【バングラデシュ】バングラ当局、避難先の島からロヒンギャ2000人超を強制退去に [無断転載禁止]©2ch.net
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http://www.afpbb.com/articles/-/3141667?act=all
【9月4日 AFP】ミャンマーで発生した治安部隊と武装集団の衝突を逃れてバングラデシュへ流入したイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)2000人以上が、バングラデシュ当局によって避難先の島から強制的に退去させられていたことが分かった。同国の当局者が4日、明らかにした。
国連(United Nations)によると、ロヒンギャの武装集団とミャンマーの治安当局との間で衝突が発生した先月25日以降、同国北西部のラカイン(Rakhine)州からバングラデシュへ、主にロヒンギャ難民ら8万7000人が流入したという。
その大半は陸路もしくは川を渡って入国しているものの、事態が切迫するにつれ、一部がバングラデシュ沖およそ9キロに位置するセントマーチン島(St. Martin's Island)への渡航を試みている。
当局によると、同島で暮らす約9000人の島民は、ロヒンギャと文化的に密接な関係を持ち、言語も近いことから、ここ最近避難してきたロヒンギャ約2000人をかくまっていた。しかし、島民らは当局からロヒンギャを引き渡すよう命じられたという。
地元議会の議長の話によると、避難してきたロヒンギャを沿岸警備隊に引き渡すよう、モスクのスピーカーを使って呼びかけが行われた。同議長は「当局はわれわれにあらゆる手段でロヒンギャを見つけ、沿岸警備隊の拠点に連行するよう命じた」と語った。
また別の議員は、子どもらを含む2011人のロヒンギャが3日夜、沿岸警備隊の施設に集められて連れ去られたという。
この議員はAFPに対し、「ロヒンギャの子どもたちは泣いていた。だがそれは政府の命令だ。われわれに何ができるというのだ」と話した。(c)AFP
2017年9月4日 22:20 発信地:コックスバザール/バングラデシュ
ミャンマー・ラカイン州のマウンド―南部で、焼き払われた村から立ち上る煙(2017年9月4日撮影)。(c)AFP
http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/b/4/700x460/img_b449b4b75a4f0a08767bcb587ca6d3e3130978.jpg バングラデシュもパンツのゴムが切れそうなぐらいお腹パンパンの状態で人口が多いしな。 ネラーは難民をやたらと叩くが、
君らも家庭内難民じゃないか(正論 そういえばPS4でクラッシュバンディクーの新作出たけどどれくらい売れたんだろ 9世紀以来、現在のバングラデシュのチッタゴンにはアラブ人が交易に来るようになる
インドに侵攻したイスラム勢力が、ガンジス川から東方コロニー建設植民地運動とともにバングラデシュを侵略し、各地に勢力を築く
ファフルディンム・バラクシャーが、ガンジス川とジャムナ川系のアクセスしやすい土地のソンガレオンという地を征服して根拠地化、
そこを足場にチッタゴンなどの川向うの東側のバングラデシュを制圧
その経由でこの辺からイスラムが広まったみたいだね
次王の、イキティーヤルディン・ガジ・シャー、アラカン王国による侵略でチッタゴンを奪われる
アフガニスタンあたりから移民してきたイルヤス・シャーが周囲征服してベンガルを統一国家にする
1430年、アラカン王国は、ミンソウ・モンが王位を継ぐのにベンガル勢力に力を借りて以来1531年までベンガルの属国
この間の、ベンガルのイスラム勢力の属国だった経緯から、王はスルタン称号も号する、しかし国民は仏教徒だった模様
1538年、アラカン王国、現地王国を破りふたたび奪い返されたチッタゴンを再び制圧支配
17世紀、 アラカン王国、ベンガル州のムスリム人口をアラカンのさまざまな労働者に雇用し、アラカンで増加、このころファッションがイスラム化
アラカン王国、ミンビン王在位(1531年5月27日〜1554年1月11日)が、大航海時代で進出してきたポルトガル人を傭兵に雇い強力な海洋国家として勢力を拡大
ミンビン王、トゥングー朝ビルマと敵対する小勢力との同盟関係を構成することがトゥウングー朝に脅威と目され、トゥウングー朝との戦争に成り(1545-1547)首都に攻め込まれたのちに和睦
1612年までのアラカン王国ミラザギイ王の治世、ポルトガル傭兵の造反を招き、オランダ東インド会社につけこまれそうになったが何とかしのいだみたいだが、この頃に仏舎利関係で行事を行っているのでまだまだ仏教徒の国の模様
1784年、アラカン王国、アラウンパヤー朝の将軍タドミンソーに征服される。このころもまだ仏教徒国っぽい このバングラ土人め
と言いながらケツをパンパン叩いて
ローラとやってるところを想像してシコりたい >>1
イスラム教徒は助け合うというのは嘘だったんだな。 このスレは、ソロスの提供でお送りいたします
https://pbs.twimg.com/media/CQ-gMsYXAAAn6Vk.jpg:large
Burma Task Force
https://twitter.com/burmataskforce
Oslo Conference on Rohingyas - An International Call to End the Genocide
http://www.youtube.com/watch?v=9FX64Yipw5M
ロヒンギャの本部は、イギリス、ロンドン
Arakan Rohingya National Organisation
http://www.rohingya.org/portal/ >>5
自分の部屋を持っているねらーは難民ではない >バングラデシュへ流入したイスラム系少数民族ロヒンギャ
