2017年09月28日 17時49分
大正〜昭和初期に福岡県久留米市と日田市を結んだ軽便鉄道「筑後軌道」の遺構が、
日田市の夜明ダム上流の筑後川左岸(福岡県うきは市)に姿を現し、鉄道ファンの話題になっている。
普段はダム湖に沈んでいるが、九州豪雨に伴う放流で水位が下がり出現した。
10月には再び水没するため、地元では記録保存に向けた動きが出ている。
遺構は軌道敷の石積み。日田市史などによると、筑後軌道は1916(大正5)年、同市豆田まで開通。
豆田の他、市内の隈や石井などに駅が置かれ、小型蒸気機関車が久留米まで約45キロを3時間余りで結んだ。
日田地方の産物を送り出す主要輸送手段だったが、旧国鉄久大線の延伸に伴い1928(昭和3)年に廃止された。
54(昭和29)年のダム完成後に遺構は水没したが、今年7月5日の豪雨後、ダムゲートを開放したため
水位は普段より最大約10メートル低下。普段は見えない遺構がダムの上流約1キロにわたって姿を現した。
地元の愛好者団体「筑後軌道調査会」の桑野洋輔事務局長(74)=同市銭渕町=によると、
これまでも短期間、遺構の一部が見えることはあったが、これほど長期間、
遺構全体が見られるのはダム完成後初めて。
特に夜明地区の県日田夜明艇庫の対岸には、整然と積まれた高さ4〜5メートルの石積みが、ほとんど傷みなく連なる。
桑野さんは「水の中で守られていたのだろう。よくぞここまできれいに残ってくれた」と感慨深げだ。
(後略、全文はソースで)
西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/oita/article/362050/
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筑後川左岸に全容を現した筑後軌道跡の石積み。この上に線路が引かれ蒸気機関車が走っていた
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筑後軌道の石積みが出現した筑後川左岸。舟の通り道もくっきりと残る=KCV提供
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大正時代の筑後軌道、加々鶴トンネル付近=筑後軌道調査会提供
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