴国が九州なんだから間にある邪馬台国も九州だろ
そこだけ抽出して畿内とかメチャクチャだろ >>366
>伊都国にいたとは書いてないし
魏志倭人伝の2か所に書いてあるけど
意訳する時にわざと分からない様に訳されてるね。 畿内から九州まで支配する超大国が、狗奴国ごとき倒せなくて、わざわざ魏に朝貢しに行くわけがない。 であるからして、曹操魏から離れ列島で女王になり、朝貢の使者を送り、帯方太守は半島攻略中にも係わらず使者に案内をつけ都まで送り、皇帝曹叡は卑弥呼の生き様を我甚哀汝と称え、朝貢、そなたの行為は我が曹魏への忠孝、親孝行と言っとるのだよ。そして親魏を与える。卑弥呼は鬼道五斗米道の巫女以外に有り得ず歴史上実在する比定者は張魯の娘、張h瑛しか居ないんですよ。陳寿が2000字を使い他の蛮夷の話より倭人伝に割いた理由は魏と縁ある巫女の話を魏志としたのだよ。わかりましたか。 >>361
九州に上陸したあとに水行20日で投馬国と書いてるから
九州からは船出するという事で目的地は九州じゃなかった事がわかる >>355
伊都国にいたのは「王」
卑弥呼は「女王」
魏志倭人伝の文中では卑弥呼は倭女王で統一されてる
親魏倭王は魏から贈られた王爵なので王と書かれてるだけ >>370
会稽東冶の東は今で言えば福建省福州市の東で沖縄や台湾の辺りだから
九州じゃないと言ってるのは当たりの事を言ってるわけだけど
それを九州と強弁してるのが九州説 >>379
それを畿内だと言う方がもっと強弁だと言ってるのw 369、倭人伝に言及されていない、そんな事ないんですよ、何度も言うように卑弥呼は鬼道、これで中華のインテリは解るんですよ、玄学ってのもすぐ生まれてますしね、五斗米道老子道徳経は天皇太一を祀るんです。伊勢神宮のようにね、でその天皇太一を助ける者を台と呼ぶんですよ、台与が後を継いだで説明してるんですよ。 >>380
会稽東冶の東は畿内だなんて誰も言ってないよ
魏志倭人伝の邪馬台国の位置は間違った場所が書いてる事は明らか
それを畿内に比べてロクな証拠がないから
放射読みとか短里とかで九州だった事にしようと牽強付会してるのが九州説 渡来人には2系統があり、最初に渡来したのは大陸南方のの江南人が
弥生初頭に朝鮮半島経由で九州北部に渡来し、その後弥生中期に
朝鮮半島北部から北方系民族が北部九州に渡来した、
しかし北方系民族は北部九州には長く留まらず本州に移動している。
恐らく先住民との戦いに負けて本州に移動したと思われる
江南人の墓は甕棺墓で北方系民族の墓は方形周溝墓、甕棺墓は
北部九州の限られた地域からしか出土していないが方形周溝墓は
全国殆どの地域から出土している特に滋賀県と埼玉県が多い。
※方形周溝墓は北方系民族の墓で平壌付近で弥生時代以前の
方形周溝墓が大量に出土している(Wikipedia) 会稽東冶の東を信じてる奴はバカだよ。
まず、中国人学者も無視してる。
1140年『古今華夷総図』、1532年『四海華夷総図』などの地図を見れば、中国の外国の地図がいかにいい加減か分かる。
ましてや、239年とかに方角や距離を正確に描けるわけがない。 >>383
景初三年や正始元年など
魏志倭人伝に卑弥呼が魏に使いを出したと書いてる魏の年号が入った三角縁神獣鏡や
径百歩の墓の大きさに相当する前方後円墳
大和は邪馬台のことという隋書の記述ほか
畿内からは魏志倭人伝に書いてるものが見つかってるからね また三角かよ
それ国内で作ったんだろ
ただの過去へのリスペクトだろ 世界のあらゆる地図は、超絶テキトー。
会稽東冶の東なんて信じてる奴は、世界のあらゆる地図を見るべき。
ひどい地図ばかり。
まるでテキトー。超絶テキトー。
まともな地図を描けるようになったのは、せいぜい19世紀から。 >>388
会稽東冶の東って記述は
実際に会稽東冶から船を出して日本に行くという航路で
実測したわけじゃなくて、だいたいこの辺りという想像での記述だろう?
それに比べて朝鮮半島の帯方郡からの行程は実際に人が日本に渡海するための航路
正確性が全然違うわな 夏后少康の子は会稽山に葬られた初代禹の祀りを絶やさないために会稽に封じられた
そんな逸話が挿入してあるのに会稽山のある浙江省紹興市ではなく福建省福州市のことと思うかね
浙江省の緯度なら鹿児島のちょっと南くらいだから当たらずとも遠からずなんだよな >>354
支那震旦國皇代歴記
・殷は倭なり。
・「東胡」「匈奴」も、倭国と同祖・同族という。 >>387
三角縁神獣鏡を分析したら
魏の銅鏡のものと同じ銅で作られてる事がわかったよ
つまり三角縁神獣鏡は魏で作られた鏡
魏の都のあった洛陽でも発見 >>392
それが本当だとしても魏の銅製品を溶かして
日本で鋳造しなおした可能性もあるだろ 卑弥呼が鬼道を導入した、第二次世界大戦後マッカーサーが民主主義を持ってきたようなもんですよ。九州説なんて無理です。ただ卑弥呼を箸墓にしてしまうと記紀が危機なんでいつまでも、九州だ、畿内だ、と地域論争をさせてるだけです
。 1507年のバルトゼーミューラーの世界地図には、日本らしきものさえない。
朝鮮半島はあるのに。
1532年『四海華夷総図』、1140年『古今華夷総図』でも、日本は超絶テキトー。
それなのに、会稽東冶の東とかを信じてる奴はバカ。 畿内説はよくがんばったよ
あんなど田舎に邪馬台国があるわけないのはわかってただろ >>390
中国からは三角縁神獣鏡なんぞ出土してませんが? 🇭🇺ハンガリー語にも古いアジアの言葉が化石のように残っている 文法が、違う
上海語も元は別言語だろ?日本語のような。 >>377
横だが
九州上陸後
「渡海」はしていない いちいち匂わせしなくても
スキタイ−アルタイ−ヤマタイ言えばいいだろ え!洛陽で三角が見つかったの?
と思って検索したら胡散臭いものと分かる
期待した人は大いに失望するだろう
そんなものにすがりたくなるほど追い込まれてるのかと人は思う
畿内説にとって意味のある投稿とは思えんね >>377
九州からは船出はしていないよ、水行20日は帯方郡からだよ
7000+1000+400×2+1000+300×2+1000+500+100=12000
で12000里の行程は終了してるし、単位が里から日に代わってるから続けて読むと目的地までの距離も時間も分からないよw
>>378
「女王」も「王」だよ
卑弥呼が魏から王に任命された時点で卑弥呼の配下に王はいないよ
卑弥呼が倭王になったら配下の者は王を名乗れない
もし伊都国に別に王を名乗るものが居たら倭王卑弥呼に対する反逆者だよ。
よ >>394
魏で作られた可能性もあるだろ
三角縁神獣鏡は魏の都のあった洛陽でも見つかってるからな 三角縁神獣鏡は日本では500ほど出土してる。
ところが、中国では骨董市で1つだけ。
普通に考えて、日本から中国に渡っただけ。 日本から渡った三角縁神獣鏡が1つぐらい中国から出てきても何にも不思議ではない。
それどころか、ヨーロッパから出てきても不思議ではない。
畿内バカは馬鹿すぎる >>396
ps://i.imgur.com/pWm255S.jpg
『四海華夷総図』見ると、日本と倭国は別の島として描かれている
方角が適当に見えるのは、現代の地図と同じように北は上に描くものと決めてかかっているからで
この時代の地図は明らかに中国が世界の中心でそこから放射状に周囲の国々を描くという手法なので
中国からの距離だけで、周辺国の方角を描いていないからこんな地図になっている
方角が適当なのではなくて、現代の地図とは描き方が違うだけだろうなと思えて仕方がない
それよりも中国人にとっては九州だけが倭国という認識があったことが重要だと思う
邪馬台国畿内説は絶対に間違い
なぜなら畿内や倭国に入っていない >>409
近くの畑から出土したと言ってただけだよ
確かめた人は誰もいない。 >>403
九州の不彌国から水行20日で投馬国
そこから水行10日陸行1月で邪馬台国とある >>407
中国のしかも魏の時代の鏡は皆サイズが小さい。
三角縁神獣鏡は大きいから明らかに中国で作られたものではない 畿内説なんて大和ギャグから始まったもの
村おこしとか関西考古学会の自称考古学者たちが唱えてるだけだぞ 方角を疑うなら
迷って時間がかかるは疑わないのかよ >>406
九州の不彌国から水行で向かう先は投馬国
これは瀬戸内海の鞆(とも)の浦とされてるね
朝鮮半島の帯方から向かうのは狗邪韓国と魏志倭人伝に書いてる >>412
発掘現場と見つけた人の名前もわかってるそうだよ >>417
中国人の骨董屋だろ?
何か循環させてワンチャン模索してんの? >>413
中国学者は邪馬台国は九州にあったと言ってるけど >>420
中国の学界で認められているの?
なんか話を聞く限り日本の畿内論者が必死に
証拠ねつ造しているようなイメージなんだよな
日本から三角縁臣従を一枚持ち出して
中国の骨董屋に金わたして、畑で発掘したことにしてくれとか工作したんじゃね? >>415
比較的大きいものも見つかってるね
サイズの大小はあまり証拠にならない 中国から三角縁神獣鏡なんて、神の手のアイツと同じ
馬鹿すぎる
1800年間で日本からヨーロッパに1つぐらい渡っても不思議ではない。
アメリカから出てきても全く不思議ではない。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E8%B6%8A%E8%AA%9E?wprov=sfti1
あの、🇯🇵日本語はオーストロアジア語系単語とウラル語族系単語が混ざっている訳でw
百越語はオーストロアジア語族だろw🇻🇳ベトナム語の方が近かったんじゃ? >>423
それならそう証明しなきゃ
証明されなかったら洛陽から三角縁神獣鏡が出たというのは事実として認定 >>428
だからw
中国の考古学会での扱いはどうなの?って聞いているんだよw 胡散臭い三角よりもっと確実な洛陽晋墓の話したらいいのに
300年前後とわかってる墓から蝙蝠紐座内行花文鏡と位至三公鏡が多数出ている
日本でこれらの鏡は福岡に分布の中心がある 日本で何百枚も出ているのだから、本場ではさぞかし何千枚も出ているのだろうな 一つの中国で話まとめてるから
辻褄合わなくなってくる 水行と渡海の区別について、
では中国福建省から台湾に至るには、水行、渡海どちらで書かれていると思いますか? >>429
洛陽から発見された三角縁神獣鏡は白馬時の近くのユウ村という村の畑から出土
長時間土中に埋まっていた事を示す赤サビがあり
紋様などの鑑定の結果240〜250年辺りの
三角縁神獣鏡第U期の特徴を供えている事がわかっている >>431
たった一枚だけ
しかも骨董屋が畑から発掘されたものですって言っているだけだろw
これが証拠になるわけがないと素人目にもわかるわw 九州に上陸してからずっと南下、もしくは東南下してるんだよねえ
これでどうやって畿内に入れるのかわからん
問題の女王のいる邪馬壱国に行くルート「水行十日、陸行一月」に望みをたくしてるんだろうけど
これは「水行十日した後さらに陸行一月」という意味なのか
「水行だと十日だが陸行だと一月かかる」という意味なのか 研究者の中でも解釈がわかれてるところだよね
んで女王国より以北の他の国は遠くて情報もなく、詳しく知ることは出来ない、って国の名前だけ並べてるから
それらは伝聞で現地に行ってないと思われる
で女王国の南に女王に属さない狗奴国があると >>431
だよな。
日本では500枚。
中国からは骨董市で1枚だけ。 魏志倭人伝の記述のみをこねくり回してた時代は九州説もいけたけど(あと金印があったから)
発掘調査が進んで鏡やら土器やらがバンバン出てくるようになると畿内説が当たり前になった感じよね >>437
三角縁神獣鏡は形態からすると斜縁神獣鏡の一種
斜縁神獣鏡は魏でよく見つかる形式の鏡だよ 魏志倭人伝に、「一大率があり、中国の刺史のようである」との記述があり、
陳寿がこの部分の竹簡を魏志倭人伝に採用したのは間違い。
魏志倭人伝時代の中国の「刺史」は行政官である。
ということは、一大率は行政官ということになるが、実際は監察官である。
すなわち、陳寿は、刺史が監察官であった前漢の時代の「竹簡資料」を魏志倭人伝にそのままねじ込んでしまったのである。 大和(やまと)と誰が言い出したか知らないが、中国史書に書いてないし、どうせ記紀の編纂者が言い出した事だろ、単なる洗脳だな。邪馬薹はたい、道観、邪馬壹(壱)国は道教の国を表すんだよ。やまとなんて卑弥呼当時にないでしょ、僕の畿内説に関係なし。 >>438
例え卑弥呼と同時代に
畿内に国があった証拠があったとしても
それが邪馬台国という証拠にならないってこと
日本列島には複数の国が存在していただろうし
なぜ畿内から何か発掘されたから、それが邪馬台国の証拠だとなるのかが不思議だと思わない?
というかその素人丸出しの書き込みからはそんな疑問なんて思ってもいないのは明らかだろうけれどw 陽から発見された三角縁神獣鏡は長時間土中に埋まっていた事を示す赤サビがあり
紋様などの鑑定の結果
魏の正始四年あたりで西暦で言うと240〜250年辺りの
三角縁神獣鏡第U期の特徴を供えている事がわかっている
日本書紀には魏志倭人伝からの引用で
正始四年に倭から魏に使者を遣わした事が書いてるから
恐らくはこの時期に作られたものだろうね >>442
邪馬台国じゃないという証拠にもならないよ
むしろ邪馬台国だった可能性が生じる >>406
これもあったな
水行十日、陸行一月というのは帯方郡からの旅路、距離みたいな
帯方郡から女王国まで万二千余里って書いてある記述とあわせて考えるとそうとも思えたり >>444
奈良で長年発掘調査して来た帝塚山大学考古学研究所は出土品が余りにも粗末すぎて奈良には邪馬台国は無かったと言ってるよ >>445
洛陽で見つかった三角縁神獣鏡は
洛陽の白馬寺近くのユウ村という村の畑から出土
発見者は畑の所有者 卑弥呼のいた時代に畿内では前方後円墳があり
魏の年号も入った銅鏡が見つかる国があった
この国は魏志倭人伝に書いてる邪馬台国だった可能性が高い >>446
馬鹿かよw
邪馬台国じゃない証拠なんて
悪魔の証明だろ
証明は、だったということを証明しなければいけないってこと
今のところ何か発掘されたら、邪馬台国に結び付けているのがオカシイってことw
そりゃあ畿内にも国があっただろうが
それは後の大和王権の元になる国で
それが魏志倭人伝の邪馬台国と同じとは証明できないだろうって言ってんだよw でも、九州は無理だね、記紀でさえ箸墓を百襲姫という名の居たのか?居ないのかわからん姫にせざる負えなかったんだからね。宮内庁じゃあ一番最初の前方後円墳にしているしね、居たのか居ないのかわからん親父と墓が違うしな。宮内庁も解ってるな。 >>447
12000里行くのに水行二十日と水行十日、陸行一日(月)掛かるんだ
帯方郡から女王国(邪馬台国)までの行程を距離と時間で説明してるだけ
続けて読むから矛盾してたり間違っている様に思えるんだ。 >>446
当時の交通手段、通信手段からみて機内から九州を支配するのは無理
そのような痕跡も何も見つかっていない >>449
極めて怪し情報だよなw
畿内説の人は藁おも掴む思いなんだろうな。 >>454
道路も航路も整備されて無いからな
通信も交通手段が無いよね。 女王のいる国があったとして、その周りの国が畿内にはなかった どう考えても無理ゲー 陳寿は、倭国について書かれた竹簡をかき集めて、とりあえず何でもかんでもねじ込んだだけだ。
という、魏晋南北朝委員会の陳長崎(ちんちょうき)の指摘は正しい。
だから、監察官(簡単に言うと、CIA、モサド、公安)である一大率を、中国の刺史(行政官、ようは市役所の役人)のようであると書いてあった誰かが書いた竹簡資料を、そのまんま魏志倭人伝に付け加えてしまった。 >>451
3世紀の古墳や魏の銅鏡が見つかってる畿内にあった国が
邪馬台国じゃなかったという証拠はないよ?
