バージニアのインディアン部族長ポウハタンから、バージニア植民地建設リーダー、キャプテン、ジョン・スミス宛、食料品供出要求に対して
「キャンプテンスミスさん、あなたがこの地に来たことに対して、私は疑問を抱いている。私は親切にしてあげたいのだが、この疑問があるので、
それほど親切に救いの手を差し伸べるわけにはいかないのだ、というのは、あなたがたがこの地に来たのは、交易の為ではなく、私の同胞を侵し、私の国を取ってしまうためのなのだ、
と多くの人は私に告げているからだ。
この人達が貴方にトウモロコシを持ってこないのは、あなたがこの通り部下に武装させているのを見ているからだ、
この恐怖を取り払って我々を元気づけるよう、武器を船においていらっしゃい、ここでは武器は要らない、我々は友人なのだから」

当時、イングランド人はアラルランド人に対して、「アイルランド人清掃」と「アルスター地方イングランド人植民」というティロン戦争というやり口で土地を奪っていったが、それをバージニアでやるには輸送とコストがかかるため
当初は、原住民の居ない(居ないけど原住民にとっては彼らの土地)を開拓し、トウモロコシを略奪するところから始まっている

でもインディアンの力のない願いなどは通じないので、1610年6月に州名に成ってる総督デラウェア率いる艦隊がやって来ることに成る。

しかし、なんの手掛かりもないところに侵入することのリスクは対自然相手でも当時ではリスクが高く
1609年から7年間だけでも、

入植者全体1650人 うち1000人死亡 約300人が母国へ帰るほか、結局、残留351人程度

  このために初期開拓のリスクとして使いつぶせる三角貿易のシステムが洗練されて行くことに成る


ちなみにポウハタンの娘が、ハリウッド映画でも出て来たて「ポカホンタス」だよ、面の皮を最も厚いものが世界では勝つね