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私の立場をはっきりさせておこう。
着任以来5年経って、私のこの国への愛、愛情はゆるぎないもので 実際、すばらしい人々との出会いにより 募るばかりだ。
特に東日本大震災以後、私の記事を読んでくれた日本人の友人や読者のほとんどが私の書いた記事に愛情を感じると言ってくれている。

ところが、東京の外務省の官僚たちやある日本のメディア関係者たちはまったく違った見方をする。
つまり私は厳しい批判ばかりすることしかできない「日本批判家」であって、われわれが日独の相互の友好関係を阻害する存在だと。

フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙は政治的には保守、経済的にはリベラルで市場志向型と言っていい。
だが、安倍首相の歴史修正主義に対しては常に批判的な立場を貫いてきた。ドイツでは、リベラルな民主主義者が他国への侵略の責任を否定するなどということは信じられない所業とみなされるものであり、
ゆえに、もしドイツにおける日本への親近感が薄らぐようなことが起きるとすれば、それはメディア報道のせいではなくて、ドイツ人のもつ歴史修正主義への反感から来るものである。

私の日本滞在期間には様々な事柄があった。2010年の民主党政権時、私の取材した鳩山・管・野田歴代三内閣はみな海外メディアに政策を理解してもらおうという姿勢があった。
「国を運営していくためにもっと頑張らなくてはならない」と口を揃えて言っていたことを覚えている。

外国特派員は当時、岡田克也副総理に意見交換会によく呼ばれた。官邸で毎週の定例会があり、オープンに時事問題についてよく議論をたたかわせた。
我々はある特定の事象について政府の立場をたびたび批判したりもしたが、それでも彼らは我々に彼らのスタンスを理解させようと辛抱強くつとめた。

2012年の選挙の後、自民党が政権を担うことになると事態は一変した。首相がフェイスブックなどの新しいメディアにご執心なのにもかかわらず、それ以外で政府が外国人報道陣に開放的だったことはない。
財務大臣の麻生太郎は外国特派員と懇談したり、膨大な国家の借金についての質問に答えようと努めることはなかった。

実際、外国特派員には尋ねたい事柄の膨大なリストがある。エネルギー政策、アベノミクスの危険性、憲法改定、若い世代の失業問題、地方の人口減少など。しかし、閣僚たちが外国特派員たちに質問の場を設けるような気はないらしい。
それどころか、この新しい政権を批判しようものなら、「日本バッシャー(批判家)」と呼ばれた。

5年前にはあり得なかった新しいことといえば、外務省からの攻撃に曝されるようになったことだ。私が直接攻撃されるばかりでなく、ドイツ本国の新聞本社の編集部への攻撃もあった。
私が安倍政権の歴史修正主義に批判的に書いた記事が掲載されると、フランクフルトの日本総領事が、新聞本紙の外交担当のデスクを訪ねてきて、「東京」からの異議を伝えた。
中国がこの記事を反日プロパガンダに利用していると抗議したのだ。

事はさらに悪くなった。冷え切った90分間の会談の終わりに、デスクは記事が間違えているという事実を証明する情報を総領事に求めたが、それは無駄に終わった。
「金が絡んでいると疑いざるを得ない」と外交官は言った。
それは、私を、デスクを、そして新聞社全体を侮辱することにほかならないことだ。
そして、私の記事の切り抜きのフォルダーを引き出しながら、中国のプロパガンダ記事を書く必要があるとは、ご愁傷様ですなと続けた。
私がビザ申請の承認を得るためにその記事を書く必要があったらしいと考えているようだった。

私が?北京の雇われスパイだって?そこに行ったこともなければ、ビザの申請をしたこともないというのに。
もしこれが、日本の目指すものを理解してもらうための、新しい政権のやり方だとすれば、そんな簡単にことが運ぶものではない。
もちろん、親中国という非難は私のデスクの気に入るところではなく、むしろ私にレポートを続けるようにとの青信号を出した。