【大東亜戦争】14歳、名ばかり「満州開拓団」 「話が違った」 [無断転載禁止]©2ch.net
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2017年8月18日15時32分:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK854QG7K85UDCB00J.html?ref=tw_asahi
ちょうど80年前。日中戦争が始まった1937(昭和12)年、「満蒙開拓青少年義勇軍編成に関する建白書」が政府に提出された。
旧満州に送り込まれた8万6千人の少年たちの中に、千葉県旧千倉町(現南房総市)出身の鈴木弘一さん(87)がいた。渡った当時は14歳。
開拓のためと信じていたが「話が違った。実際は国境警備の兵隊要員だった」と振り返る。
南房総市在住の作家、かわな静さん(80)はこの春、鈴木さんの満州での体験をまとめた「十四歳の『満州』」(崙書房出版)を刊行した。
7月末には旧満州を訪ね、鈴木さんが過ごしたハルビン訓練所や入院していた中央病院などを見て回った。
今月4日、かわなさんは報告のため鈴木さんの家を訪ねた。
「門柱はまだ残っているんだ」「入院した時の看護師と今、文通しているんだ。この写真、あげたいから、もう1枚焼いてくれないかな」。
かわなさんが撮った写真を手に話は弾んだ。しかし、当時の話になると鈴木さんの表情は険しくなった。
義勇軍に入るよう勧めた国民学…
(全文は配信先で確認をお願いします) >>674
何も知らない分からない人に
デメリットも説明せず契約をさせるのは詐欺罪ですw >>676
下痢三と祖父(岸信介)は関係ないだろう?
切り離して考えるべき >>646
民主党に例えてみても満州と日帝の関係は民主党と自民党の関係性とは違うんじゃないの? >>672
サイパン戦を楽観視して短期陥落を招いた結果、本土空襲を早期化させる。
(戦力的により不利な硫黄島戦でも長期持久できたのに、東條のせいで無駄な水際作戦に)
チャンドラボースに肩入れしてインパール戦を推進
これだけでも大罪だよ。 入植による乗っ取りというパターンを覚えたのが
一番日本の悪だったと思うけどね。
もともと土地が欲しいよ病が強烈だったとはいえ >>15
国内にいて死に追い込まれるよりは、新天地に賭ける方がましだった、というのが当時の状況
戦前の下層農民は小作人制度で地主に生かさず殺さずの限界まで収奪されており、
加えて昭和初期は大恐慌+冷害が発生し、地方農村では心中や身売りが多発していた あの時代にネット環境あったらどれだけ集まってたろうね
向こうに行ったら1万坪の土地と朝鮮女付ける約束にしたら
少しは集まるもんかね >>684
満州の関東州を手に入れたのは満州国ができる26年も前だよ
移民は全然増えなかったの
寒いところになんか好き好んで行かないんだよ日本人は >>107
これも終戦直後の共産党の嘘のプロパガンダ。
シベリアに送られ収容されていることを伏せて、
日本軍は逃げたというデマをながした。関東軍
には朝鮮人が多く、彼らは国境を越えて武器を
もって朝鮮に逃げた。 ひどい話だな
>つらかったのは食事だ。玄米ごはんに野菜の煮付けなど、育ち盛りの少年たちにとってはあまりにも少なかった。
>「それも訓練だと言われたが、大人の職員たちは良い物を食べていた」 >>550
どっかの新聞が煽ったんだろ
どこの新聞かは知らないが 満蒙開拓団の青少年義勇「軍」というのがあったんだな・・・ >>599
これも違う。東条さんは敗戦の将ではないよ。
彼が東京裁判の犠牲になったのは開戦時の首相
だったという形式的なものだ。彼が開戦を主導した
わけでをもないし、終戦より1年近く前に首相を辞任
しているが、彼は開戦の政治責任を取らされたのだ。
いわゆる敗戦の将にあたる軍人は陸軍海軍とも終戦と
同時に米軍が来る前に切腹または拳銃で自害している。
主要な人物はことごとくだ。 ソ連とチャンが襲ってくるから農家兼防人やらなしゃーない 妄想捏造フェイク汁100%濃縮還元でお送りします
朝日新聞
鮮報 >>688
へえ、俺の知ってる長野県民はなんやったんやろなぁ 開拓の名の元にインディアンやらアボリジニ大虐殺したとある民族がいるんやで
彼らは戦争に勝ったって一点で一切おとがめなしやで >>692
そんな厳密に区別する必要ないだろ。
軍というのは満州国が決めた呼称だから。
満州国についての知識がないとわからないが。
関東軍と満州軍があって、満州軍は自衛隊みたい
なものだ、といっても軍と隊はどうちがうんだみ
たいな話だが、満州国皇帝が統帥権をもっていた。 >>514
露助は刑務所に入っていた凶悪犯を放ったとか
チョンは元々基地外で火病を起こすから
日本人に対する暴行、略奪、強姦は
凄惨さを極めていたらしい 間引き 農家男子間引き
産めよ増やせよで口減らしで開拓民 親に棄てられた 満蒙開拓団といえば赤い運命
三國連太郎の素晴らしい演技 >>1
農地解放は戦後になってから
戦前は小作と地主という関係のみで
特に農家の次男三男は食い詰めるしかなかった
そりゃ海外で自分の農地持てると聞いたら食いつくがな
悲惨になったのは戦争に負けたからの一点だけ 日本人がもっと沢山シベリアに抑留されていればなあwwww
ソ連も意地悪だな。こんなくそゴミクズ日本人を大量に生き残らせるなんてwww
