0001フラのベランダー ★
2017/07/19(水) 17:16:59.18ID:CAP_USER9駅逓はその後、北広島側に移設されるが「萬覚留」は、元の駅逓の建物の離れの小屋でふすまの下張りから見つかった。発見のきっかけは町史発行の任を受けた担当職員の奔走。明治時代に役場が全焼し、町史をまとめるにも資料が不足する中、島松沢の住民の記憶で「何かの書類みたいな白い紙」がふすまの下張りに使用されていたとの証言を得て現物にたどり着いた。
文字が書かれた紙は330枚。うち14枚が島松駅逓に関する「萬覚留」とされる。表紙には「明治八年」「山安用」などの表記があり当時の駅逓の取扱人、山口安五郎が使用した、今で言う公文書の控えのようなものと考えられている。それ以外は金銭のやりとりを記した帳簿など出所不明の文書が交ざっている。
これらの文書は現在、市郷土資料館が所蔵。かつて北広島市教育委員会職員が途中まで作成した解読文を参考に同会が2011年から解読をスタート。14枚は同年中に解読をすべて終えた。書かれていたのは、駅逓に宿泊所も設けるという話や、土地の借り受けに関する記載など、恵庭史には欠かせない貴重な内容となっている。
同会は現在も毎月2回、市有明会館に集まり、14枚以外の解読作業を進めている。18日も集まりがあり217枚まで解読。「五月五日 炭一銭 余市 石川」など、金銭に関する記載が続いており、独特の崩し字に「これは何だろう…」との声も。
メンバーで柏陽町の三浦猛さん(79)は「通常の崩し字ではなく、癖があり難解。最初の頃は中山久蔵など知った名前も出てきたが、最近は『余市』などが出てきて筆跡も異なっている」と語る。1回2時間程度の集まりで2枚程度が進む地道な作業を積み重ねている。
同館では、昨年前半の冬から市民に貴重な資料を見てもらおうと萬覚留の展示を始めた。現在は表紙部分を展示しており、今後、同会で解読した文も付けて定期的に入れ替える考え。
同会にも所属している同館の大林千春学芸員は「明治時代の文書が今に残ったということは、本当に貴重なこと。解読文を完成させ、市民の方に広く見てもらえれば」と話している。
(とまみん)
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