>>385
世良修蔵に関する限り、河北新報や福島民報、会津小説家の主張する人間像と現実に落差が大きいんです。

会津は江戸無血開城当時、現実には関東に侵攻しており、騒乱を煽っていただけでなく会津軍も活動していました。
なので世良が討伐を強く主張していたのは当然なんです。
また、彼だけの独断でもなく明治新政府の見解とも一致していました。彼に罪があるとするのは困難です。

また「白川以北皆敵」の手紙は当時の状況を示しただけであり、しかも世良の死後に身体検査で発見されたものです。
これを理由に斬ったとするのはおかしい。

世良修蔵は、会津藩の「恭順しているのに薩長が責めてくる」というウソに東北諸藩が踊らされ
列藩同盟を作ってしまった際の、犠牲者だと思うのです。