皆さん、河野洋平さんをあんまり責めないでくださいな。
ワタシはいわゆるネトウヨですが、ちょっと可哀想な感じもしています。

談話が発表された1993年は、冷戦終結直後で当時の政治状況や人々の意識にはまだ冷戦構造の名残がありました。
河野氏の所属していた自民党は、共産主義に対抗するため韓国との協力関係維持が重要という認識を持っていました。
1990年代には依然として北朝鮮を支持する勢力が日本国内に少なからず存在していたのです。北朝鮮支持派が激減したのは2002年頃のことです。
1993年時点では韓国から多少の理不尽な要求があったとしても大目にみてあげるのが保守派として「大人の対応」と考えられていたのです。
ネトウヨのワタシもそう考えていました。(当時はネットはありませんでしたが)

今日の観点からすればおかしいように思えるかもしれませんが、1993年には1993年の価値基準があったのです。
当時は共産主義を封じ込める大目的のため、細かいことは気にしないという風潮があったのです。
韓国のワガママな主張にお付き合いしたのは河野談話が初めてではありません。

今日の感覚からすれば異常とも思えるほどですが、当時は韓国に配慮するのが当然と考えられていたのです。
1995年、当時の江藤総務庁長官は「植民地時代に日本は悪いこともしたが、良いこともした」という発言で長官を辞めました。
1986年、当時の藤尾文部大臣は「日韓併合は日本だけでなく韓国側にも責任がある」と発言し大臣を罷免されました。
当時は、政府内・自民党内も含め全般的に韓国の主張する歴史観への迎合を強要するような空気が支配的だったのです。

さらに冷戦状況下として時間軸を広げてみれば、
1980年の光州事件は、民主化運動弾圧・市民大量殺害事件でしたが、保守派はほとんど非難の声をあげませんでした。
1973年の金大中氏拉致事件は、日本の主権を侵害する国家犯罪でしたが、保守派はあまり強く抗議しませんでした。
問題を大きくすれば、北朝鮮・共産勢力を利することになったからです。ワタシもそれに納得していました。

このような状況の中で河野談話が出されたということを、ぜひ、忘れないでいただきたいものです。
ワタシと同じ中高年のネトウヨ・保守派のみなさん、自分自身が当時どうだったか思い出してください。
若いネトウヨ・保守派のみなさん、昔には昔の事情があったのですよ。