2007年の知事選で、自民党県連(主流派は江藤、上杉で中山は反主流派)が推薦した故持永氏(元通産官僚)出馬に反発。
■ラサール高校の後輩である川村(元農林官僚)を引っ張りだして、自民は分裂選挙になる
■自民分裂選挙のおかげで東国原が知事選に勝つ
■中山は、当選した東国原知事に急接近(東の人気を利用し、県連で主流派になる為)
■自分が知事選に強引に呼んで退職させて、金も面倒も見ず、選挙に出した後輩の川村をポイ捨て。 川村は怒り狂いミンスに走る。
■麻生首相になった直後、冒頭解散があると思い込み、日教組発言をして次の選挙での不出馬を表明。
■陣笠議員より知事になりたい中山は、東国原を1区に出馬させ、自らは知事選にでる密約を交わす。
■解散は無く予定が狂う。
■中山が不出馬を表明したため、1区に次の選挙で誰を立てるか迷った県連は、公募という形で元参議院議員の上杉を引っ張り出してくる。
■中山の後継の公募の委員会に中山もなんと名を連ねていた。これが一番揉める要因となってくる。
■少し時間が立ち、考えが変わり、シナリオが狂って考え直した中山は、やっぱり辞めない→やっぱり辞める、を2回繰り返し、県連からの説得によって黙る。
■中山に捨てられた川村はミンスの応援を得て着々と草の根で浸透。
■中山は選挙直前になって、やっぱり出ると三回目の撤回。妻の恭子が会長の勝手連なるものを作り、その名簿を党本部に持っていく。
■そこで自民県連は「何で、最初から議員辞職なんて言ったのか、あんたも後継者の選定委員だっただろ。そもそもあんたが不出馬を表明しなければ上杉を出す事は無かった」
と怒り狂い、上杉を応援する事を表明。県内のJA、農民連盟など有力組織は上杉を応援
■中山は「武士に二言は無い」という言葉はありますが、一方では「君子は豹変する」という言葉もありますと名言を吐いて出馬を宣言
■自民党本部へ出向き、公認しなければ中山恭子も自民党を辞めると、森、町村と共に細田に圧力をかける。
■宮崎県自民党県連は、中山を党本部に推薦しにいった市議を除籍し、本部から公認が貰えなくても上杉を立てると覚悟を決める
■森元が、公示日直前に公認を決定は遅れると発言。分裂選挙が事実上決定
■困った党執行部は両氏とも公認せず、当選者を追加公認する 
■2人とも落選w