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東日本大震災の発生から11日で6年半になります。震災の記憶の風化が進む中、宮城県石巻市の大川小学校では、語り部を続ける遺族が学校を訪れた人と一緒に地域を回り、地区全体の被災状況を伝える取り組みを行いました。

新たな語り部の取り組みを行ったのは、震災の津波で児童ら84人が犠牲になった石巻市の大川小学校の遺族たちです。

10日は東京の親子連れなどおよそ170人が大川小学校を訪れ、はじめに小学6年生の次女を亡くした佐藤敏郎さんが「このまわりにはまちがあり、暮らしがありました。亡くなった子どもや先生たちがどんなに無念だったか想像してほしい」と語りかけました。

このあと、参加者は学校の近くの津波で広い範囲が浸水し、人が住めなくなった地区を訪れました。そして、高校を卒業したばかりの息子を津波で失った女性が、自宅跡地で息子の遺影やかつての祭りの写真を示しながら思い出を語りました。

大川小学校は震災遺構として保存されることが決まりましたが、学校周辺は津波で住宅がなくなり、当時の被害など震災の記憶の風化が進んでいます。

遺族たちは語り部に先立って、周辺に震災前の地区の写真を貼った看板を設置し、訪れた人に看板の前で説明していました。

東京から来た50代の男性は「学校を見ようと初めて来ましたが、周辺の被害は全く知りませんでした。さら地を見ただけでは何もわからないので、語り部の話を聞くことができてよかったです」と話していました。

語り部ガイド聞いた人 約40%減少

昨年度に、宮城県と岩手県を訪れて、震災の体験を伝える語り部ガイドを聞いた人は13万人余りと、4年前のピークよりおよそ40%減ったことがわかり、震災の記憶をどう語り継いでいくかが課題となっています。

宮城県と岩手県で震災の語り部ガイドに取り組む22の主な団体によりますと、昨年度に被災地でガイドを聞いた人は宮城県が7万1432人、岩手県が6万195人で、合わせて13万1627人でした。

これは前の年度と比べておよそ19%減り、最も多かった平成25年度と比べると、およそ40%少なくなっています。

自治体別に見ますと、岩手県宮古市が2万1060人と最も多く、次いで宮城県石巻市が1万9907人、岩手県陸前高田市が1万4625人、宮城県名取市が1万3188人などとなっています。

宮古市は震災の教訓を伝える震災遺構の「たろう観光ホテル」の一般開放が昨年度から始まったこともあって、前の年度よりも7%増えました。

一方で、多くの被災地では復興に伴って震災の爪痕が見えにくくなり、語り部を聞きに訪れる人も年々減少しています。

被災地では震災遺構や復興祈念公園の整備が各地で進められていますが、風化を防ぎ震災の記憶をどう語り継いでいくかが課題となっています。
>>2以降に続きあり)

9月10日 17時35分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170910/K10011134141_1709101741_1709101745_01_02.jpg