アメリカの反省@

昭和26(1951)年5月3日。朝鮮戦争に於ける戦争方針でトルーマン大統領と対立し、
GHQ最高司令官を解任されたマッカーサーが、米国上院軍事外交共同委員会の場で、
朝鮮戦争に於いて彼が主張した支那海上封鎖戦略についての答弁の際、以下の様な
「爆弾発言」をしたのです。曰く、

『問
 では五番目の質問です。赤化支那(中共:共産中国)に対し海と空とから封鎖し
てしまへといふ貴官(マッカーサーの事)の提案は、アメリカが太平洋において日
本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。

 答
 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。
日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいているのだとい
ふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、
あとの半分が工業生産に従事していました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれ
にも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、
人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだといふ
こと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見していたのです。
 これほど巨大な労働力を持っているといふことは、彼らには何か働くための材料
が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していま
した。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、
羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が
欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が
発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れていました。したがつて
彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのこと
だつたのです』 (小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より)