■欧米植民地の残虐さ

●アボリジニ殺しは20世紀に入っても続き、ニューサウスウェールズ州立図書館に残された資料には、1927年の日付で「今日の収穫アボリジニ17匹」とある。当時は日曜日にみんなでアボリジニ狩りをしていた。

●インドネシア人は、家畜よりひどい存在として扱われていた。
◇鞭打ち・平手打ちは当たり前だった。
◇粗相をした2人の女性を裸にして、オランダ人農場主がベルトで鞭打ち、さらに裂けた傷口や局部にトウガラシ粉をすりこんで、木の杭に縛りつけて見せしめにした。

●米国はフィリピン人に「スペインの植民地支配を終わらせる」と嘘を言ってマニラに進出し、スペインに代わって植民地にした。話が違うと抵抗するフィリピン人を米軍は徹底的に殺しまくった。米上院公聴会では、殺した島民数を20万人と報告している。

●「ヨーロッパの繁栄はアジアの屈辱である」 屈辱的に人員を供出させられたり、資源を買いたたかれたりして、欧州の繁栄を下支えしているアジアの現実がある。

●無主物先取特権だとばかり、自分たちの土地にしてしまった。「誰も住んでいなかったので、早い者勝ちで自分のものにしたのだ。何が悪いか」という言い分である。
先住民が住んでいたはずだが、彼らにしてみれば白人以外は人間ではなく、猿やけだものと等しい存在と見なして平気でいたのである。 

●英国は米国を犯罪者の流刑地にしていたが、その米国が勝手に独立したので、今度はオーストラリアを犯罪者の流刑地にした。

●住んでみると気候がいい、地味もいい。それで普通の市民も移住していった。もっとも市民といっても多くは食い詰め者・厄介者で、これがオーストラリアを1世紀にわたって
血まみれの地獄に変えた。600万人いたアボリジニは、今30万人が生き残る。

●植民地時代の、まだ電気による扇風機のない時代のイギリス人は、寝室の天上に取り付けた巨大な団扇を室外から紐を引いて作動させるようにして、原住民の少年に終夜団扇を動かさせたという。

●植民地の反乱を宗主国は武力で鎮圧した。フランスは、サイゴンでは容疑者は裁判なしでギロチンにかけた。一方で阿片を売り、10歳以上の子供をホンゲイ炭鉱で働かせて人頭税を徴収した。

●オランダの植民地支配の残酷さ…
蚊に刺されて化膿し、血や膿を全身に流して働く現地人に、薬ひとつ与えなかった。
そのためであろう。日本軍が入ってきたときには、地鳴りがするような歓迎のどよめきが湧き起こったと言う。

●蘭領インドシナの悪名高い「強制栽培制度」=1830年に開始されたもので、植民地政府が現地農民にコーヒーや砂糖きび、藍、煙草、胡椒などを強制的に栽培させ、オランダはこれらの熱帯作物を大量にヨーロッパへ輸出して、莫大な富を築いた。

●太平洋戦争でフィリピンでは200万人死んだといわれている。しかし、そのほとんどはアメリカ軍の爆撃で死んでいるのであって、日本兵に殺されたというのは少ない。それも日本兵が殺したのは、一般人ではなく、戦闘でフィリピン兵を殺しただけである。

●帝国主義が「本当にいけないこと」として認知されたのは、第二次大戦が終わってからに過ぎない。それでも往生際悪くイギリスやフランスは、第二次大戦後もしばらく、何とか植民地を維持しようと無駄な努力を重ねた。

●西欧諸国がつくりあげた「植民地」とは、白人が主人で、ほかの人たちは奴隷に準ずる存在と考えればいいだろう。