畿内が邪馬台国じゃなかった証拠があるなら出して欲しいものだね >>440
そうかもね
魏志倭人伝は色々な資料を参考にして繋合わせてるよね。 >>454
九州は伊都国に女王国が一大卒を置いて支配していたという証言が魏志にあるよ >>457
しかも強大な軍事力で支配したわけじゃなくて
鬼道をつかって人々を惑わし、それを権力の源としていた国の体制だからな
とてもとても畿内から九州に至るような広大な地域を
そんな頼りないもので統一できるわけがないわな >>453
それすごく正しそうだけど、それだと畿内説はほぼ無理だから認めたくない奴多そうw >>455
それじゃ九州にはどんな証拠があるのかな >>461
最近は考古学者も邪馬台国畿内説には否定的なんだよな。 >>442
今は土器の研究って進んでて古代にどの地域が交流があったのかがわりとわかるようになってる
畿内からは全国いろんなところからの土器が出て物流が集まる大都市があったようだ
九州からはそういうのが出てこない
お隣中国地方からの土器も出てきてない
九州説って九州といっても九州北部の一部だけなんだよな
九州の他の地域とか山口あたりとも断絶してる >>456
九州説は焦りのあまりカタコトになってるよ
つい本国のクセが出たのかな >>463
だからw
それは邪馬台国が九州にあれば可能だろうが
畿内にあればそんなこと不可能って言っているんだよ
魏志倭人伝にも倭国は道が整備されていず獣道みたいな道しかないと書かれている
そんな状態で畿内から九州に至るような広大領域を支配するは不可能
畿内に本国がある勢力が九州に一大卒なんておけるわけがないってこと >>467
最近は考古発掘も進んで出土品の科学調査も取り入れられて
ますます畿内説に有利な証拠が見つかってるよ >>466
最近だと硯、机、削刀等が北部九州地域の各遺跡から出土している
魏志倭人伝で倭人が文字を使用していたとの記述があるのと一致している。 >>470
嘘だ
九州に邪馬台国があった証拠なんて何もないのに
ないものを書けるわけないね >>474
プロの考古学者は否定的なのに何を言ってるんだよw >>443
三角縁神獣鏡は平原遺跡から出土しない事で、卑弥呼の死亡時期に流通していなかった事が確定している。 やれ儀式に使った桃の種が見つかっただの、畿内は何年かにいっぺんまだ新発見があるよね
考古学って文献じゃなくブツありきの学問だから、論文書かなきゃいけない学者さんはそりゃみんな畿内を研究するわ
九州はアマチュアしか残らないのはこれ
邪馬台国はここ!って断定すると揉めるからはっきり言わないだけで研究者はみんな畿内だと思ってる 邪馬台国なんて、存在しない可能性が高い。
最初に史書に登場するのは倭人。
次に奴国。
57年、107年にも中国か半島に行ってるが、「邪馬台国」なる国は出てこない。
魏志倭人伝にも邪馬台国は出てこない。
邪馬一(ヤマイ)が1回で、女王國は5回。
『広志』では邪馬嘉。
『魏略』では、女國、女王國で、「邪馬◯」という国すら登場しない。
つまり、ヤマタイコク、ヤマトはただのこじつけ。 >>472
逆に邪馬台国が九州内だったら直接支配すればいいわけで
一大卒という出先機関を置いてたのは邪馬台国は九州から離れた所にあったからだ >>473
だからさw
軍事力じゃなくて
鬼道が何なのか知らんが
占いみたいなものだろ?
それが権力の源泉になっているような体制の国がだよ
船をつかった何日もかかるような広大な領域を持てると
本気で信じているの?
絶対に無理があるってわかるだろ?w
狭い地域の部族社会がちょっと大きくしたような小国だよ >>479
桃の種って岡山の古墳のほうが数多くみつかってる
モモソ姫の弟が吉備真備だから吉備とのつながりがあった、ってだけにしとけばいいのに
邪馬台国はここだと言い出すからw >>481
軍事力で直接支配できるような
力の差があれば、そもそも共立なんてことになっていないんだよ
マヌケ >>478
年号の入った鏡自体が日本でしか出土しないからな
三角縁神獣鏡は全て国産で卑弥呼の時代よりも後の時代に作られたものであることは確定しているね。 >>475
硯、机、削刀等は魏志倭人伝に書いてないね
畿内からは景初三年や正始元年など
魏志倭人伝に卑弥呼が使いを出した年と書いてある魏の年号の入った
三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡が見つかっている >>481
[北部]九州からは離れたところにあった >>484
そもそも3世紀に九州と関西で直接交流があった痕跡が無いんだよな。 >>477
そのプロの考古学者とやらが何と言っても
出土品の科学調査では畿内の前方後円墳が卑弥呼の時代の3世紀から存在していて
三角縁神獣鏡は魏の鏡と同じ銅で作られているという事が明らかになっている 北部九州から離れているところにあった
ただし南になw >>478
三角縁神獣鏡が平原から出土しないなら
そこは卑弥呼の時代に魏と交流がなくて邪馬台国じゃなかったということ >>469
そう。畿内から出土する物に、九州由来のものは1%もない。
卑弥呼がいたのは超大国ではないから当然。
卑弥呼は狗奴国とかいうザコ国に苦しめられて、それで魏の曹叡様に朝貢するような弱小国家。
よって、邪馬台国は九州である、
※九州の皆様、すみませんが、卑弥呼がザコであることをお認め下さい。 >>484
だから魏志倭人伝には邪馬台国は女王を共立と書いてあって
その証拠に伊都国に一大卒を置いて畿内から監視してたんだろ >>488
考古学やその他から見れば
邪馬台国は九州そのものから離れた所にあったね >>496
無茶苦茶だなw
このバカ
どんなに不自然な想像でも
畿内にあったことにするために強弁しているだけ
まるで小学生だ >>491
魏では銅が不足していたので鉄鏡が作られていた
三角縁神獣鏡が中国産の鏡と同じ銅で作られていたのは事実だが
日本で銅は8世紀くらいからしか生産されてないので
それまでは全て輸入の中国産の銅を使用していたから
三角縁神獣鏡が中国産の銅で作られてるのは当然なんだ。 >>485
正始五年など年号の入った銅鏡は
普通に中国でも出てるけど >>498
九州説はついに言い返せなくなって
バカとかしか言えなくなったの >>499
魏は徐州という銅の産出地を所有していて
そこの銅で様々な銅製品を作っていた
三角縁神獣鏡にも銅出徐州と彫ってあるね >>68
渡ったって書いてないよ
対馬とか確定の前提で議論するからおかしくなる
半島にあった可能性も十分ある 国の中心に都を置くとは限らないところがまたやっかいなんだよな 畿内説の人は魏志倭人伝の原文を読んでないよね
誰かが意訳したものを読んで意訳した人に騙されてる
意訳したものは訳下人の主観が入ってるからな。 >>483
つながり以上に植物種子は年代測定ができるんだよね
つまり見つかった場所が何年ごろに使われてたかが科学的にはっきりする
桃の種がニュースになったのは、それが纏向の中心にあった大きな建物の跡から見つかったものだから
建物の年代がはっきりするのはわりとレア 伊都国が魏と交流がなかっただとさ。
脳が完全に逝かれている。
キンパーにレスするのは時間のムダだ。
我々はキンパーの脳を正常な状態に戻す能力はない。 ゴッドハンドって前科があるのに裏の畑で出ましたとか説得力の欠片もないだろ 畿内説の人は魏志倭人伝の原文を読んでないよね
誰かが意訳したものを読んで意訳した人に騙されてる
意訳したものは訳した人の主観が入ってるからな。 >>506
どう考えても対馬までは確定だろw
畿内説を唱えている学者でも、さすがに行程にでてくる
対馬を他の別の地だと主張している人を見たことがないw >>500
出てないよ全て日本で出土したものだよ。 >>514
確定じゃないよ
列島にありきからのこじつけだし >>517
>始度一海千余里 至対馬国 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離」
じゃあ、対馬国 って、どこだとお前は主張するの?w >>515
年号の入った鏡は中国でも出てるよ
中平六年(189年)四獣鏡 中国
正始五年(244年) 画文帯環状乳神獣鏡 中国
他に鉄剣だけど中平や辛亥など年号の入ってる物も見つかってる
これは中国で作られたもの 史書には邪馬台国は大和と明記されてる
九州など全く関係ない
『所在地』
@アメノタリシヒコは用明天皇(新唐書)
Aアメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じ(隋書)
A用明天皇は筑紫城から大和州に都を移した神武天皇の後の天皇なので都は大和(新唐書)
↓
邪馬台国は大和
『一大卒』
@一大卒は中国の刺史と同じ(魏志)
Aアメノタリシヒコは属国各地に一大卒を派遣して支配してる(旧唐書)
↓
一大卒のいるところは大和の政権の属国
『日本と倭』
@日本の皇統は神武天皇から当時の桓武天皇まで断絶なく継続(新唐書)
A日本は小国なりとも王も家臣もずっと変わらないと皇帝が称賛(宋史)
B改称については日中の史書共に登場する粟田真人が国号を誤解された件が記載される(日本書紀)
C白村江の戦いの当事者の唐が皇統がずっと続いていると記載(新唐書以降)
Dアメノタリシヒコ(用明天皇)は白村江の前の天皇だがその後の系譜に連なるものとして記載されてる(新唐書以降)
↓
改称は壬申の乱後の日本号の正式採用の事
九州の邪馬台国も九州王朝も最初から存在しない 日本の年号は400年くらいより前は
半年カウントだよね
2年で1年分 九州説の人は魏志倭人伝を素直によみといてその行程から九州のどこか、としてる
畿内説は出土品(出雲や吉備からのものはあっても九州のものはなし) 桃の種の時代測定から纏向は3世紀に栄えていた遺跡だからここが邪馬台国だと主張 >>520
旧唐書にある日本は倭国の別種なりの意味はこれ
↓
ps://i.imgur.com/pWm255S.jpg
一目瞭然、本州は倭国の範囲に入っていないことがわかります 伊都国は一大率の役割を担い入国管理局の役割も担ってた
一大率が何やってたかわからんが軍隊なんだろう >>525
しかしID:H4dLTQNW0のような
対馬国は対馬じゃないと言い張っている畿内論者って
魏志倭人伝読んでいないように感じるがw >>519
それ日本での出土品だよ
ソース確認してみてw >>526
君は意訳した人に騙されてるなw
一大率は女王国以北の諸国に居たんだよ
伊都国では女王国以北の諸国を一大率を使い治めていたいたんだよ
ちゃんと自分で魏志倭人伝の原文を読んでね。 伊都國の一大率は、監察官すなわち、今の警察や公安、CIA、モサドに当たるが、
陳寿は一大率を「中国の刺史のようである」と書いている。
これはおかしい。
陳寿の時代の「刺史」は、行政官、すなわち役人だ。
だが、この記述が成立する時代がある。
それは漢の時代だ。
確かに、漢の時代の「刺史」は監察官であった。
つまり、陳寿は、漢の時代に伊都國に行った中国人の誰かが書いた「伊都國の一大率」についての竹簡を見て、
「おう、この記述は倭国についてだよな?この部分もらうわー」と思って、魏志倭人伝に組み入れた。
すなわち、投馬國やら不弥国やら奴国やらの記述は、陳寿が「誰かが書いた倭国っぽい竹簡」を見て、
「これもらおう!」と思って付け足しただけ。
だから、『広志』にも『魏略』にも、投馬國、不弥国、奴国は出てこない。
それどころか、「伊都國のまた南に行くと邪馬嘉國」が正しい。 対馬国と一支国は場所と面積と地形も書いてあり間違いないでしょう 歴史学は複数の史料を比較して裏を取る学問
「一つ本を解釈しました」
など学問と呼ばない
位置論争と称するものの大半がこれで一顧だの価値もない
「私がそう思った」「私は知らない」「私は認めない」
こんなただの想像と妄想のつなぎ合わせに過ぎない
邪馬台国論争と称するものがまったく相手にされてないのも当然だろう >>529
騙されるも何も一大率が何やってたか知らないと言ってるんだが >>530
>「伊都國のまた南に行くと邪馬嘉國」が正しい。
「また南に行くと邪馬嘉國」だからこの文では伊都國から南に行くかは分からないよ
『広志』も『魏略』一部だけだからよく分からん >>533
一大率が伊都国に居たとか魏志倭人伝の原文には書かれてないから
それ意訳した人の改竄ですから。 倭=今でいう日本
女王国=卑弥呼連邦
邪馬台国=女王国の都
倭国=卑弥呼が共立される前の女王国 >>532
どうでもいいけれど
お前自身が一番ぼくはこう思いますの
極端な妄想垂れ流しているって自覚ないのかよ?w >>532
比較するものが存在しないのだから畿内だと言い張るのもおかしいんだよ 近畿は大倭と書いて何故かヤマトと呼んでるんだが
魏志には邪馬臺と大倭は明確に区別してる
しかも大倭は国名ではなく地方に派遣される監視役
その監視役を国名にする辺りが魏志に記述される大倭を恐れて隷属する地方民の心理と行動を表してる。
ここから推測すれば前方後円墳とは地方派遣の大倭の墓となる。
関東、半島にも大量に存在する前方後円墳が大倭の墓とすれば全く問題がなく説明がつき寧ろ卑弥呼以来のオオキミが大倭同様の墳丘に埋葬されることの方がおかしいのである。
オオキミが埋葬される場所は前方後円墳などと言う残土の山ではなく神として永劫に祀られる特殊な社になるのが普通だろう 史書については記載した通り
主観も解釈もない書いた通りの内容
『所在地』
@アメノタリシヒコは用明天皇(新唐書)
Aアメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じ(隋書)
A用明天皇は筑紫城から大和州に都を移した神武天皇の後の天皇なので都は大和(新唐書)
↓
邪馬台国は大和
『一大卒』
@一大卒は中国の刺史と同じ(魏志)
Aアメノタリシヒコは属国各地に一大卒を派遣して支配してる(旧唐書)
↓
一大卒のいるところは大和の政権の属国
『日本と倭』
@日本の皇統は神武天皇から当時の桓武天皇まで断絶なく継続(新唐書)
A日本は小国なりとも王も家臣もずっと変わらないと皇帝が称賛(宋史)
B改称については日中の史書共に登場する粟田真人が国号を誤解された件が記載される(日本書紀)
C白村江の戦いの当事者の唐が皇統がずっと続いていると記載(新唐書以降)
Dアメノタリシヒコ(用明天皇)は白村江の前の天皇だがその後の系譜に連なるものとして記載されてる(新唐書以降)
↓
改称は壬申の乱後の日本号の正式採用の事
九州の邪馬台国も九州王朝も最初から存在しない >>528
日本で中平六年や正始五年と入ってる鏡は見つかってないね ・旧唐書の「日本伝」には、日本は倭国の別種で、日本が倭国を併合したとも言われていると書いてる。
・旧唐書の「倭国伝」では、倭国はいにしえの倭奴国のことである。
つまり、紀元前に貢物を楽浪郡に持っていった倭人や、57年、107年にも中国に行った倭人は、九州弁を話す人であり、卑弥呼も九州弁だった。
ところが、608年に裴世清が奈良に行ったら、関西弁だったので、何を言っているのか分からなかったので、「日本は倭国の別種」と書いた。
すなわち、倭国=邪馬台国=九州で、日本=関西である。 >>536
倭国=現代でいえば九州地方に存在していた国々を総称した地域名
ps://i.imgur.com/pWm255S.jpg
女王国=卑弥呼を共立した倭国の中で同盟した国々
邪馬台国=卑弥呼が直接治めていた国の名前
倭=倭国の東にも海を隔てて倭人の住む地(本州)とあるので
これは倭人という種族のことを指す言葉 >>539
自分でも何を言ってるのかよく理解できてないだろ >>544
倭国は女王国のことだよ
その国は、もとは男子を以て王となし、留まること七、八十年。倭国が乱れ、互いに攻伐すること歴年、そこで共に一女子を立てて王とした。 翰苑には邪馬臺は伊都に隣接すると書かれており
立地は太宰府そのものを指すし魏志隋書の等の記述と合わせればそこから水行南下したエリアに女王国が存在すると書かれている。
国政の中心は太宰府の下に眠る倭京が中心でありそこに筑紫城があったんだろう。
まず纏向など近畿の大倭の拠点を調査するより太宰府地下を調査すべきだろうな 旧唐書を取り出すなら旧唐書の他の部分を無視する理由を出さねばならない
改称については「雅でないから変えた」と併記されている
そして日本側の記載、後の中国の記載からアメノタリシヒコにつながる系譜を採用してるので壬申の乱の事と分かる
倭は九州王朝なのだ!などという話はただ都合のいいところをつまみ食いしてるに過ぎないことが分かる
こんなものは誰も相手にしない
事実こんなものを学説として唱えてる学者はいない もし、卑弥呼が畿内から九州に至るまでの超大国を築いていたならば、
南にいる狗奴国の菊池彦に苦戦してるので、魏皇帝・曹叡様、朝貢するから私に権威を与えて下さいというような屈辱的なことはしなかったろう。
なぜならそんな超大国であるのだから、狗奴国の菊池彦ごとき、九州、中国地方、四国、畿内のみんなで潰せば良い。
たった1国、ひとひねりだ。
よって、卑弥呼はただ九州の北部にいる小勢力なのである。 さらに旧唐書には「アメノタリシヒコが一大卒を属国に派遣して支配している」という記事もある
つまり、一大卒の居るところは属国だとさらに明らかになる
当然、一大卒の居る九州は属国であるとわかる
これも史書の記載を比較することで分かるもので主観も解釈もない
ところが「別種」のところだけ都合よくつまみ食いしてこれだけを叫ぶ
学問以前の論外の話だと理解できるだろう >>369
…つまり、邪馬台国は台湾だということだ >>548
他の部分
日本はもとは小国だったが倭国を併せて(併合)大きくなったという記述からも
日本とそれ以前の倭国とは別の国、別の地域だと読み取れる
そもそも旧唐書になぜいろいろな記述があるのかと考えると
日本が送った使節が言った言葉をそのまま記述している
だからこそ中国側も日本人のいうことは信用できないとなる
なぜ信用できないと言ったのかというと言っていることが色々なので
混乱するということだろう?
