https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170415-00010000-nishinpc-soci

雑木に囲まれた郊外にある熊本県甲佐町の白旗仮設団地には、熊本地震の
被災者88世帯が暮らす。4月になっても朝夕は冷える。独居男性(76)が自室で
テレビをつけると、同県益城町の大規模仮設団地で住民と大学生が交流する
ニュースが流れた。「何で向こうだけなんだって思うよ」。チャンネルを変えた。

昨年6月初旬、県内で最初の仮設住宅として開設され、県内外からボランティアが
駆け付けた。各地に仮設が増えるにつれて応援組も散り、夏が終わるころには
波が引くように姿を見なくなった。

益城町へ個人や企業から直接寄せられた義援金は10億円超。周辺自治体は
1億円に届かない。最大震度7の地震が2度起きた益城町は当初から、象徴的な
被災地として繰り返し報道され、今も支援が続く。

同じ上益城郡の甲佐町も2574棟が被災した。静まり返った白旗仮設で、自治会長の
平雄二郎さん(76)は「被災した一人一人に痛みがある。差があるのはどうか」と語った。

地震を区切りに廃業した旅館も

明治から昭和初期の木造3階建ての旅館が並ぶ同県八代市の日奈久温泉。
「熊本地震の日奈久断層帯」として名が知られ、客足が遠のいた。阿蘇や熊本城に
比べ被害は小さかったが、予約のキャンセルが600件に上った旅館もあった。

昨夏、総額約180億円に上る国の観光復興キャンペーン「九州ふっこう割」が始まり、
何とか息を吹き返した。それでも地元で旅館を経営する松本寛三さん(63)は
「日奈久温泉全体では、まだ地震前の5、6割程度」と言う。

温泉街は地震前から課題に直面していた。経営者の高齢化と後継者不足。
「もう少し先だろうと思っていた決断が、地震に見舞われて目の前に迫ってきた」。
地震を区切りに廃業した旅館もある。

「復興するけん出ていけ」

熊本市中心部の飲食店で、男性店主(61)は「復興するけん出ていけだと。
地震で製氷機やエアコンが壊れて修繕に230万円もかかったのに」と憤った。

入居ビルは築40年近く。オーナーは地震を機に建て替える予定で、二十数軒が立ち退きを
迫られている。新たな契約更新では賃料が跳ね上がると、もっぱらのうわさだ。
「減った客足がやっと戻ったとに」

被災者の多くが生活再建に不安を感じる一方で、地場経済は潤い始める。
不動産業の男性(45)は「一段落したら親に家ば建ててやらにゃんたい」。

特需の恩恵にあずかる人、あおりを受ける人。夜の街は被災地の明暗を映し出す。
12日午前0時すぎ、日付が変わった繁華街で、人通りが絶えることはなかった。