●憲法9条があるから、日本を守れるという完璧な論証を、1935文字で簡潔にマジメに書きます。マスコミ・国会議員・憲法学者の方必見●

戦争は3つある。「侵略戦争」と「個別的自衛権行使の戦争」と「集団的自衛権行使の戦争」。
結論から言うと、「侵略戦争」と「個別的自衛権行使の戦争」には、憲法9条は関係ない。憲法9条があっても無くても結論は同じ。
それに対して、「集団的自衛権行使の戦争」は、9条が関係する。

まず侵略戦争は、パリ不戦条約と国連憲章違反なので、現代では、どの国でも正当化されない。
プーチンが世界から一斉に非難を浴びるのも、ロシアのウクライナ侵攻が侵略戦争だから。
従って、9条があっても無くても、日本も当然に、侵略戦争を行うことは出来ない。

また、「中国が日本に攻めてきたら」とよく言われるが、それは侵略戦争なので、9条の前に国際法で日本は守られる。

次ぎに、個別的自衛権の行使は世界で当然に認められる。自国が攻撃されたら反撃できるのは自明の理。
これは、日本も同じですから、国際法を犯しても中国が日本を侵略したら、個別的自衛権を行使して応戦すればよい。

これに対して、国際法上は応戦できるかも知れないが、憲法9条は戦力不保持を規定しているから、自衛隊は憲法違反。
従って、憲法違反の自衛隊を使って応戦は出来ないとの反対論が考えられる。

しかし、最高裁は統治行為論をたてに9条の憲法判断を示しませんが、政府は行政として憲法解釈を示さないと、自衛隊の予算を
含む毎年度の予算さえも組めませんので、自衛隊は合憲という憲法解釈を示しています。

根拠は憲法13条です。自衛隊が憲法違反かどうかは憲法の一部にすぎない9条だけでは判断できないのです。
憲法13条は人権の包括的条文で、表現の自由や信教の自由などは13条から派生した人権の各論なのですが、憲法13条には
「幸福追求権」というものが規定されています。

憲法というのは、国家が国民に対して約束したことを規定した法ですから、幸福追求権も国家が国民に対して
保障した権利ということになります。

ところが、もし、日本国が他国から侵略されたときに、国家が自衛のための応戦もせず「指をくわえて見ているだけ」で
国民を見殺しにしたら、それは国民の幸福追求権を国家が保障しているとは、とても言えなくなってしまいます。
だから、憲法9条2項で戦力の不保持を規定していも、他国から侵略された際に応戦すること、
つまり個別的自衛権行使のための「戦力」を持ちこれを行使することは、憲法13条から許されると判断できます。

それ故、憲法13条との整合性から、憲法9条2項が不保持としている「戦力」には「個別的自衛の戦力」は
含まれないと解釈されますので、個別的自衛権を行使する自衛隊は合憲となります。
【参考文献「政府の憲法解釈」阪田雅裕(編著) 有斐閣】

従って、9条があっても無くても、個別的自衛権を行使することは可能ですし、自衛隊も使えます。

9条が意味があるのは、集団的自衛権が行使できないということだけです。
諸外国は、国際法で禁止されている戦略戦争が出来ないだけで、自衛権の行使は、個別的・集団的のどちらも問題なく行使できます。
しかし日本は、9条2項で保持しない「戦力」から除外されるのは、あくまで個別的自衛権の戦力であって、集団的自衛権行使の
戦力は除外されないので、集団的自衛権を行使できません。

同盟国が侵略されたら、同盟国同士が集団で応戦するのが集団的自衛権です。
典型例はNATOで、NATO加盟国は集団的自衛権の行使義務を負います。

日本は9条のお陰で、集団的自衛権の行使義務がある条約を結べません。だから他国の戦争に巻き込まれない。これは素晴らしいことです。
確かに、集団的自衛の同盟条約を結ばないと、他国から助けてもらえませんが、日本は安保があるために、他国から侵略されたら
米軍が応戦してれます。
安保で米軍が応戦してくれるのに、日本は他国へ参戦する必要がない。これは「非常に美味しい」話しで、9条があるから日本が守られる理由です。
9条を無くしたら、集団的自衛権の条約を半ば強制的に結ばされて、他国の戦争に巻き込まれます。

また、現実問題として、集団的自衛権は当然に「海外派兵」を伴いカネもヒトも増やす必要があります。しかし、「金食い虫」の空母など
増大する軍備費のために消費税を増税したり、既に定員割れしている自衛隊員を更に増員するなど、現実には不可能なのです。

以上から、憲法9条があった方が、日本にとって非常に有利で、結果的に日本が守られるのです。