沖縄・読谷村「平和の像」破壊事件(おきなわ・よみたんそん「へいわのぞう」はかいじけん)とは
右翼による報復事件(暴力行為等処罰違反事件)である。
その犯行動機には沖縄県がかかえる複雑な戦争や国家に対する感情への反発があったともいえる。

事件の概要
第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の沖縄戦でアメリカ軍が最初に上陸した読谷村では、
1945年4月2日に同村チビチリガマ(壕)に避難していた地元住民139人のうち84名が集団自決した。
戦後長きにわたり地元では語ることもタブーとされていた。
集団自決から42年後の1987年4月2日に地元住民らの集団製作により
犠牲者に対する鎮魂碑「平和の像」が除幕されたが、
同年11月8日に原形をとどめないまで破壊されていた。

犯人
1987年12月19日に右翼団体のメンバー2人が暴力行為等処罰法違反で逮捕され、
のちに実刑の有罪判決を受けた。