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(リンク先に動画あり)

太平洋戦争中、旧日本海軍が広島県呉市でアメリカ軍の空襲を避けて臨時の作戦司令室として使った地下ごうが、戦後72年をへて、初めて報道陣に公開されました。
この地下ごうは当時の日本海軍呉鎮守府が、臨時の作戦司令室として使うため、太平洋戦争中の昭和20年4月に完成させたもので、現在も海上自衛隊呉地方総監部の敷地内に残されています。

海上自衛隊ではこの地下ごうを倉庫として使っていましたが、歴史的な価値があるとして、戦後72年をへて初めて内部を明らかにすることを決め、17日に報道陣に公開されました。

地下ごうはアメリカ軍に発見されにくいよう斜面の下に掘られていて、司令室が置かれていた総監部の庁舎からも近くのトンネルを使って出入りできます。地下ごうには12の部屋が確認され、最も大きな作戦室は210平方メートルあり、コンクリートの壁の厚さは爆撃に耐えられるよう1.5メートルとなっています。

呉市は昭和20年に14回にわたってアメリカ軍の爆撃を受けましたが、地下ごうに被害はなかったということです。

地下ごうからは複数のトンネルが伸びていて全容がわかっていないことから、海上自衛隊では地元の呉工業高等専門学校と調査を進めているということです。地下ごうは今月29日に一般公開されます。

海上自衛隊呉地方総監部の池太郎総監は「海軍が最後まで戦い抜こうとしていたことを肌で感じてもらいたい」と話しています。

7月17日 18時17分