軍令部では山本連合艦隊に押し切られたことをとても後悔しています。
ちなみに軍令部(=大本営)とは連合艦隊司令よりも偉い部署です゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
--------
★ミッドウェイ作戦失敗:反省点★

■大本営
 1 ミッドウェイ作戦はそもそもやるべきではなかった。
   当時3つの方向性があった。1つはガタルカナルに向かう米豪分断作戦。
   2つめは印度に向かう英屈服作戦。3つはミッドウェイ・ハワイに向かう作戦。
   ミッドウェイは補給が難しく取っても奪還される可能性が指摘されていた。
   米豪分断や英屈服の方が戦争早期終結の可能性が高いと思われた。

   空母4隻喪失がなければガ島に向かわせ敵兵3万は孤立。分断作戦は確実に成功していた。

■連合艦隊司令部
 1 作戦を急いで準備不足であった。
   真珠湾から6ヶ月で印度洋作戦もやりながらで偵察も不足し島の航空戦力がどの程度かも不明だった

 2 敵が我が企図を察知していた。6月4日には位置を発見された。
   
 3 同時に2方面作戦を行った
   アリューシャン列島作戦に空母を2隻送った。これがミッドウェイにあれば結果は全く違っていた。

■機動部隊司令部

 1 空母が団子になっていた
   (もっと分散してれば一度にやられることが無かった)

 2 索敵不足。索敵が疎に過ぎた
   (もっと早く敵を発見していれば爆装転換する必要もなかった)

 3 雷爆同時攻撃にとらわれた感あり
   (陸上攻撃用装備でも攻撃に向かわせればこんなことにはならなかった)

 4 戦闘機の援護兵力を多く使い過ぎた。
   (上空警戒用戦闘機をもっと増やすべきだった)

 5 上空直援の戦闘機使用艦を専門にすればよかった
   (攻撃隊と関係なく敵機の攻撃に応じて戦闘機の発艦ができた)

 ※軍令部伊藤次長の長門訪問時の話。
 ※以上『海軍軍令部』(光人社NS文庫/豊田譲元海軍飛行士/307頁) 一部省略。

■攻撃隊飛行隊長

 1 地上攻撃時敵機不在時の動き
   「地上に飛行機を発見しなければ洋上の孤島のことであるから空中に待避していると判断して
   やりすごし一回りして来た後敵機の復帰した頃を見計らって一網かけるといった工夫があってよい」

   (元々隊長は淵田だったが急性盲腸炎のため友永大尉が代役した。友永隊は滑走路に穴をあけただけで
   『第二次攻撃の要ありとみとむ』と打電。その後の混乱の発端となった)

 『真珠湾攻撃総隊長の回想』(講談社/淵田美津雄元海軍大佐)