――ついに新団体結成です。感想はどうです?

織田 一言で申し上げると、こういう形を取らざるを得なかったことが残念至極である、と。
というのは一昨年8月27日、神戸山口組は盃の重みを崩壊させてまで、盃以上の大義を前面に出し、立ち上がった。
その大義の一つは山口組を正し、次代に伝える。もう一つは、「俺たちはどうなってもいい。若い者の未来のために」です。
私は首脳たちから詳しく大義を聞かされ、胸を熱くし、情熱をもって全国の組織を先頭切って回らせていただきました。
多いときは百数十名、少なくても50〜60名を前に、繰り返し大義を代弁させてもらったんです。
で、結局はそれがウソと分かってしまった。
名古屋方式とはざっくり言って多額の上納金、出身団体(弘道会)への贔屓、人の進言・諫言を聞かない、の三つです。
それを否定すべく立ち上がったわけですが、神戸山口組の組織運営、中でも山健組の組織運営が名古屋方式そのものだった。
はっきり申し上げると、(六代目山口組の)司組長、郄山清司若頭、(神戸山口組の)井上組長、正木年男総本部長、
この4名の方々が現役でいる限り、山口組は統一されないと、今は確信しています。

――4名が引退しないと再統一はあり得ない?

織田 そう。私のような若僧が引退勧告というのはおこがましいが、本当に山口組のため、
若い者の将来を少しでも考えられるなら、引退すべきだと私は考えています。
そして次の中堅どころにですね、恨みつらみがまだ薄い世代にバトンを渡して、潔く再統合させてやり、
皆をこの抗争状態から解放させ、楽にさせてやってほしいと切に願ってます。
二つの大きな船はこれからじわり、じわりと沈んでいきます。どうすればいいのか、自分なりに一生懸命考えさせてもらったんです。
大きな船のすぐ横に、若手中堅が中心となった救命ボート的な船を置くことによって、二つの船から移り乗ってもらう。
今、早急にできることはこれしかないと判断しました。

――と、抗争が激化する方向にはいかない?

織田 理想論になりますけど、一人も傷つかず、命を落とさず、一つの山口組になることがベストです。

――組長が法的に「使用者責任」を問われることを恐れて、若い者に喧嘩するなと命じる。
年寄りたちにはいいだろうけど、それでは若い者が飯を食えない。
若い人たちがそう考えて、今回の分裂に至ったのか、と当初は考えました。

織田 本来のヤクザらしさという点では一理ある考えと思います。
法が整備され、ヤクザへの厳罰化が進む中で致し方ない部分もあるでしょうけど、ヤクザらしくない山口組ですよね。