>>444
漁夫の利で当選したのは川村、但し次の選挙では
東国原の若狭的ポジションだった武井にあっさり敗退

川村はその後、再度知事選に出るが、東国原の後継で
二期目を目指す河野に30万対5万という泡沫候補並の
大差で敗れ、政治生命を絶たれる

武井は大したコマでもなかったが、県連が分裂選挙後に
早々に候補者を公募したため、上手いこと当選する

しかし、この後の県内政界には国会に色気を持つ、
武井よりも地力を持つ候補者が三人も発生。
宮崎の公認枠は参院の一議席のみだったため、
数年に渡る県内政界の混乱の種となる

つまり大体中山成彬のせい