■昭和天皇

昭和天皇のウナギ好きに応えた形でしょうか。
特に鰻茶漬けが好物でしたが、これは献上品だったため年に1回から2回しか食べられませんでした。
もっと食べたいと思われることがあったとしても、昭和天皇は決して自分から食べたいとおっしゃることはなかったのです。

同様に好き嫌いを言うことも一切ありません。出されたものは残さず食べる、を文字通り実践していました。
一度柏餅をお出しした時に、葉っぱ付きでお出ししたため、それも召し上がってしまい、さすがの昭和天皇も「美味しくない」と答えたのだそうです。

御殿での普段のお食事よりも、むしろ行幸で地方にお出向きになったときのほうが異色の食事になりました。

地方では陛下のおでましともなれば、精一杯のおもてなしで出迎えねばと意気込むわけで、戦後まもない昭和24年(1949年)という時期でさえ
大分県別府市の日名子旅館(現在廃業)では若鶏のバター焼き、野菜の土佐煮、鮎の塩焼き、城下鰈、南瓜、蕗と鯛の酢の物、お汁、メロンとご馳走が並びました。

出されたものは全て平らげねばならない主義ゆえに満腹に苦しみながらお召し上がりになったのではと思われます。ほかにも地方行幸では過分な饗宴が多かったようです。

しかし、陛下はそれについて良いとも悪いとも、何が美味かったともまずかったとも決しておっしゃいませんでした。