http://miyadaibot.blog.fc2.com/blog-entry-166.html
かつてネットは誰もがつながれる空間を与えてくれるとの幻想がありました。
どんなマイノリティもネット空間のどこかに仲間を見つけ出せるのは良いことだと。
 でも実際には「どんな馬鹿も、ネットのどこかに似た馬鹿を見つけ出し、誰にも諌められず、
超伝導回路を巡る電流のように永久に愚昧な遣り取りを続ける」という、かつてない事態を蔓延させました。

〈劣化空間〉となったインターネットは「馬鹿にとっては逃避先」ですが、「馬鹿でない人々にとっては真っ先にそこから逃げ出したい場所」です。

ネット上では、見識の深い作家や批評家の発言と、劣化した人々の発言とが、劣化したギャラリーが大量に存在するために、等価になります。
 恐るべきことに、識者の発言と「ウヨ豚」のそれが、対等に扱われるのす。
そうした性質を持つコミュニケーション空間では、見識の深い作家や批評家から順番に退却していく道理です。

たとえ国境を超えても結局は同じ穴のムジナと戯れるタコ壺に過ぎない。
即ち「見たいものだけ見て、見たくないものは見ない」という、さもしく浅ましき営みに帰結しがちなのです。

ネットは〈ここではないどこか〉に開かれた非日常へのツールではなく、
コミュニケーション能力や教養に困難を抱えた人たちを〈ここ〉へと開く日常へのツールなのです。