「宗教に凝る子は、得てして「あたしなら救える」とばかり不良の子と付き合うのはよくあるよ。尾崎のはこれだね。」
救いたいと思ったのは間違いないと思いますが、それほどの上から目線であったとは思えません。
手がかりは月刊カドカワやそのころ書いたいくつかの文章。
その中で彼女は彼のことを悪友、親友と呼んで気軽に話している。そして気軽な中にも、精一杯の親しみと尊敬を込めている。
会見で彼女は彼のことを「同じ心を持つ」と言った。
(ここではあえて書きませんが、彼と彼女の精神や気質、検索で調べると、とてもよく似ているところがある)
そしてあの宗教の教義は、救いを求めて苦しんでいる人に対して、放ってはおかない教え。
アルコール中毒に近く、自暴自棄だった彼をなんとか助けようと思った事は彼女にとって「やむをえないこと」と自分は考えます。
いつか誰かが手がかりの月刊カドカワや間連の文章を集めて記事をかいてくれたら、より明白にそのことがわかると思います。