>>504
ダウト!

対米開戦を誘導した海軍は軍令部が実質的に作戦立案したんだが、開戦時は薩長ばかり。
対ソ戦しか考えてなかった旧幕府軍子孫が多い陸軍は海軍に騙されて孤島にばら撒かれ、最後は責任おしつけられただけ。

「慨然たらざるをえない対米英戦争直前の陣容をみると
軍令部総長の永野修身(おさみ)の高知をはじめ、

沢本 頼雄(海軍次官)、
岡敬純(軍務局長)、
中原義正(人事課長)、
石川信吾(軍務第二課長)、
藤 井茂(軍務第二課員)、が山口県出身、

高田利種(軍務第一課長)、
前田稔(軍令部情報部長)、
神重徳(作戦課員)、
山本祐二(作戦課員)が鹿児島県出身。

これに父が鹿児島県出身の大野竹二(戦争指導班員)を加えれば、薩長閥の左官クラスのそろい踏みなのである。

藤井茂中佐は昂然としてこういうのを常とした。
『金と人とをもっておれば、このさき何でも出来る。予算をにぎる軍務局が方針を決めてその線で押し込めば、人事局がや ってくれる。
自分たちがこうしようとするとき、政策に適した同志を必要なポストにつけうる。』

 荷風が言うように、大日本帝国は薩長がつくり、薩長が滅ぼしたといえるのである。」

半藤一利『永井荷風の昭和』