でもすべてが真実を語っていて、理由は一つではなかったってことだろう
畿内大和政権は九州にあった倭国を併合して大きくなり
外交では先に大陸と関係していた倭国を名を継承しようとしたが
漢字の意味が雅じゃないことに気づいて日本を国名を変更して外交を始めたということ さて、ここまで明らかにしたように邪馬台国絡みでおかしなことを主張している人間の話は
「そう思った」「知らない」「認めない」
で出来てることが分かるだろう
こんなものは単なる妄想と想像の繋ぎ合わせに過ぎない
学問でも説でもないただの物語
天文学の話をしてるところで宇宙人の話をしてるようなもので誰も相手にしないのは当然だろう >>553
だからw
もっとも飛躍した妄想で爆走しているのは
お前だろwwww 近畿で何故前方後円墳の発掘調査をしないのか
それは文字入りの鉄剣でも出土しそこが倭王とも関係のない者が埋葬されている物証が出ると皇統に関わる歴史が崩壊するからだよ。
聖徳太子を抹消したい理由がここにあるんだよな 伊都国には王が居て一大率が居て女王国に統属してた
諸国には王が居なくて女王国には統属してないが一大率を畏憚してた
この解釈は伊都国がこの周辺を治めてた >>406
>「女王」も「王」だよ
魏志倭人伝の原文をよく読もう
卑弥呼に「親魏倭王」という役職が魏から与えられただけ
漢の頃から中国では冊封体制が始まってる
魏から見たら倭国の代表者であり、魏の外臣に認定した者
>卑弥呼が魏から王に任命された時点で卑弥呼の配下に王はいないよ
>卑弥呼が倭王になったら配下の者は王を名乗れない
>もし伊都国に別に王を名乗るものが居たら倭王卑弥呼に対する反逆者だよ。
そこで後漢書倭伝を見てみよう
國皆稱王丗丗傳統 其大倭王居邪馬臺國
国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る
国邑には、それぞれ王を名乗る代表者がいたことがはっきりと書かれてる
後漢書では、王と大倭王として区別されてる
後漢の頃にも、漢倭奴国王が存在していたわけだから
君の理屈では、国邑で皆が王を称していたなら大問題だし、整合性が取れないよ 「想像」の部分を捨てて資料の比較によって妥当な内容を探るのが学問
@一つの史料しか見てない
A想像を多分に用いる
B都合のいいところだけ持ち出す
これは学問として成り立たないことが分かる
さて、邪馬台国関係で自分の考えを主張してる人間の話を見直してみよう
ほぼすべてが論外であることが理解できると思う 「廣志曰 國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國百女國以北其戸數道里可得略載次 斯馬國次巴百支國次伊邪國安 西南海行一日有伊邪分國無布帛以革爲衣盖伊耶國也」
この、伊邪分國とは、隋書の流求國伝に出てくる夷邪久國である。
中国人が小野妹子に聞いた。すると、小野妹子は「その布甲は夷邪久国の人が使う物です」
すなわち、屋久島。
西南に1日で着くとの記述からも明らか。 史書については記載した通り
この内容は主観も解釈もない
ただ書いていることを列記してるのみ
『所在地』
@アメノタリシヒコは用明天皇(新唐書)
Aアメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じ(隋書)
A用明天皇は筑紫城から大和州に都を移した神武天皇の後の天皇なので都は大和(新唐書)
↓
邪馬台国は大和
『一大卒』
@一大卒は中国の刺史と同じ(魏志)
Aアメノタリシヒコは属国各地に一大卒を派遣して支配してる(旧唐書)
↓
一大卒のいるところは大和の政権の属国
『日本と倭』
@日本の皇統は神武天皇から当時の桓武天皇まで断絶なく継続(新唐書)
A日本は小国なりとも王も家臣もずっと変わらないと皇帝が称賛(宋史)
B改称については日中の史書共に登場する粟田真人が国号を誤解された件が記載される(日本書紀)
C白村江の戦いの当事者の唐が皇統がずっと続いていると記載(新唐書以降)
Dアメノタリシヒコ(用明天皇)は白村江の前の天皇だがその後の系譜に連なるものとして記載されてる(新唐書以降)
↓
改称は壬申の乱後の日本号の正式採用の事
九州の邪馬台国も九州王朝も最初から存在しない >>557
後漢書倭伝って、7世紀に書かれたものだから意味ない 大和は太宰府に出先を置いた
福岡平野と筑紫平野の中間にあり北部九州を監視するには合理性がある
邪馬台国も畿内にあったなら一大率を太宰府あたりに置いただろう
伊都国に一大率がいて合理性があるのは九州内に本拠がある場合のみだ >>561
それ言い出したら、直後に書かれてる三国志以外の中国正史は軒並み否定することになる
それをやってしまったら、邪馬台国の事なんて考えるだけ無駄になるわ >>7
ん?他がありえないと考えてるから議論になるんだろ?
アホじゃね? >>562
一大率が何やってたかわからんが周辺国にたいし伊都国の特権かもしれんよ 『広志』を見れば分かる。
伊都國→邪馬嘉國→斯馬國→巴百支國→西南の海を渡って1日で伊邪分國(屋久島)
つまり、どう考えても、邪馬台国は九州から出ない。 >>288
こういう人に正しい知識をつけるためのコピペ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) 後漢書は後の時代に書かれた物だけど引用した資料があるだろうし
同じ資料を魏志も引用してるかも知れない 「想像」「解釈」があればあるだけそれは学問として不完全なものとなる
本来はそれをできる限り排除して確実な部分を増やしていくのが学問の姿勢となる
ところが邪馬台国関係の話は
@一つ本を。または都合の良いものだけをピックアップする
Aこれらを「こう読んだ」「こう解釈した」と想像の部分を話の主軸とする
行程などまさにこれだろう
こんなものは何百あろうが何の価値もない
都市伝説や宇宙人の話と同じく「ただの与太話」でしかない >>563
7世紀には、ヤマト王権は九州を治める超大国になってるんだから意味ない。
卑弥呼の時代は、九州に卑弥呼がいて、畿内にはヤマトかとりあえず卑弥呼とは別の王権が存在した。
だから、7世紀の後漢書倭伝は意味ない。 >>569
それで良いと思ってるけどな
それぞれが思う事を言い合ってその中から整合性の取れるものをぞれぞれが考えれば良い >>570
その考え自体、言い逃れにしかなってないよ? >>562
その手の想定だと、単純に、当時の伊都が重要だったから直接駐在したor海運利用なら海沿いの立地に利便性があった、でも成り立っちゃうのよ。
未開発で道路も通してない内陸に拠点構えてどうする? だから学者の権威とか要らないと言ってるのよ
それぞれ思う事を自由に言えば良いしそんなもんで押さえつけるな ヤマトとは山門の事で山脈が門に見えるからだ、判りやすく言えば
南北方向の山脈と東西方向の山脈の交点付近の地域では山が門の形に
見えるので名付けた訳だ。最初は福岡市西区の山門地区の事を指し
古墳時代には奈良県桜井市付近を山門と言った訳だ。桜井市の山門が
のちに大和になった訳だグーグルマップで福岡市西区と桜井市を
上空から見たら氷解する >>556
支離滅裂な文だなw
伊都国には王が居て・・・伊都国の説明に「丗有王」と書かれてるからね
一大率が居て・・・一大率は「自女王國以北特置一大率」だから女王国以北の諸国に置かれていた
女王国に統属してた・・・「皆統屬女王國」倭の国々はみな女王国に統属していた
諸国には王が居なくて・・・王は女王卑弥呼が一人だけですね
女王国には統属してないが・・・「皆統屬女王國」と書かれていますよ
一大率を畏憚してた・・・「檢察諸國諸國畏憚之」ですね
伊都国の王が周辺を治めてたと読めますよね。 近畿は必至に隠したいんだよ
何かと不都合な部分が多過ぎて掘れば掘るほど矛盾が生じる。
だから掘れないし不都合が出ると即埋める。
振り返れば大化の改新で何かと破壊されたんだろう。
大仙古墳すら完全監視体制だしな 邪馬台国関連は、学者が書籍や講演でお金儲けをするツールだからな。
定期的に盛り上げようとするネタが投下される。 さて、本来は別にどういう主張をしようと構わない
問題は主張してる本人ではない
見当違いのデマやホラが多量に出回っているとそれに惑わされる人が沢山出てくることが問題となる
別に邪馬台国関係の話に限らず多くのデマが世の中に出回っている
学問的アプローチという姿勢はそれらに惑わされずに向き合うヒントともなる
@想像で補っている部分がどれほどあるか。多ければ多いほど信用に足らない
A複数の情報源を持っているか。一部引用や特定の立場のものだけ見てないか
という事をしっかりと見ることがデマやホラに惑わされない方法だと言える
邪馬台国のみの話ではなく世に氾濫する情報との付き合い方の手掛かりとしたい 女王から倭王に変えてるんだから、後漢書倭伝なんて意味ない。
あと、間違えた。
後漢書倭伝は5世紀だが、注釈をつけて邪馬臺は邪摩惟のなまりであるという李賢の注釈が7世紀。
邪摩惟(シェイモウウェイ)だから、意味不明な部分は残るのだが。 >>557
漢の初期の時代には倭の国々は皆王を自称していた
その中で倭奴国が漢から正式に倭奴国王に任命された
この時点で倭の王は倭奴国王一人になったんだよ
魏の時代もこの流れで倭王は卑弥呼一人
従わない狗奴国が王を自称している状態なんだ。 用明天皇は橘豊日でアマではなく日でしょ
第一回遣隋使のアマタラシヒコは誰なのか?
日が照っているのに雨が降るのは狐の嫁入りという迷信と絡めて空想してみるかな
アマタラシヒコが誰かということなんだが花札にそのヒントがありそうだ
花札のアメの図柄は柳に小野道風だが元々は柳に斧定九郎だったらしい
斧定九郎は歌舞伎のキャラクターで、軽の父を殺して大金を奪ったが猪に間違われて殺された人物
諱が軽なのは孝徳天皇でその父は茅渟王
第一回遣隋使の時代は茅渟王が生きた時代と重なる
猪に準えられた逸話が残るのは蘇我馬子で、馬子の母は葛城氏の娘と言われている
葛城にかかる枕詞は春【柳】
葛城天狗の伝承も残っていて葛城は天狗と関係が深い地である
天狗はアマツキツネ、元々は流星を指した言葉
蘇我馬子の墓と言われている石舞台に、月夜に石舞台の上で狐が女に化けて舞を踊ったという伝承が残っている
アメ、柳、斧定九郎、葛城、キツネ、蘇我馬子が繋がるのだ
茅渟王の事績は全く残っていない‥ >>576
それに卑弥呼を共立した事を考え合わせると
伊都国の王は投票権を持ってたのよ >>329
多くの九州説の根本的な間違いは女王国=邪馬台国だから
帯方郡から女王国まで一万二千里と書かれているのを邪馬台国まで一万二千里と解釈したから
一万二千里に当てはめるためにこねくり回した距離の解釈をする >>573
未開発で道路も通してないとは何が根拠?
九州内陸にも弥生遺跡は豊富にあるが 縄文時代から1万年
人が歩いて踏み固められた所はあったと思うけどな >>585
邪馬台国なんて出てこない。
『魏志倭人伝』→邪馬壹(ヤマイ)
『魏略』→ヤマ何とか国の登場なし。女王國1回、女國1回。
『広志』→邪馬嘉(ヤマジャ)。女國1回。
邪馬臺なんて漢字が登場し始めるのは、5世紀に入ってから。 孝徳天皇、皇極天皇、天智天皇の和風諡号は天アマ
みな母系を遡れば茅渟王の妻吉備姫王
吉備姫王の母系がアマの系統の一つだったという仮説も面白い
茅渟王と吉備姫王の子孝徳天皇が天万豊日
万は卍で和を意味する
芦原中津国の流れを汲む父とヤマト政権の流れを汲む母だったのかなと想像が膨らむね
天智天皇の天智は殷最後の王である紂王の愛した天智玉から取られたらしい
天の血を引く最後の人物だったのか? >>586
馬と車輪が出来るまでは人間が踏んでならした生活道路しかない
吉備と近畿ほども離れた都市間を行き来する交易の道が
水汲み薪拾いの生活道路のように踏みならされるわけがない >>332
卑弥呼ってか邪馬台国がね
移動しまくってるね天の癖に
エラい動き周る天だなwww 茅渟王の事績は全く残っていない
茅渟王とは何者だったのか?