今からでも遅くは無いか!日本人を徴用しシベリア送りにすればよいのか! 昭和11年 1936年 が226事件だから、日本全体が
貧困にあえいでいた頃なんだろ。
国内に仕事なんか無いし、海外に打って出るしか生きる道はない。
飯食えただけでもありがたいと思え。 >>705
ならば何故送り込んだ自治体に国から金が流れる仕組みを作ったのかねえw
んでこの話は農地が貰えると言う話が実質国境警備隊だったという話なんだが
>>689
関東軍が逃げたっていうか、そもそも作戦で朝鮮に籠る計画でした
第八計画ですな >>709
貴様如きが草を生やして語る主題ではない
頃すぞ 家庭に子供が5人とか7人も生まれる時代に、
長子(基本は男)相続制度の旧民法だから、
日本の産業人口のほとんどを占めている農家は、
生まれて来た子供が、将来どのようにして自活して
いけるかということがあった。軍人になるとか、
都会に出かけていって工員になるか、人夫になるか、
あるいは外国や外地に新天地を求めて日本を出て行くかだった。
日本は積極的に海外への棄民を行っており、
また台湾や朝鮮半島、満州大陸、アメリカ西海岸、
ブラジル等南米、に日本人を大量に送りつけて
棄ててた。あるいは開拓団名義の防人だった。
いまの少子化がどうてらこうてらというとは
まるっきり違う想像もできないような時代だった。 8月になると、NHKで「戦争の記憶」みたいな番組をよくやるが
満蒙開拓団にも当然触れていて、国境付近でソ連軍の動きが活発化してきたのを見て
国境付近の土地を開拓地としてあとから来る日本国民に与えたんだとさ
もちろん徴兵して兵隊として使う意図もあっただろうけど、万が一侵入してきたときには楯として使い
時間を稼ぐ意図もあっただろう うちのじいさん、そこで教諭をやっていて終戦1か月前に本土復帰してきたけれど、使用人複数で給仕や秘書までいて夢のような生活だったつってたぞ。
手を出されたロシアとのハーフがばあさんなわけだが。 子供の頃に見た三国連太郎のイメージが強烈だった
本当に満蒙開拓団の生き残りの人が演じてるんじゃないかと >>707
そうではない。昭和10年頃は、東京も京阪神も、非常に
幸せいっぱいでジャズ音楽に浮かれ、ダンスホールに
カフエ、ハリウッド映画とおしゃれな若い男女が青春を
謳歌していた。職業野球がはじまりベーブルースが来日
して大騒ぎしていた。昭和15年の東京オリンピックに向か
って準備もはじまっていた。
そこへ、欧州の国際情勢がおかしいという新聞報道が
どんどんもたらされる。さらに、東北の自然災害の影響
が深刻であった。・・・・そういう時代である。
この世相の中で東京でクーデタが起こる。2.26である。 うちの祖父は
現地人に羽交い締めにされて
身ぐるみ剥がされ銃口突きつけられたと言っていた 安倍の爺さんに使い捨てにされたんだろ。
日本の害悪だな、あの血筋 うちの親父も農家の次男三男〜だったから満蒙開拓団に行ってたよ
家では当時のことあまり話さないけど、酔うとどっかの国の民謡みたいなの歌ってた
特集とかでNHKの取材も受けたが…もう20年以上受信料払ってないわww >>660
漢族農民の開墾地を武力を背景に二束三文で取り上げて
開拓団に与えてたから。開拓団はそんなこと知らなくても、
日本のせいで小作人や都市の不熟練労働者に転落させられた
漢族農民にはそんなことは関係がない。当然に激しい憎悪を
産み出した。満州人の扱いも溥儀を筆頭にぞんざいだったし、
朝鮮人も矛先逸らしの汚れ役として使われてたし。
次にソ連だが、スラブ諸民族の数値削減目標を設定したナチス
ドイツの軍が虐殺略奪収奪しながらモスクワ目指して進撃する
最中に隙あらば攻め込むつもり満々で関特演をやった。極東軍の
移動はゾルゲ情報をもってしても間に合わず、ドイツ軍は民兵の
大量動員で足止めせざるを得なかった。その分、犠牲は激増。
要するに日本は間接的にソ連人虐殺したようなもので、この類の
行動をするものは敵と同等以上に憎まれる。
集団としての日本人には憎まれる要素以外は何もなかった。 >>707
農村の苦境は商品作物価格の暴落、皇室財閥を筆頭とする企業群の
必需品価格のカルテルと関税障壁による維持の二つにあったんだから、
カルテルだけでも止めればだいぶマシになっただろうに。 陸軍、海軍、開拓民、みんなの近い先祖だよ
まず該当しない人っていないんじゃないかな 開拓民は兵員と農業の両方を兼ねていた
当時の支那は、農家を襲う馬賊匪賊が闊歩していた
日本が土地を奪ったというのも間違いだ
当時の山賊である共産党から守ってくれと
支那の農家に懇願されたのが真実である
守るには人が足りない。土地を耕す人も足りない
じゃあ、農家を継げずにいる三男四男を
日本から呼ぼう。自衛の為に訓練もさせよう
それが満蒙開拓団だ
ちなみに、皇帝は満州人で
内政を務めた首相はシナ人だ
軍務は日本だけど警察は朝鮮人が多かった
教師にはイギリス人もいたし、
ロシア革命後ロシア正教がソ連から追放された時、庇護したのは満州国だ
教会も建て、ソ連と近い場所で日本兵が守った
今見ても、とても多国籍といえる
独裁や傀儡ではない。だからこそ国として世界の多くの国に認められたのである
これが歴史的事実なのである >>1
大日本帝国は国民の人権を虫けらのように軽視していた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています