今更こんな事、言ってもしょうがないけど未知なる作品は誕生してたかも。

昭和20〜30年代、貸本全盛期の大阪の出版社はおよそ100社で、東京は約70社。
大阪には、ときわ荘以前に漫画家が集団生活をするアパートが松屋町周辺に点在し、
そこには若かりし頃の手塚治虫もいた。
藤子不二雄も手塚に会うため、夜行列車で大阪まで出向いた事がある。

貸本から連載の時代へ 東京に人材を吸い取られ衰退した漫画王国・大阪
http://www.sankei.com/smp/west/news/150505/wst1505050023-s.html
上の記事はビッグ錠さんの話だけど楳図かずおさん曰く
『東京に出てきたきっかけも、大阪の出版社がみんなつぶれたから、
三島書房もつぶれちゃって、まったく当てがなくなったから、
もう東京に行くしかなかったわけね。
そういう自然の成り行きで出てきたものだから、
ああしよう、こうしようというんじゃなくて、それしか方法がなかったんだ。』

漫画は貸本から週刊連載のスタイルが確立され、東京にある取次を通さないと全国流通できない仕組みが作られた。
よって、大阪で出版しても一旦、東京の取次を通さないと書店に卸せず、店に並ぶのが数日遅れとなる。
週刊連載となると東京以外の出版社には致命的で、大阪では出版産業が成り立たず、廃業や業種転換を余儀なくされた。
大阪の漫画家たちは仕事を失い、楳図かずお氏のように民族大移動のごとく東京へ場を移した。

本来、大阪の行政も出版社もタッグを組んで、関西でも取り次ぎが出来るように国へ訴えるべきだった。
大阪でも週刊雑誌の発売が出来れば、手塚治虫さんや楳図かずおさんなど、
大阪にいた漫画家達は上京する必要が無かったのだから。

仮にゲーム業界が出版業界のようになってたら、日本のゲームはセガ、ナムコ、タイトー、エニックス、スクウェアなど
東京の会社だけの業界となっていただろう。
上記のメーカーももちろん名作揃いだが、
京都の任天堂や大阪のコナミ、カプコン、SNK、アイレム、日本物産、北海道のハドソンなどのゲームは存在していない事になる。
当然、ファミコンをはじめ、マリオやストリートファイター、グラディウス、スペランカー、スターソルジャーなどの名作は生まれてこなかった。
あのメトロシティーの暴力市長も・・・

東京以外の出版社でも週刊連載が出来る仕組みがあれば、今ごろは、より多くの漫画やキャラクターが世に出てたと思う。