茅渟王の妻、吉備姫王の墓の近くから4つの猿石が見つかっている
女、山王権現、僧(法師)、男の像である
猿石女の背面には、インド神話に伝わる神鳥・ガルダにそっくりな像が彫られている
ガルダは、仏教の守護神・迦楼羅天(かるらてん)にもつながる異国の神様
茅渟王と吉備姫王を知るヒントになるかもしれない 吉備と出雲の山越えの道ぐらいはある程度整備されていたかもしれないな
発掘品からそうとう仲が良かったらしいとされている >>338
間違い
はい、論破w
正しくは
邪馬台国が女王の領域の首都で、御井
土蜘蛛は卑弥呼と無関係で、実は詐称だから九州倭国にうたれた
近畿日本が後からパクった
神功皇后が日本の母は正しい
父は武内宿禰
仲哀暗殺は、バカの仲哀から崇神の母方へ血をすげ替えるためのクーデター
こういうこと
>>593
あれはね倭国の道全部がそうだと言ってるわけじゃないんだよ
むしろ呼子上陸説を補強するものだね 卑弥呼は魏が承認した倭王だけど卑弥呼を共立した王が居るんだよ 近畿監視に置かれたのは出雲でここが一大卒とみると
近畿各地から物資を出雲へと運ぶ神無月の行事がそのまま該当する。
太宰府にある邪馬臺と近畿をつなぐ物資輸送は出雲を拠点とした日本海沿岸ルートが主流となり後の山陰から北陸へと連なる開拓史と防人街道へと発展を見せる街道のベースに合致する
こうしたリレーションが後に列島開拓へと繋がるんだろうな 邪馬臺(ヤマタイ)の初めての登場は、范嘩の424年『後漢書倭伝』
それまでは、
『魏志倭人伝』の邪馬壹(ヤマイ)や、魏志倭人伝より前に書かれた『広志』の邪馬嘉(ヤマジャ)。
391年の倭・高句麗戦争あたりから、倭国の情報が再び入るようになり、
超大国となったヤマト王権の話が入ってきて、
「邪馬壹」とか「邪馬嘉」じゃなくて、邪馬臺の方が近いだろ?
と思って、范嘩が勝手に書き換えたのだろう。 >>574
つか学者が権威ないから困ってるんだよ
学者が率先して自分の専門で捏造やる
藤村新一だらけなんだよ実は どのようなものが信用に足らないのかという判断の方法をいうなら例えば行程
@まともに記載されてるものはなく各書で支離滅裂
A資料の突合せにより裏を取れない
という物なので学問的には不採用の部分となる
ところが邪馬台国論争とやらではここに多量の想像を加えて意見を述べている
こんなものを当たり前のように出してきているのだからそもそも見るところなど一切ない妄想に過ぎないと言える
上で書いたように
@一つ本を、または都合の良いものだけをピックアップする
Aこれらを「こう読んだ」「こう解釈した」と想像の部分を話の主軸とする
に全て該当する
まったく話にならないとはこの事だと言える
説ですらないのが明らかとなるわけだ
学者に権威があるなら
オレはそもそも必要ないんだよ
糞寝言垂れ流してる張本人が学者なんだよ
>>606
魏志倭人伝は解決済み
陳寿の表記の通りでよい
邪馬台国は御井
ろくな説明すらせず横レスしまってずっと論破言い続けてる間抜けがいるがこいつは何者? しかるに学術的には邪馬台国について沈黙するのが筋なのだが、なぜか邪馬台国は畿内にあったと主張する学者集団がいるらしい >>353
金印はまるっきり本物
出土場所もあそこで間違いない
ただ理由を知ってるのはオレだけ >>611
金印って、倭奴国王の金印だろ?
時代が違うだろ
漢の光武帝が贈ったもの
オレも邪馬台国が九州でいいと思うが
漢の時代に倭国王に任じられた奴国が九州だからといって
それが邪馬台国九州にあったという証拠になるか?
地理的になるかもしれないが理屈としては遠いような気がする >>612
即rレスろは間抜けと自覚はしてはいるんだねw
ご苦労さんw >>614
ならんよ
証拠は魏志倭人伝と祇園山古墳と高良山神籠石遺跡 畿内説派の中では、卑弥呼國は畿内から九州に至るまでの大帝国、超大国なんだぜ?
それなのに、南にいる狗奴国の菊池彦とかいうザコ1匹に苦戦して、魏皇帝の曹叡様にわざわざ朝貢しに行って、
「狗奴国の菊池彦がさからってくるんです。魏皇帝様助けてー。卑弥呼に魏皇帝の権威をお与え下さい」
と泣きたく始末。
それはあり得ないんだよ。
この説明は、九州出身の人には屈辱かもしれないが、これが卑弥呼国の真実ですよ。
琉球の3つの国、山北・中山・南山の全てが競って、明皇帝に「明皇帝様、助けてー」とチクリに行ったのと同じ。 畿内説派の中では、卑弥呼國は畿内から九州に至るまでの大帝国、超大国なんだぜ?
それなのに、南にいる狗奴国の菊池彦とかいうザコ1匹に苦戦して、魏皇帝の曹叡様にわざわざ朝貢しに行って、
「狗奴国の菊池彦がさからってくるんです。魏皇帝様助けてー。卑弥呼に魏皇帝の権威をお与え下さい」
と泣きつく始末。
訂正 めんどくせえな
支配ではなく共立だと何度も何度も何度も言ってるだろうが 帯方郡から日本へ水行って
だいたい対馬まで最短で50キロほどあるのに朝鮮半島から日本へ行くことを水行とは言わんだろ
水行は陸の近くを船で移動することだ >>582
ちゃんと原文を転記してるんだから、その解釈の誤りぐらいわかるでしょうに、、、
国には皆王がいて、代々世襲していた。
大倭王が邪馬台国にいた。
王が一人しか存在しないという解釈とは矛盾する 「学者が信用できない」「陰謀により真実が隠されている」
などと叫んでる人をよく見かける
別に邪馬台国論争に限らず多くの場所にこういう人はいる
しかしその主張がどんなものなのか精査する必要がある
これも上の判定基準で分かる
@どんな資料を見ているのか
A想像を多く含んでいないか
という点
実際にはこ「自分の意見と合わないから」と都合の悪いことを想像で否定しているだけと分かる
まともな反論の体をなしていない >>622
でも、福建省から台湾(流求)に行くのも水行と書いてるからな。
福建省と台湾の地図見ると、水行は無理筋に見えるのに。 >>624
学者は信用できない
真実が隠されている
はい、論破w tatoo入れた海洋民が何で近畿のド田舎の盆地にいるんだよw
魏の使者のみた邪馬台国は奈良とかでがありえない。
畿内にあったのはあくまで大和政権で邪馬台国とは別物。 >>627
後漢書には大倭王の存在がはっきり書かれてる
はい論破 >>622
最初の説明では朝鮮から対馬と対馬から壱岐と壱岐から唐津の移動は海を渡ると表現されてるね 三種の神器をよく調べてみたらヒントや答えそのものが書いてあるとかないの? >>629
本当にその通り。
沖縄人は19世紀まで、ハジチという刺青をする習慣があった。
沖縄人は明らかに九州あたりから入ってきている。
方言が似ている。
「原」をバルと発音するのも同じ。
邪馬台国の記述は、明らかに九州。 それではここで畿内説でも独自路線を行く寺澤の言葉から邪馬台国に対する考古学界の空気を感じてみましょう。
旧稿でも私はこのように書いた。「従来、ともすれば進化論的な継起的発展観によって、先験的にヤマト王権の核となる政治的権力を大和(あるいは大和を中心とする畿内南部)の弥生時代社会のなかに発見これ努める傾向がなきにしもあらずであった。たとえば、邪馬台国論が畿内説と九州説で論議が二分されようとも、最終的には畿内大和は勝利を手中に収めて「ヤマト王権」の面目を保たねばならない先入観があったのである」と。しかしこうした学界の傾向は37年を経た今でもさほどの転換はない。 王でも倭王でも大倭王でも呼び名なんか何でもいいわ
卑弥呼の死後男王に不満で殺し合いして女王台与にしたのは誰なんだ? >>585
そう言いたいところだが、
最後の最後で、邪馬台国、女王の都とする所とあるから
女王国=邪馬台国とせざるを得ない
少なくともこれが中国側の記録であり認識である >>637
要らない
畿内説は学説として存在してない
ただのファンタジー 先進国のまつら国ですら当時の日本の中で大陸と近い発展した地域なのに
前歩いてる人も見えないぐらいジャングル状態
ほかの地域も人が歩けるような道は成立してなかったはず
しかし倭人は船で物を運んだり移動していたとかんがえたら道の整備ができてない理由は自然になる 水行と渡海なんて、テキトーだよ。
それは『隋書流求國伝』を見れば分かる。
流求國とは沖縄ではなく、台湾のこと。
福建省から台湾に行くのに「水行」と書いてる。
Googleマップを見れば分かるが、福建省から澎湖諸島までの距離は、
韓国南部から対馬よりもはるかに遠い。
福建省から澎湖諸島までの距離は、韓国南端から福岡県までと同じぐらいの距離だが、
こちらは水行と書いて、狗邪韓国→対馬は「渡海」と書いている。
つまり、水行と渡海の違いはテキトー >>641
いやいや
末盧国から伊都国は陸行ですがな >>25
そりゃ盛り上がるでしょ
皇室信者からしてみれば邪馬台国なんて目障りな存在なんだから >>622
ちゃんと読め 帯方郡から出発して海岸にそって水行するって何度も書かれてるから
狗邪韓国についたところで七千余里、 >>599
卑弥呼が倭王だから卑弥呼を共立した人達は王ではなく王の家臣
卑弥呼は家臣団に擁立されたんだよ。
>>623
>国には皆王がいて、代々世襲していた。
この部分は原文では「丗有王皆統屬女王國」「世に王あり、皆は女王国に統属す」
世を代々と訳すのは恣意的な誤訳
魏書では「丗有」は通常魏の世を指しているので
そのまま訳すと「魏の世には伊都国に王が居た」の意味
「皆は女王国に統属す」の皆は倭の国々を指し
「魏の世には伊都国に王が居た、倭の国々はみな女王国に統属していた」が本来の意味
この文章で伊都国が倭国の首都だと書いてあるんだ。 >>641
重要なのは入国管理局がある伊都国に行く事であって末盧国に行く理由って無いのよね
もしあるなら末盧国が通り道なってる場合 >>646
万世一系は男系じゃないだけで多分本当だよ
アメノミナカヌシからヒサヒトまで全部本当に血が繋がってる
皇室信者にとっても邪馬台国も奴国も大切なはずなんだよ
酷い扱いしてるけどね 九州が江南系で、近畿が北方系
これもよく分かるように見えるが、下戸遺伝子の分布はこれと反している
現実は九州に下戸が少なく、近畿や三重でもっとも多い
第一波弥生人と第二波弥生人との間に種族差はないと見る
より長く半島にとどまった第二波弥生人が、墓制で九州と区別でき
九州には長居せずに本州に直行している事実を踏まえてもだ >>643
帯方郡からの船での行程は
朝鮮半島の西に岸にそって南下=水行
対馬から九州に上陸を目指して水行=渡海
って言葉を使い分けている気がするな 散見される邪馬壹(ヤマイ)説は、かつてその筋の人たちに大人気だった
「『邪馬台国』はなかった」(朝日新聞社)の受け売り
その本の主張するところは「近畿皇室は九州王朝の分家」という噴飯物の珍説で
著者は後に詭弁を弄してまで(後にそれと発覚する)偽書を徹底支持し
その不誠実な研究姿勢を世に露呈したといういわく付きの人物 >>647
いやいや、水行と渡海はテキトー。
狗邪韓国から対馬までの距離で「渡海」
ところが、それの3倍以上の距離がある福建省→澎湖諸島までを「水行」と書いてる。
つまり、書く人の気分次第。 >>639
邪馬台国は、女王の都(すべての、すべる)所
だな、この場合の都は名詞ではないので「みやこ」の意味ではないな。
だから女王=邪馬台国だよ
女王国は首都圏の伊都国付近、女王国と女王では意味が違ってる。 >>648
家臣じゃないよ
連合王国、ただ卑弥呼だけが倭王という称号を魏から与えられていた
それが他の王よりも一つ頭が抜けていて
他の王の上にいられる根拠にしようとしていただけ >>649
そうだよ
末盧国は非常に大事な通り道
豊臣秀吉が名護屋城を呼子に作ったのも非常に大事な通り道だから >>654
古田はネタ
九州御井説はそんなもんに全然関係してない >>638
鎮魂歌の一節に以下のように書かれている
名もなき兵たちでしょうね
物の勿は「特定できない」→「『もの』の集合」の意
石ノ上 布留社ノ 太刀モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル
アチメ オオオ オオオ オオオ
猟夫ラガ 持タ木ノ真弓 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ
アチメ オオオ オオオ オオオ
上リマス豊日霎カ 御魂欲ス 本ハ金矛 末ハ木矛 >>655
渡海はテキトーかもしれんが水行は略正しい
渡海がテキトーなのは平行する陸地が無いから。
>>657
魏志倭人伝を書いたのは中国人だから中国人の価値観で書かれてるんだよ
王の上は皇帝なんだよ、王の下に王はいないの
皇帝⇒王⇒公候伯子男や大夫 はじめて海を渡って対馬国で約八千里、その南の一大国(壱岐島)で約九千里
そこから千余里海を渡って末盧国(九州到着) 約一万里
末盧国を唐津とするなら、そこから約二千里の範囲内に女王国があったはず >>482
すでに吉備の上東遺跡では波止場跡が発掘されてるし、巻向では運河跡と思われる遺跡もある。
土器の移動も活発で人流もかなり動いていたことも証明されてるんだけど。 >>663
並行する陸地がない水行って本当計量がいい加減だよね
釜山→対馬→壱岐→呼子が1:1:1なわけがないし
対馬対壱岐島が4:3も全然おかしい >>654
「邪馬台国はなかった」は、正しい。
まず、『魏志倭人伝』では邪馬壹(ヤマイ)。
