オウム事件最大の謎、長野県松本市に撒かれた猛毒ガスサリンは一体誰が撒いたのか

1994年 長野県松本市サリン事件 毒ガスがサリンと発覚!
→ https://www.youtube.com/watch?v=R-Vaacw5ZK0

1994年6月27日に起きた長野県松本市のサリン事件では、毒ガスが大気中に噴霧され7人が死亡した。 後に、この時
毒ガス成分を加熱し送風するサリン噴霧車を使用したと、オウム幹部の村井秀夫が裁判所で証言した。 しかしこの証言から、
裁判所や警察がサリン噴霧車について、詳細な再現検証をしたとの報告や記録は全く存在しない。 検証されれば大気中の
広範囲な噴霧能力が、可能か否かが検証できなおかつ噴霧時の “ 騒音も “ 測定できる。

超強烈な疑問 オウム事件最大の謎、村井秀夫が裁判で証言したサリン噴霧車は再現検証されたのか

さらにオウムが自作した筈の毒ガスが本当に殺傷成分を得ていたなら、 同じくオウム自作のサリン噴霧車内の噴霧操作室と、
これもまたオウム独自調達の毒ガス防護服の “ 遮蔽能力 “ が明らかになる筈だったが、裁判所や警察が公的報告の
前段階として調査したら、サリン噴霧車内の噴霧操作室や運転席では毒ガスサリンの遮蔽能力が全く無くて、証拠としての
実証性が乏しくサリン噴霧車はその後廃棄された。 この事実を疑うなら、公的機関でサリン噴霧車の詳細を調べればよい。

このことから長野県松本市でサリン散布をしていたオウム信者達はダミーで、毒ガスの殺傷成分も低かったと思われる。
それでは長野県松本市でサリンを撒いたのは一体誰かという超絶疑問が浮かぶが、本物の毒ガスサリンを撒いたのは北朝鮮の
毒ガス部隊で、オウム真理教がサリンを撒いたように思わせるのが目的だから、少人数でサリンの量も少なかったと思われる。 

しかし警察はサリン噴霧車に関しては実にデタラメな検証で終わった。 裁判所でも2001年1月のサリン裁判の時に、
滝澤弁護士に対し、オウム弁護側が第7サティアンについて執拗な化学的質問をした。 滝澤弁護士は、プラントがサリン
製造目的であったことを合理的に説明出来なかったが、検事と裁判官の双方から
「本人ができたと言っているんだから、いいじゃないか」と、詳細質問を退けるような異様な発言があった。