そういう位置づけなのか
結局どこの国民なんだよw 1824年3月5日、イギリス東インド会社による、ベンガル湾のチッタゴン付近のビルマ支配のShalpuri島をめぐって、アングロビルマ戦争が勃発、ビルマ領域マニプール・アッサム等のインド東部へのイギリスの帝国主義も原因
まず、アラカン方面で武力衝突が起こり、ベンガル方面でビルマ方が優勢に展開
イギリスは劣勢な東部戦線にたいするカウンターとして海路、下ビルマに上陸作戦を企図
1825年2月〜4月、モリソン大将の指揮下、11,000兵でアラカンに侵攻して征服に成功
1826年2月にヤンタボ条約
@英国へのアッサム、マニプール、ラカイン(アラカン)、サルワン川の南にあるタンテサリ(テナセリム)の海岸へのセードの割譲
ACacharとJaintia Hills地区の全干渉を停止
B100万ポンドの賠償金を4分割支払
Cアヴァとカルカッタの間で外交代表者の交換を許可
D商業的条約に正式に署名
大英帝国インド植民地史の中でも最大の人的消費をし、15万人のイギリス側白人兵士とインド人兵士が戦死、それ以上のビルマ人が戦死した模様
大英帝国インド植民地の経済は混乱し、現地商会で破産したところも出た模様
それを回収するために莫大な賠償が課されたビルマ側は、アラウンパヤー朝の武威を失い、多額賠償義務と全土から壮健な男性全滅による転落状況に成っていた模様
ここで構築された不均衡な力関係は第二アングロビルマ戦争への伏線となり、そこでもビルマは敗北する
1886年、大英帝国は、ラングーンを首府とするインド州としての下ビルマの併合を皮切りにビルマを解体しつつインド植民地に組み込んでいく バングラデシュから逃げてミャンマー
ミャンマーから逃げようとするもバングラデシュには帰るとこはなかった
これぞ負け犬に相応しい末路
だから負け犬チョンも追い出さないとな 1869年、スエズ運河の開通後からのビルマ米の市場需要のニーズに対して、広大な土地がビルマで開墾される
イギリス、耕作のための開拓準備資金を農民に高金利でチチアールと呼ばれるインドの栽培者を経由して貸し出すこととし、ビルマ住民は土地と家畜を差し押さえられながら凋落
イギリス、植民地経営の雇用にはグローバル化させたビルマ社会に送り込んだインド(インド・匹スタン・バングラデシュ・スリランカなどの領域)労働者を大規模運用し、ビルマ村落社会は疲弊していった模様
イギリス、ビルマ経済は高成長させ、権力と富は、異民族衝突を巧みに取り入れた英国企業に収束し、アングロビルマ人、公務員として移民させたインド人によって吸い上げるシステムを構築
ビルマ地域、グローバル化で経済成長、しかし、ビルマ人は貧困化をたどりこれが独立運動への原動力となっていった模様 イギリス、植民地経営の雇用にはグローバル化させたビルマ社会に送り込んだインド(インド・パキスタン・バングラデシュ・スリランカなどの領域)労働者を大規模運用し、ビルマ村落社会は疲弊していった模様
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この辺が問題の発生元じゃないすかね >>19
受け入れたというのはちょっと違うと思う。
勝手に入り混んで居つかれてしまったというのが近い。 まあザイニチを同じように朝鮮に送還するのはありだな。 一方、ローラの一家は日本人の税金パクって悠々自適の生活をしていた。 >>1
>バングラデシュ沖およそ9キロに位置するセントマーチン島(St. Martin's Island)
随分洋風な名前だな バングラ政府は元々バングラ人のイスラム教徒を引き取らないのか?
まるで朝鮮クソ食いヒトモドキみたいだな。 >>31 これ以上引き取れと・・・・
(6)
また、1990年代以降、バングラデシュと国境を接するミャンマー・ラカイン州からベンガル系イスラム教徒の「ロヒンギャ」が国境を越え難民として流入していたが、
2016年、「ロヒンギャ」武力勢力によるミャンマー国境警察施設に対する連続襲撃事件後の治安悪化により、新たに難民が流入した。
バングラデシュ政府は、現在、国内に30〜50万人の「ロヒンギャ」難民が避難していると試算している。 やべー日本に押し付けられそう
日本てムスリムへの無知が逆にお人好しの方向に働いて
受け入れ先にされてんだよ
ヨーロッパでもどこでもムスリム受け入れに反発があるには
理由があるに決まってんだろ
差別の一言で思考停止はやだね〜 >>32
逆に2億人以上いるバングラ人の中からロヒンギャ族を名乗る人間がミャンマーに押し寄せたらヤヴァいって事はないのかな? 「ロヒンギャ」武力勢力
どこが武器供与してるのか?? やっぱり人を混ぜ混ぜするのはよくないんだよ
人類に共生は早すぎるんだ
これが教訓 どんな世界でも境界民は哀れだな。
端っこにだけはなってはならない。 イスラム国家はやはり冷たいな
どう見ても同じ民族のロヒンギャを迫害するなんて、バングラデシュはひどい国だ 元はと言えばイギリスが悪いんだけどな。
イギリスが責任取れよ。 ミャンマー内のロヒンギャって母語は何語なんだ?
「族」って呼ばれてるぐらいだから、彼ら独自の少数民族語があるのか?
それとも、元はベンガル人だからベンガル語? バングラもロヒンギャのテロリストをかばうつもりはない、と
孤立してるのはむしろ国連と、アジアに戦争の種をまこうとしているヨーロッパの情報当局 1988年、ロヒンギャがアウンサンスーチーらの民主化運動を支持したため、軍事政権は
アラカン州(現ラカイン州)のマユ国境地帯に軍隊を派遣し、財産は差し押さえられ、
インフラ建設の強制労働に従事させるなど、ロヒンギャに対して強烈な弾圧を行った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロヒンギャ
イギリスに立て続けに騙され続けている行き場のない民族ですね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています