>>881
徳川三代で確立したシステムが重荷になったのは確かなんだよな

老中水野忠邦は保守派のイメージがあるけど、対外脅威は真剣に考えていた
だから、本来は江戸の防備として関東一円を固めてた譜代、旗本領の湾岸地域を国替え接収して
幕府直轄で防備しようとしたけど、
本来徳川直臣である筈の譜代、旗本と、彼らのお家に利権を持つ金融勢力の大反対でとん挫、
水野忠邦自身が失脚させられた。

水野の下でその経緯を見ていた阿部正弘は徹底した協調主義に走り、
一橋慶喜は長州征討では動員されそうになったら隠居して逃げ出し
慶喜の側近は暗殺し小倉上野を人事的に排斥して
幕府機構の既得権を死守しようとする旗本御家人の主流に多分失望して
こいつら全部抱えての中央政府は無理、と大政奉還を決意した向きも