魏志倭人伝より前の『広志』では、邪馬嘉(ヤマジャ)
初めて、邪馬臺が登場するのは、424年の范嘩の『後漢書倭伝』
ヤマト王権がその頃登場し始めたか、強大化したことを受けて、邪馬壹(ヤマイ)と邪馬嘉(ヤマジャ)は、邪馬臺の間違いだろーと、
勝手にヤマトに近づく音に変える為に漢字を変えた。
つまり、ヤマタイコクなる国が存在しなかった可能性は極めて高い。
今もないのだから。
ちなみに、世界の地名の9割は古代から変化しないという研究がある。 >>664
帯方郡から伊都国までが一万五百万余里
伊都国から御井が千里ちょっとくらい
合わせて一万二千余里
ぴったりですがなw >>664
帯方郡から伊都国までが一万五百余里
伊都国から御井が千里ちょっとくらい
合わせて一万二千余里
ぴったりですがなw >>649
一大率は女王国以北の諸国(対馬国、一大国、末盧国)に居たから
伊都国へは伊都国の王に逢う為なんだ
一大率に逢う為なら伊都国へ行く必要はない。 >>1
> 小郡市埋蔵文化財調査センター所長の
九州の人が書いた結論ありきの本なんじゃ >>670
御井は邪馬台国を構成する傍国の中のどれかだよ >>671
王に会ったかも知れんがそんなことでは無くて
「群の使いは全てここ(伊都国)に留まる」から まあ廣志の記述にあるヤマイチ国なら畿内説なのは確実ですよ。
伊都は内陸部だし、倭人伝にあるマツラも奴国も登場しないから。
ヤマイチ国は山城、山背地区の事ですよ。 >>671
王に会ったかも知れんがそんなことでは無くて
「郡の使いは全てここ(伊都国)に留まる」から >>672
お前結論ありきだよな近畿パー
はい、論破w >>675
伊都国の王(卑弥呼)と逢う為だから「郡の使いは全てここ(伊都国)に留まる」んだよ。 >>671
何を目的に来てる何者かわからん奴を素通りさせる訳にいかんだろ >>632
眼科にいけ
>>557に原文転記までしてる >>679
伊都国の王は邪馬台国の女王ではないアホ >>683
伊都国の王が邪馬台国の女王卑弥呼だよ
だから伊都国の王の名が別に書かれていない。 >>684
「郡使往来常所駐」立ち寄るんじゃなくて常にとどまるんだよ、常駐してるの。 魏志倭人伝の描いているのは北部九州に寄るルートが記述されてるんだよね。
これが廣志の出雲から伊都のある亀岡に向かうルートと混同されていることが、今の九州説と畿内説に別れてしまった理由だ。 邪馬壹国と卑弥呼女王の話ばかりでなくその前の男王に興味はないかな
倭人最初に朝貢した王が「漢倭奴国王」の金印を授かった
その後に「倭面土国」の「師升王」が朝貢をしている
これを「ヤメトコク」「スサオウ」と読む説もあるそうだ
この次の3世紀「邪馬壹国」の「卑弥呼女王」が朝貢している
「スサオウ」読みが正しいなら、後の卑弥呼が姉の天照大神になるのは順番がおかしくなるね
天照大神が男王で「漢倭奴国王」の金印を持っていたなら
順番は合うことになる >>668
日本にヤマジャなんて地名はないんだわ(朝鮮は知らんが) >>648
後漢書は普通に世世と書いてるし、代々世襲してると書いてる
國皆稱王丗丗傳統
國=国
皆=みな
稱王=王を称す
丗丗=代々
傳統=受け継ぐ
意訳
国は皆王を称し、代々世襲している。 倭人
↑これの読みじたいが
わめぇんど=わめんと=やまと だからw >>684
留まるだな
多分、倭国大乱が終わったばかりでまだ物騒だったからだろな
二回目は伊都国から太宰府通って御井まで行ってる
だから距離が二種類書いてあるわけな
帯方郡から女王の国まで一万二千余里ってのは二回目のこと 伊都国
(末廬國から)東南へ陸を500里行くと、伊都國に到る。そこの長官を爾支(にし、じき)といい、副官は泄謨觚(せつもこ、せつぼこ、せもこ)・柄渠觚(ひょうごこ、へいきょこ、へくこ)という。1000余戸の家がある。代々の王が居た[1]。みな[2]女王国に従属している。帯方郡(たいほうぐん)の使者が往来して、足を止める所である。
こう書かれてるけど >>691
弥生時代の言葉の発音がそのまま
現代まで伝わったとは思えないけれどな
弥生時代の発音を研究している人の動画
ps://www.youtube.com/watch?v=lrBuftKQQQY 筑紫神は白日別といい、これが五十猛であると言われる
不思議なことに後代、怡土県主となる五十迹手は日矛の子孫を名乗っている
素戔嗚尊と五十猛親子が高天原から新羅を経由して渡日したことと示唆的だ
この神々の足跡は他に出雲と和歌山(伊都郡あり)、ほぼ西日本全域といっていい
伊都国とその王家は、女王国連合には服しているが
一大卒が設置されたその信頼と地位は別格といっていい
女王国あるいは邪馬台国本体と深い関わりがあるだろう
五十迹手は自らの三種の神器を木に立てかけて仲哀らを迎える礼典を行っている >>685
伊都で政をするのは男王だろう。それが北部九州にいるんだよ。
卑弥呼は鬼道使いだから三輪山の麓で話に矛盾がない。 >>693
丗丗=代々
丗有≠代々
魏書内の丗有は魏の世での出来事のことだよ >>694
うん、だから
旧唐書には倭国の別種であると記述されている日本は
新興国であるために外交の場で倭国の代表だった倭国に変わり
自分たちが倭国の代表ですというアピールもあって倭=ヤマトという国名、地名変更をしたと思っている >>689
そこ時期そんなに離れてないのよね
倭面土=邪馬壹=ヤマトであれば偶々卑弥呼の出身が邪馬壹国だったんじゃなく
王は邪馬壹国に居るんだよ >>691
本当はヤマジャではなく、「シェイマージャ」だけどな。
日本に「ヤマジャ」なんて地名は無いなんて、馬鹿な話だよ。
ジャパンの語源は、ジパング。
ジパングの語源は、「ジーベングゥオ」
Google翻訳に「日本国」と打つと、「ジーベングゥオ」と発音される。
日本には「ジーベングゥオ」なんて地名はないし、「ジパング」もないし、「ヤーポン」もない。
中国人が発音するんだから当たり前。
愛新覚羅(あいしんかくら)なんて、中国ではそんな発音なんてない。
アイシンギョロだ。
はい、おしまい。 さあ!さあ!みんなもうそろそろ時間ですよ
いつも過疎ってる日本史板、世界史板、考古学板、人類学板、オカルト板の巣にお帰んなさい!さあ!! 倭人は大陸にいた存在を
似ているからと大陸人がつけた呼称 >>697
有千餘戸、世有王、皆統屬女王國、郡使往來常所駐。
駐だな
留まるだ 当時の距離単位は今と違うから、だいたい日本に到着してから多く見積もっても200kmくらいの範囲までに女王国があった
それでいいくと出雲や吉備あたりは大目、誤差でいけるかもしれんが纏向は遠すぎる… >>699
それは四国に痕跡が多いだろう。
倭人は呉の太白の末裔を自称するなら畿内で神獣鏡が多いのも説明がつくからな。 伊都国の官、爾支のニギは、瓊瓊杵尊の瓊
饒速日の饒、崇神五十瓊殖の瓊といった通字と重なる >>710
縄文人でさえもっと遠方まで移動してるのに。
そもそも大陸に出かける位だから国内移動なんて余裕だよ。 誰もが知っているが「漢倭奴国王」の金印は
福岡県で発見されている
もしも現代なら天皇が持つべき金印になる 伊都国では持ち込んできたものを検品したりする為に常に立ち寄るんだよ 邪馬台国の卑弥呼は倭姫命(ヤマトノヒメミコ)な。
コレが共立されたっていうのは、
生目と丹波氏ヒバズメノヒメの娘
と言う事で女王にしたという意味だ。
というのも倭国大乱によって、
丹波氏の嫡男、狭穂彦王が
生目に倒されてしまったからで、
それで生目氏と丹波氏のち筋を引く娘が
都合が良かったということ。 >>710
女王国は伊都国、奴国、不弥国付近のことだ
邪馬台国の首都圏だな
「此女王境界所盡」の女王は邪馬台国のこと
「女王之所都(女王のすべての所)」を省略し「女王」と書いてる。 >>719
でも時期は>>689に書いたように近いんだよ
弥生時代の話だからね >>717
そこが奴国の証拠だね。だから廣志に奴国が登場しない時点で北部九州の話ではない事が必然的に証明されてるよ。 >>721
全然違う
アマテラス=卑弥呼+トヨ+太陽 >>720
持ち込んできたものを検品したりするのは港のある末盧国だよ
伊都国へは倭王卑弥呼と逢う為。 近畿人が言うには
帝=ミンガド(ヘブライ語)ガドから来た意
ミン=〜から
ガド=ガド族(古代ユダヤ人)
これが近畿の考古学だとんでもないカルト集団だぞ >>728
魏志倭人伝を読んでね
港で検品して伊都国の王へ文書を伝送するって書いてある。 >>729
間違い
邪馬台国は御井
一ミリも疑いはない 百襲媛の名前が日女命だからまさに日の巫女だからな。
廣志に記述にあるのも何故か百女国だよ。 ちなみに金印を貰った奴国とは、
博多湾周辺の那の津那珂川周辺であり、
安曇族の出自した土地でもある。
そして安曇族の氏神が志賀島の
志賀海神社に祀られており、
金印が志賀海神社のある志賀島から出土したのは、
歴史の必然であるのである。 投馬国が半島南部
邪馬台国が北部九州全体
あわせて倭国
この説、半島南部に倭国の人口の4割がいることになる
倭人伝の記述として半島南部についての記述が薄すぎるわな 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。
常治伊都國、於國中有如刺史。
王遣使詣京都、帶方郡、諸韓國、及郡使倭國、
皆臨津搜露、傳送文書賜遺之物詣女王、不得差錯。
女王国より北は、特別に一大率を置き、諸国を検察させており、諸国はこれを畏れ憚っている。
常に伊都国で治め、国の中では刺史の如くある。
王が使者を京都(洛陽)や帯方郡、諸韓国に派遣したり、郡使が倭国に及ぶときは、
皆、港に臨んで点検照合し、文書、賜物を女王に詣でて伝送するが、間違いはあり得ない。
末盧国?
は? >>737
それは別に比定しない、北部九州にあるのは奴国だし。 >>736
魏志倭人伝を読んで出直してよw
「王遣使詣京都帯方郡諸韓国及郡使倭国 皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯」 魏志倭人伝には日本は治安が良い国であるようなことが記されているんだよね >>740
投馬国は伊都国から南、水行二十日だろアホ
なんだそれは
西都原の妻だって言ってるだろ猿
>>737
それはどういう意味かな?
超大国でないと金印をもらえるはずがないというなら、それは間違い。
例えば、琉球国は薩摩の兵3000千で滅ぼされるようなザコ国家だったが、
中国は、朝鮮と琉球を一番待遇の良い国として扱った。 >>741
>皆、港に臨んで点検照合し
この港が末盧国の港だな
魏使は末盧国の港で荷物を倭に引き渡して手ぶらで伊都国へ向かってる。 >>746
俺の説じゃないっつーの
御井は投馬国だけどなw なんか九州論者って反ワクと被るよな
少数の仲間内でエコーチェンバー化してるという意味で 卑弥呼亡き後の男王って吉備の温羅の王なんじゃないの?
温羅の王は布留の王かもねえ
ニギハヤヒのモデル >>742
奴国王だよもちろん
タカミムスビかカミムスビのこと
スクナビコナの親扱いになってるヤツ 記紀によるとあくまでもアマテラスは大和(奈良)の外から来た
神様なんだよね。で、それはおそらく応神の頃に出来上がった
神話だろう。そうしておそらくアマテラスは卑弥呼であり、
神功皇后の祖先神、宗像三女神のうちの一人であろう。 纏向はむしろ日本神話と結びつけて、出雲や吉備との関係性を考えたほうが面白い
百襲姫は孝霊天皇の娘だけど、伝承では大物主(出雲族の神)と結婚して、その正体が蛇だと知って不幸な死をとげたんだっけ >>751
アンケートで日本国民の54%が九州支持。
畿内は確か、37%ぐらいだったと思う。
Twitterで「邪馬台国 アンケート」で検索すると、全部のツイートで九州支持が勝ってる。
畿内支持が多いアンケートがあったら教えてくれ。 >>755
じゃあこの港は何処だ?
魏志倭人伝には末盧国の港しかないよ。 ちなみに安曇族は海人族の進出で特徴付けられる部族で、
かつての銅剣銅矛文化圏で特徴付けられ、
遠くは山形県まで進出しているようだ。
これらの中心地としての那の津那珂川と言う事で、
1世紀の覇者として相応しいだろう。 >>751
例えばオレが誰とエコーチェンバーしてるの猿? アンケートってまいど出してくるけど馬鹿なの?
本気でそんなものがなんか意味あると思って出してんのか?
冗談とかネタじゃなくて本気でアンケートが多いから九州だ!とか言いたいのか
頭どうかしてるな >>730
全然違う
アマテラス=卑弥呼+トヨ+太陽 >>765
権威と来たかww
本当お前ら近畿パーって頭おかしいよな >>763
伊都国に港があれば魏使は末盧国の港へは上陸しないよw
「王遣使詣京都帯方郡諸韓国及郡使倭国 皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯」
この文章は魏使の来た時の対応だし、末盧国の港しか考えられないですよ
書いても無い伊都国の港とか妄想しすぎwww >>770
要らないよ
アンケートが権威なのかお前ら近畿パーにとってはww 大和政権と邪馬台国をどうしても連続させたい勢力がこの論争を長期化させてるのは明らかだなw
こじつけるのがかなり大変。
邪馬台国なんて魏誌にしか出てこないんだから放っておけば良いのに。 >>771
お前はクルクルパーか?
なんで港が一つしかない設定になってんだよアホ コレが2世紀初頭に、
倭面土国に覇権が切り替わっている。
奴国は3世紀まで存在した様で、
奴国以外の覇者が誕生した訳だ。
この奴国から覇権を奪った倭面土国とは何かを考えると、
山門国の彦坐王ということになるだろう。 >>329
まさにダブルスタンダード
そりゃ九州派の歴史学者もどんどん減っていくわ 近畿パーって根本的に頭がおかしい
ウソついて誤魔化すことばっか考えてるからこうなる >>705
倭人がヤマトと言ってたのを
中国で邪馬台と音写したんだろうね >>779
全然違う
アマテラス=卑弥呼+トヨ+太陽
天岩戸=248年の皆既日食(因みに247年のは皆既日食じゃない)
>>774
そもそも『魏志倭人伝』にも出てこない。
魏志倭人伝では、邪馬壹(ヤマイ)が1回、女王國が5回。
邪馬臺が初めて歴史上に登場するのは、424年の范嘩の『後漢書倭伝』で、
その時代にヤマト王権が強大化した為に、前の邪馬壹(ヤマイ)を范嘩が勝手に「ヤマタイ」の間違いだろうと思って、邪馬臺にした。
本当にこじつけもいいところ。 色んな資料や発掘物を統合すると
邪馬台国とは畿内にあった大和国のこと >>778
涙拭けよドンドン減ってる近畿パーwww 日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本で邪馬台国だ。日本の聖徳太子は隋に手紙を送った。百済、新羅、高句麗は倭国で日本の属国」 >>788
糞食って死ねば治らないかもなお前は
はい、論破w 邪馬台国が朝貢出来なくなったのは狗奴国に滅ぼされたからでいいのかな? >>793
それを口に一気に入れてみろ
治るから
知らんけど >>791
台与が王になり国は治まったと書いてあるが この論争が歴史にあまり興味がない大衆も巻き込むブームになった切っ掛けって何なんですか? >>786
畿内の大和と九州の山門
どちらが魏志倭人伝に7万戸と書かれてる邪馬台国にふさわしいか >>791
邪馬台国は、畿内派によると、畿内から九州に至るまでの超大国。
もし、畿内説が正しいのならば、そんな超大国が狗奴国ごときに滅ぼされるわけがない。
しかし、卑弥呼国を九州北部の小勢力と考えれば、狗奴国に滅ぼされたと解することもできる。
いずれにせよ、卑弥呼国は小勢力で、狗奴国かヤマトに滅ぼされたのだろう。 史書には邪馬台国は大和と明記されてる
解釈も想像の余地もなくそのまま
『所在地』
@アメノタリシヒコは用明天皇(新唐書)
Aアメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じ(隋書)
A用明天皇は筑紫城から大和州に都を移した神武天皇の後の天皇なので都は大和(新唐書)
↓
邪馬台国は大和
『一大卒』
@一大卒は中国の刺史と同じ(魏志)
Aアメノタリシヒコは属国各地に一大卒を派遣して支配してる(旧唐書)
↓
一大卒のいるところは大和の政権の属国
『日本と倭』
@日本の皇統は神武天皇から当時の桓武天皇まで断絶なく継続(新唐書)
A日本は小国なりとも王も家臣もずっと変わらないと皇帝が称賛(宋史)
B改称については日中の史書共に登場する粟田真人が国号を誤解された件が記載される(日本書紀)
C白村江の戦いの当事者の唐が皇統がずっと続いていると記載(新唐書以降)
Dアメノタリシヒコ(用明天皇)は白村江の前の天皇だがその後の系譜に連なるものとして記載されてる(新唐書以降)
↓
改称は壬申の乱後の日本号の正式採用の事
九州の邪馬台国も九州王朝も最初から存在しない トヨ以降消息不明じゃん、朝貢しまくってた倭国の記述が100年以上途絶えるとか大陸が混乱してたとしてもおかしい 邪馬台国の邪とか卑弥呼の卑とか、思いっきり見下されてたんだよね。 >>797
デカい集落探しじゃないんだし相応しいとか町興しじゃないんだからw 1世紀前期中期 大国主命とスクナビコナの国造り
57年 奴国(那の津那珂川)王が朝貢
1世紀中期後期 大国主命と大物主命の国造り
107年 倭面土王師升(山門彦坐王)が朝貢
2世紀 ニギハヤヒの畿内進出
180〜190年 倭国大乱(狭穂彦王の乱)
3世紀 倭姫命の擁立
大体こんな感じかな。 >>777
いや、「倭面土国」の「師升王」だから名前が違う >>782
根拠がない事を書き込んでるんじゃないよ。 >>705
新井白石が通訳に読ませたら「やまたいこく」になったんだとさ
音が全然違うわな(誰かが間違えてる) >>775
伊都国に港があれば末盧国を通り理由が無いし
「王遣使詣京都帯方郡諸韓国及郡使倭国 皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯」
の文書が魏使の往来時の事を書いてるんだから末盧国の港でしょ
伊都国の港とか何処から出てきたの??? 前年の247年に部分日食が起こって、太陽神設定の卑弥呼は
ビビったわけな
そこでさらに翌年に皆既日食が起こって
これはまずい死んで霊力を取り戻して来ます
と言って陰部を槍で射らせて死んだ
(古代日本には巫女は残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信があったから)
倭の女王「卑彌呼」と狗奴国の男王「卑彌弓呼」は元より不和。倭は載斯、烏越らを派遣して、帯方郡に詣でて攻防戦の状況を説明した。
帯方郡は長城守備隊の曹掾史である張政らを派遣し、詔書、黄幢をもたらし、難升米に拝仮させ、檄文を為して、これを告諭した。
卑彌呼は以って死す。大きな墓を作る。径は百余歩、殉葬する奴婢は百余人。
卑弥呼、以って死すってのは古代から謎の言葉とされて来たが、謎じゃ全然ない
そのまま読めばよい
卑弥呼にことさら殉死者が多いのは、卑弥呼が自ら死を選んだから
>>702
後漢書の話をしている
後漢の頃には漢倭奴国王が存在していたわけだから、君の言う他に王は存在してはならない理論は破綻してる >>802
それなら規模で言えば九州の山門は邪馬台国じゃないというのを認めるんだな? >>800
なんにしてもそんな事わからん
事実は台与が王になり国は治まり150年後倭の五王が現れた 邪馬台国は北部九州にあって狗奴国に300年頃滅ぼされる
九州倭国連合は瓦解、そこに東のヤマト王権がジワジワと支配を広げて取り込んで行ったんじゃないだろうか? 温羅の骨が埋められている釜殿の精霊のことを「丑寅みさき」という
丑は牛で天神さまの使いかな?
寅の男はイン、卜骨や殉葬、太陽神信仰で有名な殷と関係あるのか?
吉備は昔は大国だった
天武天皇の時代に今のように3つに分けられたらしい 根本的に天照大神は倭姫命=卑弥呼が祀った神なので、
天照大神≠倭姫命でなければならない。
こんな簡単な事はわかるだろう? >>811
漢の時代に倭奴国王が誕生して倭に王は一人になったですよ
それまでは各国の長が王を自称していた
漢が滅び魏に変わったので「漢倭奴国王」の効力が失われたので
卑弥呼は急ぎ魏に入朝して「親魏倭王」に任命してもらったんですよ。 纏向からわかることは出雲や吉備を勢力圏に治めた取り入れた、って事だけだよ
吉備真備(温羅討伐、桃太郎の原型)
百襲姫(出雲族との政略結婚) 魏志倭人伝の時代の話が天智天武の時代にも繋がってきたようだ
謎は深まるばかりだ 倭国の大乱によって分裂した3世紀の倭国の勢力がどうなっていったのかが本来日本の考古学が研究すべき重要なテーマ。
魏志韓伝によると
國出鐵韓?倭皆従取之 諸市買皆用鐵如中国用銭 又以供給二郡
倭は半島の鉄を取って商取引していて、半島内における重要な利権である事は明白。
漢から漢委奴国王の金印を得られるほど認められているので、半島内にも倭国の勢力が存在しているのは間違いない。
韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里 有三種一曰馬韓二曰辰韓三曰弁韓 辰韓者古之辰國也
冒頭にも韓の東西は海であるが南は倭に接するとある
つまり」3世紀になっても倭の勢力は存在していることになる
しかし魏志倭人伝によると、官や戸数が明記されるのは對島国からで北岸の狗邪韓國は女王の管轄外である可能性が高い
使者が通過するには支障はなさそうなので、敵対しているわけでもないだろう。
北岸の倭国とは友好関係にあり、南の狗奴国とは戦闘状態にある
女王国ばかりがクローズアップされるが、地理的に最も危機感を持っているのは半島にいる倭国勢であり、その利権を守るために何をしていたのか。
そこに大和政権がからんでくるのはいつごろからなのか、ここが一番重要だと思うのだが。
なぜか近畿説は女王にこだわることしか脳がない。 魏晋南北朝学会の副会長・陳長崎(ちんちょうき)教授の話は大切である。
すなわち、『魏志倭人伝』は欠陥資料。
みんな、歴史書と聞くと、紙(ペーパー)をイメージするのが間違い。
この時代は竹簡で、そもそも蔡倫が作った紙とやらを見てみて欲しい。
今の紙とは全く違うゴミ媒体。
よって、紙は晋代に入るまで正式採用されなかった。
陳寿は、1文字に20文字しか書けない竹簡を集めて、さらにそれを竹簡で『魏志倭人伝』を作っている。
だから、とりあえず「これ多分、倭国のやつだろう!」と思った竹簡を何でもかんでも採用した為に、
本来なら行政官であるはずの「刺史」を監察官(警察、公安、CIAなどのイメージ)としてしまった。
これは完全なる凡ミスだが、いちいち確認してまで東の野蛮人のことを書き記そうとは思わなかったのだろう。 前年の247年に部分日食が起こって、太陽神設定の卑弥呼は
ビビったわけな
そこでさらによりによって翌年に皆既日食が起こってしまう
強大国球磨国との戦闘の最中なのに
張政が「倭国が乱れている、あなたはしっかりしなさい」と言われて
「これはまずい、死んで霊力を取り戻して来ます」
と言って陰部を槍で射らせて死んだ
(古代日本には巫女は残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信があったから)
倭の女王「卑彌呼」と狗奴国の男王「卑彌弓呼」は元より不和。倭は載斯、烏越らを派遣して、帯方郡に詣でて攻防戦の状況を説明した。
帯方郡は長城守備隊の曹掾史である張政らを派遣し、詔書、黄幢をもたらし、難升米に拝仮させ、檄文を為して、これを告諭した。
卑彌呼は以って死す。大きな墓を作る。径は百余歩、殉葬する奴婢は百余人。
卑弥呼、以って死すってのは古代から謎の言葉とされて来たが、謎じゃ全然ない
そのまま読めばよい
卑弥呼にことさら殉死者が多いのは、卑弥呼が自ら死を選んだから
また、スサノオのせいで天の服織女が梭が陰部に刺さって死ぬ→天岩戸ってのがあるだろ
あれが卑弥呼な
実際は梭ではなく矢で射殺されたわけだが
山門国は、仲哀天皇のとき、
熊襲によって滅ぼされてしまった。
しかし、分家が既に日本中に勢力を張っていたので、
丹後を中心に派兵して熊襲を一瞬で制圧してしまった。 >>815
お前ら近畿説は否定証明済みだと言ってるだろが猿 >>821
共立された時点では卑弥呼は自称王
魏からに倭王に正式に任命されて本物の王 >>353
本物であろうと偽物であろうとあの金印は漢の光武帝が奴国王に渡した物だから卑弥呼と関係ない >>827
そうであっても魏は承認するだけだろうし >>822
記紀では半島で戦った相手が新羅になってる
大和朝廷が朝鮮半島へ進出した事は無かったんだ
半島で高句麗と永年戦ってたのは九州の倭国。 台湾大学の教授、周徳望教授は、古代中国の里数は中国内のものはある程度正確だが、
外国に関する里数は、現地の案内人に影響される為、全て疑うべきで、例えば梁書における中国→日本までの里数をそのまま当てはめてしまうと、メキシコまで行ってしまうので、魏志倭人伝の里数も無視して良いという。
その上で、「倭国に牛馬なし」との記述を見て、牛馬が無ければ外国との貿易品の運搬が相当に大変であったはずであり、
また馬がいないのであるから、人が移動するのもクソ遅かったはずで、
邪馬台国を伊都国から遠くに置くことは考えられないと話し、邪馬台国は北部九州であると結論づけている >>828
卑弥呼が王になったのはおそらく漢の時代だし繋がってるんだろうな >>829
だから即、卑弥呼は倭王に成れたんだよ
卑弥呼が漢倭奴国王印の最後の所有者である可能性がいんだ 倭姫命は弟に世話をさせた伝承が残っている。
そして生涯独身だった。
大幡主に旗を授けた伝承もある。
もちろん、巫女でもある。
熊襲征伐には大和武尊に策を授けた。
以上のことから、倭姫命=邪馬台国の卑弥呼で
間違いないだろう。 >>833
金印は福岡だね
でもあれはもっと前の時代の金印だよ >>836
そうだろうな
そうなると倭面土と邪馬壹は同じじゃないか 「漢倭奴国王」だけでも
・倭の奴国=奴国
・委奴国=伊都国
・倭奴国=倭国=日本国
定まらないという滅茶苦茶な話(学問じゃありません) >>834
漢の光武帝の在位期間 25年8月5日 - 57年3月29日
魏の明帝の在位期間 226年6月29日 - 239年1月22日
200年違う 倭面土国王は奴国とは別物だ。
倭面土国王が貢いだ奴隷は、
恐らく奴国の奴隷だろう。 古代日本には巫女は残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信があった。
恐らく、倭国大乱での巫女殺しから来た迷信だろう。
この時代、巫女殺しは物凄くショッキングなことでとても正視に絶えないことだった。
だから「死んだらラッキーじゃん、霊力強くして戻って来るんだから」って話しにすり替えたわけな。
んで、248年の皆既日食で卑弥呼が本当にそれ実行しちゃった。
これが天岩戸の神話。
日本史教科書にはこう書かれている。
「もし、邪馬台国が畿内なら3世紀前半にはすでに畿内から九州に至るまでの広大な統一国家が存在した」と。
そんな超大国が、「うちの国の南に狗奴国っていうのがあって、そいつらが反発してくるから困ってるんですよ。中国皇帝・曹叡様、どうか我らの女王卑弥呼に中国皇帝の権威を与えて下さい」
とチクリに行ったことになる。
そんなことはあり得ないんですよ。
よって、卑弥呼国は九州北部の小勢力に過ぎない。 >>842
卑弥呼が王になったのは2世紀末でしょう >>812
山門だけが候補じゃないし規模全体自体も不明。
邪馬台国を無理矢理でも大和政権と連続させたいと言う町興し感覚が畿内説の根元なんだよなw >>840
倭面土のヤツはただの写し間違いだろな
そんな国は無い >>848
言葉に文字をあてただけだから
中国にとっては倭王だから 近年まで、邪馬台国の流れを汲む丹波の国には、
占い祈祷を行う祈祷師の婆婆がいた。 >>536
魏志倭人伝の書き方だとそうだけど
女王国=倭国でいいよ
卑弥呼が倭国の女王になったから倭国を女王国と書いてるだけだから 宗教なら簡単に定まるが
学問だと定まらないものは定まらないよな 邪馬台国が存在してた3世紀には既に巻向でヤマト王権は成立していたと思う
それが4世紀に西へ東へと勢力を拡大して今の日本の礎になった
ハッキリしてるのは九州はただの1地方であって日本の始まりの地では無いということ 台湾の学者も中国の学者も合理的な判断から九州だろうって推測してるのに
日本だけ国内の事情で畿内、って言い張るのってなんか韓国みたいで嫌じゃない?w 倭面土は9世紀の『通典』に出てくる。
これは残念。
倭面土が魏志倭人伝に登場していたら、私は邪馬台国を畿内と認識しただろう。
ところが、出てきたのは9世紀だ。
ヤマトの音を倭面土にしたに過ぎない。 >>853
「阿波」一択。
他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
記紀神話を物語る、記紀登場の神名古神社群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 @阿波 巫女が残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信は恐らく、倭国大乱での巫女殺しから来たものだろう。
この時代、巫女殺しは物凄くショッキングなことでとても正視に絶えないことだった。
だから「死んだらラッキーじゃん、霊力強くして戻って来るんだから」って話しにすり替えたわけな。
邪馬台国の巫女が誣告して、それに怒り狂った奴国王が巫女を斬り殺した。
これが倭国大乱の発端なわけだが、
「巫女が誣告して、怒った奴国王に斬り殺された」が
「巫女が口から糞を吐いて、奴国王が怒って斬り殺した」と言う話しに化けて、
さらにウケモチやオオゲツヒメの神話に化けた。
こう言うことね
倭というのは元々越人の住む地域の事を言うわけで、
越人=O1b系のハプログループの
生活様式風習全般を持つ民族という区切りで、
倭=ヤマト、日本ということになる。 >>853
日本の始まり=日本国と言う意味ならば
日本国=ヤマト王権というのには賛成するが
邪馬台国は、ヤマト王権ではなかった
だから魏志倭人伝に書かれている親魏倭王とは
ヤマト王権とは関係ない九州の倭国にいた卑弥呼に対する称号
そして魏はヤマト王権が畿内で興っていることをろくに知りもしなかった 60年前くらいの話で止まってる人だらけだな
この人たち自身が歴史の遺物みたいな存在だ
もしかして騎馬民征服服説とか信じてたりするかもな 越人の風習全般を持つ人たちの住む場所という地名の倭を入れて、
ヤマトという読みを漢字で当てた時に
倭面土=ワメィトゥと言う事で、
ヤマトになるわけだ。 倭面土と書いた人は、偉い。
唐の杜佑という人が書いた『通典』に出てくる。
倭面土を中国語翻訳にかけると、あら不思議。
「イェマート」となり、ヤマトそのまんま。
ところが、唐より前の時代には、ヤマトと発音できる漢字が出てこない。
邪馬壹(シェイマーイー)※『魏志倭人伝』より
邪馬臺(シェイマータイ)※『後漢書』より
邪馬嘉(シェイマージャ)※『広志』より
邪靡堆(シェイミードゥイ)※『隋書』より
祁馬臺(シーマータイ)※『梁書』より
邪摩惟(シェイモウウェイ)※『後漢書』倭伝に唐の李賢がつけた注釈「今、その名前を案ずるに、邪馬臺というのは邪摩惟のなまりである」との記載から。
つまり、中国人が初めて「ヤマト」なる国名を聞いたのは、早くても5ごろ。
したがって、邪馬台国をヤマトにすることは酷すぎるこじつけ。 他人の証拠には目をふさいで自分の都合のいいところだけ押し付けるのばっかりで話がループしてる >>865
してないよ
畿内説は否定証明済み
ループなんか全然ない
終了してるよ 現在の天皇家は大和武尊の系統を引き継いでいるわけで、
そういった意味では、
邪馬台国が大和になったと言っていいだろう。
実際、山門国の丹波氏は、天皇家の外戚として、
キングメーカーとして、
非常に強い権力を発揮した。 >>865
邪馬台国スレは独り言の集合体だからな
陰謀論系の集団にはよくある話 邪馬台国はただの集落でしょ
同等の物が日本中にあった
中国の書物に偶々記述されたから有名になったが特別な存在ではない 畿内説は否定証明済み
反論不能状態
ループなんか全然してないよウソつき野郎w 大化の改新はやっぱり大切な出来事ということでしょう
茅渟王と吉備姫王の子、軽、孝徳天皇の時代にならされた大改革
天万、万は卍、卍は和を意味する
芦原中津国とヤマト政権の和の象徴 過去のチャートでバックテストやってると
同じ条件でも持ち越した方がいい結果出るな
持ち越しダメいわれるけども
畿内説は否定証明済み
反論不能状態
ループなんか全然してないよウソつき野郎w
前年の247年に部分日食が起こって、太陽神設定の卑弥呼はビビったわけな。
そこでさらによりによって248年に皆既日食が起こってしまう。
強大国球磨国との戦闘の最中なのに。
張政が「倭国が乱れている、あなたはしっかりしなさい」と檄を飛ばされて、
「これはまずい、死んで霊力を取り戻して来ます」
と言って陰部を槍で射らせて死んだ。
古代日本には巫女は残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信があったから。
>倭の女王「卑彌呼」と狗奴国の男王「卑彌弓呼」は元より不和。倭は載斯、烏越らを派遣して、帯方郡に詣でて攻防戦の状況を説明した。
>帯方郡は長城守備隊の曹掾史である張政らを派遣し、詔書、黄幢をもたらし、難升米に拝仮させ、檄文を為して、これを告諭した。
>卑彌呼、以って死す。大きな墓を作る。径は百余歩、殉葬する奴婢は百余人。
卑弥呼、以って死すってのは古代から謎の言葉とされて来たが、謎じゃ全然ない。
そのまま読めばよい。
卑弥呼にことさら殉死者が多いのは、卑弥呼が自ら死を選んだから。
また、スサノオのせいで天の服織女が梭が陰部に刺さって死ぬ→天岩戸ってのがあるだろ。
あれが卑弥呼な。
実際は梭ではなく矢で射殺されたわけだが。
巫女が残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信は恐らく、倭国大乱での巫女殺しから来たものだろう。
この時代、巫女殺しは物凄くショッキングなことでとても正視に絶えないことだった。
だから「死んだらラッキーじゃん、霊力強くして戻って来るんだから」って話しにすり替えたわけな。
それがみんなの願いだった。
んで、それを真に受けて本当に卑弥呼が実行しちゃったのが天岩戸の神話。
邪馬台国の巫女が誣告して、それに怒り狂った奴国王が巫女を斬り殺した。
これが倭国大乱の発端なわけだが、
「巫女が誣告して奴国王に斬り殺された」が
「巫女が口から糞を吐いて、奴国王が怒って斬り殺した」と言う話しに化けて、
さらにウケモチやオオゲツヒメの神話に化けた。
これと同類。 前年の247年に部分日食が起こって、太陽神設定の卑弥呼はビビったわけな。
そこでさらによりによって248年に皆既日食が起こってしまう。
強大国球磨国との戦闘の最中なのに。
張政が「倭国が乱れている、あなたはしっかりしなさい」と檄を飛ばされて、
「これはまずい、死んで霊力を取り戻して来ます」
と言って陰部を矢で射らせて死んだ。
古代日本には巫女は残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信があったから。
>倭の女王「卑彌呼」と狗奴国の男王「卑彌弓呼」は元より不和。倭は載斯、烏越らを派遣して、帯方郡に詣でて攻防戦の状況を説明した。
>帯方郡は長城守備隊の曹掾史である張政らを派遣し、詔書、黄幢をもたらし、難升米に拝仮させ、檄文を為して、これを告諭した。
>卑彌呼、以って死す。大きな墓を作る。径は百余歩、殉葬する奴婢は百余人。
卑弥呼、以って死すってのは古代から謎の言葉とされて来たが、謎じゃ全然ない。
そのまま読めばよい。
卑弥呼にことさら殉死者が多いのは、卑弥呼が自ら死を選んだから。
また、スサノオのせいで天の服織女が梭が陰部に刺さって死ぬ→天岩戸ってのがあるだろ。
あれが卑弥呼な。
実際は梭ではなく矢で射殺されたわけだが。
巫女が残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信は恐らく、倭国大乱での巫女殺しから来たものだろう。
この時代、巫女殺しは物凄くショッキングなことでとても正視に絶えないことだった。
だから「死んだらラッキーじゃん、霊力強くして戻って来るんだから」って話しにすり替えたわけな。
それがみんなの願いだった。
んで、それを真に受けて本当に卑弥呼が実行しちゃったのが天岩戸の神話。
邪馬台国の巫女が誣告して、それに怒り狂った奴国王が巫女を斬り殺した。
これが倭国大乱の発端なわけだが、
「巫女が誣告して奴国王に斬り殺された」が
「巫女が口から糞を吐いて、奴国王が怒って斬り殺した」と言う話しに化けて、
さらにウケモチやオオゲツヒメの神話に化けた。
これと同類。 一人くらいまともな事言うかと思ってみてたが本当に誰一人まともな事言わないな
面白いこと言う人がいたらと毎度期待してみてるがどいつもこいつも訳の分からない妄想叫んでるだけだな
次スレも同じメンツなんだろうなぁ >>879
お前まともなこと言わないよな
はい、論破w 中国漢字は、日本漢字と違い原則的に読み方は1つである。
さて、現代中国語を翻訳にかけてみよう。
◯カッコ内が中国の史書に書かれている漢字。
◯→の所は、現代中国語翻訳
・チンギスハーン(成吉思汗)→チョンギスハン
・テムジン(鉄木人)→テムジン
・イト(伊都)→イートー
・対馬(都斯麻)→トゥイスーマ
・阿蘇(阿蘇)→アースゥ
・日本国(日本国)→ジーベングゥオ※ジパングの語源
・博多(好古都)→ハクゥトゥ
・菊池彦(狗古智卑狗)→クゥクチピィーコ
・羽地(怕尼芝)→はねじ※琉球三山時代の山北王・はねじがそのまんま読みが一致
・サバチ(尚巴志)→シャンパージ※琉球三国を統一した中山の王
・ヤマト(倭国土)→イェマート ほぼヤマトそのまんま
↑
以上のことから、昔の史書に書かれている中国語漢字を現代翻訳にかけても、さほど変わらないことが分かる。
したがって、邪馬台国をヤマトと読むのは詐欺である。 前年の247年に部分日食が起こって、太陽神設定の卑弥呼はビビったわけな。
そこでさらによりによって248年に皆既日食が起こってしまう。
強大国球磨国との戦闘の最中なのに。
張政から「倭国が乱れている、あなたはしっかりしなさい」と檄を飛ばされて、
「これはまずい、死んで霊力を取り戻して来ます」
と言って陰部を矢で射らせて死んだ。
古代日本には巫女は残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信があったから。
>倭の女王「卑彌呼」と狗奴国の男王「卑彌弓呼」は元より不和。倭は載斯、烏越らを派遣して、帯方郡に詣でて攻防戦の状況を説明した。
>帯方郡は長城守備隊の曹掾史である張政らを派遣し、詔書、黄幢をもたらし、難升米に拝仮させ、檄文を為して、これを告諭した。
>卑彌呼、以って死す。大きな墓を作る。径は百余歩、殉葬する奴婢は百余人。
卑弥呼、以って死すってのは古代から謎の言葉とされて来たが、謎じゃ全然ない。
そのまま読めばよい。
卑弥呼にことさら殉死者が多いのは、卑弥呼が自ら死を選んだから。
また、スサノオのせいで天の服織女が梭が陰部に刺さって死ぬ→天岩戸ってのがあるだろ。
あれが卑弥呼な。恐らく卑弥呼は本当に機織りやってたんだろう。
実際は梭ではなく矢で射殺されたわけだが。
巫女が残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信は恐らく、倭国大乱での巫女殺しから来たものだろう。
この時代、巫女殺しは物凄くショッキングなことでとても正視に絶えないことだった。
だから「死んだらラッキーじゃん、霊力強くして戻って来るんだから」って話しにすり替えたわけな。
それがみんなの願いだった。
んで、それを真に受けて本当に卑弥呼が実行しちゃったのが天岩戸の神話。
邪馬台国の巫女が誣告して、それに怒り狂った奴国王が巫女を斬り殺した。
これが倭国大乱の発端なわけだが、
「巫女が誣告して奴国王に斬り殺された」が
「巫女が口から糞を吐いて、奴国王が怒って斬り殺した」と言う話しに化けて、
さらにウケモチやオオゲツヒメの神話に化けた。
これと同類。 @ホケノ山から槨が出たけど邪馬台国は大和纏向
A箸墓の築造間もない堀の堆積物から使い古された馬具がでたけど邪馬台国は大和纏向
B纏向の外来土器に北部九州のものは一切ないけど邪馬台国は大和纏向
C卑弥呼の死亡時期に作られた平原遺跡の数多くの舶載鏡の中に三角縁神獣鏡も画文帯神獣鏡も1枚もないけど卑弥呼の鏡は三角縁神獣鏡か画文帯神獣鏡
D畿内は絹の産地じゃないけど邪馬台国は大和纏向
E大和からは一切弥生の鉄の武器が出土しないけど、邪馬台国の大和纏向が数多くの鉄の武器が出土する北部九州を支配していた
F畿内に倭国大乱の痕跡は一切ないけど邪馬台国は大和纏向
キンパー「学者を信じないのがおかしい」
バカだろアホだろ。 縄文遺跡から古墳まで日本中にあるからな
邪馬台国なんて集落のひとつにすぎない G邪馬台国の超重要拠点の伊都国に、卑弥呼の死亡時期に作られた平原遺跡の墓は方墳だけど、
邪馬台国は初期の前方後円墳の築造を権威の象徴とする勢力。
キンパー 自国の文字で記録が無い時点で大したことないよ
未開土人の集落だよ
外国の書物を手掛かりにしてるのは最高にダサいが なんだろうな
録画したものを何度も見てるかのような同じことを言う奴が同じことを誰とも会話せずに喚いてるな
同じ奴が延々と邪馬台国スレと見れば群がってんだろうな >>881
とりあえず好古都国はヲカタ国で竺紫の岡田(ヲカダ)の宮(筑前遠賀(ヲカ)郡))のこと
それ良くあるウソな 倭国なんかが金印もらうってなんか変なんだよ
邪馬台国自体なかったんじゃないかな 「九州説スレになりそうだから、九州説論者が頭おかしい人たちであるかのようなレスで埋めて。1レス3円ね」 九州説でも何でも構わないけどもう少しちゃんと反論したくなるようなこと言えよ
俺がそう思った
俺は知らない
俺は認めない
なんてお前の脳みその中だけの話に過ぎないから議論になんねーよ >>892
お前ら近畿パーって延々と群れてるよなw
はい、論破w >>894
倭国王なら貰えても奴国王じゃ貰えないだろう 九州説スレも何も九州説の奴らが根拠も何もない妄想を1から1000までわめき続けるだけのスレだろうw
議論になるような話題でも出すならともかく無根拠な妄想喚いてるだけだから話にもなんねぇ
いいかげんもう少しまともな事言う奴いないのか 先ず根本的にintcal20が補正されなくても、
考古学的に邪馬台国は纏向ではないのだよ。
分かるだろう?
ソレがIntcal20の補正が出て、
C14放射性年代からも、
もう纏向は3世紀の遺跡ではなくなってしまった。
あれ程口酸っぱく教えてやってたのにねえ、、、 >>904
お前根拠も何もない妄想を1から1000までわめき続けるだけだろ近畿パー
議論になるような話題でも出すならともかく無根拠な妄想喚いてるだけだから話にもなんねぇ
いいかげんもう少しまともな事言う奴いないのか
はい、論破w これが困るわけだろ?
分かってるって
ドンドン貼るよw
前年の247年に部分日食が起こって、太陽神設定の卑弥呼はビビったわけな。
そこでさらによりによって248年に皆既日食が起こってしまう。
強大国球磨国との戦闘の最中なのに。
張政から「倭国が乱れている、あなたはしっかりしなさい」と檄を飛ばされて、
「これはまずい、死んで霊力を取り戻して来ます」
と言って陰部を矢で射らせて死んだ。
古代日本には巫女は残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信があったから。
>倭の女王「卑彌呼」と狗奴国の男王「卑彌弓呼」は元より不和。倭は載斯、烏越らを派遣して、帯方郡に詣でて攻防戦の状況を説明した。
>帯方郡は長城守備隊の曹掾史である張政らを派遣し、詔書、黄幢をもたらし、難升米に拝仮させ、檄文を為して、これを告諭した。
>卑彌呼、以って死す。大きな墓を作る。径は百余歩、殉葬する奴婢は百余人。
卑弥呼、以って死すってのは古代から謎の言葉とされて来たが、謎じゃ全然ない。
そのまま読めばよい。
卑弥呼にことさら殉死者が多いのは、卑弥呼が自ら死を選んだから。
また、スサノオのせいで天の服織女が梭が陰部に刺さって死ぬ→天岩戸ってのがあるだろ。
あれが卑弥呼な。恐らく卑弥呼は本当に機織りやってたんだろう。
実際は梭ではなく矢で射殺されたわけだが。
巫女が残酷な死に方をしたら霊力を強くして生き返ると言う迷信は恐らく、倭国大乱での巫女殺しから来たものだろう。
この時代、巫女殺しは物凄くショッキングなことでとても正視に絶えないことだった。
だから「死んだらラッキーじゃん、霊力強くして戻って来るんだから」って話しにすり替えたわけな。
それがみんなの願いだった。
んで、それを真に受けて本当に卑弥呼が実行しちゃったのが天岩戸の神話。
邪馬台国の巫女が誣告して、それに怒り狂った奴国王が巫女を斬り殺した。
これが倭国大乱の発端なわけだが、
「巫女が誣告して奴国王に斬り殺された」が
「巫女が口から糞を吐いて、奴国王が怒って斬り殺した」と言う話しに化けて、
さらにウケモチやオオゲツヒメの神話に化けた。
これと同類。 909 名前:ニューノーマルの名無しさん[] 投稿日:2022/02/20(日) 14:30:43.65 ID:eSLVl9wU0 [109/109]
109れす いくらたくさん資料並べてるつもりでも
旧唐書以降、いや後漢書以降の資料見ても3世紀のことを知るのには大して新資料にならないよな >>906
魏志倭人伝はどの辺りを指してるかってだけの話しだからな
はっきり分かってるなら掘り起こしてみろ ここ10人くらいの九州説と訳の分からない事をいう畿内説らしき2人くらいの同じ人間が居座ってるだけのスレだからな
ぶっちゃげ見たことある奴しかいねぇ
もうすこし別なちゃんとしたこと言う奴が来るかと期待してるが全然変わらんな 907 名前:あぼ〜ん[NGID:eSLVl9wU0] 投稿日:あぼ〜ん
908 名前:ニューノーマルの名無しさん[] 投稿日:2022/02/20(日) 14:30:38.42 ID:DPnnZGdK0 [2/2]
>>888
邪馬台は、シェイマータイと発音
909 名前:あぼ〜ん[NGID:eSLVl9wU0] 投稿日:あぼ〜ん
910 名前:あぼ〜ん[NGID:eSLVl9wU0] 投稿日:あぼ〜ん
911 自分:ニューノーマルの名無しさん[sage] 投稿日:2022/02/20(日) 14:31:58.72 ID:ZKtre6K30
909 名前:ニューノーマルの名無しさん[] 投稿日:2022/02/20(日) 14:30:43.65 ID:eSLVl9wU0 [109/109]
109れす
912 名前:あぼ〜ん[NGID:eSLVl9wU0] 投稿日:あぼ〜ん 継体も福井に拠点があって、日本で一番古い冠も福井から出土していて、
大側近の蘇我氏(のち石川氏)の拠点も福井から石川にあって、七万余戸を養うだけの
水田が当時あるのも福井なんだけど。投馬国はとなりの越前のとなり但馬でしょ。吉野ケ里周辺も奈良盆地も
淡水湖でコメの生産すらできない後進国よ? 先に、河内の水が引いて古墳大造営バブルが起こったけど。
この時、新羅から渡来した馬飼い職人たちが宮崎に拠点を設けて、馬を繁殖させ一斉に河内の北に進出してきたのが河内馬養荒子
や藤原家。その後、藤原不比等は北河内に自ら墓を造営している。その後、北から南に南下してきた天皇家を乗っ取り、
日本書紀や古事記から蘇我氏の記録を出来るだけ消し自分が宮崎から進出してきたエピソードを神武東征とファンタジーを作り上げ成功。 >>914
オマエラ、アレか補助金で奈良で穴ほってる連中か?
こういう奴らが邪馬台国畿内説とか書き込んじゃってるんだよ。 スレも終わりだな
今回もくそみたいないつもの面子が叫んでるだけのスレだった >>922
俺は大阪説で大阪城の下に全部埋まってるんだよ >>923
涙拭けよくそみたいないつもの面子
はい、論破w 九州説は纏向のような大規模な遺跡や出土物が少ないんで、諸国が集まった集合体だった言うてるよね
ちょっと無理あるよね オマエラホントマジで、
クラウドファウンディングでも、
98人目標金額58%しか支持されなかった連中なんだからさあ、
さっさとケツをまくって、
纏向桃太郎伝説でやり直せよ。 >>929
またキッツい自己紹介来たよw
はい、論破w 頭のおかしいレスの事例
妲己ちゃんです。今エジプト王国を出ました
妲己ちゃんです。今メソポタミアを踏破してEastに抜けようとしています
妲己ちゃんです。インドまで辿り着けず、引き返しました。Northルートでの踏破に移ります
妲己ちゃんです。Eastヨーロッパでぼんやり過ごしています。なんだかヘイトが溜まってきた
妲己ちゃんです。ロシアルートでの踏破です。ここはすっごい未来シベリア鉄道と呼ばれる
妲己ちゃんです。中国まで踏破し殷を建国しました。エジプトから来たのでその前は夏だったんやぞ
妲己ちゃんです。殷が潰れてコウライに逃亡しました。そのままJapanに抜けます。
妲己ちゃんです。今Japanese Sea側のJapan >>928
共立なんだから集合体でしょ
逆に書いてもいないのに支配とか言ってるのはなんで? 九州説はちゃんとした論じゃなくて何となくの雰囲気で九州と言ってるだけ
詳しくない人を騙すのが目的の印象操作 >>850
よく知ってるね。うちの親類は高野山なんだが出身は亀岡だ。
ちなみに和歌山葛城地方も伊都郡だからな。
丹生津媛神社も伊都郡にある。 >>888
邪馬壹(シェイマーイー)※『魏志倭人伝』より
邪馬臺(シェイマータイ)※『後漢書』より
邪馬台(シェイマータイ)※台は臺の新字体
邪馬嘉(シェイマージャ)※『広志』より
邪靡堆(シェイミードゥイ)※『隋書』より
祁馬臺(シーマータイ)※『梁書』より
邪摩惟(シェイモウウェイ)※『後漢書』倭伝に唐の李賢がつけた注釈「今、その名前を案ずるに、邪馬臺というのは邪摩惟のなまりである」との記載から。
8世紀の倭国土だけが、ヤマトと読める。
あとは、こじつけ詐欺 >>917
奈良盆地は昔は湖だよ
それがどんどん水が引いていって現代に至る
なので古代は稲作には最適の広大な湿地帯だったんだろうね 「鉄は溶けちゃうから残らないんですよ」←詳しくない人を騙す >>920
シラーギは🇭🇺ハンガリー語でコンスタンティヌスw >>937
中国人にどう聞こえたかだからな
聞く人に依ってあてる文字が違うのはある オマエラさあ、オレたちみたいに、
弥生の考古学に真摯な姿勢で向き合いなさい。
そうすれば、纏向から出土する遺物の数々が、
纏向が邪馬台国では無い事を示している事は1秒で分かるぞ。 >>935
またキッツい自己紹介ですか?
分かります
はい、論破w 九州説では大規模都市も、人口の多い集落を支えるような稲作に適した土地も無いんだよな
だからいろんな国の集合体というしかない 【邪馬台国の場所】近畿(1): 邪馬台国? いいえ近畿は狗奴国です。
h〇〇ps://www.youtube.com/watch?v=OIoUXs8CntI&list=PLrCGq8HwIwxb1s0s4cQUM0rxrTMYCnvd_
纏向遺跡は邪馬台国ではない。桃の種が2800個出土しただけで大騒ぎするマスコミ。
異常です。同じ弥生末期に、鉄器が2000点出土した北陸地方と、どちらが価値ある資料でしょうか?
h〇〇ps://www.youtube.com/watch?v=FuKcgMqm16I&list=PLrCGq8HwIwxaS18xX-jPumeCSN_X1SLdP まあ邪馬台国がヤマトなのはもう疑うレベルにはないよ。北部九州に邪馬台国は100%あり得ないからな。 >>939
違う違う
近畿では鉄が溶け安くてっつったんだよwwwwww
学会でねwwwwwww >>946
アホ??
弥生の耕作面積も居住地面積も
筑後の国が圧勝だぞ?? 邪馬台国の最も重要な根拠を示します。七萬餘戸の人口を養えるだけの農業生産力・人口扶養力がなければなりません。
h〇〇ps://www.youtube.com/watch?v=SY4wn4tP9mw&list=PLrCGq8HwIwxbQui--It_3VVKYCvfjXNXR&index=12 道教である鬼道に必要なのは鏡に水銀朱、桃なのは一般常識レベルだな。鉄なんて全く不必要だぞ。
神獣鏡が沢山出るなら間違いなくそこが鬼道使いの宮のある場所だね。 日本最古の超大国H 邪馬台国の時代 九州と近畿 どちらが大国?
h〇〇ps://www.youtube.com/watch?v=5f3kBF-gdAc&list=PLrCGq8HwIwxbO2ovyVLbRFkib19F-JBv-&index=15 >>954
現時点で弥生時代中期最大の水田跡所在地は奈良盆地の葛城地方だよ。 @ホケノ山から槨が出たけど邪馬台国は大和纏向
A箸墓の築造間もない堀の堆積物から使い古された馬具がでたけど邪馬台国は大和纏向
B纏向の外来土器に北部九州のものは一切ないけど邪馬台国は大和纏向
C卑弥呼の死亡時期に作られた平原遺跡の数多くの舶載鏡の中に三角縁神獣鏡も画文帯神獣鏡も1枚もないけど卑弥呼の鏡は三角縁神獣鏡か画文帯神獣鏡
D畿内は絹の産地じゃないけど邪馬台国は大和纏向
E邪馬台国の超重要拠点の伊都国に、卑弥呼の死亡時期に作られた平原遺跡の墓は方墳だけど、
邪馬台国は初期の前方後円墳の築造を権威の象徴とする勢力。
F大和からは一切弥生の鉄の武器が出土しないけど、邪馬台国の大和纏向が数多くの鉄の武器が出土する北部九州を支配していた
G畿内に倭国大乱の痕跡は一切ないけど邪馬台国は大和纏向
キンパー「学者を信じないのがおかしい、穴ほってるオレラがエライんじゃー」 >>1
片岡さんって初期ヤマト政権が中央集権国家だという見解で
卑弥呼は共立されたから邪馬台国が中央集権国家のはずがなく、畿内ヤマトは邪馬台国ではないという理屈だろ
しかし初期ヤマト政権が中央集権国家だというのは古代史の通説からかけ離れていて、少数意見に過ぎない 九州最大の平野は筑紫平野、近年になって土壌改良で使えるようになったけど、元々洪積層で水捌けがいいから水田向きの土地ではないんだよな
稲作の痕跡のある遺跡も川の蛇行による三日月湖の跡だし、規模も小さい
大人口を支えるような穀物が取れないから、大きな国にはならずそこそこの国の規模にしかならない
だから集合国家だと言うしかないという ダメ押しが廣志の文献資料だったな、意外にも。
マツラ、奴国もなく倭国東南500里に伊都があり南側にヤマイチ国、傍国にシマ国で畿内に確定だよ。
これは出雲と大和の関係そのものだからな。 【邪馬台国】円筒土器からわかる近畿地方の後進性。瀬戸内地域と同じ。
h〇〇ps://www.youtube.com/watch?v=7Q7JBZIvBes
邪馬台国】近畿(10): 卑弥呼の墓 可能性0% 曲解の温床 箸墓古墳
h〇〇ps://www.youtube.com/watch?v=-bAYmIVtuAI 倭面土だけが、ヤマトと読める。
しかし、倭面土は唐の時代。
ヤマト王権が誕生したのが明らかとなったあとだ。
したがって、それ以前の邪馬台(シェイマータイ)とか
邪馬壹(シェイマーイー)とかは全て、ヤマトにこじつけた詐欺 >>961
オマエのああ思うこう思うはどうでもいい。 【邪馬台国】近畿(9): 纏向遺跡が遺したもの 箸墓古墳 技術の飛躍
h〇〇ps://www.youtube.com/watch?v=eDMX6H0-AR8 九州説の昔の先生方の資料ばかり見てるから、いつまでも古くさい解釈しか出来ないんだよ。
あの先生方の見てる資料なんて殆んど昭和、よくて平成初期の時点の資料なんだぞ。 今でもそうだけど、九州の土地は畑には向いてるけど稲作にはそんなに向いてない
灌漑の技術なんか碌にないから天然の湿地帯に種を蒔くのが昔の稲作なので、人口を支えられるような広大な湿地帯があった場所に邪馬台国のような大きな国はあったと考えるのが自然 邪馬台国】近畿(12):奈良盆地は論外 平凡な弥生遺跡群
h〇〇ps://www.youtube.com/watch?v=TYUbkkBQ_Ik 稲作で人口が増えたのは確かなようだが
稲作だけで食ってたわけでもないようだな >>969
奈良盆地が狭いことは、邪馬台国ではないと証明することにはならない。
邪馬台国は、南の狗奴国とかいうクソザコ国家を倒せなくて、魏に貢物を持っていくほどのザコ国。
したがって、畿内から九州に至る大帝国となる畿内説はあり得ない。 どんな説明を聞いてもみえない聞こえないと同じことを言い続ける
議論どころか会話する気さえない
>>971こいつとか 神武天皇が目指したのは秋津、そこには弥生時代中期の時点で銅鐸と鏡が同時に埋められた場所があり、唯一の例になっている。
また日本最古である大神神社に丹生津媛神社、鏡作神社、金山彦金山媛神社も全て畿内にある。
ここが普通に都でなくてどうする?
しかも鍵唐古のある田原本の旧名が都村で保津遺跡まである。
保津こそ国の真ん中の意味だからな。 >>968
平野は洪水があるし湿地は人が住めないし、
築城技術もないから外敵の侵入にも弱い
この時代にはまだ広大な平野は国の拠点をおくには向かない
邪馬台国があったのが広大な平野という先入観を
持っていると場所を見誤る 邪馬台国が筑紫平野のどこかにあったと想定する場合、不弥国が奴国から東にあると書かれているのは九州説の弱点
奴国が福岡平野というのはもう確実だが、福岡平野から不弥国がある東に行ってしまったら、もう筑紫平野には行けなくなってしまう
魏志倭人伝の方角が間違ってると認めざるを得ないので、九州説の大きな根拠を失う 邪馬台国の会とか、個人のブログとか糞みたいなものは妄信するからな 邪馬台国は日本の都なわけじゃなかったから
もしもそこが都だったのならそこは邪馬台国ではなかった
3世紀にもう「日本」があったとか記紀神話の舞台が始まってたと思ってると時代設定を誤る >>689
何度言えばわかるんだよ。
倭面土国は、ずっと後世(唐代)の言葉。
意図的にミスリーディングするなっての。 廣志で奴国が登場しない時点で九州説は終わったんだよね。さすがにそれはあり得ないでしょ。 九州説もちょっとはまともな事言え
あと会話しろ
その絶対の自信で指摘にまともな回答しろ
それが面白ければ聞く価値もある つか、こんな🇯🇵日本へ帰化しているのに
全く閉音節言語にならなかった件
非常に珍しい、殆ど開音節のみ >>917
北九州から日本海黒潮に乗るルートは時代と共に山陰から北上した痕跡も残し、青谷上寺地の様に争いの痕跡もあることから九州との関連は強い。
鉄剣の伝播も日本海側が主流で青森産の翡翠が九州から出土することを思えばかなり古くから物流があった可能性はある。
沿岸沿いの出雲は九州の鉾と近畿の銅鐸が同時に出土し繋がりを示す拠点であったことも分かるし諏訪に残る鉄鐸の由縁は鉾に鐸を吊るし支配層の訪れを知らせる物と言われてる。
つまり大倭の移動ルートだよ スレも終わりだな
ほら、九州説のアホ
いつも通り独り言で埋めとけ 725年推定人口(鬼頭宏)
筑前筑後 171300
大和 171000
『和名抄』田積数(町・歩)
筑前筑後 31300
大和 17905
北部九州の圧勝です。 ID:vSOC9ikK0もまた「会話」せずに言いたいことだけ言ってるようだな >>938
3世紀だと未だ低湿地で稲作には向かない
稲作に適したのは干上がった5〜6世紀以降だろうね 「俺の 俺の 俺の話を聞け
おまいらの話は面白かったら聞いてやる」 >>958
弥生時代中期最大の水田跡所在地は板付遺跡だよw
福岡平野は早くから稲作が行われ開発も進んでいた >>979
ソレは間違いだな。
唐の時代にヤマトは別の書き方だからな。
ハイ論破。 >>987
大和は後発だから3世紀だともっと差が大きかったはずだよな。 『広志』の記載
「廣志曰 國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國百女國以北其戸數道里可得略載次 斯馬國次巴百支國次伊邪國安 西南海行一日有伊邪分國無布帛以革爲衣盖伊耶國也」
つまり、伊都國のすぐ南に邪馬嘉國がある。
そして、そのあとに斯馬國→巴百支國→伊邪國→西南海行一日「伊邪分國」
とあり、最後の伊邪分國は隋書流求國伝の「夷邪久國」すなわち、屋久島である。 >>996
我々は根拠に基づく数字がベースなんだよ。
そこから真摯に論を組み立てていく。 まあ九州説なんて信じてるのは素人だけで、ほとんどの考古学者は見限った説
片岡さんとか数人の考古学者が残ってるだけで、もはや昭和の遺物 このスレッドは1000を超えました。
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